1 :
名無しさん:
言語が世界共通であれば外国語を学ぶ必要も無いし、翻訳も必要ないので
政治、経済、科学などあらゆる分野において効率的だと思うが…
なぜ多数の異なる言語が発生し、現在に至っても統一されないのか?
まずエスペラント語を検索し、勉強してください。
その後、スレッドをたててみましょう。
3 :
たしか:2000/05/28(日) 02:31
聖書に理由が書いてあったと思うぞ。
4 :
名無しさん:2000/05/28(日) 08:13
>1
非常に簡単なことです。
なぜ生物には色々な種類があるのか?なぜ人間は一人づつ顔が違うのか?
生物は有性生殖以来、多様性を獲得して発展しました。
同様に、多種の言語がある御蔭で人類は多様な思考様式を持ち、
多様な思想・多様な技術・多様な発明、要するに多様な文明を生み出しました。
そして文明と文明の相互影響・切磋琢磨が人類を発展させました。
だから言語の数は多い方が良いのです。少々の不便は我慢しましょう
5 :
名無しさん:2000/05/28(日) 13:20
逆に、人類の種が多様に見えてもみな交配が可能であること、
そしてどの亜種も一様に言語を所有していること、
その構造がいずれも音声・音韻・語彙・意味・シンタクスを持つ
と言う点で基本的に同じ構造をしていることなどのほうが不思議に見えます。
バベルの塔なんか建てるからだよ
7 :
名無しさん:2000/05/29(月) 12:33
>6
そだね。
8 :
名無しさん:2000/05/29(月) 19:50
4です。
バベルの塔の話は、ユダヤ教やアラブ地域の唯一絶対神の思想が現れてます。
神がある日突然人間を作ったのに、なぜ言語が統一されないのか、というわけです。
彼らの考えでは、異人種というのもすべて本来的な姿ではなく、
本当は神の民・ユダヤ人に統一される筈だというわけでしょう。
その思想に洗脳された西洋人は世界帝国建設を目論見ました。
つまり中華思想の一種ですね
9 :
名無しさん:2000/05/30(火) 18:47
住む場所が違うからです。
10 :
名無しさん:2000/05/31(水) 02:50
日本が戦争に負けたからです。
11 :
名無しさん@1周年:2000/07/05(水) 01:12
あげ
12 :
>1:2000/07/05(水) 08:05
なんで方言が生まれたの?(質問に質問で返してみたり)
13 :
名無しさん@1周年:2000/08/16(水) 05:39
uytf
14 :
名無しさん@1周年:2000/08/16(水) 09:30
我、天より降りてかの人々のたつる街と塔を見たまえり。
いざ、我等くだり、かしこにて人々の言葉を乱し、
互いに通ずることをえざらしめん。
故にその名はバベルとよばる。
15 :
多にして一:2000/08/16(水) 12:05
多数の異なる言語が存在する――この現実を軽視したのがチョムスキー
理論最大の難点ではないか。
「チョムスキーもまた、アダムとその子孫により全地一つのことばが話され
ていたがバベルの塔の事件でその一つのことばは失われ粉々に分かれたという
あのまばゆい仮構(フィクション)を、魔法の力で呼び出しているかに見える」
と、ジョージ・スタイナー「人語はさまざま」は指摘しました(『脱領域の知性』所収)。
チョムスキアン、以て如何とす。
スタイナーは『バベルの後に』もおすすめ。
16 :
一にして多 :2000/09/18(月) 11:44
ウンベルト・エーコ『完全言語の探求』も面白い。
17 :
名無しさん@1周年 :2000/10/14(土) 21:39
>>12 鹿児島地方の薩摩弁はスパイ防止策だったとか
18 :
名無しさん@1周年 :2000/10/14(土) 22:09
9さんのでいいんじゃないの?
>15さん
「多数の異なる言語が存在する――この現実を軽視したのがチョムスキー
理論最大の難点ではないか。」
軽視できない事実でしょう。誰でも分かる事実。軽視してたら、そんな理論、
即、潰れてたでしょう。多様な言語、複雑な言語事実があって、そいつを
記述できる文法を書かなければならない。しかしその一方で、書いた文法が
短期間に、しかも成員に均質的に習得される事実も説明できる理論にしなくちゃ
いけない。そういった緊張関係を常に問題の中心と考えてきた点は、むしろ
生成文法の最大の長所だと思います。
19 :
>18 :2000/10/14(土) 22:34
これはチョムスキーのスレッド↓でも述べられてることだけど、
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=gengo&key=953488260 生成文法には英語中心主義があって、多数の言語への目配りが足りない。
「生成文法の見方で他の言語も記述されていますが、英語と比べればまったく問題になりません」(マリナ・ヤグェーロ)
チョムスキーは言語学者ってよりも英語学者だとの説もある位。
それに、確かジョージ・スタイナーのチョムスキー批判の要点は、
ナゼかくも多数の異なる言語が生まれたかの説明が無い、って点だった筈。
多から一への帰納はあっても、一から多への展開を理論づけてくれない。
それを「住む場所が違うからです」で済ませようってのは、お手軽過ぎませんか。
20 :
19 :2000/10/14(土) 23:26
21 :
18>19 :2000/10/14(土) 23:55
僕はスタイナーを読んでいません。ヤグェーロも。ですから、勘違い
のことを言ってるのでしょう。スタイナーが「なぜかくも多数の異なる
言語が生まれたのか」について、どのような説明をしているのか不勉強
なので、お教えいただけるとありがたいです。
現在の生成系の専門誌を見ると8割は英語以外の言語を対象としている
論文です(Linguistic Inquiryなど)。生成文法はチョムスキーが
英語の母語話者だったこともあり、英語の分析が一番進んでいます。
そのため、他の言語の分析で何か提案があると、「では、英語のこの現象は
どうなるんだ?」との疑問がすぐに出てきます。その意味で、
「英語中心主義」との印象を持たれるのかも知れません。しかし理論の
構造上(普遍文法を標榜するという構造上)英語以外の言語の分析からの
議論は、英語の構文の分析からの議論とまったく同等の資格を持っています。
生成文法では、ご存じの通り、基本的には言語は、種としての人間が生得的に
持っている言語に関する脳の機構に由来する能力ですので、一つです。言語の
多様性は語彙の恣意性と(悪名高い?)パラメーターで説明されます。
もちろんこれは研究途上なので、まだまだ、漏れがあるのは事実です。
むしろ「漏れ」がなかったら、もはや研究する必要がなくなり、定説(要するに
「死んだ理論」)になってることでしょう。
人間が常に新しい表現、人と違う言い方を求め、作り出すのは、この
2chを見ても明らかです。地理的に離れていれば、そのような創造された
表現は他の地域では通じなくなるでしょう。方言は大半が語彙の点での
創造の結果だと思います。ですが、例えば、語順を変えて新しい言い方を
作り、地域の若い世代に流行らせたりすれば、非常に異なった言語が
生じることでしょう。生成系のパラメーターという概念は、そのような
新しく創造された言語も、無闇に創造されるわけではなく、一定の範囲の内
に収まるような創造が行われると言っているのだと思います。
22 :
lightning_s :2000/10/15(日) 00:43
人類は言葉を使うようになった。使いはじめた時、そのの場所がそれぞれ異なっていて、(アフリカのへんとかヨーロッパのへんとか南アメリカのへんとか) その時はまだ言語の種類は少なかったが、人類の小さなまとまりはやがてそれぞれの周りに広がって行った。そして近くに居る人々同士がその集団の中で使っていた言語を修正してゆき結果的にたくさんの言語ができた。
言語はそれを使う人々の文化(習慣とか宗教とか)にとても深く結びついていて、もはや統一できない。また、統一する為には子供に世界共通の新しい言語を教えなくてはならないが、誰が教えるのか?(教える人がいない)
このようなわけで多数の異なる言語が存在し、しかもいまだ統一されていないのではないでしょうか。
23 :
ふと思った :2000/10/15(日) 01:29
生成文法理論は、標準理論だの拡大標準理論だの修正拡大標準理論だのミニマリストだの最適性理論だの
よく言って日進月歩、悪く言って腰の定まらない、目まぐるしい変転ぶりです。とてもついてゆけません。
しかしこれは、人間の言語活動のアナロジーではあるまいか。
つまり、生成文法みたいに諸言語を統一的に把握せんとする普遍志向な試みにおいてすら、
統一化に逆行する如く新理論が次々に生まれ、内部分化・下位分化をし続けてるのだから、
ましてや自然言語が多数の異なった言語・方言に生成分化するのも無理はない。
それを、元は一つだとか、統一すべきとか、そんな風に見る方が無理だったのではないか。
多樣化こそが言語の普遍的性格である、って逆説が成り立つかも。
24 :
名無しさん@1周年 :2000/10/15(日) 16:47
>22
>言語はそれを使う人々の文化(習慣とか宗教とか)にとても深く結びついていて、もはや統一できな
>い。また、統一する為には子供に世界共通の新しい言語を教えなくてはならないが、誰が教えるのか?
>(教える人がいない)
生成文法は統一言語を作るのが目的ではないでしょう?
>23
>つまり、生成文法みたいに諸言語を統一的に把握せんとする普遍志向な試みにおいてすら、
>統一化に逆行する如く新理論が次々に生まれ、内部分化・下位分化をし続けてるのだから、
>ましてや自然言語が多数の異なった言語・方言に生成分化するのも無理はない。
22よりはまともだけど、やっぱり誤解が含まれている。生成文法で「普遍文法(UG)」ってのは、言語を習得するために特別に組み込まれている人間が元から持っている初期状態のことでしょ。人間にインプリンティングされているっていう点では、UGと直立歩行っていうのはあまり意味の差がない。ただUGが直立歩行に比べて面白いのは、直立歩行が世界中どこいっても斉一的なのに、UGに基づいているはずの言語は社会・文化も含んだ環境に依存しているっていう点にあると思う(直立歩行がインプリンティングされているっていうのもそれはそれで面白いけど)。
生成文法でいっている普遍って、類型論がいっている普遍“性”とかなり違うんですよ。
それと...、特に統語論に関して英語の研究が多いっていうのは、生成文法の方法論上今まではしようがなかった。っていうのは、データの取り方が極端に母語話者の直感に頼るようになっているから。母語話者の直感に頼るっていうのを問題視する人もいるけど、最近の神経言語学の成果から考えると(特にN400っていわれている神経の電位変化)、母語話者の直感も馬鹿にできない。それでこの母語話者の直感でとれるデータっていうのは、(構造主義言語学者や類型論者がいっぱい集めた)「何が言えるか」っていうデータだけでなく、「何が言えないか」というデータまで取れるんだけど、このデータの取り方はデータを取られる方もある程度(生成文法に限らず)理論言語学を知らないとだめっていう欠点がある。
で、悪循環ができる訳なんだよね。つまり「何が言えないか」まで含んだデータは最初英語しか取れなかった。そしてそれに基づいて踏み込んだ研究をする。そうすると英語のデータは増えていくけどほかのは増えない。
でも、これまではしょうがないんじゃない。21の人が指摘しているみたいに、いろいろな研究もでてきていることだし。
25 :
↑ :2000/10/15(日) 21:26
24さんへ
22のlightning_sさんのご発言に対し「生成文法は統一言語を作るのが目的ではないでしょう?」
と申されるが、ここは元々生成文法スレッドでもチョムスキースレッドでもありません。
22はスレッドの1に対する書き込みではないのかな。 誤解なさってますよ。
26 :
若年寄 :2000/10/16(月) 00:38
グリーンバーグらの言語類型論は言語の普遍的特徴を探る方法として、
生成文法と並ぶ二大アプローチだと見做される。↓
http://133.12.37.57/fs/fukusen/gengo/gen-0403.htm 言語の多様性といふ実證不要の「事実」から言語の普遍要素を探る類型論と、
生得能力や深層構造といふ実證困難な「仮定」を根本に置いて出発する生成文法理論と。
さて、どちらがヨリ科学的な言語学の名に値するのだらう……。
「なぜ多数の異なる言語が存在する?」といふのは、問ひの立て方が倒立してゐる。
現に3000以上もの多様な言語が存在し、それが「自然」だと見做すほかないのだから。
たとひこれを生物学風に環境毎の適応進化による変異と見たとしても、
屡々隣合せの部族ですら通話が困難になる、不経済なまでに甚だしい多種多様性を説明し切れない。
逆に、なぜ人間は多様な言語現象を同一の相のもとに捉へたがるか、と問ふべきでは。
27 :
24 :2000/10/16(月) 23:00
>25
24さんへ
> 22のlightning_sさんのご発言に対し「生成文法は統一言語を作るのが目的ではないでしょう?」
>と申されるが、ここは元々生成文法スレッドでもチョムスキースレッドでもありません。
> 22はスレッドの1に対する書き込みではないのかな。 誤解なさってますよ。
なるほど。誤解でした。ご指摘ありがとうございます。
また22さんには大変申し訳ないことをしました。
訂正してお詫びいたします。
28 :
名無しさん@1周年 :2000/10/18(水) 20:49
坂を石が転がる
雨が空から降ってくる
立てた棒が倒れてしまう
みんな多様な物理現象
それを何故人間は同一の相の元に捉えたがるか?
そんな問いの立て方が面白いですか、若年寄さん?
29 :
若年寄 :2000/10/19(木) 04:24
>>28 あなたの如く面白くない人もゐれば、それが面白い人もゐる。
しかしこの場合、面白い面白くないが問題設定のあり方にとって根本的なのですか。
しかも物理現象の例では言語の多様性と論点がずれてしまってゐます。
譬喩を弄さず、異見があればもっと直截判明に論述して下さい。
30 :
名無しさん@1周年 :2000/10/19(木) 19:34
なぜ人は生成文法VS類型論といふ奇妙な図式を立てたがるか、と問ふべきでは。
つーか、前にもそんな話題あったような気がするけど。
31 :
名無しさん@1周年 :2000/10/19(木) 19:40
リンゴは落ちるが月は落ちないといふ実證不要の「事実」から出発するのと、
万有引力といふ実證困難な「仮定」を根本に置いて出発するのと。
さて、どちらがヨリ科学の名に値するのだらう……。
>>31 なんで一部の漢字が旧漢字なのに、そうじゃないのも混じってるんでしょうか?
33 :
28 :2000/10/19(木) 21:28
>しかしこの場合、面白い面白くないが問題設定のあり方にとって根本的なのですか。
根本的かどうか分からないけど、面白い問題、つまらない問題というのはあるでしょう?
あなたにとっては、「なぜ人間は多様な言語現象を同一の相のもとに捉へたがるか」
が問題なんでしょう。言語が多様に存在すること自体をあるがままに受け止め普遍性
を追求すること自体が不思議なことだと疑問を呈したいんでしょう?グリーンバーグも
チョムスキーも、普遍性を追求してることで、間違えているとね?
僕にはそれはつまらないです。様々な言語を闇雲に記述してれば片づくことだから
(しかもそんなこと原理的に不可能に近いと思うけど)。録音装置がついたロボット
を考案すれば、簡単にできますよ、多分ね。
そういうことが、28のたとえ話で分かると思ったから、あれで済ましたけど。
明瞭に言い直さなければならなかったようですね。
34 :
28 :2000/10/19(木) 21:38
>31さん
>万有引力といふ実證困難な「仮定」を根本に置いて出発するのと。
そんなことをした人はいないと思いますよ。リンゴ、月などを観察して
万有引力を帰納的に推測、その原則を検証するために、再び他の現象を
観察するということは、行われたと思いますが。
若年寄さんの引用に細工したのだろうけど、彼の書き込みも「直截判明」
を言う割りには、誤解を招いてしまったようですね。生成文法の「生得能力」
や「深層構造」、グリーンバーグの「絶対的普遍性、含意的普遍性」も同じく
上記のようなアブダクションの結果だと思うが。そこを対立的に書く意図が
僕にはさっぱりわかりません。
も
35 :
若年寄 >28 :2000/10/20(金) 16:45
>>33 言ひ直して貰ったお蔭で、何がご理解いただけなかったのかがわかってきました。
>言語が多様に存在すること自体をあるがままに受け止め普遍性
>を追求すること自体が不思議なことだと疑問を呈したいんでしょう?グリーンバーグも
>チョムスキーも、普遍性を追求してることで、間違えているとね?
いえ、違ひます。チト深読みしすぎではないかと存じます。
まづ、不思議を追究するのは学問の発端ですから、不思議がるだけでは別に非難ではない筈。
例へば音素論を考へてみて下さい。音声は無限に個々別々なのにも拘はらず、語る主体はその差異を捨象して幾つかの同一の音素の相のもとに捉へる。考へてみれば不思議ではありませんか。その同一化の(一面では辨別化の)プロセスは如何なるものなのか――ここに音素論が展開されるわけでせう? 無論これを面白がらぬ人だってゐませうが、決してつまらぬ問題ではないと信じます。
普遍性の追求自体が間違ってゐるなどと言った日には、学問など始まりません。そんな暴言を吐くわけがないではありませんか。但し
>>24さん曰く、
>生成文法でいっている普遍って、類型論がいっている普遍“性”とかなり違うんですよ
とのことですから、何を以て普遍とするか、いかにそれを探求するか、色々と違ひがあり、そこに註文の付けやうもあるわけでせう。
特にこのスレッドの
>>1のやうな問ひ方では、言語は本来一つであったし、将来統一さるべきだとの前提あっての反問に聞えてしまふので、宜しくないと思ひました。
チョムスキーの場合、まさか言語は統一すべきなんて馬鹿は言ひはしないまでも、諸言語は一つの普遍的本質の現象にすぎないとの豫断が強く、
>>26で述べた通り、非効率的で不経済なまでの多種多様性を説明する視角に缺けるやうな気がします。少なくとも、仮定とはいへ普遍的なものを先に立てることで、言語本来の姿は多様性ではなく同一性であるハズと思ひ做す嫌ひを生じさうです。
勿論以上は素人の印象ですから、誤ってゐたらどうぞご訂正を。
36 :
生成ビリーバ(33) :2000/10/21(土) 23:18
「なぜ人間は多様な言語現象を同一の相のもとに捉へたがるか」という若年寄さんの
問い(26)。「同一の相」というのがいまいち僕には意味不明だったのです。それを「普遍的に」
と自分の中で言い換えて茶々を書き込んだのでした(28)。その後の(35)でも、その
「同一の相」とは何だったのか僕にはまだ分かっていません。
僕は生成系です。したがって、どうしても次のところに引っかかってしまいます(笑)。
「チョムスキーの場合・・・諸言語は一つの普遍的本質の現象にすぎないとの豫断が強く」
「仮定とはいへ普遍的なものを先に立てることで、言語本来の姿は多様性ではなく同一性で
あるハズと思ひ做す嫌ひを生じさう」
チョムスキーの場合、生物種としての人間の持つ能力としての言語を言ってるのです。
そのような能力の存在を否定なさるなら話は変わりますが、肯定するなら生物種として
の人間が持つ言語能力が普遍であること、その発現としての諸言語が普遍的特徴を共有
していることはもはや自明ではないでしょうか?「一つの普遍的本質の現象にすぎない」
の「すぎない」というところに引っかかるなら、それは当然です。もちろん、生成文法
の人も「すぎない」とは言わないと思います。
あと「仮定とはいへ・・・」の部分に関して34で書いたことと通じるのですが、
「普遍的なものを先に立てる」というところは非常に曖昧です。アブダクションの
推論が間違っているという話なら、恐らく、どのような科学に対しても異論を唱えている
言明となるでしょう。そうではなくて、「経験的基盤に基づかずに普遍性を仮定して
いる」というご主張なのでしょうか。であるとすると、僕には、とたんに分からなくなるのです。
生成文法でよく使われる次の議論にはどのような誤謬があるのでしょうか?
(大まかに言って)「成人の言語知識に含まれるXという原則は、言語習得中の幼児が接する
言語データにからは導き出されない性質の原則だ。ゆえに原則Xは生得的な言語知識であり、
生物種としての人間が普遍的に持っている知識である」
もう一つ。言語の「非効率的で不経済なまでの多種多様性を説明する視角」を欠いていない
論としてどのようなものがあるのか、その論では、どのように「多種多様性」が説明されて
いるのかお教えいただけると、ものすごく勉強になります。
37 :
生成ビリーバ(33) :2000/10/21(土) 23:33
省略されてしまった。利便のためかけた部分のみ再記します。
___
もう一つ。言語の「非効率的で不経済なまでの多種多様性を説明する視角」を欠いていない
論としてどのようなものがあるのか、その論では、どのように「多種多様性」が説明されて
いるのかお教えいただけると、ものすごく勉強になります。
___
以上っす。
38 :
ぷー :2000/10/22(日) 14:29
ここって内容は簡単なことなのに、えらく難しく表現したりして、
燃費悪いコーナーだなー
39 :
>87 :2000/10/22(日) 15:17
>言語の「非効率的で不経済なまでの多種多様性を説明する視角」を欠いていない
>論としてどのようなものがあるのか
ソシュールがある。恣意性こそが言語の本質としてたでしょ。
40 :
39 :2000/10/22(日) 15:19
上の‘>87’は‘>37’の誤記。すまん。
41 :
生成ビリーバ :2000/10/22(日) 21:16
>39
音・意味の対応の恣意性を仮定しない言語理論は、多分ないでしょうね。
擬音語とかは別としますが。恣意性だけじゃ多様性は説明できないでしょう。
恣意性を伴ったある一つの言語だけが広まらない理由は何なんでしょ?
どうして、恣意性を伴った言語が複数生じ、多様になるんでしょう?
本スレの前の方で挙げられてる、地理的要因、新しい表現を好んで作り出す
という革新性でダメなんでしょうか?
42 :
若年寄 :2000/10/23(月) 03:39
▼生成ビリーバさんへ
>>36に曰く、「生物種としての人間の持つ能力としての言語」「生物種としての人間が普遍的に持っている知識」……。
それは果して言語学の対象でせうか? 生物学乃至心理学の研究すべき事柄ではありませんか。
チョムスキーの所謂「言語能力」とは、言語一般(ランガージュ)に関する話ですよね。しかし唯名論的認識に立てば、一般なるものは実在しません。言語一般なるものは飽くまで具体的な諸言語(ラング)から導き出される仮構であり、故にソシュールはランガージュではなくラングこそを言語学の対象としたわけでせう?
まあチョムスキーもその辺に気付かぬ程の観念論者ではないやうで、改訂拡大標準理論に至って、意味決定機能を深層構造よりも表層構造(言語運用)に帰するやうに軌道修正したさうですが。でもそれなら、わざわざ言語能力だの深層構造だの、初めから餘計な仮定を立てなければよかったのに、と言ひたくなります(オッカムの剃刀)。
>>41に曰く、
>地理的要因、新しい表現を好んで作り出すという革新性でダメなんでしょうか?
地理的要因――各地域条件への適応による変異としても、生態学的進化的メカニズムといふものは概して経済的であり、その多種多様さは必要に応じ自然淘汰された効率の現はれです。然るに人間の言語の場合、隣り合せでも異なる言語があるし、同じ地域内で言語の違ひが内部分裂を起こすし、この相互に理解不能な夥しい言語を持つといふ浪費ぶりに対しては、動植物みたいに経済性による説明は通用しません。
また、多種多様性の原因を「新しい表現を好んで作り出すという革新性」(ネオフィリア?)に帰するのも、説明になってゐません。その革新性とは何であるか、それは何に基づき何に対応したものかが一向に明らかではないからです。或る謎の事象Xの説明に未知のxを持ち出しても、トートロジーではないでせうか。
では、ヒトの言語の多様性は如何に説明されるべきか――
>>39さんはソシュールの謂ふ恣意性を挙げましたが、これを単に「音・意味の対応の恣意性」ではなく、丸山圭三郎風に人間の認識構造の恣意性とまで拡大解釈する手もあるでせう。きっともっと良い案もあるのでせうが、残念ながら思ひつきませんし、存じません。私も知りたい所です。
43 :
名無しさん@1周年:2000/10/24(火) 19:40
>表層構造(言語運用)
っていうのが分からんです。
44 :
生成ビリーバ:2000/10/24(火) 21:05
>「生物種としての人間の持つ能力としての言語」……。
> それは果して言語学の対象でせうか? 生物学乃至心理学の研究すべき事柄ではありませんか。
ええ、ですから、生成文法は心理学の一分野なのです。
> チョムスキーの所謂「言語能力」とは、言語一般(ランガージュ)に関する話ですよね。
違うと思います。僕はソシュールには詳しくありません。ソシュールには
人間が「生物種として持つ普遍の言語能力」という観点は持っていたのでしょうか?
ソシュールのラング・パロール・ランガージュの3分法のどれにも収まらない
概念だと思います。強いて言うなら、英語なり日本語なりの個別文法はラングに近いとは
思いますが。それにしても無理にソシュールの用語に合わせて論じる必要はあまり感じません。
ランガージュとは、各言語に普遍的に当てはまる特徴のリストなのでしょうか? ならば、
言語類型論で言う言語普遍性がそれに該当するのではないかとの印象すら持ちます。
「言語能力」や「深層構造」などの概念は、それを設定する経験的根拠があったので
設定されたのです。その根拠に意味がなくなれば、さっさと破棄されます。「深層構造」も
90年代に破棄されました。設定されたときには、句構造規則適用結果のレベル、
語彙挿入のレベル(語彙の特性が満たされるレベル)、文の(基本的)意味がとらえられる
レベルとして、深層構造を設定すると最も文法が簡潔になるので設定されたのでした。
その後の進展によって、それらの根拠が崩れたのが判明したので、破棄したのです。
「表層構造(言語運用)」のところは43さんと同意見で、意味が分かりません。
★言語の多様性の件については、また今度。
45 :
若年寄:2000/10/26(木) 19:40
>>44 >「表層構造(言語運用)」のところ
間違ってました? 昔読んだ本に、チョムスキーははじめ深層構造と表層構造と言ひ、それに対応して言語能力と言語運用といふ二本立てを持ち出したって書いてあったのですが。
>それにしても無理にソシュールの用語に合わせて論じる必要はあまり感じません。
だって現代言語学はソシュールに始まるんでせう? まあ生成文法は言語学でなく心理学だと言ふのなら、その「必要」もないのかしれませんが。
>ランガージュとは、各言語に普遍的に当てはまる特徴のリストなのでしょうか?
全然違ひます。とはいへソシュール解釈にも色々あるやうなのですが。
とりあへず私は、ランガージュとは、英語だの日本語だの諸ラングをひっくるめた「言語」の総称として解してゐます。但しそれは現象としては個別のパロールといふコーパスの集積なので、ラングのやうな均質的体系性を持たないわけです。
>それを設定する経験的根拠があったので設定されたのです。
>その根拠に意味がなくなれば、さっさと破棄されます。
理論的仮設ならいざ知らず、「経験的根拠」が10年や20年で無くなってしまふと言ふのは無茶ですね。それでは根拠の名に値しますまい。
理論が改訂されてゆくのは当然ですが、それは細部についてであって、深層構造みたいな根幹の概念が誤ってゐたといふのでは、元々全然駄目ってことになりゃしませんか。
>★言語の多様性の件については、また今度。
このスレッドは生成文法云々よりもそれが本題です。どうか宜しく。
46 :
名無しさん@1周年:2000/10/26(木) 21:43
47 :
>45:2000/10/27(金) 01:21
なんか色々間違い過ぎです。別に生成文法を好きじゃないってのは全然
構わないけど、それについて語りたいのだったらちょっとぐらい勉強して
もいいんじゃないすか?
入門書でも読んでください、あなたがあまりに的外れなこと言ってるって
ことが良くわかると思います。
48 :
↑:2000/10/27(金) 10:50
捨て台詞だね、それだと。
せめて「表層構造(言語運用」のところだけでも正解を説明してやったら?
若年寄くんは「昔読んだ本」を鵜呑みにしてるだけみたいだし。
49 :
生成ビリーバ:2000/10/28(土) 18:04
>若年寄さん
表層構造(言語運用):間違いだと思います。「表層構造」は変形規則適用の出力、
音韻部門への入力となる表示のレベルです。言語能力である文法を構成する要素です。
言語運用は文法の実際の使用を言い、理解と発話などを指します。
ソシュール:現代言語学はソシュールに始まるのでしょうが、いつまでもソシュールの
用語にこだわる必要はないと思います。生成文法で言う普遍文法に該当する概念がない
のにそれをどうしてソシュールの用語に合わせて言い直さなければならないのか僕には
理解できません。なお生成文法は言語学です。言語学であり、心理学の一部を構成
しているということです。誤解なきよう。
「経験的根拠」:言い換えましょう。例えば「深層構造」といった概念は、それを設定
する根拠となった経験的事実が、「深層構造」という概念を使わずとも(独立して
必要とされる)別の仕組みによって、より自然に説明ができることが明らかになった
ので、破棄されたのです。「深層構造」は、それほど根幹に関わる概念ではありません。
最初期には設定されていなかったものです。いずれにせよ、理論の細部であっても
「根幹の概念」でも、それを仮定する理由がなくなり、より妥当な説明方法が見つかれば
さっさと破棄されるのが通例です。
50 :
生成ビリーバ:2000/10/28(土) 18:21
「言語の多様性」について。
「新しい表現を求めるという革新性」と言ったときの「革新性」とは、創造性
と言い直してもいいと思います(それが、人間のどのような能力に基づいて発現する
能力であるかは、僕には分かりませんが)。例えばファッションにしても、その他
様々な文化現象に関しても、人とは異なるものを作りだして表現することは
簡単に想像がつくと思いますが。同一地域に住んでいても、意図的に他人とは異なる
言い方を使い出したり、一定のグループ間でしか通じない言い方を流行らせたりすることは
あるでしょう。そのようなグループが母集団から離れ、別地域に住み、何百年と
交流がなかったら、その集団は母集団とは明らかに異なる言語を使っている可能性が大きいと
思います。
「地理的要因・革新性」と言うのはそう言う意味で推測を述べてみたものでした。
51 :
名無しさん@1周年:2000/12/02(土) 15:15
あげるモナー
52 :
&#144:2000/12/13(水) 11:07
shirige
53 :
講評:2000/12/13(水) 23:09
若年寄さんと生成ビリーバさんは議論がすれちがって
論点が噛み合ってないと思った。……駄目だ、こりゃ。
54 :
名無し象は鼻がウナギだ!:
♪ ∧ ∧ ♪
(,,゚Д゚). ♪
|つ[|lllll]).
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U U