347 :
名無し象は鼻がウナギだ! :
2012/08/08(水) 18:27:43.30 0 すいません、「壮 年」と言葉について教えて下さい。
WEBで探しますと以下のような記述が見つかるのですが、20 - 30代については青年、中年、壮 年などと様々に言われ一定の定義はないようです。
仮にですが 18歳-39歳の男性集団を「壮 年男性」と呼んでいいものかどうか、ご意見下さい。
参考--------------------
大辞泉
1.そう‐ねん【 壮 年 】
心身ともに成熟して働き盛りの年ごろ。また、その人。壮齢。
--------------------
1.そう‐ねん[サウ:]【 壮 年 】-日本国語大辞典
〔名〕人の一生のうち、最も元気のさかんな年ごろ。心身ともに成熟して、働きざかりの年ごろ。また、その年ごろの人。
壮齢。広くは成年に達してから老年になるまでをいい、狭くは三〇代から四〇代にかけてをいう。
--------------------
壮 年 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A3%AE%E5%B9%B4 壮 年(そうねん)とは成人としてもっとも体力、気力が充実しているとされる年齢。伝統的には青年期を終えた40歳から64歳までを指す。
厚生労働省の一部資料(健康日本21など)では、幼年期0〜5歳、少年期6〜14歳、青年期15〜24歳、壮 年期25〜44歳、中年期45〜64歳、前期高年期65〜74歳、中後期高年期75歳〜という区分をしている。
--------------------
中年 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%B9%B4 一般的には40代ごろから50代ごろを指す事が多い。20 - 30代については青年、中年、壮 年などと様々に言われ、一定しない。
1998年度の国民生活白書「中年-その不安と希望」では中年世代を、おおむね40代 - 50代と定義づけている。
厚生労働省の一部資料(健康日本21など)では、幼年期0 - 5歳、少年期6 - 14歳、青年期15 - 24歳、壮 年期25 - 44歳、中年期45 - 64歳、高年期65歳 - という区分をしたものもあり、壮 年期の定義も一定しない。
--------------------
348 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2012/08/08(水) 18:36:16.50 0
>>343 なぜ、最後まで引用しない?
「...んじゃないかな」というところまで引用しないから
そういう解釈になる。
「...んじゃないかな」でその文全体が想像であることを示して結んでいる。
こちらが反論の際に再三指摘した文の最後の結び方をあえて引用しないとはね。
君こそ苦し紛れに相手の書いた文を意図的に改変しているだけに見えるが。
本来の全文はこれ。
> 言語というのは数学や論理学みたいになっているはずだという前提で
> それに合致しないような例を見つけてきては質問している人が約一名
> いらっしゃるんじゃないかな。
>>343 てか、君はなんで
>>304 に噛みついてくる? 心当たりでもあるのか?
こちらは君がその約1名だと書いた覚えはないがね。
この意見に反論があるなら、正面から反論したらどうだね。くだらない揚げ足取りはせずに。
> 言語というのは数学や論理学みたいになっているはずだという前提で
> それに合致しないような例を見つけてきては質問している人が約一名
> いらっしゃるんじゃないかな。
> 言語学的にその前提認識になっているものが正しいのかその前に問うべきなのに。
>>340 私は「不特定の1名」を指していると考える。つまり「誰かさん」だ。
「約」というのは「特定できないが」というほどの意味になるだろう。
>>341 数学や論理学のとおりに自然言語が成り立っているのなら、
その文脈でおかしいという話にしかならない。
>>347 自分で答えかいてんだろ。幅はあるが成年以上を指す言葉だよ。
下は20歳から上はジジイまで。18歳の未成年は壮年言わない。
>>347 20歳-39歳ならそう呼んでもいいけど 18歳-39歳ではだめだね。
>>346 >自然数を要求されないんじゃないか?
え なんで?
>>351 厚生労働省の一部資料(健康日本21など)では、幼年期0 - 5歳、少年期6 - 14歳、青年期15 - 24歳、壮 年期25 - 44歳、中年期45 - 64歳、高年期65歳 - という区分をしたものもあり、
壮 年期の定義も一定しない。
「定義も一定しない。」と書いてありますが?
主観で決めていんじゃないですか?
>>347 相手がどう理解するかが重要。
誤解するのが確実な状況で、間違っていないと言い張っても仕方がない。
>>342 「#約 1 名」の「約」自体は、ぼかすところまでしかやってない。
皆よく知っている人のことをぼかすから、当てこすりの意味が出て来るのだろう。
>>345 それは問題ないだろう。主格であることは間違いないのだから。
主題化した主格だ。
>>354 一定してないのは20代以上として書いていますよ
この続き文です。
>20 - 30代については青年、中年、壮 年などと様々に言われ、一定しない。
主観でよいのなら小学生を壮年と呼んでみなさい。
病院を薦められますよ。
あくまで成年以上として範囲が様々なので一定しないという意味です。
wikipediaは素人も書いているからソースとしては信用不足
辞典を元にするべきですよ。
犬の壮年は何歳から?
>>337 そういえば、「が」を直格と呼んでいた人もいたな。
そもそも日本語に「格」があるのか、という問題からして解決できていなかったのでは?
>>344 それ以前に「断定していない」なんていう言い逃れそのものに意味がないことが分かってない。
そんな言い逃れが通るなら、語尾に「じゃないかな」をつけさえすれば、何を書いても説明責任はないことになるよ。
俺は浮気はしない。
たぶんしないと思う。
しないん「じゃないかな。」
ま、ちょと覚悟はしておけ。
みたいなw
別にいいんじゃないかな。 ルニとかよく使ってるんじゃないかな。
>>349 自分は343ではないが、客観的印象として逃げているのは貴方の方だと思うよ。
それと、この件で貴方にレスつけている人は、あきらかに複数人いると思われるが、もしかしてそれも「約1人」だと思ってるの?
364 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2012/08/08(水) 21:18:00.43 0
>>363 いや、彼は(不合理厨が)約一名と言ってるんだから、複数名とは言っていないんだよ。
「あきらかに複数名」だと言えるなら、その人が指摘したほうが話が早いんじゃないか?
>>350 >私は「不特定の1名」を指していると考える。つまり「誰かさん」だ。
>「約」というのは「特定できないが」というほどの意味になるだろう。
そうかな?「特定できないが」というのはあくまで反語的な意味においてであって、自分の経験では、たとえばこんな場面で使われたりするね。
グループ内で、明らかに1人だけ話が見えてなくて頓珍漢な反応をした奴がいた場合、
「理解できてない奴が約一名いるようだがw」などと揶揄されて、笑いを誘うことになる。
もちろんそれが誰かみんな分かっているから、あえて不特定表現をすることで、名指しする以上の可笑しさが出る。
本人もその空気によって、自分のことだと半ば悟るだろうから、「え?誰のこと?」などとボケて、「おまえだろ」という突っ込みを誘ってみたりする。
「約一名」という言い方は、「特定できないが」などという意味ではなく、(理解してないのは)「おまえ1人だよ」というように、必然的に本人の自覚を促して笑いを引き出すといった社会的なコミュニケーション技法のひとつになっていると思う。
それは見せしめであって、他の理解できてない奴も含まれていると思うよ。 バレてないから他は数えられないだけで。
>>367 たんに自分の経験から「あきらかに1人だけ話が見えていない」状況において使われた例を出しているのであって、もちろん、そうでない使われ方もするのかもしれないけど。
みせしめとか、そういうシリアスな意図で使われた例は経験してないので。
自分の経験では「約一名」はほぼ笑いを誘う状況ばかりだったので。
やり玉と言ったほうが良かったかな? つまり、その人は「例」として挙げられただけで、厳密に調べれば理解できていないのは 彼だけじゃないことは経験的にわかっているからこそ、たかが一名だと無視しなかったんだと思う。
近い将来と近いうちにってどの位近いんだろう?
任期満了でも 1 年も先ではないから、近い将来に入る。 つまり事実上解散はない。来年度予算も民主党政権で組むだろう。 任期満了が来ても、1 票の格差が違憲状態のままなら、選挙はできないとして任期を延ばすという裏技もありうる。 谷垣サンはだまされたんだよ。
>>222 「何気ない疑問」Yahoo!知恵袋にあるのを、国研の BCCWJ が 1 件拾っている。
「男好きのする顔」とか「人好きのする性格」とかの言葉に違和感がある 男好きのする=男が好き、人好きのする=他人のことが好き、という解釈が浮かんでくる 「男好かれ」「人好かれ」と言うべきでは
375 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2012/08/09(木) 06:49:45.71 0
>>374 すこぶるつきのいい女
と最大級の誉め言葉を 「まぁついてる事は多いけど」 と返してきた低脳女とやったことがある えがった
>>370 支離滅裂なのは、これが同一人物に見える思考回路の方かと。
え?違うの?きみがそのふたつのうちのどちらかで、もうひとつは違うということ?
>>375 いや、その言語センスは以外とオモロイかもしれんぞ。
ある意味、付き合っていて飽きないタイプでは。
むしろ女に向かって「君はすこぶる付きのいい女だ」なんて古風な口説き文句を言う男がいることの方が新鮮だ。
まあ、股間に付いてなくて良かったねっと。
>>377 そのレスからも、君の思考になんの論理的脈絡もないことが判るわけだが。
質問スレがなかったので詳しい方にお聞きしたいのです 「久しぶりにパンを食べたい」と言うときの「を」ですが「が」では駄目なのでしょうか? ゲーム「で」遊びたい、ゲーム「を」遊びたいも同じように疑問です 接続詞というのでしょうか?専門用語はわかりませんが 上の文で「を」「が」「で」を使ったときの、それぞれの意味はどうなるのか知りたいです
>>380 どうした?質問に答えればすむことじゃないのか?
何かごまかしたいことでもあるの?
387 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2012/08/09(木) 22:19:56.70 0
>>363 > それと、この件で貴方にレスつけている人は、あきらかに複数人いると思われるが、もしかしてそれも「約1人」だと思ってるの?
その「複数人いる」ってのも妄想かもしれないって自覚はあるの?(笑)
「約一名」というところばかりに拘って揚げ足しをとるばかりで、
肝心なところ、つまり
>>304 で言いたかったことは
「言語というのは数学や論理学みたいになっているはずだという前提で
それに合致しないような例を見つけてきては質問する以前に、
言語学的にその前提認識になっているものが正しいのか問うべきではないか」
ということであって、この点についてはスルーを決め込んでレスがまったく
ないんだけど、そういうあなたはどう思うの?
388 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2012/08/09(木) 22:31:24.79 0
>>366 語の意味は文脈やその場の状況で決まるというのは現代の言語学の常識だと思うけれども、
あなたの言うように、「約1名」が反語的だったり皮肉の意味合いを持つ場面というのは、
「特定できる1名」が誰の目にも自明なときでしょう。
その場にいる誰の目も自明にもかかわらず、それをあえて疑問形や曖昧な表現で指すとき、
それは必然的に反語的だったり皮肉の意味を持つだろうね。
しかし今回のこの場合はぜんぜん違うでしょう。
匿名掲示板で管理者以外には特定できない状況下にあって、その1名が誰にも自明だったか?
自明な存在をあえて濁して表現すれば皮肉の意味合いになるだろうが。
389 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2012/08/09(木) 22:43:50.87 O
漢字についての質問はここで良いでしょうか? 亡き祖父の名前、「りっしんべん+勇」で「ゆう」と読みます。 通常のパソコンなどでは変換できず、戸籍謄本でもそこだけが手書きで書かれています。 他の用例を見たことがないし、本人も「何て言う字か知らん」と言っていました。 「りっしんべん+勇」の訓読みは何で、どういう意味でどんな用例があるのでしょうか? もしかして先祖が届け出時に誤字のまま受理されたとか…!?
少なくとも部分的には俺にレスしてると思うので答えるけど。 >その「複数人いる」ってのも妄想かもしれないって自覚はあるの?(笑) ない。 俺もレスつけたけど、俺以外にもレスしてる人がいるんだもん(笑) こんな当たり前の事に思い至らない所を見ると、どうやら君の方は独りで頑張って書き込んでるようだね^^
>>389 テ-ヨウ
1.怒る
2.喜ぶ
漢語林で載ってたよ
392 :
? :2012/08/09(木) 23:03:13.80 0
393 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2012/08/09(木) 23:08:20.29 O
>>391 >>392 ありがとうございます。少なくとも「ゆう」は誤読なんですねw
ちなみに文学作品や熟語などで具体的な用例はあるのでしょうか?
喜ぶと怒るの真逆の意味があるのは興味深いですw
訓がある漢字でつくりの漢字の音読みで誤読ってどうなん? 短音と長音の差だし別にそう読んでも不思議はない気がするけど。
人の名前の時点で誤読もなにもないわな。 いまのDQNネームだかキラキラネームだかでも誤読とは言われないんだし。
398 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2012/08/10(金) 11:05:19.91 0
「人間はそれを知らないが、地球は丸いのである」 この「それ」は英語の「形式目的語」のようですが 日本語でも形式目的語と呼ぶのでしょうか? あるいは別の呼び名がありますか?
>>390 > 俺もレスつけたけど、俺以外にもレスしてる人がいるんだもん(笑)
しかしそんな証拠はどこにもないんだよ(笑)
君の自演じゃないって証拠は?
>>399 いいかげんうざい。どっか他所でやれば?
よそでも迷惑。昔から同じことをやっているこの板の有名な癌。
>>399 複数人が書いたといわれる文献で、その証拠ってなにかあるのだろうか?
誰かが写したり、活字だったりする時点で、そんなものは失われている気がするんだけど。
>>398 英語の形式目的語「it」は長い目的語をとりあえず文末に回すために置いてあるだけで、意味的には空気みたいなもんだから、ふつうは訳さない。
I found it difficult to forget my traumatic childhood experience.
私は幼少期の衝撃的な体験を忘れることは困難であると気づいた。
「人間はそれを知らないが、地球は丸いのである」という、なんだか翻訳調にも見える不自然な日本語を無理に英語にすると
Although we don't know it, the Earth is round.
みたいな文になるのか?
この場合、it を無理に「それ」と訳してしまうと元のニュアンスより重くなってしまうから、訳さない方が自然。
「人間は知らないが、地球は丸いのである」
日本語は英語よりも文章の構造形式に縛られないから、「形式目的語」など必要ないのかも。
こんな事は我々の知った事ではないが、スレには複数人居るのである。
>>402 じゃあ、「約1名」についてだけ、それが妄想だとか揚げ足をとって粘着する理由はなんなのさ。
このスレには約一名の投稿者しかいません。 それ以上いると思うのは妄想です。 理由は複数人いるという証拠がないから(笑)
日本人が英語を学ぶと母語の日本語そのものにもその影響が出る例ってあるんだろうか。
>>405 そんなことは私の知ったこっちゃないよ。
約一名の人に聞いといて。
揚げ足取りがこのスレッドのこれから恒例になります(笑)
説明できないことを追及された場合は「揚げ足取り」というレッテルを貼って勝利宣言しましょう。
>>409 「恒例」って儀式や行事の場合に使う単語だろ。
いけね、揚げ足取ってしまったw
>>403 ありがとうございます
たしかに、日本語の場合は単に指示代名詞の内容を後置しているだけで「形式」ではないですね。。
周りに聞いても答えが得られなかったので専門板で質問した次第ですが
やはり
>>381 の内容は難解な問題なのでしょうか?
>>410 それを言うならそもそも、
↓に答えられないから揚げ足し取りをするしかなかったんだろ、じゃないか。
「言語というのは数学や論理学みたいになっているはずだという前提で
それに合致しないような例を見つけてきては質問する以前に、
言語学的にその前提認識になっているものが正しいのか問うべきではないか」
416 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2012/08/10(金) 22:03:55.17 0
「私はディズニーランドが好きな場所です」はどういう構文でしょうか。 「象は鼻が長い」「キリンは首が長い」と同じ構文ですか。 しかし、「象の鼻が長い」「キリンの首が長い」とは言えますが、 「私のディズニーランドが好きな場所です」だと全く違う意味になります。 やはり違う構文と考えたほうがよいのでしょうか。
417 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2012/08/10(金) 22:16:24.61 0
私は好きな場所がディズニーランド
「私はウナギです」「私はカレーライスです」はどちらかというと非文ではないでしょうか。 これを言う場面が現実的に考えにくいです。 前者の場合は、お魚屋さんに集団で買い物をしている場面でしょうか。 A「鯛を一匹ください」 B「私も鯛を一匹」 C「じゃあ、私はヒラメ一匹をください」 D「じゃあ、私はアナゴ一匹」 E「私はウナギ二匹」 F「私もウナギ二匹」 後者の場合は、料理店に集団で入って壁に貼ってあるメニューを見ながら、 B「ご注文は?」 A「私は牛丼にします」 B「じゃあ、私はカツ丼」 C「私はカレーライス」 D「私は...」 E「私は...」 「私はウナギ一匹です」「私はカレーライスです」と言う人はいないのではないでしょうか。 そんな言い方をしたら日本語でもちょっと不自然です。
っていうか、
>>402 って普通に疑問だろ?
結局著者の人間性を信じないと始まらないよね。
>>418 「じゃあ、」がつけば良くて、付かないと不自然な理由がよくわからない。
A「お待たせしました、こちらがご注文のカレーライスです」 B「私はウナギです」 C「カレーはこっち」 A「大変失礼致しました」 こんな所じゃないか?
>>416 「牡蠣料理は広島が本場だ」は、「広島が牡蠣料理の本場だ (ということ)」からの主題化。
「私はディズニーランドが好きな場所です」も、「ディズニーランドが私の好きな場所だ (ということ)」に由来するのではないか。
このタイプは「牡蠣文」と呼ばれ、「象鼻文」や「鰻文」とは区別される。
食べれる ...(1) 食べられる ...(2) (1)は能力を意味し、(2)は可能(許容されていることを含めた)を 意味するように思いますが、違いますか。
「私は好きな場所がディズニーランドです」ならば「象鼻文」になりますか?
食べられる方のペースに合わせて喋れる?
>>425 反語はマッチポンプとは違うんじゃないか?
>>424 広い意味では、なると思う。
ただ、「象鼻文」は「象の鼻」「キリンの首」のような、「(全体) の (部分)」を前提としているので、
「私の好きな場所」がそれに絡むととらえられるかどうかは微妙だ。
「X の Y が P」→「X が Y が P」 (主語化 Nominalization)→「X は Y が P」
という過程を想定すれば、一括して説明できる。「主語化」は久野ワが提唱した概念。
429 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2012/08/10(金) 23:46:43.28 0
「成れの果て」と言いますが、何故「成りの果て」ではないのでしょうか?
>>423 食べる
食べれる ...(1)
食べられる ...(2)
喋る
喋れる ...(1)
喋られる ...(2) ?
副詞と副詞句の判断って恣意的で難しくない? たとえは「動(やや)もすると」は副詞で 「ことによると」は副詞句。 おそらく「やや」という言葉が単独で使われなくなった時点で 「動もすると」はいわば消極的に副詞になったと思うのだけど ある語がまだ生きているか死滅したかなんて判断が難しいと思う
>>381 ゲームで遊ぶの「で」は目的格とは違う感じがするなぁ
「ままごとで遊ぶ」を「ままごとを遊ぶ」
「鬼ごっこで遊ぶ」を「鬼ごっこを遊ぶ」にしたら違和感がある
目的格というより処格に近い意味合いがある感じがする
>>414 前提となる問いかけによる。
a) A「久しぶりに何を食べたい?」→B「久しぶりにパンが食べたい」
a') A「久しぶりにパンが食べたい?」→B「久しぶりにパンを食べたい」
b) A「何をして遊びたい?」→「ゲームで(or ゲームをして)遊びたい」
b') A「ゲームで遊びたい?」→B「ゲームを遊びたい」
単独の言い回しとしては、目的語が何であるかが重点となるケースが多いので、
a や b での B のような表現の方が普通。a' と b' は確認の表現。
>>429 「成り」は連用形由来で、こちらは「成る」という動作そのものを指す。
「成れ」は已然形由来で「もう成ってしまった」という結果のニュアンスがある。
「成れの果て」は「(落ちぶれた状態に)成った、その結果」ということなので、
「*成りの果て」とは言えないことになる。
>>381 格助詞と一般的に呼ばれているものだと思います。
ネイティブスピーカーならば
「パンを食べたい」より「パンが食べたい」のほうがより自然な言い方で、
「ゲームを遊びたい」は非文法的な言い方だと言うだろうと思います。
二つめの例文ではそもそも「ゲームを遊ぶ」が慣例上正しくない言い方だと思います。
「ゲームをしたい」「ゲームをやりたい」という言い方が普通ですので、
「ゲームをして遊ぶ」「ゲームをやって遊ぶ」という形でしかそれらは結びつきません。
「遊ぶ」は「を」を取ることができない動詞ということに慣例上なっています。
「空を飛ぶ」のような慣用的な動詞句になって定着することが将来あるかもしれませんが。
パンが食べたい だと ご飯と置き換えてって感じ。 パンを食べたい だと ご飯とは関係なくって感じ。 パンが無ければ菓子パンを食べればいいのよ。
>>437 そんな証明できないことを勝手に言われても困るよ。
ゲームがやりたい 宿題やらなきゃ ゲームをやりたい 遊ぶならゲームだ
>>429 「『どうにでもなれ』の結果」という意味。「なりの果て」だと「身なりの結果」という意味になる。
>>438 まず自分の言語感覚が日本語として理に適うものものであるかどうかを検証すべきなのでは?
「全く」の品詞を答えるとするなら副詞か形容詞「全い/全し」の連用形かどちらがより適切でしょうか。
日本語ってのは全くわけわからん言語だな。 日本語以外にこんなに支離滅裂な言語があるのかな?
>>442 形容詞「全い/全し」の連用形からできた副詞
>>441 感覚が理に適うかはそもそもわからない話だし、
仮に理に適わないからといって、「君だけ」というのは証明できない。
>>437 が言い出したものを彼ではなく、なにげない語感を語っただけでそれ以上の話は「困る」
と言っている人にその検証を転嫁するのは理に適わない。
>>445 >なにげない語感を語っただけでそれ以上の話は「困る」と言っている人
なに第三者装ってるんだよ、本人のくせにw
>>444 ありがとうございます。
「全い/全し」よりも「全く」の方が広く使われるのでこれは分かりやすいですが
「美しく飛ぶ」「速く走る」の「美しく」「速く」などはなんだかよくわからなくなります。
>>446 名無しである以上そんなことは「本人」でも証明できないだろう。
仮に本人であるとして、主観的に言うよりも客観的に表現した方が
「理」の話としては好ましい。
>>447 日本語の形容詞 (語幹) のほとんどが、「-く」を後に従えると、副詞としてはたらく。
「美しく」「速く」等を一々副詞として辞書に登録するよりも、形容詞「美し-い」「速-い」だけを登録しておいて、
副詞形は形容詞から機械的につくられるということで、文法に任せた方が合理的だ。
英語の -ly も、もしほとんどの形容詞に付いて副詞をつくれるなら、形容詞の活用ということになるだろう。
しかし、実際にはダメな形容詞も多いから、beautifully, quickly 等を一々辞書に載せざるを得ない。
イ形容詞は、「-く」になると副詞的に、「-さ」がつくと名詞的に ナ形容詞は、助詞「-に」がつくと副詞的に、「-さ」がつくと名詞的に、 あるいはそのままで名詞的になったりする。
>>436 >>439 その構文に「を」がつくのは非文だけど、
最近は英語の影響で自然だと思われてきた、という人もいるね。
ら抜き言葉の一種かと。
>>451 ら抜き言葉はネイティブなんだろ?
それを非文という方が不自然な文法じゃないか?
ゲームをやりたい は違和感ないな ゲームを遊びたい は違和感ある
甥っ子とゲームをやりたい。 甥っ子にゲームをやりたい。 クリスマスにゲームをやりたい。
ゲームを遊びたい、なんてのはアメリカ人が言いそうな日本語だな。 play games そのままだからな。
ゲームで遊びたい 勉強は飽きた ゲームが遊びたい 今の遊びは飽きた ゲームを遊びたい 検証プレイは飽きた
パソコンをする、ってどうよ?
花札をする ファミコンをする
>>456 ちょっと書き込みの意図が読めない。
各例文の前半と後半部分の間に何か法則性があるわけ?
ゲームを作る ゲームを売る ゲームを遊ぶ
ゲームをする、ならおかしくないけど ゲームを遊ぶ、たとおかしいってことは 「遊ぶ」が特殊で目的語を取らない動詞ってことだよね 遊ぶ以外にもそういう動詞あるんだろうか?
てか、自動詞か
「一見他動詞っぽい自動詞」ってことか
よもふかし 札をあそばし これおかし
辞書を引いても、自動詞か他動詞かの区別は書いてないね 日本語でははっきりと区別されてないってことかなぁ 実際に文にしてみてはじめて分かるっていう
ゲームを開発したりした事がない人なんじゃない?
「暗がり」の「がり」って何ですか
>>452 「私はゲームをやりたい」も日本語のネイティブスピーカーが許容するようになっている。
そういう意味では「ら抜き言葉」と同じ現象が起こってきたものと考えられるのでは?
許容できるのであれば、本来の文法は違ってたって事じゃない? 熱素やエーテルはなくても問題なかったと。
ら抜き言葉が本来正しいのであって、 それを許容できなかったのが本来の文法でなかったということ?
「やりたい」は最初から他動詞だったのでは?
何が正しいかはここで結論を出す事ではないと思うけど、 それが文法的に説明できない以上は破綻じゃないの?
〜をしたい 〜をやりたい もともとそういう使い方をする動詞に思えるけど違うの?
>>464 この「あそばし」は「札」を目的語とする他動詞のように感じるが、構造としては明らかに「(札が)あそぶ」(自動詞)の活用形にすぎないんだよな。
英語の文法概念を適用すれば日本語が理解できるという発想を いまだに懲りずにしている日本の文法学者って。
「もてあそぶ」などは明瞭に他動詞なんだが
>>461 > 遊ぶ以外にもそういう動詞あるんだろうか?
泣く、起こる、泳ぐ、エッチする、、、
>>477 それを応用して「してあそぶ」「やてあそぶ」という言葉はできなかったのかな。
なるほどもてあそぶは他動詞だな しかし ゲームをもてあそぶ っていうと、何かニュアンスが違う 遊びが変質してきて、言葉の方が古びてきているのかも
>>473 ちがうと思う。
もともとは、ただぶらぶらしているとか、(仕事ではない)非生産的な過ごし方を楽しむといった意味を持つ自動詞だったのでは?
だから「金を遊ばせておく」(運用せずにただ持っている)みたいな使い方もできる。
この場合「金」という主体が「遊んで」いるのだから、遊ぶは自動詞。
「遊ぶ」それ自体では他動詞的な用法ができないからこそ、「何をして」遊ぶのかという部分が直接対象への格助詞「を」を伴うことがなかった。
もし格助詞「を」が許されるのであれば、わざわざゲーム「で」遊ぶ。ゲームをして遊ぶ。などの説明的な言い回しをする必要はなかったはず。
他動詞「もてあそぶ」の場合は「女をもてあそぶ」と言えば済むから、「女を相手にもてあそぶ」などの説明的な言い回しにならない。
>>479 「もてあそぶ」は「もて遊ぶ」ではないからね。弄ぶ、玩ぶ、などと書く。
持て遊ぶ、の転では?
>>483 たぶん。
「手に持って遊ぶ」というような意味から来てるんだろうけど、
かなり早期に「弄ぶ」という他動詞に転化したんじゃないだろうか?
昔の遊びというと、百人一首や蹴鞠や貝あわせが思いつくけど そのことを「遊び」と呼んでいたのだろうか
平安時代に「あそぶ」と言えば音楽を指した。
>>482 中国から輸入された文字の意味で区別されてもね。中国語ではそうかもね、というしか。
狭い範囲に使われていた言葉が対象を広げていったから、 他動詞的に使われるようになった今でも自動詞的性格を保持し続けているのかな
>>480 >>482 日本語の「あそぶ」にもともと「遊」に限定されない広い意味があったのかもしれないが、
「もてあそぶ」は今日では特定の意味を込めて使われる独自の語に変化している。
だからまだ別の意味をもたない「してあそぶ」「やってあそぶ」を使えばいいのだと思う。
>>418 おそらく、「私はカレーライス(にする)」
若しくは
「私はカレーライス(を頼む)」
と省略してるんだと思う
だから、カレーライスです、とは言わない
>>490 私(の注文、希望etc)はカレーライスです。という省略は可能なのでは?
>>486 その場合、目的語を伴ってたとえば「笛をあそぶ」というような使い方はできたんだろうか?
英語で「She plays flute.」という時のplayに相当するような。
ちなみに英語の「play」もただ「遊ぶ」という自動詞としても使うね。
(They are just playng. 彼等は遊んでいるだけだよ)
>>487 日本の文字はもともと中国から輸入された漢字だった。
「もてあそぶ」という大和言葉が既に「持って遊ぶ」以上の意味で使われていたからこそ、「持て遊ぶ」ではなく「弄」「玩」などの漢字を当てたのだろう。
「被害を被る」は容認される日本語ですか? 「害を被る」だと微妙に違う意味合いになってしまうので、 「害を被る」では代用できないんですよね。
「害」は被ろうが回避しようが「害」だ。 「被害」は害を被った状態だから「被害」なんだろ。
誰もそれを害として被った試しのない「害」という絶対的自然物があらかじめ存在するの?
「害」というのはあくまでもそれを被るだろう主体というか客体というものがあって、 その利害関係からみて「害」としてはじめて存在するもんじゃないだろうか。
辞書の中に「被害を受ける」っていう例文も出てくるしおかしくはないと思う ただ漢字がかぶってるから重言っぽく見える
すると被曝を被る、被疑を被る・・・なんかもOKなのか
「パンツを被る」は容認できないな。
そもそもなんでこうむるをかぶるって書くんだ?
語源は同じだろ。 こうむる→かむる→かぶる
かぶとをかぶらないならごきでもかぶるしかないな、ぶりぶり。
とりかぶとかぶりあしおとしゃれこうべ
>>478 最後のは違うw
エッチ【を】する(名詞+格助詞+動詞)の省略だからな。
自動詞にしたかったら「まぐわる」(漢字わからん)とか、俗語で「寝る」とか?
だけど「名詞」+「する」の形になっている自動詞には曖昧なのが多いな。 「電話する」→「電話」を「する」(違和感なし) 「信頼する」→「信頼」を「する」(微妙) 「愛する」→「愛」を「する」? お茶する、Hする・・なんていうのは無理やりすぎるw
「信頼する」「愛する」は他動詞だな
変態するって何がおかしいんだ?
エッチは元々形容詞(すけべな、いやらしい)だけど
結局さなぎって動くのか動かないのか?
>>510 生物学用語ならおかしくないだろ。「蝶が変態する。」
風俗用語だとおかしいけど。
そのうち「変態行為を行う」という意味の動詞に転化しそうで怖いw
>>512 蝶や甲虫の蛹なんかでも、触るとピクっと動いたりするな。
あれは幼虫の筋肉を使ってるのか、成虫の筋肉なのか?
(完全変態の場合、いったん酵素で幼虫の組織を分解して成虫の構造に作り変えてるはず)
よく分からないのは蝉。歩いていた幼虫が脱皮前には動かなくなる。
あの状態を「蛹」というべきなのか。
脱衣を脱皮に例えたのか、女を蝶に例えたのか、なんだろうな。
抵抗する 抵抗をする 勉強する 勉強をする 感動する 感動をする 死亡する 死亡をする これらは品詞では何? 動詞なの? 目的語+動詞? 動詞句?
>>516 皮を脱ぐから「脱皮」。それ以上の連想がなぜ必要なのか?
カブトムシやエビや蛇も脱皮はするぞ。
>>517 どれも動詞を「名詞」+「助詞」+「動詞」という形で言い換えただけだろ。
しかしこの言い換えはどれも不自然というか無意味だ。
抵抗する
勉強する
感動する
死亡する、で何の問題もないんだから。
名詞部分に修飾語がついが場合には、この言い換えがなされることは多々あるが。
無駄な抵抗をする
英語の勉強をする
>>519 「死亡をする」だけが不自然であって、あとは普通に使われるし、自然に思えるがねえ。
>>517 動作者の意志で制御できない場合、「-を する」は不自然になる。
抵抗する 抵抗をする 抵抗しよう 抵抗をしよう 抵抗をやめる
勉強する 勉強をする 勉強しよう 勉強をしよう 勉強をやめる
感動する ?感動をする ?感動しよう *感動をしよう *感動をやめる
死亡する *死亡をする *死亡しよう *死亡をしよう *死亡をやめる
>>522 なるほどぉ。たしかに、「誕生をする」も変ですね。
BCCWJ 「感動する」1400 余件 「感動をする」7 件 「死亡する」1600 余件 「死亡をする」2 件
BCCWJ 「誕生する」1700 余件 「誕生をする」3 件
ちなみに BCCWJ 「抵抗する」800 余件 「抵抗をする」30 件 「勉強する」3400 余件 「勉強をする」600 余件 「抵抗をする」はやや少ないが、最小に見積もっても「抵抗する+抵抗をする」全体の 3% を超えている。 おかしいとはいえないだろう。
>>521 自分の言語感覚にそんなに自信があるの?
>>526 もう一度検索結果をよく見てみよう。。
「抵抗をする」の大半が「無駄な抵抗をする」などの修飾語を伴っているはず。
修飾語なしの単独の「抵抗をする」はずっと少ないと思われる。
@奴は俺に抵抗した A奴は俺に無駄に抵抗した B奴は俺に抵抗をした C奴は俺に無駄な抵抗をした D奴は俺に無駄に抵抗をした 自分の場合、Bは微妙に違和感があるのだが、Dはそれほど違和感を感じない。 文法的な規則ではないのか?
>>529 連体修飾語なしの「抵抗をする」が 30 件中 8 件。
極端に少ないとはいえない。
3 件は
>>530 Dのような連用修飾語もない。
「君はことさら世間に対してすねるとか、抵抗をしていたというのではなかった」
「王族は専用ヘリで逃亡し、劣勢のクウェート軍……は抵抗をすることもなく降伏した」
「戦時中に国民は一丸となって戦争協力をしてきたように見えたが、実は多くの抵抗をしていた人たちがいることを知るわけです」
533 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2012/08/13(月) 03:00:13.11 0
連用形以外の活用形で名詞化する動詞ってありませんか?
翻訳文でよくある「〜するところの〜」の 「ところ」に違和感がある 日本語として正しいのか? 「ところ」を省いた方がスマートな日本語になると思う
>>534 漢文訓読体に由来する。
中国語では、所+語句 で名詞と同じ働きをする語句(所句)を作ることができる。
そして「A 之 B」でAがBを修飾する。
このAのところに所句がおかれた 「所〜 之 B」をまんま訓読したのが
「〜するところの」だ。ところは所の直訳、「の」は之の直訳だ。
この言い回しが英文の和約にも取り入れられて「〜するところの」という表現が残った。
>>532 結局、間違いではないものの、抵抗するとすっきり言えるものを、わざわざ格助詞「を」挟むことに違和感を覚える人が多数派だということか?
言葉や文章に対する感じ方は個人によって癖があるということだろうね。
二番目の例文の人は「抵抗をする」だけでなく「協力をする」と、やはり格助詞を挟むのが好みのようだ。
「戦時中に国民は一丸となって戦争協力をしてきたように見えたが、実は多くの抵抗をしていた人たちがいることを知るわけです」
時制の構造も少し変な文章だが、多くの人は例えば下のように書くのではないだろうか。
「戦時中に国民は一丸となって戦争に協力してきたように見えたが、実は抵抗していた人たちが大勢いたことを知るわけです」
「君はことさら世間に対してすねるとか、抵抗をしていたというのではなかった」 とか例に出てくる文は、「を」が入らないと語調的におさまりが悪いと思う 「抵抗していた」だと口語的になりすぎるのかも
抵抗する あらがう 抵抗をする はむかう
>>537 「多くの抵抗をしていた人たち」というのはいかにも文章が拙い。
「抵抗して」をわざわざ「を」を間に入れて「抵抗」「する」の二語に分割してしまったため、直前の形容詞が「抵抗」にかかっているように読めてしまう。
すなわち「多くの抵抗」を「していた人たち」と読めてしまう。
抵抗運動をすると抵抗するの違いじゃないの?
>>539 その解釈の是非はともかく、微妙にニュアンスが変わることは確かだね。
>>538 「君はことさら世間に対してすねるとか、抵抗をしていたというのではなかった」
俺ならこう書く。
「君はことさら世間に対してすねたり抵抗したりしていたというのではなかった」
憲法九条みたいなもんだろ。
>>543 すねる「とか」ではなかった の部分が消えてる。
〜じゃありませんか 〜じゃないですか の違いを教えて下さい。
>>545 そもそも原文の「とか」の用法は間違ってないか?
書いた本人もこの文章をこんなに突っつかれるとは思わなかっただろうなw
言語センスがない一部の人間が強引に日本語を乱していく様が、はからずも浮き彫りにされている良スレw
>>537 そんなミクロな上手下手は、文法の守備範囲ではない。
選択されうる表現 (ここでは「抵抗する」「抵抗をする」) の用例全体のなかで、概ね 1% 以上を占めていれば、コーパス言語学ではその表現をおかしいとは見なさない。
「君はことさら世間に対してすねるとか、抵抗をしていたというのではなかった」は、丹羽文雄から舟橋聖一への弔辞。
1976 年の文章と思われる。
>>547 が言うように、「とか」は複数使うのが本来だが、「という」にも例示のニュアンスがあるので、落としたのだろう。
エトセトラエトセトラ
なんとかしてよ。
>>552 > そんなミクロな上手下手は、文法の守備範囲ではない。
むしろ逆だろう。「文法の守備範囲」とは何を意味するのかよく分からないが、人がなにげなく使っている変則的な日本語(大雑把に許容されている表現も含めて)を微に入り細を穿って解剖し、いちゃもんをつけるのが文法の醍醐味w
>>552 >「という」にも例示のニュアンスがあるので
ないわw
557 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2012/08/14(火) 10:01:52.32 0
本当に情けなくて涙が出てきた ・経済制裁に踏み切れない政府 ・韓国サッカーチーム全体がプロパガンダに関与していたことを知りながら報道しない日本のマスコミ ・消費税議論だけに注力し国防、外交の旗を揚げる政党の出てこない政治 ・韓国サッカーチームの選手に栄誉賞を与える京都府 ・韓国のことになると大人しくなる石原に橋下 ・今日も元気に韓国ageのテレビ各局
>>555 全くの誤解。「大雑把に許容されている」と思っているのがほぼ話者自身だけだから
それはおかしい、そんな表現を生産する文法規則はないと判定されるのだ。
>>524-525 のような千数百例 VS 数例の場合は、許容されていないと判断できる。
>>556 「と言(い)う」
D「と」の受ける事柄に似ている、そういう有様であるの意を表わす。
(日本国語大辞典 第二版)
>>557 もし日本が韓国と事を構えるなら、米国はサンフランシスコ講和条約を破棄して、再占領に踏み切るだろう。
559 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2012/08/14(火) 10:47:54.22 0
「決着を見る」という言い方があります。 この「見る」の主体は誰なのかというと、 世間の人々だと思いますが、 その主体が書かれることはありません。 このような表現をする言葉は、「決着」だけでしょうか?
「決着を見た」と言うと、 単に「決着した」というより、「最終的にそのようになった」、というニュアンスが増す感じがする
たかが数件と勝手に切り捨てるのは誤魔化しでしかない。 再調査した上で一件でも残ればそれは単に希少なだけだ。 その上で従来の枠で許容されないと報告するなら、 その学者は亜型でなく新種の発見者だろう。
多数決で決めるほうが政治か何かと混同しているだろう。
言語は政治よりはるかに純粋な多数決だということを知らんのかw
知られていないってことは少数だね。
>>562 たしかに。
「決着」「解決」非常に性質が似ている言葉ですね。
このような「行為の主体が暗黙的に不特定多数になる文」って何か名前はあるのでしょうか?
「主語を略してもいい」というより、 「主語を書いたら違和感が生まれるような文」ですね
どこをどう混同してるんだ?
>>558 だいじょうぶですか? まったくレスになってないんですが。
「痛い目を見る」というのも考えてみると不思議な言い方だな
>>492 日本語って後略、体言の省略、文節の省略はできても
助詞助動詞の接続が変わってしまう省略はできないんじゃないかな
だから、言うなら
私のはカレーライスです、だね
>>571 確かに、痛い目に会うのは自分自身だしな
A painful eye is seen. ↑ 「痛い目を見る」のExcite翻訳結果w
>>573 文法的にはそうでも、会話の中では
>>575 のような言い方はふつうに通じるし、頭の中では接続を暗黙に切り替えてると思われ。
「うちの親はサラリーマンだから休めないな」
「うちもサラリーマンだけど休みとってるよ」
「のは」の時点で省略入ってないか? 引き渡されるまでは自分のものではないから所有というのは変じゃない? 注文したのは○○って話じゃないだろうか?
579 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2012/08/14(火) 22:44:32.14 0
1.瓦割りが出来ない 2.瓦割りなど出来ない 3.瓦割りなど出来るものではない 下に行くほど、難易度を強調されるように感じます 1→2は、「など」が入るので理解できますが、 2→3は、なぜ難易度が高まるのだと思いますか?
詳しく言うことも、強調に感じるんでしょう
>>579 難易度というか言っていることのニュアンスが変わるんだと思う。
「あんな店に行くな」(単なる個人的な禁止命令)
「あんな店に行くものではない」(世の中の普遍的な常識として教え諭すニュアンス)
>>579 3.は一般化しているでしょう?
1.は個人にとって一時的に不可能だというニュアンスにとどまっているけど、
2.はそんなの無理だよ、うんざりだ、といったニュアンスが加わっていて、
3.はそれをさらに一般化して、誰にだってできないのが普通だろう、と開き直る
ニュアンスまで加味されている。
何故名詞化すると一般化するのでしょうか?
「落石が落ちる」という日本語は正しい?間違い?
正しいわけがないだろ
落石が落ちてくる
落ちた後の石自体も落石というので 落石が道路に落ちていた、なら有りかな ただ重語っぽいから言い換える方が良いね
落石が落ちる原因は定かでない。
流氷が流れてくる
「流氷≠流れる氷」なので「落石=落ちている石・落ちてくる石」とは事情が違う。
こきみ【小気味】 (多く「小気味が好(よ)い」「小気味が悪い」などの形で)「気味」を強めていう語。 とあります。 強めて言うのに「小」とは一体どういうことなのでしょうか? 強めるなら「大気味」にする方が適当ではないでしょうか
心地良いと掛けてる?
「小躍り」も「踊り」より強まってる感じがする
>>593 それは別物だろう。
「小躍り」はただのルンルン、「踊り」は所作の定まった舞踊。
>>586 >>589 どちらも似たような用法なのに流氷の方が違和感がない理由を考えてみた。
「落石」は既に「石が落ちてくること」という一般的な意味があるので、「落石が落ちる」という表現はくどく感じる。
一方「流氷」は特定地域の海で見られる限定された現象を指すことが多く、「氷が流れること」という一般的な意味は薄い。
だから「流氷が流れてくる」は、さほど不自然に感じないのではないか。
>>583 おそらく名詞には、静態的な対象というニュアンスがあるのだと思う。
いつも変わらずそこにある普遍的・客観的な事物を名づけている意識が。
形式動詞には、サルトルの言葉で実践的惰性態を名づけるニュアンスがあるのでは?
私たちがふだん「動かしがたい現実」と呼んでいるものがそれに近い。
日本人は、現実を積極的に変えられる対象としてではなく、動かしがたい不変物として、
個人や人間が受け入れるしかない対象として捉える傾向があると主張する日本文化論もあるくらい。
>>597 形式動詞には、→ 形式動詞の「もの」には、
>>583 質問の意味が分からないので、具体的な例を挙げてもらえませんか?
>>597 >>598 ごめん。再訂正。形式動詞じゃなくて形式名詞の間違い。
正しくは、形式名詞「もの」には、ね。
>>599 >>583 はおそらくその直前の投稿へのレスだと思われるので、
それが正しければその具体例は:
1.瓦割りが出来ない
2.瓦割りなど出来ない
3.瓦割りなど出来るものではない
のうちの3.が名詞化ということでしょう。より正しくは名詞句化ですかね。
形式名詞「もの」によって「瓦割りなど出来ない」を名詞句化している。
>>597 なるほどー
納得しました
ありがとうございました
残影という言葉があります 辞書を引くと「おもかげ」と出てきます しかし自然科学的に言って、「影が残る」とはどういう現象でしょうか? 影は、影を作る主体と即応しているものですよね なんでこんな言葉が出来たのでしょうか?
>>603 単に心的現象を指す言葉なんじゃないの?
おもかげであれば、遺伝的現象だろう。 実際の影だとすれば、シルエットの残像ではないか? あしながおじさんの話が印象的だ。 そういう焼き付きは物理的にも起こるので、強すぎる光源は避けるべきだ。 弱くても長時間固定されれば同様なので、スクリーンセーバーのように 平均化させるものを使ったほうがいいだろう。
焼き付きは、たしかに影なのに残りますね
エロい人おねがいします! 788 名前:774RR [sage] :2012/08/15(水) 23:45:19.61 ID:1M4kW5Wd 「女子小学生が好きなバイク乗り」 と 「女子小学生の好きなバイク乗り」 と 「女子小学生を好きなバイク乗り」 の違いを説明できる奴いるか?
>>596 「冷水が冷たい」「熱湯が熱い」はくどいですか?
くどい=間違い?それともくどいけどまちがいではない?
そもそもどういう記述をまちがいだと考えているの? 前例がないもの? 話者の中から無作為に一人選んで、その人が許容しないという可能性のあるもの? 国語のテストで点が貰えないもの? 日本語学校で直しが入るもの? 編集者に校正を勧められるもの?
周りの人間から間違いだから直せと言われてもおかしくない言葉
周りの人間って誰? どこの地域かによっても全然違うよ?
同じ人でも、書き手の立場によって指摘される場合とされない場合があるだろうな。 その場に合っていないから「間」違いなのでは?
名前のイントネーションが相手の思ってるのと違うと間違いではないのに馬鹿にしてんのかと怒ってくる場合あるよね
>>603 「影」というのは今風に言えば認知心理学的現象では?
「心像」の比喩。
対象が脳の記憶に「うつる」という比喩を「影」という名詞で表している。
声の高さが数字が大きい方が高いという設定で 「ダンサー」は「ダ(3)ン(2)サ(2)−(2)」が一般的なのに 「ダ(3)ン(3)サ(3)ー(3)」という事を強要するヤツむかつく
思兼?
>>616 同音異義語なんじゃないの?
踊る人ではなく、「だんさー」と自称する集団なんだよきっと。
>>609 そんなのは使われる状況によるだろ。
なんでも一般化はできないし、正しいとか間違いとか白黒つけられるわけでもない。
>>603 「影」には「すがた、かたち」という意味もある。
「撮影」といったって物体の影を撮るわけではない。
補助動詞の「ある」って考えてみると変である 漢文の影響で生まれたのだろうか?
623 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2012/08/17(金) 06:02:28.47 0
「救急」はどちらかといえば「急救」の方が適当に思えるのですが 何故修飾的文字の方が後ろにあるのでしょうか
「急」が名詞なんだよ。「急を救う」
ありがとうございました
脱法ハーブを合法にして税金200%取ればいい。 パチンコの売り上げには1000%で
中国人に阿片を売りつけた英国人のようなことを、日本人どうしでやってどうするw
「気味悪い」と「薄気味悪い」 「薄気味悪い」は「気味悪い」の下位互換に見えるのに、ほぼ別物として扱われていること
>>630 きゅう【急】
[名]
1 切迫した事態。また、突然の変事。「風雲―を告げる」「国家の―を救う」「―を知らせる」
(大辞泉)
632 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2012/08/18(土) 12:24:04.31 0
英語のbe動詞に相当する 「AはBである」のような文章に、日本語で名前ありますか?
調べれば簡単に分かることをグダグダ言いあうだけの駄スレになるのか?
仏教語は呉音で読む慣わし 漢字文化圏の固有名詞は漢音で読む慣わし 中国の寺はどちらで読めばよいのか。
635 :
632 :2012/08/19(日) 04:09:45.55 0
論理学の用語ですが、「命題」がそれにあたるようです 文法用語としてはないのでしょうか
「題説文」という言葉を見付けました googleで23件しかヒットしないので、ほとんど使われていないようですが・・・
637 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2012/08/19(日) 09:38:45.22 0
「彼には華がある」「彼には力がある」→○ 「彼は華がある」「彼は力がある」→? 下は文法的に正しいですか?
>>635 「命題」はBe動詞を伴うとは限らないだろ。
犬は尻尾を持つ。
すべての人間は死ぬ。
etc.
犬は尻尾を持つ生物である すべての人間は死ぬ生物である と書き換えればbe動詞文になる すべての命題はbe動詞文に書き換えられる文である?
屁理屈
ええw 屁理屈としてではなく、本質論として言ってるんだけどな
>>632 > 英語のbe動詞に相当する
>「AはBである」のような文章に
・be 動詞に「である」が相当するかのように見える場合はあるが、実際には相当しない。
・be 動詞に「A は B である」全体はもとより相当しない。
・「A は B である」という表現をふつう「文章」とは呼ばない。
>>641 君の言う「本質論」とやらが何に対する「本質」を述べようとしたものか知らないが、すくなくとも
>>632 の疑問とはなんの関わりもない「本質」であることは確かだ。
最初に
>>632 は「英語のbe動詞に相当する」と限定的に明言している。
つまり文章の内容ではなく特定の「文法的構造」に該当する日本語を探しているわけだ。
それを「命題」と呼ぶというから、「命題」という概念は「英語のbe動詞に相当する」ような「特定の文法的構造」をさす概念ではないというlことを、例文を挙げて指摘した。
であるのに
>>639 はその例文の「文法的構造」を変えることで「be動詞」の形にできるなどと頓珍漢な答えをしている。
だからどうだというのだ?というしかない。
>>642 屁理屈とは論破する必要のないものを言う
>「A は B である」という表現をふつう「文章」とは呼ばない。 これどういう意味?文章でしょ
1 文から成る文章もあるが (短詩、標語等)、
>>632 はそのような文脈ではないな。
文章でなく文だってことかw なんという揚げ足取り
>>645 屁理屈である根拠も示せないのはただのレッテル貼り
お前の意思は論理性と無関係
餓鬼の口喧嘩かよw
ぶん‐しょう〔‐シヤウ〕【文章】 1 文を連ねて、まとまった思想・感情を表現したもの。主に詩に対して、散文をいう。 2 文法で、文よりも大きな単位。一文だけのこともあるが、通常はいくつかの文が集まって、まとまった思想・話題を表現するもの。
教えてくださいエロイ人、どちらが適切な表記でしょうか? 〜の様だ 〜のようだ 〜の方が 〜のほうが 〜の事が 〜のことが ここんとこずっと悩んでいます。
>>632 日本語教育文法では「判断文」とも呼ばれています。
これは「現象文」に対する概念です。
現象文は主として助詞「が」をとります。
判断文をもっと下位の分類まですれば「常態判断文」です。
「常態判断文」は主として助詞「は」をとります。「AはBです」
対して、「転位判断文」は主として助詞「が」をとります。「AがBです」
>>636 「コピュラ文」のほうがもう少し使われているかも。
>>655 「命題」と同じで「判断文」もかならずしも「be動詞」の形とは限らない。
「犬は動物だ」が判断文なら「犬は吠える」も「判断文」といえる。
これは条件文でも同様。
>>657 ×これは条件文でも同様。
○これは現象文でも同様。
>>658 でもコピュラ文のコピュラがbe動詞とイコールかどうかは微妙。
「存在文」という用語もあったかもしれない。
>>660 そもそも「Be動詞」ってのは日本では「動詞」じゃないんだよね。
ああ「存在動詞」というのがあったか
be動詞=存在動詞 「AはBである」=名詞文(コピュラ文) こんなところ?
>>657 判断文としての「犬は吠える」はウナギ文の一種で、
「犬は吠える動物だ」の省略じゃないかなあ?
また、コピュラもしばしば省略される。
「わたしは女(です)」「年齢は18歳(です)」「血液型はO型(です)」
さらに、形容詞文を考えると、(これもウナギ文っぽい)
「君はやさしい(人だ)」「この花は赤い(色です)」「今日は暑い(日だ)」
形容詞文が省略でないとしたら、日本語では形容詞文でコピュラは要らないので、
英語のbe動詞とはズレてしまう。
論理学の「命題論理」は「AならばBだ」というものなので、 「命題」という概念を論理学からそのまま借用してくると かなりズレちゃうかもしれない。
日本語の場合、 助動詞あるいは陳述辞「だ/である/です/であります/でございます」を コピュラと見なすのではなく、むしろ副助詞「は」をコピュラと見なせないのか?
>>664 >形容詞文が省略でないとしたら、日本語では形容詞文でコピュラは要らないので、英語のbe動詞とはズレてしまう。
ズレたら困るのか?
>「犬は吠える動物だ」の省略じゃないかなあ?
そんな無理矢理にw
では「なんじゃもんじゃは吠える」ならどうだw
「空は青い」 これにどんなコピュラが省略されているというのか?
「空は青いものです」の省略形とかいいだしそうだがw
論理学は印欧語の構造に基づいている。 印欧語と構造を異にする日本語で、西洋的な論理を表すことは本来できない。 例えば、名詞の単数/複数の対立のない日本語の話者に、集合の概念はもともとない。 だから「一事が万事」と言うのだ。
669 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2012/08/21(火) 02:20:27.64 0
無理やりだな
>>667 > ズレたら困るのか?
>>632 がいう英語のbe動詞に相当しなくなる。
ズレたら、形容詞文「空は青い」は「犬は吠える」と同種で、
判断文ではあってもコピュラ文ではなくなる。
>>670 英語のbe動詞に相当するものは多くの言語に存在する。
日本語では存在動詞「ある、いる」がこれに相当する。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%98%E5%9C%A8%E5%8B%95%E8%A9%9E 存在動詞は、印欧語族をはじめ多くの言語で、コピュラとしても用いられる。日本語でも、コピュラとして「である」「だ」、古語の「なり」など独立の形態を用いるが、これらはいずれも存在動詞「ある」「あり」に補語を表す助詞「で」「に」が融合したものである。
(中略)
しかしながら多くの言語では、存在表現(特に未特定のものの存在)には存在動詞をそのまま用いるのでなく、特徴的な構文(存在文)を用いる。これは存在・コピュラ両用法の間に明確な境界が感じられるためである。
これは論理学的には、存在は限量子(自然言語でいえば日本語の連体詞「ある」など、名詞句を限定する語)と捉えられるのに対し、コピュラは述語と捉えられることに関係している。
「Sky is blue」を「空は青い」と訳すのは、たんに意味を訳しているのであって、必ずしも両言語の間に相当する文法構造があることを意味しない。 Sky(空) + is(は) + blue(青い) などと無理に対応させる必要はどこにもない。 そもそも言語によって思考構造が異なるのだから。文法構造が一致しないのが自然。 .
「A is B」のisに相当するものを日本語のコピュラ文で無理に探そうとするから 「AはBである」の「は+である」がbe動詞に当たると考えたくなる。 それに捉われてしまうから「Sky is blue」も空「は」青い「(もの)である」などという無理な発想をしようとする。 訳語の構文などズレてなんぼ。
>>668 >論理学は印欧語の構造に基づいている。
でもなぜか日本語でも表現できるw
>印欧語と構造を異にする日本語で、西洋的な論理を表すことは本来できない。
論理学という学問体系が先に日本で発展していれば、ちゃんと日本語の構造の枠内で表現されていただろうけど。
>例えば、名詞の単数/複数の対立のない日本語の話者に、集合の概念はもともとない。
集合の概念はあるでしょ。「犬は吠える」「魚は泳ぐ」と言うとき、特定(単数)の犬や魚を念頭に言っているのではない。
単複を区別しなくても理解できるものを無理に区別していないだけ。
特に区別しなければならない時は、「たち」「ら」「々」などの便利な符号が用意されている。
「魚たちは気持ちよさそうに泳いでいる。かれらは海の生き物なのだ」
印欧語だって非論理的に規則を破ってたりするしね。
Birds fly and fish swim.
>だから「一事が万事」と言うのだ。
これは蛇足ですねw
表面上の文法構造までしか見えない人と、個々の言語を越えた抽象的な層まで見ようとしている人の論争に見えるなぁ 英語においてbe動詞という特殊な文法的部材を生んだ本質的は、日本語にもあると思う 俺が本質論と言ったのも、そういうことです 俺はうまく説明できなかったけども
>>675 >個々の言語を越えた抽象的な層まで見ようとしている人
自分がそうだと言いたいのねw
>>667 > 「空は青い」 これにどんなコピュラが省略されているというのか?
それはウナギ文だと考えられるので、省略されているコピュラだけではない。
素直に答えれば「空は青い色だ」が省略されていると考えられるだろう。
「空は青いものだ」が省略されていると考えてもいいだろう。
選択肢がいくつもあるのは省略とは言えない?
しかし、「私は男」だって
「私は男だ」の省略なのか、「私は男である」の省略なのか
「私は男です」の省略なのか、それだけでは分からない。
じゃあ、これは省略じゃないのか? 「私は男」がコピュラ文でないとするなら、
じゃあ、この文はなんだ? という問題が生じる。
>>677 >じゃあ、この文はなんだ?
日本語です。
>「空は青い色だ」 「空」って「色」なの? 無理を通そうとすると、どんどん泥沼にw
「空は(太陽の光が空気中の酸素、窒素、水蒸気などの分子や、光の波長よりも小さい微粒子に当たって散乱するとき、特に短波長の可視光域が強く散乱されて、しばしば人間の目には)青い(と認識されることが多い地球の大気を指す日本語の名詞である)。」 このぐらい省略させとけばw
www
「私は男」ってすごいカマっぽいんだけどw
>>678 「これは日本語」は文脈なしに単独で文として成り立つが、
「日本語です」は単独では文として成り立たない単語の羅列だろう。
「それは何語?」「日本語です」という文脈のなかではじめて文になる。
>>679 失礼。「空は青い色のものだ」の省略に訂正すれば問題ないだろう。
そもそも「空は青いものだ」の省略のどこに問題があるのだろうか。
>>667 の言いたいことが何を意味するのかさっぱり意味不明。
よくよく考えてみると、
「今日は晴れだ」はもちろん、
「私は学生だ」や「ライオンはハンターです」
もウナギ文だと見なせる。
「私は学生だ」は「私を特定する属性の一つに学生というカテゴリーに属する属性がある」
「ライオンはハンターです」は「ライオンを特定する属性の一つである習性には
ハンターに属する習性があります」ということを指していると考えることができる。
とすれば、「空は青い色だ」は「空というものを特徴づける属性の一つに色があり、
それは青色というカテゴリーに属している」という意味になる。
「AはBです」文は、Aを特定する属性の一つにBというカテゴリーに
属する属性があるということを表現していると評価することができることになる。
「私は男」の「男」は「I am a man.」の「a man(名詞)」ではなくて I am male.(私は男性♂です)の「male(形容詞)」に当たるんじゃない? そう捉えれば「Sky is blue」(空は青い)と同じ構造。
685 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2012/08/21(火) 14:03:08.54 0
>>680 もちろん、「空は青い」は厳密に言えばそのくらいの省略を意味しているだろう。
どこもおかしいところはない。
一つの語にさえ、厳密に言えば、大量の意味が構造化されて成り立っている。
言語の本質は記号であり、記号の本質は意味をそのなかに省略・縮尺することだからだ。
省略することによって語がつくられる。
687 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2012/08/21(火) 14:05:30.90 0
>>684 もっと突き詰めて言えば、「私はウナギ」と同じ構造。
「私=ウナギ」ではないのだから、ウナギ文はおかしいとするのはおかしい。
ということが分かる。
>>685 >もちろん、「空は青い」は厳密に言えばそのくらいの省略を意味しているだろう。
>どこもおかしいところはない。
わざわざ省略を妄想することがおかしいのです。
「青い」に含まれる意味は「青」という属性だけであり、何も省略などしていない。
Sky is blue.の「blue」と同じです。
この英文をわざわざ「Sky is a bluish thing.」の省略形だなどと考える人はいない。
「空は青くある」「あの女は美しくある」というのはコピュラ文か?
692 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2012/08/21(火) 14:48:56.92 0
形容詞文はそもそも「...くあり」の縮約ではないだろうか。 「空は青いです」「空は青いである」「空は青いだ」「空は青いでございます」というのは変だ。 「です」だけが変でないように思えるのは、「です」が独自に発展してきたからだろう。
>>682 会話口調としてなら、そういう印象もありうる。
「私は男」の「男」をふつうに名詞(男の人)と考えて、体現止めというのは私的な内輪の会話で使われるような口調だ。
社会的、公的な会話、あるいは目上の相手に対してはきちんと「です」「ます」などで語尾を整えるのがふつうだ。
また「私」という一人称は男性においては、社会的、公的な場面や、目上の相手に対して用いられる場合が多い。
内輪の私的な会話、目下や同格の相手に対するときは、男は「俺」「僕」などの一人称が多くなり、「私」を使うのは女性が多い。
体現止め口調が許される状況(私的、内輪の会話)において一人称「私」を使うのは女性であることが多いということだ。
男が使えば多少カマっぽく聞こえる状況はあるかもしれない。
あくまで現代人の会話における大雑把な一般傾向としての話だが。
話言葉では体現止め自体が女性的な甘えの要素があるのでは? 「駄目です」(公的/感情表現無し) 「駄目だ」(男性・私的感情?) 「だめ」(女性・私的/甘えた感情)
体言止めは内輪の会話でだけ使われるとはかぎらない。 文章でも使われる。 「私」は女性を表すとはかぎらず、「わたくし」とも読み、 成熟した男性が用いる一人称でもある。 その意味からすると、「俺」「僕」をいい歳をした男がつかっていたら、 周囲の人間がたとえ自分より年下ばかりだとしても、 幼稚な印象もまたもたれるだろう、と分析することができる。
696 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2012/08/21(火) 15:10:43.56 0
「です/ます」体や敬語にも女性的なニュアンスがあるぞ。 上品と下品な言葉があるとすれば、下品な言葉は男性的で、女性にふさわしくないとされる。
>>695 >体言止めは内輪の会話でだけ使われるとはかぎらない。
>文章でも使われる。
だから「会話口調としてなら、そういう印象もありうる。」と初めに断ってるのにw
意図を思いっきり無視して、とにかく言葉尻だけで反論せずにいられないというのは大人気ないのでは。
例えば「お・ご・み」のような敬語の接頭辞には女性的イメージがある。 「ごはん」は女言葉、「めし」は男言葉、 「お約束」は女言葉、「約束」は男言葉、 「おにぎり」は女言葉、「にぎりめし」は男言葉 みたいな。 接客業接待業では敬語の使用を徹底するので、接客はどちらかというと女性の イメージがある。男が接客をするとオカマっぽいイメージにどうしてもなる。
接客の業種にもよるな。 わざと敬語を使わない「狎れ」(甘え)た物言いも女性(オカマ)ならではの接客文化だ。
だ め。 わたしは お と こw
「俺」は現代では基本的にガキ言葉だと思う。 いわゆるギャングエイジが好んで使う一人称。 「僕」はもう少し育ちのよいお坊っちゃん言葉のイメージがある。 「僕」は若い男性が自分を謙遜して称する代名詞になっているので、 年上の前や公共の場でも失礼にはならないが、それでも「私」よりは 幼稚なイメージをともなう。 学生時代の同輩仲間が同窓会で集まったときに、大の大人同士で 「俺」を使うのが許されるのは、学生時代からの仲間だった関係 というのは「幼なじみ」であり、永遠のガキ集団でいられるからだろう。 成人してから知り合った大の大人同士は、親しくなっても「私」を 使いつづけることも多いし、「俺」が許されるのは20代30代くらいまでではないか?
2chでは俺って言うのはみんな友達感覚ってことか
>>701 「学生時代」って小学校のことかよ
大学時代で「幼なじみ」なんて殆どいないだろ
てか大学時代の友人ならずっと「俺」「おまえ」で通せるわ。
>>674 > でもなぜか日本語でも表現できるw
明治以降、西洋語を翻訳するために、日本語本来でない言い方を作ったからだ。
> 論理学という学問体系が先に日本で発展していれば
それはありえない。言葉で表せない概念を操作することはできない。
>>705 >言葉で表せない概念を操作することはできない。
数学は言葉ではなく記号で操作しているが
>>702 2chではチャット(おしゃべり)系の投稿では、
互いにまったく未知の相手であるにもかかわらず、
丁寧語の「です/ます」体も、ほとんど使われていない。
敬語も稀にしか使われていない。
多くの人が「俺様」口調。大人の会話はたしかに少ない。
>>674 > 特に区別しなければならない時は、「たち」「ら」「々」などの便利な符号が用意されている。
>「魚たちは気持ちよさそうに泳いでいる。かれらは海の生き物なのだ」
「たち」「ら」を複数の代わりに使うのは典型的な翻訳語だ。「太郎たち」は複数ではない。「*魚々」という言い方はない。
> 印欧語だって非論理的に規則を破ってたりするしね。
> Birds fly and fish swim.
破ってない。"A bird may not fly and a fish may not swim." を含意している。
> これは蛇足ですねw
いいや。日本語による思考をよく表すものだ。
>>707 2chのような特殊な匿名コミュニティでは、言葉遣いなどのうわべの形式で大人とか幼稚とか判断していては何も始まらない。
体裁にこだわらないのが2chの良さでもある。
ここでは失礼だの無礼だのとリアル社会の常識に固執する頭の固い者が真っ先に淘汰される。
相手の口調や態度が気に入らなければ、華麗にスルーするのが決まり。
そうした日常社会との異質性を正しく理解して許容できる人間の間では、ちゃんと大人の会話が成立するんだよな。
>>706 論理記号の基になる論理が印欧語の構造に従っている。
>>708 正直、馬鹿じゃないのかと思わざるを得ないレスなのだが、本人は自覚していないらしいね。
>「たち」「ら」を複数の代わりに使うのは典型的な翻訳語だ。
「翻訳語」などという言語はない。
「鳥たち」「子供たち」「君たち」「おまえら」「猿ども」「人々」「下々」「山々」・・・すべて正統な日本語です。
日本語には集団の概念がちゃんとあるからこそ、こうした便利な言い回しがふんだんに容易されている。
>「太郎たち」は複数ではない。
「太郎」に代表される複数の人たちだろw
>「*魚々」という言い方はない。
ない例をあげてどうする。 「魚たち」「魚ども」とでも言えばいいだけ。
>> 印欧語だって非論理的に規則を破ってたりするしね。
>> Birds fly and fish swim.
>破ってない。"A bird may not fly and a fish may not swim." を含意している。
どこをどう読めばそんな含意が読み取れるんだw
というか、たんに主語が複数の時は単数形とは異なる複数形名詞を使うという、一般的ルールを破っている文例を挙げてるにすぎないんだが。
>>711 > 馬鹿じゃないのかと思わざるを得ないレスなのだが、本人は自覚していないらしいね。
そのまま君に返すよw
>「鳥たち」「子供たち」「君たち」「おまえら」「猿ども」「人々」「下々」「山々」・・・すべて正統な日本語です。
西洋語と接するまでは存在しなかった表現が多い。「ども」「々」は特定の事物のみを表し、集合の概念とは関係がない。
> 日本語には集団の概念がちゃんとあるからこそ
集合と集団は違う概念だ。
>「太郎」に代表される複数の人たちだろw
印欧語の複数形は、1 人に代表される複数の人たちを表さない。そもそも比較にならない。
>「魚たち」「魚ども」とでも言えばいいだけ。
「々」はごく限られた名詞でしか機能しないということ。無生物を指す名詞の複数形は日本語には存在しない。
「魚たち」も新しい表現だろう。
> どこをどう読めばそんな含意が読み取れるんだw
総称の複数は most 〜(s) の意味を表す。
> たんに主語が複数の時は単数形とは異なる複数形名詞を使うという、一般的ルールを破っている文例を挙げてるにすぎないんだが。
単数/複数の対立には冠詞も関わっている。Fish と a fish とは形が異なる。区別は守られている。
>>712 > じゃあたとえば下の方程式がどんな印欧語の構造に従っているのか教えてくれ。
= は繋辞を記号化したもので、右辺と左辺の量的同一のみを表す。
「最近のカメラの解像度」のように 「の」を連続して使うのはダメですよね でもどう言い換えればいいのか分からない
繰り返しとか、諸○○とかは、数表現であっても、印欧語にあるような文法数ではない。
女子学生と男子学生という単語があるからといって、日本語に文法性があるわけではないのと同じ。
それはともかく、文法数はあるべきものだと思ってる人が多過ぎじゃないか?
文法性が論理学をやるのに役立たないのと同じで、文法数も役立つものではないだろ。
>>713 日本語では一事が万事と言えるが、英語なら言えないというような事を言ってるの?
もうちょっと具体的な話をしてくれないとわかりづらい。
>>715 > もうちょっと具体的な話をしてくれないとわかりづらい。
要するに、be 動詞 (繋辞) に相当する形式は日本語にはない、
それでは論理が成り立たないが、西洋式の論理は元来日本語では表せないのだから
成り立たなくても構わない、と言っている。
英語ではbe動詞にあらわれている構造が日本語ではどのようにあらわれているか、が問題なんだよ 言語は、超言語的な構造のあらわれでしかない 文法拘泥派はそれが分かっていないようだ
718 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2012/08/22(水) 03:20:33.84 0
「それに尽きる」という言葉は、「それで尽きる」という方が自然ではないかと思います なぜ「に」なのでしょうか?
>>716 いやいや、そういう話ではなくて、
「右辺と左辺の量的同一のみを表す。」の、具体的な例文を出してくれない?
できれば、英語だけじゃなくて、英・独・露あたりで1つずつお願いしたい。
あと、「一事が万事」以外の日本語の例も。
単に、日本語の名詞に文法上の数が存在しないという話を言っているだけのように思うんだけど。
あと、論理学の場面では、ゼロか、部分か、全てか・・といったことには拘っても、
ヨーロッパ語的な「単数・複数」に拘るようなことをするか?
720 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2012/08/22(水) 03:27:54.17 0
日本式の論理は元来英語では表せない
日本語特殊派は「ここから一歩も踏み出さない」と言ってるようなもんだろ 何も言ってないのと同じ
722 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2012/08/22(水) 06:24:26.03 0
日本語から一歩も踏み出していないなら 日本語が特殊かどうかわからないぞ。
>>718 この場合の「尽きる」は『(ある極限に)達する』という移動を示す動詞だから、
目的地を表す「に」なる。「で」では手段や方法と解釈されてしまうね。
724 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2012/08/22(水) 07:17:35.10 0
着く 付く 尽く=自動詞 突く=他動詞 尽くす=? 自動詞の他動詞化? 全部、元は同じ感覚の「つく」?
>>717 > 言語は、超言語的な構造のあらわれでしかない
そんな構造は存在しない。幻想だよ。
私は全言語特殊派。
西洋人以外が論理学を学ぶとき、母語は捨て去っている。
西洋語のなかでも細かく違うので、教養人は古典ギリシャ語に拘る。
>>719 個々の例は自分で考えてくれ。
> 単に、日本語の名詞に文法上の数が存在しないという話を言っているだけのように思うんだけど。
> あと、論理学の場面では、ゼロか、部分か、全てか・・といったことには拘っても、
> ヨーロッパ語的な「単数・複数」に拘るようなことをするか?
文法数がなければ、ゼロか、部分か、すべてかといった概念は出て来ないんだよ。
726 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2012/08/22(水) 11:14:54.80 0
文法の差によって思考過程、論理に差がでるって話?
差が出るというか、「論理」自体が洋モノだ。
そんな馬鹿なことがあるかw
729 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2012/08/22(水) 21:22:55.92 0
質問です。 水に「うかんだ」を漢字で書くと「浮かんだ」と変換されるし、そう習ったと思うんですが、 ある小説で「浮んだ」と書かれています。私なんかではなかなか理解できない、社会的にとても 評価の高い小説家の作品です。 この例に限らず、私はつねづね、老齢の作家による格調の高い作品ほど、このような「送りがなが ちょっと少ない」ということが多いと感じていました。 もしかして、日本語における送りがなというのは、一応定められたルールはあるんだけど、 「文筆家の個性としてある程度の変更はアリ(もちろん立派な人限定)」とされているんでしょうか?
私の日本語変換システムでは「浮かんだ」とも「浮んだ」とも変換されます。 同様に「表わす」とも「表す」とも変換されます。 老齢の作家による格調の高い作品ほど、このような「送りがながちょっと少ない」 という事実があるとすれば、それは気がつきませんでした。新発見ですね。
731 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2012/08/22(水) 23:24:30.81 0
性的な意味での「風俗」って、昔はたしか別の言い方をしていたのを言い換えられたような記憶があるのですが なんですか?
トルコ風呂→ソープランドのことだったかなぁ? 風俗は昔から風俗って言われてたんだっけ? 風俗って、考えてみたら変な言葉だし、言い換えられた感じするんだけどなぁ
>>729-730 国語で習う標準的な送り仮名は、語源のもつ語幹に従ってつけられている。
「送り仮名がちょっと少ない」のは語形の変化によって語幹が拡張されたもので、
寧ろ古い文章に多い。
例えば「うかんだ<うかぶ」の場合は「浮く」から派生しているから
標準的な書き方では「浮かんだ<浮かぶ」となるんだが、活用上は
「うか〜」までは無変化なのでこれが語幹になるので「浮ぶ」となる。
>>731 「赤線」か?
>>733 元来、送り仮名は書き手の意図どおりに読ませられればよく、自在なものだった。
「浮ぶ」「浮んだ」でも、ふつう「うかぶ」「うかんだ」としか読みようがない。「浮く」と一貫性がなくてもかまわなかった。
送り仮名の付け方を厳密に定めたのは、当用漢字音訓表だ。これが当用漢字の音と訓を、必要最小限の数にとどめようとした。
「うかぶ」は「浮かぶ」でなければならないと決めれば、「浮く」「浮かぶ」において、「浮」という漢字の訓は「う」 1 つで済む。
「浮ぶ」を認めると、「浮く」「浮ぶ」において、「浮」の訓は「う」「うか」の 2 つ必要になる。
戦後ずっとこの考え方で学校教育が行われた結果、漢字の訓は、中国由来の文字に対する翻訳だったのが、文字に貼り付いた読み方へと変わった。
近頃、「浮」を「う」と読ませる類の宛字を使った命名が多いが、それは当用漢字音訓表に源泉を持つ。
735 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2012/08/23(木) 10:28:09.82 0
英語人は英語を捨て去らない限り大和魂は理解できない!みたいな
>>725 >個々の例は自分で考えてくれ。
例が存在しないわけですねw
妄想乙
>>738 > それぐらいしか例が言えないだろ。
> 数式はイコールだけで出来てるわけじゃないぞ。
それだけでも十分だと思う。
日本語の構造ではイコールすら言うことができず、スタートが切れない。
> そもそも数学の概念がすべて脳の言語野で処理されてるとでも思い込んでるのか?
言語構造に基づく概念から、年月をかけて発展してきた結果だろう。
もともと言語と無関係なら、エウクレイデスの時代からラプラス変換が現れるはずだ。
実際には 19 世紀までかかっている。
>>738 > おまえは「数学」について「論理記号の基になる論理が印欧語の構造に従っている。」と言ったんだぞ。
これはウソだなあ。
私は基本的な形式論理に触れただけで、そこにはイコールぐらい出て来るし、むろん数学とも無関係ではないが、
ラプラス変換とか君の藁人形だよ。邪魔だから引っ込めて。
741 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2012/08/23(木) 18:20:31.98 0
印欧語の構造ではイコールすら言うことができない
742 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2012/08/23(木) 19:17:47.30 0
読んでいた小説の一節ですが 「湖面を日の光が踊っていた」 この「を」って文法的に正しいですか? たとえば「体育館を男が踊っていた」に言い換えるとかなり違和感があります
>>741 なぜ?
>>743 最初から高等数学がボンと出て来なきゃいけないことになる。
やっぱり藁人形だね。
>>739 >言語構造に基づく概念から、年月をかけて発展してきた結果だろう。
違うなあ。数学の理論は偉大な天才の出現で革新的に飛躍するものだ。
天才が既存の言語に加えて新たな言語構造を構築しているわけではない。
脳科学的にも、抽象的な数理概念は言語的な論理構造とは別の部分で直感的に理解されたりするらしい。
数学者でないが、アインシュタインも「自分の中ではこんなにも明白な事実なのに、他人に伝えるためにわざわざ言葉に変換しなければならないのは苦痛だ」ということを言っている。
>もともと言語と無関係なら、エウクレイデスの時代からラプラス変換が現れるはずだ。
それを言うなら人類が言語を獲得した時から数学の歴史が始まっているはずだ。
実際には数学が躍進した時期というのは、言語の歴史よりはるかに遅く、少なくとも言語的思考の制約を超えた共通する数理記号の体系が整ってからのことだ。
人間は言語以外のシンボルで数理概念を表記する技術を獲得したお陰で、言語の論理構造をはるかに凌駕する複雑な抽象概念を操作することが可能になった。
それが数学だ。
実際には 19 世紀までかかっている。
>>744 なにを言ってるんだw
君は「数学」を「One plus one equals two」なんて具合に、言葉で簡単に言い表せる算術かなんかのことと思ったのかい?
数学は数学だよ。
>>744 ちなみにその「藁人形」という比喩もどういうことか説明してくれないかな。
>>745 それが本当なら、数学史は芸術史のような技法と様式の歴史になるはずだが、実際はそんな様相を示していない。
> 実際には数学が躍進した時期というのは、言語の歴史よりはるかに遅く、少なくとも言語的思考の制約を超えた共通する数理記号の体系が整ってからのことだ。
印欧語族に学問という営為が可能になるまでに、それだけの時間がかかったということだろう。
> 人間は言語以外のシンボルで数理概念を表記する技術を獲得したお陰で、言語の論理構造をはるかに凌駕する複雑な抽象概念を操作することが可能になった。
> それが数学だ。
「論理」も同様だと? 全く関係ないとは思わないけれど、例えば、相手を説得したり言い負かしたりする法律家に、そんな高度な数学ができるとは限らない。
別の話だよ。(もちろん法学も日本では起こらなかった)
「ロゴス (理性)」は古典ギリシャ語の「言葉」を意味する語に由来する。西洋人が両者の一体を疑ったことはない。
>>746 > 数学は数学だよ。
何のためにそれを持ち出して来たのかわからない。
>>747 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%81%E4%BA%BA%E5%BD%A2%E8%AB%96%E6%B3%95
750 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2012/08/24(金) 01:06:14.03 0
今日放送されたNHKのドキュメンタリ 証券会社の同期生の番組でのスーパー(画面下に出る字幕)でですが ある証券マンが会社を転職した直後の給料の安さに奥さんが一言 「私パートに出るわ」と言われました。 ↑この「出るわ」の「わ」は「は」でなくてはいけないとおもうのですがそんな事は無いのでしょうか!?
>>750 なんでそうなる?
2chで時々語尾を「やるは」とか書いてるやついるけど
もしかしてあれ素で間違っているのか?
>>749 >それが本当なら、数学史は芸術史のような技法と様式の歴史になるはずだが、実際はそんな様相を示していない。
なぜそんな理屈になるの?
頭大丈夫?
>> 人間は言語以外のシンボルで数理概念を表記する技術を獲得したお陰で、言語の論理構造をはるかに凌駕する複雑な抽象概念を操作することが可能になった。 >> それが数学だ。 >「論理」も同様だと? 全く関係ないとは思わないけれど、例えば、相手を説得したり言い負かしたりする法律家に、そんな高度な数学ができるとは限らない。 まったくレスになってないんだけど・・・・ 頭大丈夫? 文章の意味がまったく理解できてないようだけど。 もしかして認知症の人ですか? だったら気の毒だからレス止めるけど。
どこがストローマンなんだか分からない。 経緯はこうだぞ。 君「言葉で表せない概念を操作することはできない。」 ↓ 私「数学は言葉ではなく記号で操作しているが」 ↓ 君「論理記号の基になる論理が印欧語の構造に従っている。」 これはストレートな受け答えだから、君のいう「論理記号」とは必然的に数学の数式を意味する。 だから君の主張は 【数学の数式の基になる論理は印欧語の構造に従う】 というものだ。ここまでは客観的に否定しようがないぞ。 だからそれが間違っていることを論証するには、数学の話を具体的に検証するしかないじゃないか。 自らの主張の誤りを頑として認めず、こちらの議論を不当に「藁人形」呼ばわりして逃げを打とうなど、笑止千万。
757 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2012/08/24(金) 11:01:18.11 0
>>753 「は」と「わ」の使い方の正しいのが載ってる文献ないですか!?
もういいは
こんばんはだは
私はあなたがいいは
もうお腹いっぱいだは
屁理屈は沢山だは
うんち頭に乗せたらちょんまげだは
シャンプーしてる時にしょんべん掛けるのやめろだは!
↑これは全部「は」「で合ってますよね
758 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2012/08/24(金) 13:20:46.05 0
2chやそこらの底辺ネトゲチャットの文章ばかり読んでないで 本を読めよと思うは。 みんみんだは。
>>756 > 君「言葉で表せない概念を操作することはできない。」
> ↓
> 私「数学は言葉ではなく記号で操作しているが」
この「数学」によって、論理的思考は実は言語に頼らない、「ロジック」とは錯覚か幻想だ、という主張をしたいのだとは、思いもよらなかった。
> だから君の主張は
>【数学の数式の基になる論理は印欧語の構造に従う】
> というものだ。ここまでは客観的に否定しようがないぞ。
基になる論理は、
>>738 の言う=+−÷×ぐらいしかないと考えればよい。
760 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2012/08/24(金) 15:18:59.34 0
>>757 昭和61年7月1日内閣告示第1号「現代仮名遣い」参照。
第2の2
「助詞の「は」は、「は」と書く。
(中略)
[注意]次のようなものは、この例にあたらないものとする。
(中略)
雨も降るわ風も吹くわ 来るわ来るわ きれいだわ」
従って、
もういいわ
こんばんはだわ
私はあなたがいいわ
もうお腹いっぱいだわ
屁理屈は沢山だわ
うんち頭に乗せたらちょんまげだわ
シャンプーしてる時にしょんべん掛けるのやめろだわ!
が正となります。
日本語には主語がないとか言うけど、単に省略されてるだけだよね 省略されているのとないのとは違うだろう
>>742 正しい。移動動作の経路や通過点を表す「を」だろう。
「日の光が踊る」の「踊る」は「とび跳ねる」の意味だ。しかし「人が踊る」ではその意味はふつう出ない。「舞踏する」の解釈が優先される。
「体育館を男がとび跳ねていた」なら OK。
763 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2012/08/24(金) 18:25:09.83 0
体育館を男が舞い踊っていた
移動性が強ければ「を」でもおかしくないね 「を」にすると水平方向の動きが加わる感じ
「舞w-」が入ると移動動作になるんじゃないかな。 元来、「舞う」は水平移動、「踊る」は垂直移動を表していたのだが、「踊る」の 意味が拡張して舞踏全般を表すようになり、「舞う」は文章語化・雅語化した。 その代わり、人が「踊る」と言うときの「踊る」は移動の意味を失った。
>「舞う」は水平移動、「踊る」は垂直移動を表していた 盆踊りとか阿波踊りは?
>>766 中世以降の「踊る」は to dance の意味。
垂直移動 (跳躍運動) に限られない。
祭り以外の舞踊って昔はあったんだろうか? 当時の舞踏は常に神仏とアクセスするためのもので、 多人数で行われ、水平的な移動を伴っていたというイメージがある
769 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2012/08/25(土) 10:00:20.74 0
>>760 法則は!?
どういう時に「わ」で、どういう時に「は」なの!?
>>768 だから、古くは水平移動 (旋回運動) を表す「舞う」が使われていた。
>>769 大雑把に言えば、かかり先があるときは「は」、ないときは「わ」。
「わ」の起源が「は」なので、迷うのは当然だ。
771 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2012/08/25(土) 10:53:46.92 0
>>769 係助詞(取り立て助詞)のときに「は」、終助詞のとき「わ」と考えればよいと
思います。
なお、
>>757 、
>>760 のそれぞれ2番目の例文中「こんばんは」の「は」は、終助
詞でなく係助詞(取り立て助詞)です。念のため。
「わ」と「は」の使い分けが分からないと投稿している方は 日本語のネイティブスピーカーの方じゃないよね?
釣りに見えるけど本気で言ってるのかな
>>771 挨拶の「こんにちは」「こんばんは」の「は」は、係助詞とはいえず、規則に従えば「わ」となるべきもの。
起源は「は」だが、今はただ慣習に従って、例外的に「は」と書いているにすぎない。
挨拶でない「今日(こんにち)はグローバル化の時代だ」「今晩は来客がある」の「は」は、確かに係助詞だ。
違いがわかるだろう。
たしかに日本人でも「こんにちわ」と書く人がいるにはいる。 「こんにちだわ」とは言わない。
776 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2012/08/25(土) 13:00:39.77 0
>>772 書き言葉の問題なんだからそんな事関係ないだろ
何でも朝鮮人扱いしてる奴らって馬鹿みてえw
書き言葉は普通の日本人なら小学校で習う。 「こんにちわ」が正式でないことくらい小学生でも知っている。 本気でどっちが正しいですかなんて訊く小学生はいないだろ。
778 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2012/08/25(土) 13:22:26.93 0
誰もこんにちはが正しいですか?なんて聞いていないわけだが
>>774 「こんにちは」等の挨拶語は「は」が係る後ろの「〜お日柄も良く」等が略された形であって、
係助詞であることに変わりは無いよ。
「そうだわ」等の終助詞とは用法も意味も区別できるので、本来は「わ」とはしないのだが、
挨拶語そのものが形骸化している昨今では「こんにちわ」もむべなるかな。
>>776 きみの世界には日本と朝鮮しか無いのかw
781 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2012/08/25(土) 13:44:29.38 0
>>780 形骸化したのを挨拶語と言う。「こんにちは」の後が表現されることはないから、省略とは呼ばない。
現代かなづかいがわざわざ「こんにちは」と書くと注記したのは、それが例外的だからだ。但し書きがなければ「こんにちわ」になってしまう。
>>759 >この「数学」によって、論理的思考は実は言語に頼らない、「ロジック」とは錯覚か幻想だ、という主張をしたいのだとは、思いもよらなかった。
馬鹿か?誰がそんな主張をしている?
>>784 >
>>745 > > 脳科学的にも、抽象的な数理概念は言語的な論理構造とは別の部分で直感的に理解されたりするらしい。
>>786 その文章のどこをどう解釈すれば
>「ロジック」とは錯覚か幻想だという主張
が読み取れるのかを論理的に説明してくれ。
>>787 (1) 「論理学という学問体系が先に日本で発展していれば…」
↓
(2) 「ありえない。言葉で表せない概念を操作することはできない」
↓
(3) 「数学は言葉ではなく記号で操作しているが」
↓
(4) 「論理記号の基になる論理が印欧語の構造に従っている」
↓
(5) 「数学の概念がすべて脳の言語野で処理されてるとでも思い込んでるのか?」
↓
(6) 「言語構造に基づく概念から、年月をかけて発展してきた結果だろう」
↓
(7) 「脳科学的にも、抽象的な数理概念は言語的な論理構造とは別の部分で直感的に理解されたりするらしい」
つまり、論理学も実は言葉で表せない概念によって成り立っている、
「Logic < Logos」という西洋人の思い込みは、誤りである、
と主張するのでなければ、(2)に反論して(1)を擁護することはできない。
>>754 > >それが本当なら、数学史は芸術史のような技法と様式の歴史になるはずだが、実際はそんな様相を示していない。
> なぜそんな理屈になるの?
>
>>738 > > そんな単純なら音楽も芸術も、すべてそれを発展させた文化の言語構造に従うことになってしまうわw
芸術には言語に拠らない要素が多いので、技法は進歩し (言葉で伝えられる)、様式は変遷するが、芸術全体が段階的に進歩していくということはない。
数学史では、数学者たちが先人の思考を継承して、数学全体を段階的に進歩させてきた。
>>782 うーん、「こんにちは」は
>>760 の規則に従えば「こんにちわ」にはならないよねぇ。
つまり終助詞化してるとはいえないからね。
となると何か?といわれれば、依然として係助詞だ、と考えるべきだと想うけど。
それに、表現されることがなければ省略ではない、というのなら
「餅は餅屋」のような「形骸化した」慣用表現の全てが解釈困難になると想うのだが。
>>790 現代かなづかい (仮名遣い) が「助詞の『は』は、『は』と書く」
として挙げている例の大半が、実は助詞かどうか意見の分かれそうなものだ。
「助詞ということにするから従ってね」という意味だろう。
あの内閣告示は、言語学者でなく官僚が考えたものなので、とにかく不備が多い。
「こんにちは」「こんばんは」は、それぞれ 1 語 (感動詞) と見なすのが妥当だ。
アクセントも平板型で、「は」が係助詞の場合の「こ┐んにちは(今日は)」「こ┐んばんは(今晩は)」と
明らかに違っている。
挨拶語「こんにち wa」「こんばん wa」の「wa」は助詞ですらなく、語の一部にすぎない。
例示による但し書きがなければ「こんにちわ」「こんばんわ」となるところだ。
「餅は餅屋」も省略ではない。フル・センテンスが一様に決まらない。
792 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2012/08/26(日) 05:20:02.40 0
>>760 じゃあ終助詞にならないこの場合は!?
私パートに出るはあなたの稼ぎが少ないから
もういいはこんなもの
こんばんはだはって言ってるだは
私はあなたがいいはと思っていたは
もうお腹いっぱいだはってことだはさ
屁理屈は沢山だはなのよねんのねんのねん
うんち頭に乗せたらちょんまげだはって殿様がおっしゃっただは
シャンプーしてる時にしょんべん掛けるのやめろだは!って綾瀬はるかに叱られただは
>>750 >>757 のあとにセンテンスが続いても変化は無いのか!?
793 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2012/08/26(日) 10:41:49.11 0
>>792 例えば『goo辞書』の「わ」の項目には「[終助]活用語の終止形に付く」とあ
り、「は」の項目には「[係助]名詞、名詞に準じる語、活用語の連用形、助
詞などに付く」とあります。
>>750 >>757 の例はいずれも「出る」「いい」「(〜)だ」と、活用語の終止形
に付いているので、その後にセンテンスが続いても、終助詞「わ」が来るのが
正しいと思います。係助詞「は」であれば、前に来る活用形は連用形であるは
ずです。
794 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2012/08/26(日) 10:43:24.73 0
>>791 おっしゃる通り「現代仮名遣い」第2の2の例には、「こんにちは」「こ
んばんは」以外にも「あるいは」「または」「ではさようなら」なども
載っています。
>>771 で書いた「係助詞(取り立て助詞)のときに『は』、
終助詞のとき『わ』と考えればよいと思います」には、「成立の由来に
さかのぼって考えて」などの言葉を加えなければならないようです。
そうすると、〔注意〕にある「いまわの際」がさらにその例外であるこ
とも書いておく必要がありますね。
>>788 別に自ら藁人形の見本を見せてくれなくてもいいよ。
本筋とは別の補足的な考察として述べたことを強引に↓で繋げてストレートの問答であるかのように偽装しようと必死じゃないか。
>つまり、論理学も実は言葉で表せない概念によって成り立っている、
>「Logic < Logos」という西洋人の思い込みは、誤りである、
>と主張するのでなければ、(2)に反論して(1)を擁護することはできない。
上のすり替え論法は君の捏造にすぎず、議論の本筋にはなりえない。君の言葉を借りれば典型的な藁人形だ。
なぜなら(3)は特に(1)を擁護する意図で述べてはいない。あくまで(2)が必ずしも正しくはないという例として出している。
必ずしも正しくない命題を用いて、あたかも絶対普遍的に成立するかのように断じることはできないということだ。
君は物事の本質(議論そのもの)よりも、自分が正しいように見せかける体裁の捏造に地道を上げる性格のようだな。
議論の本筋にそってを読み直せ。
数式も記号の一種なら、言葉も記号の一種でしょ。すべて一般記号学に包摂できるものだよ。
>>789 >芸術には言語に拠らない要素が多いので、技法は進歩し (言葉で伝えられる)、様式は変遷するが、芸術全体が段階的に進歩していくということはない。
数学もまた然りです。
>数学史では、数学者たちが先人の思考を継承して、数学全体を段階的に進歩させてきた。
数学の進歩の様相は言語体系のような漸進的なものではなく、また言語の進歩と相関しているのでもない。
むしろ科学や技術の進歩に似て、進歩が人類史の一時期(印欧言語体系の確立よりはずっと後世)に集中し、1人の天才が出現することで革新的な飛躍が見られたりする。
言語とは独立した概念操作の体系であり、数学のロジック構造が日常言語のそれとは別のものであることを示唆する。
ちなみに芸術の技法は言葉で伝えられるとは限らない。
基本的な話、音階や旋律を言葉ではなく♪で表記するのは、日常的な言語の構造では表現が困難だからであり、そのへんは数学が日常言語ではない記号(数式)を用いるのと同じ事情だ。
>>796 >数式も記号の一種なら、言葉も記号の一種でしょ。すべて一般記号学に包摂できるものだよ。
だからといって数学が印欧語と「同じ記号体系」だということにはならない。
799 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2012/08/26(日) 11:29:10.44 0
「上衣と下衣が一体化した衣服」の、 「上衣」や「下衣」の同位概念となるような呼び方ってありますか?
>>795 > なぜなら(3)は特に(1)を擁護する意図で述べてはいない。
印欧語と構造を異にする日本語で、西洋的な論理を表すことができるかどうか、
すなわち、(1)のようなことが起こると想定しうるかどうかが、議論の本筋。
> あくまで(2)が必ずしも正しくはないという例として出している。
(2)が必ずしも正しくないという主張は、(1)を支持する目的で行わなければならない。
君の議論はただの言い合いであり、「数学」がストローマンだったことは明白。
この先は第三者が判定すべきだろう。
>>800 2)が必ずしも正しくないという主張は、(1)を支持する目的で行わなければならない。
誰がそんなルールを決めたんだw
>>800 >君の議論はただの言い合いであり、「数学」がストローマンだったことは明白。
どう明白なのかを具体的に論証できない以上、(2)同様のただの決め付けw
>この先は第三者が判定すべきだろう。
はい、議論放棄(つまり投了)ですねw
形容詞の活用 強かろ-う 強く-ない 強く-て 強かっ-た 強い-です 強い-の 強けれ-ば 強う-ございます この活用している部分を外国人向けにローマ字で表記したいのですが、 -karo-u -ku-te -kat-ta -i -kere-ba -u-gozaimasu でよいのでしょうか。 要は「かっ」という活用の促音をローマ字でどう表記したらいいのか迷っているんです。 ローマ字では促音をその後の子音を二つ重ねる形で表記することになっているのですが、 形容詞の活用「かっ」はその後に「た」「たり」しかつかないのでtと表記して大丈夫かなと思って。
「その人は、優しかった、そして強かった」を 「その人は優しくて強かった」ではなく「その人は優しかって強かった」 と表現するのは認められませんか。 「その人は優しかったし強かった」と表記すべきでしょうか。 ところで、「その人は優しくて強かった」と「その人は優しかったし強かった」は 意味が異なる文ですか。
『言葉で表せない概念を操作することはできない』という命題は
>>800 の主張(印欧語以外の言語では論理学が発展しにくいetc.)の核心にあるのだから、この命題を防衛できなければ
>>800 の持論は崩れ去る。
故にこの命題が正しいかどうかを検証する議論は本筋であって、藁人形ではない。
この命題に対する反証として「数学」という実例が出されているのだから、800が自説を防衛するためには
*数学は概念操作ではないことを立証する。
*数学の概念だけが唯一の例外であることを立証する。
*数学の理論が実際に「印欧語特有の言語構造」に基づいていることを「数学」の数式において具体的に示す。
*数学の数式の理解において印欧語圏以外の数学者が言語構造的な要素によるハンディを負っていることを立証する。
などが考えられる。
806 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2012/08/26(日) 14:37:57.64 0
老人的な言葉「そうさのう」の「さ」って何ですか?
車の修理をする→○ 車を修理する→○ 車の修理する→× 車を修理をする→× 何故ですか?
そうだのう そうよのう そうじゃのう そうかもしれんのう むしろ語尾の「のう」が老人的
「そうさ」ってむしろシティーボーイっぽい
>>797 > 数学もまた然りです。
数学者も「美しい」とか言うけど、芸術のそれとは本質的に違うと思うぞ。
> 音階や旋律を言葉ではなく♪で表記するのは
♪は言葉の一種だよ。
言葉で伝えられないのは、例えばどんな音、どんな旋律が美しい (と感じられる) かということ。
>>805 言葉で表せない概念を操作できることがわかったとしても、
それが論理学で使う概念と無関係なら、反証にならない。藁人形である。
>>811 問題はそんなところにはない。
もしも「数学」が印欧語という言語の制約を超越して、他の言語圏においても等しく理解される共通概念の操作であるなら、論理学もまた特定の言語の制約を越えて共通に理解される概念操作である可能性は否定できない。
現に西洋哲学や論理学は印欧語圏以外の先進文化ではじゅうぶん理解されている。逆に東洋哲学は西洋の研究者たちにも理解されている。
他言語に翻訳されたものがぎこちなく感じられるのは、たんに文法構造を変える翻訳という作業の副作用にすぎず、論理学以外の著述でも避けられない宿命なのではないのか?
さらに日本語で書かれた論理学が日常的な言語感覚から乖離しているとすれば、それは日本語に原因があるのではなく、オリジナルの言語においても同様なのではないかという疑問がある。
すなわち論理学のような特殊な体系に特化した概念表現は、西洋人が読んでも日常言語の感覚からはずれた難解な表現なのではないか?
そうだとすれば、論理学もまた数学同様、日常的な言語の制約を超えて、独自の概念構造を構築しているからではないか。
>>807 車を修理する
→「車」が目的語
車の修理をする
→「車の修理」が目的語
車の修理する
目的語の後には必ず「を」などの接続が必要であるため、変に見える
と、思う
「車を修理をする」は、 不格好な文だけど、文法的には間違ってはいない?
>>812 > すなわち論理学のような特殊な体系に特化した概念表現は、西洋人が読んでも日常言語の感覚からはずれた難解な表現なのではないか?
> そうだとすれば、論理学もまた数学同様、日常的な言語の制約を超えて、独自の概念構造を構築しているからではないか。
論理学で使う概念は、印欧語の構造に由来するように見えるし、西洋人はそう信じて疑わない。
その「論理=言語」は思い込み、錯覚だとする立場をとるんだねと確認したのが
>>759 。
「然り」という回答なら、1 つの見解として認めたい。ただ、どのような言語の話者に有利だったかという問題は残ると思う。
こちらは何手も先を読んで議論している。とにかく「日本語は劣ってなどいない!」と突っ張っている
>>801-802 のような人は、隣国の人たちと同じで、言い合いしかしない。
816 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2012/08/27(月) 02:05:02.07 0
論理学で使うどのような概念が、 印欧語のどのような構造に、 何故由来するように見えるのか、 それは印欧語以外の構造ではどうして難しいと考えるのか、 こういうことを論理的に説明すればいいことじゃん。 具体的な論拠がないなら結局言い合いでしょ。主張のしあい。
「英語は論理的、日本語は非論理的でかつ情緒的」とする理屈は 日本の文法学者や言語社会学者の間に古くからある。 英語は主述関係を必須とした命題文だが、日本語はそれがいいかげんだとかね。 昨今ではそれへの実証的批判も徐々に出てくるようになってはきたが。
818 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2012/08/27(月) 08:55:00.80 0
「文法の用語で、〜を指す用語はあるのだろうか」 この文の最初の「用語」は、集合名詞的 二番目の「用語」は、ある特定のものを指している 違った種類の「用語」が並んでいるので、文が不格好ですが もっと分かりやすく書く方法はないでしょうか? たとえば一方を、「術語」などに置き換えると、見かけの冗長さはなくなりますが、 集合名詞的名詞と特定のものを指した名詞が、分かりにくい形で併記されているという問題は解決しません
あと「特定のものをさす名詞」の呼び方は何ですか? 英語で言えば定冠詞が付く名詞だと思うのですが
>>814 間違ってるけど、野田総理にいちいち間違ってますよとは言いにくいw
野田がそんなこと言ってたの?
>>816 なぜそう見えるのかを説明しろという人はダメだ。
>>817 例えばどんな?
情報伝達では日本語の方が有利な点もあるが、それは論理じゃない。
>>818 「文法の用語sで、〜を指す a/any 用語はあるのだろうか」
と、反射的に翻訳してるよね (In grammatical terms, is there a/any term that represents 〜?)
日本語の名詞には単複の対立がないから不格好はしょうがない。
>>819 「特定 (Specific)」と「定 (Definite)」とは違うよ。
「特定」は「定」を含み、「定」より広い。「特定」かつ「不定 (Indefinite)」の場合もある。
>>821 車の修理じゃないけど、2 重ヲ格はしょっちゅう使っている。
翻訳文ではやはり象鼻文は少ないのでしょうか?
826 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2012/08/27(月) 13:30:28.57 0
>>826 >要するにこの流れの大元であるその自説の論拠を出せばそこに関する反論だけで済む。
論拠も出さず、ただ自説への固執あるのみだと、次々に反論を出されてgdgdになるね。
>ついさっきこんな記事を見て、このスレの流れが思い浮かんだ。
「言い訳のスパイラル」とは言いえて妙だが、最初の反論への”反論”が言い訳というよりただの口応えのレベルだから、次々に論駁されて収集がつかなくなる。
>>824 言ってる、言ってるw
自身がない政治家に限って内容のない発言を馬鹿丁寧に間延びさせて「落ち着き」を演出しようとするんだよね。
>>815 >論理学で使う概念は、印欧語の構造に由来するように見えるし、西洋人はそう信じて疑わない。
貴方は西洋人ですか?
>こちらは何手も先を読んで議論している。
なるほど。でも勝手解釈な読み間違いばかりのようですね。
>とにかく「日本語は劣ってなどいない!」と突っ張っている
>>801-802 のような人は、隣国の人たちと同じで、言い合いしかしない。
ほとんど何を言っているのか理解できない文章です。
失礼ながらご自分の妄想を疑ったことはないのですか?
>>826 > 要するにこの流れの大元であるその自説の論拠を出せばそこに関する反論だけで済む。
論拠は、例えば論理的な文章を書こうとすれば、いくらでも転がっている。
>>818 >>823 のように。
印欧語のどれかを学び、論理学を学んだ人は、全く同じ「用語」という形でも違うのねとわかるが、
日本語しか知らない人の側から、論理学が生み出せたとは考えにくい。
いや可能だったという立場も認めるけれども、その場合は、印欧語の構造と論理とは偶然の類似に
すぎないとする覚悟が要る。
>>815 。
そんな相対主義がとれるなら、be 動詞に相当するものが日本語になくても、全然かまわないはずだ。
>>829 > 貴方は西洋人ですか?
質問の意図が全く不明。
「私はその映画を見たことないけど友達は面白くないと言っているけどあらすじだけ見ると面白そうだ」 のように1文の中に「けど」や「が」が2度以上入っている文は誤りでしょうか?
>>832 誤りではないと思うよ。
ただし言語にはそもそも誤りというものはないと思うけどね。
伝達可能ならば問題ないので。
>>831 「西洋人はそう信じて疑わない。」に対する皮肉では?
自称「論理学を学んだ人」の書いた日本語を見ていると、確かに日本語は論理学とは無縁な気がする(笑)
>>817 島国文化の日本人同士は分かりきったことを省略しても通じ合えるから、次第に省略文が日本語の標準形になっていっただけでは?
表面上の文章表現の不在は必ずしも(暗黙の)ロジックの不在を意味しない。
母国語が何語だろうが共通シンボルとしての数式を覚えることで数学の概念を理解できるように、論理学用語や論理法則(それが何語であれ)を覚えることで、西洋人の論理を十分理解できるのだから。
コンピューターのプログラムはアルファベットなど表記されて、文法的にもIFとかANDとかORみたいな英語の論理構造の延長で書かれているけど、英語を喋れない中学生でも、けっこうプログラミングは抵抗なく覚える。 そこに言語の壁はほとんど存在しない。母国語に関係なく、人間の脳には普遍的な論理構築能力がもともと備わっているから、言語に関係なく高度な論理操作ができるということか。
>>818 >この文の最初の「用語」は、集合名詞的
>二番目の「用語」は、ある特定のものを指している
そういう解釈に限定するのは最初に英語ありきの本末転倒な言語感覚だからでは?
しかも「In grammatical terms, is there a/any term that represents 〜?」に限定してしまうのは、それが英語では一番自然な言い方である(と思い込んでいる)からにすぎず、
日本語の解釈としてこの英語が一番相応しいとは限らないという当たり前の事実に気づいていない。
解釈としてなら他にも
In grammatical terms, are there any terms that represent〜? もあり得るし、
Is there any term which is a grammatical term and which represents〜? あるいは
As a grammatical term, do we have any term that represents〜? という可能性もある。
(むろんこの場合、英文としての不自然さなどは問題ではない。もともと日本語の話なのだから)
以上の理由により、まるで
>>818 は
>>823 のために用意された質問であるかのような不自然さを感じてしまうのだが。
839 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2012/08/27(月) 17:07:58.04 0
「関係を切り結ぶ」という言葉を稀に見受けます。 関係を情熱的に結ぶ、くらいの意味だと思いますが 「切り結ぶ」の語義は「刀を打ち合わせて切り合う」で、 そのような意味は出てきません これは間違った使い方が広まっているだけなのでしょうか?
>>838 英語関係なく、最初の「用語」と二番目の「用語」は性格を異にしてると思うけど
英語を援用すれば違いが理解しやすくなるというだけで
>>840 >最初の「用語」と二番目の「用語」は性格を異にしてると思うけど
だからそれはひとつの解釈に過ぎないでしょう?
いずれの「用語」も単複どちらで解釈してもいいし、そのことは日本語として(曖昧ではあるが)不自然なことではない。
>>840 二つの「用語」が同じものを指すという解釈でも不自然ではない
「文法の用語で(あって、かつ)〜を指す用語はあるのだろうか」
818が自分で書いている解釈が、818が書きたいことだろう 「こうも読める」という可能性を言い立てるのはそもそも筋が違うのでは? 二つの「用語」をもっと分かりやすく区別して書くにはどうすればいいのか、が問題なわけで
845 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2012/08/27(月) 18:17:56.98 0
>>823 >「特定」は「定」を含み、「定」より広い。「特定」かつ「不定 (Indefinite)」の場合もある。
違うだろう。そもそも両者は包含関係にある概念ではない。
>>847 「非特定 (Non-Specific)」かつ「定」というのは考えられないが。
即レスだから自演だとでも? なんかスレの流れが病気っぽくなってるぞ
>>836 英国も島国じゃないかな。
欧州じゃむしろ大陸文化のほうが共同体主義的で
個人主義がなく、身内の了解で成り立つ社会だなんて
言われたりなんかしている。
>>837 オブジェクト指向なんてのは実は日本語っぽいなんて言われることもある。
まあ、昨今では日本語によるプログラミング言語も結構あるわけだけど。
>>834 皮肉になってない。実際彼らは疑わないのだから。
>>836-837 世界中の誰でも学べばできるようになる。それは周知のことだ。
しかし生み出せるかどうかは別。
>>838 > 英文としての不自然さなどは問題ではない。もともと日本語の話なのだから
日本語だとどうも不格好になるなと思わないなら、別にどうでもいいよw
>>843 確かに「で」は曖昧だから、その解釈は可能だ。
>>838 が何か言ってるのは半分はそれだな。
「文法の用語のなかで、〜を指す用語はあるのだろうか」ならはっきりするだろう。
>>818 二番目の「用語」だって集合名詞的だよ。そもそも名詞って集合に対する名称でしょ。
集合名詞って概念自体が変だと思わない?
なんでやねんw
>>853 ←ほらね。文法数をもたない人の概念はこのレベル。
別におかしいことじゃなくて、その方がむしろ自然だ。
印欧語と論理学の方が特殊なのだ。
856 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2012/08/28(火) 02:13:15.32 0
>>855 は、
ヨーロッパの言語の文法数の、集合名詞を表したり、特定のモノを表したりする機能を、
文法上の数じゃないと表せないものだと認識しているように思うんだけど、
たまたまヨーロッパ語がそういう言語なだけなんじゃない?
(言語と論理学の関係についてはここでは言及しないが)
論理学の世界だと、ヨーロッパ語の文法上の数とか冠詞の機能のうち、
集合名詞を表したり、特定のモノを表したりする機能にあたる部分は確かに発展させたが、
むしろ文法数の数を表す機能についてはむしろ捨て去ったように見える。
論理的表現のために文法数が必須だというのは、
ヨーロッパ人の言語では、文法数と上で言ったような名詞の特定機能が融合してしまっていることから起こる勘違いじゃないかな。
集合名詞という概念がそもそも論理学的におかしい(無意味)と思わないかな。
名詞自体(名詞にかぎらないけど)がそもそも集合体を表している。
百歩譲って考えても、せいぜい集団名詞という概念しか成り立たない。
しかし集団名詞が成り立つなら、色彩名詞とか様態名詞とか感情名詞とか
生物名詞とか動物名詞/非動物名詞とか、名詞クラスをいくらでも分類できる。
たしかに名詞はクラス分けできる。
抽象度の高い名詞から順番に抽象度の低い名詞へと階層構造をつくれる。
集合から部分集合をとりだし、さらにその部分集合をとりだすという具合に。
そして最終的には固有名詞があるということなのだろうか。
しかし固有名詞ですらまだ抽象的なのだよ。これが言語の本質だ。
>>818 の例文ではまず「用語」という語でもって意味の範囲を特定し、
「文法の」という修飾語でもってその意味範囲をさらに特定している。
そして「〜を指す」という修飾語で「文法の用語」の意味範囲を
さらにまた特定しているにすぎない。
三段階の特定化が行われているのであって、すべてが特定化されている。
いったいどこまでいったら本当の特定化にたどり着くのか。
具体的な対象を指示代名詞で指し示すまでだろうか。
だとすれば、「〜を指す用語」ですらまだ特定されていない。
「〜を指す用語」のうち「〜を指す日本語の用語」とさらに特定化できる。
家族や箸が集合名詞で、男やコップが集合名詞じゃないというのも
よくよく考えると変だ。なんでこんな恣意的な概念が論理学的なのだろうか。
>>850 共同体内の身内の口語などはどうなっているのか分からないけど。
大きな傾向としては、欧州はむしろ多民族の絶え間なき攻防の歴史から、条約、同盟、契約など、意思の明文化によって秩序を保たねばならなかったのではないか。
従って、すくなくとも文章語は主格や目的格などの関係、構造が明確であり、日本語のような曖昧な表現が標準化しなかったのではないか。
民族という概念はけっきょく言語に依拠している。欧州ほど単一民族性が残っている地域も珍しいだろ。
>>848 特定の英単語と日本語を一対一対応で考えてるからそんな誤謬を犯すんじゃないだろうか?
A、定額とは(大人1000円子供600円シニア300円など)ある基準の中で定められた料金のことであり、
B、特定の金額(一律750円など)である必要はない。
A、定時出勤は(夏季8:00AM、冬季9:00AM、役員は7:30AMなど)毎日決められた時間に出勤することで、
B、特定の時間(8:00AM)に全員出勤するわけではない。
A、定食は日によってメニューが変わってもよく、
B、常に特定(単一)の料理に限定する必要はない。
AとBは同列に置ける概念ではなく、従って基本的には包含関係を論ずることはできない。
ちょっと説明し難いが、日本語における「特定」とは具体的にあるひとつのものに限定すること、(個人の特定といえば1人の人間を絞り込むこと)であるのにに対し、
「定」は一定の枠や基準に定めて(fix)おくこと。
>>860 それは言語学とは全く関係がない。定/不定、特定/非特定は汎言語的な概念だ。
話し手と聞き手の双方が特定できる対象を指示する名詞が「定」だから、「特定」⊃「定」という包含関係が成り立つ。
「携帯の支払は?」「定額です」
「出勤形態は?」「定時です」
「その店で何を食べましたか?」「定食です」
名詞「定額」「定時」「定食」は、聞き手には特定できないから「不定」であり、話し手には特定できるから「特定」である。
「いくらかは決めてないが、定額の支払にしたい」
「何時でもいいから、定時の出勤にしてほしい」
「どこかおいしい店の定食が食べたい」
これらの「定額」「定時」「定食」は、話し手にも聞き手にも特定できないから「非特定」である。
「共有/非共有」と「具体/非具体」とがごっちゃにされているということ?
論理学的に「名詞とは何か」「名詞の意味とは何か」「名詞と事物との関係はいったい何か」 をまずしっかり分析して定義したほうがいい。 例えば「家族」という言葉があった場合、その意味として定義される 次のような条件を満たす対象すべてになる。 1.「人間ならば家族である」 2. 「共に暮らしていれば家族である」 ... こうやって定義していくと、定義の集合ができあがる。 で、この集合に含まれる、つまりこれらの条件に合致する対象の範囲が 「家族」と「非家族」とを境界づける。 しかし「家族」は固有名詞ではないので、抽象的な概念である。 固有名詞とちがって具体的な個別の対象が指定されているわけではない。
>定/不定、特定/非特定は汎言語的な概念だ。
だから「日本語における」と断っている。
ここは日本語を語るスレであり、論理学を語るスレではない。
だから、あくまで日本語における「定」「特定」の用法を問題にしている。
>話し手と聞き手の双方が特定できる対象を指示する名詞が「定」だから
日本語で定額、定期的、定量、定時、定食・・・・と言う時、それは何も具体的に特定していない。
ただ、対象の特性が「定められた」ものであることが分かるにすぎない。
>これらの「定額」「定時」「定食」は、話し手にも聞き手にも特定できないから「非特定」である。
その通り。だから
>>848 は間違っているといってる。
>>864 > だから「日本語における」と断っている。
> ここは日本語を語るスレであり、論理学を語るスレではない。
> だから、あくまで日本語における「定」「特定」の用法を問題にしている。
言語学は日本語を排除しない。そのような用法は言語学とは無関係。
> 日本語で定額、定期的、定量、定時、定食・・・・と言う時、それは何も具体的に特定していない。
> ただ、対象の特性が「定められた」ものであることが分かるにすぎない。
言語学で言う「定」を日本語には適用するなと?
> その通り。だから
>>848 は間違っているといってる。
話し手にも聞き手にも特定できないものは「不定」だから、
>>848 は正しい。
>>865 >言語学は日本語を排除しない。
貴方は排除しているようだが?
>話し手にも聞き手にも特定できないものは「不定」だから、
>>848 は正しい。
つまり貴方の言う「定」とは日本語における定額、定期的、定量、定時、定食・・・などの「定」を悉く排除しているわけだ。
では日本語において貴方が言うところの「定」がどのように使われているか具体例(定を含む日本語の単語)を挙げて示して欲しい。
>>866 > 貴方は排除しているようだが?
そこに錯誤がある。
言語学の「定」の概念は日本語を排除しないが、Definite の訳語だから、
日本語における「定-」という漢字形態素の用法とは一致しない。
言語学では、後者と無関係に、「定」の概念を日本語にも適用するということ。
言語学で言う「定」は、国語辞典には載っていない。
868 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2012/08/29(水) 01:28:19.86 0
恐れをなすの「なす」って何ですか?
最近のカメラの解像度は10年前の倍はある 「の」が2回続くと変な文章になりますよね 訂正をお願いします
ので続けられるのは日本語の特徴
2回くらいなら全然おかしくないけどな。 「不思議の国のアリス」とかもダメなクチかな? (まああれは本来「フシギ国のアリス」だけど) まあ連続を避けるなら、例えばこんな具合か。 カメラの解像度は10年前に比べて倍になっている
「嬉しさをなす」とか「悲しみをなす」とは言わないのに 「恐れをなす」とだけ言うのは何故ですか?
>>872 その例の中でだけ言うとすれば、
「おそれる」が動詞だからじゃない?
「恐れて逃げて行った」と「恐れをなして逃げて行った」では
いったい何が違うんだろうね。
「群れて逃げて行った」と「群れをなして逃げて行った」の違いはいったい...
ごめん。「悲しむ」も動詞だね」 「悲しみをなして逃げて行った」があっても不思議じゃないか。
>>867 >言語学の「定」の概念は日本語を排除しないが、Definite の訳語だから
そんなもの無理に日本語に訳すからややこしいことになる。Definiteのままでいいわ。
言うまでもないが、日本語の中で日常使われている「定」は、必ずしも英語のdefiniteの意味に限定されない。
自分はスレタイに沿って、日常的に我々が使っている日本語としての「定」を論じているのであって、貴方の頭にある「言語学」の専門用語など知ったことではない。
ここは普通の意味で「日本語を語る」スレだ。言語学の専門概念で日本語の首を絞めるスレではない。
>>869 むしろ「10年前の倍」という省略化した言い方からくる違和感では?
「最近のカメラの解像度は10年前のカメラの倍はある。」くらいの方がむしろ違和感が減る?から面白い。
しかし
「最近のカメラの解像度は10年前のカメラの解像度の倍はある。」
ここまでやると、さすがに冗長でまどろっこしい。
それは「の」の数というよりも「カメラの解像度」という分かりきった情報を二度も繰り返される非効率に対するもどかしさを脳が感じているからだろう。
入力される情報が必要かつ効率的なものであれば、脳はさほど違和感を感じない。
「キャロルの「不思議の国のアリス」の翻訳の多さは、異国の童話文学への関心の高さのひとつの査証だ。」
上の例文は、文章としてもっとスマートにはできるが、耐えられないほど変な文章ではない。
>>871 >まああれは本来「フシギ国のアリス」だけど
Wonderland を「不思議の国」とするところが、邦訳の妙だと思う。
「不思議国」ではなんだか漢語的で身も蓋もない気がするし。
「不思議の国」という日本語はなんとも美しい。
「不思議の国のアリス」と、「の」を重ねることへの違和感は個人的な感覚だろう。
逆に「風の谷のナウシカ」の英訳「Nausicaa of the valley of the wind」に対して英語圏の人は違和感を覚えるのかという話になる。
>>875 definiteは英文法ないし英語学の概念でしょ。なんで日本語学の話になっちゃうの。
>>875 > Definiteのままでいいわ。
そういうことをしなかった明治人は優秀だった。
日常語と意味がずれるのを承知で、いろいろな訳語を作った。それはそれ、これはこれと使い分ける柔軟性をもっていた。
そのおかげで、ともかく日本語で学問ができるようになったのだ。
> 日本語の中で日常使われている「定」は、必ずしも英語のdefiniteの意味に限定されない。
言語学用語の「定」はあくまで Definite の訳語であり、日常語の「定」とは異なる。
> 貴方の頭にある「言語学」の専門用語など知ったことではない。
> 言語学の専門概念で日本語の首を絞めるスレではない。
ここは言語学板だ。君の来る所ではない。
結局、学問という営み自体が洋モノなんだよ。
>>878 > definiteは英文法ないし英語学の概念でしょ。
いいや。
例えば Christopher Lyons の "Definiteness" (1999) では、「定性」について、世界の百数十言語が
取り上げられており、日本語に関しても 20 数頁の記述がある。
>>875 メタ言語と対象言語の区別がつかない馬鹿が暴れていると聞いて
>>872 昔はいろいろな気持ちを「なし」ていたようだ。
「信をなす」「怒りをなす」「喜びをなす」「浮雲の思いをなす (不安になる)」等。
「恐れをなす」だけがどういうわけか生き残った。
>>879 >それはそれ、これはこれと使い分ける柔軟性をもっていた。
貴方のこれまでの投稿を読むと、まさにその柔軟性を欠いていることが明白です。
掲示板の「板」とはスレッドを大雑把に区画整理するためのもので、スレッドの内容を厳密に規定するものではない。
スレの基本ラインはスレタイに準ずるもの。
日本語の「特定」は「特に定む」ということだから、むしろ「定」⊃「特定」だろ。 言語学 specific⊃definite 日本語 定⊃特定
>>882 >「恐れをなす」だけがどういうわけか生き残った。
感情以外の名詞ではけっこう残ってるね。
財を成す
群を成す
名を成す
功を成す
重きを為す
大事を為す
成す、為すの使い分けはどうなってるんだろう?
いずれも慣用句っぽい。かたい表現だし。会話ではほとんど使わない。
>>883 日常語と専門用語を区別できなくても硬直してなくて、言語学板にあるスレッドで言語学用語を無視しろというのが柔軟だと?
学ばない者は去れ。
>>884 Definite, Indefinite の意味の「定」「不定」は、Definite Article, Indefinite Article の訳語「定冠詞」「不定冠詞」からの逆成。
888 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2012/08/29(水) 22:48:06.45 O
ねえ、クワガタムシはクワガタと言っても通じるけど カブトムシはどうしてカブトでは通じないの?
通じると思う
子供どうしならたぶん通じる。大人は一瞬「ん?」と思うだろう。 たいてい文脈があるから通じるはずだが、普通の言い方ではない。 昔の侍なら「くわがた」も通じなかったのではないか。
>>887 >学ばない者は去れ。
じゃあアンタが去れよ。
いつまでたっても相手のいうことが理解できない耄碌爺さん。
音節の長さも関係しているのでは? スズムシ→スズ × タマムシ→タマ × クツワムシ→クツワ △ カミキリムシ→カミキリ ○ テントウムシ→テントウ ○
昆虫マニアどうしの会話ならスズ(アクセントはHL)、タマ(HL)でも通じそうだなあ。 クツワは轡の方の使用頻度の問題か、同じ LHH でも通じそうだが。
>>877 > 「不思議国」ではなんだか漢語的で身も蓋もない気がするし。
これも各々の感覚の問題な気がするけどね。
「不思議の国の〜」だとAlice in THE wonderland と勘違いしそうだから、
あくまでワンダーランドが固有名詞だという点を強調すれば「フシギ国」になる。
自分は全然アリだと想うんよ。もちろん「不思議の国の〜」の語呂の良さも理解できる。
> 逆に「風の谷のナウシカ」の英訳「Nausicaa of the valley of the wind」に対して英語圏の人は違和感を覚えるのかという話になる。
wind には『風』の他にも『影響・風当たり・兆候』といった意味があって、
たぶんそれらも掛けられてる(『風』の意味では自然現象として通常 the を伴うものだが、
『影響』等の意味での the は『紛れも無い、その〜』のニュアンスが入るから、
作品を最後まで見てはじめて「ああ、あの兆候のことか」と気付く、という仕掛けとかね)。
つまりこの場合は of で単語を重ねることでそうした言葉遊びが可能になると同時に、
題名を見た者に「何か別の企みがあるのかもしれない」と想わせる効果があるのではないかと。
>>887 は言語学用語を語るスレでも立てれば?
なんでここに居座ってんの?
専門的なスレじゃ相手にしてもらえないから寂しいの?
>>891 もともと間違っていることをどうやって「理解」させようというのか。
間違ってるというより、立場が噛み合ってないだけでしょ。 自分の立場だけをゴリ押ししてもしょうがない。
学問は外交じゃないから押しの一手。 立場は同じなのが前提。違うとすればどちらか一方 (または両方) がトンデモだ。
>>819 に戻ると、英語には定と不定を区別する方法はあるが、不定のなかの特定と非特定を区別する方法はない。
(定は必ず特定)
"I want a new car."
「欲しい車があるんだよ」 (特定・聞き手が知らない)
「新しい車が欲しいなあ」 (非特定)
"Do you want a new car?"
「欲しい車があるのか?」 (特定・話し手が知らない)
「いい車があるんだけど、欲しくない?」 (特定・聞き手が知らない)
「新しい車が欲しいかい?」 (非特定)
900 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2012/08/30(木) 06:09:54.38 0
「分」ってさあ、例えば 「両親に支えてもらっている分、私も両親を違う場面で支えてあげたいと思う」 の「〜してもらっている分」のような使い方することあるけど、 辞書で調べてもそんな例文とか用法みたいなの見つからなかったんだよね。 俺それで「分」のこの使い方が漢字の「分」で本当に合ってるのか最近不安になってきたわ・・・
>>900 「分量」に由来すると思われるので、合っているはずだが、比較的よく現れる用法であるにもかかわらず、
大辞典にさえぴったりの用例がない。確かに問題だね。
>>899 スレ違いうぜえw
質問に答えてないし。
>>900 語の意味としては、単純に
>>901 の
> 2 ある範囲の分量。区別されたもの。「あまった―をわける」
に分類されるんだろうね。
特殊なのは、裸の名詞句で行為の程度や範囲を表す用法だと思うんだけど、
時間や距離などではよく見られる。
・仕事が速く終わったので、余った時間、外をぶらぶらした。
形容詞の活用の未然形「かろ」に推量の「う」がついた場合、 例えば「寒かろう」「暑かろう」は「寒いだろう」「暑いだろう」と同義ですよね? しかし現代ではこの意味で「かろう」が使われることは稀。 推量の意味では「寒いだろう」「暑いだろう」が使われる。「だろう」は推量を表す。 動詞の「行こう」「読もう」がこれに当たると思うけど、こっちは推量ではなく意志を表す。 形容詞の「かろう」形は、現代では「寒かろうと暑かろうと」とか 「寒かろうが暑かろうが」の形で残っているのみ。 この用法はいったい何を意味しているのでしょうか。推量でも意志でもないように見えます。 私の感覚だと「仮定」っぽいです。 しかし仮定の形は「ければ」がありますね。仮定形がダブってしまうんです。
>>903 だから、言語学用語としての「特定 (Specific)」を理解して、それを使うしかないわけ。
君みたいな不勉強カチコチ頭のために、最近はカタカナ用語にするのだろうか。
「ダイクシス」「エヴィデンシャリティ」「エピステミック」等。
そのうち「デフィニット」「スペシフィック」などと言い出すかもしれない。かえってウザい、ダサいと思うんだが。
>>906 「かろうと」は「くあろうと」の「と」だから、その「と」が仮定の接続助詞だと思われます。
「かろうが」のほうは「くあろうとも」とほぼ同義ではないでしょうか。
>>907 それ以前に
>>819 の質問が意味不明なんだけど。
819が何を求めているのか、貴方は分かってて答えてるわけ?
>>906 強いて言うならば、(A→B)&(C→B)のような選言的な仮定か。
「読む」や「行く」などの行為動詞でも、「その本を読むと」や「京都へ行くと」のような普通の条件文とは別に、
推量の「う」を使って「何を読もうと」とか「京都へ行こうと奈良へ行こうと」のような選言的条件文ができる。
>>910 どうもありがとうございます。大きなヒントが得られました。
913 :
ゲッパリラ :2012/08/30(木) 19:41:18.39 0
「果てしない」の「し」って何?
914 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2012/08/30(木) 19:56:43.03 0
強調の意味を持つ現代語に受け継がれなかった副助詞。 ほかに「ただし」の「し」もそう。
「おはようございます」の「はよう」(「はやい」のウ音便?)を 「はようしろ」(「はよしろ」と「う」が脱落することもある) 「はようせよ」(はよせよ」と「う」が脱落するこもある) 「はよういけ」(「はよいけ」と「う」が脱落することもある) というふうに用いることは標準語でもありますか? つまり、「はやく」=「はやう」なんですけども。
>>818 > 「文法の用語で、〜を指す用語はあるのだろうか」
「日本列島に棲む動物のなかで絶滅しそうな動物はあるのだろうか」
「日本列島に棲む動物」が集合名詞的で、「絶滅しそうな動物」が特定された名詞?
「ある/いる」の使い分けが「動物/非動物」になったのはいつごろですか? 少し古い文法書のなかには「むかしむかしおじいさんとおばあさんがありました」と いう例文を挙げていて、この場合は「ある」を使うのだと説明しているんです。
918 :
ゲッパリラ :2012/08/30(木) 20:21:49.69 0
>>914 「ただし」は「正し」だろ
「正す」の活用径
919 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2012/08/30(木) 23:29:26.90 0
「好き」は、形容動詞でしょうか、それとも動詞「好く」の連用形でしょうか、 それとも名詞でしょうか、それとも形容詞の連体形でしょうか。
そうですね^^ きっと「厳しい」は「黍」、「涼しい」は「鈴」、哀しいは「仮名」と関係しているんでしょうね。
「水を流れさす」という言い方ってすることありますか? 「水を流す」「水を流れさせる」と意味は同じですか?
>>923 「鈴しい」は連想できそうだけど、どうかな。
いずれにしても、漢字の違いだけで別系統語だと判断するのはダメだと思いますよ。
自分の妄想だけで判断するのもダメだと思いますよ
「連想できそうだけど、どうかな」と書いているだけなので、 その点についてはこちらはいっさい断じるコメントはしていませんよ! 漢字の違いだけでは根拠としては不十分じゃないかという点は指摘しましたがね。 例えば、「学ぶ」「真似る」だって漢字を見るとまったく別系統の語のように見えるし、 「上」「守」「神」「髪」だって「橋」「端」「箸」だって漢字だけ見るとまったく 無関係だった言葉のように見えますからね。
>>916 「集合名詞的」「特定された」という表現は確かに不適切だ。
左方の「用語」「動物」は「総称」、右方の「用語」「動物」は「任意の非特定」。
非特定のなかにも、情報が足りないために話し手にも聞き手にも特定できない場合 (未特定) と、
当該の名詞が指示しうる対象なら何でもよい場合 (任意) とがある。
このような文脈において、名詞に単複の別のある言語では、総称は複数をとり、任意の非特定は
(1 個でもあればよいので) 単数をとる。
>>927 >「上」「守」「神」「髪」だって「橋」「端」「箸」だって漢字だけ見るとまったく
> 無関係だった言葉のように見えますからね。
「上」と「神」とは上代特殊仮名遣の違いから別起源、「橋」「端」「箸」はアクセントの違いから互いに別起源と見られている。
>>928 「日本列島に棲む動物」は「動物」の「総称」???
「絶滅しそうな動物」が「任意の非特定」???
要はこういうことだよ。
「動物」という範囲の中の、さらに「日本列島に棲む」という限定範囲の中の、
さらに、「絶滅しそうな」という限定範囲の中の「動物すべて」を指しているんだよ。
だから右辺の「動物」も修飾語によって限定された中での総称を表しているよ。
動物{
日本列島に生息する{
絶滅しそうな{ ここに含まれる動物すべて }
}
}
>>930 > だから右辺の「動物」も修飾語によって限定された中での総称を表しているよ。
表していない。
「*日本列島に棲むすべての動物のなかで、絶滅しそうなすべての動物はあるのだろうか」
>>931 その発想はおかしい。その文はけっきょく
「日本列島に棲む動物がいる」「その中に絶滅しそうな動物はいるか」
という二つの文から成り立っている。
>>931 のその理屈を使えば、
「*日本列島に棲むすべての動物がいる」「*その中に絶滅しそうなすべての動物がいる」
いずれも非文法的になりはしないか?
>>932 >「日本列島に棲む動物がいる」
「日本列島に棲む動物が」という句は、もともとどこにも存在しない。無関係。
「日本列島に棲むすべての動物のなかで、絶滅しそうな動物はあるのだろうか」
この文は問題なく OK だから、左方の「動物」が総称で、右方の「動物」が総称でないことは明白。
「日本列島に棲む動物」のなかで「絶滅しそうな動物」 というのは事実上 「絶滅しそうな動物」のなかで「日本列島に棲む動物」 と同じだ。 だからこの文章の意味は 「日本列島に棲む動物」かつ「絶滅しそうな動物」はあるだろうか ということだ。 すなわち 左辺A=日本列島に棲む動物の集合 右辺B=絶滅しそうな動物の集合 においてAかつBという集合が存在するかを問うているにすぎない。 「〜のなかで」という日本語に惑わされて、これを包含関係を示す「in〜」と考えると話が難しくなる。 この場合は「in〜」ではなく「〜and〜」として機能しているのだから。 andの両辺はともに「ある条件を満たす動物の集合」だから左右は対等なのである。
>>934 >「〜のなかで」という日本語に惑わされて、これを包含関係を示す「in〜」と考えると話が難しくなる。
難しかろうと何だろうと、「〜のなかで」が表すのは包含関係なのだから、それに従わなければならない。
「A かつ B」を表したいのなら「〜のなかで」は使わない。
「日本列島に棲む動物で、(かつ) 絶滅しそうな動物はあるのだろうか」あるいは
「日本列島に棲み、かつ絶滅しそうな動物はあるのだろうか」などと表現される。
この場合の「動物」は、いずれも任意の非特定だ。総称ではない。
「*日本列島に棲むすべての動物で、(かつ) 絶滅しそうなすべての動物はあるのだろうか」
「*日本列島に棲み、かつ絶滅しそうなすべての動物はあるのだろうか」
>>935 >難しかろうと何だろうと、「〜のなかで」が表すのは包含関係なのだから、それに従わなければならない。
あまりにも頭が固すぎる。
単語や文は言葉の意味を運ぶ器にすぎない。
文法、文型とはその器の形と中身の間に(とても完全とは言い難い)ルールを見出して規定している分類体系にすぎない。
人間が使う言語は生き物であり、しばしば器と中身の形が乖離している。
むろん重要なのは中身の方である。
この事実を忘れて、器の形のみに拘泥し、そこから一歩も出られなくなってしまった知的不具者を世間では「文法馬鹿」と呼ぶ。
君の大好きな英語に翻訳してみればわかる。 「日本列島に棲む動物のなかで絶滅しそうな動物はあるのだろうか」 優れた翻訳者なら、上の「〜のなかで」を「in〜」「within〜」などと直訳しようとする愚は犯さない。 Are there any endangered animals which live in the Japanese Islands? これだけでしっかりと原文の意味を捉えているから、訳文としては合格点をもらえる。 このwhichは包含関係などではなく、単に動詞liveの主語「animals」の代理主語にすぎない。
>>933 うーむ、それについては
>>934 さんが私より適切に論理学的にすっきり整理してくれたと思う。
Aの円のBの円が重なり合ったところを指しているベン図だね。
問題は、{A かつ B}の集合の総称っていう言い方を
>>933 がお認めになるのかどうか。
>>935 「~」を指す用語は文法用語にかぎらず、他にもあるかもしれない。
しかし、文法用語に含まれるものの中で「~」を指す用語というのを
論理学的に整理すれば、やはり、
>>934 さんが説明されているとおりに
なるのだと思うよ。
>>916 はなぜか「文法の用語で」に対応する左辺を「日本列島に棲む動物で」とせずに「日本列島に棲む動物のなかで」
と、形を変えている。
そこには先の問題の「文法用語で」をどうしても「文法用語の中で」という包含関係に限定するニュアンスに改竄してしまおうという作為が感じられる。
「日本列島に棲む動物【で】絶滅しそうな動物」であれば、左右が並列(同格)であるニュアンスが強くなることは否定できないだろう。
だからあえて【のなかで】にしたのだろうが、この戦略はむしろ意図したものとは逆効果であったことに気づいていない。
なぜなら日本語の日常会話において「日本列島に棲む動物で〜」と言おうが「日本列島に棲む動物のなかで〜」と言おうが、聞き手が意味の違いを感じることは(特に【中で】を強調する文脈でない限り)殆どないからだ。
つまり、文法がどうであろうと、この種の文の文意は「AでありBである動物はいるだろうか」という単純並列として理解されるのだという事実を浮き彫りにしてしまった。
つまり日常言語は非論理的ということか。
用語一般:『』 文法の用語:「」 〜を指す用語:{} と置くと、 『 「 {」} 』 のような関係が実際にあったとする。 すると、{」の範囲がその解になる。 この場合、{」は「」の中に包含されていることに違いなのだから、 「文法の用語の中で、〜を指す用語」という言い方をしてもぜんぜん問題ないのではないか?
>>942 脱字失礼。「...包含されていることに違いないのだから、」に修正。
「文法の用語の任意のどれか一つに、〜を指す用語は存在するのか」と言っても問題なさそうか。
>>936 > 単語や文は言葉の意味を運ぶ器にすぎない。
> 人間が使う言語は生き物であり、しばしば器と中身の形が乖離している。
> むろん重要なのは中身の方である。
> この事実を忘れて、器の形のみに拘泥し、そこから一歩も出られなくなってしまった知的不具者を世間では「文法馬鹿」と呼ぶ。
違う言葉は違う意味を表すはずだと考えるのが、言語学の基本以前の原点・出発点。
(逆は真ではない。文脈が変われば、違う意味を表すのに同じ言葉が選ばれることはよくある)
「文法馬鹿」の典型がレナード・ブルームフィールドであり、現代言語学の確立者の 1 人だ。
君は言語学板で言語学とは違うことをやろうとしているにすぎない。
>>937 > 優れた翻訳者なら、上の「〜のなかで」を「in〜」「within〜」などと直訳しようとする愚は犯さない。
Within は論外だろう。
> Are there any endangered animals which live in the Japanese Islands?
> これだけでしっかりと原文の意味を捉えているから、訳文としては合格点をもらえる。
「日本列島に棲んでいる動物で、かつ絶滅しそうな動物が何種か存在するか?」といった感じ。
原文は「日本列島にはいろいろな動物が棲んでいるが、そのなかに絶滅しそうな動物は存在するのだろうか (しないのだろうか)?」
といった感じだから、かなりニュアンスが違う。
それに、上の英文中の animals は総称ではない。
>>939 > 論理学的に整理すれば、やはり、
>>934 さんが説明されているとおりに
> なるのだと思うよ。
ならないよ。「あるのだろうか」なんて論理学では扱えない。
>>940 >
>>916 はなぜか「文法の用語で」に対応する左辺を「日本列島に棲む動物で」とせずに「日本列島に棲む動物のなかで」
> と、形を変えている。
>>916 は私ではない。
> なぜなら日本語の日常会話において「日本列島に棲む動物で〜」と言おうが「日本列島に棲む動物のなかで〜」と言おうが、聞き手が意味の違いを感じることは(特に【中で】を強調する文脈でない限り)殆どないからだ。
> つまり、文法がどうであろうと、この種の文の文意は「AでありBである動物はいるだろうか」という単純並列として理解されるのだという事実を浮き彫りにしてしまった。
自分の語感が鈍いのを誇ってどうするんだ。
「で」と言えば包含か、いわゆる同格か曖昧だが、「のなかで」と言えば包含に限定される。それだけのこと。
>>942 >「文法の用語の中で、〜を指す用語」という言い方をしてもぜんぜん問題ないのではないか?
それは問題ないが、左方の「用語」が総称で、右方の「用語」が総称とは限らない (後続文脈による) ことは変わらない。
>>944 >「文法の用語の任意のどれか一つに、〜を指す用語は存在するのか」と言っても問題なさそうか。
不自然さを感じるが、仮に OK だったとして、左方の「用語」が総称、右方の「用語」が任意の非特定であることは変わらない。
>>945 >といった感じだから、かなりニュアンスが違う。
正しいニュアンスで訳すとどうなるんですか?
>それに、上の英文中の animals は総称ではない。
「総称」の定義とはなんですか?
>>945 >「あるのだろうか」なんて論理学では扱えない。
ちょっと意味がわからないけど。
存在可能性を問題にしているということでしょ。
簡潔に表現すれば「AでありBである動物は存在するか?」(必ずしもそういう解釈でなくてもいいけど)
Can an animal 「live in Japan」 and 「be endangered」 at the same time?みたいな。
Can it be〜? とか Can there be〜? というのは論理学ではないの?
>>947 > 正しいニュアンスで訳すとどうなるんですか?
日本語のできる英語ネイティヴにきいた方が確かだ。
>「総称」の定義とはなんですか?
当該の名詞が指示しうる対象すべて。
>>948 > ちょっと意味がわからないけど。
例えば、「?」なんて論理学で見かけない。
>>945 > ならないよ。「あるのだろうか」なんて論理学では扱えない。
そうかなあ?
真偽のいずれかの答えが一義的に出せる疑問文ならば論理学で扱えるはず。
つまり、問題にしているのは「あるかないか」だから、あるなら真、ないなら偽。
>>946 文法用語で「総称」とか「任意の非特定」とか称されているものを
論理学的に明確化する必要があるね。
>>945 >原文は「日本列島にはいろいろな動物が棲んでいるが、そのなかに絶滅しそうな動物は存在するのだろうか (しないのだろうか)?」
それをそのまま訳すとこんな英文になるんだが・・・
There live various animals on the Japanese Islands. Are any of those animals endangered?
うーん、解釈次第で文のニュアンスなんて好きなように変えられるんだよね。
「魚のなかで、無脊椎動物に属すものはいない」という言い方は普通にできると思うが。 「魚」が総称なら「無脊椎動物(に属すもの)」も総称であり、両者に包含関係はない。
>>687 それがわからない人って最近2chで話していると多いな。
なぜ何を言わんとしているのかを考えずに、間違いだバカって短絡した話になるのだろう?
>>950 > つまり、問題にしているのは「あるかないか」だから、あるなら真、ないなら偽。
それを疑ったり迷ったり、聞き手 (読み手) に尋ねたりするのは、論理学の守備範囲ではない。
> 文法用語で「総称」とか「任意の非特定」とか称されているものを
> 論理学的に明確化する必要があるね。
限定辞がなければ、複数は総称に、単数は任意の非特定に解釈される。
>>951 > Are any of those animals endangered?
「そのうちの何種かは絶滅しそうか?」違うと思う。ここは単数を使うべきだろう。1 種でもいるかどうかが問題なのだから。
>>937 の英文も、「日本列島に棲む絶滅危惧動物のうちの何種かを飼っているか?」の意味になる気がするんだが、ネイティヴに確認してみたい。
>>952 >「魚のなかで、無脊椎動物に属すものはいない」という言い方は普通にできると思うが。
>「魚」が総称なら「無脊椎動物(に属すもの)」も総称であり、両者に包含関係はない。
「魚」も「無脊椎動物」も確かに総称だが、「もの」は任意の非特定であり、「魚∋もの」「無脊椎動物∋もの」という包含関係が成り立つ。
「魚∋もの」かつ「無脊椎動物∋もの」をみたすような「もの」は存在しないということ。
955 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2012/09/02(日) 06:25:12.47 0
穀物は「扱く」+「物」なのでしょうか?
>>954 > それを疑ったり迷ったり、聞き手 (読み手) に尋ねたりするのは、論理学の守備範囲ではない。
例えば「1+1=2」の真偽を問題にすることは、
自然言語(仮に日本語)では「1+1=2か」と表現していることと同義でしょう。
「あるだろうか」の「だろう」の部分だけはモダリティの範疇で、
論理学の守備外だといえるから、その部分だけは後から付加的に論理学+αとして定式化できる。
+αを除いた部分、つまりこの場合では「だろう」というモダリティーを除いた部分は
純粋に論理学的命題文と同義と考えてよいんじゃないかなあ。
> 限定辞がなければ、複数は総称に、単数は任意の非特定に解釈される。
そこをもっと明確にする必要があるんじゃないかなあ。
例えば、「ライオン」という名詞は、それだけですでに、ライオンという意味の条件を
満たす総ての対象を総称し包含しているわけだよね?
レオンたんでライオンまぁライオン
「日本列島に棲む動物」はそれだけでは一種かそれ以上かは明示していないね。 日本列島に棲む動物が仮に一種だけであってもこの文は成り立つしね。 「絶滅しそうな動物」もその点では同じ。 「あるだろうか」もそれが複数あるのか単数しかないのか、という数を問題にしていない。
連体形って「な」だと思ってたけど「の」が正しいの? NHKで「高性能の爆薬」って言ってたから「の」が正しいんだろうけど、 個人的には「高性能な爆薬」の方がしっくりくるんだが、誤用なんだろうか。
>>959 何の連体形? 形容動詞の連体形? 名詞の連体形??
>>956 > +αを除いた部分、つまりこの場合では「だろう」というモダリティーを除いた部分は
> 純粋に論理学的命題文と同義と考えてよいんじゃないかなあ。
真だとわかっている場合とそうでない場合とで、名詞の指示の仕方は変わる。
「日本列島に棲む動物 (総称) のなかで、絶滅しそうな動物 (任意の非特定) はあるだろうか」
「日本列島に棲む動物 (総称) のなかに、絶滅しそうな動物 (不定の特定) がある」
「[日本列島に棲む動物 (総称) のなかで、絶滅しそうな動物 (総称)]のリスト」
>>934 が「日本列島に棲む動物で (かつ) 絶滅しそうな動物」と同じだと言うのは、いちばん下の行の場合だけだ。
> 例えば、「ライオン」という名詞は、それだけですでに、ライオンという意味の条件を
> 満たす総ての対象を総称し包含しているわけだよね?
そういう場合もあるし、どの 1 頭でもいい場合もあるし、特定できない 1 頭または 2 頭以上の場合もあるし、特定の 1 頭または 2 頭以上の場合もある。
総称と個体の区別以外、どこまで論理学に採用されているかわからないが、文法数の概念があれば自然に区別できる。
形容動詞の連体形なら「な」だが、「高性能」は名詞だから、 うしろの名詞を説明する助詞「の」で正しい。
>>954 >それを疑ったり迷ったり、聞き手 (読み手) に尋ねたりするのは、論理学の守備範囲ではない。
では疑ったり訪ねたりしなければいい。
「日本列島に棲む動物のなかで絶滅しそうな動物がいる。」
問題の本質に変わりないと思うのだが。
>> Are any of those animals endangered?
>「そのうちの何種かは絶滅しそうか?」違うと思う。ここは単数を使うべきだろう。
>1 種でもいるかどうかが問題なのだから。
それは日本の文法中毒患者が陥りそうな思い込みかと。
英語では各種意見があるものの、areを使うのが大勢らしいよ。
http://wiki.answers.com/Q/When_to_use_ANY_IS_and_ANY_ARE Thus, I would suggest that either usage in this example is grammatically correct, while the "are" version is the more widely accepted, and reccognized as sounding better.
>
>>937 の英文も、「日本列島に棲む絶滅危惧動物のうちの何種かを飼っているか?」の意味になる気がするんだが
いったいどの部分に「何種かを飼っている」の意味が汲み取れるのか??
>「魚」も「無脊椎動物」も確かに総称だが、「もの」は任意の非特定であり、「魚∋もの」「無脊椎動物∋もの」という包含関係が成り立つ。
では次の例文はどうか?
「脊椎動物のなかで鳥ほ特別だ」
脊椎動物も鳥も総称ではないのか?
>>961 >真だとわかっている場合とそうでない場合とで、名詞の指示の仕方は変わる。
日本語のような曖昧性(不定性)の強い言語で、「わかっている」というのは単に読み手(貴方)の主観であって、普遍的なロジックにはなり得ないのでは?
そもそも論理学の命題には「聞き手」も「話し手」もないわけだし。
不思議な文章だなあ! 「日本列島に棲む動物のなかで絶滅しそうな動物はあるのだろうか」。 まるで、学校英語の英文和訳みたい。 普通の日本語文章になってないのに、分析しても仕方が無い。 文末の強調も必要ないだろ。 @「日本の動物に絶滅しそうなのが居るか」 A「日本の動物に絶滅しそうな種があるか」 と、言うのとどう違うのか。 (「絶滅しそうな」という生物学知識に基づく文章だからAでも良い。)
>>965 >まるで、学校英語の英文和訳みたい。
>普通の日本語文章になってないのに、分析しても仕方が無い。
文法馬鹿にとっては美味しい文章なんだろw
てか書いた張本人はどこに消えたんだw
>>962 なるほど。連体形じゃなくて助詞として扱うのか。
うーん、意識してないとこれからも誤用してしまいそうだ。。。
このスレには自称「論理学と印欧語を学んだ」文法馬鹿が居座っている。 なぜか彼の日本語に対する「言語学的解釈」は妄想の域に達しており、英語に対する理解も甚だ心もとないといわざるをえないのだが。。
うちのクラスにいる生徒のなかで落第しそうな生徒はいるのだろうか。 これは「普通の日本語の文」ではない?
970 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2012/09/02(日) 13:22:16.12 0
日本語では、主語だとか「主語の省略」だとかという観念は不要。 英語独語の主語という観念は日本語には無い。 主語が有る文が原則で無い文は例外とするのが、あちらの文法。 何しろ、「よいしょ!」「こらさ!」なんて掛声にまで主語を必要とするのが あちらの言語の性質。(更に、その単数形複数形の区別が必要) 集合名詞だとか限定名詞というのは、 主語や副主語という観念が非常に大事であるからこそ意味のある概念で、 それゆえ述語に於るその区分も意味を成すもの。 日本語に、殊更そういう概念は必要としない。必要な場面が無い。 ある時は自明のものとし、ある時はそんな区別を超越したものとして話し書くのである。
971 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2012/09/02(日) 13:23:29.57 0
↑述語は述部の誤り
972 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2012/09/02(日) 13:34:10.84 0
>>969 前の「いる」と「なか」が不要。
こういうなのを使うから誰かさんに英文和訳みたいと言われるんだ。
「生徒」はダブり。
最後の「の」はクドイ。
「うちのクラスで落第しそうなのはいるだろうか。」で充分。
「生徒」を入れないとわかりにくい場面なら、「しそうなの」の「の」を「生徒」にする。
>>972 俺なら、「クラスで」を「クラスに」としたい。
>>954 >ネイティヴに確認してみたい。
ネイティヴの言ったことを一字一句、英語で引用してくださいね。
日本語に直すとあなたの主観で余計な解釈を付け加えそうだから(笑)
そもそも、助詞「で」を使い過ぎ。 ムダな一拍の休止が生ずる。 読点を打つほどの休止を要する場合だけ「で」を使うべし。
>>961 「日本列島に棲む動物のなかで、絶滅しそうな動物はあるのだろうか」が
単数か複数かを問題にしていない、ということは同意してもらえるのかなあ?
この文が表現しているのは、
A「動物」という意味カテゴリー
a「日本列島に棲む」という意味カテゴリー
b「絶滅しそうな」という意味カテゴリー
をまず想定した上での
「{Aかつa}かつ{Aかつb}」が成り立つ動物種の有無。
この左辺と右辺は交換可能。
自然言語(英語)のinも論理記号のandも意味は同じになる。
しかしあなたは、この文のAは二種類あると主張しているんだよね?
A 「動物」という意味カテゴリーの「総称」?
B「動物」という意味カテゴリーの「いずれか一種」?
ということでよい?
でも、これだと意味がおかしくならないかなあ。
>>976 というより「で」と「に」ではかかる文が違う。
うちのクラスで落第し(そうなのがいる) (動作、行為)
うちのクラスに(落第しそうなのが)いる (存在)
洗濯物を
980 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2012/09/02(日) 15:45:02.82 0
近頃、冗長な文章が多いね。 無駄な語句は省きましようって、小学校の作文で習わないのか。 気になる点として、「〜のだろうか」の言回しも。 丁寧表現だと思ってるフシがある。 丁寧表現なら、ハッキリ「です・ます調」で書け。 そうでないなら、単に「〜か」で充分。
979は投稿ミスです。 庭で洗濯物を干す。 庭に洗濯物を干す。 の地域差?が前に問題になってたね。
>>961 「日本列島に棲む動物」の「動物」が論理学でいう「全称」の意味ならば、
「あらゆる動物は日本列島に棲む」ということになってしまう。
これ自体がすでに偽。
「絶滅しそうな動物」の「動物」が論理学でいう「全称」の意味ならば、
「あらゆる動物は絶滅しそうである」ということになってしまう。
これも偽だから成り立たない。
>>978 「に」のほうが、はるかにキレイな日本語。
意味は変りゃしない。
そこの「で」も「に」も場所・範囲を示す時に遣う助詞。
「だろう」は言語学ではモダリティを表しているとされている。 論理学的には無駄な付加情報だけど、伝達する主体の姿勢を付加情報として 一緒に伝達していると考えればいい。 この疑問文を発する発話主体もこの真偽の答えを知らないというニュアンスがある。 この答えを知った上で質問をしているのではないよ、と伝えている。
>>981 この場合の「で」は、場所をあらわす。
次の「に」は、行為の目的・方向をあらわす。
986 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2012/09/02(日) 16:08:30.36 0
>>985 いゝ加減なこと言うな。
その場合、両方とも「場所」やわ。
ただ、使い分けに地域差はあるようなのは確かそうやな。
関西、特に上方(かみがた)方面は、濁音を避けたがる傾向がある。
ゴジラ東京に向かう。(方向、行為) ゴジラ東京に現る。(場所、行為) ゴジラ東京で暴れる。(場所、行為) ゴジラは東京にいる。(場所、存在) どうも使い分けがはっきりしないw
>>984 ルニ文の違和感はそれを無視している点だろうか。
989 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2012/09/02(日) 17:18:43.83 0
辞書に載ってなくて 「実用日本語表現辞典」にだけ載っているような言葉は、 正統性において劣っているのでしょうか? たとえば「代表格」という言葉は、「表現辞典」にか載っていませんでした
990 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2012/09/02(日) 17:39:09.17 0
>>989 その語、どういう意味?
意味を成さない私造語や誤用語は一般辞書に採録されない。
辞書の採録基準はその辞書の判断じゃないの? 大辞典にだけ載ってるからといって正統性云々という話にはならないと思うんだけど。
>>963 > では疑ったり訪ねたりしなければいい。
>「日本列島に棲む動物のなかで絶滅しそうな動物がいる。」
> 問題の本質に変わりないと思うのだが。
「…動物がいる」なら「動物」は不定の特定、「…動物がいるだろうか」なら「動物」は任意の非特定。
問題の本質に大いに関わる。
> それは日本の文法中毒患者が陥りそうな思い込みかと。
> 英語では各種意見があるものの、areを使うのが大勢らしいよ。
ネイティヴの意見は尊重するが、取り上げられているのが疑問文ではない。
"Is there any...?" と "Are there any...?" とでは、明らかに前者の方が頻繁に現れる。
> いったいどの部分に「何種かを飼っている」の意味が汲み取れるのか??
There is 構文は、場所や範囲を限定する語句を伴うのが普通で、それがない場合、「しゃべっているここに」と解釈されやすい。
「ここに何種かいるのか」、すなわち何らかの意味で「飼っている」ということになるのではないか。
>「脊椎動物のなかで鳥ほ特別だ」
> 脊椎動物も鳥も総称ではないのか?
どちらも総称で、総称が総称を包含している。全く問題なし。
>>964 「ある」と言っているのに真かどうか曖昧というのも変な話だが、本質的に日本語でロジックはできないと言いたいのなら、その点には同意する。
>>965 >「日本列島に棲む動物のなかで絶滅しそうな動物はあるのだろうか」。
> 普通の日本語文章になってないのに、分析しても仕方が無い。
「そんな種はないんじゃないか」という含みがあるなら、普通だと思う。
なお、1 文を「文章」とは普通は呼ばない。
>>968 そんな印象操作は無意味だよ。
>>969 > これは「普通の日本語の文」ではない?
不勉強で頭が固く、語感も鈍いとそう感じられるようだ。
カワウソは絶滅したけど、クニマスは結局どうなったの?
>>990 だいひょうかく【代表格】
何かを代表するような存在、特定の業界やグループの代名詞的な存在、という意味で使われる表現。
なんとなく、「格」という言葉に対してあまり意識的じゃない気がするんですよねー 誰かが言っていたから言っている、ような
>>972 改竄反対。
>>975 本人の許可が要るもんだってこと、わかってる?
>>977 > でも、これだと意味がおかしくならないかなあ。
全然ならない。だからどのようにおかしいのかは言えない。
>>982 >「日本列島に棲む動物」の「動物」が論理学でいう「全称」の意味ならば、
> あらゆる動物は日本列島に棲む」ということになってしまう。
> これ自体がすでに偽。
総称の外側から「日本列島に棲む」と限定している。すなわち「日本列島に棲むすべての動物」。
何ら問題なし。
「うちのクラス」を、例えば特進クラスとする。 随時試験が課され、成績が悪ければその時点で普通クラスに落とされるものと設定する。 「うちのクラスにいる生徒のなかで、落第しそうな生徒はいるのだろうか」 全然おかしくないだろ。 ある例文が与えられたとき、それが言われそうなのはどんな文脈か、瞬時に出て来るようでないと、言語学はできない。 不勉強で頭が固く語感の鈍い者は、最も重要な文脈の推測を「妄想」とかたづけ、例文を改竄しようとする。 言語学板で言語学とは異なることをやっている。
>>982 >「絶滅しそうな動物」の「動物」が論理学でいう「全称」の意味ならば、
>「あらゆる動物は絶滅しそうである」ということになってしまう。
> これも偽だから成り立たない。
これも同じことだ。総称の外側から「絶滅しそうな」と限定している。
「絶滅しそうなすべての動物」。
「彼は日本人だ」 (「日本人」は不定の特定) 「彼は日本人か」 (「日本人」は任意の非特定) 「彼は日本人に属する」 (「日本人」は総称)
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