>>3 郡がないと群馬県東村が混乱します。
南足立郡(東京都) 消滅
北足立郡(埼玉県) 2町のみ、市部合併計画有り
118 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/08 01:03 ID:wpodwOWx
尾張国海部郡は、古代には1つの郡だったが、中世の頃に海東郡と海西郡に分割された。
しかし、近代になって両者は統合されて再び海部郡となった。
いまこそ群の存在が注目されている。
合併の基礎単位だからな
120 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/08 03:49 ID:2bxFBg3I
121 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/09 23:27 ID:688Fqgtw
>>119 韓国のように郡を地方自治体にしてしまえば、良いと思うんだけどね。
郡に対する町村の位置づけは、政令市に対する区の位置づけと同じでよい。
122 :
_:03/08/09 23:33 ID:SuDHeGgy
123 :
鷂@軍板からの屯田兵 ◆Kr61cmWkkQ :03/08/16 01:05 ID:p/r3hgu3
>>118 郡の分割併合はよくあること。
岡山県の勝田郡も、一時期は勝北郡と勝南郡に分かれ、元に戻っている。
ところで海部郡だが、
豊後国南北あまべ郡〜阿波国かいふ郡〜
紀伊国(名草郡と合併して海草郡となったので読めぬ)〜尾張国あま郡と
東西に並んでいるのが気にかかる。
124 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/16 03:53 ID:xgXcwmZ5
紀伊の海部郡は飛び地だらけってのがポイントだね。
125 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/16 03:55 ID:xgXcwmZ5
あと、郡の変遷だと安芸国が面白い。
126 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/16 12:39 ID:uCHj8l7V
>>119 空でない集合Gが群であるとは,以下を満たすときをいう:
写像 G×G∋(x,y)→xy∈G が定義されていて(積という),以下の3条件を満たす:
(1) (xy)z=x(yz).
(2) 任意の x∈G に対して,xe=ex=x を満たす e∈G が存在する(eを単位元という).
(3) 任意の x∈G に対して,xy=e なる y∈G が存在する(yをxの逆元という).
127 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/16 12:43 ID:uCHj8l7V
>>119 ただし,群の2つの部分群の共通部分はまた部分群になりますが,
合併(和集合)は部分群になるとは限りません.
そのような例は対称群から容易に作ることができます.
128 :
またーりさん ◆uVDVObQt1Y :03/08/16 17:09 ID:REnyJz+k
>>118 海西郡そのものが尾張と美濃に分かれているそうです。
ちなみに美濃国海西郡は下石津郡と統合して海津郡になりましたが(ちなみに
上石津郡の方は多芸郡と統合して現在は養老郡)、この度の合併で
ひ ら な み 市
…『海津』も合成郡名とは言え、もうだめぽ。
129 :
鷂@軍板からの屯田兵 ◆Kr61cmWkkQ :03/08/16 21:47 ID:p/r3hgu3
>>125 これだな。
安南郡―――――安芸郡
安芸郡<
安北郡―高宮郡
>安佐郡
佐東郡―沼田郡
佐伯郡<
佐西郡―――――佐伯郡
しかも高宮郡は、高田郡に食われた旧高宮郡とは無関係。
沼田郡もいったいどこから沸いて出たのやら…?
130 :
トリなし鷂@携帯じゃけん:03/08/17 15:07 ID:dJ3Cbifj
西白河郡と東白川郡。
たかが一文字違いだが、既に江戸時代から「白河郡」「白川郡」に分裂している。
藩制か何かで対立があったのだろうか?
131 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/17 16:36 ID:sBUYRkNJ
消えそうな郡もあるよね?
高座郡とか北足立郡とか
132 :
トリなし鷂@携帯じゃけん:03/08/18 12:42 ID:k2E8GG3i
周辺自治体が一目置く人質があれば、併合されず郡名を貫ける町もあるだろう。
唐津市編入をもくろむ東松浦郡では、原発を持つ玄海町が造反し、郡名は維持の模様。
だが、いつまで意地を張れるかは見物。
山口市から独立した小郡町でさえ元の鞘に収まる風潮だから。
かつて加賀市合併を拒んで、今では合併先がない江沼郡山中町のような仲間外れもありえそう。
133 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/18 16:38 ID:mLopW9gv
>>130 水系、つまり生活空間が違う(白河→阿武隈川、白川→久慈川)
ので、たまたま同じ「白」が頭についてるだけなんじゃないかな
と思ってました。でも読みが同一なのはやっぱりなんかあるのかな。
134 :
鷂@軍板からの屯田兵 ◆Kr61cmWkkQ :03/08/19 21:26 ID:+JXmdhHX
>>133 閉館直前の図書館に駆け込んで、駆け足で調べてみた。
(つまり、見落としが多く信憑性はイマイチということ)
白河郡─┬─白川郡─┬─白川郡───東白川郡
│ │
石川郡─┤ ├─石川郡
│ │
高野郡─┘ └─白河郡───西白河郡
らしい。
つまり、「白川郡」は石川郡との合成地名の名残で、
「白河郡」は高野郡が乗っ取った地名ということらしい。
だがしかし、白河関は昔から白河市にあったわけだから、
東白川郡と白河関はえらい離れすぎているわけで……。
この問題、丸投げしてよろしいか?
135 :
鷂@軍板からの屯田兵 ◆Kr61cmWkkQ :03/08/20 23:50 ID:tRln1CN0
しらかわ郡の謎は解けないまま、またネタ振り。
東西南北ほど多くはないが、上下に分割している郡は多い。
常識で考えると、古代は奈良、近代は東京の手前が上で奥が下。
古代だと
大和国の添上・添下郡(添下郡は現生駒郡)、城上・城下郡(どちらも現磯城郡)
明治だと
長野県上高井・下高井郡や上水内・下水内郡、青森県上北・下北郡
東西南北を再編した岩手県上閉伊・下閉伊郡などが理にかなっている。
が、
古代郡に手前が下で奥が上になっているのがいくつかある。
対馬国上県・下県郡や、相模国上足・下足(現足柄上・足柄下)郡がそう。
県郡は遣唐使などで強引にこじつけができるが、足郡は説明が難しい。
霊峰大山信仰が関係しているのだろうか?(秦野市域が旧足柄上郡ならそう結論できるが)
136 :
_:03/08/21 00:00 ID:zcZ2gsnp
137 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/21 00:01 ID:yvK5lHUm
静岡県の駿東郡も大昔は駿河郡。
138 :
トリなし鷂@携帯じゃけん:03/08/21 18:14 ID:SkrpCaow
とりあえず、予想ハズレ
秦野市は中郡であった。
戦国期に相模国は東・中・西・三浦の四郡に統合した名残らしい。
あぼーん
あぼーん
141 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/22 05:41 ID:89dCoYV1
>>135>>138 秦野市の西半分(渋沢駅周辺)は足柄上郡、
東半分(秦野駅付近)は中郡域。
小田原市域は一部(栢山・上曽我付近)を除き足柄下郡域。
酒匂川の上流・下流で上郡・下郡を分けたってのは考えられる?
142 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/22 13:51 ID:a7MTDBJu
>>129 古代にも沼田郡は存在したが、中世に賀茂郡(東西条郡)に統合された。
当然ながら、佐東郡(佐伯郡から分かれた)が近世に改称されてできた沼田郡とは無関係。
>>135 対馬については、律令時代に中央から対馬国府へ行くときに、博多湾から沖の島経由で上県郡へ上陸することが多かったから。
相模の場合は、東海地方から相模へ入る場合、箱根山を迂回する御殿場経由の経路が普通だったから。
143 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/22 13:53 ID:a7MTDBJu
摂津の嶋上郡(現・高槻市付近)と嶋下郡(現・茨木市付近)は微妙。
近代に統合されて三島郡となる。
144 :
鷂@軍板からの屯田兵 ◆Kr61cmWkkQ :03/08/22 23:15 ID:B5/3UuJ+
>>142 なるほど、よくわかった。
ところで上下にこだわってきたが、「海上郡」の相棒「海下郡」は存在しない。
それはともかく、
銚子市に隣接して今も存在する海上郡のかなり近く、市原市に
市原郡に飲み込まれたもう一つの海上郡が存在したと知って少々驚き気味である。
145 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/23 11:01 ID:Z+qhJbwg
葛飾郡が下総と武蔵にまたがっている様に見えるのだが?
146 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/23 12:33 ID:p+cjfRar
>>144 同様の例だが、播磨国に印南郡は存在するが、印北郡は存在しない。
>>145 古代には武蔵・下総国境は隅田川だったが、近世以降に国境が東へ移動したから。
古代の葛飾郡域は、現在の東京・千葉・埼玉・茨城の4都県にまたがる。
147 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/23 12:36 ID:p+cjfRar
国技館のある「両国」という地名が、かつて隅田川が国境だったことを物語っている。
ってガイシュツかな?
148 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/23 15:24 ID:h3l/5U/2
こういう郡域の変遷とかを専門に扱った研究論文ってないんですかね?
149 :
鷂@軍板からの屯田兵 ◆Kr61cmWkkQ :03/08/24 02:31 ID:789Ok7an
律令制度が確立した頃は、郡の規模は1000戸未満と定められ
オーバーすれば分割や割譲によって1000戸を維持していた…そうな。
奈良盆地から浪速津にかけて、博多湾から有明海にかけて、
とてつもなく狭い古代郡が乱立していたのもうなずける。
今でも筑後平野の山門・三井・三池・三潴郡は異様に狭い。
それでいて久留米市への依存度が高いわりに柳川市や筑後市の影響力もあり、
よそ者にはどこがどこだかよく分からない…。
150 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/24 02:39 ID:iPZZK8Xr
筑後地方は確かに郡市の関係が分かりにくい。
151 :
:03/08/24 02:43 ID:wixGCnUv
糸島郡を「怡土志摩郡」に改称させたいと思うのは俺だけだろうか?
札幌郡(消滅)
153 :
またーりさん ◆uVDVObQt1Y :03/08/24 06:13 ID:D1iWs3wI
>>146 印南郡は消滅していますが…『旧・印南郡域』という意味なら以下の地区が
該当します。
【旧・印南郡域】
加古川市:上荘、平荘、東神吉、西神吉、志方、米田(平津・船頭)
高砂市:伊保、曽根、阿弥陀、北浜、米田(平津・船頭を除く)
姫路市:大塩、的形、別所
なお、加古川と高砂の米田は元々は一つでした(分割してそれぞれに編入)。
154 :
鷂@軍板からの屯田兵 ◆Kr61cmWkkQ :03/08/24 19:56 ID:wpp+wBmJ
郡の規模を1000戸未満に制限する令制度が
実際に機能していたと想像できる例が、大和国忍海郡(現:御所市)。
葛上郡(南葛城郡→御所市)と葛下郡(北葛城郡)に割り込むように区割りしてある。
葛上郡は飛鳥浄御原宮から徒歩圏内。
当然、人口・戸数は多く、大宝律令以前に葛上と葛下が分割されており、
「葛上評」「葛下評」の木簡は多く発掘されているが、「忍海評」は未発掘。
ということで、1000戸を再びオーバーした葛上郡の戸数を調整するために
忍海郡が意図的に作られたと想像できる。
155 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/25 18:45 ID:JAh4YCVq
>>153 あのー、突っ込みのつもりかも知れないけど、
>>146が現在の郡について書いているとは思えないんですけど・・・。
兵庫県ではなく播磨国と言っている時点でわからない?
156 :
千恵子:03/08/25 22:14 ID:o+u8xO0U
>>155 実は「播磨国に」の『国』を抜かして「播磨に」と読んでしまったので…。
その直後に「存在するが」と現在形で書かれていましたし。
ちなみに『播磨』(あるいは『播州』)という表現は現在でも使われます。
158 :
鷂@軍板からの屯田兵 ◆Kr61cmWkkQ :03/08/26 01:39 ID:PReEFgR9
>>151 >糸島郡を「怡土志摩郡」に改称させたいと思うのは俺だけだろうか?
いくら合成前の2郡の読みが完全に残っている稀有な例とはいえ
書くのが面倒、の一言に尽きる…。
おとなしく律令時代に従うが吉。
律令時代の地名改変といえば、やたらと漢字2文字にそろえたこと。
有名どころは「き・の・くに→紀伊・国」だが、郡名はどうかとさらってみた。
曽於郡や婦負郡など怪しいところを調べてみたが違った。
が、岡山県都窪郡の片割れ、「都宇郡」は
「吉備津」の「津」を2音節化したとする説が有力らしい。
159 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/26 13:09 ID:lLlkZH/6
>>157 歴史上の事實を現在形で書くといふのは、日本語では無論のこと英語などでも有效な表現方法です。
歐米諸國の歴史教科書が、すべて現在時制で書かれてゐるといふのは有名な話ですし。
文脈で意味を讀み取る力を付けませう。
160 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/26 13:11 ID:lLlkZH/6
>>158 律令時代に2音節化された郡名なら、薩摩國頴娃郡の例もあります。
161 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/26 14:16 ID:EUMEt4ng
車評→群馬郡
162 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/26 23:39 ID:Bz1sAAgx
東京23区の各区が属していた旧郡の変遷
旧15区(本所区・深川区以外):
豊島郡→南豊島郡→1889年市制施行
本所区(現墨田区西部)・深川区(現江東区西部):
葛飾郡→南葛飾郡→1889年市制施行
渋谷区・淀橋区(現新宿区西部):
豊島郡→南豊島郡→豊多摩郡→1932年編入
世田谷区・杉並区・中野区:
多摩郡→東多摩郡→豊多摩郡→1932年編入
豊島区・練馬区・板橋区・王子区(現北区西部)・滝野川区(現北区東部)・荒川区:
豊島郡→北豊島郡→1932年編入
足立区:
足立郡→南足立郡→1932年編入
向島区(現墨田区東部)・城東区(現江東区東部)・葛飾区・江戸川区:
葛飾郡→南葛飾郡→1932年編入
163 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/26 23:42 ID:Bz1sAAgx
大阪市:
主に西成郡・東成郡・百済郡・住吉郡によって構成。
京都市:
朱雀大路を境に右京側が葛野郡、左京側が愛宕郡。
164 :
162:03/08/26 23:59 ID:V32IUFxs
>>162 ちょっと抜けてた。失礼。
品川区(現品川区東部)・荏原区(現品川区西部)・大森区(現大田区北部)・蒲田
区(現大田区南部)・目黒区:
荏原郡→1932年編入
あぼーん
166 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/27 15:33 ID:QWW8jlJZ
ちょっと質問だけど、沖縄本島の3郡(国頭・中頭・島尻)って、三山時代の三山の領域と一致してるの?
167 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/28 01:10 ID:lRKgXgpe
北海道の郡はどうですか?
168 :
鷂@軍板からの屯田兵 ◆Kr61cmWkkQ :03/08/28 02:39 ID:XCnIvcWr
>>166 少々ずれているが、誤差の範囲、といったところだろうか。
宜野湾の「豆腐よう」メーカー「うりずん」のHPに、三山の大まかな勢力範囲が載っている。
ttp://www.tofuyo.co.jp/history/tuusi-koryukyu3.html >1.今帰仁按司を中心とした山北(さんほく)
今帰仁・羽地・名護・国頭・金武・伊江・伊平屋(伊是名)の各地域。
>いわゆる仲泊地峡以北と近隣の島しょ地域が山北のテリトリー。
>2.浦添按司を中心とした中山(ちゅうざん)
>浦添・首里・那覇・北谷・読谷・越来・中城・勝連・具志川の各地域。
>国場川-南風原-与那原を結ぶ一帯以北から仲泊地峡まで。
>3.大里按司を中心とした山南(さんなん)
>大里・佐敷・知念・玉城・具志頭・東風平・嶋尻大里・喜屋武・摩文仁・真壁・兼城・豊見城の各地域。
>国場川-与那原を結ぶ線以南が南山のテリトリー。
首里区・那覇区が島尻郡エリア(区制ということは郡に入っていないが)なので
中山が少々狭まっている感じだろうか。
と言っても、第一尚氏の始祖・中山の尚巴志は佐敷(島尻)出身なので、
少々の変動はあったはずである。
169 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/28 15:18 ID:Zoayy1WF
北海道の上川郡てものすごく広いし、
新得から美瑛、上川なんて交通路ないけど
なんでこんな郡が成立したの?
170 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/28 16:03 ID:elK0ebLt
171 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/28 16:05 ID:XPt4PzAL
北海道の郡と支庁のズレが気になる
172 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/08/28 16:55 ID:MIf39oy5
江戸時代→明治初期
松前地→渡島国
西蝦夷地→後志国・石狩国・留萌国・北見国
東蝦夷地→胆振国・日高国・十勝国・釧路国・根室国
北蝦夷地→樺太国
奥蝦夷地→千島国