モンゴロイドとコーカソイドの境界線は?

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68名無しさん@お腹いっぱい。
<江上波夫さん死去>大和朝廷ルーツに波紋 刺激的な仮説を提示

考古学者、江上波夫さんが11日、亡くなった。「騎馬民族征服王朝説」は戦後の古代史学界で、
邪馬台国論争と並んで一般の関心を集めた。未開人と見られてきた騎馬民族を世界史の原動力として見直し、日本列島をユーラシア大陸全体から眺めるエネルギッシュで視野の広い研究人生だった。
同説が披露されたのは48年5月の学会誌向けの討論会。
東北アジア系騎馬民族が朝鮮半島南部から北部九州に入り、5世紀ごろに畿内へ進んで王朝を樹立したとの説だった。
天皇を中心とする大和朝廷のルーツが、大陸からの征服者という刺激的な仮説だった。
江上説によると、弥生時代から古墳時代の4世紀後半ごろまで農耕民的だった日本文化が、古墳時代の中ごろ一変する。王侯貴族的で戦闘的になり、副葬品も武器や馬具が目立ってくる。
3〜5世紀に中国東北部・モンゴルで活動した騎馬民族と似ているという。
発表後は「日本の弓は長弓で、モンゴルのような短弓ではない」「日本には馬の去勢、内臓占いなどの習慣が残っていない」などと激しい反論を浴び、江上さんは「騎馬民族は、農耕民族の支配者になると、
習慣を農耕民族に合わせてきた」などと主張。学説の融通むげぶりから決定的に否定されることはなかったが、一般の人気や知名度に比べ、支持する専門家は少数派にとどまっている。
江上さんはその後、騎馬民族の足跡を追って西アジアにまで発掘調査を展開。世界的に共通する文明を作ったのはペルシャやモンゴルなどの騎馬民族で、
中国やインドなどの農耕民族は地域的な文化を作り出したに過ぎないと、従来の世界史の見方を根本から変える説を展開した。 【大島透】
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森浩一・同志社大学名誉教授(考古学)の話 敗戦の脱力感に打ちひしがれた国民を勇気づけた点で「騎馬民族征服王朝説」は単なる考古学上の学説にとどまらない業績だと思う。
細かい点では私も異論があるが、国内だけを考えがちな日本考古学にアジア全体を見渡すスケールの大きな視点を持ち込んだことは画期的で、
議論のたたき台としてはまだ価値のある説だ。(毎日新聞)
[11月16日1時21分更新]