日本語を学ぶ外国人にも解りやすい文法理論とは何か。 独創的な日本語文法理論、あるいは修正案などなど、 よりスマートな日本語文法理論を目指して話し合いましょう。
わたしは、あなたに、かたなを、あげた あなたに、かたなを、わたしは、あげた わたしは、あなたに、あげた、かたなを かたなを、あなたに、わたしは、あげた どれでも意味が通じるので、文法を覚えても意味無いかも それと わたしは、わたしが、 あなたに、あなたへ、 これはどっちが正しいの?
が/は は機能が違う。 に/へ はこの場合どっちでもいいのでは。 私は あなたに 刀を あげた あなた(に)は 私が 刀を あげた 刀は 私が あなたに あげた
>>3 あなたは、私に、言った
あなたが、私に、言った
確かになんかニュアンスが違う気はする
翻訳ソフトを通すとどちらもYou said to me. だけど。
>>2 文法=語順だけ? まさか。その場合「-は、-に、-を」が格の役割をしているわけで。
それらを「格」と考えれば、そのまんまヨーロッパの言語みたいなもんだし。
6 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/09/13(月) 01:16:28 0
>3 助詞の「に」は外から内に、助詞の「へ」は内から外への相違は在ったらしい。
「に」には具体的な目的地や具体的な対象を指すイメージがあり、 「へ」には漠然とした目的地(というより方面)を指すイメージがあるけど、 それとも関係あるのかな? でも、これらはほとんど混用されているね。厳密な用法の差はない。 ただし、「へ」というのが使われる範囲が狭い気はする。使用頻度も「に」に くらべてずっと少ない。ということは均等な意味を持っているわけじゃない。 「あなたへもらった」という言い方はもちろんできないし。
8 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/09/13(月) 18:30:55 0
文法=語順っていう
>>2 は英語ぐらいしか知らないんだろうなあ。
9 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/09/13(月) 23:12:35 0
「京へ、筑紫に、坂東さ」
「は」は格助詞じゃない。「は」と「が」の対立は 偽の対立だ。
その理屈でいくと、「が」も格助詞では無いんじゃない? 「日本人は富士山が毎日見(ら)れる」って文も成り立つから。
>>10 そこがなかなか難しいところでね。
「が」「を」以外の格助詞は、「には」「とは」「では」「からは」等、「は」と重ねて使える。
だからそれらの場合の「は」は、明らかに格助詞ではない。
しかし、格助詞「が」「を」は、「は」と重ねて使えない。「*がは」「*をは」
「をば」という言い方はあるが、「(○○) を」に情報焦点を置く感じで、「を」+「は」の意味ではないようだ。
> 私は あなたに 刀を あげた
> 刀は 私が あなたに あげた
これらの「は」が、「には」「からは」等の「は」と同じものなのかどうかがまず問題だ。
三上章は同じものとしたうえで、「は」は「が」「を」の機能を代行できると考えた。
伝統文法はそんな「ご都合主義」は認めない立場だが、一方で、文「私はあなたに…」の「主語」は「私は」、
文「刀は私が…」の「主語」は「刀は」でなく「私が」だと言い、暗黙のうちに、「は」における「が」 (おそらく「を」も) の潜在を前提としている。
>>11 「富士山が」を要求しているのは、「見」じゃなくて「見 (ら) れ」だ。
「太郎が殺された」の「太郎が」を要求しているのが、「殺 s」でなく「殺され」なのと同じ。
元の動詞「見」「殺 s」が要求するはずの「富士山を」「太郎を」が、「(ら) れ」「a れ」によって「富士山が」「太郎が」に変えられている。
このような格の体系的転換現象を Voice (態) と言う。
>>11 > 「日本人は富士山が毎日見(ら)れる」って文も成り立つから。
日本人に富士山が毎日見られる。
日本人に富士山は毎日見られる。
「富士山」は主語だよ。
15 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/09/15(水) 00:07:12 0
だから日本語に「主語」は存在しないんだって! 「主語」ってのは印欧語文法の概念なんだから・・・
16 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/09/15(水) 00:09:38 0
日本語にあるのはあくまで「主題」。
17 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/09/15(水) 00:15:49 0
「日本人に富士山が毎日見られる。」 「日本人に富士山は毎日見られる。」 こんな文章は、印欧語からの直訳文としては 論理的にあり得るかも知れないが、 自然言語としての日本語には存在しない!
「印欧語のような主語」が存在しない、ということだろう。 日本語には述語動詞の人称変化がないし、格補語はすべて述語動詞の前に現れ、語順の自由度が高い。 しかしながら、「が」の統語上の影響力は大きく、他の格とはやはり違っている。 「ギターを弾きながら、歌を歌った」 (同じ人が) 「*太郎がギターを弾きながら、花子が歌を歌った」 「ながら」の前後で、「○○を」の「○○」は異なってもよいが、「△△が」の「△△」は同じでなければならない。
19 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/09/15(水) 07:17:44 0
「富士山が見られる」の「見られる」は"be seen"または"can be seen"に近かったんだな。 可能の「を見られる」「を見れる」は"can see"の直訳として発生した形だ。 「を見得る」ならピッタリの直訳だが、なぜが定着しなかった。
20 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/09/15(水) 10:11:27 0
>>17 >「日本人に富士山が毎日見られる。」
>「日本人に富士山は毎日見られる。」
日本人は富士山が毎日見れる。
ら抜きの方が、無意志で自然に見える語感があるな。
らを入れると、意図的に富士山を見てる語感があって不自然にオイラは感じる。
「見える」だと、
日本人に富士山は毎日見える。
かな、
日本人に富士山が毎日見える。
は違和感があるな。
21 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/09/15(水) 10:52:59 0
「彼女を見た」という意味で「彼女は見た」という表現を使えるのかなあ? やっぱり、「は」には格助詞的な機能があるんじゃないの? もしくは、格助詞の「は」と係助詞の「は」の二つが存在するとか。
>>13 もっと厳密に言えば、その場合の「が」格は、「-られ-」にかかっているんじゃないの?
てか、「太郎が殺された」は受動形だから、他の言語とも共通する普通の文じゃね?
「富士山が見られる」は「富士山を見られる」とできるが、
「太郎が殺された」は「太郎を殺された」と言い換えると、格の関係が変になってしまう。
だからその例は「同じ」では全然ない。
>>18 > 日本語には述語動詞の人称変化がないし、
そもそも日本語には人称代名詞がない、という見解もある。
少なくとも、欧米式の人称概念の適用には限界がある、と。
そうすると、敬語「が」一種の人称変化と見なせないことはない。
「それを私が見る」「それをあなた様がご覧になる」
「私どもが来た」「お客様がいらっしゃった」
同じ動作を表すはずの「見る」「来た」という動詞が、
その動作主が代わる場合に、まったく別の語に変化している。
これを人称変化と言わずして何と言うのか。
これまでは敬語と言ってきたわけだけど、敬語においては人称変化がある。
ただし、人称の構造が日本語の場合はもっと複雑になっている。
人称とはそもそも何か。
第一人称とは話し手であり、第二人称とは話し手から見て相対的な話し相手のこと。
第三人称とはそれ以外。人称「が」関係の相対性で決まることが分かる。
日本語の場合には、この関係の相対性にもっと複雑な要素が加わってくる。
人称代名詞もそれによって極めて複雑かつ微妙なものになってくる。
>>24 ()内が省略されていると考えるわけだ?
ところで
「富士山が見たい」「富士山を見たい」は意味の差を見出し難いと思うけど、
「富士山が見たい」「富士山は見たい」は明らかに意味の差があると思うんだ。
26 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/09/15(水) 12:33:01 0
>>25 「平和を守りたい」は自然だけど、「平和が守りたい」は変だね。
「酒が飲みたい」と「酒をやめたい」を比較するのもいい。
27 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/09/15(水) 13:31:49 0
>>21 かもしれない。
チベット語の ni は日本語の「は」に非常に似てるんだけど、
「彼女 ni 見た」で「彼女を見た」の強調表現にもなるよ。
でも、所謂能格言語だから、主格と目的格では格助辞がないのと、
動詞が他動詞と自動詞でくっきり分かれてるんで、ちょっと日本語とは違うんだけど。
>>25 「富士山を見たい」平叙
「富士山が見たい」限定
「富士山は見たい」強調
じゃまいか
>>22 > もっと厳密に言えば、その場合の「が」格は、「-られ-」にかかっているんじゃないの?
「られ」自体は実質的意味をもたないから、格を求めることはない。
> てか、「太郎が殺された」は受動形だから、他の言語とも共通する普通の文じゃね?
「他の言語」とは? 世界には何千という言語がある。そこに「普通」を見出すのは難しい。
> 「富士山が見られる」は「富士山を見られる」とできるが、
> 「太郎が殺された」は「太郎を殺された」と言い換えると、格の関係が変になってしまう。
可能の意味は態を使っても使わなくても表現できるが、受動の意味は態を使わなければ表現できない、ということ。
> だからその例は「同じ」では全然ない。
>>11 の文では格の転換が起こっているから、態であることは同じ。
格の転換が起こっていない、無関係な「富士山を見られる」を持ち出すのが間違い。
>>23 > 少なくとも、欧米式の人称概念の適用には限界がある、と。
日本語では、ある格だけが独占的に述語動詞の形態を支配するということはない。
> そうすると、敬語「が」一種の人称変化と見なせないことはない。
尊敬語はほぼ「が」に支配されるが、
「先生には人望がおありになる」
の場合、尊敬語「おありになる」は、「人望が」ではなく、「先生に」に支配されている。
> 「それを私が見る」「それをあなた様がご覧になる」
> 「私どもが来た」「お客様がいらっしゃった」
> 同じ動作を表すはずの「見る」「来た」という動詞が、
> その動作主が代わる場合に、まったく別の語に変化している。
「お写真を私が拝見する」「先生のところに私どもが参上した」
同じ動詞が、動作の対象・着点が変わる場合に、別の語に変化する。
謙譲語は「を」や「に」に支配される。
>>26 N-ga V-ta-i:
(1) want to V any N
(2) want to V nothing else but N
31 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/09/15(水) 17:25:43 0
>>29 > 尊敬語はほぼ「が」に支配されるが、
> 「先生には人望がおありになる」
> の場合、尊敬語「おありになる」は、「人望が」ではなく、「先生に」に支配されている。
その場合「人望」が人称詞ってことは、まさかないもんね、当然では?
動詞の尊敬形(尊敬語)は、動作主が第一人称(話者自身)ではふつう使えない。
その意味では人称の支配を受けている。
ただし、日本語の人称は多次元的で、欧米の言語などに見られるような単純明快な
人称概念では捉えられないところがある。
独自の人称概念を定義できれば、敬語も人称変化として説明できるかもしれない。
32 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/09/15(水) 20:25:54 0
>>31 無理だとおも
チベット語はサンスクリットの影響で、一応、人称が文法的に規定されてるけど、
敬語表現との関連は全くなく、日本語の敬語表現と極めて接近しているからというのが、その理由。
>>32 > チベット語はサンスクリットの影響で、一応、人称が文法的に規定されてるけど、
チベット語のことはまったく知らないので問いますが、
「規定されている」とはどういうことでしょうか?
多言語の人称概念を無理やりもってきてそれを当てはめても、
その言語の正確な人称概念にはならないと思うんですよね。
でもまあ、たしかに、 「てめーがおっしゃっていることは間違いだ」 とかいう表現が成り立つということなら、 無理っぽいけどね。
35 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/09/15(水) 22:09:53 0
>>33 >多言語の人称概念を無理やりもってきてそれを当てはめても、
>その言語の正確な人称概念にはならないと思うんですよね。
まあ、そうなんだけど。
文語の場合、サンスクリットを成る可く再現した人工語なんで、
規範文法で規定された通り訳されているという意味。
口語とはズレてますが。
サンスクリットには敬語表現がほとんどないので、
その文法規定では敬語に関する規制はありません。
なのに、人称と敬語が共起連動してないというのは、
関係ないということだと思いますが違いますか?
>>31 > その場合「人望」が人称詞ってことは、まさかないもんね、当然では?
結局、特定の格が述語動詞の形態を支配していない。尊敬語は「に」に支配されることもある。
「○○ (が)」が人間を指す場合だけ人称変化があるというのでは、範囲が狭すぎる。
たとえば英語の場合、主語が動物でも事物でも、それが 1 匹・(数えられる) 1 個で (数えられなければ必ず)
動詞の時制が現在なら、3 人称単数の形態をとる。
> 動詞の尊敬形(尊敬語)は、動作主が第一人称(話者自身)ではふつう使えない。
> その意味では人称の支配を受けている。
人称制限はあるが、格による支配が完全でないから、人称変化とはいえない。
> ただし、日本語の人称は多次元的で、欧米の言語などに見られるような単純明快な
> 人称概念では捉えられないところがある。
> 独自の人称概念を定義できれば、敬語も人称変化として説明できるかもしれない。
人称概念はないと説明する方が、欧米の言語の文法論に影響されず、単純明快。
「が」の特殊性を言いたいなら、違う証拠によるべきだろう。
>>36 完全に、印欧諸語の文法観念を基準になさっているようで。
それに当てはまらなければ、日本語には格がない、人称変化がない、人称詞もない。
ひどい場合は、まともな文法構造すらない不合理な言語だと言い出す人までいる。
>>37 > 完全に、印欧諸語の文法観念を基準になさっているようで。
いや全然。
日本語にも人称変化があるはずだとか、「太郎が殺された」はヴォイスだが「富士山が見られる」はヴォイスではないとか思い込む方こそ、印欧諸語の文法観を基準にしている。
> ひどい場合は、まともな文法構造すらない不合理な言語だと言い出す人までいる。
もちろん構造はあるけれども、文脈依存度が高く曖昧な表現が多い。
だから、日本にはカエサルやリンカーンやヒトラーやキング牧師のような演説家、扇動家が出ないのだろう。
歴史上、弁舌で多数の人を動かしたという例は、北条政子ぐらいではないか。
菅首相の「私には、夢があります」は聞いていてこっぱずかしかった。いちばん大事な時にパクリですかw
39 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/09/16(木) 02:32:35 0
>>38 > 日本語にも人称変化があるはずだとか、「太郎が殺された」はヴォイスだが「富士山が見られる」はヴォイスではないとか思い込む方こそ、印欧諸語の文法観を基準にしている。
欧米言語的な意味での「人称変化があるはずだ」とは言っていないのだから話がまったく違う。
欧米語的な人称概念はたしかにない。
欧米的な概念での「人称変化」を基準にするから「人称変化はない」などという話になるし、
英語を基準に挙げて、「「○○ (が)」が人間を指す場合だけ人称変化があるというのでは、範囲が狭すぎる」となってしまう。
40 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/09/16(木) 02:38:51 0
>>38 > もちろん構造はあるけれども、文脈依存度が高く曖昧な表現が多い。
文脈依存度が高く曖昧な表現とは具体的にどういう表現を指しているのだろうか?
> だから、日本にはカエサルやリンカーンやヒトラーやキング牧師のような演説家、扇動家が出ないのだろう。
田中角栄や小泉純一郎は違うのかなあ?
キング牧師が演説で人を動かしたというのは本当だろうか?
米国の高校にはスピーチの教科があり、そこでキング牧師の演説が定番の教材とはなるだけで、
むしろ情緒的雰囲気に訴える要素も多々あり、あれが曖昧さや文脈依存度がない演説だとは思えないのだが。
41 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/09/16(木) 06:36:36 0
敬語は今変化と混乱の最中だ。「正しい敬語」とは特定の立場から 整理し固定化しようとする努力以外の何ものでもない。新しい敬語の 体系ができあがるか敬語が崩れ去るかは今のところわからない。 もっともらしい説明をするよりも現実を観察することが大切だ。
42 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/09/16(木) 09:03:31 0
>>41 つか、正しい言葉なんてないでしょ。
妥当な通じる言葉しかない。
要は通じるか通じないか。
人間の認知機能や習性・本能などによって基本的な形式はあるだろうけど、
それ以外は単に習慣によって適当に生成されてるだけで、常に変動するし個人差・地域差があるでしょ。
>>32 チベット語がどういう文法しているか知らんけれど、隣接しているチュルク諸語とかモンゴル諸語には述語動詞に
人称語尾が付くでよ。ウラル諸語、印欧語、セム諸語、ドラヴィダ諸語にも述語動詞に人称語尾は必須だ。
南隣から影響とは言いがたい、北と東からの影響も考えられるし、ユーラシアに一般的な傾向とも言えるし。
44 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/09/16(木) 11:34:10 0
>>43 それらの言語に敬語表現があるなら、人称と敬語に共起関係はあるの?
>>39 > 欧米言語的な意味での「人称変化があるはずだ」とは言っていないのだから話がまったく違う。
> 欧米語的な人称概念はたしかにない。
日本語には人称概念自体がないと考えた方がシンプルに説明できる。
人称詞というものもなく、名詞に含まれる。
格やヴォイスは日本語にもあると考えた方が、説明がうまくいく。
当然内実は西洋語のものとは異なる。ヴォイスについては英語より日本語の方が多彩だ。
向こうで始まった学問だから用語を借りているにすぎない。
> 英語を基準に挙げて、「「○○ (が)」が人間を指す場合だけ人称変化があるというのでは、範囲が狭すぎる」となってしまう。
人間を指すかどうかは決まっていることだから、「日本語を基準とした人称変化」の範囲が広がる可能性はない。つまり使えない概念だということだ。
46 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/09/16(木) 12:06:05 0
>>42 「正しい言葉」の意識も言語学の重要な研究対象です。
現代の敬語は特に「正しい敬語」の意識とともにしか存在しないと
言ってもいい状況だ。
47 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/09/16(木) 14:15:36 0
>>35 それに対して、日本語の人称詞は、敬語と似たような社会的構造を持つんじゃないかなあ。
自分が相手に対して年上か年下かとか、先輩か後輩かとか、身内か世間かとか、公的か私的かとか、
男か女かとか、欧米のそれに比べてかなり複雑で多元的な社交上の相対関係を考慮して使い分けられる。
その関係は、敬語のそれに似ていると思うんだけどなあ。
その複雑さに日本人自身も梃摺っているところがあるので、日本人自身が敬語を苦手とするし、
人称も同様に迷うところで、なかにはその使い分けに悩む人たちもいるようだよ。
>>42 > つか、正しい言葉なんてないでしょ。
> 妥当な通じる言葉しかない。
> 要は通じるか通じないか。
まあ、哲学的に掘っていくと、私が例えば「紫」と言った色のスペクトルの認識と、
あなたの認識とがどれほど言語によって共有されているかは分からない。不確定だからね。
意味と意味との境界というのは意外と曖昧で、伝えているつもりのことがどれだけ厳密な
意味で伝わっているのか、そのへんは怪しいところがある。
厳密に科学的に分析しようとしても、おそらく確率的にしか言えないところがあるじゃないかと。
>>45 > 日本語には人称概念自体がないと考えた方がシンプルに説明できる。
つまり、「あなた」や「私」は「人称」ではないというわけ?
それはどう説明されるのかねえ。
> 人称詞というものもなく、名詞に含まれる。
英語などにいう人称代名詞も名詞に含まれることに違いない。しかし
中国語文法においては人称代名詞とは言わず、人称代詞という語を使うようだ。
> 向こうで始まった学問だから用語を借りているにすぎない。
そうかねえ。
概念まで借りてきて、その概念に合わないから人称概念そのものが成り立たないとか
即断しているように見えるけどなあ。
>>40 > 文脈依存度が高く曖昧な表現とは具体的にどういう表現を指しているのだろうか?
「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」
> 田中角栄や小泉純一郎は違うのかなあ?
田中角栄が弁舌に優れていた記憶はない。
小泉氏は、今の日本語の表現ではワン・フレーズが最も効果的だということを示した点で、優れているかもしれない。
しかし面白い取り合わせだ。田中角栄と周恩来が握手する映像からは、両者から迸り出る凄まじい迫力を感じる。
小泉氏と金正日が握手する映像からは、両者の不気味さしか伝わって来ない。
> キング牧師が演説で人を動かしたというのは本当だろうか?
> 米国の高校にはスピーチの教科があり、そこでキング牧師の演説が定番の教材とはなるだけで、
> むしろ情緒的雰囲気に訴える要素も多々あり、あれが曖昧さや文脈依存度がない演説だとは思えないのだが。
名演説は実はどれも情緒的だが、肝腎の所が曖昧なんてことは、ない。
尼将軍北条政子の演説はなかなか立派だったようだ。幼帝に実権はなく、暴れているのはあくまで上皇たち、
朝廷軍と戦っても帝に弓を引くことにはならない、神罰など恐れる必要はない、と。
実際は保身のために関東武士たちを操ったわけだが、男の大将だとあれこれ迷いが出て、目先のことだけで割り切れなかったかもしれない。
>>46 たしかにまあ、敬語を使うのを若い人たちは避ける傾向にあるし、
人称も省略されることが多いから、避けられているんでしょうけどね。
>>47 > その複雑さに日本人自身も梃摺っているところがあるので、日本人自身が敬語を苦手とするし、
> 人称も同様に迷うところで、なかにはその使い分けに悩む人たちもいるようだよ。
「なぜ日本人が日本語の敬語の運用に迷い悩むのか」について考える時、
その原因を「敬語システムの複雑さ」だけに求める事には異を唱えたい。
どんなに複雑であっても、一貫した原則に基いた完全に近いシステムならば、
人はそれを迷いなく使いこなすのだ。
敬語現象は閉じられたシステムとしての典型的な「文法」体系とはかけ離れている。
敬語的表現の選択肢の範囲はほぼ閉鎖的だが、その選択自体は言語の外側の現実を反映した
話者の判断に委ねられている。この選択に当たっての話者の判断が曲者。
現代日本人の間では、過去百数十年の社会の急激な変化を反映して、異なる価値観が競合している。
価値観の異なる者の間では、ウチとソトの区別の有無、授受表現の使い分けの数、
上下意識と平等意識、敬意と自尊心の関係、敬語と日本語自体に対する意識等々がことごとく食い違う。
敬語にまつわる誤解と喧嘩と弁明と謝罪、そして敬語離れの種もそこにある。
53 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/09/16(木) 19:57:51 0
54 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/09/16(木) 21:02:43 0
敬語教室なるものがマナー教室または就職指導として存在するのを見ても わかるように現代の敬語は価値意識や規範意識と深く結びつきすぎ ている。「標準語」教育と似てなくもないが、標準語の反対概念として 「方言」が存在するが、「敬語を正しく使う日本語」の反対概念は 何だろうか。「間違った日本語」、「汚い日本語」でしかない。
55 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/09/16(木) 21:32:39 0
>>54 むしろ「無礼な日本語」「無教養な日本語」だな。
価値や規範を否定する敬語なんてありえない。
>>49 > つまり、「あなた」や「私」は「人称」ではないというわけ?
> それはどう説明されるのかねえ。
ただ聞き手や話者を指しているというだけで、特定の格において述語動詞の形態を支配することはない。
> 英語などにいう人称代名詞も名詞に含まれることに違いない。
含まれない。形容詞によって修飾されず、You, it 以外は対格を保存している。
名詞とは文法的振る舞いが違う。
> 中国語文法においては人称代名詞とは言わず、人称代詞という語を使うようだ。
名詞と文法的に違う所があるのならよいが、ないのならそれも西洋語文法の真似にすぎず、意味がない。
> 概念まで借りてきて、その概念に合わないから人称概念そのものが成り立たないとか
> 即断しているように見えるけどなあ。
特定の格における述語動詞の形態的支配という概念からも離れるなら、もはや「人称」と呼ぶ必然性がない。
ほかの名前を与えるべきだというより、それはおそらくどのような概念にも支えられていないだろう。
58 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/09/17(金) 00:06:24 0
>>1 はバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカ
バカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカ
バカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカ
バカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカ
バカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカ
バカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカ
バカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカ
バカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカ
バカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカ
バカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカ
バカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカ
日本語の表記法に関する提案は↓のスレで
日本語新表記法提案・議論統一スレッド
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/gengo/1284521444/ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜スレ終了〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
>>1 はバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカ
バカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカ
バカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカ
バカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカ
バカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカ
バカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカ
バカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカ
バカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカ
バカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカ
バカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカ
59 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/09/17(金) 02:30:27 0
>>45 そう思う。サンスクリットの影響を受けて作られたチベット語文法の概念の方が、西洋語文法概念より日本語に合うことが多いように思う。
>>47 人称代名詞と敬語の多様性は背景に縁起的な知覚主義があると思う。
つまり、状況に応じて全てが変化してその時次第で、主体も対象も変わるといった。
それに対してサンスクリットも含む印欧語は、背景に実在論・本質主義があって、主体も対象も本質は不変であるという意識に支配されていると思う。
>>48 意味は一義的に実在すると考えるからおかしくなると思う。縁起的に過去の社会的習慣に依存しつつ、その場の状況や意識に対応しながらその時々で揺れがあると考えた方がスッキリすると思う。
>>52 そうそう縁起・多様主義と本質・実在・平等主義が混在してて、後者が優勢だから、敬語や人称代名詞のブレなどが敬遠される傾向があるように思う。
そういえば白馬非馬って日本語的にはいまいちピンとこないよね。 豚が猪じゃないのは当然だけど。
平安時代の貴族階級の日本人も敬語を苦手としたんだろうか?
63 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/09/17(金) 10:45:38 0
64 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/09/17(金) 10:49:09 0
「わたし」、「おれ」、「あなた」等は文法的に他の名詞と何も変わらない。 人称代名詞という品詞を設定する理由がない。
今の日本で敬語の苦手な人が多いのは、家庭内で敬語がほとんど使われなくなったから。 (こう言うと必ず、自分は使っていたと言う人が出て来るが、割合から見て無視してよい) つまり、敬語のネイティヴ・スピーカがいない。だれにとっても後で身につける言語で、母語ではない。 敬語とは敬 Language であり、常体の Japanese Language と大半の語彙を共有するけれども、厳密には別個の言語体系といえる。 標準語のネイティヴもいないが、小学校 1 年生からみな標準語の世界に入る。放送メディアからは絶えず標準語が聞こえて来る。だからだいたいできるようになる。 小学校では正確な敬語を使わせ、メディアでもドラマの台詞でも丁重な敬語を流すようにすれば、敬語が苦手な人はずいぶん減るだろうし、それしか方法はないと思う。 (父が娘に、私に構わず嫁ぎなさいと言う。母は早くに死んだ。娘が父に) 「前にお父様がご自分で炊いたおこげのご飯を、毎日召し上がるのよ。お困りになるの目に見えるわ」 (小津安二郎「晩春」 <1949 年> の台詞)
66 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/09/17(金) 11:45:27 0
言語というのは時代や社会の状況などによって刻々変化するから、そのぶん体系というのも不安定で曖昧だし、 異なる体系が併存していることも、実際には多々ある。 日本の社会というのは、急激な欧米化によって、二つの社会層が混合しているところがあるから、 体系もそれに応じて不安定になっているだけとも言えるのではないか。 平安時代の貴族たちは、敬語をなんの曖昧さも感じることなく、ごく自然に使っていたのかもしれない。
67 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/09/17(金) 11:55:56 0
>>56 > ただ聞き手や話者を指しているというだけで、特定の格において述語動詞の形態を支配することはない。
だからその人称代名詞の定義が、すでに欧州の格体系に基くものであって、
それがないから「人称」でないというのが、すでにあちらの定義を絶対基準にしているわけで。
人称が「格において述語動詞の形態を支配する」言語とそうでない言語があるだけの話で、
だから「人称」という概念が成り立たないということはないだろう。
名詞の中にだって普通名詞やら固有名詞やら分類もある。
英語でもpro-nounでnounという名称を使っている。
> > 中国語文法においては人称代名詞とは言わず、人称代詞という語を使うようだ。
> 名詞と文法的に違う所があるのならよいが、ないのならそれも西洋語文法の真似にすぎず、意味がない。
中国語の文法理論ではまさに、形容詞がつくかつかないかの区別から人称代名詞という言葉は使わず、
人称代詞という言い方をしているようだ。しかし「人称」という表現は使われている。
> 特定の格における述語動詞の形態的支配という概念からも離れるなら、もはや「人称」と呼ぶ必然性がない。
その定義が、欧米の言語を基準にした人称定義だと言っているわけだが。
68 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/09/17(金) 11:59:24 0
>>55 > 価値や規範を否定する敬語なんてありえない。
言語体系というのは柔軟で、話者が常に規範に従順ともかぎらん。
「無礼」な用法としての「敬語や敬称」も当然ありうる。
それによって目上の人々を風刺したり嘲笑うということもできる。
69 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/09/17(金) 12:13:48 0
>>67 あんたは日本語の人称と人称代名詞をどう定義するんだね。話はそれからだ。
>>67 > だからその人称代名詞の定義が、すでに欧州の格体系に基くものであって
述語動詞の形態を支配するのは「主格」でなくてもよい。能格言語というのもあるから。
特定の格の補語基 (「話者を含む人たち」「聞き手を含む人たち」「話者も聞き手も含まない人たちまたは非人間」のどれにも属さないものは存在しない。
さらに細かく分けることもできる。人間と非人間、生物と無生物、男と女、子供と大人…) と、
述語動詞の諸形態とに呼応が認められるなら、人称現象と呼ぶ。
西洋語はあくまで 1 つの例にすぎない。
> 名詞の中にだって普通名詞やら固有名詞やら分類もある。
> 英語でもpro-nounでnounという名称を使っている。
Common noun, proper noun, pronoun.
間にスペースがあるかないかで根本的に違う。
> 中国語の文法理論ではまさに、形容詞がつくかつかないかの区別から人称代名詞という言葉は使わず、
> 人称代詞という言い方をしているようだ。
名詞と呼ばないのは理に適っている。しかし、
> しかし「人称」という表現は使われている。
おそらく日本語文法の影響を受けた誤り。「代詞」で十分だと思う。
> その定義が、欧米の言語を基準にした人称定義だと言っているわけだが。
人称を定義しないで「人称はある」と言いつのるのは無意味。
>>23 > 人称とはそもそも何か。
> 第一人称とは話し手であり、第二人称とは話し手から見て相対的な話し相手のこと。
> 第三人称とはそれ以外。人称「が」関係の相対性で決まることが分かる。
これは全く語彙的意味による定義であって、文法にはかすってもいない。
文法現象としての人称とは無関係。
72 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/09/17(金) 13:17:50 0
>>70 能格言語という概念が西洋の格体系との対比で作り出されたものだと思うんだが。
実際、チベット語文法を西洋の言語学系の人は能格言語として記述するけど、
チベットのネイティヴ文法に能格という概念はない。
なくても機能してるというか、ずっとサンスクリット文法を当てはめた文法でやってきた。
日本語の文法も国文系のネイティヴ文法と、西洋語を基にした近代文法、それから言語学系の生成文法や認知言語学系文法などがあるけど、
これらどれかが間違っていて、一つだけが正しいわけではなく、それぞれの記述の仕方があって、それぞれの体系内である程度の妥当性があるだけだと思うんだが。
言語学系の人は唯一の正しい文法を目指しているような気がするけど、それ無理っぽ
>>72 > 能格言語という概念が西洋の格体系との対比で作り出されたものだと思うんだが。
だから何? 大事なのは事実を経済的に説明しているかどうかだけ。
だれが言い出したかは関係ない。
> 実際、チベット語文法を西洋の言語学系の人は能格言語として記述するけど、
> チベットのネイティヴ文法に能格という概念はない。
> なくても機能してるというか、ずっとサンスクリット文法を当てはめた文法でやってきた。
チベット語ができるならどちらが妥当か自分で決めよ。
> これらどれかが間違っていて、一つだけが正しいわけではなく、それぞれの記述の仕方があって、それぞれの体系内である程度の妥当性があるだけだと思うんだが。
> 言語学系の人は唯一の正しい文法を目指しているような気がするけど、それ無理っぽ
事実を説明できていなかったり、説明相互に矛盾があったり、不経済すぎたり (より簡潔な説明が容易に見つかる) すれば斥けられる。
74 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/09/17(金) 14:16:04 0
>>73 つまり、より簡潔な説明体系を求めるのが普遍妥当性を追求する科学だといいたいわけね。
それとオイラは立場が違うから、使えるもんで文の意味が分かればいいと。
分析に一生費やすのもいいが、オイラの目指すところではない。
75 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/09/17(金) 14:31:43 0
>>71 君はどうやら「文法」という語義までも欧米のそれにどっぷり漬かっているようで。
しかもそのなかのさらに狭い構造言語学系の、さらに静態論的な構造言語学に。
主体を離れた文法というのを定義する立場はあるが、それはそれで所詮その枠内での
蛸壺的経済性を追求しているにすぎないことにお気づきになったほうがいい。
76 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/09/17(金) 14:38:38 0
ていうか、「日本語に代名詞は存在しない」「代名詞という品詞は無用の長物」という見解は、 言語学者の間でそれほど共通認識になっているのだろうか。
77 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/09/17(金) 14:52:47 0
>>76 品詞分類なんて人工的な説明体系だから、存在しないというのはおかしい。
これは三上の主語も同じ事。不必要というならまだ分かる。
78 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/09/17(金) 15:06:43 0
あと、日本語の文法体系には(動詞の)「時制」がない、と主張する人もいるね。 あるのはせいぜいアスペクトだけで、時制という概念も不必要(とまで言っているかは分からないが)だとか。
79 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/09/17(金) 15:24:02 0
>>78 それ動詞の活用に自制がないだよね。
助動詞とかを入れればあるでしょ。
助動詞という、また問題の多い概念を持ってきちゃったw
>>75 > 君はどうやら「文法」という語義までも欧米のそれにどっぷり漬かっているようで。
> しかもそのなかのさらに狭い構造言語学系の、さらに静態論的な構造言語学に。
いや、
>>23 はいかなる立場の文法にもかすっていない。文を要しない定義だから。
話者、聞き手、それ以外という人や事物自体を問題にしているのか、それらを指す言語形式を問題にしているのかも定かでないから、そもそも言語にかすっていない疑いもある。
時制と時相の区別がないと言えばいいのかな。
83 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/09/17(金) 16:22:17 0
>>80 別に他の言い方でもいいよ。
言葉はただの指示記号だから、一義的に意味が決まってると思うのは
本質主義の罠w
84 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/09/17(金) 16:24:13 0
時制という概念が、いかなる現実の時間との関係も持たない純粋に記号の産物だと考えたらどうだろうか? そもそも時制は文法用語か、それも疑わしいwww
現代日本語における時制の有無の問題って、具体的には 過去の出来事を時系列順に描写するとき 過去時制マーカーと目される「た」が義務的に現れるかどうかでしょ。 (いわゆる終止形「た」の非過去の完了用法は少数の化石的な例だし) で、「日本語には時制がない」説って、 「英語仏語独語等には義務的な時制システムがある」という事を前提にしているんだよね? そこまでは前提として異論ある?
86 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/09/17(金) 17:00:46 0
>>85 自制マーカーが義務的に現れないと自制がないというのは、西洋近代語的発想じゃね
日本語は主語・主題が容易に省略できるように
>>83 で、具体的にはどんな語を指して「助動詞」とおっしゃっているんでしょうか。
国文法にいう「助動詞」? 「活用」と区別されるものとは?
しかし言語から省略を省いたら大変なことになるぞ。 少なくとも相手に辞書を渡して、私はこれから使うすべての語をこの辞書に基づいて 話していますと宣言しておく必要がある。辞書も辞書で定義になっていないことすらあるし。
>>57 増鏡にはそんなこと書いてないよ。いいかげんなこと言うもんじゃない。
91 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/09/17(金) 17:47:40 0
>>86 西洋近代語の発想というより、西洋近代語をちょっとかじった程度の人の発想かもしれない。
西洋近代語において過去時制が本当に義務的なのかはあやしい。
逆に、現代日本語の長文テクストでも過去時制と現在時制の混用は
文学的技法として特に使われる傾向がある。
基本概念の見直しが必要だね。
>>76 そんなことを気にするより、名詞と違う点があるか、自分で考えてみればよい。
三上章は、「N は P だ」が 必 ず 「P が N だ」と言い換えられるような P を「代名詞」と呼ぶことにしている。
いろいろ問題があるが面倒だから挙げない。
>>77 「考える必要がない」=「文法カテゴリとして存在しない」
言葉遊びは虚しい。
>>91 てか、時制という概念が主観的なものだってことは、西欧近代文法学も認めているんだよねえ?
それがはっきり認められていれば、日本語の時制もそれなりに時制として理解できるかもしれない。
94 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/09/17(金) 20:01:18 0
>>87 動詞の後に付いて様相などを与える言葉
あるいは国文法系で助詞・助動詞と呼ばれる言葉
きっちりした定義とか意味規定があると思ってるから大変なんで、
人工的な規則みたいなもの以外、どんなこともある程度の妥当性しかないでしょう。
95 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/09/17(金) 20:03:30 0
>>92 いやいや、定義という『メノン』以来の本質主義こそ言葉遊びなんだが
96 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/09/17(金) 20:10:04 0
>>93 じゃ、「日本語に時制はない」は西洋文法学をちょっとかじっただけの人の勘違い発言で、いいね。
白馬が馬であるなら、縞馬も馬でいいよな?
98 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/09/17(金) 20:56:40 0
ウマウマもウマでいいかな?
ユーはウマイことユーね。
100 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/09/17(金) 22:29:36 0
ウーウーウマウマ
101 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/09/17(金) 23:39:40 0
>>96 「日本語に時制はない」は私の見解ではない。
欧米のそれを基準にして「日本語に時制なし」と一概に即断するのは妥当か
と問うために、そういう見解もあったなあと示しただけ。
客観的な時間と完全に連係する時制を持っている言語はないのではないか。
(あるかもしれないけど)
だから時制なんてものはないとするのも、確かに 1 つの行き方だ。
しかしそうすると、"*It is cold yesterday." 「*きのうは寒い」がなぜおかしいのかを説明するのが、かなり難しくなる。
結局、原則的には時制があるが、一定の条件下で例外的に時制から解放されると仮定して、その条件を探っていくのが、最も経済的ということになる。
言語学はリアリストの学問なのだ。
>>95 俺があると思うからある、文句言うなとしか聞こえない。
>>101 うん、それは承知している。
ただ、念のために
>>85 でまず前提となっている知識を確かめたかった。
>>90 公と聞こゆとも、自らし給ふ事ならねば、かつは我が身の宿世をも見るばかり
>>105 政子の言葉じゃないよ。しかも演説ではない。
悪あがきはやめて降参しなさい。
東にも、いみじうあわて騒ぐ。「さるべくて身の失すべき時にこそあんなれ」と思ふ物から、
「討手の攻め来たりなん時に、はかなき様にてかばねをさらさじ、おほやけと聞ゆとも、
身づからし給ふ事ならねば、かつ我身の宿世をも見るばかり」と思ひなりて、弟の時房と
泰時といふ一男と、二人をかしらとして、雲霞のつはものをたなびかせて、都にのぼす。
107 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/09/18(土) 08:39:24 0
時制要らないよ。というか、ないほうがいい。
マレー語系は基本的に時制ないな。 朝鮮語は時制多すぎる。
109 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/09/18(土) 10:14:50 0
時制がなかったらどのように困るの?時制でどのような事象を 説明したいの?
110 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/09/18(土) 10:33:01 0
>>109 過去、現在、未来のことを言っていることが簡潔に表すことができる。
時制がなくても副詞や限定詞で表現可能だが、簡潔性が失われる。
111 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/09/18(土) 12:01:34 0
>>1 はバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカ
バカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカ
バカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカ
バカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカ
バカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカ
バカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカ
バカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカ
バカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカ
バカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカ
バカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカ
バカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカ
日本語の表記法に関する提案は↓のスレで
日本語新表記法提案・議論統一スレッド
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/gengo/1284521444/ 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜スレ終了〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
>>1 はバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカ
バカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカ
バカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカ
バカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカ
バカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカ
バカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカ
バカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカ
バカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカ
バカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカ
バカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカバカ
表記法スレ乱立させるバカがぜんぜん反省していない上にみえみえの自演で荒らしてるんだよ 統一スレにおとなしく隔離されてればいいのに 言語=文字っていう素人の勘違いはいいかげんにしてほしい
>>103 時制と時間とが違うのはもちろんだが、日本語にはその主観的な時制すらもないとする主張があるんじゃないのか?
115 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/09/18(土) 20:38:42 0
日本語に時制があると主張する人は、あらゆる言語に時制があると 言いたいの?それとも、時制がない言語もあると思ってるの? 例えば中国語では「昨日は寒かった」は「昨天冷」、「昔わたしは教員でした」は 「従前我是教員」だが、「昨天」や「従前」が時制だとしたら、時制は文法の 概念ではなくなってしまう。中国語話者にも過去現在未来のの観念があり、 それを表現し分けてるのだから、中国語にも時制がある、ということ?
116 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/09/18(土) 21:05:42 0
>>115 少なくとも現代語では時制あると理解してる人がほとんどじゃない?
日常会話でも、過去形だねとかいうし。
>>115 なるほど。語彙体系と文法体系とが区別されるものだとすればね。
区別するほうが経済的なのか?
119 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/09/18(土) 21:27:10 0
>>115 俺は後者だな。「○○語には時制がない」というのは文法形式としてそれが存在しないという意味。
別にその言語の話者にその概念がない、という意味ではない。
中国語の述語は大きく分けて動作述語と状態述語に分けることができ、
前者は「了」による完了時制があると見ていいが(この場合はアスペクトではなくテンスの完了、
そしてテクストでは日本語より省略の度合いが大きい)、
後者の大半すなわち形容詞述語とそれに準ずる可能補語、助動詞文、心理表現などの状態他動詞文
などなどは文法形式による時制表示の手段を持たない。
(これらに「了」を付けると過去の状態ではなく過去現在未来のいつかわからない変化の意味になる)
アイヌ語は時制がないだけでなく状態とその状態への変化すら文法的には表示しない。
しかしアスペクト表示の手段はある。
中国語は日本語よりは非時制的だがアイヌ語よりは時制的だと言える。
>>116 未来の予定を示す場合に「た」形の一種が使われることがあるんじゃないかな。
「明日、銀行に行った後でコンビニに寄ろうと思っているの」みたいな。
この場合、銀行に行くのは未来の予定でしょ?
そういう意味では、この「た」形は、中国語の「了」と同様に完了相しか示していない。
「何々して何々する」という場合の「て」形も同様にね。
さらに小説では、過去でも「る」形が使われることがあるらしい。
しかしながら、時制という概念が、明日、今日、昨日などと関係なく、 その文が主題とする動作からみて過去(以前)か非過去(以後)か という視点での時間だと考えるのならば、とくに問題がなくなる。
122 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/09/18(土) 23:54:22 0
>>119 語彙と文法とが完全に区別される、つまり無縁な関係にあるとすると、
たとえば、
>>103 で挙げられている"*It is cold yesterday."のような英文が
英文法上非文とされるのはなぜだろうか?
>>122 語彙で明示的に与えられる情報と
文法形態で暗示的に与えられる情報に
齟齬が生じているからじゃね?
>>115 > 例えば中国語では「昨日は寒かった」は「昨天冷」、「昔わたしは教員でした」は
> 「従前我是教員」だが、「昨天」や「従前」が時制だとしたら、時制は文法の
> 概念ではなくなってしまう。
時制は述語動詞に認められるべき文法カテゴリ。
中国語の「冷」「是」は形が変わらないから、中国語に時制はない。
>>117 > なるほど。語彙体系と文法体系とが区別されるものだとすればね。
> 区別するほうが経済的なのか?
語彙的に表される場合は辞書に任せておけばよい。文法で扱う必要はない。
>>119 > 俺は後者だな。「○○語には時制がない」というのは文法形式としてそれが存在しないという意味。
> 別にその言語の話者にその概念がない、という意味ではない。
文法形式としてなければ、すなわち時制はない。
時間の概念をもたない健全な成人は、この世にいないだろう。
言語学は概念ではなく言語表現を対象とする。概念を相手にするなら、「時制」のない言語は存在しないことになってしまう。
>>122 Is と was に語彙的意味の違いはなく、時制という文法的意味において対立している。
>>120 > 「明日、銀行に行った後でコンビニに寄ろうと思っているの」みたいな。
> この場合、銀行に行くのは未来の予定でしょ?
このような「た」については、中国語の「了」と同じような純アスペクト (Pure Aspect) とする解釈と、
主節の時を基準とする相対時制 (Relative Tense,「コンビニに寄 r」の時から見て「銀行に行っ」の時は過去) とする解釈とがある。
いずれにせよ従節にしか現れず、主節の述語の時制に対しては発言力がない。
> さらに小説では、過去でも「る」形が使われることがあるらしい。
話し言葉では使えない。
「時制がない」をデフォルトに置くより、「時制がある」をデフォルトに置いた方が、経済的な説明ができる。
126 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/09/19(日) 01:59:03 0
>>124 > Is と was に語彙的意味の違いはなく、時制という文法的意味において対立している。
それじゃあ、「いる」と「いた」も語彙の違いじゃないってことになるのか?
例えば「了」という同じ形態の字が、その統語的位置関係次第で、その意味を変えるというなら分かる話だが。
>>126 > それじゃあ、「いる」と「いた」も語彙の違いじゃないってことになるのか?
日本語の場合は英語よりはっきりしていて、語彙的な意味を表す部分は「い-」で動かさない。
時制と叙法を表す「-る」と「-た」を取り替える。
>>127 でもそれは語彙の変化とも言えるのではないか。
しかも英語の場合だと、is, are, wasなどとかなり形態に変化が生じるので、
辞書に載っけないといけなくなるはず。
たとえば、日本語の「いる」と「おる」と「いらっしゃる」のような敬語変化も
語彙的意味は同じだが、「時」制ならぬ「対人」制という文法的意味で対立しているのかな?
形態の違いが意味の違いを伴ってもいるということは、もう語彙ではないか。
まったく同じ形態が統語的な位置関係だけど意味を変えるならば、
あなたの言う意味で狭義の文法形式だと言えるだろうけどね。
中国語の「了」とか日本語の助詞「か」や「が」や「の」みたいにね。
語彙と文法、文脈や現実に対する記号学的認知とのそれぞれの境界を、
それほどはっきり線引きできるとは思えないんだけどなあ。
無闇に線引きしようとすると、かえって不自然になってこじつけ文法理論になって
しまうんじゃないかと。
文法理論が単なる規範理論ならそれはそれで経済的なんだろうけどね。
「こういうふうに定義されているからそう暗記すりゃいいんだ」的な効率性はたしかにある。
>>128 修正:統語的な位置関係だけで意味を変えるならば
>>128 > それほどはっきり線引きできるとは思えないんだけどなあ。
> 無闇に線引きしようとすると、かえって不自然になってこじつけ文法理論になって
> しまうんじゃないかと
それならもっと語彙と文法の中間的な例を出してくれないと。
連続的であるからこそ歴史的変化によって語彙の文法化が起こるのだから、
マクロに見ればそうなんだろうけど。
131 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/09/19(日) 13:19:31 0
「きのう」と「きょう」だって活用の違いだと言えるんじゃないかw 「あした」は別だが、isとareが似ていないのと同じと見なせるww
>>128 > でもそれは語彙の変化とも言えるのではないか。
日本語ではせっかく「い-」と「-る」「-た」とが分かれてるんだから、「いた」なんてものを辞書に載せるのは不経済だ。
> しかも英語の場合だと、is, are, wasなどとかなり形態に変化が生じるので、
> 辞書に載っけないといけなくなるはず。
実用上そうなっているが、語彙的意味の説明はすべて「be を見よ」だろう。
> たとえば、日本語の「いる」と「おる」と「いらっしゃる」のような敬語変化も
> 語彙的意味は同じだが、「時」制ならぬ「対人」制という文法的意味で対立しているのかな?
どんな場合でも下位者には「おる」、上位者には「いらっしゃる」を使う、外せば非文ということなら、文法的意味だといえる。
しかし実際は、褻の発話ではそんなきまりはないから、敬語は文法変化ではない。
> 形態の違いが意味の違いを伴ってもいるということは、もう語彙ではないか。
そこが屈折語の難しい所で、is と are とは確かに「違う語」なんだが、その「違い方」は
たとえば is と live の間の「違い方」と同じではない。その認識が Paradigm という概念を生み出した。
おしなべて語彙的な違いとしてしまうと、live, lives, lived, living をいちいち辞書に載せなければならなくなる。
> 文法理論が単なる規範理論ならそれはそれで経済的なんだろうけどね。
> 「こういうふうに定義されているからそう暗記すりゃいいんだ」的な効率性はたしかにある。
現象を最も経済的な線で整理するのが、どうして「規範理論」「暗記」になるのか不明。
規範文法がしばしば批判されるのは、事実の取りこぼし、説明の相互矛盾、迂遠不経済が認められるからにほかならない。
suppletion(補充法)とはパラダイムの競合または欠落により 変化形の一部に他の語根からなる形が取り入れられること。 そのプロセスは語彙的だが、いったんパラダイムを埋めるとその形は文法的に働く。 この現象は語彙と文法が常時連続的であり続ける事の証拠とは言えない。
134 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/09/19(日) 20:43:51 0
>>132 > 日本語ではせっかく「い-」と「-る」「-た」とが分かれてるんだから、「いた」なんてものを辞書に載せるのは不経済だ。
どういう意味で不経済なんだろうか。紙や印刷のコストがかかるという意味で不経済なのかw
> > しかも英語の場合だと、is, are, wasなどとかなり形態に変化が生じるので、
> > 辞書に載っけないといけなくなるはず。
> 実用上そうなっているが、語彙的意味の説明はすべて「be を見よ」だろう。
それは詭弁ではないだろうか。
例えば、ポルトガル語のsou, e', somos, sa~oだって形態も違うし、
語彙的にも同じ意味を持っていない。スペイン語やイタリア語同様に
人称代名詞なしに単独で使え、人称代名詞の意味をその語義に含ませている。
e'を除けばs-のところは同じじゃないか? 意味を共有しているところがある?
それならアマガエルとヒキガエルだってカエルという意味と形態をほぼ共有している。
辞書的には「カエルを参照せよ」だけで片付くのだろうか。
中国語の「昨天、今天、明天」だって「天を参照せよ」でいいかもしれないしね。
語彙体系が、音や字の形態の違いと意味の違いとを対応づけた区分の体系だとすれば、
sou, e', somos, sa~oはそれぞれ語彙としての資格を持っているように見える。
I, you, he, sheだって同じ語の人称変化として扱ってもよさそうに思えるが。
これらも人称代名詞であるという意味を共有している。それが活用しただけにも見える。
どんな場合でも話し手は「I」、聞き手は「you」、第三者は「he,she」が成立しているし。
ただし、欧州の言語にも敬称の二人称があり、それが残っている場合があるので、
敬称を使うかどうかは、日本語の敬語のように、話者の主観的認識が作用するだろう。
>>132 > おしなべて語彙的な違いとしてしまうと、live, lives, lived, living をいちいち辞書に載せなければならなくなる。
辞書に載っていたほうが、外国語学習者にとっては親切で、便利であり、
その意味で合理的、効率的、経済的でさえあると思うけどね。
be, is, are, was wereなどのように屈折する言語では尚更、学習者の理解を速やかにすることに役立つ。
エスペラントほどに理路整然とした活用や膠着構造を持つ言語ならば、辞書に載せる便宜性は少ない
かもしれないが、それでも接辞がついた語がどのような意味に変化したかは学習者には確定しがたい。
つまり、経済性と言っても、誰にとってどの意味で経済的かを考える必要がある。
紙や印刷コストがかかるかどうかという経済性が、文法理論の経済性を測る基準になるというのはどうかなあ。
ふと、押尾裁判の、いる? うん。 のやり取りを思い出した。 裁判長には否定されていたけど、ここの人的にはどう?
A 私にもし才能があったら B 私がもし才能があったら Bのほうは非文でしょうか?
>>134 > どういう意味で不経済なんだろうか。紙や印刷のコストがかかるという意味で不経済なのかw
説明自体が不経済。
かつてはすべて辞書に載せることは物理的に不可能だった。今の電子辞書なら可能だと私は思う。
しかし、その道を採るということは、「いた」「いれば」「いろ」などを (他の動詞についても同様に) 辞書で網羅するから文法は何も説明しない、ということを意味する。
> 例えば、ポルトガル語のsou, e', somos, sa~oだって形態も違うし、
> 語彙的にも同じ意味を持っていない。
語彙的に同じ意味をもっていないのに、「同じ動詞」の「人称変化」「活用」などとされてきたのは、誤りだったということだろうか?
> スペイン語やイタリア語同様に
> 人称代名詞なしに単独で使え、人称代名詞の意味をその語義に含ませている。
それは誤解だろう。形が人称と呼応し、人称が正しく予測されるから、人称詞が必ずしも要らないということだ。
> e'を除けばs-のところは同じじゃないか? 意味を共有しているところがある?
共有しているところがあるから、ser だけを載せて後は文法に委ねている辞書があるのではないか。
> それならアマガエルとヒキガエルだってカエルという意味と形態をほぼ共有している。
> 辞書的には「カエルを参照せよ」だけで片付くのだろうか。
アマとヒキの対立を説明できるような文法カテゴリが立てられない。辞書で扱わなければならない。
Frogs を辞書に載せる必要はない。Frog を参照せよで片付く。
言い返すんじゃなくて考えることw
> 中国語の「昨天、今天、明天」だって「天を参照せよ」でいいかもしれないしね。
アマガエルとヒキガエルの場合とおそらく同様。
> 語彙体系が、音や字の形態の違いと意味の違いとを対応づけた区分の体系だとすれば、
> sou, e', somos, sa~oはそれぞれ語彙としての資格を持っているように見える。
もちろんもっている。しかし、語彙の海を泳がせておいては、経済的な説明はできない。
> I, you, he, sheだって同じ語の人称変化として扱ってもよさそうに思えるが。
指している対象が異なるから全くダメ。
>>135 > 辞書に載っていたほうが、外国語学習者にとっては親切で、便利であり、
> その意味で合理的、効率的、経済的でさえあると思うけどね。
> be, is, are, was wereなどのように屈折する言語では尚更、学習者の理解を速やかにすることに役立つ。
等しく語彙的な違いと見なすのなら、実際にすべて辞書に載せるだけでなく、パラダイム (活用表・変化表) を廃止しなければならない。
「そんなことを言ったおぼえはない」と言うなら、等しく語彙的な違いとは見ていないことになる。
語彙的意味と文法的意味とを区別しないと、パラダイムが作れない。
まぁ英語なら大したことだはない。実行可能な範囲ではあるな。
「だは」じゃなく「では」
>>137 B は基本的に非文だけど、口語ではまれに出てくる可能性はある。
思考順序的に「わたしが」が想わず口をついて出てくる可能性はあるし、
それでもA の意味で言ったのだということはまあ理解できるからね。
あるいは「私が、もし才能があったら、やってみたいです。」みたいな文なら、
「私がやってみたいです。」に条件文「もし才能があったら」が挿入されてるだけで
こちらは問題ないね(ただし、これもやはり口語的な語順)。
上に出ていた英語のbeの例だが、
現在時制のam, are, isのうち、amとisは同じ語幹√es(eは曖昧母音)に
人称語尾-miと-tiがついた形*esmiと*estiが音変化を起こした結果の形で、
この二つに関しては互いに補充法の関係にはない。
amとisは同根の「不規則変化」で、いわばhaveとhasの対立と同じ関係にある。
areはというと元をただせば北ゲルマン語からの借用で、語根を異にする。
さて、am, are, isとこうして並べてみて、
このうちam, isを一つの語彙、areを別の一つの語彙として認識すること
(結果として辞書に二つの項目に立てることにもなる)に
いったいどれだけの意味があるだろう。
語根別に語彙項目を立てるならば、beは3〜4個の語彙項目を立てなければならない。
goとwentも二つの語彙になるのか。以下
>>133
>>137 「もし才能があったら」を挿入句と見るか、
「私が」を誰か他の人と対比した「が」の対比用法と見る文脈ならば
偶発的に記録された非文と見る必要はない。
typoって非文なの?
147 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/09/20(月) 06:42:09 0
このように非文をたくさん作り出すから、規範文法は問題があると思う つまり、こうでなくては文ではないと規定してしまう。 文法はそんなものでなくて、流通している言葉の合理的説明体系であることを超えてはならない。 言い換えると流通している言葉を非文というような文法がおかしい。 同様に使われている言葉、特に流行語などを「間違っている」という学者がよくいるけど、その学者の解釈や、言葉に対する基本姿勢が間違っているだけこと。
148 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/09/20(月) 12:06:26 0
まあ文か非文かは声のでかい方が勝ち、負けたほうがバカ、みたいなとこあるからねえ
>>147 理論に反する事実が見付かったときに、その事実を異常だと見なすのではなく、
理論を修正することが、科学というか自然科学の鉄則ですからね。
>>142 「その事実を異常だと見なす」「その事実が異常だと見なす」の相違と同じということかな。
しかし、「その事実が異常だと見做す」のほうは、「見做す」の主格がまさか「その事実が」
ではないはずだから、格助詞ではないのかな。
>>143 > areはというと元をただせば北ゲルマン語からの借用で、語根を異にする。
そうなんだよ。別系統の語が交じっている。
だから語源的意味でも、それが同じ語根を持って活用しているとは言い難い。
ドイツ語のbin, sind, bist, seid, ist, sindもちゃんと辞書に載っていたはず。
こうした屈折語の例外を見ても分かるように、
文法体系と語彙体系とを潔癖にはっきりと区別する必然性があるとは思えない。
> goとwentも二つの語彙になるのか。以下
>>133 実際、英英辞書にも二つの単語が載っているんじゃないか?
goだけ載っけて、goの形からwentという形を読者に勝手に推測してくれってのも、
どうかと思うがね。
すでに語彙体系を身に付けている母国語話者なら別だが、そういう人には辞書は入らないはずだし。
>>147 なんか、理論自体がエレガントさにこだわって自己完結的な経済性を求めてしまったら本末転倒ですからね。
事実を説明することをあくまでも優先しなきゃならない。
理論のエレガントさ、理論内部での経済性がいくら損なわれようともね。
>>149 「その事実を異常だと見なす」は「『その事実』を『異常だ』と『見なす』」
「その事実が異常だと見なす」は「『その事実が異常だ』と『見なす』」
じゃないかな。後者も「が」も格助詞だけど、文章全体のそれではなくて。
母語話者全員が隅々まで同じ文法をもってるわけじゃない。 ただ違いは微細なので、意思疎通に支障を来たすことはほとんどない。 「ある」は「が」を 2 つとれると思う話者と、それはできないと思う話者がいる。
>>150 いったん活用に取り入れられると、特定の人称と数に縛られ、
独立して使われる事はなく、異根でも同根と同じように振舞う。
その時点でもう「別の単語」ではないのだ。
なんでその理屈がわからないかなあ。
語彙が文法化することがあるからと言って 語彙と文法に境界は存在しないと言うのは、暴論。
スレタイに即して議論しようよ。
私自身の文法によれば、「見なす」には「を」が必要で、「?その事実が異常だと見なす」とは言わない。 「思う」の場合は複雑だ。 「その事実 {が/を} 異常だと思う」 「その事実 {が/?を} 知られていなかったと思う」
国会議員がインタビューで 「国民の皆様が、支持していただいて…」 のような言い方をよくするのが耳障り。 「くださる」を忘れて何でも「いただく」を使う、 「いただく」さえ使えば敬語だと思っている、 思いついた名詞句にとりあえず「が」を付け、そのあとの辻褄合わせすら頭にない。 そういうのは議員に限ったことではないが、本当に頭が悪そうなのでやめてほしい。
159 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/09/21(火) 13:05:42 0
160 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/09/21(火) 13:14:08 0
つか記述なんてすみっこでこそこそやるもので、 規範の方が需要が圧倒的に多く歓迎されるし有意義なんだよ 教育受けたインテリには母語のアホな現象の記述なんて 自分いじめのマゾ行為でしかない
161 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/09/21(火) 13:27:42 0
>>160 まあ、図式化できて単純で便利だろうけど、
それしか許されないみたいに考えるのは有害でしょ。
162 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/09/21(火) 13:42:14 0
>>158 「くださる」より「いただく」のほうが敬語的に上位にあるようなイメージを持っていたけど、
規範文法的には間違いなのかな?
163 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/09/21(火) 13:44:10 0
>>162 それ以前に動作主と話者の関係が違うでしょ
164 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/09/21(火) 14:44:57 0
視点が違うだけでしょう。 「これ、もらっていい?」と「これ、くれる?」を比較したら、 受身の視点で表現した前者のほうが丁寧で嫌味がなく感じるんだけど。
「それを私に恵んで下さいますか」「それを私に恵んでいただけますか」を比較すると、 やはり後者のほうが差し障りがなく、丁寧に感じるけど、気のせいかな。
167 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/09/21(火) 15:30:29 0
だから、「してもらう」のほうが「してくれる」よりも丁寧な語感がある (敬意を感じる)んじゃないかって、そういうイメージを私が持っていたんだけど、 と書いているだけじゃん。 皆さんはどう?って話だし、規範文法的にはどう解釈されるのって質問をしただけ。 誰かさんみたいに、それを規範や法律のごとく振り翳して裁断しているわけじゃないじゃん。
168 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/09/21(火) 15:48:05 0
「くださる」は「くれる」の尊敬語で、「いただく」は「もらう」の謙譲語、ということに いちおうなってるんだけど、日常的に使っていない者にとっては「わたしは敬語で 話していますよ」というシグナルとしてどっちでも同じなんだろう。
だから、「してもらう」と「してくれる」では別のことを言っているので、
どちらが丁寧とか上位/下位とかはない。
>>158 の「○○が、〜していただいて…」は辻褄が合わないってこと。
>>163 のとおり。
>>168 > 「くださる」は「くれる」の尊敬語で、「いただく」は「もらう」の謙譲語、ということに
> いちおうなってるんだけど、日常的に使っていない者にとっては「わたしは敬語で
> 話していますよ」というシグナルとしてどっちでも同じなんだろう。
ええ、どっちの視点に立って行動を言い表すかで尊敬か謙遜が入れ替わるだけで、
ともに敬語である点はもちろん同じです。
ただし、その敬語のなかでも、微妙に違いがあるんじゃないかという印象が私にはありますけどね。
「私にそれをしてくれますか」と「私にそれをしてもらえますか」とではすでにニュアンスが違う。
>>169 規範文法的にはそうかもしれないけど、「敬意表現」=「規範文法にいう狭義の敬語」とは限らないんだよ。
規範文法が言語のすべてを説明できているわけじゃない。だから「けしからん」という彼らは腹を立ててばっかしww
訂正:「けしからん」と腹を立ててばっかし
>>170 敬意表現に色々あるにしても、敬われる人と異なる方式を使っても通じないよ。
>>159 そういう人と話すのって骨が折れるよね。
普通の文なのに意味判らないとかっていきなり怒り出したりするし
(笑)とw一文字、どっちが嫌味に感じるかみたいな話にしか思えないなあ。 敬語ってTPOであって絶対的な意義なんてないんじゃないかな?
>>170 >「私にそれをしてくれますか」と「私にそれをしてもらえますか」とではすでにニュアンスが違う。
「私がそれをしてくれますか」と「私がそれをしてもらえますか」ではどう?
176 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/09/21(火) 17:28:26 0
>>165 その二つの文に、「誰が」にあたる部分を補ってみてくださいな。
「主語」をガ格で示せ、っていう意味にとってくれていい。
規範だ記述だっていう話は、それとは別の次元。
177 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/09/21(火) 17:35:16 0
>>176 規範文法的には、「私にそれをしてもらえますか」という文は非文になるのかな。
「*あなたが私にそれをしてもらえますか」
「*私が私にそれをしてもらえますか」
178 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/09/21(火) 17:39:32 0
>>177 客が店員に対するような格下げされた敬語なら可。
店員が使ったらアウト。
おたくのぼっちゃんは活発なお子さんでいらっしゃる あんたの息子はちょろちょろ煩い餓鬼でいやがる そもそも同じ意味なんだろうかこれ。 っていうか同じ意味になんてできるのか?
あう
>>178 「私にそれをしてくれますか」なら、店員が客に対して使えるってこと? まさか。
やっぱり部分否定を対偶の意味に取る人って居るよね。
>>159 「『N が P』と V」のような引用節の中の「が」を、「N を『P』と V」のように「を」にして
節の外に出せるかどうかは、「主語の繰り上げ」と言って、生成文法の有名なテーマだよ。
>>158 「ていただく」がヴォイスの 1 形式なら (伝統的)、「支持し」の動作主は「皆様に」と「に」で示される。
ヴォイスの形式でないなら (新しい文法)、「皆様が支持して (私が) いただく」となる。
>>182 日本語は論理に弱いからね。
論理に弱いんじゃなくて、そういう表現があるんじゃないのかな? 言わなくても良いことをあえて言っている場合は裏の意味を取れみたいな。
このハシ渡るべからず。 仮に橋ではなく端の意味だったとしても、真ん中なら良いなんて一言も言ってない訳なんだよな。
187 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/09/21(火) 19:56:58 0
>>184 それは無理だろう。「みんなが支持して(わたしが)もらう」というような文は
今のところないんじゃないかな。
「くれる⇔くださる」、「もらう⇔いただく」の規則的交替がもう失われつつ
あるのだろう。
188 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/09/21(火) 20:02:54 0
>>173 多少、言葉は崩れてても状況や文脈から分かるものなのに、文・文法だけに意味を観ようとすると危ういですよね。
189 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/09/21(火) 21:40:07 0
>>162 >>165 みたいな感覚が生じているという事は、
くださる⇔いただく
↑ ↑
↓ ↓
くれる ⇔もらう
という対立関係の一角が崩れつつあること、
「敬意の序列」に関して新しく生じた意識のために格と論理性を
無視するのが普通になっている事がわかる。
これと似た事は「よろしかったでしょうか」にもある。
「よろしいでしょうか」よりも丁寧に感じるという意見が若い世代によくあるのだ。
よろしいですかとよろしかったですかの違いじゃないの?
191 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/09/21(火) 22:05:04 0
「そちらでお待ちしてもらってもよろしかったでしょうか?」
事前承認より事後承諾の方がご丁寧にどうもって話なんじゃないの?
わずかな例だ。2chでも相手にしてもらえない。
「○○が V て (私が) もらう」という構文は、○○が非特定、または節全体が事実を述べていない場合に、急速に広まりつつある。 探し方によってはかなりの例を集めることができるが、教えない。
そもそも、下す 上げる って関係じゃない? 頂く 戴せる
197 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/09/21(火) 23:38:48 0
>>189 もともとその「格」があやしいんですよ。
欧米的な文法学にいう「格」をそのままもってくるから、
日本語はその理屈で説明できない言語=論理性のない言語と
解釈する以外にない。
それでも「が」は格助詞以外に考えられないと言い張る人がいる。
>>195 ハ、ハ、ハ、ファビョってやんの、バカめ。
使えないものを証拠として出すのが悪いのだ。
貰うはギブ&テイクに近くて、アップダウンとは関係ない概念なのかな?
うpの概念的にはみつぐになるんだろうか?
201 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/09/22(水) 07:40:58 0
"give"に相当する言葉として「やる」と「くれる」の二通りがあるのも 事情を複雑にしている。さらに、「やる」は尊大すぎるとして「あげる」に 取って代わられようとしている。「あげる」の尊敬語が「くださる」だから 古い人は戸惑うだろう。しかも、「くださる」は形では尊敬語だが、貰うのが 聞き手と聞き手側の人間に限られるという謙譲語的性格を持っている。 「くださる」と「いただく」が混同されても宜なるかな。
「くださる」は「くれる」の尊敬語であって、「やる」の尊敬語 (「お与えになる」としか言えない) ではない。
ふと気がつくと、新しい言い方が蔓延して、止まらなくなっているものだ。その時まで
>>198 は、「わずかな例だ」「相手にしない」「証拠にならない」と言い続けるのだろう。
You'd better start swimming before you sink like a stone, for the times, they are a-changing.
「*をが」「*にが」などと言えないし、「豚を食べた」と「豚が食べた」、「太郎に会う」と「太郎が会う」はそれぞれ表す事態が違う。だから「が」を格助詞と呼んでいるのだ。 「格 (Case)」も西洋から来た概念だが、屈折語より膠着語の方が、一般に格の表現は豊かだ。
204 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/09/22(水) 14:46:09 0
>>203 >「格 (Case)」も西洋から来た概念だが、屈折語より膠着語の方が、一般に格の表現は豊かだ。
そうかな、サンスクリットとやロシア語は格の表現が豊かなんじゃないか?
どのようなことを豊かといっているのか分からないが。
いただくって山盛りのてっぺんをつまむ感覚でいいの?
>>202 >使えないものを証拠として出すのが悪いのだ。
やる というと、追いやる とか 遣いをやる とかなんか飛ばされるイメージだなあ。 追わす 追わせる 遣わす 遣わせる だとどう違うんだろ?
山盛りをいただいて残りはおすそわけっていうのってどこの風習だったんだろ?
>>189 「尖閣諸島なんかくれてやれよ」という表現はどうなるの?
upload 揚げる download 落とす
>>204 サンスクリットは 8 格、ロシア語は 6 格だったかな?
フィン語は 10 数格あるはず。
>>206 十分使える。氷山の一角だということに気づけば。
活用形態別に日本語を仕分けして、その語彙だけを使って会話することって可能だろうか?
213 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/09/22(水) 19:44:19 0
>>202 なぜ「おやりになる」が思いつかないのかなあ。その程度の母語能力で
よく言語学に書き込む気になったものだね。
「与える」が「やる」と「くれる」に分化し、「与える」の尊敬語が「くださる」だから、
「くださる」は「やる」と「くれる」の双方の尊敬語が「くださる」なんだよ。ここまで
はわかったかな?
214 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/09/22(水) 20:16:12 0
>>212 例えばどういうこと?
活用も音素に還元すれば、かなりすっきりしますよね?
>>213 8る と 9れる ってなんか意味あるかな?
>>213 > なぜ「おやりになる」が思いつかないのかなあ。
人間相手にそれは古臭すぎるだろう。
「{(植木に) 水を/(動物に) えさを} おやりになる」なら OK だが。
> 「与える」が「やる」と「くれる」に分化し、「与える」の尊敬語が「くださる」だから
「与ふ」の尊敬語は「給ふ」。
「くださる」は、「やる」「くれる」に分かれた後の、「くれる」の尊敬語。
あ(自分)た(他)え(へ) でいいの?
218 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/09/22(水) 23:17:37 0
「くださる」は「下賜する」の意味の「くだす」に尊敬の「る」が付いたもので、 まさに「お与えになる」に等しい。しかし、敬語が第三者への敬意表現の 機能を次第に失い、聞き手への敬意表現に収斂されていくにつれて 「くださる」は「くれる」の尊敬表現となってきた。ここでは世代の違いも 考慮しなければならない。
たく3の6を8るのと9だすのってどう違うの?
220 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/09/23(木) 06:43:08 0
>>218 .>敬語が第三者への敬意表現の機能を次第に失い
じゃないな。人と人との上下関係を表すのが敬語本来の
機能だ。
>>218 > 「くださる」は「下賜する」の意味の「くだす」に尊敬の「る」が付いたもので、
> まさに「お与えになる」に等しい。
等しくない。話者自身または話者に近い人物に対して上位者が与える場合に限り「くださる」と言う。
この場合「お与えになる」は使いにくい。「先生が {私/うちの子} にそれを {くださった/?お与えになった}」
古風な「おやりになる」はさらにおかしい。「*先生が {私/うちの子} にそれをおやりになった」
>>221 同等の者の間の譲渡でも「くださる」は使いますよ。
「上位者が与える場合に限り」まぜんよ。敬語の
歴史的変化や世代の相違を考慮に入れなさい。
入れなさいの敬語ってなんだっけ?
>>222 > 同等の者の間の譲渡でも「くださる」は使いますよ。
それは、疎遠な同等者が、互いに相手を上位と見なしておくストラテジー。
225 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/09/23(木) 11:42:33 0
226 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/09/23(木) 11:48:09 0
>>225 儒教文化の基本構造、共通認識でしょ。
それが西洋の平等思想で失われつつあるから、君みたいに思うわけだ。
どちらもただの社会習慣であることには変わりがないが、
言葉はその習慣に基づいて生成されるものだから仕方がない。
結局漢字由来であって、日本語の本質ではないな。
228 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/09/23(木) 12:00:48 0
>>177 「*あなたが私にそれをしてもらえますか」
↑この文、何かへん!
「あなたが私にそれをしてくれますか」
ではないの?
あなたに私はそれをしてもらえますか?
230 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/09/23(木) 12:11:25 0
>>227 何語にもそういう意味での本質はないでしょう。
習慣があって核となる癖のような意味での本質しかないとおも。
オイラが知る中で最も非流動的な言葉はパーニニ文法によって
かなり固定化されたサンスクリット(人工文語)だけど、
これでさえ変化してるし
>>230 それを抜いたら日本語を言えなくなる要素が本質でしょ?
232 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/09/23(木) 12:29:04 0
>>231 だから、それは歴史的社会習慣によって癖となってるようなものであって、
流動的で、変化すると思うよ。
たまたま初期値としての習慣に左右されて形成されたようなものを本質と呼ぶなら、ありかもしれないけど。
固定的で不変の本質を追究するようなソクラテス的本質主義は必ず失敗するとおも。
"正しい敬語"を教えようとして必死なヤツがいるな。
儒教は平安時代にはもう伝わっていたが、優勢ではなかった。他方、日本語の敬語は平安時代には完成されていた。敬語と儒教とは関係がない。そもそも中国語には敬語がない。
235 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/09/23(木) 15:19:59 0
>>234 『日本書紀』の応神天皇の御代に伝来したというのは、決定的ではないにしろ、
冠位十二階をみれば儒教の影響は明白で、少なくとも奈良時代には影響があったことは確実。
儒教が、少なくとも日本の上下関係に煩い社会制度・習慣としての影響は大だと思うけど。
もちろん、それが直接、日本語の形成にどれほど寄与したから分からないけど。
シナ語に敬語はなくても、身分によって使う言葉文字が違うでしょう。そして上から下す、下から上げるみたいな言葉使いは明らかにあると思うけど。
>>232 初期値がわからなきゃ文法もなにもあったもんじゃない。
祖形が分離できてはじめてバリエーションがわかるってもの。
やますそと書いて36と読む 2ふろくだの4よろくだのってなんかの分け前?
>>235 > 冠位十二階をみれば儒教の影響は明白で、少なくとも奈良時代には影響があったことは確実。
奈良時代の方があったかもしれないが、平安時代にはほぼ廃れた。
> 儒教が、少なくとも日本の上下関係に煩い社会制度・習慣としての影響は大だと思うけど。
それは主に江戸時代以降だ。
> シナ語に敬語はなくても、身分によって使う言葉文字が違うでしょう。そして上から下す、下から上げるみたいな言葉使いは明らかにあると思うけど。
そういうのはたぶんすべての言語にある。
体系化された敬語をもっているということは、言葉遣いで体制への恭順をいちいち表明するということだから
裏返していえば、身分に差のある人同士が直接話す機会がそこそこあったということではないかな。
そもそも通じなきゃ別言語じゃないの?
相手に通じる言葉を使うのが、一番の敬語だよね。
>>241 通じないのは相手の言葉を使いこなせてないだけ。つまり間違っているんだよ。
>>242 青森人(=蝦夷)と鹿児島人(=熊襲)のどっちが間違ってるの?
>>243 相手の言葉で話したほうが正しければ通じるし、間違っていれば通じないだけ。
245 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/09/23(木) 19:55:08 0
>>242 いやいや、チベット語だと、敬語をふんだんに使う中央地方と、
ほとんど使わない東部地方の人が話す場合、
発音の問題をクリアしても、東部地方の人が話す言葉は中央地方の人に分かっても、
中央地方の人が敬語を用いて話した場合、通じない。
これは高い教養を持つ人でもである。
>>245 その言葉に込められた意味を間違えていたり、知らないから通じないだけじゃないの?
こんにちでは、儒教=権威主義、敬語厨=権威主義者 ということで理解されます。
たとえば別言語を使う支配層があって、それに影響されて規則変化したものが敬語だとすれば、 原型しか知らない人に通じないのは当たり前じゃないかな?
249 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/09/23(木) 20:59:18 0
251 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/09/23(木) 21:32:12 0
>>250 >240 だけがメタで使ってるだけで、文脈的には通じると思うけど
>>251 相手の文脈を追わなければならないものが敬語と呼べるのだろうか?
253 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/09/23(木) 22:22:49 0
>>252 へいへいへーい!
敬語はトピックになってるけど、敬語使って話してる人はいないでしょ。
何故敬語を使うのかと言えば、相手が聞いてくれないと困るから。 エライ人みたいに相手の代わりがいくらでもいれば使う必要がない。
言語学板最低最悪のスレだなあ。ま、厨は二、三人だろうけど。
>>255 みたいな人って、なにを根拠に誹謗しているんだろう?
もしかして、これが「自己紹介」という奴?
日本語の敬語も、欧州の言葉の複雑な人称変化や格変化みたいなもので、煩雑なんだよね。 学ぼうとする側にとってはウザい。 しかも、社会構造が昔とは大幅に変わった現代。敬語は時代遅れの遺物になりつつある。 接客マナー上の表現として欠かせないのかもしれないが、「ですます」表現で十分じゃないかと。
258 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/09/24(金) 16:39:04 0
>>257 たぶん、西洋の平等思想が社会の基盤となっている現在、それでいいと思うんだけど、容易に二つの難点、問題点が浮かぶんですね。
一つは、接客業などが敬語を用いることで、用いられない時にムッとする人がでてくること。
謂わば、慢心者、やくざ的人格への対応ですね。これ現在、結構多いと思うんですよ。
もう一つは、渡辺実さんがいうような客体重視文化の退廃。
これは平等思想が流行しているから当然のことと言えば、それまでなんですが、
それでいいのかという感情的な問題ですね。
文明社会で、家族以上の上下関係というのは後からの付け足しで、 言語が成立したときには存在しなかったんじゃないの?
でも、「父上・母上」の家族もあるからねえ。
父上・母上・兄上・姉上の論理がそのまま家族外の集団や世代にも拡張されて、 先輩・後輩、さらに上司・部下の関係に投影されていまだに残っているという見方も。 そうだとすると、時系列的にはこの上下関係は家族関係に初まっていたことになる。
昔、高校生の間で強調表現が流行っただろ? とても -> 超 -> 超ベリー みたく。 そして消滅した。 敬語も、それが当たり前になると感覚が麻痺して、より強力な敬語表現を使うようになって だんだん慇懃でいやみったらしく聞こえるようになり、そしてその敬語は使えなくなる。 日本人はそれを延々と繰り返しているんだ。
「おまえ」や「きさま」が敬称だったのに蔑称になったように?
童謡のさっちゃん、 何故自分のことを三人称で言ったらおかしいんだろう? 誰か説明できる?
>>258 平等思想はちっとも基盤になんてなってないし、それでよくもない
そこで
>>52 > 現代日本人の間では、過去百数十年の社会の急激な変化を反映して、異なる価値観が競合している。
> 価値観の異なる者の間では、ウチとソトの区別の有無、授受表現の使い分けの数、
> 上下意識と平等意識、敬意と自尊心の関係、敬語と日本語自体に対する意識等々がことごとく食い違う。
> 敬語にまつわる誤解と喧嘩と弁明と謝罪、そして敬語離れの種もそこにある。
>>261 家族関係だとすれば、結局
>>254 の話につきるんじゃないの?
まあ女子供なら泣けば済む。
>>228 >
>>177 「*あなたが私にそれをしてもらえますか」
> ↑この文、何かへん!
「あなたが私にそれをして (私が) もらえる」と解釈すれば無理ではない。
ただし、「もらえ」の主格が「私が」であると文脈上明らかで、省略できなければならない。
>>268 飛躍しすぎ、意味不明。
個人差は地方差ではない。
州同士も競争だから、自ずと差が出て来る。個人が自分に合うと思う所に住めばよい。能力のある人の奪い合いになる。 日本人である以上移動は自由だ。
っていうか、それを律令制の最初でやったから今の日本があるんじゃないか?
律令制は権力を皇室に集中しようとしたが、しだいに骨抜きにされ、戦国時代には消滅した。 江戸幕藩体制は一種の独立国家群で、争いを幕府が力で抑え込んでいた。人の移住は基本的に認められていなかった。 日本の歴史に連邦制はない。初めての試みになる。
なにその皇国史観 アガタってなにさ?旧国名ってなにさ?
同じ学校でも クリスチャンで男言葉タメ口の平等思想家のツンデレ眼鏡っ子と 茶道部華道部かけもちで敬語を過剰に使うヤンデレ妹キャラがいる これと地方分権と何の関係があるんだ?
>>273 > アガタってなにさ?
律令制で要らなくなった。
> 旧国名ってなにさ?
現在でも使っていけなくはないらしい。今でも律令制?w
>>274 大人になってもそのままの言葉遣いで通せる地方があったら、面白いだろう?
突然過疎るようになったな。なんだったんだ。
てす
組織的な書込みだったっぽいな。
どの辺が? 敬語論議に飽きただけじゃないの?
>>275 個人差を地方差にすりかえるな、お国厨め
「お国厨」の増加は分権化への準備。 言葉の個人差を大幅に認める地方は今までなかった。どこでも成人になれば、少なくともハレの場では同じような話し方が求められてきた。 本当は言葉と人格とはあまり関係がない。どういう人かはやっていることを見ればわかる。 個人差を嫌う地域と寛容な地域との競争が見たい。
お国厨は自室を一歩も出ないで地方叩きで憂さ晴らしする引きこもり。 そんなクズ、どこの地方にもいるよ。 クズも個性だって?そりゃそうだwだから何?クズくん。
> お国厨は自室を一歩も出ないで地方叩きで憂さ晴らしする引きこもり。 何でわかるんだ? 君自身がそうなんだなw
方言板や日本史板に行けばいやというほどわかるよ
「お国厨」の私生活なんてわからない。
>>283 は本人証言w
287 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/01(金) 19:16:47 0
それはかまわないけど、敬語の個人差の話はどうなったの? 性差や世代差や階層の差を地方差に矮小化することには俺も反対。
だからここでは敬語なんか使わなくていいという州が出来たら全部吹っ飛ぶ。 外国人も呼び易い。耐えられんという人は出て行けばいい。
289 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/02(土) 06:39:13 0
日本に道州制は導入されないし、されてもそんな州はできない。 実現もしない事を空想で語るだけなら好きなだけ表記法提案でもしてろ。 ここじゃなくてよそのスレでな。
実現させるための対立軸の 1 つとして言っている。 違いを求めないなら道州は要らないが、今のままの集権的無競争では必ず日本全体が没落する。 州によって法律さえ違ってもよい (憲法に反しなければ。今でも条例は違う) のだから、敬語のない州があっても何らおかしくない (使ったからといって間違いではない)。 日本国としては、憲法、公安 (州警察の上位に連邦警察を置く)、外交・国防、オリンピックやワールドカップのようなイベントだけを共有する。
292 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/02(土) 12:37:59 0
道州制の議論がしたければ政治系かニュース系の板でやれ 興味もないくせに無理に敬語と絡めるな 敬語や言葉遣いの中身に一切触れていないのが興味のない証拠 完全に板違い
結局、敬語云々の話は、道州制を広めるための手段に過ぎなかったわけだ。 もっと皮を剥いていけば、道州制よりも、さらにその先があるのは当然だろう。 突き詰めれば、君の目的は世界を自分色に染めることだから。 そしてそのために。僕たちを利用するためにここへ来ているのだ。 おまけに日本人には有害な政治的主張をする人がスレ張り付いているとなれば 文法のまともな議論が出来やしない。まったく迷惑な話だよ。 自覚してないかもしれないけど、これほど根本的に来る目的が違っているのだから、君の発言はものすごく浮いているんだよ。 だから何を言っても、すぐに誰なのか分かってしまう。 無駄だから、さっさとお帰り。
294 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/02(土) 16:00:01 0
けいおん!!
295 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/02(土) 16:09:41 0
個人差を問題にするのは主に社会言語学のテーマで、文法論とはあまり関係がない。 そっちこそスレ違い。
297 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/02(土) 19:07:20 0
文法体系の個人差を認めず単一のモデルしか存在しないという 非現実的で時代遅れの文法論こそ笑止。 敬語は変化の過程上にあるという認識が このスレの授受動詞に関するやりとりではできつつあった。 最小で新旧二つの体系を認めればいいだけの事。スレ違いではない。
> 最小で新旧二つの体系を認めればいいだけの事。 それは個人差というような細かい問題ではない。 古い文法から新しい文法への移行なのか、意味の違いが生じて新旧共存することになるのか、 それとも新表現は一時期の揺れとして消え去るのかという、文法体系史の問題だ。 旧表現はもちろんのこと、新表現にも既に無数の話者がおり、ともに個人のレベルを超えている。 「個人差」と言ったとたんにスレ違いになるものと見てよい。
299 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/02(土) 23:50:46 0
お前らけいおん無視すんな
> 突き詰めれば、君の目的は世界を自分色に染めることだから。 ああ、それを迷惑と思う人が多いから日本は行き詰まるんだな。 それ以外に人生の目的なんてないだろ。 学問はその最たるものだ。自分が発見した新事実を世界に知らせ、共有するのだから。 もちろん、何億人もの世界を自分色に染められるのは、キリストや仏陀のような人だけだろう。 しかし、身近な世界さえ自分色に染められないのは、要するに魅力がないからだ。 「私色の世界はなかなかいいと思う。私について来れば、こんな面白いことがあるよ」と伝えなければ (伝え方はいろいろあるだろうけど) 親密な他者は得られない。 最近は、周囲にあれこれ求めるばかりで、「で、あなたとつき合うと、私にどんないいことがあるの?」と 聞き返したくなる人が本当に多い。
301 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/03(日) 00:24:25 0
>>300 何十行書いてもここで文法の話をしないお前はただのマヌケ
とりあえず敬語でも抜き出してみようじゃないか、軽音ではなく。
>>197 西欧の言語に特化した文法用語ではなくて、もっと初歩的で、汎用的な用語で説明してみるべきだろう。
格助詞に代わる候補としては、接置詞、接語、後置詞などが良いだろう。
将来的には日本語に特化した文法用語を決めるべきだが、今はまだその段階ではない。
>>197 はその流れでは飛躍しすぎ。
「格」は形式概念であって、意味役割を反映するとは限らないのは
ラテン語やロシア語でも一緒。
別に西洋文法が論理に忠実にできているわけではない。
従来の形と違う格の使い方をしている、という言語変化あるいは誤用の話をしていたのに。
>>301 個人差はスレ違い。1 人だけの文法は誤用にすぎない。精神症状かも。
本人が認めない誤用なんてないよ、単に別言語なだけさ。
>>307 それをいちいち扱う文法論はありえない。
扱わない (既存のすべての文法論) のは「非現実的で時代遅れ」、扱うべきだ (ただしやった人はいない) とでも言うのかなw
>>306 個人差というのは一人だけの文法という意味ではないし、そもそも個人差だけが
敬語の揺れの原因として上のほうで挙げられていたわけでもない。問題提起を矮小化するな。
格って、コンピューター言語で言うところの型?
>>309 > 個人差というのは一人だけの文法という意味ではないし
だから文法論は「個人」なんて言わないんだよ。スレ違い。
反対に社会言語学は文法「論」を扱わない。昔、大学院生がやっていた社会言語学の勉強会のポスターに、当会では「ソシュール」「セイセイ」は禁句ですというのがあって笑った。もちろん誇張だろうが。
> 問題提起を矮小化するな。
↑話を逸らす常套句。
相手の土俵で勝負できない臆病者卑怯者の証拠で、これが出た時点でそいつの負け。
勝利宣言?
>>310 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A0%BC 古代印欧語の格、現代の西欧言語の格、日本語文法で言われている格はそれぞれ少し違う
所有格、目的格などを英文法で習ったのを覚えていると思うけど、英語の、I my meが有名。
日本語の"の、を"などが、それと機能がよく似ているから格と命名したのだろうけど、
"わたし"そのものが別の言葉に変化するのが格変化というべきだろう。
"は"が格助詞ではないという説明を最近よく見るけど、その説明の根拠はよく知らない。
言語学は西洋で始まったからその用語を借りているが、一般言語学的には、名詞類と他の形式との文法的関係を示す仕掛けを Case (格) と呼ぶ。 格標示の方法はいろいろある。名詞の屈折によるもの、後置詞によるもの、語順によるもの、前置詞によるもの、それらを併用するもの。 語彙的意味から文法的関係が推定されるために格標示が不要な場合はある。しかし、格そのもののない言語の存在は考えにくい。 「格変化」は名詞が屈折する言語にしか見られないが、格変化のない日本語には格がない、ということにはならない。 「格」と呼ぶこと自体が西洋語に縛られているといった頭の固い意見に耳を貸す必要はない。 「豚は食べた」: 名詞「豚」と動詞「食べた」との文法的関係が 1 つに決まらないから、「は」は「豚」の格を標示していない。 文脈があれば決まるというのは、文脈から格が推定されるということであって、文脈と無関係に存在する「は」に格標示の機能はない。
客観か主観かを表すのはなんていうの?
>>314 △ 文脈から格が推定される → ○ 文脈から文法的関係が推定される
どうせなら厳密にやろう。
権威的な意味での格ならば、 が よりも は の方が格上のような気がするな。
個人を表すならga、公人を表すならha?
が と は の使い分けは、日本語文法で一番重要で初歩的でありながら、 違いを説明できるネイティブな日本人は少ない。 日本語の文はセメントでレンガや石をつなげていくように成り立っていて、 名詞、形容詞(の語幹)、動詞(の語幹)がレンガで、テニヲハはセメントに例えられるわけだが・・・ 彼は豚 彼は速い 彼は起きる 彼が豚 彼が速い 彼が起きる ゾウは長い 何が長い? 鼻が長い のように単純な例文を見比べたら違いがハッキリ感じると思うけど は は伝えたいことの重点を後ろの部分に、が は伝えたいことの重点を前の部分に、指定している。 ちなみに、需要ではない方の後ろは省略しても会話は成り立つ場合がある。 ゾウは長い 何が? 鼻が 彼の役は何? 豚
特称と全称的な違いはないだろうか?
彼は豚だと、豚の役は増やせそうな感じ。 彼が豚だと、豚の役は一つしか無さそう。
322 :
校正 :2010/10/04(月) 23:03:32 0
が と は は日本語文法で一番重要で初歩的でありながら、 違いを説明できるネイティブな日本人は少ない。 日本語の文はセメントでレンガや石をつなげていくように出来ていて、 名詞、形容詞(の語幹)、動詞(の語幹)はレンガで、テニヲハはセメントに例えられるわけだが・・・ 彼は豚 彼は速い 彼は起きる 彼が豚 彼が速い 彼が起きる ゾウは長い 何が長い? 鼻が長い のように単純な例文を見比べたら違いをハッキリ感じるだろうけど は は伝えたい重点を後ろの部分に、が は伝えたい重点を前の部分に指定している。 ちなみに重要ではない方の後ろは省略しても会話は成り立つ場合がある。 ゾウは長い 何が? 鼻が 彼の役は何? 豚
彼は食べた 主語が彼だと、行為の主体に決まっているが、 主語が豚だと、行為の対象の可能性が出てくる しかし人肉を食べる文化圏だったら、違う意味にもとれる。
>>322 「彼は豚?」「うん、彼は」
「彼は速い?」「うん、彼は」
「彼は起きる?」「うん、彼は」
「彼の役は豚?」「うん、彼の役はね」
「は」の前に焦点があり、後が省略されている。
「静かにしろ。彼が起きるぞ」
「静かにしろ。*彼が」
「静かにしろ。*起きるぞ」
(下手な絵を見て) 「象はもっと鼻が長いぞ」
「*象はもっと鼻が」
「*象はもっと長いぞ」
「が」の前にも後にも焦点があり、どちらも省略できない。
>>323 主体か対象かを決める力は「は」にはない。
主題を主語と呼ぶのだ、格は関係ないと言うなら、それなりに筋は通るが。
>>326 > 日本語の現実にはそぐわないかもしれないが、
> 言語学的には正しい。
言語学的には正しいことが日本語の現実にそぐわないなら、日本語は言語ではないということになり、矛盾する。
> でも「は」は後置詞ではない という説明があったとしたら間違いだよね?
後置詞は名詞類にのみ後置されると定義されているなら、正しい。
「は」はいろいろな形式に後置されるから。
>>327 ここで言っている日本語とは規範のことで、言語の意味ではないんじゃない?
331 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/05(火) 09:30:32 0
>>327 「売っている」が「売られている」の意味を持ってきたと考えたほうが
よさそうだね。
332 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/05(火) 10:16:04 0
>>328 へ〜、「が」はこの場合、具格で受動で受けるのが自然なのが結構世界的標準なきがす。
といって、西洋語と梵蔵漢ぐらいしか知らないけど(^^)
>>330 その心は?
動詞が格のとり方を変えることはしばしばある。「感じる」はそれで説明できるかもしれない。
しかし、「*本が売る」とは言わないだろう。アスペクトが変わって「売っている」になると「本が」をとれるというのは、難しい説明ではないかな。
>>330 そう、規範文法用語としては使えない
生徒にそんなややこしい説明をしたら混乱する
以下のような理解に落ち着いた。
彼は食べた
豚は食べた
栗は食べた
"は"が主格か、目的格かは、文脈などから類推しなければだが
独立文で"は"は主格として使う
目的格として"は"を使うのは、前後の文と関連が必要だ
栗は食べたが、カニがまだだ。
このように目的格として"は""が"を使うのは、重点、焦点 に関する用法である
この絵は小学生が描きました。 独立文だが「は」は「を」格に相当する。単なる主題の「は」で焦点の意味はない。 「は」は格を示さない、「が」格にも「を」格にも相当しうるが、頻度としては「が」格相当が多い、とだけ教科書には書いておけばよい。
"は"が格助詞ではないという説明が正しいなら 白菜が売ってた。 が使われている時点で、「"が"も格助詞ではない」となる
「売ってる」に自他両方の用法があると思えば良い。
全然新理論がないな、このスレ。
その説明は苦しい・・・ たぶん自動詞と他動詞が分かってない。
分かってない人向けの考え方だからね。
公園にベンチを置く→ベンチが置いて(あ)る公園 売店で飲み物を売る→飲み物が売って(あ)る売店 ここで「売る」とは行為ではなく、販売できる状態にあることを意味するのに注意。
少し上を読め 「売ってある」でなく「売っている」だ
>>336 まだそうなりかけている段階だろう。
「売っている」「(映画が) やっている」ぐらいしか安定した例がない。それらも誤用認定されて消え去る可能性がある。
344 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/05(火) 22:43:15 0
>白菜が売ってた。 この文は「白菜を売っているのに気が付いた。」という意味で 出現文、発見文と呼んでもいい。
>187 名前:名無し象は鼻がウナギだ! 2010/10/05(火) 22:37:27 0 > >今月生理「が」ないvs今月生理「は」ない > >両者を比較せよ。 ココの人ならわかる?
346 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/05(火) 22:53:49 0
>>344 「白菜を売ってた。」で「白菜を売っているのに気が付いた。」という意味だよ。
>>345 「今月生理ない。」も入れてね。
347 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/06(水) 04:31:02 0
>>345 「が」「は」の機能を考える場合、「今月」は唯の限定詞なので、以下の対比に関係ないので排除。
生理「が」ない:「生理」に「ない」が限定される、主格というより属格に近いと思われ
生理「は」ない:不定、無限定で「ない」は他にも適応されるが、主題として「生理」が強調される、とりたてられる
生理ない:不定、無限定
348 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/06(水) 06:58:25 0
>>347 イミフな説明文をダラダラと書くべからず。
『生理「が」』が「ない」の属格だといいたいのか。
もう少し論理明快な説明を白。
主格や属格などというのは西洋文法の猿真似臭い。
349 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/06(水) 08:31:25 0
>>348 アホか、名詞の概念なんか適当なんだよ
なら、サンスクリット第一格、第五格と言ってもいいが、
それじゃわからんだろ。
国文法の係助詞とか格助辞って言っても同じことだし。
単純に言えばチベット語の具格と強調辞とほぼ同じなんだが、
そういっても通じるないだろうし。
350 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/06(水) 08:42:12 0
>>348 ああ、何が言いたいか分かった。
文頭に主語がないと文義を取れないタイプか。
コロンの前の文で、何が主題なのか明白だろ。
そんな明白な言葉省略するのが、オイラの感覚なんだが、
学校文法や英文法に影響されてるんだろうな。
351 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/06(水) 09:17:14 0
>>349-350 主語も格も西洋古典文法の猿真似だな。
30年〜40年前の生成文法ですら「主語」を廃して
Topic,commentという概念を導入している。
case grammarなんてのは日本語文法には適用できないよ。
あきらめろ。
先秦の古典中国語は我と吾、此と是と之と其を格によって使い分けていたが
六朝時代には誤用が目立つ。
中国語には主語はない。たとえば李白の清平調の一
「雲想衣裳花想容」
「想」の主体は作者の李白あるいは楊貴妃の想い出を共有する人々であって
雲「が」想うのでは無い。
花「が」容(姿)を想うのでは無い。
日本語は漢文を通じて中国語語法の影響を受けている。
戦後は中学高校の英文法の影響で、従来平叙文で書く処を
受身の文で書くことを始め、最近では特に目立つ。
逆に昔からあった「(売買の対象)が売っている」を
非文法的と勘違いするバカが出現した。
352 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/06(水) 10:38:46 0
>>351 いや、オイラの場合は梵蔵文法の投影だ
>30年〜40年前の生成文法ですら「主語」を廃して
>Topic,commentという概念を導入している。
>case grammarなんてのは日本語文法には適用できないよ。
>先秦の古典中国語は我と吾、此と是と之と其を格によって使い分けていたが
>六朝時代には誤用が目立つ。
ああ、共起関係がないと格概念じゃないといいたいわけね。別になくてもいいじゃん。
そういう言葉の意味を一義的に使用しようというのは、
ソクラテス以来の本質主義による妄想だろう。
>中国語には主語はない。
はいはい、主語でも主題でもいいから動作主体や主題を示す語を適当に指してるだけ。
きっちりした意味の定義なんてないから。
三上とかは、その西洋文法と同一の意味を求めようとする本質主義に立っているから、ああなっただけ。
>日本語は漢文を通じて中国語語法の影響を受けている。
>戦後は中学高校の英文法の影響で、従来平叙文で書く処を
>受身の文で書くことを始め、最近では特に目立つ。
>逆に昔からあった「(売買の対象)が売っている」を
>非文法的と勘違いするバカが出現した。
そりゃ、そうだよ正しい文法なんかないからね。
あるのは妥当な用法だけ。時代、地域、個人で異なるのがあたりまえ。
それを勘違いしてるお前さんみたいのがいるから、正しいだの正しくないだのとグチャグチャ無意味な論争が起こる。
文法・語法なんか、読み書きの便宜的説明手段にすぎないでしょ。
353 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/06(水) 10:54:28 0
>>352 主語や主格なんていうのは動詞が人称変化する言語に特有の文法概念だ。
日本語では敬語の動詞、助動詞が人称変化するが
敬語はいまの日本語では瀕死状態だwww
本来「下さる」を使うべき場面で「いただく」を使う似非日本語話者が多すぎる。
屈折語は he his him のように、主語に格機能を持たせているから、主語が省略できないんだと思う
355 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/06(水) 11:47:42 0
>>354 違うな。サンスクリットは主語省略するのが普通。
ラテン、ギリシャもそうなんじゃないか、知らんけど。
主語が省略できないのは近代西洋語の特徴なんじゃないか?
恐らく思想・習慣の影響があるように思われる。
356 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/06(水) 11:59:04 0
>>353 >主語や主格なんていうのは動詞が人称変化する言語に特有の文法概念だ。
チベット語は動詞は人称変化しないけど、主語や主格という概念をサンスクリットから取り入れて9世紀以来規範文法としてきた。
それを言語学説に合わないからといって、チベット文法が間違っているというのはおかしいだろう。
要するに主語・主格という西洋文法の概念規定が一義的だというのは
プロクルステースの寝台なわけだ
そういうソクラテス以来の本質主義では、くだらない定義合戦ばっかで本質が見失われることは歴史に明かだろう。
>>351 > 中国語には主語はない。たとえば李白の清平調の一
> 「雲想衣裳花想容」
> 「想」の主体は作者の李白あるいは楊貴妃の想い出を共有する人々であって
> 雲「が」想うのでは無い。
> 花「が」容(姿)を想うのでは無い。
いや、李白の意図では「雲」「花」が主語だろう。擬人法だよ。
杜甫の「春望」の一節「感時花濺涙 恨別鳥驚心」は、昔から「時に感じては花にも涙を濺ぎ 別れを恨みては鳥にも心を驚かす」と読まれてきた。
しかし、近年は「…花も涙を濺ぎ …鳥も心を驚かす」と読む方が適切とされている。
358 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/06(水) 17:59:53 0
>>357 予想通りの展開だw
>「…花も涙を濺ぎ …鳥も心を驚かす」
そういうふうに読むと「心」は誰の「心」だ。
鳥の心か、人の心か
白馬非馬を意訳するとどうなるんだ?
漱石も大変だな。
>>359 中国語の「非」は、日本語の「ではない」と同様にあいまいで、「白馬非馬」は、@「白馬」すなわち「馬」というわけではない (すべての「馬」が「白馬」とは限らない)、A「白馬」は「馬」の一種ではない、の 2 つの意味をもつ。
@は真だがAは偽だ。Aも真と思い込ませようとした詭弁。
>>362 Aの説明に「ではない」って使っちゃったら意味不明じゃないか。
「一種ではない」と書いてあるのが見えないか。
美人は人でなしだ。
人でなしは人だ。 けだものも人だ。
いや、そもそも人という概念がホモ・サピエンスを指すとは限らないぞ。 権利がある存在を指すのかもしれない。
美人は宝だから人でない世界があるかもしれない。
でもホテルに入って、金取られれば人だ。
これがほんとの美人局 (嘘
371 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/06(水) 20:21:01 0
372 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/06(水) 20:33:13 0
美人非人 美人は人にあらず。 美人はペットとして扱われる。 ペットに人権はない。 故に美人は人ではない。 ホト(女陰)である。
感じる時は花に涙をそそがせ、恨まれる別れは鳥の心を驚かす。 ・・・何かまずいの?
374 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/06(水) 21:20:57 0
>>373 >花に涙をそそがせ
作者が涙をそそがせるのか。相当無理な変な日本語だな。
春の時がでしょ?
考える時間は物事の形を変え、物事は心を変える 人も鳥も花も一緒なんじゃない?
>>371 > 従来「花“にも”」と読むからこそ次の「涙を濺ぎ」という読み方が成立する。
それはもっともだ。簡単に「涙を濺 (なが) し」ぐらいでいいのかもしれない。
私が季節の移り変わりに胸を突かれていると、花がぽろぽろと涙を流すように散る。
私が家族との別れを恨み嘆いていると、鳥が何かに驚いたように鋭い声を上げる。
中国語では主節と従節の主語が違ってもあまり気にしない。
人は人と別れて、鳥は鳥と想う。
379 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/07(木) 08:42:54 0
>>373 >感じる時は
その読みはあまりにも酷い。
>>377 中国語の「濺」という字の伝統的解釈を無視した我流の解釈だ。
380 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/07(木) 08:57:18 0
>>377 >中国語では主節と従節の主語が違ってもあまり気にしない。
いや、毛沢東が華国峰を後継者に指名した時の短いフレーズは
「你做,我放心」=「君、やれ。わしは安心だ。」と
「你」「我」をはっきり言っている。
前の句が「做ロ巴」なら「ロ巴」のおかげで「你」を省略出来る。
これは文法というより論理を明確にするか否かの問題だ。
論理を曖昧にするのは日本人の好み。
381 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/07(木) 09:25:04 0
382 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/07(木) 10:08:33 0
>>381 主語と述語の関係だ。
「做」の主語は「你」で、「放心」の主語は「我」だ。
>>379 時に感じては
感じる時は
どう違うの?
384 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/07(木) 10:45:16 0
>>382 それだと普通、シンタックスとか構文、統語法、
あるいはサンタグム、連辞とか言わないか?
まったく文法の問題じゃないか?
一般的にそれは論理とは言わないな。
385 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/07(木) 11:03:28 0
386 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/07(木) 11:51:57 0
論理は間違いだったわけだね
>>379 他の用例と杜甫の用法とが合っていないようだから問題なのだ。
「相如請得以頸血濺大王矣」では、そそぎかける着点「大王」は「濺」の後にあり、「花濺」のように前にはない。
そそぎかける対象「頸血」は、「濺」の前に出るために前置詞「以」を伴っている。
涙がぽろぽろ・はらはらと流れるさまを「濺濺」と言うから、「濺」を他動詞として使ってもおかしくはない。
吉川幸次郎も「花」「鳥」を主語と解釈している。文法的にはそれが妥当。
>>380 日本語はできることなら従節と主節の主語を揃えようとする。主語を明示するかどうかとは別の話。
漢詩の場合、主語が出ていなければ「私が」だ。「私が」を明示することは普通ない。
「感時」「恨別」の主語は作者に決まっており、それと違う主語だから「花」「鳥」と示されている。
388 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/07(木) 15:10:42 0
論理くんは中国語学習中の初学者ってかんじだな、 習ったことが言いたくてたまんないみたいな
389 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/07(木) 15:44:07 0
>>387 詩は文と違って「以」などの虚字を省略するのが原則。
>涙がぽろぽろ・はらはらと流れるさまを「濺濺」と言うから
違うだろ。ちゃんと辞書を引けよ。
「濺濺」は瀬を早み 岩にせかるる滝川の・・・の歌の「瀬を早み」だ。
>>387 >「感時」「恨別」の主語は作者に決まっており、それと違う主語だから「花」「鳥」と示されている。
そうすると「時感」と書けば
明示された「時」が主語で「感」が述語になるわけだ。
「学而時習之」は
「学」の主語は作者に決まっており、それと違う主語だから
「時が之を習う」と読み替えないといけない。
391 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/07(木) 16:24:02 0
>>389-390 正に初学者だな
辞書引けとか、文脈に関わらず一義的に解釈するとことか、
論理だし、
>>385 いや、そっちは
>>357 から拾ってきただけだよ。
>>379 が酷いと言った意味の話
感じる時は って、感じるときには とはアクセントが違うと思うんだよな。
>>392 何たわごと言ってるんだ。文字に書くとアクセントなんて分らないぞ。
アクセント符号が無くても判るように書くのが掲示板の掟だ。
>>391 首尾一貫しない中途半端学者とはお前のことだw
395 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/07(木) 16:54:10 0
>>394 何がだ。オイラは論理についてしか云々してないが
辞書引けとか一義的解釈が初学者だともいったが、
中国語に関しては何もいってないぞ
396 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/07(木) 16:55:40 0
>>394 因みに間違いを認められないヤツは学者を目指すの止めた方がいいぞ
>>389 > 詩は文と違って「以」などの虚字を省略するのが原則。
そうかもしれないが、「花」は「濺」の対象 (花を) ではなくて着点 (花に) だろうから、動詞の前に出せるものかどうかまだわからない。
> 違うだろ。ちゃんと辞書を引けよ。
「濺濺: 涙が流れるさま」はたいていの漢和辞典に載っている。
「濺」は「小さなしぶき」という語感だから、「ぽろぽろ・はらはら」で間違いないと思う。
>>387 「涙がぽろぽろ・はらはらと流れる」のを「濺濺」とは表現しない。
「濺濺」というオノマトペは次の様に使う
碧水映丹霞,「濺濺」度淺沙。(山下泉 李端)
「濺濺」漱幽石(海陽十詠 月窟 劉禹錫)
暗水「濺濺」入舊池(和答詩十首 和分水嶺 白居易)
未如吾舍下,石與泉甚邇。鑿鑿復「濺濺」,晝夜流不已。(李廬二中丞各創山居・・・白居易)
最後の「鑿鑿」もオノマトペだな。
>>398 > 「涙がぽろぽろ・はらはらと流れる」のを「濺濺」とは表現しない。
諸橋大漢和に用例がある。いま手元にないが。
白川静は、「花にも涙を濺ぎ」とは読んでいるものの、「花に」を「濺ぐ」の着点とはとらず、「涙を濺ぐ」の原因 (花を見て) と解釈している。
その結果、「濺涙」は杜甫独特の熟語ということになる。「伝統的解釈」に拘らない点は正しい。
>>393 感じる時は
感じるときには
文字は全然違うじゃないか。
それはそうと、文字に書くと って
文字にすると
文字で書くと
どっちに近いんだろう?
飛ぶ鳥の明日香も、実はこの鳥だったりするのだろうか?
403 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/07(木) 20:04:03 0
>>401 じゃあ「鳥驚心」は「心驚鳥」の順序が入れ替わったんだね。
そもそも絶句というのは何語の文化なんだ? 国破れて山河有り、それで言語は維持できたのだろうか?
>>401 > 【濺】沾染。唐˙杜甫˙春望詩:「感時花濺淚,恨別鳥驚心。」
説明部分は現代語のはず。「沾染 zhan1ran3」は「染まる」の意味で、「花が涙に染まる・涙で濡れる」と解釈している。
中国人にとって「花が」であることは微動だにしない。
>>403 対句だからそういうことになる。
>>401 は絶対にありえない解釈。
江戸時代の古語の説明とか、むしろ解説文の方が難しく思えるのは何故だろう?
407 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/07(木) 21:42:21 0
誰が対句って決めたの、教えてエロイ人
408 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/07(木) 22:00:50 0
>>405 >説明部分は現代語のはず。
喪毎、バカも休み休み言え。
「沾染」は正史の《三国志・晋書・楊方伝》に出てくる古典語だが・・・
和臭を排除した《全訳 漢辞海》にも載ってるんだが
漢和辞典すら引いたことがない怠け者が推量でカキコするな。
409 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/07(木) 22:12:25 0
>>408 その中国語は現代語だろ。じゃないとおかしい。
もちろん現代語でも古代語とほとんど同じ意味の言葉もあるけど。
同じ記号・文字だからって、意味が変わらないと思ってたらおかしい。
少なくとも学者としては失格だ。
だから、初学者なんだって。
辞書ってのは参考だぜ、同じ時代でも地域で意味に差異があり、
同時代同地域でも個人差がある。
個人でも文脈によって違わないとは限らない。
410 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/07(木) 22:20:08 0
>>409 ヤクザが何をワケワカメの言いがかりをつけてるんだ
個人差というなら言葉によるコミュニケーションは成立しない。
「沾染」が現代語と古代語で意味が違うということを証明しないと。
ただ単に言いがかりをつけるのは朝鮮ヤクザと変わらん。
>個人差というなら言葉によるコミュニケーションは成立しない。 んなことはないだろう。 聞いていればわかる。 しかし使えるとは限らないな。
>>410 > 「沾染」が現代語と古代語で意味が違うということを証明しないと。
ほとんど違わないだろう。
「如方者乃荒萊之特苗、鹵田之善秀、姿質已良、但沾染未足耳」 (三国志・晋書・楊方伝)
「X 沾染 Y」は「X が Y に染まる・影響される」で、「X が Y をぬらし染める」ではない。
「花 (沾染) 涙」と「鳥驚心」でも一応対句にはなるだろう。
杜甫の「濺」はそういう意味ではないと私は思うが、「花」「鳥」が主語であることは疑う余地がない。
413 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/08(金) 05:21:25 0
>>411 聞いても読んでも分らないから
「花が涙をそそぐ」だったり「花が涙に濡れる」んだろ。
414 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/08(金) 05:48:30 0
涙 (沾染)花じゃなかったの
415 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/08(金) 05:57:41 0
「飲馬長城窟」 これは他動詞「飲む」の後ろに名詞の「馬」が賓語 (相手が馬だけにヒン語とは我長良美味い洒落だ) のような面をして並んでいるからといって 「馬を飲む」のではないよな。そこんところは判ってるのかな。
416 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/08(金) 06:14:33 0
>「沾染」が現代語と古代語で意味が違うということを証明しないと。
同じだろ。
他流出的温热的鲜血和眼泪“沾染”在我身上,像炭火一般烧灼着我的躯体部位。
http://www.ttyyh.com/cnjjzbxx/764.html ↑現代語の「眼泪」が古代語の「涙」だから「眼泪“沾染”在我身上」で
「涙が我が身を濡らし染めている」だ。
“沾染”が一過性の出来事ではなく
その結果が今も残っていることを表わすために“沾染在”+結果の残る場所
という
417 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/08(金) 07:08:16 0
お、知らぬ間に春望で議論が。 先づはあれを引用しとくか… 〈つぎの「花濺涙」とそのつぎの「鳥心驚」とをどうとるか、つまり、杜甫が 「花に涙を濺ぎ」「鳥に心を驚かす」ととるか、それとも、「花が涙を濺ぎ」「鳥が心を驚かす」 ととるかは、議論のやかましいところで、一般的にはまえの説なのですが、 吉川氏などは、つよくあとのよみかたを主張しておられます。こういうところは、 決定的なキメ手になる材料は何もないのですから、いくら議論をしても、数学の証明 のように反論の余地なく相手を屈服させられるものでなく、結局は主観の問題、もっと はっきり言えば好みの問題になってしまいます。わたくしは、一般の説にしたがっておくことに します。〉 続く
418 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/08(金) 07:14:29 0
>>417 吉川幸次郎の言説は既出なので吉川浩二の説を出してくれ。
白川静かも既出なので亀井静香か荒川静かでお願いしたい。
419 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/08(金) 07:16:50 0
>>417 の続き
〈「濺」は「そそぐ」とよみますが、おなじ「そそぐ」でも「注」とは全然ちがいます。
「濺」はパラパラおとす意。「注」は、バケツの水を池に移し入れるとか、渭水の
水が河水(黄河)に合流するとかの意です。
今の辞世、そしてその渦中にまきこまれてとらわれの身にある自分、
そうした状況のもとにおいても、春は例年のごとくよそおいをこらして
めぐってきている、そのことにつよく心をうごかされて、はらはらと涙を花々のうえに
おとす、というのが、この一句であります。〉
〈「驚」というのは、「敬」や「警」もおなじですが、ハッと緊張し、体をかたくしたり、
心が氷りついたりすることをいう語です。元稹が、(略)そのもっとも
よい例となりましょう。家族とはなればなれにくらしていることの悲しみに
心をうばわれていた杜甫は、だしぬけに春をつげる鳥の声をきいて、一瞬
ハッと心臓のとまるような思いをしたわけです。〉
420 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/08(金) 07:17:18 0
>>412 「X 沾染 Y」の説明をするのに晋書・楊方伝の例ではイマイチ説得力がないよ
薯学者クン。
>>413 イタコでも使ってコミュニケーションする気?
鳥の心でもノミの心臓でも同じようなものじゃないの?
423 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/08(金) 07:32:08 0
>>419 の続き
今の引用の出典は「「春望」ついて」(「漢文教室」昭和四十五年四月、大修館書店)。
尚、詩では韻を踏むなどの為に語順をよく変えます。
王維の「積雨輞川荘作」の一聯
漠漠水田飛白鷺
陰陰夏木囀黄鸝
「飛」と「囀」の動詞を前に出す。
岑参「逢入京使」の一句
故園東望路漫漫
「東望故園」の倒置。
王建の「十五夜望月」の一句
中庭地白樹棲鴉
散文なら普通「鴉棲樹」(「鴉」は韻を踏んでいる)。
上で語順の話がチラッと出てた様なんで(まだザッとしか読んでない)、
書いておきました。分ってたらすみません。
424 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/08(金) 07:34:52 0
>今の引用の出典は「「春望」ついて」(「漢文教室」昭和四十五年四月、大修館書店)。 ああ、著者は高島俊男ね。書忘れ。
425 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/08(金) 07:40:00 0
自分で引いといてなんだけど、 >岑参「逢入京使」の一句 > 故園東望路漫漫 >「東望故園」の倒置。 こういうのはわざわざ倒置と解すべきか疑問だなあ…
感じる時が花に涙をそそがせ、恨まれる別れは鳥の心を驚かす。 もうこれでいいじゃん。
427 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/08(金) 07:42:59 0
「鳥が心を驚かす」 と訓む場合は 1)鳥が「鳥」の心を驚かすのか 2)鳥が「作者杜甫」の心を驚かすのか が気になる本人(日本語の「本人」では無く現代中国語の「本人」)です。 その部分の説明を落とさないように願います。 >尚、詩では韻を踏むなどの為に語順をよく変えます。 押韻だけじゃなく平仄を詩の格式に合わせるためにも変えますよ。
両方だろ? どっちかが表の意味でどっちかが裏の意味だ。
429 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/08(金) 07:51:47 0
>>425 「東望故園」の「故園」を主題化して提前だ。
>>426 鳥は作者の家族が離れ離れになったことなんか知っちゃいない。
花、時、以下同文。
説得力が無い。
431 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/08(金) 07:54:53 0
>>426 >感じる時が花に涙をそそがせ
論理不明確ですね。
「涙」は誰の涙ですか。
涙のリクエスト。
木を蹴っ飛ばしたら花が落ちて鳥が飛んでったんだろう。 それに自分もビビってるんだよ。
434 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/08(金) 08:01:37 0
>>427 だから「韻を踏む『など』の為に」っつったろ?
てめえの目は節穴か?
あと、押韻と平仄を合すためだけじゃねえよ。
同じ仄でも上声・去声・入声について、効果的に聞える様に
並びを考慮することもあんだよ!
そして他にも有んだよ!
切れてみました。いや、本当は全然怒ってませんよ。巫山戯てみた丈です。
435 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/08(金) 08:04:30 0
>>427 現代漢語の「本人」てどういう意味じゃ
儂には分らんがぜよ
教えて欲しいがぜよ
436 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/08(金) 08:07:51 0
>>433 花落知多少 花落つること知る多少(いくばく)
なんと素晴らしい干渉の仕方。
今日のベスト癇癪(解釈の駄洒落だスマン)ではないでしょうか。
>>434 「花落知多少」というのも倒置ですよね。
>>426 、
>>433 ここら辺(同一人物?)が△に値するな…
426△、422△。
其の言は道家の如く、真意は測りがたし…
438 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/08(金) 08:10:56 0
>>434 >「花落知多少」というのも倒置ですよね。
そう、そう。有名やのに思いつかなんだな…。
439 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/08(金) 08:17:53 0
「時に感じては花にも涙を濺ぎ」とは、 時は固有名詞、男子。姓は王、名は時、字は子辰。 花は女陰。 涙は愛液の比喩。 「花濺涙」は濡れてきたという事。 つまり、「王時(其の陰茎だけでなく、息づかい・声・触り方等すべてを含めた王時自信)に 感じて、私のあそこは濡れ…」という意味。 因みに鳥ティアオは男根の俗語
440 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/08(金) 08:18:28 0
>>388 さん出番ですよ
碩学の貴方から現代漢語の「本人」の意味を
>>435 さんに教えて下さい増し。
441 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/08(金) 08:23:48 0
>>439 なんとまあ、「万葉集は古代韓国語で読める」に勝るとも劣らぬ
大胆な解釈。 奴才恐惶頓首頓首
442 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/08(金) 08:29:51 0
御褒めの言葉忝ない。 所で、「奴才恐惶頓首頓首」の「奴才」とは何ですか。 貴兄の名前では有りませんよね? 「奴才恐惶」で、決り文句ですか。 後学の為伏して教えを請う、示教を賜らば幸甚幸甚。
443 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/08(金) 08:54:05 0
>>410 馬鹿だな。全く違うわけじゃない。
だいたい似てるけど、違うんだよ。
それで伝達できるし、当然擦れ違いや誤解もある。
主に西洋人がソクラテス以来、一義的な本質主義を提唱して以来、
西洋人は本質を言葉の意味にも求めてきた。
それが定義だったり、辞書だったりするわけだが、
定義が完全でないのは本質主義のクリプキも認めているし、
もっと端的にウィトゲンシュタインやハイデガー、ソシュールは認めている。
しかし、より正確で完全な言語観は、釈尊・龍樹の仏教の伝統にある。
444 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/08(金) 09:09:59 0
>しかし、より正確で完全な言語観は、釈尊・龍樹の仏教の伝統にある。 詳しく
445 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/08(金) 09:11:09 0
以心傳心てこと?
446 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/08(金) 09:43:59 0
>>442 「奴才」とは清の時代に旗人や武官が皇帝に拝謁したときに使う自称の代名詞です。
中国語版の映画、TVドラマ「ラスト・エンペラー=末代皇帝」や
NHK地上波で再放送してる「蒼穹の昴」の華語對白(=中国語のセリフ)で
宦官が皇帝や西太后と話すときに使ってます。
「恐惶」は「恐れ入ります」の意味。顧炎武の詩に
「朔望及雩祈,頓首誠恐惶。」とあります。ちなみに「雩」は「雨乞い」のことです。
古事記の序文末尾に「臣安萬侶 誠惶誠恐頓首頓首」と使われてます。
447 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/08(金) 10:00:36 0
>>444-445 意味や対象は社会的言語習慣(ラング、言語ゲーム)と意識の経験・習慣によって常に縁起して、仮設されるという意味。
詳しくとけばきりがないけど、簡潔には石飛道子『龍樹』76頁以下が分かりやすいとおも。
具体的には、『中論』24.18や『勝義空性経』とその諸註などに見られます。
以心伝心ではありませんよ。
習慣による適当な緩い共通認識があって、それが社会的言語習慣、ラング、言語ゲームなどと呼ばれているわけです。
例えば、前期ウィトゲンシュタインみたいに言語が実在の写像として、
対象が実在してそれを言葉が写し取るというような素朴実在論的な言語観だったけど、
それが否定されて言語ゲームが提唱され、仏教の仮設説に接近したような。
>>416 それも現代語の例だ。しかも「X 和 Y シ占染」という別の文型。
449 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/08(金) 11:37:24 0
>別の文型 どこが
>>417 > こういうところは、
> 決定的なキメ手になる材料は何もないのですから、いくら議論をしても、数学の証明
> のように反論の余地なく相手を屈服させられるものでなく
詭弁だね。
数学のようにいかないからといって、有力な証拠がないわけではない。
中国語話者は「花」「鳥」を主語としかとらえない。吉川幸次郎が重視したのはそこだ。
>>427 だから鳥の心だよ。「花の涙 (花弁)」「鳥の心」と解釈すれば整った対句になる。
453 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/08(金) 12:29:25 0
残念ながら吉川幸次郎も「詩聖」杜甫には遥かに及ばなかったね。
>>449 「X 沾染 Y」と「X 和 Y 沾染」が同じ文型か。
455 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/08(金) 13:01:14 0
>>454 「X1 和 X2 沾染 Y」という文型だよ。
457 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/08(金) 13:29:59 0
>>453 そんな当たり前のことを。オイラは杜甫は嫌いだが。
458 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/08(金) 14:10:12 0
「X1 和 X2 沾染 Y」の「和」は連詞=接続詞(文語文の「与/與」と同じ)だから X1 和 X2→Xと書き換えることが出来る。 X1 和 X2 沾染 Y→X 沾染 Y 杜甫の「Y濺X」の構文は「X 沾染 Y」の構文と対応するのだ。 故に「花 濺 涙」と「血 与 涙 沾染 我身」とで 濡らす液体と濡れる物(者)の順序が逆になる。
>>458 > 杜甫の「Y濺X」の構文は「X 沾染 Y」の構文と対応するのだ。
「鳥驚心」は「心?鳥」のどんな構文と対応するのか。それがなければ対句をなさない。
ありえない解釈だと言ったはずだが。
> 故に「花 濺 涙」と「血 与 涙 沾染 我身」とで
> 濡らす液体と濡れる物(者)の順序が逆になる。
「濡らし染める」が移動や姿勢変化の動詞に付く「-在」を伴い、「濡らし染める」の対象が「我身上」と場所になっているのはなぜか。
「彼の血と涙が私の体の上で混じり合っていた」と解釈すべきではないのか。
460 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/08(金) 18:18:58 0
>>460 > 「沾染」に血と涙が混じり合うという意味が込められているとでも?
普通話しか知らない者の感覚では、「互いに染まる」としか解釈できない。
> 「在我身上」は血と涙の最終到達点(場所)だ。
そうだな。他所から付いてそこにあるということだろう。
> 赤裸的下體,被男優靈動的手指插送著,愛液流出來了,
> 有的「沾染在手掌上」,更銷魂的,是流到股間的那股又淫又浪的透明體液!
こんな用法は辞書にはない。
http://www.zdic.net/cd/ci/8/ZdicE6ZdicB2ZdicBE2785.htm しかし同じような例を確認できた。まだ辞書にない新しい意味だ。古典語とは全く無関係。
台湾のウェブ国語辞典がその意味を使って「濺」の説明をするはずがない。
日本語文法の新理論はどこに消えたの?
463 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/08(金) 21:50:58 0
464 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/08(金) 21:55:49 0
格が西洋文法の猿まねって言ってた人と、 論理的な中国語の人は同じなら、彼によって消されたんでしょ
どこが良いんだよ、 スレ違いの話題をいつまでも続けることが、学問的な態度なのか?
466 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/08(金) 23:20:49 0
確かに壱年とか半年とか続けてたらあかんと思うけど、 しばらくなら、議論が深間って何か新しいことが分かる鴨知れないから、 許容できる
この議論から日本語文法の新理論が生まれるのか。 風が吹けば桶屋が潰れるみたいな考え方だな。
潰すなよw
469 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/09(土) 04:49:54 0
単に習ったばっかのことを誇りたいヤツが書いてるだけでしょ。 日本語が非論理とか
「技の掛け捨て」がひどい
>辞書ってのは参考だぜ、同じ時代でも地域で意味に差異があり、 >同時代同地域でも個人差がある。 >個人でも文脈によって違わないとは限らない。 と書いたヤツと >こんな用法は辞書にはない。 と書いたヤツとが同一人物ならお笑いだ。
472 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/09(土) 08:38:07 0
>>471 前文を書いたが、後文は書かないよ。
辞書は参考程度のものだろ。
>>429 に「提前」という言葉が出てきただろ。
この「前」は「後」に在ったものを移動させる目的地(日本語の助詞“へ”が担当する)。
「前提」の「前」はすでに「前」に在るものという条件を設定する
(日本語の静止の場所を表わす助詞“に”が担当する)。
「提案」「提議」などの「案、議」は「提」という動作、行為の対象
(日本語の対象物を表わす助詞“を”が担当する)で
「提案」「提議」は動詞。
~~~~~
「提琴」の「琴」も「提」という動作、行為の対象だが「提琴」は名詞だ。
~~~~~
「提」の機能面からいうと形容詞や連体詞と同じで名詞を限定する語。
同じ「提」+名詞の熟語でも連結する名詞によって品詞が変わるし
日本語で解釈すれば文法関係を表わす助詞や送り仮名が変わる。
しかし漢語を使い慣れると助詞をしばしば省略する。
助詞を省略しても意思疎通できる為には共通認識を前提にしないといけない。
共通認識がなければ行き違いが生じる。
>>469 非論理的な言語ではないが、論理的な記述にあまり向いていない言語ではある。
>>471 古典は辞書によって解釈するほかない。
新解釈も妥当ならいずれ辞書に載る。
476 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/09(土) 12:21:27 0
>>474 なんで?
じゃ、何語が論理的記述に向いてるわけ?
>>475 オイラの分野だと、コーパス検索して用例や、諸註、歴史的諸訳から判断したり、
形態素解析などの言語学的知識などから総合的に判断するけどね。
辞書はあくまで参考程度、辞書を基礎に置くのは初学者かダメ学者だな。
もっとも中国語の場合は、形態素解析はないだろうけど、
諸アジア語訳とかもたくさんあるよね。もちろん、註も。
>>471 (初学生にとっっては)古典は辞書によって解釈するほかない。
(大家の)新解釈も妥当ならいずれ辞書に載る。
478 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/09(土) 12:52:44 0
古典中国語の辞書は先人の注釈を集大成したものだよ。 康煕字典は歴代の韻書(=漢字の韻と頭子音で分類した発音辞典のようなもので 中国各王朝の礼部(日本の文部省に当たる)が編纂した)を集大成したものだ。
479 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/09(土) 13:00:26 0
日本語が非論理的なんじゃなくて 日本語をあやつる日本人が非論理的なんだよ。 短く文を切ればいいものを、ダラダラと続けるから 主語と述語が呼応しなくなるとか・・・・
480 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/09(土) 14:04:16 0
>>478 だから、参考程度であって絶対的なものではないし、
言葉の意味なんて文脈によって多様なんで辞書の短い記述で完全に述べられるわけがないでしょう。
そう思わないなら、研究とか止めた方がいいかも
481 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/09(土) 14:10:03 0
>>478 つか、自分の程度を自覚した方がいいんじゃないの
>>476 > オイラの分野だと、コーパス検索して用例や、諸註、歴史的諸訳から判断したり、
> 形態素解析などの言語学的知識などから総合的に判断するけどね。
その結果が辞書に載っている。少なくとも日本語学はダメ分野ではないから。電子テクストのなかった時代から、学者は視力を犠牲にして用例を集めてきた。
中辞典以上の規模の辞書にない意味を文献に見出だすのは、容易なことではない。
もちろんだれでも新解釈をうち出してよいが、できたら大した業績だ。だから辞書は参考程度というわけにはいかない。
>>480 >短い記述で完全に・・・
それは鑑賞に属することだ。
>>476 省略が多く、さらにはその省略されたものが文法機能によって示されない。
係助詞の使用が多く、語と語の関係を知るために大きく文脈に依存しなければならない。
接続詞もあまり整備されておらず、文と文の関係を知るにも同様。
簡潔には、文脈への依存度が高いから、というのが論理的な記述に向かない理由となるな。
・省略が少ないか、しても文法機能によって省略されたものが示される
・語と語、文と文の関係を分かりやすく明示する
・婉曲な表現や迂言的な言い回しをする必要がない
これらを自然な表現として行えるのが「論理的な記述に向いた言語」だ。
「そんなの言わなくても分かるでしょ」というのは論理ではない。
できるだけ、誰から見ても同じように解釈できるように表現する必要がある。
日本語でこれらを行おうとすれば、形式ばっていて、堅苦しく、
自然な表現とはかけ離れた文章になってしまうだろう。
事実、日本では論理や論理に依存した哲学というのはあまり発達していなかった。
さて、上の条件を満たした言語が何か、というのは論理学や論理に依存した哲学が
発達した国や時代、地域を考えれば答えが見えてくるはずだ。これらの地域は歴史的に弁舌家が多い。
論理的な物言いというのは「もっともらしい」物言いでもあるからだ。
弁論が発達するからこそ、言語の方もそれに適したように整備されていくし、
そうなるからこそ、その言語圏で弁論が発達する。
日本語で論理的な記述ができない、だとか、非論理的だ、と言っているわけではないので、誤解なきよう。
あまり向いていない、というだけだ。
485 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/09(土) 14:49:22 0
>>482 そうなん? オイラは日本語学は参照する程度で全く疎いけど、
辞書はどうなんでしょ? 例えば以下は日本語だよね。
親鸞『淨土高僧和讃』
>T2651_.83.0661c17: 諸佛三業莊嚴シテ。畢竟平等ナルコト
>T2651_.83.0661c18: ハ。衆生虚誑ノ身口意ヲ。治セムカタメ
>T2651_.83.0661c19: トノヘタマフ
この「莊嚴して」は、どういう意味と辞書に載ってるのかな?
まず日国とか引いたことがないから分からないけど、
少なくとも仏教辞典は全滅だし、いままでの諸学者の解釈もほとんど誤解だと思う。
そりゃ基本的意味は辞書で充分でしょう。
まさか研究者が、そんなこと問題にしないし、そんな部分で辞書なんか先ず引かないんじゃないの?
>>484 >日本語でこれらを行おうとすれば、形式ばっていて、堅苦しく、
>自然な表現とはかけ離れた文章になってしまうだろう。
要するに日本人は情緒依存だということだな。
だから花が時局を感じて涙し、鳥が別離を悲しんで吃驚する。
果たしてこの場合の杜甫の詩の解釈は >まず日国とか引いたことがないから分からないけど、 >少なくとも仏教辞典は全滅だし、いままでの諸学者の解釈もほとんど誤解だと思う。 こういう状況に当たるだろうか。ぼくにはとてもそうは思えない。
>>485 ウェブ大辞泉には次のようにある。
しょう‐ごん【▽荘厳】
[名](スル)1 智慧・福徳・相好などで浄土や仏の身を飾ること。2 仏像や仏堂を、天蓋・幢幡(どうばん)・瓔珞(ようらく)などでおごそかに飾ること。また、その物。
親鸞がほかの文章でどんなふうに使っているのかをまず調べる必要がある。
解釈とは、ある例を、ほかの多数の例を根拠として説明することだから、孤例は意味不明だし、1 人しか使っていない語の意味も十分にはわからない。
そう答えるのが学問的には正しい。他の例が見つかるまでは黙っていなければならない。
489 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/09(土) 15:16:49 0
>>484 ただそう思いたいだけな気がするけど
下は論理的記述ではなく、分かりやすい書き方、つまり、文法構造より語用の問題でしょ。
>・省略が少ないか、しても文法機能によって省略されたものが示される
>・語と語、文と文の関係を分かりやすく明示する
>・婉曲な表現や迂言的な言い回しをする必要がない
例えば、恐らくインドは最も論理学が発達した国だと思うけど、
論理学を記述するスートラは省略が極めて多い。
指示関係も不明なことが多い。
婉曲表現も多いが、高度に論理的な著作が多い。
サンスクリットは極めて明瞭で整備された規範文法を有するので、
文法構造の規定が緻密であるにもかかわらずだよ。
ちなみに論理学関係の本をたくさん書いている三浦俊彦は、
英語の方が日本語より非論理的な例をいくつか『ラッセルのパラドクス』で挙げてるけど、
要はどんな形而上学に基づいて論理学を構築するかに依存するので、
一概にはいえないし、オイラの感覚だと日本語は充分論理的に記述できると思う。
単に日本文学に論理性、形式的整合性が欠けているからって、
日本語が論理的記述に向かないとは言えないでしょう。
詩聖と呼ばれた杜甫ともなれば別離の悲しみのオーラを発して 鳥の心を操ることが出来るんだよ。 花にもデムパを飛ばして世の乱れていることを教えてやると 朝廷派の花が涙を濺濺と流す。反乱軍側の花はそれ見たことかと高笑いする。
491 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/09(土) 15:24:48 0
>>488 やっぱり、文脈や用例に添って考えるでしょ。
辞書を引いて語釈に添って当てはまるなら、それでいいけど、
大抵、引っ掛かる言葉は、何か特殊な用法をしてることが多いでしょう。
そこで文脈に添っていろいろ調べるのが読むことの基本だと思いますが。
これは認識変換されて整えられるといった意味。
もともと、サンスクリットのヴューハを大乗仏教が用いた用法で、
シナ訳で「荘厳」と訳された。
余り仏教に通じてない人は、漢字だけの意味から、「飾る」という意味として使うけど、その用例はそれでは意味が通らないと思う。
ちゃんと分かってる人は上のように使います。
>>489 お前が日本語は論理的記述にも向いている、
と思いたい日本語信奉者なだけじゃないのか?
言語には分野に応じて適不適がある。
また、語用を無視し、文法構造のみを以って言語の論理の記述への適不適を語るのは不毛である。
いかに文法構造が緻密で論理的であろうと、
母語話者にとって自然な表現で、かつ誰にでも分かりやすく論理を記述できないなら、
その言語としての自然さか、明瞭さのどちらかから犠牲を払わなければならないのだから、
犠牲の少ない言語に比べ論理の記述に向いていない、と言えるだろう。
>ちなみに論理学関係の本をたくさん書いている三浦俊彦は、
>英語の方が日本語より非論理的な例をいくつか『ラッセルのパラドクス』で挙げてるけど、
これはこの場合全く関係すらしていない。英語が適していると誰が言ったのだ?
>要はどんな形而上学に基づいて論理学を構築するかに依存するので一概には
先進諸国一般で通用する論理の記述に向いていない、と言えば満足か?
>日本文学に論理性、形式的整合性が欠けている
それどころか、母語話者の発話や記述にさえ通常それらは欠けていて、
論理的に記述/発言する習慣が育っていなかったために、
そのような体系に言語が整備されていないのだから、向いていないと言わざるを得ない。
さて、省略や婉曲表現が多い論理的著作の存在と、
省略や婉曲表現の多い言語における論理的記述への不適との直接的関連性はなにかな。
さまざまな論理的概念が既知である前提で読まれるスートラを引き合いに出しても
意味がないことも分からないようでは相手をするだけ無駄だな。
>>491 >漢字だけの意味から、「飾る」という意味として使うけど
それは書斎に引き篭っているニートの発想だ。
仏教を研究する学僧は普通師匠に尋ねるものだ。
後漢書の用例に「夫人欲試ェ令恚,伺當朝會,莊嚴已訖」とあり
「裝束整齊」・・・衣装を整えるという意味の解説がある。
「三業」が「身口意」に関する事柄だとわかれば
余り仏教に通じてなくとも
「三業莊嚴」・・・・衆生虚誑ノ身口意ヲ。治セムカタメ と
「三業莊嚴」の意味する所を噛み砕いて説明している部分があるので
三業〜衆生虚誑ノ身口意
莊嚴=治セム
ぐらいのことは判る。
494 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/09(土) 16:11:10 0
>>492 話しにならんな。オイラも学生のことはサンスクリットはなんて論理的な言葉なんだろうと勘違いしたもんだ。恥ずかしい。
>>493 ほら、文脈や用例から判断してるじゃないか。
>それは書斎に引き篭っているニートの発想だ。
>仏教を研究する学僧は普通師匠に尋ねるものだ。
そう思うだろう。オイラはそうしてるんだが、
学会では言語分析や文献学しかしない人が主流なんだよ。
495 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/09(土) 16:12:16 0
様々な知識の共有が前提にある専門家同士の「論理学」と、 庶民同士のやりとりや大衆を煽動するのに用いられる「論理性」は別物だ。 前者に向いていない言語はない。 後者に関して言えば、日本語はあきらかに向いていない。
496 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/09(土) 16:18:42 0
サンスクリットが論理的な言語だなんて誰が言ったんだろう。 日本語が非論理的な言語だと誰が言ったんだろう。 「向いていない」という表現の意味も分からずに 「日本語は非論理的だ!」に対するのと同じ反論をしている時点で、 この「オイラ」とか言ってる気持ち悪い奴の相手はするだけ無駄だよ。
むしろ、専門家同士が話すと、別言語になってしまうのが日本語だな
オイラって気持ち悪いよな。
そういえばおいらって一人称はなんだ? 奥入瀬とは関係ないよな?
アイヌ語だと「オイラ」は「忘れた」なのか。 つまり名無しの一人称そのものか? おい誰だ御前の「オイ」って何語だろう?
おいお茶持って来い。って普通に使ってるのに、おいが人称代名詞として認識されていないのが不思議だ。
呼びかけにしか使えない人称代名詞なんて……。
おじさんとかおばさんとかおいちゃんとかおにいちゃんとか、身内の関係を表す言葉を赤の他人に一人称として使うのって敬語の一種だったんだろうか?
子供相手なら可能でしょう。 初等教育に限って「先生」も一人称として使われますね。
あ、敬語か。敬語じゃないでしょ別に。
>>491 > これは認識変換されて整えられるといった意味。
> もともと、サンスクリットのヴューハを大乗仏教が用いた用法で、
> シナ訳で「荘厳」と訳された。
そのような用例はあるのかな。あるなら中国語の辞書は載せなければならない。
日本語のテクストに同じような「荘厳 (する)」の例はないのか。もしないなら、親鸞の個人言語であって日本語ではなく、意味不明ということになる。
学問とはそういうものだ。デンパを蔓延らせないために、しばしば有力な容疑者を不起訴にせざるを得ない。
ずいぶん多くの赤子を川に流しているのだろうが、仕方がない。
この場合、敬語の一種と言っているのであって狭義の敬語だと言っているわけではないんだよね。 専門家が勝手に特定の意味を与えているから、文字が表す意味とズレるんだ。
オイラ岬の灯台守はそのあと御前崎へ転勤して観音崎へ転勤するのが出世コース。
>>487 従来の読みの方が、「花濺涙」の「花」は「濺」の着点 (だから「そそぐ」と読んだ)、「鳥驚心」の「鳥」は「驚」の原因と、ちぐはぐだった。
白川静は共に原因と見て、「濺涙」に着点はないとした。
「花」「鳥」共に主語、「濺」は「ながす」の意の他動詞、「花の涙」「鳥の心」と解釈するのが最もシンプルで無理がなく、中国語話者の直観にも合う。
510 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/09(土) 20:17:31 0
>>506 『華厳経』『アミダ経』などの経典を始めシナ華厳や密教、
日本では弘法大師が鮮明にインド的用法で使っておられるよん。
因みにチベット語のクーパは、インド語の語感そのものを反映した、
配置する、並べるなどといった意味が原義・語源。
>>509 つまり、問題は自分が泣いているのか、花が泣いているようにみえたのかって話なの?
だとすれば、花が泣く為には、自分の心が泣いている必要があるんじゃないかな?
>>509 つまり
>詩聖と呼ばれた杜甫ともなれば別離の悲しみのオーラを発して
>鳥の心を操ることが出来るんだよ。
>花にもデムパを飛ばして世の乱れていることを教えてやると
>朝廷派の花が涙を濺濺と流す。反乱軍側の花はそれ見たことかと高笑いする。
ということ?
513 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/09(土) 20:53:37 0
>>496 >この「オイラ」とか言ってる気持ち悪い奴の相手はするだけ無駄だよ。
くそワロタ
日本語が論理に向いているかどうかも、 親鸞の荘厳の解釈も、 杜甫の濺の解釈もスレ違い。 日本語文法の新理論を提示しなさい。
うんこをした。 それはそれはおおきなうんこをした。 りっぱなうんこをした。 みようによっては、それはいちもつのかたちににているな、とおもった。 りっぱすぎるうんこをした。 上記の文章をあなた独自の新理論で分析し、論じなさい。
>>510 > 『華厳経』『アミダ経』などの経典を始めシナ華厳や密教、
> 日本では弘法大師が鮮明にインド的用法で使っておられるよん。
そんなメジャーな文献に見られる用法が辞書に反映されないとしたら、報告者の議論が下手で学界を説得できないか、
当該分野のレベルが低いか、その両方かだろうな。
517 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/10(日) 02:56:59 0
>>516 若しくは奇蹟的に辞書に載らなかったか
原稿の見落し→誰も気づかない
原稿書いた積りが、抜けていた→気づかず
等
宝籤の一等に当る位の確率を考えればまだ可能性はいくらも有るが…
518 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/10(日) 03:48:57 0
最近辞書の編纂がコンピュータ化されて杜撰になってる。 漢和辞典で「孑」と「子」の横棒の左半分が無い字の解説が全く同じというのを見つけた。 コピペして一部を修正するつもりが無修正で印刷出版してしまった。
>>518 年金未納だの不存在高齢者だの原因は皆同じだよな。
まあ三国志の人名も書けないJIS規格になんで使わない字が紛れ込んだりしたのかは知らないけども。
520 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/10(日) 04:26:08 0
>三国志の人名も書けないJIS規格 史記の項羽本記ですら表示できないJIS規格。 しかし歴史上ひとりにしか使わない「妲己」のための「妲」はある。 世の中声の大きい奴が勝利する。 これは中国、台湾の漢字規格に日本独自の国字と仮名を付け加えれば解決することだ。 そもそもMS−DOS時代のコード領域の狭いSHIFT-JISを Windowsに引き摺り込んだマイクロソフトが悪い。
>>520 莫迦な事言うなよな。
…横棒と波線の区別もつかないUNICODEになにを期待しろと?
522 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/10(日) 07:03:53 0
俺はunicode(小文字で書くのが正書法)がいいとは何処にも書いていない。
漢字コードっていうのはコンピュータで使う前に中国台湾で電報用漢字表というのがあって
7ビットコードのうち通信用制御符号を除いたテレタイプで打ち込める英数字や!”#$%・・・などの記号を
2字を組み合わせて漢字1字を表現していた。7ビットだと128の異なった組み合わせを
つくることが出来、それを2回掛け合わせると16384の漢字や記号を表現できるが
http://e-words.jp/p/r-ascii.html (←赤字が制御符号)
実際は128から33の通信用制御符号を除いて組み合わせると9000余りの漢字しか表示できない。
これがMS−DOS時代の技術の限界だった。
MSDOSの限界というより表示の問題だよ。 で、日本人はワープロを発明したから、タイプさえ打てれば誰でも使えた。
>>517 辞書はよく売れる本だ。出版社は力を入れている。
新しい辞書が次々と出るし、ブランド辞書も改訂を重ねている。ありそうにない話だ。
日本語学と比べて、(日本の) 中国語学・漢字学は風通しが悪いとも聞く。その辺りの影響はあるかもしれない。
相変わらずスレ違いばっかりだなあ。 まあこんなとこ見てるのなんて学生かボンクラ学者ぐらいだろうから、 新理論なんて期待できるわけがないか。
526 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/11(月) 03:12:27 0
結局、日本語が論理に向いてる向いてない論争は 「向いていないとも言えないし、向いていないわけではないとも言えない」 というイーブンの状態ということでいいのかな。
528 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/11(月) 11:33:50 0
>>527 もともとオイラは日本語が論理に向いてるとは言ってないよん。
ある言語が論理的記述に向いてる向いてないなんて若いね、ってスタンス(^^)
>>528 そうか?
自然言語はどれもこれも、数学言語や機械言語に比べて論理的記述に不向きだと思うが。
それこそ言語の問題じゃなくて文法定義の問題だよ。 標準化団体が無かったり乱立してたら、式の評価結果なんて不定だよ。
たとえばC言語なんて、K&RとANSIとか全く別物だよね。 逆に別言語の筈のC++なんかはANSI Cの拡張扱いみたいな所があるし。
532 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/11(月) 12:22:23 0
標準化団体があって明確に定義されている機械言語がいくつもある以上、 「なかったら」という仮定は不毛じゃね。 乱立しているなら、「これこれの定義に従う」という一文を付加すればいいだけじゃん。 文の解釈が明確に規定されているぶんだけ、それすらされていない自然言語よりはいいんじゃないかな。 依るべき文法定義もなく、述べた文の解釈が人によって異なる自然言語と、 文法定義ありきで、バグを除けば常に適正な解釈をえられる機械言語とでは比べる意味もない。
>乱立しているなら、「これこれの定義に従う」という一文を付加すればいいだけじゃん。 何語で書く気なの?
535 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/11(月) 12:34:14 0
>>534 さあ、別に何語でもいいんじゃない? どの定義に従うか示して、
その定義通りに解釈してくれるコンパイラかインタプリタに読ませるならさ。
機械語で直接書くにしても、はじめからどの型番のCPUのために書いたものか指定して、
そのCPUに読ませればいいんだし。
明確に定義されている機械言語ってどの辺? 処理系依存とか多分どっかに書かれてると思うんだけど。
>>535 じゃあ擬似ではない乱数でも定義しといてね。
538 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/11(月) 12:37:33 0
>>536 処理系の方は処理系の方で仕様が決まってるんだから、
どの処理系を想定するか指定すればおk。
540 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/11(月) 12:39:42 0
>>539 君は話者の仕様が分かるの?wwwwwwwwwwww
ソースもない処理系の隠れ仕様なんて知るかよ。
542 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/11(月) 12:44:21 0
>>541 自然言語の話者の仕様を調べるよりははるかに楽なんじゃないかなww
処理系が手元にあれば、隠れた仕様だって知ることができる。 話者も同じで、身内なら通じるんだよ。
544 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/11(月) 12:50:38 0
>>543 身内の「なんとなく」解釈はコンピュータよりずっと間違いが多くてあてになりませんねww
間違いが多いんだとすればちゃんと知らないか、言ってる本人がそもそも不誠実なんだよ。 犬だって同じ事教えればその意味を覚える、気分で不規則な対応をすれば混乱する。
またスレ違いかよ。 日本語文法の新理論どころか日本語ですらなくなった。
そういえば日本手話とかって日本語?それとも別言語?
550 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/11(月) 13:19:25 0
>>546 気分で不規則な発話をするのが自然言語話者ですよwwwwww
>>549 日本語対応手話は日本語を手話化したものだから、
文字言語と音声言語の違いみたいなもので、日本語。
日本手話は日本語でない。
日本の言語だから当然日本語の影響を受けて
日本語対応手話と中間的な様相を見せることもあるが、基本的には全くの別物。
>>551 きみ以外にそれが何語か分かる人がいるのかなwwwwww
たった3文字じゃ恣意的に答えを変えられましゅwwwwwwwwwww
>>553 つまり、自然言語と変わらないということだね。
誰も、全く変わらないとは言っていないのだから論理の飛躍ではないよ、 そもそも言語の個性があるのだから、そんなことは言えるわけもないのだけどね。
言葉遊び乙wwwwwww 「SEXの三文字が何語であるか恣意的に変えられる」ことと 「機械言語が自然言語と変わらないこと」の間にはなにも関係がありましぇーんwwwww
>>557 わかりにくいからそれ機械言語で言ってみてくれる?
「これはXXのCPUを用いたXXのマシンでXXの定義によるXX語として実行することを想定して書いたプログラムです」
と記述しておけばほとんど固定的な解釈を得られる機械言語と、
解釈する側の仕様がコロコロ変わる自然言語をいっしょにするなよwwwwwww
>>558 あなたの脳みその仕様を教えてくだしあ><
>>559 あなたの言葉なんだからあなたの仕様を教えてくれればそれで充分だよ。
で、それはどこの機械言語?
>>560 解釈側の仕様の方が遙かに重要です><
何かいても解釈側がとんちんかんなら意味がありませんwwwwww
解釈に裏仕様なんてあったら仕様の意味が全くない、一体何を言っているのか。
563 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/11(月) 13:57:39 0
>>529 それは実在論を形而上学として選択した静止抽象世界の論理学ならそうでしょう。
まさにソクラテス的本質主義、前期ウィトゲンシュタインというより、
論理実証主義ですな。
>>558 の脳みそがどのような解釈ができるのか教えてくれれば、
それで
>>557 を伝えられるようなら書いてあげますよwwww
RubyのインタプリタにBASIC読ませても意味ないっすからねwwwwww
>>564 そんなの余計なお世話だよ。
例えばwin32のプログラムをwineで解釈すればミスもあるだろうが、それは解釈側の問題だからどうでもいいんだよ。
この自然言語によるやりとりこそが自然言語が論理のやりとりに向いていないことを象徴しているな。
>>565 相手が机上電卓かDOSマシンかさえ分からないのに
メッセージ出せるわけないじゃないっすかwwwww
>>568 エミュレータで動かすから心配無用。さあ、あなたの使っているその高級言語の仕様を早く教えて。
570 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/11(月) 14:14:35 0
>>567 文法を定義「しようと思えばできる」機械言語と
「それさえできない」自然言語の話ですよwwwwwww
自然言語と比べての話なんでつから自然言語がどれほど向いているかは重要でつ><
571 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/11(月) 14:15:39 0
>>569 机上電卓にWindowsプログラムのエミュレートができるんでつかwwwwwwwww
573 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/11(月) 14:22:35 0
>>572 実際にそこにある机上電卓ひとつでnotepad.exeをエミュレートして動かしてみてくだしあ><
それとも机上電卓だけに机上論でつか?wwwww
>>573 そんな必要ないだろう。
それともチューリングマシンを否定するの?
>>574 現実的には不可能だと言ってるんでつよwwwwww
不可能でないと主張するならやって見せてくだしあ><
>>575 じゃあ、あなたが教えようとしないのは、現実的には不可能ってことだ。
>>576 きみがぼくが提示するかも知れない仕様を全て理解することも現実的には不可能なので、
お互い様ですね><
ところで、
>>557 を機械言語で表現するのと
「機械言語は自然言語に比べて論理的記述に向いている」
に何の関係があるのかな?wwwwwww
固定的な解釈を得られる機械言語
解釈がぶれまくる自然言語
この対比は解消されてませんよ?wwwwwwwww
「SEXの三文字が何語であるか恣意的に変えられる」機械言語と >固定的な解釈を得られる機械言語 の違いについての話だよ。
>>578 「とある論理を機械言語で表現できるか」
と
「機械言語が論理的記述に向いているかどうか」
には関係がないでそwwwwwwww
「論理の記述」に向いていることと「論理的記述」に向いていることは違うんでつよwwwww
機械言語では解釈側を指定することで固定的な解釈を得られる
自然言語ではそれができない
SEXの三文字が何語で解釈されるべきか
>>533 が指定してされてないのが問題なんでつよwww
>>579 機械言語が恣意的に変えられるんじゃなくて、
自然言語を用いている お ま え が 「恣意的に変えられる」んだろwwww
機械言語ではSEXの三文字をどう解釈するか指定してあげれば常に同一の解釈をします><
>>582 だったらその万能機械言語の仕様を教えろと言ってるんだよ。
急に止まった。 猿か?
で、これまでの間、新理論は出たのか
出ないね。不毛な煽り合い。
なんだ、文脈制限文法か確率文脈自由文法かみたいな話をしていたんじゃなかったのか。
おっと、文脈依存文法だったか。
お互いがお互いの主張に無関係な要求をして煽り合っていたに過ぎない。
いやいや、論理的だというその機械言語とやらで、自分の主張を記述してみてくれと言っていただけですよ。
無関係な要求そのものだな。
いやいや、噛み合っていない話が、その言語で話せば議論になるとしたら、それは論理的な証明になるでしょう。
噛み合っていない話を噛み合わせるには、その言語で扱える論理でなければならん。 機械言語が記述できるのはせいぜい数式処理が限界だ。 ハチミツは甘いという主張に対して、甘いんだったらハチミツでカルメ焼き作れよと言っているような状況だ。 (この場合、主張の正誤自体はとりあえず問題としない。念のため。)
論理が記述できない言語はそもそも論理的記述に向いているとは言えない。
話にならんな。機械言語が論理的だとはわたしも全く思わないし、 主張者の根拠は賛同できるようなものではないが、 とある言語の記述が論理的であることと、 それが論理を記述するのに適しているかは全く別の話だ。 論理学的な記述に向いている、というのと、 論理的記述に向いている、というのを混同している。 だから無関係な要求だというのだ。
論理が記述できない以上、話にならないのは当たり前。 記述できない論理があるというのは致命的でしょう。
>>596 この世のありとあらゆる論理を記述できる言語などあるのかね?
その言語が扱える論理さえ論理的に記述できるならそれは
「論理的記述をする」ことに向いている。
扱える範囲が狭すぎれば、当然「論理を記述する」ことに向いているとは言えないがね。
ありとあらゆるなんて誰も言っていない。
ただ、
>>529 のような主張をするならば、比較対象で記述できる論理は記述できないとね。
>>598 「論理的記述」と「論理の記述」を混同している。
「論理的記述に向いている」のと「論理の記述に向いている」のは別のことだとなんど言えば分かるのだ。
「AはBより論理の記述に向いている」と言うならば、AはBが記述できる論理も記述できなければならないが、
「AはBより論理的記述に向いている」と言うのであれば、扱える分野の狭さは問題にならない。
記述がより論理的でさえあればよい。
>>599 論理が記述ができないのに、「記述が論理的であること」はあり得ない。
>>600 狭い分野の論理しか記述できないことが、「記述が論理的であることはありえない」
ということの根拠になるのだとすれば、
「あらゆる論理を記述できなければ、記述が論理的であることはありえない」
ということになるがいいのか?
それとも、機械言語はあらゆる論理を記述できないとでも言いたいのか?
「記述が論理的である」というのは記述がなんらかの論理に従ってなされているということだ。
とある論理が記述できるかどうかとは、何ら関係がない。
>>602 「言語Aの記述が論理的である」という主張をその言語A自身で記述できなければ言語Aは論理的でない
という主張であると理解していいのかね?
604 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/11(月) 20:07:34 0
>>595 >論理学的な記述に向いている、というのと、
>論理的記述に向いている、というのを混同している。
>>599 >「論理的記述」と「論理の記述」を混同している。
>
>「論理的記述に向いている」のと「論理の記述に向いている」のは別のことだとなんど言えば分かるのだ。
なんだこりゃ、論理とメタ論理みたいなもんか?
どう違うのか、例示してくれ。
>>604 論理的記述に適すると言うのはそれが論理に従っていれば何についての記述であっても論理的だ。
記述対象が固定化していてもよい。
例えばその言語が
Xは4である。Xが2で割り切れるならば、Xは偶数である。
Xは2で割り切れる。よってXは偶数である。
といったような初等の算術論理しか記述できなくても、その記述は論理的である。「論理的記述」を行うには十分適している。
このとき、言語Aでは記述の論理解釈にいつも一通りの可能性しかなく、特定の論理に従っていると見なせるのに対し、
言語Bにおける記述ではどの論理を以って解釈すべきかを全く定められない、あるいは特定の論理に基づいていると判断できない記述しかできない
というような状況であれば、BはAに比べ論理的記述をするのに向いていないと言える。
それに対し言語Aが言語Bより論理の記述に他方より適するというのは、AはBよりも広い範囲の論理を記述できねばならない。
ネコはネコ科である。ネコ科は食肉目である。よってネコは食肉目である。
という論理をBが記述できるのに、Aが上記の論理しか記述できないようであれば、
「AはBより論理の記述に向いている」とは呼びがたい。
ここで、
>>529 の問題点は何かと言えば、
「機械言語では一通りの解釈に定まる」だとか、
「自然言語では論理の解釈が定まりえない」だとかいう内容の根拠を示せていないことであって、
自然言語で本人が記述している「論理らしきもの」を機械言語で記述できないことではないのだ。
>>605 仮に噛み合っていない話を噛み合わせることができたなら、「論理の記述」に向いていると言える。
しかし、主張者がそれを行えないということが「論理的記述をするのに向いていると言えない」ということの根拠にはならない。
その要求の成否が主張の真偽に関わらないのだから、無関係な要求なのだ。
>しかし、主張者がそれを行えないということが「論理的記述をするのに向いていると言えない」ということの根拠にはならない。 悪魔だね。 行えるということであれば、自然言語が不向きである根拠になるのだから無関係だとは言えない。
>>607 自然言語が「論理を記述すること」に不向きであるということの根拠になるだけで、
「論理的記述をすること」に不向きであると言うことの根拠にはならない。
自然言語がこの分野の論理を記述することができないのであって、
この分野で論理的な記述ができないにしても(そもそも不向きなのだから、記述しようとすれば問題を生じるに決まっている)、
自然言語がその適正な分野において十分に論理的な記述ができるのであれば、
それは「論理的記述」に不向きであるとは言えないからだ。
この分野において論理を記述できないというに過ぎない。
「論理を記述するのに向いていること」と「論理的記述をするのに向いている」が違うと述べたうえで、
「論理を記述するのに向いている」ことを証明できないことが「論理的記述をするのに向いているといえない」ことの
証明にならないと述べているのであるから、悪魔の証明とは違うのだ。
AとBは違う。
Aを証明できないことが「Bでないと言えない」の証明にならない。
というのと
Aを証明できないことが「Aでないと言えない」の証明にならない。
というのの区別さえつかないのか?
>>608 つまり、あなたは今、論理を記述してはいないって事ですか?
>>609 この記述が「論理でない」とお前が思うなら、お前の中ではそうだろうな。
「論理を記述するのに向いている」が様々な分野での論理を記述できるという意味で、
「論理的記述をするのに向いている」というのは分野を問わず何らかの論理に従って記述できれば、
あるいはどの論理に従って記述されているのか分かるように記述できればよい
、と言っているのだが、それさえ理解できないのか。
この表現とその表現解釈が如何に妥当かまでは知らん。
少なくとも
>>529 がわたしが言っている意味での「論理を記述するのに向いている」という意味で
言っているのではないと判断したので、無関係な要求と判断したまで。
611 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/11(月) 21:13:54 0
>>606 長文ども、だけどこういう場合は、
二例を短文で対比してもらった方が分かりやすいんだけど
>>610 つまり、あなたは、自分の記述を、論理であるが、論理的ではないと思っているわけですよね?
だったら、記述ができれば論理的な根拠になるでしょう。論理ではなく。
>>611 「論理の記述に向いている」
様々な分野での論理を記述できる
「論理的記述に向いている」
分野を問わず何らかの論理に従って記述できれば、
あるいはどの論理に従って記述されているのか分かるように記述できるのであればよい
これは表現解釈の問題だな。少なくともこの二つの事項が違うことであると言うのが分かればよいか。
>>529 は機械言語の一意性と自然言語の多義性(それが事実かは知らん)に根拠を置いていたようなので、後者の意味だと判断した。
一意的であればすなわち論理的だという思考回路も理解できないが、
>>529 の考えることなので知らん。
>>612 論理であるかもしれないし、同時に論理的であるかもしれない。
ところで、1分野の記述しかできないが、常に論理的な、つまり論理解釈の容易な記述がされる言語と、
様々な分野の論理を記述できるが、記述の論理解釈の難しい、どのような論理に依って記述されているか審判しがたい言語では
わたしがどちらが「論理的記述に向いて」いて、どちらが「論理の記述に向いて」いる
と言っているのか考えなさい。今のお前はなんとか揚げ足を取ろうとしているようにしか見えないよ。
>>629 が論理の審判が容易であることを「論理的だ」「論理的記述に向いている」と言っているのは明白であるから、
「多様な論理を記述できる」という意味で
>>629 を捉え、批判することは無意味だ。
自らの論理を自分に分かるように機械言語を以ってせよというのはそういう要求だ。
発言を発言者の意図と違う方向に解釈し、それを以って批判するのはナンセンスだよ。
お前が「自分にとっての「論理的」と違う、「論理」と違う」というならもう知らん。
批判は発言者と語句の解釈を統一してから行うべきで、
>>629 は自らの発言の意味を示しているのだから、それに従うべき。
>>614 いやいや、揚げ足なんかではなく、無関係な要求をしたというのは心外なだけですよ。
関係性さえ認めていただければ問題ありません。
>>616 何度でも言おうか。無関係な要求だ。
>>529 は「機械言語なら明確な定義から一意的に解釈できるけど自然言語はそうでないから前者が論理的記述に向いてる」
と主張しているのであって、多様な分野で論理を記述できるなどとは一言も言っていないのだから、
「機械言語は明確な定義から一意的に解釈できる」というのを否定すべきであって、
そうしないのなら
「
>>529 と
>>616 では『論理的記述に向いている』という言葉の使い方が違いましたね、おしまい」
でよいのだよ。
>>617 そんな事を言った覚えはありませんが、どこですか?
>>530 で納得してくれなかったから困っているのに。
>>618 それでは
>>530 で終わりだ。
あとは
>>529 に「機械言語は一義的に解釈できるとは限らない」というのを分かりやすく説明してやるべきだ。
>>558 で言っているような「自然言語で噛み合わない論理を機械言語で記述せよ」
というのは身近な言葉で言えばただの意地悪というものだな。
一義的な解釈性が
>>529 の「論理的記述に向いてる」の論拠であるのだから、無関係な要求だ。
それがわからずに意地悪なんてするから「関係ないっすwww」だなんて煽り返される。
「機械言語は一意的に解釈できる記述ができるからより論理的記述に向いている」という主張に対して、
「論理的だというならば自然言語で記述しあぐねている論理を記述せよ」という要求が無関係であることが分からないのか?
ここですでに「論理的記述に向いている」という表現の解釈が異なっている。
一意的に解釈云々の意味であるという根拠は
>>532 >>535 >>538 >>559 など。
>>620 書き込みの本旨に何もコメントがないということは、
「機械言語は一意的に解釈できる記述ができるから」というのと、
「論理的だというならば自然言語で記述しあぐねている論理を記述せよ」というのが無関係であり、
>>590 >>592 は誤り、無関係な要求と見てよいのだな。
お前が
>>558 からしているのは無関係な要求による煽りそのものだぞ。
意地悪な要求と無関係な要求って全然違うじゃないですか。
>>622 意地悪しようとして失敗した無関係な要求
と言えばいいか?
「機械言語は一意的に解釈できる記述ができるから論理的記述に向いている」というのと、
「論理的だというならば自然言語で記述しあぐねている論理を記述せよ」というのが
「論理的」の解釈の問題でない、とは示せないのだな。
だから、仕様を言わないんだからどんな要求だってありなんですよ。
>>624 機械言語で記述せよという要求それ自体が無関係な要求なのだから、
「仕様を言わないからどんな要求もあり」というのにも意味がないな。
>>625 そもそも、出来ないなんて誰が言ったんですか?
話題になっている煽り合いと同じぐらいの長さになったな。
>>626 では、
「機械言語は一意的に解釈できる記述ができるから論理的記述に向いている」というのと、
「論理的だというならば自然言語で記述しあぐねている論理を記述せよ」というのが
「論理的」の解釈の問題でない
ということを示せ。
それをしないのなら、仕様を提示できないくせにできると言い張る
>>529 と同じだ。
>>628 人の言葉を勝手に訳されても困ります。
それはあなたの意見でしょう。
>>630 だから終わった話を引っくり返して結局なんだったんですか?
言語Aが言語Bより論理的であるという時に、言語Aの仕様と例文の要求が
どこが無関係な要求だったのか、説明してくださいということですよ。
あたし昨晩紅茶の飲みすぎで酷い水下痢しちゃったわけ。肛門もビロビロに半めくれよ。
しかも、便器の中でビチャビチャにカクハンされた自らの大便?ぱっと見具入りコーヒーに見えなくもないじゃない?
あたし
>>630 にスカトロバレして気が動転してたのか、手で掬って飲んじゃったのよ。手前大便汁。
そしら意外や意外、苦味や香りがコーヒーそっくりでめっちゃウマ!
って、あんた恐ろしいほどの糞馬鹿ね、
>>630 。
排便スレにたった一行書き込んだだけで鬼の首でも取ったかのような大歓喜。勘違い。
あんたのご自慢報告を徹底的にぶっ潰されて、グーの音も出なくなったら今度はレス抽出ですか。
そうですか。だったらあたしもあんたの書き込み片っ端から抽出してここに貼りましょうか。
ちょっとやめなさい。汚い顔面を更に醜く歪めて恐れ慄くのはおやめなさい見苦しい。
心配しなくても大丈夫。あたしはそこまで暇じゃないし、あんたの書き込みなんて興味ないわ。
ところで、もうひとり香ばしい便所蝿がホクホクの大便片手に嬉々として書き込みしてるわねえ。
>>631 、もちろんあんたのことよ。
どんぐりの背比べとは言うけど、まさか中華自慢の糞喰い便所蝿の背比べが見られるなんて、
人間生きてると奇跡的なほど哀れな人生に遭遇するもんだと、感慨に浸ってるところよあたし今。
残飯大乞食であるという事実だけで、一般人ならとっくに自決レベルの大恥を晒してるのに、
どれだけ糞まみれになり汚物化しようとも、そうして恥知らずに生き続け、ここにレスを書き込む。
神様、あんたは何を思ってこのような人間を地球に産み落としたのよ。まるで大便のように。
糞から生まれた糞太郎。
論理的でないと言われるのがどうしてそんなに癇に障るのかわからない。 部分否定やら複数やら、苦手な論理が日本語にはいろいろあるという事実は動かない。仕方がないじゃないか。 曖昧や意味不通を避けるためには表現に工夫が要る。それは日本語の文筆にかかわる者ならみな知ってることだ。 日本語ではあっさり言えるのに英語では回りくどくなるのは、「何番目」ぐらいのものだ。
論理的が褒め言葉で、その打ち消しだからでしょ?
世界はたぶんまた複数の価値観が並立する時代に戻っていくと思うよ。 中国や北朝鮮や韓国、イスラム世界では、「論理的」であることなど重んじていない。
部分否定がめんどくさいのは確かにあるな。 日常の会話を見てみても、部分否定を伝達するのに齟齬が生じていることは多い気がする。 全体として向いてる向いてないかだとか論理的だとかなんて知らないけどね。 他の言語にもめんどくさくなる表現対象はいっぱいあるだろうから。
>>637 そんなことする必要はないよ。
日本は日本の価値観でやっていきます、小さな迷惑はかけるでしょうが、こちらも小さな迷惑なら我慢します、お互い様でしょと言っておけばいい。
数十年前の日本はまだ「和魂洋才」「脱亜入欧」といった感じだったはずだから、そのころ科学の世界に入った俊才が、いま西洋世界から評価されてノーベル賞をもらっている。
だけど、その後化けの皮が剥がれたというか、本来の姿に戻ったというか、日本の西洋崇拝の度合いはだんだん下がってきたと思う。
アメリカ崇拝の小泉政権が日本社会を破壊したことで、その流れは決定的になった。
西洋の言葉で表せる限りの「論理 (Logos)」自体が、西洋の価値観に過ぎないのだ。
>>638 アメリカと西欧爆発させたら海広がってみんな幸せじゃん。
ところで、論理的でないものを論理で記述することって可能なの?
他のスレでやってくれよ。
いやさ、チューリングテストに合格する機械ってのは、論理で記述されている訳だろ? 論理的でない言語なんて記述できるのかなって。
>>640 「論理の誤り」として記述できる場合と、全然できない場合とがある。
「安らかに眠ってください 過ちは繰り返しませぬから」を英語に訳すことはできない。
どう訳しても原話者は「そういう意味ではない」と言うだろう。
>>642 非論理的な言語の場合は、相手が人間でも機械でも、話者が期待するような反応をしない (言語が悪い) から、区別がつかないのではないか。
>>644 区別がつかないということは、成績がよくなるという事だろうか?
646 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/12(火) 04:37:33 0
>>613 >「論理の記述に向いている」
>様々な分野での論理を記述できる
>「論理的記述に向いている」
>分野を問わず何らかの論理に従って記述できれば、
>あるいはどの論理に従って記述されているのか分かるように記述できるのであればよい
どうちがうんだ? そもそも論理をどう捉えているのか?
647 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/12(火) 04:39:53 0
>>633 >部分否定やら複数やら、苦手な論理が日本語にはいろいろあるという事実は動かない。仕方がないじゃないか。
>曖昧や意味不通を避けるためには表現に工夫が要る。それは日本語の文筆にかかわる者ならみな知ってることだ。
>日本語ではあっさり言えるのに英語では回りくどくなるのは、「何番目」ぐらいのものだ。
なんだやっぱりこんなことか。
>>645 よくなると思う。そういう文脈の乏しいテストがもともと日本語は苦手だ。
返答がとんちんかんなので機械かと思ったら人間だったといったことはありうる。
>>647 形式論理といってもその根拠は西洋語だ。言葉から離れたものを考えてるわけじゃない。
649 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/12(火) 08:40:54 0
>>648 >形式論理といってもその根拠は西洋語だ。言葉から離れたものを考えてるわけじゃない。
その考えはどうかな、とりあえずラッセルあたりでも否定されてるぞ
それに論理は西洋論理だけではない。
形而上学的選択によって論理はことなる。
「式では表せるが、それを表す簡素な形式が西洋語にもない」という論理が存在するだろうか?
>>648 坊さん連れてきて禅問答させてみたらどうか?
653 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/12(火) 23:04:50 0
>>652 記号論理は実在論を基盤にしてるから無理
そもさん!
655 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/12(火) 23:28:26 0
説破
西洋論理と異なる「論理」を考えてまで、「論理的である」ということを守らなければならないのか? なぜそうまでして「論理」と呼ぶのかが疑問だ。
そもそもコンピュータなんて、ゼロで除算したら止まるしな。
>>657-658 そういうことにも意味があると考える論理は存在するのか?
確率論や統計学は論理ではない。当初は「ばくち打ちの学問」と蔑まれていた。
しかし、自由な人体実験ができない医学にも論理でない要素がある。
「踊れドクター」でやっていた総合診療は、論理的には全体と部分との関係を無視しながら、できるだけ確率の高い方を選んでいく。
それでも外れることはある。外れたらごめんなさいと謝るしかない。
日本語には名詞の数というカテゴリがないから、全体と部分という論理が存在しない。
「一事が万事」と言うように、一にして全、全にして一だ。
運動部に 1 人非行部員がいれば全体が出場停止、1 つ失敗した人のやることはすべて信用できないから昇進停止、
朝鮮人が全員犯罪者かその予備軍であることはいうまでもない。
不運な人には泣いてもらうが、危険の可能性を残すよりはよいという「論理」で、けっこううまくやってきたのだ。
660 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/13(水) 05:45:42 0
「論理」自体に問題がある。論理は個別言語でしか組み立てられないから、どんなに精緻にしても他の言語の話者にはピンとこないものだ。
662 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/13(水) 09:33:40 0
>>661 いや、そこらへんはラッセル、クワインあたりが乗り越えてるようだけど
日本語が論理云々言ってる人の指している「論理」って、実は単なる排中律だったりしない?
日本語は非論理的だ。
665 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/13(水) 11:12:18 0
668 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/13(水) 14:27:06 0
論理においては A→BとB→Cが成り立つときA→Cが成り立つ とかいう決まりごとは信じるしかないんだよね。
>>650 への答がないな。実在論も西洋語で組み立てたものだから当然か。
「集合」の概念なんてもうバリバリの西洋語基準。
671 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/13(水) 15:49:26 0
できるだけ短い発音で、できるだけ多くのことを表現できる言語が論理的ってことなの?
672 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/13(水) 15:59:53 0
発音と論理は関係なし。
673 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/13(水) 16:58:06 0
>>671 全然関係ないよ。
短い発音でなく、少ない記号で簡潔に表現した方が分かりやすく美しいってたけのこと。
全体的に筋が通ってること、整合性のあることが論理的と言われるけど、
どうも日本語は非論理とか言ってる人はそういう意味では使ってないよう。
何を以て筋が通っている、整合的とするかの基準が論理であり、現在一般に論理と言われるものは、西洋語で組み立てられたものだ。
つまり「全ては神のなしたもう」を原則とすれば 「A→それは神のなしたもうたことだ」 も十分に論理的といえるのだ!
日本語の部分否定と排中律について誰か論じてみてくれないか?
677 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/13(水) 18:52:26 0
>>674 そう。しょぼい実在論に基づく静止世界しか記述できないので、
あまり使えない。
日本語って、是でも非でもなく和であって、多値論理なのかもね。
日本人はアイマイを好むから論理には弱い。
曖昧も論理だと考えずに思考停止する方が論理的でない考え方なんだよね、実は。
「論理」の基準を設けずに「論理的」かどうか決められるのだろうか。
>>669 その論理学で言う「A→B」を表す簡素な形が、西洋語にはあるが日本語にはない。
一般に「A ならば B」と言うが、A が名詞文でないと「ならば」はうまく機能しない。
>>680 2値論理に弱い、とすれば満足なのだろうか。
だからあ、日本語も日本人も日本文化も非論理的なんだってさ。 茶道や俳句や禅は論理の対極にあるもんだよ。
>>683 勝手にパラドクスにはまりこんでるだけ。
このスレを読めば、日本人は非論理的だなあと思う。
>>686 それを論理で記述していないのだから、その発言は実に非論理的。
「思う」と、個人的な感想であって論理的事実でないことを明示している書き込みに 「非論理的」とあたりまえなことを言う神経がよく分からない。
689 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/13(水) 20:41:25 0
>>678-679 >>684 そういう雰囲気だけ、あるいは他人の受け売りみたいな思考は非論理かも
禅は論理がある。それは実在論的論理形式を打ち壊す論理だ。
西洋の絵画や詩に論理があるというのかな?
そりゃ絵画論や詩論はあるだろう、それと同様に日本にも画論や歌論があるよ。
どっちもロジックではないでしょ。
>>682 A なら B 英語だと if then じゃないのか
「なら」で上手くいかなければ、相当する言葉で置き換えればいいだけでしょ。
西洋語直訳で考えるから、しっくりこないだけだとおも
>>689 ある言語ではとある形式の論理をいつも特定の簡素な記述で表せるのに、
別の言語では内容に応じてその都度表現を変えなければならないなら、
後者はその形式の論理の記述について不得手といってよいのではないかな。
日本語や英語の関係がそうだとは言わないが。
>>688 思うが論理的事実ではないことを明示しているという論拠は?
>>691 「○○だ」と「○○だなあと思う」
という表現の違いを自分で考えな。どういうときにどちらを使うか。
これは論理的(笑)な書き込みでないよ、念のため。
693 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/13(水) 21:27:31 0
>>690 もし、ない、あるいは不自然、冗長な表現になるとするなら、
論理形式が違うということではないか?
ここらへんは『野生の思考』やインド論理学がとても参考になると思う。
インド論理学を西洋人が研究したが、それは滑稽極まりなかった。
>>693 そうだよ。
日本人の論理形式は西洋と違うから、その日本人たちの間で発達した日本語は
西洋的な形式の論理の記述に西洋語より不得手という当たり前なことを書いただけ。
>>689 > 「なら」で上手くいかなければ、相当する言葉で置き換えればいいだけでしょ。
日本語には適当な言葉がない。
「命題」「逆」「裏」「対偶」等、すべて西洋語に基づく概念。
696 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/13(水) 21:37:23 0
>>694 それなら、日本語は西洋論理に馴染まないとか合わないとか書けばいいのに
697 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/13(水) 21:39:57 0
>>695 ああ、観念的に複雑化・形式化した部分、術語に対応語がないのはあたりまえ。
インド論理学の対応語が西洋語にはないのと同じ。
>>696 馴染まないとか合わないという表現は実に曖昧で日本語らしくていいですね。
いつからこのスレは論理スレになったの。
>>692 〇〇だ は結論? ○○だなあと思う は推論?
>>700 ぼくは彼女を見て美しいなあと思った。
ぼくは彼のやり方をみて機械的だなあと思った。
推論ですか?
>>701 観察して、美しい 機械的 と 推論したんだよ。
>>702 あなたは珍奇な日本語感覚をしていると思います。
それともこれを「感想」だと思うぼくが珍奇な日本語感覚をしているのでしょうか。
他の人の審判を求めます。
705 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/13(水) 22:45:22 0
ウナギ だ 客観、事実 ウナギ だろ 主観 ウナギ だろう 推測 ウナギ とな 意外 ウナギ なり 当然 ・・・
天皇陛下が うれしいと思いました 言うぐらいだし、 一種の美化語として、定着しつつあるんだろう。
>>704 あなたは「なんとなくそう感じたから、そうである」を論理とみなしますか?
>>704 ついでにもうひとつ。
あなたは
「このスレを読めば、日本人は非論理的だなあと思う。」
これを
「(人は)このスレを読めば、日本人は非論理的だなあと思う。」
と解釈しましたか? それとも
「自分はこのスレを読んで、日本人は非論理的だなあと思った。」
という旨だと思いましたか?
>>707 否定されない限り論理とみなしますね。
つまり、自分が代わりに推論可能であれば定理のようなものでしょう。
このスレを読めば、クレタ人は嘘つきだなあと思う。
うまいなあ。
>>709 が
>>687 と同一人物なら、一貫性を保つためには、回答の可能性は
「自分はこのスレを読んで、日本人は非論理的だなあと思った。」以外の解釈を提示するしかない。
自分が代わりに推論可能の自分って誰?
問題は、
>>688 の言うように自明なのかということなんだよな。
明示されてるとか言い出す
>>688 もどうかと思うけど
逆に論理的事実を書いているのでない可能性の残された記述に向かって
「その発言は非論理的」とかどや顔して書き込むのもアレじゃね。
>>715 否定したまま思考停止する以上その可能性はないんじゃない?
>>716 論理的事実を書いているのでない可能性がないってことは、
「
>>686 は論理的事実を書くつもりで
>>686 を書いた」って証明できるってことかい?
証明できないことが証明できることになるというのって、排中律?
>>718 Aを証明できないことはAでないことの証明にはならないし、
Aでないことを証明できないことはAの証明にはならない。
排中律は、
「AであればAでないし、AでないのでなければAであるし、AでありかつAでないことはありえない」
ということだから、この問題とはちょっと違うね。
(西洋)論理に立脚する限りは、
悪魔の在不在については「わからない」と黙っていなければならない。
悪魔の証明って言葉は便利に使われはするけど、
「悪魔は存在しない!」と"積極的に"主張する場合においては、
極めて難しい「いない」ことの証明をやはりする必要がある。
「バカバカしい、悪魔がいると思うなら勝手に思ってろ」と、
消極的に否定する場合には証明の必要は全くないけど、
今回の場合は「論理的事実を書くつもりで書いたのでない可能性があると思うなら思ってろ」
というのは議論や思考の放棄だろう。
>>718 ところで、これは論理とは関係のない世界の話なんだけどね、
「可能性があるかないかわからない」ときに、
それでも何らかの判断を下す必要がある場合
「可能性がある」とみなして判断するかい?
それとも「可能性はない」とみなして判断するかい?
「可能性があるかないかわからない」状態というのは曖昧だよなあ。 降水確率で言えば、0から1%と言っているのか、0から99%と言っているのか
>>697 > ああ、観念的に複雑化・形式化した部分、術語に対応語がないのはあたりまえ。
違う。そもそも「A→B」を日本語で満足に表現することができない。
君は理解力がないな。
アキレスは亀に追いつけないってこと?
ギリギリ12時と12時スレスレの違いみたいなものだろうか?
726 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/14(木) 03:05:27 0
>>723 「A→B」 ⇒ AからB ⇒ A Kara B ⇒ AKB
727 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/14(木) 03:08:02 0
日本語の基本は「AはBがCだ」ですな 「AはCだ」と「BがCだ」はどちらも「AはBがCだ」の変形 (一部の要素が脱落)と考えられる
Cだ。と言いたいんだけど、相手に検証して欲しいときに、Cだと思う。と使ってるなあ。
>>719 > 「悪魔は存在しない!」と"積極的に"主張する場合においては、
> 極めて難しい「いない」ことの証明をやはりする必要がある。
学問の世界では全く必要ない。挙証責任は「○○が存在する」と主張する側にのみある。
その代わり、「○○が存在しない」と主張する側は、たった 1 例でも○○の存在が報告され、それを否定できなければ、完敗する。
「○○が存在しない」と主張することは、何もしなくていいので楽な反面、危険な賭けでもある。
>>720 「可能性 0」とわかっていないから、「可能性がある」と見なすしかないだろう。
Cかもしれない。 も 知れない=わからない という意味より、根拠はあるんだけどその信頼性が未知であるときの予防線だなあ。
731 :
688 :2010/10/14(木) 04:40:16 O
めんどくさいなあ。「思う」だから自明云々は撤回するよ。ごめんなさいね。
どちらにせよ、「このスレを読めば、日本人は非論理的だなあと思う」を「論理的に書こう」と思って
>>686 が書いたと判断するならその判断は理解に苦しむ。
そう判断してないなら、そもそも「論理的に書こう」と思ってないような人、あるいは思ってるか不明な人に「その発言は非論理的だ」なんて言い放つのはその行為の理解に苦しむ。
>>729 どこの学問の世界の話をしてるのか知らないけど、消極的事実であっても、その主張を本論として積極的に主張する場合は困難だろうがなお全称的証明が要求されることになってるよ。
数学で「これこれの条件を満たすn,mの組はひとつも存在しない」というような主張には当たり前のように全称的証明が要求されてる。
>>731 を読めば、バルカン人は非論理的だなあと思う。
>>731 > 数学で
数学には数学的帰納法といった独特の手法がある。ほかの学問では無理。
だいたい、数学以外で「○○が存在しない」と主張することはめったにない。
734 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/14(木) 07:30:40 0
現在日本国(含北方四島)には野生のライオンが存在しない
735 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/14(木) 07:55:16 0
日本人の非論理性は日本人の集団主義等と同じく 日本人論を進めるにあたって依拠すべき公理だから 証明を要しない。
サファリパークは野と言えないだろうか?
>>735 いや、あなたがナニジンなのかが非常に重要です。
日本人の非論理性を説く日本人の非論理性について
日本人のパラドックス 「日本人は非論理的だ」とある日本人が言った。 ふ〜ん、日本人って非論理的なんだ、そう思いますよね? でも、よく考えてみましょう。 日本人が非論理的だというのなら、「日本人は非論理的だ」と言った日本人人はどうなるんでしょう。 非論理的なはずですよね? だとすると、「日本人は非論理的だ」という内容は非論理的ではないのか。 でも、待てよ。 内容が非論理的だとすると、「日本人は非論理的ではない」ということになってしまう。 すると、「日本人は非論理的だ」と言った日本人も、非論理的ではないということになってしまう。 でも、ストップ! 日本人が非論理的ではないということは、「日本人は非論理的だ」という内容は、本当だということになります。 すると、あれれ……?
741 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/14(木) 09:06:46 0
>>740 その文は明解で論理的でしょ。
つまり、命題として成立してる。
一般に論理的というのは、真偽は別にして形式として妥当かどうかで、
その文は充分妥当。
嘘つきのパラドックスは、文は論理的に妥当でも文意、命題の内容についての真偽が自己言及してるからパラドックスになるだけのこと。
文意については、アホかと思うよ。
外国語やったばかりのヤツがよくいいだす蒼井ユウだとおも
>>734 それを何の学問で仮説として主張するのか。
まあしかし、野生のライオンの存在が 1 例も報告されないかぎり、その主張は暫定的に正しいと見なされる。
>>741 外国語を長くやるほど日本語の「非論理性」 (論理学は西洋語に依拠している) がよく見える。
744 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/14(木) 11:20:39 0
>>743 西洋論理学の術語が日本語にないってんなら、
それは非論理性とはいわないつーの
>>744 術語の根拠となる表現形式が、西洋語にはあるが日本語にはない。
君はとことん理解力がないなw
>>733 数学的帰納法以外も使われますよ。それから、
「数学以外で「○○が存在しない」と主張することはめったにない」
ことは、証明なしにその主張をしてよいかどうかとは関係がありませんよ。
立証責任の配分の問題で、「いる」と主張する者と「いない」と主張する者がいれば、
前者に強い責任が生じるけれども、後者に全く証明責任がないわけではなく、
本論として「いない」と主張するなら「いない」と主張する側にも生じます。
「いない」とみなしてよいことと「いない」という主張が正しいことは関係ないのです。
証明責任は小さいですから、「いない」ことを仮定として他の論理を展開するぶんにはなんら問題はありませんが、
(「そもそも仮定は偽であるからその論理はおかしい」と主張するなら「いる」ことを証明せよ、と言えばよいだけのことです)
「いない」ということそれ自体を主張とするなら「証拠がなければわからない」のですよ。
悪魔の証明が徹底的に避けられるのは、学問よりむしろ権利保護の必要がある司法の世界でのことです。
>>740 >>741 そもそも
『「日本人は非論理的だ」が非論理的』ならば『日本人は非論理的ではない』
という命題が偽であると思われます。
非論理的であればその主張はすなわち誤りであるという考えに問題ありですね。
「嘘」は内容が誤りであることを意味に含みますが、
非論理的、というのは論理に立脚していないことを示すのみです。
747 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/14(木) 12:24:28 0
>>746 > 数学的帰納法以外も使われますよ。
>>733 に「といった」と書いてある (例示) のが見えないか。
「数学的帰納法」などと言うが実際は演繹であり、数の世界には、存在しないことを演繹的に証明する方法があるが、外の世界にはない。
> 本論として「いない」と主張するなら「いない」と主張する側にも生じます。
積極的に証明する方法はない。
> 「いない」とみなしてよいことと「いない」という主張が正しいことは関係ないのです。
> 「いない」ということそれ自体を主張とするなら「証拠がなければわからない」のですよ。
「いない」と見なして何ら不都合が生じず、「いる」という確かな証拠がない、で証明終わり。
「いない」と見なしてよいなら、「いない」という主張が暫定的に正しい。学問は常に暫定的だ。
逆に「いる」という証拠が提示された場合、それが実は証拠にならないということが証明されないかぎり、「いる」が暫定的に正しい。 学問は常に「先に言った者勝ち」であり、反証がなされるまでは暫定王者なのだ。
>『「日本人は非論理的だ」が非論理的』ならば『日本人は非論理的ではない』 >という命題が偽であると思われます。 排中律を使わずにそれはできるの?
>>750 あなたにとっての謎の学問の世界ではそうかもしれないけれど、そうみなされてはいないよ。
「見なしてよい」というのは「そうであると仮定して論理を展開してもよい」ということです。
仮定であるから絶対確実な事実であることは要求されません。
妥当であればよいのです。妥当性がなければ無視されるでしょう。
絶対に事実ではありえないことを仮定するのは非難されますが。
>「いない」と見なして何ら不都合が生じず、「いる」という確かな証拠がない
これは証明にはなりません。
「とある物理現象が悪魔によって行われたこと」であって何か不都合は生じますか?
不都合は生じないし、「いない」という確かな証拠もありません。
「いる」と証明できないことが「いない」という証明にならないのと同様のことです。
どちらも証明できないなら「わからない」というのが答えです。
ただ、「悪魔によってなされたこと」という仮定よりも、そうでないとする仮定の方が
経験的事実から、「妥当」で「有益」であったので選択されたというだけのことです。
>積極的に証明する方法はない。
だから「いない」という主張は学問的態度からは「してはいけない」のです。
「いない」と「みなして」論理を展開するのは問題ありません。
確実に「いない」とは「言えない」けど、「いる」ことを示唆する事実もなく、
経験的事実から「いない」と考えるのが「妥当」であるので、
「いない」という「ことにする」あるいは「いない」と「仮定する」ことができるだけです。
あなたがいくら「正しい」と言ったところで、学問の世界は上記の態度であって、「正しい」のではなく「妥当」だとみなしていますよ。
多くの学問は暫定的なのではなく、「妥当」であるものを仮定として集積した「妥当な仮説」の集合体です。
>ただ、「悪魔によってなされたこと」という仮定よりも、そうでないとする仮定の方が >経験的事実から、「妥当」で「有益」であったので選択されたというだけのことです。 ガリレオが肯定されるにはどうすればよかったんだ?
>>753 当時は教会やアリストテレス派の権威があまりに強かったので、
妥当とも有益とも見なされなかったのでしょう。
時代が悪かったと言うほかありません。
当時は近代のような科学的態度より、伝統や宗教的価値観が重視されていたわけですし。
755 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/14(木) 17:22:30 0
>>748 だから、それは西洋の中で概念的に形成された術語で論理そのものじゃないよ。
西洋の論理習慣を示した術語、その術語が無いってことは、
西洋論理に馴染まないとは言えても非論理とはいえない。
単にそんな抽象語がないだけの話。
はっきり言って君は頭悪いは。
>>754 論理に科学も宗教もないだろう。
どっちが先にあったかというだけの話じゃないのか?
>>752 > あなたにとっての謎の学問の世界ではそうかもしれないけれど
すべての近代科学。君にとって謎であるだけ。
アカデミズムの世界に私の反対者は 1 人もいない。
> 仮定であるから絶対確実な事実であることは要求されません。
> 妥当であればよいのです。妥当性がなければ無視されるでしょう。
学問はすべて仮定。絶対確実な事実などどこにもない。
ただ学者は時間的・体力的・経済的に有限なので、暫定的なゴールを決めているにすぎない。
1 つの暫定的結論はすなわち次の主張のための仮定。「正しい」=「妥当」。
> これは証明にはなりません。
もとより積極的証明は要らない。根拠を述べよと言われたらそういうこと。
> どちらも証明できないなら「わからない」というのが答えです。
「いない」ことの証明はできない。
「いる」でも「いない」でも不都合がないなら、「いない」の方が仮定が 1 つ少なくて済む。
議論は最少限の仮定で進めなければならない。これが周知の「オッカムの剃刀」だ。
「いない」はいつでも「いる」に優先する。「いる」と主張する側だけが重い挙証責任を伴う。
> だから「いない」という主張は学問的態度からは「してはいけない」のです。
いや、してもいいけど普通は意味がないからしないだけ。
「いる」という証拠が出て来るまでは、「いない」が妥当=正しいに決まっている。
数学は不存在の積極的な証明方法を持っているから、「存在しない」という主張を行うことがある。
数学は学問ではないというのかなw
>「いない」はいつでも「いる」に優先する。「いる」と主張する側だけが重い挙証責任を伴う。 いるでもいないでもないものがいたらどうなるの?
「わび」とかさび」とか「幽玄」とかは論理を超えた境地なんだよ。 西洋人にはわからん。
いるかいないかはみればわかる ひのあたらないものにしろくろいうのがおかしい
761 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/14(木) 20:04:45 0
>>759 西洋人というか近代主義だね
数値化された分析可能明晰判明なもの以外は対象外の科学世界
しかし、音楽、美術、詩、料理など対象外の世界が西洋にもたくさんある。
音楽は結構数値化されてるけど、音色など最終的には演奏家や諸状況に依存する。
色なんかは見える訳だけど、一体どう考えられているの?
763 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/14(木) 21:10:49 0
>>762 要するに美しいとか、美味しいとかは数値化できないでしょ。
所謂クオリアの世界
>>755 > だから、それは西洋の中で概念的に形成された術語で論理そのものじゃないよ。
> 西洋の論理習慣を示した術語、その術語が無いってことは
術語の話などしていない。理解力のない君が勝手にからんでるだけ。
「概念」「論理習慣」を形成したのが西洋語だと言っている。それらは西洋語の話者でないと本当には理解できない。
たとえば日本語で形成された日本論理というものがない以上、日本語は論理と無縁だ。
非論理であってはいけないという頑強な思い込みこそ、西洋論理に毒されている証拠ではないか。
人間にとって論理はそんなにいいものではないかもしれない。
西洋人自身が論理にうんざりして、およそ荒唐無稽なキリスト教を信仰している。あれはバランスをとるための反動だろう。
766 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/14(木) 22:02:39 0
ねえ、まじめってなんだと思う?
結局、結論は スター・トレック最高! ってことでFA?
770 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/15(金) 06:01:31 0
>>763 そもそも藝術を数値化しようとする理系の研究者がほとんど居ない。
しかし黄金分割は数値化されてる。
管弦楽などでファゴット(=バスーン)、チェロ、コントラバスなどの
低音楽器をヘ音譜表の第3間より低い音で3度の和音を演奏すると
不快な超低周波の雑音が発生する。
バッハ、ヘンデル、モーツァルト、ベートーベンなど大作曲家は
そういうことを感覚的に知っていたから低い音で
3度の和音が出来ないように楽譜を書いていた。
詩、ダジャレ、含蓄(言葉の裏の意味)が翻訳不可能なのは仕方がないが、 観念的(頭の中で意識できる物)は全て言語化できるはず。 個人的な言語能力の低さを、日本語のせいにするのはお門違いだ。
772 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/15(金) 06:29:02 0
>>771 そうそう。だから日本語非論理なんて言ってるやつは語学の初学者
>>771 > 観念的(頭の中で意識できる物)は全て言語化できるはず。
逆だよ。言語化できるものだけが意識できる。
>>766 なんでそんな変なことを確認するんだ?
数学以外の学問は、「存在しない」をデフォルトとする。
無駄なものは仮定しない。「存在しない」と考えると観察された事実がうまく説明できないときに限って「存在する」と仮定し、存在の証拠を探す。
ところが数学では、「しかじかの数 (特に自然数) が存在するはずだ」をデフォルトとしている。
だから「存在しない」と主張することにも意義があり、また、「存在しない」ことを積極的に証明する方法も数学は持っている。
学問では、先に「存在する」という証拠を示せば、それが証拠にならないと証明 (反証) されるまでは、暫定王者になれる。
だから、主張は「こうやれば反証できるよ」という形で行わなければならない。反証不可能な主張は無効だ。
実際は暫定王者になれることはあまりない。たいていの場合、学説が提示されるとすぐに反証がなされ、完敗するか、大きな修正を余儀なくされる。
日本人の非論理性と歴史偽造は世界の常識。 逆らってもムダだよw
777 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/15(金) 09:06:45 0
>>775 つまり、日本語が非論理とか言ってるヤツは、
何の論証もできず、自分が非論理だから、
日本語に自己投影して自己嫌悪を暗示してるってことで確定だな。
778 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/15(金) 09:08:04 0
779 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/15(金) 11:19:27 0
>>775 中国人や韓国人の非論理性と歴史偽造は有名だがな。ww
780 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/15(金) 11:24:04 0
>>779 こういう場合、論理性って自分の基準に合わないって意味で使ってるよね。
理解できるものが論理だから、相手の知性が高い程、めちゃくちゃ言っても論理になるんだよ。 ただし、知性が低い人にも理解できるように翻訳できなければ知性の証明にはならないんだけどね。
知らなかった事実を知りたいというのは、人間の生得的な欲望であって、食欲や性欲と同じレベルだと思う。 学問はそれに口実を与えたものだから、どうしたって実在論の方が強い。 しかし、人間は特定の欲望だけで成り立っているわけではないこともまた事実だ。 日本人が中国人や韓国人のことを「非論理的」と感じるのは、日本人の方が西洋論理に深く毒されているからだともいえる。 これからは、日本人の方が相手より強引で厚かましくなれることが大事なのではないか。
783 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/15(金) 20:28:51 O
オッカムの剃刀を勘違いしてる人ってまだいたんだね。 説明に不要なものは加えない、というだけのことで、あくまで「選び方の立場のひとつ」でしかなく、「正しさ」とは関係ないし、「どちらの仮説が優れているか」を決めるものでない。 「真偽がわからない場合の思考の指針」であって「真偽や妥当性を判定するための基準」ではないというのはアカデミズムの世界では今ではそれこそ周知の事実。 「わからないならとりあえずいないと考えて処理しよう」と言ってるだけで「いるかいないか」それ自体が議題になる場合はオッカムの剃刀の出る幕ではない。説明に不要であるのと、いるかいないかは関係ないからだ。 これに反対する学者なんてそれこそほとんどいないよ。 「学問的には神も悪魔もいるかいないかわからない」に反対する現代の学者が君以外に複数いるというなら、具体的に名前を挙げて提示しなよ。
ラプラスも大変だな。
論理性の対義語ってなに?
786 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/16(土) 00:10:15 O
まともな学者は「実際どうなのかは知らんしどうでもいい。便利で有益な方を使う」と答えるべ。「暫定的に正しい」なんて言わねーよ。 「反証可能性がある」と言えるものなんか存在しないわけだし。
>>783 > あくまで「選び方の立場のひとつ」でしかなく
説明できない事実がないのにほかの選び方をするのは方法の誤り。
> 「正しさ」とは関係ないし
「正しさ」を問題にするのは科学ではなく宗教。科学は君の言う「妥当さ」しか相手にしない。私が「正しい」と言うのはすべて「今のところ妥当」の意味。暫定的に正しいだけだから、あすには正しくなくなっているかもしれない。
> 「どちらの仮説が優れているか」を決めるものでない。
事実の説明に不可欠でない仮定の入っている仮説は劣っている。
> 「真偽がわからない場合の思考の指針」であって
君の言うような「真偽」は永久にわからない。君の言う「真」は科学の対象ではない。
> 「真偽や妥当性を判定するための基準」ではないというのはアカデミズムの世界では今ではそれこそ周知の事実。
オッカムの剃刀は仮説の妥当性を判定するための基準であり、科学は「真偽」を問題にしないというのがアカデミズムの常識。
> 「わからないならとりあえずいないと考えて処理しよう」と言ってるだけで
「いない」と考えて不都合がないなら「いない」が正しい。
> 「いるかいないか」それ自体が議題になる場合はオッカムの剃刀の出る幕ではない。説明に不要であるのと、いるかいないかは関係ないからだ。
説明に不要なら学問的にはいない。君の言う「真にいるかいないか」に科学はかかわらない。説明できない事実が観察されてはじめて、「こんなやつがいたからだ」ということになる。事実を説明するという目的なしに、「いるかいないか」を議題にすることはない。
> これに反対する学者なんてそれこそほとんどいないよ。
ほとんどの (すべてのかも) 学者が反対する。
> 「学問的には神も悪魔もいるかいないかわからない」に反対する現代の学者が君以外に複数いるというなら、具体的に名前を挙げて提示しなよ。
まさか勝手に知人の名前を出すわけにはいかないだろうw
アカデミズムに奉職している任意の 1 学者が、「学問的には神も悪魔もいないとするのが妥当」と考えている、と言いたいところだが、残念ながらその問自体が不適当だ。
学者にもいろいろな宗教の信者がいる。彼らは洗脳されていて、神や悪魔の問題については、学問的な立場がとれない。
真だ←妥当だ 居ない←知覚できない ってことでいいのかな?
>>786 > 「暫定的に正しい」なんて言わねーよ。
確かにあまり言わないね。「正しい」と言えば暫定的に決まってるから。
> 「反証可能性がある」と言えるものなんか存在しないわけだし。
はぁ???
たいていの仮説はぼこぼこに反証されちまうんだが?
以下の命題を反証せよ。 意味不明な命題は反証可能性がない。
>>790 反証の可能性はある。実際にはできないだけで。
「意味不明な命題を反証すればよい」わけだから。
>>791 悪魔の証明だって、神にはできるはずだ!
793 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/16(土) 02:35:14 O
結局「知人の名前は挙げられない」なんて言って逃げるんだなあ。 「いる」と証明できないんだから、「いない」と見做していいんだな? 学問上当たり前のことなら、そういう立場を取っていることを名前を挙げて紹介しても何ら問題はないはずだが。 きみが言ってるのは 「計算式がシンプルで予測が楽、立てる仮定も少ないから、コペンハーゲン解釈はパイロット解釈や多世界解釈より暫定的に正しい」なんて言ってるようなもの。 今の科学は「実際どうかはどうでもいい。便利で有益な仮説を使う」という立場であって、「暫定的に正しい」などという立場ではない。「正しさ」を問題としないのだから、暫定的もなにもないの。 ちなみに「悪魔はいない」の反証ね。 今お前の隣にも俺の隣にもいるじゃないか。笑ってるだろ? 反証終わり。 実物の観測結果を見せても「自分には見えない」だの「観測者がおかしい」だの言えば悪魔の不在に限らずその主張に反証可能性はないことになるのでよろすく。 こんなの反証主義を提唱した人が自分で問題点として指摘してたことなんだがなw
・・・そうか、吾輩は悪魔だったのか。
>>793 > 「いる」と証明できないんだから、「いない」と見做していいんだな?
いいんじゃないの? 君がバカだと思われるだけだからw
> 学問上当たり前のことなら、そういう立場を取っていることを名前を挙げて紹介しても何ら問題はないはずだが。
匿名掲示板の意味がない。
どこかの大学のウェブサイトに載っている任意の研究者にきいてみればよい。
ただし、神や悪魔の問題はダメ。何かというとそればかり持ち出すから困る。
> 今の科学は「実際どうかはどうでもいい。便利で有益な仮説を使う」という立場であって、「暫定的に正しい」などという立場ではない。
その両者の立場は等しい。
「実際どうか」に拘ったのは君であって私ではない。私はずっと「実際どうかはどうでもいい」と言い続けている。
> 「正しさ」を問題としないのだから、暫定的もなにもないの。
「正しさ」を問題にしたのは君であって私ではない。
> 今お前の隣にも俺の隣にもいるじゃないか。笑ってるだろ? 反証終わり。
> 実物の観測結果を見せても「自分には見えない」だの「観測者がおかしい」だの言えば悪魔の不在に限らずその主張に反証可能性はないことになるのでよろすく。
全然ダメ。君が病院へ送られるだけw
健常者はほぼ同じ知覚を共有していることが前提となっている。
ガリレオの実験を見ても、「私は自分の目よりアリストテレスの著作を信じる」と言った人が当時いたという。
ガリレオはそんな人たちはもう相手にしなかった。
まあ、実際天動説は間違ってるなんて信じ込んでいる莫迦がいるからなあ。 どうやって証明したんだおまえって聞きたいよ。
797 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/16(土) 03:30:59 O
「悪魔はいない!」という主張をするなら証明が必要で、学問上は「わからない」と黙っていなければならない、「いるかどうか」は学問の扱う範囲でないし学問的には「わからない」から黙っているべき、と言ったのに「証明の必要はない」なんて噛みついたのはお前だww 観測者がまともであることは決して証明できないので、全ての仮説には反証可能性がないなんてのは大昔に話し合われたことww 多数派であることは正常さの根拠になりえない。多数派であるのを拠り所とするのではアリストテレスを信じ込んでいた人と変わらない。 そもそもどれもこれも反証可能性はないから、辻褄が合い、有益な仮説が採用されるのww
…で、そろそろ太陽を説得して、天の岩戸から出して欲しいんですが、証明にまだ掛かりますか?
可能性が0である(これは決して言えないが)、と言えないとき、可能性がある、と言うなら、「悪魔はいる可能性がある」し、「日本には野生のライオンがいる可能性がある」。 「日本に野生のライオンはいない」というのは可能性が0であるという主張。「いる可能性は限りなく低い」というのが学問的見地。これまでの調査から判断できる事項。 「いるかいないか分からない」「いる可能性がある」に対して「いない」と主張するにはやはり日本全土の調査が必要である。「いない」というのは「絶対にいない」という真実についての記述だからだ。これまでの調査からは判断できない事項。
>>799 つまり、天気予報と同じって結論でいいかな?
>>797 > 「悪魔はいない!」という主張をするなら証明が必要で、学問上は「わからない」と黙っていなければならない
「いない」ことの証明はできない。「いない」と見なしてよいなら学問上はいない。
「本当はいる」のかもしれないが、それは科学と関係がない。
> 「いるかどうか」は学問の扱う範囲でないし学問的には「わからない」から黙っているべき
「いる」という主張は学問上きわめて重要だ。
> 多数派であるのを拠り所とするのではアリストテレスを信じ込んでいた人と変わらない。
「私の目より」と言っている。すなわちガリレオと同じ現象を知覚したことは明らか。
> そもそもどれもこれも反証可能性はないから、辻褄が合い、有益な仮説が採用されるのww
事実の観測結果が共有されないなら、「辻褄が合い、有益」か否かを、どういう基準で判断するのか。
観察された事実をうまく説明する仮説を、「辻褄が合い、有益な仮説」と言うのだ。
>>799 > 可能性が0である(これは決して言えないが)、と言えないとき、可能性がある、と言うなら、「悪魔はいる可能性がある」し、「日本には野生のライオンがいる可能性がある」。
そのとおり。可能性は常に開かれている。しかし「いる」という証拠が示されないうちは学問上は「いない」。
学問上の「いない」は「いる可能性がある」と両立する。暫定的とされる所以。
存在が報告された途端「いない」が否定されて「いる」になる。これを「反証を受け容れる」と言う。
そりゃ、カミソリでヒゲ剃ったらファッションじゃないのか?
806 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/16(土) 04:33:09 O
学問上は「わからない」。 「いない」とか「いる」というのは真実に関する記述。 科学は真実については「わからない」と黙っているべき。 「いる」という事実であれ、観測がまともであることを証明できない以上、やはり仮説にすぎない。 証明できないのなら「いない」「いる」などと真実に関する主張してはならない。 辻褄があって有益であるのは「暫定的に正しい」とは違う。 「正しい」にも「正しくない」にも確定しえないことを「暫定的に正しい」とは呼べない。
とりあえず、古代の日本人にとっては天が動いていようが地が動いていようが、例年通りに日が出てくれれば飯が食えるのよ。
>科学は真実については「わからない」と黙っているべき。 そういえばノーコメントって概念は日本語にあるの?
日本人って特にそうだけど、相手が自分が正しいと主張した時は、そいつが嫌いか逆に信頼していなければ黙ってしまうよね。 あえて、「答えない」「わからない」なんて言ったら意地悪していると思われる。
810 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/16(土) 05:07:55 0
もっとも賢い人物とは、 自分が知らないということを知っている人物である ソクラテスだか誰か。
鞭の血がどうした?
>>806 > 学問上は「わからない」。
> 「いない」とか「いる」というのは真実に関する記述。
科学は真実を相手にしない。学問上の「いない」も「いる」も当然仮説。
「○○が存在しない/する」という仮説を立ててはならないというのは頭がおかしい。
> 科学は真実については「わからない」と黙っているべき。
「いない」「いる」を真実について言っていない。
> 「いる」という事実であれ、観測がまともであることを証明できない以上、やはり仮説にすぎない。
> 証明できないのなら「いない」「いる」などと真実に関する主張してはならない。
「いない」「いる」=真実に関する主張、というのがそもそも間違い。
「熱素は存在しない」「中性子は存在する」は立派な科学的主張。仮説であることはいうまでもない。
> 辻褄があって有益であるのは「暫定的に正しい」とは違う。
「辻褄が合って有益」とはどういうことか。
観察された事実をうまく説明できる、妥当だということだろう。
新しい事実が観察されたり、観測結果の誤りが修正されたりすれば、事実を説明できなくなり、妥当ではなくなる。
いつそうなるかわからないが、何千年も妥当であり続けるかもしれない。つまり暫定的だ。
> 「正しい」にも「正しくない」にも確定しえないことを「暫定的に正しい」とは呼べない。
学問で「正しい」と言えば確定的に「正しい」ことを指していない。君が勘違いしてるだけ。
>>796 面白い釣りだ。実際、光行差や年周視差が観測可能になるまで、地動説はオッカムの剃刀によって、天動説より妥当と見なされていた。
「ノーコメント」は日本語では「黙殺」。
>>814 対日講和でそれやって全然通じなかったじゃないか。
「正しいと仮定する」ことを「暫定的に正しい」ことだと言えるか?という論争はあるみたいだけど、 証明されたことを正しいと言ってはいけないなんて話はあったっけ?
818 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/16(土) 17:15:43 0
やはり日本語では論理的な討論はできないんだね。 このスレを見ればよくわかるよ。日本人の国際化は まだまだ無理だな。
「証明」自体が不可能だと
>>806 などは言ってるんだが。
>>819 証明が不可能だったら、証明の定義が違っている証拠だろう。
>>818 あなたに論理的なことがわからないので、それが「わかってしまう」だけだよ。
…なんか変だな。 あなたには論理的なことがわからないので あなたに論理的なことはわからないので どっちがいいんだろう?
>>817 「正しいと仮定する」と「暫定的に正しい」とは違う。前者が後者を含む関係。
学問はすべて仮定だから前者はいつでも言えるが、後者は仮説がいったん証明され、まだ反証されない状態でなければならない。後者を単に「正しい」と言う。「絶対に永久に正しい」は宗教用語。
>>820 「どだいできない」と言っている人の定義を考慮する必要はないだろう。
>>823 真理とかいう宗教用語を科学で使うのは誤用ってこと?
つまり、「正しい」状態は、「暫定的に正しい」状態を全て含むか逸脱するかって問題?
結局非論理性うんぬん言う人は、相手と共通する用語の定義ができていないだけで、 論理以前の意思疎通でつまずいているだけだよね。
827 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/16(土) 20:25:34 0
つか、日本語の非論理性とか言ってるヤツは外国語やって文法習ったんで、 日本語がその文法から逸脱してるから非論理とか言ってるだけでしょ。 要するにあまり知識がない
>>824 嫌がるね。単に「真」、ただし「真理値」とは言う。
>>825 宗教的な「正しい」は扱わないから、等値だよ。
>>826-827 同じ話を何度繰り返しても無意味。
厳密には西洋語でないと西洋論理は理解できない。
だからややこしくなってきたら、私は日本語で考えない。英語で考えるか、式で考えるか、図を描く。
>>829 「真の」「真に」に宗教的なニュアンスはもうないだろう。
>>830 あなたが日本語を理解できてないだけではないの?
>>831 真言だの真空だの、なんか真がつくと宗教的な概念っぽくない?
ここは日本語文法のスレなんだから、同じ表記に別の定義をしてしまったら、それはもう科学語とか宗教語とか別言語なんじゃないの?
西洋語に基づく西洋論理と、古典語の現代語訳の方法。 この 2 つが日本語の文法論をずっと呪縛してきた。 これらから自由になれば、新理論が出て来るのではないか。
836 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/16(土) 23:22:53 0
横だけど、論理とは言語に基づいて発達するものってことなのかね。 だから論理という言葉を先に発明した西洋には、論理という語の解釈において日本語で育った日本人はかなわないと? それともただ単に、論理全体の話ではなく、 「西洋語論で用いられる論理」は日本語を語る上で用いることに無理があるという話にすぎないのか。 後者なら同意するんだけどね。
>>836 誰がそんな事言ってるの?
むしろ、アナログ世界をデジタル論理で表せるかってだけの話じゃないか?
838 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/17(日) 00:56:11 0
>>837 >>743 とか
>>765 >>830 あたりの、同一人物と思しき人。
逆にいうと日本語から形成された「わびさび」やら「しぶい」やらは
西洋語で育った者には真に理解することは出来ないと言っているようなものなのかなと。
>>838 西洋語云々より、そもそも言葉が違えば翻訳しなければならないのだから、微妙な問題は話せないに決まってる。
それこそ上の話みたいに、同じ言語を使っていると錯覚していながら、「ある」「なし」一つとっても分野によって定義が違っているのだから、
話になるわけがない。 要するに鼻って単語の意味がわからない解体新書だね。
840 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/17(日) 06:05:14 0
>>836 オイラの語感だと。論理学や数学の話をしていない、一般的な文脈で「論理」「論理的」といった言葉は、話の筋、整合性、話の筋が通ってる、整合性があるといった意味で使われると思うけど。
そこに西洋論理を常に意識して「論理」という言葉を使ってる人は希だと思う。
841 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/17(日) 06:06:39 0
>>838 その人は、論破されて屁理屈捏ねてるだけでしょ。
>>838 理解できないだろうね。ただ、それらは呼び名があるだけで、内容は日本人にとっても直観的なものだ。
日本語を使って十分に説明されているというわけではない。
>>840 「話の筋が通っている」「整合性がある」と判断する基準のなかには、やはり西洋論理が混じっている。
たとえば、何人かいる中国人の留学生の 1 人が、何か問題行動を起こしたとする。
そのとき、中国人留学生全員を退学させるのは、「話の筋が通っている」「整合性がある」といえるかどうか。
現在は一般に西洋論理に従って「否」となるが、「日本論理」では「肯」だったのだ。
843 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/17(日) 10:29:03 0
>>842 >
>>840 「話の筋が通っている」「整合性がある」と判断する基準のなかには、やはり西洋論理が混じっている。
>たとえば、何人かいる中国人の留学生の 1 人が、何か問題行動を起こしたとする。
>そのとき、中国人留学生全員を退学させるのは、「話の筋が通っている」「整合性がある」といえるかどうか。
>現在は一般に西洋論理に従って「否」となるが、「日本論理」では「肯」だったのだ。
馬鹿だな。そりゃ、論理じゃなくて習慣とか文化、倫理、道徳と呼ばれる共通認識、常識だよ。
論理ってのは、そうゆう常識や文化と関係ない言葉の筋道、整合性のことを呼ぶことは、言語記号は違っても西洋、インド、チベット、シナ、日本で一致してるよ。
だから、西洋論理学では形式が問題にされ、文の内容・命題は問題にされないんだが。
君は論理について全くわかってなくて、ものの是非・真偽とごっちゃにしてる。
もし、中国語云々で日本語非論理と言ってた人と同じ人なら、
学問は止めた方がいいと思うよ。
>>843 > 馬鹿だな。そりゃ、論理じゃなくて習慣とか文化、倫理、道徳と呼ばれる共通認識、常識だよ。
> 論理ってのは、そうゆう常識や文化と関係ない言葉の筋道、整合性のことを呼ぶことは、言語記号は違っても西洋、インド、チベット、シナ、日本で一致してるよ。
論理も言語に基づく習慣の 1 つにすぎない。
自分たちの「習慣」「文化」「倫理」「道徳」「共通認識」「常識」は、筋の通らない、整合性のないものだ、と言うコミュニティはない。
西洋論理が世界の大半を塗りつぶしただけのことだ。中国人は必ずしもそれに従わない。
ついでに、インド語は西洋語じゃないとか言わないように。「そうゆう」などと書かないようにw
845 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/17(日) 12:09:05 0
911のテロリストとなんの関係もないのに 同国民だというだけで迫害されたのはアメリカが日本論理の影響を受けただけだったのか
それは宗教上の理由だろう。基督教徒は異教徒を人間とは思っていない。 まだ畑を荒らしていない個体でも、害獣を見かけたら容赦なく撃つのと同じ。
なんと!キリスト教までも日本論理の影響を受けていたのか。
日本論理などという言葉は知らないが、零戦神話なら知ってる。 正義とジャスティスの違いってどうだろう?
>>847 案外共通点はあるかもな。
ヘブライ語の名詞には一応、単数と複数の区別があるが、西洋語の区別とはかなり趣が違う。
個と集合、全体と一部といったとらえ方とはかかわりがなさそうだ。
850 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/17(日) 20:12:59 0
>>844 >ついでに、インド語は西洋語じゃないとか言わないように。「そうゆう」などと書かないようにw
なに印欧語っていいたいわけ?
そうゆう
そういえば子音だけでも意味が通じるようにするには、文法上にはどんな仕組みが必要なんだろうか?
852 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/17(日) 20:38:48 0
>>851 それ発話しって意味だよね。無理だと思う。発音できない。
>>852 発話上は適当な母音を入れて、表記は子音のみ有効みたいな感じにするにはどんな文法が必要だろうかってことね。
854 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/17(日) 21:17:03 0
>>853 ああ、それならアラビア語がそうじゃなかったか? 知らんけど。
最近は、英語とかでもやってるね。
855 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/18(月) 05:45:49 0
somethingがsmtnになるとかいうの?だとしたら全部が通じるようにするのは無理だわね。 既存の言語を変えるしかない。子音の数や配置がすべての語で異なるように逆算して その書き言葉に発音しやすくなるような母音を付加する順でなければ。 新しい言葉の発生しにくい言語になるだろうな。 もうひとつは、rがひとつでraをあらわしrrと二つ続いたらri、三つならruなどとするか。 ものすごく読みにくいけどな。ラリという単語はつくれないし。
同音異義語が皆無な日本語のサブセットみたいなものって作れるだろうか? カナモジな人とかもうやってるかな?
もう一段進めれば
>>854 になるよね?
857 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/18(月) 10:35:59 0
>>856 そういう本質主義は言語の本質である適当な習慣ということと矛盾した無理な相談。
西洋近代語がそういう傾向があるのは嘆かわしい
>>843 > そうゆう常識や文化と関係ない言葉の筋道、整合性
それはありえない。常識や文化に適うことを筋が通っている、整合的と言うのだから。
自分の力で自分の体を空中に持ち上げようとするようなものだ。
859 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/18(月) 14:39:46 0
>>858 いや、それはないは。それはどっぷり常識に使ってるだけのこと。
西洋現代論理学でも、インド論理学でもいいからちっと分かってればそういうことはいわない。
論理ってのは、言語記号内の整合性をいうのであって、
その常識とか文化は一応切り離して考えるべき。
もちろん、言語は習慣や文化の一部だから切り離しにくいのは分かるが、
それは論理という言葉の意味と、常識的妥当性を混同してるだけのことだと思うが。
>自分の力で自分の体を空中に持ち上げようとするようなものだ。 これ、プログラム言語のテストに良く使われてないかな? あと、パソコンを起動させるためのブートストラップというのもそういう意味であって、 これはスカイツリーの大クレーンを地上に下ろす話のちょうど逆の話だね。
>>857 この場合の同音異義語は忌み言葉と置き換えたほうが通じやすいだろうか?
862 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/18(月) 17:00:46 0
>>861 全然分からん。そうなると。何言ってるんだ?
>>862 例えば、忌みと意味は同音異義語だから、
いみことばのいみはといってもいみがわからないわけだ。
>>810 違うと思うな。
自分がわからないということを相手に納得させられる人物がもっとも偉いんだと思う。
納得させられない話は屁理屈なんだから。
>>859 > 論理ってのは、言語記号内の整合性をいうのであって
そのとおり。インド論理学は本当は梵語話者にしか理解できない。
論理は言語に隷属する。普遍性はない。
>>840 >>843 はそうは考えてないようだが。
ようするに、「中国人の部屋」は存在しえるかって問題だよね? それって。
言語では正確に説明できないから教典類は長い間文字にされてこなかったんじゃないかな? 文字で物語なんかが書けるようになって、その統一解釈が国語として定まってきてはじめて、 そういうものも文字で記述できるようになったんじゃないだろうか?
868 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/18(月) 18:49:03 0
>>865 クワインの支持者ってわけ
そうなると言葉ごとに論理ありってことになっちまうぜ
>>868 言葉=定義 であれば、それはその通りだと思うな。
定義が違う毎に論理も違ってくる。
>>868 なる。すべての言語が自分の論理を記述しているわけではないが。
ここは言語学板だし、 インド論理学はwikiに書いてある程度のことしか分からないし 「論理の追求による解脱」なんて目指していないし、 インド人が論理の追求の末に解脱を達成できたとも信じられる証拠もない。 ほとんど何の説明もなしに「インド論理学は本当は梵語話者にしか理解できない」なんて自己認識を披露されても、むしろ迷惑。 もっとわかりやすい例を挙げてくれないと。 よく分からないが、近代以前の中国医学が近い気がする。 ウイルスの研究も、遺伝学も、栄養学も進んでいるのに、 いまさら気の流れとかで病気を定義するような過去の学問を持ち出してくるのは邪魔以外の何者でもない、みたいな。
気の流れにしろ、天動説にしろ、ニュートン物理にしろ、それらは一つの近似式にすぎない。 結果が概ね合っていてこそ新説が妥当である可能性がでてくるし、部分的に食い違ってはじめてどっちが妥当かが言える。
874 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/18(月) 20:20:29 0
>>871 >ほとんど何の説明もなしに「インド論理学は本当は梵語話者にしか理解できない」なんて自己認識を披露されても、むしろ迷惑。
これは反証として別の人が挙げた例。
インドには論理によって解脱を目指すだけではなく、
驚く無かれ文学による解脱は可能という派もあるよ。
一般に文法学派と呼ばれていて、
現代の学問でいえば言語学の方が近いけど
875 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/18(月) 20:21:58 0
>>875 私は彼らと話したことがないから反対はできないよ。
878 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/18(月) 21:14:05 0
>>878 名前が表すものがなんなのかわからなきゃ、反対のしようもないよ。
ラッセル社しか知らない。
880 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/18(月) 21:34:07 0
>>877 インド・チベットでは口頭伝承を重視する。
書かれたものは間違いが多いのと、書かれたものは解釈が入り込むから。
口頭伝承は、きっちり相手が分かるまで伝える。
その最も有名なものはヴェーダで、この伝承は文献学によって、全く正確に伝承されてきたことが実証されている。その逆の代表が聖書なわけだ。
仏教も基本は同じで書かれたものは補助資料だった。
インドの言語は、パーニニによって厳格に規定された。
これもヴェーダを誤解しないために整備された解釈法というべきだろう。
このパーニニ文法とそれを改訂したいくつかの註釈によって、
サンスクリットはほとんど固定された人工語である。
サンスクリットという言葉の意味も人工語・完成された言葉といった意味。
この文法規定はBC5~4、写本を作るようになったのは遙か後代である。
つまり、言語体系の整備の問題ではなく別の問題から書写されるようになったことは明白。
881 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/18(月) 21:40:39 0
883 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/18(月) 22:45:47 0
>>883 アキレスとカメの話だと、彼らの動いた距離は一定値を越えないけど、数というのは名前を定義できれば一語でも表せるんだよね。
無量大数なり、グーゴルプレックスなり。
確か数学板でバカでかい数を定義しているスレがあったと思う。
言葉だって、そうやってポインタで示せばどんなに長い説明もhttpうんたらの一語で表せてしまうけど、結局
>>869 はどれに反対だというのだろうか?
885 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/19(火) 06:08:32 0
886 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/19(火) 06:17:24 0
つまり
>>865 はサピア=ウォーフ仮説の支持者ってわけかね。
論理=その言語文化圏人のみが整合性ありと思う、彼ら独自の筋道を通った考え方
であり、文化や物事の捉え方考え方常識は言語によって影響され規定されるのだから
論理は言語に隷属する、と?
なんだか、ここでやりあってる二人は別の定義の「論理」について語ってるように見えるんだけどね。
一人は各言語に共通の「論理」の定義=「筋道の通った整合性のある考え方」で話しで、
もう一人は各言語、ひいては各人によって違うはずの別個の「論理」についての捉え方=
「筋道の通った整合性のある考え方というのは人それぞれ違うじゃないか」という話し。
問題は、同言語圏内ですら各人がなにを論理的だと思うかは違うはずなのに、
それを言語の違いからくるものと断じているように見えるところが、私からすると怪しげに見える論理展開だと思うことかな。
それならサピア=ウォーフの仮説を証明してくれないと納得できないしね。
887 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/19(火) 06:38:42 0
>>884 反対だ。言葉はそういった本質主義と異なるものだから。
サンスクリットのような人工語も同じ問題を秘めている。
>>886 サピア=ウォーフ仮説は、語彙と世界認識全体まで射程に入れている。
そこまではどうかわからない。
> 問題は、同言語圏内ですら各人がなにを論理的だと思うかは違うはずなのに
それだと、論理学の本には読者がいないはずだ。
っていうか、確か表示関係って縮小アルゴリズム絡みでプラグインで自由に作れる実験版かなんかなかったっけ?
サピア=ウォーフ仮説ってなに? 活発なお子さんと言おうが、チョロチョロするクソガキと言おうが、子供は子供。 前者が太鼓持ちで後者が毒舌家なだけで、評価が違っている証拠はない。
894 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/19(火) 20:46:50 0
>>893 それは、素朴実在論に立ってるからでしょ。
そんな素朴な人は言語学を語っていいのだろうか?
>>894 なにが実在なのさ?
むしろ信じてないから「証拠はない」なんて疑っているんだろ。
同じ定義を使えば、インド人だろうと西洋人だろうと同じ数学の話ができる。 同じ文字を使っていたって定義が違っていれば、通信文になったりちり紙になったりして話になるわけがない。
まあ、日本語の場合は、通信文だろうがちり紙だろうが、蝶よ花よだろうが愛憎劇だろうが、 どちらでも意味が通じるような返事ができる人が頭がいいとされていたような気がするな。
全然設計思想の違うコンピュータで同じソフトを動かすのって、別に特段の仕組みがなくても可能なんだよね。 要するに芋掘りをしている子供に、掘った芋弄るな、と言って、時間を教えてくれればthank youと英語で話して、 びっくりしていればごめん君の事じゃないよと日本語で話せばいいようなもの。
899 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/19(火) 22:10:17 0
>>895 >活発なお子さんと言おうが、チョロチョロするクソガキと言おうが、子供は子供。
こういう考え方は素朴実在論でしょ。
>>896 定義という言葉に抵抗があるけど。
それが論理でしょ。
>>897 何がいいたいか分からない。
>>899 >こういう考え方は素朴実在論でしょ。
そんな定義は認めない。
論理になっていないよ。
名前とオブジェクトを紐付けする考え方って唯名論だと考えていいのかな?
903 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/19(火) 23:05:05 0
>>899 >>活発なお子さんと言おうが、チョロチョロするクソガキと言おうが、子供は子供。
子供という実在があって、言葉はそれを言い表していると考えないか?
だから、「活発なお子さんと言おうが、チョロチョロするクソガキと言おうが」同じ対象・内容・意味である「子供」を指示していると思ってしまう。
904 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/20(水) 10:43:26 0
>>891 >それだと、論理学の本には読者がいないはずだ。
そんなことはないでしょう。読める人はいるだろうが、その著者が真に表したかった
「論理とは」「どのような考え方が論理的か」を完全読解できる人ばかりであろうかという話。
その著者がどんなり論理的に論理を説明し得たと思った著書でも、その著者と同言語で育った読者全員が
著者の論理を完全に理解するなどということは起こらないだろうし、一方でその著者とは違う言語で育った人物でも
その言語をよく学んだり、またよく翻訳されたその著書を読んだことで、
同言語話者以上にその著者の論理を理解することができる人物もいるだろうって話。
理解の程度は言語の別によるのではなく、人物の出来や本の出来によるのではないのかねという話。
905 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/20(水) 10:51:44 0
>>904 なんか論理と言語をごっちゃにしてるよね
906 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/20(水) 11:17:16 0
>>905 私についての意見を述べて私以外の他者に「よね」と同調を求めているレスなのか、
私の意見に同調して「よね」と言っているのかわからないけど
前者であるなら言っておくと、私はそれが
>>891 の論理についての理論のようだから、それを前提に話した。
論理は言語に由来すると言っているようだからね。ごっちゃにしていないかな、と。
907 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/20(水) 11:24:28 0
>>906 後者のはずがない。
論理は言語に由来するのは当然だけど。
論理はその言語の形式、筋道であって、言語習慣全体ではないでしょ。
つまり、形式的に筋が通っていることが、論理的と言われる。
そこに言語習慣それぞれの文化的意味を持ち込むのは可笑しい。
908 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/20(水) 12:00:31 0
だからさ、各言語に翻訳された「論理」という単語、概念についての 解釈のしかた、考え方は各言語で大概同じでしょ。 「筋道が通っていて、納得できる」ものが論理的なの。 言語の形式なんてめちゃくちゃでも、 聞いてるやつが「あ、なんかわかるわ」と思ってしまえばそれは 聞いてるやつにとって「論理的な意見」なの。 その聞いてるやつが多くなっても、ほとんどのそいつらが納得しちゃう意見が ただより論理的な意見として見られるだけ。 逆にたった一人だけが納得して他の大勢は納得できなくても そのたった一人にとっては論理的な意見だったとなるの。
909 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/20(水) 12:14:13 0
>>908 その筋道が通っていることを論理形式というんだが。
その筋、論理形式なしに分かるというのは、直感的に分かるとわれるぞ、一般に。
その文化的に、あるいは習慣的に直観で分かることを論理的だと言わないよ。
>その聞いてるやつが多くなっても、ほとんどのそいつらが納得しちゃう意見が
>ただより論理的な意見として見られるだけ。
>逆にたった一人だけが納得して他の大勢は納得できなくても
>そのたった一人にとっては論理的な意見だったとなるの。
違うちがう。それはただその人が納得できる意見であって、論理的かどうかは関係ない。
論理的意見というのは、誰が聞いても整合性があって筋道だった言葉の形式をとっていることを言う。
だから、意見が論理的だからといって納得するか、どうかは関係ない。
これで分からなければ永久に分からないだろう。
つか、一般的な「論理」や「論理的」という意味から大きく逸脱してるぞ。
910 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/20(水) 13:06:14 0
「論理」「論理的」という言葉の定義すら一言語内でまとまっていない。 英語でも同じ。「誰が聞いても整合性がある」ものは存在しない。
一般的な「論理」や「論理的」と 論理学での「論理」や「論理的」も違うわな。 論理学をやってる人の間でも「論理」や「論理的」への見方が違う。
論理 (Logos) とはギリシャ語で「言葉」の意味。言語で表せない論理はなく、論理は言語の一部にすぎない。 同じ言語の話者は同じ論理を共有している。 非母語に基づく論理を学んで、知識としてもっている人がいると、異なる論理が衝突する。
913 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/20(水) 14:29:51 0
論理という言葉の定義も共有できていないことが明らかになったばかりだが 「共有している」 というのは理想論であって、現実には出来ていない。 「チワワは犬じゃない。むしろネコだ。ジャーマン シェパードみたいなのが犬だ。」 と言った人がいる。 たぶんこの人には、かわいいのがネコで、犬は強くて頼れるものというような論理があるのだろうけど 社会には様々な規範があり、外れた論理は排除されている。 その規範と言語とは無関係だ。
915 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/20(水) 15:19:41 0
「論理」という言葉が、「言葉」という言葉に由来する というのと 「論理」が「言葉」に由来する と曖昧にいうのとでは、それだけでもえらい違いなわけで
916 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/20(水) 15:34:26 0
明瞭になったのはソクラテスに基づく本質主義、 真の意味、本質があるとする見解に基づく定義という考えが機能しないことと、 本質主義が妄想で、言葉はみんな適当につかって適当に共通認識してるってことだね。
>>913 知らないから。
>>914 日本語の「論理」自体が翻訳語で、日本語に基づいて構築した概念ではないから、仕方がない。
>>916 議論無用、電波万歳。
918 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/20(水) 16:40:11 0
>>917 議論もなにもそのままだ。
『メノン』と『名指しと必然性』読んでその本質主義が何で、
その本質・定義を追究する姿勢と、決して一致をみない議論の歴史と、
ここでの全く同じ状況をみれば明か
まず、論理と理論の違いから議論する論議をしてみないか?
920 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/20(水) 16:53:34 0
>>919 いや、もういいは。つくづく無駄だと分かった。
>>918 どうせ一致なんかしないんだから電波万歳。
>>917 翻訳語は外来語ではないのだから、両義的じゃないかな?
>>921 電波というのは音波と同様な科学的実在論的な定義の翻訳語だよな?
なぜそれに霊媒師みたいな意味が付会できるのだろうか?
>>923 'Logic' から離れた「論理」が考えられたことはない。
>>924 「電波少年」という TV 番組名の一部から派生したことがわかっている。
>>925 それだったらアクションバンドの誌名の方が古いだろう。
つまり、新人類の論理を電波と言っているということか?
>>903 例え話の中の子供が実在するかなんて言った本人にもわからないし、実在を指す記述もない。
つまり実在するというのは実はあなたの思い込みで、対象の性質が同じ(可能性がある)と言っているだけ。
子どもと書こうが、こどもと書こうが、子供は子供。 という話と同様。
…もしかして、ロジックでいうところの発振と、論理でいうところの矛盾って実は同類だったりする?
>>929 ネットとはどこのネットのことなんだ? 商用開放以降のインターネットか?
何が言いたいのかさっぱりわからん
むしろあなたがどれを言っている人なのかさっぱりわからん。
>>810 知らないことを知っているというのは、聞いた話のどれかに知らないことがあった場合にそれがわかることだ。
わかることを1、知らないことを0と置けば、それは即ちNAND演算の動作に等しい。
NANDは計算機の基本で、二値論理は全てNAND回路で表すことができる。
電波の語義がなんなのかって話じゃないのか?
論理は日本語の概念ではない等と言っている
>>917 が、
電波は日本語(
>>929 によればネット用語)の意味で使っているんだから
まったくこれは不思議な話だよね。
ロジックといえば論理回路で、電波といえば高周波回路で扱うものだろうに。
>>936 > まったくこれは不思議な話だよね。
全然。
日本語の意味の「論理」は存在しないし、ネット用語の「電波」でさえ 'electric wave' の翻訳語としての意味とつながっている。
>>937 >つながっている
だから聞いたのに、意図判らないみたいな事言ってるんだから本人の中では繋がってないんでしょ?
「論理」と「電波」とでは比較にならないから、やはり意図は通じない。 日本語で「電波」と言うと、精神に異常を来たした人を指すことがあるが、英語で electric wave と言ってもその種の人を指すことはない。 日本語で「論理」と言うと X を指すことがあるが、英語で logic と言っても X を指すことはない。 X の解はない。
比較にならないものを比較しようとしたのは
>>936 だから、「不思議」の原因を作ったのは
>>936 なんだが。
ロジックといえば回路、空論ではない。
>>936 はポンプだが、マッチは
>>917 だ。
マッチとポンプが同一でなければマッチポンプにはならないのではないか?
比較しようとしたことがマッチ。
>>948 両方とも回路だろう。
それだったらまだポンプは現れていない。
>>939 英英辞書でちゃんと調べた?
意味が5つぐらい載ってるよ。
logicは哲学用語だけじゃない。
複数の意味がある言葉は、相手の好意的な解釈によってコミュニケーションが成り立っているのは当然じゃん。
Xが何なのか分からんが、日本語の論理と同じように使える。 A method of human thought that involves thinking in a linear, step-by-step manner about how a problem can be solved. Logic is the basis of many principles including the scientific method. 日本語の辞書は説明が短い。ページを増やさずに、収録する単語を増やす為だったんだろうけど このせいで曖昧でわかりにくい。
だから X はないんだよ。 「論理」は logic の翻訳語であって、日本語独自の意味は何も足されていない。「電波」とは違う。
954 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/22(金) 05:54:03 0
>>939 electric waveって和製英語じゃないの?
日本語でも正式には「電磁波」っていうよね。
Electromagnetic waves
日本語で論理といったらバルカン人のイメージだよ。
「Electric Wave 電波」『電気訳語集』伊藤潔、1893 年。 当時は正しい英語だったのか、何かの間違いがあるのかはわからない。
957 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/22(金) 11:00:03 0
ギリシャ語のロゴスと英語のロジックの違いについての考慮はないんですねわかります
>>957 だれも考慮しないね。
西洋人は違いがないものと思い込んでいる。バベルの塔より前は言葉は 1 つだったわけだから。
その発想が、チョムスキーの普遍文法の根底にある。
959 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/22(金) 13:47:47 0
西洋論理ひとまとめの次は西洋人ひとまとめ来ました
彼ら自身がずっと一まとめになりたがっていたのだから苦情は出ない。
それって論理でも言語でもなくて、単なる信仰じゃないか。
ギリシャの論理学は古代ローマを経て基督教神学に受け継がれ、西洋世界の共有財産になった。 言語と論理と信仰とは切り離すことができないが、根底にあるのは言語だ。言語で表せない論理はなく、ギリシャ人が発見した論理は言語が 1 つだった時代の理想的なものととらえられてきた。
日本語は非論理的だというのは、日本語は非西洋語論理的だということ。 ただし、「論理」という日本語の単語に、西洋語論理以外のものを指す意味はない。 もうこの辺で終わりにしようじゃないか。
トレッキーとしては納得できないだろう。
信仰とイデオロギーってどこで区別するんだっけ?
結論を切り出すやつの結論がいちばん偏見に満ちていてひどい
967 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/23(土) 08:38:30 0
>>965 信仰は主体的、イデオロギーは社会的習慣に思えるが
土地神話って別に郷土の神話って意味じゃないんだよな。
「おう翔太、お前東京の大学出やったな。お前1〜10まで数えてみい。」 「1、2、3、4、5、6、7、8、9、10」 「なんやそら、全然出来てへんやないか。舐めとんか」 「1!2!3!…」 「違う!もう一遍」 「1!!!2!!、」 「違うもうええ!哲、お前やれ」 「12〜3〜4〜5〜67〜89〜10。」 「…。こうやろうが。大学まで行かしてもうて数の数え方も知らんのかいな。 親御さん泣くで。英語もええけど日本語ぐらいまともに喋れるように勉強せえ。 なにも敬語を完璧にせえとか求めとらん。お前らどうせ無理やろ。けどな、数も数えられんかったらわしらの仕事命に懸わるんや。 哲でも昌でも、先輩によう聞いて、しっかり憶えとけ」
ソ1/8 ファ1/8 レ1/8 ファ1/8 ソ1/4 ファ1/4 ソ1/4 ソ1/8 ファ1/8 ソ1/8 ファ1/8 ソ1/8 ファ1/8 ラ1/4 ファ1/4 イ チ ニ イ サン シ ゴ ロ ク ヒ チ ハ チ キュウ ジュウ という節。しかし関西でも子供の遊びでしか使わない。
これ 2 拍子だな。 ソ1/8 ファ1/8 レ1/8 ファ1/8 | ソ1/4 ファ1/4 | ソ1/4 ソ1/8 ファ1/8 | ソ1/8 ファ1/8 ソ1/8 ファ1/8 | ラ1/4 ファ1/4 イ チ ニ イ | サン シ | ゴ ロ ク | ヒ チ ハ チ | キュウ ジュウ 英語なら 4 拍子で節がない。 1/4 1/4 1/4 1/4 | 1/4 1/4 1/8 1/8 1/4 one two three four | five six sev en eight 号令では 8 までしか数えない。日本の体育会系も洋式だ。
972 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/24(日) 05:12:57 0
おい、中国の反日デモの先頭に 「濺血東京」と書いた横断幕を持った映像を TBS系列のニュースで流していたぞ。 「濺」は英語の動詞giveのように目的語を2つとる動詞だ。 「花濺涙」の「花」は矢張り間接目的語だ。
973 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/24(日) 05:44:35 0
974 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/24(日) 05:59:14 0
日本語は非論理的というよりは日本語を使ってる人間が非論理的ということだ。 昨晩NHKBSで「3週連続バーンスタイン特集」を放送したが 「バーンスタインの マーラーの 交響曲第5番」 と字幕を出し、女子アナも「の」の後に間(ま)を取って読んでいた。 声だけ聴いていれば「バーンスタインの マーラーの」までで 何だ、何が言いたいのと「人名+の」を連用する構文の非論理性に脳内の 文法解読オートマトンが混乱を来たす。
何が非論理なんだ? 飛ぶ鳥のと言ったら明日香だろうに。
976 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/24(日) 07:03:17 0
977 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/24(日) 07:15:11 0
皮肉の概念がない言語なんてあるの?
979 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/24(日) 07:47:31 0
>>972 > 「濺」は英語の動詞giveのように目的語を2つとる動詞だ。
> 「花濺涙」の「花」は矢張り間接目的語だ。
「東京」は「濺」の右にあるが、「花」は「濺」の左にある。君の言ってることは滅茶苦茶。
>>973 そんなワルツは聞いたことがない。
スウィングさせた場合でも 6/12 拍子のはずだ。
>>979 その音階とは違う。
簡単に言えば黒鍵だけで弾ける節で、
♭ラ1/8 ♭ソ1/8 ♯レ1/8 ♭ソ1/8 | ♭ラ1/4 ♭ソ1/4 | ♭ラ1/4 ♭ラ1/8 ♭ソ1/8 | ♭ラ1/8 ♭ソ1/8 ♭ラ1/8 ♭ソ1/8 | ♭シ1/4 ♭ソ1/4
イ チ ニ イ | サン シ | ゴ ロ ク | ヒ チ ハ チ | キュウ ジュウ
キイが決まってるわけじゃないから半音下に移調したのだ。
半音上げて「イチ」の「イ」をラにしても、「キュウ」がシになってしまうから、君の言うヨナ抜きにはならない。
> ドーー、ドーソで節(ふし)が違う。
そういう節も聞いたことはある。
982 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/24(日) 12:13:31 0
>>981 >半音上げて
バカじゃね。全音=半音2ケ分あげないと
♭ラを全音上げると♭シになるが、何の意味があるのか。
984 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/24(日) 14:13:54 0
>>977 >「殺向倭寇 濺血東京 譲小日本滚出地球」
滚は「転がる」だから、滚出地球で「地球から転がり出てけや」ってこと?
てか転がるじゃない?
985 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/24(日) 14:33:32 0
>>984 「滚出」で転がりながら出て行くという複合動詞。
「滚出地球」は「地球から転がって出て逝け」という意味。
中国語の口語では「你滚蛋」で「お前は出て逝け」という意味だ。
「出」は出発点を目的語に取る動詞。
「出国」は「国を出る」「国から出る」
「出家」は「家を出る」「家から出る」
「出於国」と出発点を表わす虚字を用いる場合もある。
「青出於藍」青は藍より出でて・・・
「中国出了個毛沢東」というように出発点出身地が主語のように見える位置に来る場合もある。
986 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/24(日) 14:39:14 0
黒鍵だけで弾ける節もしくは音階というのは 移動ド式でドレミソラと移調することができ 白鍵7個のうちドの4度上のファと7度上のシを抜いた音階、旋法に他ならない。 これを四七(ヨナ)抜き音階という。
>>986 > 黒鍵だけで弾ける節もしくは音階というのは
> 移動ド式でドレミソラと移調することができ
確かに 3 音上げるか下げるかすればそうなる (主音はラ)
しかしそれだと単純な節がオクターブを跨ぐ。
レ1/8 ド1/8 下ラ1/8 ド1/8 | レ1/4 ド1/4 | レ1/4 レ1/8 ド1/8 | レ1/8 ド1/8 レ1/8 ド1/8 | ミ1/4 ド1/4
ラ1/8 ソ1/8 ミ1/8 ソ1/8 | ラ1/4 ソ1/4 | ラ1/4 ラ1/8 ソ1/8 | ラ1/8 ソ1/8 ラ1/8 ソ1/8 | 上ド1/4 ソ1/4
イ チ ニ イ | サン シ | ゴ ロ ク | ヒ チ ハ チ | キュウ ジュウ
これでよいか。
>>988 訂正
× ラ1/8 ソ1/8 ミ1/8 ソ1/8 | ラ1/4 ソ1/4 | ラ1/4 ラ1/8 ソ1/8 | ラ1/8 ソ1/8 ラ1/8 ソ1/8 | 上ド1/4 ソ1/4
上の行削除
990 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/24(日) 17:36:55 0
>>987 >違う。ドレファソラと移調される。
ドレファソラは5度あげるとソラドレミと同じで依然として四七抜きだが・・・
991 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/24(日) 17:43:32 0
>>990 >>988-989 。
ただし「四七抜きにするために」そういう移調を行うことはめったにない。
普通は声域と合うか、♯と♭が消えるかすればよい。
>>991 これは 12/12 拍子だ。これで数を読むと 9 と 10 が余ってしまう。
>>981 にも書いたように、スウィングさせたとしても阿波踊り風の 6/12 拍子だろう。
993 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/24(日) 18:27:06 0
>普通は声域と合うか・・・ それは♭が5つあろうが#が4つあろうがハ長調のドを何がなんでもドと読む固定ド式の考え方。 移動ド式ならヘ長調に転調または移調したらハ長調のファをドと読み替える。 だからハ長調のドはヘ長調のソと読み替える。
994 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/24(日) 19:26:37 0
>>993 > 移動ド式ならヘ長調に転調または移調したらハ長調のファをドと読み替える。
そうだけど、その移調は何のためにやるのか。
普通は、歌い易いまたは弾き易いキイを探したら偶々それだったということだろう。
日本の伝統的な節だからファとシを使わないように、という目的は聞かない。
もちろんそのようにもできるが、
>>988-989 のように「オクターヴ下ラ」が出てしまう。
また、「CDEGA」と「GACDE」とは、同じ音符で表せるというだけで、主音が違うから違うキイだ。
996 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/24(日) 22:58:18 0
>同じ音符で表せる とはどういう意味だ。もっと詳しく説明してお前の無知を全世界に晒せ。
997 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/10/24(日) 23:04:19 0
>単純な節がオクターブを跨ぐ というのも意味不明だ。この数え唄のような曲の音域は1オクターブ以内に収まっているが。 「オクターブを跨ぐ」というのが何を意味しているのか判らない。 この点も詳しく説明して世界に恥を晒してくれ。
日本人はあらゆる音を言語脳で捉えるからね 絶対音感を持つ人が多いのもそのせい だから日本語でこのような話になった場合音名で言う事が多いんだよ
ファとソの間が全音なんだから、ファが無ければレもミも作れないような気がするのだが
>>996 > >同じ音符で表せる
> とはどういう意味だ。
そこに書いてあるとおりの意味。
>>990 の「ソラドレミ」は確かにファとシを欠いているが、それを普通「四七抜き」とは呼ばないということ。
1001 :
1001 :
Over 1000 Thread このスレッドは1000を超えました。 もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。