仇鱒先生専用スレ

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6仇鱒
んで、格助詞の中でもとりわけ「が」や「を」であるが、これらはθ役割を
兼ねているところがある。てか、θ役割が具現化したもの、それが「が」や
「を」であったりする。で、それを裏付けるかのように、聾唖の子どもたち
が「が」と「を」がうまく使えてないシーンでは、あきらかに、何がagent
で何がtheme/patientはわかっていないのが見て明らかだったりする(←その
証拠に、聾唖の先生はしきりに何がagentiveなもので何がthematicなものか
身振り手振りで教えていた)。で、この主格の「が」や対格の「を」といっ
た格であるが、ミニマリストでは解釈不可能なものとして扱われるわけだが、
上のような考え方が正しければそんなことはないわけだ。θ役割がコスプレっ
たものがいわゆる格表示だとすると、格は解釈可能なものとゆうことになる。
あと、チョムは名詞についているφ素性は解釈可能だが動詞についている
φ素性は解釈不可能だとかゆうが、そんなことあるわけがない。名詞のφ素性
が解釈可能であれば動詞についているφ素性だった解釈可能であるはずだ。
同じφ素性なのに何にくっついているかによって解釈可能性が変わるなんて
ゆうのはまともな頭をもっている香具師なら誰だって「そなんことあるわけ
ねぇだろ、このヴァカが」と思うものだ。ようするに、範疇素性は解釈可能
だけど格素性は解釈不可能だとか、名詞についているφ素性は解釈可能だけど
動詞についているφ素性は解釈不可能だとかゆうのは完全にチョムが勝手に決
めただけのことであり、何からも保証されないものである。