・  「ら抜き言葉」ってどこがおかしいの?

このエントリーをはてなブックマークに追加
33ICU生
>>25
言語学的に分析すれば、ら抜きは「進化」だよ。

(見)mi-ru → mi-rare-ru(本来の活用)
*mi-re-ru(ら抜き)

という、母音動詞の変化が起こっているんだよね。
これは、

(書)kak-u → kak-e-ru

の、子音動詞の活用に近づく過程で
ra が脱落したわけだから。
34名無しさん@1周年:2001/01/05(金) 11:44
>>33

ra が脱落したんじゃなくて、ar が脱落したんじゃないの?
子音動詞の

(書)kak-ar-eru → kak-eru

という変化が先行してあって、これにつられて母音動詞の可能形か
らも ar が脱落するようになったんでしょう?

私が(40代)が子供の頃はまだ、ar が脱落する前の子音動詞の形を
使っていた年寄がいましたよ。

「戦時中の配給たばこなんぞ、まずくて飲まれやしなかった」

なんて言ってたよ。さすがに私は可能の形としての「飲まれる」や
「書かれる」は使わないけど、「行かれる」という言い方は使いま
す。不思議なことに「行ける」には違和感を感じませんが、今でも
「見れる」や「出れる」には違和感を感じます。くだけた口語はと
もかく、論文などの書き言葉や、フォーマルな場での言葉遣いとし
ては、ちょっとね。だから26のリンク先にあるような人の気持ちも、
わかります。

ふだん「見れる」「来れる」を使っている方に伺いますが、「信じ
る」の可能形はどんな言い方をしますか? 何かとんでもない話を
聞かされたとき、無意識に口から出るのはどちらでしょう。
「ほんと? 信じられない」
「ほんと? 信じれない」