ソシュールvs時枝誠記

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1名無しさん
どっちが偉いの?
2:2000/06/04(日) 23:50
時枝のソシュール批判はソシュールを誤解している、とか
なんか聞いたことがありますがあまり詳しいところはしらんです。
ソシュールのどの点をどう誤読して批判したのですか?
3名無しさん:2000/06/07(水) 17:20
ソシュールってだれ?
4名無しさん:2000/06/09(金) 22:36
演歌界なら北島三郎
漫画といえば鉄腕アトム
コスプレイヤーならルークとみちる

っていうぐらいに名前の知れてる言語学者だと思ってください。
5名無しさん@1周年:2000/07/03(月) 03:02
6名無しさん@1周年:2000/07/16(日) 20:44
蛇足ですけどこんなのも。

http://user2.allnet.ne.jp/noz/TOKIEDA/Kokugogaku001.html

東浩紀の本で出てた>時枝とかっていう人
8ひつじねこ:2000/07/17(月) 02:21
岩波書店からでてる
丸山圭三郎の
「ソシュールの思想」
って本になんか書いてあった
この本高いけど名著だよ
9名無しさん@そうだ選挙にいこう:2000/07/18(火) 03:36
私も読みました
名著だと思います
10名無しさん@1周年:2000/07/18(火) 22:51
丸山圭三郎はソシュールを誤読していて、それを鵜呑みにした
筒井康隆の小説『文学部・唯野教授』もまた同じ誤読をしています。
(と、読んだ当時は思ったものですが、はたして何をどう誤読したのか
覚えてない・・・言語学やってる人なら間違えないような取り違えだった
のです。どなたか覚えてますか?)
でまたその誤読がけっこうもっともらしい、理論の整合性という面から見て
けっこう「美しい誤解」だったように記憶しています。
11ひつじねこ:2000/07/19(水) 00:38
そうなんですか?
そうだったらショックです。
どのへんが誤読なのでしょう?
気になる…。
12名無しさん@1周年:2000/07/19(水) 03:04
シニフィエとシニフィアン
13名無しさん:2000/07/19(水) 06:27
時枝が小林英夫の誤訳のせいでソシュールを誤読して、それを丸山が指摘し
たんじゃなかったの?
14森洋介:2000/08/04(金) 05:03
 小林-時枝によるソシュールの誤読について、下記に触れてあります。
http://www.sfc.keio.ac.jp/~nysuzu/file1.html
15ミヤコ蝶々:2000/08/05(土) 16:34
時枝先生はかなり素敵な方だったみたいですね。
存命中に会いたかった・・・。
お葬式には、噺家の人が大勢いらしたそうで、飲み屋さんからの花輪がずいぶん届いたそうです。
で、個人的に好きなのは時枝先生。
でも、どっちのほうが学術的にスゴイかといったら、やっぱりソシュールなんでしょうね。
ラングとパロール、わらわら。
16森洋介:2000/08/06(日) 12:37
 藤井貞和『国文学の誕生』三〜四章が参考になりました。
 該書の書評が下記URLにあります。
 http://w3.mtci.ne.jp/~sangen/NewBook/B066.html
 書評者(百川敬仁氏)曰く、「時枝はたしかに西洋のソシュール言語を誤解し、
見当違いの批判を加えていたかも知れない。にもかかわらず彼の主張はじつは
ソシュールに通底し、日本語論の枠を越えて言語一般に妥当する見解をはらむ
再評価さるべきものだ、と著者[藤井氏]は言う」云々。
17時枝派:2000/08/09(水) 04:08
時枝誠記に對する批判的継承者として三浦つとむがをります。三浦さんがどのやうに時枝
博士の學説を修正してゐるかを把握してから、ソシュール學派の人は言語過程説批判をす
る必要があります。

『言語過程説の研究』で川島正平氏は、三浦つとむ氏が時枝學説を繼承しつつ、
「ソシュールのラングとパロールの對立を止揚して、兩者を統一した過程的構造圖式を提出した」
と書いてをられます。

http://kotoba.port5.com/logfiles/kotoba_200007_1.html
http://kotoba.port5.com/logfiles/kotoba_200007_2.html
18名無しさん@1周年:2000/08/12(土) 10:16
 三浦つとむ経由で時枝文法を論じる一派は、なぜか不思議に英語屋さんが
多く(ひょっとすると国語学者以上に)、その所為なのか、時枝の言語過程説
はソシュール言語学よりはチョムスキー式の生成文法理論に接近させられて
ゐるやうに見受けられます。印象に過ぎませんが。
 三浦つとむの弟子に宮下真二といふ英語研究者がゐたとも聞きますが……。

 まあ、日本語のことしか考へ(られ)なかった時枝誠記と英語しか頭にない
チョムスキーとが理論的親和性を持つのは、うなづけないでもない――のか
なあ?
19>18:2000/08/13(日) 14:49
>時枝の言語過程説はソシュール言語学よりは
>チョムスキー式の生成文法理論に接近させられて
えー、おもしろい。三浦つとむとチョムスキーか・・・・
具体的にどういう所が接近してるのですか。
でも、別に英語屋さん全てがチョムスキーを受け入れているわけではないと思います。
>日本語のことしか考へ(られ)なかった時枝誠記
時枝って、ソウルの京城帝大で教えてたんですよね。朝鮮語はできなかったのかな。
私は、話者の主体的な判断とか意味付けを重視する点で、時枝文法と認知文法の類似性を考えたんですが。
20森 洋介:2000/08/13(日) 19:35
>18・19
 岩波が出した言語学の講座物の中に、例の時枝の入子型構造図式をチョムスキ
ー流の枝分かれする句構造分析に直してみせる論があって、両者の共通性と時枝
理論の再評価を示唆したものだったと記憶します。しかし、たまたま図書館で手
に取って目を通しただけなので、論の細部や筆者名は忘却の彼方です。その後、
確認しようと図書館へ行っても、該当する巻が借りられっぱなしだし。
 不確かな情報ですみません、正直、チョムスキー派の言語学には興味が持て
ず、無知同然なのです。「認知文法」もよく判りません。逆にお尋ねしますが、
認知文法とはチョムスキーの所謂「認知革命」とは関係無いのですか? チョム
スキーに対して異説を立てたと見るより、「批判的継承」と見做せばよいので
すかね? また、ソシュールとチョムスキーでは相容れない面はないのですか?

 三浦つとむによれば、既に『ポール・ロワイヤル文法』で、語を主体的表現
と客体的表現と(鈴木朖-時枝の「詞」と「辞」とに相当)に区別する主張がある
のだとか。『日本語はどういう言語か』(講談社学術文庫)79頁参照。
 とすれば、『ポール・ロワイヤル』をデカルト派言語学の範としたチョムスキ
ー派の言語学が、時枝誠記の言語過程説に似通ってきても不思議は無い……?
21名無しさん@1周年:2000/08/15(火) 08:45

>17=野嵜
だーっっ!『言語過程説の研究』の紹介かと思ってリンク先に飛んだら、旧か
な馬鹿の野嵜の所じゃないか!お前、言語学板に書き込む資格があると思って
んの?お前は自分の立脚点を問われると「国文出身じゃないのでわかりません」
とか一度もまともに答えないじゃないか。そういう奴がよその板に出てくんじゃ
ねえ。お前の言う伝統とか正統とかの基準と、なぜそう考えるか理由を明らかに
してから出てくるのが筋じゃないか?
しかしお前、相変わらず非論理的な文章書いてるな。自分が知りもしないこと
をなぜあんなに断定できるのか、謙虚な俺にはとてもじゃないが理解できない。
わざわざ他所の板にリンク張って自分の馬鹿さ加減を喧伝する趣味も理解でき
ないけどな。
「國語學」對「言語學」読んだぜ。感動的なまでに馬鹿な文章なのでURLも晒し
といてやろう。馬鹿とはいかなる物か、現物を見たい人はこちらにどうぞ。
http://user2.allnet.ne.jp/noz/TOKIEDA/Kokugogaku001.html
以前、お前は俺とのやり取りで「言語は使用者のものではない」と名言を吐い
てるが、なんでそういう奴が時枝派なんだ?お前は時枝を読んでないか、読解
力がないか、どちらか乃至両方である事が見え見えだ。

>日本人は深く物事を考へるのが嫌ひだから、單純化された話が大好きなのである。
馬鹿。單純化された話が大好きなのはお前じゃないか。「日本人は」なんて一般
化するな。
「現代思想」94年8月号「<日本語>の現在」特集で、亀井孝と田中克彦が師弟
対談をやってるのだが、そのなかで亀井氏はこう言ってる。
「彼(時枝)は日本語の歴史の研究は国語学の外に出しちゃうんです。・・・
その点では、ソシュールを否定しようとする時枝さんの立場は、要するに共時
論です。」(38ページ)
歴史言語学じゃ言語はわからん、共時態で考えなきゃってのがソシュールの主
張の肝だろ?とすると、時枝とソシュール、十分共通してるじゃないか。知ら
ないことには口を出さない方がいいぞ。早く自分の馬鹿板に帰って自慰してなさいね。
>all
上の対談で、田中氏は「ホケットを見ると、こりゃ時枝さんだと思います。ホ
ケットを知ってるとチョムスキーはそれほど新しくは見えませんね。時枝さん
が日本語で書いてなければ、もうすこし国際的評価を受けたかもしれません」
(42ページ)と言ってますが、ホケットって誰ですか。ご教示頂ければ幸いです。
2219=21=baka killer:2000/08/15(火) 08:49
>20
森 洋介様、丁寧なレスありがとうございます。
私は時枝の本は読んだことがないので、なんとも申し上げられませんが、
憶測のみ。
チョムスキーの論理には「主体」などというものが出てくる余地は全くないと
思います。言語観がぜんぜん違うのではないでしょうか。チョムスキーに近い
というなら、むしろソシュールの方が時枝に似てる所が多いのでは?

>認知文法とはチョムスキーの所謂「認知革命」とは関係無いのですか?
>チョムスキーに対して異説を立てたと見るより、「批判的継承」と見做せば
>よいのですかね?
どうも、認知文法は生成文法に対抗して出てきたようです。意味と切り離され
た、自律的な文法というのが生成文法の対象のようですが、認知文法は、意味
と文法は切り離せないという考えらしいです。で、言語を使う主体の認知過程
によって、意味が生まれてくる。こういう主体重視の立場が時枝文法と似てる
と思ったのです。
チョムスキーの所謂「認知革命」というのがどういうものか、よくは分かりま
せんけど、コンピュータをモデルにした認知科学や神経生理学的な認知科学・
認知心理学は生成文法と親和性があるのではないでしょうか。機械翻訳とかで
は、生成文法の寄与は大きいと聞きます。東大出版会の「認知心理学3言語」
や萩原裕子氏「脳に挑む言語学」(岩波)とか読むと、生成文法にあらざれば
言語学にあらず、認知文法?逝ってよしという感じです。同じく認知という冠
を付けてるのに、ややこしいですねー。

以前、この板で「時枝文法と認知文法」というスレッドを立てたことがありま
して、そこで、古賀恵介さんという福岡大学の英語学科の先生のサイトを教え
て頂きました。
http://amigo.hum.fukuoka-u.ac.jp/koga/index.htm
古賀氏はこう言っています。
>認知文法(Cognitive Grammar)理論は、アメリカの言語学者 Ronald W.
>Langacker(ラネカー)によって1980年代後半に提唱された文法理論です.
>それまで(まあ、今でもそうですが)理論言語学の中心を占めていた生成文
>法理論の形式主義に対して、意味分析を中心に置く文法理論として登場し、
>その後少しづつではありますが、支持者の範囲を拡大していっています。
>実は、(こんなことを言うと驚く人が多いかもしれませんが)認知文法理論
>は、言語過程説の発展形としての性格を持っています。・・・・・・・・
>Langacker の "Nouns and Verbs" (1987) や Foundations of Cognitive
>Grammar vol. 1 (1987) を1990年頃に読んだときには大きな衝撃を受けまし
>た。そこには、言語過程説の原理的立場を、その本家とは全く独立に、
>構造論的に見事に具体化した文法理論が展開されていたからです。
掲示板もありますので、こちらでお聞きになってはいかがでしょうか。
私はちょっと恥ずかしいので、ロムばかりですが。

>ソシュールとチョムスキーでは相容れない面はないのですか?
うーん、どうなのでしょうか。ソシュールによって言語学がそれ自体として
成立したというのは、言語学の対象を言語そのものとした上で、どうすればそ
れに接近できるのかという、そういう方法的な問題を彼が初めて考えたからで
はないでしょうか。で、それまでの歴史言語学では言語そのものには近づけな
いとして、他の学問から独立した、言語学固有の領域をうちたてたと。そうい
う、言語そのものへ向かうという指向は、チョムスキーに限らず、ソシュール
以降の全ての言語学に共通していると思います。
ただ、ソシュールが言語学の対象としたラングは歴史が捨象されていました
が、チョムスキーが対象とする文法には、歴史は勿論、主体も社会もありませ
ん。チョムスキーの文法はラングに関わるのでなく、人類一般のランガージュ
の問題だと理解しているのですが、こうした理解でよいでしょうか。

ところで、野嵜の掲示板を見ましたが、森様にはさぞ徒労感を感じておられる
ことと推察します。私もそうでした。あそこに書くのでしたら、この言語学板
に書かれる方が余程ましでしょう。言語学板には確かに馬鹿も多いですが、専
門の方も居られます。しかし、野嵜の掲示板に居るのは馬鹿だけです。無論、
ここよりも、上に挙げた古賀先生の掲示板をお勧めします。
23森 洋介:2000/08/15(火) 13:28
▼>22
 お名前が「19=21=baka killer」とありますが、失礼ながら、本当に同
一人物なのか疑念を持たざるを得ません。
>私は時枝の本は読んだことがないので、なんとも申し上げられませんが、
 読んだこと無しに19や21の如きご発言をされたのですか? ご謙遜が過ぎるの
か、冗談なのか……。
 また、私も歴史的仮名遣実践者です(拗音は小書きにしますが)。野嵜氏と何が
あったのか存じませんが、「旧かな馬鹿」なる罵倒語を挿まれると内心穏やかで
はありません。表記法への嫌悪感は抜きにして論じて戴けませんか。

>チョムスキーの論理には「主体」などというものが出てくる余地は全くないと
>思います。
 チョムスキーは、ブルームフィールド以来の行動主義的・経験主義的なアメリ
カ言語学による心理主義の排斥を、再び言語を生成する「精神」に目を向けさせ
る大転換をなしたとされます。丸山圭三郎によれば、チョムスキーの表層構造/
深層構造はフンボルトの敷き写しであり、ドイツ観念論における“主体=精神”
図式、言葉に先立つコギトを認める形而上学の再来だと批判されます。
 どうやら主体と言っても、ソシュールと時枝とチョムスキーとでは、それぞれ
重なるかに見えて微妙に異なるらしい。ややこしいことです。

 猶、川島正平『言語過程説の研究』(リーベル出版、1999)の紹介は下記にあり
ました。いづれも短文ですが、ご参考まで。
 http://www.liber-press.net/maegaki3.htm
 http://www.jssst.or.jp/jpling/sinkan_syokai.html
24三浦つとむの後継?:2000/08/15(火) 13:38
三浦や時枝らの理論を検討して書かれたのが
吉本隆明の「言語にとって美とはなにか」
だと思いますが、どのように評価されてるのでしょうか。
25名無しさん@1周年:2000/08/15(火) 13:58
> 岩波が出した言語学の講座物の中に、例の時枝の入子型構造図式をチョムスキ
>ー流の枝分かれする句構造分析に直してみせる論があって

岩波講座「言語の科学」第5巻の「国文法」の章で金水敏というひとが
時枝の入れ子構造を
 a.句→詞-辞
 b.詞→句-詞
という2つの句構造規則と等価だとしてますが、これでしょうか。
それによるとこの規則は
「実質的に生成文法における投射や付加の考えを含むもので,
こうして見ると時枝文法は驚くほど生成文法に似ていることが分かる.」
そうです。また、
「なお,時枝文法が生成文法的であるという指摘は,水谷(1983)や郡司(1990)にもある.
念のために言うと,時枝の『国語学原論』(1941)はN.ChomskyのSyntactic Structureより16年早い.」
とか。
26名無しさん@1周年:2000/08/15(火) 14:56
>24
 川村湊の『言語にとって美とはなにか』評は以下の通り。
「ソシュールの言語学や構造主義、ヌーヴェル・クリティックなど
がまだ思想的地平にのぼっていないころに、独力で"言語"の考察か
ら始めて文学原理論を打ちたてようとした吉本隆明の試みは、小林
秀雄が近代批評をつくりあげた功績と匹敵する重要さを持っている
かもしれない。
「構造主義言語学やその後の記号論の舶来輸入の知識によって吉本
・江藤の理論的限界を語ることや、そのレベルの低さを笑うものは、
こうした知的後進国の知識人としての分限をわきまえない"極楽と
んぼ"ということになるだろう」
 ――『別冊宝島52 現代思想・入門II 日本編』所収

 でも、これって逆に、構造主義以降の理論から見れば、吉本の言
語論はもう全然ダメってことではありませんかね。
27時枝派:2000/08/16(水) 01:10
時枝派(≠野嵜さん)より21のバカへ。
ソシュールには根本的に問題があります。それは時枝學説によっても明らかです。
http://user2.allnet.ne.jp/noz/Saussure/001linguistique.html
時枝博士をソシュールと一緒にしないでいただきたい。
あの田中克彦の師匠の言ふことなど信じる方がどうかしてゐる。

28>19:2000/08/16(水) 11:13
>時枝って、ソウルの京城帝大で教えてたんですよね。

いまさら何を。
安田敏朗『植民地のなかの「国語学」 時枝誠記と京城帝国大学をめぐって』を読むこと。
http://www.linelabo.com/koku9906.htm
http://www.kobysh.com/tlk_old/books1.htm

ま、チョムスキー言語学と英語支配の構造、時枝国語学と植民地国語強制、
この二つがパラレルってのはあるかもね。 >18
29>21:2000/08/16(水) 12:44
>上の対談で、田中氏は「ホケットを見ると、こりゃ時枝さんだと思います。ホ
>ケットを知ってるとチョムスキーはそれほど新しくは見えませんね。時枝さん
>が日本語で書いてなければ、もうすこし国際的評価を受けたかもしれません」
>(42ページ)と言ってますが、ホケットって誰ですか。ご教示頂ければ幸いです。

 コーネル大学教授のチャールズ・F・ホケットは『言語学の現状』(1968)で
チョムスキーを批判した。田中克彦の発言は何か間違ってないか。
30名無しさん@1周年:2000/08/16(水) 13:17
吉本は自分がソシュールをよく理解していなかったといって
『言語にとって美とはなにか』が失敗作であることを認めた。
31名無しさん@1周年:2000/08/16(水) 20:24
>ホケットって誰ですか

私も良く知りませんがアメリカ構造言語学の人っぽいです。
今日読んでた本にホケットの言語観を表しているらしい文章
があったので引用しておきます。
(「構造主義の言語学」ジュリオ・C・レプスキー、大修館1975、117ページ)

「ホケットはどんな物理的体系も明確には定義されてはいないのであって、
明確に定義された体系は人間の知性による発明であると述べている。
数理あるいは代数言語学は自然言語の研究には非関与的である。
自然言語は明確には定義されていないからである。
しかし彼はなぜ物理的な諸現象の研究にとって必要な数学の理論(科学的抽象)が、
言語という自然現象を研究する言語学のような経験科学には用いてはならないのか
説明していない。」
3219=21=22:2000/08/17(木) 00:02
>23
森様
お疑いになる理由がよくのみ込めませんが、本当に19=21=22です。
論旨の一貫性はご理解いただけると思います。
恥ずかしながら正直な話、時枝の本は読んだことがなく、概説書による知識な
のです。したがって断定的な物言いは避けておりますが、私の理解に間違いが
ありましたらご叱正ください。まあ、野嵜のような論外の読解はしていないと
は思いますが。
>「旧かな馬鹿」なる罵倒語を挿まれると内心穏やかではありません。
これは森さんに対して言ったのではありません。野嵜とその同調者に対しての
罵倒です。森さんであれ野嵜であれ、どなたがが旧かなを個人的に使う事につ
いては私が容喙すべき事ではありませんが、制度として復活させるべきだとい
う主張には、私は断固として反論します。このスレッドでは論じませんけど。
>ドイツ観念論における“主体=精神”
ああ、そういう意味なら、確かにチョムスキーのは「主体」ですね。
しかしこれは、時枝のいう主体とはかなり違うのではないでしょうか。
川島正平氏の本、面白そうですね。別スレッドで柄谷行人の論文が紹介されて
いましたので、まずそちらを先に読んでみます。
3319=21=22=baka killer:2000/08/17(木) 00:04
>27の馬鹿へ
時枝派ってのはやめろよ。いくらなんでも時枝に失礼だ。
野嵜じゃないとしたら、木村か。ま、たいして変わりはないが。
http://user2.allnet.ne.jp/noz/Saussure/001linguistique.html
いやあ、謹んで笑読させていただきました。

>language : ランガージュ(人間の持つ普遍的な言語能力)「言語能力」
>lang : ラング(共同體の共通形式的言語體系)「言語」
のっけから痛いぞ。間違いは誰にでもあるが、ソシュールを論じるページで、
language、langはちょっとな。早く訂正してな。

>記號の「關係性」。言語はコミュニケーションの手段ではなく世界を分節して了解する爲のメディアであり、人間が世界を作る爲の道具である。

>話し言葉と書き言葉の二重性に關しては、話し言葉を善玉、書き言葉を惡玉と見做すべきである。

これが「ソシュールの祖述」ってか。

>ソシュールの「言語學觀」を成立たせてゐる要因には、それこそ矛盾する樣々な側面がある。ただ、ソシュールが言語の二重性を認め得ず、一方を無闇に切捨ててゐる事實は誰にも否定派できないだらう。ソシュールが、文獻學や比較言語學、或は「樣々な側面を含んだ言語」そのものの研究を排除し、ひたすらに純粹な獨立した學問としての「言語學」を成立させたがってゐた事は明かである。

んで、これが「ソシュールの「言語學」に對する批判」か。
いい度胸だ。でも、こういうことは電波板で言ってね。

>あの田中克彦の師匠の言ふことなど信じる方がどうかしてゐる。

くっだらねえ事をこいてんじゃねえ馬鹿野郎。田中のどこが問題なのか、
亀井のどこが問題なのか、内容を具体的に展開してみろ。死ね。
3419=21=22 :2000/08/17(木) 00:06
>29
>コーネル大学教授のチャールズ・F・ホケットは『言語学の現状』(1968)で
>チョムスキーを批判した。田中克彦の発言は何か間違ってないか。
ご教示ありがとうございます。『言語学の現状』のチョムスキー批判、
どういう内容なのでしょうか。
3534:2000/08/17(木) 00:11
すみません、書きもらしました。
田中氏の発言は、時枝とホケットの類似を指摘したのですが、本当に似てるの
でしょうか。
3629:2000/08/17(木) 01:24
>34
ジョージ・スタイナー「人語はさまざま」(『脱領域の知性』河出書房新社)所引。
かなり根本的にチョムスキーに疑問を突きつけたものだった。
「ホケットを知ってるとチョムスキーはそれほど新しくは見えませんね」(田中克彦)
との発言だが、ホケットをチョムスキーの先駆と見るのは解せない。
37語用論的転回:2000/08/17(木) 13:33
時枝誠記の言語過程説は、語る主体を重視する点では
却ってソシュールとの通底が指摘されるのは確かです。
http://www.bun.kyoto-u.ac.jp/phil/pros/02/shibata1.html
また、特に主体(話し手)と「場面」との関係に注視する点では、
オースティンの発話行為論やバンヴェニストのディスクール論など
語用論的な言語理論の先駆だったと見る説もあるみたいです。
38論理学者:2000/08/18(金) 13:46
 これまでの議論から次の命題群が抽出される。

時枝はソシュールを否定する。(6・17→川島正平)
時枝はソシュールを誤解した。(8・14→丸山圭三郎、5→柴田健志)
時枝はソシュールと通底する。(16→藤井貞和、21→亀井孝)

時枝はソシュールと通底する。(37)
時枝理論はバンヴェニストのディスクールの言語学の先取りだ。(37→?)
バンヴェニストのディスクール論はソシュール批判の上に立つ。(通説)

時枝文法は生成文法に似ている。(25→金水敏ほか)
認知文法は生成文法に対抗する。(19=21=baka killer、通説?)
時枝理論は認知文法に発展する。(22→古賀恵介)

 以上の諸命題における矛盾を整理して記述せよ。
 ただし「弁証法的に止揚」といった三浦つとむ用語による解決は認めない。
39名無しさん@1周年:2000/08/19(土) 22:47
>38
要するに、なんか時枝って支離滅裂なんでないかい?

40>24:2000/08/22(火) 16:48
>三浦や時枝らの理論を検討して書かれたのが
>吉本隆明の「言語にとって美とはなにか」
>だと思いますが、どのように評価されてるのでしょうか。

吉本は「詞と辞が連続する」観点から時枝理論を再解釈しようとしたが、
まだ存命だった時枝本人によってただちに反論を受けました。
「詞辞論の立場から見た吉本理論」『日本文学』1966年8月号

時枝誠記は後継者を育てるのに成功せず、その意味では一代限りの学説ではないか?
41名無しさん@1周年 :2000/08/29(火) 20:33
>37
美学の佐々木健一氏にバンヴェニストと時枝誠記をならべて論じたものがあり、
オースティンとサールの議論をバンヴェニストの仕事と結びつけ、
それらの言語行為論が日本語の表現行為にも妥当かを問題にした論文、だとか。
1975年に東大の紀要に載ったんだけど、でも仏文で書いてあって読めやしない。
‘Expression subjective et performatif en Japonais―Tokieda et Benveniste――’
佐々木氏、どっか別の所で日本語で内容を述べてくれてないんですかね。
42名無しさん@1周年 :2000/09/09(土) 13:32
>>17 >>32
川島正平って人、本人が掲示板に書き込みしてる。↓
 http://www.tcup5.com/543/No_Z.html
「ソシュール信者の中には、ソシュールの「手稿」や「新資料」を盾に時枝や三浦を批判する人たちがいますが、傍から見ていると滑稽です。」だって。
43名無しさん@1周年 :2000/09/18(月) 22:58
今月の『文學界』という雑誌で、柄谷がやってるね。
ソシュールとか時枝誠記。
44名無しさん@1周年 :2000/09/21(木) 19:33
いまさら柄谷行人ですか?
私もざっと読みましたけど、むかし丸山圭三郎のとの対談で言ってたこと以上の収穫はありませんでしたね。
45名無しさん@1周年 :2000/09/22(金) 17:46
て有価、「エクリチュールとナショナリズム」でいってることとあんま変わんない。
英語をもとにして国際語をつくればうまくいくんじゃないか、とか
ソシュールは言語学者であることをやめて言語哲学者になったのだ、とかいうのは
つまらないこという人だな、と思った。
46匿名批評 :2000/10/07(土) 17:34
>>17>>32>>42
 川島正平『言語過程説の研究』(リーベル出版)、取り寄せて見ましたが、どうもソシュール理論をよく理解できてない感じですね。
 科学認識論(アルチュセールでもいいから)の見地が無いと、『講義』みたいな原論は正しく読み解けないのですがねえ。
 音韻論に関してもメンタリズムばかりで分布主義への考慮が無いし。
 総じて、三浦つとむ同様、独学者故の偏見から自由でないために不当な結論に至ってるのは、惜しいことです。
47>42:2000/11/20(月) 05:23
最新刊の、町田健『日本語のしくみがわかる本』(研究社)が、
時枝誠記のソシュール批判はアカンって論じとったで。
 http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=gengo&key=974365263
48名無しさん@1周年:2000/11/21(火) 15:26
>47

町田健著『日本語のしくみがわかる本』によると
時枝のソシュール批判は、

1.時枝の、ソシュールへの誤解の基づく。
つまり、ソシュールが便宜的に規定した「ラング」を
絶対的なものと言い換えて、批判した。
2.彼の「言語過程説」はまさにソシュールが主張している理論と
同じなのに、彼はそれに気づいていない

と強烈に批判しています。

ボクは町田氏の意見が正しいと思うけどね。
読んだ人は感想をくれるかな。
(それより、『日本語練習帳』批判のほうが
身も蓋もなくておもしろかったけどね。)
49匿名批評:2000/11/21(火) 16:22
時枝のソシュール批判が誤解に基づくってのは、
つとに服部四郎に散々指摘されたんですけどね(『言語学の方法』所収)。
でも時枝(及び時枝派)には通じなかった(通じてない)みたい。
なんか両者は根本からズレて噛み合ってない気がするんですよね。
今度の町田健の論が、かつての服部-時枝論争をも越えて
時枝派にも届く批判となってることを期待したいけど……。どうかなあ?
>>38のまとめも参照)
50どーでもいいことだが、:2000/11/21(火) 20:42
>>46
三浦つとむを学術的に徹底して批判した文献というのは
存在するのでしょうか?
あればぜひ読みたいのですが。

>独学者故の偏見から自由でないために不当な結論に至ってる
これはおそらく三浦の理論そのものが根本的に誤りではない
という読みに基づくご意見なのだとは思います。
三浦の論は、母語話者の直観・内省による理論構築としては
かなり整合性はあるのだろうと思っています。
ただ現代扱われるトピックからするといかにもアナクロであると。
しかしアナクロであることイコール不当ではもちろんないわけで、
そのような理論において何が「正当」で何が「不当」なのかをきちんと論じることは、
お互いの立場を明らかにするためにも有効ではないかと思います。
なにより三浦の「偏見」を現在の理論で説明・補足もしくは否定できるならば、
それこそ現在の理論の普遍性を立証することにつながり、ます・・・よね。自信なし。
51名無しさん@1周年:2000/11/22(水) 00:05
age
52>50:2000/11/22(水) 00:17
「三浦つとむって」スレッドでも聞いてみたら?
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=gengo&key=972470160
53>50:2000/11/22(水) 00:23
「三浦つとむって」スレッドでも聞いてみたら?
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=gengo&key=972470160
54名無しさん@1周年
>50 匿名批評

そうなんですか。
服部四朗先生がちゃんと指摘していたんですね。
町田さんの書き方は本当にわかりやすく
一般の人も(自分のことだが)理解してくれんだろうと思います。