1 :
名無し象は鼻がウナギだ! :
2001/01/03(水) 05:21 生成文法に興味ある素人です。 GBからミニマリストへ理論の枠組みが移るとき 文法知識と呼ばれたものは、単語の素性レベル にどんどん還元されているように思います。 そうすると、辞書ってすごく大きくなりそうだし 素性の種類もとても多くなりそうです。 結局、辞書ってどんな構造をしていて、素性ってどんな種類 があればいいのでしょうか。
2 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2001/01/11(木) 21:36
なかなかいい話題提供なのに、みんな忙しい時期だからレスつかなくて気の毒だね。 >辞書ってすごく大きくなりそう まったく逆だと思うけど。lexiconとvocabularyは別物として考えるべきだね。 辞書が爆発してしまうのは、昔の語彙論者仮説とか、語彙意味論の枠組みを採る場合。 詳しくはいずれそのうち。
3 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2001/01/12(金) 00:11
このスレッド、見逃していた。 >2 えらそうに。あんた、まちがいだ。 文法は語法に依存するよ。文法とは個々の単語の用法から帰納される もので、逆ではない。文法から語法が演繹されることはありえないのだから 論理的順序は明らかだ。 >1 素性の種類はは原理的に無限だ。というか有限だという理由は無い
4 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2001/01/12(金) 01:43
確かOTのアーカイブに入ってるマイク・ハモンドの論文で、 語彙も全て制約で説明するようなモデルのがあったと思うけど、 「制約」と「素性」ってどうちがう?negativeとpositiveの 違いで、同じコインの裏表といえるのか? >3 有限と言う根拠がないのは、そうだけど、ある程度絞れないと 現実的には役にたたんのでは?原理的に無限でも、なんらかの 有限性みたいなものはいるんじゃないのかな。いま、一番必要 なのは、爆発的な計算量をどうおさえるかということだろうし。
5 :
>3 :2001/01/12(金) 06:35
>文法とは個々の単語の用法から帰納されるもので、逆ではない。 素人がよく陥る誤謬の見本。
6 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2001/01/12(金) 12:44
3です。たしかにしろうとなので、教えてください。
7 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2001/01/12(金) 13:05
>>2 >まったく逆だと思うけど。lexiconとvocabularyは別物として考えるべきだね。
生成文法でvocabularyていうタームはどういう風に使われるんですか。
8 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2001/01/12(金) 13:30
>4 実用的な記述ということと原理的な認識がずれること、ずれてよいこと は確かでしょう。生活形式の同型性により、少ない素性で記述できる。 >5 私は行く。 鳥は泣く。 SVという文法があるからこのような文が可能なのではなく、 これらの文から帰納して「SV]という文法が成立する。 普遍文法があるとしても、事後的に、研究のはてに見出されるもので あり、遡及的にその普遍文法が諸言語を律しているという言い方は フィクショナルにすぎるのではないでしょうか。
9 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2001/01/12(金) 13:53
なんか話題が変わり始めてるように思うんですけど。
10 :
1 :2001/01/12(金) 20:13
ちょっと見ない間にいろいろ書きこみあって嬉しいです(^-^) 私は技術者なので、やっぱり4さんの言われるように 計算量の爆発みたいなものが気になります。 vocabularyとlexiconの違いというのは、 つまり具体的な単語がどういう素性から構成されているか(vocaburaly) と、どういう種類の素性が存在するか(lexicon)という意味ですか? あ、でもNumerationて具体的な単語に対して行うんでしたっけ? ううむ。こんがらがってしまいました・・・ ミニマリストの、例えば強いD-featureとか 弱いのとか出てきますけど、D-featureとかφ-featureとか そういう種類は生得的で、強い/弱いというのが パラメータ(つまり経験によって決まる)と考えていいのでしょか? あと、OTの話はとても面白いです。 単語に制約があるというのは 「Aという種類の単語はBという種類の単語と同時に生起できない」 とかいう感じの制約で、複数の制約のランキングみたいなものが 言語毎のパラメータになるのでしょうか。。。 質問ばかりでごめんなさい。わからないことだらけなので・・・
11 :
4 :2001/01/12(金) 21:15
12 :
>5 :2001/01/12(金) 21:49
>>文法とは個々の単語の用法から帰納されるもので、逆ではない。 >素人がよく陥る誤謬の見本。 その人がとる文法観によるだろ。ダウティ的なシステムに もとづけば、個々の単語からというのはいいすぎにしても、 ある意味で単語の語法的なものから文法が組み上がる、 まぁ帰納されるといってもまちがいではなかろう。 で、あなたはどんな文法観に基づいての発言なの?
13 :
2=5 :2001/01/12(金) 23:11
「しろうと」さんに間違いだと断言されてしまってはしょうがないが(藁)2は一部、 マランツらの分散形態論(DM)を念頭に置いた話しだよ。 チョムスキーは断片的にDMに好意的な発言をしているだけだけど、DMはミニマリストの 考え方によく整合すると僕的には思うので2の発言をしたわけ。 で、僕の考えるlexiconとvocabularyの違いはほぼ10さんの推察通りで、乱暴にくくると、 lexicon = syntaxへの入力となる素性バンドル=lexical item(LI)の集積、 vocabulary = syntaxからの出力に形態音韻解釈を施して得られるvocabulary item(VI)の集積、 ってな感じ。 ふつう僕らが「単語」(word)っていってるのはVIに相当し、syntax投入段階ではそんなものは まだ存在していない。だから「単語を組み合わせて文をつくる」なんてことも実はあり得ない。 ところが10さんの言う通り、昔のミニマリストではLIと単語の区別がちゃんとできてなくて、 「<meet>と<Mary>をmergeして<meet Mary>を作る」なんて言い方をしてたから、上のような 誤解がよく生じた。つまりこの頃のlexiconはGB当時のlexiconの面影が濃く残っていたが、 このような意味でのlexiconはDMでは破棄されてる。 例えば語彙論者はdestructionとdestroyは異なる語彙項目として最初から別々にlexiconに 登録されてる、なんてことを言ってたけど、こんな考え方はDMでは完全に否定されていて、 同じルートがどういう統語環境下に生じるか次第で、簡単に言えば名詞化要素とmergeするのか 動詞化要素とmergeするのかで、最終的にdestructionともdestroyとも具現することになる。 端的には、単語も文と同じ統語派生の産物ということ。 で、話しを戻すと、1はsyntaxにとって必要最小限の語彙情報は何か、語彙部門はどこまで 縮小できるのか、という問題提起をしていると思ったんだけど、上のような見方からすれば、 「辞書ってすごく大きくなりそう」ってのが 「まったく逆」だってことになるでしょ。 さーて、3の批判が楽しみだね。
14 :
3ではないが :2001/01/13(土) 01:27
>13 なるほどね。でも、とりあえずひとつ疑問が。 3=5が想定している文法だと、 //destroy// が特定の統語環境下で [[destroy]]とか [[destruction]]となるということでいいの かな?もちろん、//destroy//ですらなくて、想定している のはもっと抽象的なものだろうけど。 (音素と異音の関係に似てるけど、勿論違うので、区別のために ダブルスラッシュなどの印を使った) でも例えば、destructionに対応する動詞は?と聞かれて destroyと単語を簡単に答えることができるわけだけど、 この場合もdestroyを統語環境的に動詞として持つなんらかの 文が想定されているの?どっかで文がないと単語が存在しえない わけだから、そう考えないと、destroyという 簡単な単語を口にすることすらできないことになるよね? destroyと、一語のみ言えるのは間違いないわけだから、単語と いうものにとって表層に文が一緒に現れる必要がないのは 間違いないよね。で、一語文てのがあるけど、動詞の場合は 命令文なら一語文も考えられるけど、たったdestoryと答える のに、いちいち例えば命令文が想定されているのかな? で、(上のこととは別に)、マランツのモデルもいいんだけど、 empiricalにはなにかそのモデルを支持するデータとかって あるの?acquisitionとかでもいけど。メタレベルだけでなく、 これからはますますempiricalにも耐えうるモデルという視点も 必要だと思うんだけどね。
15 :
1です :2001/01/13(土) 08:17
4さんありがとうございます。リンク先の論文面白そうなので ゆっくり見てみたいと思います。 あと、もともとこのスレッドを立てた意図は、13さんの言われる 通りです。 それで、技術者ってどんなのという話ですが、 私はコンピュータ関係の研究をしています。 人工知能や脳科学は専門から少しずれますけど、 その関係の興味もあって、言語学はその関連でとても興味あります。 他分野の心理学と違って、より細かいレベルで脳を議論できる ところに魅力を感じてます。 どうぞよろしくお願いします。
16 :
13>14 :2001/01/13(土) 10:01
経験的な議論なら山のようにあるDM関連のペーパーを読んでみそ。 で、前半の疑問は当然で、これはDMだけではなくチョムスキーの枠組みでも同じ。 例えばheとかhimとかの単語を単独で言うことができるけど、それを構成する解釈 不可能な格素性の照合はどうなってるんだ(または、格素性の値指定はどうやった んだ)とか、時制やφ素性の指定もなしに、どうしてwalksとかwalkedとかを独立 して言えるんだ、ってなこと。 取り敢えずの僕の理解のしかたは、これらの個々の単語の事例はそれが出現する 統語環境ないし文から抽出されて形骸化したもの、って感じだね。 vocabularyは素性バンドルから単語への読み替え一覧、翻訳表のようなものだとして、 対応する素性バンドルやそれが関わる統語派生をそのつど考えなくても、翻訳後の 結果だけを言うことができるでしょ。 で、このあたりがひょっとして10さんのいう計算量の爆発の問題にも関わるんで ないの?いちいち実際の計算コストを払って統語派生を行わなくても済んでしまう 部分が、その問題を回避している、とか。 でもその前にまず、ミニマリストでは計算量の具体的な定義なしに雰囲気的に 計算量ということばを使ってる向きがあるんだけど、10さんのような技術者さんに、 計算量という概念について少し語ってもらいたいと思うわけです、はい。
17 :
名無しさん@1周年 :2001/01/13(土) 10:49
>13さま 勉強になります。とはいえまず音韻が組み合わさって単語が、単語が 組み合わさって文が出来るというより、文は単語に、単語は音韻に論理的には先行 するということは今や言語思想の常識で、最新の研究を踏まえるまでもありません。 単語をその素性の束と見なすことも同様に不当であることも、このことから明らか ではないか。 結局のところ、文の意味は個々の単語の総和ではないので、個々の単語を細かく 記述しても、文の意味の十分な記述の素材にはなりえないわけです。とうぜん、あ る単語がもっている意味の必要十分な記述といったものは(実用的にはともかく) 原理的にはありえませんね。 さて、ある抽象的なDESTROYが名詞化要素と合わさるとdestruction になるという発想は、やはり深層/表層の悪しき形而上学ではないか。destroyと destructionという(日常語としての)英単語の、現代英語における標 準的な語法を知っている人は、その共通部分を想定できるし、実際それは「ある」とい ってよい。destroyとdestructionとtomatoが等距離に 並んでいる空間を想定するより、はじめの二者は隣り合うくらい近くにあり、最後のも のはそれらから遠くに位置する空間を想定する方がむろん自然です。共通性はある。しか し、ここから両者に共通する要素を想定し、それプラス名詞化要素=destruction というように構成してゆくのは、事後的な合理化に過ぎない。 実際、それでうまくゆくのか。たとえば、「曲作り」=曲をつくること。「弁当売り」= 弁当を売る人。「爪切り」=爪を切る道具。同じ名詞化でも、さまざまな種類があるし、 どのタイプになるかは、(恣意性の原理から明らなように)もともと決まっていない。曲作りが 作曲家を意味することは、現代日本語の標準用法ではないものの、ありうる。 英語でもたとえば名詞としてのstudyには書斎・勉強部屋という意味もある。 言語の恣意性という原理から、深層的なものからの派生という説明はつねにうさんくさいのです。 言語の本質的なrhetoricityということも問題ではないか。略述すると、文字通りの 意味と比ゆ的な意味が区別可能なら、ヌエ的な後者は別として、前者に関しては 素性の規定がなんとか可能かもしれない。しかし、literal/tropological の区別は維持できそうにない・・・。文法的次元ををundoしてしまうものとしての 修辞的次元を考慮しないと、ことばというものはわからない、というのが、ポール・ド・マン の認識の入り口です。しろうとで、今勉強中なだけですが。まあ、この「しろうと」は もともとは比ゆ的だけれども、私はある意味で、文字通り、しろうとです。もっとも私はしろうとだ という発言がアイロニカルである可能性を考えると、言語の修辞的次元がわかって くるかも。 不一。 あまり1さんへのレスにならないことを書いて、ごめんなさい。
18 :
13=16 > 17 :2001/01/13(土) 13:57
ちょっと土俵違いなので、言っておられることが僕のほうでちゃんと把握 できてないと思うんですが(藁)、取り敢えずレスします。 >文は単語に(中略)論理的には先行 するということは今や言語思想の常識 「論理的には」というのがちょっと?なんですが、全体と部分のどちらが先行か というよりも、全体から部分を抽出する過程(分化)と部分を組み合わせて 全体を定義する過程(統合)の両方が有機的に合わさって言語の生産性が 生まれるのでは? 生成文法の派生理論がこのうち統合の過程しか問題にしておらず、ではその過程 への入力である基本単位(語であれ素性であれ)はどうやって生じたのか、を 問うてはいない、という批判なら、僕も同意ですね。 しかし、統合の過程(派生)も僕らの言語能力の重要な一部であることは間違い なく、その部分を顧みない言語科学(認知意味論だけではなく、生成文法内部でも、 派生を考えないOTとか他の「制約」に基づく文法)には賛同しかねる、といった ところです。 >文の意味は個々の単語の総和ではないので、個々の単語を細かく 記述しても、 >文の意味の十分な記述の素材にはなりえない その通りなんですが、構成単位どうしがどのように結合してどんな階層構造を なしているのか、から自動的に決定される部分の意味も存在するわけです。 生成文法でいう意味論研究はこの部分に関わる僕らの言語知識の研究であり、 それは実際には統語論の一部であって、これのみで言語の完全な意味理論になる などとは誰も言ってません。 (続きます)
19 :
18(続き) :2001/01/13(土) 19:36
>深層/表層の悪しき形而上学 >事後的な合理化 理論化・形式化してものごとの仕組みを理解しようとする時にはこのような側面が (少なくとも最初のうちは)必ず伴うと思う。 destroy / destruction に共通する部分(ルート)とそれらを峻別する部分 (動詞化形態素・名詞化形態素)をそれぞれ抽出し、前者によってこの二つをそれ 以外のすべてのものから区別してまとめ、同時に後者によってこの対という眼前の 現象を越えて、ほかのあらゆる同様の対や、まだ実在しない潜在的な対の関係を 統一して理解しようとすること、それを無価値だとは思えないですが。 >(恣意性の原理から明らなように)もともと決まっていない 恣意性という用語自体がそれこそ恣意的に使われてると思うので、議論が噛み合わ ないと思いますが、ここで仰る「恣意性」、たとえば「弁当売り」は人だが「爪切り」 は道具だとかいった(英語の-erについても同様)ことは、実はそれほど恣意的ではなく、 そもそもあり得る非常に狭い可能性の中での選択の自由性ということに過ぎないのでは ないでしょうか。その非常に狭い可能性を決めているのが文法原理です。 >言語の恣意性という原理から、深層的なものからの派生という説明はつねにうさん >くさいのです 派生を考えることによってうまく説明される言語事実がまったくない、ということなら 反対したいですね。むしろ皮相的な現象論だけで言語分析には事足りるという卑屈な 態度こそ慎むべきでしょう。
20 :
18 :2001/01/13(土) 19:38
スレの主旨からだいぶ脱線したようなので、どなたか軌道修正お願い。
21 :
1です :2001/01/13(土) 21:25
あれえええ。いつもこうゆうタイミングで書きこみになっちゃうけど 軌道修正どころか、まだ話についていってないのでした。 ちなみに飲んだくれて(熱燗+ひれ酒)帰ってきたので、 ちゃんと文章になるかも不安・・・ 16さんの「計算量」の話ですが、ううむ。 あいかわらず大したことは言えそうにないけど、僕らが問題にするのは (メモリ/実行時間/論理的に)実現できそうかどうか、というくらいです。 酔いが覚めてからちゃんと考えたいと思います。です 理論的にはo(N)だとかo(log(N))とか(Nはこの場合語彙の数カナ)とか だったら実現可能とかいう話もあるけど、実際には何億とかの単語数 を考慮するわけではないので...逐次処理でもかまわないかも
22 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2001/01/13(土) 22:44
>18,19さま レスポンスに感謝します。勉強になります。 むろん、こちらこそ、しろうとであることについては、意見の一致を 見ているでしょう。ちなみに私、古文漢文板の「擬古文スレッド」の 立ち上げ人です。最近あまり書いてないのですが。 個々人はラングの体系をもっており、そうでないことはありえないわ けですが、それをポジティヴに、少数の規則の束として記述する可能 性が、原理的にないように思うのです。 広義のチョムスキー的アプローチが還元主義的であることはあらそえないでしょう。 その実用的側面(彼のおかげで英和辞典がとてもよくなった)と、理論的 側面は区別すべきでしょう。 >実はそれほど恣意的ではなく、 そもそもあり得る非常に狭い可能 >性の中での選択の自由性ということに過ぎないのでは →ある程度有契的であることと、基本的に恣意的であることは両立しますよね。 >派生を考えることによってうまく説明される言語事実がまったくない、ということなら >反対したいですね。むしろ皮相的な現象論だけで言語分析には事足りるという卑屈な >態度こそ慎むべきでしょう。 →同意します。お願いなのですが、「にちがいない」に「に」について、 というスレッドの内容を検討していただけませんか。どれが私かはお分 かりになるでしょう。
23 :
↑ :2001/01/13(土) 22:56
>どれが私かはお分かりになるでしょう。
24 :
↑ :2001/01/13(土) 22:58
>どれが私かはお分かりになるでしょう。 それなら統一ハンドル・ネームを使ってくれませんか。数字でもいいから。
25 :
考える名無しさん :2001/01/14(日) 00:02
酔眼、などです。
26 :
18 > 22 :2001/01/14(日) 16:11
えっと、「にちがいない」スレをさっと見たんですが、そして確かにそこでの 22さんの立場も分かったんですが(「恣意性」スレでもお見かけしますね?)、 ここでの議論の流れとどう噛み合うのかがよく分かりません。 よかったら僕に検討しろと仰るポイントを教えて下さい。 「に」の多様な用法を多様なままで記述すべきであって、それをなにがしかに 還元して簡略に述べようとすることに無理がある、というあたりですかね。
27 :
考える名無しさん :2001/01/14(日) 17:02
>26さん ありがとうございます。あるであろうこちらの見落しを 発見していただけるのではと、ついつい勝手なことをお願いしてしまいました。 用法の記述の本質的困難という発想はまとはずれか? がこちらとしての 問題意識の中心です。 >1さん 関係のうすい方向に進んでしまったことをおわびします。ただ、 >結局、辞書ってどんな構造をしていて、素性ってどんな種類 >があればいいのでしょうか については、「いい」が「ひとつの単語の必要十分な記述になっている」 ということでしょうが、一つの語をあらかじめ設定されたいくつかの 素性の束として把握する姿勢には、原理的に限界があるということは いえるでしょう。デノテーションとコノテーションという対比がありますが、 前者は客観的記述が可能と一応は言えるものの、デノ/コノの対比が 最終的には維持できない以上、語の意味の必要十分な記述は原理的に不可能というほか ないのではないか。 ロボットの発達によって「生物/ロボット/無生物」のような範疇ガ一般化するかも しれない。 言語理論がエレガントになればなるほど、一種のしわよせとして 雑多性が個々の単語に帰するほかないのは当然でしょう。 ソシュールなどは、エレガントすぎて、はなから個々の単語の説明には 不向きです。チョムスキー的アプローチはずっと具体的なところから 始まったものの、最近は<ソシュール化>している?
28 :
27のつづきです :2001/01/14(日) 17:15
>>文は単語に(中略)論理的には先行 するということは今 >や言語思想の常識 「論理的には」というのがちょっと?な >んですが 文は単語に先行する、などは柄谷「内省と遡行」から教わったつもりのことです。 「僕の言葉」で言うと、「文は単語からなる」というより、「文は既成の文の 断片からなる」というほうが事態のヨリよい描写ではないか、ということです。
29 :
1 :2001/01/15(月) 08:27
>>27 さん
>関係のうすい方向に進んでしまったことをおわびします。
そんな関係なくないと思うし大事なことだと思いますよ〜
それにいろんな角度で考えるは面白いし(←まだあんまり理解できてないけど)
チョムスキー的アプローチはエレガントすぎるというのは
なるほどと思う一方、どこかエレガントなものを基盤と考えたい
という気持ちもあります。
個人的には以下のように考えたいのですがどうでしょうか?
もともと生得的にある一定の種類の素性があって
それを用いて言語知識が構成されているけど、
そこから新たな種類の素性が生まれる可能性もある。
素性に関する操作(Mergeのようなもの←まだあるのかな?)も
最初は非常にプリミティブなものだけがあるけど
場合によって複雑なものも生まれてくる。
単純なものが根底にあって、その上で必要に応じて複雑なものが
生まれてくるメカニズムがあると考えるといいのかなあ。。。
30 :
27 :2001/01/15(月) 10:54
たとえば「ちょっとお金を貸して」と「ちょっと手を貸して」を比べると、 後者は「〜に手を貸す=〜を助ける」というイディオムとして 使うことがほとんどでしょう(ほとんど、というのは、マジックハンドを 手という場合や、人語を解し手をとりはずせるロボットに「手を貸して」と言うことも あるからです。むろんこの場合でも、「助けて」という意味解釈がありえて、この 手の多義性がつねに考慮すべきものとしてあるのが言語の厄介なところ。) さて、「助けて」というような意味での「手を貸して」が「手」「を」 「貸し」「て」の四つの語(既成の文の断片の)単なる総和でないことは 明らかでしょう。問題は、では「お金を貸して」は四つの語の総和 なのか? ということです。「お金を貸す」と「ライターを貸す」は おなじか? 前者は、たとえば貸した紙幣そのものを返すわけではない! 「お金を貸す」の「貸す」と「ライターを貸す」の「貸す」は、今の 日本語の標準的用法として、同じとは言えないのではないか。 「手を貸す」がイディオムであるように「お金を貸す」もイディオムではないのか? とすれば、個々の要素に還元できない・・・ 文の意味はは個々の語の意味の総和ではない。今、素性を意味素性に限定して言うならば、 同様に語の意味はその意味素性の総和ではない、といえるのでは。 そして還元主義的発想の問題点は、HPSGなどの(割合?)新しい 立場でも、同じ事ではないでしょうか。
31 :
26 > 27, 30 :2001/01/15(月) 11:51
やはり上で書いたlexiconとvocabularyの区別が重要だと思いますね。 27さんが「語の意味の必要十分な記述は原理的に不可能」と仰るのはあくまで vocabularyの問題です。個々の語がどのような意味を持つのか、は世界知識に関わる百 科辞書的なものであって、常に開いた状態、暫定的にのみ閉じた状態、になっているはず です。恣意的というのとはちょっと違うのかもしれませんが、/inu/が「犬」を指すとい う取り決めは/inu/の内在的構造特性に依存せずになされており、これはちょうど例えば 「手を貸す」がその構造特性からは(完全には)予測不可能な意味を持つのと同じである ため、「すべての語は実はイディオムである」と言われています。(上で触れた分散形態 論の立場) これに対し1さんが問題にしたい辞書はsyntaxへの入力源lexiconであって、syntaxが統 語構造を組み上げていく上で必要でない情報はすべてそこから放逐することができると思 います。必要な情報とは、ミニマリストでは形式素性と呼ばれているものであって、意味 や音声は必要ではないのです。(意味が必要でない、という部分については、他の人から も大いに反論を期待したいところですが、語彙意味論の枠組みでは、語彙意味が統語構造 を決めるなどと言っていますが、僕の見方は正反対で、語彙意味はその語彙が出現する統 語環境によって決まると考えています。)統語構造が形式素性のみに基づいて定義される ものである、ということが、自律的統語論autonomous syntaxのテーゼの現在形である と僕は理解していますが、だとすれば、syntaxにとっては例えば「John」と「Bill」は区 別する必要がない、またはsyntaxにとってはそもそも区別できないものだということに なると思います。統語派生は統語「計算」ともいいますが、単純な計算の喩えだと、x+y で「+」があらわす操作自体はx/yの具体的な値からは抽象されるものだ、ということで す。
32 :
26 > 28 :2001/01/15(月) 11:52
>「僕の言葉」で言うと、「文は単語からなる」というより、「文は既成の文の
>断片からなる」というほうが事態のヨリよい描写ではないか、ということです。
この部分は多いに賛同したいです。僕なりに手を加えさせてもらうと、「文は既成の文を
分化・分析して抽出した構成要素の再配列・再統合」という感じですね。もっとも、では
最初の「既成の文」はいつの間にどうやってできたのか、という問題が生じ、結局は人間
言語の起源にまで遡って議論する必要が出てくるんですが。これは
>>29 さんの「生得的な
素性」という見方でも同じ。結局、生成文法は普遍文法そのものの起源を論じなければな
にも本当には説明したことにはならないと思うのですが。
33 :
1です :2001/01/15(月) 19:26
30さん31さんありがとうございます。とても面白い話になりますね。 亀の歩みですが、ゆっくり考えてついていきたいので気長にお願いします。 大きな意味が小さな意味の和として表すことが出来ない、という30さんの 意見に私も全面的に賛成です。じゃあ還元主義的な発想ではなく、 どうすればいいのか、についても明示できるといいなあと思います。 (32さんが一部言及されているのかも) ところでミニマリストでは意味や音声が関係ないという話は良く理解 できませんでした。 ミニマリストにおける派生を駆動するためには、これらの素性が 大事なのかなと思っていました。音韻素性はSpell-Outの際に PF側に剥ぎ取られないといけないとか、そういうメカニズムは どのようになっちゃうんでしょう。。。
34 :
考える名無しさん :2001/01/15(月) 22:09
>31、32さま 勉強になります。質問です。 lexiconを文を作るのにぎりぎり必要なだけの要素としてできるだけ切り詰める。その 結果その数を少なくでき、同時にエレガントにできるけれども、そのかわりたいへん抽象的・ 形式的になってしまう。抽象的・形式的になるぶんだけ、実際の出力形態の意味解釈はそのつど よろしくやっていただくということになってしまうのではないでしょうか? ポール・ド・マンの用語で言うと、文法的次元を常に修辞的次元がかく乱しててしまう。 そして修辞的次元を回避すると、現実の言語の多様でメチャクチャなありかた を取り逃がす・・・。
35 :
31 > 33 :2001/01/16(火) 00:27
やっぱりちょっと飛躍し過ぎましたか? まず、チョムスキーの枠組みだと相変わらずlexical item(LI)は形式素性・意味素性・ 音韻素性の三位一体としてあらかじめlexicon内に与えられているので、Spell-Outに よって意味解釈には無用の(意味解釈インタフェイス側では解釈不可能な)音韻素性は 剥ぎ取って音声解釈に送り込む、ということになっています。 Spell-Outが昔のように一つの派生に一回きりではなく連続循環的・多重的になっても、 この点は同じだと思います。 ここで注意したいのは、このように統語派生に参入するLIが音韻素性をあらかじめ指定 されている、ということと、この音韻素性が「派生を駆動するために重要である、必要 である」ということは別個の主張で、音韻素性がなければ統語派生は不可能、という ことを含意してはいません。(最近チョムスキーが使っているphonological edge / phonological borderという概念が、統語派生は音韻情報に対してsensitiveだ、という ことを示唆するものかも知れないのですが、この点は僕もよく理解できていません。) 同様に、意味素性が最初からLIを構成していても、この意味素性に依存して統語派生が 進行するのではありません。繰り返しですが、統語派生にとって大事なのは形式素性= 統語素性だけであり、むしろこれはトートロジーかも知れませんが、派生にとって 「見える」素性を形式素性と言うのですから、これは定義上、そうでなくてはならない はずです。より正確には、意味解釈につながるφ素性は、形式素性としてふるまう意味 素性、というべきかも知れません。 で、ここで最初の問題提起に戻るのですが、ではsyntaxにとって必要最低限の語彙情報は 何か、語彙部門はどこまで縮小可能か、を考えたとき、統語派生が必要としない素性を あらかじめ語彙部門内に投入せず、「後から指定する」ことによって語彙部門は劇的に 縮小されるだろう、というのが僕の見方で、その方向に沿った枠組みとして分散形態論 を引き合いに出したわけです。 僕はDMの専門家ではないのであまりDM内部のテクニカルなことは分からないのですが、 DMの視点を組み込んだミニマリストの派生理論、というのが僕のイメージしている モデルなのです。 まずここまでいかがでしょう。問題点をいろいろ指摘してもらえると助かります。 あれ、34さん、後ほど、また。
36 :
衝動派 :2001/01/16(火) 01:53
具体的な話が出てないので、大きく、かつことごとく話をずらせて理解しているのかも知れないが、 Remarks on nominalizationのことを思い出した。語彙の中で見られるsubregularitiesもsyntaxなの? lexical ruleは認めない?その上でsyntaxに持ち込んでsyntaxがややこしくならない? 「後から指定する」って言ってもその時の指定情報はレキシコンに記述しておく必要があるんじゃ? なーんてことが思い浮かんだけど、どうなのでしょうか?
37 :
35 > 36 :2001/01/16(火) 20:15
ん? なんか懐かしいコテハンが復活しちゃったな。
こっちも昔の名前を出そうかね。能無貯無介とか(藁
Remarksから語彙論者仮説を導き出したことが、そもそもの間違いの元、というのがDMの基本認識だね。
少し僕の解釈を加えると、当時のモデルでは統語部門内に基底部門と変形部門があって、前者が定義した
深層構造を後者が表層構造に写像することになってた。派生形態論が変形によらない、という反変形論は
ただちに語彙論を支持するのではなく、統語部門内の基底部門での派生を示唆するものだったんだね。
もちろん、今の枠組みではD構造はなく、基底部門・変形部門の別なくsyntaxは単一の派生過程によって
構造を組み上げるわけだから、基底部門における形態派生ってのも、当然syntaxのうち、ということに
なるはずだね。もちろん、実際の個別言語ごとの音韻形態解釈はsyntaxよりあとの話し。個別言語間の
差異は素性の値と、この音韻形態解釈に限定されており、素性自体のプールと統語計算法自体は、人間
言語に普遍、ということではないでしょうか。Universal Lexion / Universal Syntaxの出力を、各個別
言語が恣意的な(?)vocabularyによって言語外部に具現化している、ってな感じ。
ある素性バンドルをJohnと具現化するのか、太郎と具現化するのか、そんなことはsyntaxにとっては
どうでもよいこと。 John loves Mary.とBill hates Jane.は素性に基づく統語計算としてはまったく同じ
もの。これを拡張していけば、すべての文は実際にはごく少数の(サブ)ルーチン化した派生単位
(これがphaseなら面白いと思う)を(
>>34 さんの心配通り)そのつど、異なる音形に翻訳したもの
ってことになり、実際に一つひとつの文を毎回、計算コストを払って最初から派生・生成してるのでは
ないんだと思う。たいへん皮肉なことだが、生成文法では実体のないはずの構文という概念が、あらか
じめ結果が指定されている計算式のようにして、計算量の抑制につながっていることになるのでは、
なんてね。そしてその意味では、個々の形式素性のmergeからその都度派生を開始するかわりに、
形式素性群をあらかじめ定義してあるlexiconももちろん、計算量の抑制に大いに役立つものでしょう。
批判歓迎。
38 :
30=34です :2001/01/16(火) 21:31
場違いかもしれませんが、問題の提起です。 「手を貸す」が「助ける」のような意味を持ってしまうこと。 「金を貸す」と「ライターを貸す」は近いとはいえ、ずいぶん違う ともいえること。外国語を学ぶときにいやでも直面する、言語の、 こちらの思い通りにならない挙動、というより挙動不審。この妙な ところが、自分一己にとっては言語への尽きせぬ興味のもとにあり ます。ソシュールはこれを説明した。ただそれは、妙なのはもっとも なのだよ、ということでした。 チョムスキー的アプローチは、この言語の<奇妙性>を言語で明文的 に規定しようという試みであり、以前書いたように、これにより、英和 辞典がとてもよくなった。ソシュールは辞典の、つまりラングの具体的な あり方の記述の改善には無力だった。 しかし言語が少数の原則、究極的には単一の文法に還元できるはずだ、 あるいは、言語体系のなかにはそのような領域があるはずだというのは 無根拠な信念ではないのか? そしてそれがあると思いたいのは、言語の メチャクチャ性、言語の散種性(デリダ)に対する恐怖からではないのか?
39 :
1>>35さん :2001/01/17(水) 08:12
やっぱり亀レスになっちゃいました。。。 ううん、「派生の駆動に必ずしも意味と音声は必要ではない」 という主張自体はわかりましたが、まだ納得はできません。 もともとミニマリストの思想としては、 意味や音韻部門からのインタフェース条件に従って (そして出来るならばなるべくそれだけによって) 言語の現象を記述できた方が良い。 その上で、言語独自の現象があるならば、それを記述しましょう というものと理解しているのですが(そして言語独自の現象の 一つに経済性の原理みたいなものがあるのかなあと・・・) 上のような考え方が正しいとすると、意味や音声が 派生を駆動するのに重要ではない、という考え方はまだ理解できません。 あと、形式素性のみが派生にとって「見える」というのは どういう意味なのでしょうか?よろしければもう少し教えていただけませんか? 素性照合等の操作は意味素性や音韻素性にも同様に行われると 思っていたので。。。 DMというものを知らないので、これも勉強しながら もう少し考えてみます。
40 :
能無貯無介 :2001/01/17(水) 19:31
>38 もちろんソシュール的恣意性をないがしろにしているわけではありませんよ。 上に書いたとおり、すべての語はイディオムだというわけですから(「ぞぬ」?、はは) ただ、メチャクチャ性という見方はどうでしょう。僕はやはりそれは暗黙の境界線の中での 非常に制限された選択の自由のように思います。ありふれた観察ですが、 kick the bucket = die、では決してない。イディオムであってもkickの持つアスペクトは 不変であり、それがたとえば He was kicking the bucket for three days. =/= He was dying for three days. を保証します。「手を貸す」「金を貸す」「ライターを貸す」、確かに同じではありません が共通の部分もあります。それは当該言語において「貸す」と具現されるものが持っている 統語構造の同一性に由来します。38さんから見れば本末転倒なのでしょうが、「貸す」とい う同一の音韻形態的具現が与えられているという事実が、そのような深層の同一性を明白に 反映しているのです。さらに言えば、「手を貸す」の「貸す」のなにがしかの意味で「通常 とは異なる」(?)意味を持つのは、その補語が「金」ではなく「手」として具現したこと (より正確にはそのような具現に対応する統語環境に生起したこと)に由来するのであって、 「貸す」の語彙的・辞書的意味が最初からそうだった、とは考えないです、僕の場合は。 月並みな言い方ですが、表層の多様性と深層の普遍性のうち、まず後者に注目し、そこから 前者がどのように表出するかを見たい、というのが僕の立場であって、基本的にはそれはす べての理論言語学者によって共有されている視点だと思います。普遍文法というのも、つき つめて言えば同じ生物種の脳内では、一部はその脳の物質的・構造的特性により、これこれ のことしかそもそも起こり得ない、ということの記述であって、各個別文法は(通事的・共 時的・発達的を問わず)その変動可能範囲の中でのささいなゆらぎに過ぎない、ということ ではないでしょうか。 それだけで言語のすべてを語ったことにならないのは当然としても、そのような見方できれ いに理解できる部分もある、ということをこれまでの生成文法はすでに十分に明らかにして いる、というのはやはり思い上がりなんでしょうかね。 言語、というとき、それが言語に関する何を指しているのかがそれこそあまりに恣意的なの で、なかなか議論が噛み合わないのが残念なところではありますが。
41 :
考える名無しさん :2001/01/17(水) 20:26
>38さんから見れば本末転倒なのでしょうが、「貸す」とい >う同一の音韻形態的具現が与えられているという事実が、その >ような深層の同一性を明白に反映しているのです おっしゃるとおり、やはり本末転倒に思えます。表層から見て深層は こうであるべきだという形で深層の形状を仮定し、今度はその深層から 表層が出てくるというかたちでストーリーを語りなおし、このストーリー こそあるべきものだったのだと考える。深層/表層の対応付けの作業はた いへんな繊細なテクニックを要し、研究者がこれに挑戦したくなることを、 僕は実感できるつもりです。 しかしそこにある種のblindnessがあるように思うのです。 むろんそれはたいへんなinsightとだきあわせの形になっている のでしょうけれども。ド・マンの本の題名を借りて、そういえると思います。
42 :
能無貯無介 :2001/01/17(水) 21:46
>38、41 >しかし言語が少数の原則、究極的には単一の文法に還元できるはずだ、 >あるいは、言語体系のなかにはそのような領域があるはずだというのは >無根拠な信念ではないのか? う〜ん、極論すれば自然科学ってみんなそんなものでは? 一見メチャクチャに見える諸現象の中に一般法則や普遍原理を見出したい、混沌とした現実 世界をすっきり整理された仮想現実世界(ヴァーチャル・リアリティ)に写像して理解しや すいように加工したい、というのが科学者(=人間?)の悲しいサガですね。で、41さん はそのような試みが人間言語のみについて誤りだと仰るのか、それともいかなる現象世界に ついてもそれは無益だと考えておられるのか、どっちでしょ。単純すぎる還元論は批判され て当然ですが、単純な法則の作用が予想もつかないような複雑な現象をもたらすものだとい うこと、いわゆる「初期条件への鋭敏な依存性」を理解した上でその法則なり初期条件なり を発見しようと努力することはそれなりに価値があると思うのですが、それすらも拒絶する のでしょうか。
43 :
能無貯無介 :2001/01/17(水) 21:49
>39 別スレ同様、僕の見方であってチョムスキの忠実な受け売りではない、ということをまず お断りしておきますが、言語がインタフェイス条件(legibility)を満たすに必要十分な だけの仕組みしか備えていない簡潔なシステムである、ということと、その仕組み自体が インタフェイス条件によって外圧的に作られた、いわばそのインタフェイス条件を満たす ことを目的にして言語が成り立っている、というのとは別個の主張です。 結果的に見れば、言語はインタフェイス条件を満たす一つの最適解(まるで神様かなにか が最初からその目的で設計したかのような)にたまたまなっていた、ということであって、 実際にそのようなテレオロジカルな説明が導入されているのではない、と思うのですが。 派生に限って分かりやすくいうと、統語派生は結果として言語表現の意味解釈・音声解釈 を定義することにつながりますが、それが目的なのではない、ということです。 このことを、統語論は意味解釈に対し「盲目的」だ、と表現した人もいるらしいのですが (うふふ)卑近な一例として、数量詞のスコープを指定するために統語操作がおこるので はなく、形式素性の照合が結果として数量詞のスコープ決定という効果を伴う、というの ではどうでしょう。 >素性照合等の操作は意味素性や音韻素性にも同様に行われる たとえばどういう意味素性・音韻素性でしょう。 >DMというものを知らないので お互いさまです(笑
44 :
衝動派 :2001/01/18(木) 01:13
レス感謝。すげー、ためになる!!さらにもっと語ってもらいたい!! というわけで、質問です。 (1)統語で語彙的なこともやっちまおうっていうのは Fabb(Ph.D)もLebeau(sp?)(の何かのproceedingsの論文:忘れた)も、さらには BakerのUTAHも(absoluteな解釈の場合)もやっていた・含意していたと僕は 解釈するんだけれど、DMはその継承・発展なのか、二番煎じなのか? 実はハレ・マランツは中途半端にしか読んでない。ダメダメだね。 (2)統語で意味のコアになる構造を出して、それが一種の「構文」だと(すら) 言うのはもの凄く同感。で、それを踏まえるとGoldbergの本がとても陳腐で、 「だれでも書けるじゃん」と思ってしまい、なんであんなに評判良いの?!って 思ったたアタクシなわけだけれども、そんなのどーでもいいけど、 その統語で出てくる「意味」の部分と「百科辞典」的な開かれた部分の意味の区別は どこから出てくるのだろうか・・・そのdemarcation、というか区別規準は一体、 どんなものなんだろうか? 少し不眠材料になりそう・・・暇なときで良いので、 教えて頂けると、きちんと昇天できそう。
45 :
吾輩は田無しである :2001/01/18(木) 10:47
>人間言語のみについて誤りだと仰るのか、それともいかなる現象世界に >ついてもそれは無益だと考えておられるのか、どっちでしょ。 誤りとは言っていませんよ。また話を言語に限ったつもりです。言語につい ての思考はフェノメナルなもの一般についての思考とは別であり、前 者は後者に還元できないでしょう。 カタストロフィ理論でいう「初期条件への鋭敏な依存性」は、初期値がすこし ちがうだけで、結果が非常に大きくちがってくることを意味するのでしょうが、 その場合でも結果は法則と初期値の関数(産物)であるわけです。しかし言語 に対しては、そうはなっておらず、自然科学的アプローチが取り逃がす部 分はあまりにも大きいのではないか。法則に還元しようにもそれをゆるしてくれな いような多様性(=「修辞的」次元)に、私としてはもうすこし見入って いたい、ということなのです。 P.S.「言語はインタフェイス条件を満たす一つの最適解(まるで神様かなにかが 最初からその目的で設計したかのような)にたまたまなっていた・・・」は解析力学み たい! 神秘的なまでにエレガントです! 直観で言うと、無限集合から任意の収束す る数列を取り出せるらしいのと類比的なのでは?
なんかあなたの言い方は「反自然主義的なヒストリシズム」(ポパー)みたいだ。
>>素性照合等の操作は意味素性や音韻素性にも同様に行われる >たとえばどういう意味素性・音韻素性でしょう。 +whのような素性が意味素性と考えていました。 あと日本語のScramblingのときは、むしろ音韻素性が駆動する形の 単語の並べ替えなのかなあと思っていました。 42さんの考えでは、これは形式素性に属するものの結果としてあって さらに統語分野は自律的に存在する。(自律的統語論というものなのですね) だから、統語分野で必要な(形式素性)自体は、意味や音声からは 独立であるし、シンプルになり得る。 といった感じなのでしょうか。。。 それでlexiconとvocabularyを分ける必要がある。と理解しました。 確かにそうすると、lexicon自体はシンプルにし得ると思うけど vocabularyとlexiconとのマッピングが複雑になってしまいませんか? 意味や音声からの要請によって言語が成り立っているという主張と、 そうではなく言語が自律的に存在しているという主張とで、 何が大きく違うかというと、言語が取り扱う素性を簡単にする分、 意味や音声との複雑な関係を、インタフェース部に持たせる という感じに思えたのですが。。。 あれ、書いていて思ったけど42さんの意見て +whという抽象化した素性を使っている段階で、すでにこれは形式素性だ ということを言われているのかも。 言語が使うのは、 具体的に「誰かに疑問がある-素性」とか「何かに疑問がある-素性」という ものではなく、より抽象化した+whという素性であって、 だから言語の扱う素性自体はシンプルになり得るという感じですか? であれば、全面的に同意できるのですが。。。 今週末は書きこみできないので、またゆっくり考えてみます。
48 :
名無しさん@1周年 :2001/01/19(金) 21:18
>46さま。 勉強になりそうなので、具体的に説明していただけないでしょうか。
49 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2001/01/22(月) 12:10
レス待ちage
50 :
しつもん :2001/01/25(木) 17:31
>//destroy// が特定の統語環境下で >[[destroy]]とか [[destruction]]となるということでいいの >かな? この枠組みで、たとえば //regress//は特定の環境下で[[regress]]や[[regressive]]になるけど //aggress//は*[[aggress]]はダメで[[aggressive]]はOKみたいなことは うまく説明できるのでしょうか。
51 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2001/01/31(水) 11:48
興味アリage
52 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2001/02/15(木) 12:38
あげれ
53 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2001/04/29(日) 00:41
ためになりそうなスレ発見!
54 :
名無しさん :2001/04/29(日) 01:13
「梨」と「林檎」を区別する意味素性は、どんなのになりますかね。
55 :
考える名無しさん :2001/04/29(日) 11:45
梨・・・{果物、黄色、甘い} 林檎・・・{果物、赤、甘い} ううむ。赤くない林檎はどうすんべ
「梨」と「林檎」のそれぞれの意味素性のうち、両者を区別するのに役立つ素性 (その素性の数はいくつでもかまいません)は、おそらく、他の語を区別するのには あまり役に立たないように思えます。そうすると、素性の種類は、語の数より多くなって しまい意味がなくなってしまうのではないでしょうか。少なくとも、そのような認識を 人間がしているとは思えないのです。
57 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2001/04/30(月) 05:59
間違えてsageにしてしまいました。
58 :
考える名無しさん :2001/04/30(月) 11:34
実数xの上に定義された関数 梨(x)=x^2 と 林檎(x)=x^3 があったとして、何か未知の関数 unknown(x)がそれらの どちらに近いかは判断できそうです。 この場合、梨と林檎は別のもの(関数)で表されるけど 素性を1つ1つ列挙する方法とは違って 非常に簡潔な表現が期待出来そうに感じます。 (外延的、内延的な記述というのでしょうか?)
59 :
考える名無しさん :2001/05/05(土) 22:45
agee
60 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2001/05/12(土) 22:45
日本語を母語とする現代人なら、梨とリンゴとは結局のところ、 食べてみないとわからないことをしっているよね。 見た目ではわからぬ。
61 :
考える名無しさん :2001/05/13(日) 00:16
梨や林檎を食べたことのない人でも 梨や林檎について述べた文章だけをもとに、 これらの意味を(あたかも食べたことのあるように) 形成することはできないものでしょうか?
62 :
プリンとはちがう。。。 :2001/05/13(日) 00:38
無論可能でしょう。 生まれつき全盲の子供が、「見える」ということの意味を 完全に理解したと見るほかないという結論を大森ショウゾウがだしています。 構築主義的発想に立つなら、自明、とも言えます。
63 :
考える名無しさん :2001/05/13(日) 03:06
そういうとき、文章をもとに梨や林檎を想像する人は どれだけの情報を文章から得ているんだろう。 文章から得られる情報=有限(非常に限られている)とすると 梨や林檎の持っている意味素性は56さんが言われるほどには 多くないとも見れませんか?
64 :
ななし :2001/05/13(日) 14:43
梨とか林檎などのConceptをDecomposeすることに意義はあるの?
65 :
56 :2001/05/13(日) 19:28
>>63 そういう場合は、梨や林檎のことを説明している語の持っている意味素性の
数が多いかどうかという問題になると思います。
人間はもともと語の意味を全くしらないところから言語を獲得していくわけ
ですが、私が気になっているのは、その何もないところから意味を獲得して
いくプロセスのほうです。ある程度、言語が身に付いてから、言語的情報を
通じて意味を獲得するプロセスは、とりあえず考えないことにしています。
>>64 べつに、梨とか林檎という語にこだわっているわけではなくて、あらゆる語の
意味が素性の集合から成り立っていると主張している文法理論があるので、
それが妥当かどうか、梨と林檎の例で考えてみたかっただけです。
66 :
64 :2001/05/14(月) 02:54
>56=65
レス、サンキュ。
>>56 を読んだら同じようなことを考えていることが分かった。早合点
すまそ。65にあるレスにあることを同じく疑問に思ってます。
67 :
考える名無しさん :2001/05/15(火) 00:19
>>65 さん
62さんの言われるように、もしも文章だけでも同じ意味知識が
形成できるなら、その意味獲得プロセスは問題にならない
かもしれないと思ったのです。
もちろん実際に食べた場合の林檎や梨の意味は、食べない限り
わからないという立場ならば、話は別です。
その上で、ある語の意味が高々有限個の別の意味から定義
できるとすれば(全く初期の値は別としても)
語の有限個倍の意味素性があれば足りるかなと思ったわけです。
(ここで言う意味素性はポインタのようなものを想定してます)
68 :
吾輩は名無しである :2001/05/19(土) 23:55
意味素性は出来るだけ少ないものでなるたけ精度を高めることが問題であって、理論的に有限個でおさえられるとは 思えないのですが。あくまで実用主義的な見地からのものでは。
69 :
67 :2001/05/26(土) 14:48
私も68さんの言われることはわかります。 有限個といっても、それが何百億とかいう単位であっては 実用上意味がないですから。 ただ、67で挙げたモデルはコネクショニストの人が普通に 考えそうなモデルですよね。 例えば「赤」を示す領域と「林檎」を示す領域が相互に 興奮性の結合をしている。「赤」の領域が活性化すると 「林檎」の領域も活性化する。 同様に「果物」の領域と「林檎」の領域も結合している。 私はこのようなモデルはもっともらしいと考えていて それならばある程度ならば意味も外側から定義できる と考えています。 67さんの言われる問題を議論するためには、人間の脳の いくつのニューロンがこれらの処理に関わっていて その数に対して、必要そうな意味素性がどのくらいだから もっともらしいとか、そうでないとか言わないといけないけど 今の段階でこれは難しくないですか? なので67では、少なくとも無限の意味素性が必要なわけでは ないから、敢えて外側から定義する意味素性を否定する 強い根拠はないのでは、という(弱い)主張です。
70 :
67 :2001/05/26(土) 14:51
「67さんの言われる問題を議論するためには」 →「68さんの言われる問題を議論するためには」 でした。
71 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2001/07/13(金) 06:20
久しぶりにあげとこうかね
あぼーん
73 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2001/07/24(火) 05:57
age
74 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2001/08/19(日) 02:42
たまには上げと来ますかな。
75 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2001/08/19(日) 03:51
ミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミ,,,,, ミミミ,,, ミミミ, ミミミ ミミ ,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,, ミミ ミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミミ ,-',⌒~^~⌒}⊃ `^| -‐ー-|' |ー―--| | | | | 〉 {, | │ /  ̄ ̄ ̄`\ | | / ヽ、 | │ / ヽ | | │ 。。 ι │ ____ | │ | 、、 。。 ι │ / \ | ハ,│ ,\、 。。 ,, | / 気 \ 〉 ヽ l/}'ヽ| | ヽ、lll _, ==〒' /,^l / 円 | 〈_|__/}~` | ヽ __ ’ ’ ___/ /リノ / 斬 | ' vVゞ ~ |'' ,.---―、 '' /ー' < !! / | lヽ、l二二二} / \ / Λ| λ `ー――┬ ' へ _ _ \____/ ヽヽ ヽヽ\ / ノ ノ  ̄λ ヽ ! 、` \/ ,_{ ヽ, | l {/ | 〈 ヽ ! / / ヽ l , --、 // 〈 ヽ ヽ l 亀 l 〈_,、__ ヽ,____l__l_ ._`_'____.} { U-} }ー┬┬―ー匸ロこ]ー―┬--{ー{_{ ニ} { / / / /|| ` |  ̄ / ' / / | | ヽ、 、
76 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2001/08/22(水) 07:25
引っ越し。 生成文法では+animateとか今も統語素性とされてるの? 現在の生成文法のシステムでは*drink cookiesとか *eat beerってどうやって排除するん でしょうか?
77 :
このスレ読んでも意味わからん :2001/08/22(水) 08:44
あげ、るついでに Colorless green ideas sleep furiously. は今でも排除されないんですか? 76へ。「質問スレ」もおためしあれ。 マジレス確率25パだけど。 あと、スプーンですくって飲めば eat beer は可能かも。
78 :
>76 :2001/08/22(水) 10:01
日本語だとスプーン使うと 「スープを食べる」? いや「飲む」じゃないかな? スープって、認知的に、ちょっと微妙な部類に入るとは 思うんだけどね。 スプーンで飲んでも eat beerは無理やろ、多分。(w ビール(コーラとかでもいいけど)を凍らせて、ばりばり かじればeating beer(coke)はOKかな?
79 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2001/08/23(木) 03:07
a
80 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2001/08/24(金) 00:20
生成文法やっている人いますかー? 勿論、顔文字の人とか、かかかり助詞さんとかでなくていいんですよー。 76、77の質問、よかったら答えてやって下さいね。 どの本を読めば生成文法での取扱いについてかいてあるとか 書誌情報でもいいです。 eat beer 1統語的には問題ないけど意味的には変 2統語的に変(統語の定義による) 現在の生成文法では1と2のどっちですか? それとも3という選択肢がある??? ところで、こういう問題って生成文法では些末な問題ですか?
「生成文法批判」323−324 で、顔文字の人が eat beer についてふれてるよ。 答えてはいないけど... 素性って、結局建設中なんじゃないの?
82 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2001/08/24(金) 05:59
あげとこ
83 :
Dante :2001/08/24(金) 08:18
>現在の生成文法のシステムでは*drink cookiesとか*eat beerってどうやって排除するん 生成文法では、意味素性は、否定されたわけではないが忘れられている、 いう中途半端な立場にあるんじゃないでしょうか。実質的に守備範囲から外れている。 (チョムスキアンでないので確信はないですが) 広義の(非チョムスキアンの)generative approachでいうと、 わりと最近、Pustejovsky の "generative lexicon"という 本が注目されました。語のレベルでかなり細かい素性構造や 素性間の階層関係を提案し、例えば good knife/cookie/linguist の good が「よくきれる」「味がいい」 「有能な」の意味になるのはなぜか、とか、want some coffee が デフォルトで want to drink some coffee と同義に解釈される のはなぜか、とか、当たり前なのかそうでないのかよくわからない話を してます。
84 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2001/08/24(金) 21:17
>否定されたわけではないが忘れられている、 なるほど。僕もそんな印象です。彼等が解明を目指している生得の 言語能力というのとは関係薄そうですもんね。 >当たり前なのかそうでないのかよくわからない話 同感。僕もPustehovsky使って考えてはいるんですが、書いていて (考えていて)時々阿呆らしくなります。(笑 goodの例は、認知だとラネカーのactive zoneとか使って説明するん でしょうかね?
85 :
(´∀`) :01/08/27 08:56 ID:8WkhraiY
こっち、引っ越し奨めときながらほったらかしにしてたみたいでワリイ。
eat beerなどはsemantically anomalousだと思う。構造的にはどこも問題ないので文法的にはOKだと言うしかないなぁ。
ただし、ここが理論依存性の所以なんだけど、意味選択と直接対応する形式素性をたて、その素性の照合がどうした
こうしたというふうにもってって破綻派生にする可能性もあるでしょう。
で、そのことが[+/-animate]は統語素性かという一点めの問題提起にもつながるんだけど、名詞側にとっては当然
意味解釈可能なこの素性が統語素性なら、この素性によって引き起こされる統語・形態論的現象、例えば主語が
[+/-animate]で動詞のinflectionが変わるとか、Spec(TP)への移動の可否がこの素性によって決定されるとか、まあ
そんな現象があるだろうということになる。ありそうなもんだが俺は知らん、スマソ。
日本語の「いる」「ある」の使い分けは不完全だが一部そのような感じかな。
で、eat beerが意味的にヘンだとか(事実はしらんけど)スプーンで飲めばいいとかビール飴(笑)ならいいとか
(俺のガキの頃はコカ・コーラの錠剤みたいのが駄菓子屋にあって、それをそのまま口に入れるとかなり強烈な刺激が
楽しめたが、あれは「コーラを食べ」てたわけね、多分)あるいはgood knife/good linguist の差も言語外の知識、
いわゆる百科辞書的世界知識が動員されて判断されるものだと思う。文字通りにはヘンでも比喩的に解釈すれば意味が
通るというのもそんな感じ。
でもちょっと考えてみると文字通りの意味を取るにもやっぱり世界知識は必要だし、比喩的・非比喩的の区別は実は
そんなに明白ではないように思う。あえていうと、意味解釈なんて全部、比喩の世界ではないか……
>>83 , 84
語彙意味論やってるなら、今度の議論のためにちょっと教えて欲しいんだけど、語彙情報を統語構造に投射するとか、
語彙意味によって統語構造を決定するとかいう場合、実際の時間軸に沿ったレキシコン→シンタクスの方向での
情報の受け渡しがあると考えているわけ? 俺の立場は、語彙意味はシンタクスによって決定される、語彙意味論は
シンタクスに包摂されるという感じなんだけど、シンタクス・レキシコン間の(ジャッケンドフ的に言えば)対応
規則を、時間軸に沿った一方向の写像関係と考えるべきかどうか、ちょっと自分でも不明なので、参考まで教示願う
次第。
86 :
名無し象は鼻がウナギだ! :01/08/28 09:25 ID:2P/gnJT2
>比喩的・非比喩的の区別は実は >そんなに明白ではないように思う。あえていうと、 >意味解釈なんて全部、比喩の世界ではないか わたくし、17にそういうことを書いてから、もうゆう に半年を越えている・・・。過酷な事実。
87 :
(´∀`) :01/08/28 12:09 ID:voTZYWTs
わはは、たいへん失礼しました。ご免なさい。 ちなみに17さんのレス相手の13ってのも俺でした(自爆 言い訳しとくと、俺のは反語彙意味論の立場からの発言なんで、そこのとこくんでやって下さい。
88 :
名無し象は鼻がウナギだ! :01/11/02 08:57
倉庫行き防止あげ
89 :
名無し象は鼻がウナギだ! :02/01/26 12:05
age
sage
91 :
名無し象は鼻がウナギだ! :02/05/21 20:37
92 :
名無し象は鼻がウナギだ! :02/09/04 10:41
倉庫行き防止あげだ 上げ嵐ではない
一年越しのレスですが・・・ >85 >で、eat beerが意味的にヘンだとか(事実はしらんけど)スプーンで >飲めばいいとかビール飴(笑)ならいいとか 韓国語では「酒を食べる」と言うそうです。 おじいさんしか使わないらしいのですが「煙草を食べる」とも 言うそうです。そもそも「食べる」にあたる"mek-ta"の守備範囲が 日本語の「食べる」と違う、という言い方もできるかもしれませんが、 他に「酒を呑む」「煙草を喫う」の言い方もあり、さらに「お茶を 食べる」とは言わないそうなので守備範囲の問題とは言えなそうです。 そういえば、「茶をしばく」に対応する"cha-lul ttayli-ta"も 聞いたことがあります。若干整合しない素性同士を組み合わせて 楽しむ、ってことなんでしょうか。
にゃーにゃー言ってなかった頃の自分のレスを読むのもなんか恥ずかしいにゃー。 >韓国語では「酒を食べる」と言うそうです。 >おじいさんしか使わないらしいのですが「煙草を食べる」とも言うそうです。 にごり酒なんかをくちゃくちゃ咀嚼したり、噛みタバコだったりといった昔の名残り なんてことはないんだろうかにゃ。そんなもんが昔の韓国にあったのかどうかも 知らんでデタラメ言ってるにゃが、ふつー若い人のほうがミスマッチを楽しみそうな ものを、おじいさんしか言わないってのが面白いですにゃ。 「茶をしばく」ってのは、関西人の俺でもまったく語感が分からないにゃ。 なんとなく下品ぶってるというのは分かるにゃが、「飲む」との違いをLCSで 誰か表記してみるにょろ。
>「茶をしばく」ってのは、関西人の俺でもまったく語感が分からないにゃ あ、そうにゃんですか。テレビで関西の芸人の人が使ってるのを見て、 勝手に関西では一般的なのかにゃあ、と思い込んでますたが。
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97 :
名無し象は鼻がウナギだ! :02/11/02 21:25
It's high time to talk about semantic features?
98 :
名無し象は鼻がウナギだ! :02/11/04 12:40
韓国語では「たばこを飲む」という言い方はするんでしょうか? これはcross-linguisticに非常によく見られる表現形態だと聞き ましたが。日本語でも「たばこを飲む」はいえますし、「一服」 というのも薬の「服用」という表現を考えれば、なんらかの 類似性が捕らえられていることが分かります。
>98 「食べる」にあたるmek-ta、「噛む」にあたるmwul-taの守備範囲は かなり広いのに対して、「飲む」にあたるmasi-taは液体にしか 使われないような気がします。でもこれはnativeに聞いてチェックして もらいますね。「酒をやる」みたいに「煙草をやる」は言ってたような 気がしますが、「煙草を飲むtambay-lul masi-da」は無さそうな気が。 「やる」の方はcross-linguisticに見られそうですが、「飲む」は 本当にそうなんでしょうか。フランス語は英語と同じでfumerを使いますが、 boireは使わないと思います。prendreはどうなんでしょうにゃ? と、あんまし情報量のないレスでスマソですにゃ。
ついでに、えいっ、100ふんじゃえ!
masi-taには「空気などを吸い込む」という意味があって、 swunsu-han kongki-lul masi-ta「きれいな空気をすいこむ」は いうけど、tambay masi-taはいわないそうですにゃ。 nam-i phiwunun tambay yenki-lul masi-ta「他人の煙草の煙りをすう」 ではmasi-taが使えるそうですが、一本の煙草を自分ですうときは masi-taは絶対だめだそうですにゃ 以上、informantによる 判断の報告ですた。
102 :
チンコ マンコ :02/11/04 21:47
僕は45歳女装してアイドルやアナウンサー等好きな女性になりきり スカート
はいて なりきってオナニしてます。エクスタシーです。
皆さんも一度ためしてみては、やみつきになります。究極のオナニです。
SEXより楽しいかもしれません。 ちなみに初心者むけ女装グッズサイト
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103 :
revisited :02/11/05 00:19
ブライヅヘッドかバビロンか。 とまれ、私はここに来たことがある。たしかにある。 なんかちっと書いたことがある。 レトリックがなんだのといったことがある。 私はインサイトの人で、うまく・分析的にいえなかったが、 果てのない夢を見ていた/いるのはむしろ、この上なく精緻に分析できる と信じているあなた方ではなかったのかと、小一時間・・・ もう何もいわぬ。
そう、果てのない夢を見ている、 宇宙の砂粒を数えているといってもいい、 ひとつひとつ手にとって。 あるは、「それは途方もないことだ」とはじめからやらず あるは、「ぜんぶ砂だよ」とまたやらなかった、 まさにそのことだけど。 世界は変わらず、また途方のなさも変わりはない。 徒労と思わなくもないことも多く、「徒労だ」と言う人も多い。 しかし、ついやした働きの軌跡は確実に残り、あとに続くものを助けてくれる。 小一時間。それもいいだろう。だがきっと世界はあなたのインサイトを 待っているよ。
(^^)