・  「ら抜き言葉」ってどこがおかしいの?

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78土佐弁

通りすがりにひとこと。

「ら抜き」って、土佐弁で言葉を覚えた俺にはちと複雑な思いです。
土佐弁(正確には俺の住んでた高知県高知市)で「食べる」を表現してみると、

「食べれる」 (食べる事ができる)
「食べれん」(食べる事ができない) * 嫌いなものだったりアレルギーだったりした時
「よう食べん」(食べる事ができない) * (おなかがいっぱいで)食べられない場合等
「よう食べる」(食べる事ができる) * (おなかにまだ余裕があって)食べられる場合等

という風に、能力的不可能と状況的不可能を使い分けます。
もし、土佐弁でここに「ら」を入れると、

* 「食べられる」 ((誰かに)食われてしまう)

になってしまう。「られる」は誰かに「される」事を意味してしまうから。
明示的にはっきり使い分けます、というか使い分けない共通語のニュアンスは、
関東に来て14年たった今も違和感というか奇異なものを見る感覚です。

が、

>>44さんの指摘
>しかし「高齢でもら抜きに違和感を覚えないのは西日本出身者に多い」
>とあるのを読んだが実感が湧かない。上方圏以外の西日本か?

土佐人は全県で82万人程度しかいない。県外在住入れても土佐弁を母国語にする奴は
日本人の中ではかなりの少数派と思われるため、
土佐弁がその原因ではまずなさそうですね。むー。どこだろう?