132 :
名無し象は鼻がウナギだ!:
108 のものです。いささか過激に走りました。
私は西日本の出身ですが、西日本は「〜きる」という助動詞で
可能を示す場合もあります。
「わしは酒を飲みきらんぞ」
これは下戸が酒を断るときに使います。
さて、私の趣旨は、「人工言語である標準語or共通語は、
人造言語である性格上、もともと表現の区別が乏しく、
方言で幅広く使われている、表現力を増した「ら抜き」を
取り入れないのは残念でしかたない」ということです。
(1)そして、その悪影響として、「ら抜き」を体系だって教えないために、
五段活用「書く」の可能動詞の誤用「書けれる」が幼児語で発生する。
親もどちらが正しいか判断できない。
「書けれる」が誤用だと即答できるのは言語版だけでしょう。
「見る」「見れる」「見られる」
「書く」「書ける」「書けれる」
どれが誤用か、高校卒業レベルの母親では説明不可能です。
(2) 次の悪影響として、可能動詞が五段活用しか存在しないため、
外国人にたいする日本語教育で、混乱なく教えるのが困難。
せっかく「可能態」が日本語の動詞に存在するのに、
初学者には、結局「〜ことができます」という回りくどい表現
しか教えられない。