952 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/07(金) 10:24:14 0
>>944 もしかするとそれは英語学習の影響かもしれないね。
日本人が英語を文法から学ぶようになったことで英語の文法的観念で文章を見る発想が
頭の中にインプットされていって、日本語にもそれを知らぬ間に当てはめるようになってきた。
そのため、日本語独特の本来自然であったはずの文にいまどきの人は違和感を抱くようになった。
953 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/07(金) 10:41:47 0
>951
私は950である。
論点をつかめているかどうかは別として、君の意見はずれている。
なんとなれば、「本が読める」は動作文であるが、一方、
「鼻が長い」は状態文である。
私は、
動作文の後ろに「状態にある」が省略されていると言ったのである。
状態文はそのままですでに状態を述べているのであるから
その後ろに「状態にある」が省略されているかどうかの考察の対象にならず。
>>953 でも、あなたのいう「状態文」(というより「存在文」)の場合でも
省略されていると考えることはできるわけでしょう?
「象は鼻が長い(存在である)」と。
955 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/07(金) 11:02:27 0
話題の提示である「象は」は考察に関係がありませぬ。
主部の「鼻が」に対する述部を考察しているのであります。
日本語では動詞を使わずに形容詞だけで述部になりえますから
be動詞を使う必要がありませぬ。
ここでいうbe動詞とは「状態にある」も「存在である」も
共通項として含んでいる「である」のことなり。
翻って、「読める」は形容詞とは違う一般動詞ですから
be動詞を使った「状態にある」をことさら取り上げる意味がありまする。
956 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/07(金) 11:21:49 0
いやあ、論理としては同じような発想かなと思っただけで。
「象は鼻が長い」文にもあなたのアイデアは応用できるんじゃないですかと。
新入社員が募集してた。
>721 >722 >877 >913 を踏まえて
>ゲームが売っている
がOKだという人は、
>ゲームが売る
もいいのだろうか
もし後者のみ非文だとしたら、前者がOKである理由は何か
959 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/07(金) 17:29:48 0
>>958 前者の文(売っている形)が現象文(存在文、状態文)的ニュアンスを持つからでしょう。
後者の文(売る形)では誰かの動作が主題になるから、「が」の前には動作主が必要になる。
960 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/07(金) 17:55:58 0
>ゲームを売っている
で「誰が?」と感じる人は、なぜそう感じるのだろう
961 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/07(金) 18:29:06 0
ゲームが売っている。
ほんらい、ゲームが何を売るの?となるはずだがゲームという非人格的な物だから誤魔化される。
奴隷が売っている、ロボットが売っている、だったら確実に何を?になる。
「浅草でサンバが踊ってたよ」
「産婆が!?」
>>960 「を」は目的語だから、目的をもった主体がそこで暗に想定されるんじゃない?
964 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/07(金) 21:17:02 0
「そこにゲームが売っている」文は、むしろ、「そこにゲームがある」文に近いんだよ。
965 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/07(金) 23:54:53 0
>>950 それなら「ゲームが売ってる(状態にある)」とか「食事が食べている(状態にある)」とか
なんでも説明できちゃうだろ。
966 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/08(土) 00:49:33 0
>>963 主体って何?なんで主語って言わないの?
>>966 主語っていうと、意味が拡散するでしょう? 言語学的に定義がより曖昧で論争のある語だし。
主体というのは動作主という意味ね。
968 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/08(土) 01:09:37 0
何で動作主が必ずなきゃいけないの?
969 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/08(土) 01:12:39 0
>>967 「AはBに殺された」と言った場合
Bが主体=動作主
になるの?
ひょっとしたら「アニメがやってる」「ゲームが売ってる」がOKな人の脳内って、
「〜てある」も「〜ている」もどちらも「〜てる」に縮約されてるんじゃないだろうか
それ以前の「〜てる」が「〜ている」とだけ関係付けられたのが、
「〜ている」「〜てある」を区別なく「〜てる」と関係付けるという
reanalysis(異分析、再解釈)が起こっているんじゃないかな
「〜ている」「〜てある」を「〜てる」で中和させ、それを日常言語としていくうちに、
動詞の自他による「〜ている」「〜てある」の使い分けに無頓着にもなるだろう
あと、「〜したい」はもともと「〜が」を取る場合のほうが普通だぞ。
近代に入って「〜を」を取るケースが多くなってきた。
ソースは昔の「国語学」を自分で漁れ。
もしかするとそれは英語学習の影響かもしれないね。
日本人が英語を文法から学ぶようになったことで英語の文法的観念で文章を見る発想が
頭の中にインプットされていって、日本語にもそれを知らぬ間に当てはめるようになってきた。
そのため、日本語独特の本来自然であったはずの文にいまどきの人は違和感を抱くようになった。
最近の被害の受身でない「れる、られる」の多用は
英文和訳文の影響が大きいと思う。
974 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/08(土) 01:52:47 0
西欧の、特に英語圏の文化帝国主義が、日本人の脳をそこまで侵蝕してきているんだな。
教育の力って恐ろしい。
975 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/08(土) 01:55:04 0
976 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/08(土) 04:23:30 0
自分や身近な人の論理的思考力の無さを日本語のせいにする人って跡を断たないね
977 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/08(土) 13:31:14 0
あいつに金が貸すとなかなか返ってこないぞ!
>>970 それはひとつの要因かも知れないが、それだけだと
「やる」「売る」以外で同じことが起こっていないことが説明できない
979 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/08(土) 14:55:07 0
彼女はピアノが弾くのが上手い。
980 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/08(土) 14:59:01 0
本来なら「を」を用いる所に「が」を用いるようになってきたという日本語の変化だろう。
それが、やっている、売っている、に限らないことはこのスレにも例が多数挙げている。
981 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/08(土) 17:29:38 0
「を」は新情報にふさわしくないのか?
定の対格ってことか?ペルシア語のraみたいな
982 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/08(土) 18:26:18 0
>>971 >ソースは昔の「国語学」を自分で漁れ。
それは規範化意識が働いてるだけじゃなの?
明治期の文章で用例数を比較してみたら答えがでるのかもしれないけど。
983 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/08(土) 18:49:40 0
> それが、やっている、売っている、に限らないことはこのスレにも例が多数挙げている。
これ定期的に書きこんでる奴いるけど、実際に挙げられてる例のほとんどが
明らかに非文法的か、「やっている」「売っている」とは関係ないタイプの述語のやつばっかだよね
984 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/08(土) 18:50:21 0
985 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/08(土) 21:32:26 0
このうちは床の間に仏像が置いている。
いう?いわない?言わないとしたら、〜が売っているとの違いは何?
「売っている」は「落ちている」と同じような観念なんだなあ。
>>985 言わない。違いは誰か早く解明してくれ。
988 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/08(土) 23:05:02 0
先生の話が聞いている。
も同形態の文だ。
989 :
987:2008/11/08(土) 23:06:30 0
まあ適当に違いを分析するとだな
- アニメがやっている
- ゲームが売っている
これらは1)動作主が背景化されている、2)進行相である、3)対応する自動詞が無い
よって他動詞が無理やり「ている」形で自動詞風に使われているわけだ
- 仏像が置いている
これは1)動作主が背景化されている、2)結果相である、3)対応する自動詞が無い
結果相の場合は動作主を背景化して自動詞的に叙述するために「てある」を使えるわけだ
- 仏像が置いてある
だから無理やり「置いている」なんて言い方をする必要がないわけだ
991 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/08(土) 23:14:20 0
言う、言わないに規則性はない。「を」→「が」の転換点にさしかかっているのが今だ。
まず突破口的に売っているに用いられ始めただけで、後十年もすれば話が聞いているなんて言い方も普通になる。
>>991 多分、釣りか煽りなんだろうな…
もし学生か院生で本気でそんなこと思ってるんだったら、かなりかわいそう
手遅れになる前に一般企業に就職すべき
>>991 逆では? 「が」→「を」の転換点が今でしょう。英語の文法教育の影響かもしれん。
994 :
991:2008/11/09(日) 00:04:19 0
「を」←→「が」
つまりどっちでもよくなる
「を」=「が」となる転換点にさしかかってるのが今、と訂正。
次スレッド、立てるかい?
996 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/09(日) 01:32:26 O
必要あるのかな
まあ言い出しっぺ頼む
日本語の文法をまとめる時に
本当は一般化しちゃいけないルールを一般化して
文法と実情がズレちゃっただけじゃないの?
違和感があるって人は実例より先に
間違った文法を学んじゃったからだな
日本語に文法がないといわれるのはこういう無原則な言い方でも押し通せるからだろうな
999 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2008/11/09(日) 08:09:27 0
どんな規則的な言語でも自然言語である限りは例外というものがある
だいたい、ギャップを埋めなきゃいけないとはのっぴきならない事情でそういう例外が発生するんだけどな
例外や言語変化が発生するのは、そういう方向に変化を生じさせる何らかの力が働いている場合であって
何もないところにいきなり無原則にそういうことは起こらない
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