アイヌ語地名の北限は?

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92名無しさん@お腹いっぱい。
次どうぞ
93ゴルビー皿うどん:03/08/30 04:00 ID:JzDfJFsE
兵庫県北部に蛍の名所で「米地」(めじ)という地名がありますが、これはアイヌ語のpetとは何か関連あったりしないでしょうか?
94名無しさん@お腹いっぱい。:03/09/06 21:08 ID:RK0KaOTZ
日本語での由来はわからんのですか。
95名無しさん@お腹いっぱい。:03/10/11 14:36 ID:twnTAkSP
あげ
96名無しさん@お腹いっぱい。:03/12/02 13:01 ID:5BmYMHPc
アイヌ語併記の地名表示板が登場/旭川
http://mytown.asahi.com/hokkaido/news02.asp?kiji=5983

地名や川の名前などの語源になっているアイヌ語をもっと身近に感じてもらおうと、
旭川市内の2カ所にアイヌ語を併記した地名表示板が登場した
市のアイヌ文化振興基本計画の一環で、市教委は今後も10カ所ほどに設置を予定している。

同市緑町の近文(チカブミ)小学校の校門近くには
「チカプニ Cikap(鳥)−un(いる)−i(所) 近文」、

忠別川に近い神楽岡公園には
「チゥペッ Ciw(波)−pet(川) 忠別川」

と書かれた掲示板が立てられた。

それぞれ、「大きな鳥がいたという伝承があり、そこから石狩川右岸は広くチカプニと呼ばれるようになった」
「波立つ川、急流の意味」など、アイヌ語の意味や由来も書かれている。

市教委は「二つの公用語を持つ国の看板をイメージした。
特に子どもたちが、アイヌ語に関心を持つきっかけになれば」としている。

写真http://mytown.asahi.com/hokkaido/images/pic1_5983_247.jpg
97あぼーん:あぼーん
あぼーん
98あぼーん:あぼーん
あぼーん
99名無しさん@お腹いっぱい。:03/12/30 00:34 ID:Fnn28qHW
大学の卒論で、「アイヌ語地名の南限」をテーマにしてみた。自分が日本全国の
地名を調べたところ、北海道のアイヌ語地名と類似した地名が、数は少ないが西
日本や沖縄にまで存在していることが分かった。
たとえば、「ピナイ」という地名です。北海道では、札比内(さっぴない)、ポ
ロピナイ、檜内沢(ひないさわ)など多数あります。これはアイヌ語で、pi.nay
(小石・川)あるいはpin.nay(えぐれた・川)の意味らしいです(山田秀三
氏の「アイヌ語地名の研究」より)。本州でも東北痴呆を中心に点在してます。
有名なのが秋田県の「比内」ですが、岩手にも点在してます。これより南では、
三重県藤原町の「日内」(ひない)があります。この近くに「石川」という地名
がありますし、地形がアイヌ語で解釈しうる形となっています。さらに沖縄県の
与那国島の「髭川」(ぴない)ですが、なんと「川」を「ナイ」と読んでいます。
「ナイ」はアイヌ語では「川」を意味しますが、単なる偶然でしょうか。こういう
例は他にもありますが、きりがないのでこのあたりでやめときます。
今後のアイヌ語地名研究で問題となるのは、今述べたことのように、東北以南での
アイヌ語地名存在の証明でしょう。早急に結論がでる問題ではないので、こつこつ
と研究を重ねていく必要があります。
100名無しさん@お腹いっぱい。:04/01/02 19:11 ID:y/EWH3fD
>>11-12
アイヌ語地名は生活に密着した状況説明的地名なので仕方無いのだと思います。
早い話が「栗林」「蓬沢」「鱒の渕」なのです。
それと生活の中心からみた「手前の川」「奥の川」とか。

また>>12氏が曰う如く、郵政業務の根源となる様な統一権力なぞ無かったからそれで問題無かったのです。
101名無しさん@お腹いっぱい。:04/01/09 01:34 ID:gB2dg8FI
age
102名無しさん@お腹いっぱい。:04/01/09 01:38 ID:pAEtbkpN
別府や阿蘇はアイヌ語起源だと聞いたが
103名無しさん@お腹いっぱい。:04/01/09 06:17 ID:gXCHBpB/
エドが「岬」と言う意味、
と読んだけど、そうなの?
104名無しさん@お腹いっぱい。:04/01/12 15:34 ID:gkPHDwqM
エトゥなら岬の意もある
105名無しさん@お腹いっぱい。:04/01/13 13:47 ID:EpjfSPF0
登呂遺跡のトロもアイヌ語源だと聞いた
106名無しさん@お腹いっぱい。:04/01/15 07:53 ID:cL/IXPsV
谷を(ya)と読ます地名はアイヌ語からくるって
何かの本で読んだ事ある。西に行くにつれて(tani)
と発音する地名が増えてくるとか。
107名無しさん@お腹いっぱい。:04/01/15 17:02 ID:nJMtfIHr
>>1我孫子は百済語起源です。
108名無しさん@お腹いっぱい。:04/01/15 17:51 ID:13ydXfcj
四国の四万十川がシ・マルトというアイヌ語起源とか。
やはり北限は樺太のオハ(廃村)でしょう。
109名無しさん@お腹いっぱい。:04/01/16 19:51 ID:Ng6VgJuA
>>108
オハがアイヌ語って右翼系の人達が良く引き合いに出すけど誰の説なんだ?

北海道にもオハって地名がありそうだけど無いのはなんで?
110ぴー:04/01/16 21:08 ID:VCihJ17X
島根に、十六島(うっぷるい)ってとこがある。
111名無しさん@お腹いっぱい。:04/02/07 00:21 ID:IxR52auM
>>104
etuはもともと「鼻」の意味で、「岬」の意味にも使われるようになった
ようです。
三重県尾鷲市に「江戸鼻」という小さな岬がありますが、これと関係あるか?
112名無しさん@お腹いっぱい。:04/02/07 00:31 ID:IxR52auM
>>108
アイヌ語で、「廃村」を意味する言葉に、「オハ」というのは存在しません。
tu.kotan(廃・村)と発音します。
>>109
少なくとも「北海道アイヌ語」ではないと思います。というか、そもそも
アイヌ語でないから、北海道に無かったと思われます。
113111=112:04/02/07 01:31 ID:IxR52auM
>>110
「打ち振るう」という意味らしいことを、どっかの本で読んだことがある。
「十六島」の東方に、恵曇(えども)という地名があるが、アイヌ語かも
知れないという説がある。この地名は、アイヌ語地名研究で名高い金田一
京助氏や山田秀三氏も注目している。北海道の室蘭にも、絵鞆(えども)
というよく似た地名がある。これはenrum(岬)の訛りから来たらしい。
地形も発音も良く似ているが、近くにアイヌ語風な地名がほとんどない
ことから、証明は困難のようです。
114名無しさん@お腹いっぱい。:04/02/07 01:56 ID:bDYukiht
北樺太・北緯52度あたりのノテト(岬)が北限では・・・。
115名無しさん@お腹いっぱい。:04/02/07 04:39 ID:moFbXxNJ
>>112
「おは」は「空になる」だな
116名無しさん@お腹いっぱい。:04/02/20 04:54 ID:hexR7fpQ
スレがないので一言。
東北線では瓦屋根の北限は(民家の場合)一ノ関付近でした。
羽越線では、山形県まで瓦屋根の民家がありました。
そこを境に、がらっと屋根がカラフルになりました。

ちなみに、函館、大館、館山、下館、いわゆる館の地名は”館”あったところでしょうか?
館はアイヌ勢力に対する備えだと聞いた事がありますが、
だとすると関東までアイヌ勢力は来ていたのでしょうか・・・、まさか・・。
117名無しさん@お腹いっぱい。:04/02/21 01:13 ID:k91N5X57
館はアイヌ勢力に対する備えだと!
118116:04/02/21 14:20 ID:1DA3mLml
>>117
タテは城のようなものだとも、聞いてはいますが。
志海苔館のような地名も函館近郊にはあるし、あのへんでは
アイヌ勢力に対するものだとも学生時代に習いましたが・・、違った?
119名無しさん@お腹いっぱい。:04/02/27 18:49 ID:vzPONSHD
サハリンやベーリング海に思いを馳せれるこのスレサイコー
120名無しさん@お腹いっぱい。:04/02/29 16:13 ID:kbUAma34
樺太ノテト岬対岸の沿海州キジ湖北方のカマオタ(kama ohta 海あるいは湖を渡る場所)
kama 〜を跨ぐ、越える  ohta(北海道アイヌ語方言では otta )〜で、〜する場所
121名無しさん@お腹いっぱい。:04/02/29 16:56 ID:kbUAma34
カムチャッカ半島西岸ゴルギアナ川北方の北緯52度強のオパラ川(o-para河口の広がってる川)o 河口 para幅広い
あるいは、イチャ川(産卵穴のある川 場所はオパラ川より北、もしかしたらこれが最北カムチャッカ川付近らしいが
詳細不明)ican 鮭鱒の産卵穴
以上ロシア最初のカムチャッカ到達者アトラーソフの記録にあり。『北千島アイヌ語(吉川弘文館)』村山七郎
122名無しさん@お腹いっぱい。:04/02/29 17:24 ID:kbUAma34
カマオタはあるいは単純に(kama ota 海を渡る海岸)
kama 〜を跨ぐ、越える  ota 砂、海岸の解釈もあるかも。
イチャ川は現在の地図ではカムチャッカ半島西岸で北緯55度強。
オパラ川、イチャ川間はほぼ平坦でオパラ川クリル湖近辺のアイヌが
鮭鱒の漁期に出向いた可能性はあると思います。但しイテリメンとの
闘争伝説もあるので内耳土器や先頭離脱銛(キテ)でも出土すれば、
定住の可能性も考えられます。
ロシア人到達まではアイヌの方が本土からいろんな物資を入手できた点で
優位に立っていたと思われますので。


123名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/04 21:38 ID:WH6fH+/K
アムール川河口付近のウリチ族にはアイヌを出自とするクイサリ氏族
(kui sari  kui アイヌ sari<san-i 〜の子孫)がいます。1930年代
までは蝦夷刀の鍔を帯飾りにした民族衣装が伝来してました。
千島アイヌに見られるような広範囲な交易活動を考えるとアムール川右岸
のみならず、かつてのアムールニブヒの居住地であったと考えられる現在の
シャンタル諸島沿岸にももしかしたらあるかも知れません。スタノボイ山脈を
越えて樺太にやって来たキーレン(北方ツングースのエベンキ族 ピウスツキ
採録の樺太アイヌのウチャシクマにキーレンに関する民話があり)の移動経路を
考えると、この辺りもアムール川と並んで主要な交通路になっていたのでは?
124名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/10 11:49 ID:MnCmKvid
ひと口にアイヌ語地名って言うけど、
東北からカムチャッカまでなんてすごい距離だよ。
カムチャッカ南端は千島アイヌの中でもほんとのほんとに北の端のグループ。

勿論それ以上に行き来はあったと思うけど、
徒歩民族の生活圏としては南は東北、
北はカラフトあたりまでが限界と考えるのが自然だろう。

123がほんとにアイヌだとしたら
ほんとの少数派のそのまた例外みたいな例だろうね。
舟で移動してたと思うからそういうグループがいても不思議ではないが。

125名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/11 14:33 ID:CNXVK/v/
千島アイヌはシュムシュ島パラムシル島オンネコタン島を本拠地とするアイヌで、
エトロフ島以南の南千島在住のアイヌは言語学的に北海道アイヌの亜種のよう
です。北方民族の活動領域は我々の考える以上に広域です。オンネコタン島から
直接厚岸までkaya(帆)を備えた準構造船で交易に来た例もありますからね。
マガダン近辺で宋銭が出土したり、知床、奥尻島(?)では大陸製の銀製品が
出土したりとか先入観による過少評価は禁物かも知れません。
126名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/11 17:55 ID:kxxngi2y
「亜種」って…言語学では使わない用語ですけどね。
確かに、いわゆる「ラソワ人」以北は「北千島方言」地域
で文化・政治的にも「南千島」とはだいぶ違っていたので
しょうね。因みに>>124の「徒歩民族」ってのも聞いた事
のない言い方ですね。アイヌ人の行動範囲は非常に広かった
と考えられています。東北のアイヌ人がカムチャツカまで
行っていたという意味ではありませんが。
127名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/11 21:14 ID:CNXVK/v/
南千島の言語資料は北海道開拓記念館民族調査報告書等にわずかにあるだけで
詳しいことはわかりません。ただ、浅井亨氏の方言分類やイナウシロシ、itokpa
などの民俗資料でそう考えられてるわけです。本当に斜里や根室(加賀屋文書)を
含む道東方言のバリアント(亜種)なのかあるいは宗谷方言やタライカ方言のように
独立の集団を構成するのか今となってはわかりません。
その点樺太に関しては墓標(kuwa)の類型や方言類型で亜庭湾周辺、西海岸、東海岸、
北部(樫保以北タライカ、散江半島を含む)のような地域集団があったようです。
ちなみに千島アイヌが文化的には別として政治的にエトロフ以南と異なるというのは
ロシア人到達以降の事と思われます。
128名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/12 21:31 ID:5aKnMpbv
オハがオハコタンに由来するとの説に関して、前の方でそういう地名は無く
付会に過ぎないとの見解がありますが、@オハコタン(oha kotan  oha空 
kotan村)は鈴木重尚『甲寅唐太日記』、松浦武四郎『北蝦夷余話』によれば
樺太栄浜郡内に箱田(オハコタン)、また名好郡名好村内にもあり。Aまた
ノテト以北の間宮海峡最狭部付近のワゲ(wa-ke wa渡渉 ke所)、ワカセイ
(wa-kasu-i wa渡渉 kasu過ぎる i場所 よく渡る場所) 『北蝦夷図説』が
アイヌ語の地名と考えられること。Bさらにアムールニブフ出身のタクサーミ
博士の著書КТО ВЫ айны?の中では北樺太のノグリキやアレクサンドロフ
サハリンスキー在住のニブフから聞いた話として昔はアイヌがこの付近にも
いたとの記述。C現在樺太アイヌとアムールニブフとの間に楔のように居住
しているウィルタの樺太到来はそれ程古くはないと考えられる点(ウィルタ語は
北のワール川方言と南のタラン川流域の方言との分化が近隣のニブフ語やアイヌ語
と比較して大きくはない)からすれば、もちろんアムールニブフとの混住でしょうが
アイヌ語地名の可能性はすて切れないと思われます。

129名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/17 01:15 ID:BsiZTokx
>>1の言おうとしているのは、アイヌ語地名の南限のことでは?
130126:04/03/17 05:01 ID:Qe9unjEj
>>128
(1)「オハコタン」ならアイヌ語地名だが、「オハ」だけの例は無いはず。
さらにワゲ、ワカスイのアイヌ語解釈はおかしい。百歩譲って当時の
アイヌ人がそう考えていたとしても整合性はない。
(2)タクサミ氏と同じくらい私も知っているが、彼の聞いた「東海岸北部
のアイヌ人」は20世紀の話だし、現地情報からだけなら、西海岸に間宮
林蔵の記述以上の居住可能性はない。
と、まあ批判は(2ちゃんだし)このへんにして。樺太北部の地名について、
言語学的に精緻な研究は全くない。そこの「アイヌ語地名」とくると
なおさらだ。北海道における「オホーツク文化圏の非アイヌ語地名研究」
なみの雲を掴むような話なんだな、これが。夢のない話でごめん。
「関東のアイヌ語地名」程度の可能性はあるだろうと思うけどね。
131名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/17 10:46 ID:/1zE1Ag5
>>130
ワゲ、ワカスイのアイヌ語解釈はどうおかしいの?
何とどう整合性がないの?
タクサミ氏と同じくらい私も知っているとは??
間宮林蔵による居住記述はアイヌが清朝支配下の
山丹人に交易上の負債を負ったり、オロッコが攻撃
した後の居住範囲が狭くなった後の記述じゃないの?



132126:04/03/17 13:42 ID:jyLPJE0U
>>131
wa-keと解釈するならwaは名詞「岸」で地形を表わす普通名詞。
「地名」ではなかろう。またwa-kasu-iは「ワカセイ」のkaseを
勝手にkasuと解釈しているが、その根拠がない。北海道ではアイヌ
語だという前提があるから多少の語形の違いは無視する慣例があるが、
他地域でそれはちょっとまずい。ちなみにその場合でも解は「岸」
とすべき。要するに「地名」の基準とアイヌ語解がどちらも不十分だ
といいたかったのです。
133126:04/03/17 14:10 ID:jyLPJE0U
>>131
「同じくらい」というのはまさにそのまま文字通りです。
同じソースにあたったというだけ。
つぎ、間宮以前については、確かにアイヌ人がより北方にも
居住していた可能性があります。例えば「シルンアイヌ」は
ニヴフ化したアイヌ人だった可能性がある。間宮が行った頃に
まだその記憶(婚姻関係)が残っていたのかもしれません。
間宮の記述からアイヌ人の居住域(混住域)がかつて広かった
ことを読み取るのは当然でしょう。
でも、それ以上の居住を伺わせる情報は現在では得られない。
以下は余談ですが、それ以前は二ヴフ人の居住域がもっと南下
していた可能性があります。「タラン」「−ポ」地名の分布は
サハリンに特徴的な地名ですが、それこそニヴフ語っぽい。
「−ポ」は北海道のオホーツク文化地域にも見られます。この
文化の担い手が二ヴフ人だという説がある。そう考えるとアイヌ人
のサハリン北部への進出が極めて限定的だった可能性が高いと思
います。
134名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/18 01:00 ID:V9/kUwAq
茨城県水戸市「木葉下」町なんか絶対そうでしょ?
「アボッケ」と読みます。
135ウエネウサラ会員TH:04/03/18 10:56 ID:yuPqk6yC
126こと中川先生
恐らく田村辞典知里辞典の「名詞」のみにとらわれてそのあとの
「名詞的語根」について深く考察されたことがないのでは?
waは本来wakka 水、wa渡渉、 wawa 渡渉、wor 水、watara海中の岩?など
名詞や動詞の語根としての機能を果たしている可能性があると思われる。
すなわち名詞、動詞の価値中立的語根として。アイヌ語においてwで始まる語が
少なくwenを除いて殆んどが水に関する語であることがこの考えを強くする。
たとえば田村論文でも語根?重複形は意味を強めるとしか解釈されて来なかったが、
むしろ(価値中立的)語根の重複は、より動詞的性質を取得させる性質を有すると
考えるべきなのでは?知里以後語根分析が等閑にされて来たきらいがある。
明確にアイヌ語地名圏の東海岸南部の輪荒や長浜郡の和愛湖(ワワイト)などのwaは
この種のwaではなかろうか?
また、傍証としてノテト近辺は樺太アイヌが大陸に赴く際のルート上であり、
自ら目印に名付ける可能性が高く、国会図書館蔵窮北日誌p103和牙ワゲは
岬頂(岬の先端?)の地名としており、渡海点と解するには地形的に問題ないと
思われる。
ワカセイに関してはkasuであるかは疑問なしとはしない。kasuの伝来の誤りか
あるいは積年の慣用と見たが他に成案はない。
ただ、上記地名に関してニブフ語アムール方言で解釈できるのなら、固執するつもりは
ない。waは指摘したようにアイヌ語においてwで始まる語が少なく解釈における恣意性が
比較的少ないと思われるので、例外的にそう解した。
136ウエネウサラ会員TH:04/03/18 10:58 ID:yuPqk6yC
敷香郡の多蘭タランはサハリン東南部方言の存在を考えると古くからポロナイ川流域に
ニブフが居住していた可能性が高くニブフ語の可能性は考えられる。ただ、北知床半島や
北緯50度線付近のウエンナイ(村松川遠内川、ウエンコタン)は純然たるアイヌ語地名
であり、西海岸と比較して自然的障害がないのに北知床半島や散江付近を迂回して
ポロナイ川下流域にニブフが存在するのは、すなわちタライカ付近で樺太アイヌを分断
する形なのはニブフの後世の拡大によるものでは?タライカ方言が他の樺太方言の改新
から取り残され独自性を有するのも、もしかしたらニブフによる分断が原因かも。
オホーツク文化人イコールニブフというのも可能性の一つに過ぎず、むしろ短頭型の
樺太アイヌの逆流の可能性もありえる。もしオホーツク文化人イコールニブフなら
オホーツク文化の遺跡が南樺太より本来の居住地である北樺太やアムール河口に
より多く分布していなくてはならないはず。オロチの基層にニブフがあるとするなら
ニブフ北上説は採りがたい。擦文文化人の動物崇拝の受容はオホーツク文化人イコール
ニブフと考えるより樺太アイヌと考える方が精神的葛藤がないのでは。今のところ北海道
オホーツク海沿岸にアイヌ語的解釈を困難にする地名が少ないのもこれを補強するのでは。
137ウエネウサラ会員TH:04/03/18 11:09 ID:yuPqk6yC
追加 鮭鱒海獣の猟に大きなウエイト持っていたニブフが北知床付近を避けて相対的に
不利な内陸に居住してるのがどうも解せない。
138ウエネウサラ会員TH:04/03/18 17:28 ID:yuPqk6yC
尊敬する山田先生が結論を保留されていた北海道の輪西もこの種のwaなのかもしれない。

北海道のオホーツク文化地域に見られる「−ポ」とは具体的に何処なのか教えて頂きたい。
家にあるニブフ語ロシア語辞典で調べてみたいと思います。
139名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/20 09:24 ID:GRrXVZ+l
蝦夷アイヌ説が氏郷記、津軽藩文書、南部藩雑書やアイヌ語地名の存在にもかかわらず慎重なのに
比較して、オホーツク文化人ニブフ説、果ては韓国語ニブフ基層説(金芳漢)まであったりするのは
何とも不可思議な現象です。
140名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/21 14:55 ID:rQ4I9F50
ウィルタ語では多蘭川はNaiputu n∂∂ni (Naiputu多蘭n∂∂ni川、河口) 
Naiputu<nay川―putu河口 アイヌ語
多来加川はkuuji n∂∂ni ( kuujiアイヌ)池上二良 ウィルタ語辞典 
またNaiputuは氏族名(Naiputun neeni)ともなってます。
Naiputun neeniは南樺太で一番古いショークト(Sθθktθ)氏族の一支流であり、
そのショークト氏族の一つがアイヌ語地名を自らの氏族名としているのは、
いかにアイヌが古くからタライカ付近に居住していたかを物語るものと言えます。
そうなると藤山ハルさんがucaskumaの中でRayciska kotanを禁忌のために
Tara-kotanと呼んでいたように、やはり多蘭はアイヌ語のtara -(an)-kotanに由来
する可能性の方が大きいのかも。
141名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/21 19:16 ID:rLK88UEE
>いくらアイヌの生活に川が重要だったとはいっても、
>「ペッ」と「ナイ」で終わる地名が多すぎませんか。
>というか、全体的にボキャブラリーが少ない。

文字もなかったしな。西洋の国だってボキャブラリー少ないよ。
日本が多すぎるだけ。
142名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/21 19:19 ID:rLK88UEE
関東の地名もボキャブラリー少ないよ。
狛江とか高麗とか駒沢とかさ。www

利根川はアイヌ語の長いという(タンネ)がなまったものらしいね。
確かに長いけど。
143名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/21 19:21 ID:rLK88UEE
たしかに四万十川って四国なのに
なんとなく北海道の地名みたいだよな。
144名無しさん@お腹いっぱい。:04/03/26 20:44 ID:V1FM6OYC
松田傳十郎は西海岸のポロコタンでシルンウタレに出会い彼らの居住地は北方の
モシリヤ方面であるとの情報を得ているが、このシルンウタレ(シルンウタレまたは
シルングル松田傳十郎「北夷談」、シルンアイノ間宮林蔵「北蝦夷図説」)に関して
北大の池上二良教授は北方文化研究の中でrをtに発音するアイヌ語集団すなわち
北部のタライカ方言の話者ではとの見解を示しています。この見解に従えば、地名
のみならず実際のアイヌの居住範囲が樺太西海岸のかなり北まで伸びていた事に
なります。
オホーツク文化人樺太アイヌ説に関して、明初14C末の苦兀について開原新志に
ミイラ作成を思わせる『親死刳腸胃曝乾』との記述や遼東志にも同じ趣旨の記述が
あり、間宮も樺太アイヌのミイラ作成に関する記述を残しています。
仮にオホーツク文化の獣骨の屋内集積、動物彫像の作成、偶像化の延長上に、もし
ミイラ作成があるとするなら、時間的には多少の間隔はあるが、繋がる可能性がない
とは言い切れない事にもなります。
145名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/11 21:18 ID:Aj3Ebj4g
オホーツク文化の地名まだ?
146名無しさん@お腹いっぱい。:04/04/23 18:59 ID:Uky4/b3d
>>116
遅レスですが、下館は平将門の乱の時藤原秀郷が上館中館下館の三館を築いたことに
由来しています
147名無しさん@お腹いっぱい。:04/05/04 10:42 ID:x8uRfZ1b
あげ
148名無しさん@お腹いっぱい。:04/05/04 13:44 ID:yXQRt25s
札幌  

アイヌ語で「サツポヌツベ〜曲がりくねった川のある草原〜」を意味する。
149名無しさん@お腹いっぱい。:04/05/16 16:59 ID:2qXpK/iF

実況スレ

NHKアーカイブス ◆ 森と老人 チロンヌップの詩
http://live10.2ch.net/test/read.cgi/livenhk/1084692109/
150名無しさん@お腹いっぱい。:04/05/16 22:53 ID:38mbDGja

実況スレ

NHKアーカイブス ◆ 森と老人 チロンヌップの詩
http://live10.2ch.net/test/read.cgi/livenhk/1084692109/
151名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/06 22:40 ID:TJWPUptb
とある書物で古代に北海道から朝鮮半島までの広範囲な地域の
言葉として話されていた古代語が現在のアイヌ語に近いらしいとのこと。
本州以南のアイヌ語地名としては>>103氏が言われているように、
江戸や伊豆もエトゥの解釈でアイヌ語地名と言える。
また斑鳩もイカルカ(見張る所)であろうという解釈も出来得る。
しかし、厳密に日本語とアイヌ語の地名を見分けるのは難しいため、
こういった検証は慎重に行う必要があると思う。
152名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/13 00:08 ID:9BNlmjGV
埼玉県の日高市に「越辺川」という川が流れていますが、
読みは「おっぺがわ」です。
調査したわけではないですけど、これなんかは
アイヌ語起源だと思うんですが。

秋田県に「生保内」という地名があります。
郷土史の本によると、これもアイヌ語起源だそうです。
ところでこの地名、公的には「おぼない」となっていますが、
私の祖母(大正10年生まれ)が言うには「本当は日本語の文字には当てはめられない発音」だそうです。
「おぼ」の部分は仮名通りの発音ですが、「ない」の部分は「ねぇ」と書くと近いかも
(「ねー」ではない、と強調していました)。

>>116
中学の頃(80年台前半)、岩手県北上市の借家に住んでいましたが、
その家は建物の半分がトタン屋根で、もう半分が瓦屋根でしたよ。
しかし、何の話題?
153名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/13 12:31 ID:Hzf5qel6

逆に、南限はどこなの?
154名無しさん@お腹いっぱい。:04/11/13 20:11:10 ID:xUVvfThg
難しいね
縄文時代まで遡る話になるかもしれないし
155名無しさん@お腹いっぱい。:04/11/29 19:38:51 ID:jSNUfK0v
名古屋に「えびふりゃあ」という食品があります。
郷土史の本によると、これも日本語起源だそうです。
ところでこの食品、公的には「エビフライ」となっていますが、
私の祖母(大正10年生まれ)が言うには「本当は日本語の文字には当てはめられない発音」だそうです。
「エビフ」の部分は仮名通りの発音ですが、「ライ」の部分は「りゃあ」と書くと近いかも
(「りゃー」ではない、と強調していました)。
156名無しさん@お腹いっぱい。:04/11/29 22:31:34 ID:KL0qQChQ
æだろ
157名無しさん@お腹いっぱい。:05/01/16 23:01:04 ID:D+Ntcg+N
【絶滅に瀕する人種】
  アンリ・V・ヴァロアの著述時点で、絶滅あるいは絶滅に瀕していた人種

   タスマニア人 ・・・・・ 絶滅した
   オーストラリア人 ・・・ 絶滅途上
   ネグリト ・・・・・・・ 絶滅途上
   ブッシュマン ・・・・・ 絶滅途上
   アイヌ ・・・・・・・・ 絶滅途上
   ヴェダ ・・・・・・・・ 数百人(純粋なもの)
   ニューギニア人 ・・・・ 減少中
   メラネシア人 ・・・・・ 減少中
   ポリネシア人 ・・・・・ 減少中
   アメリンディアン ・・・ 純粋なものは消えつつある

http://www2s.biglobe.ne.jp/~t_tajima/nenpyo-1/se-0-7.htm
158名無しさん@お腹いっぱい。:05/01/16 23:28:21 ID:8QLbuLoT
またまた。アンリがアイヌ=白人って書いてるからそこが見せたいんだろ?w
あんな古い陳腐なもの誰も見向きもしないよ。アイヌは野蛮人。これがFAねw


159名無しさん@お腹いっぱい。:05/01/17 00:06:10 ID:d1hiL9VT
アイヌ語地名いいだした、もとのアマチュアのなんだっけ?
佐藤さんだっけ?その人は、アイヌ語地名は、白川の関から北
に分布といっているが、これに感動した、あやしい文化人連中
(Uとか)が、四国にもあるとかいいだしたんだよな。
それで、この話もみょーにうさんくさくなった。
160名無しさん@お腹いっぱい。:05/01/17 03:37:41 ID:LU92A6qO
佐藤秀三は徹底的に現地調査してるしアイヌ語の知識も正確だから信頼が置けるよ。

あやしい文化人とやらは、まあどこにでもいるし、気にすんな。
161名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/10 19:42:03 ID:/l6SGHD4
良スレ
162名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/10 23:11:17 ID:RyFBYzBo
カムチャッカか?
163名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/17 23:00:43 ID:0QVv25rK
>>110 出雲という地名もアイヌ語ではないかという説を聞いた事がある。
164名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/18 01:06:07 ID:XakHtW4G
>>163
つまり、その、>>159だが、>>160のいうように、佐藤さんの
いうことをちゃんとしっていれば、こういう出雲がアイヌ語だとか
そういうことにはならんのだ。uと書いたが、梅原猛のことだけどな。
165名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/18 02:22:51 ID:4OSjLXji
>>163
エトモ説ね。
166名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/18 10:39:35 ID:SBeOY6Xa

次スレ立てますた!!


アイヌ人は黒人、間違いなし!
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/geo/1108142916/


167名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/19 02:43:32 ID:KIonmCQJ
>>163 石見の恐羅漢(山)や三瓶(山)もアイヌ語起源とする説も聞いたことがあります。
168名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/21 22:28:25 ID:IPpny6/2
>>152
亀レスだが、
越辺川の「オッペ」は「豊かな川」という意味だと聞いた事がある。未確認だけど。
日高の隣町の毛呂(モロ)ってのもそれっぽいね。
169名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/23 02:49:17 ID:m/oMEDBS
>>13
「富士」は歴史的仮名遣いで書いても「ふじ」だからね。もし歴史的仮名遣いが
「ふぢ」だったら多少は可能性があるかも知れないが。もっとも、「ぢ」の
発音は中世以前だと[di]だからこれでもまだ難しいけど。

>>48
ポロコタンの現在のロシア名は「ルイコフ」です。「ピレオ」は帝政ロシア
時代のロシア名。

>>106
「谷」を「や」あるいは「やつ」と読む地名の西限って東海地方くらい?
なんとなく近畿地方以西では「谷」はほぼ間違いなく「たに」と読む気がする。

>>113
「恵曇」と「絵鞆」なら、歴史的仮名遣いでもどちらも「ゑども」だから、
語源が同じ可能性はあるかもね。

>>116
函館の地名は、中世の頃に道南十二館の一つの志海苔館(しのりだて)があった
ことに由来する。

>>125-127
ゴロウニンの手記によると、千島アイヌは自らの版図の南限を新知島だと思って
いたらしい。得撫島以南は北海道アイヌとそれを支配する日本人の領域だと
答えたとか。

>>163-164
出雲(いづも)って、出羽(いでは)国とか伊達(いだて)郡とかに語頭が
似ているような気もするけど、これってアイヌ語で説明できますか?
170名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/23 06:52:36 ID:X1u6guW8
>>169
難しいですね・・・
それらの地名が日本語起源でないとも断言はできない。
アイヌ語起源だったとしても語形が大きく変わっている可能性がある。
アイヌ語にi-という接頭辞は確かにありますが。
171名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/23 17:39:00 ID:pj8qKycd
アイヌの知識は全然ないんですが質問です。
北方4島や千島列島の島々には、似たような語尾を持つ島名がありますが、これにはどんな意味があるんでしょうか?
私が見た限りだと、このあたりが関連性ありそうに思えるんです。
〜コタン:色丹、捨子古丹、知林古丹、春牟古丹、温禰古丹
〜シリ(シル):国後、新知、宇志知、幌筵
〜ロフ(ルフ):択捉、得撫
〜oイ:知理保以、計吐夷
〜uワ:羅処和、松輪

あと、元や明の時代の中国の文献では、樺太アイヌのことが「クイ」と記されているらしいですが、
これって北海道アイヌの自称である「カイ」と同語源ですか?
172名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/23 23:28:02 ID:XApWjziB
>>171
〜コタン =アイヌ語kotan(村、集落)
〜シリ =アイヌ語-sir(〜山、〜島)
〜イ =アイヌ語-i, -y(〜する所・〜する者)

〜ロフと〜ワは不明です
多分それぞれ別の語源があるのでしょう
173名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/23 23:47:48 ID:XApWjziB
元や明の文献に記されたのは「骨嵬」です。
樺太でアイヌと接していたニヴヒ人やツングース系民族から
「クギ」「クイ」と呼ばれたことに由来しています。

「カイ」が北海道アイヌの自称であると記したのは、北海道の名付け親松浦武四郎です。
彼は天塩でこの言葉を老人から聞いたらしいですが、
現代のアイヌ語研究者の間からは、「カイ」という自称はアイヌ語の日常会話にも、
古い神歌や叙事詩にも出てこないとして、疑問の声も出ています。
しかし、アイヌ語天塩方言の資料はあまり残っていないので、真相は闇の中です。
174名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/24 00:22:08 ID:kJIE2kbJ
>>172
千島の島名がローマ字で書かれている地図を見たところ、以下のような感じでした。
択捉=iturup
得撫=urup
羅処和=rashua
松輪=matua
これで考えると、択捉と得撫に共通する語尾は[-urup]、羅処和と松輪に共通する語尾は[-ua]なのかも知れませんね。
専門知識がないんでこれ以上は私にはどうにもなりませんが。
175名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/24 00:23:55 ID:kJIE2kbJ
そういえば千島の島名でも、武魯頓と阿頼土はアイヌ語じゃないんですよね?
176名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/24 00:35:03 ID:VQD8IBnn
ブロートンはイギリス人の探検家ですね
アライトも人名でしょうか?アイヌ語っぽくはないですね
177名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/24 01:29:58 ID:tNIpE+33
武魯頓島のアイヌ名は「マキントル」でよかった?
178名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/24 02:27:11 ID:VQD8IBnn
マキントルねえ
あんまりアイヌ語っぽくない名前だな
179名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/24 02:30:45 ID:VQD8IBnn
"マキントル"で合ってます?
GoogleでもYahooでもgooでも全く引っかからないんですけど
180名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/24 03:03:59 ID:7KJ+mqPW
ゴローウニンの「南千島探検始末記」って本にブロトンのアイヌ名はマキントルって書いてありました。
181名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/24 10:59:08 ID:VQD8IBnn
ロシア人が書いた本に乗ってるんですか
makun奥の to湖 or〜の所・・・? やっぱりわかりませんね
もしわかったらでいいですけどキリル文字の綴りも教えてもらえますか?
182名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/24 13:31:10 ID:A3K8O8c0
>>176
阿頼度(アライト)はアイヌ語由来。
松前島郷帳(元禄十三年)では「おやこば」
おやこばは、親子庭の文字を当てる。
オヤコパケスの訛で、「外側の西の方」の意。島列の西の方に離れているから。
アライトはアライツイの訛で、「側(かたわら)に切り離した」という意味。
183名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/24 15:18:59 ID:hcKMDQ8E
英語での綴りはAlaidとなっていたが
アライツイがどうやってAlaidになったんだ?
やはり英語かロシア語じゃないのか