【OトVlコT】阿比留文字で日本語を表記【アヒル】
朝鮮人はなかなか諺文を書きたがらなかったと思うが、皆諺文を知っていた。諺文で漢籍を解説した、科挙のための参考書が多数出版されており (官版もあり)、それで勉強した官人が大勢いた。
日本人が教育して広めるまで、弾圧されて誰も知らなかったなどというのは、まっかな嘘である。
実はこんな文字があるんだよと、朝鮮人が諺文を書いて見せた時、日本人には謎を秘めた魅力的なものに映っただろう。江戸時代の半ばまで、学術の水準は日本より朝鮮の方が上だった。通信使が来ると、日本の文人たちは熱心に交流を求めた。
日本の学術が朝鮮を抜いて行ったのは蘭学以降だ。
>>65 「学術」って何を指すんだろうな。
朱子学なら確かに朝鮮の方が上だったろうよ。
いまだに語類の全訳を出すぐらいだし。
N・M・プルジェワルスキー (Nikolai Mikhailovich Przhevalskii, 1839〜1888) はロシアの軍人・地理学者で、
1867〜69年にウスリー江岸を探検し、その過程で慶興(現恩徳郡)と地新墟の朝鮮人耕作地を訪問した。
『ウスリー地方旅行1867-1869』の第4章第4節が朝鮮人の記述にあてられている。
後にイザベラ・バードも指摘しているように、ロシアに移住した朝鮮人は勤勉に働いて財産を築き、評判が良
かった。また朝鮮人は近隣の満州人に比べ清潔だったようで、プルジェワルスキーはこの点も賞賛している。
> 朝鮮人家庭の日常生活では朝鮮人、すなわち彼らが自分たちを呼ぶとき使うカウリーは、とてつもなく汚い中国
> のマンジュイーと完全に対極にある勤勉と、特に清潔さによって区別される。彼らの白い衣裳それ自体が、すで
> に清潔に対する愛好を示している。
> 全般的に朝鮮人の容貌は見目良い方である。しかし体格は、特に女性の場合、均衡がとれているとは言い難い。
> 中でも最も目を引くのは、ひどく狭くて押さえつけられたような胸である。朝鮮人の顔は大部分丸く、特に女性は
> 顔が白く、男女とも髪の色は褐色である。
> 朝鮮には都市と農村を問わず、子どもたちが朝鮮語を学ぶ学校がある。それより更に才能がある者は、その上に
> 漢文まで学ぶ。漢文は中国とのあらゆる高級外交文書を作成するのに使われる言語である。
> たくましさ、礼儀正しさ、勤勉さは、私が経験して見たところによると、朝鮮人が持つ性格の特徴的な側面である。
>>66 > 「学術」って何を指すんだろうな。
主に詩文・書画・医術、当時は音楽も学問と一体だったようだ。
泰平の世となった日本では貨幣経済が発達し、朝鮮は経済力で遅れをとり始めていた。文化の面で見返そうと、一流の文人を通信使に随行させた。
日本の庶民にもわかりやすかったのは音楽で、金管の大音量に日本人は熱狂し、通信使行列の真似をして騒いだために罰せられる人も出た。ベンチャーズやビートルズのような感じか。