「熊」と「(目の)クマ」を区別する?しない?
私はHLとLHで区別する。
>>366 勿論する。
>私はHLとLHで区別する。
それは正解だが、
>>351で懸案となっているのは「くまのぷーさん」となった時に「くまの」はLHHなのか?HLLなのか?ということ。
日本語的にはHLLだろうがディズニーのオフィシャルとしてはLHH HL LLらしいのだが。
「嫌いな言葉・言い回しを挙げるスレ」を読んできたが正しい日本語としてLHHは断固認めない派と
「固有名詞」としてディズニーがそう言ってるんだから「くまのぷーさん」は商標者の主張を認めるべき
という意見で二分している。
HLの方が新しいのかと思ってたよ
369 :
周波数:2009/11/19(木) 20:34:40 0
暇だったらそのスレ読んどくけど、別に
>>366はぷーさん問題とは関係ないでしょ。
ぷーさんの話は、
>>352-353、
>>355、
>>359-360で解決してるでしょ。
僭越ながらあらためてまとめると、
・クマ(「熊」)は尾高が伝統的。クマが(熊が)LHL
・助詞「ノ」が後に続いたときの尾高は平板とおなじようにふるまうこともしばしばある。クマノコドモ(熊の子供)LHHLHHかLHLLHH。
なのでオフィシャルがクマノプーサンLHHHLLLと言ってるのは伝統的。伝統的なのが正しいんだとすれば正しい。
・俺も含めて相対的な若年層(いつごろからかは知らんけど)では、クマ(熊)を頭高HLで発音する人が圧倒的に多いし、
伝統的なクマのアクセントを知らないので、最初の質問者やそのスレ(未読だし不快になるだろうwから読もうとも思わないけど)でのようにLHHに対する反発が大きい。自分とその周りでの使い方が正しいんだと主張するなら正しい。
そのスレでの論点が
>>367の誤解にもとづくものだとしたらそのスレのみんなにあやまるよーw
で、その上で。
>>366 もちろんするw 俺も頭高(熊)と尾高(隈)で。
> ・クマ(「熊」)は尾高が伝統的。クマが(熊が)LHL
これだけでも出典示してもらえまいか。NHKの辞典だと新旧両方載ってたはず。
どうも新旧が逆のような気がしてならないんだが。
三省堂だと<<クマ HLは避けたい>>とかなかったか?
しばらく前のNHKのテレビCM(?)でクマは尾高が正しいってアピールしてた
>>370 あれ?こないだ見たNHKのアクセント辞典だと尾高しか載ってなかった気がしたけど
古いやつかな?
三省堂は尾高、新として平板が載ってた
374 :
373:2009/11/20(金) 09:02:38 0
>>370以降は
>>370の解になってないな。
>>370の問いは「熊」に助詞が付いた際はLHLなのか?LHHなのか?HLLなのか?
そこを明確にしたいのだと思うが。
尾高型は一般に助詞が付くとLHL
ただ助詞の中でも「の」だけは特別なふるまいをするので
(詳しくはアクセント辞典の解説等を見てくれ)
「熊の」はLHHだと思われる
馬をHLと言う人はいないのに、なぜ熊はLHに変わってしまったのだろう。
頭がクだと頭高にしたくなるのか?
378 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2009/11/20(金) 12:27:33 O
「熊」は二拍名詞三類で、京阪式で頭高型、讃岐式で高平型、東京式で尾高型になる語。
実際、各地の方言でもそのような対応を示している。
しかし、東京では戦後になって頭高型で発音する人がかなり増えてきている。
「熊」は最近アクセント変化が起きている代表例として有名だ。
アナウンサーは伝統的・保守的な尾高型を使っているが、もはやそれに違和感を持つ人も多い。
ネット上で見ても、アナウンサーの尾高型に違和感を訴えたり、「間違いでは?」という人もかなりいる。
尾高型だと「目の下にできるクマ」に思えてしまう人もかなりいるようだ。
なぜこの変化が起きたかというと、動物名だからだろう。
動物名は、使用頻度がやや低い語を中心に、元の類に関わらず五類相当の型に変化する傾向がある。
これは京阪式・東京式を問わず起きていて、東京式なら頭高型になる傾向として現れる。
例えば「亀」は院政期京都では三類として記録されているが、現代方言ではほぼ全国で五類として現れる。
「熊」の頭高型化は戦後にメディアを通じて全国に広がっている。
富山のように元々は東京式ではない地域でも若年層では頭高型化しているという調査報告もある。
地域によっては、子供が「尾高型は動物、頭高型はぬいぐるみ」と理解していた例もあるらしい。
尾高型の「クマのプーさん」の違和感にはそのことも関係しているかもしれない。
しかし、一番の要因は、新しいアメリカのキャラクターに対して伝統的な古いアクセントを使うことへの違和感だろう。
主なターゲットの若年層では、尾高型の熊は「変な」「違和感のある」「間違った」「訛った」アクセントとすら
受け止められる、半分死んだアクセントなのだから。