誰も「雪を戴く」の存在を認めないなんてことは言っていないわけで。
「雪を抱く」という表現は誤りだということを補強する証左にはなっていない。
古くからのものだけが正しいのなら、今ある言葉・表現の大半は間違いになる。
逆に、「いだく」と「いただく」という似た音の読みのない中国人の表現にすら
10件のみにせよ"山抱雪"という表現があったということは、誤聴によるものでないのだから、
比喩表現として感覚的には成り立つということの証左になってしまうのでは。
>>952 同感。"山抱雪"という表現が実際にあることに驚いた。
連なった山とか奥深い山なら雪を抱えてるようなイメージがあるけど、
富士山のような単独の山では違うんじゃないかな?
どういう時に使われる表現かわかればいいんだけど。
>>951 「名前占い」は無関係。
「倚山抱雪」「跨山抱雪」「没做到的人就到合歓山、抱雪回来…」「抱雪之酔」の「抱」の主語は「山」ではない。
結局「群山抱雪尽銀妝、孤梅迎風●彩衣」 (●=目偏に分) の 1 例のみ。
所在ページが開かない。どんな情景か正確にわかる人がいたら、ぜひ教えてもらいたい。
>>952 すべての「山が雪を抱く」が誤りだとは言っていない。
山全体に雪が積もっているときに、「雪を抱く」というのは比喩表現として成り立たないと言っている。
比喩は話者の自由で正しいも誤りもないというのは屁理屈である。
文学では確かに突飛な比喩も使うが、ダダやシュールが 14 万件もあるわけがない。
>>758 >「雪を抱えた山は、春には豊かな水源となる」なら OK。しかし山は雪を抱かない。
>>955 >すべての「山が雪を抱く」が誤りだとは言っていない。
>>753 > ふもとまでまるで抱えるように多くの雪を積もらせている山なら
> 抱くであろうが、その人の感覚の表現として適切。
>>758 > 「雪を抱えた山は、春には豊かな水源となる」なら OK。しかし山は雪を抱かない。
「抱く」と「抱える」とは違うから
>>753 は不適切だと言っているにすぎない。
それをおとなしく認めれば済む話。
959 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2010/01/06(水) 18:25:13 0
いだ・く【抱く/▽懐く】
1 腕でかかえ持つ。だく。
《かかえ》持つ。《だく》
960 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2010/01/06(水) 19:42:40 0
自動車販売で中国が世界一になったとか盛んに放送してるけど、
販売世界一じゃなくて購買世界一だろ。
あほかよNHK
961 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2010/01/06(水) 19:50:06 0
>>952 よく見ろ。10件のうち「山抱雪」の語として成立してるのは
「群山抱雪」のひとつだけだぞ。
962 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2010/01/06(水) 19:51:31 0
>>952 よく見ろ。10件のうち「山抱雪」の語として成立してるのは
「群山抱雪」のひとつだけだぞ。
群山は複数だから雪を抱くことができるのであって、
山が雪を抱くのとはわけが違う。
つまり山が雪をいだくという表現は、言語種を問わず不自然な表現だ。
963 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2010/01/06(水) 19:55:38 0
>高みに登りて遠く望めば、群山雪と烟とを抱へて灰色の天際連接す。
あほか。煙灰色だろ。
964 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2010/01/06(水) 20:08:39 0
>>960 こうばい 0 【購買】
(名)スル 買うこと。買い入れること。
はんばい 0 【販売】
(名)スル 商品を売ること。
「自動―機」「―網」「古本を―する」
「販売」は売る側の言い方。「購買」は買う側の言い方。要は反意語。
よって販売なのか?購買なのか?は文意によって変わってしまう。
但し、キミが言うニュースソースはこんな物だと思うが
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2010&d=0106&f=business_0106_045.shtml 例えば中国の国内ではトヨタなりGMなり中国の国内メーカーなり様々なメーカーの
車が売られている。つまり「販売」されているわけだよ。販売する側が居て購買する人も
居るわけだよ。ただしこの記事に関しては販売者側の視点で統計を取った上での記事なので
「販売」で間違っていない。逆にメーカー側が調べた「販売数」なのにそれをわざわざ購入者視点で
「購買数」と言い換える必要は無い。
966 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2010/01/06(水) 20:30:46 0
なぜ群山が許せて山が許せないんだか。
山あいの窪みがあればOKなのか。
結局は個人の許容範囲の問題に過ぎないし
そもそもの
>>745がどんな山だったのかもわかってないのに
なにを長々と無意味な水掛け論やってるんですかまったく。
968 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2010/01/06(水) 23:57:10 0
>>962 群山は複数だから雪を抱くことができるのであって。
よく読め。
969 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2010/01/06(水) 23:59:05 0
>>967 言語を「個人の許容範囲の問題」にするなら、
共通の言語は成立しないよ。
言語は伝統的規範で成立するか、多数の馬鹿に合わせる形で成立するか、
どっちかしかない。
>>959 「*山にかかえ持たれた村落」「?山にだかれた村落」
「*大志をかかえ持つ」「?大志をだく」
>>963 「[与 [●灰色的天際]] 連接」 (●=火偏に因) だったか。「与」の後が長いね。
>>967 > なぜ群山が許せて
(古典) 中国語の「抱」と日本語の「いだく」とは全同ではない。
>>956。
> 結局は個人の許容範囲の問題に過ぎないし
屁理屈。
> そもそもの
>>745がどんな山だったのかもわかってないのに
番組見たよ。真っ白な山だった。
権力握ったらすぐさま言語統制するタイプだな。
>>972 権力を握ったら、広く会議を興し万機を公論に決する。
議論が盛んになれば、いいかげんな言葉遣いは自ずと排除されるだろう。
誤用も広まれば正用ってのは言語学者・国語学者の言い分であって、
一般の社会人がそんなことマネする必要なんかサラサラ無い。
規範が大事なんであって慣用化されているものでも元はどういうものかを知るぐらいの努力が必要。
>>975 >元はどういうものかを知るぐらいの努力が必要。
には同意だが「誤用も広まれば正用」は確かなのだが
「言語学者・国語学者の言い分」ではないような気がする。
あくまで世間の多数決のような気がする。
・2chで「的を得る」とか誤用のほうの「役不足」を使うと鬼の首を取ったかのように突っ込まれる。
でも両者とも一般世間的には相当な認知度で誤用が普及してしまっている。
・でも「フィーチャリング」を「フューチャリング」と言ったり「コミニュケーション」を「コミュニケーション」とか
「シミュレーション」を「シュミレーション」と言ったりすると何故か恥ずかしい。
つまりこれは、前者は「誤用も正用」の典型的な例。後者は未だ認知度が低いので
知ってる人から見て明らかな誤用なので「フューチャリングだってお(ウププ」となっている例。
・しかしさっき「(ウププ」と言った人も「ファストフード」とは言わず「ファーストフード」と言う。
これは知っていても普及率の影響で「誤用も広まれば正用」に屈した形。
>・でも「フィーチャリング」を「フューチャリング」と言ったり「コミニュケーション」を「コミュニケーション」とか
「シミュレーション」を「シュミレーション」と言ったりすると何故か恥ずかしい。
www
どうやらこれは「いだく」「いただく」で争っているのではなく、
「一般的である」という基準を、どこに置くのか
というところが衝突しているに過ぎないようだが。
一方は「辞書に載っていることが一般的である」
一方は「一般人が多く使っていれば一般的である」
「一般的」とは何かという定義問題の解決が先。
979 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2010/01/07(木) 15:06:09 0
数え切れないぐらいの言葉が誤用・転用→定着という歴史を経ている中で、
>>975が普段どれだけ規範外れである言葉を意識しないで使っていることか。
これだけ滑稽な間抜けは見たことがないわw
980 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2010/01/07(木) 15:21:35 0
辞書のない時代の人々の会話や
辞書のない部族の人々の会話は
辞書を規範にしていないのだから
みんな誤りだ!誤用だ!御用だ!
ということですかわかりません
上層の会話が規範だった。下層の言葉は上層にとっては聞くに堪えない誤りだらけだった。
だから両方の言葉のわかる中間層が一々取り次ぎ、上層と下層とは直接会話をしなかった。
982 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2010/01/07(木) 16:02:21 0
そんなバカな。
上層にとっては上層の会話が規範で
下層にとっては下層の言葉が規範だというならわかるが
なんで上層だけが規範になるんだよw
まさに言語統制
いつまでも誤用で延々とレスしなさんな。
誤用転じて正用なんてのは、何度も言うように言語学者・国語学者の言い分だ。
そういうことを言ってると、或いは誤用を容認してると教養が疑われる。
だから、「的を得た」が誤用だと述べて平気で居てられるんだよ。
「的」だから「射た」に決ってる、としか発想が無く出処を知らないんだ。
結論は、どちらでもいいんだ。古くから両方使われて来た。
次を出処として、日本人としてわかりやすい言い方にした慣用句だ。
『禮記』・「射義」篇
「孔子曰、射者…不失正鵠者…」
この「正鵠ヲ失ハズ」から来ている。
「正鵠」は「的(まと)」。
「失ハズ」だから、言い換えれば「得た」。(「正鵠を得た」という言い回しが現に存在する=的に当てたの意)
だから、敢えて言えば「得た」の方が出処に近い――しかし、冒頭に「射ルハ」(又は射ルモノハ)
とあるから、そこに注目して「射た(る)」でも良いわけだ。
また、「当を得た」もこの「正鵠を得た」から言う慣用句。
日本人が永く使って来た代表的な成句・慣用句は漢籍が出典だから事はハッキリしている。
この点は、本板「的を得る…」の前のスレにレスしたから、ググれば俺のレスが出てくるだろう。
出典を明確にしてるんだから、ここの住人なら上記のテキストや俺の述べたことぐらい直ぐ当たれるだろう。
> どちらでもいいんだ。
実際には「的を射る」を使わない方が良い。むしろコッチの方が誤用っぽく聞こえる。
以前は、「…射る」の方を誤用と言ってた文筆家が多かった。
ここ10年ほどで、そういうことが忘れられている。
言うなら「当を得た」を使うべし。
本来「的を得た」は普通に自然に聞こえるんだが、誤用と言う人や辞書が増えて、正しくても使い辛い。
「正鵠を得た」も近頃は政治家も財界人もテレビで言わないからね。
ゆえに、「当を得た」にしとけば無難。
礼記「正鵠を失わず」→日本の「的を得た」
高校の漢文の教材で出てきて俺でも知ってる。
>>985 ここのスレタイをもう一回読み直せ。何と書いてある?
「ア ナ ウ ン サ ー の」と書いてあるだろ?
アナウンサーは「当を得た」などという言葉は使わない。
時代に則した(←これ重要)
且つ的確な言葉を話すのを生業としている。
>>982 規範意識があるときに規範と言う。下層には (現代の下層と同様に) そんな意識はなかったと思われる。
下層に言葉の規範はない。正しいも誤りもない。通じさえすればよい。
>>984 学者としては正誤を論じない。正誤が問題になるときは、一般社会人と何ら変わらない。
>>984 > 「的」だから「射た」に決ってる、としか発想が無く出処を知らないんだ。
出典はよく知られている。「正鵠」に当てることを何と言うべきかがあまり知られていない (正しくは「中」)。
しかし、「正鵠」を「的」に言い換えた以上、「得る」は通らない。的は「射る」ものだ。
> 「正鵠」は「的(まと)」。
正確には、的の中心の黒い円。 正鵠の描かれていない的もある。
> また、「当を得た」もこの「正鵠を得た」から言う慣用句。
無関係。「当」は、「道理にかなっていること・条件に合っていること」。
「好悪以節、喜怒以当」 (史記・礼書)
負け犬の遠吠えなんだから、あまり追い込むなよ
寝た子が起きるぞ
991 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2010/01/07(木) 23:34:49 0
「射た」でも「得た」でもよろしいけれどね、そもそも「射る」「得る」の形で遣うものではありませんよ。
辞書なんぞは終止形で載せないといけないんかなぁって感じで無理に「射る」「得る」にしてありますが、
必ず「的を射た」「的を得た」「当を得た」の形で遣うものなんです。
「射る」「得る」はそれこそ誤用です。
992 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2010/01/07(木) 23:51:14 0
テストです
>そういうことを言ってると、或いは誤用を容認してると教養が疑われる。
などと、最も教養が疑われている者が言う間抜けさ。
容赦ないなw
面白いからいいけどw
正用だ誤用だと言って騒いでいることこそ
言語学の教養を疑われるのだけどね。
一般人に言語学の教養など要らない。言葉の意味をいくらか多く知っていればよい。
「いただく」の古い意味は「頭に乗せる」、「いだく」の意味特徴は「内に包み持つ」だと知っていれば、「山が雪をいだく」が何万例あろうと、ほとんどが誤用だとわかる。
言語学者としては、「山が雪をいだく」の例が 14 万件もあるという事実から、「いただく」の原義、および文章語である「いだく」の意味が忘れられ始めているのではないかと推論する。しかし「雪をいだく」が正用になったなどとは考えない。
ここは言語学板であるにも関わらず
記述文法を扱うべきという言語学の規範を無視する
規範意識の低い人が立てたスレだけどね。
>>998 スレタイを読み直せ。ここは「アナウンサーの国語」というスレだ。
故に必ずしも記述文法に則するとは限らない。
ついでに1000梅
1001 :
1001:
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もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。