【モノリンガル専用】エスペラント初心者講座

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1名無し象は鼻がウナギだ!
日本のエスペラント初心者同士で学びあおう!
※外国語などを書き込まないように気をつけましょう。

◆アルファベート一覧
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◆エスペラント入力
財団法人日本エスペラント学会
http://www.jei.or.jp/
「パソコンでの字上符入力」を参照してください。
2名無し象は鼻がウナギだ!:2012/03/15(木) 11:53:03.96 0
◆エスペラント文法16カ条
1.冠詞はlaのみが存在するが、初心者は用いなくても構わない。
2.名詞は語尾が'o'となり、対格(〜を)表す場合'n'を付加する。その他は前置詞で補う。
3.形容詞は語尾が'a'となり、その他は名詞と同様である。
4.数詞はunu(1),du(2),tri(3),kvar(4),kvin(5),ses(6),sep(7),ok(8),naŭ(9),dek(10),cent(100),mil(1000)が存在し、組み合わせて表現する。助数は形容詞語尾を付加する。
5.人称代名詞はmi(私),ni(私達),vi(貴方/貴方達),li(彼),ŝi(彼女),ĝi(それ),ili(彼ら/彼女ら/それら),si(自身),oni(人々)が存在し、所有格は形容詞語尾を付加する。
6.動詞は現在形語尾が'as'、過去形語尾が'is'、未来形語尾が'os'となり、人称や数によって変化しない。
7.副詞は語尾が'e'となる。
8.前置詞は主格を必要とする。
9.単語は文字通りに読まれる。
10.アクセントは語尾から2音節目に置かれる。
11.単語の構成は語根を単純に並べて作る。
12.否定語は重ねて表現しない。
13.対格は向格(〜へ)としても使われる。
14.前置詞は定められた不変の意味がある。しかし適切な前置詞がない場合はjeを用いる。
15.外来語はエスペラントの正書法に則って取り入れる。
16.名詞語尾'o'と冠詞の'a'はアポストロフィーで省略できる。
3名無し象は鼻がウナギだ!:2012/03/15(木) 11:53:19.77 0
◆オンライン辞書
実用エスペラント小辞典 《第1.8版》
http://www.vastalto.com/pejv/
日本語<->エスペラント語 単語変換オンライン辞書
http://www.gengo.tk/esp.html

◆公認基礎語根グループ別一覧
Baza Radikaro Oficiala
http://eo.wikisource.org/wiki/Baza_Radikaro_Oficiala

◆学習用リンク
Web版 エスペラントの鍵
http://vastalto.com/kagi/
はじめてのエスペラント
http://www39.atwiki.jp/kursodeesperanto/
萌えるエスペラント語っ!
http://www.dab.hi-ho.ne.jp/t-wata/moees/
lernu!
http://ja.lernu.net/
4名無し象は鼻がウナギだ!:2012/03/15(木) 11:57:55.00 0
粘着荒らし蒼井拓のプロフィール

Taku Aoi (蒼井拓)
male
1984-05-26 生まれ
Aichi, Japan

twitterでも愛知在住が確認
自分を「人工言語のプロ」と騙る稀な誇大妄想人格性

一方↓のスレの43,44で荒らして晒された奴のIPを調べてみたところ
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11532/1322097262/
114.174.126.222
p7222-ipngn100103tokaisakaetozai.aichi.ocn.ne.jp

ビンゴ!やっぱり愛知!蒼井拓粘着荒し確定!
5名無し象は鼻がウナギだ!:2012/03/15(木) 12:30:22.75 0
Mi taberis jakisobon je hirugohano.
私は昼ごはんに焼きそばを食べた。
6名無し象は鼻がウナギだ!:2012/03/15(木) 12:39:21.50 0
ツイッターアカウント作ったよー
その名も黒井拓www
https://twitter.com/#!/kuroitaku_manko

凸したよー
垢はそのまま残しておく
蒼井拓がブロックすれば黒確定
まあ知らぬ存ぜぬを通すだろうけど

あ、ちなみに俺がフォローする前にプログラミング言語は人工言語でしょ的な言い分け発言してたので、最低でもここ見てることは確定しました
7名無し象は鼻がウナギだ!:2012/03/15(木) 13:19:54.07 0
さっそく被害妄想的な糖質湧いてるのは何なの?
こういうの言語学板では普通なの?
8名無し象は鼻がウナギだ!:2012/03/15(木) 16:04:01.04 0
言語学板でっていうか人工言語関連スレでは普通だよ。
あそこでは会話が一切成り立たないし、そもそも人工言語の話ができない。
7年近くも粘着してる荒らしがいるからね。愛知の蒼井拓か山形のカッペかしらんけど。
近付くだけでこうやって飛び火させられるから離れておくのが吉。
9名無し象は鼻がウナギだ!:2012/03/15(木) 18:21:56.58 0
> 13.対格は向格(〜へ)としても使われる。
これなぜに同じ文字にしたんだろう
「〜を」と「〜へ」を同じにしたら混乱するのがわかるだろうに
10名無し象は鼻がウナギだ!:2012/03/15(木) 20:28:08.28 0
例えばドイツ語の前置詞inって3格(与格)を支配すると「〜の中に」
4格(対格)を支配すると「〜の中へ」って意味になるだろ
ラテン語のinも奪格を支配すると「〜の中に」で対格を支配すると「〜の中へ」
つまりそういうことだよ
11名無し象は鼻がウナギだ!:2012/03/16(金) 03:54:37.10 0
初心者は目的格でしか使わないから関係ない話だな
12名無し象は鼻がウナギだ!:2012/03/16(金) 05:19:12.63 0
実際13条を使うとしたら、
Mi iras kakuteisxinkokukaijxon.
私は確定申告会場を行く。
みたいに使うわけ?どう見ても論外だろこんなの。
13名無し象は鼻がウナギだ!:2012/03/16(金) 05:56:53.19 0
前置詞で補えとあるから前置詞jeがいるんじゃないかな
Mi terebon miros.
使ってて楽しい人工言語ですね
ではテレビ見てきます
14名無し象は鼻がウナギだ!:2012/03/16(金) 09:01:32.42 0
簡単な動詞の一覧みたいなのがほしいね。
Mi hosias kantanan dousian itiraon.
15名無し象は鼻がウナギだ!:2012/03/16(金) 09:21:49.51 0
見ろ bidu
見る bidas
見た bidis
16名無し象は鼻がウナギだ!:2012/03/16(金) 15:17:49.99 0
>>9-10
前置詞つきの対格が与格になるということで混乱しないということか?
17名無し象は鼻がウナギだ!:2012/03/16(金) 15:34:51.22 0
対格(〜を)が向格(〜へ)として扱われるのは「場所を表す前置詞」の後ろにある時限定
つまり「〜の中に」を意味する en を例にすると
Li kuris en la parko.(彼は公園の中を走っていた)
Li kuris en la parkon.(彼は公園の中へ走っていった)
と、このように場所から場所への移動を表すのがこの用法
目的語として対格を使用する場合は前置詞と共には用いられないので普通混乱しない
これと同様に場所を表す副詞、例えば hejme(自宅で)に対格語尾 -n をつけることもできて
前置詞+対格名詞の時と同様
Li nun estas hejme.(彼は今自宅で存在している→彼は今自宅にいる)
Li jam iris hejmen.(彼は既に自宅に行った→彼は既に帰った)
このように移動を表すことができる
ということだ
18名無し象は鼻がウナギだ!:2012/03/16(金) 16:14:24.03 0
> Li jam iris hejmen.(彼は既に自宅に行った→彼は既に帰った)
前置詞なくね?
19名無し象は鼻がウナギだ!:2012/03/16(金) 16:16:20.49 0
Mi bidas pasokon.
20名無し象は鼻がウナギだ!:2012/03/16(金) 17:42:33.22 0
>>18
名詞じゃなくて副詞だから
21名無し象は鼻がウナギだ!:2012/03/16(金) 18:01:43.50 0
なるほど分からん。
だから初心者には関係ない話なのか。
22名無し象は鼻がウナギだ!:2012/03/17(土) 00:25:47.10 0
>>17
Li kuris al la parko.という文は間違いなの?
23名無し象は鼻がウナギだ!:2012/03/17(土) 00:29:06.91 0
>>22
いいんじゃね?
普通に考えると、〜へという前置詞を使うよね。
24名無し象は鼻がウナギだ!:2012/03/17(土) 03:05:51.85 0
>>22 の例は「公園へ」じゃね。「公園の中へ」とはニュアンスが違う。
25名無し象は鼻がウナギだ!:2012/03/17(土) 10:48:42.42 0
Ĉu oni estas permesata ken oni eniĝi la parkon?

Ĉu oni estas permesata ken oni iri la en-parko?
26名無し象は鼻がウナギだ!:2012/03/17(土) 10:50:27.94 0
しまった。alを打ち忘れた。
Ĉu oni estas permesata ken oni iri al la en-par
27名無し象は鼻がウナギだ!:2012/03/21(水) 17:58:50.72 0
へ al の de で per
他にこれは重要って格助詞はありましたっけ?
hoka jxuja kakujxosxo estas ?
28名無し象は鼻がウナギだ!:2012/03/21(水) 18:08:53.60 0
重要は「じゅうよ」じゃなくて「じゅうよう」なんだから
正書法に従うならĵujaじゃなくてĵujoaかな。
Tio estas malĵuja. だけどね。
29名無し象は鼻がウナギだ!:2012/03/21(水) 18:17:45.84 0
も アンタウだったかアンカウだったか
そんな前置詞があったはず
30名無し象は鼻がウナギだ!:2012/03/21(水) 23:00:07.21 0
なにそれ? 日本語とエスペラントの融合?
31名無し象は鼻がウナギだ!:2012/03/21(水) 23:05:26.40 0
>>29
〜もまた ankaŭ
全然日本語由来の単語じゃないよ。
32名無し象は鼻がウナギだ!:2012/03/21(水) 23:10:13.29 0
なるほど
ĵujoa 重要な
は完全に日本語由来だね。
33名無し象は鼻がウナギだ!:2012/03/21(水) 23:12:33.23 0
いやここは初心者のためのエスペラントスレであって
好き勝手エスペラントの造語をするスレではないだろ
34名無し象は鼻がウナギだ!:2012/03/21(水) 23:17:54.11 0
間違ってるわけじゃないんだから、
慣れてからおいおいBRO上位の単語を覚えれば良いことですし。
習うより慣れろだね。
35名無し象は鼻がウナギだ!:2012/03/21(水) 23:19:10.09 0
glaba 重要な
グラバー邸は重要だと覚えよう
36名無し象は鼻がウナギだ!:2012/03/21(水) 23:41:42.59 0
グラバー邸を知ってるようなオタクがいるとは思えない。
37hano de nanasxa zoo estas unago!:2012/03/22(木) 00:04:55.74 0
グラバーさんを知らないならもう無理だね
jxujoaを使う他なし
38名無し象は鼻がウナギだ!:2012/03/22(木) 13:32:29.21 0
グラボは重要でいいじゃん
39名無し象は鼻がウナギだ!:2012/03/22(木) 17:30:36.59 0
Mi bone ke gurabo estas glabo
40名無し象は鼻がウナギだ!:2012/03/22(木) 21:23:39.30 0
正確にはグラーバ grava だよ。
41名無し象は鼻がウナギだ!:2012/03/22(木) 23:08:30.38 0
とりあえず前置詞よろしく重要な動詞も数個は洗い出して道ならしをしておきたいね
iri maliri 行く 帰る
くらいしか思い浮かばないが
42名無し象は鼻がウナギだ!:2012/03/23(金) 11:18:20.20 0
fari する
mi memon faras.
私はメモる。
比較的多用できるグラーバ動詞だと思う。
43名無し象は鼻がウナギだ!:2012/03/23(金) 12:12:13.36 0
なるはないの?
する・なる・あるの3つで動詞の大半と言っても過言ではない。
44名無し象は鼻がウナギだ!:2012/03/23(金) 12:21:17.69 0
farigxi 〜になる
fariの自動詞化だな
45名無し象は鼻がウナギだ!:2012/03/23(金) 19:09:31.28 0
soto nigre farigxas.
46名無し象は鼻がウナギだ!:2012/03/23(金) 20:53:08.83 0
>>43
fari, iĝi, esti
47名無し象は鼻がウナギだ!:2012/03/23(金) 21:01:31.25 0
iĝi「(に)なる」はその意味の性格からして、
-iĝ-という接尾辞(接間辞?)の形で他動詞にくっついて
自動詞をつくることができます。

fri(する) + iĝi(なる) -> fariĝi(なる、生じる、起こる)
48名無し象は鼻がウナギだ!:2012/03/25(日) 11:35:04.19 0
初心者用の動詞語根は50個あるんですけど、やはり多いんですかね。
AmiDemandiDeziriDiriDoniFariFiniHaviHelpiKomenciKompreniKoniKrediLegiLerniLeviMetiMontriMoviPetiPortiPoviPreniRiceviSciiSekviSendiSkribiTeniVidiVoli
ParoliRespondiDeviEstiIriLaboriLoĝiMilitiMortiOkaziRestiRidiSidiStariVeniVeturiViviĜojiŜajni
この量だとFariで削減したとしても10個程度にはならんな。
49名無し象は鼻がウナギだ!:2012/03/25(日) 20:56:08.66 0
訳がないと重要かどうかがわからん。
〜をするfariさえあれば、何でも表現できそうだがな。
Mi faras juugohanon.
50名無し象は鼻がウナギだ!:2012/03/27(火) 10:39:54.11 0
>>49
日本語のような動詞の造語法がエスペラントでも通用するんでしょうか。

「軟派」+「する」-> 「ナンパ(を)する」
51名無し象は鼻がウナギだ!:2012/03/27(火) 11:14:56.81 0
むしろ日本語由来の動詞を使ったほうがわかりやすいね。
52名無し象は鼻がウナギだ!:2012/03/27(火) 15:18:44.66 0
Mi birinon nanpasuras.
53**:2012/04/25(水) 01:06:20.74 0
言語表現量保存の法則で、文法の簡単なエスペラントは
複雑な文法の言語が表現する表現量に簡単な文法では間に合わない。
いつか英語のように文法は簡単だがその分文章の例外が多い事で間に合わすようになるのではないか。
54名無し象は鼻がウナギだ!:2012/05/29(火) 05:13:31.31 0
重要でない表現を排除すればいい。
juugohano夕御飯という単語は、本質的にpanoパンでも良いわけだ。
55名無し象は鼻がウナギだ!:2012/06/01(金) 03:16:16.15 0
今回は、ヘンな人が居なくて参考になりそう
56名無し象は鼻がウナギだ!:2012/06/03(日) 10:27:26.45 0
>>50
>日本語のような動詞の造語法がエスペラントでも通用するんでしょうか。
>「軟派」+「する」-> 「ナンパ(を)する」
エスペラント的な発想ならば
nampoでナンパという名詞、nampiでナンパをするという動詞になる。
動詞活用をさせればナンパス(現在)ナンピス(過去)ナンポス(未来)となり
我〜す(る)に近い音感となる。
57名無し象は鼻がウナギだ!:2012/06/03(日) 10:56:31.82 0
>>56
私なら名詞型をナンパオにするかな。
3文字で最後の母音を変えると、元の単語が把握しにくい。

例えばこの纏うという動詞のように
http://ja.wiktionary.org/wiki/matoi
動詞由来であるなら歩き、遊びのようにら3文字で最後の母音を変えても分かりやすいと思うけど。
58名無し象は鼻がウナギだ!:2012/06/03(日) 11:12:17.48 0
La homo bluan koromon matoantas.....
ナウシカはいいね
59名無し象は鼻がウナギだ!:2012/06/03(日) 11:31:09.68 0
マトアンタスだと、「纏わんとす」に聞こえるからマトアスの方がいい
60名無し象は鼻がウナギだ!:2012/06/03(日) 11:32:44.25 0
ナンパオは男宝(ナンパオ)らしいぞ
61名無し象は鼻がウナギだ!:2012/06/03(日) 11:34:19.18 0
纏いて
って纏っているという意味じゃないのか?
62名無し象は鼻がウナギだ!:2012/06/04(月) 09:22:31.26 0
原文は『その者蒼き衣を纏いて金色の野に降りたつべし』
「降り立つ」の実際のニュアンス忘れたが美化したイメージで「上から落ちてきて立つ」だとすると
La homo bluan koromon matointe kaj desupre falinte stariĝos sur ora kampo.(べしは未来だとして)
ラホーモ ブルーアン コローモン マトイーンテ ・・
後半も日本語の語呂に合わすなら単純に
オーラン カンポン スタリーヂォス oran kamponと方向の対格を用いてみました
63名無し象は鼻がウナギだ!:2012/06/06(水) 02:59:08.51 0
英語との対訳のヤツが解りやすかった
64名無し象は鼻がウナギだ!:2012/06/06(水) 21:45:21.17 0
英訳をグーグル翻訳でエスペラント化するといいよ
65名無し象は鼻がウナギだ!:2012/06/06(水) 21:58:08.77 0
やってみたw
And that one shall come to you garbed in raiment of blue, descending upon a field of gold

Kaj ke oni venos al vi garbed en vestoj el blua, malsuprenirantan sur kampo de oro

ほんとだ、すげー分かりやすいな
66名無し象は鼻がウナギだ!:2012/06/07(木) 00:45:54.33 0
グーグルの翻訳って対格語尾-nをほとんど無視してないか?
あと、動詞の前のneもときどき無視する。
67名無し象は鼻がウナギだ!:2012/06/07(木) 12:51:26.87 0
真のエスペランティストはグーグル翻訳には頼らない、英訳にも頼らない。
しかし世のなんちゃってエスペランティスト達はグーグル翻訳に依存して
何らかの作品発表をするだろうから そのうちグーグル訳が標準文法になるかもしれない。
68名無し象は鼻がウナギだ!:2012/06/07(木) 13:46:01.34 0
グーグル翻訳はユーザが手直しできるから、その集積があの結果
使ってるうちに精度が上がっていくと思うよ
69名無し象は鼻がウナギだ!:2012/06/07(木) 20:29:09.99 0
-nを解さないのはIdoっぽいけど、機械翻訳することによって
否定文を肯定文にされちゃうバグはちょっと笑えない。

エスペラントの文だって英文同様、機械翻訳を利用して読んでいる人が
世界に大勢いるだろう可能性を考えるとね。
70名無し象は鼻がウナギだ!:2012/06/21(木) 11:29:09.44 0
グーグル翻訳って英語を介するシステムじゃないのか?
日→英→世
のように翻訳をかけて、読むのがドイツ人だとしたら
世→英→独
かけ離れた文章になることが想像出来る

そもそも数時間で理解できるような簡単な国際補助語に機械翻訳なんて使うのかね
71名無し象は鼻がウナギだ!:2012/06/21(木) 14:06:10.34 0
全体としては、かけ離れた文にはならないけど、
不可解なのは、否定文が肯定文に翻訳されちゃうところ。

英語を介すると、エスペラントでの否定文が肯定文になるというのもおかしい。

実際、私は、日本語とエスペラントの間で機械翻訳せずに、
英語とエスペラントの間で翻訳している。

つまり、エスペラント文を読むために、グーグルで英文に翻訳して読んでいるし、
自分で組み立てたエスペラント文を英文に機械翻訳してみたりしている。

そのときは、エスペラント文から直接英文に機械翻訳しているわけだけど、
それでもエスペラントの否定文が英語の肯定文に訳されちゃう現象が頻発する。
72名無し象は鼻がウナギだ!:2012/06/21(木) 14:13:18.23 0
よくわからんけど
英語に否定文がないからじゃね?
73名無し象は鼻がウナギだ!:2012/06/21(木) 18:48:32.23 0
Tio estas aŭto.が複数形になるとTiuj estas aŭtoj.
というふうにtiuに変化するのはなぜですか?
74名無し象は鼻がウナギだ!:2012/06/21(木) 19:40:50.16 0
>>73
自分で変化させて、変化するのはなぜかと聞かれても。
揺らぎが大きいから好きなように使えばいい。
最近だと人なのか物なのかで使い分ける人も居ますね。
75名無し象は鼻がウナギだ!:2012/06/21(木) 19:45:32.56 0
Livemochaのテキストがそう変化させているんですよ。
複数形の項目で、

Tio estas aŭto. Tiuj estas aŭtoj.などというふうに
単数形のほうはすべてtio、複数形のほうはすべてtiuとしてあるんです!
76名無し象は鼻がウナギだ!:2012/06/21(木) 19:47:27.10 0
tiuはそもそも、「人を表す誰」という場合にだけ単独で使えて、
それ以外はtiu+名詞という形でしか使えないものだと思っていたのです。
だからカルチャーショックでした。
77名無し象は鼻がウナギだ!:2012/06/21(木) 19:51:54.10 0
>>76は最近の人間ということだ。
それでいいと思うよ。
人と物で区別するのは初心者にも分かりやすい。
78名無し象は鼻がウナギだ!:2012/06/21(木) 20:16:00.40 0
「その人たちは自動車です」?
79名無し象は鼻がウナギだ!:2012/06/21(木) 20:25:26.08 0
生きた文にするなら
「そいつらは自動車だ」かな
80名無し象は鼻がウナギだ!:2012/06/21(木) 21:54:20.23 0
>>75
>Livemochaのテキストがそう変化させているんですよ。
やるならきちんと添削してもらって勉強したほうがいい
Livemochaでも先生が
tiuj estas aŭtoj, tiuj ne estas kamionoj. って書いてた人に
Uzu "tio" kaj por singularo, kaj por pluralo: "Tio estas aŭto", "Tio estas aŭtoj".
Uzi en similaj frazoj pronomon "tiuj" estas eraro.
って説明してたぞ
8173 75:2012/06/22(金) 21:57:24.35 0
Tio estas aŭto. Tiuj estas aŭtoj.になっていたのか、やっと分かりました。
tioを複数形にできないのでtiuを使っていたのですね?

しかも、tioとtiuには、不定冠詞と定冠詞みたいな対の意味合いがあるんですね?
だからまず、tioでa carのように示し、次いでtiuでthe carのように示していると。

そんなことでしょうか?
82名無し象は鼻がウナギだ!:2012/06/22(金) 22:25:11.93 0
>>81
明確な決まりはないよ。
日本語に複数形はないから私は使わないけどtioだって複数形にもできる。
古くは全般と個別の違い、最近は物と人の違い。
普通の人工言語と違って世界で長く使われてるものだから基本以外の決まりは曖昧なんですよ。
83名無し象は鼻がウナギだ!:2012/06/23(土) 12:33:31.40 0
>>81
昔の教科書で勉強してるのかな?
だとしたら最新の教授法に乗り換えた方がいいよ。
tioは指示形容詞ではないから定冠詞の代わりには使えないが
既出の事柄、或いは 目に見える事物を指すという意味では定冠詞と同じく限定的な意味合いがある。
だから「不定冠詞と定冠詞みたいな対」という理解は少し違うと思う。
物に対するtiuもtiu ○の○が省略されている事が明確ならば使える。
故に「物と人」と決めつけてしまわないほうがいい。
むしろtiuのみの場合はtiu homoの省略形と見なされる、という考え方の方が理論的。
84名無し象は鼻がウナギだ!:2012/06/25(月) 12:12:12.91 0
>>83
定冠詞は使わなくていいという決まりがあるから
曖昧になってその結果が物と人で使い分けるという今のシステムに成ったんだと思う
日本語だとどっちも「そいつ」だからどっち使われようが関係ないけどね
85名無し象は鼻がウナギだ!:2012/06/25(月) 13:54:41.43 0
Livemochaのエスペラント講座は、旧いエスペラント文法にもとづいているのですね?

単数複数の使い分け文例で、
Tio estas aŭto.
Tiuj estas aŭtoj.
というtioとtiuの使い分けまで為されているのは。
86名無し象は鼻がウナギだ!:2012/06/25(月) 18:01:11.19 0
>>85
今のPMEGはもちろんの事、昔の最高権威であったPAGですら、tioは人、物、動物何でも指し、後続名詞の省略ではない単独のtiu(j)は人間を指す、
と定義しているから、Livemochaの例文は古さが原因ではなく、原因は別にあると思われる。
国際的に権威ある文法書に従わない我流の先生がテクストを作成した可能性も無くは無いかもしれない。

そういう点を納得の上でならLivemocha式の用法を使う自由はあると思う。
国際的権威に従った用法では、tio、tiuの使い分けは論理的に説明可能なのだが
Livemocha式ではどのように説明されているかは不明である。
是非ともLivemochaの先生に聞いてみてほしい。
87名無し象は鼻がウナギだ!:2012/06/25(月) 18:47:30.69 0
Livemochaエスペラント版に対する下記の評判を見つけたので参考までに
原文エスペラント

Livemochaの講座は良くないが、そのシステムはより魅力的である。
一つの(悪い)講座があり、学習者が練習問題を行うと、システムは自動で
より高レベルの学習者にあてて添削要請を送信する。

注)私がそのような要請を受けても、私は添削せず、その学習者に対して
lernu!で学習を続けるように提案するだけである。なぜならLivemochaの講座は
英語の講座を単純に翻訳したものだからだ。
88名無し象は鼻がウナギだ!:2012/06/25(月) 21:47:21.92 0
Dankon al oni.

Lernu!にします。まだちょっと分からないことがあるけど、
そこで調べてみます。
89名無し象は鼻がウナギだ!:2012/06/26(火) 05:24:21.01 0
数時間で学べるような単純な言語に講座がいるとは思えん
いわゆる巷の初心者講座ってのはとりわけ学習障害者向けに作られてる
90名無し象は鼻がウナギだ!:2012/06/27(水) 18:54:35.98 0
>>89
エスペラントは学習障害者向けの言語ではないから板違いコメント。
学習障害者向けの言語については、福祉系の板を探して質問して下さい。

エスペラントは、トルストイは2時間で読めるようになったというが
お前らはトルストイがどれほど非凡な人物か想像した事があるか。
お前らとは比べ物にならないほどの頭脳を持っていたに違いないよ。
しかもロシアの知識人で西洋語の素養があっただろう人物だ。
西洋語の単語を基本知らない日本人の凡人がトルストイと比べられる訳が無いのだ。
誰だ○時間で覚えるエスペラントとか書いた奴は。
エスペラントは西洋語を整理しただけの言語だから、相応の努力して学習しなければ
日本人は特にスチポーヴォを得る事はできないのだ。
91名無し象は鼻がウナギだ!:2012/06/27(水) 21:58:29.64 0
数時間ではなく、少なくとも数年間だと思うね。
92名無し象は鼻がウナギだ!:2012/06/28(木) 04:31:40.85 0
少なくとも英語がわからない程度の学習障害があるけど
エスペラントは1日で理解できたよ
英語がわかるような人ならそれこそ数時間だろう
93名無し象は鼻がウナギだ!:2012/06/28(木) 10:59:39.62 0
まあ学習障害にも色々あって、知能は正常、あるいは常人以上だが
相手の顔色などを読みとり人間関係を構築する事に障害があるらしいね。
どちらにしても、学習障害者自体はエスペラントの対象ではないね。
ザメンホフは民族間の軋轢解消のためにエスペラントを考案したんじゃなかったっけ?
エスペラントも人間の言語だから、文法だけ分かってもその奥にある心の機微等が読みとれないと
それ以上に達しようという時点で挫折するだろうね。
英語は最初から「機微」を織り込みずみだから学習しづらかったんだろうが
先へ行けばエスペラントも一緒だろうね。
94名無し象は鼻がウナギだ!:2012/07/05(木) 18:10:51.85 0
日本人で英語がわかるなら3時間で理解できるよ。
中学でも3時間分が当てられていますしね。
95名無し象は鼻がウナギだ!:2012/07/06(金) 13:21:10.87 0
うちは5単元くらい割り当てられてたかな
96名無し象は鼻がウナギだ!:2012/07/12(木) 18:50:44.14 0
>>93
多くの自然言語はその文法すら難解なのだから
結果的にエスペラントが選ばれている
97名無し象は鼻がウナギだ!:2012/07/24(火) 06:18:49.93 0
文法よか単語の蓄積とか用法の差異とかのが難度になってんですけど

英語なんてただ並べるだけだから楽だよ。
ただ単語わからんとどうにもならんし、意味範囲が結構違うからそこを留意してないと
受け応えに困る。
98名無し象は鼻がウナギだ!:2012/07/24(火) 07:22:02.10 0
>>97
能動態の活用
-intis -antis -ontis -intas -antas -ontas -intos -antos -ontos
このエスペラントの文法は凡人にとっては十分難しいですよ。
あなたが英語が楽だといえるほどの天才だからそう感じるだけでしょう。
99名無し象は鼻がウナギだ!:2012/07/24(火) 07:36:32.48 0
してしまっていた していた しようとしていた
してしまっている している しようとしている
してしまっている(だろう) している(だろう) しようとしている(だろう) ← 難しいのはここだけじゃね?
日本語に存在しないからね
100名無し象は鼻がウナギだ!:2012/07/24(火) 07:51:29.90 0
お前みたいな天才以外にはその文法が十分難しいんだよ。
こんなところで自慢なんてしてないで英語板にでも行けよ。
101名無し象は鼻がウナギだ!:2012/07/24(火) 08:05:04.47 0
>>99>>100も両方間違い。

>してしまっている(だろう) している(だろう) しようとしている(だろう) ← 難しいのはここだけじゃね?
>日本語に存在しないからね
全部難易度は一緒だよ。
西洋語の原理を無理やり日本語のアスペクトとあわせたところで、一致するわけがない。

日本語では、過去のことでも「してしまっている」だの「しまっていた」だのいわなくたって、
「昨日の宿題やってるか?」「はい、しています。」といえるし、
「尖っている」、「似ている」、「聳えている」、とかは「している」だけどantasじゃない。
また、その表にない「してしまっただろう」(例:エスペラントを広めたいばかりに、都合のいいように説明してしまっただろう)
だってなんだっていえる。

つまり、そんな日・エスの言葉遊びをやっても一生理解はできないということ。

未来時制だけでなく、過去・現在も難しいし、逆に言えば
antisが本当に理解できていれば、antosもわかるよ。
102名無し象は鼻がウナギだ!:2012/07/24(火) 08:15:14.82 0
あと、>>100には、

25 :何語で名無しますか?:2012/05/03(木) 13:40:36.73
Q: エスペラントより簡単な国際語はないのだから仕方なく勉強している
A: この文章には2つの間違いがあります。まず、第二言語の習得が「簡単」かどうかは、母語の影響があります。
語源・文法・発音・構文の発想の違い、日常生活での接触度から見て、エスペラントは日本語話者にとって必ずしも「簡単」とはいえません。
しかし、政治的中立・理想主義・言語的好奇心などの趣味による学習が大部分を占めるため、簡単かどうかは二の次といえるでしょう。
また、現在、エスペラントを公用語としている国は存在しません。従って、事故や病気、災害などの緊急時にエスペラントで話しても、通用する地域は存在しません。
「仕方なく」勉強しなければならないというのは、所属するコミュニティ(移動先を含む)の言語であって、趣味であるエスペラントではありません。

Q: 英語はレイシスト
A: 言語帝国主義の批判は常にありますが、これは英語に限ったことではありません。これを言い出したら、日本語の標準語もレイシスト、大方言もレイシストとなっていき、
結局、自分の家庭内で話す言葉だけが「レイシスト」ではないということになります。しかし、経済活動に参加(あなたは自給自足やお金を使わずに物々交換をしていますか?)する以上、
経済力のある言語が優位に立つのは仕方ありません。また、これはあえてエスペラントスレで話す話題ではありません。
103名無し象は鼻がウナギだ!:2012/07/24(火) 08:56:07.00 0
>>101はまず日本語を学んだほうがいいと思う
サ行変格活用と上一段活用の区別がついていない
104名無し象は鼻がウナギだ!:2012/07/24(火) 08:59:50.93 0
>>98
英語、活用は無いに等しいもんなあ。
並べるだけ。
105名無し象は鼻がウナギだ!:2012/07/24(火) 09:03:01.54 0
英語板で天才をアピールすればいいだろうに、何がしたいの?
106名無し象は鼻がウナギだ!:2012/07/24(火) 09:06:13.28 0
他の言語だと例外だらけでこれらをこのように1行で書けないよ
-intis -antis -ontis -intas -antas -ontas -intos -antos -ontos
それだけ情報がつめ込まれてる
はい受動態
-itis -atis -otis -itas -atas -otas -itos -atos -otos
107名無し象は鼻がウナギだ!:2012/07/24(火) 09:18:15.15 0
>>99
表を見ると日本語も意外に論理的な構造なんだね
108名無し象は鼻がウナギだ!:2012/07/24(火) 10:02:06.66 0
734 :名無し象は鼻がウナギだ!:2012/07/23(月) 17:43:20.16 0
まとめ por 初心者さん達
語尾で男性名詞女性名詞を区別するスペイン語では
家族名詞など語根が共通して対照的だから一見平等に見えるが、男女の複数を表わせない致命傷。
エスペラントは名詞の文法性を無くしたので、語尾の一字で男女を区別することはできない。
しかし意味上での男女に対し、それぞれ別単語を作ると不経済である。
男女それぞれの接尾辞を付けるのも無駄である。
なぜなら、必ず男女ペアの存在に対し中性の概念を持ち込むのは不経済だし、
二つだけの識別なら、指標の無・有で完全に差別化できるのだ。
以上の観点から、男性名詞は男性語根に無標、女性名詞は男性語根から-inoで派生させた。

実際の運用では、個々の単語を男性語根で扱うか中性語根で扱うかは、ユーザー個人の自由に任された。
そのため昔は母語の影響そのままにstudento等を男性語根として使う人もいた。
しかし世界的な時代の流れが愚かなユーザー達を目覚めさせ、
studentoは男女関係無く使いたいという意識が高まり、
また言葉の定義上も男女関係無くできる役割なので、そこに至ってやっと正しく中性名詞で使えるようになった。

studentoは中性名詞であるが女性である事を強調したい場合は-inoやge-を付ける事は許されている。
そのためstudentoが男性名詞だと未だに信じている古老が、女子学生は必ずstudentinoと言っていても
ああ、単なる強調か、ですむ。
また男子学生だけをstudentoと言っても、中性名詞だから男女どちらも含むが、たまたま男子だった、と考えればすむ。

またstudento kaj studentinoと併記した場合は、「対比の原理」により
中性無標のstudentoが男性名詞のように見える現象がPMEGでも言及されており
これはこれで、非論理的だが実際上は非常に役立つ使い方なのである。

これは出来すぎなほど出来すぎだと思うがいかがだろうか?
109名無し象は鼻がウナギだ!:2012/07/24(火) 10:23:53.44 0
英語なんてガキても喋ってる国ごろごろあるわな。
フィリピンやらニューギニアやらみたいな土人国の住民でも喋ってるわな。
インテリ臭いエスペラントと違って、どこの国のどこの港でも書面も口頭も
やりとりできるわな。
110名無し象は鼻がウナギだ!:2012/07/24(火) 10:30:08.20 0
インテリってたとえば
清水幾太郎、丸山眞男、加藤周一、鶴見俊輔、小田実、大江健三郎、西園寺公一、羽仁五郎、家永三郎、本多勝一?
111名無し象は鼻がウナギだ!:2012/07/24(火) 11:39:55.24 0
また長文キチガイの荒らしか
112名無し象は鼻がウナギだ!:2012/07/24(火) 13:17:14.88 0
>>108は多くの問題点はさておき、誤爆だな。ここは3行以上読めない初心者スレだから。
113名無し象は鼻がウナギだ!:2012/07/24(火) 14:00:29.67 0
>>108
>そのため昔は母語の影響そのままにstudento等を男性語根として使う人もいた。
いや、全員だったでしょう。

>これは出来すぎなほど出来すぎだと思うがいかがだろうか?
今、現実に、"plej bona el la studentoj"といったときに、男子学生で一位なのか、男女学生あわせて一位なのかわからないという問題があるのに、
そういうことには一切、目をつぶり、エスペラントを異常に持ち上げて妄想している人以外、「出来すぎ」などと思えるはずがない。

ちなみに、そこのスレでまとめた ■GEの生まれた背景■ でフランス語のたとえ話の引用元の人は、エスペラントのことをこういっている(原文は英語)。
----
じゃあ、エスペラントはどうか? まさか、賢明なリベラルなヒューマニストによって設計された言語は、独裁的な文法の性を廃止したので、女性差別をするような落とし穴はないのだろうな?
それが、えー...答えはノーだ。 実際は、最初に広まった彼の発案では、露骨にかつ体系的に性差別があった。
接尾辞<-in>で隔離扱いされない限り、すべての生物名詞の標準は男性だったのだ。
114名無し象は鼻がウナギだ!:2012/07/25(水) 08:25:58.38 0
>>113
うん、同じ見方は日本人のサイトでもちょくちょく見られるから驚くべきではないよ。
それとも、それみろ外人様だってこうおっしゃっておるのだぞ、外人様の意見は正しいのだ、とでも?wwwww
まあ日本人の場合は、「19世紀に作られたから仕方ない」的な諦めが多いが、
新「ペア理論」ではそんな諦めさえ必要無くなるのだよ。

実際今までは、その文章のような短絡的な発想しかできなかったのは事実である。
エスペラントはずっと誤解されていたし、価値を貶めるためわざとそう逆宣伝もされていた。
しかし、無標を全て男性名詞として扱い女性には全てinoを付けるのは
男性名詞女性名詞を激しく区別する西洋語の慣習を誤って引きずり続けただけにすぎない。
それは「ユーザーによる愚かな誤り」にすぎず、エスペラントの論理性の欠陥ではない。
フンダメントは守る保守的なPMEGでさえ、多くの人間名詞は中性だと説明している。
ザメンホフが正式定義した元々の欠陥ならば、今さら「中性でした」などとは言えないだろう。
現代では男女平等思想の進展で、多くの人がstudentoを中性で使いたがっているが
エスペラントでは何の問題もなくそれは可能なのである。
昔は男女を区別したかったからそれが可能だった、今では逆に区別したくないがそれも可能である。
結果論にすぎないが完璧すぎると思うのだが。

>"plej bona el la studentoj
男子校か女子校かによるが共学なら男女合わせての一位と理解してよい。
115名無し象は鼻がウナギだ!:2012/07/25(水) 08:40:21.65 0
逆に言うと、男には必ず iĉoなど接尾辞を付けると決まってたら
元々男性しかいなかった職業にわざわざ iĉoなど付けなかっただろうから
そうするとそれらは「iĉoの付かない男性名詞」などと、今は説明されてただろうね。
昔は事実上男性しかいなかった職業は、常識上無標で男性を意味できた。
今は当たり前に両性に職業解放されたかたら、同じ無標で中性化ができるのだ。
116名無し象は鼻がウナギだ!:2012/07/25(水) 08:47:39.14 0
このキチガイ同士の喧嘩は何とかならんの?
迷惑かかってるの分からんのだろうか。
117名無し象は鼻がウナギだ!:2012/07/25(水) 08:57:27.66 0
>>113
エスペラントの出来た時代、女子学生なんてものの存在が稀有だったでしょうに。
118名無し象は鼻がウナギだ!:2012/07/25(水) 09:31:12.86 0
729 :名無し象は鼻がウナギだ!:2012/07/23(月) 17:26:19.94 0
しかし、実際にはge-が存在する。その意味は何か?
男性語根の複数形では「両性を意味しない」ということなのである(フランス語の例では、100人中1人でも男がいれば、「両性」と取られたのだ)。

ゆえに、
gepatroj 両親、両性の親たち
geknaboj 両性の子供たち
gereĝoj 両王、両性の君主たち
が正しい。

その他、実際に使われうる用法
gepatroj (両親); gepatrano (親); gesinjoroj (淑女、紳士の皆様); la geZamenhofoj (ザメンホフ一家); gelernejo (共学の学校); gedormi (やる); geulo (両性具有者);

geiĝi (対になる); gea (異性愛の)

※問題点:ge単(中性化)の是非。つまり、たまたま100人全員母親しか集まらなかったとしてもgepatrojと呼んでよいかという議論はある。しかし、男性複数形で両性を済ま
すのは、ge-が存在しない民族語だけ。
119名無し象は鼻がウナギだ!:2012/07/25(水) 09:37:18.54 0
ネットもそうだけど初心者講座が忙しい時期に入りましたね
エスペラントは夏の季語と言っても過言ではない
120名無し象は鼻がウナギだ!:2012/07/25(水) 09:43:17.86 0
>>118
ge単の問題点はReVoの注釈で十分説明済みである。
ge-  :Prefikso montranta kuneston de ambaŭ seksoj: 両性が共にいる事を示す接頭辞
注)伝統的な意味ではge-は複数を含意するため、普通はgeで作られた名詞は複数形で現れる。
エスペラントでは、性別がある単語(patro, edzo, frato)から性別を問わない単語を都合良く作る方法が欠けてる。
現代社会ではそういった中性的な意味(父または母)は伝統的な両性の意味(父と母)よりも現実味があるため
geを(そのような)中性化に適用する試みがしばしばなされている。(単数のgepatro)
(しかしそれにより)ある状況では伝統的な意味に反する結果が生じる事は、あまり意識されてない。
例えば、PMEGでは「gepatraな決断」は両親の決定を意味するが、中性解釈では片親の決断であるかもしれない。
「geaの愛」と「gejaの愛」とか
理論上は多くの場合で、欠如した(中性の)意味を-anを使って、geの複数性含意と両性の混在を中性化して表現する事が可能だったかもしれない。
gepatrano (iu el la gepatroj) , geedzano (iu el la geedzoj) ktp. [Sergio Pokrovskij]

注)
単数geを、性別がはっきりしない事を(冗談で)示すために使う事がある。geknaboは女の子と思われるかもしれない男の子
または、民族語での中性的な用語を訳す時の切り抜けのために使う事もある。最も典型的は親(gepatro)
gefrato, geonklo, genepoなどその他では使わないが ・・・

とにかくそういう使い方は、今流行りのイデオロギーには合っているかもしれないが、非論理的で避けるべきだ。
もしそれらを普通と受け入れるならば、複数形のgeknaboj, gepatrojには二つ意味があると同意する必要があるだろう。
一個は性別不問の人の複数(よって場合によっては男のみ、女のみ)
そしてもう一個は「両性」
この言語にそういう無正確性を放置する事はできない。フンダメントはこの接頭辞の意味をはっきり定義してるのだからなおさら。 [MB]
121名無し象は鼻がウナギだ!:2012/07/25(水) 09:46:08.27 0
>>114
>外人様の意見は正しいのだ、とでも?wwwww
一度もそんなこといっていないし、思いもよらなかったw
そう考えるということは、根っからの外人コンプレックスの人間なんだなw
まあだから、エスペラントを白人様にほめられて喜べる田舎者日本人なんだろうけどw

>新「ペア理論」
寝言は寝て言え。

>実際今までは、その文章のような短絡的な発想しかできなかったのは事実である。
だって事実ですから。エスペラントも西洋民族語も等しく、女性差別をしていましたね。
ドイツ語からge-と-inの使い方を取って全部男性語根に統一(patroもamikoもstudentoも)しただけなのに
なぜエスペラントだけが優れていたなんていえるの?www

>価値を貶めるためわざとそう逆宣伝もされていた。
そうでしょうか。むしろ詐欺(トルストイは3時間、日本人でも4時間で覚えられるとかw)を宣伝しまくって現在に至るのじゃないでしょうか。

>ザメンホフが正式定義した元々の欠陥ならば、今さら「中性でした」などとは言えないだろう。
だから、ザメンホフが学生・友達(王様も?w)が正式に「中性です」と定義した証拠を出せよ。あるもんならw
PMEGは論理的に考えた末、中性であるべきだと主張をしているんだよ。
初めから、定義されていたんなら「友達」で意見が割れるわけないし、ザメンホフだって「雄鶏」で間違うわけないだろ?w
そもそも19世紀末に男女平等の思想なんてあるわけねーんだよwww

>結果論にすぎないが完璧すぎると思うのだが。
結果論をいうのなら、patroも親、knaboも子とする主張を容認しているに過ぎない。
なぜなら、友達はどうか?王様は?兄弟は?と見ていくと境界線が曖昧なんだよ。だったら、全部わかりやすく、平等に「中性」にしよう
という意見(RiismoやIdoみたいに)が出るのは当然。
私はそれでも別にいいと思うが、お前の聖書のPMEGは反対してるぞw

>>117
その通りです。
122名無し象は鼻がウナギだ!:2012/07/25(水) 09:50:10.30 0
>>118
gayは?
123名無し象は鼻がウナギだ!:2012/07/25(水) 10:00:33.61 0
>>120
>複数形のgeknaboj, gepatrojには二つ意味があると同意する必要があるだろう。
だらだら書いてその結論かよ。
私がずーっといってたのに。

 gepatroj = mères et pères または parents
 gereĝoj = reines et rois または monarques

お前は話をそらしているようだが、問題はそこじゃなく、

>ゆえに、
>gereĝoj 両王、両性の君主たち
>が正しい。

の部分なんだよ。私の文章>>118を引用してくれたが、そのひとつ前のフランス語とスペイン語の例から続けてみれば、
ge-なしreĝojで「両王、両性の君主たち」とすることの愚かさがよくわかるはずだろう(ただし、中性語根とするのなら別)
124名無し象は鼻がウナギだ!:2012/07/25(水) 10:12:23.21 0
初心者講座の邪魔になると思うんだが総合スレに帰らないの?
125名無し象は鼻がウナギだ!:2012/07/25(水) 10:28:43.54 0
>>114
>>"plej bona el la studentoj
>男子校か女子校かによるが共学なら男女合わせての一位と理解してよい。

共学だって、
"Mario estas la plej bona el la studentoj, sed Maria estas la plej bona el la studentoj kaj studentinoj."
(マリオは男子一位、でもマリアは男女総合で一位)
は正しいエスペラント文ですがwww
126名無し象は鼻がウナギだ!:2012/07/25(水) 11:56:16.68 0
>>120
>民族語での中性的な用語を訳す時の切り抜けのために使う事もある。最も典型的は親(gepatro)
>gefrato, geonklo, genepoなどその他では使わないが ・・・

その自分勝手な基準がわからん。gepatroが認められるの「なら」、
gefratoだって便利だ。http://en.wiktionary.org/wiki/gefrato

geonklo (“aunt or uncle”)
http://en.wiktionary.org/wiki/onklo#Hypernyms
は確かにあまり使う機会はないが.

gefilo (“offspring”)
http://en.wiktionary.org/wiki/filo#Hypernyms
だって、使えたら便利だろう。idoでは"mia ido"などと使いにくかったわけだし。

gereĝoも使えれば、monarkoという語は要がなくなるし、
geknaboで、infanoが消えるかもしれないし、
geliで、riなどの問題も収束する。例:誰かが言いました。「おなかすいた。」 Iu ĵus diris, ke geli malsatas.
127名無し象は鼻がウナギだ!:2012/07/25(水) 13:04:48.97 0
印欧語とかセム語とか、話者がスケベエだから関心が、ヤる、掘る、無機物 の三つに分類してしまうんだな。
その発想やめられんのかなあ。
128名無し象は鼻がウナギだ!:2012/07/25(水) 17:59:47.18 0
セム語といえば、>>108が、
>以上の観点から、男性名詞は男性語根に無標、女性名詞は男性語根から-inoで派生させた
とか、前のスレでは、
>patrinoは、エスペラントの最も人工的、機械的な様相だろう。
・・・
>逆に民族語では、やもめ、めかけ、などは女性の方が主体的な単語となってるだろうが エスペラントではvidvo,konkuboまでも男性で、女性の場合にinoを付ける。
>エスペラントは女性差別と言われるが、社会的な常識を覆すほどに機械的で 有る意味非常に男女平等だと思う。

などと、「民族語」(=日本語と英語w)とは違い、何でも男性語根に何かをつけて女性形になるからエスペラントは平等だなーと妄想し、結局エスペランチストが馬鹿にされてしまうだろう「逆効果」の宣伝ばかりしていましたが、
アラビア語でも、
صديقة - صديق
いや、読めんだろうからローマナイズするけど、
sdyq - sdyqh (男友達 - 女友達)なんですね。他にも、
talb - talbh (男子学生 - 女性学生)

家族でいうと、
wald - waldh (父 - 母) あれれ?「patrinoは、エスペラントの最も人工的、機械的な様相だろう」だったのでは?w 
shqyq - shqyqh (兄 - 姉) 
'em - 'emh (叔父 - 叔母)
arml - armlh (男寡 - 寡婦) これも、英語と違ってwidowじゃなく、男性のwidowerの方が基本ですがw
khlyl - khlylh (情夫 - 情婦) これも、男性のkonkuboのほうが基本でけど「社会的な常識を覆すほどに機械的」なんですかねwww

男性名詞にة(ター・マルブータ)をつけて女性名詞にするアラビア語を見ても「非常に男女平等だと思う」と言えるのであれば、平等なのでしょうw
129名無し象は鼻がウナギだ!:2012/07/25(水) 18:19:08.05 O
スレチ。スレタイの初心者講座の文字も読めない奴らが言語語るとか笑わせんな
余所でやれ
130名無し象は鼻がウナギだ!:2012/07/25(水) 18:35:23.16 0
総合スレが、長文にあらされてもう書き込めない模様
131名無し象は鼻がウナギだ!:2012/07/26(木) 02:26:07.57 0
オナニー覚えた中坊がみんなの前でオナニーショウを披露してる様なスレだな。
132名無し象は鼻がウナギだ!:2012/07/26(木) 02:38:11.75 0
>>130
いつもの長文荒らしが落としたってこと?
普通に運営がアクセス禁止にしただけじゃないか?
133名無し象は鼻がウナギだ!:2012/07/26(木) 13:42:30.61 0
>>121
>一度もそんなこといっていないし、思いもよらなかったw
>そう考えるということは、根っからの外人コンプレックスの人間なんだなw
お前は自分の本心を突かれると狼狽のあまり自分の恥を相手に擦り付ける癖があるなww

>ドイツ語からge-と-inの使い方を取って全部男性語根に統一(patroもamikoもstudentoも)しただけなのに
>なぜエスペラントだけが優れていたなんていえるの?www
エスペラントの優れている点は個々の西洋語の便利な点を抜き出し整備した所。いいとこどりだから優れてる。
その一つが文法性を廃した点。ドイツ語には文法性はあるが受け継がなかった。
昔は民族語の影響で、amikoもstudentoが男性名詞のように使われていた。
現代は中性で使いたい人々の要望が高まった。その際、何の障害もなく中性で使用する事ができた。
それは元々文法性が無かったためである。

>だから、ザメンホフが学生・友達(王様も?w)が正式に「中性です」と定義した証拠を出せよ。あるもんならw
逆。正式に「無標は男性名詞です」とも定義しなかった。
フンダメントそのものは漠然とした規則集であり、はっきり明記していない点も多い。
仮に名詞に文法性があれば、冠詞や動詞の屈折にも関係した筈だがそれは無い。
文法性が無いという事は名詞は文法的には全て中性であり、それにより意味的にも中性になりうる。

>PMEGは論理的に考えた末、中性であるべきだと主張をしているんだよ。
そう。後世の人々はエスペラントの元々持つ論理性を理論的に説明する必要があった。
PMEGもそういった試みの一つ。フンダメントで「男性」と明記されてなかった点を補足してるにすぎない。

>初めから、定義されていたんなら「友達」で意見が割れるわけないし、ザメンホフだって「雄鶏」で間違うわけないだろ?w
>そもそも19世紀末に男女平等の思想なんてあるわけねーんだよwww
19世紀はそれで良かった。しかし21世紀にも対応できる点が優れているのだ。
134名無し象は鼻がウナギだ!:2012/07/26(木) 13:44:00.45 0
つづき
>結果論をいうのなら、patroも親、knaboも子とする主張を容認しているに過ぎない。
それはありえない。
>なぜなら、友達はどうか?王様は?兄弟は?と見ていくと境界線が曖昧なんだよ。だったら、全部わかりやすく、平等に「中性」にしよう
>という意見(RiismoやIdoみたいに)が出るのは当然。

だからこそ、ここに私の「ペア理論」が生きてくるのである。
ge単の問題にも通じるが、今必要なのは、何がfirme virajなのかはっきり定義できる理論である。
昔は人間名詞を全て男性名詞として扱っていても、全員同じ価値観だから問題なかった。
現代では逆に中性名詞で使いたがっているし、現にどんどんそうなっている。
しかし、どうしても中性にできない語根がある。それがfirme viraj。
そして何が何故firme virajなのかを説明できるのが私の「ペア理論」。
「ペア理論」に従えばpatro,knaboは永遠に男性語根である。
>私はそれでも別にいいと思うが、お前の聖書のPMEGは反対してるぞw
逆。ペア理論はPMEGの説明の裏付けになる理論。
135名無し象は鼻がウナギだ!:2012/07/26(木) 13:45:53.33 0
>>123
>だらだら書いてその結論かよ。
ここは初心者スレだから、初心者さん向けにReVoの解説を翻訳してやっただけ。
お前の説などReVoで既出だよ、という意味で

>ge-なしreĝojで「両王、両性の君主たち」とすることの愚かさがよくわかるはずだろう(ただし、中性語根とするのなら別)
愚かではなく、reĝoの持つ両義性ゆえ、非論理的だがそうせざるを得ないのだ。
それによりいつでも中性化しうる危険性も同時にはらんでいる。

>>125
>共学だって、
>"Mario estas la plej bona el la studentoj, sed Maria estas la plej bona el la studentoj kaj studentinoj."
>(マリオは男子一位、でもマリアは男女総合で一位)
>は正しいエスペラント文ですがwww
現代の感覚ではやや不安感を与える文章。
これがかろうじて理解されるのは、「対比の原理」があるから。
つまり後半でla studentoj kaj studentinojと言っているので
ここでのstudentojは男性だと理解される(対比の原理で)
後半を先に述べていれば現代に通用する安定した文になるだろう。
"Maria estas la plej bona el la studentoj kaj studentinoj, kaj Mario estas la plej bona el la studentoj. "
マリアが男女総合で一位。マリオは男子の一位。
136名無し象は鼻がウナギだ!:2012/07/26(木) 13:53:18.68 0
>>126
>gereĝoも使えれば、monarkoという語は要がなくなるし、
>geknaboで、infanoが消えるかもしれないし、
>geliで、riなどの問題も収束する。例:誰かが言いました。「おなかすいた。」 Iu ĵus diris, ke geli malsatas.
ge単の用法には慎重になった方が良い。
伝統用法ではgeは両性いる複数。それを改造すると様々な点で不都合が生じるだろう。
inoに勝手に「妻」の意味を与えていたため不都合が生じた同じ過ちを繰り返すな。

>>128
>アラビア語でも、
アラビア語も男性名詞女性名詞の区別を語尾で行うから、見かけは対照的で男女平等に見えるよ。
今さら驚く事は無いよ。あと社会は言葉より後に発展してるから別ww

>wald - waldh (父 - 母) あれれ?「patrinoは、エスペラントの最も人工的、機械的な様相だろう」だったのでは?w 
父はアビー、母はウンムだと思っていたが、そういうのもありかw ワーリダーニで両親だからその単数化かな。
まあザメンホフがそのアラビア語も意識してたならそれのパクリだなw

>khlyl - khlylh (情夫 - 情婦) これも、男性のkonkuboのほうが基本でけど「社会的な常識を覆すほどに機械的」なんですかねwww
アラビア語が「世界の常識」ならねww

>男性名詞にة(ター・マルブータ)をつけて女性名詞にするアラビア語を見ても「非常に男女平等だと思う」と言えるのであれば、平等なのでしょうw
言語面では男女名詞ががきれいに対比してる点では日本人にも男女平等が感じられるだろうねw
137名無し象は鼻がウナギだ!:2012/07/26(木) 14:39:43.18 0
>>133>>134
>それは元々文法性が無かったためである。
文法性は動詞変化を支配しないだけで、それによる性差は英語以上にある。後で示す。

>文法性が無いという事は名詞は文法的には全て中性であり、それにより意味的にも中性になりうる。
それが勘違い。じゃあ、patroは中性・親か、ということになる。で、BWのfirme virajというのだろうけど、regxoも含まれるといっている。

>19世紀はそれで良かった。しかし21世紀にも対応できる点が優れているのだ。
studentoの例のように対応できていないからいっている。

>しかし、どうしても中性にできない語根がある。それがfirme viraj。
regxoは?と繰り返させるな。

>逆。ペア理論はPMEGの説明の裏付けになる理論。
PMEGは、regxoをfirme virajに。
138名無し象は鼻がウナギだ!:2012/07/26(木) 14:40:15.78 0
>>135>>136
>お前の説などReVoで既出だよ、という意味で
お前がそろっている両親とかしかge-の使い方を知らなかったから書いただけ。

>愚かではなく、reĝoの持つ両義性ゆえ、非論理的だがそうせざるを得ないのだ。
あれ?誰か「この言語にそういう無正確性を放置する事はできない。」とか言ってましたがwww

>後半を先に述べていれば現代に通用する安定した文になるだろう。
前半だろうが、後半だろうが、お前の「共学なら男女合わせての一位と理解してよい。」はどこいったwざま見ろwww

>inoに勝手に「妻」の意味を与えていたため不都合が生じた同じ過ちを繰り返すな。
過ちって?あなたの「inoに妻の意味は無い」から、

  「妻の意味があった」 → 「妻の意味を極力無くそう」 → 「妻の意味をなくすつもりだが、今でも例外がある」

という結論になったのに、ぶり返すのですか?

>日本人にも男女平等が感じられるだろうねw
次を見たらわかるようにアラビア語にそう感じる人は少ないと思います(もしくは自分の恥ずかしい意見を正当化するため)。
139名無し象は鼻がウナギだ!:2012/07/26(木) 14:45:14.06 0
■エスペラントは男女平等な言語か?他の言語の文法性との比較■

「父」 エm、英m、独m、仏m、露m、亜m
「母」 エmf、英f、独f、仏f、露f、亜mf
「親」 エp、英n、独p、仏m、露p、亜p
「友達」 エn(mf)、英n、独m/mf、仏m/mf、露m/mf、亜m/mf
「教皇」 エm/mf、英n、独m/mf、仏m/mf、露m/mf、亜m
「客室乗務員」 エn(mf)、英n、独m/mf、仏m/mf、露m/mf、亜m/mf
「学生」 エn(mf)、英n、独n(m/mf)、仏m/mf、露m/mf、亜m/mf
「俳優」 エn(mf)、英m/mf、独m/mf、仏m/mf、露m/mf、亜m
「教授」 エn(mf)、英n、独m/mf、仏m、露m/mf、亜m
「太陽」 エn、英n、独f、仏m、露n、亜f
「月」  エn、英n、独m、仏f、露f、亜m
「船」  エn、英n(f)、独n、仏m、露m、亜f

n 中性。これが多いほど、女性差別の問題対策をしているといえ、単純だともいえる。
m 男性名詞。女性にも関わらず、男性名詞の職業を用いることもある。
mf 男性語根の女性化。覚える語彙の節約ができる。
f 女性語根の名詞。
m/mf 男性/女性。実際の性に合わせる。中性のない言語が後で女性形も作ったと考えられる。
p 複数。
n(mf) は、中性であるにも関わらず女性形も表せてしまうため、ただのn より問題がある。

結論
一見、エスペラントには中性語根が多いようにも見えるが、studentinoのように女性形だけが作れてしまうことが差別といえる
同じ頻度で"vira" studentoと書くことはめったにない。英語のstudentのように女性形を作れないものが本来の中立といえる。
140名無し象は鼻がウナギだ!:2012/07/26(木) 16:26:20.69 0
>>137
>じゃあ、patroは中性・親か、ということになる。で、BWのfirme virajというのだろうけど、regxoも含まれるといっている。
その「困った」を解決するのが「ペア理論」
ペア理論ではpatroは男性、reĝoは特殊性を持つ男性語根B。BMの理論から少し発展した

>studentoの例のように対応できていないからいっている。
ユーザーの認識次第ですぐにでも中性で解決する。
ただしエスペラントはそのユーザー数の多さから、日本人西洋人問わず意外と馬鹿が多く、
彼らが正しいエスペラントの発展の足を引っ張る可能性がある。

>PMEGは、regxoをfirme virajに。
〇〇の一つ覚えか。reĝoは例外的な男性語根Bと何度書けば理解できる?

>>138
>あれ?誰か「この言語にそういう無正確性を放置する事はできない。」とか言ってましたがwww
それはReVoの注釈の訳。しかしその注釈には賛同する。reĝoの二の舞は避けろ、という意味でね。

>前半だろうが、後半だろうが、お前の「共学なら男女合わせての一位と理解してよい。」はどこいったwざま見ろwww
それで勝ったと思い込んでwwwしてるお前って、全く救いようのない幸せ者だよ
全ては文脈なの、分かる? 
共学が舞台で 「対比の原理」の無い文脈で、マリアがla studentojの一位と言えば、男女含めての一位。
男子校しかなかった時代はla studentojと言えば自動的に男子のみだが、男子の一位、と敢えて言う必要も逆にない。

>「妻の意味があった」 → 「妻の意味を極力無くそう」 → 「妻の意味をなくすつもりだが、今でも例外がある」
正しくは、「無いのにあるように使われたいていた」 → 「それは誤りだったから妻の意味を極力無くそう」 → 
「妻の意味をなくすつもりだが、今でも男性語根Bという例外が残ってしまった」
141名無し象は鼻がウナギだ!:2012/07/26(木) 16:27:48.39 0
>>139
>一見、エスペラントには中性語根が多いようにも見えるが、studentinoのように女性形だけが作れてしまうことが差別といえる
それは差別ではない。
エスペラントは全ての中性語根から、女性であることを強調したい場合のみ「女性形」が作れるが、それは義務ではない。
義務でないから、やらなくてもいい。「差別化」したくない人が「差別化」しないですむ言語。全ては本人次第でどうにでもなる言語。
文法性があり男性名詞女性名詞の厳密な言語では、常に「差別化」しなければならない。本人の意思に関係なく。

>同じ頻度で"vira" studentoと書くことはめったにない。英語のstudentのように女性形を作れないものが本来の中立といえる。
頻度は関係ない。「対比の原理」も有効に働いている。
また中性である認識が高まれば高まるほどstudentinoという用法も事実上減っていくだろう。



142名無し象は鼻がウナギだ!:2012/07/26(木) 17:07:03.62 0
>>140>>141
>例外的な男性語根Bと何度書けば理解できる?
証拠をひとつも出せないお前の妄想はもう結構。
男性名詞でありながら中性のような活用をする名詞(見て見て、それが「男性語根B」ですwww)があるとかいう出鱈目を書くのはいい加減にしろ。証拠が見つかるまでもう二度と来るな。

もう吐けよ。「BWは理解できない。私は王様も帝もずーっと中性だと勘違いしてたって。だからReVoとかVikipediaで中性で扱ってくれてて嬉しいって」。認めたら楽になるぞwww

>全ては文脈なの、分かる? 
それをいったら、
reĝino も「〜年間、国を統治した」という文脈なら王妃ではなく女王だとわかるし、
「年上のfratoが」といえば弟ではなく、兄だわかるし、
「学校には大勢の"patroj"が集まった。その名簿は以下のとおり」で、女性の名前もあれば、「父親」ではなく「親」が集まったのだと文脈で理解できる。
"Mi parolas japana."と、冠詞や対格をつけなくても、文脈で「日本語を話す」と理解できる。

だけど、言語には依然ルールというものがあって、fratoは兄も弟も平等にあらわすし、studentoは、男性も中性も平等にあらわせるとされているいうこと。
だからヨーロッパ言語特有の誤解も当然生まれるし、それぞれの言語には得意・不得意分野があるのだから、完璧・超合理的な言語など存在しえない。

>正しくは、「無いのにあるように使われたいていた」
証拠の無い後付です。これもザメンホフが、「Kokoは正しくは男性語根ではありませんw」といった証拠が見つかるまで二度と語るな。
143名無し象は鼻がウナギだ!:2012/07/26(木) 17:30:01.93 0
初心者講座スレを荒らすな
144名無し象は鼻がウナギだ!:2012/07/26(木) 17:35:10.69 0
何故長文を書く奴はどいつもこいつも人の話を聞かないのか
145名無し象は鼻がウナギだ!:2012/07/26(木) 17:44:32.62 0
●初心者へ。ここで話されている「エスペラントの男性語根・中性語根」とは何のことか説明します。

  男の友達、女の友達
  男の子、女の子
  男の親、女の親
  男のきょうだい、女のきょうだい
  男の君主、女の君主
  男の大統領、女の大統領
  男の教皇、女の教皇
  男の僧侶、女の僧侶
  男の教授、女の教授

これらの単語をエスペラントにする際に、女性の側にinoをつけるか、つけまいか迷うことはありませんか?
瞬時に考えるのは面倒くさいから、女性には全部inoをつけるという人もいれば、
人権問題を知っていて、inoという接辞を極力使いたくない人もいることでしょう
(日本語でも「父兄の方→父母の方→おうちの方」に変わってきていますね。同様に、patroで「父」ではなく中性的な「親」とする意見があるのです。)

エスペラントは文法性を極力廃止したわけですし、ネーティヴがいない言語ですから、相手だって間違えている可能性大なわけです。
それなのに、初心者スレを長文で、一々この単語は中性語根で、男性語根でとこじつけて分けるのは、まったく無駄なことで、単にPMEGの「案」にすぎないということがわかります。
ましてや、「男性語根B」などというのは日本の2ch以外だれも知らないのですから無視するに限ります。
146名無し象は鼻がウナギだ!:2012/07/26(木) 17:56:21.90 0
>>145
申し訳程度に初心者への配慮とか見せなくていいから
余所でやれって言ってんだよ
147名無し象は鼻がウナギだ!:2012/07/26(木) 18:02:47.79 0
安心しろ>>140>>141 は、資料探しの旅に出るはずだから、もう来ないよw
もしかすると『2時間で覚えるエスペラントの男性語根@〜B』という本を出版してソースにするかもしれないがwww
148名無し象は鼻がウナギだ!:2012/07/27(金) 10:35:59.80 0
>>142
>証拠が見つかるまでもう二度と来るな。
britaj reĝojが証拠。しかしいつもそうだが
お前は自分の負けが決定的になると「来るな」だな(泣きながらwww)

>reĝino も「〜年間、国を統治した」という文脈なら王妃ではなく女王だとわかるし、
>「年上のfratoが」といえば弟ではなく、兄だわかるし、
その理解で良い。語彙に多少足りない面があっても詳細が必要なら如何様にでも説明できる。

>「学校には大勢の"patroj"が集まった。その名簿は以下のとおり」で、女性の名前もあれば、「父親」ではなく「親」が集まったのだと文脈で理解できる。
reĝojの事例は女王を意識していても「国王夫妻」と誤解されるのを防ぐためreĝojとなる。文脈の生じない一覧表タイトルではなおさら。
gereĝojと異なりgepatrojには意味の重複性が無い。普通の保護者会で父母が来るのが前提ならgepatrojが常に使える。
日本語の「父兄」は既に古いし、両性含有の複数形が存在しない言語でもないから、本来はpatrojで男女混合を表すことはできず、
patrojは男性名詞複数なので基本男性のみ。
ただし父親参観で父が来るのが前提なら「patrojが集まった」で良い場合も考えられる。父のいない家庭から母が僅かに参加してても無視して。
無視するか意識するかの違いは話者の認識の問題に関わると思う。言語は常に話者の認識の上に成り立っている。
149名無し象は鼻がウナギだ!:2012/07/27(金) 10:36:39.75 0
つづき
>"Mi parolas japana."と、冠詞や対格をつけなくても、文脈で「日本語を話す」と理解できる。
これは文法ミスがどこまで通用するか否かの問題。文法上は正しいのが前提の「文脈」の議論に混ぜるな、ど素人が

>だけど、言語には依然ルールというものがあって、fratoは兄も弟も平等にあらわすし、studentoは、男性も中性も平等にあらわせるとされているいうこと。
男性語根fratoが兄または弟という点は常に平等だが、中性語根studentoが男性か中性かというのは
時代の流れで変化するから、時代時代で見ると決して「平等」ではない。
昔は男性が主流、今はどんどん中性化の方向。またエスペラントはそれが可能な言語。

>だからヨーロッパ言語特有の誤解も当然生まれるし、それぞれの言語には得意・不得意分野があるのだから、完璧・超合理的な言語など存在しえない。
wwww結局結論はそれ????2節目の言ってる意味も不明だwww もう諦めろwwwwww
エスペラントにも男性語根Bなど、西洋語から引き継いだ非論理的側面もある。
また、性別不問の「親」「きょうだい単数」という単語も、案以上の物は存在しないから、そういうのが欲しい人から見ると「完璧ではない」と思われるだろうね。
しかしそれらが無くても実際やっていけるのだから、「完璧性」をそこまで重視しなければ
これで十分「完璧」なのだ。

>これもザメンホフが、「Kokoは正しくは男性語根ではありませんw」といった証拠が見つかるまで二度と語るな。
ザメンホフ信者参上だなww  ザメンホフは自分の書いた文章でもフンダメントに違反してたら良くない例と書いているのだよ。
150名無し象は鼻がウナギだ!:2012/07/27(金) 10:37:55.46 0
>>145
>これらの単語をエスペラントにする際に、女性の側にinoをつけるか、つけまいか迷うことはありませんか?
>瞬時に考えるのは面倒くさいから、女性には全部inoをつけるという人もいれば、
>人権問題を知っていて、inoという接辞を極力使いたくない人もいることでしょう

エスペラントでは「女性には絶対inoを付けなければならない名詞」が存在します。
初心者はまずそれを理解する事が大事です。
>同様に、patroで「父」ではなく中性的な「親」とする意見があるのです。
これは過激な改革派の意見でしょう。正統派では認められません。
職業の性別は不問になっても、「人間の性」自体は無くならないのですから、そこを勘違いしないように。

>それなのに、初心者スレを長文で、一々この単語は中性語根で、男性語根でとこじつけて分けるのは、
それを簡単に見分けられる画期的な理論が「ペア理論」です。別スレ参照のこと。
151名無し象は鼻がウナギだ!:2012/07/27(金) 11:22:40.60 0
>>148
>britaj reĝojが証拠。
頭大丈夫?それは、だれでも編集できるVikipedioのその時点の編集者が、reĝoを中性として使用していたに過ぎないんだよ。
私の言っている意味わかってる?
好みで「中性」として使うのはいいの。問題は、お前の「reĝoは特殊性を持つ男性語根」で、「例外的に非論理的」で使うことができる、というような、
「男性語根」と理解しながらreĝojで両性を現せるという主張の根拠がどこにあるかだよ。
しかも、
>ただし父親参観で父が来るのが前提なら「patrojが集まった」で良い場合も考えられる。父のいない家庭から母が僅かに参加してても無視して。
と言い出したから、大多数が父親ならpatroj、男性の王様ならreĝojでいいよ、と自分の好みでいっていることになるんだよ。
それだったら、それこそ、patroもreĝoも違いが無いことになるじゃないか!何が「男性語根B」の「例外」だよ。
firme virajとして、と分けなかったBWが正しいじゃないか!!!

たとえば、フランス語では、100人中、一人でも男が入れば男性複数形になるといったろ?
お前の考えでは、patrinojでよいといっているようなものなんだよ。
しかし、伝統的に文法性のある西洋民族語の性の区別というのは、
近年に入り、「彼」「彼女」をつくった日本語と違い、お前が思っている以上にずっとシビアなものなの。
エスペラントでも、厳しくli, ŝiの区別があり、ge-を設けた必然性の感覚は、お前のように「両性の場合」といくらきいても、まったく理解できないのだろう。
だから、まじで証拠が無いのにこれ以上駄文はやめて。
152名無し象は鼻がウナギだ!:2012/07/27(金) 11:23:23.72 0
>>149-150
>これは文法ミスがどこまで通用するか否かの問題。文法上は正しいのが前提の「文脈」の議論に混ぜるな、ど素人が
お前が「全ては文脈なの、分かる?」と文脈の議論をいったのだ。
「正統派」が「文法ミス」と認めるものであってもこのように通じるし、「正統派」がミスとする「patroj」で両性の意味を表した場合でも通じる、というのは同じことだということなのに
「ど素人」なのかよ。頭冷やして来い。

>2節目の言ってる意味も不明だwww もう諦めろwwwwww
エスペラントが史上最強と妄想している人間には意味がわからんだろうから、説明する気もしない。

>ザメンホフ信者参上だなww 
お前が、本来のエスペラントは『正しくは、「無いのにあるように使われたいていた」』といったから。この言語は誰が作ったの?BWじゃないんだよ!

>エスペラントでは「女性には絶対inoを付けなければならない名詞」が存在します。
だから、どれがだよ。意見が割れているのに、お前の短絡・偏見的な発想で、「絶対」と言い切るから後で問題がでてきて、言い訳で何スレも消化することになるんだから、やめろよ。
153名無し象は鼻がウナギだ!:2012/07/27(金) 20:45:45.64 0
>>151
>それは、だれでも編集できるVikipedioのその時点の編集者が、reĝoを中性として使用していたに過ぎないんだよ。
「国王一覧」の場合は女王の存在を意識していてもreĝojとせざるを得なかったからだよ。
>好みで「中性」として使うのはいいの。
「せざるを得ない」のだから「好み」云々の問題ではない。
>問題は、お前の「reĝoは特殊性を持つ男性語根」で、「例外的に非論理的」で使うことができる、というような、
誤解を避けるためには「せざるを得ない」と一部使用者に思わせる事自体が他の語根と異なり異例で例外的なんだよ。

>「男性語根」と理解しながらreĝojで両性を現せるという主張の根拠がどこにあるかだよ。
両性を表しているのではなく、便宜上女王を無視した、と考えると良い。

>と言い出したから、大多数が父親ならpatroj、男性の王様ならreĝojでいいよ、と自分の好みでいっていることになるんだよ。
言語は全て話者の判断が基準だから、少数の女性の存在を無視したいと思えばできるんだよ。

>それだったら、それこそ、patroもreĝoも違いが無いことになるじゃないか!何が「男性語根B」の「例外」だよ。
だからー、一覧表のタイトルで母の存在を意識していれば、何の矛盾も無くgepatrojと書けるのだよ。
そこが全然違うだろ。お前遊んで欲しくてわざと分からない振りしてるな。

>たとえば、フランス語では、100人中、一人でも男が入れば男性複数形になるといったろ?
それは両性含有の複数形が存在しないからだよ。
それも正式な文法ルールなだけであって、たまたま気付かなかった、或は、敢えて無視したい場合はどーすんだよ、って思うよw
女性団体がデモを行いました。中には奇特な男性も混じってました。
この場合に男性複数形で報じたらデモの様子が正確に伝わらないと思うがね。
154名無し象は鼻がウナギだ!:2012/07/27(金) 20:50:58.10 0
>だから、まじで証拠が無いのにこれ以上駄文はやめて。
Wikipediaの一覧では足りないか?
http://eo.wikipedia.org/wiki/Kategorio:Listoj_de_regantoj_la%C5%AD_lando
ここでは全部reĝojで統一。一覧リストでの証明は簡単だが、そうでない場合を求められると難しい。
「どこそこの王たち」という検索では男の王だけしかいなかった場合と女王を無視した場合で区別がつかないから。
tekstaroで検索したら "gereĝoj de"は0件。「どこそこの男女両王」という発想が稀であると想像つく。
"reĝoj de"は多数。旧約聖書出典が多い。女王が実際いたか証明不可能である。
比喩的な用法は見られる。
Kiam niaj posteuloj legos en la historio, ke la homoj, tiuj ĉi reĝoj de la tero,
tiuj ĉi plej altaj reprezentantoj de la monda inteligenteco, tiuj ĉi duon-
dioj, en la daŭro de tutaj miljaroj vivis unuj apud la aliaj, ne komprenante unuj la aliajn, ili simple ne volos kredi.
我々の後継者達が歴史の中に読むだろう。人間たち、これら地球の王たち、世界の知性の最も高い代表者たち、
これら半神たちが、何千年もの連続の中で、互いに分かり合わぬまま隣り合って生きていた事を。
その時彼ら(後継者たち)単純に信じたくはないだろう。

文脈上「互いに分かり合わずに生きてる」homojには女性も含まれるだろう。女性達だけは分かりあっているのでは話が通じないから。
当然女性も含まれるhomojをreĝoj de la teroと言い換えている例。

検索してみればgereĝojは国王夫妻の意味が多そうだと気づくだろう。
エスペラントの常識的発想では、仕方無いがそうなるよ。
女王も含む国王はgereĝojであるべきだ、は正式なんだが、そうはいかないんだよ。気づけよ。
155名無し象は鼻がウナギだ!:2012/07/27(金) 21:17:41.38 0
理解が全くできていない。中性語根としている例をいくら挙げても、反論にはならない。

何度も読め>>151
>reĝoを中性として使用していたに過ぎないんだよ。
>私の言っている意味わかってる?
>好みで「中性」として使うのはいいの。問題は、お前の「reĝoは特殊性を持つ男性語根」で、「例外的に非論理的」で使うことができる、というような、
>「男性語根」と理解しながらreĝojで両性を現せるという主張の根拠がどこにあるかだよ。
156名無し象は鼻がウナギだ!:2012/07/27(金) 21:17:49.15 0
>>154
他所でやれって何度言えばわかるの? 馬鹿なの? 死ぬの?
157名無し象は鼻がウナギだ!:2012/07/27(金) 21:24:21.34 0
tekstaroのZamenhofソースでは
gapatrojは非常に多いがpatrojは少ない。
patrojと書かれた場合は、厳密に「父達」の意味のようだ、一見した所だが。
男女いるのにpatrojで済ませているパターンはなさそうだ。
理想的な用法
158名無し象は鼻がウナギだ!:2012/07/27(金) 21:24:45.41 0
>>156
そうそう、>>154は○○○い。
まったく理解できず、長文で言い訳しまくる。

>>154
>それは両性含有の複数形が存在しないからだよ。
繰り返させるな。100人中一人でも男がいれば、「女性複数形」ではなくなるということであって、
フランス語の場合は男女しかなく、中性複数形(ge-のようなもの)がないから、しかたなく男性複数形になるということだ。
じゃあ、ge-があったらどうなるか?小学生でもわかる論理だろが。
159名無し象は鼻がウナギだ!:2012/07/27(金) 21:28:29.14 0
>>155
理解力無さ過ぎ
160名無し象は鼻がウナギだ!:2012/07/27(金) 21:48:42.73 0
>>155
例えば、どう証明してほしいのかな?
wikipedioの各国国王一覧はMxxxxという人が書いたとする。
その人はタイトルをreĝojとつける。
同じ人が女王個人の項ではreĝinoと書いている。
reĝoを男性名詞と理解していてもタイトルではgereĝojとつけられなかった証明になると思うが。
これでも分からんだろうな。分かろうという気が無い、あるのは捻くれた意地だけ。
161名無し象は鼻がウナギだ!:2012/07/27(金) 22:04:27.10 0
★このスレ汚してごめんなさい、最終まとめ★

Reĝoが「中性語根」と理解するなら[ReVo派]
  reĝo 男性か女性の王、男性の王 (a monarch)
  reĝino 女王、王妃 (a queen)
  reĝoj 君主たち(男女を含む) (monarchs)
  reĝinoj 女王たち (queens)
  gereĝoj 一組以上の両王 (king(s) and queen(s) regnant)

Reĝoが「男性語根」(knaboのように)とするなら[PMEG派]
  reĝo/knabo 男性の王/少年 (a king)
  reĝino/knabino 女王、王妃/少女 (a queen)
  reĝoj/knaboj 男性の王たち/少年たち (kings)
  reĝinoj/knabinoj 女王たち/少女たち (queens)
  gereĝoj/geknaboj 一組以上の両王、君主たち/一組以上の少年少女、少年少女たち (king(s) and queen(s) regnant, monarchs)

この中間など無い。

中性と見れば、ReVoやVikipediaの用例ですっぽり当てはまるのは当然(もともと男女が含まれる中性語根に強調の意味でge-をつけたら、そりゃあペアの意味が強まる)。
※ここではreĝinoに妻の意味があるとかないとか、身分の高い語彙だとかは、まったく無関係。
162名無し象は鼻がウナギだ!:2012/07/27(金) 22:08:24.03 0
訂正、
中性のreĝo の英語の意味に、kingを追加。

  reĝo 男性か女性の王、男性の王 (a monarch or a king)
163名無し象は鼻がウナギだ!:2012/07/27(金) 22:21:46.18 0
>男女いるのにpatrojで済ませているパターンはなさそうだ。
>理想的な用法

そう。もし、
男女いるのにpatrojで済ませたら、patroの中性用法(中性名詞化)といえる(riismo, idoなど少数)。

男女いるのにreĝojで済ませたら、reĝoの中性用法(中性名詞化)といえる(ReVo, riismo, idoなど多数)。
164名無し象は鼻がウナギだ!:2012/07/28(土) 18:48:35.94 0
>>161
そのとおり、その理解で良いよ。
つまり、reĝoは西洋語の影響で男性語根として扱いたくても(PMEGに従って)
いつでも簡単に中性語根になりうる点、或は
男性語根と認識していても女王を無視して外見上中性語根のように使わざるを得ない時がある点において
純粋な(firme viraj)男性語根knaboとは全く異なるのだ。
個人的な好みで男性語根としたくても、完璧にそうはできないが故に例外的な男性語根Bなのだ。
それをずっと説明してたのだ。お前もやっと分かって良かった。

>この中間など無い。
今でも-inoが王妃=妻の意味を保持している点では、doktoroなどの他の中性名詞とは異なる。
その点においては中間的な存在であるといえる。
言語学の常識だが、カテゴリの境界は常に曖昧、と覚えておくといい。「中間」は存在するのだ。
165名無し象は鼻がウナギだ!:2012/07/28(土) 18:54:22.54 0
>>163
>男女いるのにpatrojで済ませたら、patroの中性用法(中性名詞化)といえる(riismo, idoなど少数)。
それは特殊な改革派。
>男女いるのにreĝojで済ませたら、reĝoの中性用法(中性名詞化)といえる(ReVo, riismo, idoなど多数)。
ザメンホフですらそうであったノーマル派。

各自が各名詞を中性か男性か厳密に仕分ける事は、実はさして重要ではない。
昔は職業名詞は当然男性名詞のように使われていた。
現代では自然に中性化した。その移行が自然に成り立ったのがエスペラント。
reĝoはある意味両者の性質を残しているが、使用者がどっちの性別で使っているかなど実際は関係ない。
男性語根が中性化する過程の時のように、ある時は当然のように男性で、ある時は中性で使われる。
しかしどちらで使われても読み手は文脈で判断できる。
男性語根@Aは決して中性化しない点が異なる。私個人はこれをfirme virajと呼びたい。
PMEGではfirme virajの定義をBWは曖昧にしているが、inoが妻の意味を永遠に持ち続けるだろう、の意味で
BWはreĝoをfirme virajに入れたのかもしれないが、分析面では足りないと思う。
私の@AB分けはその意味でBWの仕分けを発展させたもの。
166名無し象は鼻がウナギだ!:2012/07/28(土) 19:55:47.65 0
>>164>>165
>それをずっと説明してたのだ。お前もやっと分かって良かった。
何、議論に負けたからって慌てて、相手の意見に乗り換えてるの?しかも、続きを読めば、結局、私の言っている「この中間など無い」という意味がまったくわかっていない。

よく聞きなさい。男性として扱うか中性として扱うかの議論に決着がつかず「中間的」としか言えない語はもちろんいくらでもある。
しかし、「reĝoを男性名詞と理解していてもタイトルではgereĝojとつけられなかった」
というようなことはありえない。PMEGを読んでいないか、読んでも賛成しないからであり、
男性名詞とは考えていない(=中性名詞と考えている)からgereĝojとしないのである。

>純粋な(firme viraj)男性語根knaboとは全く異なるのだ。
ソースが見つかるまで(見つからなかったことは後述)もう書き込まないように。100回嘘を言ったら真実になると思ってるでしょう?
167名無し象は鼻がウナギだ!:2012/07/28(土) 19:56:56.45 0
つづき
>今でも-inoが王妃=妻の意味を保持している点では、doktoroなどの他の中性名詞とは異なる。
王妃・女王の議論は、fratinoが「姉と妹の意味を保持している」と、日本人(初心者)が感じるのと等しい議論。
これについては、「その理解で良い。語彙に多少足りない面があっても詳細が必要なら如何様にでも説明できる。」(>>148)とすでにお前の言質をとった。
また、PMEGが中性語根と認めたものでも
doktorino(この職業はPMEGで中性としている)に妻の意味で使うケースは少ないかもしれないが、
imperiestrino(estro接尾辞はPMEGで中性としている)に妻の意味で使うケースは一般に多い。

したがって、この事例は
「reĝoを男性名詞と理解していてもタイトルではgereĝojとつけられなかった」
つまり、エスペラントという言語において、
  ・「両性形をつくる接辞」があるにも関わらず、
  ・他の文法性のある印欧語やセム語とは異なる発想で、
  ・男性複数形で「両性」を表せる男性名詞が一部(高級身分の語の一部)に存在する。
というお前の主張をサポートしていない。

>私個人はこれをfirme virajと呼びたい。
はい、ソースが見つからなかったのですね。初めからそういいなさい。
検証不可能なお遊びはできれば書き込まず、家で勝手に(「BWの仕分けを発展した」と発泡酒を飲みながら)そう呼んでおいてください。
私は初めから、「PMEGに従うなら」、gemikadoj,gereĝojになるとずっといってきたので、これで議論の終了といえます。
論破というと悔しくて、またしつこく根拠の無い持論を繰り返すだけだろうから、これにて「終戦」とします。
168名無し象は鼻がウナギだ!:2012/07/29(日) 09:14:43.19 0
精々、アシュケナジーとセファルディムの統合しか眼中になかったものを
「国際語」などとすることが無茶だったんだよ。
ヨーロッパユダヤ語だな。
169名無し象は鼻がウナギだ!:2012/07/29(日) 09:30:17.99 0
民主党並みのブーメラン

【約一ヶ月前 総合スレ】
267 :名無し象は鼻がウナギだ!:2012/07/02(月) 10:16:52.32 0
    >>264
    性別単語についてはPMEGを読むといい
    初学者が騒ぎたてる程度の問題はとっくに解決されている

279 :名無し象は鼻がウナギだ!:2012/07/02(月) 18:09:32.51 0
    >>268
    >言語は変わるものなの。なぜPMEGから変化することがありえないんだよw
    お前の様な非力な輩がいくら変えようとした所で変わらないんだよww


【今】
165 :名無し象は鼻がウナギだ!:2012/07/28(土) 18:54:22.54 0

    各自が各名詞を中性か男性か厳密に仕分ける事は、実はさして重要ではない。
 
    PMEGではfirme virajの定義をBWは曖昧にしているが、inoが妻の意味を永遠に持ち続けるだろう、の意味で
    BWはreĝoをfirme virajに入れたのかもしれないが、分析面では足りないと思う。
    私の@AB分けはその意味でBWの仕分けを発展させたもの。
170名無し象は鼻がウナギだ!:2012/07/29(日) 15:37:32.26 0
>>167
>王妃・女王の議論は、fratinoが「姉と妹の意味を保持している」と、日本人(初心者)が感じるのと等しい議論。
ReVoではreĝinoは正式に2つの意味を持つ。西洋人も当然両者の立場の違いを区別しているから二つ載せている。
reĝino 1. Virino, kiu reĝas. 2. La edzino de reĝo:
一方、中性名詞のdoktorinoはReVonには無し
古典的用例も載せるPIVでは、doktorino. Virino, kiu doktoriĝis. → doktoredzino.
>imperiestrino(estro接尾辞はPMEGで中性としている)に妻の意味で使うケースは一般に多い。
これについては既出。reĝino同様民族語の影響によるが、ReVoにもPIVにも載ってない、つまり正式ではないケース。
reĝinoが正式に二つの意味を持つ事は特筆すべき点。

>>「reĝoを男性名詞と理解していてもタイトルではgereĝojとつけられなかった」
>というお前の主張をサポートしていない。
女性を含んでreĝojとした場合は、形式上は中性名詞として使用したと理解され、文法ミスとは扱われない。
女性を含んた一覧表でknabojというと間違いなので、reĝoはknaboとは異なった性質を持つ。
ただしなぜreĝojと書いたかは本人にしか分からない。gereĝojが国王夫妻を表すため、女王を無視したか一時的に中性で使ったのか、
或は、元々中性と思っているが女王の項では「強調で」inoを付けたのか。
これらは読み手からは区別がつかない。区別がつかないからこそ、
エスペラントでは多くの職業名詞が男性名詞扱いから自然と中性名詞扱いに移行できたのである。

reĝoは中性名詞で扱われる事が全く可能な名詞であるが、reĝinoが正式にLa edzino de reĝoの意味を持つ間は完全な中性名詞にもなれない。
その特殊性はお分かり頂けただろうか。

お前の場合、話者がその単語を使った時点で、男性で使ったのか中性で使ったのかは、必ずどちらになるだろう、
と言いたいのだろうが、その時点という一瞬ではそう言えるが、そんな事を論じても意味がない。
まず同じ話者が常に統一した意識で使うとは限らない。ある時はviraとつけるべきでもつけず(つまり男性名詞扱い)で使用し、ある時は中性名詞的に使用する。
171名無し象は鼻がウナギだ!:2012/07/29(日) 15:38:41.58 0
>私は初めから、「PMEGに従うなら」、gemikadoj,gereĝojになるとずっといってきたので、これで議論の終了といえます。
PMEGは聖書ではないよ。お前は「従う」という意味を厳密に取りすぎww
PMEGはフンダメントではない。参考にはなるが、説明が至らない点や、改革派に甘すぎると思われる記述も実際にあるから、
実際の用法と突き合わせながら、また自分なりの「論理性」で検証しながら読むと良いよ。

>>169
終戦と言いつつ構ってほしくて仕方ないんだなww

>    性別単語についてはPMEGを読むといい
>    初学者が騒ぎたてる程度の問題はとっくに解決されている
これは、エスペラント人間単語が男性語根か中性語根か、またエスペラントの男女差別を解消するには云々という議論について述べた。
それについてPMEGでは理論的な解決されている、という意味。
PMEGの男性語根リストも、現時点の慣習ではあれで妥当だろう、という意味で今でも賛成だよ。
reĝoは男女国王をgereĝojで表しづらい点から、明確な中性語根とは言えないんだろうという点にも賛同できる。

   >>言語は変わるものなの。なぜPMEGから変化することがありえないんだよw
>    お前の様な非力な輩がいくら変えようとした所で変わらないんだよww
これが原因で怒って今までずっと絡んでたのか?

>    各自が各名詞を中性か男性か厳密に仕分ける事は、実はさして重要ではない。
「男性語根@Aを除いては」という文脈の中で書いているよ。
中性語根は男性語根のように使う事は可能だし、常に厳密に区別して使用する必要はない。
両者の中間の男性語根Bも同じ事。曖昧のまま使っていても読者には文脈で区別できる。
しかしお前自身は「文脈」という概念が全く理解できないようだな。お前とのやりとりはそれで長引く。
 
>    PMEGではfirme virajの定義をBWは曖昧にしているが、inoが妻の意味を永遠に持ち続けるだろう、の意味で
>    BWはreĝoをfirme virajに入れたのかもしれないが、分析面では足りないと思う。
>    私の@AB分けはその意味でBWの仕分けを発展させたもの。

私の言いたい事を再掲してくれてありがとう。「終了」にふさわしい終わり方だ。
172名無し象は鼻がウナギだ!:2012/07/29(日) 16:03:45.05 0
今ちょろっと検索したがこれは「証拠」?
英語サイトはあまり当てにしたくないがw
http://www.freewebs.com/bahaakredo/esperantoteacher44.htm
Gefratoj, brothers and sisters
Gereĝoj, king and queen

kings and queensではない
173名無し象は鼻がウナギだ!:2012/07/29(日) 17:39:15.27 0

>>170
証拠が出ていないのに、よくものこのことまた出てくるわ。
何を見つけなければならないのか、まだわかっていないようなので後でもう一度説明しよう。

>ReVoではreĝinoは正式に2つの意味を持つ。西洋人も当然両者の立場の違いを区別しているから二つ載せている。
PMEGの男性語根を考えるにあたって、「妻」の意味の存在を先に言い出し、中性語根についてはそれが基本的にはない、という私の仮説に対し、
>imperiestrinoが・・・理論的に言えば正確な用法ではないが、西洋人の言語感覚としては十分にありうる。
としつこくいってきたのは、お前だ。

いいですか?初めから男性・中性に分けるのはBWが言うとおりmalfacilaなのに、
PMEGを理解もせずに、「初学者が騒ぎたてる程度の問題はとっくに解決されている」とかいったから、こうなったんだよ。
174名無し象は鼻がウナギだ!:2012/07/29(日) 17:40:00.10 0
>>171
>PMEGは聖書ではないよ。お前は「従う」という意味を厳密に取りすぎww
「従う」というのは聖書だからではなく、PMEGを批評するために「その文脈ならこうなる」という実験を行うことなのに、
PMEGから脱線し自分のレスをleguだの都合が悪くなって勝手に「発展」させたりして前提を崩すから、
仮定と検証がまったくできないんだよ。さらに、苛立ちで暴言を吐くから、言い訳に時間がかかる。

>また自分なりの「論理性」で検証しながら読むと良いよ。
これも自分に言い聞かせることだな。「現代エスペラントの権威書PMEG」とか誰か言ってたような気がするが。まあ、これに懲りたろうけど。

>しかしお前自身は「文脈」という概念が全く理解できないようだな。お前とのやりとりはそれで長引く。
reĝinoもfratoも文脈で意味がわかるということを先に言って、「その理解で良い」(>>148)とお前に言わしめたのは私ですが。

>両者の中間の男性語根Bも同じ事。曖昧のまま使っていても読者には文脈で区別できる。
文脈で区別できるかできないかではなく、男性語根か中性語根の判別が曖昧なものが「ある」にもかかわらず、
「結局また「難しい」とお前が泣き出すはめになる」
とかいって馬鹿にしていたんですよ。どう考えても謝罪が必要ではないですか?
175名無し象は鼻がウナギだ!:2012/07/29(日) 17:41:48.90 0
>>172
「両親」の場合、parentが、一語なので、一組であっても二組以上でも必ずparentsをつけなければならないが、
Gereĝojはもっとも良く使われる普通(名簿を作るなどではない)のケースでは、一組として取るから(一国には一組だろうから)、
king and queen
でかまわない。厳密に言えば、Wiktionaryのように(s)をつけるべきだが。


しかし!


お前が探さならないこととはまったく無関係。繰り替えすが、エスペラントという言語において、

  ・「両性形をつくる接辞」があるにも関わらず、
  ・他の文法性のある印欧語やセム語とは異なる発想で、
  ・男性複数形で「両性」を表せる男性名詞が一部(高級身分の語の一部)に存在する。

というお話の証拠を出せといってるんだよ。

でも、発話者が男性語根と見ているかどうかは「これらは読み手からは区別がつかない」とお前もいっているように、
永遠に見つからないわけないだろ?ということ。


だから、
>エスペラントの理論に反して、reĝinojもいるのに、reĝojとしか言えなかったのだ。
とか、
>男性名詞と理解していてもタイトルではgereĝojとつけられなかった
という出鱈目を引っ込めて、謝罪すれば言いだけの話。

そもそも、>>161の私の説明に、「そのとおり、その理解で良いよ。」とかいったの何なんだよ。毎回、自分の言葉に責任持てよ。
176名無し象は鼻がウナギだ!:2012/07/29(日) 17:43:13.06 0
訂正
永遠に見つからないわけないだろ?wじゃなく、

永遠に見つかるわけないだろ?ということ。
177名無し象は鼻がウナギだ!:2012/07/29(日) 17:52:53.49 0
295 :名無し象は鼻がウナギだ!:2012/07/04(水) 08:34:51.37 0

    愚かな一部アジア人もそれを批判的に見る能力がなく盲目的にそれらの西洋人達を崇拝し信じているため問題を助長している。
    理論レベルではPMEG的には問題は解決されている。

364 :名無し象は鼻がウナギだ!:2012/07/05(木) 20:05:58.45 0

    だからpastroが中性である理由についてPMEGは言及してるんだよ

369 :名無し象は鼻がウナギだ!:2012/07/05(木) 20:44:59.15 0

    >>367
    >Viraj radikojに分類できたのかという説明をしていないだろ
    そんな説明はいらん。そんな百科事典的な説明までしてたらPMEGがますます分厚くなる。

398 :名無し象は鼻がウナギだ!:2012/07/06(金) 22:03:48.59 0

    補足だが、PMEG方式で行うと
    ・・・
    文脈としては全く矛盾は生じない。
178名無し象は鼻がウナギだ!:2012/07/29(日) 18:20:45.89 0
どうでもいい事を長ったらしくウザい
179名無し象は鼻がウナギだ!:2012/07/29(日) 18:23:21.36 0
訂正と謝罪はどうでもいいことじゃない。
180名無し象は鼻がウナギだ!:2012/07/29(日) 20:36:48.04 0
じゃあそれ以外の部分はどうでもいいってことだよね
今すぐやめろいい加減にしろ
181名無し象は鼻がウナギだ!:2012/07/30(月) 18:41:35.17 0
>>173
「終戦」ではなかったのか?悪いが、なんでこんなに絡んで来るのか全く理解できん。
>いいですか?初めから男性・中性に分けるのはBWが言うとおりmalfacilaなのに、
>PMEGを理解もせずに、「初学者が騒ぎたてる程度の問題はとっくに解決されている」とかいったから、こうなったんだよ。
PMEGで「難しい」と言うのは、おそらく、辞書や個人により男性・中性の定義が異なる場合もあるから、それを「難しい」と言っていると思うよ。
BWが一応男性語根に仕分けた物さえ、民族文化的な語根は一概に決めきれなかったのだと思う。
しかしどの辞書でも共通な、正統派ならば絶対に男性語根というものもあり、それらは基本を押さえて理解すれば初心者でもそれほど難しくない。
馴染めない単語は逐一辞書で調べ、viro,kiu 、knabo, kiuなどと書かれていれば男性語根と見てよい。
また、男性か中性か各自で定義が異なる物でも、文脈の手助けなどがあれば使用上は滞りなく理解することができ問題は無い。
182名無し象は鼻がウナギだ!:2012/07/30(月) 18:43:26.63 0
>>174
>これも自分に言い聞かせることだな。「現代エスペラントの権威書PMEG」とか誰か言ってたような気がするが。まあ、これに懲りたろうけど。
君の場合、物事を白か黒かで判断しすぎだから、もう少し清濁併せのむ域まで成長できると良いと思う。
PMEGは「権威書」で非常に参考になるのは事実だよ。それと「説明不十分な点がある事実」とは無関係。
またPMEGは「こういう意見もある」と幅広く紹介しているが、紹介された意見に対し読者が全て賛成する義務は無い。

>reĝinoもfratoも文脈で意味がわかるということを先に言って、「その理解で良い」(>>148)とお前に言わしめたのは私ですが。
お前の場合、「文脈」の理解が狭すぎると思う。
ある単語に修飾詞がついていればその単語の意味ははっきりするが、「文脈」とはそれだけを言うのではない。
修飾詞が無くても、該当文章の前後を読めば、或は読んで初めて、単語の厳密な意味が理解できる場合がある。
それを「文脈」というのだよ。

>とかいって馬鹿にしていたんですよ。どう考えても謝罪が必要ではないですか?
馬鹿にされて悔しいから絡み続けるのか?謝罪?馬鹿らしすぎる、甘えるな
183名無し象は鼻がウナギだ!:2012/07/30(月) 18:45:42.11 0
>>175
>  ・「両性形をつくる接辞」があるにも関わらず、
>  ・他の文法性のある印欧語やセム語とは異なる発想で、
>  ・男性複数形で「両性」を表せる男性名詞が一部(高級身分の語の一部)に存在する。

この理解がそもそも勘違いしている。男性複数形で「両性」を表しているのではないよ。
エスペラントの単語には文法性が無いから、厳密にはどれも中性名詞。
しかし単語の意味が「〜の男性」という意味を表す物が存在し、それをエスペラントでは「男性語根」と呼ぶ。
それの対応する「〜の女性」は男性語根にinoを付ける。
男性語根@Aでは複数化した場合は男性のみを示す。男性複数形で「両性」は表せない。
ただし男性語根Bは例外的で、常に中性化する可能性を持っている。
そのため複数形が事実上「両性」を表している用法が、tekstaroの模範的用法の中にも存在する。
その場合は使用者の認識がどうあれ、その瞬間は「中性」の用法で使われていると見てよい。
しかし「使用者の認識」は他人には予想できない。
reĝoを男性名詞と信じている人間が、あたかも中性名詞のように使う事はありうる。
その場合「ここは女性を含むからここでのreĝoは中性名詞で使おう」など考えながら喋ったり書いたりしてるのではない。
後で指摘された場合に言い訳として「便宜上女性を無視しました」と言わねばならない可能性もある。

>・男性複数形で「両性」を表せる男性名詞が一部(高級身分の語の一部)に存在する。
これはつまり、 男性語根Bの場合、中性名詞の側面(男女問わず人間の役割としての意味)と男性名詞の側面(inoが妻の意味を保持)
を両方持っているから、と説明できる。

「証拠」とはどこかのソースを期待してるのだろうか?
これは私が生み出した新説なので既存のソースは無いと思うよ。つーか探してないw
故に論理上の「証明」しかできない。
184名無し象は鼻がウナギだ!:2012/07/30(月) 19:39:09.60 0
>>181-183
>なんでこんなに絡んで来るのか全く理解できん。
自分が非を認めたくないからといって、相手に長文の責任を擦り付けるな。

>馬鹿にされて悔しいから絡み続けるのか?
悔しいからじゃなく、無用な暴言でいらだたせるから。

>この理解がそもそも勘違いしている。男性複数形で「両性」を表しているのではないよ。
これさえも違うというのなら話にならない。
「男性名詞と理解していてもタイトルではgereĝojとつけられなかった」といったの誰だよ。
reĝoは男性名詞で、その単純複数形で、女性も含めた王とせざるを得ないとお前はいったんだよ。
これほど「暴言」、「無責任な発言」をする人間には、もはや論理で説得することは不可能だったともっと早く気づくべきだったか。
185名無し象は鼻がウナギだ!:2012/07/30(月) 19:53:00.46 0
1.BWは、エスペラントの名詞を(もともと明確な区別があったかどうかは別にして)男性語根と中性語根とに、難しいものの振り分けた(PMEG)。
2.「男性語根の複数形」は、「男性が複数いる」ということである。両性の意味にするにはge-(「両性形をつくる接辞」。「ペア」でよく使われる)をつける(PMEG)。
3.「中性語根の複数形」は、「両性が複数いる」可能性を意味する。ge-は不要だが、両性がいること、ペアであることを強調する際には使われる(PMEG)。
4.reĝojは確実に男性語根である(PMEG)。

Vikipedioで、男女が確実にいる「君主」の意味でreĝojと書かれていたのはなぜか?
   ┣PMEGを読んだ
   ┃ ┣否定
   ┃ ┃ ┣性区別派(下記参照)
   ┃ ┃ ┗性無区別派による否定(下記参照)
   ┃ ┗任意
   ┃   ┣理解できなかったのでge-をつけなかった
   ┃   ┗上級者だが最近物忘れが激しくなった
   ┃ 
   ┗PMEGを読んでいない
      ┣性区別派
      ┃ ┣中性だから、ge-はつけなくても良い
      ┃ ┗男性語根だが、ge-は「ペア」のみで使うべき
      ┗性無区別派
        ┣男性語根と中性語根に分けることはできず、ge-をつけるのは単語次第
        ┣すべての名詞は中性であり、ge-は「ペア」のみで使うべき
        ┗ge-はもはや不要
186名無し象は鼻がウナギだ!:2012/07/30(月) 19:54:14.14 0
モノリンガルつまり英語が覚えられない学習障害者用の講座スレだと思っていたんだが
ずーっと深刻的なキチガイに荒らされてるね
精神障害者は対象としてないと思うんだけどね
187名無し象は鼻がウナギだ!:2012/07/30(月) 20:29:21.72 0
もう一度言うわ
他所でやれ
188名無し象は鼻がウナギだ!:2012/07/31(火) 10:08:36.86 0
これで完全に論破できる予定ですので、ご了承ください。

「reĝoを男性名詞と理解していてもタイトルではgereĝojとつけられなかった」(>>160)
の説を私が作った>>185の分類から選ぶと、

PMEGを読んだ - 否定 - 性区別派 - 男性語根だが、ge-は「ペア」のみで使うべき

ということになる(「reĝoを男性名詞と理解していても」、ge-はペアのみで使うできだから「gereĝojとつけられなかった」ということ)。

それでは、この説にしたがって(実際のお前の説明も引用しつつ)複数形の考え方を示すと、次のようになる。

******************************************************************
studentoj 複数の男子学生(女子学生もいるかもしれない)。
studentinoj 複数の女子学生(女子学生のデモのとき、中には特異な男子学生も混じっているかもしれない)。
gestudentoj 一組か複数のペア(男女が同じ数ほどいる)の学生。

reĝoj 複数の男性の王(女王もいるかもしれない)。
reĝinoj 複数の女王。
gereĝoj 一組か複数のペア(男女が同じ数ほどいる)の君主、両王たち。

patroj 複数の父親(「父親参観が前提で」母親もいるかもしれない)。
patrinoj 複数の父親。
gepatroj 一組か複数のペア(普通の保護者会で父母が来るのが前提ならペアではなくとも)の父親母親、両親たち。

soldatoj 複数の兵士(女性兵士もいるかもしれない)。
soldatinoj 複数の女性兵士。
gesoldatoj 一組か複数のペア(男女が同じ数ほどいる)の兵士たち。

flegistoj 複数の看護師(男性も女性もいるかもしれない)。
flegistinoj 複数の女性看護師(女性看護師のデモのとき、中には特異な男性看護師も混じっているかもしれない)
geflegistoj 一組か複数のペア(男女が同じ数ほどいる)の看護師たち。
******************************************************************
189名無し象は鼻がウナギだ!:2012/07/31(火) 10:10:43.86 0
ここで疑問がわくことに気づくだろうか?
男性・中性の区別って、なんだったんだろう?と。
(PMEGでは、男性:reĝo, patro、中性:studento, soldato, flegistoとしたが、上の複数形の例だとまったく見分けがつかない)

「男性語根だが、ge-は「ペア」のみ」
つまり、「ペアではない両性はge-を使わない」ということは、
>>185 PMEGの3.「中性語根の複数形」とまるっきり同じになってしまうのである。

  男性語根(複数形)=中性語根(複数形) 

原因は、ge-を勝手に「ペア」のみに限定してしたから、男性語根と中性語根にそれぞれわけることができなくなるのである。
そうすることによって、中性語根(ge-をつけなくても、両性を表せるもの)の特質が、失われるからである。
したがって、
「男性名詞」だが、「ge-はペアのみで使う(gereĝojとつけられなかった)」は両立できない。以上、終了予定。
190名無し象は鼻がウナギだ!:2012/07/31(火) 20:12:17.61 0
>>185
>4.reĝojは確実に男性語根である(PMEG)。
この部分もPMEGを改めて良く読むと、firme virajの説明が非常に曖昧である事に気づくだろう。

Konfuzo «
Firme viraj radikoj neniam estas uzataj sensekse en multe-nombro.
Vortoj kiel patroj, knaboj, onkloj kaj bokoj ĉiam montras nur virojn aŭ virbestojn.
firme virajな語根は複数形で無性では決して使われない。
patroj, knaboj, onkloj, bokojは常に男性或はオスのみを表す。
注!reĝojが入っていない!

Evoluo «
Firme viraj vortoj kiel patro, viro, knabo, sinjoro, reĝo k.a., neniam ŝanĝos sian signifon.
patro, viro, knabo, sinjoro, reĝo のようなfirme virajな単語は決して意味を変えないだろう。
Ili estas kaj restos viraj. それらは男性であり、またあり続けるだろう。
注!ここではreĝojを入れている!

お前が論拠にしてるPMEGでreĝoは、「永遠に男性」というfirme virajの方には入れられているが
「常に男性」という意味でのfirme virajには入れられてないのである。
ある意味BWは決断を避け、責任逃れなずるい方法で説明していると分かる。
しかしこれで、お前の『reĝojは確実に男性語根である(PMEG)』の前提自体が崩壊した。
まあお前がちゃんと読んでないのが悪いのだよww

BWのいうfirme virajはこのように曖昧であるから、やはり改めて検証する必要があるのである。
191名無し象は鼻がウナギだ!:2012/07/31(火) 20:15:54.89 0
>>188
>「reĝoを男性名詞と理解していてもタイトルではgereĝojとつけられなかった」(>>160)
>PMEGを読んだ - 否定 - 性区別派 - 男性語根だが、ge-は「ペア」のみで使うべき
>ということになる(「reĝoを男性名詞と理解していても」、ge-はペアのみで使うできだから「gereĝojとつけられなかった」ということ)。

男性語根ではgeはペアでのみ使う、という記述はPMEGには無いし、その他の教科書にも無い。
故に、仮にgereĝojを完全な男性名詞と理解していても、その人が『ge-は「ペア」のみで使うべき』と信じている可能性は低い。
逆に「reĝoを男性名詞と理解していてもタイトルではgereĝojとつけられなかった」人でも、文脈さえはっきりしていれば、
歴代男女国王の意味でgereĝoj使う事はできた可能性がある。しかしたった一語の「一覧表のタイトル」では文脈がつけられない。
gereĝojという単語は「国王夫妻」で使われる比率が高いため、タイトルとして誤解を与えないために
敢えてgereĝojを避けたのではないか、という類推である。
ただしこれはあくまでも類推で、その人がreĝoを中性として認識してる可能性もある。女王の時は「強調」でinoを付けるが。

>>189
>「男性語根だが、ge-は「ペア」のみ」
この前提自体誤りであるから、それ以降の理論は全て無意味となる。
192名無し象は鼻がウナギだ!:2012/07/31(火) 20:36:23.64 0
>>189
>つまり、「ペアではない両性はge-を使わない」ということは、
こんな規則はエスペラントには無いが、男性語根Bではある種ジレンマを含んでいる。

>「中性語根の複数形」とまるっきり同じになってしまうのである。

男性語根Bは元々意味が重複している。
つまり、男女関係ない役割の意味(中性名詞的意味)と、
歴史的に男性が担っていたため男性を前提とし、その結果inoが妻を表す意味を温存している(男性名詞的意味)
の双方を持っている。
そのためその複数形も、中性名詞的、男性名詞的に現れる。
中性名詞的な用法の場合はreĝojは「中性の複数形」、gereĝojは「男王女王が混在する強調形」(gestudentoijと同じ)
男性名詞的な用法の場合はreĝojは「男性の複数形」、gereĝojは「ワンペアまたは複数の国王夫妻」(geedzojと同じ)
 または「男王女王が混在する、強調無しでの複数形」(geknabojと同じ)

>  男性語根(複数形)=中性語根(複数形) 
この矛盾は実際あるが、上記の説明のように、男性語根Bでのみ例外的に起こる。
なぜなら、元々中性と男性の両方の意味を含んでいるからである。
以上。
193名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/01(水) 09:52:12.10 0
>>190
>Konfuzo «
>注!reĝojが入っていない!
>Evoluo «
>注!ここではreĝojを入れている!

だからなに?
たまたま別の「確実に男性語根」の例(patroとknaboは両方に共通しているが)を挙げただけではないの?
ということは、reĝojが入っている方のEvoluoだけであげられたものは将来、中性になりうるとでもいいたいの?
じゃあ、viroもsinjoroも「常に男性」というだけで、中世になる可能性が高いということになるということになりますよw
昔はPMEGでpatroだけでなくreĝoも「Firme viraj」に入っているのを見落として、お前は何度、金科玉条のごとくFirme virajといったか、検索してみろ(firma virajの間違いも含みw)。
べたぼめだったのに、今は、悪あがきの自己主張のために「BWは決断を避け、責任逃れなずるい方法」とけなしまくっているな。

>>191
>男性語根ではgeはペアでのみ使う、という記述はPMEGには無いし、その他の教科書にも無い。
そうですよ、お前の荒唐無稽な
「reĝoを男性名詞と理解していてもタイトルではgereĝojとつけられなかった」
をむりやり説明しようとしたらそうなるというだけの話。じゃあ何だ?新しい言い訳をいうのかと思ったら、>>192だったから笑えた。

>この前提自体誤りであるから、それ以降の理論は全て無意味となる。
そう、あなたの理論のことですよ。
194名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/01(水) 09:55:03.54 0
>>192
>こんな規則はエスペラントには無いが、男性語根Bではある種ジレンマを含んでいる。
ジレンマは、無駄な分類であなたが作っただけです。

>なぜなら、元々中性と男性の両方の意味を含んでいるからである。
初めからそれをいいなさいよ。

意味わかる?
「両方の意味を含んでいる」ものなのに、なぜ「男性語根」といえるか?ですよ。

reĝoは、

男性語根(複数形)=中性語根(複数形) 

だというのに、「reĝoを男性名詞と理解していても」と、「男性」を前提としていうから間違いなんだよ。
複数になったときに、両性を表すから「中性」なのに、初めから「男性」だとはいえないでしょう?
もう、わかったら、おしまい。
195名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/01(水) 10:19:26.16 0
ついでに、なぜ、「無駄な分類」かというと(説明しておかないとまた汚い口角の泡が飛んできそうなので)、

>しかし単語の意味が「〜の男性」という意味を表す物が存在し、それをエスペラントでは「男性語根」と呼ぶ。

などという理解をしているせいで、
「元々中性と男性の両方の意味を含んでいる」というものが、他にも際限なく出てきてしまうということ。たとえば、

patroは「親の男性」
knaboは「子供の男性」
reĝoは「君主の男性」
studentoは「学生の男性」(としてみられていた。なぜなら、民族語にstudentinoを表す語があった)
flegistoは「看護師の男性」(としてみられていた。同様)

という論理だと、「学生」、「看護師」、さらには、お前が薦める「君主」にならって、
「親」「子供」も中性の意味でいいんじゃないか、となるということ(それの好き嫌いは別にして)。

そうではなく、エスペラントのもともとの発想における、いわゆる、firme virajの語というのは、

「父」
「王」(たとえばkingに女王は絶対に含まれない。)
「雄牛」
「去勢鶏」

という、男に特有なものであって、何か中間のもの「〜の男性」ではない。(その中に、妻や女版をあらわせるものもあるというだけのこと)
196名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/01(水) 11:15:32.06 0
>その結果inoが妻を表す意味を温存している(男性名詞的意味)
今では、私の理論の完璧な信者になったなw

しかし、昔お前が
>imperiestrinoが・・・理論的に言えば正確な用法ではないが、西洋人の言語感覚としては十分にありうる。
といっていたように、たとえばWikiwörterbuchでは、
  imperiestrino: die Kaiserin (女皇,皇后ね)

としているだけで、皇后の意味も持つように取られるし、
お前の好きなvikipedioでも
  imperiestrino Michiko (Vidu la paĝon de Naruhito)
  Imperiestrino Kujō Asako (Komei)
  Imperiestrino Takatsukasa Tsunako, Imperiestrino Takatsukasa Yasuko (Ninko)

などなど、たくさん使われているね。
女帝の意味も含むdie Kaiserinでの説明はいいとして、
imperiestrino Michiko
とするのは、それこそまたお前が週刊誌の話を持ちだすんじゃないかと思うがね。
197名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/01(水) 12:02:30.61 0
Carlos ⇒ Caroline
Joseph ⇒ Josephine
Wilhelm ⇒ Wilhelmina

みたいな男名前から女名前を作るときの -ineとか-inaとかの接尾語と
同類なのか?
198名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/01(水) 12:15:47.42 0
メアリー/マリアや、ヨハンナ/ジョアンナの名前を持つ人が、
エスペラントで名乗るとき、
mario
johano
とすると、男性名と合致するので、

maria 
johana
とするのが多いが、語尾が規則違反である、

したがって、
marino
johanino
と名乗ることもある。
199名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/01(水) 17:24:29.20 0
エスペラントって名前まで訳さんならんの?
200名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/01(水) 18:42:55.12 0
そうだよ。
たとえば、
けんた Kenta
は、エスペラントの感覚では女名っぽいので、
Kento (ケント)
とするといいし、

ゆうこ juko
は、逆に男名っぽいかもしれないので、
juka (ユウカ)
とするか、
jukino (ユキノ)
と名乗るとよい。
201名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/01(水) 19:10:03.67 0
なんちゅう野蛮言語。
そんなことだから、国際語なんていうお題目が100年以上たっても実現できないわけだわ
202名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/01(水) 19:12:09.46 0
ごめん、>>200は冗談なw
まあ、遠かれ少なかれ当たってはいると思うがw
203名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/01(水) 20:28:20.63 0
マジレスするとユーロ圏のメジャーな名前はエスペラント化されてて
Viktoro(ヴィクトーロ:ヴィクター)とかNikolao(ニコラーオ:ニコライ)など多数ある
エスペラントの名詞の語尾は-oで終わらなければならないという決まりがあるので女性名も-oで終わり、
これもAlico(アリーツォ:アリス)やMoniko(モニーコ:モニカ)などがある
ただし聖母マリアだけは特別なのか、マリアという名前だけは例外的にMario(マリーオ)とは別にMaria(マリーア)という-aで終わる形がある
長々と語ったが、本題について答えると特別にエスペラント名を付けられた、もしくは自分で付けた人以外は普通に母語通りの名前を使えばおk
204名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/01(水) 20:38:33.49 0
個人の自由ですが名前の意味を反映するのも面白いですよ。
205名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/02(木) 00:22:45.09 0
>>203
聖母マリオでいいじゃん。任天堂っぽいけれど。
206名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/02(木) 10:13:54.24 0
>>203
>聖母マリアだけは特別なのか
そうじゃないって。

>>198で、男性名(Mario)と一致するからだっていってんじゃん。
Maria以外にも、ジョアンヌだってJohanoの男名にならないようにJohanaにすることもあるっていってんじゃん。
素人が「マジレス」すると、これだから困るw
207名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/02(木) 10:46:13.79 0
MariaoとかJohanaoとかにしないの?
208名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/02(木) 11:13:17.05 0
しない。
被爆者もヒバクシャオ じゃない。
209名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/02(木) 12:57:47.60 0
そこでなんで被爆者?
210名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/02(木) 12:59:31.96 0
じゃあ、
アジアもアジアオ じゃない。
211名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/02(木) 13:08:30.70 0
>>209
フグスーマ ケンミーノ
212名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/02(木) 13:12:28.51 0
固有名詞すらそのまま移入できないとか、どんだけ欠陥仕様なんだよ。
213名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/02(木) 13:24:58.39 0
まあ、それは西洋民族語だとよくあることだからな。
にしても名詞は-oじゃなくて、任意で終わる、だったらよかったな。

名詞はうるさいくせに、副詞語尾をすべて-eに統一していないことの方が問題なんだよね。
214名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/02(木) 13:33:41.63 0
>>213
名詞が明確でなくなるとしんどいぞ。
意味は辞書を使えばわかることですけど、品詞が変えられてしまうと文法が破綻して、難しい言語になる。
215名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/02(木) 13:43:13.57 0
「(スコットランド人の)ショーンは、(フランス人の)ジョアンヌが好きだ。」
を伝統的に書くと、

Johano amas Johanan.

となり、わかりづらいし、気持ち悪いけど、
対格用前置詞 na (neologismo) を利用すれば、

Sean amas na Joanne.

と、名前を-oに変えなくても、親につけられた名前で気持ちよく書ける。
216名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/02(木) 14:02:22.58 0
>>213
近代語ではねえよ。
精々中世までだろ。
西欧とは言い難いけれど、性・格で語尾がカッチリ決まってる、ロシア語なんかでも、
名前だの外来語だのは、それ自体の語尾は不規則にってでもそのまま入れてるでよ。
217名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/02(木) 14:03:21.70 0
>>215
どこにスコットランド人とかフランス人とかいう含みがそのエスペラント文に入ってるの?
218名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/02(木) 14:08:34.29 0
>>216
現代イタリア語

tatamo 畳 (複数形がtatami)
chimoni chimono(着物)の複数形
Cunamis 津波


>>217
質問の意味わからん。どっちのエスペラント文?
219名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/02(木) 19:17:10.05 0
Johano amas Johanan.
とか
Sean amas na Joanne.
とか

どの部分にスコットランド人とかフランス人とかいう意味が入ってるの?
220名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/02(木) 19:21:02.86 0
完全組み込みの一次詞なら仕方ない
ショーンさんがイングランド人で、ジョアンヌさんがベルギー人のときには、どんなふうになる?
221名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/02(木) 20:04:10.82 0
ただ単に、ショーンならスコティッシュ系だろうし、ジョアンヌならフランス系だろうといっているだけの話で、問題はつけられた名前をエスペラントで維持するかどうかという話。
国籍がベルギー人だろうとなんだろうと(とりわけベルギー語・ベルギー民族っていないわけだし)、どういう名前をつけようと親の自由だろ。
で、仮にイングリッシュ系のJohnと、フラマン系のJokeという「名前」ならば、

John amas na Joke.
[発音:ジョーン アーマス ナ ヨーク]

でいいだろという話。本人が、それぞれエスペラント風にJohano, Johanaと呼んでほしいというのならそう呼んでやればいい。
222名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/02(木) 21:17:55.36 0
>>221
それこそ、スコットランド民族なんてものもいないんだけれど?
スコットランド語はあるよ。でも、位置づけは、英語のスコットランド訛だし。
スコッティッシュ系もそうだよ。スコットランドのヤツはすこっティッシュだけれど、人種はアングロ人と、ゲール人。
数が多いのはアングロ人でイングランド人と同系。
223名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/02(木) 22:50:51.11 0
割り込み失礼
>>193
>べたぼめだったのに、今は、悪あがきの自己主張のために「BWは決断を避け、責任逃れなずるい方法」とけなしまくっているな。
PMEGは優れた書物だが、曖昧な点はあるのだ。
お前はおそらく、ザメンホフは天才だから決して過ちは無いと信じてるくちだろうな。
ザメンホフにも非論理的なソースはある、PMEGにも分析不十分な点もある。それは当り前の事なのだ。
物事を丸ごと信じるか貶すか、そのどちらかしかできないのは愚かしい事。そういう短絡的な思考形式からは早く卒業した方が良い。

>>194
>複数になったときに、両性を表すから「中性」なのに、初めから「男性」だとはいえないでしょう?
そういう理解だとreĝoの特異性が理解しきれないだろう。
reĝojは中性的に使われるが、gereĝojは男女複数の国王というより国王夫妻の意味で使われる方が多いし、
reĝinoは女王(王の役割をする女)以外に、王妃(王の妻)の意味もある。
そのため完全な中性にはなれないのだ。reĝoはstudentoとは違うのだ。
お前はreĝoが中性だと定義したいのだろうが、また本来ならそうあるべきだったのだが
エスペラントが西洋語の慣習をこの部分では根強く残し、今後も残しそうであるから、BWは「永遠の男性」と呼んだのだ。
お前はエスペラントを盲目的に信奉するあまり、一部に残る非論理性を無視したがっている。
エスペラントは西洋語を論理的に整理して作られてたが、西洋語の非論理性を残してる個所もあるのだ。
エスペラントに過剰な期待を抱いてエスペラントは西洋語と幻滅したり
逆に言語として不自然な論理性を持ち込もうとするのは、両方とも誤った考え方だと思う。
エスペラントの男性語根と中性語根の間には、白黒付けられない中間が存在する。
誉めるか貶すか白か黒か以外の判断基準を持てないお前には許しがたい事だろうが、現実はそうだと思う。
224名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/02(木) 22:53:57.00 0
>>195
>「元々中性と男性の両方の意味を含んでいる」というものが、他にも際限なく出てきてしまうということ。たとえば、
そんな不安なら幻だから安心しろw
その点はエスペラントの歴史の中で既に方向性が決まったから、もはや「際限なく」は出てこないよ。
昔は男性しかいなかった職業の場合、あたかも男性語根のように認識されていたのは事実だろう。
また男女いる職業でも、西洋語の影響に疑問を感じなかった時代は、その単語の意味自体は男女差無いにも関わらず
無標男性、ino女性として使用していたユーザーも多かったのだろう。
現代は男女平等思想の影響で、職業に男女差を付けたくない風潮が高まり、エスペラントでもそれが求められた。
元々意味としては男女差が無かった名詞は、エスペラントに文法性が無かったのが幸いし、無標がどんどん中性化する事が可能だった。
昔のユーザーの概念の中では「中性と男性の両方の意味を含んで」いたものが、時代の流れで中性化の方向に統一されたと言える。
しかし、「〜な男性」という意味を持つ単語は中性化できず、それが現代に残る完全な男性語根である。

>「親」「子供」も中性の意味でいいんじゃないか、となるということ(それの好き嫌いは別にして)。
ほとんどの人間名詞が中性化に向かう現代の風潮では、昔と違って「何が何故男性語根なのか」とはっきりさせる必要がある。
無標男性、ino女性で許された昔ではそういう研究は必要のなかっただろう。
「人間なら男女関係なくできる役割」という意味ならば、何でも中性化できる。なぜなら「たまたま」昔はそれを男しかやってなかっただけだから。
しかし意味が「男女関係ある」名詞の場合、理論的にも中性化できない。中性化したら意味そのものが変わってしまう。
女は現代でも男、父、夫にはなれない。それが男性語根。「昔、『父』は男しかいなかったが、今は女の可能性もある」とは言えないのだ。
その違いを認識する必要がある。
225名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/02(木) 23:00:00.78 0
つづき
>「王」(たとえばkingに女王は絶対に含まれない。)
kingとreĝoは違う。

>「雄牛」
>「去勢鶏」
>という、男に特有なものであって、何か中間のもの「〜の男性」ではない。
上記を言葉で定義すると「オスの性別の〜」となり、人間で言う「〜の男性」と全く変わらない。
宦官を定義したら「〜の男性」であろう。
エスペラントには他にも「修道士」など、「〜の男性」と定義させる単語があり、
それは今のところ「男性語根」と理解しなければならない。異性無しで修行するのは男女関係なくできるのだが。
そのあたりはエスペラントの慣習(西洋語由来)なのだ。

>>196
>今では、私の理論の完璧な信者になったなw
お前はいまだ「理論」など表明してないはずだが、「女性名詞が妻の意味」の自由研究はよくできてたよwww
褒めたんだからもう満足しろ
226名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/02(木) 23:57:53.55 0
まだ長文荒らしがいるのか
227名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/03(金) 04:16:44.59 0
これって どうよ?

【教育】東大、語学エリート育成…学部横断コース新設へ [12/07/08]
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/bizplus/1342261279/89
89 名前:名刺は切らしておりまして 投稿日:2012/07/26(木) 07:13:40.86 ID:RQeLkB5b
反対概念を全部mal-の接頭辞で作るとかバカなルールのせいで
一つの単語の中に否定概念がいくつも複合的に入ってる術語が作れないとか
もう何十年も昔から指摘されてて、自然科学分野の人間からはエスペラントなんて総スカン食ってるんだけどね。
228名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/03(金) 05:15:50.49 0
229名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/03(金) 08:44:16.31 0
>>222
何に文句つけたいの?
ちょうどいい説明があったよ 
「ショーン Sean (スコットランド語)」
http://rossia.web.fc2.com/rossia/fio/inostranny.html

スコットランドにはスコットランド語があるでしょってこと。ショーンはそこから来たのは確かなの。
「スコットランド人」なんて訳し方の問題だよ。政治的に「方言」と呼ぼうと「言語」と呼ぼうと、それを持つ集団がいる。
だからスコットランド民族党(国民党)だってある。
沖縄県民とか、沖縄人とか、琉球民族のようなもんだよ。細かいことをいえばもちろん違いはあるけど今は問題じゃない。

一方、「ベルギー人」というのは、
「カナダ人」とかと同じようなもので、国家とのつながりなの。英語とかフランス語はあるけど、カナダ語ってないだろ?

だから、ベルギー語があると思ってたのがばれて恥ずかしかったのかもしれないが、
ベルギー人だったらどう?というのは、言語の上では、まったく無意味な質問って話。
230名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/03(金) 09:18:54.88 0
>>223
>お前はおそらく、ザメンホフは天才だから決して過ちは無いと信じてるくちだろうな。
いやいや kokoをずっと批判していたのは私だがw

>物事を丸ごと信じるか貶すか、そのどちらかしかできないのは愚かしい事。そういう短絡的な思考形式からは早く卒業した方が良い。
「PMEGを読むといい 初学者が騒ぎたてる程度の問題はとっくに解決されている 」とかいってたからだよ。されていなかったねw

>お前はreĝoが中性だと定義したいのだろうが、また本来ならそうあるべきだったのだが
私はそうは思わんけどね、reĝoに女王が入っていたらやはり気持ち悪い。

>現実はそうだと思う。
思うのは勝手だから私も文句はいわない。
231名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/03(金) 09:19:37.09 0
>>224-225
>昔は男性しかいなかった職業の場合、あたかも男性語根のように認識されていたのは事実だろう。
そう。エスペラントはそう作られた。現在、たまたま女性語根をはずして中性っぽく偽ることはできても、もともとそういう発想だったということ。
いくら「ザメンホフは天才だから決して過ちは無い」といっても、20、21世紀の男女平等まで視野に入れて作られていたとことは証明はできないねw

>女は現代でも男、父、夫にはなれない。
じゃあ、なぜ、virinoと呼ぶかだよ。vir-の意味は何だ?「成人の男性」を指していて、それの女性版と見るのが、もともとの発想でしょう。
また、確かに、母は絶対に父にはなれないよ。でも、女性学生だって、絶対に男性学生にもなれるわけじゃない。
看護婦はスカートもズボンも選べるけれど、男性の看護師は絶対ズボンなんだよ。
だけど、言葉の上では区別せず、「学生」・「看護師」とすることにしよう!となっているわけでしょう?

同様に、区別せず「親」と呼ぶことにしようという主張が出てくるのは、
ご父兄→お父さんお母さん→お家の方、という民族語にも見られるとおり、今の時代、エスペラントにだって十分ありうるだろうということです。

>その違いを認識する必要がある。
したがって、その根本的な「違い」はない。

>「女性名詞が妻の意味」の自由研究
PMEGの分類を正当化するならば、という仮説にすぎない。しかし、実際、綻びがでているreĝo/imperiestro(中性男性どちらもinoで妻になりうる)のだから、褒められたところで満足はできないwwwが気分は悪くない。
まあ、有耶無耶にされた感は残るが。
232名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/03(金) 12:27:00.00 0
>>230
>>いやいや kokoをずっと批判していたのは私だがw
そうか? ザメンホフがkokoを雄鶏で使用していたから雄鶏だ、と言ってなかったか?
そもそもお前が何をどう「批判」してるか全くはっきりしない。他人の完璧な「主張」にケチつけて遊んでるだけだろう。

>「PMEGを読むといい 初学者が騒ぎたてる程度の問題はとっくに解決されている 」とかいってたからだよ。
「初心者騒ぎ立てる程度の」問題は解決済み。上級者によるさらなる検証が求められる課題は残る。その違いを知れ。

>私はそうは思わんけどね、reĝoに女王が入っていたらやはり気持ち悪い。
それはお前の思い込み。女にreĝoが使われる例もある。
お前がいくら気持ち悪がってもザメンホフ例でさえあるのだから仕方ない。

>>231
>エスペラントはそう作られた。現在、たまたま女性語根をはずして中性っぽく偽ることはできても、もともとそういう発想だったということ。
その理解は間違い。文法性が無いという発想は重要。そのため可能なものは全て中性化という結果になった。

>いくら「ザメンホフは天才だから決して過ちは無い」といっても、20、21世紀の男女平等まで視野に入れて作られていたとことは証明はできないねw
そんな証明は必要ないし議論自体無意味。
たまたま上手く適応できる設計だった。そして実際上手く適応できてる点が重要。

>じゃあ、なぜ、virinoと呼ぶかだよ。vir-の意味は何だ?「成人の男性」を指していて、それの女性版と見るのが、もともとの発想でしょう。
元々は、「男性を意味する語根にinoを付けてその対応する女性を意味させる」という設計思想があった。
それを昔は時代の影響で、中性的な意味の語にまで応用していた。
現代では中性的な意味の語は中性化したため、本来的に男性性を意味する男性語根と区別する必要が生じ、
それら男性語根に対しては、元々の設計思想が忠実に反映され続ける。
233名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/03(金) 12:27:49.32 0
つづき
>また、確かに、母は絶対に父にはなれないよ。でも、女性学生だって、絶対に男性学生にもなれるわけじゃない。
>看護婦はスカートもズボンも選べるけれど、男性の看護師は絶対ズボンなんだよ。
ああ、こんな愚かな反論しかできないのか。具体的な性別ではないよ。「言葉の定義」を考えろ。
学生とは? 大学などで学ぶ人間。 中身が男だろうが女だろうが関係ない。
看護師とは? 格好など関係ない。病人の看護をする人間。
しかし「父」は、生殖の機能上母と異なるため、言葉の定義としても男女の違いが絶対的に存在する。 

>だけど、言葉の上では区別せず、「学生」・「看護師」とすることにしよう!となっているわけでしょう?
当り前だ。「言葉の定義」なのだから。

>ご父兄→お父さんお母さん→お家の方、という民族語にも見られるとおり、今の時代、エスペラントにだって十分ありうるだろうということです。
エスペラントではpatroは既に父(男)と言葉の定義で決まっているから、そういう語が必要ならgepatroなり何なり他に求めなければならない。

>したがって、その根本的な「違い」はない。
あるんだよ。言葉の定義で。

>実際、綻びがでているreĝo/imperiestro(中性男性どちらもinoで妻になりうる)
それを「綻び」としか見れない点が短絡的発想なのだ。
言葉は常に白黒で割り切れない例外性を持つ。
人工語エスペラントといえど、西洋語の影響が非常に強い性格のため、民族語のような割り切れなさも有している。
エスペラントに高望み(例外の一切ない人工語)もせず、過小評価(完全な西洋語で非論理的)もせず
良い面も悪い面も理解して使用するのがエスペラントとつき合う賢い方法だ。
物事を白黒でしか見れない偏狭なお前がこの域に到達すには先が長そうだ。
234名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/03(金) 12:48:53.57 0
>>232>>233
>そんな証明は必要ないし議論自体無意味。
「エスペラントの-inoの使い方は当時としては発展的だったろうと思う。」
とか
「社会的な常識を覆すほどに機械的で 有る意味非常に男女平等だと思う。」
とか大絶賛していたんだから、今更「議論自体無意味」で片付けるのはずるいねw
まあ、今は「たまたま上手く適応できる設計だった」といっているから、もう忘れてやるとするかw

>「父」は、生殖の機能上母と異なるため
あれれ?「ペア論」wでは、
「子を持つ配偶者ペア」の男だとかいってましたよ?w

で、ペア論なら、
>学生とは? 大学などで学ぶ人間。 中身が男だろうが女だろうが関係ない。
>看護師とは? 格好など関係ない。病人の看護をする人間。

と同様に、

親とは? 子を持つ配偶者ペア。男だろうが女だろうが関係ない。子供の世話をする人間。

になりますね?wあなたこそ、よくこんなんで「他人の完璧な「主張」」などといえますねw

>それを「綻び」としか見れない点が短絡的発想なのだ。
そんなほめてくれなくても。
私は自分の仮説には、「例外」「綻び」があるから、まだ確信にはいたっていない、と謙遜して書いているのにw
私は都合が悪くなったからといって、民族語のように「例外」で片付けることはできるだけしたくないという人間なので、あなたのような「域に到達す」ことは永遠にないと思いますねw
235名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/03(金) 19:31:44.60 0
>>227
>反対概念を全部mal-の接頭辞で作るとかバカなルールのせいで
全部ではなく、むしろ気分次第でやってるからバカなんだよな。

  右 dekstra - 左 maldekstra (liva)
だけど、

  上 supre - 下 sub (malsupre, infre)
下は sub のほうが良く使われる。

  北 norda - 南 suda
  東 orienta (eosto) - 西 okcidenta (uesto)
の方角にも使われないばかりか、余計な新語までも覚えなければならない。
結局エスペラントができる人は、英語もできる人である。
「学校で習った英語はできなかったけど、エスペラントは簡単」は嘘で、

「英語は思想的に嫌いだったけど、その知識があるおかげでエスペラントは簡単」
236名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/03(金) 19:36:20.41 0
方角は普通にmal使うよ。
韓国をmalnordkoreioって表記するといちゃもんつけてくる人もいるが
単純に南をmalnordoと表記していちゃもん付けられたことは無い。
237名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/03(金) 19:39:18.11 0
>>235
英語ができるならモノリンガルスレじゃなくて英語板に行けよ
238名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/03(金) 19:42:44.16 0
>>236
それは面白いな。malに否定的なニュアンスを持っているからだろうか。

でも結局、Sudkoreio といわなければならないのだったら、
sud-語根も知らなければならないということで、記憶量の節約にはなっていないし、
知っている以上、わざわざ、他の部分でmalnordoと音節を増やして使用する意味はない。

>>237
じゃあ、お前は英語ができなくても、エスペラントができる証明をしろよ。
あ、エスペラントもできないからモノリンガルか
239名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/03(金) 19:57:11.93 0
単語を覚えるのか?
さすが英語ができる天才だな
240名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/03(金) 20:29:23.15 0
歩くウィクショナリーと命名しよう。
241名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/03(金) 21:12:21.36 0
242名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/04(土) 06:17:00.75 0
>>238
mal に否定的なニュアンスは無かろう。単に反意語を造るというだけ。

malnordkoreio は mal-nordkoreio と解釈されかねんからマズいんであって、
malnord-koreio とでもすれば解決する。
Vikipedio では Sud-koreio/koreujo や Korea Respubliko を採用してるな。
243名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/04(土) 07:57:25.75 0
>>239
モノリンガルの人とはこのように、日本語でさえもコミュニケーションをとりかねてしまう。

>>241
>>228



>>242
>mal に否定的なニュアンスは無かろう。
理論的にはそうだし、あるとはいっていない。

>>238で韓国人エスペランチストが、
>malに否定的なニュアンスを持っているからだろうか。
と考えられるといっただけ。

>mal-nordkoreio と解釈されかねんからマズいんであって、
そして彼等がいっているのはそういう文法的にまずいからではないでしょう。
何しろKoreaの綴りだと、Coreaのときよりずっと(というかJapanより)後になるのが気に食わないとかいっている人たちですから。
「反北」とされるのが嫌なだけでしょう。
244名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/04(土) 20:17:39.74 0
>>234
そろそろこの議論も終結だな。過去の話の繰り返しで発展性が全くなう飽き飽きする。
だがしつこい揚げ足取りには一応反論w
>「エスペラントの-inoの使い方は当時としては発展的だったろうと思う。」
男女区別が当然であった当時において、全ての人間名詞において女性に-inoを義務付けなかった点は「発展的」だ。
>「社会的な常識を覆すほどに機械的で 有る意味非常に男女平等だと思う。」
機械的な点。
1)父と母が同語根・・一部の言語ではありえても、当時の西洋人の「常識」であった言語では見られない
2)「やもめ」=女性形のラテン語から。「男やもめ」はラテン語では「シングル」の意味の単語。
つまり、元々この単語は「女性」として発生した。スペイン語では男女やもめは語尾のo/aで区別されるが、
スペイン語のような対等的な形状を持つ文法性を持たないエスペラントで男性語根とした点は機械的。
3)「めかけ」=konkub/inoはラテン語concubin(側室)から来ている。
ReVoでもkonkubin/oで登録されているとおり元々は女性語根であったのだろうが、類推で男性語根とされる点が機械的。

>まあ、今は「たまたま上手く適応できる設計だった」といっているから、もう忘れてやるとするかw
ザメンホフがどこまで未来を予測していたかなど、無意味な議論である。
ただザメンホフの設計が成功し、現代に適応できてるのは真実である。

>>「父」は、生殖の機能上母と異なるため
>あれれ?「ペア論」wでは、
>「子を持つ配偶者ペア」の男だとかいってましたよ?w
私の「ペア理論」は、「なぜ中性語根と区別される男性語根が作られたか」を説明するための新理論。
一般に流布してる見解でも「なぜ父は男性語根なのか」という説明は可能。ここでは従来の方法で説明したまで。
ペア理論は「父はこういう意味だから男性」という説明を超え、「なぜ男性語根は男性語根なのか」という理論である。
お前にはこの区別は難しいだろうがw
245名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/04(土) 20:20:59.80 0
つづき
>親とは? 子を持つ配偶者ペア。男だろうが女だろうが関係ない。子供の世話をする人間。
お前は「ペア理論」を理解していない。
「子を持つ配偶者ペア」は必ず男女の概念が対照的に存在する、その認識が「ペア理論」である。
学生や看護師は、概念的な対称性はない。昔は男のみ、女のみ、であった点が対称性のなさを証明している。

>になりますね?wあなたこそ、よくこんなんで「他人の完璧な「主張」」などといえますねw
まず他人の理論を理解しようとしてくれw

>私は自分の仮説には、「例外」「綻び」があるから、まだ確信にはいたっていない、と謙遜して書いているのにw
謙遜は自分だけにしてくれ。他人の完璧な理論を歪めて理解した振りをふるのは謙遜ではないぞ。

>民族語のように「例外」で片付けることはできるだけしたくないという人間なので、
人工語エスペラントにも例外や不規則部分はあるんだがw まあそういう思い込みも青い初心者らしくていいよw
246名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/05(日) 10:09:33.24 0
>>244
議論も終結なら、取られる揚げ足を残したことは潔くあきらめるんだなw
最後まで書いたほうが勝ちとか思ってない?w

>男女区別が当然であった当時において、全ての人間名詞において女性に-inoを義務付けなかった点は「発展的」だ。
意味がわからない。

 patro - patrino
 bovo - bovino
 koko - kokino
 studento - studentino
 amiko - amikino

このように、「女性形には-inoをつける」
という単純なルールを作っただけで、そこに、中性だと男性だのと明確な区別をつけていなかったから、今でもこうやって意見が割れているんだよ。現実を見なさい。

>1)父と母が同語根・・一部の言語ではありえても、当時の西洋人の「常識」であった言語では見られない
一部の言語ね、アラビア語を知らなかったからねw
でも、無知にもほどがあるから、もう一つとどめを刺すと、
 patron - patroness
と、あなたが少し知っているはずの英語にだってあるんだよ。もともとの意味は「保護者」ねw
ご教祖様が、ゼロからすべてを作り出したわけじゃなく、ザメンホフは、使えそうなものを民族語から利用して、まとめただけなんだよw

>スペイン語では男女やもめは語尾のo/aで区別される
そう、状況的に、同じ語源から男女区別(エスペラントでは、inoにしようというルールを作って)をしたらよいのだ、というヒントは西洋民族語から十分得られたのでは?

>元々は女性語根であったのだろうが、類推で男性語根とされる点が機械的。
konkubinoは、たまたま語源にも-inがついていたから男性語根もはずすだけで作れるけど、
たとえば、同じような意味のhetajroという語だと、語根にinがないから、女性語根のまま男性形にはできないといいましたね?何度いえばわかりますか?
247名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/05(日) 10:16:42.60 0
>>245
>「子を持つ配偶者ペア」は必ず男女の概念が対照的に存在する、その認識が「ペア理論」である。
「子供」だって、必ず男の子と女の子がいるが、間の「子供」という中性語があるし、
「牛」だって、必ず雄牛と牝牛がいるが、雄牛を以って中性にするか、男性にするか意見がわかれている。
「兄弟姉妹」同士では結婚しないし、片方の性しかいない家庭も多いけど、ペアか?
その基準でいうなら、昔は男子学生しかいなかったけど、本来「ペア」なのだといっているのとまったく変わらないわけ。
何が新理論だよ。チラシ裏に書いとけ。

>他人の完璧な理論を歪めて理解した振りをふるのは謙遜ではないぞ。
ino=妻、女で、男中分水嶺
は俺の理論だろ?いよいよ、他人のものまで自分がウリジナルだとか言い出すのか?

>まあそういう思い込みも青い初心者らしくていいよw
かまってほしくて初心者呼ばわりしているんだろうけど、
>>232
>>「PMEGを読むといい 初学者が騒ぎたてる程度の問題はとっくに解決されている 」とかいってたからだよ。
>「初心者騒ぎ立てる程度の」問題は解決済み。上級者によるさらなる検証が求められる課題は残る。その違いを知れ。
などと、「あなたは上級者の問題を指摘していたのに、俺は初心者問題は解決しているという意味でいってたよ、ごめんね」と鼻水垂らして謝罪していたのは誰かな?w
248名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/05(日) 11:01:26.57 0
で、私の
「ino=妻、女で、男中分水嶺」仮説とは、

総合スレ
 419 : 名無し象は鼻がウナギだ! : 2012/07/08(日) 11:24:34.88 0
で、私が1ヶ月近く前に立てていたものでもう一度いうと、

「PMEGで男性語根に分類していると考えられる」:

 ・家族
 ・男性語根+inoで「妻」の意味を表せる職業
 ・結婚しない職業


ただし、これで収まらないのは以下の例など。

  rabeno: 妻帯職業だが、女性形は「妻」ではない。→将来中性になるかという推測はできる。
  imamo: 同上
  imperiestro: 中性であるものの女性形は「妻」として使われる可能性あり。
  prezidanto: 同上。
  reĝo: 中性語根としている例もある。
  amiko: 男性語根としている例もある。
  bovo: 同上
  koko: 同上

以上。
後に出てきた「★これならわかる男性語根@AB」や「ペア論」はこれの亜流にすぎないことがわかる。
249名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/05(日) 15:37:51.30 0
>>246
>>最後まで書いたほうが勝ちとか思ってない?w
無意味な言いかがりで相手を面倒がらせ、お前の相手するのを相手が放棄したら自分の勝ちだ、とお前は思っているのだろう。

>という単純なルールを作っただけで、そこに、中性だと男性だのと明確な区別をつけていなかったから、今でもこうやって意見が割れているんだよ。現実を見なさい。
ルールが単純で細かすぎるルールが無かったからこそ、昔の価値観にも現代の価値観にも双方に対応できたのだ。現実を見なさい。

>ご教祖様が、ゼロからすべてを作り出したわけじゃなく、ザメンホフは、使えそうなものを民族語から利用して、まとめただけなんだよw
そういう見解なら私も前から言っている。
>そう、状況的に、同じ語源から男女区別(エスペラントでは、inoにしようというルールを作って)をしたらよいのだ、というヒントは西洋民族語から十分得られたのでは?
エスペラントは西洋語を基板にそれを整備して作られた、と私は前から書いている。

>たとえば、同じような意味のhetajroという語だと、語根にinがないから、女性語根のまま男性形にはできないといいましたね?何度いえばわかりますか?
inoで終わらないのだから、そのものを女性名詞と理解しなければならなのは当たり前だ。
エスペラントの基本単語はザメンホフがきちんと整備したが、その他諸々の単語は民族語をそのまま取り入れてるのだ。
250名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/05(日) 15:39:30.52 0
つづき
>>247
>「子供」だって、必ず男の子と女の子がいるが、間の「子供」という中性語があるし、
infanoはまだ男、女という性別で見る事はできないから中性である。
ザメンホフに幼児を女として見る性癖が無くて良かった。
idoは生物以外にも使える汎用的な接尾辞。
>「牛」だって、必ず雄牛と牝牛がいるが、雄牛を以って中性にするか、男性にするか意見がわかれている。
正統派の中では割れてない。bovoなど種そのものを表す動物語根は中性語根と決まっている。
ただ民族語の影響でkokoやbovoをオスの意味で使ってる場合もあるかもしれないが、それは文脈上で理解すべき事柄で
koko,bovoという単語がオスだけを表すのではない。

>「兄弟姉妹」同士では結婚しないし、片方の性しかいない家庭も多いけど、ペアか?
「概念的なペア」と考えてほしい。お前は常に物事を具体的にしかイメージできない。それで苦労している。
日本語でも兄/姉、弟/妹という概念的なペアがあるのと同じ。

>その基準でいうなら、昔は男子学生しかいなかったけど、本来「ペア」なのだといっているのとまったく変わらないわけ。
「学生」という単語の意味には、男女の定義は含まれていないから「ペア」ではない。

頭が固い人間の相手をするのは相当疲れるが、疲れてやめたらお前の思う壺w
251名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/05(日) 15:42:52.09 0
つづき
>ino=妻、女で、男中分水嶺
>は俺の理論だろ?
お前の理論は男性語根の全てのinoが「妻または妻になれない????(理解不能)」だが
私の理論では、男性語根Bというの例外的な物のみinoが妻を表すが、基本inoは妻ではない、というもの。
一緒にするな。

>いよいよ、他人のものまで自分がウリジナルだとか言い出すのか?
はあ?まさかまさかだが「他人」とはお前の事か?
ReVo PIVを読め。reĝinoやgrafinoには、その地位を持つ本人と、その地位を持つ男の妻の二つの意味があるとちゃんと書いてある。
お前の発見ではない。

>>248
>「ino=妻、女で、男中分水嶺」仮説とは、
> ・家族
> ・男性語根+inoで「妻」の意味を表せる職業
> ・結婚しない職業
謙虚に「仮説」と来たか。だがこの「仮説」は非常に分かりづらく、エスペラントの理解にも全く役立たないのが欠点。
inoで妻を表せる職業って何?結婚しない職業って? そんなの時代や地域で変わるし言ってる意味が漠然としすぎ。
viro,sinjoro,knaboは職業? 

>ただし、これで収まらないのは以下の例など。
超わろたーーーーお前あれほど「例外」を嫌っていたのに
俺の男性語根B以上に漠然とした「例外」を認めすぎwww

色々考えるのはいいが、コツとしては個々の事例になるべく囚われないようにするといい。
仮に例外が存在しても、なぜその例外グループはそういう性質を持つのか、理論的根拠を考える(見本:男性語根B)
また、なぜある中性語根がある時は男性語根のように使われるのか、それも理論で説明できる(対比の原理)
でないと「あれも例外、これも例外」wwww
252名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/05(日) 16:48:05.97 0
>>249-251
>現代の価値観にも双方に対応できた
対応できていない。現在の価値観で、男性→中性化した場合、もともと中性語根があるものはダブってしまい、矛盾が生じていることを無視するなというの。

>エスペラントは西洋語を基板にそれを整備して作られた、と私は前から書いている。
いや、あんたは、西洋の「社会的な常識を覆すほどに機械的で 有る意味非常に男女平等」とか恥ずかしいことをいっていたんですよ。

>エスペラントの基本単語はザメンホフがきちんと整備したが、その他諸々の単語は民族語をそのまま取り入れてるのだ。
ザメンホフがkonkubo-konkubinoはきちんと使っていたけど、hetajnoは民族語なので使わなかったという事実は知らないのでなんとも言えない。

>infanoはまだ男、女という性別で見る事はできないから中性である。
じゃあ、homoはまだ男、女という性別で見る事はできないの?w
pastoroも男、女という性別で見る事はできない?w
男子学生服とセーラー服の区別はできても「男子学生のstudento」にしましょうと、一応統一することにきめただけ。
でもいまだにstudento kaj studentinoはいえるという一貫性・強制性もまったくないPMEGの理想だけど。
253名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/05(日) 16:50:00.52 0
つづき
>正統派の中では割れてない。
だから、そういう断言キリッはやめろや。
だれが正統派なんだという議論。実際、PMEGにだって、文句あるんだろ?
ザメンホフにだって権威は求められないんだろ?他人に信者というくせに自分だって「ザメンホフ例でさえあるのだから仕方ない」などと権威を求めていたがな。
アカデミーオにだって批判はいくらでもある。
小さい世界なんだから、どれが正統派でどれが異端とかいうのは、やめたら?そうやって、誰を残したいの?Riismoだって、せっかくエスペラントやってくれてる貴重な存在なんだから、認めてあげろよ。

>日本語でも兄/姉、弟/妹という概念的なペアがあるのと同じ。
だから、それはお前が日本語の常識(か英語を少し)でしか想像していないから、

男いとこ/女いとこは、日本語でも英語(cousin)でもペアじゃない → けどPMEGで男性っていってる!「社会的な常識を覆すほどに機械的だ」!

みたいになるんだってばw

>俺の男性語根B以上に漠然とした「例外」を認めすぎwww
だから、お前は他人の文章を理解しなさすぎ。だから、その時点の仮説(後の「妻または妻になれない」であれば例外は消える)であって、
>それを「綻び」としか見れない点が短絡的発想なのだ。 言葉は常に白黒で割り切れない例外性を持つ。
と私の仮説を大絶賛していたから「謙遜」していたんじゃないか。
254名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/05(日) 21:39:23.68 0
>>251
>はあ?まさかまさかだが「他人」とはお前の事か?
>ReVo PIVを読め。reĝinoやgrafinoには、その地位を持つ本人と、その地位を持つ男の妻の二つの意味があるとちゃんと書いてある。
>お前の発見ではない。

・PMEGは「妻」の意味を説明せずに、男性語根をまとめた。
・他の辞書には、ある単語について、その地位を持つ男の妻の二つの意味があるとちゃんと書いてある

これらを結びつけて、「妻」の意味を持つものは男性語根になりうる、と推測したのは前スレにおける私が初めてのはずだが。

だって、それを聞いてからお前が、reĝinoやgrafinoの意味を調べたり、男性語根@〜Bだのと後出ししたんだろ?
悲しいけど、証拠があるから、それが事実なんだよ。
255名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/06(月) 11:03:21.68 0
★BWのFirme Viraj Radikoj/Vortoj (確実に男性である語根)とは何だったのでしょうか?

PMEGでは、男性語根に「明らかに男性」、「接尾辞 -ĉj- 」、「家族語根」、「上級身分」、「幾つかの宗教者」、「特殊な雄動物」をあげた後、
次の7語をFirme Virajと呼んで説明しました。

  patro, knabo, onklo, boko, viro, sinjoro, reĝo

なぜ、これらが「確実に」男性語根なのでしょうか。
>BWはreĝoをfirme virajに入れたのかもしれないが、分析面では足りないと思う。
で済まされるのでしょうか?
答えは、彼の母語やバックグラウンドの常識から推測することが可能です。それぞれ、原型男性形-女性形(-inoをつけたもの)を仮に英・仏・独と比べてみると、

  patro - patrino/ (英) father - mother [異語根]
  knabo - knabino/ (仏) garçon - fille [異]
  onklo - onklino/ (独) Onkel - Tante [異]
  boko [男性のみ]/ (英) buck [男性のみ]
  viro - virino/ (仏) homme - femme [異]
  sinjoro - sinjorino/ (独) Herr -Dame [異]
  reĝo - reĝino/ (英) king - queen [異]

と、男女でまったく語根が異なり、明らかに男性と女性が区別されているのです。※queenの古英語cwēn(女性、妻、女王)
256名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/06(月) 11:04:01.40 0
(つづき)
一方、中性語(BWがそう区別したもの)を見ると、

  amiko - amikino/ (独) Freund - Freundin [同語根]
  studento - studentino/ (仏) étudiant - étudiante [同]
  imperiestro - imperiestrino/ (英) emperor - empress [同]
  Japano - Japanino/ (仏) Japonais - Japonaise [同]

民族語で、もともと男女同語根(女性形は男性の派生)なのです。
しかし、PMEGを読んでいない人、読んでも理解しない人、または母語に影響されて賛成しない人がいるため、次のように使用される例もあります。

  (PMEGで中性)koko - kokino/ (露) петух - курица [ある民族語で異語根] → ザメンホフも「男性」として使用しました。
  (PMEGで男性)reĝo - reĝino/ (日) 王 - 女王 [ある民族語で同語根] → 「中性」として理解する人間もVikipedioなどにいました。
以上
257名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/06(月) 11:25:47.59 0
結論を忘れていた。

結論として、考え方や言語を変えれば、

  reĝo - reĝino/ (独) König - Königin [同]
  viro - virino/ (英) man - woman [同]
  patro - patrino/ (英) patron - patroness でみれば [同]

といくらでも解釈できます。
つまり、BWがあえてFirme Virajといっているのを無視し、母語の影響からreĝoは分析不足だとか、将来中性語根にもなりうるなどと、文句をつけ始めると、際限なく、patroもviroも何でも中性になるといえます。
258名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/06(月) 22:47:15.85 0
>>252
>対応できていない。現在の価値観で、男性→中性化した場合、もともと中性語根があるものはダブってしまい、矛盾が生じていることを無視するなというの。
具体的に何?どんな矛盾だ?
>>エスペラントは西洋語を基板にそれを整備して作られた、と私は前から書いている。
>いや、あんたは、西洋の「社会的な常識を覆すほどに機械的で 有る意味非常に男女平等」とか恥ずかしいことをいっていたんですよ。
両者は矛盾しないと思うが。つまり「常識を覆すほどに機械的に整備した」
>>エスペラントの基本単語はザメンホフがきちんと整備したが、その他諸々の単語は民族語をそのまま取り入れてるのだ。
>ザメンホフがkonkubo-konkubinoはきちんと使っていたけど、hetajnoは民族語なので使わなかったという事実は知らないのでなんとも言えない。
良く読め。「基本単語は整備した」と書いた。ザメンホフは基本単語以外は使わなかった、とは書いていない。
>>infanoはまだ男、女という性別で見る事はできないから中性である。
>じゃあ、homoはまだ男、女という性別で見る事はできないの?w
homoは男女総合した名称。infanoも「まだ」性別区別するほど成長してないから総合した名称。
下らない質問はやめてくれ

>男子学生服とセーラー服の区別はできても「男子学生のstudento」にしましょうと、一応統一することにきめただけ。
誰がいつ?
>でもいまだにstudento kaj studentinoはいえるという一貫性・強制性もまったくないPMEGの理想だけど。
だからそれは「対比の原理}何度言ったらry
259名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/06(月) 22:49:07.01 0
>>253
>だから、そういう断言キリッはやめろや。
お前こそ根拠ない断言だ。俺はPMEG準拠で「正統派」を判断している。
>だれが正統派なんだという議論。実際、PMEGにだって、文句あるんだろ?
全くどこまで短絡的発想。「文句」ではなく「更なる分析を期待」だよ。
>「ザメンホフ例でさえあるのだから仕方ない」などと権威を求めていたがな。
それはお前に言ってやったんだよw
>アカデミーオにだって批判はいくらでもある。
アカデミーオは自ら率先して決定はしない。どっちかというと日和見。批判するとしたらそこ。
>小さい世界なんだから、どれが正統派でどれが異端とかいうのは、やめたら?
あるんだよ。異端と正統は。
>せっかくエスペラントやってくれてる貴重な存在なんだから、認めてあげろよ。
エスペランティストはみんな友達かよw 存在を認めるだの排除するだの、そんな幼稚な話はした覚えは無い。
正統になりたい人を正統に導くことが重要。
エスペラントに無知のため、知らずに異端に馴染んでしまうのは、エスペラントの将来にとって良くない。

>男いとこ/女いとこは、日本語でも英語(cousin)でもペアじゃない → けどPMEGで男性っていってる!「社会的な常識を覆すほどに機械的だ」!
だから、家族語根はpatro&filoの関係が全てに引き継がれるため、全部男性語根なんだよ。
それは機械的に決まってる。エスペラントは文法性も無いから、いとこくらい中性でいいんじゃないの?と思っても駄目だって事なんだよ。
260名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/06(月) 22:52:00.80 0
>>254
>これらを結びつけて、「妻」の意味を持つものは男性語根になりうる、と推測したのは前スレにおける私が初めてのはずだが。
俺はその説には同意しないから、お前だけの説にしといてくれやw
>それを聞いてからお前が、reĝinoやgrafinoの意味を調べたり、
かなり初期の段階で、grafiinoがgrafoの妻かもしれないと書いたが。

>>255
>  reĝo - reĝino/ (英) king - queen [異]
>と、男女でまったく語根が異なり、明らかに男性と女性が区別されているのです。※queenの古英語cwēn(女性、妻、女王)
自分の都合のよいソースのみ上げるな。
reĝo - reĝino/(独)König - Königin[同]
kuzo - kuzino/(仏)cousin - cousine[同]
英、独、仏の何れかで同語根でも、BW定義で男性語根になっているのもある。>>257で自分の間違いに気付いたようだがw

>>256
>  (PMEGで中性)koko - kokino/ (露) петух - курица [ある民族語で異語根] → ザメンホフも「男性」として使用しました。
>  (PMEGで男性)reĝo - reĝino/ (日) 王 - 女王 [ある民族語で同語根] → 「中性」として理解する人間もVikipedioなどにいました。
だから文脈だと何度言ったらry

>>257
>といくらでも解釈できます。
とやっと自分の間違いに気付いたかwww結局何が言いたいんだか
>つまり、BWがあえてFirme Virajといっているのを無視し、母語の影響からreĝoは分析不足だとか、将来中性語根にもなりうるなどと、文句をつけ始めると、際限なく、

>patroもviroも何でも中性になるといえます。
理論がしっかりしてればpatro, viroは中性化しないんだよwwww 心配無用。
reĝoはザメンホフも、「役割」としてなら女に対しても使っていたソースがあるから、元々最初から性別を超える要素(中性化する素地)は持っていると言える。
261名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/07(火) 18:03:55.43 0
reĝoを女に対して使っていたのはKabeの例であったので>>260の最後の行は取り消す。
tekstaroでザメンホフソースを改めて探してみた。
EKZERCAROの例
Patro kaj patrino kune estas nomataj gepatroj.
— Petro, Anno kaj Elizabeto estas miaj gefratoj.
— Gesinjoroj N. hodiaŭ vespere venos al ni.
— Mi gratulis telegrafe la junajn geedzojn.
— La gefianĉoj staris apud la altaro.
以上、その他のザメンホフソースを見ても、geは限られた語彙の中でしか使われていない。
geの用例は、gesinjorojの他はgefianĉoj含んだ全てが家族語根であった。

boの用法の説明ーー省略。

— Virino, kiu kuracas, estas kuracistino; edzino de kuracisto estas kuracistedzino.
治療する女性はkuracistino、kuracistoの妻はkuracistedzino。
明示的に、ザメンホフはinoに妻の意味を与えていなかったと分かる。
262名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/07(火) 18:05:57.79 0
つづき
— La doktoredzino A. vizitis hodiaŭ la gedoktorojn P.
ここではなぜかgedoktoroj Pという用法が使われている。
夫婦または兄妹でdoktorojである可能性もあるが、夫だけがdoktoroの夫婦の意味で使っている可能性もある。
前述の説明からすると、doktorinoは女doktoroであって妻ではない筈だが、夫妻ならgedoktorojで良いのだろうか。
doktoroがsinjoroのような敬称で使われている可能性もある。
しかしこの他は、geを家族名詞以外で使っている用法は無い。
gereĝoj,geamikojという用法すらザメンホフは使っていない。

— Li ne estas lavisto, li estas lavistinedzo.
ここでも改めて、職業名と婚姻関係としてのinoは無関係であると述べている。
— La filoj, nepoj kaj pranepoj de reĝo estas reĝidoj.
ここで言うreĝoは男なのか中性なのか不明。
ただしreĝo kaj reĝinoという用法は見られ、reĝinoは王妃=王の妻であると想像できる。

要約
1)ザメンホフは接尾辞inoに妻の意味は明示的に与えていなかった(従来のエスペラント教科書の説明で正しい)
2)ザメンホフ自身は、はgeを非常に限られた単語にしか使わない。家族語根のみ。
3)ただし例外的な用法もある。gedoktoroj=〇〇博士夫妻、reĝino=王妃など、称号的な単語はsinjoroからの類推のように使われている例がある。

考察
本来的に中性であった語根を民族語の慣習で男性語根のように扱い、両性いる場合はご丁寧にgeを付けなければならないと考えたのは、
ザメンホフ以外の人々であろう。
263名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/07(火) 18:17:37.04 0
gedoktoroj=博士夫妻という用法は現代では奇異に映るから、全てをザメンホフ用例に合わせる必要は無いが、
多くの人間名詞が中性化の方向を求めている現代では、男性語根とは何かという検証が昔以上に求められる。
その際、元々中性名詞として扱っていたザメンホフの用例に立ち返って研究する事は非常に有意義であろう。
とはいえザメンホフ自身の用法の中にも、非論理的な例が見られるのは事実である。
ザメンホフの多様な用例の中からどれを論理的と判断しどれを正式な基準にするかは、現代の我々の意識と頭脳にかかっていると言える。
264名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/08(水) 16:39:27.10 0
長文の荒らしで勝った気でいるのかさびしいのか知らんが、こんな落書きを放置するのは「エスペラントの将来」のためによくないので、必要な部分だけに答える。本当にだるいが。
>>258>>259
>具体的に何?
regxo : monarko
bokoやtauxro : bovoやsxipo
>両者は矛盾しない
エスペラントは西洋語(男女不平等)を基盤、まとめた = エスペラントは西洋語の常識を覆す 
???
>homoは男女総合した名称。
そんな程度の理解か。じゃあ、homo=geviroだろうが(中性化が認められたらさらなるダブリの例の一つ)
bestoとanimaloのような違いだよ。
>誰がいつ?
ザメンホフ初め、エスペラントの歴史は多くの語を中性・男性区別なく使用してきた。それをPMEGで区分けを試みたわけでしょ?(m)だの(n)だの(f)だの名詞ごとに記載しているエスペラント辞書なんてあった試しがある?
>だからそれは「対比の原理}
ザメンホフは対比を使わずにkokoを男性とした。他の例も後で指摘。
>「更なる分析を期待」
「BWは曖昧にし」「分析面では足りない」「責任逃れなずるい方法」
と批判したり、期待したりと、まったくその場限りの感情的な奴だ。
>あるんだよ。異端と正統
曖昧で変動的(cx, jxの使われ始めはどう思われただろうか?)で、中性化の過渡期であるわけだし、お前だって意見がころころ変わるくせに、PMEGの学習ノートを書くなといっているだけ。
265名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/08(水) 16:42:25.46 0
>>260>>261
>自分の都合のよいソースのみ
>>とやっと自分の間違いに気付いたかwww結局何が言いたいんだか
最後まで読んだらわかるように計画的にあげたのがわかるだろが。結論は、「際限なく」と書いているだろうが。エスペラントの男性と中性の根本的な差は作られていないということ。これから厳しいルールを作らない限り。
>だから文脈だと何度言ったらry
男性・中性と分けた以上、文脈で使用方法は変わらない。
文脈で変わる程度のものなら、男性とも中性ともいえるような「文法性」はエスペラントには存在しないということ。
>— Petro, Anno kaj Elizabeto estas miaj gefratoj.
もし、この文章と並んで、彼等が「友達」なら、
... estas miaj geamikoj. と大部分のエスペランチストは書くだろうし(いくらPMEGが「中性」と呼ぼうとも)、もし彼等が各国の君主なら、
... estas miaj geregxoj.じゃないか?wもっと軽く考えろよw
>— Virino, kiu kuracas...
この文章「女医とは女の医者で、医者夫人とは医者の妻」で、ザメンホフは「医者」"kuracisto"を男性として使っていると気づかないことのほうがおかしいw で、男性でもino「妻」の意味では使っていないケースだなw
>— Li ne estas lavisto, li estas lavistinedzo.
これも、BWが中性というistoではあるが、ザメは男性として使用している。
中性ならlavistedzo (a washerwoman's husbandは伝統的・差別的言い方。中性ならthe husband of a laundry worker) でよいからだ。
>要約
「家族語根のみ」「ただし例外的な用法」という言い方に虫唾が走る。
「主に家族語根。また、次のような用法も」というのが論理的な表現。もう少し日本語を大切にしたら?そうじゃないとエスペラントも通じない文章しか書けないよ?
266名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/08(水) 17:04:57.51 0
長文の荒らしで勝った気でいるのかさびしいのか知らんが、こんな落書きを放置するのは「エスペラントの将来」のためによくないので、必要な部分だけに答える。本当にだるいが。
>>258-259
>具体的に何?
regxo : monarko
bokoやtauxro : bovoやsxipo
>両者は矛盾しない
エスペラントは西洋語(男女不平等)を基盤、まとめた = エスペラントは西洋語の常識を覆す 
???
>homoは男女総合した名称。
そんな程度の理解か。じゃあ、homo=geviroだろうが(中性化が認められたらさらなるダブリの例の一つ)
bestoとanimaloのような違いだよ。
>誰がいつ?
ザメンホフ初め、エスペラントの歴史は多くの語を中性・男性区別なく使用してきた。それをPMEGで区分けを試みたわけでしょ?(m)だの(n)だの(f)だの名詞ごとに記載しているエスペラント辞書なんてあった試しがある?
>だからそれは「対比の原理}
ザメンホフは対比を使わずにkokoを男性とした。他の例も後で指摘。
>「更なる分析を期待」
「BWは曖昧にし」「分析面では足りない」「責任逃れなずるい方法」
と批判したり、期待したりと、まったくその場限りの感情的な奴だ。
>あるんだよ。異端と正統
曖昧で変動的(cx, jxの使われ始めはどう思われただろうか?)で、中性化の過渡期であるわけだし、お前だって意見がころころ変わるくせに、PMEGの学習ノートを書くなといっているだけ。
267名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/08(水) 17:05:49.06 0
>>260-261
>自分の都合のよいソースのみ
>>とやっと自分の間違いに気付いたかwww結局何が言いたいんだか
最後まで読んだらわかるように計画的にあげたのがわかるだろが。結論は、「際限なく」と書いているだろうが。エスペラントの男性と中性の根本的な差は作られていないということ。これから厳しいルールを作らない限り。
>だから文脈だと何度言ったらry
男性・中性と分けた以上、文脈で使用方法は変わらない。
文脈で変わる程度のものなら、男性とも中性ともいえるような「文法性」はエスペラントには存在しないということ。
>— Petro, Anno kaj Elizabeto estas miaj gefratoj.
もし、この文章と並んで、彼等が「友達」なら、
... estas miaj geamikoj. と大部分のエスペランチストは書くだろうし(いくらPMEGが「中性」と呼ぼうとも)、もし彼等が各国の君主なら、
... estas miaj geregxoj.じゃないか?wもっと軽く考えろよw
>— Virino, kiu kuracas...
この文章「女医とは女の医者で、医者夫人とは医者の妻」で、ザメンホフは「医者」"kuracisto"を男性として使っていると気づかないことのほうがおかしいw で、男性でもino「妻」の意味では使っていないケースだなw
>— Li ne estas lavisto, li estas lavistinedzo.
これも、BWが中性というistoではあるが、ザメは男性として使用している。
中性ならlavistedzo (a washerwoman's husbandは伝統的・差別的言い方。中性ならthe husband of a laundry worker) でよいからだ。
>要約
「家族語根のみ」「ただし例外的な用法」という言い方に虫唾が走る。
「主に家族語根。また、次のような用法も」というのが論理的な表現。もう少し日本語を大切にしたら?そうじゃないとエスペラントも通じない文章しか書けないよ?
268名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/08(水) 17:14:04.07 0
まだ長文荒らしがいるのか
自分で落書きスレ立ててそこを荒らしてろよ
269名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/08(水) 17:24:03.62 0
追加
>>262
>— La filoj, nepoj kaj pranepoj de reĝo estas reĝidoj.
>ここで言うreĝoは男なのか中性なのか不明。

これさえも「不明」とかいう発想はどうやったらわいてくるのかがわからない。机上の空論にはもう付き合いたくない。

reĝo 「王」の息子(男)や孫(男)やひ孫(男)はreĝidoj「王子」といっているわけでしょう?
じゃあ、
1. reĝidoは、男性語根(=princo)に確定
2. 必然的にプリンセスはreĝidino(=princino)。
3. 1.2.の機能からしてreĝoも男性、クイーンはreĝino
とだれでも考えるでしょう?

もちろん、BWだって、König - Königin のくらいの知識はあっただろうし、
patron - patroness ももちろんわかっているが(教えてもらった癖にまだお前からの感謝はないがな。長いレスならもういいよw)、
エスペラントの生まれた西洋人の常識的な感覚として、キングとクイーンの違いは、父と母の違いくらいに異なるから、「王も父も確実に男性」としたのだろうということ。
270名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/08(水) 17:33:32.95 0
>>268
昨日までの>>258-263の長文に
私がレスした途端にそう言うということは・・・
271名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/08(水) 20:07:54.63 0
キチガイども、いい加減にしろ
272名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/08(水) 20:12:39.25 0
>>264
>本当にだるいが。
だるいのはお前の負けだからw

>homo=geviroだろうが(中性化が認められたらさらなるダブリの例の一つ)
viroは永遠にviroだよ。

>と批判したり、期待したりと、まったくその場限りの感情的な奴だ。
お前こそ、主旨の本質が読み取れないから、いちいち感情的に動揺する

>お前だって意見がころころ変わるくせに、
新しい発見はしても、主義主張は全く変わっていない。

>男性・中性と分けた以上、文脈で使用方法は変わらない。
男性語根@Aは常に男性の意味だが、中性語根と男性語根Bは、文脈で男性中性が変わる。

>もし、この文章と並んで、彼等が「友達」なら、
「もし」だとさーーーwwwwwwwww「もし」
>もっと軽く考えろよw
自分に都合が悪いソースがあると、自分勝手に「軽く考える」んだなw

>この文章「女医とは女の医者で、医者夫人とは医者の妻」で、ザメンホフは「医者」"kuracisto"を男性として使っていると気づかないことのほうがおかしいw 
まだ分かってないな。それが「文脈」なんだよ。
edzino de 〇 と言えば〇は男なんだよ。わざわざvira 〇と敢えて書かなくとも。
edzo de 〇 と言えば 〇は女。

>「家族語根のみ」「ただし例外的な用法」という言い方に虫唾が走る。
>「主に家族語根。また、次のような用法も」というのが論理的な表現。
「主に」だとそれ以外も相当あるように読み取れる。「gedoktorojの一例を除き全て」だから「のみ」と書いた。
「虫唾が走る」wwww 負けた悔しさのあまりお前の脳が拒絶反応を起こし、それが身体現象に現れたのだ。
お前の健康のために言うが、お前はもうここを去るといい。
273名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/08(水) 20:15:08.83 0
>>269
>>— La filoj, nepoj kaj pranepoj de reĝo estas reĝidoj.
>>ここで言うreĝoは男なのか中性なのか不明。
>これさえも「不明」とかいう発想はどうやったらわいてくるのかがわからない。
ある任意のreĝoが女であってもこの文章は成り立つから「不明」。もちろん男であっても成り立つ。論理的な発想だとそうなる。

まあ、ザメンホフの時代はreĝoは男たるべきで、後継者がいなくて女が地位を継ぐ場合があっても、それは応急処置だった。
そのため女王が出ると「継承戦争」がよく起こった。
これは「昔は王は男しかいなかった、又は、男であるべきだと思われていたから王は男性名詞である」という私の理論に通じる。
現代はヨーロッパの王家のほとんどで男女問わず長子に相続させるので、女の王も珍しくなった。
ここには「昔は学生は男だけだったが、今は男女いるから中性名詞にしたい」というのと同じ流れが生じる可能性がある。
しかし世界の学生総数に比べたら、王達の数は極端に少ないので(またアラブ世界など未だに男だけの地域もある)
そうした中性化は相当長い歴史を経ないと起こらないであろう。
理論的に(故に永遠に)男と定められているpatroと、たまたま習慣的に男と理解されるreĝoでは、根本的に立場が異なる。

>机上の空論にはもう付き合いたくない
ああ、そうした方がお前の健康のために良い。言い訳も薬だ。
>とだれでも考えるでしょう?
「だれでも」wwwwwそう何でも自分の都合よく決めつけるなw
「もし」だの「もっと軽く」だの「だれでも」だの、もはやお前には何の論拠も無くなったと見える。

とにかく、ザメンホフは「inoには妻の意味は無い」と明示的に書いているのだから、お前の完全敗北。
274名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/08(水) 20:22:46.01 0
>>273
×女の王も珍しくなった。
○女の王も珍しくなくなった。
275名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/08(水) 22:16:20.41 0
エスペラントは既に死語。古代エジプト語に似ている。
276名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/09(木) 02:26:27.26 0
翻訳の中間言語としては有用だと思うけど。
抱合語的屈折語(ドイツ語とか)→エス→ロシア語
膠着語→エス→屈折語
飽くまでも機械翻訳で考えさせる時。
人間なら直で出来るし。
後は、欧州語の習得の補助としては有効だと思う。

ただ、日本のエス界はヘンな人が多くて内向きだと思う。
277名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/09(木) 07:58:04.37 0
>>272-274
>viroは永遠にviroだよ。
もう何も根拠が出せないようですwもう一度>>257を見て?民族語においても[同語根]と[異語根]の明確な区別は無いでしょう?reĝoと同程度。

>新しい発見はしても、主義主張は全く変わっていない。
これからは、新しい発見はチラシの裏に書いて、一晩ねってから、3行以内にまとめて書くようにしましょう、ということです。マナー知らず。

>「もし」だとさーーーwwwwwwwww「もし」
「もし」という言葉に以上に反応する人間だなw「もし」というのはあなたのいう「文脈」によって変わるのなら、こうなるでしょう、心を落ち着けて考えてご覧?ということが理解できないのだろうか。本当に悲しい。

>edzino de 〇 と言えば〇は男なんだよ。わざわざvira 〇と敢えて書かなくとも。 edzo de 〇 と言えば 〇は女。
"edzo de kuracisto"という表現が初期にあったのかな?逆に、lavistinedzoだったでしょう?つまりザメは-istoも男性と見ているからこう書いたのですね。逃げないでね。

>ザメンホフは「inoには妻の意味は無い」と明示的に書いているのだから、お前の完全敗北。
reĝinoには妻の意味があるね。grafinoには妻の意味があるね。だから「inoに妻の意味はない」ではないね。どこが完全敗北?w
278名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/09(木) 07:58:38.33 0
つづき
どの点で勝とうとしているのか、さっぱり。

  「エスペラントの-inoの使い方は当時としては発展的」ではなかったね(お前はpatronessを知らなかったから、そう感じたんだね)。
  エスペラントの「男女平等」というのは、アラビア語と同程度だという意味だったのだね。
  西洋語をまとめたのであって、「社会的な常識を覆すほど」じゃなかったね。
  初めから文法性は男性・中性などに分かれておらず、ザメンホフは多くを男性語根として使っていたね。文法性や屈折がなくてもいけるという考えは、英語を学んだからだね。
  エスペラントの文法性の区別とは、BWの試みだし、辞書に載るほどでもなく、まだまだ意見が割れているね。
  だからPMEGの意見を以って「正統派」とは言えないね。
  万が一、明確に文法性が存在するのだとすれば、性を持つ民族語の中で、文脈で適当に性が変更されるようなものは存在しないね。
   
以上、私のいいたいことは、すべて論破できました。だから非常に満足です。
279名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/09(木) 10:59:23.72 0
「viroは永遠にviro」男性語根ではないことの詳細。

まず、「男」の意味のvir-の接頭辞用法が定着したのはずっと後のことで、ザメンホフは(劣る、男の所有物の)女性形だけを作っておけばよいと思っていた。
しかし、男性形も需要があることから、1926年の聖書翻訳くらいのころから、Bovoviro や virbovo が使われはじめた。
そうした中で、「牛男」と「雄牛」の曖昧さ回避のため、taŭro (雄牛。男性語根)とminotaŭro (牛男)を別に採用したのである。

エスペラントの動物の中性化が少しずつ進む(何しろ西洋民族語では雌雄だけでなく、成長段階でも名称が異なるわけで)
と同時に、vir-が定着(さらに-iĉoは未定)したため、現在はvirbovoとtaŭro の区別がすでに無い(後者が無駄になった)。

これだけ言語は変わりうるということで、さらに、-iĉoが進めば、viroの中性化も十分に考えられるということ(「成人」とでもいった意味に)。

たとえば、現在、大部分は、
  marvirinoは「マーメイド・人魚姫」
  marviroは「マーマン」
と区別しているが、viroも含んだエスペラントのすべての語の中性化・単純化が進むと、

  marviroが「半魚人」(中性)

の意味で使われる可能性もあるということ(ただし、下半身が魚なのか、胴体が魚なのかは言い表せない。ラテン語の習慣から、造語順から父親が魚で母親が人間なのだろうという想像はつく)。
「人間」をMann、mankindであらわすのと同様に戻るということ。
「女」をあらわすのに、必要であれば-inoを使えるから、平等なんだろ?www
280名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/09(木) 12:27:08.64 0
◎真面目なコメント◎
Tekstaro でザメンホフのge用例を洗い出してみた(前回は足りない点があった)

男性語根A(家族)、geedzoj,gefianĉoj,gefiloj,gefratoj,gekuzoj,genepoj,gepatraj
男性語根@(家族以外の男性語根) gesinjoroj
中性語根 gedoktoroj,geamantoj,gemaljunuloj,gemastroj

以上のように、非常に限られた用例でしか使っていない。
ザメンホフ以外のソースではge-は使いたい放題である。
初期の文献でザメンホフが使っていない用法が出現している例は
Fundamenta Krestmatio(1904)で gereĝoj
Kabeのグリム童話(1906)で gemuelistoj,gereĝojが使われている。

ザメンホフは、gejunuloj,geaktoroj,ge-istojは全く使わなかったが
junuloj,aktoroj,kantistojなどは使っている。
つまり何にでも神経質にgeを付ける慣習は後世のユーザーによる悪癖だと思われる。

ザメンホフがgeを付けるパターンは「夫婦・恋人のカップル」の意味があると「仮説」を立てておく。
老夫婦の意味でgemalljunulojを使う事はあっても、若いカップルの意味でgejunulojという語を使う事はないのだろう。
その変わりgeamantojはカップルの意味を強調するためgeがつく。
281名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/09(木) 12:30:38.33 0
★ザメンホフの用例・まとめ★
1)エスペラントの接尾辞ino自体には「妻」の意味は無い。(証明 EKZERCARO)
2)家族語根(男性語根)で男女がいる場合はge-を付ける。
3)男女のカップルを明示する場合は中性語根でもge-を付ける。
4)中性語根でカップルでない複数の場合はge-は付けない。
 →それらの語根は単数でも中性で使われる可能性がある。

エスペラント初心者の誤ったエスペラント観
×エスペラントは男性基準で、女性にはinoを付けるから差別的である。

ザメンホフ本来の用法
〇複数にge-をつけない場合が多く、それらは中性語根と考えられる。よって男女差別は無い。

男性語根に対しては一見「差別」のように感じる人もいるが
革新的な「ペア理論」を使えば「差別」に反論する事が可能。
282名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/09(木) 12:47:50.37 0
>>280>>281
>ザメンホフがgeを付けるパターンは「夫婦・恋人のカップル」の意味があると「仮説」を立てておく。
gefratoj www

>1)エスペラントの接尾辞ino自体には「妻」の意味は無い。(証明 EKZERCARO)
reĝinoに妻の意味は無いといったの?w
gedoktojは、両方が博士ではないことは確認できたの?w

>2)
>3)
>4)
だから、ザメンホフは「男性」・「中性」を定義していないのに、前提がおかしいwwwww

>ザメンホフ本来の用法
kuracistinoは?lavistinedzoは?
283名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/09(木) 13:03:52.70 0
>>280-281
>ザメンホフがgeを付けるパターンは「夫婦・恋人のカップル」の意味があると「仮説」を立てておく。
gefratoj www

>1)エスペラントの接尾辞ino自体には「妻」の意味は無い。(証明 EKZERCARO)
reĝinoに妻の意味は無いといったの?w
gedoktojは、両方が博士ではないことは確認できたの?w

>2)
>3)
>4)
だから、ザメンホフは「男性」・「中性」を定義していないのに、前提がおかしいwwwww

>ザメンホフ本来の用法
kuracistinoは?lavistinedzoは?
284名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/09(木) 13:09:01.32 0
>>283
なんで俺のわざと二重投稿するの?楽しいの?
285名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/09(木) 13:17:16.49 0
>>279
>しかし、男性形も需要があることから、1926年の聖書翻訳くらいのころから、Bovoviro や virbovo が使われはじめた。
これは初期の試作段階における混乱だろう。現代の辞書では定義分けされているから問題は無い。
bovoviro
1 Taŭro kun homa kapo, en Asirio.
2 (evi) = virbovo.
taŭr/o
1 Sin. bovo 1.
2 Virbovo.

>と同時に、vir-が定着(さらに-iĉoは未定)したため、現在はvirbovoとtaŭro の区別がすでに無い(後者が無駄になった)。
無駄な単語は詩語など大量にある。taŭroもそれらの一つにすぎない。
virbovoは造語の基本ではvira bovoとなるから、意味の本体は牛でなけれなならない。
bovoviroはbova viroなので、牛男、人間だが人間でない人間の意味になる。

>これだけ言語は変わりうるということで、さらに、-iĉoが進めば、viroの中性化も十分に考えられるということ(「成人」とでもいった意味に)。
飛躍しすぎwww

造語法の常識が固まっていない初期で誤って牛男がvirbovoと訳された事があったとしても
現代では正しい認識が普及し、eviと明記された。
また詩語的なtaŭroが導入されたとしても、使う使わないの自由はあり、使われない単語は廃れていく。
これらはエスペラントの正常な発展の一部である。
言語は変わる、しかしエスペラントの場合は、混沌とした試作状態から、
より論理的に明確な言語へと変わって行っていると言える。
エスペラントが今後も正常な発展を続けるためには、多くの単語は中性であるが、viro等は決して中性にならない理由を
初心者にもきちんと説明していかなければならないだろう。そこでペア理論が生きてくる。
286名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/09(木) 13:20:28.42 0
>>284
俺じゃないよ。誰か別にスレ荒らしがいるんだよ。
無視しろよ。お前は感情的に動揺しすぎるんだよ。
287名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/09(木) 13:28:49.82 0
>>285
そそ。だから、種牛だからという需要があってというわけじゃないという歴史がわかったかな?w
で、その歴史を見れば、ザメンホフ時代は男・中文法性も混沌としていたということも、これでわかったでしょう?

>そこでペア理論が生きてくる。
さっぱりわからなかったし、もう一度過去スレ調べるのが面倒だから、もう一回言ってみて。3行以内でw

>>286
お前とはいってないよwやましいことがあるのかよww
288名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/09(木) 16:46:45.07 0
>>283
>だから、ザメンホフは「男性」・「中性」を定義していないのに、前提がおかしいwwwww
何度も書くが、定義していなかったからこそ、男性で扱いたい時代にも、中性で扱いたい時代にも対応できたのだ。

昔は「男女差別はいかん」という思想すら存在しなかったから、女には全てinoを付けても何の問題もなかった。
ザメンホフ自身その時代の人間だから、女にはinoを付けて区別する。
しかし複数形にした時に、ザメンホフが何にでもgeを付けなかったのは、現代の視点で見ると幸いであった。
おそらく西洋語のように、男女の複数は男性名詞の複数で表す事が、文法的感覚で自然だったのであろう。
そのため、カップルではない他人の男女の複数は無標の複数でザメンホフは書いた。
その後、「エスペラントにはgeがあるのだから女性を無視するとはけしからん」という思想が生まれ
何にでもgeをつける慣習が広まったと思われる。
さらに最近は「何にでもgeを付けなければならないのは煩わしい、男女いるのは当たり前なのだから」という発想に転じてきて
元のザメンホフ用法に表面的には同じ「無標の複数」が用いられるようになり、
結果その単数形も中性語根として認知されるに至った、という「仮説」が想定される。
289名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/09(木) 16:47:28.86 0
つづき
ザメンホフの定めた用法が各時代にぴったり適応するのが不思議であるが、
これは偶然と判断するしかないが、この偶然を生じさせるには
「inoに妻の意味を与えなかった」とか
「geは(後世で解明されるところの)ペア理論に当てはまる場合しか使わなかった」とか
先見の明と表現したくなる何かがあると言えなくもない。まあ、偶然と考えるのが妥当だがねww

現代の新たな課題としては、昔には存在しなかった中性語根と男性語根を分ける定義である。
全ての単語を中性化できるのではなく、男性語根として残るべき物が存在する。
それは何か、何故か、それは★良く分かる男性語根★中性語根★を参照
エスペラントが時代の価値観とともに変わっていくのは当り前である。
その都度正しい理論を構築し、エスペラントの論理性をより強化する事が重要である。
この件に関してはPMEGですらまだ完全な理論として消化できてなく、比較的新しい課題だと言えよう。

>お前とはいってないよwやましいことがあるのかよww
なんだ自演かよ。被害者面したいだけか
290名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/09(木) 22:04:47.59 0
リクエストに答えて
「ペア」とは概念的な男女のペアである。
地域、時代に関係なく普遍的な、全ての人間に当てはまるカテゴリを考える。
まず、全人類は男・女に分けられる。
成人と男女差は見られる程度の年少者に分ければ、そこにも男女が存在する。
結婚も世界的に見られる人間関係であり、成人を既婚者、未婚者の別に分ければ、そこにも男女が存在する。
結婚に準じて普遍的な家族関係にも、子供や同じ親から生まれた者同士などには、確率的に平等に男女が含まれる。
配偶者、同じ子供の親、という意味ではワンペアのカップルとして男女が考えられる。
以上のように、人間を年齢層や家族関係といった万人がどこかに所属する普遍的なカテゴリに分けた場合、どれにも必ず男女が含まれる。
普遍的に男女が必ず含まれる概念に中性の意味を与えても意味が無い。
そこでこのような語を男性語根と考え、無標を男性名詞、有標を女性名詞となった。
なぜなら、ふたつしかないものを区別する場合、標示は一個で十分だからである。
元々両性がペアで存在したからこそ、あくまでも言語経済上の利便性ゆえに、男は無標、女は有標にした。
これが「ペア理論」である。
男だけが最初に存在し女がそこから派生した、というキリスト教的発想から脱する事ができれば
陰陽の関係のように、両者は互いに不可欠であるという事が理解できよう。
お察しの通り、これは今までにない全く新しい理論である。

3行で分かる「ペア理論」
人間は元々両性がペアで存在した。
男だけが最初に存在し女がそこから派生したというキリスト教的発想から脱しよう。
陰陽の関係のように両者は互いに不可欠だという発想の転換。
291名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/09(木) 22:19:40.50 0
上記の「ペア」以外の多くの人間名詞には全ての人間がカテゴライズされる訳ではない。
例えば、日本人、役者、愚か者などは、誰もがどこかに入るカテゴリではなく、各個人でそれに当てはまれば任意で入るカテゴリである。
兵士などは昔は男性しかいなかった、即ち、そのカテゴリにはたまたま男性しか存在しなかったので男性名詞のように思われていたが、
そのカテゴリの意味的定義は「〜をする人」なので、意味で言えば男でも女でもメンバーになれる。
現代では女性兵士の存在で、その同じカテゴリに女性が流入したことになる。
そのようなカテゴリは中性とみなしてよい。
つまり、最初からペアが想定されていたのではなく、任意ゆえにカテゴリメンバーの性別が変化したのである。
エスペラントでは文法性がなく、名詞は文法的には中性として扱われる。
男性語根であっても中性語根であっても形式は変わらないので、
最初は男性名詞のように使っていても、意味が中性化すれば同じ形式で中性名詞となる事が可能である。

補遺
・民族語から取り入れられた上級語の中には、語根のみで女性を表す女性語根も存在する。
・男性語根の中には、生殖的な意味上、女性が流入しえない語根も存在する。
・「男性のみ、男性であるべき」という発想にしばられている単語は
女性の流入で中性名詞化する可能性は秘めていても、男性名詞として使われる場合がある。

まとめで分かる「ペア理論」
常用単語のうち、人類に普遍的な「ペア」は男性語根で表し、エスペラント誕生の初期から未来まで安定して不変である。
それ以外は男性でも中性でも理解する事が可能だが、現代では中性と見なされる場合が多い。
常用単語以外では、意味的に排他的な定義を持つ不変の男性語根、女性語根はある。上級語。
292名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/10(金) 09:15:08.24 0
>>288>>289の途中までの分析は、ようやく正しく理解し始めたかと、ほめるつもりだったが、
>現代の新たな課題としては、昔には存在しなかった中性語根と男性語根を分ける定義である。
なぜ分けなければならないのか、このあたりからが怪しくなる。

>★良く分かる男性語根★中性語根★を参照
これもまた他に見なきゃいけないの?私は納得できた覚えは無いが、「ペア理論」と同じものだったっけ?
一緒だとすれば、以下に問題点をあげる。

>>290
>結婚も世界的に見られる人間関係であり
今、結婚生活にバラエティがあるから問題なんでしょ?フランスでどれだけ同棲が多いかことか。
また、国によっては同性婚もあれば、孤児だって昔からいるわけでしょう?

>普遍的に男女が必ず含まれる概念に中性の意味を与えても意味が無い。
意味があるんだよ。「親」、「きょうだい」という言葉が実際に必要だから言ってるのね。
今日、siblingとかpartnerという言葉がどれほど一般に使われるようになったことか。

  親 (父か母。生みか育てかといった区別も任意で付け加えられる)
  きょうだい (兄弟か姉妹。血の繋がった、腹違い、義理の、なども付加)
  親の親 (祖父か祖母)
  親のきょうだい (おじかおば)
  いとこ (男のいとこか女のいとこ)
  パートナー (異性か同性のパートナー)
  こども (息子か娘。養子なども付加)

という単語が括弧内のかわりに代わりに使いたいケースが実際にあるわけでしょう?
293名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/10(金) 09:16:16.24 0
つづき
-inoだけにこだわっているようだけど、bo-やduon-といった接辞は、しばしば省略されて、語根だけで使われるでしょ?
だから、他の多くの男性名詞から中性に変化してきたように、
-ino, ge-を省略して、(siblingsといった中性語根を別に作るのではなく)もともと男性語根のfratojで、男女「きょうだい」をあらわせるようになるパターンはきわめて現実的ではありませんか?ということ。
(日本語の「きょうだい」も男を指す語で、両性を代表できる)

>陰陽の関係のように、両者は互いに不可欠であるという事が理解できよう。
きょうだいは互いに不可欠ではない。
また、生涯独身もどれだけ多いことか。

>そのカテゴリの意味的定義は「〜をする人」なので、意味で言えば男でも女でもメンバーになれる。
子供を学校で教育する人 instruisto
子供を家で育てる人 patro
に、根本的な違いはない、と考えられるから、意見が割れるのです。

>最初は男性名詞のように使っていても、意味が中性化すれば同じ形式で中性名詞となる事が可能である。
で、結局何が言いたいの?ということだよ。
だからペア論など、使えない。
294名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/10(金) 09:27:58.22 0
つづき
-inoだけにこだわっているようだけど、bo-やduon-といった接辞は、しばしば省略されて、語根だけで使われるでしょ?
だから、他の多くの男性名詞から中性に変化してきたように、
-ino, ge-を省略して、(siblingsといった中性語根を別に作るのではなく)もともと男性語根のfratojで、男女「きょうだい」をあらわせるようになるパターンはきわめて現実的ではありませんか?ということ。
(日本語の「きょうだい」も男を指す語で、両性を代表できる)

>陰陽の関係のように、両者は互いに不可欠であるという事が理解できよう。
きょうだいは互いに不可欠ではない。
また、生涯独身もどれだけ多いことか。

>そのカテゴリの意味的定義は「〜をする人」なので、意味で言えば男でも女でもメンバーになれる。
子供を学校で教育する人 instruisto
子供を家で育てる人 patro
に、根本的な違いはない、と考えられるから、意見が割れるのです。

>最初は男性名詞のように使っていても、意味が中性化すれば同じ形式で中性名詞となる事が可能である。
で、結局何が言いたいの?ということだよ。
だからペア論など、使えない。
295名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/10(金) 09:29:26.93 0
つづき
-inoだけにこだわっているようだけど、bo-やduon-といった接辞は、しばしば省略されて、語根だけで使われるでしょ?
だから、他の多くの男性名詞から中性に変化してきたように、
-ino, ge-を省略して、(siblingsといった中性語根を別に作るのではなく)もともと男性語根のfratojで、男女「きょうだい」をあらわせるようになるパターンはきわめて現実的ではありませんか?ということ。
(日本語の「きょうだい」も男を指す語で、両性を代表できる)

>陰陽の関係のように、両者は互いに不可欠であるという事が理解できよう。
きょうだいは互いに不可欠ではない。
また、生涯独身もどれだけ多いことか。

>そのカテゴリの意味的定義は「〜をする人」なので、意味で言えば男でも女でもメンバーになれる。
子供を学校で教育する人 instruisto
子供を家で育てる人 patro
に、根本的な違いはない、と考えられるから、意見が割れるのです。

>最初は男性名詞のように使っていても、意味が中性化すれば同じ形式で中性名詞となる事が可能である。
で、結局何が言いたいの?ということだよ。
だからペア論など、使えない。
296名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/10(金) 09:33:20.94 0
そこで、Riismoなどの考え方なんだよ。

 "その子は親戚(親のきょうだい)に引き取られました。その人は看護師です。"

これが、今のエスペラントでは、
「看護師」を中性としても(中性としない人も多い)、
「子(男児か女児)」、「親戚(おじかおば)」、「その人(彼か彼女)」
は、明らかに男性語根で区別しているということ。
297名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/11(土) 03:05:40.52 0
>>292
' >>288-289の '
298名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/14(火) 12:30:13.98 0
>>292
>なぜ分けなければならないのか、このあたりからが怪しくなる。
理由は、「過去にはない、現代における男女平等思想の普及」。
現代はありとあらゆる分野で女性の参加が実現またはそのようにあるべく求められている。
そうでない社会は「遅れた社会」という烙印を押される。これは比較的近年において広まった風潮である。
そのような理想の元においては、職業名などを男性女性で分けて表示したくないから中性で使いたいという風潮が高まる。
そういった要望に沿ってエスペラントの名詞は可能な限り中性化した。

>今、結婚生活にバラエティがあるから問題なんでしょ?フランスでどれだけ同棲が多いかことか。
自由な結婚制度が公に認められたのも近年からである。
太古の未知の時代はさておいて、人類、東西を問わず一夫一婦制に限らなければ、結婚制度は普遍的に機能していた。
結婚制度はおそらく男が確実に自分の子孫を残すための制度、だから普遍的なんだと思う。

>意味があるんだよ。「親」、「きょうだい」という言葉が実際に必要だから言ってるのね。
現代社会の文脈において必要になっただけ。
日本語でも兄姉弟妹の何れか単数を表す単語は、日常的な基本単語としては存在しない。
「親」もある意味「高級語」。迷子の幼児に「親御さんいる?」とは聞かない。「パパかママいる?」と聞く。
エスペラントと日本語との共通点がここでも見られた。
主な家族名詞で男女を区別するのは普遍的現象、と言える可能性があるかもしれない。(当然例外もあろうが)
現代社会が「親」、「きょうだい」という高級語の部類となる単語を必要とするなら新語導入などすれば良いのだ。
エスペラントでも時代の要請に従って新語はどんどん導入しているよ。
299名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/14(火) 12:31:37.24 0
つづき
>もともと男性語根のfratojで、男女「きょうだい」をあらわせるようになるパターンはきわめて現実的ではありませんか?ということ。
そこまでエスペラントを改造してしまうと過去の文書が読めなくなってしまうからやるべきではない。
studentoが男性であろうと中性であろうと、過去の文書はそのまま読める。
なぜなら、「昔は学生は男しかいなかった、でも今は女もいるのが当り前」と言えるから。
fratoではそう言えない。「昔、兄または弟は男しかいなかった、今は女も・・」とは言えない。

>きょうだいは互いに不可欠ではない。
>また、生涯独身もどれだけ多いことか。
具体と抽象を区別しろww

>子供を学校で教育する人 instruisto
>子供を家で育てる人 patro
patroは「育てる」だけではなく、遺伝的な男親の意味もある。
遺伝的につながらない義理の父も「実の父のように」育てるから賞賛される。
育てない男も遺伝的父ならpatroなのだ。遺伝上の親を知らない子供は遺伝上の親を知りたがる。
patroの意味は、遺伝上と生活上両方含むが、重要さでは、遺伝>生活 だろう。

>だからペア論など、使えない。
ペア論はある意味哲学的な革新的理論だからお前に理解できなくても仕方ない。
もはや期待もしてない。具体と抽象の差も理解できない奴に理解できるわけがないから。
300名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/14(火) 12:32:46.16 0
>>296
> "その子は親戚(親のきょうだい)に引き取られました。その人は看護師です。"
parencoは中性。おじかおばかを殊更に隠ぺいする必要がなければはっきり書けばよい。「おじさんに引き取られました」と。
話者自身が知らないなら、onklo aŭ onklinoと言えば良い。
「おじかおばか知らないが、看護師やってる人に引き取られたって」「とにかく看護師なら収入はあるだろうから安心だよ」

会話において常に男女を隠ぺいする事、或は、文法的に抹消する事が「平等」なのではない。
会話の流れで男か女か分かるから、inoやgeをあたかも文法規則であるかのように付ける必要はない、というだけ。
男女が不明の場合や重要でない場合は、最後まで中性でやりすごす事ができる点が重要なのだ。
301名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/14(火) 12:52:55.08 0
>>300
' >>296 '
302名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/14(火) 13:18:24.82 0
>>298-300
>エスペラントと日本語との共通点がここでも見られた。
はじまったwきもい宣伝。そこまでして日本人エスペランチスト全員を妄想の変人扱いにしたいのかww
「父か父女いる?」など、日本語と同じわけが無いだろ?

>patroは「育てる」だけではなく、遺伝的な男親の意味もある。
そうだよ。
「子供を家で育てる人 patro 」であろうと、
「子供に遺伝をつなぐ人 patro」であろうと、なんでもいいよ。
ともあれ、家族やviroであれ、実質的に「何かの役割を持っている人」なんだから、他の名詞と根源的には何も区別がないといっているの。
明確に線が引けるのなら、こんなに問題にならないんだから、自分の「ペア理論」は「もはや期待もしてない」などといってだれにも伝わらないと遠吠えをいっていればいいよw

>会話において常に男女を隠ぺいする事、或は、文法的に抹消する事が「平等」なのではない。
>会話の流れで男か女か分かるから、inoやgeをあたかも文法規則であるかのように付ける必要はない、というだけ。
>男女が不明の場合や重要でない場合は、最後まで中性でやりすごす事ができる点が重要なのだ。
隠蔽できるからこそ、中立なわけだろ?
でも、今のままでは、家族語根や(エスペランチストの考え方によっては)友達であれ、学生であれ、王様であれ、
性を隠蔽できないから非中立だ、男女差別だといっているわけです。

>そこまでエスペラントを改造してしまうと過去の文書が読めなくなってしまうからやるべきではない。
そこまで文学が無いから大丈夫w
というのは言い過ぎとしても、自分の説の、studentoだけは、男性・中性の解釈が異なっても問題ない(現在とは大きく異なるにもかかわらず)といって、
今回だけ問題視するのは、まったく偏った考え方。

>エスペラントでも時代の要請に従って新語はどんどん導入しているよ。
自分の覚えられない詩語など「無駄な単語」といっておいて、自分に都合の悪いときだけ新語に頼ろうとするのはまったくもって無責任。
303名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/14(火) 13:34:53.26 0
>>298
>「親」もある意味「高級語」。

もともとparentもfatherも語源はおなじ。
スペイン語でも同じ(los padres 父たち/親たち(男性複数形) )だと言ったろ?

それにお前だって、
>おそらく西洋語のように、男女の複数は男性名詞の複数で表す事が、文法的感覚で自然だったのであろう。
といっていたわけで、
reĝoも
たとえ男女の王のリストでも、両王ペアじゃない限り、gereĝojじゃなくreĝojが自然なんだろ?
さらに、単数でも、"Ŝi estas la reĝo de la lando."といえるんだろ?

じゃあ、それと同じように、patroも、両親ペアじゃない限りge-は本来使うべきではなく、patrojとするべきであり、
さらに、単数でも、"Ŝi estas la patro de la knabo."
といえることになるじゃないか。文脈から誤解は起こりえないよ。
304名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/16(木) 12:54:52.42 0
>>302
>「父か父女いる?」など、日本語と同じわけが無いだろ?
エスペラントではpatrino=母の意味となる。

>ともあれ、家族やviroであれ、実質的に「何かの役割を持っている人」なんだから、他の名詞と根源的には何も区別がないといっているの。
>明確に線が引けるのなら、こんなに問題にならないんだから、自分の「ペア理論」は「もはや期待もしてない」などといってだれにも伝わらないと遠吠えをいっていればいいよw
区別はあるんだよ。あるというより「しなければならない」んだよ。それはriismoでも同じ事。
その区別を「たまたまそうだからそう理解して下さい」ではなく、その根拠を哲学的理論で解明したのが「ペア理論」。
「理由は知らないが、そうならそう丸暗記しよう」で間に合う人にはペア理論は必要ない。多分大方の人w
「理由がないのにそう決まってるのは変だ」と疑問を持つ人に、その理由を答えるのがペア理論
305名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/16(木) 12:56:26.83 0
つづき
>でも、今のままでは、家族語根や(エスペランチストの考え方によっては)友達であれ、学生であれ、王様であれ、
最先進派では、vito,knaboなど男性性そのものを意味するための単語(〜な人、というその他の役割が無い)と家族語根だけが男性語根で残る。
そのような男女区別は複数の言語で共通して見られる現象であり、言語類型論で言っても普遍的、と見てよいかもしれない。
エスペラントは人間にとってなるべく使いやすい言語たるべきだから、類型論的に普遍的に見られる様相はなるべく保持した方がいい。
おそらく、隠ぺいする必要性よりも明示的に示唆する方が人間の言語として自然だったのだろう。
「親とはぐれちゃった」「男の?女の?」「女の」「じゃあ探そう」というより「ママがいなくなっちゃった」という方が日常的である。
「私には生き別れのきょうだいが一人いまして」「お兄さん?お姉さん?弟?妹?」となるから「兄がいまして」だと会話は早い。
家族語根のような日常語で性別を隠ぺいしなければならない設定は特殊な場合、日常会話というより公的文書などで必要とされるだろう。

中性単語では逆。特に男女の存在が当たり前の現代では
「上司に怒られた」「なんで?」「これこれこうしてああしたら」「それは仕方ないよ」と正しく会話が進む。
「女上司に怒られた」「何歳くらい?美人?」「ブスなおばさん」「それは単なるヒステリーだな」と会話は有意義には進まない。

>自分の覚えられない詩語など「無駄な単語」といっておいて、自分に都合の悪いときだけ新語に頼ろうとするのはまったくもって無責任。
詩語は、既に同じ内容の単語が存在するにも関わらず、美しさなど無意味な理由により導入された単語。
概念として新しいものは、古い単語で代用できないから新語として導入されなければならない。
306名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/16(木) 13:03:12.61 0
>>303
>もともとparentもfatherも語源はおなじ。
同じ語源のものを敢えて別単語で導入したのは、高級語として新語が必要だったからである。

>さらに、単数でも、"Ŝi estas la reĝo de la lando."といえるんだろ?
今は少ないかもしれないが、amikoが完全中性になったようにreĝoも、特に王妃と区別したい文脈では使われるようになるだろう。
そうなってもおかしくない単語だ。
>じゃあ、それと同じように、patroも、両親ペアじゃない限りge-は本来使うべきではなく、patrojとするべきであり、
ザメンホフはカップルでのみ使ったが、現代ではより広く使われている。しかしそれは非論理的用法とは言えない。
今の論理性では、
何が男性語根か見極め、男性語根で両性が存在する時はカップルかそうでないかを問わずgeを付ける。
となるだろう
307名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/16(木) 14:55:16.09 0
>>304-306
>「理由がないのにそう決まってるのは変だ」と疑問を持つ人に、その理由を答えるのがペア理論
その答えが
>エスペラントではpatrino=母の意味となる。
ですか。
だったら、「エスペラントではstudentino=女子生徒の意味となる」と同じだろ?
これのどこから女子生徒=studentoという解釈ができるんだよ。
職業名にも男女区別があるフランス語やスペイン語やロシア語が母語の人にとっては、
studento/studentinoを区別せずstudentoですませるのは気持ち悪いと考えるだろうし(英語では分けないことをしっているとしても、エスペラントには女性形がつくれるから)、
逆に、人称代名詞にも男女区別があまりない中国語や日本語が母語の人にとっては、li/ŝiを区別せずにriですませるのも簡単なはずでしょう?相対的なものなんだよ。反対する日本人がいるとすれば西洋かぶれというしかないということが明らかだな。

>最先進派では、vito,knaboなど男性性そのものを意味するための単語(〜な人、というその他の役割が無い)と家族語根だけが男性語根で残る。
「〜な人」も「〜をする人」(そのカテゴリの意味的定義は「〜をする人」なので)も、違いが無いということをわかっていない。
日本人の初心者には、esti と それ以外の動詞に絶対的な違いがあると思い込んでいるから、こう誤解するんだよ(中1の英語でbe動詞「〜です」を習って以来)
estiのもともとの意味の「存在する」と、それ以外には絶対的な違いが差は作れないということ。

  kuracistoは、人間を「治療する」男?人間?
  studentoは、「勉強をする」男?人間?
  knaboは、若く「存在する」男?人間?
  viroは、成人として「存在する」男?人間?
308名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/16(木) 14:56:20.39 0
つづき
友好関係にある都市を Ĝemelurbo 以外に、fratinaj urboj「姉妹」都市と訳すことがあるが、それはurbojがもともと女性名詞だったことに由来するだけで、
エスペラントでは女性性をなくして、frataj urboj であろうと、fratiĝintaj urboj であろうとかまわない。
この場合のfrat-には男性性は無い。
形容詞用法以外にも、属格にすると性が失われることがある。現状の多数派のエスペラントであっても、patro(父、FATHER), filo(息子、SON) を使って、avo, nepo, fratoなどを説明するとき、

  frato=(alia)filo de patro
  avo=patro de patro
  nepo=filo de filo

とできると、かつてお前も書いていたと思う。
しかし厳密に言うと、

  frato = alia filo de patro [=FATHER] kaj filo de patrino [=MOTHER]
  avo = patro de patro [=FATHER] aŭ patro de patrino [=MOTHER]
  nepo = filo de filo [=SON] aŭ filo de filino [=DAUGHTER]

であるにもかかわらず、特に、avoやnepoは、明らかに二人の別の人物を指すのでさえ、aŭ以降はしばしば省略されるのである。
つまり、一親等以上の属格のpatro/filoの性別はすでに消滅しているのである。以下のとおり

  frato=(alia)filo de patro [=PARENTS, gepatroj]
  avo=patro de patro [=PARENT, unu de gepatroj]
  nepo=filo de filo [=CHILD, unu de gefiloj]
309名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/16(木) 14:59:24.48 0
つづき
友好関係にある都市を Ĝemelurbo 以外に、fratinaj urboj「姉妹」都市と訳すことがあるが、それはurbojがもともと女性名詞だったことに由来するだけで、
エスペラントでは女性性をなくして、frataj urboj であろうと、fratiĝintaj urboj であろうとかまわない。
この場合のfrat-には男性性は無い。
形容詞用法以外にも、属格にすると性が失われることがある。現状の多数派のエスペラントであっても、patro(父、FATHER), filo(息子、SON) を使って、avo, nepo, fratoなどを説明するとき、

  frato=(alia)filo de patro
  avo=patro de patro
  nepo=filo de filo

とできると、かつてお前も書いていたと思う。
しかし厳密に言うと、

  frato = alia filo de patro [=FATHER] kaj filo de patrino [=MOTHER]
  avo = patro de patro [=FATHER] aŭ patro de patrino [=MOTHER]
  nepo = filo de filo [=SON] aŭ filo de filino [=DAUGHTER]

であるにもかかわらず、特に、avoやnepoは、明らかに二人の別の人物を指すのでさえ、aŭ以降はしばしば省略されるのである。
つまり、一親等以上の属格のpatro/filoの性別はすでに消滅しているのである。以下のとおり

  frato=(alia)filo de patro [=PARENTS, gepatroj]
  avo=patro de patro [=PARENT, unu de gepatroj]
  nepo=filo de filo [=CHILD, unu de gefiloj]
310名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/24(金) 06:52:59.09 0
>>303
> もともとparentもfatherも語源はおなじ。

横から揚げ足取りだが、parent は「産み出す」という意味のラテン語 pario の現在分詞からで、
father(ラテン語 pater)とは印欧祖語の段階で語源が異なる。
311名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/24(金) 09:00:12.56 0
>>310
言い方が悪かった。英語のfather とparentの語源はそのとおり。
言いたかったのは、fatherの語源であるラテン語 pater 自体が、
1. 父 2. 大黒柱 3. 親 4. 祖先 5. 敬称
と、「父」も「親」も含んでいるということ。
現在のロマンス語でも、

西 padres/仏 parents = 父親たち; 両親たち(99人の母親と1人の父親でも)
西 madres/仏 parentes = 母親たち

だから、エスペラントのpatroにも、
1. 父親
2. 親
として(2は現在は非標準だが)使われるという説明が、
http://en.wiktionary.org/wiki/patro#Esperanto
などでも見られる。
312名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/27(月) 20:46:03.47 0
>>311
>英語のfather とparentの語源はそのとおり。
全くいい加減で信用ならない奴だな。
お前の書き込みは一々検索して真偽を確認しなければならないらしいw

>西 padres/仏 parents = 父親たち; 両親たち(99人の母親と1人の父親でも)
>西 madres/仏 parentes = 母親たち
これは何度も書かれている通り、これら言語には両性混在の複数形が存在せず、男性複数形を取らざるを得ないからだ。
同じ単語が単数形で父=親の例を探さないと何の反論にもならない。

ちなみにハワイ語では、父=親+男、母=親+女、という珍しい構造が見られる。
しかし世界の言語でどんな例が見られようと、エスペラントでは最初から現代まで父≠男女含む親なのだから
仮にそのような例を見つけても、今更旧来からの決まりは変えられない。
「このstudentoはたまたま男なんだな」と同じ感覚で
「このpatroはたまたま父だったんだ」では昔の文書は解釈できない。
そこまで変えるともはやエスペラントの破壊だろうね。
真面目なエスペランティストなら、男女平等を装って破壊工作するような真似をすべきではない。
313名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/27(月) 21:28:09.12 0
>>307
>職業名にも男女区別があるフランス語やスペイン語やロシア語が母語の人にとっては、
>studento/studentinoを区別せずstudentoですませるのは気持ち悪いと考えるだろうし(英語では分けないことをしっているとしても、エスペラントには女性形がつくれるから)、

「気持ち悪」ければ、studentoを男性名詞のように使い女子には常にinoを付ける方法も旧来式の慣習用法として認められている。
しかし現代では区別したくないという人の考えの方が優先され、また元々エスペラントに名詞の文法性は無かった事もあり、
名詞の中性化が正常な発展として進んでいると言える。
エスペラントはフランス語やスペイン語やロシア語ではなく、別個の独立した言語なのだから
母語の影響から脱せられずに「気持ち悪い」と感じるのは実は愚かな事である。

また、それら言語での男女区別も単純にその文法性から来てるだけで、
どちらも「大学などで学ぶ人間」の男または女という違いで
言葉の概念としてはほとんど同じだと思われる。
単語が違うと「別概念」のような錯覚するかもしれないが、
単語を定義してみれば大差ないと分かるだろう。

父・母は、生み育ての観点から互いに全く異なる概念を含んでいる。
そのため多くの民族語で別語根となっているのだろう。
エスペラントではその「母」という概念にpatrinoという語を当てた。父女ではなく。

ペア理論で説明すると、
「親」という言葉にならない概念があったとする。
「親」は必ず男か女かどちらかであるから、一つの標識の有無で識別できる。
そこで「親」という概念を消して、無標の方を男=父とし、有標を女=母とした。
これなら西洋語一般の概念区別とも一致して分かりやすい。
しかし西洋語の習慣に合わせずに敢えて同じ語根でまとめたのは
言葉にならなかった「親」という「男女平等」的な概念が根底に存在したからだと考える。
しかしこの「親」という概念はpatro=父となった時点で破棄されたため
今更patroに親の意味を付け足す事はできないのだ。
これは単語の表面だけを観察して、「父から母が派生したからエスペラントは男女差別」
と叫んでいる人への反論のための理論である。
314名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/27(月) 21:31:46.43 0
初心者が来たのかと思ったら、まだ長文キチガイがいるのかよ
315名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/28(火) 10:51:36.49 0
>>312>>313
>これら言語には両性混在の複数形が存在せず、男性複数形を取らざるを得ないからだ。
お前が言うように、ge-を「両親」・「両王」などのペア以外では使わない「とすれば」、
⇒エスペラントも両性混在の複数形は容易に作れないので、男性複数形を取らざるを得なくなる。
  ⇒スペイン語のように、父たち=親たち になる
ってことがまだわからんのか。

>今更旧来からの決まりは変えられない。
それをいってしまえば、「女子には常にinoを付ける方法も旧来式の慣習用法」も変えられない。

>エスペラントではその「母」という概念にpatrinoという語を当てた。父女ではなく。
「当てた」のではなく、父女の形で母を「あらわすことにした」でしかない。

>「親」という言葉にならない概念があったとする。 「親」は必ず男か女かどちらかであるから、一つの標識の有無で識別できる。
「親」が「言葉にならない」w概念なら、「生徒」だって「言葉にならない」だろ?
なぜなら「生徒」は必ず男か女のどちらかであるから。
何日も考えたわりに何も新しいことの無い繰り返し。いい加減、去れ。最後まで言いつづけたほうが勝ちとか思ってる民族かよ。
316名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/28(火) 16:14:04.04 0
>>312-313
>これら言語には両性混在の複数形が存在せず、男性複数形を取らざるを得ないからだ。
お前が言うように、ge-を「両親」・「両王」などのペア以外では使わない「とすれば」、
⇒エスペラントも両性混在の複数形は容易に作れないので、男性複数形を取らざるを得なくなる。
  ⇒スペイン語のように、父たち=親たち になる
ってことがまだわからんのか。

>今更旧来からの決まりは変えられない。
それをいってしまえば、「女子には常にinoを付ける方法も旧来式の慣習用法」も変えられない。

>エスペラントではその「母」という概念にpatrinoという語を当てた。父女ではなく。
「当てた」のではなく、父女の形で母を「あらわすことにした」でしかない。

>「親」という言葉にならない概念があったとする。 「親」は必ず男か女かどちらかであるから、一つの標識の有無で識別できる。
「親」が「言葉にならない」w概念なら、「生徒」だって「言葉にならない」だろ?
なぜなら「生徒」は必ず男か女のどちらかであるから。
何日も考えたわりに何も新しいことの無い繰り返し。いい加減、去れ。最後まで言いつづけたほうが勝ちとか思ってる民族かよ。
317名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/30(木) 12:00:10.25 0
ところで、
testikino
は、卵巣? まんビラ?
318名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/31(金) 07:33:00.98 0
>>313
> また、それら言語での男女区別も単純にその文法性から来てるだけで、
> どちらも「大学などで学ぶ人間」の男または女という違いで
> 言葉の概念としてはほとんど同じだと思われる。
せやな。あれだけ男女同権にうるさいフランスだって、自国語の文法性の廃止なんぞ
露ほども考えていない。ヒトだろうとモノだろうと「文法男性」ならば冠詞や形容詞や
代名詞が「男性形」になり、「文法女性」なら・・・ってなだけで。

日本人はどうしても英語の発想から文法性と自然性を同一視しがちなんだが、
英語は限りなく例外なんだよな、このへんは。
319名無し象は鼻がウナギだ!:2012/08/31(金) 08:47:26.01 0
>>318
フランス語とロシア語における文法性の話は何度も既出です。

>日本人はどうしても英語の発想から文法性と自然性を同一視しがち
「日本人は」だからではなく、ザメンホフが(英語をぱくって)文法性を廃止した、という名目上にも関わらず
エスペラントには性差別があることを、世界中のエスペランチストによって問題視されているのです。

あと、朝鮮弁はやめてください。
320名無し象は鼻がウナギだ!:2012/09/01(土) 18:02:36.56 0
>>315
>お前が言うように、ge-を「両親」・「両王」などのペア以外では使わない「とすれば」、
ザメンホフはペアの意味で使っていたが、現代では、patro、knaboなどのfirme virajな男性語根がinojと共存ならば
geは必ず付けなければならない、とPMEGには書かれているので多くの真面目な学習者はそれに従うであろう。
ちなみに男性語根で男女共存の場合、ザメンホフはknaboj kaj knabinoj(knabinoj kaj knaboj)と書いていたようである。

>  ⇒スペイン語のように、父たち=親たち になる
故にこうはならない、ってことがまだわからんのかw

>それをいってしまえば、「女子には常にinoを付ける方法も旧来式の慣習用法」も変えられない。
firme viraj以外は中性化し既に簡単に変わってしまった。
patroが同時並行で中性に変わるのは相当無理があるから未だに男性語根のままなのだろう。
現実が全てを物語っている。

>何日も考えたわりに何も新しいことの無い繰り返し。いい加減、去れ。最後まで言いつづけたほうが勝ちとか思ってる民族かよ。
お前こそそろそろ新しい話題にしろよ。
いつまでも理解できずに同じ愚問の繰り返しで説明が面倒だ。「概念」の概念が理解できない間はもう質問するな。

>>319
>エスペラントには性差別があることを、世界中のエスペランチストによって問題視されているのです。
それは問題提起としてそもそも誤っている、という認識がもっと広まると良いと思う。
patrinoは父女ではなく、あなたの国の「母」という単語と同じ概念ですよ、という
抽象的な説明が理解してもられると良い。
X-a Y-o ≠ XY、XYは新概念、つまりはpatrino ≠ina patroとなる事実を理解できる知力が求められる。

ちなみに三人称単数の性別問題は、正統派エスペラントではliismoで男女不明の場合はliで代用可。
これが進展すれば男女が明白であってもliとなる可能性もある。
しかし明白な場合になぜsxiと言ってはならないのか、言ったら即性差別なのか、という点に関しては疑問である。
他に考えられる「性差別」は見当つかない。
321名無し象は鼻がウナギだ!:2012/09/02(日) 10:01:35.66 0
気持ち悪いからもうどうでもいいよ。お前もいつか、以下には本来的な境界線は見当たらないことが理解できるでしょう。
PMEGは後になって李承晩ラインを引いているだけの話。
studentino = ina studento
amikino = ina amiko
reĝino = ina reĝo
patrino = ina patro
322名無し象は鼻がウナギだ!:2012/09/02(日) 13:46:23.76 0
>>321
お前もいつか、「概念」の概念が理解できるようになったら書込んでくれ
studentino = ina studento ; studento = vira/ina studento
amikino = ina amiko ; amiko = vira/ina amiko
reĝino = ina reĝo/reĝedzino ; ina reĝo ≠reĝedzino
patrino ≠ ina patro
323名無し象は鼻がウナギだ!:2012/09/02(日) 15:51:22.09 0
>>321
お前もいつか、「概念」の概念が理解できるようになったら書込んでくれ
studentino = ina studento ; studento = vira/ina studento
amikino = ina amiko ; amiko = vira/ina amiko
reĝino = ina reĝo/reĝedzino ; ina reĝo ≠reĝedzino
patrino ≠ ina patro
324名無し象は鼻がウナギだ!:2012/09/03(月) 09:21:44.00 0
>>322
reĝo = vira/ina reĝo ?
なのかどうか、言及を避けている(studento; amiko = vira/inaだといっているのに)。
少なくともお前は過去レスでそうだといってきた。
でも、これをいってしまえば、
patro = vira/ina patro
ともいえるのじゃないかと、指摘されるのを恐れて逃げているだけ。境目が曖昧だという証拠。

>>321はわざと少数派の意見を書いたが、現在の主流派でも以下のように考えればわかる。
1. studentino = ino de studento
2. amikino = ino de amiko
3. reĝino = ino de reĝo
4. patrino = ino de patro

'ino de' の'de'という前置詞は、初心者なら「所有」(「〜の女」、つまり「〜の妻」)しか思いつかないかもしれないが、
「同格」(つまり「女版の〜」)の意味もありうる
(使用例 http://asso.proxiland.fr/esperantolemans/default.asp?a=15819

したがって、1,2は同格(女版の学生、女版の友達)で考えれば良いし、
3,4は、同格(女版の王=クイーン、女版の父=母)とも所有(王の妻=クイーン、父の妻=母)と考えても良い。
西洋人の頭の中では同格も所有も明確にわけずに、一つの語(de)であらわしているから「クイーン」で済ませるのである。終了。
325名無し象は鼻がウナギだ!:2012/09/03(月) 19:07:55.68 0
>>324
終わらせたいなら質問するな
愚かな質問が未だに続くから書かざるを得ないこっちの身にもなってくれ
>reĝo = vira/ina reĝo ?
ある意味そうである意味違う。男性語根Bには意味の二重性がある。(過去レス参照)
>patro = vira/ina patro
これは二重性のない完全な男性語根であるからpatro=viraのみ
>境目が曖昧だという証拠。
全てにおいてカテゴライズとは曖昧さを伴うもの。それを認めなければ言語学は成り立たない。
男性語根の境界の曖昧部分は男性語根Bで受け、それを境に曖昧さは存在させない、という理論。
(これなら分かる参照)
ちなみにPMEGではこの分析まで至っていない。

>1. studentino = ino de studento
>2. amikino = ino de amiko
>3. reĝino = ino de reĝo
当然ながらde には色々意味がある。上記の例を「〜な性質を持つ○」と解釈する事も可能。
PMEGの文例で言うならば、
virino de meza aĝo = “mezaĝa virino”と同じ
つまり、ino de studento = studenta ino = studentoな性質を持つinoとなる。studentoが中性名詞だから成り立つ用法。
お前には意味の区別はできないだろうが、ina studento(女という性質を持つ学生・女版の学生)とは微妙に異なる。
deのそもそもの意味を考えると、完全な「同格」と考えるのは良くないと思う。根拠があるなら日本語またはエスペラントでの説明希望。

patroは男性名詞だからino de patroは、常識それ即ち無言の文脈で解釈するならば、普通は「父の女(所有)」となるだろうね。
日本でも西洋でも同じだろうが、「父の女」という場合、母以外の父の愛人も含まれるだろう。
やや不自然だが「patroの性質を持つ女」と解釈するならその場合は、「女でありながら父のように或いは父代わりに子供に接する女」の意味となるだろう。
養子を持ったレズビアンカップルの男役をそう表現できる場合があるかもしれないから。
この場合でもino de patro ≠ patrino である事がお分かり頂けただろう。
なぜならpatroは常にviraと認識されるから中性のstudentoのようにさっぱりと解釈できないのだ。
326名無し象は鼻がウナギだ!:2012/09/04(火) 12:16:05.20 0
>>325
お前に無駄な質問などしていない。

>全てにおいてカテゴライズとは曖昧さを伴うもの。それを認めなければ言語学は成り立たない。
といっておきながら、自分の意見は「これは二重性のない完全な男性語根」と別物にしてしまっているのが矛盾。

>完全な「同格」と考えるのは良くないと思う。
「完全な」とか、すべてなどいっていないし、お前の「思う」などどうでもいい。

>根拠があるなら日本語またはエスペラントでの説明希望。
すでに、例文は引用しているし、そこのサイト以外でも、
kokido = ido de koko
grupano = ano de grupo
monujo = ujo de mono
と、他の接尾詞だっていえる(常識だし、いくらでもソースは有る)のに、
reĝino = ino de reĝo
でないはずがない(本来の「概念」として)。

だから、「女王」だけでも「王女」だけでもない、「クイーン」という西洋概念と結びつくのだということは、たぶんお前には一生わからない。
327名無し象は鼻がウナギだ!:2012/09/06(木) 20:24:27.05 0
>>326
>お前に無駄な質問などしていない。
お前にとってはそんなに有意義だったか
>といっておきながら、自分の意見は「これは二重性のない完全な男性語根」と別物にしてしまっているのが矛盾。
カテゴリの境界が曖昧、の意味が分かっていない。
はっきりと完全にカテゴライズできる物同士の間に中間的で曖昧な物が存在する、という言語学入門に書いてある基礎事項。

>「完全な」とか、すべてなどいっていないし、お前の「思う」などどうでもいい。
では「同格」という表現は不適切だったと反省しろ。

>kokido = ido de koko
>grupano = ano de grupo
>monujo = ujo de mono
これは「同格」ではなく、A de B は、主要部Aに対してBがその所属先を説明している。
ido,ano,ujoとは何のido,ano,ujoなのか。その説明が語根で、接尾辞が主要部である。
>reĝino = ino de reĝo
同様に解釈すれば、王という性質を持つ女、という意味で、女が主要部という解釈もできる。
328名無し象は鼻がウナギだ!:2012/09/06(木) 20:25:15.39 0
つづき
しかし接尾辞の全てが上記の規則に当てはまるとは言えない。
monteto = eta monto (monto de edo) ≠ eto de monto
この場合は語根が主要部で、接尾辞の方がそれの様態を説明している。
inoをこちらのグループにカテゴライズすれば
reĝino = ina reĝo(reĝo de ino)、女の性質を持つ王、王が主要部と解釈できる。
 
全てにおいてカテゴライズの境界には中間的な物が存在するが、
ino接尾辞はido属とeto属のどちらのグループにも入れる中間的存在だという事が、ここで分かる。

ちなみにエスペラントでは、結合して一単語になると、分かち書きから更に前進した新しい一概念となる事は改めてかいておく。
つまり、monujoは分解すればmona ujoとなるが、
mona ujoが金を入れる入れ物なら何でも指せる一方で、monujoだと「財布」という特定の概念に狭められる。

>だから、「女王」だけでも「王女」だけでもない、「クイーン」という西洋概念と結びつくのだということは、たぶんお前には一生わからない。
reĝinoも一単語であるから特定の概念を持っているとは考えられる。
女王と王妃を同じ単語で表す習慣が西洋語にはあるから、エスペラントでもその慣習を引きずって二つの意味を持っているにすぎない。
単語が同じ=概念として一つ、すなわち、西洋人は王の妻と統治女王の概念的区別ができない、と考えるのは超ウォーフ的すぎる。
彼らも馬鹿じゃないからそのくらいの区別はしてる。
男性語根@A以外の多くの単語は問題なく中性化したが、reĝoは例外的に男性語根と中性語根の双方の意味を併せ持つ男性語根B。
これはエスペラントに貢献してきた西洋人からの負の遺産として受け入れなければならないだろう。
329名無し象は鼻がウナギだ!:2012/09/06(木) 21:35:16.90 0
>>328
どれの続きか明示しろよ。
たまたま続いたけれど、間に入ったら一気に意味不明だぞ
330名無し象は鼻がウナギだ!:2012/09/09(日) 11:32:28.16 0
>>329
328は327の続きです。 まあこのスレに限って言えば
一分未満の間に投稿が重なるような事態は滅多にないから心配無用。
331名無し象は鼻がウナギだ!:2012/09/09(日) 13:10:14.68 0
>>327
>お前にとってはそんなに有意義だったか
「お前に質問をするほど、無駄なことはしない」という意味です。

>では「同格」という表現は不適切だったと反省しろ。
俺「海水には塩分が含まれている」
お前「いや、海水は96.6%が水で、塩分は3.4%にすぎない」
俺「海水のすべてが塩だなどとはいっていない」
お前「では「塩分」という表現は不適切だったと反省しろ。」

>>328
>語が同じ=概念として一つ、すなわち、西洋人は王の妻と統治女王の概念的区別ができない
じゃあ、
日本語ではblueもgreenも「青」=日本人はblueとgreenの概念的区別ができない
なのかよ。いい加減、屁理屈をやめて、負けを認めて去れ。
332名無し象は鼻がウナギだ!:2012/09/10(月) 08:41:29.34 0
>>331
区別できてんじゃねえの?
王妃と、共同統治女王と、全然別だった。
夫君の死去により王妃が摂政として政治をみることはしばしばあったけれど、自動的に女王に
なることは困難が伴ったし。
婚前から持っていた王位を維持したまま別の国の王様と結婚した女王なんていっぱいいる。
この場合、男王は女王の国の王位は無いので、建前上は干渉できない。
333名無し象は鼻がウナギだ!:2012/09/10(月) 08:52:04.60 0
>>331
海水の例えは的外れ。
PMEGによってもdeの用法の中に「同格」は0パーセント。
ただし文法的な解釈は学者によるから、他の学者がdeの用法の中のどれかを「同格」としている例もあるのかもしれない。
仮にあるなら、どの用法をどんな根拠で「同格」と呼ぶのか説明すべき。
できないなら、お前は自分でも何言ってるのか分からずに「同格」と書いた事になる。
「青」については、お前にも反省が見られたようだから、それで良い。
同じ単語でも、文脈の助けがあれば概念的な区別はできるのである。
334名無し象は鼻がウナギだ!:2012/09/10(月) 08:56:29.36 0
ここってポメ語信者に占拠されてるのか
335名無し象は鼻がウナギだ!:2012/09/10(月) 09:33:58.25 0
>>334
現時点で誰もが手軽に参照できるエスペラントによる文法説明書はPMEGしか無い。
信者になる云々以前にそれしか無いw
それに俺の場合は批判的視点も込みで読んでいるから信者とは呼ばれたくないね。
PMEGの記述が自分の見解と合致していれば「良し」だが、そうでない場合もある。
また、エスペラントによる文法問題の提起は単発的にブログなどにも存在し、それらを参照する事も可能だが
まとまった形ではないだけに探し出すのが面倒。見つけたら教えてくれ。
336名無し象は鼻がウナギだ!:2012/09/10(月) 09:57:00.94 0
>>332
区別できているよ。だけど、同じ言葉で表していただけ。区別が必要な際は、regnantだのconsortだのつける。

>>333
deの「同格」という表現については、確かにPMEGだけでなく、PIVでも、
Krom la kazo en kiu dua substantivo estas mezuro de la unua (ekz. sumo de mil frankoj), apozicieca uzo de de ne estas menciita en PIV (1970).
PAGでも、
PAG §132 diras ke nominacio estas ligita ĉiam senpere, sen prepozicio: "la monato Septembro".
と言われているので、その点はお前に指摘される前に訂正しておく。
しかしながら、依然、>>324であげたソースのように"la ino de porko"は、"ido de koko"同様にありうる。
これは、「雄豚の所有の妻=雌豚」でも結果は同じだが、「雌版の豚(中性)」と見るのが正しいということ(この場合、妻たる雌豚ではなく、女たる豚だということ。これを同格のようなものと呼んだ)
したがって、"la ino de patro"は、「父の所有の女=母」でも良いし、「女版の親(中性)」(お前もそういっていた。つまり、patro=親 とも解釈できる)だし、
"la ino de reĝo "は「王妃」でも「女王」でも良いということ(同一語で、「母」は結局同じだったが、この場合は立場が異なる)。

また、ドサクサに紛れて、私は言っていないことをイコールで結びつけ、「超ウォーフ的すぎる」などとほざいていたのに、
間違いに気づき、「お前にも反省が見られたようだから」などと、相手に責任を擦り付けないように。
337名無し象は鼻がウナギだ!:2012/09/10(月) 18:24:54.83 0
>>336
>区別できているよ。だけど、同じ言葉で表していただけ。区別が必要な際は、regnantだのconsortだのつける。
いちいち付けなくても、クイーンエリザベスは王妃ではなく女王。常識や文脈でも区別できる。

>"la ino de patro"は、「父の所有の女=母」でも良いし、「女版の親(中性)」(お前もそういっていた。つまり、patro=親 とも解釈できる)だし、
俺はpatroを中性の「親」として扱った事は一度もない。
ペア理論では、両性の揃う「親」という概念は常に男か女かどちらかであるため、言葉になる前に消えたと考えている。
よってpatroは常にvira。理解して下さい。

それからお前の間違いをもう一つ。
deの形容の順序として ino de patroは「父版の女」とはなりえても、
「女版の父(patro de ino/ina patro)」にはならない。
ino de porko/ido de porko=porka ino/porka ido。
これらをina porko/ida porkoに書き変えても、事実上意味内容は変わらないが
文法上の区別はきちんとしておいた方が良い。
でなければ、ujo de monoはuja monoだと言い出しかねないだろう。
>その点はお前に指摘される前に訂正しておく。
調子に乗って出鱈目ばかり書いていると、このように結局は反省の弁を余儀なくされるのだ。

男性語根+inoについては、西洋人であっても解釈に頭脳を要する、エスペラントの鬼門と言える。
中性語根+inoであれば、-eto同様に ina ○○ と簡単に解釈でできるが、
男性語根-inoの場合、男性語根は常にviraであるためinaという形容とは矛盾を含んでしまう。
論理の一貫性に過剰に囚われると、monteto=eta monto,studentino=ina studento よってpatrino=ina patroでしょ
としたがる人間もいるのだが、人間の感覚は自分自身で思う以上に柔軟性があるのである。
patroが男の父だとしたら、patrinoはpatroと並んで世話してくれるその女版、(親と言う概念は言葉になってないが)
とイメージで考えればよい。言葉を論理だけで理解してはならない。
感覚で自然に理解すれば studentino=ina studento sed patrino≠ina patroという一見矛盾も
決して不自然に感じないのである。
338名無し象は鼻がウナギだ!:2012/09/10(月) 19:39:56.35 0
>>337
>言葉になる前に消えたと考えている。
言葉を濁さないでください。曖昧な表現をやめて、万人に納得のいくようソースをつけて説明してください。

>出鱈目ばかり
これまで数々のあなたの間違いを指摘してきたにも関わらず、そういう感情的な反論はやめてください。

>言葉を論理だけで理解してはならない。
これを「ごり押し」といいます。感情論を垂れ流しにするのではなく論理だてて説明するよう心がけてください。それができないのなら消えて下さい。
339名無し象は鼻がウナギだ!:2012/09/11(火) 18:48:24.07 0
>>338
罵りだけか。建設的な反論が無いからお前の負け。
「言葉を論理だけで理解してはならない。」とは「感情で理解しろ」という意味ではない。
意識的な論理性は常に言葉を介して理解されるが
言葉未満の段階でも無意識に合理的な思考がなされている。
その意識下の合理的思考から逆に言葉が選ばれている。
従って言いたかったのは、言葉というものは、言葉そのもので表面化できる論理だけでは説明できないよ、という意味である。
深い、深すぎるだろうな、お前にはww

patroを vira homo, kiu naskigis infanonとするならば
patrinoは ina homo, kiu naskis infanon となり、対照的にきれいにまとまる。
ここには無意識下にhoma paro, kiu havas infanonという概念が存在し
それをベースに合理的な補正がなされ、patro=父、patrino=母と理解しているのである。
その無意識の合理性に気付かずに、言葉の表面だけ見てina patroと解析し、
それが論理的であると考えるのは、実は短絡的でお粗末な知性なのである。
340名無し象は鼻がウナギだ!:2012/09/11(火) 23:23:56.28 0
なぜそんなに中性にこだわるの?
341名無し象は鼻がウナギだ!:2012/09/12(水) 08:29:29.85 0
洗剤だから
342名無し象は鼻がウナギだ!:2012/09/12(水) 08:56:32.13 0
>>339
>言葉というものは、言葉そのもので表面化できる論理だけでは説明できないよ、という意味である。
説明できない持論は何レス・何スレも使って、書き込まないでください。荒らしでしかありません。

>ここには無意識下にhoma paro, kiu havas infanonという概念が存在し
paroは、中性名詞ではなく、複合名詞である。お前の言うpatroは複合名詞という意味で言っていたのか。いつからそうなったの?また話がややこしくなる。

じゃあなに、
fratoを vira ido, kiu estas de samaj gepatrojとするならば
patrinoは ina ido, kiu estas de samaj gepatroj となり、対照的にきれいにまとまり、
ここには無意識下にida paro, kiu estas de samaj gepatrojという概念が存在するから、fratoも男性名詞なの?www

そうじゃないというのなら、
studento = vira homo, kiu studas
studentino = ina homo, kiu studas
これも否定できるわけが無い。もういい加減荒らしはやめてくれないか?
343名無し象は鼻がウナギだ!:2012/09/12(水) 08:57:11.32 0
×複合名詞
○複数名詞
344名無し象は鼻がウナギだ!:2012/09/12(水) 12:06:44.83 0
>>339
> 従って言いたかったのは、言葉というものは、言葉そのもので表面化できる論理だけでは説明できないよ、という意味である。

言霊主義者か。霊にも合理性があると主張しているのと事実上変わらないよね。
345名無し象は鼻がウナギだ!:2012/09/12(水) 12:08:11.97 0
神にも霊にも人間がそれを発明するだけの合理的理由があった、
進化論的合理性があったんだといくら言われても、
それを説明できないことには宗教以上のものにはならない。
346名無し象は鼻がウナギだ!:2012/09/12(水) 13:19:21.79 0
まあ、エスペランチストは大本が多いからな。というかそれと左翼しかいない。
347名無し象は鼻がウナギだ!:2012/09/13(木) 21:41:05.81 0
>>342
>fratoを vira ido, kiu estas de samaj gepatrojとするならば
>fratinoは ina ido, kiu estas de samaj gepatroj となり、対照的にきれいにまとまり、
>ここには無意識下にida paro, kiu estas de samaj gepatrojという概念が存在するから、fratoも男性名詞なの?
その通り。良く出来ました。ただし、ここでのparoはカップルの意味ではなく、より抽象的な「概念としての男女の対」と考えると良い。
子供が生まれるならほぼ二分の一の確率で男または女。
この世には常に男女がペア(対)で存在するものだ、という原始からの潜在的認識が人間にはあるとペア理論では考えている。
日本語では「ひこ」「ひめ」のように、「こ」は男、「め」は女、で対の概念を表すが、
同じ事をエスペラントでは言語経済上、男を無標の男性名詞、女を男性名詞+有標で区別しただけである。
そしてこれが応用された単語は、民族文化に依存しない単語、即ち、人類普遍的に男女そのものを表す名詞(viro,knabo)と親族名詞
であるのは結果的に見て実に面白い現象だと思う。
>studento = vira homo, kiu studas
>studentino = ina homo, kiu studas
これはstudento=homo,kiu studasと考えて中性。
ペア理論の考えでは、基本的に「人類普遍的な男女の対」、つまり人類全般の真理である単語に対してだけ男性名詞が使われる。(当然例外はある)
昔の文明では学生は男だけだったから、そこには最初から男女の対という概念は存在しない。
男女の併存が普遍的真理ではない単語だからこそ逆に、そこに女性が流入してしまえば即中性化するのだ。
この事実の面白さに気づけば、エスペラントは語根が男性名詞だから女性差別だとか、
いやpatroも中性名詞にして平等にすべきだ、とかいう主張が如何にバカバカしいかだ。
348名無し象は鼻がウナギだ!:2012/09/14(金) 13:11:28.11 0
>>347
>ここでのparoはカップルの意味ではなく、より抽象的な「概念としての男女の対」と考えると良い。
paroのどこにそういう定義があるのか根拠を出してください。妄想でなければ。

>同じ事をエスペラントでは言語経済上、男を無標の男性名詞、女を男性名詞+有標で区別しただけである。
だから何度も言っているように、女であるたびに、毎回、「+有標で区別」しなければならないことを、差別だと批判されているのです。
しかも、いつ「+有標」を省略できるのか(中性名詞か)が、多くの例外を含む曖昧とした基準でしか分けられないので、解釈には個人差がでる。
たとえ、一人が中性だの主張したところで、結局、誤解の無いように話す場合には、
amikoj kaj amikinoj
studentoj kaj studentinoj
とするしかない。
言葉は机上の空論ではなく、正しく物事や主張を伝えるためのツールなのだから、実践で何人にも誤解の無いように伝えるには、そうするか、英語で書くしかないのであるw
お前はその実践がないから、PMEGで言ってるから、絶対なんだよ、patroを中性とするのは間違いだよとほざいているだけ。

>そこに女性が流入してしまえば即中性化するのだ。
PMEGだって、即中性化などしていない。お前の妄想もそこまでにしておけ。

>この事実の面白さに気づけば
お前の妄想が面白いよ。
349名無し象は鼻がウナギだ!:2012/09/14(金) 19:35:48.05 0
ラテン語かフランス語かが少し解るアシュケナジーと、
ドイツ語か英語かが少し解るセファルディムとが、
会話するための補助語には良い出来なんだけれどねえ。
350名無し象は鼻がウナギだ!:2012/09/14(金) 20:28:06.23 0
仮にエスペランチスト家族がこの世の中に存在するとして、その子供が家で親を呼ぶときは、
  パパ paĉjo
  ママ panjo
なわけで、patro=中性 としても実質、まったく変わらない。
「親」「父」「母」というような語彙は、家族を紹介するなど、ある程度かしこまった場合なのだから、
  父 virpatro (patriĉjo)
  母 patrino
で、patroから一音節が増えても、問題ではない。この場合、逆に「片親」はpatroなのだから、言語経済的にはこちらで大きく節約(unu de gepatrojより)でき巻き返せる。
同様に「きょうだい」は家庭内なら呼び捨てなわけで、第三者に話す場合などに、
  兄 virfrato (fratiĉjo)
  姉 fratino
といえば良い。一人の(ペア云々など使えない妄言ではなく)「きょうだい」はfratoだし、複数ならfratoj。geをつけるべきか、迷う必要もない。

[結論]
雄牛virbovo 牝牛bovinoと同様に、
人間にもinoがあるのと同時に、virがある、⇒ だから男女平等
とようやくいうことができるし、利便性に問題も無いことが証明された。
studento(中性学生)-studentoj(男女学生)と「男性語根」の違いをくだらない妄想で何スレも消費してまで分ける必要がなく、将来的にエスペラントの論理性が評価されるチャンスなのに、それを阻止するのは、
西洋語の影響でstudentoでも女子学生をあらわす新風潮に反対していた老害たちと精神構造も一緒のつもり(つまり西洋かぶれ)。
351名無し象は鼻がウナギだ!:2012/09/14(金) 21:08:10.41 0
     _人人人人人人人人人人人人人人人_
     >     わりとどうでもいい      <
      ̄^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^^Y^ ̄
               ヘ(^o^)ヘ
                  |∧
                 /
352名無し象は鼻がウナギだ!:2012/09/17(月) 11:54:04.90 0
★近い将来、多数派となるであろう超合理的なエスペラント★
(現在は不統一、特に4や、5はさらに少数派)
1.
bovo ・・・ 牛
virbovo ・・・ ブル
bovino ・・・ カウ
gebovoj ・・・ つがいの牛
2.
koko ・・・ にわとり
virkoko ・・・ ルースター
kokino ・・・ ヘン
gekokoj ・・・ つがいのにわとり
3.
amiko ・・・ 友達
viramiko ・・・ 男友達
amikino ・・・ 女友達
geamikoj ・・・ カップルの友達(たち)
4.
reĝo ・・・ 君主
virreĝo ・・・ キング
reĝino ・・・ クイーン
gereĝoj ・・・ 両王(たち)
5.
patro ・・・ 親
virpatro ・・・ 父
patrino ・・・ 母
gepatroj ・・・ 両親(たち)
以上、例外、言い訳、屁理屈一切なし。ge-が対の意味しか持たないのなら、これでよい。
353名無し象は鼻がウナギだ!:2012/09/17(月) 12:09:18.82 0
★伝統に執着する場合★
1.
bovo ・・・ ブル
bovino ・・・ カウ
gebovoj ・・・ 牛、つがいの牛
2.
koko ・・・ ルースター
kokino ・・・ ヘン
gekokoj ・・・ にわとり、つがいのにわとり
3.
amiko ・・・ 男友達
amikino ・・・ 女友達
geamikoj ・・・ 友達、カップルの友達(たち)
4.
reĝo ・・・ キング
reĝino ・・・ クイーン
gereĝoj ・・・ 君主、両王(たち)
5.
patro ・・・ 父
patrino ・・・ 母
gepatroj ・・・ 親、両親(たち)
354名無し象は鼻がウナギだ!:2012/09/18(火) 10:05:25.36 0
     _人人人人人人人人人人人人人人人_
     >     すごくどうでもいい      <
      ̄^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^^Y^ ̄
               ヘ(^o^)ヘ
                  |∧
                 /
355名無し象は鼻がウナギだ!:2012/09/18(火) 10:24:37.91 0
>>354
こういったエスペラントの文法事項の根本に関わる議論がどうでもいいというのなら、エスペラントの何が大切な議論なんだろう。
エスペラント自体がどうでもいいというやつならここにはこないだろうから、
単なる「ペア理論」w者の負けによる荒らしとみなすべきかもしれませんね。
356名無し象は鼻がウナギだ!:2012/09/18(火) 11:49:58.87 0
フェミにかぶれた男女同権論者がエスペラントに粘着して荒らしているんですよ
357名無し象は鼻がウナギだ!:2012/09/18(火) 12:57:21.65 0
いやいやw
現状のエスペラントでも男女平等だとか、崇高で問題が一切ないとか妄想を言う人がいるのでね、、、
嘘はいけないでしょ。
358名無し象は鼻がウナギだ!:2012/09/18(火) 13:33:55.67 0
妄想じゃないでしょ。だいたい合っているよ。
さらに細かい因縁をつけて粘着しているのがチンピラ化した一部のフェミ。
359名無し象は鼻がウナギだ!:2012/09/18(火) 13:42:43.74 0
お、やっぱり本人だったんじゃないかw
まあ、相手をフェミだのチンピラだのと決め付けるのは、、男女平等で、崇高どころか問題ないことを証明してからにしろw
できないのだったら、そういった罵声は負け犬の遠吠えでしかない。2chらしいな。
360名無し象は鼻がウナギだ!:2012/09/18(火) 16:16:03.10 0
>>352
なんで一綴にしなきゃあならんの?
複合語というか形容詞かぶせればいいじゃん。
361名無し象は鼻がウナギだ!:2012/09/18(火) 21:31:08.10 0
うん?複合だから一綴りになってるんじゃないの?
何を言いたいのかわからん。

基本的に、形容詞viraとわけても、vir-と接頭辞のように使っても同じ。
例:vira aktoro=viraktoro男優 (英語に釣られて男性と考えるかもしれないが、PMEGは中性にしている)

inoは基本的に接尾辞だが、inaとしても「いわゆる中性語根」を修飾することも可。例:studentino=ina studento

で、ここからが大事。
エスペラントには、もともと男性語根も中性語根もなかったのだから、全部が中性語根とみなしたっていいでしょってこと。
今はごちゃまぜになっていて、patroは「父」、amikoは「友達」か「男友達」、studentoは「学生」か「男子学生」とかになっているけれど、全部、中性とみなせば、

ina patro=patrino は「女性の親」、だから「母」
vira patro=virpatro は「男性の親」、だから「父」

となるということ。ここに、フェミだのやくざだの話は出ようが無い。
362名無し象は鼻がウナギだ!:2012/09/19(水) 02:40:46.72 0
接頭辞のほうが頭なので価値が高いから、そこに隠れた女性差別思想がある。
363名無し象は鼻がウナギだ!:2012/09/19(水) 06:26:38.83 0
gepatroj は両方立ててるんだけどな

じゃあ、
masklpatro
femalpatro
なら平等だけど、それこそフェミだろw
364名無し象は鼻がウナギだ!:2012/09/19(水) 10:52:48.49 0
四時間でちゃんと喋るように習得できるんだろ。
なんで性別の正解出すのに何日もかかるよ? 四時間よりずっと短い時間で決着付けろよ。
365名無し象は鼻がウナギだ!:2012/09/19(水) 11:25:34.89 0
四時間をはじめ、エスペラント関連出版物のほとんどは誇大広告などの詐欺の恐れがあります。
366名無し象は鼻がウナギだ!:2012/09/19(水) 12:00:22.95 0
>>362
ここまでくるとどんな些細なことでも屁理屈をつけて因縁をつけるチンピラ同然。
367名無し象は鼻がウナギだ!:2012/09/22(土) 16:39:02.66 0
そういう議論はどうでもいいから
もう一度スレタイ見直したら?
368名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/02(火) 21:00:21.82 0
静かになって良かった。。。
369名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/02(火) 22:51:02.57 0
Mi parolas uzate Esperanton.

これって非文かなあ?
370名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/02(火) 23:12:36.16 0
>>369
あなたが何を伝えたいのか
背景と伝いたいとする意訳文も無ければ判断できない
まずは日本語で整理してみよう
371名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/02(火) 23:40:13.72 0
ごめん。Mi parolas uzante Esperanton.だった。
「私はエスペラントを使って話しています」のつもり。
372名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/02(火) 23:48:07.42 0
それはuzante要らない
副詞を入れると複雑化して初心者に通じなくなる
373名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/03(水) 00:04:28.94 0
Mi uzas Esperanton kaj parolas Esperante.
よりもシンプルでいいかなあと。
374名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/03(水) 10:27:27.04 0
まず、非文かどうかの質問に、意訳文がなければ判断できないというのは間違い。
たとえば国際的なエスペランチスト同士の会話で、「これは非文か?」という話題になったときに、「日本語の意訳文がなければ判断できない」とかいうのかよw

paroliを自動詞ととるのであれば可能。uzanteも可。
Mi uzas Esperanton kaj parolas Esperante. については、
Mi parolas Esperante. のときに、uziしないはずはないので、kaj前は不要。
Mi skribas kaj parolas esperante.はよい。
これは、skribiがparoliにひきづられ、自動詞として使われている例。
このように、本来曖昧な自動詞と他動詞を無理やり分けようとしたり、-igi他動詞化だの-igxi自動詞化だので混乱させたのがエスペラントの失敗。

paroliを他動詞(例:ネットワーカーの(1) Multaj homoj povas paroli Esperanton. )ももちろんある。
375名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/06(土) 03:16:52.06 0
先生がうやむやにしたので今のエスの流れ的には、固有名詞は
例えば、名古屋
「NAGOYO」
ってするんですか?
パリなんか
「PARIZO」
って言う先生と
「PARI」
の方が良いって先生が居るんですが。
ムリクリ、エスにする必要は無いと思うのですが。
場合に依っては違う地名になったり名前になったりします。
376名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/06(土) 04:21:02.95 0
人それぞれ
臨機応変に対応するしか無い
日本人の名前の母音が変わって別人になるって場合もある
377名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/07(日) 14:30:37.32 0
>>374
>このように、本来曖昧な自動詞と他動詞を無理やり分けようとしたり、

エスペラントは対格型の言語として設計されたため、自動詞と他動詞の意味上の違いは本来は重要であるし、
それをしっかり区別しようとしている点は評価に値する。
それにより意味が明示的になり、聞き手の側の誤解や迷いが生じる余地を減らしている。
例えばopen、「開(ひら)く」は日英とも自他同型だが、
それが可能なのは、主語が生物ならば他動詞、ドアや窓のような「開く物」ならば自動詞と、
語彙に頼って理解しているだけなのである。
エスペラントは誰にとっても外国語であるべきなのが本筋だから、
主語の単語が知らない単語である場合も多々あるという前提で設計されてると使用者は助かる。
ホニャララがmalfermiĝis.ならばホニャララは何か開くべき物だろうと推測できる。
ホニャララがmalfermisだと、それは開ける力を持つ何かで、さらに開けられるionがどこかに期待できる。
Ŝoĵo malfermiĝis.なら障子が開いた。Ŝoĵo malfermisなら少女が開いた、と
日本語を知らない外国人エスペランティストにも親切な設計なのである。
378名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/07(日) 15:16:30.05 0
なるほど、そういう考え方もあるんだね。
379名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/07(日) 15:20:14.85 0
artikoloを例えば日本語の「冠詞」の意味で使うとしたら
これは可算名詞になるでしょうか、それとも不可算名詞になるでしょうか。

エスペラントの場合は冠詞の下位分類は定冠詞の一種類のみなので
artikoloという単数形でよいように思いますが、英語の冠詞を指して使う場合、
冠詞の下位分類には定冠詞と不定冠詞があり、
さらに不定冠詞にはa/anが二つあるので、artikolojとする必要があるんでしょうか。
380名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/07(日) 17:31:53.94 0
複数形は使わなくていいよ
話の前後でわかる
381名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/07(日) 17:50:34.19 0
そうなんだけど公的にも使わなくて良いとされる冠詞と違って
複数形が必要になる場合があるから注意しなきゃいけない。
例えば紙paperoと書類paperoj
しかしこれも集合接尾辞の-arを使って複数形を使わない人もいるから
モノリンガルスレとしては異論はないけどね。
382名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/08(月) 09:49:34.39 0
>>377
>それをしっかり区別しようとしている点は評価に値する。
>それにより意味が明示的になり、聞き手の側の誤解や迷いが生じる余地を減らしている。
はじまった、逆宣伝・ほめごろし、、、
こうやってエスペラントを破壊に貶める。
「エスペラントは超簡単な言語ですよ」と極めて馬鹿げた宣伝をすることで、
そんな宣伝に引っかかるような万年初心者だけを集めて、自分が唯一教えられる入門教室を何度も開催する。
言語学的関心をもった人間にはそんな甘言は逆効果だと知っており、自分より将来性を感じる危険なエスペランチストは寄せ付けない目論見である。

答えは単純で、エスペラントの失敗に過ぎない。
対格があれば他動詞とわかり、なければ自動詞で済む話で、
1. malfermis pordon
2. malfermis pordo
で、だれがドアを「開いた」のか、だれかが「開けた」のか、十分わかったはずである。なぜなら、1には、-nのつかない主語がかならず出てくる。2は-iĝiがなかったとしても、pordoが主語ならば、通常、はじめに持ってくればいいのだから、誤解しようが無い
malfermiは、iĝiをつけなければ現在のエスペラントでは間違いとされるが、実際に自他同形の動詞だってあるのが笑える。

1. La cigaro fumas.
2. Li fumas cigaron.

これで、「ホニャララがfumiĝis.ならばホニャララは何か開くべき物だろうと推測できる」とかいうのかよwww

>Ŝoĵo malfermiĝis.なら障子が開いた。Ŝoĵo malfermisなら少女が開いた、と
そんな語はないデマはいいかげんにしろ
383名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/08(月) 10:41:52.67 0
>>381
抽象的な概念が可算か不可算がというのは、西洋語の間でも多少のばらつきがあるから
そう深刻にならずとも良い。
「冠詞」に「定冠詞」「不定冠詞」あるいは「部分冠詞」など、
感覚的に何種類かあるように感じたら、それらをまとめて複数形で呼んで良い。
また冠詞類は総じて云々という文脈では、それらをまとめて不定の単数形で表しても良いだろうね。
384名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/08(月) 11:04:35.14 0
>>382
西洋人の陥りやすい勘違いまで猿真似するんだな。
日本人は西洋語でない言語が母語だから、言って見れば西洋人より幅広い視点でエスペラントを眺められるんだよ。

>実際に自他同形の動詞だってあるのが笑える。
>1. La cigaro fumas.
>2. Li fumas cigaron.
エスペラントの例外として真っ先に上げられる凡庸な事例だが、
これはfumiの主語が「煙を出している」(=自動詞)と捉えると良い。
人間が煙を出すのは常識上煙草を吸っている時に限られるから
「彼は煙草(類)を吸う=喫煙する」は Li fumas.だけでも表せる。
ただし煙草類には葉巻やシガレット、パイプなどがあるから、それらを限定したい場合に
目的語として対格を補っているだけである。
Li ridis.通常自動詞扱いだが、Li ridis sin.とさえ言える。
ワルツを踊る、などと同様、行為の補足説明を対格で表しているだけにすぎず、
目的語があるから他動詞、無いから自動詞という理解は、西洋人すらこの誤解に囚われているのだが、実際には間違いである。
目的語があってもなくても動詞の意味は変わっていないのだから、自動詞だ、他動詞だ、と区別するのはおかしいのだ。
385名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/08(月) 11:30:31.31 0
本来の自動詞他動詞の意味上の区別というのは、全く別物である。
対格型のばあい、その動詞の表す行為を自ら行う物が主語である。
しかしよく考えてみると、
「ドアが開(ひら)いた」は主語のドア自身が変化する。
「彼はドアを開(ひら)いた」は変化するのは彼ではなく、目的語のドアである。
双方とも開くのはドア。
能格型といわれる言語では、自動であろうが他動であろうが、変化するものを常に無標で表す。
しかし対格型では、変化する物ではなく、動詞の行為主を無標(主語)で表すのだから、
自動詞の場合と他動詞の場合では、動詞の表す意味は全く異なる筈である。
だから日本語では、あく=自動詞、あける=他動詞、と区別している。
エスペラントではこの本来のあるべき意味の区別を厳密にしているだけである。
これは「失敗」ではなく、言語学的に見ても厳密に設計されていてなかなか面白い、と褒めるべきであろう。
386名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/08(月) 12:08:14.10 0
kelka 抽象名詞/物質名詞
kelkaj 物体名詞

kelke da 名詞
との間に、
何かニュアンスの違いがあるんでしょうか?

kelka/kelkaj/kelke daには、
「僅かの、少数の、若干の」という意味がありますか?
それとも、そういう意味はなく、
「不定の」数・量・種類だけを中立的に表すものでしょうか?

387名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/08(月) 12:35:23.14 0
>>386 書き忘れました。
Reta vortaroによると、tutaやpli grandaと対比して不定の複数を指す語である
というようなことが記されています。
しかし辞書や邦訳文によっては、多少の、とか、少数の、とか、若干の、とかいう
訳語を当てているものが見られるように思います。
んーん、これは同義なのかなぁ?
tutoやpli grandaと対比すると、少数の意味でしか考えられないのかな。
388名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/08(月) 12:47:07.66 0
また、かまってちゃんが涎たらして長文書いてきた。
>西洋人の陥りやすい勘違いまで猿真似するんだな。
どこがだよ。ちゃんと説明しているだろうが、「malfermiは、iĝiをつけなければ現在のエスペラントでは間違いとされる」と。
で、ridiで反論か、
"Li ridis maldolĉan ridon." (=ridis maldolĉe)
じゃあ、自動詞の同族目的語の話に戻るだけ。お前のつきたネタなどもういいわ。
389名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/08(月) 12:51:08.49 0
>>381
ただの紙と書類の場合じゃ、意味がかなり変わると日本人も解釈するだろうから、
そのケースでの使い分けはたぶん重要だね。

名詞の不可算用法は、
物質名詞を一定量に分割せずに言う場合と、
固有名詞を同姓同名に注目せずに言う場合と、
集合名詞をその中の構成員に注目せずに言う場合と、
抽象名詞の場合だったかな。

でも、可算は通常は個体を表すけど、種類を表す場合もあるんで、
種類に注目すると、抽象名詞などの不可算名詞もすべて可算化するんだよね?

ある抽象名詞の下位分類があるとすると、その下位分類を念頭において
表そうとするときには、抽象名詞も可算用法をとる。
このあたりは、話者の主観に任されてて、自由に決めていいんだろうか。
390名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/08(月) 14:25:32.68 0
>>386
kelke daにすると、スラブ語の影響下の非論理的な言い方が露呈してしまうので、エスペランチストにとって封印したい表現。

Kelke da serpentoj manĝas kun granda apetito kelke da bufoj.
391名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/10(水) 09:01:46.84 0
>>389
>ある抽象名詞の下位分類があるとすると、その下位分類を念頭において
>表そうとするときには、抽象名詞も可算用法をとる。
>このあたりは、話者の主観に任されてて、自由に決めていいんだろうか。
そういう理解で良いと思う。
例えば、vinoは通常物質名詞で不可算だが、何ワイン、どんなワインか、という区別が念頭にある文脈では複数形になる。
母語で可算不可算の区別をする話者は、どういう場合にどちらを使うかが慣習化されているから頭を使わずに使い分けできるが、
我々にはそういう言語慣習が存在しないので、場合場合で自分の頭の中のイメージに基づいて使い分けなければならない。
ただし、可算不可算の区別の細かい事例で言えば、西洋語間でも慣習的なズレは存在する。
だから何が正しいとかそれほど神経質にならず、個々が独立して数えられるイメージだと自分で判断したら可算名詞、
くらいに開き直っていれば良いのだと思う。
392名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/10(水) 09:51:28.40 0
>>390
そのような外見上の非論理性を嫌う人はkelko daなどと言えるし、それも文法ミスではない。
しかしkelke da用法はエスペラントに根付いている。

「数量詞遊離」という文法用語は知っているかな?
日本語ではhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%B0%E9%87%8F%E8%A9%9E参照
エスペラントのkelke da用法もこれに近いものかもしれなく、
言語現象的には面白い事例だと、私は関心を持っているのだが。
今後は言語学的に根拠が解明される可能性もあるから、
今の無知な段階で「非論理的」と「封印」したらもったいない。
393名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/10(水) 12:59:52.06 0
Kelke da serpentoj manĝas kelke da bufojn.
とすると非文になっちゃうんですかねえ?
394名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/11(木) 14:23:46.44 0
「非論理的」というのは、
「対格があるおかげで語順は自由自在!なんて素晴らしい言語なのでしょう!」
という押し売りもできませんなwということです。
残念ながら「非論理的」に、前後の文脈とか、倒置じゃない限り西欧語の主語は大体最初、という習慣から推測するしかありませんwww

>>393
前置詞のあとに対格がありうるのは方向のen, alだけ。初心者は引っ込んでおけ、とはここではいわない。
395名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/11(木) 15:37:58.25 0
daって前置詞だったのか。接置詞とするならむしろ後置詞っぽい感覚があった。
396名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/11(木) 15:45:21.10 0
daはdeの派生みたいなもんだから
deを使うのが無難
訳せばどっちも「の」
397名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/11(木) 16:09:06.96 0
daは量詞とか助数詞っぽい。
398名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/11(木) 16:32:33.07 0
>deを使うのが無難
面白すぎる答えだなw

botelo da biero は1ビンのビール
botelo de biero はビールのビン

って習わなかったかいw
まあ、外国語といえば英語しか知らないような人には難しいだろうが。でも確かに、deにあれだけ意味を含めてるんだから、この際、daも吸収して、廃止しても問題ではないだろうがな。
文脈からして、1杯のコーヒーくれ、とコーヒーカップくれ、で迷うようなことはないだろうし。

ヘビが食われるのか、カエルが食われのるかがわからないような文章が認められていることの方が問題だwww
399名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/11(木) 16:51:27.86 0
>>398
エスペラント教えるような学校とか塾とかあるんかいな
400名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/11(木) 17:12:14.78 0
自分の無知は「学校がない」せいなのかよw

>>3でもやっとけw
ビール瓶の話は「エスペラント入門講座」(これくらいググれよ)にあるから、せいぜい頑張れ。
401名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/11(木) 17:18:26.10 0
>>398
ほら、やっぱり後置詞っぽいでしょ? なんとなく助数詞っぽくもある。
402名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/11(木) 17:21:57.08 0
自分が「っぽい」と解釈のは勝手だが、間違った用語の使い方を周りの人に薦めたり、書き込まないこと。
まずは、前置詞すべてを覚えてからにしてください。
403名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/11(木) 17:30:50.72 0
daが風変わりなのは前置詞の前に修飾語が置かれるように見えること。
daに関しては日本語の「の」と同じ語順になっているように見えなくもない。
404名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/11(木) 17:53:55.67 0
お前等、日本語で「〜の…」とかって無理やりやってるからいつまでも初心者なんだよ。
いいか、よく聞け。日本語などの膠着語とエスペラントは全く別物なの。
後置詞なわけがない。
だったら、これどうやって訳すんだよw

Da riĉo kaj honoro li havis tre multe.
405名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/11(木) 19:32:39.90 0
複数形は使うなということなので排除することにして
3本の矢という表現は 3a jao
今問題になってるのは以下の表現の違いということでよろしい?
ja de 3
ja da 3
どっちも同じだと思うからdeでいいと思うんだけど
406名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/11(木) 19:43:10.03 0
3の矢と3つの矢ね
3a jaoが一番いい
407名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/11(木) 19:53:09.58 0
それはこういう英文の前置詞にも言えることじゃないかな?
It is a boy you are looking [for]!
A person [about] who you talk is in New York.

408名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/11(木) 20:04:52.28 0
>>404
ひどい文だな
初心者にはまず伝わらん
>>407
モノリンガルの初心者が混乱するといけないから英文はやめとけ
409名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/12(金) 09:16:09.18 0
エスペラントをやってるからといって、基本的な英語の冠詞を間違って良いことにはならない。
つまり、この程度の英語を間違えるようなら、エスペラントの冠詞も理解できていないということ。

It is the boy you are looking for! (it よりthat とかheとか hereの方が自然だが)

1. The person about whom you are talking is in New York.
2. The person you are talking about is in New York.

エスペラントにおいて、冠詞は「わからないうちはつけなくていい」といわれているだけであって、正式には使うものだし、本人は使えなくても、読んだり聞いて、理解できなければならない。
ましてや複数形の廃止はまったく公式には語られていないので、ここのほらにまどわされないこと。
410名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/12(金) 10:45:02.25 0
>>409
ここ初心者スレ
411名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/12(金) 11:03:16.14 0
だから、初心者でも読んだり聞いて、理解できなければならない、複数形の廃止はまったく公式には語られていない
412名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/12(金) 11:05:22.68 0
>>409
モノリンガルの初心者が混乱するといけないから英文はやめとけ
413名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/12(金) 11:12:36.65 0
>>409
その文によってその話者が何を伝えようとしたか翻訳されていない状況で、
冠詞が一意に決まるもんかねえ。

演出家がある演劇の子役になる少年を誰か1人に決められず漠然と
暗中模索して悩んでいるとき、
「あなたが探している少年はいるよ!」と誰かが言うときの「少年」は
その聞き手の演出家にとって誰か分かる自明の少年ただ一人なんだろうか。
それに対して演出家は、「それはどんな少年なんだい?誰なんだい?」と
聞き返すだろうね。

ある完成された文章のなかの冠詞類だけ( )にして伏せてあり、
英語やエスペラントの学習者に( )に正しい冠詞を入れてもらうという
問題があったとすると、その唯一の正解は本当はないというのが正確ではないかな。
もし唯一の正解があるとすると、冠詞は意味を伝えていないことになってしまう。
つまり語として機能していないわけで経済的に完全に不要になるわけで。
414名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/12(金) 11:15:04.11 0
複数形すら使うなとされるこのスレで
公式に使わなくて良いとされる定冠詞を上げるかね
単なる長文嵐でしか無い
415名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/12(金) 11:18:37.87 0
>>412
英会話業者のステマだろ。
度々現れるクズだから触れるな。
モノリンガル専用スレが荒れる。
416名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/12(金) 12:50:41.52 0
>>413
前半はそういういいわけ(少数派)があるだろうことは想定済み。通常は演出家ではなく、
「お前が捜している男の子」、「お前の話している人」といえば、一人を指すだろうし、そう西欧語で表現するということ。

後半については、答えに多数派・少数派に意見が分かれるような問題を作るほうが悪いのであって、
テストでは、文脈を載せ、"La knabo"とは、誰を指すか?A, Johano B, Ludoviko C...
といった問題を作るもの。「語として機能していない」という単純な結論にはならない。
417名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/13(土) 08:18:12.16 0
頼むから冠詞についてはスレチだらけのあっちのスレでやれやw
418名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/14(日) 06:16:13.89 0
冠詞の付け方くらいでなんでこんなに迷わんならん?
わからないなら使わなくていい? だったらハナから全廃しれよ。
419名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/14(日) 06:27:53.38 0
laが出てきたら脳内削除すればいいだけだから全廃しなくてもいいよ
受動態や関係詞や向格のようなもの
学会は使いたいなら使え初心者には伝わらんけどなって言うポリシーなんだと思う
420名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/14(日) 07:44:36.76 0
そもそもLAだけ、「分からなければつかわなくてよい」、と書いてあったから、混乱を招いている。

そんなこといわれなくたって、
対格だって、使いたくても分からなければ使えないし、
エスペラント自体、分からなければ使えない。

だから、その言葉に甘えて、
「エスペラントは簡単な言語だ」

「だが、日本語には冠詞がないから、皆にとって冠詞だけは難しい」

「そもそも冠詞は必要がない」

「そんなもの語る奴は英会話業者のステマ、日本から出て行け」

「日本人なら日本式ローマ字にしろ」

「日本人なら複数形も使うな」

「エスペラントには複数形も関係代名詞もない、だから英語より簡単!」(←今ここ)


冠詞自体が難しいのなら、簡易西欧語のエスペラントはあきらめたほうが良い、というのが正解。
421名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/14(日) 10:08:38.86 0
>>409
スレチだが一応。
you が探しているのが複数の少年で、その中の一人を指している場合は
He is a boy you are looking for! も口語では間違ってない。
422名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/14(日) 12:11:16.15 0
だから屁理屈を言えばいくらでもいえるが、進行形で探している、という文脈から、マジョリティがtheをつけるのは当然。
しかも、theをつけることに口語かどうかは関係なく、
たとえば、
"for whom you are looking "で検索したら、その前に来る名詞にthe がつくのが通常なのが良く分かるだろうし、
文語であっても、a をつけなければならないような特殊な状況ならa とする。
423名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/14(日) 13:41:40.20 0
西欧の文法では「ゼロ冠詞」なる「見えない冠詞」「声に出さない冠詞」の
文法概念もあるくらいだから、エスペラントには定冠詞だけがあるというのもウソなの?
424名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/14(日) 14:07:13.92 0
それは、不定冠詞が複数形のときは英語の場合、ゼロ冠詞になるって話でしょ。
エスペラントでも不定冠詞は単複ともにゼロ冠詞だが、定冠詞だけがあるでよい。

また、冠詞はいつでも省略できるというのは大いなる間違いで、たとえば
*Lupo estas formortanta. というのは 非文で、
La lupo estas formortanta. か、
Lupoj estas formortantaj. か、
La lupoj estas formortantaj. といわなければならない。
425名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/14(日) 15:54:29.39 0
ゼロ冠詞のゼロというのは相対的なゼロでしかないから
見えない複数形不定冠詞があるということでしょ?

だから文法観念としてゼロ冠詞という名の冠詞が必要になる。

とすると、エスペラントにも「見えない不定冠詞」があることになるのでは?
定冠詞に相対する意味での「見えない不定冠詞」が。
だとすると、ロマンス諸語には不定冠詞の複数形もあるわけだし、
エスペラントで定冠詞をつけないということは不定冠詞をつけることと同義になる。
ただ経済的な理由で、書かない、発音しないだけにすぎない。
426名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/14(日) 15:56:45.17 0
したがって、
エスペラントには事実上、定冠詞も(表記/発声されないが)不定冠詞もある、
ということになる。
427名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/14(日) 19:30:02.62 0
つまり、不定冠詞を積極的に選ぶという意味ならわかる。
フランス語には複数形にも不定冠詞があるから、それからみれば英語はφ+複数形。エスペラントはどちらもφ
でも、「ない」のだからどう呼ぼうと意味がないし、こんなことはエスペラントのスレでは役に立たない机上の空論。
しかし、定冠詞をつけなければならない例、というのは、初心者スレでも役に立つ。
428名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/14(日) 20:38:13.42 0
エスペラントのゼロ冠詞は、不定冠詞の意味をもたず、本当に中立なのかなあ。
定冠詞を使わないことによってそれは積極的に不定冠詞を用いたことと同義になる
という意味合いが出てしまわない?
それとも、あくまでも定冠詞を使っていないってだけ? つまり中立の意味?
429名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/14(日) 20:40:07.29 0
もし本当に中立の意味しかないとすれば、
下の例文が非文法的とされるのはおかしい気が。

>>424
> *Lupo estas formortanta. というのは 非文で、
430名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/14(日) 20:45:29.57 0
初心者講座スレを荒らすなよ
431名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/15(月) 10:41:29.64 0
>>419
シンガポール人みたいに、句末にlaつけるわー
432名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/15(月) 11:57:25.09 0
pomoには、apple と an apple の違いが無いという意味だな?
bona pomo = a good apple (ドイツ語ではein guter Apfelと形容詞が弱変化をするタイプ)、「(1個の)良質のりんご」と、
bona pomo = good apple (独 guten Apfel 強変化)、「(皿の上に切ってある)美味しいリンゴ」
の両方の意味を含んでいるということだろう。
それは確かにいえるのだが、*Lupo estas formortanta.ができないのは、lupoが、不加算・物質名詞として認められないからであろう。
認められるケースはせいぜい"viando de lupo" (オオカミの肉)か、"virino en lupo" (a woman in wolf「オオカミの毛皮を着た女性」)というときくらいであろう。
オオカミの肉は、bovaĵoと違って、流通になっていないので、lupaĵoだと、"pelto de lupo"(オオカミの毛皮)を想像してしまうかもしれない。
しかし、何もつけないままで、不加算のlupo=「オオカミの毛皮」とする可能性は十分に考えられる。

したがって、"Lupo estas..."という文章で、不加算のlupo(輪郭がなく、一つと認識できないオオカミの肉か毛)としても、それがformortanta(絶滅する)というのはおかしいし、
かといって、加算のlupo(つまり普通の「一匹のオオカミ」)が単独で「絶滅する」、というのもやはりおかしい。よって、これは文法的に誤った文・・・ということが、西洋人なら瞬時に頭の中で判断される。
433名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/15(月) 12:01:48.32 0
また長文荒らしが来たのか
434名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/15(月) 12:14:12.18 0
2ちゃんねるではいつから長文=荒らしになったのだろうか?
チャットみたいな一行レスよりもよっぽど有用な場合も多いのにな。
一行レスにはほとんど価値のないものが多い。
ひろゆきさんが2ちゃんねるがつまらなくなったというのは
そういうことだったんじゃないか。
435名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/15(月) 12:20:03.70 0
こいつが昔から嫌われてるのは
長文よりスレ違いだからでしょう
436名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/16(火) 00:18:52.87 0
>>432
なんで、ein guter ein Apfel にならないの?
437名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/16(火) 12:55:22.79 0
>>432
その説明は結局、エスペラントにもゼロ不定冠詞(サイレント不定冠詞)が
文法的ルールとして存在するということを証明しているように思うけど。
438名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/16(火) 14:33:09.15 0
ゼロと呼ぼうがなんだろうが、エスペラントに「不定冠詞はない」で間違ってはいない。不定冠詞をつけたくてもつけられないのだから。
しかし、「定冠詞laがある」以上、定冠詞がつか「ない」理由とその意味も「ある」に決まっている。
英語やドイツ語で、単数でありながらゼロ冠詞になるものは、フランス語では「部分冠詞」というから、それと比べてみよう。

仏la bonne pomme 定冠詞 → エla bona pomo その1個のリンゴ/リンゴという種
仏une bonne pomme 不定冠詞 → エbona pomo 1個のリンゴ/リンゴという種(ただし、いつもではない)
仏de la bonne pomme 部分冠詞 → エbona pomo アップルパイなどのリンゴ
※英語で言えば、(some) good apple といった名残はある(「何個かの〜」じゃない。単数形になっているのに注目)。

だから、ゼロ不定冠詞じゃなく、いうなら「ゼロ冠詞」が正しいのがわかると思う。
ともあれ、定冠詞が「つかない」ときの意味は、「1個のリンゴ、または、リンゴの果肉」を積極的に「指す」わけで、「一度話題になったリンゴ」を指すことは、本来「できない」。
Pomo estas bona frukto. というように、冠詞なしで「リンゴ全体」を指すこともエスペラントではできる(1つのリンゴを取り出し、これは1つの良い果物だとイコールで結んでいる=つまり「どのリンゴ」も良いだろう)が、
*Pomo troviĝas kaj en Azio kaj en Eŭropo. はだめ(同じある1個のりんごが世界にあるわけでもないし、物質と見るのは原材料に関する話題に限られるため)
長文だが、読んでくれる人もいてくれるようで嬉しいよw
439名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/16(火) 20:30:47.14 0
>>438
そこまで丁寧に応答してくれて、むしろ長文に感謝。
440名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/17(水) 09:34:42.06 0
くそめんどくせえ。
そこまでやらんにゃあならんのか。
1個だろうと、沢山だろうと、沢山あるうちの1つだろうと、種類の総称だろうと、潰して料理に含まれてる材料だろうと、
リンゴはリンゴだろうて。
なんでそこまで言い回し変えんならん。
441名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/17(水) 11:01:03.86 0
>リンゴはリンゴだろうて。

いや、日本語ではそうなんだが、
「りんご」(を含むあらゆる数えられる名詞)がエスペラントでは
  1.無冠詞+単数形
  2.定冠詞+単数形
  3・無冠詞+複数形
  4・定冠詞+複数形

に分かれる以上、
「りんご」=pomo(1の形)というわけにはいかないんだよ。
442名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/17(水) 12:38:31.27 0
逆に、「vi」が日本語では
1.あなた
2.そちら
3.お宅
4.お兄さん
5.お姉さん
6.先生

に分かれるわけで、
「vi」=あなた(1の形)と理解してはいけないのと同様。
少なくともいい大人が、目上の人に対して「あなた」と呼んだらどうなるかは想像がつくと思う。
また、女性に対して「お兄さん」とも呼べない。
443名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/17(水) 13:20:36.02 0
いや、だから、複数形とか、
それ自体に意味を持たない冠詞とか、
無駄機能を省けよ。
444名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/17(水) 14:27:59.39 0
それは、あなたの主張であって、初心者スレで力説する話ではない(まあ、タイトルからしてネタスレだろうが)。
根拠がないにかかわらず、「エスペラントでは複数形を使わなくても良い」、というのは害でしかありません。

定冠詞や複数形がエスペラントに存在する以上、無冠詞の-jのつかないPOMOには、定冠詞ではなく複数形ではない意味があるわけ。
逆に、あなたがもし日本語を習いたてなら「そちら」や「先生」を適切に使えずに、常に「あなた」といっても、目くじら立てる日本人もいないだろう。

あなたが、エスペラントは難しいから「定冠詞も複数形もやめろ」というのは、
日本語は難しいから2人称は全部「あなた」にしろとか、コップも紙も鉛筆も人間も「1コ、2コ」と数えろ、
といっているのと同様。

そういうのは日本人にとっては難しくないし、エスペラントも西洋人にとって難しくない。
逆に、おまえさん好みに変えてしまうと、多数派の西洋人にとって難しいものとなる確率大ということ。言葉とはそういうもの。絶対的に易しい言語などありえない。
445名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/17(水) 16:12:50.33 0
初心者は複数形なんて使わなくていいよ
普通に通じるからaは形容詞oは名詞だとかを覚えた方がいい
446名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/17(水) 16:50:34.57 0
「使わなくていいよ」という判断基準は何?
対格は?
関係代名詞は?
ってか、難しいんだったら「エスペラント自体」使わなくてもいいでしょw
生活に困るわけないし。エスペラントが読めないと情報が入らないとか、買い物できない社会などこの世に存在しないわけだしw
447名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/17(水) 17:36:06.34 0
「を」は重要
関係代名詞はたぶん通じないよ
2つの文に分けるのがおすすめ
448名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/17(水) 17:50:58.91 0
La ponto estas 100 metrojn longa.
Mi eniris en la domon

のどこが「を」なんですか?

日本語と他言語を一対一で覚えて言っても使えないことは学校の英語で学びませんでしたか?
エスペラントも西洋語の発想じゃなきゃできないんですよ、残念ながら。

「を」が重要どころか、エスペラントには「は」がないでしょ?w
てにをは まで全部変換できる韓国語をお勧めしますよ。
449名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/17(水) 18:01:09.58 0
それ向格だね
450名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/17(水) 18:06:58.73 0
エスペラントではわけずに対格(akuzativo aŭ objektkazo )といいます。
わたしが出した例がたまたまmezuroとdirektoだっただけで、対格です。
私は「対格は?(使わなくていいの?)」といっただけです。
いろいろな用法のある「対格」は、「を」だけではないので、「使わなくていいよ」とか、勝手に判断し、やる気のない(しかも英語の成績の悪かったような)日本人学習者には、
残念ながら習得不可能ということです。
451名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/17(水) 18:08:13.75 0
>>444
ニートさん、ここ初心者講座だから荒らさないでくださいな。
スレ違いは迷惑だと自覚して、もし分からないのなら精神病院に行ってください。
ずっと無視していましたが無意味にスレが進行して、かなり鬱陶しいです。
452名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/17(水) 18:11:22.48 0
ニートでも何でも呼べばいいけど、「嘘」の書き込みのほうが迷惑であることを自覚してください。
453名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/17(水) 18:12:20.37 0
そう思うならそうすればいいじゃない
ただ初心者には通じないよって話
454名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/17(水) 18:14:06.83 0
>>452>>451じゃなくて>>450への返し
キチガイ消えろについては同意
455名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/17(水) 18:18:42.92 0
>>453
初心者は、同じ発想をする「日本人初心者」と話すのが目標じゃないでしょう?

正しいことは「思うならすればよい」かは二の次で、

取り急ぎ、「嘘情報は思っても書くな」ということ。(公式にエスペラントで、複数なし、対格なし、関係代名詞なしが採用されてはいない)

>>454 エスペラントの前に日本語を勉強しましょう。
456名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/17(水) 22:14:41.34 0
>>438は、エスペラントの名詞の用法を、フランス語や英語に準拠して解釈しちゃっているけど、
それで正しいの?
457名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/18(木) 00:05:52.79 0
モノリンガルスレッドなんだから日本語以外の自然言語が出てきた時点で間違いだわな
458名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/18(木) 01:07:42.13 0
>>444
「そちら」と「先生」と「あなた」は別もんだろ。
どの辞書ひいても、意味の重なってる部分なんて無いわ
459名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/18(木) 08:49:07.92 0
>>456
フンダメントで「冠詞の使い方は他の言語に準拠する」といっているので、正解です。
ただし、微妙に各言語で違いはあり、エスペラントではどの言語の習慣に合わせるのが良いか、という問題もありますが、
この問題について、日本語(冠詞が存在しない)しかしらない日本人の出る幕はなく、まずは、「メジャーな言語」の習慣をマスターしてから口挟めと言われること必至です。

複数形についてはフンダメントでは指示はありません(西洋人には常識なのでw)が、冠詞と同様に、日本語では「〜ら」や「〜たち」といっても、実質、単複の区別はしないのだから、区別をする(複数形)を持つ「メジャーな言語」で学ぶしかありません。
460名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/18(木) 10:09:12.20 0
>>456
> >>438は、エスペラントの名詞の用法を、フランス語や英語に準拠して解釈しちゃっているけど、
それで正しいの?
正しくないね。不定冠詞や部分冠詞の存在する言語と、それが存在しないエスペラントを一概に混同できない。
例えば英語で言うなら、定冠詞も不定冠詞もつかない無冠詞は、名詞の意味を積極的に限定する。
a catならネコという生物の個体だが、catだと生物の形状を失った猫肉と言う風に、積極的に意味が変容する。
エスペラントの場合、定冠詞があるだけで(その用法は英仏などと同じ、ただし英仏間でも用法には若干の相違がある)
不定冠詞は存在しないから、無冠詞が不定冠詞の意味を表す。
その場合、katoは単数のネコの個体と理解されるのが一般的で、そこを同率の割合で猫肉と解釈する慣習は存在しないと思われる。
猫肉を表現する場合、エスペラントでは非西洋語話者にもより親切に表現されると思われる。
つまりkataĵoなどのように。viando de kato(文字通りネコの肉)も可だろうし、これはkata viandoと同じくここでのkatoは個体ではなく性質を意味する。

つまり、文法上「不定冠詞が存在しない」と決められた時点でエスペラントは
英仏とは若干異なった表現方法を取らざるを得ない運命になったのである。
461名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/18(木) 10:52:29.99 0
>不定冠詞は存在しないから、無冠詞が不定冠詞の意味を表す。
その前から論じていたこっと、矛盾していますよ。
「不定冠詞は存在しないから、無冠詞が英語の不定冠詞と無冠詞、フランス語の不定詞と部分冠詞の意味を表す。」でなければおかしい。

>そこを同率の割合で猫肉と解釈する慣習は存在しないと思われる。
「同率」などいってない。常に、「原材料に関する話題に限られるため」と限定していることを説明しています。
- viando de bovo
- bovaĵo
の違いは、前者は「牛の肉」という中立的な物質を指す表現であるのに対し、-aĵo は、食品・商品になるので、kataĵoで「ネコ肉」を食べる民族以外に使われることはありません。
たとえば、猟奇事件で、ソーセージに「猫の肉」も混ぜられたという場合には、"viando de kato"でなければなりません。
>viando de kato(文字通りネコの肉)
というのは、必ずしも、"meat of a cat"ではない。殺された猫の数や使われた量・部位が不明な場合は、
"meat of cat"と物質名詞として他言語では扱います。
"meat of chicken"は鶏肉で、
"meat of a chicken"は丸鶏であることをまず、理解してください。

>英仏とは若干異なった表現方法を取らざるを得ない運命になったのである。
そう、だから日本語とかと同じ感覚で良いという結論に持っていきたいのがバレバレですがw、正確には、アイルランド語などのような「定冠詞だけ」をもつ西欧語に近いのです。
ですが、アイルランド語の話をしても日本人にはわかりにくいので、英独仏で比較しているのです。
462名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/18(木) 14:13:27.97 0
>>460
>>461
有益な情報を有難うございます。いろいろ勉強になります。
463名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/18(木) 14:30:44.37 0
それはご丁寧に。あなたのように言語的な話題の長文を読めるような人は、このスレからすぐに卒業できることでしょう。
>>438が正しいか正しくないかも、論理的思考のできる人なら判断がつくはずなので、がんばってください。
464名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/18(木) 15:02:33.54 0
465名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/18(木) 20:18:16.56 0
>>461
>「不定冠詞は存在しないから、無冠詞が英語の不定冠詞と無冠詞、フランス語の不定詞と部分冠詞の意味を表す。」でなければおかしい。
その理解ではまだ浅すぎる。
確かにエスペラントの無冠詞は、可算名詞における不定冠詞の意味と、非可算名詞における部分冠詞(英語では無冠詞)と両方併せ持つが、
実際にはそれはただ単に「定ではない」という情報でしかない。
英仏語では、不定冠詞(英仏)と無冠詞(英)/部分冠詞(仏)を切り替える事で、その名詞の可算非可算の意味が劇的に変わる。
a catがなぜ個体のネコであるのか、それは可算だから。
catはなぜ個体のネコであり得ないのか、それは非可算即ち個としての境界が曖昧な物質という意味に変化するからである。
エスペラントには不定冠詞が存在しないため、それを付けなければこう変わるという英仏語の様な劇的な意味変化は望みえない。
定冠詞しかないアイルランド語がエスペラントの参考になるなら、モノリンガルの日本人でも理解できるようにそれを説明すべき。
まあ、エスペラントだけ勉強してても大概は理解できからモノリンガルでも安心してほしい。

>- viando de bovo
>- bovaĵo
>の違いは、前者は「牛の肉」という中立的な物質を指す表現であるのに対し、-aĵo は、食品・商品になるので、kataĵoで「ネコ肉」を食べる民族以外に使われることはありません。
viando de bovo のbovoはそれ一語で牛肉の意味ではなく、bova viandoと同じく属性的な意味になる。
人間には類推する能力があるから、例え自己の民族がネコを常食しなくても、kataĵoと言えばネコ肉だろうとまず予想できる。
I ate a cat.と言われれば個体のネコを丸ごと食らう些かグロテスクな映像が思い浮かぶが、I ate cat.ならネコ肉だと解釈できる。
これをエスペラントに直訳するとどちらもMi manĝis katon.となるが、これでは個体のネコがイメージされる可能性が高いだろう。
なぜならエスペラントでは可算名詞の無冠詞=非可算名詞化、ではないからである。
西洋人とて自分が異常な食癖の人間だと読者に誤解されるのは避けたいであろうから、Mi manĝis kataĵon en Ĉinio.と書いておけば
外国でその土地の珍味を味わっただけだと解釈され安心である。
466名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/18(木) 20:25:51.98 0
>>459
> フンダメントで「冠詞の使い方は他の言語に準拠する」といっているので、正解です。

うーむ、でも、フンダメントでは不定冠詞はないとしているので、
あくまでもエスペラントが導入した定冠詞を特に指してla artikoloと書いていて、
(la artikoloは冠詞一般を指しているのではないので、あくまでも定冠詞のことですよね?)
定冠詞の機能については独語や仏語などのそれと同じだとしているだけですよね。

無冠詞が何を意味するのかについての言及はフンダメントにはなくて、
無冠詞まで独語や仏語などに依拠するかどうかがここでの本当の疑問になるので、
フンダメントに依拠するだけでは解釈が分かれる可能性があると思います。

> この問題について、日本語(冠詞が存在しない)しかしらない日本人の出る幕はなく、まずは、「メジャーな言語」の習慣をマスターしてから口挟めと言われること必至です。

脱線しますが、ちなみに日本語の助詞「は/が」の使い分けが
定冠詞と不定冠詞の用法とダブるという指摘はありますよね。
ロマンス諸語や北ゲルマン諸語の中に名詞語尾につく冠詞があるので、
もしかしたら「は/が」の冠詞的用法という呼び方だって成り立つかもしれませんね。
467名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/18(木) 20:32:41.85 0
また長文荒らしに占拠されてんのか
468名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/19(金) 03:03:49.37 0
>>459
はぁ。なかなかに本末転倒だな。
英語フランス語のような強国の言語を学ばなくてもいいように仲介語としてのエスペラントが、
先に英語かフランス語か勉強してから来い、というわけかいな。

ところで。
メジャーな言語で冠詞をもつもの、って英語、フランス語でいいのか?
今の国連文書語は、英語、フランス語、ロシア語、中国語、スペイン語、アラビア語で、うち、
冠詞を使うのは、英語、フランス語、スペイン語、アラビア語。
ザメンホフはユダヤ人だから、念頭にヘブライ語もあったろう。
アラビア語やヘブライ語のような、バビロニア語の末裔と、ヨーロッパのラテン語の末裔では
冠詞の使い方も随分と違うんではないかい?
469名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/19(金) 06:56:58.89 0
>465
>それを付けなければこう変わるという英仏語の様な劇的な意味変化は望みえない。
何を言っているのですか?
エスペラントで定冠詞をつけなければ、英仏語の「不定冠詞(英仏)と無冠詞(英)/部分冠詞(仏)」になるに決まっているでしょう?
だれも、その中で分けられるなど、一言も言っていないでしょう?当たり前じゃないですか、だって、エスペラントで区別しないのですから。
だから私は「定冠詞が「つかない」ときの意味は、「1個のリンゴ、または、リンゴの果肉」を積極的に「指す」」といったんですよ。
あなたはそうやって、エスペラントが、英仏語のように無冠詞(以下、A)と不定冠詞・部分冠詞(以下、B)を区別しないことをあげて、
まるで、Aと定冠詞(以下、C)の区別まで劇的な意味変化がなく、A/Cの区別をしない日本人にも簡単な言語であるかのように、問題をすり替えようとしているだけです。実際はエスペラントはアジアの言語と異なりA/Cを区別する言語です。

結局「その理解ではまだ浅すぎる。」
とあおっておきながら、アイルランド語を教えてくれくれじゃないですか。

「エスペラントだけ勉強してても大概は理解できから」
ええ、Cの用法以外はね。フンダメントが書かれている言語の中では「仏英独」からCの使い方を学んでください、ということです。
それらは、確かに余計にA/Bの区別はするが、エスペラントはAに統一されただけ。Cの用法はもちろん一緒なのだから、英仏独人が、あえてアイルランド他のA/Cだけの言語を学ぶ必要はまったくなく、楽勝な区別なのです。
470名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/19(金) 06:57:31.60 0
続き
>kataĵoと言えばネコ肉だろうとまず予想できる。
だれも、"Mi manĝis kataĵon en Ĉinio."を否定した覚えはない。猟奇事件の時には、中立的な"viando de kato"でなければならないといったにすきない。

そしてあなたも自分で、
>viando de bovo のbovoはそれ一語で牛肉の意味ではなく、bova viandoと同じく属性的な意味になる。
といっているように、bovoがunu bovoではない(つまり、英仏でもBではなくA用法)ことをあるのを認めているじゃないですか。
他人に「正しくないね。」だの。「無冠詞が不定冠詞の意味を表す。」だのと意気込んでいたのは、どこにいったのでしょう。今後、無駄な挑発はおやめください。
471名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/19(金) 06:59:30.91 0
>>466
「フンダメントに依拠するだけでは解釈が分かれる可能性があると思います。」
分かれないでしょう。フンダメントではエスペラントはABを区別せず、A/Cしか区別しない、といっているのですから、
A/B/Cに分ける言語(ここでいう英独仏)は、BをAに含めれば良いだけの話です。

>>468
>本末転倒
そうみえるはしかたがないのです。
>英語フランス語のような強国の言語を学ばなくてもいいように仲介語としてのエスペラント
解釈が間違っていますよ。
イギリス人が、彼等にとって難しいフランス語を学ばなくてもいいように、または、フランス人が難しいドイツ語を学ばなくてもいいように「仲介語としてのエスペラント」というわけです。
当時、英仏独などのどれも知らない未開の地の言語など気にして作っていたわけが無いでしょう?
いや、知っていても、あえて、人数を増やすために、西洋人に受けのいい言語にした、ともいえますが。

まあ、言い方は悪いですが、定/不定、単/複、L/Rなどの区別ができない猿は、まず、人間になってから(英仏独のどれかで学習してから。すべてをマスターするのではなく、その「区別」を学んでから)、
エスペラントをやってください、といっているのです、残念ながら。
472名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/19(金) 07:06:19.97 0
>>469
のABC定義が間違っていた。

A=英独の無冠詞、仏の部分冠詞
B=(英独仏の)不定冠詞
C=(英独仏の)定冠詞

です。
473名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/19(金) 07:18:23.87 0
うざい!
474名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/19(金) 07:27:07.49 0
連投すみません。
最後に、アイルランド語は定冠詞の中での分け方も難しいので省略しますが、
無冠詞については、こういうことです。
"There is no indefinite article in Irish, so depending on context cat can mean "cat" or "a cat"."
「アイリッシュには、不定冠詞はありません。したがって、文脈によって、アイルランド語のcatは、英語の"cat"の意味にも"a cat"の意味にもなりえます」

まったく、エスペラントの説明を見ているみたいですね。
475名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/19(金) 09:26:08.71 0
>>472
細かいことを言うと、
英語の無冠詞は複数形の可算名詞をとることができて、
その場合は総称的な意味をもつ場合があるけど、
仏語の部分冠詞はあくまで不定における不可算の記号だから、
複数形をもつことができないし、可算名詞を総称する場合には使えないので、
そのあたりはもうすこし込み入っているですよね。
英語が不可算と可算とを無冠詞の中に一緒くたにしているので。
476名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/19(金) 09:45:16.70 0
そうですね、おっしゃるとおり大雑把な説明をしました。複数形のことはここでは話していませんし。
その結果、
Leono estas danĝera besto.という文章が、フランス人の感覚では母語の習慣からちょっと気持ち悪いという感覚もあるでしょうし(だが、実際には認められている)、
逆に、冠詞ありのLa leono estas danĝera besto.もよくありますが、アメリカ人にとってはちょっと堅苦しい表現だというのはあります。
(だから、「エスペラントでは総称のときは定冠詞をつけるんだぜ、英語と違うからお前等、ちゃんとつけろよ」と勘違いして説明している英語話者のサイトもあるくらい。まあ、知ったかぶりはどの国にもいるってことですねw)

でも、実は、これらはどちらでもよいのですから、日本人の我々は、総称表現の定冠詞のあるなし(あるいは複数形)を自由に選べばいいのです。
エスペラントでは不要な議論なので、ABCも大雑把に分けたのです。

問題は、イギリス人にもフランス人にも理解不能、論理的に間違った表現があるということです。
つまり、 *Lupo estas formortanta. のような例は、長文を読めない学習者も知っておく必要が有るということです。
477名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/19(金) 10:21:50.82 0
>>475
あと、「英語が不可算と可算とを無冠詞の中に一緒くたにしているので。 」という突っ込みについて>>476に同意しましたが、
あなたにも細かいこといって悪いですが、

>英語の無冠詞は複数形の可算名詞をとることができて、
>その場合は総称的な意味をもつ場合があるけど、
これは間違いで、可算名詞を無冠詞にしたら、物質名詞(「アップルパイ」、「猫の肉」の例)になるのであって、総称表現(「リンゴというものは」、「ネコというものは」)はできない。
もともと物質名詞(ビール、ミルクの類)は、
Beer is an alcoholic drink. と無冠詞でやったほうが、自然だし、逆にフランス語では、
La bière est une boisson alcoolique. が自然。エスペラントは物質名詞の場合、冠詞のあるなしは好みでよし。
だからといって、繰り返すが、冠詞は「いつも、好みでなくしてよいのじゃない」。
478名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/19(金) 10:23:12.38 0
訂正
>>476「で」同意
479名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/19(金) 10:26:33.69 0
いや、すません、>>477>>478は不要でした。
複数形無冠詞で、総称表現、ということなのを読み返して分かりました。
>>475さんはもちろん、その点は理解できてます。
スレ汚しごめんなさい
480名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/19(金) 10:49:54.80 0
可算{
単数
可算+複数
不可算
481名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/19(金) 14:58:51.55 0
>>479

          >>477-478
482名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/19(金) 21:14:30.50 0
なんか、ヘンな人達が湧いてる。。。
483名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/20(土) 17:27:46.49 0
>>470>>474
貴方の説では、単数形の名詞が可算名詞扱いされる場合と非可算名詞扱いされる場合の意味上の劇的変化が考慮に入れられてない。
英仏語の場合それは不定冠詞の有無で区別される。つまり、不定冠詞が存在するからこそその劇的変化が成り立つ。
エスペラントやアイルランド語では不定冠詞が存在しないので、その有無により劇的変化を与える事は論理的に言って不可能そのものである。
英仏語でしている区別がエスペラントに存在していなくても、日本人がエスペラントを読んでいて困る事は無い。
このkatoは個体なのか属性なのか、それとも肉や皮などの生産物なのだろうかと迷った例はあるのだろうか。
単体のkatoであれば可算の個体と見なしているし、viando de kato, felo de katoとなればそのkatoは属性だと理解している。
日本語でも「ネコがいた」の場合は個体のネコ、「ネコの肉を食った」であればそのネコは属性の意味だと、無意識に理解している。
ネコ個体は可算で物体であるが、文脈によってはその属性のみを抽象的に取り出して理解するのは日本人でも自然に行っているのである。
アイルランド語のcatがa catなのかcatなのか迷い、「どっちも含むのだな」と無理して理解せざるを得ないのは英語話者の方であろう。
その点ではエスペラントは英仏語より日本語に近く、日本人が自然に理解できる所に英仏人の混乱を持ち込んでも意味が無い。

また、エスペラントでの-aĵo接尾辞の用法に目を向けるならば、
英語で言うところの、a pigならブタ個体、pigならブタ肉という区別がエスペラントでは不可能であるためにそのように使われている、と考えざるを得ない。
porkoの一単語を非可算名詞扱いしてでブタ肉を表すのはエスペラントでは不可能だからこそporkaĵoと言うのである。
porkoがa pig とpigの意味を含むのではなく、あくまでもporkoは可算のブタしか表せない事の証明ではないか。
484名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/20(土) 17:32:58.75 0
定冠詞がない初心者スレに書き込むことか?
485名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/20(土) 18:23:31.54 0
ロマンス諸語では主として形容詞を名詞の後ろに置きますよね?
これが一般的な形容詞の通常の配置ですよね?

ロマンス諸語では、形容詞を前置するとその意味が薄れ、
後置すると形容詞が強調される、という文法規則があったりします。

エスペラントもまた、形容詞を後置したり前置したり自由にできる
言語だと思うのです。
フンダメントの文では後置されている形容詞が普通にありますね?

ロマンス諸語のように、後置したほうが形容詞の意味が強調される
といったような意味合いはエスペラントにはありますか?
486名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/20(土) 23:43:39.66 0
>>471
でも、それって、結構遅くまで野蛮人だった証拠なんだよね。
数が3つまでしか数えられない、一つ、二つ、沢山 の区別しかないから、名詞に組み込んだ形で単数・双数・複数。
数詞が発達してきて、双数の用法が消えて、いまここ。そのうち複数も無くなる。
名詞クラスか、男、女、無機物 というのが、掘れる、ヤれる、ガメる、という対象への欲求そのもの。
定・不定も、やった獲ったの定と、まだヤってないまだ獲ってないの不定だし。
これは、城市を攻めて略奪を働いてた名残だ。
487名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/21(日) 01:44:39.88 0
>>486
なるほど、そういう見方も考えられるのかあ。
名詞や形容詞の文法性や文法数は失われるたり簡略化する歴史的傾向にあるけど、
逆に冠詞は指示詞や数詞などから歴史的に発達してきた方向性があるね。
ラテン語になかった冠詞がロマンス語に採用されたり、
ハンガリー語だって本来は冠詞を持たなかったんじゃないかな。
エスペラントは定冠詞を採用した。日本語はどうなっていくんだろうね。
488名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/21(日) 01:52:30.95 0
エスペラントは不定冠詞も採用したほうがよかったかもしれない。
その代わりどんな名詞も無冠詞で使えるようにして、
無冠詞で名詞を使ったときにはぜーんぶ集合名詞ってことにすればいい。
物質名詞も集合名詞と解釈できるし、
普通名詞だって集合名詞として使ったときには総称を表すことにすればよかった。
489名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/21(日) 09:20:10.71 0
Angoroj と Gerda malaperis のシナリオどこかにないだろうか?
あったら教えてください。
490名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/21(日) 20:14:53.32 0
>>486
名詞クラスという発想はどの語族の言語にも普遍的に見られるから、仕分け欲求は人類共通なんだろうね。
定か不定かの区別は、自分を基準にした「やったやらない」ではなく、逆に相手への配慮なんだよね。
それが分かれば「思いやり」だの「絆」だのを尊ぶ日本人にならその意義は理解できると思うよ。
491名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/21(日) 22:43:57.67 0
>>490
支那語とかマレー語とかには無いよ
492名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/22(月) 08:17:22.45 0
日本語も動物(いる)と不動物(ある)の名詞のクラス分けによる
存在動詞の使い分けをもっているとしても、じゃあその日本人が
スワヒリ語の名詞クラスを見せられて、これってすごく合理的だよね
って思えるかどうか分からないけどねw
493名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/22(月) 08:24:03.03 0
>>492
訂正します。動物/非動物と書くべきだった。
動物というのは狭義の動物(生物の中の動物)ね。
しかしながら本来は、
「むかしむかし、おじいさんとおばあさんがいました」
というのは間違いだったらしい。
「むかしむかし、おじいさんとおばあさんがありました」が正しいのだとか。
「ある/いる」の使い分けは今の日本語のほうがわかりやすいね。
むかしの日本語の「ある/いる」の使い分けは今の日本人でも難しい。
冠詞を覚えさせられる感覚。
494名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/22(月) 16:49:50.93 0
>>490
ただ、その仕訳が、男・女・それ以外 というところが、一時的欲求(性欲)が最優先という表れだね。
実際に、男・女・それ以外という名詞クラスを文法に持っているところは、ぶっちゃけて言うと印欧語とセム語なんだけれど、
古代から交戦的だし、城市を攻めて落とせば、勝者による略奪と強姦の嵐。戦利品が、奴隷労働力か、強姦する女か、
はたまた財貨かってことに強い関心があったわけよ。視点を逆に持って行くと、頻繁に戦争、敗戦で身体から財産から
強奪されるから城壁をこさえて防衛する必要もあった。

日本は城市を作らず、壁や堀で囲ったのが精々軍事拠点か支配層の屋敷だけだったのは、民衆は戦争でも略奪に遭う
心配があまりない、敗戦に際して身柄や財貨を奪われる支配層だけが高い壁や深い堀に囲まれた「城」に居るわけよ。
戦乱の最も激しい時期、でも徹底して、たとえば、羽柴秀吉の北近江攻略の戦功で小谷城・長浜城を与えられたに際して、
ネネが臨時の徴税を戒めている逸話があるだろ。当時の慣例で領主が入れ替わると臨時の徴税があったものだが、
これは、略奪を行わず、整然と税として徴発していたことを意味し、且つ、それすら新領主側の意向如何では行わないことが
あったというものだ。
戦利品奪い放題の地中海圏の戦争とは全く違う。
495名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/22(月) 18:06:49.13 0
>>494
西洋=野蛮、日本=文化的という理解は正しい。
しかし野蛮=人間の本質により近い、という事でもある。
野蛮人に文化人の思想は永遠に理解できないが、文化人には野蛮人の発想はある程度想像つく。
性欲は人間の最も原始的な欲求であるから、文化的な我々から見てもその発想は想像つく。
ただむやみやたらと本能に従わないだけ、文化人だから。
名詞のカテゴリーを男&女&その他幾つかに分けるのは、印欧語とセム語だけではなく、
アフリカやオーストラリアの先住民言語などでも見られる、と言語学の本には書いてある。
まさしく人間の根源的、原始的発想なのだと分かる。
エスペラントは名詞クラスは廃絶したからその面では文化的進歩が見られる。
単数複数が文法範疇なのも原始的なのだが、これがエスペラントに残っているのは仕方ないと我慢しよう。
496名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/22(月) 18:10:45.50 0
定冠詞に関しても、我々は同じ事をもっと高度な洗練された方法で行っているだけである。
ただ洗練されすぎて自分でも分析できないだけである。
彼らのやり方は露骨で単純であるから、分析さえできれば理解できる。
497名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/22(月) 22:27:49.40 0
alkutimigadiってどういう意味なんだろ?
繰り返し習慣づけること?
498名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/23(火) 00:42:15.53 0
>>495
男、女、それ以外

男、女、その他幾つか
は全然違うだろ。
その他幾つかということは、印欧語・セム語での中性に相当するものが
更にいくつものクラスに分かれていて、4つ以上にカテゴリ化されてると
いうことだろて。
499名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/23(火) 04:51:48.21 0
>>497
それでいいだろ。
「習慣づけ続ける」だから繰り返しになるだろうね。
一回教えたらすぐ覚えてしまうような場合は
alkutimigi だけで済むわけで。
500名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/23(火) 13:01:27.40 0
>>499
どうもありがとうございます。
-ad-が行為の継続だから、
-adiは「し続ける」と解釈すればいいわけですね。
501名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/23(火) 13:28:05.47 0
よくある単語ならそれが付加された状態で辞書に載ってるから
基本的には覚えなくていいよ
502名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/23(火) 14:39:53.31 0
>>483
>劇的変化が考慮に入れられてない。
英仏で劇的変化があるのは当然でも、エスペラントでないのだからしょうがないといっているでしょう?
英語の"cat"の意味にも"a cat"の意味にもなりえますと何度いわなければなりませんか?

>エスペラントは英仏語より日本語に近く
1. viando de porko
2. Bebo estas porko.
3. La porko gajnis la turniron.
4. Li havas porkon.
5. Li havas porkojn.
6. La porko estas sagxa besto.

エスペラントとの違いとして、英語は2と4は不定冠詞でなければならない。
6は無冠詞の複数形が多いが、定冠詞単数でももちろんよい。エスペラント自体、いろいろな表現が可。つまり、定冠詞の使い方は英語とまったく一緒。

日本語はどれも[ブタ]でよく、定冠詞にふさわしい訳語は存在しない。また、4と5の単複の区別さえもしない。
英仏語より日本語に近いなど、ふざけるな。
>>490 思いやりでできるのならだれも苦労しません。
503名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/23(火) 14:54:03.38 0
実用エスペラント小辞典《第1.8版》によると、
前置詞antaŭは空間的にも時間的にも前を指すのに、
前置詞malantaŭは空間的にしか後を指せないのですね?
その代わり前置詞postが空間的にも時間的にも後を指せる。

preという前置詞はあるのか検索してみたけど、なかった。
ちょっとややこしい。初心者は気をつけなあかんとことかもね。
504名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/23(火) 15:07:35.57 0
>>502
エスペラントの場合、6.はイタリア語やフランス語と一緒で、
La porkoj estas saĝa besto.になるんじゃないですか?

それとも、
Porko estas saĝa besto.
Porkoj estas saĝa besto.
La porko estas saĝa besto.
La porkoj estas saĝa besto.
のすべてが許可されているんでしょうか。
505名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/23(火) 15:55:25.33 0
saĝaj bestojと複数形にできないうちは、イタリア語だのと、ぐだぐだいわないほうが吉。
506名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/23(火) 16:12:52.41 0
可愛そうだから、答えを教えると、
1. meat of (a) pig
2. Babe is a pig.
3. The pig won the tournament.
4. He has a pig.
5. He has pigs.
6. The pig is a clever animal.
英語のtheは、laと使い方が一緒であることがわかります。
6は英語では少し硬い表現だが、Le cochon est un animal sage.など仏語にとって定冠詞にするのは自然な表現。

一方、日本語では
1.ブタの肉
2.ベイブはブタだ。
3.(犬の競技なのに)ブタが優勝した。
4.彼はブタを飼っている。
5.彼はブタを飼っている。
6.ブタは賢い動物だ。
どこから定冠詞が想像できますか??
507名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/23(火) 19:55:15.23 0
>>506
英語では6は無冠詞の複数形にするのがいちばん一般的で、
しかしフランス語では定冠詞の複数形のが一般的だから、
英語では無冠詞になるところがフランス語では定冠詞になることからすると、
定冠詞の使い方一緒とは言えないと思うのですが。
それから、フランス語などでは、固有名詞も定冠詞をとることが結構あると
聞きました。
508名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/23(火) 19:59:45.83 0
まだスレ違いニートが居るのか
初心者講座まで出向いて荒らして楽しいのかね
509名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/23(火) 20:10:52.29 0
>>507
フランス語の場合にかぎって言うと、
フランス語では口頭上は複数形語尾がほとんど消滅しかけているから、
冠詞をつけないとその名詞が複数であることが発音からは識別できないんだよね。
510名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/25(木) 07:00:05.90 0
>>507
だから、「少し硬い表現だが」などと、条件をいった上で、>>502>>506の場合は定冠詞の「使い方が一緒」といっているのです。
英仏間の細かい違いをなぜここで語らなければなりませんか?
fundamentoで「註.冠詞の用法は他の言語と同様である。」としかいっていないのだから、英仏の共通的な使い方を学べばよいということに決まっているでしょうが。
そんな当たり前のことをいってるのに、揚足を取ろうとして
文句をつける人間(「定冠詞の使い方一緒とは言えないと思うのですが」)は、
じゃあ、日本語となら「定冠詞の使い方が一緒だ」とでもいうのですかwww

日本語には「ない」のですから、無駄な素人の抵抗はやめてください。
511名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/25(木) 09:23:07.80 0
>>510
てことは、英語もフランス語やらんことにはエスペラント語も解らんということかいな。
何が簡便な国際補助語なんやら
512名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/25(木) 09:49:40.90 0
簡便な国際補助語ですよ、欧米人にとってw
513名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/25(木) 20:37:13.90 0
>>502
>日本語はどれも[ブタ]でよく、定冠詞にふさわしい訳語は存在しない。また、4と5の単複の区別さえもしない。
>英仏語より日本語に近いなど、ふざけるな。
まだよく理解できてない様ですね。
定冠詞については、日本語に存在しなく、エスペラントと英仏語には存在するから、エスペラントは英仏語に近い。
不定冠詞については、エスペラントと日本語に存在しなく、英仏語に存在するから、エスペラントは日本語に近い。
おそらく貴方は勘違いしてると思うから、まず以下の点を確認してほしい。
定冠詞の表す情報は、その名詞が「定」である事である。
「定である」とは、その名詞を聞き手が限定できるという事である。ここまでは常識中の常識。
勘違いしやすい点は、定=定冠詞、不定=不定冠詞、だと思ってしまいがちな点。
不定冠詞は、その名詞が不定である事を示すために存在するのではなく、その名詞が可算名詞だという事を示している。
英語では不定冠詞は単数しか存在しないから、不定冠詞=可算名詞の単数。
仏語では不定冠詞に単数・複数が存在するから、不定冠詞=可算名詞。
つまり、「定でない=不定である」という情報を可算かそうでないか、とさらに細分化するものが不定冠詞の役割。
さらなる細分化は存在すればするほど複雑になり、存在しなければ文法上の区別が無くなり簡単になる。
ただしエスペラントは単数複数の区別はあるから、定でも不定でも、可算の複数は区別しなければならない。
しかしそれは定不定の情報とは独立して判断できるから、定不定の情報と可算不可算・単数複数の情報が交錯している不定冠詞よりは単純である。

日本語での訳語はどれも「ブタ」になるが、文法に表面化しなくとも、意味は区別できる。
翻訳では単数複数の訳し分けは難しいが、自分が話者である場合は簡単である。
「彼」が養豚業者であれば Li havas porkojn.
「彼」が自宅でペットのミニブタを飼っているならば Li havas porkon.
>思いやりでできるのならだれも苦労しません。
定冠詞の意味が理解できていないね。
514名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/25(木) 20:40:39.88 0
>>506
>英語のtheは、laと使い方が一緒であることがわかります。
エスペラントが仏語より英語に近く感じるのは、エスペラントに不定冠詞複数と部分冠詞が存在しないから。
文法の構造が近いから似てるだけ。
不定冠詞が存在しないエスペラントは、それが存在する英語より日本語に似ている、と同じ意味を貴方は言っている。

>3.(犬の競技なのに)ブタが優勝した。
これがどうして定冠詞なのか? 文脈的前提が存在しないと定冠詞は成り立たない。
犬の競技に一匹のブタが出場していたと聞き手が既に知っている場合は定冠詞となるが、
まさかブタが参加していたとは知らない状況ならPorko gajnis la turniron.である。
クイズにしてはお粗末。

総称については皆の悩みの種のようだが、エスペラントでは、単・定、複・定、単・不定、複・不定 全部容認。
ただ、意味論的に文意と合致せず、容認できない場合がある。
また皆も勘違いしていると思うが、総称か否かは冠詞の存在で判断するのではなく、全て文の意味に依存している。
だから冠詞がどうであろうが単数複数がどうであろうが、意味として総称ならどれも総称になる。

Hundo naĝas.は総称だか、Kato naĝas.は総称と言えるのかどうか、断言できないであろう。
Hundo naĝas. Hundoj naĝas. La hundo naĝas. La hundoj naĝas.はどれも総称になりうるが
Jen, hundo(j) naĝas!と言えば、ほら、犬(単・複)が泳いでる!の意味となる。
La hundo(j) naĝas nun.と言えば、さっきは陸にいた例の犬(単・複)が今は泳いでいる、という意味。

総称の用法で英仏で差があるのは、フランス語には不定冠詞複数が存在するからだと思う。
515名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/25(木) 21:20:57.31 0
> 総称については皆の悩みの種のようだが、
皆の悩みの種はお前だ。
何度言われたらわかるんだ? とっとと消えろ!
516名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/26(金) 00:53:42.55 0
>>500
-ad-は動詞の複数形接尾辞でしょう。

動詞それ自体の真の複数形があると考えれば、
それはその動作が複数回繰り返されることを意味するはずだから、
エスペラントだとalkutimigi-jなんてもし表現していたら、
初級者にも分かりやすかったかもしれないw これは冗談。
517名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/26(金) 01:16:02.82 0
>>510
> 英仏間の細かい違いをなぜここで語らなければなりませんか?

違いが分からなければ、共通的なところも分かりません。

揚げ足を取る以前の問題として、
ただ素朴にその見解(英仏の定冠詞用法は一緒)が誤りではないかな
と思っただけですよ。

違いがあるのに一緒だと言い切ってしまうと、
エスペラントの定冠詞の使い方を学び始めようとフンダメントを読んで、
フンダメントには英語やフランス語などと同じだとされているから、
じゃあ、英語やフランス語の参考書を読んだ初心者は素朴に困惑するのでは?
本質論的には共通なんでしょうが、少なくとも外形上の用法に違いがあるので。

6のような総称用法では、
英語では定冠詞をとらない無冠詞の複数形、
フランス語では定冠詞をとる複数形がもっとも普通に使われる形なので、
あれ?一緒のはずなのに変だなと思うはず。

オックスフォード大学出版から出ている英文用例に関する辞書には、
theには総称の意味はないと強調していたりする。なぜかというと、
theに総称の意味があるとすると、定冠詞がもつ特定化の意味と意味的に矛盾
してしまうように初心者には感じられるので、初心者はますます混乱するんですね。
518名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/26(金) 02:25:26.98 0
横からちょっと失礼
エスペラントには部分冠詞はないとのことですが、
たしかdaというのがありませんでしたか
違ってたらごめんなさい
519名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/26(金) 02:33:16.77 0
>>518
ここは初心者スレです。
冠詞などの質問は本スレでお願いします。
公式的な決まりですから
このスレでは使うなとしか言いようがない。
520名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/26(金) 07:35:19.10 0
>>505
イド語びいきのイェスペルセンが、
形容詞に名詞のための格や数があるのは不経済だと断じている。

動詞や形容詞の格変化や数変化は名詞のためのそれであるから、
動詞そのものや形容詞そのものの数を示しているのではなく、
名詞のそれに一致させて変化しているだけなので、
それは名詞だけで示せばよい不経済な文法規則でしかなく、
印欧語はそれらを棄て去る傾向にある、と。

しかしこの理屈からすると、述部を主部の数と一致させよう
とする規則も不経済ということにならないかと思うんだなあ。
521名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/26(金) 09:29:56.01 0
>>519
初心者スレなら冠詞についての話題はOKでしょう
ここでずーーーーーっと冠詞の細かい用法の議論をしてるじゃないですか
公式も何も、それってあなたの脳内ルールでしょう?
daを使うなって言うなら簡単に理由を挙げればいいだけでしょうに
もう少し論理的に説得力のある言い方を工夫した方がいいですよ
522名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/26(金) 12:09:42.16 0
スレ違いの荒らしをOKとしてしまうとメチャクチャになるよ
皆から嫌われてるわけですし
523名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/26(金) 14:22:25.00 0
冠詞を話題はOKでしょうね。

初級者だって冠詞を使わなくても読む必要はあるし、
いずれは冠詞も身につけたいと思うはずだから、
冠詞についての初級者らしい素朴な疑問はいくらでも
OKな話題だと思います。

ただしモノリンガル専用だから
母語以外の言語(エスペラントや英語も含め)について
予め熟知していることを当然としたり前提とした条件はなしです。

エスペラントの学習にとって必要とされる他の外国語の話題も、
それを当然の前提知識としない前提で話題にするのはOKだと思います。
524名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/26(金) 14:29:32.75 0
自己本位なことしたらスレ分けしている意味が無いでしょ
525名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/26(金) 15:12:51.85 0
>>523
私は反対ですね。
流れを教えますと
このスレはフランス語や英会話業者の人が
ヨーロッパ諸語が出来ないとエスペラントをやっちゃいけないというステマで荒らした
経緯があって旧初心者スレからの分離しました。
モノリンガル専用ってのはそれの排除の意味合いが強い。
定冠詞については初心者は使わなくても良いというフンダメントに従っています。
当然日本語にはないので使わないのが前提です。
526名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/26(金) 18:34:16.56 0
ニートタイムの長文嵐どうにかならんのか
527名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/26(金) 19:53:54.11 0
>>525
ザメンホフはそう認めていても、エスペラントは簡単だから初心者でいれる時期は思いの外短い。
一年もたてば「初心者だから定冠詞分かりません」と甘えた事は行っていられなくなる。
そう考えると、学習一年未満のうちなら実用上は使わなくても良いが、
一年先の事を考えれば、定冠詞とは何なのかという理論だけは今のうちから準備的に学んでおくのは善いことだ。
ちなみに定冠詞は不定冠詞に比べたら理屈は簡単。
日本語でも十分説明できるし、それでエスペラント文例を理解もできる。
その点では>>523さんに同意。
528名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/26(金) 20:00:38.12 0
>>518
daは前置詞ですよ。
da + 名詞 がそのまま名詞句として使われる事はないから冠詞ではない。
daは常に量を表す語とセット。
529名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/26(金) 20:05:15.81 0
ここは外国語と定冠詞などの話題もOKの初心者スレとしましてスレを分けましょうか?
530名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/26(金) 20:18:12.48 0
いやいやいや、それがNGだから初心者スレと分けた経緯があるのに…
立てるのであればローカルルールをしっかり設定してください。
531名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/26(金) 20:42:58.07 0
>>527
エスペラントが簡単で短期間で初級者を卒業できるというのは誇張されているので
あまり当てになりません。

とくに冠詞の用法に関しては、
ネイティブスピーカーかどうか判断する標識になると言われるくらい、
冠詞をもたない英語学習者が最後の最後まで間違えてしまうことのある品詞とされ、
外国人の日本語学習者が日本語の助詞「は/が」の違いを習得するのに類する難問です。

日本人がこの細部の違いまでをすっきり説明できないように、
冠詞を母語とする人たちも冠詞の用法をすっきり説明できないともされています。
532名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/26(金) 20:49:37.63 0
初心者が定冠詞以外の質問をすれば自然とそっちに流れるだろう。
定冠詞の質問がこれだけ出るのは、初心者が学びたいと思っている証拠。
ちなみに総称について悩んでいるなら、初心者は
物質名詞なら無冠詞単数、可算名詞なら無冠詞複数で書いておけば無難で間違いない。
定冠詞有りでも無しでも可算名詞を単数で総称で使うと意味が限定され難しくなるからやめておく。
自分が読み手聞き手の場合は、総称か否かは文脈で決まるから、定冠詞の有無などで悩む必要は全く無い。
533名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/26(金) 20:51:14.31 0
このまま放置しても初心者と関係ない話題で埋まるので
初心者専用スレを用意しますわ
534名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/26(金) 20:58:52.60 0
>>531
冠詞の用法と一語で言うが、エスペラントには定冠詞しかないから楽。
定冠詞だけだったらきちんと原理を知ればそんなに難しくないし、
使用方法の微細な点が西洋語母語話者とは若干異なっていたとしても
エスペラントのネイティブは存在しない(存在しても無視されている)し、
西洋母語話者の定冠詞用法も、単純にそれぞれの言語の慣習によるもので(だから英仏でも違う点がある)
本人達も感覚で使ってるだけだから、原理的に大筋が合ってさえいれば「間違い」は存在しない。
535名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/26(金) 21:01:58.40 0
>>533
お前の言う初心者がエセエスペラント作りで遊びたいだけなら、そういう趣旨でスレ作れや
536名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/26(金) 21:02:52.50 0
タイトルはエセペラントスレな
537名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/26(金) 21:47:55.70 0
>>534
冠詞をつけないと意味の上では不定冠詞の役割があると仮にすると、
「定冠詞しかないから楽」とは一概に言えないんじゃないかな。

例えば、ある名詞が可算名詞であるにもかかわらず、
定冠詞もつけず複数形にもせずに初級者がその名詞を裸で使った場合、
中級者や上級者から
「英語やフランス語などで不定冠詞を使ったのと同じ意味で君は
その名詞を使ったことになるんだよ」と指摘されて、
「えっ、エスペラントにも用法によって不定冠詞の意味が出るの???
そんなことを教わらなかったよ!」なんて不意をつかれた気分になってしまいます。

ふつうの日本人としては、冠詞を使わないということは、
単にその情報を伝達する目的や意図がこの場合ないという意味でしかなく、
文脈上相手に伝わると思えば日本人は経済的に省略できると思うわけです。

だから指示詞について几帳面で完璧主義的な冠詞常用言語と同様に
不定冠詞を使った場合と同義だと言われると困るわけです。

エスペラントの場合は微妙ですよね? 冠詞は義務ではないので。
538名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/27(土) 10:55:17.67 0
>>537
>例えば、ある名詞が可算名詞であるにもかかわらず、
>定冠詞もつけず複数形にもせずに初級者がその名詞を裸で使った場合、
>中級者や上級者から
>「英語やフランス語などで不定冠詞を使ったのと同じ意味で君は
>その名詞を使ったことになるんだよ」と指摘されて、
仮にそう指摘する上級者がいるなら、その人は相当怪しい。
そもそも英語とフランス語では不定冠詞の役割が若干異なり、さらに「などで」という表現で独伊西語まで含めてしまえば、
その言ってる意味の無責任さが痛感されるであろう。
エスペラントでは可算単数無冠詞=不定 ではあるが、英仏語では、不定=不定冠詞ではない。
そのため英仏話者たちは、エスペラントの可算単数無冠詞には不定冠詞と部分冠詞と無冠詞の意味がある、と無理して理解する必要がある。
日本人には不定冠詞も部分冠詞も存在しないから、そんな区別は必要なくエスペラントの理解ができる。
だから「定の意味で使うべきところを不定の意味で使ってるよ」という指摘なら正しいが
「不定冠詞を使っていることになる」という表現は、無知をさらけ出しているとしか思えない。

>文脈上相手に伝わると思えば日本人は経済的に省略できると思うわけです。
その理解は正しい。日本人は文化的密着度が西洋人より強く「言わずもがな」が通用する。
西洋人はその点ではまだ互いに他人行儀で「言わずもがな」、言うならば甘えが通用せず
いちいち相手の理解度に気配りしながら表現してやらなければならない。それが定冠詞の役割。
日本語では定冠詞的表現を使う事は少ないが、意味が分かればどこで使うべきかもだんだん理解できてくる。
539名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/27(土) 10:56:27.40 0
続き
>エスペラントの場合は微妙ですよね? 冠詞は義務ではないので。
定冠詞を付けなくても通用するのは、その気配りをしないだけだから。
究極、気配りなどしなくても相手は相手で何とか意味を見出そうとするから何とかなる。しかし不親切なのは確か。
定冠詞は思いやり表現であるから、つけるべき時にはつけてあげないと相手が困る。
ただし過剰な使用は、押しつけがましい一体感を感じさせ逆に不快にさせる。
その点では確かに難しいから、最小限の付けるべき時に付ける、という原則に従うと良いのだろう。
そういった意味では民族語の慣習による定冠詞用法にはあまり囚われない方が良いのだろう、と思う。
540名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/27(土) 12:03:55.09 0
>>538
フランス語などでは名詞の単数形につく部分冠詞は不可算名詞の不定冠詞だ
という説明の仕方があるようで、
その意味では部分冠詞も不定に含まれるらしいので?、
エスペラントではその不定冠詞と部分冠詞とをひっくるめて無冠詞にしちゃった
という理解でよいんでしょうかね。

あと、
the catはthe a catの意味で、意味的には不定冠詞があるんだけど
省略しているだけだよって説明している文法書もあったりします。
これが本当だとすると、英語やフランス語でも
定/不定の区別は定冠詞だけが担っていることになりますよね?

不定冠詞は可算冠詞と呼んだほうがいいことになりますね。
エスペラントにはこれがない。

541名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/27(土) 12:21:23.71 0
でも、可算名詞、不可算名詞の区別ってそんなに有益だろうか、
とザメンホフさんは考えたのかもしれません。

水だってコップに分けたり、水の分子を呼んだりするときには
可算になるから、厳密には、可算名詞とか不可算名詞があるのでなく、
名詞の可算用法と不可算用法とがあるだけだという説明の仕方もあったりします。

catsという複数形が、人々が表象しうるあらゆる猫すべてを個々の境界を
いっさい設けずにひっくるめて総称できるなら、
watersで世界に存在する水すべてをひっくるめて表しても
なんの問題もないように思うんですね。

そういう意味では可算/不可算の区別なんて要らない、可算冠詞なんて不要だ、
という発想があってもいいように思います。
542名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/27(土) 16:06:20.27 0
>>540
おっしゃる通りですね
>>541
エスペラントには複数-jがあるから、可算名詞の概念は保持していたのでしょうね。
ザメンホフもそれを撤廃するほどには進歩的ではなかった。
ただ、不定冠詞(=可算冠詞)が存在すると、同じ名詞でも不定冠詞の有無で意味が異なってしまう場合が発生する。
a cat とcatでは概念的に全く異なり、その意味の区別は不定冠詞を持たない民族には難しすぎる。
そう考えてザメンホフは不定冠詞を設けなかったのかもしれない、とも想像できますね。
エスペラントには不定冠詞が存在しないため、元々可算的な名詞が無冠詞単数の場合は可算の単数を意味する場合が多くなるだろう、と思われる。
katoはa cat またはcatではなく 日本語で言うネコの概念と同じで、一匹の個体が基本概念となるが、場合によってはその属性その他を意味する事も可能だという事。
そう考えるとkatoはa catと同じ意味ですよという上級者のご教示もあながち間違いとは言えなくなる。
543名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/28(日) 12:17:44.01 0
>>538
日本語の助数詞でも、例えば「一個」と表現すれば、個体について数えているのだな
という標識になる。「一人」といえば人を数えているのだな、とこれだけで分かる。
でも、助数詞を覚えるのは外国人にとってはもちろん、日本人にとってもやっかい。

中国語の量詞になると、もっと細かい分類がある。そのぶん親切といえば親切なんだけど、
学習するほうからしたら頭が痛くなる。便利さと不便さのジレンマ。

中国語の量詞以上に細分化した言語だってあったかもしれないと想像するとね、もう。
544名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/29(月) 01:03:16.41 0
>>534
冠詞が無ければもっと楽。
545名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/29(月) 06:58:45.72 0
>>533
作ったならリンクを報告してくださいな
みなさん言語学板を常にチェックしているわけじゃないので
【Esperanto】エスペラント初心者専用スレ
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/gengo/1351325772/
546名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/29(月) 08:17:09.21 0
laってtiuで全部置き換え可能なんだろうか。
547名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/29(月) 08:37:44.53 0
>>544
だから冠詞冠詞とそう怯えるでない。
定冠詞が分からない初心者でも一人前にエスペラント文を書きたい場合
指示形容詞(tiu)や所有形容詞(mia等)で代用すると良い。
それ以外の用法の定冠詞は文意の理解上は付けなくても何とかなる。
太陽の様な唯一物にはlaを付けると丸暗記してしまうのも良いが、付けなくても何とか行けると思う。
太陽が輝いていた、の代わりに、ある恒星が輝いていたと言うが如しで、実際の支障はほとんど無いだろう。
初心者は格好つけてLi kaptis min je la brako.と書く必要無い。Li kaptis mian brakon.で十分。
初心者を自任するなら定冠詞を使おうと思うな。使おうとしてるから難しいという文句が出る。
定冠詞が難しいと言っている=定冠詞を上手く使って格好つけたい=上級者を気取りたい、って事だろ。
矛盾してるんだよ
548名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/29(月) 08:43:08.69 0
4時間で完全習得可能なものに、初心者
549名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/29(月) 08:48:09.84 0
>>546
全部ではない。少なくとも西洋人が書いたエスペラント文のlaを機械的に全てtiuに置き換える事はできない。
日本人の初心者がエスペラントを書く場合でも、「今言ったその」「そこに見える」というtiuなのか、初出であるが「誰誰の」という意味で限定できるのか
だけは区別する必要がある。
それ以外の難しい用法のlaもあるが、それは無理して真似しなくても良いだろう。初心者のうちはね。
550名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/29(月) 08:57:51.77 0
英語では所有形容詞(エス語だとmia)を使うべきところでも
フランス語やイタリア語では定冠詞を使えるんですよね?

エスペラントではどっちもオーケーなのかな。
551名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/29(月) 09:17:29.31 0
>>549
エスペラントのtiuがlaと異なるのはどこでしょうか?
指示形容詞だから当然、日本語の指示詞と同様に、
状況的に見てそこに客観的にあるものを「その/あの」と指示できる。
文脈上「既出の」という意味で指示できる。
少なくともこの二つは定冠詞の機能と指示詞の機能は同じですよね?

定冠詞って指示形容詞から派生したものですよねえ?
例えば英語の不定冠詞a/anは、oneから派生したようなので、
one(厳密にはone of the)に置き換え可能じゃないですか?

エスペラントだとunu da(でしたっけ?)で不定冠詞の意味を
表せるんですよね? エスペラントの不定冠詞はiuかな?
552名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/29(月) 17:54:39.01 0
>>550
おそらく「身体の一部」の事を言っているのだろうが、サンプル文書でさらっと調べた所、
英語では所有代名詞で表す所を、エスペラントはかなりの高確率で定冠詞にしていた。
ただし文中に身体の持ち主が明記されている場合しか使えないから注意。
かと言ってそういう場合に、フランス語風に絶対に定冠詞にしなくちゃいけないというのではなく、
英語的に所有代名詞を使っても、エスペラント文としては初心者っぽくなるかもしれないが、
意味が通じないとが間違ってるとかは言われないと思う。
どっちにしろ初心者なのはバレバレなのだから変に構える必要は無い。
蛇足だが、英語はフランス語はイタリア語はなどと余計な事を考える前にエスペラント文をどんどん読めと言いたい。
そうすればエスペラントの定冠詞用法も大体イメージついてくる。
多分ちょっと見だが、フランス語と全く同じになるって事でもないようだ。
エスペラントにはエスペラントらしい定冠詞の使い方、また使わない場合というのがありそうだ。
つまりはエスペラントに接する前に、何語では何語ではと蘊蓄垂れても意味無いよ、と言う事だ。
553名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/29(月) 18:07:41.14 0
>>551
定冠詞の守備範囲はもっと広い。つまり、直接は言ってないが場面で状況で分かるでしょ、
または分かってよ、って場合にも使われる。
そのさじ加減が、西洋人は自分の母語流でやってるから、日本人には難しく感じる。
しかし彼らもきちんとした根拠があって定冠詞にしてるのではなく感覚でやってるだけ。
定冠詞の穴埋めをさせたら母語話者でも解答がずれる場合があるそうだから、絶対的正解があるのではない。
まあ西洋人が母語を話す場合ネイティブ的慣習が確立してるから、それと激しくずれた用法をすると「変だ」となるのだが
エスペラントに母語話者はいないから、西洋人とて自分の感覚を絶対視する権利は無いのだ。
554名無し象は鼻がウナギだ!:2012/10/31(水) 16:51:59.93 0
>>513
>定冠詞については、日本語に存在しなく、エスペラントと英仏語には存在するから、エスペラントは英仏語に近い。
>不定冠詞については、エスペラントと日本語に存在しなく、英仏語に存在するから、エスペラントは日本語に近い。

ここがこのスレの間違いの元。
エスペラントやアイルランド語の無冠詞は日本語と大きく異なり、複数形を表すことができない。

エスペラントの無定冠詞(kato) = cat, a cat
日本語の無定冠詞(neko) = cat, a cat, cats, the cat, the cats


"La tri porketoj" (エスペラント)
"三匹の子豚" (日本語では「子豚たち」にする必要も、「例の三匹の」という必要もない)


>>514
>クイズにしてはお粗末。
ベイブ (映画)
555名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/01(木) 11:16:25.13 0
>>554
文法形式としての複数形については、日本語に存在しなく、エスペラントと英仏語には存在するから、エスペラントは英仏語に近い。
と付け足せばよい。

はい、日本語の「ネコ」という一単語は、cat, a cat, cats, the cat, the catsに訳しえますよ。
しかしそれは翻訳結果という極めて表面的な事実を言ってるだけであって、だから何だというレベルにしか思えない。
そこだけ見せられて「ほら日本人にはエスペラントは難しいでしょ。だから西洋語を学びなさい」と言っても皆が反発するだけですよ。

何か言いたい事がある時に、まず日本語で「ネコは・・」という文章を思い浮かべてそれを翻訳しようとするから
kato, katoj, la kato, la katojのどれになるのか分からない、難しい、となるのだ。
言語化する以前に概念として分析する事ができれば、目的言語が要求する文法形式を自然と探し出せるのではないかな。
今のテーマで言えば、定冠詞の概念、不定冠詞の概念、可算名詞の単数複数の概念を各言語どう区別してるか明らかにする事。
ただしここはモノリンガルスレであるから、各言語とは言っても、エスペラントと日本語が主たる研究対象となるべきで、
両者に不定冠詞は存在しないからそこを議論しても混乱させるだけであろう。

ベイブですか。私も後から気付きましたが、であるなら最初から「ベイブは犬の競争に出て」と説明すべきでしたね。
定冠詞とはそのように共通知識が前提となって使われるので、話者と聞き手かかみ合っていなければ「?」なんですよ。
三匹の子豚もなぜエスペラントではLa tri porketojなんだプギーと切れる前になぜそうなるのか分析できると良いね。
556名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/01(木) 12:00:31.76 0
>>555
>文法形式としての複数形については、日本語に存在しなく、エスペラントと英仏語には存在するから、エスペラントは英仏語に近い。 と付け足せばよい。

いや、まだ足りないですよ。
>文法形式としての複数形についても、定冠詞についても、日本語に存在しなく、エスペラントと英仏語には存在するから、エスペラントは英仏語に近い。
でしょうね。つまり、日本語がエスペラントに似ていることなど、冠詞(定冠詞だの無冠詞だの)と複数形の概念について、共通点はまったく存在しないのです。

>翻訳結果という極めて表面的な事実を
ええ、翻訳結果で、たとえばウィキペディアの、eo:La tri porketoj というエスペラントの題名が、

ca:Els tres porquets
de:Die drei kleinen Schweinchen (Märchen)
en:Three Little Pigs (だが、"The Three Little Pigs"と題する絵本も多い)
es:Los tres cerditos

fr:Les Trois Petits Cochons
it:I tre porcellini
pt:Os Três Porquinhos

という西洋の言語と比較できるわけで、エスペラントが、ja:三匹の子豚 という日本語とはるかに離れた言語であるのは、「表面的」もなにも、あなたが認めたくないのか別にして、「事実」だということです。
つまり、あなたは間違っていて、あるいは、知っていてデマを吹聴していたということです。

「言語化する以前に概念として分析する事」などという手順(結局その難しさが初心者には問題なのに)を踏まなくても、日本語と同様に、冠詞も複数形語尾変化の無い言語であれば次のように表現されます。
ko:아기 돼지 삼형제 (子豚三兄弟)
id:Tiga Babi Kecil
zh:三隻小豬
557名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/01(木) 18:22:58.13 0
「彼の親はネコを飼っている。」
という日本語をエスペラントで言おうとしたとき、

「言語化する以前に概念として分析」

しかし、飼っているのが父か母か両親か、また、何匹飼っているのか情報がない。

日本語の情報だけでは訳せない。(Lia(j) (ge)patr(in)o(j) havas kato(j)n. [6通り])

一方、
"His parents have a cat."
という英語をエスペラントで言おうとしたとき、

直訳

"Liaj gepatroj havas katon."([1通り])


つまり、エスペラントは「西洋語」ということです。あきらめてください。
558名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/01(木) 18:53:41.39 0
>>556
>つまり、日本語がエスペラントに似ていることなど、冠詞(定冠詞だの無冠詞だの)と複数形の概念について、共通点はまったく存在しないのです。
冠詞、とまとめるのではなく定冠詞と言うべきですね。エスペラントの無冠詞には不定という概念しかない。複数形は語尾変化で示すので冠詞ではない。
不定冠詞が存在する言語での不定冠詞と無冠詞が意味する概念差は、エスペラントと日本語では存在しないだろうね。不定冠詞が存在しないから。

>エスペラントが、ja:三匹の子豚 という日本語とはるかに離れた言語であるのは、
それは実際事実であるが、そこから先に抜け出せないとエスペラントを楽しむことは永遠に無理だね。
母語の文法構造が全く異なる日本語話者がいかにエスペラントを構築するかがエスペラントの醍醐味であるのに気の毒だ。

>「言語化する以前に概念として分析する事」などという手順(結局その難しさが初心者には問題なのに)を踏まなくても、日本語と同様に、冠詞も複数形語尾変化の無い言語
であれば次のように表現されます。
だったら文法構造が日本語と似ている言語(=韓国語)を学んでいればよい。そこそこ役立つであろうよ。
日本語の言語表現を逐語で目的言語の単語に置き換えるしか脳が無いなら、それなりの言語を選んでやればよい。
エスペラントを学びたい人にはより高度な知能が求められるが、そのために必要な「言語化する以前の概念として分析する事」は決して難しい手順ではない。
559名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/01(木) 18:54:14.71 0
続き
母語では、『概念⇔(母語の文法)⇔母語表現』の文法の部分は普段は全く意識していない。 つまり『概念⇔母語表現』でやっている。
だから母語文法を解析しようとすると難しいし、不可能である。ただし言語化される以前の概念は言語表現とは無関係に頭の中に持っている。
異言語では『概念⇔異言語文法⇔異言語表現』と文法部分の知識は欠かせない。
仮に日本語文法を完璧に分析してもそれはエスペラントとは一対一ではないから、日本語文法⇔エスペラント文法、と単純に置き換えるのは難しい。
であれば概念の段階に戻し、母語表現→概念→異言語文法→異言語表現、という流れで実現化するのが良い。

例の童話を知らない人を除けば、「三匹の子ブタ」と聞けばある概念が頭に浮かぶ。しかしなぜ、三匹の子ブタたちでも、その三匹の子ブタでも、子ブタ三匹でもないのか。
その区別を文法で説明するのは難しいであろう。それを説明する試みはそれはそれで面白いであろうがそれをやると日本語文法のスレになってしまう。
しかし説明が無くても「三匹の子ブタ」という概念ははっきり持っている。それを分析して的確にエスペラント化すれば良いのである。
560名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/01(木) 19:23:29.62 0
>>558>>559
>冠詞、とまとめるのではなく定冠詞と言うべきですね。エスペラントの無冠詞には不定という概念しかない。複数形は語尾変化で示すので冠詞ではない。
日本語に「冠詞」があるのですか?日本語は常に無冠詞であり、エスペラントや西洋語の「定冠詞」のほうまで含められることを何度も確認したでしょう?
また、
>>555
では確かに、「エスペラントの無定冠詞(kato)」と書きましたが、「エスペラントの無冠詞単数」という意味です。(kato)と書いているのだから、わかるでしょうが。
だから、あなたのように「エスペラントの無冠詞には不定という概念しかない」というわかりきったことを繰り返すのではなく、
「エスペラントの無冠詞単数は、不定である単数、または、不加算名詞だという概念が存在し、日本語の無冠詞単数(neko)とは大きく異なる」
といわなければ、エスペラントのkato=日本語のnekoとおんなじ、というデマを扇動するといっているのです。

>「三匹の子ブタ」という概念ははっきり持っている。それを分析して的確にエスペラント化すれば良いのである。
あなたがいう「分析」というのは、結局、西洋人ならどう考えるだろうか、原作には冠詞がついているかどうか探す、という作業だということです。
なぜなら、そんなことを所詮日本人がやっても、結局あなたは>>552でいっているように「どっちにしろ初心者なのはバレバレなのだから」といい、
また、少しでも西洋人の考えに近づくために、(西洋人の書いた)「エスペラント文をどんどん読めと言いたい」といっているわけなのです。
561名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/01(木) 19:32:36.14 0
追加
西洋人にとって、「エスペラントを学びたい人にはより高度な知能」は求められずに多くは簡単に直訳(しかも、母語にある名詞の性を気にしなくても、格変化をしなくても)できるし、
逆に、西洋人にとって、韓国語や日本語を正しく話すのは「高度な知能が求められる」のは当然。

だからあなたのような日本人エスペランチストは、西欧帝国主義に過ぎないといっているのです。
562名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/01(木) 21:11:56.91 0
563名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/02(金) 12:37:29.82 0
>>553
> 定冠詞の守備範囲はもっと広い。つまり、直接は言ってないが場面で状況で分かるでしょ、
> または分かってよ、って場合にも使われる。

その場合、tiuやtioなどの指示詞類は使えないんでしょうかね?

日本語だと「あの件についてなんですが」と「あの」を使えば、
「私もあなたも知っている特定の件のことについてですよ」と示唆できる。
つまり定を表せるわけですが。

指示詞で無理なことって日本語からするとないように思うんですよ。
つまり、指示詞や他の限定詞(iuなど)の音便形・縮約形という以上の機能を
冠詞が独自にもっているかというのは初心者からするとやはり疑問に思うわけです。

ただし日本語では義務になっていないから、「お互いにとって自明だよ」って
定冠詞の機能は自明なんだから省略しても通じちゃうと考える暗黙の了解があるだけで。
564名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/02(金) 14:51:15.02 0
>>563
限定だけを見ればtiuで変えられるとして、以下に問題を挙げます。

総称表現。ただし、加算なら無冠詞複数形、不加算なら無冠詞のままでも表現できる。
- *Tiu lupo estas formortanta. というのは非文 -> Lupoj estas formortantaj.
- Biero estas alkoholaĵo. 不加算は無冠詞でもOK

無冠詞でも解決できそうだが、長くなるもの。
- la dua de novembro -> dua tago de novembro
- je la oka -> je oka horo
- Li levis la kapon. -> Li levis sian kapon.
- la Nederlanda -> Nederlandalingvo

無冠詞だと意味が変わり、かつ、いちいちtiuだとうるさいもの。
- la suno (無冠詞だと「恒星」)
- la Monto Blanka (無冠詞だと「白い山」。)
- la Simpsonoj (無冠詞だと「シンプソンたち」)

冠詞がなければどうしようもないもの
- Tiu lago estas la plej profunda.その湖が(世界で)最も深い。
(Tiu lago estas plej profunda (ĉiloke).無冠詞だと、その湖の中のある部分が最も深い)
565名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/02(金) 15:19:38.77 0
ちなみに>>564は横レスをしましたが、
>>553については、完全に賛成するわけではなく、最後の
「エスペラントに母語話者はいないから、西洋人とて自分の感覚を絶対視する権利は無いのだ。」
は、一言余計で、この人はいつも「だから日本人にだって平等」という結論にもっていきたくてしょうがない。

実際には、
「エスペラントに母語話者はいないから、英語話者とて自分の感覚を絶対視する権利は無いのだ。」
や、「仏語話者とて自分の感覚を絶対視する権利は無いのだ。」
は正しいが、
「西洋人」全般としてみるのならば、ザメンホフが

「1.エスペラントでは、・・・定冠詞laがあるだけである。不定冠詞はない。
 注:冠詞の用法は他の諸言語におけると同様である。・・・」

といっている以上、他の西洋諸言語全般の「感覚を絶対視」できるといえ、冠詞の無い民族には太刀打ちできない。
566名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/02(金) 20:24:58.81 0
>>560
>日本語に「冠詞」があるのですか?
「定冠詞」という形では存在しないが、その意味は比較的単純だから日本人でも分かりやすい。

>「エスペラントの無冠詞単数は、不定である単数、または、不加算名詞だという概念が存在し、日本語の無冠詞単数(neko)とは大きく異なる」
不可算名詞でも定冠詞がつきうる。無冠詞単数=不可算名詞、と決めつけるのは間違い。
エスペラントの無冠詞は、全ての名詞(可算単数、可算複数、不可算名詞)の不定、という情報である。
定の情報、不定の情報は日本語ではより複雑な形で実現しているが、文脈上理解できる。
単数複数の情報は日本語の名詞そのものでは表さないが、個体を目で見た数の情報は判断できる。その情報を語尾に付ける。

>エスペラントのkato=日本語のnekoとおんなじ、というデマを扇動するといっているのです。
同じです。
kato=Specio de feliso (Felis silvestris), kies hejma formo ekzistas en multaj variaĵoj:
ネコ=食肉目ネコ科の哺乳類。体長50センチメートル内外。毛色は多様。指先にはしまい込むことのできるかぎ爪がある。(以下略)
つまり単語の概念としては、ある動物の種の概念でしかない。
単数なのか複数なのか定か不定か、単なる属性か、比喩かは、単語に付属する情報が決めている。
エスペラントでは定冠詞の有無、複数語尾の有無、また属性や比喩かは文脈で決まる。
日本語では、その、達、のほか、多くは文脈で決まる。
それは英語でも同じであろう。catは動物の概念で、無冠詞単数という単語外の情報が「個体のネコではない」という意味に変化させている。

>あなたがいう「分析」というのは、結局、西洋人ならどう考えるだろうか、原作には冠詞がついているかどうか探す、という作業だということです。
あなたにそれしか術が無いからですよwww。英語wikiでThree little pigsだったからさぞかし焦っただろうwww
567名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/02(金) 20:28:19.56 0
続き
>(西洋人の書いた)「エスペラント文をどんどん読めと言いたい」といっているわけなのです。
誰が書いたかは問題ではない。定評ある文学作品など、きちんとしたソースのを読めという事。
西洋人の書いた物でも、エスペラントの破壊を目論んでいるとしか思えない酷い物も存在しますよ。区別できませんか?

>>561
>だからあなたのような日本人エスペランチストは、西欧帝国主義に過ぎないといっているのです。
私にとってはエスペラントは知的遊戯だから、主義主張とは無関係ですね。
また、西洋人でもエスペラントの本質を理解してる人ならば、単純に母語からの単語置換だけに頼らずにエスペラント文を書いてますよ。
そういう人にとってはエスペラントは知的遊戯である事でしょう。

>>565
>といっている以上、他の西洋諸言語全般の「感覚を絶対視」できるといえ、冠詞の無い民族には太刀打ちできない。
どうしてそこで知的探求を放棄してしまうのでしょうかね、定冠詞の概念は簡単であるのに。
貴方が所属してるエスペラントの会では、先生は定冠詞の意味を教えないのですか?
分からなかったら質問すればいい。
568名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/02(金) 21:02:49.59 0
>>563
>その場合、tiuやtioなどの指示詞類は使えないんでしょうかね?
西洋語の定冠詞は指示形容詞から出来たのが定説ですから、完全に定冠詞=指示形容詞だったら、定冠詞ができた意味が無いんですよね。
最初は指示形容詞で表していた意味が、それを超えて広がっていって定冠詞独自の守備範囲ができた、と考えられるでしょう。
定冠詞を所有する民族にとってはその方が便利だったからそうなったのだと思いますね。
エスペラント関連の参考書で定冠詞についての適当な説明が見当たらないなら、英語仏語などの参考書が参考になりますよ。
なんてったって定冠詞の用法は西洋語に準ずるのだから原理は同じです。
ただ民族語の慣習上の違いはあるから、原理だけざっと把握しておいて、実用はエスペラント流に従うのが良いと思います。
もっとも、日本語のエスペラント参考書で十分ならばわざわざ民族語の参考書に頼る必要もないですが。

>日本語だと「あの件についてなんですが」と「あの」を使えば、
>「私もあなたも知っている特定の件のことについてですよ」と示唆できる。
日本語の「あのその」で表せる定はエスペラントの(西洋語の原理的な)定冠詞用法とは若干異なりますよね。
「駅はどこですか」と聞く場合エスペラントではla stacidomoだが
日本語でいきなり「その駅はどこですか」と言うと、「その駅とはどの駅だ」と問い返される事でしょう。
日本語の「あのその」は「両者の間でかつて確実に話題となった物」を指す、と言えるのでしょうかね?
日本語文法は掘り下げてないので断言できませんが。
エスペラントの場合、話題になってなくても、状況で勝手に判断して下さいよ、いう意味合いがある。
la stacidomoと言えば、この辺で最も近くの駅を教えるのが妥当、という情報を聞き手に与える。
laが無いと逆に「stacidomoってどの駅の事言ってんだよ」って事になる。
日本語の場合「は」が定の意味を表すという説もあるので、「駅は」と聞いた時点で
何も考えず自然に「この辺で最も近くの駅」を思い浮かべるのかもしれないですね。
569名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/02(金) 21:26:40.23 0
>>564
>- Tiu lago estas la plej profunda.その湖が(世界で)最も深い。
>(Tiu lago estas plej profunda (ĉiloke).無冠詞だと、その湖の中のある部分が最も深い)
これは英語文法のパクリだろう。
エスペラントで単独のplejはabsolute altan grado(sen esprimita komparo kun aliaĵoj): という意味しかない。
民族語文法に過度に依存すると正しいエスペラントが見えなくなる。
570名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/02(金) 22:06:26.85 0
すまん、PMEGに説明があった
http://bertilow.com/pmeg/pmeg140/gramatiko/difiniloj/la/specialaj_uzoj.html
例文:Li estas plej laca en la mateno.
Kelkfoje plej ne montras ion unikan, sed plej altan gradon de eco aŭ maniero. Tiam oni ne uzu la:
彼は朝は非常に疲れてる。という意味で、彼が誰か他人と比べて一番疲れているというのではない。
plejの意味を重視して、彼は朝が一番疲れている、と訳しても同じ。
英語のThis lake is deepest here.は英文法の説明の中でも「定冠詞の有無で意味が違う=難しい」という説明しかしてなかった。
エスペラントを知っていたから、英語学習者の難問も簡単に解決できた。
571名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/03(土) 08:17:41.85 0
>>566-570
揚げ足を取ったり反論することを目的とするのではなく、少しは相手の言うことに耳を傾ける努力をするべきです。
だから、>>569のようなみっともない間違いをするのです。
>無冠詞単数=不可算名詞、と決めつけるのは間違い。
だれも、そんなこといっていません。
>>560で「無冠詞単数は、不定である単数、または、不加算名詞だという」と書いたので、そう読み間違えるかもとは思いましたが、やはりそうでした。
「不定である単数、または、不定である不加算名詞」という意味だとわかるでしょう?
しかも、>>564でビールの話で「不加算なら無冠詞のままでも表現できる」などと説明しているのだから、私が、不加算に定冠詞がつく可能性を考えていないはずがないのに、あなたのつっこみはくだらなすぎます。

>同じです。
まだいいますか?
文法の話をしているのに、(西洋と東洋のネコに関するイメージは別にして)無冠詞単数の使われ方が違うに決まっているでしょう?

neko (日本語のネコの概念。複数だろうと、一度話題になろうとネコはネコ)
  ┣ kato (不定の一匹のネコ、不定のネコの毛皮などの物質)
  ┣ katoj (不定の複数のネコ、ネコの総称)
  ┣ la kato (定の一匹のネコ、定のネコの毛皮などの物質、ネコの総称他)
  ┗ la katoj (定の複数のネコ、ネコの総称)

なのになぜ、neko = katoと同じといいきるのですか?一度病院にいった方がいいんじゃないですか?
あなたの論理は破綻しているし、ホラは学習者に迷惑でしかありません。
572名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/03(土) 08:18:28.09 0
続き
>あなたにそれしか術が無いからですよwww。英語wikiでThree little pigsだったからさぞかし焦っただろうwww
wの数から、「結局、西洋人ならどう考えるだろうか」という図星をつかれていかに狼狽しているかが忍ばれます。
ウィキペディアの記事名における冠詞のつけ方は、各言語やそれぞれの分野でルールがあります。
たとえばエスペラントの記事でも、"Blanka Monto"は、「文法上」モンブランを指すときには必ずlaをつけなければならないのに、記事名では外していることから、基準が別にあるのが明らかです。

>先生は定冠詞の意味を教えないのですか?
日本人の先生も何も、ザメンホフ先生が「冠詞の用法は他の諸言語におけると同様である」といっているのだから、>>569のように間違える可能性のある日本人に聞くまでもありません。

>>570
>エスペラントを知っていたから、英語学習者の難問も簡単に解決できた。
言い訳は結構です。
>>569であなたがその用法が英語にあることは知っていて、エスペラントではしらなかったのだから、あなたが、エスペラントより英語のほうを理解していることと、
「エスペラントは英仏語より日本語に近く、日本人が自然に理解できる所に英仏人の混乱を持ち込んでも意味が無い」というような説がぼろぼろに崩壊したのが露になっただけです。
573名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/03(土) 08:19:32.89 0
くだらない言いがかりに反論するだけでは、またスレ汚しになるだけなので、少しためになるエスペラントと英語の冠詞の感覚の違いを一つ書いておくと、
エスペラントには不定冠詞がないため、あえてunuやiuをつけると英語のaよりも強調した意味になるということです。
つまり、英語では"She wants to marry a Japanese." と分けないものをエスペラントで
1 Ŝi volas edziniĝi al japano.
2 Ŝi volas edziniĝi al unu japano.
とすると、
1は、「彼女は、結婚するのなら日本人がいい」(不定)であるのに対し、
2は、「彼女はある一人の日本人と結婚したい」(初めて登場する特定の人物)
となります。これくらい、説明できるようにしておきたいものです。
574名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/03(土) 08:52:39.79 0
>>564
とすると、エスペラントの初心者がエスペラントを使って表現したいときには
「総称」のつもりで名詞を使うときに定冠詞を使うことだけに注意して、
他は、所有形容詞と指示形容詞でほぼ大丈夫ということですよね?
極めて特殊な文例を除けば。

総称表現にしても、複数形で代用できるとすれば、定冠詞は結局ほぼ不要。

しかし初心者にとって問題は「読む場合」です。
575名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/03(土) 09:42:32.97 0
いやいや、ちゃんと読んでいただいていますか?総称表現は、別の言い方ができるとして、
- la suno
- Tiu lago estas la plej profunda.
をどうするかということです。定冠詞が無ければ違う意味になりますよということです。
ほかにも、La prezidanto de Usono や、
Ludoviko la 14-a に冠詞を使わなければ、どうなりますか?
また、固有名詞に La Himalajo とザメンホフが使っていた経緯もありますが、これは減っていくことでしょう。

ちなみに、>>568のような、他の言語の定冠詞の使い方と同じものをだらだらエスペラントスレで語るのは無意味だが、
英語とエスペラントの定冠詞の違いを一つあげると、
英語ではthe my もthe mine も無理だが、エスペラントでは、後者の場合であれば"la mia"が使えることも初心者には勉強になることかもしれません。

つまり、
Tiu ĉi libro estas mia. "This book is (one of) mine." この本は私のものです。
Tiu ĉi libro estas la mia. "This book is the one of mine."  この本が私の本です。
576名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/03(土) 09:45:06.29 0
>>575
初心者にとっては極めて例外的な文例として、とりあえず脇に置けないですかね?
577名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/03(土) 09:47:54.88 0
どこまでが初心者で、どこからが初心者ではない難しい問題かは主観でしかないので、
まずは、16か条の1条のお勉強くらいは大切かと思われます。
578名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/03(土) 10:51:30.99 0
>>564
簡単な定冠詞をことさらに難しく見せかける意図が見え見えだから説明してあげよう。

>総称表現。ただし、加算なら無冠詞複数形、不加算なら無冠詞のままでも表現できる。
定冠詞自体に総称を表す意味は無い。だから不定でも総称を表せる。
定冠詞が総称を意味する理由。
文脈上、他に共通認識となる情報が存在しない状況での定冠詞は
常識で勝手に判断して下さいよ、という意思提示となる。それが総称、一般論。
逆に言えば、文脈上、定冠詞の指す具体的な対象が聞き手にとって同定できる場合は総称にならない。
La porko estas dika.と唐突に言えば、前提となる共通知識が存在しないから総称。
それ以前にあるブタの話をしていたり、目前に一匹のブタがいればそのブタを指してる可能性もある。
しかしそれも文脈による。
子供「見てお父さん、あのブタ太ってるね」は個別のブタ。父「ブタというものは太っているんだよ」と答えれば総称のブタ。
ただしこの場合は、"Vidu paĉjo, la porko estas dika.""La porko estas dika."ではオウム返しだから
"Porkoj estas dikaj."と他の総称用法を使うのだろうが。

>無冠詞でも解決できそうだが、長くなるもの。
定冠詞の基本知識として最重要点は「常に名詞に付く」という事。
聞き手からしたら、laがあれば名詞が後続する筈、となる、仮に省略されていても。
話し手からしたら、省略しても常識で判断してもらえる自信があるから省略している。

- la dua de novembro = la dua tado de novembro
- je la oka = je la oka horo
- la Nederlanda = la Nederlanda lingvo

>無冠詞だと意味が変わり、かつ、いちいちtiuだとうるさいもの。
これもlaの「聞き手が同定できる対象を示唆」という原理に因っている。
579名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/03(土) 10:53:21.43 0
続き
>冠詞がなければどうしようもないもの
>- Tiu lago estas la plej profunda.その湖が(世界で)最も深い。
>- Tiu lago estas plej profunda (ĉiloke).無冠詞だと、その湖の中のある部分が最も深い)
今説明したようにla がある所には必ず名詞が存在するから Tiu lago estas la plej profunda lago.
だが、en la mondo.などが付かないと、本当の意味では最上級にならない。
何々の中では一番という前提条件があるからこそ、その中の唯一の一番だと聞き手が判断できlaの意味が出る。
en la mondoが付いていないと、比較対象が明記されてないため、一番と言える前提がなく、「非常に深い湖」という意味にしかならない。
ただ、日本人でも「一番って世界中全部調べて言ってんのかよ」と言われようが「一番○○な」と表現してしまう。
エスペラントでも西洋人も同じで、厳密には比較してなくても強調で「一番」と言ってしまう時があるかもしれない。

Tiu lago estas plej profunda.は la が無いから plej profunda lagoではない。
他の湖と比較して一番深い湖を意味しなくなり、「非常に深い」という形容詞述語となる。
Tiu lago estas plej profunda ĉiloke. だと、この部分、という副詞が付くため、「この湖はこの部分では非常に深い」という意味になり
日本語的に訳せば「この湖はこの部分が一番深い」となる。
英語の文法書だとあたかも
Thie lake is la deepest in the world.この湖は世界で一番深い(湖だ)。(主語=この湖)
Thie lake is deepest gere.この湖はここが一番深い。(主題=この湖、主語=ここ)
と定冠詞の有無で主語が変わってしまっているが如くに見え、混乱した。
私は英語はできないが、PMEGを読んでエスペラントで理解したら簡単に理解できた。
エスペラントは日本人でも分かりやすい言語であると身を持って証明する事ができて嬉しい。
580名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/03(土) 11:04:28.61 0
>>578>>579
>簡単な定冠詞をことさらに難しく見せかける意図が見え見えだから説明してあげよう。
あなたが長文で話をそらそうとするのに必死なだけです。
定冠詞laの変わりにすべてtiuが使えるかどうかという話であって、だれも定冠詞が総称を意味する理由など聞いていません。

>la がある所には必ず名詞が存在するから 
という説明しかできないのなら、なぜ、
Tiu ĉi libro estas la mia. ができて、
Tiu ĉi estas la mia libro. ができない理由が説明できないでしょう。

>私は英語はできないが、PMEGを読んでエスペラントで理解したら簡単に理解できた。
>>569で、「これは英語文法のパクリだろう。」と、英語の文法を知っていたのに、嘘はバレバレなんだから、これ以上、恥の上塗りはやめたほうがいいですよ。
581名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/03(土) 11:10:56.48 0
>>573
英語を出さなくてもPMEGの説明は分かりやすいよ
Tiu ĉi libro estas mia. Ĝi estas unu el miaj libroj — nedifina senco.
Tiu ĉi libro estas la mia. Ĝi estas tiu konata libro, kiu apartenas al mi — difina senco.
582名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/03(土) 11:11:43.38 0
英エの違いを説明しているのです。
583名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/03(土) 11:18:13.40 0
>>580
>Tiu ĉi libro estas la mia. ができて、
>Tiu ĉi estas la mia libro.
miaも限定詞だから名詞に係る場合はlaと併用する意味が無い。×la mia libro ○mia libro
la miaはそこに敢えてのlaがついている訳で、そこには何らかの理由がある。
それはla mia libroの意味では無く、私の所有物と言う意味で、la自体が名詞の代わりをしているのではないだろうか。

英語文法で理解できなかったものがエスペラントでなら理解できたのだから素晴らしいではないか
584名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/03(土) 11:19:40.43 0
>>582
モノリンガルスレで英語と比較するから嫌われる。嫌われるから別スレが乱立する。
諸悪の根源はお前
585名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/03(土) 11:54:06.95 0
>>583
>代わりをしているのではないだろうか。
>英語文法で理解できなかった
だから、きちんとした違いを知らないのだから、はじめから英語とは違ってエスペラントの冠詞は日本人には簡単だの、
「そのため英仏話者たちは・・・と無理して理解する必要がある。 」
だのと適当にわかったような口をきくなということです。

>>584
繰り返しますが、ザメンホフが「冠詞の用法は他の諸言語におけると同様である」といっていて、持たない民族が英語や仏語を通して冠詞を学ぶのは必須の作業です。
ただし、英語とも確かに多少違う場合があるのですから、その違いの「正確な情報」を書くことは、問題ではない。
586名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/03(土) 12:10:50.33 0
>>573
unuの場合はそうなるとして、iuの場合も?
エスペランティストの文をいくつか読んでいると、tiuやiuが定冠詞よりも
好まれているようにも感じることがあるんですが、勘違いかな。
587名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/03(土) 12:17:19.79 0
>>585
出て行け!
588名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/03(土) 12:28:23.73 0
>>583
>miaも限定詞だから名詞に係る場合はlaと併用する意味が無い。
に、つっこむの忘れていましたが、
エスペラントの文法は何が何でも合理的にできているのではなく、この点は、他の限定詞と併用しない習慣ができあがっているというだけのことですよ。
(たとえばイタリア語なら併用できますが、それ以上書くと、比較をすることに文句をつけられるのでやめますが)

「これは、私の本だ。」(不定)と、
「これが、私の本だ。」(定)
がありうるのに、「意味がない」と思考を停止させる権限はあなたにはありません(あなたにはわからないのかもしれませんが)。

実際には、単に習慣として、
Tiu ĉi estas mia libro. = Tiu ĉi estas unu el miaj libroj. (不定)
はできても、

*Tiu ĉi estas la mia libro.
は英語と同様にできなく、
Tiu ĉi estas la unu el miaj libroj. (定)
としか言えないということです。

>>586
iu と unu との違いは、
http://www.reta-vortaro.de/revo/
で、iu を検索して、定義の特に2と3をご覧ください。

これも、残念ながら、英語で説明するとわかりやすいのですが、
可算名詞にiu, unu をわざわざつけるということは、英語の"some"(「いくつか」じゃない) や "a certain" の意味をつけるようなものです。
589名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/03(土) 12:58:10.70 0
>tiuやiuが定冠詞よりも好まれているようにも

少なくとも英語より定冠詞は多く使う傾向にあります。
たとえば、総称表現にしても
英 lions are dangerous animals と英語では無冠詞複数形が多い(無論、他の表現もある)のに対し、
エ la leono estas danĝera besto とエスペラントでは定冠詞単数形も多い(同上)。

また、's の役割をするものが、エスペラントにはないため、
英 the boys' cats
エ la katojn de la knaboj
を見ても、定冠詞が一つ多く使われなければならないし、
その語順を見ても
英「少年の-ネコ」
エ「ネコ-少年の」
ということで、英語より、エスペラントの後置修飾の方が、日本語の感覚とはより離れていて、
ドイツ語(冠詞の属格で後置につなげる)やロマンス語系(形容詞は常に後置)などに近いことが分かる。
590名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/03(土) 13:00:28.96 0
>>588
英語の不定冠詞を辞書で引いてもその意味の1つにoneというのがあるんです。
しばしばanyもあります。
にもかかわらず、oneやanyとは同義ではないということですよね?

英語の場合は不定冠詞があるため、語が重複するので
意味の使い分けの役割区分が生じて、そう使い分けられるのだと思います。

でも、エスペラントには不定冠詞はないので、iuとの差異をが意味的に生じる
必然性がないように思うんです。
にもかかわらずエスペラントは英語を踏襲していることになるのでしょうか。
591名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/03(土) 13:10:41.59 0
エスペラントで「Love for Life」と書きたいんですが
「Amo por Vivo」であってますか?

あと、ここで書くのはスレチかもしれませんが
一番古い国際補助語(又は国際語)はヴォラピュクですか?
592名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/03(土) 13:13:57.42 0
あのさー
複数レスにまたがる続きものを書くのもいいけれど、2番目以降のヤツ、
先頭に「つづき」「続き」
だけでなくて、どれの続きなのか、アンカー打っとけよ。
再読み込みしてレス番確認してその数字書くだけだろ。
593名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/03(土) 13:29:21.79 0
日本語を母語とするモノリンガルにとってちょっぴり助かるのは、
助詞の「は/が」に「定冠詞/不定冠詞」とダブる役割があるとする
日本語文法の仮説ですね。

ただし、私の認識まちがいかもしれませんが、意味のねじれも感じるんです。

不定冠詞(エスでは無冠?):不特定、かつ、不定
定冠詞:特定、かつ、定

しかし日本語では、

「は」:不特定(総称的)、かつ、定
「が」:特定、かつ、不定

というニュアンスがある気がするんですが...
594名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/03(土) 13:59:40.89 0
>>590
ご質問の趣旨がよくわかりませんが、unuを追加する意味については、
http://lingvakritiko.com/2007/02/05/la-artikolo/#specifa

5.1. Nedifinita sed specifa
というところで解説していますのでご覧ください。

>>593
「象は鼻が長い」は Elefanto, la nazoではないので、無理やりまったく異なったものを並べて論じるのは意味がありません。

そんな回りくどいことをせず、ザメンホフが「エスペラントの冠詞は、フランス語やドイツ語と使い方が同じ」
(L'emploi de l'article est le même qu'en français ou en allemand.『エスペラントの基礎』フランス語版、1905年)
とはっきりいっているのですから、それに従えばいいじゃないですか?
でも、日本人なら学習人口の多いのは英語なので、その英語との違いさえ、学べばいい話でしょう?フランス語とドイツ語で説明したほうがもっとスレが荒れるでしょうが。
595名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/03(土) 14:04:39.48 0
>>591です
スレの流れ的に煽りに見えてしまうかもですが
単なる質問なので、どなたか答えて頂けないでしょうか?
596名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/03(土) 14:07:05.84 0
スレの流れ的には"sajajo"(最愛-o)とでも答えておいたほうがいいかな?
597名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/03(土) 14:23:56.47 0
さて、冗談は楽しんでもらえたと思うが、エスペラントの場合、英語よりフランス語などに冠詞の感覚が近いので、
定冠詞を入れた使ったほうが気持ちが良い。

"Amo por la Vivo"

だろう。副題としては、

"La vivo estas miraklo."
"Ĝis morto apartigas nin."

あたりだろうか。エスペラントがわからないのなら、グーグルでこれらを翻訳してみれば、何のことかわかるだろう。
598名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/03(土) 14:42:42.22 0
>>596
ありがとうございます
ですが意味的には「生命に対する愛」「人生に愛を」「生きる為の愛」などを含めて書きたかったんですが
やっぱり「Love for Life」と言ったら「最愛」ですかね・・・
「the」を付けた方がいいのか、それとも「into」か「to」なのか・・・
答えて貰っておきながら説明不足で本当に申し訳ないです

>>597
ありがとうございます
やはり「the」を付けたほうがいいんですかね、参考にさせて頂きます
599名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/03(土) 14:47:20.15 0
>>598
おっと、最愛oは冗談ですよ。
中文からのパクリです。

ええ、もちろんフランス語からのように"La amo por la vivo" でもいいのですが、エスペラントの検索結果が少ないので。
こういう作業を、このスレでは「(概念として)分析」と呼んでいますw
600名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/03(土) 14:49:04.83 0
>>594
それは定/不定というよりは、
主題主語と並ぶ二重主語構文がエスにないということだと思います。

もちろん機能上「タブる」ところがあるという意味なので
どの例文をとっても一致する、つまり同じという意味ではありませんよ!

機能としてダブる点があるので、まったく定冠詞が日本人にとって
まったく未知の機能をもった文法形式だと言いきるのは言い過ぎだと思います。

ちなみに助詞「は」は定(既出か既知の意味)を表すので、
「鼻が」ではなく「象は」のほうに定冠詞がつくと思います。
601名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/03(土) 14:58:16.73 0
>>593
厳密に言うと、

不定冠詞:特定 かつ 不定
定冠詞:特定 かつ 定

だと思われ。
総称用法の例外を除けば、冠詞はいずれも特定化された対象を指す。
その前提の上でさらに「定/不定」の区別がある。
602名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/03(土) 14:58:16.85 0
>>600
日本語の「は」と「が」
●形容詞・状態動詞を用いた『〜は〜が』構文 「私は英語ができない」
●発見のニュアンス/一般的な性質 例1:「あ! 柿が赤い!」 例2:「柿は赤い」
●対照・対比の『は』 「(この品物は)値段は高いが、品質はいい」
●強調の『は』「彼女とは顔を合わせたくない」
他。(http://www.pantomime.org/nihongo-tusin/note.html
これらは、la と無冠詞の違いではありません。


では、エスペラントの定冠詞とは?
エスペラントの定冠詞とフランス語の定冠詞
" le même (同じ)" (ザメンホフ1905)
603名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/03(土) 14:59:58.41 0
>>599
そうでしたか、お見逸れ致しました
なるほど、やはり「the」ですか
ではそれも含めて検討させていただきたいと思います、ありがとうございました
604名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/03(土) 15:57:44.26 0
605名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/03(土) 16:02:26.80 0
>>604
604 :名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/03(土) 15:57:44.26 0
>>580
' >>578-579 '

>>481
>>562
>>592
606名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/03(土) 16:04:52.72 0
フンダメントのたぐいって、いったいいくつあるのでしょうか。

http://eo.hades-presse.com/lingvoj/fundamento.shtml
には
"Rimarko. La uzado de la artikolo estas tia sama, kiel en la aliaj lingvoj."
とあり、

http://www.akademio-de-esperanto.org/fundamento/ekzercaro.html
の「§27」には
"Ĝia uzado estas tia sama kiel en la aliaj lingvoj." とあり、

http://bertilow.com/pmeg/pmeg140/aldonoj/fundamenta_gramatiko.html
には
"La uzado de la artikolo estas tia sama, kiel en la Germana, Franca kaj aliaj lingvoj."
とあり、

http://eo.wikipedia.org/wiki/Gramatiko_de_Esperanto
には
"La uzado de la artikolo estas tia sama, kiel en la aliaj lingvoj."
とあります。

"Fundamenta Gramatiko de Esperanto"と同じタイトルのものにも
"la Germana, Franca"という記述があるものとないものとがあるので混乱しますね。
607名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/03(土) 16:06:48.32 0
どうやら英語よりフランス語の定冠詞用法を見習えという見解が多いようですが、
ドイツ語もフランス語と同じですか? ドイツ語はロマンス諸語ではないので。
608名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/03(土) 16:24:50.21 0
>>606-607
少なくとも冠詞が、
「エスペラントは英仏語より日本語に近く、日本人が自然に理解できる」だの、
「「思いやり」だの「絆」だのを尊ぶ日本人にならその意義は理解できる」だのとは書いていませんねw

>>589でも少し書きましたが、
たとえば
英 the boys' cats
エ la katojn de la knaboj
だったら、
ドイツ語は die Katzen der Jungen
となる。2番目の定冠詞derは、dieの2格(属格)で、エスペラントでいえば、"de la"のようなものということです。
したがって、ロマンス諸語ではないにも関わらず、英語よりもドイツ語の方が、冠詞の出てくる頻度が似てくるのです。
609名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/03(土) 16:47:39.25 0
610名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/03(土) 17:15:47.96 0
>>594
「象は鼻が長い」を無理やりエスペラントの語彙に置き換えると、
「La elefanto nazo longa」になるでしょうね。

ちなみにこれはハンガリー語の言い方に似ています。
ハンガリー語もトピック言語です。

Az elefánt ormánya hosszú.
Azがハンガリー語では定冠詞です。Azはthatの意味もありますが。
611名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/03(土) 17:28:14.17 0
>>602
定冠詞と不定冠詞の使い分けと助詞「は/が」の使い分けがいくらか
カブるという仮説は、日本語文法学者によってしばしば提唱されていますが、
下のブログやサイトでもそれについて触れているので、参考になるかも。

http://racoon183.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/post-f9b6.html
http://selfyoji.blog28.fc2.com/blog-entry-1245.html
http://kd1.blog103.fc2.com/blog-entry-212.html
http://shikhokikan.at.webry.info/200912/article_11.html
http://www.webalice.it/sandro.carnevali2011/nihongo/kanshi.htm
最後のはイタリア人の方によるらしく、日本語が若干変かもしれませんが。
612名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/03(土) 17:54:14.06 0
英語で日本語風「象は鼻が長い」の直訳をすると、
- As for elephants, their trunk is long.
しかし、自然な表現は、複数形を使って、
- Elephants have long trunks.

一方、独・仏・エでは、
- Der Elefant hat einen langen Rüssel.
- L'éléphant a une longue trompe.
- La elefanto havas longan rostron.
と、定冠詞の総称表現が普通。
仮に、エスペラントで日本語風の直訳したとしても、
- Ĉe (Se temas pri) la elefanto, la rostro estas longa.

これでもやはり、定冠詞総称表現が自然だし、体の一部も定冠詞であらわすのが自然。
「は」とか「が」とか、「ば」と「か」みたいなことを言っていないで、素直に西洋諸語から学ぶべきです。それがいや(そして、ザメンホフがいっていることが嫌い)なら、残念ながらエスペラントはできないでしょう。
613名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/03(土) 18:23:16.84 0
>>612
日本語が定/不定の機能をもっているという仮説では
「は」:定
「が」:不定
とされています。
ですからそこで「独・仏・エ」として挙げられている文では、
日本語の「象は鼻が長い」と冠詞に関する限り一致するわけです。

ただし、日本語はトピック-コメントを優先する言語ですから、
「象は鼻が長い」のような二重主語構文を普通に使いますが、
エスペラントなどではそうではないという点は異なります。

しかし
「象は」: la elefanto(つまり定)
「鼻が長い」: longan rostron(つまり不定)
という点では一致するわけです。

もちろん、場合によりけりで、完全に一致するとは誰も主張していませんが。
614名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/03(土) 18:29:27.87 0
>場合によりけりで、完全に一致するとは誰も主張していませんが。
場合によりすぎで、一致するケースが非常に限られているような当てにならないものを
エスペラントスレに延々と書き込まないでください。

定冠詞がある言語はエスペラントだけではないし、日本語文法の話題が込み入りすぎます。
615名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/03(土) 18:42:48.81 0
>>613
カチンときているだろうから理由を書くと、

>「象は」: la elefanto(つまり定)
>「鼻が長い」: longan rostron(つまり不定)

>>612の中で、日本語と合わせる話をしているのに、
「鼻が長い」: la rostro estas longa.
を選ばない理由は何ですか?これは定ではないでしょう?

そして、「私は英語ができない」をその珍説によるのだったら、
La mi と Angla ということになりますよ。
616名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/03(土) 18:49:54.60 0
>>615
そちらは二重主語構文と定/不定とを混同しているだけだと思いますよ。
617名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/03(土) 18:56:23.10 0
ハ一ガ構文と呼ばずに、二重主語構文とか言ってる時点で日本語文法の話にならないですし、
何でもいいから、エスペラント学習には使えないのでやめましょうということ。

あなたが、la plejとplejの違いを知らなかった人間だとしたら、レス流しはやめなさい。
618名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/03(土) 18:57:40.14 0
>>614
ここは基本的には日本語を母語としていて、
それ以外の外国語については熟知していないか、
せいぜい参考書を読む程度に知っているエスペラント初心者のための
スレッドだと思います。
だから母語の参考になる点を話題にするほうがこのスレッドの趣旨に合うのでは?
英語やフランス語やドイツ語をとにかく身につけろという見解の人は
べつのスレでやって、というのがこのスレの趣旨だったのでは?
619名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/03(土) 19:05:27.55 0
>>615は典型的な藁人形論法だと思います。
相手が主張してもいないことをさも主張しているかのように
すり替えて完全に否定できたように見せかける。

こちらは、「は/が」の機能がすべて定/不定の機能に還元される
なんて仮説があるなんて一言も書いてないはずですよ。

しかも、「象は鼻が長い」構文と同じ形態がエスペラントにある、
なんて誰が書きましたか? こちらがさもそれを主張したかのように
すり替えて全面否定できたように見せかけているだけでは?
620名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/03(土) 19:09:11.69 0
エスペラントでは「La elefanto nazo longa」はもちろん非文でしょう。
この構文がエスペラントにあるなんて主張した覚えはありませんよ。

問題にしているのはあくまでも定冠詞と無冠詞に表されるとされている
定/不定の機能です。その一部が日本語の「は/が」の機能の一部と
カブるという点だけですよ。

だから日本語がまったく無関係だというのは言いすぎだと主張したまでです。
異なる点がないなんて一言も主張していないですよ。相手の主張をねじ曲げないで。
621名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/03(土) 19:11:27.97 0
>>618
「母語の参考になる点」があるのならいいのですが、ザメンホフが日本人の「思いやり」だの「絆」だのといってはおらず、
フランス語で学べといっているのだから、参考書で確認できる程度の必要な知識を書くのはかまわないことでしょう?
>>608でも、なぜエスペラントの冠詞が、ドイツ語が英語より似ているかもわかったでしょう?そういうことって、初心者に大切なのでは?
学習したくないのならいつまでも、
"La personoj, por kiuj la uzado de la artikolo prezentas malfacilaĵon, povas tute ĝin ne uzi."
という言葉に甘えていればいいじゃないですか。誰も強制していませんよ。


>>619
>すべて定/不定の機能に還元される
ですから、すべてまでもとめませんから、せめて80パーセント、いや、70パーセントでもいいから日本語の「は・が」の区別で「無・定冠詞」の区別ができるなら「参考になる」でしょうね。
20パーセントか10パーセントの共通点で、用法が似ているというのなら、エスペラントは世界のいかなる言語ともそっくりですよ。
622名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/03(土) 19:21:10.88 0
>>621
>>606についてはどう思われますか?
ソースによって、"en la aliaj lingvoj"とだけあるものと、
"en la Germana, Franca kaj ..."とあるものとがあるのですが。

もちろん、このla aliaj lingvojに日本語が含まれているはずだと言う
つもりはさらさらありませんよ。

ただ、英語よりはフランス語だとか、なによりもロマンス諸語の冠詞が
正当なエスペラントのそれだとかいう根拠は、ザメンホフに見出せる
のでしょうか。
623名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/03(土) 19:22:52.30 0
>>621
エスペラントが印欧語族の言語よりも日本語に近いなんて主張している人っていましたか??
相手の主張をねじ曲げちゃ反則ですよ。
624名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/03(土) 19:36:18.34 0
>>622
アカデミーオの
http://www.akademio-de-esperanto.org/fundamento/index.html
で原文が確認できますが、フランス語版だけが、「注:フランス語かドイツ語の冠詞と・・・」といっていますね?
その5言語のうち、どれをエスペラントに訳したかで>>606のように変わってくるのでしょう。

あなたは、日本語に含まれるとは考えない点は、正常の考えを持っていると思います。


>>623
「エスペラントは英仏語より日本語に近く、日本人が自然に理解できる」(>>483)
「「思いやり」だの「絆」だのを尊ぶ日本人にならその意義は理解できると思うよ」(>>490)
「不定冠詞については、エスペラントと日本語に存在しなく、英仏語に存在するから、エスペラントは日本語に近い。」(>>513)
「そのため英仏話者たちは、エスペラントの可算単数無冠詞には不定冠詞と部分冠詞と無冠詞の意味がある、と無理して理解する必要がある。
日本人には不定冠詞も部分冠詞も存在しないから、そんな区別は必要なくエスペラントの理解ができる。」(>>538)
625名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/03(土) 19:42:53.35 0
エスペラントの無冠詞が何を意味するかについては
不定冠詞に決まっているじゃないか!
という共通の見解があるんでしょうか。
626名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/03(土) 19:52:10.09 0
一説によると、本当かどうかは知りませんが、
冠詞をもっている言語を母語とする欧米の人で
かつ英語を母語としない人の英語学習者でさえも
英語の冠詞を間違えるらしいです。

それを研究している学者さんがいるらしくて、
(第二言語習得に関する研究者かな?)
彼らによれば、その原因は特定/不特定と定/不定の
区別を彼らができていなかったことにあるらしいのです。
冠詞を母語にもっている人たちもこれを間違えていたらしいのです。
だから英語の冠詞をうまく使えなかったのだとか。
627名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/03(土) 20:09:01.14 0
>>625
そんなわけないでしょ。
では、biero は英語で a beerなんですか?
Ne metu pomon en la salato. のpomo はan appleなんですか?

不定冠詞が存在せず、定冠詞だけが存在する言語とはどういうものか >>474
628名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/03(土) 20:20:13.74 0
たとえば、
ドイツ語の話者がヘブライ語を書いたり喋ったりしようとしたときとか、
イタリア語の話者がオランダ語を書いたり喋ったりしようとしたときとか、
アラビア語の話者がスペイン語を書いたり喋ったりしようとしたときとか、
冠詞の使い方を間違えたりしないの?
629名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/03(土) 20:34:45.93 0
母語でさえ、たとえば、英語母語話者だって、英語で教科書どおりに冠詞を「正しく」使えないこともあれば、
日本語母語話者だって、「は」「が」を間違えることもある。間違えにくい問題(「あ! 柿が赤い!」を「柿は赤い!」といい間違えることは少ない)ももちろんある。

他言語については、言語間の距離の問題だが、定冠詞の有無の間違いは、少なくとも無冠詞無数の言語を使う民族がエスペラントで間違えるよりもずっと少ないのであり、
より問題となるのは、第2言語の異なる性や格変化の間違いでしょう。
その心配がないエスペラントは、西洋人に簡単なのはいうまでもありませんが。
630名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/03(土) 20:49:27.41 0
ザメンホフは、自分の身近にあったウラル語族を軽視したんだろうか。
ヨーロッパ中心主義というよりは印欧語中心主義?
631名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/03(土) 21:02:14.29 0
ウラル語族は話者数が圧倒的に少ないし、言語の使われる国の経済力もないからでしょう。

印欧語中心主義であり、そのことが唯一人工言語で生き残れた理由でもあるのでしょうな。
632名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/03(土) 21:05:33.41 0
>>631
その理屈をそのまま現在に適用したら英語そのものだよね。
話者数も多いし、経済力もある。なにしろ国際ビジネスの標準語になっている。
633名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/03(土) 21:19:39.42 0
>>632
そう、だから今度はますますエスペラントの需要は少なくなるし、西洋人エスペランチストは、本当はみんな英会話ができることを隠しているw

というのは半分冗談としても、英語とは違って、経済社会と無関係に思えても、
普及の点では、経済力のあるヨーロッパ人が使い始めたことが、明治期の日本人にも刺激を与えた点で大きい。

今となっては、老人の知的遊戯とかいって、読書を趣味にする人とかもいる点でも英語と異なりますかね。
ただし、そういう人の「エスペラントは、英語より日本語に似ている」などという寝言には、だまされないようにしていただきたいものです。
634名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/03(土) 22:16:54.32 0
ザメンホフがもし現在に生きていたら、エスペラントの役目はもう終わった、
英語こそが私の理想とした言語だった、と言うかもしれないですね。
彼が経済力とか話者数を優先していたとするなら。
635名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/03(土) 22:22:44.80 0
>>624
> 「エスペラントは英仏語より日本語に近く、日本人が自然に理解できる」(>>483)

>>483には「その点ではエスペラントは英仏語より...」とあるので、
やはり限定表現だと思いますよ。
全般的に見て英語や仏語より日本語に近いとは>>483も主張していないのでは?

> 「不定冠詞については、エスペラントと日本語に存在しなく、英仏語に存在するから、エスペラントは日本語に近い。」(>>513)

この点も「不定冠詞については」という限定つきの主張に読めます。

> 「そのため英仏話者たちは、エスペラントの可算単数無冠詞には不定冠詞と部分冠詞と無冠詞の意味がある、と無理して理解する必要がある。
> 日本人には不定冠詞も部分冠詞も存在しないから、そんな区別は必要なくエスペラントの理解ができる。」(>>538)

これもやはり極めて限定された意味で、
日本人に理解しやすい点があるとしているだけに読めます。
636名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/04(日) 03:24:11.42 0
なんか、ずーーーと読んでると
「モノリンガル」
とか言いながら
「どやっ!俺様はこんなに色んな言語知ってるぜ!」
って鼻の穴膨らました人のオナニーを見てる様で気色悪いです。
637名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/04(日) 03:36:37.52 0
> 【モノリンガル専用】エスペラント初心者講座
> 日本のエスペラント初心者同士で学びあおう!
> ※外国語などを書き込まないように気をつけましょう。
だったんだけどモノリンガルでないキチガイなどに荒らされてご覧の通り
638名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/04(日) 03:42:23.52 0
んで何度かスレ違いを警告していたのですが荒らし行為が解決せず
>>529あたりからスレを分ける議論になって
更に初心者用を分けたという流れ
639名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/04(日) 08:17:28.25 0
>>635
どうしてこの人の意見の方をもてるのか、自演なのかはわかりませんが、
>全般的に見て英語や仏語より日本語に近いとは>>483も主張していないのでは?

冠詞の話題の最中ですよ。
ザメンホフが(英語や)仏語の用法を学べといっているのにもかかわらず、
全般じゃなくとも、冠詞の感覚が日本語に近いというのは、デマにすぎません。

>この点も「不定冠詞については」という限定つきの主張に読めます。
>>554-以降にすでに反論していますが、要約するとこういうことです。

- 日:無冠詞単数形
- エ:無冠詞単数形/無冠詞複数形/定冠詞単数形/定冠詞複数形
- 英:無冠詞単数形/無冠詞複数形/不定冠詞単数形/定冠詞単数形/定冠詞複数形

エスペラントと日本語に不定冠詞単数形がないことが、そんなに強調されるべきことで、日本語における特権といえますか?(これは「は」「が」の区別が実質、ほとんどエスペラント学習上で使えないというのと類似しています)
つまり、2つの言語で、分かれているものから減らすより、包括しているものを分ける作業のほうが難しいということです。

例:
- 「わたし」「僕」「俺」「わし」「あたし」 → 「I」 への翻訳は簡単だが、逆方向は外国人にとってやっかい。
- 「マグロ」「トロ」「大トロ」「ツナ」 → 「tuna」 への翻訳は簡単だが、逆方向は外国人にとってやっかい。
- 「cattle」「ox」「bull」「cow」「bovine」 → 「牛」 への翻訳は簡単だが、逆方向は日本人にとってやっかい。

つまり、「定冠詞」や「複数形」を普段使わない言語から、あえて作り出すことのほうが、はるかに苦労をするということであり、
逆方向、つまり、不定冠詞や部分冠詞が余分にある言語から減らすことについては、
「英仏人の混乱」だの「英仏話者たちは・・・無理して理解する必要がある」だのというのは明らかに誇張であり、彼等にとってはまったく苦労にもなっていないということです。
640名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/04(日) 08:36:21.10 0
>>573
>エスペラントには不定冠詞がないため、あえてunuやiuをつけると英語のaよりも強調した意味になるということです。
英語ができない人に「英語より」と言っても全然分からないよw

★良く分かるエスペラントのunu★
エスペラントunuの用法について
西洋語の不定冠詞は数詞の一が起源であるため、エスペラントでもunuは数詞としてだけでなく
PMEG用語でいえば半限定詞として使われる。
(半限定詞=話者にとっては限定できるが、聞き手にとっては限定できない、つまり不定の一種)
そのためunuのこの用法には民族語の影響があり、好ましくないとする意見もある。
しかしこれまた偶然であるが、日本語の「ひとつの」の用法はエスペラントのunuの用法に非常に近いのである。

日本語の「ひとつ(または一+助数詞)」にはまず、数としての意味がある。「そこには一本の瓶が転がっていた」
しかしよく考えると「ひとつの」の意味はそれだけではない。

PMEGの説明と対応させながら上げていくと、
http://bertilow.com/pmeg/gramatiko/nombroj/vortetoj/unu_specialaj_uzoj.html
@Unu por sameco, unikeco
日本語でも「ひとつ屋根の下」=同じ=sameco
「わが身ひとつで」=それだけで=unikeco
AUnu por individueco
その他の同種の存在と対照した上での「ひとつの」 例「それもひとつの案だ」
BPronomeca unu (例unu el iliなど)
何々の中のひとつ、1人

以上のように日本語でも全く違和感なく理解できる。
641名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/04(日) 08:38:14.74 0
続き
不定冠詞的用法はAの発展形で、他の存在とは区別される個のイメージ、という意味への拡張だと思われる。。
その場合日本語では「或る」と訳される。unu tagon=ある日
日本語でも、「ひとつの、ひとりの」等は「或る」と喚起されやすい。
彼女はひとりの日本人と結婚したがっている=あるひとりの日本人と=ある日本人と
どの日本人も話者にとっては特定が、左へ行くほど話者によるほのめかし度が強くなる。
彼女は日本人と結婚したがっている。だと、日本人なら誰でも良い場合(不特定)と、特定の日本人がいる場合が含まれる。
エスペラントでも同じで無冠詞のjapanoなら不特定の場合と特定の場合と両方含まれる。
特定である場合に誤解を避けるにはunuを付ければよい。
ただしMi havas hundon.という文では私が持っている犬は特定であるのが明確だからunuは不要。
誤解の生じる文脈でのみunuは使うべきである。

話者はその対象を確かに知っているが聞き手にとっては限定できない場合、その事をさらに強調する時、certaも不定冠詞に似た用法でよく使われる。
英語のcertainと同じだから、また「英語と同じゃないか」と浅薄な発想できない者が出るだろうが、
これは「私にとっては確かな」という意味を表す形容詞と考えれば全く問題ない。

エスペラントはPMEGと日本語さえ知っていれば簡単に理解できる。
642名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/04(日) 08:58:56.30 0
>>640-641
「ひとつ」「一人」「一本」と変化する言語が何でunuに近いんですか。
その程度で日本語と「非常に近い」なら、
英語のoneと全く同じだから、アメリカ人は生まれたときからエスペラントが話せるといっているのと同じです。

もうどうでもいいですよ、PMEG読むまで高校のときに習った英語のthe deepest とdeepestの違いしか知らなかった人w
これ結構難しかったから、英語の成績良かったんでしょうねw
643名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/04(日) 11:22:00.79 0
英語やフランス語やドイツ語やイタリア語...に無知なくせして
エスペラントの文法をちゃんと理解できるわけない!語る資格もない!
とかってモノリンガルに対して粘着している人が約1名常駐して
いらっしゃるんですね。
644名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/04(日) 11:23:36.40 0
いや、そこまで言い切るのは言い過ぎなんじゃないかって人が
出てきてちょっと反論すると、余計にムキになって長文嵐www
645名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/04(日) 11:49:35.39 0
冠詞の使い方の例を簡単にまとめてみよう。
たとえば「人権宣言」1条で比較してみると、エスペラントはフランス語と同様に総称表現で使っており、英語とは異なる。

1条
エ "La" homoj denaske estas liberaj kaj egalaj laŭ rajtoj. "La" sociaj diferencigoj povas baziĝi nur sur "la" komuna utilo. (3個)

仏 "Les" hommes naissent et demeurent libres et égaux en droits. "Les" distinctions sociales ne peuvent être fondées que sur "l'"utilité commune. (3個)

独 "Die" Menschen werden frei und gleich an Rechten geboren und bleiben es. Gesellschaftliche Unterschiede dürfen nur "im" allgemeinen Nutzen begründet sein. (2個)

英 Men are born and remain free and equal in rights. Social distinctions may be founded only upon the general good. (0個)
646名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/04(日) 11:50:07.67 0
続き
しかし、2条では、逆に英語と同じところだけで使われ、抽象名詞にもつくフランス語とは異なる。なおドイツ語についているのは、説明の語句が付いて限定された名詞(Recht)の定冠詞

2条
エ "La" celo de ĉia politika asocio estas "la" konservo de "la" naturaj kaj neperdeblaj homaj rajtoj.
Tiuj rajtoj estas libereco, proprieto, sekureco kaj rezisto kontraŭ subpremo. (3個)

仏 "Le" but de toute association politique est "la" conservation "des" droits naturels et imprescriptibles de "l'"Homme.
Ces droits sont "la" liberté, "la" propriété, "la" sûreté, et "la" résistance à "l'"oppression. (9個)

独 "Der" Zweck jeder politischen Vereinigung ist "die" Erhaltung "der" natürlichen und unantastbaren Menschenrechte.
Diese sind "das" Recht auf Freiheit, "das" Recht auf Eigentum, "das" Recht auf Sicherheit und "das" Recht auf Widerstand gegen Unterdrückung. (7個)

英 "The" aim of all political association is "the" preservation of "the" natural and imprescriptible rights of man.
These rights are liberty, property, security, and resistance to oppression. (3個)
647名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/04(日) 11:50:46.20 0
結論
フランス語は冠詞をつけないと口頭上複数であることが識別できなくなりつつあるので、より頻繁に使うため、エスペラントの冠詞は、すべてそれと同じということもせず、また、英語のように、無冠詞複数形で総称表現もあまりしない。
ザメンホフも、フンダメントのフランス語版では、フランス語話者の人気を獲得するためのリップサービスとして、「フランス語と同じでいいよ」といったものの、
他言語版では「定冠詞を持つ言語と同じでいいよ」とした。
その後、エスペラントの冠詞が英仏の中間のようなものになってきたのは、スペイン人やイタリア人、また、無冠詞複数形を持つロシア人やポーランド人の考えも終結して、今の用法ができているのであって、
そこに、朝鮮人だの、日本人だの、モンゴル人だの、定冠詞の持たない民族の嗜好はもちろん考慮されていない。彼等は、常に、西洋でできあがった用例の真似をしていくしかない。
648名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/04(日) 11:51:49.05 0
>>645訂正 "the" general good. (1個)
649名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/04(日) 13:53:14.25 0
>>588
>エスペラントの文法は何が何でも合理的にできているのではなく、この点は、他の限定詞と併用しない習慣ができあがっているというだけのことですよ。
何でもかんでも「ただの慣習」「何語と同じ」或は「例外」ですませてしまうと思考停止する。
エスペラントの文法は西洋語を元にしてはいるが、論理的に辻褄があうように整備されている点が民族語とは異なる。
エスペラントのどこどこの部分は西洋語の何語と同じ、という現象は実際頻繁にあるが、それはザメンホフがさいころを振って決めたのではない。
きちんと根拠があってそうなっているからこそ、西洋語話者でない日本人でもエスペラントは分かりやすいのである。

la mia libroがエスペラントでは認められないな理由。
laは指示形容詞や所有代名詞の意味を含んで、それよりさらに広い緩い意味を持って使われる。
つまりlaはtiuの代用としての意味を含むから la tiuと言う必要が無い。
同じに、la は所有形容詞の意味も含むから、所有形容詞が既に存在する場所でわざわざlaを重ねても意味が無い。
言い換えると、tiu,miaの方が意味的には明瞭で強いから、そこに広くて緩い意味を持つlaを重ねても、重ねる意味が全く無い。だから重ねないだけ。
逆にtiuとmia自体は意味が全然違うから これらも限定詞同士なのだが、tiu miaと重ねて使う事は可能。
イタリア語などでは定冠詞+所有形容詞+名詞になるようであるが、理論からするとエスペラント式に軍配が上がる。
650名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/04(日) 13:54:09.76 0
649の続き
よって通常はla mia libroとは言わないが、淡々とmia libro「私の本」ではなく、「私の物」と言いたい場面がある。
「あなたも限定できる個物で、しかも私の所有物」と所有+限定を強調したい場合の事だ。
この場合に「本」を「物」と言い換えても、「あなたも限定できる個物」なのだから、具体的に「物」が何を指すかは聞き手は分かる。
そこで「本」と言う名詞を消してその代わりに、名詞の存在を喚起し、しかも「何であるか貴方も限定できる筈だ」という意味のlaをmiaに付ければ、
"la mia"「私の物」ができあがる。
ただしla mia のlaが指すものが文脈上不明の状態は当然ながら使えない。文脈が分からなければ想像してでも探す。
La mia estas parolema. うちの(=女房)はおしゃべりだ。

>これも、残念ながら、英語で説明するとわかりやすいのですが、
日本語で説明できないのは英語でも理解していないって事だろう。
お前はいつも「英語でこう言うからです」で終わり。日本語の説明が無いから長文の意味が無い。
何か一つでもこっちをうならせるような気のきいた説明してくれないかな?
651名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/04(日) 14:06:49.49 0
>>649>>650
>la tiuと言う必要が無い。
だから、何でもかんでも、エスペラントのやってることは、合理的で無駄が無く、すべて民族語より優れていると思ってるところが、あなたの問題なんですよ。
「必要が無い」と繰り返すのではなく、>>588でいったように
- Tiu ĉi estas unu el miaj libroj. (不定)
- Tiu ĉi estas la unu el miaj libroj. (定)
の違いをいう「必要がある」可能性があるでしょうということ。

あなたは英語教師をやってるせいか何かで、This one is my book.
としかいう必要が無い、と、自分こそ、頭が英語のことでがちがちだけど、
エスペラントでは、
This book is mine.
*This book is the mine.
のほうは区別できる(la mia)ことを私に教えてもらったでしょう?

でも、*the my book/*la mia libro
のほうは、エスペラントでもできないということ。その理由はあなたの聖書のPMEGでさえ、「不要だから」などと思考停止を無理やりさせるのではなく、
"Ne uzu la ĉe frazparto, kiu havas alian difinilon. Aliaj difiniloj estas
posedaj pronomoj, tabelvortoj je U, A aŭ ES,..."
とあなたを「うならせるような気のきいた説明」をしているんです。いい加減絡むのはやめなさい。
652名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/04(日) 15:01:37.58 0
>>626
私もその説はどこかで見かけましたね。
母語に定冠詞で持つ話者でも、他言語の定冠詞の用法は間違える、という可能性は一理あると思いますね。
日本人でも同じですが母語の文法は頭の中で理解しているのではない。
幼少時から頭に入っている方法に則って喋っているだけ。
定冠詞言語Aの話者も、ここは「定」の意味だから定冠詞を使わなければ、と思って定冠詞にしているのではなく
自動で口をついて出てしまうのである。
その話者が「なぜここで母語で定冠詞を使ったのか」を理解していないと、
他の定冠詞言語Bを習った時では「自動で口に出る」で対応できないため、間違いやすくなる可能性はある。
定冠詞を持つ西洋人なら全員が努力もせず生まれながらに全員同じにエスペラント定冠詞を使えるのだ、
という、このスレ随一の暴れん坊の発想は「空想」「妄想」にしかすぎないように思いますね。

まあその人も>>647でやっと、エスペラントの定冠詞用法は完全にフランス語でも完全に英語でもない中間流で
つまりエスペラントならではの用法があると、今になってやっと気付いたようですが。
653名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/04(日) 15:19:26.43 0
>>652
>定冠詞を持つ西洋人なら全員が努力もせず生まれながらに全員同じにエスペラント定冠詞を使えるのだ、
定冠詞を持つ西洋人なら間違える可能性があってもエスペラント定冠詞を使おうとするし、
西洋人にとって間違えやすい難しいものでさえ、利点を考えると、ザメンホフは残しておきたかった。

定冠詞を持たない東洋人だけなら全員同じにエスペラント定冠詞は使えないし、
考えたのが東洋人なら定冠詞を人工言語に使わなかったというだけの話。

定冠詞を母語に持つ人にとってさえ間違えやすいことをもって、定冠詞を持たない人にとっても平等ということには絶対にならない。
西洋人にとってさえ間違えやすいのだから、日本人には「もっと」難しいし、印欧語の知識なしに理解は不可能と、論理的な思考のできる人なら気づくことができる。

>今になってやっと気付いたようですが。
そんなこと昔から否定しておらず、エスペラントの冠詞問題は日本語とは無関係であることを示しただけですが。

「空想」「妄想」であってほしいなら、根拠を出すように。
654名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/04(日) 15:49:57.89 0
やや前の議論に話が戻るが、日本語の「は・が」と定不定の概念の関係は、それはそれで面白いが
我々日本人話者でも簡単に分析できないくらい複雑に入り組んでいる問題だと思う。
つまり「は」なら無冠詞、「が」なら「定冠詞」のように一対一で自動に決まるのではない。
それよりは「は・が」を変える事で自分が何を表現したかったかを考えてみると良いかと思う。
エスペラント文法で必要なのは「自分が何の事を言ったか聞き手が分かるか、分からないか」という区別だから
自分はどっちを意図してるのか、日本語の表層に現れた形式を無視して考えると良いと思う。
「あ、柿が赤い!」は 柿が赤い事自体を聞き手に教えてあげている表現、
聞き手はそれによって「どれどれ?」とどこにその柿があるのか初めて見る、=不定
ただし見えた柿が複数あったら-jを付ける事。

「柿は赤い」は、「庭の柿はもう赤いよ」などいう前提が想定できれば = 定
前提が存在しない「柿は赤い」だと総称の意味となる。
エスペラントでは総称は定不定単数複数何でも使えるが、可算単数の総称は意味が限定されて難しいから複数形にしておこう、となる。

重要なのは、「は=定冠詞 が=無冠詞」などと表面で決めつけるではなく
「定」とはどういう概念なのかを正しく理解し、それをエスペラントに応用する事である。
「概念」の理解であるから、英語頻出表現を丸暗記して自分は英語ができると勘違いしてるだけで何一つ日本語で文法説明ができないような人間は、
やはりエスペラントの「概念」も理解できないだろう。
英語を学ぶ場合も同じく「概念」の理解は重要だが、英語の言語慣習よりエスペラントの言語慣習の方が許容範囲が広いから簡単である。
655名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/04(日) 16:44:33.43 0
>英語の言語慣習よりエスペラントの言語慣習の方が許容範囲が広い
脳内ソースはやめましょう。

英語は、言語慣習がさまざまな民族間の第2言語としても認められているのは、
憲法のようなわずらわしいものもなく、文法を間違えてもどこからともなくその道何年のベテラン講師みたいな人が別に出てこないから、
世界の共通語になっているのです。

知的遊戯なら、「英語より〜」とか、「民族語より〜」とか、別に正当化しなくたっていいじゃないですか。どうせ反論できないんだし。
盆栽や囲碁を楽しむように、読書やパソコン通信を楽しむ理由など要らないんじゃないですか?
656名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/04(日) 19:04:19.33 0
657名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/04(日) 19:08:29.74 0
↑ キモイ
658名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/04(日) 19:35:06.13 0
>>655
わざわざ上げてまで反論しなくても;;
まあ、おっしゃる通り、世界語としての英語なら、日本人が理想とする米国インテリ英語よりは相当自由がきくでしょうね。
しかしそのお国ならではの独自の言い回しなんかがあったりするんではないですかね?
文法そのものがお国イングリッシュで違ってる一面もあるようですよ。
またそういった現実もその国内では微笑ましくて良いのですが、
一歩外へ出るとアングロサクソンな英語話者から否定されてしまうのではないですかね?
日本人は間違って人から笑われる事をとりわけ恐れるから英語が苦手なんですがね。
その点エスペラントは全世界共通の文法が確立されていて、しかもそれは米国正統英語に比べたら格段に簡単ときてるから
日本人にとっては絶対安心なんですよ。エスペラントこそ本当の意味での世界共通語と言えるでしょう。
659名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/04(日) 20:05:49.49 0
>>658
あげてしまって失礼。
>アングロサクソンな英語話者から否定されてしまうのではないですかね?
いや、共通語としてはアングロサクソンのほうが少ないし、彼等から否定されるとしたら、話の内容が無いからバカにされるのでしょう。
演説や、発音が、誰が一番うまくなれるか競ったりする趣味の言語じゃなく、生きた言葉というのは、そういうものでしょう。

>エスペラントは全世界共通の文法が確立されていて
あれれ?西洋人にさえ間違えやすい冠詞だってあるのでしょう?しかも、作った本人の説明だって、民族語に頼れ、という曖昧なものです。

また、仮に「米国正統英語に比べたら格段に簡単」だとしても、
エスペラントを話すときは、「簡単」だからこそ間違えるとばれ、それにこそ「恥じ」を感じるため、
一生懸命頭の中で文法を組み立てて冷や汗たらし、感情や余計なことは一切話せず、必要事項しか話せなくなるはずですよ。
英語とは違い、相手がそんな日本人エスペランチストに対して笑わないとすれば、常に難しい顔をして話しているか、キンキン不自然な声色で話しているか、または、いい年してヘラヘラして気持ち悪いから、という理由が考えられます。
660名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/04(日) 20:24:45.48 0
英語の話はよそでやれアホ!
661名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/04(日) 20:29:25.04 0
そうそう、「米国正統英語に比べたら格段に簡単」とか、簡単に証明できない持論は
ここでやらないでほしい。ザメンホフもそんなことは言っていない。
662名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/04(日) 20:34:44.53 0
>>659
>演説や、発音が、誰が一番うまくなれるか競ったりする趣味の言語じゃなく、生きた言葉というのは、そういうものでしょう。
これはまた青臭い理想論ですね。ブロークン英語論文でも評価してるもらえる、日本人はもっともっと学術界で活躍していた事でしょう。
仲良し英会話で満足ならば、あなたにはエスペラントはブタに真珠でしょうね。perloj por porkoj.

>あれれ?西洋人にさえ間違えやすい冠詞だってあるのでしょう?しかも、作った本人の説明だって、民族語に頼れ、という曖昧なものです。
何度も言うように、定冠詞の原理は非常に簡単なので、西洋人はおろか、日本人でもきちんと理解すれば、基本用法はほぼ間違えずにマスターできますよ。
ただし定冠詞というのは話者の独断で使ってよい、非常に曖昧な用法も含まれているんですよ。
聞き手がその意味を同定できるかなんて、本当は話者は知り得ないんですよ。
それを「おそらく理解してくれるだろう」或は「理解してないだろう」という話者の一方的想像で使ってるのですよ。
だからこそ定冠詞言語の母語話者間でも使用実態にはズレが生じる。
また各民族語で慣習的に定着した定冠詞表現、無定冠詞表現もあるから、多言語母語話者の存在するエスペラントで、
個々の細かい定冠詞の用法が完全一致する筈がないんですよ。

ザメンホフが「民族語に頼れ」と言っているのは「原理は同じだ」と言ってるだけですよ。
民族語の個々の用法でズレが実際あるのに、それに頼れと言われても実際頼れないでしょう。
頼れる点だけ、すなわち根本原理にだけに頼れ、といいう事ですよ。
各民族語の定冠詞の個々の細かい使用実態を一生懸命調べても、エスペラント実用にはほとんど無意味なんですよ。
663名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/04(日) 20:40:06.80 0
まあ、英語と比較しても一般人から反感を買うだけだから
ここではエスペラントの簡単文法を初心者がモノリンガルでマスターする方法
に徹しましょう
664名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/04(日) 20:48:23.57 0
>ブロークン英語論文でも評価してるもらえる、日本人はもっともっと学術界で活躍していた事でしょう。
いやいや、なまり英語を話すのは日本人だけじゃないし、そもそもエスペラントなら投稿できる「学術界」すらないんじゃないですか?それなのに世界共通語だのちゃんちゃらおかしい。

>日本人でもきちんと理解すれば、基本用法はほぼ間違えずにマスターできますよ。
それは、日本語に訳された西洋民族語の冠詞の説明がすでに存在するからにすぎません。エスペラントだけに確立されたとはいえません。どの言語だって「同定できるかなんて、本当は話者は知り得ない」し、冠詞を好みで直す編集者だのという商売だっている。
どこまでが基本かは別にして、あなたも英語でしか知らなかった冠詞の用法があるのですから、英仏語より簡単などもう言わないことですね。
665名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/04(日) 20:49:10.58 0
>>641
だから、どのつづきなのさ?
666名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/05(月) 08:57:05.89 0
>>664
>それは、日本語に訳された西洋民族語の冠詞の説明がすでに存在するからにすぎません。
日本人が定冠詞の概念を、開拓者的にまず最初に理解する「とっかかり」は西洋民族語によるしかないが、初心者が学ぶ場合は別。
日本語でエスペラントの定冠詞にについて正しく説明された教科書があれば、初心者がわざわざ余所の言語を参考にする必要もない。
今あなたがわーわー騒いでいるのは、そういう教科書が日本語に存在しない、というだけです。
だが幸いエスペラントにはPMEGがある。今の日本語参考書に出てる程度のエスペラント知識でもPMEGは解読できるから、
初歩の初歩をマスターしたら、PMEGで定冠詞の実例を学んでいくと良い。
あれもぱらぱらと実例が列記されているだけであるが、それでも自ずとどんな時に使うのかは見えてくる。
そのあとで民族語の定冠詞の説明(ただの語学参考書ではなく、文法の専門書が良い)を照らし合わせてみれば
今まで英語で理解できなかった事でもすんなり納得できるのである。これぞエスペラントマジック、体験した人間にしか分からない。

>どの言語だって「同定できるかなんて、本当は話者は知り得ない」し、冠詞を好みで直す編集者だのという商売だっている。
何を今更私が書いた事を繰り返しているんですか?当り前でしょう。
定冠詞は書き手の独断で使われる一面もあるから、第三者が読んでちょっと違うなと思う時も、そりゃあるだろう。
「ここ、書き手は読者は分かるだろうと思ってlaつけてんだろうけど、全然分かんないよね」とか
「これってさっき書いてあったあれに関する事じゃないのか? 一瞬別のものかと思った。だったら読者のためにlaを付けておいてあげよう」とかね。

そのように各自で判断に差が出るものであるからこそ、いちいち検索して個々の実例に振り回されるのではなく
基本原理を理解して自分で自発的に定冠詞を使えるようになろう、ということである。
民族語でも各自で差が出るのだから、こっちだって、細かい点は自己判断でやっていい権利はあるのだ。
667名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/05(月) 08:58:29.90 0
666の続き
>どこまでが基本かは別にして、
その基本が分かっていないから、あなたはわーわー騒いでいるのですよ。貴方が「定冠詞の原理」を理解してない事は見え見えですよ。
>あなたも英語でしか知らなかった冠詞の用法があるのですから、
どの事ですか? 私は英語はできません。今の英語の知識は全てエスペラント習得後に理解しました。
>英仏語より簡単などもう言わないことですね。
英仏語の文法書をペラペラめくってみなさい。エスペラント以上に細かくて、あれを全て理解する気力はないよ。
668名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/05(月) 09:34:50.79 0
>>666-667
>今あなたがわーわー騒いでいるのは、そういう教科書が日本語に存在しない、というだけです。
逆、必要が無い。
義務教育でほぼすべての日本人が英語を習うのだからそれで十分だし、「英語で理解できなかった事」と嘯かなくても、総称も最高級も習うことにはなっているのだから、あとは自己責任。
余計なおせっかいとして、あえて、『エスペラントの定冠詞の用法』などという本があったら、何か別のものがあるのかと、義務教育でならった英語を忘れて読み返さねばならず、でも、結局一緒なのだから、詐欺である。

アメリカ人がエスペラントの冠詞を習うのに、フランス語はやる必要がないのとは、根本的に別。

たとえば、総称表現についても、英語では無冠詞複数形が確かに多いが、辞書や学術など正式な場ではtheも使う。
エスペラントは架空の社会の言語であり、使うとすれば、演説の正式な場でしかないのだから、多くlaを使うわけということで、結局、英語との違いが無くなる。

>何を今更私が書いた事を繰り返しているんですか?
引用に、「」をつけています。
669名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/05(月) 09:38:53.35 0
つづき
>民族語でも各自で差が出るのだから、こっちだって、細かい点は自己判断でやっていい権利はあるのだ。
「民族語でも各自で差が出る」というのは、たとえば、フンダメントの書かれた5つの言語で差がでる、ということであって、
たとえば、ロシア語は確かに冠詞が無く、総称は無冠詞単数形でやることが多いから、ロシア人はエスペラントでも常にそうして、
*Lupo estas formortanta. のような間違いを犯すかというと、そうではなく、
東洋民族語とは違い、ロシア語は複数形の概念も(代名詞も再帰代名詞も)エスペラントと共通しているので、
必要なときには必ず、複数形もうまく使うことができる。
しかも、日本人みたいに、「la = その」などと教えてtiuやĝiaと混同し、
Mi renkontis virinon. *Ĝia virino diris...
というような間違いはありえないし、また、母語どおりŜiをうまく使うことができる。(日本人なら、たとえば、母親や老婆にŜiを使うのをためらう場合も多い)

つまり、高校生や大学生が「自己判断で」小論文を書いてもいいが、
小学生が作文を書いても「てにをは」が間違いだらけになるのは目に見えているので、常に先生が見てやらなければならなく、
「こっちだって、細かい点は自己判断でやっていい」ということにはならない。

>その基本が分かっていないから
せっかく、形容詞最高級における定冠詞の有無の違いは、基本ともいえず難しいですよという意味でとかばってやってるのに、つっこまないように。

>エスペラント以上に細かくて、あれを全て理解する気力はないよ。
だから、"La personoj, por kiuj la uzado de la artikolo prezentas malfacilaĵon, povas tute ĝin ne uzi."
670名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/05(月) 09:55:35.61 0
こういう勘違い・詐欺が、日本人エスペランチストには多すぎる。

★エスペラントの文法書に「ぱらぱらと実例が列記されて」いるだけで、英仏より詳しい冠詞の説明がない。
→ だからエスペラントの冠詞は英仏語より簡単!

正しくは → 民族語であろうとエスペラントであろうと「定冠詞は書き手の独断で使われる一面もある」。


★エスペラントの前置詞には「特定の意味を持つ」と書かれている。
→ でも、民族語のほうは、前置詞の意味がめちゃくちゃ!

正しくは → 民族語の前置詞にも特定の意味がある。
671名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/05(月) 12:45:29.14 0
まとめ
どちらにしても定冠詞や前置詞の「ない」民族語を母語とするものにとっては、
発想が著しく異なるのは、どんな言い訳を言おうとも「事実」なので、
生まれたときから何度も定冠詞が使われているのを聞き、自分で間違い、そしてそれを矯正されて使ってきた西洋人のように、
エスペラントの冠詞や前置詞が使えるようになることは期待しないほうがいい。
672名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/05(月) 17:14:29.95 0
言語名はフランス語のように冠詞をつけるが、国名は英語のようにつけない。
- 言語名や科目 (仏型)
Mi komprenas la germanan.
(仏Je comprends l’allemand. 英I understand German.)
- 一部の言語名 (英型)
Esperanto
(仏L'espéranto 英Esperanto)

- 国名 (英型)
Mi volas viziti Francion.
(仏Je veux visiter la France. 英I want to visit France.)
- 形容詞+名詞 (どっちでも)
(La) malnova Londono estas fascina.
(仏Le vieux Londres est fascinant. 英Old London is fascinating.)
673名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/05(月) 17:15:55.75 0
他にはどっちでも多いものは多い。英語とは違い、迷えば「つける」のが自然なエスペラントとさえいえる。
- 質量名詞 (どっちでも)
(La) kapitalismo transformis ĉi tiun landon.
(仏Le capitalisme a transformé ce pays. 英Capitalism has transformed this country.)

- 一般的なカテゴリーや抽象名詞 (どっちでも)
(La) pacienco estas virto.
(仏La patience est une vertu. 英Patience is a virtue.)

- 季節 (どっちでも)
(La) printempo estas mia preferata sezono.
(仏Le printemps est ma saison favorite. 英Spring is my favourite season.)

- 体の一部 (仏露型)
Li lavas [la/siajn] manojn.
(仏Il se lave les mains. 英He washes his hands.)

- 曜日 (その他型)
Mi eliros ĉiu-vendredonokte.
(仏Je sors le vendredi soir. 英I go out every Friday night.)
674名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/05(月) 18:32:27.02 0
>>668
>義務教育でほぼすべての日本人が英語を習うのだからそれで十分だし、
義務教育で習う程度では、定冠詞の本質的概念は理解できない。
最上級にはtheを付けますよ、その他もろもろ何々の場合にはtheが付きますよ、と
個々の事例だけを暗記させられるだけであるから決して本質はつかめない。
エスペラントではまず物事を本質的に見る事を学ぶ。なぜそうなるのか自ら考える事を学ぶ。
そうすると「単なる慣習」「民族語の影響」「例外」にしか見えなかった事例に明瞭な論理性が見えてくるのである。
英語では最初から「そういうものだから丸暗記しなさい」だから決して本質は見えない。それがお前。
日本人には定冠詞が理解できないのだから、その都度民族語の用法を検索しなさい、というのがお前の発想。
逆に言うと、全く理解してないからそういう発想しかできない。理解できてればそんな発想は出ない。
本質が理解できていれば、なぜ最上級が定冠詞なのか、その理由すら分かるのだ。
そうしたら「定冠詞、定冠詞」と怯えまくってる奴がただの馬鹿に見えてくるんだよ。
少なくともお前はこの域には至ってないんだよ。

>>672-673
そうやって一生懸命調べて得意げに披露すればするほどお前が馬鹿に見えるんだよ。
分かるか?この境地が?
675名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/05(月) 19:13:22.17 0
エスペラント学習サイトにおける定冠詞の説明
-----------------
7−1.冠詞
☆エスペラントには定冠詞<la>があります。これは、一度話に出たものなど、
情報の与え手と受け手が、お互いに認知している名詞につけて、<その〜>という意味を表わします。
-----------------
定冠詞 la があるだけで,不定冠詞はない。
・数・格による変化はない。
 定冠詞は,そのものが既知のものであること,特定のものであることを示します。
------------------
冠詞
エスペラントには、定冠詞 la があります。不定冠詞はありません。定冠詞 la は、つねにこの形で、複数形になっても変化しません。
定冠詞 la は、すでに言及された名詞や一つしかないものの名詞につきます。冠詞の意味をしいていえば、
「敢えて指定しなくても特定できる例の〜」といった意味です。定冠詞の用法は、定冠詞をもつ言語によってもかなり違いがあり、
エスペラントの定冠詞の使い方は、それほど厳密でなくてかまいません。
-------------
冠詞
「はい。……えっと、エスペラントでは、既知のものとか特定のものには定冠詞を付けるんです。以前に話題に出てきたものとかがそうですね。でも不定冠詞はないから、不特定のものには何も付けないですよ」
「うん。ただ、特定っていうのは、聞き手 (話し相手) にとっても特定じゃなきゃダメよ。『自分だけにはわかる』なんてのは、自分にとっては特定でも相手にとっては不特定だから、冠詞なしよ」
--------

と一応説明はしているのだが、これを読んでどれだけの人が正しく理解できるか疑問である。
まず、既知のもの、特定のもの、という概念が理解されないだろうし、誤解の元にもなりうる表現でもある。
もう少し分かりやすい表現はできないものであろうか?

「エスペラントを含めた比較言語学スレ」は別に設けてもらって、モノリンガル向けの「初心者講座」を極めたいものだ。
676名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/05(月) 19:21:00.70 0
>>674
>理解できてればそんな発想は出ない。
>そうやって一生懸命調べて得意げに披露すればするほどお前が馬鹿に見えるんだよ。
と他人をなじり、自分は西洋人以上か、少なくとも西洋人並みに理解したように見せかけて、

>>675
>もう少し分かりやすい表現はできないものであろうか?
と結局、「わかんないよ〜、西洋人様、PMEG様教えてください、日本語に訳すから〜」といっているのです。
677名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/05(月) 19:35:39.91 0
追加
>エスペラントではまず物事を本質的に見る事を学ぶ。なぜそうなるのか自ら考える事を学ぶ。
へー、ということは、pomo = 「リンゴ」であるのは、フランス語pommeが語源であるからであり、西洋のリンゴのイメージは日本語と違って必ずしも赤くない、とか、
「日曜日」が dimanĉo なのもフランス語のdimancheであり、エスペラントは典礼・奉神礼暦用語由来により、主キリストの日の意である主日に由来する呼称を用いる言語なのだ、と学ぶということですね?w

私は、モノリンガル・初心者では、pommeや、dimanĉoこそ、「個々の事例だけを暗記させられるだけ」で良いと思うのですがねw

私がエスペラントの定冠詞をフランス語と比較しているのは、英語で得た知識にプラスするしかほかに手段が無い(実際に日本語の本で説明できていない)からであり、pommeや、dimanĉoと違い、丸暗記をする性質のものではないからです。
678名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/05(月) 20:19:56.37 0
>>669
どれの続きかいな?
679名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/05(月) 20:20:27.14 0
>>671
どれとどれのまとめなんかいさ?
680名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/06(火) 03:39:12.36 0
http://bertilow.com/pmeg/pmeg140/aldonoj/fundamenta_gramatiko.html
"La uzado de la artikolo estas tia sama, kiel en la Germana, Franca kaj aliaj lingvoj."

これを見ると、言語名に定冠詞laがつくのは分かるとして、
国名でもないのに大文字で始めているのはなんでだろ?

la japanaというのは間違いで、la Japanaとつづるべきだったのか。
681名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/06(火) 06:04:06.06 0
>>680
"sed oniankaŭ povas ilin skribi minuskle"
682名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/06(火) 12:33:06.89 0
「冠詞を使うのが難しい人たちは、それを一切 使わなくてよい」
というのは、日本人や韓国人(無冠詞・単複無し)の初心者への気遣いではない。
5言語のうちのロシア人やポーランド人(無冠詞・単複有り)にそういっているのである。「複数形を使わなくても良い」とは言っていないことに注目すべきである。

たとえばロシア語では、通常単数形で総称を表すが、複数形を使用することで定性と総称は区別できる(ただしロシア語は代名詞を普通に使うが)。

1.Оди́н де́нь в лесу́ я́ встре́тила медве́дя. (Unutage en arbaro mi renkontis urson. ある日 森の中 クマさんに出会った)
Медве́дь сказа́л, «Де́вушка, убеги́.» (Urso diris: "Knabino, forkuru." クマさんの言うことにゃ 「お嬢さん お逃げなさい」)
Ведь медве́дь е́ст люде́й. (Ĉar urso manĝas homojn. クマさんは人間を食べてしまうのだから)

2.(三行目) Ведь медве́ди едя́т люде́й. (Ĉar ursoj manĝas homojn. クマというものは人間を食べてしまうのだから)

このように、1と2のように、単複をうまく使いわけられるロシア人ならば、初心者のうちは冠詞を使わなくても定性と総称の区別ができる。
しかし、日本人や韓国人のように「は」や「が」があっても複数形のない言語を話すものにとっては、まずは名詞の単複を完全にマスターしなければならないのだから、非常に負担がかかるのである。
以下のことをどれだけアジア人の感覚で理解できるかはなはだ疑問である。

Li manĝis multan kokon. たくさん鶏肉を食べた。(数えないときは、物質名詞=kokaĵo)
Li manĝis multajn kokojn. 何匹も鶏を食べた。
Li manĝis multan rizon. たくさんご飯を食べた。(米粒は数えない)
Li havas multajn harojn. 毛深い。(毛は数える)
683名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/06(火) 15:03:23.63 0
あ、失礼、iutage
684名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/06(火) 17:40:24.59 0
こいつのロシア語解釈はデタラメ
685名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/06(火) 17:42:48.72 0
いえ、あなたがデタラメです。
ソースはこちら
「ロシア語概説:数」
http://rossia.web.fc2.com/rossia/yazyk/vvedenie/chislo.html
686名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/06(火) 17:43:49.44 0
>>682
単数複数も無くせばいいんよ
687名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/06(火) 17:58:36.50 0
>>686
16条の2条を改ざんしていることを、別スレで叱られたでしょう?

それは、ザメンホフが発表したエスペラントではありません。

Richard Harrisonという人が、フンダメントを違反して、1996年に発表した
"Esperanto sen fleksio" (「無語尾変化エスペラント」) というエスペラントの改造案、エスペラント諸語の一つといえます。

つまり、あなたが主張しているのは、
【モノリンガル専用】エスペラント初心者講座
で語るべきではなく、

【モノリンガル専用】EsF初心者講座
とでもいうようなスレにしなければならない。
モノリンガルであっても、正統派エスペラントをする権利があります。
688名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/06(火) 19:58:02.08 0
>>685 のサイトに書いてあることがそもそもデタラメ。
ろくにロシア語を読んだことがないやつが書いていることが歴然としている。
そういう判断もできない >>685 はロシア語を知らないに違いない。
知らないことを書くな!
689名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/07(水) 00:33:38.68 0
>>687
たしかエスペラント語では人名も訳すんだよね?
モノリンガル主張するなら、横文字人名はエスペラント語で書けよ。
690名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/07(水) 07:09:19.09 0
>>688
そのサイトの管理人は専門外ではあります(ロシア語学者、言語学者ではないと考えられる)が、ロシア語ができます。
「デタラメ」というのならば、どの部分が「デタラメ」なのか、証拠を出す必要があります。
ただし、ロシア語スレではないので、エスペラントか日本語訳を添えて、みんなにもわかるように。

しかも、何が目的で、>>682につっかかるのか不明であり、
たとえば、「ロシア人やポーランド人(無冠詞・単複有り)にそういっているのである」ということを否定したいのであれば、その根拠も出すこと。

推測のくせにあなたに「書くな!」と命令する権利はありません。

>>689
「人名も訳すんだよね?」
エスペラントの記事で、「L. L. Zamenhof」(Zamenhofoじゃなく)。
訳さなくてもいいのです。アルファベット以外を使用する言語なら、たとえば、あなたがパスポートに書いているような(外務省、ヘボン式)ローマ字を使用すればいいのです。
初心者が偉そうに、「書けよ」と命令する権利はありません。
691名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/07(水) 09:07:02.85 0
キチガイが偉そうに。
692名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/07(水) 09:09:33.10 0
はい、暴言でました。それ以上言い返せないのであなたの負け。m9(^Д^)
693名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/07(水) 10:02:08.43 0
こういうやつは完全無視に限る
何を言っても通じないよ
694名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/07(水) 10:16:57.19 0
はい、次に、周りを巻き込んで、自分の気に食わない相手を「皆で無視しましょう」と働きかける、典型的ないじめの構造ですね。

小学校のころ、いじめっこ、あるいはいじめに加担していたでしょう?早く、卒業しましょうね。
695名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/08(木) 11:55:57.00 0
荒らしの後の静けさ。
696名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/09(金) 10:05:50.75 0
エスペラントは西洋語です。

日本語
すみません、このコーヒー冷たいですよ!(熱くしてよ)

英語
Make it hot please (because it's cold)!

エスペラント
Varmigi ĝin bonvolu (ĉar ĝi estas malvarma)!

日本語
ちょっときつい!(大きいのない?)

英語
A bigger one please (because this is too small for me)!

エスペラント
Mi petas iun pli grandan (ĉar ĝi estas tro malgranda por mi)!


これらを見てもわかるように、地球のすべての民族にとって「論理的に辻褄があうように整備されている」というのは寝言に過ぎず、
西洋語の発想を知らなければ、「まず物事を本質的に見る事を学ぶ。なぜそうなるのか自ら考える事を学ぶ」ことをいくらやっても
エスペラントらしい表現は生まれてきません。
それを知らずに、*Bonvolu pardoni min. Ĝi estas malvarma.といっても店員は、アイスコーヒーを間違えて注文したから謝っているのか?バカだなと思うだろう(エスペラント喫茶があるとして)。
残念ながら、エスペラントには、東洋人向けの親切な教科書がない(あるいは、発想の違いを認めたくない人々が隠蔽している)ので、本当に身に付けたい人は巷にある英語教材で勉強すると良いでしょう。
697名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/09(金) 17:23:17.08 0
>>696
英語は、熱くするときに、cold と言うのか?
698名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/09(金) 21:00:10.85 0
( )内は、言わずもがな、阿吽の呼吸で、省略できるほうです。

つまり、日本語だと、
「すみません、このコーヒー冷たいですよ!」
だけで、
「申し訳有りません。直ぐに暖かいものと交換いたします」
という空気を読んだ店の対応が期待でき、
「熱くしてよ」まで言うと、押し付けがましく取られ、返って客と店がお互いに不愉快になる。

西洋語の場合、
Make it hot please.
とpleaseを付けて、こちらの要求は伝わったのだから、
Certenly, Sir/Ma'am.「かりこまりました」
と、お互いに気持ちよい。そこで、because it's coldという理由を付けると、
と「すでに熱かったら、熱くしろという必要がないのだから、現在冷たいに決まっているだろうが。なぜ余計な説明をたれるんだ」
と店の人を怒らせてしまう、ということ。
699名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/10(土) 11:21:11.83 0
日本語ではこういう、西洋ではこういうなどという決まりはない。
何語であろうと、おい、冷めてるじゃないか、と怒ることもできるし、
何を言うかは、長文キチガイに指図されることじゃない。
要するにこのキチガイは言語というものがわかっていない。
700名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/10(土) 12:21:09.62 0
>何語であろうと、おい、冷めてるじゃないか、と怒ることもできるし、
なら日本語で怒ればいいじゃないか。

"Hej, kelnero, 冷めてるじゃないか、varmigi ĝin bonvolu!"
といえば、相手に余計な感情をぶつけなくて済むし、用件はエスペラント(あるいは相手の言葉)で伝えているから、間違いなく伝わる。
自分も感情は吐き出したので満足もする。
701名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/10(土) 13:05:49.81 0
世界がせいぜいEU圏だけだったザメンホフの時代はともかく、
現代の欧米のエスペランティストたちも、エスペラント学習者は
フンダメントが規定していない点まででも西欧的な言語慣習や
社会慣習にできるだけ従い、それ以外の言語習慣の侵入を排除すべきだ
と考えているのだろうか。
702名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/10(土) 13:11:39.45 0
言語というものにはシステマチックな文法以外に、
文化習俗による文慣習というものがある。

文法と文慣習とは分けるべきものだ。

文法的に非ではない合理的な表現の場合でも、
民族言語は慣習的にみて「自然な言い方でない」とみなす
表現がある。これが文慣習というものだろう。

民族言語は文慣習を豊富にもっていて、これが自然な表現
というものを文法にプラスして規定している。

エスペラントは計画言語なので文慣習をあらかじめ持たない言語
であるべきなのか、それとも、欧米社会の慣習(生活習慣にもとづく
自然な言い回し)をそのまま継承するべき民族語の補完言語でしかないのか。
703名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/10(土) 13:12:09.82 0
>世界がせいぜいEU圏だけだったザメンホフの時代はともかく、
そのときに生まれ、そこから改良されないように規定した言葉なのだから仕方ない。

漢文を勉強しているときに、現代社会に必要な語彙がないといっているのに等しい。
いやなら、中国語をやればいい。

エスペラントをやりたくないのなら、東洋民族語にもやさしいMi taberis jakisobon. とかをやればいい。
704名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/10(土) 13:17:23.72 0
エスペラントが文化的に中立だと言い切られると、それは言いすぎだね、
残念ながらエスペラントは欧米的な言語としての限界をもっているよ、
という話しにはなるけど、しかしそれをさらにそこまで開き直って、
エスペラントは断じて欧米的であるべきだ! それに賛成できない人間は
エスペラントを習うな!というふうになってくると、これはもう英語至上主義者
となんらかわらない言語運動になってくるよね。
705名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/10(土) 13:27:11.71 0
>欧米的な言語としての限界をもっているよ
というのであれば、

英語でも日本の文化も習慣もニュアンスもすべて表せる。ただし、欧米的な言語としての限界をもっているよ
仏語でも・・・ただし、欧米的な言語としての限界をもっているよ

と何とでもいえるのではないのかな。

それでも「英語が素晴らしい」というのなら「英語至上主義者」だし、
「エスペラントが素晴らしい」というのなら「エスペラント至上主義者」だということ。

つまりエスペラントも英語も平等に西洋語であるということだね。
706名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/10(土) 19:44:27.24 0
つまり、エスペラントは英語へのオルタナティブにはなりえないってこと。
欧米人が自らそれを認めてしまっているのかどうかだね。
>>703に欧米のエスペランティストが賛成するとすれば、そうだろうな。
エスペラントの存在意義はもはやない。
707名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/11(日) 02:10:57.75 0
>>698
それは言語の問題ではなくて、腹の内の問題だろ。
708名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/11(日) 03:24:49.10 0
そういえば西洋では太陽は黄色と言わなければいかんとか言ってたやつがいたな
同じキチガイか
709名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/11(日) 09:24:13.74 0
世界中で歴史的に太陽が赤で描かれることは少なく、太陽は黄色または金色、それに対して月は白色または銀色で表すのが一般的
ということを知らない井の中の蛙が、日本語をエスペラントに単語を置き換えても、意味不明な文章になるという話。

そして、意味がわかるように世界基準で書いても、次のように日本語の感覚は伝わらない。

「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。」
"La trajno eliris el la longa tunelo en la neglando. La kamparo kusigis blanka sub la nokta cielo.

このようにエスペラントに訳すだろう。
だがこれは、列車や乗客や主人公たちがトンネルを出ていくという状況ではなく、
天上にいる神が、そこからジオラマのような大地を眺めているような表現になっていることが分かる。つまり、
「英語や他のヨーロッパ言語は,このような感覚がその表現の基礎になっている」といわれている。

一方、西洋語の文慣習は直訳でき(また、頻繁にされ)、エスペラントは西洋の民族語の補完言語となっていることが分かる。
"Bonan apetiton." (さあ、召し上がれ)
"Sanon!" "Dankon." (くしゃみをした後の会話)
"Mi amas vin." (家族に対しても頻繁に使う)
"Kial ne?" (なぜいけないのか, いいではないか; していいはずだ.)
"Kio diable estas ĉi tio?" (これは一体何なんだ。)
"Je via sano!" (あなたの健康を祈って。乾杯)
"Pacon!" (平和を。ピース。)
"Ho, mia Dio!" (オーマイゴッド)
710名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/11(日) 15:28:22.09 0
ほかにも、西洋人なら簡単に言えることが、言語的発想が異なる日本人には口をついて出てこないので、エスペラントを話すときは、常に険しい顔になり、回りくどい表現しかできない。

"Post vi." (お先にどうぞ)
"Tro malbona." (お気の毒に。)
"Mi nun venas." (今行きます。)
"Mi ĵuras." (絶対だって。)
"Tio dependas." (時と場合による。)
"vidu ĉi tie." (いいか!)
"Ekde kiam?" (うそだろ。)
"Ne miro." (どうりで。)
"Bona demando." (どうかな。)
"Ne verŝajne." (まず、ありえないね。)
"Mi estas pozitiva." (絶対そうです。)
"Bona provo!" (だまされないぞ!)
"Tio ĉi taŭgos." (これでいいよ)
"Tio estas vivo." (仕方ないよ)
711名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/11(日) 23:35:22.03 0
それらは主として欧米のエスペランティストたちがその母語の慣習の影響を
受けてエスペラントを使っただけの前例にすぎず、それが計画言語としての
エスペラントの普遍的規範としなければいけないということと別個のものじゃないか?
712名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/11(日) 23:56:16.06 0
>使っただけの前例にすぎず
でも、どこの国のエスペラント教室だって、
はじめに
Saluton! (Salut!より) や
Kiel vi fartas? (how do you fare?)
から(普遍的規範として)習うでしょう?
こういう口語表現がなければ、エスペラントでは感情もあらわせられないのでは?

また、いちいち異なる発想を考えなくたって、母語から直訳するだけでできちゃう「簡単な言語」だったからこそ西洋で広まった。
平等に東洋や中東の発想まで取り入れた地球市民的な言語だったら難しくて広まらなかったことだろう。
713名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/12(月) 00:17:26.87 0
だからそれは欧米の民族語における慣習表現を
エスペラントに翻訳するときに直訳した結果ではないか。

エスペラントは民族語をそのまま翻訳することもできる
能力をもっているのだとね。
その意味では、日本人エスペランティストが欧米の民族語を
翻訳したようなエスペラントに必ずしも従う必要はなくて、
エスペランティストなら理解できる語彙と基本文法に反していなければ、
日本語の表現をエスペラントに直訳して外国人エスペランティストに
紹介してもべつにいいんじゃないだろうか。
欧米のエスペランティストから強い反発のようなものがあるんだろうか。

日本人が欧米に対してコンプレックスをもって
そこまで欧米式にエスペラントを純化させる必要はないのでは?
714名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/12(月) 01:27:49.68 0
>>696
> それを知らずに、*Bonvolu pardoni min. Ĝi estas malvarma.といっても店員は、アイスコーヒーを間違えて注文したから謝っているのか?バカだなと思うだろう(エスペラント喫茶があるとして)。

英語でも
"Pardon me, but that's my umbrella"と言うから、
日本語とそう離れているとも思えないけどなあ。
715名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/12(月) 06:49:22.75 0
カフェでぬるいコーヒー出されるなんてことはあまりないだろ
そういうことがあっても、怒鳴るか、テーブルひっくり返すか、
だまってうなだれて、そっと涙を拭うか、それこそカラスの勝手だ
エスペラントと無関係
716名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/12(月) 07:41:12.56 0
>>713>>714
>エスペラントは民族語をそのまま翻訳することもできる能力をもっているのだとね。
だからそれは「西洋」民族語のことであり、東洋民族語を直訳できる能力をもっていないことは何度もしめしたでしょう?

>語彙と基本文法
語彙というのは各言語で意味範囲と使用方法が異なる。とりわけ東洋民族語とは大きく離れるという話。

>欧米の民族語を翻訳したようなエスペラントに必ずしも従う必要はなくて、
では、日本語を直訳したような、たとえば
「そうなの?」を「Ĉu vere?」
「うそつきー」を「Vi estas mensogulo.」
と毎回言っていたら、どうなると思いますか?
「kion vi opinas」ではなく、「kiel vi opinas」というのも勝手だけど、気持ち悪いのだから仕方ない。
「Pli aŭ malpli frue」というのがいい易くできている言語なのに、意地を張って「遅かれ早かれ」を直訳して
「Malpli aŭ pli frue」というのもあほらしい。

>英語でも
合致することがないとは言っていない。
この場合、傘を間違えた相手は、即、「変えろ」とか「賠償しろ」とオーダーをするべきプロフェッショナルではなく、一個人であるということ。
「どうしてほしい(傘を返してほしい)」というより、「自分の傘なのですが、どうしたものでしょう」と、相談をするのが西洋人でも常識。

また、それこそ英語は西洋以外でも話される国際共通語となったのだから、これからも日本的な「思いやり」や朝鮮的な「憎」などいろいろな表現が生まれてくるだろう。
それに伴い、エスペラントも(仮に生き残っていれば)変わっていくことは想像される。後から遅れて性差別をなくそうと(あるいははじめから無かったことにしようと捏造)したのと同様。
しかし、英語より、エスペラントのほうが、率先して東洋にも通じる言い回しを多く持っているという事実はない。

>>715
>カフェでぬるいコーヒー出されるなんてことはあまりないだろ
それをいうなら、エスペラント喫茶のほうがありえない。
717名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/12(月) 08:03:46.97 0
>>713-714
>エスペラントは民族語をそのまま翻訳することもできる能力をもっているのだとね。
だからそれは「西洋」民族語のことであり、東洋民族語を直訳できる能力をもっていないことは何度もしめしたでしょう?

>語彙と基本文法
語彙というのは各言語で意味範囲と使用方法が異なる。とりわけ東洋民族語とは大きく離れるという話。

>欧米の民族語を翻訳したようなエスペラントに必ずしも従う必要はなくて、
では、日本語を直訳したような、たとえば
「そうなの?」を「&amp;#264;u vere?」
「うそつきー」を「Vi estas mensogulo.」
と毎回言っていたら、どうなると思いますか?
「kion vi opinas」ではなく、「kiel vi opinas」というのも勝手だけど、気持ち悪いのだから仕方ない。
「Pli a&amp;#365; malpli frue」というのがいい易くできている言語なのに、意地を張って「遅かれ早かれ」を直訳して
「Malpli a&amp;#365; pli frue」というのもあほらしい。

>英語でも
合致することがないとは言っていない。
この場合、傘を間違えた相手は、即、「変えろ」とか「賠償しろ」とオーダーをするべきプロフェッショナルではなく、一個人であるということ。
「どうしてほしい(傘を返してほしい)」というより、「自分の傘なのですが、どうしたものでしょう」と、相談をするのが西洋人でも常識。

また、それこそ英語は西洋以外でも話される国際共通語となったのだから、これからも日本的な「思いやり」や朝鮮的な「憎」などいろいろな表現が生まれてくるだろう。
それに伴い、エスペラントも(仮に生き残っていれば)変わっていくことは想像される。後から遅れて性差別をなくそうと(あるいははじめから無かったことにしようと捏造)したのと同様。
しかし、英語より、エスペラントのほうが、率先して東洋にも通じる言い回しを多く持っているという事実はない。

>>715
>カフェでぬるいコーヒー出されるなんてことはあまりないだろ
それをいうなら、エスペラント喫茶のほうがありえない。
718名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/12(月) 08:11:09.22 0
>>717
文字化けから、携帯からコピペしたのがバレバレだよ。荒らしはやめようね。
719名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/12(月) 08:44:51.03 0
> それをいうなら、エスペラント喫茶のほうがありえない。

もちろんある。おまえが知らなくて幸いだった。
お前が行ったら他の客の迷惑になるし店員も困るだろうよ。
720名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/12(月) 08:56:13.54 0
>>719
あれだろ?
「サルートン、キエル・ビー・ファルタス?」
「ホディーアウ・エスタス・バルマ」
「バルメだよ」
「あ、そっか、バルメ!カーフォン、ボンボーレ」
とか日本人同士でやってるやつだろ?w

あと、エスペランチスト同士で喫茶店に行くことを「エスペラント喫茶」とはいいませんよw
721名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/12(月) 09:53:24.63 0
そうやってヨダレたらしてろアホ
722名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/12(月) 10:16:23.42 0
>店員も困るだろうよ
というか、

仮に、アイスを頼んだとか、さめたのだとかの話になって
Varmigi ĝin bonvolu!
をいう人がいたとして、どうして困るんだよ。
"ĉar ĝi estas malvarma"とか
"Mi estas pozitiva." (絶対そうです。)
"Tio ĉi taŭgos." (これでいいよ)
とかいう表現をする人間のどこが迷惑?マスターが本当にエスペランチストならわかるに決まってるだろうが。

あなたのように「怒鳴るか、テーブルひっくり返すか、」という人間を迷惑というんだよw
723名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/12(月) 11:50:44.64 0
>>709
こいつには日本語が通じないが、ついでだからもう一つ。

「雪国」の冒頭をもってきて
「このようにエスペラントに訳すだろう」とか言って、
サイデンステッカーの英訳をパクったわけだが、
原作者にも英訳者にも失礼というもの。

雪国に出てきた(入ってきた)のなら en la negxlandon。
これ初級文法だぜ(笑)。
en la negxlando ではトンネルが雪国にあって
トンネルに入る前から雪国を走っていたことになるから
原文とまったく違う話になる。

乗客を乗せた列車がトンネルから出てきたのなら
eliris ではなく elveturis という普通の単語がある。
eliris では新型の列車が颯爽と登場したとか
学芸会かなんかでトライノ君が舞台のトンネルからのそのそと
現れたとか、これまた違う話になる。
これだって「上級」というほどのものではない。

つまりエスペラントをろくに知らないことがバレテしまった。
それほど恥を晒したいのかね。

どうせまたピント外れのグダグダを言ってくるだろう。
軽蔑してやってくれ。

おやおや、こっちも長文になっちまった。もうやめるわ。
724名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/12(月) 11:52:49.91 0
lernu!からぱくっただけなのに、マジレスする必要はない。
725名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/12(月) 12:03:35.13 0
ってか、引用元が-n 対格付け忘れているだけで、鬼の首を取ったようにw

西洋語であることを反論できなくてよっぽど悔しかったんだろうな。
それこそ、前置詞のあとの対格なんて、英語どころかドイツ語の知識がないと間違えやすい
西洋語の屈折語尾であることが証明されているわけなのだが。

しかも、だれが「上級」だといったんだよ。
そんなに普段から俺のいうことを上級者だと思って尊敬してるから、ちょっと間違えると、混乱してしまうんだよw
日本語だって助詞くらいだれでも間違えますわ。
726名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/12(月) 12:20:40.69 0
こんなの見ててもしょうがないからエスペラント・バーにでも逝ってくるかな
あれどこだっけ、ブラジルだったか
727名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/12(月) 12:29:33.16 0
それがいいよ。ヘボン式で書かれたパスポートを持っていくことを忘れずに。
728名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/12(月) 21:50:36.63 0
>>717
264とか365とかいう数字が、なんで日本語の直訳なん?
729名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/12(月) 22:32:01.71 0
>>716に恨みをもった人間による、よくあるコピペ嫌がらせによる、文字化け(>>718参照)
>>656のように、リンクだけを貼る荒らしパターンもある。
730名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/13(火) 09:46:01.00 0
日本文化特殊論の誤った通説が言語比較においても誤った分析を生んでいるんじゃないか。
731名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/13(火) 10:39:32.12 0
エスペラントが西洋語だ、日本語からは遠いといったら、「日本文化特殊論」かw
732名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/13(火) 11:56:50.65 0
単なる形式上の違いの指摘というよりは、
日本文化特殊論(思考様式が異なるという日本-西欧の比較異質論も含む)
による色眼鏡分析が加わっている。
733名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/13(火) 11:57:45.26 0
何度も、朝鮮人にもモンゴル人にも難しいといってるだろうに。
734名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/13(火) 12:23:21.42 0
日本異質論は東洋異質論、すなわちオリエンタリズムのイデオロギーが背景にある。
735名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/13(火) 12:38:55.63 0
イデオロギーではなく、実際に「いただきます」は
잘 먹겠습니다 も
Сайхан хооллоорой も言うが、
英、仏、独、露、波にそういう習慣はない(せいぜい、「美味しく召し上がれ」か、「美味しそう」)から、エスペラントでもまだ該当するものがない。

逆に、音素の/z/は、その5言語には存在するが、
朝鮮語にもモンゴル語にも存在しない。

私はエスペラントが西洋語だという極めて当たり前の話をしているのであり、たとえば>>709>>710のような言い回しが、
西洋5言語では直訳ができていかに簡単か、逆に東洋語で異なる発想をするのかを実例をあげて証明するまでもない(しても荒れるだけ)し、

逆に、「エスペラントが西洋語とは異なり日本人にとっても簡単」というのなら、
たとえば冠詞の使い方で英語より簡単である例や、東洋人の中でもとりわけ日本人にとって簡単であるという立証責任があるのは、その珍説・デマを唱える方。
736名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/13(火) 12:46:52.29 0
日本文化=世界基準と言い切り、
給食で「いただきます」と言わせないことが、世界基準だと考える人間なんだろうな。
737名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/13(火) 12:54:33.22 0
訂正、
Сайхан хооллоорой は、いただきます派ではなく、bonan apetitonだったw
まあ、モンゴル語はスレチだし、エスペラントが西洋語なのは確かなのだから、他に例をあげる必要もないだろ。
738名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/13(火) 13:18:37.08 0
ということ以前に、「どうぞ召し上がってください」と
「いただきます」を同列に比較するのが変だろ。
料理を出すほうと食べるほうでは
同じ日本語内ですら表現が異なるに決まっているのだから。
739名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/13(火) 13:27:35.48 0
ともあれ、いただきますは日韓にある。西洋語には決まり文句としてはないということ。
日本語内にたとえば「お粗末さんでした」や「よろしゅうおあがり」のバラエティがあるからといって、
西洋語並みに、「いただきます」という習慣がない、ことにはならない。

どうあがいても、西洋語とエスペラントのつながりと、日本語とそれとのつながりを同一視するのは不可能。
740名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/13(火) 13:33:33.47 0
だからそれは欧米人のエスペランティストが自らの母語の習慣を単に
エスペラントに訳して利用しているだけの話ではないか?

逆に、日本語の「いただきます」をエスペラントに訳せないことはないだろう?
エスペラントは民族語を訳して使うこともできるということだけを示している。

エスペラントの基本文法を改訂しているのでないかぎり、
世界中のエスペランティストが欧米のエスペランティストが自らの母語に即して
エスペラントに翻訳した言葉遣いに常に従えってことじゃないのでないか?

文法形式はともかく、表現法の習慣までも欧米式であるべきだとするのは
極端な西洋中心主義をエスペラントに持ち込んでいるだけじゃないのかねえ。
741名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/13(火) 13:42:18.24 0
>>739
朝鮮語には、本来は「いただきます」は無いよ。
ついでに言えば、「おはよう」も「こんにちは」もない。
anneong hasipnigaは、日本的習慣を無理やり翻訳してみただけだ。
日本語で言えば「私はあなたを愛しています」みたいなもんだな。
742名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/13(火) 13:47:41.02 0
ザメンホフが今でいうところのEU圏、または印欧語を話す人々の、
現代からすればローカルな国際コミュニケーション語を構想していた
にすぎなかったとしても、その限界をどこからどこまでも規範化するのは
どうしたものかなあ。
現代の欧米のエスペランティストがそれに果たしてどこまで同意するのか。
743名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/13(火) 14:20:33.71 0
>>740
>逆に、日本語の「いただきます」をエスペラントに訳せないことはないだろう?
>エスペラントは民族語を訳して使うこともできるということだけを示している。
このつながりが不明。

エスペラント独自のkrokodiliとかvolapukaĵo al mi以外は、もともと西洋の表現を訳して、今日の日常表現があるのは事実なのに、
何をいいたいの?
他の西洋語にないのに、東洋語由来の表現が、エスペラント日常会話にあるなら証拠を出せということです。

>>741
>日本語で言えば「私はあなたを愛しています」みたいなもんだな。
元々の話をしていない。
しかも、kamsa hapnida は確かに感謝しますで日本語由来だが、
anneong hasipniga の安寧が日帝残滓とは聞いたことがない。

>>742
>欧米のエスペランティストがそれに果たしてどこまで同意するのか。
何度も欧米のエスペランチストがどうのこうのいいますが、それは、あなたがエスペラントが欧米人のものであることを認めているにすぎません。
彼等が同意するかどうかという問題は、エスペラント会話集を出版することに
"(Estas) malofte." 「ありがとう」とか
"Ĉu vi iros ien?" 「おでかけですか」とか
"Kiom vi aĝas?" 「몇살이에요?」(韓国では初対面で聞く「何歳ですか」)とかいう表現を乗せることに、同意が得られるかということでしょう。
同レベルのエスペランチストが集まったしても、西洋人がいる中で、日本人や他の東洋人主導でそういうものが作られることがありうるのでしょうか。

昔、日本人はこういわれたという。
「まことに失礼な言い分だが、日本のEsperantistojのesprimojは幼稚で、貧弱なことお話にならない。
千篇一律、変化のない、色彩のない単調な話をたどたどしく聞かされるのでは退屈して席に居るにたえないからだ」
と言われている。(小坂狷二『前置詞略解』)
744名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/13(火) 14:27:03.90 0
>「私はあなたを愛しています」みたいなもんだな。

コリアンを知らないようだが、エスペラントをふくむ西洋語と違い、
主語や目的語に当たるものは一々いう必要がない。
日本語の「愛しています」を直訳するだけでいいんですよ。
「愛してるよ」も「愛してる」も「愛する」も「愛しております」もエスペラントでは分けられないものを
日本語と同じようなバラエティがあります。
745名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/13(火) 15:05:17.08 0
>>735

' >>709-710のような '
746名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/13(火) 15:08:28.17 0
結論として、このようにエスペラントは、朝鮮語のように「だよ」や「だ」とか「でございます」のような違いをだせない言語なのだから、
西洋語の知識がなければ「色彩のない単調」な表現になってしまうのは当然。

先ほどの本では、次のように述べている。

「『家が燃え上がつていた』を La domo estis (plene) brulanta としか云えぬ様では困る。
時には
La domo estis tuta en flamoj.
と云つて欲しい。
『奴喜んだのなんのつて』は Kiel li ĝojis! とのみでは物足らない、
Li de ĝojo estis tute ekster si.
と云えば話が躍如とする。
(中略)
此等の云い方は何も奇抜な云い方でも特別な云い方でも何でもない。日常茶飯の間に用いられる最も珍しからぬ語法であつて... 」

>>745
毎回ご苦労様。
747名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/13(火) 18:32:34.61 0
>>745
もしかしてbot?
748名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/13(火) 19:15:41.94 0
>>743
> 他の西洋語にないのに、東洋語由来の表現が、エスペラント日常会話にあるなら証拠を出せということです。

だーからさあ、それらは、これまでエスペラントが欧米人を主体として
使われてきたという習慣から来ているだけではないか?

日本語の挨拶表現もエスペラントに訳して使うことができるのであるならば、
文法的にエスペラントに従って訳されているかぎりにおいて、
それもまたエスペラントであることに違いはないのではないか?
それはエスペラントとしてはぜったいに認められないものだろうかということ。

欧米の挨拶習慣を訳した表現だけがエスペラントとして認められるべきと
そちらは言い張っているように見える。
749名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/13(火) 19:21:41.49 0
>>743
> 元々の話をしていない。
> しかも、kamsa hapnida は確かに感謝しますで日本語由来だが、
> anneong hasipniga の安寧が日帝残滓とは聞いたことがない。

>>741は私の投稿ではないが、
>>741はアンニョンハシムニカを日本語由来と主張しているようには
読めないがねえ。
「こんにちは」=「安寧ですか」ではないよと>>741は言っているように読めるが。
750名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/13(火) 19:27:33.35 0
>>743
> 何度も欧米のエスペランチストがどうのこうのいいますが、それは、あなたがエスペラントが欧米人のものであることを認めているにすぎません。

いいや、あなたが「エスペラントは欧米人のものだ」とあまりにも強調しすぎるので、
そのことにあなたが与する欧米人のエスペランチストたち「でさえ」どこまで同意するのだろうか
と疑問に思ったまで。

欧米人の書いたエスペラントのサイトでも、「エスペラントはヨーロッパ中心主義だ」
という主張に対して、それなりの反論を試みようとしているものをしばしば見かけるので、
欧米のエスランティストがあなたほどにそのことにふんぞり返っているふうには見えないのだが。

もちろん、中にはそういう欧米人もいるんだろうけど。
751名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/13(火) 19:59:58.91 0
>>748
繰り返しているだけだな。そっちは
>日本語の挨拶表現もエスペラントに訳して使うことができるのであるならば、
という仮説をいっているだけで、ぜんぜん、実際にそうしている試みやそれでも使える証拠を出していないということ。
だから、「認められないものだろうか」と聞かれたって、答えようがない。UFOが襲来してきたらどうするか、といっているようなもの。

>欧米の挨拶習慣を訳した表現だけがエスペラントとして認められるべきと そちらは言い張っている
現に、そういう事例しかないからね。
中には日本的、アジア的な表現も生まれてきているかもしれないが、あるとすれば、それは、英語やフランス語でもすでにしている表現に過ぎない。
たとえば表現だけでなく、日本語由来のエスペラント単語一つとっても、それは、エスペラントだけが世界に目を向けて積極的に取り入れているのではなく、
udonoj が、西洋語(たとえば5言語)で共通してUdon (Удон)がすでに採用されているからに過ぎない。

>>749
ああ、そういう意味ね。
「いただきます」じゃなく、「よく食べるでしょう」だとでもいいたいのか。
くだらない。
ともあれ、朝鮮語に、よく食べるでしょうと、よく食べましたは、テンプレ表現として存在するということ。
だけど西洋人にそういう習慣はない
→エスペラントの方言化は認められないことになっている(ピジンエスペラントの禁止)

じゃあ、逆に>>741は、「kamsa hapnida」が日本語由来であることも知らなかったのかもしれないな。
「gomapseupnida」が固有表現。

>>750
>欧米のエスランティストがあなたほどにそのことにふんぞり返っているふうには見えないのだが。
いや、個人がふんぞり返ってるとは言わないが、変えてはいけないことになっているのだし。なにしろ「反論を試みようとしている」のは、
日本人であろうと外国人であろうと、エスペラントの国際性の証明を試みたり、自己弁護や布教運動に熱心なエスペランチストがいるのは当然。でも、その中に嘘の記述があったら私がわーわーいうだけ。
752名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/13(火) 20:39:38.26 0
>>751
> だから、「認められないものだろうか」と聞かれたって、答えようがない。UFOが襲来してきたらどうするか、といっているようなもの。

答えようがないなら、反論になっていない証拠。
こちらはそういう試みがあったと主張しているわけじゃない。
逆で、そういう試みがなかったのはエスペラントがこれまで西洋主導で
普及してきたからであって、それに無反省に追随する傾向があっただけ。
そういう習慣と、エスペラントが保守する基本的な文法ルールとを混同できない。

> 現に、そういう事例しかないからね。

事例がないことは、そうするべきでないことを意味しない。

> →エスペラントの方言化は認められないことになっている(ピジンエスペラントの禁止)

方言化というのはイド語のように文法そのものを改変することを指すのではないか?
こちらは文法を改変するのでないかぎりと何度も書いているはず。
守るべきエスペラントの基本文法にならっているなぎり許容されるものではないか?

> いや、個人がふんぞり返ってるとは言わないが、変えてはいけないことになっているのだし。なにしろ「反論を試みようとしている」のは、
> 日本人であろうと外国人であろうと、エスペラントの国際性の証明を試みたり、自己弁護や布教運動に熱心なエスペランチストがいるのは当然。でも、その中に嘘の記述があったら私がわーわーいうだけ。

日本語での表現習慣をエスペラントに訳して使ってみたら、それは方言だと
欧米のエスエペランティストに批判されたというソースでもあるんだろうか。
753名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/13(火) 20:42:20.83 0
そちらは欧米式を何から何までも絶対公準化して押し付けようとしているように見える。
エスペラントは果たしてそこまで絶対公準化されているんだろうか。
754名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/13(火) 20:44:43.77 0
現代では、エスペランティストの多くは、エスペラントをあくまでも民族語に対する
補助語として位置づけているのではないか。
そちらはその民族語が西洋のしかも印欧語にかぎることを強調するが、
それは果たして欧米のエスペランティストが意図してやってきたことなのだろうか。
彼らが確信犯的に西洋中心主義としてエスペラントを普及させるべきだとしてきたのか?
755名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/13(火) 21:03:03.54 0
>>752
>答えようがないなら、反論になっていない証拠。


>こちらは文法を改変するのでないかぎりと何度も書いているはず。
ない限り、どんな文章をつくるの?私は少なくとも、いただきますは、エスペラントにはないといってきたのだから、
あるのだったら、どんな文章になるのか、いってみてくださいよ。


たとえば Esperant’ というものがある。1998年頃に発表。目的は知らないがw

「少年たちはその美しい少女たちを愛している。」
標準Esperanto
"Knaboj amas la belan knabinon."

Esperant’ ではこうなる
"Jenas am’ de knabar’ je l’ belknabin’."
直訳「ほら、あるのは、少年団の愛が、その美少女たちに対してだ。」

というような感じ。これは目的は遊びかもしれないが、厳密には文法を侵害していない。でも、普通はエスペラント諸語に分類されるし、
一般のエスペランチストは、直ぐには聞いても理解に苦しむだろう。
東洋風にしたいとは、そういうことか?
まあ、念のために言うと、ここは初心者スレであり、直ぐに使える表現を学ぶのであり、あなたの独自研究の場ではないが、まあ、私も長文を書いてるから、私は多めに見るがw

>>754
>エスペラントをあくまでも民族語に対する 補助語として位置づけているのではないか。
それは日本のエスペラント団体の宣伝文句に載せられているに過ぎない。

>彼らが確信犯的に西洋中心主義としてエスペラントを普及させるべきだとしてきたのか?
確信犯じゃなかったら、これほどまでに西洋語の新語の乱入はしないw
756名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/13(火) 21:31:46.00 0
「西洋」民族語に対する 補助語として位置づけている
なら正解。
たとえば、日本人と韓国人の間でお互いに同じ発想で、
「いただきます」
「ご苦労様」
「さすがです」
「よろしくお願いします」
といいたい、必要な表現なのに、一々考えなければ使えないような言語は、それら民族語の補助語になりえない。

また、仮に日韓エスペランチストが結婚してモスクワで、実験的にエスペラントで子供を育てたとしても、
デナスカの子供は、

バケツーオ
ラーメンノ
バカヤーロ
ビミョーナサンカクカンケーオ
サンジュップンマッサージムリョーオ

といった共通語を使うだろうしw 否定疑問文なのに、Jesと答えるエスペランチストになること間違いないw
757名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/13(火) 22:14:23.88 0
>>755
Esperant'は明らかにEsperantoでないと分かるが、
それが文法を厳密には侵害していないというのはどういう理屈によるんだろうか?
正書法が違うというだけの理屈?
これを語用論的な慣習表現と混同するのが理解できない。

例えば、日本語で「あなたに感謝」とか「では、よい夜を」と表現しても
日本人に日本語として通じないわけじゃない。
でも「ありがとう」とか「おらすみ」という慣例的な言い方もあるよというだけにすぎない。
758名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/13(火) 22:36:26.77 0
>>757
>例えば、日本語で「あなたに感謝」とか「では、よい夜を」と表現しても 日本人に日本語として通じないわけじゃない。
そう、通じないわけじゃないし、だれもそれは否定していない。
だけど、日本人同士の日本語では、「絶対に」そうはいわないということはわかりますね?
つまり、「ありがとう」とか「おらすみ」をごく普通のエスペラントにするには、ワンクッションおいて(「あなたに感謝」とか「では、よい夜を」に概念を変えて)から、エスペラントにしなきゃいけないということ。
だけど、
Kial ne? は、
イギリス人も"Why not?"
フランス人も"pourquoi pas?"
ロシア人も"Почему бы и нет?"
口を付いて出てくる表現。

しかし、日本人がエスペラントを話す際に
「いいよ」(→boneは使い飽きたな、じゃあ何にしよう。そうだ、こういうのがあった、「なぜ、そうではならない」)→Kial ne?
にするには、雲泥の差が出ることをあなたは理解していない。


>それが文法を厳密には侵害していないというのはどういう理屈によるんだろうか?
16条の「違反はしていない」。たとえば、名詞のoを省略できることも16条目に書いてある。
サイトは、
http://meeuw.org/esperant/esperant.html
をいきなり見てもやはりわからんかな。

英語ができるなら易しい説明がある。
http://en.wikipedia.org/wiki/Esperantido#Esperant.E2.80.99
759名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/13(火) 23:12:22.71 0
>>758
> そう、通じないわけじゃないし、だれもそれは否定していない。
> だけど、日本人同士の日本語では、「絶対に」そうはいわないということはわかりますね?

絶対に? たしかに慣用的にはそうは言わない。
「君に感謝するよ」という文句も「いい日だね」という出会い表現もありうるけどね。
慣用句の惰性化された体系である民族言語にすら「絶対に」はないと思う。

いわゆる「紋切り型」の表現を使わないからといって非文とは言いがたいし、
計画言語に慣用をもってきて絶対化するなら、新たなフンダメントが必要ではないかねえ。
760名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/13(火) 23:16:40.15 0
だから、あんたがやりたいことは、Esperant'みたいな言葉遊びなのかと聞いておろうが。
761名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/13(火) 23:24:16.55 0
ちなみにBonan tagon.は「いい日だね」という記述的な表現じゃないので。
西洋語やってればわかると思うが、「良い日でありますように」。
762名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/13(火) 23:25:33.43 0
Esperant'がFundamentoどおりなら言葉遊びではないのではないか。

例えば、字上符をhで代表するのがザメンホフの教えだったとしても、
それは今日ではあまり普及していないから、hを使った記述を方言と
見なすべきだという見解か?
763名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/13(火) 23:29:38.64 0
さっきは「これを語用論的な慣習表現と混同するのが理解できない。」と
いっておきながら、説明を聞いた途端、今は、「言葉遊びではない」かw

どうも付き合いきれない。
764名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/13(火) 23:42:09.05 0
>>763
なぜそれが矛盾する?

フンダメントに書かれていることならば、慣習表現とは別物だろう。

てか、Esperant'を文法上の方言と見なす理屈は何に依拠しているの?
フンダメントに書かれていることを方言と評価する根拠は?
765名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/13(火) 23:46:23.03 0
方言というかジャーゴンといわれている。
というか、16か条の16条では確かに省略できるといっているけど、
常に1条を無視して単数名詞はoで終わらずに省略したり、
2条を無視してojの複数名詞を作らず、わざわざ集合名詞のaro形にして、それも省略してar'にするとか、
冗談に決まっているでしょう?
766名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/13(火) 23:55:46.00 0
>>765
しかしフンダメントに書かれてあることをジャーゴンとするのは奇妙だね。
じゃあ、同じ16条に書かれてある冠詞の母音の省略もジャーゴンと見なされているのかねえ。
767名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/14(水) 00:08:32.07 0
印欧語といっても、
エスペラントが性という名詞クラスをもっていないことは、
印欧語からみれば英語同様に異端的ではないだろうか。

また格を表現する形態素をほとんど失った英語話者からみれば、
エスペラントには戸惑いを感じないのだろうか。
768名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/14(水) 03:20:05.02 0
モノリンガルとかいって、各国語自慢のスレか・・・
769名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/14(水) 06:19:25.39 0
>>765
訂正
常に1条を無視して→常に2条を無視して

>>766
他のおかしなルールとしては、前置詞を動詞化したり、なければjenを持ち出して、それを動詞化(jeniなど普通の辞書にはない)するというのが、奇妙だということ。
これにはウィキペディアしかソースが無いから
英語では「extensions of Esperanto created primarily for amusement」といっているのだし、
エスペラントで、「alternativa stilo aŭ ĵargono de Esperanto」といってる。
でも、本サイトでは、ĵargon'とはいっていないから、知らない。
私はあらかじめ、「厳密には文法を侵害していない」とはいったしその理由は説明したが、「目的は知らないが」と書いた。
あなたは、はじめ「正書法が違うというだけの理屈?」などとちんぷんかんなことを聞いてまったく理解していなかったわけで、
今日は新しいことを習ったのだから、「ジャーゴンと見なされているのかねえ」などと文句をつけずに満足して、後は、自分で調べてください。
問題は、あなたが日常表現を含み「エスペラントは(東洋)民族語を訳して使うこともできる」とする根拠・実例を出してくださいということ。
私は日韓の共通する挨拶でもエスペラントでは直訳表現できない例はすでに挙げました(>>756)。
770名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/14(水) 06:21:17.11 0
>>767
>エスペラントが性という名詞クラスをもっていないことは、 印欧語からみれば英語同様に異端的ではないだろうか。
ザメンホフが英語をぱくって作った(普通名詞での廃止、ペルシャ語の全廃とは違い、代名詞では性を残した部分まで英語と一緒)ことを認めているのだし、特筆に値しない。
それに、これまた冗談で作ったArcaicam Esperantom (「エスペラントの古語」与格と属格の格変化や、定冠詞の変わりに不定冠詞の追加)でさえ、性は作っていないことからも、
印欧語でそれぞれまったく異なった性をもっているのに、あえてほしい、なければさびしいなど西洋人に思われていない証拠。

英語話者からエスペラントを話す際に、不定冠詞をなくすことが簡単だとこのスレでなんども言われていたように、
ドイツ語話者が、3つの性をなくして話すのは、いとも簡単。
母語にない概念を作り出すという逆方向(日本語話者が定・無冠詞や単・複数を区別したり、再帰動詞を考えたり)が大問題。

>また格を表現する形態素をほとんど失った英語話者からみれば、 エスペラントには戸惑いを感じないのだろうか。
まあ、そこまで一緒なら、英語と同じになってしまうからでしょう。
母語にはない「逆方向」なので、悩みではあるだろう。
しかし、格をといっても、複数語尾(-j)は、英語とも共通(-s他)しているわけだし、問題は、対格だけ。
それが嫌だからイド語のようなものも生まれたわけである。
771名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/15(木) 14:29:00.88 0
772名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/15(木) 14:57:57.10 0
>>771
そう、そのとおり。"Bona mateno" はフレーズにすぎず、挨拶になっていない。

だから「いい日だね」という理解だと、
英語で、天気が悪かったら「バッドモーニング」と間違っていってしまうということ。

そうは相手に言えないのは、エスペラントや他の西洋語が対格になっているのと同じ理屈。
(「mi fartas malbone.」「i feel terrible」はもちろん可)。

ただ、話の中で、even if it isn't what Z was thinking.というのは気になった。
773名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/15(木) 15:45:12.10 0
"Mi humile ricevos."
"Mi humile manĝos."
はソースは2chでしかない。つまり、「いただきます」に該当する挨拶表現はないということ。

"Ni manĝu!"
"Ĉio ŝajnas bongusta!"
は確かに言いがちだが、毎回言う挨拶ではない。

それなら、思い切って、
"Patro nia, kiu estas en la ĉielo, sankta estu Via nomo...Amen!"
にしてしまえばいい、といったら、そこまでしなきゃいけないのか?と言い出す人が絶対沸いてくるだろうw
774名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/15(木) 21:25:00.74 0
>>772
日本語でも「悪い日だね」という言い方はしないけどね。
天候について言うんだったら「いい天気ですねえ」って言うけどね。
775名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/15(木) 21:44:58.70 0
>日本語でも「悪い日だね」という言い方はしない
あなたがそう言わないのは勝手だが、「今日はずいぶん荒れ模様ですね」と天候についても、
「今日は朝からついていないんですよ」と自分の調子など、日本語では、いくらでも否定的なことはいえるということ。

しかし、西洋語では対格を用いて'Bonan tagon' 'Guten Tag' '(Have a) good day'
といっているのだから、自分でも天候でもないということに気づいてください。

つまり、「相手への祈り」なのだから、Malbonan (Schlechten, Bad) とは、「絶対に」、挨拶として言えないの。ここまで言ってもまだわからないのかな?

「いい天気ですねえ」と同じように、Bonan tagon.といえて、
「悪い日だね」とは言わないからMalbonan tagonとも言わない、
という考え方では無理がありすぎる。
776名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/15(木) 22:00:30.70 0
>>757で「よい夜を」ってすでに「を」をつけて書いているんだから、
そういう揚げ足取りをしなくてもね。
777名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/15(木) 22:11:51.97 0
揚げ足も何も「「いい日だね」という出会い表現もありうる」とあなたが言っていたんですが。

だから、「いい日だね」=Bonan tagonではだめだよ、と教えてあげたわけ。

それなのに、さらに「「悪い日だね」という言い方はしない」といってきたから、ああやっぱり理解していないんだと思って、
この日本人、朝鮮人の初心者には勘違い表現について、>>775で説明したというわけ。
778名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/16(金) 22:11:11.91 0
スウェーデンのストックホルム大学のMikael Parkvallという言語学者さんが、
エスペラントがどれくらいヨーロッパ的なのかということについて、
類型学的な見地から研究したものを発表しているね。
779名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/17(土) 07:45:54.74 0
>>778
当たり前の事を随分偉そうに言う言語学者だねw
780名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/17(土) 08:17:32.17 0
学者なんてそんなもんだよ
ぬけぬけと嘘を言うよりはましかね
781名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/17(土) 08:38:07.67 0
類型論は古いよね。
今は類型を超えて人間の言語の普遍的な共通性を探ってる時代だ。
エスペラントと日本語の共通性もそういった見地から研究されるべきだよ。
「定冠詞は西洋の物だから使わなくていい」という思い込みから一歩も進展していない日本人エスペランティストは
もっと勉強するといいんだよ。
782名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/17(土) 09:13:22.79 0
"It is concluded that Esperanto is indeed somewhat European in character, but considerably less so than the European languages themselves."
なんだよ、この当たり障りのない結論はwww 
何も世の中に貢献してない「学者」だな、この2chの方がよっぽどましなこといってるwww
783名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/17(土) 09:20:09.37 0
>>781
それはない。
>エスペラントと日本語の共通性もそういった見地から研究されるべきだよ。
それをするなら、
「バスク語とモンゴル語の共通性」だの
「韓国語とフランス語の共通性」だの
「ベンガル語とアフリカーンスの共通性」だの
なんでも研究されなければならない。
的外れな学者がいたからといって、どさくさにまぎれて適当なことをいわないこと。
784名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/17(土) 10:47:30.00 0
>>783
> それをするなら、
> なんでも研究されなければならない。

誰が何を研究しようとお前が指図することじゃない。
785名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/17(土) 11:31:54.54 0
欧州のエスペランティストの間でも、
エスペラントがユーロセントリズムの一種だという批判があることは知られており、
そういう議論に対して言語学的な見地から一定の検証を試みたものだと思われ。
786名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/17(土) 11:53:52.52 0
>>784
最初に「されるべき」とか言ったの誰だよ。
エスペラントと日本語が似ているなどあほらしいことは誰も言っていないし、2chでさえいってもすぐに論破されるだけなので、
他の比較研究と同じようにニーズはないということ。

社会的どころか、学術的にも値しないが、あんたがしたいのなら勝手にすれば言い。
ただし、現在は誰もいっておらず、証明されていないので、エスペラントと日本語が、とりわけ他の西洋語・東洋語よりも
共通性が高いようなことをいうのは、あんたがいかに心でそう願っていても、デマにすぎないということ。
787名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/17(土) 11:57:09.78 0
ある部分を取り出せばエスペラントが英語よりも日本語に似ている点を
指摘することができても不思議じゃないぞ。
総合的にエスペラントが英語より日本語に似ていると主張している人は
ここにそもそも誰も居なかったのではないか?
いない相手をでっちあげて藁人形論法を書き連ねていただけじゃね?
788名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/17(土) 12:15:45.96 0
>>787
>ある部分を取り出せばエスペラントが英語よりも日本語に似ている点を
>指摘することができても不思議じゃないぞ。
可能。

>総合的にエスペラントが英語より日本語に似ていると主張している人は
>ここにそもそも誰も居なかったのではないか?

ごく部分的に指摘できるわずかな共通点を取り出し、全体化して日本人にとってエスペラントが簡単であるかのような宣伝をする奴がいるのが問題。

たとえば、冠詞問題をいっているときに、
「日本人が自然に理解できる所に英仏人の混乱を」などという意見。
何度も言っているように、

- 日:無冠詞単数形
- エ:無冠詞単数形/無冠詞複数形/定冠詞単数形/定冠詞複数形
- 英:無冠詞単数形/無冠詞複数形/不定冠詞単数形/定冠詞単数形/定冠詞複数形

というなかで、エスペラントと日本語に「共通して」不定冠詞単数形がないことをとりあげ、冠詞問題は、英仏語より似ているというのは詐欺である。
なぜなら、日本語では「無冠詞複数形」も、「定冠詞単数形」も、「定冠詞複数形」も使われないことが、日本人にとってのエスペラントの難しさであり、
英仏人にとって、まったく問題とならないことなのだから。
789名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/17(土) 12:41:02.68 0
たとえば、天体の話をしているときに、

Aは「月は衛星だ」という。
「フォボス」や「ガニメデ」と比較するなどして衛星の特徴があげ、惑星や恒星とはまったく異なることを説明。

Bは「月はスッポンのほうが似ている」という。
理由は、「共通して」肉眼で見られるし、漢字一字で書くことができるから。肉眼で見られない衛星の混乱を持ち込んでも意味が無いという。
790名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/17(土) 19:36:46.72 0
こいつは誰も言っていないことをでっちあげて
それをだらだらとこねくり回し、間違いを指摘されれば
開き直るか話をそらすかして、さらにヨダレをたれる。性格破綻者。
791名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/17(土) 19:37:59.46 0
つまり人間のクズ。
792名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/17(土) 19:41:20.82 0
くやしいのう、くやしいのう。
793名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/17(土) 19:54:49.67 0
>>792
お前はウスバカ
794名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/17(土) 19:56:53.71 0
>>793
お前はホモ体験談でも書いとけw
795名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/17(土) 20:33:36.82 0
>>783
そう、そういう欧州語以外のマイナー言語を個々レベルで比較して共通点を
見出す研究も求められているよ。そういう研究の積み重ねで人間の言語の普遍性が見えて来る。
日本人エスペラント学習者もそういった見地でエスペラントを学び直してみるのも面白いよ。
796名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/17(土) 20:49:25.86 0
>>795
地理的にも類型学的にも遠い言語を恣意的に選んで比較することが、誰によって
「求められている」んだよ。
あんただけでしょ、そんなつまらないこといってるのは。
エスペラントより、英語の文法知識の方があることがばれて、恥ずかしいからレスを流しているだけでしょ。
797名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/19(月) 14:08:22.89 0
毒に報いるには毒を以てせよ。
長文に報いるには長文を以てせよ。

芥川龍之介
Akutagawa Ry&ucirc;nosuke

仙人
La diulo

皆さん。
Karaj legantoj!

私は今大阪にいます、ですから大阪の話をしましょう。
Nun mi loĝas en la urbo Osako. Tial mi rakontu pri tiu urbo.

昔、大阪の町へ奉公に来た男がありました。名は何と云った
かわかりません。ただ飯炊奉公に来た男ですから、権助と
だけ伝わっています。
Antaŭ longa tempo unu viro venis al Osako serĉi laboron. Mi ne
scias lian nomon. Li eklaboris kiel enloĝanta servisto por prepari
manĝojn, kaj estis konata per la nomo Gonsuke.

権助は口入れ屋の暖簾をくぐると、煙管を啣えていた番頭
に、こう口の世話を頼みました。
Nu, Gonsuke vizitis laborperejon, kaj petis la ĉefkomizon, kiu
tenis pipon en la buŝo, jene:

「番頭さん。私は仙人になりたいのだから、そう云う所へ
住みこませて下さい。」
- Sinjoro Ĉefkomizo. Sciu, mi deziras fariĝi diulo. Do bonvolu
peri al mi servon utilan por tio.utilas por esti diulo. Do turni vin al alia laborperejo, mi petas.
798名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/19(月) 14:11:25.10 0
(続き)

番頭は呆気にとられたように、しばらくは口も利かずに
いました。
Pro miro, la ĉefkomizo restis silenta dum momento.

「番頭さん。聞えませんか? 私は仙人になりたいのだから、
そう云う所へ住みこませて下さい。」
- Ĉu vi ne aŭdas, sinjoro? Mi deziras fariĝi diulo. Do bonvolu peri
al mi servon utilan por tio, - ripetis Gonsuke.

「まことに御気の毒様ですが、――」
番頭はやっといつもの通り、煙草をすぱすぱ吸い始めました。
「手前の店ではまだ一度も、仙人なぞの口入れは引き受けた
事はありませんから、どうかほかへ御出でなすって下さい。」
- Mi bedaŭras, sed... - Nur tiam la ĉefkomizo rekomencis fumi per
la pipo kiel kutime. - Ni ankoraŭ neniam peris tian servon kiu
utilas por esti diulo. Do turni vin al alia laborperejo, mi petas.

すると権助は不服そうに、千草の股引の膝をすすめながら、
こんな理窟を云い出しました。
Gonsuke aspektis videble malkontenta. Li antaŭenŝovis sin sur
la genuoj, kaj provis logikumi:

「それはちと話が違うでしょう。御前さんの店の暖簾には、
何と書いてあると御思いなさる? 万(よろず)口入れ所と書いて
あるじゃありませんか? 万と云うからは何事でも、口入れを
するのがほんとうです。それともお前さんの店では暖簾の上
に、嘘を書いて置いたつもりなのですか?」
- Tio ne sonas prave, sinjoro. Kion ni vidas skribita sur la butika
kurteno? "Ĉia laboro perata". Ĉia! Tio signifas, ke vi devas akcepti
ajnan laborpeton, ĉu ne? Aŭ vi montras sur la kurteno mensogon?
799名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/19(月) 14:13:44.65 0
(続き)

なるほどこう云われて見ると、権助が怒るのももっともです。
Prave li akuzas. Li ja rajtas plendi kolere.

「いえ、暖簾に嘘がある次第ではありません。何でも仙人に
なれるような奉公口を探せとおっしゃるのなら、明日また
御出で下さい。今日中に心当りを尋ねて置いて見ますから。」
- Ne, ne. Ni ne montras mensogon. Se vi nepre petas, ke ni trovu
servon utilan por esti diulo, do bonvolu viziti nin morgaŭ denove.
Dume ni klopodos serĉi taŭgan servon.

番頭はとにかく一時逃れに、権助の頼みを引き受けてやりま
した。が、どこへ奉公させたら、仙人になる修業が出来るか、
もとよりそんな事なぞはわかるはずがありません。ですから
一まず権助を返すと、早速番頭は近所にある医者の所へ出か
けて行きました。そうして権助の事を話してから、
La ĉefkomizo akceptis la peton de Gonsuke nur por portempe
elturniĝi. Li tamen havis nenian ideon pri tio, kia servo utilos por
la petita afero. Post la foriro de la gasto li tuj rapidis al kuracisto
loĝanta najbare. Li klarigis al tiu pri la ĝena laborpetanto, kaj
demandis zorgeme:

「いかがでしょう? 先生。仙人になる修業をするには、
どこへ奉公するのが近路でしょう?」と、心配そうに
尋ねました。
- Kian ideon vi havas, sinjoro kuracisto? Kia servo estas plej
taŭga por trejni sin por esti diulo?
800名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/19(月) 14:33:22.03 0
お前がやってることはコピペで荒らし、自分の過去の間違いを薄めているだけ。
長文で答えなければならないのは、何度言ってもお前が理解せずに、デマを流すから。
801名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/19(月) 15:24:00.20 0
(「仙人」続き)

これには医者も困ったのでしょう。しばらくはぼんやり
腕組みをしながら、庭の松ばかり眺めていました。が番頭
の話を聞くと、直ぐに横から口を出したのは、古狐と云う
渾名のある、狡猾な医者の女房です。
Ankaŭ la kuracisto ŝajnis embarasita antaŭ la demando. Li
enpensiĝis kun la brakoj krucitaj kaj kun la okuloj vagantaj
sur la pinoj en la korto. Tiam, neatendite, deflanke enŝovis
sian nazon la edzino de la kuracisto. Ŝi havis tiel ruzan
karakteron, ke oni alnomis ŝin "maljuna vulpino".

「それはうちへおよこしよ。うちにいれば二三年中(うち)
には、きっと仙人にして見せるから。」
- Lasu lin al ni, - ŝi diris. - Mi promesas fari lin perfekta diulo,
tutcerte en du-tri jaroj.

「左様ですか? それは善い事を伺いました。では何分願い
ます。どうも仙人と御医者様とは、どこか縁が近いような
心もちが致して居りましたよ。」
- Ĉu vere, sinjorino? Tre bonan solvon vi donas al mi! Mi do
kore petas vin. Mi ja divenis, ke la diulo kaj la kuracisto
havas ian intiman rilaton.

何も知らない番頭は、しきりに御時宜(おじぎ)を重ね
ながら、大喜びで帰りました。
Tute naiva por suspekti, la ĉefkomizo foriris kun granda
kontento, ripete kaj ripete riverencante.
802名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/19(月) 15:25:22.98 0
(「仙人」続き)

医者は苦い顔をしたまま、その後を見送っていました
が、やがて女房に向いながら、
La kuracisto, kiu forokulis lin kun grimaco, nun turnis sin
al sia edzino:

「お前は何と云う莫迦な事を云うのだ? もしその田舎
者が何年いても、一向仙術を教えてくれぬなぞと、不平
でも云い出したら、どうする気だ?」と忌々しそうに小言
を云いました。
- Kian stultaĵon vi eldiris! Kiel do vi elturniĝos, se tiu
kampulo fine ekplendos, ke jaroj kaj jaroj vane forpasis
sen ke li fariĝu diulo?

しかし女房はあやまる所か、鼻の先でふふんと笑いながら、
「まあ、あなたは黙っていらっしゃい。あなたのように
莫迦正直では、このせち辛い世の中に、御飯を食べる事も
出来はしません。」と、あべこべに医者をやりこめるのです。
Tamen kontraŭ lia riproĉo la edzino tute ne emis pardonpeti,
sed male eĉ refutis kun rikano:
- Vi ne intervenu, mia kara. Se oni estus tiel naive honesta
kiel vi, oni ne povus vivteni sin en ĉi tia malfacila mondo!
803名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/19(月) 15:26:46.22 0
(「仙人」続き)

さて明くる日になると約束通り、田舎者の権助は番頭と
一しょにやって来ました。今日はさすがに権助も、初の
御目見えだと思ったせいか、紋附の羽織を着ていますが、
見た所はただの百姓と少しも違った容子はありません。
それが返って案外だったのでしょう。医者はまるで天竺
から来た麝香獣でも見る時のように、じろじろその顔を
眺めながら、
Nu, en la sekva mateno, konforme al la promeso, la kampulo
Gonsuke vizitis la kuraciston kune kun la ĉefkomizo. Ĉar tio
estis la unuafoja vizito al la dunginto, li estis ceremonie vestita
per emblemporta haoro, sed malgraŭ tio li aspektis pura
kampulo. Verŝajne tio estis ekster la atendo de la kuracisto.
Li scivole rigardis ties vizaĝon, kvazaŭ vidante moskodoran
beston importitan el la fora Hindio.

「お前は仙人になりたいのだそうだが、一体どう云う所
から、そんな望みを起したのだ?」と、不審そうに尋ね
ました。すると権助が答えるには、
「別にこれと云う訣(わけ)もございませんが、ただあの
大阪の御城を見たら、太閤様のように偉い人でも、いつか
一度は死んでしまう。して見れば人間と云うものは、いくら
栄耀栄華をしても、果ないものだと思ったのです。」
- Vi deziras esti diulo, mi aŭdis, - li demandis scivoleme. - Kio
kondukis vin al tia stulta deziro?
- Sen certa kialo, mi diru. Kiam mi vidis la Kastelon de
Osako, mi enpensiĝis: Eĉ tia eminentulo kiel Grandsinjoro
Hideyosi iam devas morti. Ia ajn riĉo kaj prospero estas
tute vanta por homo, ĉiuokaze.
804名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/19(月) 15:29:37.31 0
(「仙人」続き)

「では仙人になれさえすれば、どんな仕事でもするだろう
ね?」狡猾な医者の女房は、隙かさず口を入れました。
- Vi do plenumos ian ajn laboron, - senprokraste intervenis la
ruza kuracistedzino, - se tio garantios al vi, ke vi iĝos diulo?

「はい。仙人になれさえすれば、どんな仕事でもいたします。」
- Jes, mi plenumos ian ajn laboron, se mi povos iĝi diulo!

「それでは今日から私の所に、二十年の間奉公おし。そうすれ
ばきっと二十年目に、仙人になる術を教えてやるから。」
- Do, servu ĉe mi dum dudek jaroj. Post dudek jaroj mi certe
instruos al vi, kiel fariĝi diulo.

「左様でございますか? それは何より難有うございます。」
- Ĉu vere, sinjorino? Mi elkore dankas vin pro via afableco.

「その代り向う二十年の間は、一文も御給金はやらないからね。」
- Sed vi devas konsenti, ke dum la 20 jaroj vi tute ne ricevos salajron.

「はい。はい。承知いたしました。」
- Jes, sinjorino. Mi konsentas.
805名無し象は鼻がウナギだ!:2012/11/19(月) 16:34:39.66 0
(「仙人」続き)

それから権助は二十年間、その医者の家に使われていま
した。水を汲む。薪を割る。飯を炊く。拭き掃除をする。
おまけに医者が外へ出る時は、薬箱を背負って伴をする。
――その上給金は一文でも、くれと云った事がないので
すから、このくらい重宝な奉公人は、日本中探してもあ
りますまい。
Kaj en la daŭro de dudek jaroj Gonsuke servadis ĉe la
kuracisto. Li ĉerpis akvon, dishakis hejtlignojn, preparis
manĝojn, pribalais la korton, kaj, kiam la kuracisto eliris,
li sekvis lin kun la medikamentujo surdorse… Sed li neniam
postulis salajron. Tian bonegan serviston oni neniam povus
trovi eĉ serĉante tra la tuta lando.

が、とうとう二十年たつと、権助はまた来た時のように、
紋附の羽織をひっかけながら、主人夫婦の前へ出ました。
そうして慇懃に二十年間、世話になった礼を述べました。
Kaj, kiam pasis la dudek jaroj, Gonsuke sidiĝis antaŭ la
mastro, denove vestita per emblemporta haoro same kiel
ĉe la unua vizito al la kuracisto. Post ĝentila dankesprimo
pro la dudek-jara dungiĝo, li ekdiris:

「ついては兼ね兼ね御約束の通り、今日は一つ私にも、
不老不死になる仙人の術を教えて貰いたいと思いますが。」
- Nu, sinjoro. Ĉu vi bonvolas instrui al mi, laŭ la delonga
promeso, la sanktan arton de senmorteco?
806名無し象は鼻がウナギだ!
(「仙人」続き)

権助にこう云われると、閉口したのは主人の医者です。
何しろ一文も給金をやらずに、二十年間も使った後です
から、いまさら仙術は知らぬなぞとは、云えた義理では
ありません。医者はそこで仕方なしに、

La vortoj de Gonsuke multe embarasis la kuraciston.
Du jardekojn li laborigis la viron eĉ sen pagi salajron...
Li ja neniel povis konfesi nun, ke li ne scipovas pri la artoj
de la diulo. Ne scianta kiel respondi, li bruske flankenturnis
sin kun la vortoj:

「仙人になる術を知っているのは、おれの女房の方だから、
女房に教えて貰うが好い。」と、素っ気なく横を向いて
しまいました。
- La artojn de la diulo scias mia edzino. Do petu ŝin pri la afero.

しかし女房は平気なものです。
La edzino tamen restis ne ĝenata.