三浦つとむって

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1初学者
専門家からはどう思われているのですか。
言語学からでも日本語学(国語学)からでもいいですが。
2:2000/10/26(木) 17:32
アカデミックな研究者には、多分、相手にされてない。
英語学で三浦理論にはまった宮下真二って人も、早く死んでしまったし。
3資料屋:2000/10/26(木) 19:10
以前、「時枝文法と認知文法」ってスレッドで、
三浦つとむ系の専門家(?)の人のサイトが紹介されてました。↓
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=gengo&key=959270589
どうやら弁証法信者らしくて、偏りがある気がして好感は持てなかったけど。
東大の国語学者だった時枝の理論ですら後世に残る業績は実質無きに近いのですから、
ましてや独学者として時枝説を発展させた三浦理論など、顧慮する専門家が存在する方が不思議。
認識論としても、いまだに唯物論・反映論では、現代哲学には太刀打ちできますまい。
4名無しさん@1周年:2000/10/27(金) 13:55
トンデモドキュン空手家の富樫宜資氏が三角形三段階関連区分理論で
見事に活用しています。
5ご参考まで:2000/11/22(水) 00:13
三浦つとむ著作一覧 ↓
http://user2.allnet.ne.jp/noz/MIURA/work.html
6名無しさん@1周年:2000/11/22(水) 09:23
「ソシュールvs時枝誠記」スレからの転載です。
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=gengo&key=960114148&ls=100
−−−−−

50 名前: どーでもいいことだが、 投稿日: 2000/11/21(火) 20:42

>46
三浦つとむを学術的に徹底して批判した文献というのは
存在するのでしょうか?
あればぜひ読みたいのですが。

>独学者故の偏見から自由でないために不当な結論に至ってる
これはおそらく三浦の理論そのものが根本的に誤りではない
という読みに基づくご意見なのだとは思います。
三浦の論は、母語話者の直観・内省による理論構築としては
かなり整合性はあるのだろうと思っています。
ただ現代扱われるトピックからするといかにもアナクロであると。
しかしアナクロであることイコール不当ではもちろんないわけで、
そのような理論において何が「正当」で何が「不当」なのかをきちんと論じることは、
お互いの立場を明らかにするためにも有効ではないかと思います。
なにより三浦の「偏見」を現在の理論で説明・補足もしくは否定できるならば、
それこそ現在の理論の普遍性を立証することにつながり、ます・・・よね。自信なし。

−−−−−
旧かなの人って現代人との意思疎通をする気がなさそうなのでちょっと。
現代日本の標準語でコミュニケーションが取れる方にお訊きしたいです。
7>6:2000/11/22(水) 13:48
>旧かなの人って現代人との意思疎通をする気がなさそうなのでちょっと。
 すごい偏見ですね(笑)。旧かなでも現代語であることに変りあるまいに。
 周知の通り時枝誠記は旧かな擁護派の首魁だったけど、時枝理論を継いだとされる三浦つとむは国語(表記)問題に対しては別意見だったのかな? 「批判的に継承」って奴でせうか。
8>6:2000/11/22(水) 14:58
http://user2.allnet.ne.jp/noz/TOKIEDA/Kokugogaku002.html
から引用。
……大野は時枝が本を讀まない学者であつた事を指摘し、「何につけても、ほんのいくつかのデータを持つと、その先は、「これは何だ、なんだ」と頭をかかへて考へ込み、追つていく。結果はいびつであつても何でも、血のつながつた一つの考へになる。」と評價してゐる。……(『日本語練習帳』69ページ)

 これ、大野晋は時枝を「評價」してゐるんでせうか。逆だと思ふ。師たる時枝に気を遣った婉曲な表現だけど、これは基本的に時枝批判でせう。『日本語と私』を読んでもさう思った。
 それは兎も角、で、これを引用したのはですね、三浦つとむにも当て嵌まる評言だと思ったからです。自己の考へに執着する結果、それなりに一貫性は保たれるけれど、「いびつ」な偏見から逃れられないといふ点が似てゐませんか。
 まあ三浦は時枝より読書家だったらうけれども、時枝のソシュール読解同様、何を読んでもコンテキストを考慮せず自分の先入主で裁断してしまふから、狭い偏見に囚はれたままで、せっかく本を読んでも視野が広がらない人なんですね、多分。
 時枝の場合も、京城帝国大学時代にこれまで不勉強だった古典、特に源氏物語研究に打ち込んで、それは篤学者として褒められることだけど、その成果として書いた論文の説は結局現在では否定されてゐる。つまり勉強家だし熟考もするけれど、自己完結的で他者に通用する理論にならない。その意味では時枝も、身はアカデミズムに在りながらも在野の三浦同様、独学者の弊に陥った人に見えます。
 類は友を喚ぶで、独学者は独学者を喚ぶ。これが時枝文法や三浦理論が一時期学界外に熱心な信奉者を生んだ理由ぢゃないかなあ、と。如何でせう。
9名無し象は鼻がウナギだ!:2001/03/13(火) 22:52
あげ
10名無し象は鼻がウナギだ!:2001/03/23(金) 17:43
>8
でもね、独学者でも松下とか三上とか三尾とか、今でも読み返すとはっとさせられるところも多くないですか?
独学者が独学者を呼ぶっていうよりも、やはりある程度の見識のある人たちからは相手にされなかったと考えるべきではないでしょうか。
でもまあ、チョーク芸者よりははるかにましでしょうが。
11名無し象は鼻がウナギだ!:2001/06/30(土) 15:22
関係ないけど「チョーク芸者」って何?
12名無し象は鼻がウナギだ!:2001/06/30(土) 15:38
「時枝文法を語る」スレッド↓
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=gengo&key=993608891&ls=50
13名無し象は鼻がウナギだ!:2001/08/12(日) 19:51
ご意見ありませんか。アゲ。
14名無し象は鼻がウナギだ!:2001/08/12(日) 23:27
8の人、旧字使ったり「思ふ」とかいうわりには「ゃ」「っ」などを使ってる。
なんか変。血肉になってないなら無理することないのに。
それはさておき。
三浦つとむは、認識と言語の理論ぐらいしか読んでいないので大きなことは言
えないけれど、あれは言語学(国語学)ではないと思いました。あえていえば
……哲学?
>>10
松下文法は、用語が独特なのでいかにも異端の独学っぽいけれど、今言う所の
形態素論から統辞論、(談話の単位としての)文成立論に至るまでを、見事に
体系化したすばらしいものだと思うのです、もっと評価されるべき。
15名無し象は鼻がウナギだ!:2001/08/13(月) 00:01
あげ
16名無し象は鼻がウナギだ!
>>14
舊假名だけど拗音・撥音は小書きといふ主張もあるのですよ。
それに>>8は引用以外で旧字を使ってゐないし。

ところで>>7とかぶりますが、三浦つとむは時枝の仮名遣ひ論をどう評価したんですかね? 黙殺?