立川健二って

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1名無しさん@1周年
どんな評価を受けているのでしょうか?
私は言語学を専門としてはいないのですが、
『現代言語論』『誘惑論』などは興味深く読めました。
しかし、「誘惑する立場」にどれほどの効果(研究にとって)があるのか分かりません。
研究するに足る論点なのでしょうか?
2名無しさん@1周年:2000/08/18(金) 04:33
立川健二は、言語学研究者よりは哲学読者向きではないか?
もちろん、それはそれで面白く読めるが。
しかし最近、ナショナリズムがどうとか出来の悪い思想評論を出したので
失望しました。
3名無しさん@1周年:2000/08/18(金) 09:27
山田広昭との共著『現代言語論』だけ読みましたが、
フランス系の言語論としては、よくできたテキストだと思った。
ショシャナ・フェルマンの翻訳とか水準の高い仕事してんじゃない?

>2
アレ、出来悪いんですか?
4>3:2000/08/18(金) 22:44
5:2000/08/19(土) 00:20
人間、不慣れな分野に軽率に手を出すと失敗しやすい。
立川氏には、つまらぬ哲学めかした評論を書く暇がある位なら、
本業に戻って、イェルムスレウ研究を邦文で出して欲しいものです。
6名無しさん@1周年:2000/08/19(土) 03:58
なんであんなにもろに柄谷の影響受けてんのかがわからん
71:2000/08/21(月) 11:54
>6
「誘惑する立場」(立川)と「教える立場」(柄谷)の事ですか?

>4
実物は未読ですが、イタそうな本ですねぇ。。
8:2000/08/21(月) 16:44
>7
もっとつまらないことなんですが、「われわれはソシュールの“可能性の中心”を読まなければならない」
とかいう言い回しをよく目にする(もしかしたら別のところから影響うけてるのかな?)

93:2000/08/22(火) 15:08
『発言者』で、『ポストナショナリズムの精神』をめぐって、
西部翁と話してました。
10名無しさん@1周年:2000/08/24(木) 15:30
誰。
NHKの英語バトルに出てくる「ディベートの達人」のこと?(俺って馬鹿)
11名無しさん@1周年 :2000/08/25(金) 18:08
師匠の丸山圭三郎の悪いとこ見習っちゃった人だね。
12>11 :2000/08/26(土) 03:11
具体的に書けよ。
知ったかぶり厨房クン(藁
13:2000/08/26(土) 16:00
11は、丸山圭三郎ファンなのかな?
14名無しさん@1周年 :2000/09/02(土) 04:26
「誘惑論」という立場・理論自体は批判されていないのでしょうか?
15名無しさん@1周年 :2000/09/02(土) 07:00
>14
柄谷はダメだって言ってたよ
結局あれも独我論だとさ
16>15 :2000/09/02(土) 14:07
柄谷はどこで批判しているのでしょうか?
もしよろしければ著作など、教えて下さい。
17>16 :2000/09/02(土) 17:29
『探求 I』。
ただし立川も『現代言語論』の注で柄谷の反論に触れ、
「教える立場」と「誘惑する立場」が対立しないと説いてたけど。
どっちにしろ、哲学はともかく、言語学には意義の無い論ではないかなあ。
181=14=16>17 :2000/09/04(月) 04:59
>どっちにしろ、哲学はともかく、言語学には意義の無い論ではないかなあ。

ご存知かと思いますが、一応立川の主張を繰り返しておきます。
立川は、「現代言語学批判」としての「誘惑論」である、と言っています(『誘惑論』第W章)。
現代言語学が拠ってたつエピステモロジーを一言で命名すれば、「聴く立場」と言える。
言語という対象を構築する際に、「聴く主体による意味の了解」という経験を前提としているのだ、と。
しかし、それではわれわれにとっての言語の”リアリティ”に答えることは出来ないのではないか。
例えば、恋人を誘惑する者にとっては、恋人との間に「言語ゲーム」(ウィトゲン)が成立しているかどうかは、
まったく確かではない。
「聴く立場」に立つ限り、われわれはこのような「他者」(柄谷の用語による。「他者とはわたしと『言語ゲーム』を共有しない者のことである」)
とのコミュニケーション、あるいは「ディスコミュニケーション」を思考する回路を断たれている。

このような問題設定は、言語学にとって意味の無いものなのでしょうか?

>ただし立川も『現代言語論』の注で柄谷の反論に触れ、
>「教える立場」と「誘惑する立場」が対立しないと説いてたけど。

『誘惑論』で再三柄谷に言及していたのは、そういった理由があったからなのですね。。
19名無しさん@1周年 :2000/09/04(月) 09:08
それは哲学だとおもうよ。
20>18 :2000/09/04(月) 12:48
言語道具観を批判する時枝誠記の言語過程説は、
言語の通じなさ、ディスコミュニケーションを強調するものでしたが。
しかし、その観点から言語理論を構築することには遂に成功しなかった
と見えますね。
21名無しさん@よーわからん :2000/09/04(月) 22:48
>20さん
18さんの投稿のどの部分が時枝に関係しているのか、そもそも
時枝・言語過程説がディスコミュニケーションを強調するものと言えるのか、とか
もう少しわかりやすくお話ししていただけるとありがたいっす。
2220>21 :2000/09/04(月) 23:25
「誘惑する立場」とは、コミュニケーションの成立しない不安、即ち
ディスコミュニケーションが言語活動の基本にあるとする論でしょ。
確か大野晋『日本語と私』に、戦中、時枝とよく議論した頃を回想してあって、
若き大野氏が「先生は言葉は通じるものと思ってるのですか、通じないもの
と思ってるのですか」と問うたら、時枝は「通じることもあるし、通じな
いこともある」と苦しい答を返したとのだとか。
戦後、時枝は『国語学原論 続篇』27〜8頁に、「言語過程説の伝達論は、
これを結論的に云へば、伝達の成立といふことは、極めて悲観的である
といふことである。(中略)一言にしていへば、言語は通じないものである
といふことである」と書きました。結局時枝はラングの存在を信じられなか
ったわけです。
23タバスコ(=21) :2000/09/05(火) 00:03
その時枝博士の「通じることもあるし、通じないこともある」って答え、
とてつもなく、笑える話じゃないのか?ギャグで言ってるとしか思えん。
さもなきゃ、俗人同様、答えに窮したときの言い逃れだわ(大笑)

>時枝は『国語学原論 続篇』27〜8頁に、「言語過程説の伝達論は、
>これを結論的に云へば、伝達の成立といふことは、極めて悲観的である
>といふことである。(中略)一言にしていへば、言語は通じないものである
>といふことである」と書きました。

これ、字義通りに受け取ればすごいこと言ってるね。時枝は言語はノイズと
同じと言ってることになってしまう。これはおかしい。じゃあ、緩めて解釈し
てあげて「言語では、伝えたい内容を100%正確に伝えることはできない」
と言ってると解釈しよう。これは正しい。でも、当たり前すぎて相手にならない。
小学生並。20さま、この解釈どこが間違ってるのでしょうか?


24名無しさん@1周年 :2000/09/05(火) 00:09
誘惑論って、オースティンの発話行為論とかヴィトゲンシュタインとか
語用論的な言語理論の展開でしたよね。
時枝誠記がそれらの先駆だと評価する人もあるみたいです。
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=gengo&key=960114148
<a href="http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=gengo&key=960114148&st=37&to=37&nofirst=true">参照</a>
25>23 :2000/09/05(火) 01:27
確かに、時枝の言説には論理的破綻があちこちに見られ、改修しないと、
そのままでは実用に適しません。かなりこちらが補って解釈してやる必要が
あります。時枝に入れ込む人にはその辺をやってみせて欲しい。

>時枝は言語はノイズと同じと言ってることになってしまう。
「ノイズ」とは、ヤコブソン式のコードとメッセージの言語論の用語ですね。
ヤコブソン流の言語理論では、コミュニケーション(伝達)の成立を常態とし、
その不成立(ディスコミュニケーション)はノイズに拠る変態と見なします。
一方、立川健二『誘惑論』とかバフチンとか柄谷行人『探求』の言語観は、
逆にディスコミュニケーションを常態とするので、コミュニケーションの
十全な成立はあたかも大海に浮かぶ小島の如きもの、一種の奇蹟的出来事
であり、コード(規則)はこの出来事(意味了解)の前提ではなく、事後的に
見出されるものにすぎないとされます。
たぶん時枝も、言語が通じないことを基本とした上で、通じる場合もあると
説きたかったのではないか――善意に解釈してやれば、ですがね。
26一橋経済OB :2000/09/06(水) 10:26
富山大学のHPでこの名前をみた気がするが、
同一人物?
271 :2000/09/07(木) 01:55
>20
時枝の「言語使用観」批判、「言語過程説」について分からないので何とも言えません。

>24
「誘惑論」とは、語用論的な観点が含まれているのでしょうか?
(語用論に詳しくないのでわかりません。浅学な身で申し訳ありません)

>25
ディスコミュニケーションを常態とする観点からの言語理論というのは、構築され得るのでしょうか?
構築され得るのか、という質問は変でした。
そういった研究は進んでいるのでしょうか?
ウィトゲン、バフチン、時枝が為そうとした事なのかもしれませんが、
それらの系譜を立川は受け継いでいる、と見ても良いのでしょうか?
(『誘惑論』には、バフチン、時枝の名前は特に強調されていなかったと記憶していますが)
28名無しさん@1周年 :2000/09/07(木) 02:41
語用論はべつにディスコミュニケーションを前提にしないのではないですか。
29>28 :2000/09/07(木) 04:16
>語用論はべつにディスコミュニケーションを前提にしないのではないですか。

どこにそんなことが書いているんだか。
このスレッドでの問題にするなら、
「誘惑論」はディスコミュニケーションを前提としているかどうか、
また、語用論的観点が含まれているかどうか、と言うべきじゃないか?
30名無しさん@1周年 :2000/09/07(木) 04:38
31語用論的転回 :2000/09/07(木) 08:02
23でタバスコさん曰く、
>これ、字義通りに受け取ればすごいこと言ってるね。
ところが、字義通り(=constative)に受け取らないのが、語用論的解釈って奴でして(笑)。
その意味で語用論の対象には、単なる理解や了解でない「曲解」「誤解」も含まれてくる。
これらを重視するなら、語用論はディスコミュニケーションと関係が深いと見て可なわけです。
32名無しさん@1周年 :2000/09/07(木) 15:26
>語用論の対象には、単なる理解や了解でない「曲解」「誤解」も含まれてくる
ていうのは具体的にはどういうことなんでしょうか。
33語用論的転回 :2000/09/08(金) 06:16
>32
語用論の対象は、発話文において必ずしも明示的でない「言外の意味」なのだから、
そこに誤解や深読みし過ぎがつきものなのは見やすい道理です。
具体的には、恋愛のコミュニケーションにはありがちな状況ですよね。
立川氏の「誘惑論」も恋愛モデルの理論であり、そこからディスコミュニケイティヴな
語用論を展開する試みと見ることもできます。
ただし、それが言語学に寄与できるかとなると……?
34トロ=1:2000/11/01(水) 08:41
かなり昔のスレですが、上げます。

>>15
柄谷が「誘惑論」のことを独我論だ、と否定するのは
・誘惑という行為も「教える−学ぶ」立場によって認識可能となる。
故に「誘惑する立場」は「教える−学ぶ」立場に先立つ事はできない
・「誘惑論」とは結局「私に通用することは全ての人間に通用する」という
独我論の域を出ないものである。
……この2点によるものだと思います。

要するに「誘惑論」とは独我論であり、また「教える−学ぶ」立場に先立つものでもない。
そういった柄谷の指摘に対し、「誘惑する立場」と「教える−学ぶ」立場は矛盾しない、
と立川は主張するのですが、あまり効果のある反論とはなっていないと思います。
35名無しさん@1周年:2000/11/02(木) 02:34
一見、次元が違うように見えるかもしれないけれども次元の違わない話を書きます。
けっきょく、立川の「誘惑論」というのは、自分が、女子学生に手を出したいがための
方便にすぎません。現代言語学サークルとかなんとかいう彼の取りまきをご覧ください。
まあ、実際に、女の子のほうだってオトナなんだから、べつにサークル活動自体、否定
なんかする必要もないんでしょうが、問題は、それが学に密接にからんだところで成立
しているということです。つまり、「誘惑論」なんていっていながら、そこには他者な
んかないのであって、たとえばそのサークルの女子学生たちが好んで、立川の「誘惑論」
を鵜呑みにした発表なんかをしているという現状を、皆さんはどう思われますか? つ
まり、まとめれば、誘惑それ自体には他者は存在するかもしれないけれども、「誘惑論」
は他者を排除するものである。言語学を含め、すべての学は、制度としてどのように成
立するのかということを見ていないと、とんでもないことになると思います。立川の場
合は、悲惨な形でそれがパロディ化しているんだと思います。要は、他者論の名を借り
たロマンティシズムであり、一言で言えば、出来の悪いクドキ文句にすぎません。まあ、
そんな理論にひっかかる(誘惑される)女子学生という市場がある以上、しかたがない
のかもしれませんが。なお、これを読んでいらっしゃるかたで、女性、あるいは女性主
義者のかたには、以上の発言が、女性一般を対象としたものではないということを理解
していただければと思います。問題は、セクシュアリティが疑似科学に包摂されてしま
うという危険、これです。みなさん、好きに恋愛してくださってかまわないんですが、
あのサークルは気持ち悪い……。
36留吉:2000/11/04(土) 03:37
「現代言語論」がわけ分からないのは、柄谷行人に依拠しながらも
彼の述語を使わなかったことだろう。そこに根本的な問題がある
と思う。
37:2000/11/04(土) 03:46
『現代言語論』、わかりやすいよ。
少なくとも柄谷よりは言語学をわかってる本だ(当り前で美点にもならんが)。
柄谷の反論と立川の再反論はどっちでもいい、呼称の問題でしかないっす。
38トロ:2000/11/06(月) 01:55
>>37
それって柄谷の反論に含まれる主張を無視することになるんだろうけど……
まぁ、確かに「立川スレ」には大した問題じゃない。
「誘惑論」についてのスレなら問題になるだろうけど。
39名無しさん@1周年:2000/11/06(月) 17:47
このひとはもともと何やってる人なの?
40小伝:2000/11/06(月) 19:54
>39
最初の方のレス読んだ?
丸山圭三郎に師事して『《力》の思想家 ソシュール』を書き、
コペンハーゲン学派(イェルムスレウ、ブレンダル)の研究に赴いたまではよかったが、
柄谷行人にはまって道を誤った人――それが立川健二です。
41名無しさん@1周年:2000/11/12(日) 07:15
鬱気味モテねらい学者という点で宮台と共通するって事ですか
42名無しさん@1周年
Chomskyは、言語は使わなければ完璧、とか言ってるらしいね。
一笑に付してしまうのは簡単だけど、根本問題への永遠の回帰。