1 :
れげらま :
2007/06/20(水) 20:04:02 0 今の日本人は、日本語の言葉を避ける傾向にある。 「制作者」や「監督者」という日本語があっても「プロデューサー」や「ディレクター」を使いたがる。 同様にして、「訓練する」よりも「トレーニングする」、「園芸」よりも「ガーデニング」、「上着」よりも「トップス」、「使い手」よりも「ユーザー」、「参照」よりも「リファレンス」、「案内」よりも「ガイド」、「幸運だ」よりも「ラッキーだ」 ・・・例にはきりがない、本当に。 いつしか、新しい日本語が造られなくなった。かわりに、外国語の流用が増えている。 日本人の多くは、本音として、日本語よりも外国語を指向している。 かといって、日本人は外国語会話が得意になったわけでもない。あいかわらず、日本語にしても外国語にしても、言語を言語らしく使いこなせている日本人が多いというためしがない。 輸入語まかせで、日本語を編み出す意力を持たなくもあれば、英語を英語として話そうとするところのケジメもない。 一般日本人のそんな無気力的な言語感覚のもとに、日本語のみならず英語といった外国語までもが虐待されている。 以上の点をふまえ、日本語にたいして友好的・開発的な態度をとりにくくある今の日本人について思うところがあれば述べてほしい。
2 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/06/20(水) 21:30:48 O
エグゼクティブのミーが来ましたよ。
3 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/06/20(水) 21:57:06 0
単に英語かぶれなだけだろ
そして
>>1 の文の「外国語」は全て「英語」に置き換えられる
ドイツ語やフランス語や中国語では決してない英語だ。
英語だとなんだかかっこいいし国際的で世界に通用するという感覚で
英語の語彙が外来語として多用され定着していく。
別に日本語に限ったことではない。英語が世界共通語の地位を確立した
20世紀後半以降、世界の言語には英語が多大な影響を与えている。
それ以前に、1がまともな日本語を身に着けているかどうか、かなり疑わしい。 「ためしがない」という語句は、ふつう用言の完了(過去)形に接続するものでは ないだろうか。 「あったためしがない」「できたためしがない」「超えたためしがない」「多かったためしがない」など。 「あいかわらず、〜である日本人が多いというためしがない」などという用法は 規範として聞いたこともない。
5 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/06/21(木) 02:33:26 0
あんたは正しい。
6 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/06/21(木) 02:34:21 0
他山の石。 人を非難する前にわが身を振り返れ。
7 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/06/21(木) 13:44:56 0
アホが英語にかぶれてるだけ
8 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/06/21(木) 14:49:16 0
チュクチュクチャギチャギとあ〜全くやかましい。ネットでいろいろと妨害 工作に普請しているが、お前らの吃音標準語からハングルだってのばればれ だよ。大体俺は九州に知り合いがいてそいつ自身がはっきりと言っていたんだか らもうどうし様もねえよ。俺の天才的な勘の通り、お前らは皆エッタなの。 本州で相手にされない?疎外される?昔からそうなんだって。エッタの血液 をお前らの先祖が混ぜようとして来るもんだから自警団とか、朱子学つって 外様郷士足軽以下の身分制度までできたんだぜ。これでも一応歴史家の卵に 裏取ったらそれで合ってるって言われてるしな。言語学の権威に九州エッタが いりゃ、そりゃ愛郷心とかいう狂気でごまかそうとしてくるだろ。ま、 はっきり言えばお前らは運が悪かったのよ。今世界中の鼻つまみ者になってる 至上最下等の劣等人種朝鮮人と全く同じDNAが入ってる儒教の部落民だった っていうのは確かに面白くない話だろうよ。だがな、犬食いの鹿児島人同様、 お前らは大昔から監視対象であるってことよ。これから日韓関係は竹島や 腐敗を愛国心と読んでごまかす真似を主体にどんどん悪くなるだろう。俺が そう仕向けてんだが、その過程でお前らは必ず朝鮮の側につく!それこそが この俺が九州を叩こうとする本当の目的だ。無論俺にも九州に友人はいる。 もしもそうなったらそいつらも殺害しなければならないことは残念なことだ。 しかし、日本の未来や主権には代えられない。個人的なことは全て我慢しなければ ならない。今や列記とした国難なのだからな。これからアジア圏でシナの 影響力が強まり、南朝鮮傀儡が日本を弾きだそうと圧力を強めていけば、 少なくとも国内で真っ先に監視体制、恐らくは収容所だと考えられるが、 そこに放り込まれる輩は九州人全てだ。はっきり言って、日本国民は九州を 信用していない。そして九州は昔征韓論も考え出した部落だったはずだ。 お前らの真の母国を上手く炊きつけて滅ぼしてやる。朝鮮人が朝鮮人の 手によって殺される様を見るのもまた一興だな。犬食いされる犬の気持ちぐらい 己の身で試してみてはいかがかな?俺の説に文句のある九州人の諸君。
>1は日本人ではないのでは?
>>1 そうでもないだろ
「グーグル八分」「検索エンジン」「電子掲示板」は、漢字使ってる
11 :
れげらま :2007/06/21(木) 17:16:21 0
>>4 > 「ためしがない」という語句は、ふつう用言の完了(過去)形に接続するものでは
> ないだろうか。
> 「あったためしがない」「できたためしがない」「超えたためしがない」「多かったためしがない」など。
> 「あいかわらず、〜である日本人が多いというためしがない」などという用法は
> 規範として聞いたこともない。
そういう閉鎖的な言語観が、日本語における造語活動の停止に拍車をかけたりするわけだ。
君は、日本語を創造的・合理的に使おうとする意力を持たない人々のあいだにおける「ふつう」の慣習にもとづいているにすぎない。
(学校における女子制服のスカートの丈についてうるさく当たることが合理性ではなく慣習性にもとづいた威服態度であるように、そういった盲目的な風紀と規範がいまだ日本社会では溢溢してる。)
君の挙げた用法は、
「〜であった」
「〜ができた」
「〜を超えた」
「〜が多かった」
というふうに何かしらの事象・事柄を表す文節について
「そうであるという例証・ためしがない」
という形容が付加されているものである。
そしてそれは「〜が多い」についても同様だ。
「〜が多い+という例証・ためしがない」。
「彼は親切であったためしがない」は
「彼は親切であった」という事象について「そうであったという例証がない」ことを表現するものだ。
要するに「彼は親切であった(ということには)ためしがない」の省略型。
我々日本人はとにかく省略が好きで、合理性を犠牲にしてでも表現を短くしたがる。
実に、「彼は親切であった ためしがない」という、接続詞も無しに一つの文の中に複数の命題が混在しているのは、非合理的なのだ。
日本語を好きになれないという日本人の情況の要因の一つに、「日本語が古臭く感じられる」ということがあるが、それって、日本語の発展的・進化的な用法・解釈が君のような狭量な人達によって盲目的に抑圧されてきたからではないのか?
13 :
れげらま :2007/06/21(木) 18:20:07 0
>>10 > そうでもないだろ
> 「グーグル八分」「検索エンジン」「電子掲示板」は、漢字使ってる
「エンジン」、なんだよね。「検索機関」と言えるにもかかわらず。
漢字の用法にまつわる閉塞的な先入観に囚われて、使えるはずの言葉を使わなくなっているわけだ。
「電子掲示板」という言葉を使える世代層は限られてるよね。
「グーグル八分」はいいね。ウィキペディアの「井戸端」もいい。
でもこういう名称って、固有名詞のあいだでは珍しいものじゃない。あえて日本語を盛り込むことで注目を図ることはよくある。
日本語らしさがかえって特別・奇抜な引き立てとなってしまうほどに今の日本人の感覚は言語文化的な中心を失っているわけだ。
(日本人は伝統を重んじる、とは言われるものの、それって、今となっては、そういう形式・形骸に頼ることで自分達の内的な空虚さを塗りつぶしてしまおうという無意識的な追随の現れであると言えなくもない。)
ちなみに「八分」は「村八分」という既存のものから来ている。新しい言葉が生み出されたわけではないんだな。
また、日本語には、漢字熟語のみならず和語というものもある。
新しく造る言葉は漢字でも平仮名でもいいし、あるいはそれらの組み合わせでもいいのだ。
その点を考えると、日本語にどれだけの発展性が潜在しているのかがだいたい推し量れるだろう。
問題は、現在では手で書かれる日本語よりもパソコンで打ち込まれる日本語の方が多いという事実だ。
手書きでは簡単に新しい漢字や言葉を編み出すことができるが、そういう新字・新語はパソコンでは特別な技術で「登録」しないかぎり使えない。
するとなると平仮名による造語がもっぱらとなりそうだが、そこにも問題がある。
ひらがなによるぶんはなかなかよみにくいものであるということだ。
カタカナをツカえばそのようなヨみにくさはスコしカイショウできる。
なんにせよ、現代生活に即した新しい漢字を生み出さないことには「掲示板」の「板」(木のイタ)は古臭いままである。
同じ理由によって、「手紙」という言葉は「e-mail」には使えない始末となっている。
「電子掲示板」にしろ「電子手紙」にしろ、「木」や「糸」という偏ですでに矛盾するはめになる。
「航空機」なんて、舟編ありの木編ありのだけど、文句言う奴はいない
15 :
れげらま :2007/06/21(木) 18:59:57 0
>>12 > 慣用表現につっこみ入れられて逆ギレしてるような……
なんでもかんでも「逆ギレ」になるわけじゃないでしょ。
2ちゃんねるでは沢山の人が戦闘的で鼻息が荒いみたいだけど、意見の交わし合いは本質的には喧嘩じゃない。建設的なものだ。
> >「〜が多い+という例証・ためしがない」。
> いきなりそこまで飛躍しないで下さい。
>
http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%A4%BF%A4%E1%A4%B7&kind=jn&mode=0&kwassist=0 > ためし【例/様】
> >(1)それより以前に実際にあった事柄。れい。先例。前例。
> >「そのような―はない」
どのあたりがとんでもない飛躍となっているのかがわからない。
「宇宙人が多い? そのようなタメシはないよ。」
「宇宙人が多い、というそのようなタメシはない。」
「宇宙人が多い、というタメシはない。」
「宇宙人が多いというタメシはない。」
「宇宙人が多いタメシはない」は「宇宙人が多いというタメシはない」の省略型だよ。参考として次の文を考えてみてごらん:
「彼女に効いたタメシは無い」
このままだと、文法論理上2通りの解釈が許される。「彼女に効いたタメシ=薬そのもの、が存在しない」、それから「彼女に効いたタメシ=薬が効果を発揮したという出来事、が存在しない」。
そのあたりの機敏について我々日本人は日頃から無頓着であり、具体的な意味合は文脈に任せておいて個々の文を横暴に凝縮する。
「彼女に効いたというタメシは無い」が原型であれば素直に後者の解釈、「彼女に効いたタメシが無い」が原型であれば本質的には前者の解釈となる。
この点についてもまた我々は慣習的な気分に従って前者の解釈を否定しがちになるが、本質を見抜く場合にはそのかぎりではない。
冗談で言っているとしか思えないが…。 とにかく何が何でも日本語が嫌いなのか…。 色々つっこみを入れたいが、突っ込むべき場所が多すぎて面倒だから、 とりあえず論理云々の関わらない簡単なところを。 「mail」の原義は、皮袋、旅行かばん、らしいよ。 あれ? 矛盾して変だね。
17 :
12 :2007/06/21(木) 19:10:12 0
>>15 あなたには、「先例」とか「前例」の意味の説明まで必要ですかね?
18 :
れげらま :2007/06/21(木) 19:23:58 0
>>14 > 「航空機」なんて、舟編ありの木編ありのだけど、文句言う奴はいない
なぜなら、気にするのがもう面倒くさくなってるから。
それに、気にする以前にそもそも気づいていない人だっている(おそらくこっちの数の方が多いだろう)。
それでいて「日本語ってなんかダサいよね」なんて文句を言う日本人がいる。
「航空機」がカタカナ語にならなかったのは、それを含んだ名称を与えられた物体が日本の戦争史の中で活躍して、当時の国粋主義的な風紀の中でそういった呼称が定着したからだよ。
「船」や「通信」や「爆弾」についても同じ。これらが「シップ」や「コレスポンデンス」や「ボンブ」として定着することはなかった。
そういう例は、戦後の産物になるとめっきり少なくなる。
「コンピュータ」のかわりに「電算機」を僕が使っていたら、誰もが嘲うだろう。
「インターネット」を「相互電網」と呼ぶ人はいないだろう。
19 :
れげらま :2007/06/21(木) 19:45:21 0
>>16 > 冗談で言っているとしか思えないが…。
> とにかく何が何でも日本語が嫌いなのか…。
どうやったらそういう思い込みに行き当たるの?
僕の嫌いなのが現代日本人の日本語にたいする一般的な態度であって日本語そのものでないということは初めから述べているでしょ。
> 色々つっこみを入れたいが、突っ込むべき場所が多すぎて面倒だから、
> とりあえず論理云々の関わらない簡単なところを。
> 「mail」の原義は、皮袋、旅行かばん、らしいよ。
> あれ? 矛盾して変だね。
たしかに「mail」は、「皮袋、旅行かばん」を意味する古フランス語の「male」に由来する言葉だよ。
で、はたして「mail」は「male」と同義か?
違うんだよ。同義じゃないんだよ。
「紙」における「糸」は「糸」と同義か?
そうなんだよ。同義なんだよ。
「糸」は現代においても「糸」を意味する字なんだよ。
「mail」は現代にいたっては形も音も意味も「male」とは異なる言葉なんだよ。
そういう点を挙げればきりが無い。
英語の「electric」は、「琥珀」を意味するギリシア語の「elektron」に由来する。
けれども「electric」と「elektron」は同義じゃない。
一方で、
日本語の「電」における「雨」は「雨」と同義なのだ。
>>11 >我々日本人はとにかく省略が好きで、合理性を犠牲にしてでも表現を短くしたがる。
その「我々日本人は」って言葉に、あなた自信は含まれるの?
訂正:あなた自信は→あなた自身は
22 :
れげらま :2007/06/21(木) 20:10:15 0
>>17 >
>>15 > あなたには、「先例」とか「前例」の意味の説明まで必要ですかね?
その必要は無い。
それよりも、
「ためし」が「先例」とか「前例」の他に「基準・模範・証拠などになるようなもの」を意味することが広辞苑などでも説かれていることを確かめる必要があなたにはあるかもしれない。
とりあえず僕が解決しておくべき謎は、
>>12 において「いきなりそこまで飛躍しないでください」と指摘された部分だ。
「ためし」についてそこで挙げられた語釈と「〜が多い+という例証・ためしがない」という僕の表現における「ためし」のあいだには実のところドッキリするほどの意味的な飛躍は無い。
やはり
>>12 は閉鎖的な日本語観にもとづいた突発的な指摘であったような気がする。
23 :
12 :2007/06/21(木) 20:34:25 0
>>22 >「ためし」が「先例」とか「前例」の他に「基準・模範・証拠などになるようなもの」を意味することが広辞苑などでも説かれていることを確かめる必要があなたにはあるかもしれない。
広辞苑以外に、どの辞書で書かれていますか。
私の手元の辞書(新明解国語辞典、現代新国語辞典)には書かれていませんでした。
24 :
れげらま :2007/06/21(木) 21:14:36 0
>>20 >
>>11 > >我々日本人はとにかく省略が好きで、合理性を犠牲にしてでも表現を短くしたがる。
> その「我々日本人は」って言葉に、あなた自信は含まれるの?
まず、そういう言い方をしておかないと、僕のことを朝鮮人か何かだと疑い始める人がぼんぼんたかってくるから。
日本人は、北朝鮮人の比にはならないものの、とかく内輪的な民族なのだ。
また、同じ日本人として会話するとき、僕もいくらか慣習というものに折れる必要があったりする。
そうでないことには人は僕のことを変態・部外者扱いするだろう。
帰国子女だと誤解されたことだってある。
(日本語社会は基本的に言語的な懐が狭い空間だといえる。
方言の類こそ多いものの、(標準語を含めた)個別の方言の中では、一般にみんなは常套・慣用的な表現を使い回す傾向にある。
これはたとえば英語社会において話者が発揮できる自在性とは対照的なものだ。
日本では、合理的であっても非常套である表現は、社会的に認められにくい。
出る杭は打たれる、というやつだ。
あるいは反対に、発言の主を必要以上に特別扱いして優遇する。日本のお笑い業界はその仕組の上に動いている。
日本語は表現が豊かだ、と言う日本人は多いけれど、それはなかなかに主観的な迷信だったりする。
一般の日本人が個人として実際の会話で使うこととなる言い回しは、「ふつう」という観念に縛られて平凡化しやすい。
それどころか、もともと日本語にあった表現法を忘却してゆくという流れさえある。
今では、単調な一つの日本語表現にたいして幾つもの多様な英訳が出てくるということが珍しくない。
また、外国映画の日本語字幕などを原文に照らすとよくわかるが、日本語では物事の表現がやたらと幼稚化しやすい。
それは日本語そのもののせいではなくって、日本語話者の心理的な器量の狭さのせいである。
日本人による日本語の扱い方や言語観がもっと開放的・発展的なものとなれば、事情は変わってくるだろう。)
セ○○・ア○○○ー○氏以来、久しぶりに叩き甲斐・追い出し甲斐のある 異端が言語学板に現われたようだ。彼のように優秀かどうかは別として。 このところ退屈な空間だった2ちゃんねるも、しばらくは 「れげらま」で楽しめるだろう。 それはともかく、上の文章で最も重要な主張をわざわざ丸括弧で くくるのは何故だろうか。 もう一つ面白いのは、「〜的」という表現を多用する点で、井上ひさしが 「〜的」の乱用について面白おかしく書いた 『二字つなぎの熟語に「的」なる的(まと)をぶら下げて形容詞を作るという、 本邦の知識人から圧倒的、盲目的、神懸的支持を受けている 方法であるが、持続的、集中的使用をするとまるでこの文章のように 知性的を瞬間的に通り越し、…』 という名文を思い起こさせる。 (井上ひさし:『私家版 日本語文法』) 何はともあれ、諸兄協力し合って「れげらま」で楽しもうではないか。
>>1 てか、造語成分(語根)の元ネタが、中国語から英語(間接的にはラテン語が多い)に
変化しただけだろうよwww
「製作者」の語根も「監督者」の語根も、日本語なんかじゃない。
"chiei tsak chiae""gham tok chiae"というれっきとした隋唐帝国の中国語語根なんだが。
"chiei tsak chiae"が"producer"になっただけさ。それがどうしたのだ。
>>1 の論理で行けば、日本人なんて9世紀には日本語を棄てているよw
27 :
れげらま :2007/06/21(木) 22:50:11 0
>>23 > >「ためし」が「先例」とか「前例」の他に「基準・模範・証拠などになるようなもの」を意味することが広辞苑などでも説かれていることを確かめる必要があなたにはあるかもしれない。
> 広辞苑以外に、どの辞書で書かれていますか。
> 私の手元の辞書(新明解国語辞典、現代新国語辞典)には書かれていませんでした。
或る言葉であなたが織り成せる表現の数はそのようにして貧しいものとなる。
すべての辞書に共通に載っている解釈ではないからこのような意味合は不可能なのであると思い込んでしまうことを他の人達に勧めるのはよくない。
それをしてしまえば人々は思想的インポとなって詩が書けなくなる。
僕が広辞苑の例を挙げたのは、あくまで議論の視界を開かせるためだ。
あなたは或る辞典の定義に固執し始めた。それだから僕は応対的に別の辞書による別の定義を紹介してあなたの認識が萎縮するのを防ごうとした。
僕達はどちらの定義がより正しいのかについて競い合っているんじゃない。
「〜が多い+というためしがない」という言い回しにたいする発展的な理解の維持について議論している。
聞いたことがないという理由であなたはこの言い回しにたいする自らの理解力を自ら抑圧してしまっている。
ここにきてあなたは、日本語を発展的に取り扱うよりもこれを封建的に支配することに執着している。
(日本人のそのような閉鎖的な言語観は、日本語それから言語全般について他の民族と対等に論じ合う機会が従来少なかったことと関係しているだろう。
そこから、英語話者やフランス語話者やスペイン語話者やアラビア語話者やヒンディー語話者と、日本語話者との違いが、生まれている。
大陸の言語の話者と違って、日本人は自分の母語にまつわる主観性や惰性に特に縛られやすくある。
また、今も昔も、日本人はもともと自分達のことや日本のことを客観的に捉えるのが得意ではなかった。
最初の国際的な日本の呼び名を造ったのは日本人では無かったし、
最初の社会科学的な日本人論を著したのも日本人では無かった。
近年になって顕著となったのは、マンガにおいて日本人が描く自分達の姿だ。モンゴロイドの特徴を逸脱したかぎりなくコーカソイドに近いキャラクター達が日本人として扱われている。)
28 :
れげらま :2007/06/21(木) 23:03:30 0
>>25 > 最も重要な主張をわざわざ丸括弧で
> くくるのは何故だろうか。
2ちゃんねらーは短気で、長い文章を読みたがらない。
>>20 にたいする
>>24 の返答は、丸括弧でくくる前の時点で完了していることから、
次のところは飛ばしてもいいよ、というつもりで書いた。
議論としてはたしかに重要な部分だけど、返答としてはあくまで補足でしかない。
> もう一つ面白いのは、「〜的」という表現を多用する点で、井上ひさしが
> 「〜的」の乱用について面白おかしく書いた
> 『二字つなぎの熟語に「的」なる的(まと)をぶら下げて形容詞を作るという、
> 本邦の知識人から圧倒的、盲目的、神懸的支持を受けている
> 方法であるが、持続的、集中的使用をするとまるでこの文章のように
> 知性的を瞬間的に通り越し、…』
> という名文を思い起こさせる。
なるほどね。
その名文を思い起こさせないよう、これから注意してみるよ。
29 :
12 :2007/06/21(木) 23:09:04 0
>>27 あなたが例としてあげた広辞苑みたいに、
(今のところ)少数派とも思える意味を何の注釈・手がかりもなしに載せてるような辞書は、
今後使うのを注意しようと思って、辞書の名前を訊いてるだけです。
30 :
れげらま :2007/06/21(木) 23:53:40 0
>>26 >
>>1 > てか、造語成分(語根)の元ネタが、中国語から英語(間接的にはラテン語が多い)に
> 変化しただけだろうよwww
> 「製作者」の語根も「監督者」の語根も、日本語なんかじゃない。
> "chiei tsak chiae""gham tok chiae"というれっきとした隋唐帝国の中国語語根なんだが。
> "chiei tsak chiae"が"producer"になっただけさ。それがどうしたのだ。
>
>>1 の論理で行けば、日本人なんて9世紀には日本語を棄てているよw
中国語を中国語として学ぶこともしなかったし、ポルトガル語をポルトガル語として、英語を英語として扱おうとすることもせず、
それらを好き放題に流用し、盗み入れて、
それでいて僕らは尚も「日本語」という不透明な枠組をゾンビのように生かしつつ、これにしがみつき、
ついにはモナーみたいな化け物が登場したわけだ。
日本人にはケジメが無い。
文化の融合あるいは和というものは有意義だけれど、
意志の携わらない和は単なる混沌でしかない。
そう、個人が意志を持って新しい造語成分を探求するということであればいいのだ。
ところが現在のカタカナ語の氾濫は、
新しい言葉を編み出すのが面倒くさい(そしてときには恥ずかしい)という、言語にたいする日本人のダルさに由来している気がする。
ところで、過去に漢字が輸入されたことには特別な背景がある。
日本語にはそれまで文字が存在していなかったのだ。文字として機能するものが必要だった。
今は違う。
言語としての基本要素は兼ね備えられている。自立できている。
そしてそこから応用できることが沢山ある。
しかし、造語について、今の日本人は、できるはずのことをやろうとしていない。
ケジメも無ければ、怠けてもいるのだ。
31 :
れげらま :2007/06/22(金) 01:09:09 0
>>29 >
>>27 > あなたが例としてあげた広辞苑みたいに、
> (今のところ)少数派とも思える意味を何の注釈・手がかりもなしに載せてるような辞書は、
> 今後使うのを注意しようと思って、辞書の名前を訊いてるだけです。
あなたが挙げてくれた辞書にある「手がかり」をみてみましょう:
「そのようなためしはない」
「老たる馬ぞ道はしる、と云ためしあり」
また、大辞泉にはこういうのもあります:
「かの御教へこそ、長きためしにはありけれ」
そして広辞苑:
「楊貴妃のためしも引き出でつべうなり行くに」
「天下の人の品高きやととはんためしにもせよかし」
この点で、
「「ためしがない」という語句は、ふつう用言の完了(過去)形に接続するもの」
というあなた(?)の見解がかならずしも正しいものではないことがわかるでしょう。
平たく言えば、「ためし・例・様」は名詞扱いになります。
あなたが考えている以上に色々の箇所で使うことができるものなのです。
用言の完了形に接続しなくてはならない、なんていう制約は無いのです。そういうのは迷妄です。
「老たる馬ぞ道はしる、と云ためしあり」にもう一度注目してください。
「〜と云ためしあり・なき」あるいは「〜というためしがある・ない」という言い回しは誤謬ではないのです。
すると、
「〜が多い というためしはない」
という僕の表現は、本来、これほど取り沙汰にして問題視するほどのものではないのがわかるでしょう。
繰り返しになりますが、問題なのは僕の表現ではなくてあなたが囚われているところの慣習性なのです。
なんかよく分からんが、とりあえず特に気になったところだけ突っ込んでみるか。
>>15 「宇宙人が多いというタメシはない」は形がどうとかいう前に日本語として意味が取れないんだが…
「宇宙人が多かったというタメシはない」なら、かなり特殊な条件限定になるけど一応意味は取れる。
それでもかなり不自然な文という印象は拭えないが。
「彼女に効いたタメシ=薬そのもの、が存在しない」これも意味不明。「タメシ=薬そのもの」って何???
>>19 >「mail」は現代にいたっては形も音も意味も「male」とは異なる言葉なんだよ。
ケアレスミスかもしれないけど、英語では音は同じだろう。
>>24 >また、外国映画の日本語字幕などを原文に照らすとよくわかるが、日本語では物事の表現がやたらと幼稚化しやすい。
>それは日本語そのもののせいではなくって、日本語話者の心理的な器量の狭さのせいである。
いや、それは映画の字幕に関する事情を知らないための誤解だ。映画の字幕では、時間あたりに読める文字数を考えて
文字数に非常に厳しい制限がある。このため、本来原文が持っている情報の大半が切り捨てられ、結果として
幼稚な表現になってしまう。吹き替えならだいぶマシになるだろう。これは日本語の映画に英語などの字幕を付ける場合でも
そんなに変わらないだろう。日本語圏以外ではそもそもあまり字幕は好まれないようだが。
>>30 英語は古フランス語やラテン語やギリシャ語から極めて大量の語彙を取り入れ、ラテン語やギリシャ語の語根を使って
現在も造語をしているけど、その英語についてはどう思う?まあ確かに日本語の場合と比べれば、ラテン語やギリシャ語を
ラテン語やギリシャ語として扱った度合いは高いかもしれないけど、英語だってラテン語やギリシャ語には実際には存在しない
「英製ラテン語」や「英製ギリシャ語」なども大量生産しているわけで。
>>13 それ言ってるだけっぽい。日本人は伝統はさほど重んじない。
『徳川家光』『昨日の敵は今日の友』『過ぎたことは水に流す』
『遠くの親戚より近くの他人』『将棋のルール』・・・etc
などからも、分かる通り。「伝統」と言うのなら、
気にしない事が日本の「伝統」です。
そして、中国や韓国では「血統」を大事にして
日本では「家」を大事にする。
>>24 日本語は、合理性より、記号化しやすいとは感じる。
34 :
れげらま :2007/06/22(金) 18:40:27 0
>>32 >
>>15 > 「宇宙人が多いというタメシはない」は形がどうとかいう前に日本語として意味が取れないんだが…
> 「宇宙人が多かったというタメシはない」なら、かなり特殊な条件限定になるけど一応意味は取れる。
> それでもかなり不自然な文という印象は拭えないが。
「宇宙人が多い というタメシはない」
と
「宇宙人が多かった というタメシはない」
との違いは、
条件法の差異というよりも時制の相違だよ。
「日本人にはハゲが多い というタメシはない」
と
「日本人にはハゲが多かった というタメシはない」
とを条件法の違いとして捉えるのは不適切だよね。
前者は現在の日本人について、後者は過去の日本人について、述べているものだから。
ここでの「タメシ」とは何か。
たとえば「統計」とか「根拠」だ。
「日本人にはハゲが多い という事を裏付ける統計はない」
「宇宙人が多い という事を証明する根拠はない」
「不自然」という印象は、単にその物事の本質を見抜いてこなかったことの結果としての心象である場合がよくある。
たとえば初めて「黒い白鳥」を目撃する人は、「なんて不自然なんだ」と思うことだろう。
けれども白鳥のDNAそのものは本質として黒と白とを種的差異として区別せず、両者を同様に可能なものとしているのだ。
同様に、日本語でも、文法論理が本質として可能としている表現でも、
特定の慣習に囚われている者にとっては「不自然」にみえたりする。
しかしだからといってその表現が誤謬であるということにはならない。
要は本質だ。
35 :
12 :2007/06/22(金) 18:50:55 0
「ためし」という単語は、本質的に「それ以前に実際にあった事柄」つまり 「前例、先例」を指すのだ。「すでにあった、以前実際にあった」という部分こそが この単語が内在する本質であり、「ためし」が単なる「証拠」「例証」と決定的に異なる点だ。 「ためし」が模範、規範、基準、手本などを意味する場合でも、それは既に起こった事柄を 人々が好ましいもの、今後もマネすべきものだと感じたことの結果であって、 本質的には「先例、前例」であり、それが肯定的に評価されることによって 「模範、規範、基準、手本」へと変化・派生したに過ぎない。 このような、個々の単語が内在する本質を「れげらま」のように好き勝手に無視することは 禁止されておらず、「許されて」いる。ただしその結果として、人間社会における 円滑な意思疎通の手段としての言語は崩壊するだろう。 言語社会にとって死活的に大切なことは、「れげらま」的な突然変異を排除することだ。 突然変異の大部分は有害(すなわち、誤謬)であり、修復機構によって速やかに修正され、 変異が除去されなければ、言語は死に絶えるより他にない。
37 :
れげらま :2007/06/22(金) 19:17:16 0
>>32 > 「彼女に効いたタメシ=薬そのもの、が存在しない」これも意味不明。「タメシ=薬そのもの」って何???
彼女に効いた例(ためし)=かつて彼女に効いたことのある何らかの処方、薬の例として挙げられるもの
つまり、一つの名詞句、主部。
これに述部を加えると次のようになる:
「かつて彼女に効いたことのある何らかの薬、が存在しない」
主部、述部、ともに短くすると次のようになる:
「彼女に効いたタメシ、がない」
「ためし・例」は名詞であり、事物を表す。
これまでに説明してきたように、「ためし・例」は、
「れい・例」として把握できるもの、並べられるものを指示するから、事柄も物体も、表すことがもともとできる。
「れい」と「ためし」は本質として同じである。
現代の日本人は、発音が違うということでこれらを分けて使おうとするが、
それは慣習にもとづく錯覚だ。
慣習しだいで、違った発音の言葉でも同じ意味のものとして扱われるものがある。
たとえば「う・雨」と「あめ・雨」だ。「うき・雨季」、「あめあと・雨跡」、ともに「雨」に関する言葉だ。
(日本人はあまりにも慣習や常識に囚われすぎて、合理性や本質を見抜こうとせず、
世間でふつうに使われることがない・なくなったというただそれだけの理由で或る表現を誤謬として葬り去ることを頻繁にやってきた。
その気質が一役かって、沢山の有意義な言葉(とくに副詞や助詞)が必要以上に日本語から急激に消え去ってしまった。
あるいは、みんながそのように使っているらしいというだけで漠然として合理にもとづかない用法を「が」などに与えたりしてきた。)
「ためし」の意味が実は(一般日本人に認識されることなく)広く応用できるものであるからこそ、
「名詞句+というためし」と「形容詞句+ためし」とを区別する眼識が本来は必要になってくる。
38 :
れげらま :2007/06/22(金) 19:34:37 0
>>32 >
>>19 > >「mail」は現代にいたっては形も音も意味も「male」とは異なる言葉なんだよ。
> ケアレスミスかもしれないけど、英語では音は同じだろう。
挙げられている「male」は古フランス語。
系統が異なり、この「male」を英語の「mail」と同様に発音すれば誤謬となる。
たとえば「キーホルダー」というカタカナ語について、日本人が、
「ああ、これは英語の key と holder が元になってるんだっけ」という理由で、
「key holder」を「キーホルダー」と直に言ってしまう場合には幾つかの誤謬が生まれる。
まず、発音が違う。(詳細は辞書の発音記号をみてほしい。この板ではそれが打ち込めない。)
それから、意味そのものがおかしい。「key holder」は英語では「鍵を保管する人」のことを指す。
そして、文法がおかしい。「key holder」は英語では単数形となるが、その場合には冠詞が必要となる。
このようなことになるから、異なる系統の言葉については特別な注意がいるわけ。
39 :
れげらま :2007/06/22(金) 21:00:49 0
>>32 > いや、それは映画の字幕に関する事情を知らないための誤解だ。映画の字幕では、時間あたりに読める文字数を考えて
> 文字数に非常に厳しい制限がある。このため、本来原文が持っている情報の大半が切り捨てられ、結果として
> 幼稚な表現になってしまう。
時間あたりに読める文字数や情報量を考慮するのならば、
子供が使うようなひらがな語よりも漢字熟語のほうが本当は都合がいいはずだけどね。
それに、そのような時間上の制約のない場合(小説文章とか)でも、幼稚化の傾向はみられる。
たとえばある人物が「Sorry, I was in a moment of abstraction.」と言えば、
和訳では「ごめん、ぼうっとしてたんだ。」となったりする。
ここで、「abstraction」の意味を辞書で確かめてみてほしい。
一見、なんだか難しそうな、硬い日本語が出てくる。
しかしその日本語に感じられる硬さの印象は、実に、そういう日本語を日常の会話で使ってこなかったという慣習にもとづいたものであるにすぎない。
外国語とくに西洋語の小説を本当に忠実に翻訳することになる場合、
日本人が気軽に読めるような作品は上記の理由で随分と減ってしまうにちがいない。
映画字幕にしろ、小説文章にしろ、
日本語はとかく外国語原文の情報量を犠牲にしながら書かれる。
おまけに、口言葉では「長く」なってしまうことさえある。
『スパイダーマン3』の来日記者会見で、俳優陣がみんな、まいってたよね。
一人の発言を通訳者が喋りきるのに二倍の時間がかかるっていう。
で、訳された文を分析してみると、むしろ原文のほうが情報量は多かったっていう。
40 :
れげらま :2007/06/22(金) 21:02:20 0
>>32 > いや、それは映画の字幕に関する事情を知らないための誤解だ。映画の字幕では、時間あたりに読める文字数を考えて
> 文字数に非常に厳しい制限がある。このため、本来原文が持っている情報の大半が切り捨てられ、結果として
> 幼稚な表現になってしまう。
時間あたりに読める文字数や情報量を考慮するのならば、
子供が使うようなひらがな語よりも漢字熟語のほうが本当は都合がいいはずだけどね。
それに、そのような時間上の制約のない場合(小説文章とか)でも、幼稚化の傾向はみられる。
たとえばある人物が「Sorry, I was in a moment of abstraction.」と言えば、
和訳では「ごめん、ぼうっとしてたんだ。」となったりする。
ここで、「abstraction」の意味を辞書で確かめてみてほしい。
一見、なんだか難しそうな、硬い日本語が出てくる。
しかしその日本語に感じられる硬さの印象は、実に、そういう日本語を日常の会話で使ってこなかったという慣習にもとづいたものであるにすぎない。
外国語とくに西洋語の小説を本当に忠実に翻訳することになる場合、
日本人が気軽に読めるような作品は上記の理由で随分と減ってしまうにちがいない。
映画字幕にしろ、小説文章にしろ、
日本語はとかく外国語原文の情報量を犠牲にしながら書かれる。
おまけに、口言葉では「長く」なってしまうことさえある。
『スパイダーマン3』の来日記者会見で、俳優陣がみんな、まいってたよね。
一人の発言を通訳者が喋りきるのに二倍の時間がかかるっていう。
で、訳された文を分析してみると、むしろ原文のほうが情報量は多かったっていう。
41 :
れげらま :2007/06/22(金) 21:04:43 0
>>32 > 吹き替えならだいぶマシになるだろう。
どうかな。
西洋の女性が日本語で「わたし、〜するわ」なんて喋ってるのを聞くと、少なくとも僕は歯がゆさを感じるけど。
外国人と交わる機会が僕にはあるのだが、比較して、日本人女性の習慣にはやはり良いも悪くも異質なところがあるのを実感する。
逆に、たとえば日本製アニメの英語吹き替えを初めて聞いたときにはぶったまげた。
今ではもう慣れて、孫悟空の声はむしろ日本語の方が英語よりも奇妙だと感じるにいたってるところだ。
42 :
れげらま :2007/06/22(金) 21:13:51 0
>>32 > これは日本語の映画に英語などの字幕を付ける場合でもそんなに変わらないだろう。
ざんねんながら、日本人が発する台詞にたいして与えられる西洋語字幕というのは、
省略どころか原文にたいしてより豊富な情報が加えられるのが常だ。
原文でしばしば省略されている主語、目的語、数値性、時間概念、などなど、
こういった要素が、たとえば英語の字幕では、当然のものとしてしっかり述べられる。
ポーランド語やスペイン語でも主語の省略というのはあるが、そこにはまた格変化のシステムがあり、
「僕は」が略されてもそれに係る動詞や形容詞といった言葉の形に「僕は」の意味が残像のように共存することとなる。
日本語にはそういう仕組が無いのに、そのあたりの情報を日本人は平然と文から抹消して解釈は文脈にまかせる。
(結果として日本人は、先進国の民族の中でも、最も情報量の少ない(そしてときに曖昧な)命題文によって意思の疎通を図ることができているらしいおもしろい言語集団を形成している。)
>日本語圏以外ではそもそもあまり字幕は好まれないようだが。
うん、一理ある。
たとえばフランス国内でロバート・デ・ニーロの本当の声を聞いたことのある人はあまりいない。
なぜなら民放で放映される映画はほとんど吹き替えであり、選択もできず、いつも専用の声優のフランス語を聞かされるはめになるから。
稀に、ジョディ・フォスターのようにフランス語が堪能な役者は、フランス語用の吹き替えを自ら担当することはあるが。
43 :
れげらま :2007/06/22(金) 22:19:21 0
>>32 > 英語は古フランス語やラテン語やギリシャ語から極めて大量の語彙を取り入れ、ラテン語やギリシャ語の語根を使って
> 現在も造語をしているけど、その英語についてはどう思う?
それみんな、同じ家族の言語だよ。
(遠くのサンスクリット語も忘れちゃいけないよ。)
ここに挙げられているそれらはみんな、同じ語族に属する。
それだから、英語が従来そういった言語の語彙を取り入れてきた(あるいは今ではドイツ語が英語の語彙を取り入れている)ということと、
日本語がそれらインド・ヨーロッパ語族の言葉を取り入れることとでは、
事情が違ってくるのだ。
英語の中にフランス語があったりドイツ語の中に英語があるのと、
日本語の中に英語が混じっているのとでは、
言語学上の不和の度合がまったく違うのだ。
日本語における英語の流用は、本来、人体に例えればB型血液の人にA型血液を輸血するみたいなものなんだが、
そのあたりはまあいいじゃないかという具合に我々はこれらの言葉を日本語文字のカタカナで綴ることで真相をごまかしてきた。
和せぬ輸血を施せば人体は滅びるように、
系統の異なる英語という言語の言葉を流用し過ぎれば日本語はもはや同じ言語として存続できなくなる。
チャモロ語がスペイン語から受けた影響とよく似ている。
カタカナ語の数や使用頻度を考えれば今の日本語はクレオール語の道を歩んでいるといっても過言ではないだろう。
ttp://www.j-league.or.jp/ とか、何なんだろう、と思う。
日本国内の催し物に日本人が「ジェイ・リーグ」という言葉を当てている時点で馬鹿げているのはいわずもがな、
英語専用の項がちゃんと設けられてるっていうのに日本語話者用の版で「サイトマップ」やら「about J」やら「ニュースリリース」やら「チケットガイド」やら「Photo & Video」やらと・・・
日本語版が(そして日本語そのものが)何のためにあるのかがわからなくなってくる。
おまけにあるものはカタカナ、またあるものはアルファベット・・・なにこれ。何が基準になってるの?
「新聞」とか、「切符の案内」とか、すでに使える日本語はあっても、使わない。口にするのが恥ずかしいのか?
44 :
れげらま :2007/06/22(金) 23:13:24 0
>>33 > 日本人は伝統はさほど重んじない。
> 『徳川家光』『昨日の敵は今日の友』『過ぎたことは水に流す』『遠くの親戚より近くの他人』『将棋のルール』・・・etc
> などからも、分かる通り。
なんにせよ先進国の人間の中では最も伝統形式にしがみつきやすい。
ゴータマが「霊や神といった見えないものについては考えてはいけない」と言っていても日本の仏教徒は矛盾にも独自の伝統に従って霊の存在をあいかわらず真剣に信じている。
ら抜き言葉に合理性があっても、ら抜きを使ってきた伝統が無いということからら付きに執着し続ける人が沢山いる。
心から重んじているかどうかは別として、形式にはしがみつき、本質を気にしない、それが日本の庶民だ。
> 「伝統」と言うのなら、気にしない事が日本の「伝統」です。
イェズスの誕生をかりそめにも祝った一週間後に神社にかりそめにも参り、夏がくればさらに盆の用意をするぐらいだからね。
> 中国や韓国では「血統」を大事にして日本では「家」を大事にする。
中国でも「家」は大事らしい。
僕の中国人の友達は、イギリス留学において、失敗したが、「このまま帰れば家族を恥さらしにするということで親父に許してもらえない」と言って嘆いていた。
> 日本語は、合理性より、記号化しやすいとは感じる。
うん。
たとえば漢字はそれ自体で一つの絵柄であり、記号だ。
また、原語の合理性を棄てて「アフター・レコーディング」を「アフレコ」にするのも日本語に頻繁にみられる記号化・抽象化作用の一つだ。
文章の全体的な読みに関して日本人が秀でているのはそういった仕掛の恩恵を受けてのこと。
日本語環境の土台を支えているのは抽象性であって合理性ではない。
西洋人が日本語を学ぶときには「物事をいかに抽象化して話すか」を考え、
日本人が西洋語を学ぶときには「物事の合理をいかに適切に表すか」を考えることとなる。
45 :
れげらま :2007/06/22(金) 23:34:19 0
>>35 > 大辞泉に載ってる「2 手本になるようなこと。模範。規範」という意味では、古語扱いされてます。
> […]
> 古文(平家物語、源氏物語、蜻蛉日記など)を例にして議論するつもりはありません。
日本語でかつて使われていた言葉やその言い回しは現代日本人にとってもはやまったく無用・無効、ということですか?
すると、現代日本人が引く辞書の中においてそれらが単なる注釈ではなしに一つのれっきとした項としてわざわざ紹介されているのはなぜですか?
46 :
れげらま :2007/06/23(土) 00:50:12 0
>>36 > 「ためし」という単語は、本質的に「それ以前に実際にあった事柄」つまり
> 「前例、先例」を指すのだ。
それ以外のことを意味していた日本人達が過去にいた。
そして「ためし」という単語そのものを造り、使い始めたのも彼らであって、あなたや僕みたいな現代日本人ではない。
あなたは後世すなわち自分の時代において慣習化している特定の形式・用法だけをみて、
それ以前に誕生しているはずの言葉について、これの本来の意味はこうである、と説いている。
「ためし」の本質についてのあなたの把握は、偏っていて、不備をきたしている。
> 言語社会にとって死活的に大切なことは、「れげらま」的な突然変異を排除することだ。
> 突然変異の大部分は有害(すなわち、誤謬)であり、修復機構によって速やかに修正され、
> 変異が除去されなければ、言語は死に絶えるより他にない。
有害なのはあなたの頭脳だよ。
或る言葉の用法を色々の側面から観察することなく、特定の時代における慣習だけに注目して、「これはああではない」と人に申し付けようとしている。
言葉が本来有する多面性を無視し、自分が聞いたことのないものには耳を傾けず、偏廃な観点であたかも真実が何なのかを語ろうとしている。
僕は、「これはああでもある」と説いている。忘れられているものを回復させようとしている。
僕の議論が、あなたのいう修復機構の一部なのだ。
日本語界ではこの機構の一部がなかなか機能してこなかった。
それによって日本語はたったの1世紀の間に著しく様変わりしてしまった。
日本人みんなが明日あなたのようになってしまえば、
10年もしないうちに日本人はそれまでの日本語をごっそり葬り去ることになるよ。
ただでさえ今の人達は日本語を使いたがらないんだ。
日本語を一つの言語体系として全体から捉えることが完全に不可能となれば
このままカタカナ語がどんどん増えて日本語と置き換わってしまうことにたいする歯止めが消失し、
やはりハイカラ好きな一般の日本人達自身によって日本語がクレオール語化してゆくことになる。
確かに日本語はインド・ヨーロッパ語族とは系統的に何の関係もない。 しかし、英語がフランス語やラテン語やギリシャ語から大量に語彙を取り入れても、 同じインド・ヨーロッパ語族だからということで許されるのだろうか。 いくらインド・ヨーロッパ語族同士だと言っても、英語はゲルマン語派、フランス語や ラテン語はイタリック語は、ギリシャ語はギリシャ語派に属し、分岐してから 数千年が経っている。不和の度合いはそんなに小さいだろうか? ドイツ語とフランス語では語彙も非常に違う。無関係な言語から取り入れるのと そんなに大差はないのではないか。 英語はフランス語から極めて大量の語彙を取り入れた上に、性や格が消滅して 文法まで劇的に変わってしまった。ノルマン・コンクエスト前の英語と後の英語を比べると、 たった400年ほどしか隔たりがないのに同じ言語とは思えないほどだ。 日本語が英語から多少語彙を取り入れたのとは比較にならない。 日本語では、話者が英語をカッコイイと思って勝手に使っているだけで、元の日本語は 消えていないことが多い。和語、漢語、英語の三層構造になっている。 英語では基礎単語でも外来語に完全に駆逐され消えてしまった古英語の語彙が多い。 英語は文法までクレオールと言えるほどに変わったが、日本語は多少西洋語的な 言い回しが入っただけで文法の骨格は少しも揺らいでいない。
48 :
れげらま :2007/06/23(土) 16:46:32 0
>>47 民族移動の激しかった領域における言語と
そういうものがほとんど無かった(アイヌ人や琉球人は移動したというより征服された)日本における言語とを
簡単に比較することはできない。
日本語と似ていると言われるトルコ語もそうで、地理的な条件から、
文字から語彙まで、アフロ・アジア語族(アラビア語)とインド・ヨーロッパ語族(ギリシャ語、フランス語)その他もろもろの影響を多大に受けてきた。
日本は(弥生人や縄文人などの先史的なものをのぞいて)民族の移動を被ったことはないのだ。
言い換えれば、他系統の文化に邪魔されずにじっくりと自分達の文化を築き上げてゆくのに都合のよい条件にあった・あるのだ。
国風文化という特別な時期があったが、それは日本語が文字言語として成立するために必要だった最低限で当然の過程だった。
そしてそれが過ぎたあと、つまり自分達の言語をこれから国際的な文脈の中で自立させ応用してゆこうという段階になって、
ポルトガル語をはじめとする西洋語を目にすると、「あれま、これもなかなかいいわな、もらってしまおう」という一連の憧憬に浸り始めたのだ。
このとき、西洋人と話すさいの特別な語彙手帳みたいなものを“日本語と分けて”用意することができていれば、
ないしは彼らの言語をそのままのかたちで学ぼうとする誠実な態度を一般に養い始めていたならば、
カタカナという開音節文字で西洋語の言葉を不器用に流用してしまうということはこれほどまでにも日常化しなかっただろう。
さらには、カタカナ語に汚染されて根っからの外国語オンチになってしまっているという今の状況も変わっていたことだろう。
(続)
49 :
れげらま :2007/06/23(土) 16:53:14 0
(続) そう、日本語が異なる系統である英語から言葉をカタカナで流用することの問題の一つに、 開音節と閉音節に関するものがある。 英語には両方とも存在するが、 日本語で規定されているのは前者だけだ。 日本人は子音というものを日本語において識別しない(実際には使っているのだが、国学の影響、五十音図の制約によって、そのあたりの機敏に意識を働かせられる日本人は一般にはいない)。 ゆえに従来・現行の日本語は、外国語の言葉のほとんどを正しく再現することができずにきた。 それであって、カタカナになったものをあたかも英語としてさもそのまま使えるかのように思い込んでいる日本人がなんと多いことか。 書店やCD屋に行くと、「○○ スーパーリファレンス」やら「ザ・ベスト・オブ・○○」といった文字列が蛾のようにたかっている。 僕は日常生活で本当の英語を使う環境にあるのだが、こういうのを見ると、日本人は気がふれているとしか言いようがなくなる。 仮にイギリスの店で「Adobe Photoshop: Saikyo no SankoSho」とか「Michael Jackson: Sairyo no KyokuShu」みたいなのが棚を埋め尽くしてしまっているのと同じで、 はたから見れば日本人というのはみんなして頭をやられた精神分裂病患者の集まりなのだ。 いくら外国語の語彙を取り入れることが許されようと、 日本人がやっていることにはどの誠実さも真摯さも作法もなく、「カタカナのほーがいいねェ」という感覚で英語相手にはちゃめちゃな自慰大会をしているだけだ。 (今ではさらに自分達の肉体すらも受け入れることができずに、子供大人に関わらず、髪を染め、まぶたを整形し、目の色も変え、西洋人そのものになりきろうとまでしている。) 英語が好きならば、英語を学び、英語をそのままのかたちで使えばいいのだ。 表現すべき新しい概念が必要であれば、すでに自分が使ってきた日本語を応用すればいいのだ。 そのケジメ・度胸が日本人には無い。 「国際化、国際化」と謳っていながら、結局は骨を失ってクラゲみたいに大西洋にぷかぷか浮かんでいるだけ。 清潔で行儀がよく、機械には詳しいが、自分達が何のためにそんなところで浮かんでいるのかは考えることがない。
50 :
れげらま :2007/06/23(土) 17:19:33 0
>>47 > 日本語では、話者が英語をカッコイイと思って勝手に使っているだけで、元の日本語は
> 消えていないことが多い。和語、漢語、英語の三層構造になっている。
辞書の中からは消えていなくても、話者の頭からは消えている。
言語を使うのは話者であり、話者が実用しないものは歴史化して書物の中の存在、「古語」扱いとなる。
たとえば「かしこい」の類義語に「さかしい」があるが、
使われなくなった今ではこれに覚えのある日本語話者は一般にはいなくて、
古典の中に置き去られたものとなっている(そしてその復活は不可能ではない)。
外来語とすり替えられた言葉としては「くちすい」や「外套」などがある。
「デザイン」は特定の分野において幾つかの該当語を消滅しにかかっている。
近いうちに「図案」とかは日本人の頭から消え去るだろう。
さらには外来語そのものが外来語によって代替されることもある。
「ズボン」にたいする「パンツ」などがそれだ。もはやなんでもありである。
また、英語そのものが三層目に当たるのはおかしい。
日本人が使っているのは形も音も意味も歪められたカタカナ語であって英語ではないのだ。
実際は「和語・漢語・カタカナ語」であり、
前者二つが共に後者で置き換えられつつある。
> 英語から多少語彙を取り入れた
「多少」と言ってしまえば事態を軽んじることになる。
カタカナ語辞典というものさえ存在するほどに、日本人が流用している外来語は大量である。
実に5万語にのぼる。
一般の国語辞書には23万語ほどの言葉が収録されているが、その中でも多くのカタカナ語が網羅されていることを考えると、
実際の「日本語:カタカナ語」の比率がどれだけ凄まじいものでありうるかが憶測できるはずだ。
51 :
れげらま :2007/06/23(土) 17:42:30 0
>>47 > (日本語は)文法の骨格は少しも揺らいでいない。
先日も述べたが、日本語の土台は合理性というより物事の抽象化作用にある。
たしかに文法らしいものやいろいろな品詞名は語られてきたが、
日本語について一般の日本人が抱く文法意識は、
西洋語について一般の西洋人が抱いている文法意識よりも浅いといえる。
言い換えると、
文法に注意していなくても日本人が口にする言葉は日本の中の言語としてまかりとおる(日本人が日本語を母語として自然に話せるという意味ではない)。
なぜか?
大陸と違って、民族・文化として閉じた日本では共通の談話法とそれにもとづく省略規則が根づきやすい環境にあった。
だから、相手がそれほど正確・精細な論理で話していなくても、いわゆる「心を読む」かんじで、何を伝えたいのかがお互いに推測しやすくある。
日本語が曖昧だと言われるのはそのためで、実際に曖昧なのだが、そこにある表現の核心を抽出することが日本人同士ではふつうにできるから、とくに問題とならない。
「つまらないものですが。」と言って物を贈ることができるのは日本の中だけで、
西洋でこれをすれば相手は「なんであなたは自分でつまらないと知っている物を私に与えようとするのだ」と、自分は嫌われていてイタズラをされているのかと悩み始める。
かりに日本人が文法を重視していれば、「つまらないものですが。」の命題性に留意して西洋人と同じ反応をしたことからこのような表現は定着しえなかった。
(続)
52 :
れげらま :2007/06/23(土) 17:44:07 0
(続) 以上のことから、 西洋語に相当するような文法の骨格というものを日本人が日本語に与えてきたのかについて僕はいくらか疑問を感じている。 語順の規則はほとんどないし、「が」といったごく基本の助詞の定義は漠然としているし、 「ら付き言葉」にみられるように従来の解釈が合理に即さないものとなることだってある。 事実、外国人で日本語を学んだことのある僕の知り合いは、 日本語にたいする文法解釈は複雑・不透明になり過ぎるってことで、 日本人が実際によく使う表現をそのまま暗記しながら徐々に「が」や「に」といった助詞の使い方に慣れていくようがんばったそうだ。 たしかに、そういう覚え方をしないと、つまり合理性を気にかけない覚え方をしないと、 日本語における表現の使い分け(「すごいです」「すごいですよ」「すごいよ」「すごいな」「すごいじゃん」など)を身につけるのは至難となる。
日本語がベストと思ってるので、 西洋語?(さしたる知識もなさそうなわりに広く限定したいという貧乏人根性丸見え) と比較するのはかまわないが、規範にする意味なんかない。 糞スレだね。
糞スレも何も、肝腎の言いだしっぺが理想に近づこうとする 努力をほとんど何もしてないんだから、話にならない。 共産党が他人の家のポストに勝手に入れていくチラシと同レベル。 我々が興味あるのは「日本(語)がダメになったのはXが悪い!」という 非難ではなく、「日本(語)をこのように良く変えていきましょう。 そのために私たちは具体的にこれこれをします。」という提言なのだが。 「外来語(軍事費)を削りましょう!」 とは言うが、我々の素朴な疑問 「それなしでも問題なくやっていけるという綿密な検証を挙げてほしい」 には何も答えていない。 ま、チラシを配布することは「許されて」いるから、我々も表立って 抗議は出来ないが、結果としては毎度おなじみの低支持率に反映されるのみ。
55 :
れげらま :2007/06/24(日) 01:02:16 0
>>53 > 日本語がベストと思ってるので、
日本語がベストだと思うのなら「ベスト」なんて使わないのが賢明だよ。
> 西洋語?(さしたる知識もなさそうなわりに広く限定したいという貧乏人根性丸見え)
> と比較するのはかまわないが、規範にする意味なんかない。
> 糞スレだね。
僕が西洋語を規範にしていると君が思い込んでるのはなぜ?
もしかして「西洋語は合理性を、日本語は抽象性を重視する」ということを優劣の差として捉えてるのか?
すると筋違いの貧乏人根性で突発的な投稿をしてるのは君だよ。
僕はむしろ西洋語にまどわされずに日本語が独自に発達するよう望んでいる。
西洋語と日本語はかならずしも比較しきれるものではないとも僕は言ったはずだ(
>>48 )。
ところで君の言う「広く限定」の意味がよくわからない。「一般化」ということか?
僕がこれまで西洋語について述べてきたことに何か誤謬でもあるのならちゃんと指摘してほしい。
「さしたる知識もなさそうに」とは言っても、ここは西洋語について網羅するスレじゃない。
特別な誤謬が無いかぎり、こんなことを言われたって僕にはどうしようもないわけだ。
フィンランド語と日本語がどんなふうに似ているかを語り出したところで、スレ違いとなって僕はまた咎められるわけだ。
56 :
れげらま :2007/06/24(日) 01:15:56 0
>>54 > 糞スレも何も、肝腎の言いだしっぺが理想に近づこうとする
> 努力をほとんど何もしてないんだから、話にならない。
> 共産党が他人の家のポストに勝手に入れていくチラシと同レベル。
> 我々が興味あるのは「日本(語)がダメになったのはXが悪い!」という
> 非難ではなく、「日本(語)をこのように良く変えていきましょう。
> そのために私たちは具体的にこれこれをします。」という提言なのだが。
> 「外来語(軍事費)を削りましょう!」 とは言うが、我々の素朴な疑問
> 「それなしでも問題なくやっていけるという綿密な検証を挙げてほしい」
> には何も答えていない。
> ま、チラシを配布することは「許されて」いるから、我々も表立って
> 抗議は出来ないが、結果としては毎度おなじみの低支持率に反映されるのみ。
最初(
>>1 )から僕が訊きたかったのは、
僕以外の日本人がこの問題についてどう思っているか、なんだ。
僕が自分の意見をベラベラと独りよがりに語る前に他人の意見をよく吟味しておくつもりだった。
別の掲示板で、君が求めている「提言」のようなものを語ったとき、僕は
「演説おつ」と叩かれてあしらわれた。
結局、何をやってみても日本の掲示板の住人というのは知的に満足せず、
みんな同じ仮面をかぶったショッカーみたいにイーイーとたかってきて虚しい中傷ばかりする。
みんな、よほどストレスが溜まってるのだろうか。
57 :
れげらま :2007/06/24(日) 01:49:26 0
>>54 > 我々が興味あるのは「日本(語)がダメになったのはXが悪い!」という
> 非難ではなく、「日本(語)をこのように良く変えていきましょう。
> そのために私たちは具体的にこれこれをします。」という提言なのだが。
スレ違いになるが一応言っておこう。
具体的もなにも、日本人がケジメを持って日本語と西洋語とを区別して使えばいいのだ。
このあいだ挙げた
ttp://www.j-league.or.jp/にみられるように 、
日本語話者向けと英語話者向けとの二つが用意されていながらも、
前者の中に後者の語彙が無必要にも大量に紛れ込んでいる。
そう、無必要なのだ。
「ニュースリリース」は「新聞」だし、
「チケットガイド」は「切符の(ご)案内」だ。
「新聞」と聞くと我々は紙媒体のものを思い浮かべがちだが、それは慣習にもとづく迷妄だ。
この言葉そのものには「紙」の概念が含まれておらず、実はもっと汎用的なものなのだ。
「新しく聞かれたこと」、「新聞」。
使えるわけだ、「ニュースリリース」のかわりに。
でもそれをしない。
気おくれしているのだ、「新聞」という字を使うことに、「しんぶん」という音を使うことに。
問題は何か具体的な政策が欠如しているから起こっているよりも、
単に日本人が日本語の響きよりもカタカナ語の響きに酔いしれていることにある。
おまけにそのカタカナ語の使い方もが滅茶苦茶なのだ。
「ドンマイ」とか「ロスタイム」なんてものがあるが、滅茶苦茶なのだ。
日本人は日本語を棄ててもいれば、憧れているはずの言語の本質をも無視している。
日本語も下手なら、外国語も下手。
せめてどちらかを懇ろに使おうとするケジメが必要なのだ。
58 :
れげらま :2007/06/24(日) 02:04:50 0
>>54 > 「外来語(軍事費)を削りましょう!」 とは言うが、我々の素朴な疑問
> 「それなしでも問題なくやっていけるという綿密な検証を挙げてほしい」
> には何も答えていない。
そんな検証をする暇があるぐらいなら新しい日本語の一つや二つを復活させたり造るべきだね。
兵器開発や兵隊訓練に精を費やす一方で外交を疎かにするぐらいなら、
外交に力を入れて紛争そのものの解決を志向したほうが、国内・国外両者にとってためになる。
外来語を流用するまえに日本語の方を活かすことができれば、日本語を傷めることも英語を傷めることもなくなる。
日本語には資源がたっぷりとある。
僕の素朴な疑問「これだけの資源を使わない手はないだろ?」については
君はどう答えるのだろうか。
「ニュースリリースは新聞」では困るのだ。この二つは同一概念・事物では ないのだから。 確かに外国の、例えばデンマーク・サッカー協会のウェブサイトを見れば、 そこにあるのはnyheder(新しいお知らせ)とbilletsalg(切符販売)の案内だ。 決して英語のnews releaseでも、ticket guideでもない。確かにそれらは デンマーク語だ。 もちろん、語源的にはbillet(切符)とて外来語なのだが、 日本語の「切符」と「チケット」のように好き勝手に使い分けられるような 性質の外来語ではない。サッカーの観戦券はbilletとしか呼びようがなく、 別にファッションでbilletと呼んでいるわけではないからだ。 日本サッカー協会のように、「試合結果」、「次の試合」と日本語で書けるのに RESULT, NEXT MATCHと英語で書く体たらくとは好対照ではある。 しかし、nyheder(新しいお知らせ)は決してdagblad(新聞、日報)ではない。 この両者を一つの単語で済ますほどデンマーク人もバカではない。 何なら、アイスランド・サッカー協会のウェブサイトも見てみるがよい。 承知のように、アイスランド語は外来語を徹底排除するので有名な言語だ。 そこにあるのは、nýjustu fréttir(最新のお知らせ)と miðasala(切符販売)だが、アイスランド人は「紙の細長い一片」という 古くからある単語miðiを大切に使い続けていて、決してbilletなどという 外来語を導入することはなかった。 それでもなお、fréttir(お知らせ、ニュース)とdagblað(新聞、ニュースペーパー)を 一語で済ますほどバカではない。それが文明国の言語というものだ。 この言いだしっぺの発言「ニュースリリースは新聞」は結局のところ、本当にそれで済ませたら どうなるかという後先を熟慮しない放言に過ぎない。迎撃ミサイルを竹槍で済ませろと 言っているのと変わらない。
60 :
れげらま :2007/06/24(日) 04:42:17 0
61 :
れげらま :2007/06/24(日) 05:06:41 0
>>59 > 「ニュースリリースは新聞」では困るのだ。この二つは同一概念・事物では
> ないのだから。
> [・・・]
> nyheder(新しいお知らせ)は決してdagblad(新聞、日報)ではない。
> この両者を一つの単語で済ますほどデンマーク人もバカではない。
「news release」=「nyheder/新しいお知らせ」
「新しいお知らせ」=「新聞/新しく聞かされること」
「news release」=「nyheder/新しいお知らせ」=「新聞/新しく聞かされること」
「news release」=「新聞/新しく聞かされること」
「news release」が「新聞」と同義であることを見抜けないほど僕はバカじゃない。
「ニュースリリース」という文字列は、「新聞」という言葉をダサいと思って使いたがらない日本人のためにある。
「news release」のためにあるのではなく、日本語を使いたがらない日本人の億劫のためにある。
「便所」にたいする「トイレ」、「技術」にたいする「テクニック」、「初接吻」にたいする「ファーストキス」と同じだ。
62 :
れげらま :2007/06/24(日) 05:48:44 0
>>59 > 承知のように、アイスランド語は外来語を徹底排除するので有名な言語だ。
> そこにあるのは、nýjustu fréttir(最新のお知らせ)と
> miðasala(切符販売)だが、アイスランド人は「紙の細長い一片」という
> 古くからある単語miðiを大切に使い続けていて、決してbilletなどという外来語を導入することはなかった。
> それでもなお、fréttir(お知らせ、ニュース)とdagblað(新聞、ニュースペーパー)を
> 一語で済ますほどバカではない。それが文明国の言語というものだ。
語の多義性が厄介であれば、専用の語を造ってゆけばいい。
今回は造語するまでもない。「新報」という既存のもので、「新聞」との使い分けができる。
既に手元に蓄えられてある所産を応用してさらなる発展をめざす、それが文明国の言語話者というものだ。
造語能力を失って外部の侵入を望んでばかりいるのは未開の変態生物にすぎない。
> この言いだしっぺの発言「ニュースリリースは新聞」は結局のところ、本当にそれで済ませたら
> どうなるかという後先を熟慮しない放言に過ぎない。迎撃ミサイルを竹槍で済ませろと
> 言っているのと変わらない。
「news release」を「ニュースリリース」で済ませている時点で、
ミサイルを迎撃するまえに日本列島そのものが沈没してるよ。
迎撃ミサイルを襲撃ミサイル(英語)のまがいもので賄ってどうする。
そもそも襲撃ミサイルは外から打たれているんじゃなくて内(日本人)から呼びつけられてる。
ようするに自殺だ。
自分達で外のミサイルを呼びつけ、それに自分達のまがいものを投げつけ、爆発、一億総勢、自らの過ちにより核の灰を浴びて日本と共に滅びる。
阿呆きわまりない。
後先を熟慮していないのはあなただ。
日本語を存続させるうえではカタカナ語は役に立たないどころか日本語そのものを役立たなくさせる。
日本語を止めて「カタカナ語」という言語を作りたいのなら別として、
日本語を発展させるうえでは、まだまだ使い切られていない資源が内にたっぷりと潜在しているじゃないか。
2get
初期の頃から、気になっていたのだが このスレ、話題の核心が言語じゃないな。 ナショナルアイデンティーとか、民族とか そっち方面になっている気がするんだわな 合理的じゃないと言われても、それは言語の問題じゃなく 言語を使ってる人たちの文化の問題だから、何ともかんとも
延々と自演乙
日本語をやめて英語をつかえ!
67 :
れげらま :2007/06/24(日) 18:12:22 0
>>64 > 初期の頃から、気になっていたのだが
> このスレ、話題の核心が言語じゃないな。
> ナショナルアイデンティーとか、民族とか
> そっち方面になっている気がするんだわな
> 合理的じゃないと言われても、それは言語の問題じゃなく
> 言語を使ってる人たちの文化の問題だから、何ともかんとも
言語は文化の一部だよ。文化の中で言語は生まれ、文化の中で言語は殺される。
言語を使う人の文化が変われば当の言語も変わる。
或る言語における言葉の語根が変わるとき、その言語の話者の慣習に変化が起きている。
このスレの話題の核心はあくまで日本語、その現状である。
そして日本語を使っているのは日本人である。
日本人の習慣と日本語の現状は無関係ではない。
現代の日本語が必要以上のカタカナ語で代替されている現状を考えるとき、
日本語よりもカタカナ語のほうを好んでしまう現代の日本人の民族性に関する把握が補足される。
何ともかんとも、ではない。
あなたはここで挙がっている問題に日本人として目を向けたくないだけではないのか。
かりに僕が文化系の方でこのスレを立てたとしても、
あなたみたいな人が同じように「それは文化の問題じゃなく、文化の中にいる人たちの言語の問題だから・・・」
と言って僕の議論をこっちに追い返すだろう。
68 :
れげらま :2007/06/24(日) 18:14:11 0
>>64 > 初期の頃から、気になっていたのだが
> このスレ、話題の核心が言語じゃないな。
> ナショナルアイデンティーとか、民族とか
> そっち方面になっている気がするんだわな
> 合理的じゃないと言われても、それは言語の問題じゃなく
> 言語を使ってる人たちの文化の問題だから、何ともかんとも
言語は文化の一部だよ。文化の中で言語は生まれ、文化の中で言語は殺される。
言語を使う人の文化が変われば当の言語も変わる。
或る言語における言葉の語根が変わるとき、その言語の話者の慣習に変化が起きている。
このスレの話題の核心はあくまで日本語、その現状である。
そして日本語を使っているのは日本人である。
日本人の習慣と日本語の現状は無関係ではない。
現代の日本語が必要以上のカタカナ語で代替されている現状を考えるとき、
日本語よりもカタカナ語のほうを好んでしまう現代の日本人の民族性に関する把握が補足される。
何ともかんとも、ではない。
あなたはここで挙がっている問題に日本人として目を向けたくないだけではないのか。
かりに僕が文化系の方でこのスレを立てたとしても、
あなたみたいな人が同じように「それは文化の問題じゃなく、文化の中にいる人たちの言語の問題だから・・・」
と言って僕の議論をこっちに追い返すだろう。
69 :
れげらま :2007/06/24(日) 18:30:34 0
>>65 > 延々と自演乙
ぜんぜん乙じゃないよ。
だから匿名なんて迷惑なんだ。
都合が悪くなれば議論の相手は「なかったことに」というかんじで簡単に雲隠れする。
あるいは「自演」と言ってそれまでのやりとりを無効化しようとする。
2ちゃんねらーなんてそんなものだ。
責任感がなく、真摯な議論者を相手に日頃の鬱憤を好きなだけ吐きつける。
日本人訪問者(一部は朝鮮系?)からなる、世界最大の掲示板、そこでのやりとりがこの程度のものだとはね。
恥を知ったほうがいいよ。
とりあえず、重複レス(同じレスを二回送信すること)は止めてくれ。 あと、補足と捕捉の区別、ついてる? 把握を補足する、ってどういう意味?
71 :
れげらま :2007/06/24(日) 19:07:27 0
>>66 僕個人の経験から言うと、
英語を使えば使うほど、
日本人のカタカナ語が馬鹿らしいものに見えてくる。
そしてそれを口にする日本人そのものにたいしては哀愁の念が感じられてくる。
けれどもそれは、逆に日本語をしっかり使おうとすることによっても実感できるはずだ。
日本語を使えば使うほど、
まわりの日本人のカタカナ語が馬鹿らしいものに見えてくる。
そしてそれを口にする日本人そのものにたいしては哀愁の念が感じられてくる。
せめてどちらかを大事にするべきだ。日本語か英語か。
世界の中には、2つ以上の言語を分別・両立させることのできる人達もいる。
この点に関してはシンガポール人やインド人それからスイス人などは優秀だといえる。
日本人は、情けないほどケジメが無い。
想像してみてほしい。
ドイツ語、フランス語、イタリア語、ロマンシュ語、そして英語が共存する地域に大勢の日本人達が暮らしているところを。
10年もしないうちに、どの言語もそれらしい姿を失って、一つの混沌とした、子供が使うような記号言語が発生するだろう。
ただでさえ日本語という一つの言語を英語から分けて使いこなすことができないんだから、当然の結果だ。
「ニュースリリース」が「news release」の唯一なる相当語句だと思い込んでいる人が少なくないんだから、
ドイツ語とフランス語とイタリア語とロマンシュ語と日本語とを平等に英語にたいして相対化できるわけがない。
72 :
れげらま :2007/06/24(日) 19:10:57 0
>>66 僕個人の経験から言うと、
英語を使えば使うほど、
日本人のカタカナ語が馬鹿らしいものに見えてくる。
そしてそれを口にする日本人そのものにたいしては哀愁の念が感じられてくる。
けれどもそれは、逆に日本語をしっかり使おうとすることによっても実感できるはずだ。
日本語を使えば使うほど、
まわりの日本人のカタカナ語が馬鹿らしいものに見えてくる。
そしてそれを口にする日本人そのものにたいしては哀愁の念が感じられてくる。
せめてどちらかを大事にするべきだ。日本語か英語か。
世界の中には、2つ以上の言語を分別・両立させることのできる人達もいる。
この点に関してはシンガポール人やインド人それからスイス人などは優秀だといえる。
日本人は、情けないほどケジメが無い。
想像してみてほしい。
ドイツ語、フランス語、イタリア語、ロマンシュ語、そして英語が共存する地域に大勢の日本人達が暮らしているところを。
10年もしないうちに、どの言語もそれらしい姿を失って、一つの混沌とした、子供が使うような記号言語が発生するだろう。
ただでさえ日本語という一つの言語を英語から分けて使いこなすことができないんだから、当然の結果だ。
「ニュースリリース」が「news release」の唯一なる相当語句だと思い込んでいる人が少なくないんだから、
ドイツ語とフランス語とイタリア語とロマンシュ語と日本語とを平等に英語にたいして相対化できるわけがない。
なんで2回言うの? なんで2回言うの?
74 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/06/24(日) 19:27:00 O
単に回線の具合が悪かっただけだろ 一々突っ込むなよ
75 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/06/24(日) 19:29:57 0
日本語は元々大和言葉をベースにしながら、漢語や外来語がたくさん集まってきて構成されている。 一向に構わんのじゃないか? ボキャブラリーが増えるって事でw 語彙って言ったら分かりにくいし、書くのも大変。
76 :
れげらま :2007/06/24(日) 19:31:27 0
>>70 > とりあえず、重複レス(同じレスを二回送信すること)は止めてくれ。
同じレスを二回送信したのは僕じゃなくて Open Jane だ。
> あと、補足と捕捉の区別、ついてる?
> 把握を補足する、ってどういう意味?
(そんな妙な点にも君は応答するようになってるのか・・・)
区別を僕はしっかりつけている。
【補足】
・足りない所を補うこと。不十分な点を付け加えること。(大辞林
http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%CA%E4%C2%AD&kind=jn&mode=0&kwassist=0 )
・不十分なところをおぎないたすこと。「説明を補足する。」(広辞苑)
「把握」は、「理解」とか「解釈」とか「考察」とか「説明」に近い意味で言った。
そしてそういったものを補うこと、「把握を補足する」。わかる?
「把握を捕捉する」と言ってしまえば、「つかまえるものをつかまえる」という冗語になる。
また、そこで「捕捉」と打ってしまっても、漢字変換の誤りというのはあるもので、
たとえ君がそれをしたとて僕はそのことでつまらない投稿を送りつけたりはしない。
Jane の二回送信は偶然のバグだが、
君のその投稿とそれにたいする僕の返事は
単なる君自身の不注意によって引き起こされた無駄なやりとりだ。
止めるべきは君がするような落ち着きの無い行為だよ。
どうしてバグなんて英語を使うの?アイスランド人だって、デンマーク人だって、 ちゃんと自国語でgalli, fejl(欠陥点)って言うよ。 「バグ」は使っておいて、「ニュースリリース」は罵倒ですか。とんだ二重基準ですこと。 最近じゃマイクロソフト社でさえ「不具合」と日本語で言うのにね。
78 :
れげらま :2007/06/24(日) 20:42:27 0
>>75 > 日本語は元々大和言葉をベースにしながら、漢語や外来語がたくさん集まってきて構成されている。
> 一向に構わんのじゃないか?
日本語において文字が欠如していた頃は、漢字を輸入することにそれなりの妥当性があった。
また、洋物と和物とを区別するつもりで「ケーキ」という外来語を「菓子」にたいして取り入れるのもそれほど悪いことではない。
問題は、洋物としてとくに定義する必要のない概念について「ジェイ・リーグ」や「レコーディング」といった言葉を使うことにある。
日本のことを自分達で「ジェイ」と呼んでいる時点で気持ち悪い。
アメリカ人が自分達のことを「Bei/米」と呼ぶのと同じくらいおかしい。
また、英語であって、ロシア語の「ヤー」とかヘブライ語の「ヨッド」ではないところに、偏見と贔屓がある。
英語が好きなのは結構だが、そのせいで自分達の呼称までをも「ジェイ」とする阿呆らしいことはよすべきだ。
日本人歌手の、日本国内で販売する曲を日本国内で制作する過程で、「レコーディング」と言って「ろくおん」とは言わない日本人が沢山いる。
同様に、「きょくしゅう」ではなく「アルバム」という言葉がごく一般に使われる。
なぜなら、「レコーディング」や「アルバム」という言葉の方がなんだかアメリカっぽくて粋であると彼らが感じるからだ。
「トップアーティスト」にしても同じ。日本人でありながらも日本語で「ゆうりょうかしゅ・優良歌手」とか「すてきなかしゅ」と口にするのを恥ずかしく感じている。
(続)
79 :
れげらま :2007/06/24(日) 20:46:40 0
(続) また、アルファベットで記述すればまだしも、平然とカタカナで表記しているものが大半であるため、 そういったものに囲まれて育つ子供は誤った発音に囚われながら必要以上に自らを外国語オンチにしてゆく。 外国人歌手の「アルバム」の曲名がアルファベットからカタカナに置き換えられているのは致命的だ。 「ノーバディ・ウィアド・ライク・ミー」、ああ、阿呆らし。 どこの国の人にだって外国語の発音にまつわる特有のオンチはいくらかあるものだが、 日本人の場合は大量のカタカナ語・カタカナ表記による汚染で必要以上にオンチになってしまっているのだ。 日本語と英語とを切り離して考えることができるようになれば、すなわち英語を半端なかたちで日本語に取り込むことを止めれば、一般の日本人の英語力を抑制する枷が一つ無くなることだろう。 > ボキャブラリーが増えるって事でw 語彙って言ったら分かりにくいし、書くのも大変。 増えるのはもちろんいいことだ。 でもそれをなぜ日本語で賄おうとしない? 日本語の方が「書くのが大変」だから? ならばなぜ初めから英語を使わない? カタカナ語を使ってしまえば日本語も忘れるし英語も下手になる。
80 :
れげらま :2007/06/24(日) 20:59:01 0
>>77 > どうしてバグなんて英語を使うの?アイスランド人だって、デンマーク人だって、
> ちゃんと自国語でgalli, fejl(欠陥点)って言うよ。
> 「バグ」は使っておいて、「ニュースリリース」は罵倒ですか。とんだ二重基準ですこと。
> 最近じゃマイクロソフト社でさえ「不具合」と日本語で言うのにね。
ためしに使ってみたんだよ。どう反応するかなと思って。
君は「バグ」のかわりに「欠陥点」とか「不具合」を使うことにはそれほど反対していないらしい。
「ちゃんと自国語で」、自国語を使うという習慣について適切さを君は見出すことができている。
つまり、カタカナ語よりももとから日本語にある言葉を使って表現することを勧める僕の議論にたいして
君はさほど対抗的な位置にはいないということだ。
外来語も慣用化されてしまえば立派な日本語だろ。 個人レベルの意識からすれば「みんな使ってるから使う」程度に過ぎないだろうし、 外来語を使う事が日本語を嫌ってると言う事にはならないと思う。
82 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/06/24(日) 21:28:44 0
>>77 英語を反対し、中国語を奨励する共産主義者か?
83 :
れげらま :2007/06/24(日) 21:33:00 0
>>81 > 個人レベルの意識からすれば「みんな使ってるから使う」程度に過ぎないだろうし、
> 外来語を使う事が日本語を嫌ってると言う事にはならないと思う。
ではなぜ、みんな外来語を使っているの?
84 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/06/24(日) 21:56:24 0
げられまは叩かれてるみたいだけど、俺はげられまに禿同だ 明治以来の日本語政策(方言の整理、標準語)で、日本人の言葉に対する姿勢は規範的でありすぎるんじゃね? ただしその”規範”は合理性に基づくものじゃなくて、権威とか、慣用的であるとか 誰かがカタカナ語を最初に使っちゃうと、無条件で受け入れちゃうんでないか?
>>67 ぶっちゃけ、れげらま氏のは、文化論どころか
学問になっているのかも微妙でしょ。
規範や理想を追い求めるなら、思想や活動家にでもなってくれ。
変化や乱れが起こっているのなら
その変化を捉えていくのが、学問です。
86 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/06/24(日) 22:14:32 0
あ、つまり最初に誰かが公の場でカタカナ語を使うことが、権威とか慣用とみなされるてことね。 あと俺、みんなが嫌いなMSにいたこと有るけど 英語版から日本語版を作るとき、日本語の素人が締め切りに追われながら作り替えてたから とりあえずカタカナにしておいて、そのまま発売されるわけ。 プロパティとか。IT用語とかそんなのばっかり 物を使いっぱなしだと、部屋の中がグチャグチャになるのと同じで 日本語も強力に整理していかないと、無駄な単語と変な言い回しで日本語はぐちゃぐちゃになるよ。
うん、整理整頓なら賛成。それなら支持します。
88 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/06/24(日) 22:47:35 0
一人の利用者として理想の日本語は、自動車整備士の道具箱の中身のようなもの。
何でも出来る、必要最小限の道具を、すぐ取り出せるようにきれいに並べておきたいだろ?
それと同じさ。
仕事への愛がある整備士は、道具箱の中身はきれいにそろっているだろ。
今の日本人には、日本語への愛とか理解が多分足りない。だから言葉が乱れるのさ
>>85 思想とか学問とか、何大げさなこと言ってるの?バカ?
89 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/06/24(日) 23:05:15 0
>78 あ、それにかんれんして怒っていることばがリリースや。 これを使う奴はUS植民地根性人間やわ。 ろくに英語で論文もかけぬくせに名。 どうせならば単語でなくて文を全部音訳せよといいたい。 動詞のカタカナ語は止めとけよな、動詞は。
>>88 いや、大袈裟と思う方がバカだから
普通に、「思想」とか「学問」とかって言います。
あなたこそ、聞き慣れない言葉を、聞いてビックリしてるだけでは?
それに、自動車整備は仕事だろ。別に仕事で日本人やってませんから
言葉の整理整頓には、当然のことながら方言形の抑圧も含まれる。 ネット掲示板など、全国民が利用する伝達媒体では、関西弁などの 方言形を使うことを厳しく禁止しなければならない。 全国民が一つの洗練された書き言葉を持つべきであり、関西弁の混入は その洗練性を汚すことになる。
92 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/06/25(月) 01:03:47 0
道具箱は一つの例え。
俺は最高の道具のセット(日本語)を使いこなしてみたいけどね。
整理整頓は仕事だけに必要な行為ではないでしょ。
君
>>90 は自分の部屋で整理整頓しないの?
方言整理の優先順は、公文書>テレビ・新聞>ネットで
まず吉本漫才の関西弁は禁止な
もっとも明治の頃と違い、今はテレビ・ラジオ・新聞などの全国メディアが発達したので
国語を標準化する当初の目標は既に達成されている
国の偉い国語学者はそろそろ次の目標を見定めて欲しい
これもまた当然のことながら、吉本漫才の関西弁は禁止されない。 なぜなら、これは一種の口承文芸(話芸)だからだ。 方言形を禁止するのは、あくまでも全国民を対象とする情報伝達や 議論の媒体としての言語に限る。 2ちゃんねるは、その比喩的な名称が示唆するように、全国民を 対象とする議論・情報伝達の媒体であるから、そこでは参加者が 好き勝手に方言形で書き込むことは禁止されなければならない。 このような公的な場で関西弁などの方言形をちりばめる行為は、 必要もないのに英語由来のカタカナ語をちりばめる行為と質的に 何ら変わるものではなく、厳しく糾弾されるべきだ。
94 :
れげらま :2007/06/25(月) 03:49:44 0
>>92 > 俺は最高の道具のセット(日本語)を使いこなしてみたいけどね。
我々の道具箱を開けてみてがっかりする外国人はいるにちがいない。
「なにこれ、英語のパクりじゃん」と。
逆にアメリカ人が同等量の日本語を流用していたらどうだろうか。
彼らの道具箱を開けてみるとこうだ:
「It's oishii.」
「TenNenSui is KenKo-Teki.」
「I couldn't KaiKetsu-suru the MonDai, so I asked her to tetsudau me.」
そしてアメリカ英語を学ぶとき、我々はこれらの日本語を彼らの発音に従って覚えなおさなければならない。漢字や平仮名を使ってもいけない。
そのときに我々が感じるだろうもどかしさが、
現実の日本語における大量のカタカナ語にたいしても当てはまるのだということに気づかなければならない。
「karaoke」とか「tsunami」とか、節度ある少量の日本語(一部は和製英語に近いもの)を世界のあらゆる言語の話者がたまに使っていることは問題にはならない。
一方で日本人が5万語にのぼる外来語(ほとんどは英語と和製英語)を日本語という道具箱の中に押し詰めていることは重大である。
(おまけに、これだけの英語を流用しておきながら、先進国の中で最も英語を話せない民族の一つとして名高い。)
日本人は言語話者としての歯車が狂い出して久しい。ここで、
言葉を意思疎通の道具として整理してこなかったことに原因がある、というのは良い見当だ。
「新報」や「新聞」という言葉が既に手元にありながら、
英語酔いして「ニュースリリース」といったものを混ぜ入れてしまえば、道具箱の中は混沌としてくる。
英語には英語用の道具箱がちゃんとある。英語を話したいのなら、それを使うべきであって、その紛い物を日本語の中に放り入れるべきじゃない。
95 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/06/25(月) 04:19:28 O
道具論、確かにそうです。どんなに外国語が優秀でも、愛着が湧くかどうかは、その言語の国民との、心からの信頼の度合いによる。100パーセントなんて人間的にありえない。
96 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/06/25(月) 05:24:45 0
浴槽をわざわざ英語でバスタブと呼ぶのが非難されてしかるべきように、 浴槽の呼び方に複数の方言形があって混乱しているならば、 標準語として一つの呼称を与えねばならぬ。それ以外の呼称は 方言形として、公共の場からは排除せねばならぬ。 もしそうでないと、浴槽洗浄剤などの取扱説明書の指示を誤解した 消費者による思わぬ事故が発生しかねない。 言語を整理整頓しなければならないのは、ひとつには全国民の 安全・快適な生活をひとしく確保するためでもある。
98 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/06/25(月) 09:11:52 0
>>1 上着
使い手
これ以外は支那語じゃん
お前は支那人か?
99 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/06/25(月) 14:27:26 0
1の言っている事は、以前は中国語を使っていたのに最近は英語を使っている、と言っているに過ぎない。
100 :
れげらま :2007/06/25(月) 17:57:47 0
>>99 > 1の言っている事は、以前は中国語を使っていたのに最近は英語を使っている、と言っているに過ぎない。
君、これまでの投稿を読んでないよね。
かつて漢字が輸入されることになった背景と、
いまカタカナ語が使いまわされている背景との違い、
認識しておこう。
101 :
れげらま :2007/06/25(月) 18:07:49 0
>>98 >
>>1 > 上着
> 使い手
> これ以外は支那語じゃん
> お前は支那人か?
馬鹿らしい疑問を振り回さないように。
それを言ってしまえば日本人全員が日本人ではなくなる。
どうしても拘りたいのなら、まずはそういう支那語を日本語の辞書に載せている人達を責めなよ。
102 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/06/25(月) 21:12:55 0
これまでの投稿を全部読んでも、結論は同じ。 英語排斥、シナ語礼賛。
>>100 おまえさんのその「背景の違い」とやらは、全然説得力に欠けるんだがw
文字が入ってきたから、語根も入ってきて当然になる?そんなアホなwww
トルコ共和国のトルコ語は、ラテン文字を使っているから
英語やフランス語の語根が入ってきて当然だと。
だが同系のアゼルバイジャン語はと言えば、アラビア語は良いが英語はダメと。
そういう理屈になるな。何と馬鹿げた話であることかね。
文字の導入と、外来語根の導入は当然別問題である。
漢字を使うようになることと、
中国語語根を使うことが特別視されることとの間に、論理的関係は無い。
104 :
れげらま :2007/06/26(火) 00:45:23 0
>>102 > これまでの投稿を全部読んでも、結論は同じ。
> 英語排斥、シナ語礼賛。
全然ちがう。勝手なことを言うな。
英語を英語として話す分には僕はまったく反対していない。
そもそも僕自身、英語を日常生活の中で使っている身分だ。
僕が非難しているのは、言語にたいするケジメをつけようとしない日本人の怠けだ。
漢字の輸入に次ぐ文字の開発を経て日本語は言語としての要素を一通り揃えることになったが、
ここにきて日本人は、手元にあるその日本語の応用を諦め、新たに英語に手をつけ始めた。
問題は、憧れの英語をちゃんと英語として習得しようとせず、その部分だけを、自分達に都合のいいかたちで自分達の母語の中で流用しまくっていることにある。
日本語の中で捏造される英語はもはや英語ではない。
その証拠に、「ドンマイ」とか「ロスタイム」とか「ファイト」とか言っても、本当の英語話者にはそれらを正しい用法どころか英語そのものとしても認識してもらえない。
単に日本人同士で内輪的な英語ごっこをしているにすぎない。
英語を粋だと感じる、というところまではいいが、その次の段階、英語を一つの言語として学ぼうとしないところに、日本人の愚かさがある。
そして日本語を一つの応用・発展可能な言語として認識できないところに、日本人の盲目さがある。
105 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/06/26(火) 01:09:17 0
大切なのは、世界共通語である英語との大まかな互換性だよ。 大部分のカタカナ語は、原語である英語を忠実に反映している。 ロスタイムのような例外は、言ってみれば日本語の「時計」のような もので、現代の中国人がclockやwatchのことを「時計」と呼ばないからといって、 「それは正しい中国語ではなく、日本語の中で捏造された中国語だ。 その証拠に、『時計』とか言っても、本当の中国語話者にはそれを 正しい用法どころか、中国語そのものとしても認識してもらえない。」 と主張するくらいバカげたことだ。
英語排斥、シナ語礼賛 で気に食わぬのなら、 『日本人が英語風の単語を作ることは捏造で、シナ語風の単語を作ることは応用・発展』 とでも言えばいいのだろうか。それがつまりは君の論理。
日本語は漢字を導入するようになって、元々の日本語である和語での造語をあまりしなくなってしまった。
既に平安時代には、奈良時代に行われていた造語法の一部は機能しなくなり、和語の造語力は
明らかに低下していた。この傾向は、明治時代に近代西洋語の概念を翻訳する際に専ら漢語の造語力に
頼ったことで顕著になった。そして、戦後には、さらに導入された英語を語根とする造語、いわゆる和製英語なども
作られるようになった。つまり、造語する際の語根が漢語から英語に映ったということだ。
さて、
>>1 が日本人の英語に対する態度に文句を言っているが、これは古代中国語に対しても多少は言えるのではないだろうか。
奈良時代や平安時代の日本人は果たして憧れの中国語をちゃんと中国語として習得しただろうか。
日本語の中では明治時代以前も漢語が続々と作られていたが、それは中国語ではなく、中国語では全然通用しないものも
多かった。発音も元々の中国語とはかけ離れていたから、中国人に中国語と認めてもらえるわけがない。
中国語をそのまま使うでもなく、和語を大切に使うでもなく、ケジメも何もあったもんじゃない。
こう考えると、かつて日本語と中国語の間で起こっていたことが、今日本語と英語の間で起こっているに過ぎないとも言える。
それにしても、
>>1 は日本語を大切にしろと言っておきながら、出てくる「日本語」の多くが漢語であるのは興味深い。
ある意味ダブルスタンダードだとも言えるし、普通の日本人の意識ではどれだけ漢語が深く日本語に入り込んでいるのかを
示す実例とも言える。
108 :
れげらま :2007/06/26(火) 01:59:22 0
>>103 > 文字が入ってきたから、語根も入ってきて当然になる?そんなアホなwww
それだけ中国語にたいする日本人の態度が愚かだったということだよ。
文字の輸入はまあ妥当でも、語彙までたくさん盗んでしまう必要はなかった。
アムステルダム駅やエッフェル塔をはじめ、外国のものは何でもかんでも好き放題に取り入れてきた我々だが、ずっと昔からせこかったんだな。
(日本の首都の観光名物が外国の首都の観光名物のまがいものだなんて、やってくれるよ日本人。
おまけにその名称が「東京タワー」。本物の方には「塔」をつけておいて、自分達の方には「タワー」。だめだこりゃ。
最近では「東京ステーションシティ」なんてのも出てきた。日本語は日本人によってこのようにして棄てられていく。)
トルコ語と日本語とについては、比較できない点がある。
トルコ語に英語やフランス語の語根が入ったのは必ずしもトルコ人だけの仕業による出来事ではないのにたいして、
日本語における大量のカタカナ語の氾濫をもたらしているのは唯一日本人自身なのだ。
「ほんとは本物の英語を話したいのだけど、それはちょっとどうも・・・」というかんじで同じ日本人同士みんなして縮こまって内輪的な英語ごっこをしている。
109 :
れげらま :2007/06/26(火) 02:31:08 0
>>105 > 大切なのは、世界共通語である英語との大まかな互換性だよ。
そんなのは言い訳にすぎない。
互換性を獲得するために日本語の中身を犠牲にするぐらいなら、
英語を学んだ方がよっぽど日本語にとっても日本人にとってもためになる。
カタカナ語を使い回していたって日本人は世界共通語である英語を得意とするようには至っていない。
むしろカタカナ語の歪んだ発音と意味に囚われて大勢がオンチになっている。
英語をカタカナ語の延長として捉えている日本人は少なくないのだ。
ついでに言っておくと、日本人は、
イギリス英語ではなくアメリカ英語を、義務教育の時点からもっぱら指向することになるが、
これは世界の中では稀なことなのである。
たとえば世界で最も信頼されている英語辞書はオックスフォード(イギリス)のものだが、
日本の学生が引くことになる国産の英語辞書はきまってアメリカ英語である。
つまり、日本人にとって英語を使うということは、
必ずしも国際的な言語基準を目指した行為ではなく、
単にアメリカを贔屓してこれに近づきたいという意識に働かされてのことだともいえるわけだ。
110 :
れげらま :2007/06/26(火) 03:13:03 0
>>106 > 英語排斥、シナ語礼賛
> で気に食わぬのなら、
> 『日本人が英語風の単語を作ることは捏造で、シナ語風の単語を作ることは応用・発展』
> とでも言えばいいのだろうか。
シナ人に強姦されたことでもあるのか?
よっぽどシナを排斥したいらしいな。
日本人には和語だってあるだろ。
要は、既に手元にあるものを応用する能力だよ。
なにも「シナ語」ということではない。
ここらでケジメをつけて、いいかげん外国語に振り回されるのはやめるべきだ。
英語が好きならばいつでも英語を学ぶことができる。
まずは日本の者、日本語の話者として、早く自立しよう。
(日本人自身によって日本語として成立されたものをちゃんと使いこなすことすらできないんだから、
国際の政治舞台でいまだ真に自立できていないのもあたりまえだよ。
日本人には精神的な中心が無い。
あればあったで極端に帝国化し、天皇の名の下に外にたいする侵略を始めた。
いったん内にこもってしまえば今度はクラゲみたいにふにゃふにゃ、ふらふら。
適切な自立を実現できない。
ペリーとマッカーサーによる2度の教育にまいってしまったのか、みんな精神分裂状態。
外にたいして自らを閉じていた鎖国時代も含め、日本は個として外国系統のものと付き合うのが昔から下手だったといわざるをえない。)
>>110 >要は、既に手元にあるものを応用する能力だよ。
現に、日本人は手許にある莫大な英語起源の外来語を自在に活用していますが何か。
和製英語つまり(日本で組み立てられた英語起源語根による外来語・熟語)というのは、
日本語が、英語起源の外来語を丸呑みではなく
日本語として、まさに自律的に応用していることの明確な現れだからな。
なぜ日本人が自律的に手許の語根を使うと
「くらげのようにふにゃふにゃ」と言って罵倒し、
支那語根の場合は、「手元にあるものを応用する能力」と開き直るんだ?
だから支離滅裂な二枚舌だと、笑われているんだよ。分かる?wwww
どうせなら、すべて からの ことばなど もちいず、
やまとことばだけで すべての ことがらを かこうとは おもわないのかね?
おまえさんの かいた ふみには あまりにも おおくの からの ことばが
はいりすぎているんだよ。ひとりだちした ひとと して、そとの くにの ものと
つきあうのが やまとの ひとびとの だれより へたなのは おまえさんだよwwww
112 :
れげらま :2007/06/26(火) 03:35:34 0
>>107 > それにしても、
>>1 は日本語を大切にしろと言っておきながら、出てくる「日本語」の多くが漢語であるのは興味深い。
> ある意味ダブルスタンダードだとも言えるし、普通の日本人の意識ではどれだけ漢語が深く日本語に入り込んでいるのかを
> 示す実例とも言える。
僕の意識には漢語の他にも和語がそれなりに入り込んでいる。
僕がこの板で和語よりも漢語を多く使っているのは、読み手の意識に漢語が深く入り込んでいるというあなたの指摘する実情に対応してのことだ。
「レス」というカタカナ語を使うはめになるのと同じで、
「かえしのふみ」と言ったところで読み手は僕のことを気のふれた国粋主義者とみて取り合ってくれないだろう。
(「返信」を使ったら使ったで、ある人は「シナ語礼賛か」と言って僕を責めそうなものだが。)
忠実な日本語を使おうとすればするほど日本人の読めない文章ができあがる。
そしてそのような境遇にある一般の日本人にたいして意思を伝えるうえでは本文の日本語をある程度にひん曲げる必要がある。
ここに、あなたの見い出した僕の投稿の二重基準の要因がある。
この点では僕は活動家ではなくてただの演説者でしかない。
自然言語と人工言語は違うんだから 自然に変化してるものにまで、注文付けるなよ。 「やりたきゃ勝手にやってくれ」としか言い様がない。
114 :
れげらま :2007/06/26(火) 03:51:03 0
>>111 >
>>110 > >要は、既に手元にあるものを応用する能力だよ。
> 現に、日本人は手許にある莫大な英語起源の外来語を自在に活用していますが何か。
> 和製英語つまり(日本で組み立てられた英語起源語根による外来語・熟語)というのは、
> 日本語が、英語起源の外来語を丸呑みではなく
> 日本語として、まさに自律的に応用していることの明確な現れだからな。
「東京ステーションシティ」と「Tokyo Station City」という二通りの綴り方がなされている(
http://www.tokyostationcity.com/ )。
前者が日本語として応用されているものであれば、そのカタカナ文字の発音に従って、後者の綴りは「Tokyo Suteshon Shiti」となるはずだ。
ところがちがう。
この名称を造った人は、手元の「ステーションシティ/Suteshon Shiti」を応用したのではなく外部の「Station City」を流用したにすぎない。
これについて君はどう思う?
115 :
れげらま :2007/06/26(火) 04:03:28 0
>>113 > 自然言語と人工言語は違うんだから
> 自然に変化してるものにまで、注文付けるなよ。
> 「やりたきゃ勝手にやってくれ」としか言い様がない。
日本語の話者として、日本語で表現できる物事が少なくなることに哀しさを感じている。
かりにあした日本語の話者が全員外国人となれば、みんな、ありきたりな英語よりも日本語本来の表現に興味を持って、
これまでに日本人によって棄てられてきた沢山の言葉を回復させようとすることだろう。
日本人は日本語にたいする関心・情熱を失っている。
君が自然の変化と呼んでいるものは実は自然の退廃なのだ。
>>114 横レス
個人的には、
ええやん、勝手にやらせとけば
例え、間違っていたとしても、個人・法人の自由だろ。
好きにやらせとけ。文句を言うだけなら構わないが
注文付けるのは、やり過ぎだよ。
と、思う。
>>114 ああ、それは唯の「ラテン文字熟字訓」だから。
Station Cityと書いて、すてーしょんしてぃーと読む。
日本語ではごく普通の話。
そうじゃなくて、英語圏のどこかにStation Cityなる施設があって
それを持ってきたとでも言うのか。英語としては不思議な名称の施設だが、
もしあるというのなら、挙げてみてほしいねw
118 :
れげらま :2007/06/26(火) 04:11:51 0
>>117 >
>>114 > ああ、それは唯の「ラテン文字熟字訓」だから。
> Station Cityと書いて、すてーしょんしてぃーと読む。
つまり、元になってるのは「station」と「city」で、「ステーション/suteshon」と「シティー/shiti」ではないわけだ。
119 :
れげらま :2007/06/26(火) 04:34:13 0
>>117 >
>>114 > 英語圏のどこかにStation Cityなる施設があって
> それを持ってきたとでも言うのか。英語としては不思議な名称の施設だが、
> もしあるというのなら、挙げてみてほしいねw
「外部」という表現を物理的に捉えてしまっていることによる無駄な疑問だ。
捉えるべきはこういうこと:
「station」と「city」は日本語にたいして外部にあり、内部・手元の素材として存在するものではない。
君の考えによれば、手元の外来語を自在に扱っているのだから問題はない、ということだった。
ところが「東京ステーションシティ/Tokyo Station City」の例では、アルファベットの綴りからわかるように、
参照されているのは英語そのものであって「手元の外来語」ではない。
手元の外来語すなわちカタカナ語が素材となっていれば綴りは日本語の発音に従って「Tokyo Suteshon Shiti」となるはずだからだ。
これについて君は何を思うかを僕は尋ねたんだ。
120 :
れげらま :2007/06/26(火) 05:22:08 0
>>119 英語話者にとって日本人のカタカナ語がどのように認識されているかについて補足しておこう。
ttp://en.wikipedia.org/wiki/Japanese_language の「Vocabulary」という項をみてほしい。
wanpata-n ワンパターン
sukinshippu スキンシップ
つまり、いったんカタカナ語として日本語に取り込まれたものを英語話者は英語そのものとして認識することはない。
英語話者達自身がそのように言っているのだから仕方がない。
我々日本人だって「スキンシップ」と言えば「sukinshippu」と発音することになるのだ。
「東京ステーションシティ」がかりにカタカナ語を手元の素材として造った名称であれば、そのアルファベット表記は「Tokyo Suteshon Shiti」となる。
ところが実際の表記は「Tokyo Station City」であり、造り手はカタカナ語ではなく英語そのものを意図していたことがわかる。
よって、この名称は、日本語の素材を自在に応用してできあがったものではなく、単に英語をカタカナに置き換えただけのものである。
このことは、日本人によるほぼすべてのカタカナ語の使用に当てはまる。
カタカナ語をあたかも和語や漢語に並ぶ自分の母語の素材として使っているかのようなふりをしておいて、
これをアルファベットで表記するときには母語(日本語)の発音ではなく英語の綴りをそのまま再借用する。
漢語を中国語の発音に従ってアルファベット表記することはないというのに。
「幸福」はちゃんと日本語化されて「kofuku」だが、「ハッピー」は英語のまま「happy」なのだ。
カタカナ語と漢語は単なる語根の違いだ、という意見があるが、
上記の点で、日本人がカタカナ語を日本語の語根・資材としてそもそも捉えていないことがわかるだろう。
121 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/06/26(火) 07:48:46 0
>>104 日本語の中で捏造される英語はもはや英語ではない。
その証拠に、「ドンマイ」とか「ロスタイム」とか「ファイト」とか言っても、本当の英語話者にはそれらを正しい用法どころか英語そのものとしても認識してもらえない。
単に日本人同士で内輪的な英語ごっこをしているにすぎない。
英語を粋だと感じる、というところまではいいが、その次の段階、英語を一つの言語として学ぼうとしないところに、日本人の愚かさがある。
そして日本語を一つの応用・発展可能な言語として認識できないところに、日本人の盲目さがある。
なぜ、シナ語に対して同じことを言わないの?
「ドンマイ」「ロスタイム」「ファイト」
これらは日本語になったのだよ
英語として機能しないのは当たり前
122 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/06/26(火) 08:00:38 0
>>120 happyを「ハッピー」とよみhappyとかくことと
幸福を「こうふく」とよみ幸福とかくこと
なにがちがうんだ?
それに表記と音とは別
君自身が言ってるよ
「東京」を「Tokyo」とよむひとはいないでしょ
123 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/06/26(火) 08:13:56 0
>>120 sukinshippu スキンシップ
これも、表記と音は別だという例だね
>我々日本人だって「スキンシップ」と言えば「sukinshippu」と発音することになるのだ。
これはスキンシップをカタカナからローマ字に写しただけでしょ
実際は最初のsとkのあいだのuはフツー無声化されて発音されないしさ
最後のuも発音しない人けっこういるでしょ
日本語はなせるの?
一回口でいってからかいたほうがいいよ
× 日本語はどれだけ日本人に嫌われているのか ○ 日本語はどれだけれげらまに嫌われているのか
125 :
れげらま :2007/06/26(火) 18:43:31 0
>>122 > happyを「ハッピー」とよみhappyとかく
外来語はカタカナで書く方が日本人にとっては日常的。
まさか日本人がカタカナ語の綴りよりもアルファベットの綴りを覚えているだなんてことはあるまい。
「カレー」の元の綴りを書ける日本人がどれぐらいいるだろうか。
このことをふまえないかぎり君は次のことを考察することができないままだ。
幸福 → 日本語に取り込んだ後、「こうふく/kofuku」
happy → 日本語に取り込んだ後、「ハッピー/happi」
ところが「ハッピー」を日本語として使っているはずの言葉をローマ字にするとき
日本人はちゃんと「happi」とは書かずに英語の綴りをそのまま再借用して「happy」と表記する。
一方で「幸福」はちゃんと「kofuku」と書く。
つまり、「幸福」がちゃんと日本語化しているのにたいして、「ハッピー」は単に英語をカタカナに化かして流用しているものだということ。
このような例は無数とある。
カタカナ語の「トレーニング」は「toreningu」となるはずなのに、
日本人が「午前中トレーニングをしました」をローマ字にするときは「gozenchu training wo shimashita」となるのがおちである。
「トレーニング」だけが原語に再帰して、「午前中」は「wu qian zhong」とは再帰しない。
漢語は日本語化しているが、カタカナ語はしていない。語根の交代なんてあったもんじゃない。
>>120 で述べたとおり、日本人が使うカタカナ語は、本来、もはや原語の音声を失ったものだ。
「ワンパターン」は「wanpata-n」(棒線は母音の上の伸ばし記号)、「スキンシップ」は「sukinshippu」となる。
なぜなら「スキンシップ」と日本人が発音したものを英語話者は「skinship」と聞き取ることがないからだ。
ところが日本人はこの点で内輪的となって、「スキンシップ」をローマ字にするときは勝手に「skinship」と表記する。
> 「東京」を「Tokyo」とよむひとはいないでしょ
ではなんとよむの?
126 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/06/26(火) 18:47:45 0
>>125 詭弁で逃げるなよ
シナ語の音を無視するな
127 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/06/26(火) 18:49:36 0
>>125 日本人はちゃんと「happi」とは書かずに英語の綴りをそのまま再借用して「happy」と表記する。
一方で「幸福」はちゃんと「kofuku」と書く。
つまり、「幸福」がちゃんと日本語化しているのにたいして、「ハッピー」は単に英語をカタカナに化かして流用しているものだということ。
幸福は[koufuku]とは発音しないぞwww
128 :
れげらま :2007/06/26(火) 18:50:54 0
>>123 >
>>120 > >我々日本人だって「スキンシップ」と言えば「sukinshippu」と発音することになるのだ。
> これはスキンシップをカタカナからローマ字に写しただけでしょ
> 実際は最初のsとkのあいだのuはフツー無声化されて発音されないしさ
> 最後のuも発音しない人けっこういるでしょ
> 日本語はなせるの?
> 一回口でいってからかいたほうがいいよ
「ラブ」・・・ああ、どうしても「rabu」にしか聞こえないよ。
英語ならばせいぜい「rub/嫌味」だ。少なくとも「love/愛」ではない。
英語はなせるの?
129 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/06/26(火) 18:51:47 0
>>125 「幸福」は[koufuku]で発音どおり
「東京」は「Tokyo」で発音どおり
すげえみみだな、いや脳か?w
130 :
れげらま :2007/06/26(火) 18:52:58 0
131 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/06/26(火) 18:53:29 0
132 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/06/26(火) 18:54:56 0
>>130 ごめん、きみのあたまの程度を考えてなかったよ
ごめんね
133 :
れげらま :2007/06/26(火) 18:57:10 0
>>129 >
>>125 > 「幸福」は[koufuku]で発音どおり
> 「東京」は「Tokyo」で発音どおり
> すげえみみだな、いや脳か?w
「た」と「ち」と「つ」を同じ発音行に含めている時点で日本人の耳のほうが奇抜だよ。
「幸福」の正しい発音とは?
「東京」の正しい発音とは?
134 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/06/26(火) 18:58:09 0
>>129 ごめんまちがってたな
「幸福」は[kofuku]で発音どおり
「東京」は「Tokyo」で発音どおり
「スキンシップ」は「sukinshippu」
ステーションシティ は Suteshon Shiti
ところが実際の表記は「Tokyo Station City」
Station CityはStation Cityで発音どおりww
135 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/06/26(火) 19:00:51 0
アメリカ人は cityをsitiとかくべきです citiは英語化していませんwww
136 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/06/26(火) 19:01:33 0
あ、英語化してないのはcityか 発音に近く書いちゃったwwwww
137 :
れげらま :2007/06/26(火) 19:16:54 0
>>131 >
>>128 > おいおい、反論になってないぞw
反論になってるよ。
君の主張は、
「スキンシップ」を日本人は「sukinshippu」ではなく「skinship」と発音する、というものだった:
「実際は最初のsとkのあいだのuはフツー無声化されて発音されないしさ
最後のuも発音しない人けっこういるでしょ」
>>123 。
つまり、カタカナ語を一般の日本人は原語どおりに発音する、ということ。
>>128 における僕の主張は、
「ラブ」を日本人は「love」ではなく「rabu」と発音する、というものだった。
つまり、カタカナ語を日本人は原語どおりには発音しない、ということ。
舌頂の接近音を変え、唇歯の摩擦音を変える。
このことは、音声学を知っていれば毎日発見できる当たり前の事実だ。
そもそも日本人が英語をそのままではなくカタカナ語として使うのは、
英語をそのまま発音することに苦を感じるからだ。
日本人にとっては「trouble」をそのまま発音するよりも日本語の音素を使って「toraburu」と発音する方に易しさを感じる。
だから「トラブル」という文字列を使う。
138 :
れげらま :2007/06/26(火) 19:20:57 0
>>125 シナ語の音を無視するな
?
>>132 > ごめん、きみのあたまの程度を考えてなかったよ
> ごめんね
そういうことじゃないんだよ。
>>125 で僕はシナ語の音を無視していなかったから、どうしてそのことを君が無視してしまったのかを気にしているんだよ。
139 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/06/26(火) 19:24:24 0
>>137 「love」を英国人は「love」ではなく「lav」と発音する
つまり、英国語を英国人は原語どおりには発音しない、ということ。
そもそも英国人は英語をそのまま発音することに苦を感じるからだ。
140 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/06/26(火) 19:26:35 0
>>137 なってないぞ
英語話者にとって日本人のカタカナ語がどのように認識されているか
はどうなった?
ただのカタカナをへぼんしきにへんかんしてるだけじゃないかw
>>138 いや、いいよ、ごめんね
きみのあたまのていどはわかってるからw
141 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/06/26(火) 19:28:43 0
「幸福」は[kofuku]と発音 「東京」は「Tokyo」と発音 「スキンシップ」は「sukinshippu」と発音 「ステーションシティ」は「Suteshon Shiti」と発音 「Station City」は「Station City」と発音 それがれげらま式www
142 :
れげらま :2007/06/26(火) 20:04:39 0
>>134 > ステーションシティ は Suteshon Shiti
> ところが実際の表記は「Tokyo Station City」
> Station CityはStation Cityで発音どおりww
なぜならその言葉の造り手が英語そのものを指向していたから。
造り手は「ステーション」と「シティ」よりも「station」と「city」を使っているかのように見せたかった。
カタカナ語を日本語の正規の素材として位置づける考えが正しいのなら、
この造り手は日本語を応用したのではなく単に英語を流用しただけ、ということになる。
そしてこれはもともと、
「日本人は手許にある莫大な英語起源の外来語を自在に活用している」(
>>111 )
という投稿にたいする反論として僕が提示したものだった。
英語起源の外来語とは、たとえば
ステーション suteshon
シティ shiti
のことだ。
そしてこれを応用してできる言葉として「suteshon shiti」が考えられる(英語ではないのだから頭文字を大きくする必要はない)。
ちょうど「火」と「事」から「火事」という言葉を造ったように。
ところが実際にはカタカナ語というのはそのような応用を蒙らない。
日本人にとってカタカナ語とはあくまで
「使いたい英語を、発音などの面でそのままでは使いづらいということから、日本語の文字に化かして流用したもの」なのだ。
それだからこれをローマ字で表記するときは「Station City」のように英語そのものとして返り咲くこととなる。
あたかも「私達はカタカナ語などというものを使ってはおりません、英語ペラペラですから」とでも言っているかのように。
「Tokyo Station City」なんていうのはまやかしにすぎない。
これをアメリカ人やイギリス人のように読みあげる日本人はけっして一般にはいない。みんな、「Tokyo Suteshon Shiti」と読む。
うわべだけ英語発音のようにみせかけておいて、実はカタカナ発音なのだ。
でもそのカタカナ発音をもろに露出することに臆しているから、みんなこれを英語の綴りに直して悦に入る。
おまけに「ステーションシティ」に関しては「ああ、それね、それは日本人みんな Station City と発音してるよ」なんて大ぼらを吹く人がいる。
143 :
れげらま :2007/06/26(火) 20:06:16 0
>>135 > アメリカ人は
> cityをsitiとかくべきです
> citiは英語化していませんwww
siti と書いたら英語じゃなくなるよ。
144 :
れげらま :2007/06/26(火) 20:11:00 0
>>139 >
>>137 > 「love」を英国人は「love」ではなく「lav」と発音する
そのあたりを議論するには発音記号が必要となる。
「lav」はただのローマ字で、英国人の「love」の発音を表していない。
「a」を発音記号として扱えばこれは「now」の母音となって「love」の母音とはならない。
145 :
れげらま :2007/06/26(火) 20:19:29 0
146 :
れげらま :2007/06/26(火) 20:23:02 0
>>141 > 「幸福」は[kofuku]と発音
> 「東京」は「Tokyo」と発音
> 「スキンシップ」は「sukinshippu」と発音
> 「ステーションシティ」は「Suteshon Shiti」と発音
> 「Station City」は「Station City」と発音
そのとおり。
イギリス人だって、
フランス語から輸入した「theatre」を英語として説明するとき、
フランス人の発音ではなく自分達の発音を発音記号で表記する。
そのあたりのケジメをつけないのは日本人だけ。
れげらま君は、ああ言えばこう言うの循環論法に陥ってないかい? 話がぐるぐる回って、端っこが見えないんだが
148 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/06/26(火) 20:30:33 0
>>139 まじっすか?
現代英国人は
loveのoをaのようにつまり、[lɑ:v]って発音するの?
知らなかった。てっきり[lʌv]かと思っていました。
(なおaを[ʌ]ということはない)
ほかに辞書で[ʌ]を、現代英国人がaつまり[ɑ:]で発音するものはありますか?
ありがとうございました。
このスレで使いそうな特殊記号の入力方法を書く。以下の文字列を半角にして使え。 Ā Ā Ā ā ā ā Ē Ē Ē ē ē ē Ī Ī Ī ī ī ī Ō Ō Ō ō ō ō Ū Ū Ū ū ū ū 非円唇後舌狭母音 ɯ ɯ 準狭準前舌非円唇母音 ɪ ɪ 準狭準後舌円唇母音 ʊ ʊ シュワー ə ə r音性シュワー ɚ ɚ 非円唇前舌半広母音 ɛ ɛ 非円唇中舌半広母音 ɜ ɜ 非円唇後舌半広母音 ʌ ʌ 円唇後舌半広母音 ɔ ɔ 非円唇前舌狭めの広母音 æ æ 中舌狭めの広母音 ɐ ɐ 非円唇後舌広母音 ɑ ɑ 円唇後舌広母音 ɒ ɒ 有声軟口蓋破裂音 ɡ ɡ 無声歯茎破擦音 ʦ ʦ
150 :
れげらま :2007/06/26(火) 20:51:20 0
幸福 こうふく [kɔ:fɯku] 東京 とうきょう [tɔ:kjɔ:] スキンシップ すきんしっぷ [sɯkɪnʃiʔpu] ステーションシティ すてーしょんしてぃ [sɯtɛ:ʃon ʃiti:] station city [steɪʃən sɪti]
有声歯茎破擦音 ʣ ʣ 無声後部歯茎破擦音 ʧ ʧ 有声後部歯茎破擦音 ʤ ʤ 無声歯茎硬口蓋破擦音 ʨ ʨ 有声歯茎硬口蓋破擦音 ʥ ʥ 無声両唇摩擦音 ɸ ɸ 無声歯摩擦音 θ θ 有声歯摩擦音 ð ð 無声後部歯茎摩擦音 ʃ ʃ 有声後部歯茎摩擦音 ʒ ʒ 無声歯茎硬口蓋摩擦音 ɕ ɕ 有声歯茎硬口蓋摩擦音 ʑ ʑ 無声硬口蓋摩擦音 ç ç 歯茎はじき音 ɾ ɾ 歯茎側面はじき音 ɺ ɺ 歯茎接近音 ɹ ɹ 軟口蓋接近音 ɰ ɰ 軟口蓋化した歯茎側面接近音 ɫ ɫ 軟口蓋鼻音 ŋ ŋ 口蓋垂鼻音 ɴ ɴ 帯気音 ʰ ʰ 硬口蓋化 ʲ ʲ 第一ストレス ˈ ˈ 第二ストレス ˌ ˌ 長 ː ː
152 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/06/26(火) 21:01:26 0
君が言うように What time is it now? =掘った芋いじるな と言われるケースが多いけど(ググるとヒットするのはたいがいこれ) クイズダービーに出題されたときにはらたいらさんだけが正解で、 掘った芋いじったな だった。
153 :
れげらま :2007/06/26(火) 21:18:43 0
>>152 what や when の頭を無声声門摩擦音で発音するのはアイルランド人式で、
なぜか日本人はこれを規範としている。
「ほわっと」「ほうぇん」・・・日本人の場合はさらに筋違いな母音を追加する(なぜなら子音を一つの音声として認識したがらないから)。
幸福の「ふ」が fu と書かれていることに誰も疑問を抱いていないwwwww
155 :
152 :2007/06/26(火) 21:30:02 0
すみません誤爆しました
幸福[koːɸɯkɯ] 東京[toːkʲoː] スキンシップ[sɯkʲinɕippɯ] ステーションシティ[sɯteːɕonɕitʲiː]
157 :
れげらま :2007/06/26(火) 21:54:54 0
>>156 > 幸福[koːɸɯkɯ]
> 東京[toːkʲoː]
> スキンシップ[sɯkʲinɕippɯ]
> ステーションシティ[sɯteːɕonɕitʲiː]
そうだね。そのほうが適切だ。
158 :
れげらま :2007/06/26(火) 22:52:50 0
>>154 > 幸福の「ふ」が fu と書かれていることに誰も疑問を抱いていないwwwww
そのあたりの機敏には留意していても、一方で、
日本語は英語のように文字と発音が別だと言って「ステーションシティ」を[sɯteːɕon ɕitʲiː]とはせずに[steɪʃn sɪti]とすることには
自分で疑問を抱かないわけだ。
日本人は、カタカナ語のローマ字化において、自分が実際には発音していない英語話者の音声を装おうとする難癖を持っている。
「ステーションシティ」[sɯteːɕon ɕitʲiː]の正しいローマ字表記は「sutēshon shitī」なのに、
自分がカタカナ語を使っているという事実を無視して「Station City」という英語の綴りを模倣してしまう。
そしてこのようなカタカナ語の英語表記を見た英語話者が「なるほど、実は日本人には英語本来の発音も通じるのか」と思って
[sɯteːɕon ɕitʲiː](sutēshon shitī)ではなく[steɪʃn sɪti](Station City)と発すれば、
相手の日本人はその発音にたいして自然に反応できず、(うわぁ外人だぁ)とまずどぎまぎすることだろう。
[steɪʃn sɪti]から[sɯteːɕon ɕitʲiː]を類推することが不可能ではないにしても、自然に反応することは一般の日本人にはできない。
なぜなら彼らにとっては後者の発音が日常的であり、前者には慣れていないからだ。
かりに僕が日本人同士の会話の中で[wʌn pætn]と発したとしよう。
みんな、「え?」「は?」という顔をするだろう。
かわりに[wan pataːn]と言えば、
みんな、なにともなく僕との会話を継続するだろう。
>>125 幸福[ghɛŋ pïuk] → 日本語に取り込んだ後、幸福/こうふく/[ko:ɸuku]
happy[hæpi] → 日本語に取り込んだ後、Happy/ハッピー/[happi:]
何の違いもない訳だが。
機敏に留意する 難癖を持つ
161 :
XYZ :2007/06/26(火) 23:23:26 0
>>1 れげらまさん、はじめまして! わたしはXYZです。
わたしは2・3か月前から2chを見るようになりまして、中でも主に学問板の
地理・人類学板を好んで利用してきました(といいますか、ほぼそれだけなのですが…(^^;) )。
ところで、わたしはざっとですがこのスレを最初の方から目を通してみました。
そして概ねあなたの見解にはわたしも共感しているところです…。
ですが>1の文章からしますと、わたしには内容的には“言語学”といいますよりも
“社会学”や“文化人類学”、もしくは現代日本人論考のようなものにも感じられました。
そこでですが、
あなたとしましてはこの話を、今までのように“この板”で、言語学的な観点を
中心に議論したいのですか? それとも本当は、それ以外の多角的な観点(「現代日本人」の
傾向という意味で)からも議論したいと思っているのですか?
返答お願いします。
162 :
れげらま :2007/06/26(火) 23:27:26 0
家庭の中で楽しめる電子遊具、「家電遊具」「いえの電子なぐさみ」・・・ こんな名称じゃあ売れないだろう、ということで、 family と computer とをくっつけて「family computer」 でも英語表記のままでは日本人は読んでくれないだろう、ということで、 「ファミリーコンピュータ」 でも日本人は短い表現が好きだから、ということで、 「ファミコン」 という言葉を造った日本人。 英語圏ではもちろん通用せず。 次世代機として、 「新ファミコン」「あらたなるいえの電子なぐさみ」・・・ こんな名称じゃ売れないだろう、ということで、 「スーパーファミコン」 英語圏では通用せず。
日本語だから英語圏で通用する必要はない
164 :
れげらま :2007/06/27(水) 00:15:08 0
>>159 > 幸福[ghɛŋ pïuk] → 日本語に取り込んだ後、幸福/こうふく/[ko:ɸuku]
> happy[hæpi] → 日本語に取り込んだ後、Happy/ハッピー/[happi:]
> 何の違いもない訳だが。
そう、何の違いも無いはずなのだ。
ところが日本人は、漢語とカタカナ語にたいして違う態度をとっている。
「幸福」のローマ字表記は[ko:ɸuku]に従って「kōfuku」とするのが一般でも、
「ハッピー」のローマ字表記は[happi:]に従って「happī」とはならず、英語の[hæpi]に従って英語表記のまま「happy」となる。
もっとわかりやすい例を挙げよう。
「肉体改造」は「nikutai kaizō」となっても、
「ボディメンテナンス」は「bodī mentenansu」とはならずに「body maintenance」と表記されてしまっているのが常である。
漢語のローマ字表記に関しては日本語話者のものとしておきながら、
カタカナ語のそれに関しては英語話者のものとしているわけ。
この点で、漢語が既に日本語化された日本語の素材である一方で、カタカナ語がいまだに日本語の構成要素と化しきれていないことがわかるだろう。
和語と漢語は今となっては日本語の正規の語根だが、カタカナ語は違うのだ。
「プログラミング」はあいかわらず「programming」のままで、「puroguramingu」という一つの日本語として認識されるに至っていない。
なぜか?
日本人がカタカナ語を使うことの主な動機の一つはあくまで「英語っぽさを演出すること」。
「幸福/kōfuku」のように音声表記までをも日本語化してしまえば、せっかくの英語っぽさを失うことになるのだ。
カタカナ語を使いまわす人は、日本語の語根のためにとかなんとかって考えながら用いてるんじゃなくて、
単に英語酔いしてふらふらしている自らの感覚を日本語環境において反映させているだけだ。
彼らはカタカナ語を日本語のために使っているのではなく自らの英語酔いを満たすために使っている。
>>164 分かってないなあw
「幸福」は本来2音節語なんだよ。[ghɛŋ pïuk]だ。
漢字は普通1文字1音節だからな。
それを「 こ お ふ く 」などと、4倍の4拍で読むのは日本人だけ。
だが、「個於布句」などと書かずに、「幸福」と中国式に2文字で書く。
かな文字で書く時は「こうふく(現代仮名遣い)」だが、漢字では「幸福」のままだ。
かな文字では「ハッピー」だが、ラテン文字ではHappyのまま。
まったく同じじゃないか。
そういえば岩波文庫から出てるショペン・ハウアーの "読書についてっていう本の中の、著作と文体の篇ところで、 当時のドイツ人による無思慮なドイツ語破壊についての憤りが書かれてるよ。 それ読んでると今の日本人とそう変わらないから面白い。
168 :
れげらま :2007/06/27(水) 00:53:53 0
>>161 言語学版には、どうも言語と民族性との間に必要以上に厚い壁を置いている人が多いような気がするのです。
僕としては、ここで日本語に興味のある人達の議論に社会学的な視座を導入することで現代日本語とその話者の全文化的な関係にまつわる理解を一緒に培ってゆくつもりで
これまで投稿を続けてきました。
なにせ日本最大、世界最大の掲示板ですから、それぐらい建設的なことができるんじゃないかと。
思い過ごしだったようです。
2ちゃんねるで難しいのは、名札(コテハン)を持たないで議題にかぎらずごく小さな点にまで反発を執拗に繰り返す人達への対応で、
これによって議論の趣旨があっというまに錯綜してしまうのです。
また、板自体が発音記号や外国語文字の直接入力に対応していないのも面倒なことです。
なにより疲れるのです。
2ちゃんねるは真面目な議論には向かないようです。ヤフー掲示板の方がましです。
このままこの板で投稿を続けることはありません。
169 :
れげらま :2007/06/27(水) 00:56:03 0
>>163 > 日本語だから英語圏で通用する必要はない
本機に記入してある「family computer」は、英語だろうか、日本語だろうか・・・
そのとおり。 所詮2chではマトモな議論なんて出来ませんよ。 言語板なのに伊58みたいな 嫌韓厨だってたくさん張り付いてるんだから。
171 :
れげらま :2007/06/27(水) 01:14:59 0
>>165 > かな文字で書く時は「こうふく(現代仮名遣い)」だが、漢字では「幸福」のままだ。
> かな文字では「ハッピー」だが、ラテン文字ではHappyのまま。
> まったく同じじゃないか。
つまり、ラテン文字が、漢字に相当する日本語の文字として機能するということ?
にくたいかいぞう(日本語文字:仮名) 肉体改造(日本語文字:漢字)
ボディメンテナンス(日本語文字:仮名) body maintenance(日本語文字:ラテン文字)
こういうことか?
172 :
れげらま :2007/06/27(水) 01:38:48 0
>>166 > そういえば岩波文庫から出てるショペン・ハウアーの
> "読書についてっていう本の中の、著作と文体の篇ところで、
> 当時のドイツ人による無思慮なドイツ語破壊についての憤りが書かれてるよ。
> それ読んでると今の日本人とそう変わらないから面白い。
少なくともハイデガーは思慮的にドイツ語を破壊した。
だから「Dasein」という有意義なドイツ語が生まれた。
日本人による日本語破壊は、単に日本語を無意義化するものであることが多い。
現代の新しい概念について日本語は日本人自身によって有意義ではなくされている。
アプリケーション、インストール、セットアップ、ネットワーク、ツール、オプション、デバイス・・・
これだけの量の概念にたいして従来の日本語が役に立たず、外来語を使うはめになるのがわかっているのなら、
もうさっさと英語を第2公用語にしたほうがいい。
もっとも僕は従来の日本語が役立たずだとは思わない。
日本人が単に使いたがらないだけ。
その通り。 「肉体改造」と漢字で書いてもいいし、「にくたいかいぞう」と ひらがなで書いてもよい。 いずれにしても、発音は現代中国語式ではなくて日本式に nikutaikaizo: と読む。 全く同様に: body maintenanceとラテン文字で書いてもいいし、「ボディメンテナンス」と カタカナで書いてもよい。 いずれにしても、発音は英語式ではなくて日本式に bodi: mentenansu と読む。 両者は全く同じこと。我々は漢字を読むときに中国語の声調など全く無視するし、 音節末の-p, -k, -t -ngなども好き勝手に母音を加えたりして、日本語式に発音している。 同じことを英語由来のカタカナ語でやって、一体何が悪い?
174 :
XYZ :2007/06/27(水) 02:23:36 0
>>168 返答ありがとうございました。
> 2ちゃんねるで難しいのは、名札(コテハン)を持たないで議題にかぎらずごく小さな点にまで反発を執拗に繰り返す人達への対応で、
> これによって議論の趣旨があっというまに錯綜してしまうのです。
確かにそうですよね。わたしもあちらで議論を見たり実際に自分も参加したりしていますと、
そういったもので話が錯綜したりまたは不毛な誹謗中傷合戦になったりで、せっかくの
議論が埋没してしまう事が多々あり、度々空しさを感じています…。
これはあなたが憂慮するその現代日本人の言語に対する感覚に、相通ずるものがあると
わたしは思います。恐らく投稿者の多くはまだ若年の人々なのでしょうが、わたしの観ます
ところでは、これは年齢が若くなればなるほど、また日を追うごとに、ますますこういった
傾向を強めていっている事でしょう…。残念な事ですがね。
ここは言語学板ですから、わたしも文化や風土一般の事に対する投稿で皆さんの邪魔には
なりたくありませんので、これ以上の分野外からの意見は避けるべきでしょうか…。
あなたとは違った場所で議論してみたっかったものです。 それでは。
余談ですが
>>49 と
>>158 の「機敏」は、「機微」ではないでしょうか…?
>160さんの指摘する「難癖を持つ」は、文脈から特に誤った用法にはならないと、
わたしは思います。
175 :
れげらま :2007/06/27(水) 02:32:17 0
>>173 > body maintenanceとラテン文字で書いてもいいし、「ボディメンテナンス」と
> カタカナで書いてもよい。
> いずれにしても、発音は英語式ではなくて日本式に
> bodi: mentenansu と読む。
> 両者は全く同じこと。我々は漢字を読むときに中国語の声調など全く無視するし、
> 音節末の-p, -k, -t -ngなども好き勝手に母音を加えたりして、日本語式に発音している。
> 同じことを英語由来のカタカナ語でやって、一体何が悪い?
するとさ、
「暑い時期に stamina up training をすると、体調を崩してしまう case が少なくない。」
は国語として通用するわけだよな。
176 :
れげらま :2007/06/27(水) 02:43:09 0
>>174 > 余談ですが
>>49 と
>>158 の「機敏」は、「機微」ではないでしょうか…?
そのとおり。
僕にも落ち着きが必要だということです。
>>172 和語は翻訳力が乏しい。漢字を使えば何とかなるだろうが、また同音異義語が増える。
結局、カタカナで受容するのがいちばんよい。日本人は君が思うより賢いよ。
カタカナ語は英語ではない。日本語だ。だから「インスト (ール/ルメント)」「ネ (ッ) トゲ (ーム)」のように、語源にとらわれず自由な省略ができる。
178 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/06/27(水) 03:02:36 0
スレ主の最初の数行の例示に対して一言す。 私は漢字熟語が表意文字によることが原因となって意味がわかったつもりになる弊害を強く主張します。 ですから表音文字たるかな文字かalphabetを使うことには大賛成です。 なんとなれば、両方の文字群で書くことばは欧米起源ですから 意味がそのままでわかる人はそれらの言語に強い人であり、 送でない非とは無教養者ですから辞書を引くことになります。 引かねば不利益を被ると気づけば引くようになります。 これは教養を高めることに寄与するはずです。 つまい。 文や単語(?)は目玉では理解できず、頭脳を使うべしということをわからせる良い技法である。 もっともっとカタカナ語とalohabet略語とを蔓延させて欲しいぞ、 役人度も。
179 :
れげらま :2007/06/27(水) 03:06:56 0
>>177 > カタカナ語は英語ではない。日本語だ。だから「インスト (ール/ルメント)」「ネ (ッ) トゲ (ーム)」のように、語源にとらわれず自由な省略ができる。
>>173 いわく、
「ネットゲーム」の代替表記は「netto gēmu」ではなく「net game」(日本語)だ。
「ネトゲ」は?
180 :
れげらま :2007/06/27(水) 03:33:22 0
>>178 > スレ主の最初の数行の例示に対して一言す。
> 私は漢字熟語が表意文字によることが原因となって意味がわかったつもりになる弊害を強く主張します。
> ですから表音文字たるかな文字かalphabetを使うことには大賛成です。
> なんとなれば、両方の文字群で書くことばは欧米起源ですから
> 意味がそのままでわかる人はそれらの言語に強い人であり、
> 送でない非とは無教養者ですから辞書を引くことになります。
> 引かねば不利益を被ると気づけば引くようになります。
> これは教養を高めることに寄与するはずです。
> つまい。
> 文や単語(?)は目玉では理解できず、頭脳を使うべしということをわからせる良い技法である。
> もっともっとカタカナ語とalohabet略語とを蔓延させて欲しいぞ、
> 役人度も。
おっしゃりたいことはわかる。
しかし、日本人や中国人にたいして「良」という黒線が持つ視覚効果と、
イギリス人やアメリカ人にたいして「good」という黒線が持つ視覚的効果とには、
実はそれほどの違いがない。
「good」は、横倒れになった「良」の字みたいなもので、
それを幼い頃から目にしていれば英語話者はそれを見かけるだけで「意味がわかったつもりになる」ほどの自然な反応を会得する。
英語話者が「I feel good.」を読むとき、彼は3つの表意文字列を目にしている。「I」と「feel」と「good」だ。
「頭脳を使うべし」とは言っても、それは、母国語ではない英語を外国語として学ぶ日本人がやることで、
英語話者にとっては「good」は目玉に飛び込むだけで意味を醸し出す文字列なのだ。
文や単語に関して頭脳を使おう、ということならば、
仮名表記・アルファベット表記ではなく外国語の学習そのものを推奨した方がよっぽど効果的だ。
言い換えれば、
外国語の学習をとくにせず、また母語による造語活動もしない人は、
言語にたいして慣性的に付き合っている、頭脳を使わない言語話者だということになる。
>>179 >
>>177 > > カタカナ語は英語ではない。日本語だ。だから「インスト (ール/ルメント)」「ネ (ッ) トゲ (ーム)」のように、語源にとらわれず自由な省略ができる。
>
>>173 いわく、
> 「ネットゲーム」の代替表記は「netto gēmu」ではなく「net game」(日本語)だ。
> 「ネトゲ」は?
netoge
182 :
れげらま :2007/06/27(水) 03:57:05 0
>>181 >
>>179 > >
>>177 > > > カタカナ語は英語ではない。日本語だ。だから「インスト (ール/ルメント)」「ネ (ッ) トゲ (ーム)」のように、語源にとらわれず自由な省略ができる。
> >
>>173 いわく、
> > 「ネットゲーム」の代替表記は「netto gēmu」ではなく「net game」(日本語)だ。
> > 「ネトゲ」は?
> netoge
するとさ、
「netoge」と「net game」(
>>173 いわく後者は日本語)
の間の文法的関係って、何なの?
「net game」はどういう仕掛で「netoge」に様変わりするの?
カタカナ語は英語の綴りどおりにアルファベット表記できる、と考えてる人に訊くよ。
日本語と英語のそうゆう無分別が、
日本語の文法にどれだけの混沌を持ち込むことになるか、わかってるの?
僕は、「ネットゲーム」は「netto gēmu」と認識されるべきだと考えている。
これによって、たとえ「ネトゲ/netoge」と省略しても、
ne(t)・to gē・mu
ne・to・ge
という比較から、何がどのように省略されているのかがそれなりに説明できるようになる。
(「net game」と「netoge」とではそのような比較ができない。)
あとはそれを文法として日本語に仕込めばいい。
(もっとも僕は、それをするぐらいなら仮名と漢字で新しい語彙を造ったほうが賢明だと思う。ただでさえ日本語は文法が複雑なのだ。)
183 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/06/27(水) 05:54:27 0
中国語の声調無視してるのは朝鮮語も同じ。 それに朝鮮語は中国語と無関係に漢字の有気、無気を発音している。
184 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/06/27(水) 11:06:46 O
アッー!
ラテン文字は英語が使っている文字ではあるけど中国語が使っている文字ではない(ピンインとか除く)から、 日本語の漢字語をラテン文字に置き換えるのと日本語の英語系カタカナ語をラテン文字に置き換えるのとを 同じ条件で比べるのは不公平だと思う。
186 :
れげらま :2007/06/27(水) 15:21:33 0
>>183 > 中国語の声調無視してるのは朝鮮語も同じ。
> それに朝鮮語は中国語と無関係に漢字の有気、無気を発音している。
たしか韓国語には、日本語の「アパート」の訛りみたいなのがあるよね。
英語の「apartment」のかわりに日本語のカタカナ語を取り入れたっていう。
187 :
れげらま :2007/06/27(水) 16:49:02 0
>>185 日本人が日本語社会で使っているものはみんな日本語だ、という意見(かならずしも僕の意見ではない)が正しければ、
漢字語も英語系カタカナ語も、ローマ字化するうえでは、
日本人が実際に発音しているとおりに、日本語の仮名に対応するローマ字表記を使うべき、ということになる。
「肉体改造」は「nikutai kaizō」、
「ボディメンテナンス」は「bodī mentenansu」、という具合に。
いやしくも、「body maintenance」は日本語だ、なんて考えてはいけない。
日本語では、人は幼い頃から、開音節である仮名文字を基本に言葉の発音を学習する。
ローマ字を習うときでさえ、「B」は「ビー」、「BA」は「バ」、「BAB」は「バブ」として、子音を習いそこねる。
だから日本人は本来「ステーションシティ」を[sɯteːɕon ɕitʲiː]とし、[steɪʃn sɪti]としようものがない。
「ワンパターン」を[wan pataːn]とし、[wʌn pætn]としようものがない。
特別な事情が無いかぎり、日本人は後者の英語発音を自然に吸収しようものがない。
中学の英語の教科書でさえ、発音記号はおざなりに、カタカナ表記を中心としてしまっているぐらいなのだ。
もしこれからもカタカナ語の増殖を許し、それらを日本語の正規の語彙として定義してゆくのならば、
これからの日本語辞書は発音記号を採用する必要が出てくる。
それをしないことには、たとえば「ボタン」が「bota~o」なのか「button」なのか「botan」なのかが曖昧となる。
上着の「ボタン」は「bota~o」でも、電源の「ボタン」は「button」なのか、と。
ところで五十音図というのは、一見合理的に整っているようにみえて、実はそうではない。
たとえばカ行のすべてが共通の子音要素を表しているのにたいして、
サ行の「さ」「し」、タ行の「た」「ち」「つ」、ハ行の「は」「ひ」「ふ」などは、同じ行の中にあって子音がどれも異なる。
そしてそこには発音記号というものがいまだ無いため、多くの日本人はこのことに気づかないまま育つ。
おまけに「し」はローマ字で「si」と表記するというふうにも習うので、
本物の英語に出会わないかぎり「シティ」を必然的に[ɕitʲiː]と発して[sɪti]とは解さないようになる。
188 :
れげらま :2007/06/27(水) 18:15:09 0
日本の雑誌には、「tip」とか「comment」とか「column」とかいう陳述欄がよくある。
これらは英語なのか、それともカタカナ語なのか?
カタカナ語は英語の綴りのまま表記してもいい(
>>173 )、というのが本当であれば、
これらの文字列は英語でもあるしカタカナ語でもある、ということになる。
ちょうど、英語とフランス語における「table」みたいなものだ。
ただし英語とフランス語とでは発音が異なり、辞書の中では発音記号を用いることでお互いの語彙を区別し合っている。
日本語では発音記号というものが使われない(使った方がいいのだが、日本人はそれを習いたがらない)うえに、
カタカナ英語の発音は本来の英語のものと同じだとする人(
>>123 )さえいる。
そこでカタカナ(あるいはアルファベットによるその忠実な代替表記)のみが、「tip」といった英語から日本語の中の外来語を区別できるものとなる。
言い換えれば、日本語文字に根ざした表記体系を使わないことには、英語本来の綴りをあしらった日本語名称について混乱が起きてくる。
その例が
ttp://www.tokyostationcity.com/ にある「Tokyo Station City とは」という表現だ。
そちらが英語表記であるのにたいして、右隣の「イベント情報」はカタカナ表記だ。「東京ステーションシティ」の併用もまたみられる。
この点で、英語における外来語と日本語における外来語がそれぞれの話者によってどのように違った扱いをされているのかがわかるだろう。
そして先に挙げたカタカナの特性から、
「Tokyo Station City」よりも「東京ステーションシティ」の方が当の外来語を日本語として設定する力がある。
むしろ前者は自らを日本語たらしめるところの説得力を何一つ持っていない。
以上のことから、日本語話者が外来語を英語の綴りで表記するというのは、
言語学上の危険性を負ったうえでの、単純に感覚的な好みによった行為となる。
ではいったい何を好んでいるのか?
英語っぽさ、である。
「tip」「comment」「column」とかいう表記は、単に使い手が英語っぽさを演出したくて出たものにほかならない。
日本語を使っているんだということをあらわにするなんてのは彼らにはどうでもいいことなのだ。
日本語にもっと豊かな語根を、とか、そんなのは彼らにとってはどうでもいいことなのだ。
スレぜんぜん読んでないけど、 「ケータイ」という英語じゃない言葉が定着したのは けっこう奇跡的なんじゃね?
190 :
れげらま :2007/06/27(水) 18:36:40 0
「峠でプロが教えるWebデザイン入門編」 この表現は、日本語がどれだけ煩雑なものとなりうるかを顕わしている。 「Web」は外来語の英語綴り、「デザイン」は外来語のカタカナ表記、「入門編」は漢語の複合語、 「峠」は和製の漢字(国字)、「プロ」は外来語のカタカナ表記の省略形、そして「教える」は和語と漢字の組み合わせ。 カタカナ語の流用にたいする注意を僕が呼びかけているのは、 日本語のこうした錯綜・複雑さを少しでも解消しようと願ってのことでもある。
191 :
れげらま :2007/06/27(水) 18:49:17 0
>>189 > 「ケータイ」という英語じゃない言葉が定着したのは
> けっこう奇跡的なんじゃね?
そうだね。
「セルフォ」だったかもしれないし、「モバ」だったかもしれない。
英語で表記されたものをカタカナ英語で読む事に関してだが、 これは日本人としては普通のことだし、そんな悪い事とは思えないんだが。
193 :
れげらま :2007/06/27(水) 22:17:05 0
>>192 > 英語で表記されたものをカタカナ英語で読む事に関してだが、
> これは日本人としては普通のことだし、そんな悪い事とは思えないんだが。
僕の手元に、
村上春樹訳の『The Catcher in the Rye キャッチャー・イン・ザ・ライ』と題された本がある。
(過去の訳では『危険な年齢』『ライ麦畑でつかまえて』『ライ麦畑の捕手』という題がつけられていた。)
この「キャッチャー・イン・ザ・ライ」というカタカナ表記はいったい何のためについているのだろう。
「The Catcher in the Rye」を読めない日本人のためだろうか。頭の「The」はどこへ行ってしまったのだろう。
これが、日本語版の、日本語話者のための題なのだろうか。
するとその隣の英語表記はいったい何のためについているのだろう。
一方で、春樹の『ノルウェイの森』の英訳版には『Norwegian Wood』という題がつけられていて、日本語表記は無い。
当然といえば当然だ。英語話者が読んで自然に理解できるのは英語であって日本語ではないのだから。
もう一度『The Catcher in the Rye キャッチャー・イン・ザ・ライ』をみてみる。
たしかにこういうものは日本人にとっては「普通」のことかもしれない。
けれども、一般の日本語話者はこの文字列を本当に「自然」に理解できるのだろうか?
アルファベットやカタカナに囲まれた生活が普通となっていることでこういう外国語を盲目的にもわかったつもりでいる、
ということはないだろうか?
194 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/06/27(水) 22:25:10 0
れげらまの国粋主義は私にはどうでもいいのだが、それとは別に私がつねづね思っていることがある。 日本中に存在する、全ての書かれた文字のうち、英語やフランス語などで書かれたものは そのまま手をつけずに残し、日本語で書かれたものは全て、ヒエログリフで書かれた 古代エジプト語に書き換えてしまう。 そういう架空の日本にあなたが旅行者としてやって来たとする。あなたが手に取った雑誌はこんな感じだ。 ●の部分はヒエログリフなので、あなたにはチンプンカンプンだ。 Welcome to the ISHiMARU world ISHiMaru DASH 5 May 2007 C・O・N・T・E・N・T・S 4 DVD●●:GW●●●●●●!! TV●●●●●●● 6 DVD●●:●●●●●●●●●DVD●●●●●●●● 8-12 ISHiMARU SOFT ●●●●●●●●DVD●●●●●● 『●●●●●』『●●●●●●』『●●●●●2』『●●●●<CHAOS>』 13-17 ISHiMARU SOFT●●●●●●●●●●DVD●● 『●●●●●Rainbow Song』『Dr.●●●●●●2006●●●●●●DVD-BOX』 18-21 ISHiMARU SOFT●●●●●●●●DVD●●● 『GUNDAM EVOLVE PLUS』『●●●NARUTO●●●●!●●●(●●●)●●●!』 28 ●●●●CD information 50 Preview-1:●●●●/●●●●!! ●●●●●●●●♂●●●●! 52 Preview-2:●●●●/PRIME〜●●●●●●●●● 66 ●●●●●●『●●●Q&A』 あなたにとって、この雑誌はところどころ解読できる部分があるにせよ、全体としては 何の役にも立たない。かといって、対応する英訳版があるわけでもないから、 あなたがこの電器店で売られている音楽・ビデオソフトについて知る手段はないのだ。 これが、外国人から見た現実の日本だ。
196 :
れげらま :2007/06/27(水) 22:57:51 0
>>194 >
>>193 > で、だめな理由がないけど
良いか駄目かというよりも、
やるかやらないかの問題だから。日本語を使うか使わないか、外国語に頼るか頼らないか。
善悪というより、意識の問題。
日本語を使わなくたっていい、外国語に頼りまくったっていい、だめな理由はない、と言ってしまえば、
中国語や朝鮮語もどんどん入ってきてもいい、という論理につながるが、それでもいいの?
ところで、「The Catcher in the Rye」の「The」はどこへ行ったのさ。
197 :
れげらま :2007/06/27(水) 23:15:14 0
>>195 > れげらまの国粋主義は私にはどうでもいいのだが、
僕が国粋主義者なら、イギリス人と音楽を作ってなんかいないよ。
> あなたにとって、この雑誌はところどころ解読できる部分があるにせよ、全体としては何の役にも立たない。
> かといって、対応する英訳版があるわけでもないから、
> あなたがこの電器店で売られている音楽・ビデオソフトについて知る手段はないのだ。
> これが、外国人から見た現実の日本だ。
そして、
その架空の日本における僕、および現実の日本における外国人は、
自分が探している商品について店員に尋ねる。
しかし店員には英語が通じず、行き詰まり状態・・・
僕達は思った:
(これだけの外来語&アルファベットを使っていながら、英語ができねえのかよ!)
今度は逆に、日本語の部分はそのまま残し、英語・英語由来のカタカナ語で書かれた部分を 全て未知の言語に書き換えてしまう。あなたが手に取った雑誌はこんな感じだ。 Kivaata 'n ISHiMARU gherjawa ISHiMARU FIBED 5 Hulut 2007 オリコンシュムナ協力店 I・N・E・X・A・L・S 4 GJP特集:AZに見よう!SVミオフタ特集 6 GJP特集:団塊世代にオススメのGJPフグブ特集 8-12 ISHiMARU HUGBU今月のオススメGJP洋画 『硫黄島からの手紙』『父親たちの星条旗』『オウスジャンデ2』『フィアド<FIAD>』 13-17 ISHiMARU HUGBU今月のオススメGJP邦画 『虹の女神Pilvutan Sagra』『Hz.コトー診療所2006マディヴォサンガノトールGJP-Senam』 18-21 ISHiMARU HUGBU今月のオススメGJPテグンナ 『GUNDAM BOCHEXEL HOGRO』『劇場版NARUTO-ナルト大興奮!みかづき島のラタユリ騒動(ジョネム)だってばよ』 28 今月のTP oplesegwi 50 Prukatim-1:時東ぁみ/ヌアササリア発売!!今回ももちろん、つんく♂ヴァナメルド!! 52 Prukatim-2:今月の表紙/JUNHA〜最高にカッコイイ、キヴァン・ラッダ・タンシ・アインド 66 便利な各種テネステ『石丸テネステS&V』 まったく、現実の日本からこんな架空の日本に紛れ込んでしまったら、ため息を付くしかないだろう。
199 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/06/27(水) 23:47:23 0
>>197 壱千五百年以上支那語とシナモジをつかっても
支那語はさらにできないわけだけど?
>>れげらま ああ、あなたはあの人ですね。
201 :
れげらま :2007/06/27(水) 23:59:35 0
言っておくよ。 僕は国粋主義者でもないし、外国語を根本から排斥する者でもない。 あくまで母語と外国語とを平等に扱おう、ということを訴えている。 日本語のこれまでの発展過程で既にいくらかの外来語が定着したのはまあ大目にみて、 せめてこれからの時代、日本語は日本語として、英語は英語として話そう。 むしろ今がこういう時代だからこそ、英語を英語として学習することの意義があるわけだ。 外国語を半端に日本語に取り入れたって、結局みんな、外国語を話せずじまいじゃないか。 むしろそれによって、みんな、よけいに外国語が音痴になってるじゃないか。 僕が主張するのはけっして複雑なことではない。 日本語と英語とを使い分けること、それだけだ。 「コンピュータ」を用いるにあたって「プログラム」とか「ファイル」とか「コントロールパネル」とか「ネットワーク」とか「メニュー」とか「プロパティ」とか「ヘルプ」とかを どうせ使うことがわかっているのなら、 初めから英語を使ったらどうなんだ。 僕の経験からすれば、英語を日本語から切り離して使えば使うほど、日本語にたいする思い入れが深まることになった。 特別な「世話」をされなければならないほど日本語が言語としてどれだけ衰弱してしまっているのかがわかるようになった。 「中」で奔放にやっている日本人にはわからない。自分達がどれだけ骨の無いクラゲのような話者だということを。 奔放にやっていたっていい。日本語をどれだけ嫌っていようが、だめなことはない。ただ、情けない。
202 :
れげらま :2007/06/28(木) 00:03:54 0
>>198 > 今度は逆に、日本語の部分はそのまま残し、英語・英語由来のカタカナ語で書かれた部分を
> 全て未知の言語に書き換えてしまう。あなたが手に取った雑誌はこんな感じだ。
> […]
> まったく、現実の日本からこんな架空の日本に紛れ込んでしまったら、ため息を付くしかないだろう。
なぜなら、書き換えた言葉は日本語ではないから。あたりまえだよ。
203 :
れげらま :2007/06/28(木) 00:05:36 0
>>199 >
>>197 > 壱千五百年以上支那語とシナモジをつかっても
> 支那語はさらにできないわけだけど?
支那語だけでなく、英語もできない。
204 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/06/28(木) 00:15:42 0
>>203 あたりまえでしょ、外国語なんだから
なぜ、シナ語、シナ文字については言わないのに
英語についてだけいうの?
ただのお前の欧米コンプレックスを押し付けるなよ
205 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/06/28(木) 00:16:15 0
We are now using computers to take part in this debate. If we can't avoid speaking of programs, files, control panels, networks, menus, properties and help documents whenever we use computers, why not use English here? Try now!
ああ、やっぱりあなたですね。 会えてよかったです。 質問があります。 英語を英語として話すということは 実際にどうすることをおっしゃっているのですか。 「プログラム」を漢訳または和訳した言葉を使用するのか、 「program」として完全に英語として扱うのか、 はたまたまったく違う意味なのか。 教えてください。
日本の国粋主義は欧米コンプレックス、アジア蔑視と表裏一体だからね。
208 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/06/28(木) 00:42:35 0
国粋主義でもなんでもないよ ただの欧米コンプ
209 :
れげらま :2007/06/28(木) 00:55:10 0
>>204 >
>>203 > あたりまえでしょ、外国語なんだから
> なぜ、シナ語、シナ文字については言わないのに
> 英語についてだけいうの?
> ただのお前の欧米コンプレックスを押し付けるなよ
漢語がもはや日本語化されたものであることは既に言ったよね(
>>164 )。
カタカナ英語は(日本人による実際の発音をのぞいて)まだ日本語化されていない。
英語そのものをただアルファベットで書いたりカタカナで書いたりしているだけ。
カタカナ英語が日本語化するというのは、
「コンプレックス」のローマ字表記が「konpurekkusu」になる、ということ。
ちょうど「幸福」が「kōfuku」となったように。
漢語よりもカタカナ英語について僕がうるさく当たっているのは、そういうことによる。
日本人がカタカナ英語を完全に日本語化したくないのは、「英語っぽさ」を維持したいから。
そもそもこの英語っぽさを演出するがためだけに現代のカタカナ英語の大半は存在しているといえる。
「せわ」とか「管理」という言葉が既にありながら、英語っぽさを求めて「マネジメント」が振り回されたりする。
そしてこれを日本語環境の中でローマ字化するときには「management」となって英語に返り咲く。
言ってみれば、母ちゃん(本場の英語)に臍の緒が繋がったままの赤ん坊に、
おしろいを塗ったくったり、青い‘カラコン’をはめつけたりしているようなものだ。
言語にたいするそういう無頓着で横暴な日本人の習慣に、僕は言及している。
‘欧米コンプレックス’を持っているのは一般の日本人自身だ。
そしてそれを自分の子供に押し付ける親も少なくない(髪の色を変えたり顔を整形させたりするアレだよ)。
日本人としての精神がそんなふうにガランドウだから、日本語話者としても骨抜きとなる。
211 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/06/28(木) 01:33:19 0
>>137 >イドというのがあるな
イドは英語系(というかゲルマン語系)語根をより排除する方向だから、
>>136 がいう英語ベースからはますます離れてしまうよ。
結局日本人は西洋文明に吸収されてしまうんだよ。 軍事的にも精神的にも隷属しているし、まったく嘆かわしいね。
213 :
れげらま :2007/06/28(木) 01:55:29 0
>>206 カタカナ語を含む「東京ステーションシティ」という言葉を日本語環境内で「Tokyo Station City」と表記するようなことが日本人にとってはさほど異常ではないことから、
「プログラム」を日本語環境内で「program/programme」と表記することにも支障は無いはず。
(支障があるとすれば、なぜ「Tokyo Station City」や「music」や「tip」が許されて「program」は駄目なのか、という矛盾が出てきます。)
まずは外来語をそのようにカタカナからアルファベットに代替表記します。
これらの言葉にたいして、漢字や平仮名からなる日本語を当て直すかどうかは後回しにして、
カタカナ英語の起源である本場の英語を使う(つまり英語環境というものをつくり出す)ようにします。
これによって、コンピュータやビジネスやスポーツや音楽などにまつわる現代の概念を扱った英語圏の文章は、
その中の語句をわざわざカタカナに訳すまでもなく、またそれによって本来の文脈から乖離させることもなく、そのままの形と質で受容できるようになります。
やがて、それまでカタカナ語として使っていた言葉の「本当の文脈的語感」のようなものにたいする理解が深まるようにもなります。
ここで、適当な機会があった際に、日本語における「program」といった特定の外来の文字列について、本来の文脈に合致するような日本語表現を模索します。
(実はこれは結構おもしろい作業だと僕は思うのです。)
いったん英語を使うようになれば、もう、
「重要な概念は翻訳せず他の汎用的な部分だけ日本語にする」という現行の‘虚しい’日本語訳文章を求めずに済むうえ、
本場の解釈・説明・報告に直に触れることになるため、英語圏(しいては国際世界)と日本人との間の‘情報の浸透性’が格段に向上することになります。
一般の日本人が(日本語に加えて)英語を話すようになることの利点を考えればきりがありません。
(そしてなによりこのことは日本人のみならず日本人と付き合うあらゆる人達にも共有される恩恵となるでしょう。)
この場合、次の世代の日本人はさらに自然な英語話者となりますが、英語が当たり前のものであるため、先人の英語かぶれな日本語をみてこう思うでしょう:
「やれやれ、じいちゃん達は気でもふれていたんだろうか。せっかくの日本語文章がぶち壊しじゃないか。」
214 :
206 :2007/06/28(木) 02:11:06 0
ありがとうございました。 なるほどそういう意味だったのですね。 私は日本の現状では、そして将来的にもそのような活動は 日本語の息を止めることになるのではないだろうかと危惧します。 日本語が日本人に嫌われている以上、 次世代の日本人が英語に精通すればするほど、 日本語に対する英語の割合が高まるだけでしょう。 ひいては英語しか使わなくなるでしょう。 そのような世界では日本語を使用する意味が見いだせないからです。 私は逆に英語は漢訳すべきだと考えています。 そのことによってもう一度日本語を建て直すことを望んでいます。
215 :
れげらま :2007/06/28(木) 02:34:06 0
外来語すべてではないにせよ、奔放に振り回されるカタカナ英語はとくに、癌、にたとえることができるでしょう。
癌というのは、体外から入った毒素を肝臓などの器官が処理しきれなかったとき、
体中に毒素が散るのを防ぐべくこれを一箇所に溜め込むことなどから生まれるものです。
癌は自らをあたかも体本来の細胞であるかのようにまわりをだましながら、増殖します。
(僕は英語を本質的に有害であるとはまったく思っていませんが)英語が外からやってくるとき、
日本人はこれを日本語では処理しきれずに(あるいは処理しようとせずに)これをカタカナ語という枠の中に押しやります。
いったんカタカナ語としての外見を得ると、この文字列は、
あたかも日本語の語彙であるかのように日本人の口元手元で振る舞いながら増殖してゆきます。
また、「アフターレコーディング」が「アフレコ」となるように、数々の変異形も生まれます。
このあいだ挙げた「峠でプロが教えるWebデザイン入門編」(
>>190 )という表現は、なんというか、
映画『AKIRA』で鉄雄君が変異した化け物を思い起こさせるところがなくもありません。
このとき、「英語を使える能力」というワクチンを日本人が持っているとどうでしょうか。
やってくる英語・英文は、日本人という名の体でちゃんと消化・処理され、
これを日本語の中に吐き溜める必要がなくなります。
日本語は傷められることなく、日本人の中で英語と共存することになります。
ちょうどひとりのスイス人の中でフランス語とドイツ語とイタリア語が共存できるように。
216 :
れげらま :2007/06/28(木) 02:44:44 0
>>214 > 私は日本の現状では、そして将来的にもそのような活動は
> 日本語の息を止めることになるのではないだろうかと危惧します。
> 日本語が日本人に嫌われている以上、
> 次世代の日本人が英語に精通すればするほど、
> 日本語に対する英語の割合が高まるだけでしょう。
> ひいては英語しか使わなくなるでしょう。
> そのような世界では日本語を使用する意味が見いだせないからです。
> 私は逆に英語は漢訳すべきだと考えています。
> そのことによってもう一度日本語を建て直すことを望んでいます。
日本語内の漢字を使うということであれば、もちろん漢訳も適切な処方の一つに含まれるでしょう。
ただ、このスレにおけるこれまでの経緯からすると、どうも、
漢語にたいして過敏に反発してきては「おまえシナ人だろ」と言ってやまない人がどこかに隠れ続けていそうなので、
あなたへの返信の中ではことさらに取り上げなかったのです。
217 :
206 :2007/06/28(木) 02:52:16 0
>>216 このスレを通読していないのでそれは存じ上げませんでしたが
わたしは西洋語の処理に必要なのはワクチンとしての英語ではなく
漢語による造語能力だと思っています。
事実近代化初期の日本人は体系的な西洋の学術語を漢語に訳しました。
これらの術語が一般化した後には母国語での高等教育が可能となったのです。
現代でも大学の授業を英語やフランス語でしかできない国は珍しくないと聞きます。
もちろんわたしも英語が本質的に有害なものと見なしているわけではありません。
しかしこのままでは英語は日本語を駆逐していくことでしょう。
218 :
れげらま :2007/06/28(木) 03:23:33 0
>>217 > わたしは西洋語の処理に必要なのはワクチンとしての英語ではなく
> 漢語による造語能力だと思っています。
> 事実近代化初期の日本人は体系的な西洋の学術語を漢語に訳しました。
> これらの術語が一般化した後には母国語での高等教育が可能となったのです。
> 現代でも大学の授業を英語やフランス語でしかできない国は珍しくないと聞きます。
> もちろんわたしも英語が本質的に有害なものと見なしているわけではありません。
> しかしこのままでは英語は日本語を駆逐していくことでしょう。
造語能力を高めた後の問題として、
英語を使いたいという日本人の一般的な欲がはたしてちゃんと消化されるだろうか、
ということが考えられます。
日本人の西洋志向というのはかなり根深いものであり、
言語のみならず衣食住や音楽といった面でもかなりの影響を受けています。
日本人がカタカナ英語を大量に使い回しているのは、
「漢字や平仮名でどうやって表現すればいいか、どういう言葉を造ればいいかがわからない」ということのほかにも、
単に英語の方に粋なものを感じる、という感覚が関わっているのだと僕は考えています。
>>115 自然に退廃も進化もあるのかね・・・。
だからさ、そんなに気になるなら「日本語をきちんと使う会」とか
「日本語翻訳キャンペーン」とか、始めて、盛り上げればいいんでないの?
れげらま氏の感情は、否定される物ではないけど
風土や文化や、自然の流れに対して、制御しようとしても、無理でしょう。
>カタカナ英語が日本語化するというのは、 >「コンプレックス」のローマ字表記が「konpurekkusu」になる、ということ。 >ちょうど「幸福」が「kōfuku」となったように。 そもそも漢字は音を表すものではなく意味を表すものであって、漢字語がそれぞれの言語に 導入されたのなら、その語はそれぞれの言語の漢字音で読んでいいはずだ。 これを象徴するのが、中国人は日本人の名前を中国語の漢字音で読むし、 韓国人の名前も中国語の漢字音で読むことだ。そして日本人も中国人の名前を日本語の 漢字音で読む。(かつては漢字文化圏だった朝鮮やベトナムとの間にも同じ関係があった。) だから、「安部晋三」「小泉純一郎」は日本語では「Abe Shinzō」「Koizumi Jun'ichirō」だが 中国語では「Ānbù Jìnsān」「Xiǎoquán Chúnyīláng」となり、 「胡錦濤」「温家宝」は中国語では「Hú Jǐntāo」「Wēn Ji¯bǎo」だが 日本語では「Ko Kintō」「On Kahō」となる。「幸福」も、日本語で読むなら「kōfuku」となり、 中国語で読むなら「xìngfú」となる。これは、各言語の発音を便宜的にローマ字に変換したもので、 発音記号的なものだ。「table」が英語では[teɪbɫ]であり、フランス語が[tabl]となるのと同じだ。 つまり、漢字語のローマ字表記は発音記号的なもので、本質的なものではない。漢字を借りる時も字を借りるだけで 音を借りるわけではない。「肉体改造」を「ròutǐgǎizào」だとか「routigaizao」とはしないだろう。
しかし、「ハッピー」や「ボディメンテナンス」「プログラミング」は、それぞれ「happy」「body maintenance」「programming」の 明らかな音写だ。日本語の音韻体系に合うようにかなり変形されてはいるが、明らかに音写だ。 しかも、それをもう一度ローマ字に変換するということは、移入元の英語が使っているラテンアルファベットに再変換 するということである。元の英語が使っている文字に変換するのだから、英語自体(の綴り)に戻すという考えが出てきてもおかしくはない。 一方、漢字語をローマ字にするときは、ローマ字は発音記号の便宜的代替という程度の意味合いしかないし、ローマ字 (ラテンアルファベット)は中国語が本来使う文字体系でもない。日本語のローマ字と中国語のピンインも全然違う体系だ。 この2つを一緒に語るのはおかしいというか不公平ではないだろうか。
222 :
XYZ :2007/06/28(木) 05:16:53 0
だんだんとそれぞれにお人柄が見えてきましたね…。
再びですが失礼します。
げれらまさん、お気持ちはわかりますがちょっと行き過ぎでしょう。
「癌」の例は、わたしはある意味間違ってはいないと思いますが、それは最近
氾濫している「カタカナ英語」だけに当てはまるものではありません。しかも
「カタカナ語」それ自体に悪性があるわけではないでしょう。むしろ、これは
表音文字として漢語には無い、日本語の好い部分でしょう。
問題はその使い方でしょうね…。
げれらまさんの
>>213 の意見の方は、現在のシンガポールのような国が例となりますで
しょうか…。ですが、わたしはむしろ
>>214 の意見の方に賛成です。その方が“個性的”
でありますと共に、この日本という国に生まれ育つ人々にとっては圧倒的に“現実的”
な方法でしょう。わたしは国際社会では、むしろこの“個性的”である事の方が
世界の人々には魅力的に感じられる事と思います。
そして“現実的”といいますのは、そうしたアルファベット表記に老若男女皆が
慣れる為には全世代的な教育と学習が必要ですし、また英語以外が由来で現在一般に
普及している「カタカナ語」も、全て英訳で国民が理解するにはとても労力が
かかるでしょう。何しろここは‘日本’ですから、現在の日本における‘日本人の生活’
を抜きには考えられないですしね…。
それに>206さんの言うような漢訳、慣れていない人には結構面白いものですよ!(笑)
要は、やはり“使い方”でしょう。最近、粋がって話す相手や立場を考えずに
やたらとカタカナ語を連発する人が多いですが、そうではなく、たとえカタカナ語が
必要になる場面が出て来ましても、状況を考慮しながら徐々に普及させていけば
好いのではないでしょうか…?
そして英語に対する理解は、それを「習得しよう」または「したい」と思う“意志”が
全てでして、わたしはどのような小手先の方法を講じたとしましても、真に英語を
身につけたそうした国際化に対応した真の“国際人”に成る、という事は出来ない
と思います。
223 :
XYZ :2007/06/28(木) 06:33:22 0
そうそう、カタカナ語についてもう一点付け加えますと、 わたしは将来的に英語を身につけるにしましても、現在日本にある所謂“和製英語” と呼ばれる原語の意味とはズレてしまったカタカナ語はなるべく使用せず、 それが普及するという事は避けるべきだと思います。 また、わたしは外国語をカタカナ表記にする場合におきましても、なるべく原語の 発音に沿った表記を使用するべきだとも思います。そうしますと“音”という意味に おきましても、将来的に外国語を学習または使用する際にも好ましい事でしょう。 わたしには、これらの事でしたら実際の日本人の生活という点におきましても、 特に支障にはならない事だと思われます。 またまた言語学とは直接関係のないレス、失礼しました…。(^^;
224 :
XYZ :2007/06/28(木) 06:48:26 0
>>223 「もう一点」→「もうひと言」、ですかね…。
とりあえず細かい訂正です。
>>213 > カタカナ語を含む「東京ステーションシティ」という言葉を日本語環境内で「Tokyo Station City」と表記するようなことが日本人にとってはさほど異常ではないことから、
> 「プログラム」を日本語環境内で「program/programme」と表記することにも支障は無いはず。
> (支障があるとすれば、なぜ「Tokyo Station City」や「music」や「tip」が許されて「program」は駄目なのか、という矛盾が出てきます。)
どういう場合にカナ表記で、どういう場合にラテン文字表記になるのか。
その使い分けに法則や傾向はないのか。
何の分析もせず「すべて同じでなければおかしい」とは
あまりにも軽薄だ。
226 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/06/28(木) 08:08:36 0
>>209 >>164 がなにもあってないんだけど
>漢語のローマ字表記に関しては日本語話者のものとしておきながら、
>カタカナ語のそれに関しては英語話者のものとしているわけ。
シナ語はシナ文字がもと
英語はアルファベットがもと
おとをいえば
>>165 になる
もとを変えないのは当たり前でしょ
227 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/06/28(木) 08:17:35 0
>>209 >‘欧米コンプレックス’を持っているのは一般の日本人自身だ。
ちがうね
君ほど強く持ってる人は居ないよ
>>220 >そもそも漢字は音を表すものではなく意味を表すものであって
アホですか?
>>223 和製漢語と和製英語に違いはないよ
和製漢語はいいというのに
和製英語はだめって
ただの欧米コンプでしょ
むしろ、その単語がないのなら英語圏にまで広める気で行かなきゃね
>>226 シナ語も音が基礎。
故にシナ語にも当て字が存在する。
たとえば「早」の変わりに「蚤」を当てるのは発音が同じだからだ。
公何不蚤(=早)告我。(史記)
>>227 air-con(aircon)とか、向こうに入っちゃったよね。
バイクのnakedも、最初は笑われていたらしいけど
これも広まった。
230 :
XYZ :2007/06/28(木) 09:05:12 0
>>227 わたしは「和製漢語がよい」とは、一言も言っていませんよ。
むしろ、わたしは漢字文化圏で同じ意味の言葉は同じ単語で統一したいくらいです。
> ただの欧米コンプでしょ
> むしろ、その単語がないのなら英語圏にまで広める気で行かなきゃね
これはわたしへのレスですか? それとも別の人へのものですか?
そして「その単語」とは、もしかしますと「和製英語」の事ですか?
それも「ない」とは…? ほとんどの場合は“ある”と思われますが…。
わたしにはそのレスの意味が、ちょっとよくわからないのですが…。
231 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/06/28(木) 09:10:23 0
232 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/06/28(木) 09:12:22 0
>>228 ゴメン
意見というか、当たり前のこととして
支那語、シナモジも音が基礎です
>>230 すみません
日本語ができないかただったのね
233 :
XYZ :2007/06/28(木) 09:24:03 0
>>232 毒は要りませんので解説を願います!
コテハンは無いですし、主語がないですからよくわかりません…。
234 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/06/28(木) 09:30:57 0
>>233 >わたしは「和製漢語がよい」とは、一言も言っていませんよ。
>むしろ、わたしは漢字文化圏で同じ意味の言葉は同じ単語で統一したいくらいです。
きみは和製漢語についてどうおもう?
そこから聞こう
235 :
XYZ :2007/06/28(木) 10:02:31 0
>>234 「どう思う」とは、和製漢語の何についてですか?
238 :
XYZ :2007/06/28(木) 10:37:24 0
>>234 それと、他の人と紛らわしくなりますので出来れば“コテハン”付けて下さい。
ここはID番号もありませんし。
239 :
206 :2007/06/28(木) 11:56:55 0
>>218 おっやるとおり日本人の無自覚な西洋志向は、
言語のみならず文化全般に見られる現象です。
そして日本人の思考・嗜好に原因があるということも
そのとおりだと思います。
ですからなおさら英語の流入に危機感をおぼえるのです。
>>227-228 例えば中国語の方言の間では随分違う漢字音の体系があり、音だけ聞けば全然違うが、
それを同じ字で表すことで同じ言語としての統一性を保っている。
漢字文化圏の人名を中国語では中国語式の漢字音で読み、中国語圏以外の漢字文化圏で
中国語圏の人名をその言語の漢字音で読んでも中国語圏の人が文句を言わないのも、
漢字は字が基であって音はある意味二の次だという表れ。ある言語、方言の枠内では
確かに音も重要だが、他の言語、方言と漢字語をやり取りするときは、音ではなく字が基礎となる。
「経済」という和製漢語を中国語が導入しても、「keizai」という読みをする漢字を探すのではなく、
「jīngjì」と読む「経済」を使う。
241 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/06/28(木) 16:25:52 0
>>240 中国語の方言には修飾語と被修飾語の順序が逆になるものが存在する。
北京語綴りはウェード式。
母豚
北京ではmu-chu muが母、chuが豚。
福州ではty-muo tyが猪,muoが母。
ひよこ
北京でhsiao-chi hsiaoが小,chiが鶏
広州でkai-tsai kaiが鶏,tsaiが仔または崽
242 :
れげらま :2007/06/28(木) 17:58:48 0
>>219 > 自然に退廃も進化もあるのかね・・・。
家は、放っておけば腐って廃屋となる。掃除をしていればそのかぎりではない。
昔の日本語を観てみる。語感・文字、ともに秩序がある。
今の日本語を観てみる。ひらがな、カタカナ、漢字、alphabet、そしてそれらの数々の省略形や複合形が入り乱れていて、語感・文字、ともに混沌としている。
このことを単純に‘多様性’と呼ぶ人もいるが、そこに文法的な基礎が無いかぎりこれは混沌でしかない。
たとえば表記に関して安定した運用が無い。一つの語を、ひらがなで書いたり、、カタカナで書いたり、漢字で書いたり、alphabetで書いたりする。
たとえば文字間に関して具体的な規則が無い。隙間(スペース)は挿まれたりなされなかったりする。
たとえば方向に関して明確な定義が無い。あるときは縦書きで、またあるときは横書きで綴ったりする。
これだけ‘なんでもあり’な言語は、地球上では日本語だけだ。
外来語を取り込んできたことがいくらあろうと、たとえば英語は英語としての品格を保ち続けている。それなりの手入れが行き届いている。
日本人は目や耳に印象的な言葉を奔放に使い回していて、自分の母語を一つの言語として育むことがない。
結果、日本語は「日本語ではない何か」に変異しつつある。
これすなわち、日本語が棄てられ、退廃し、別の言語の派生が許されているところの過程である。
> 風土や文化や、自然の流れに対して、制御しようとしても、無理でしょう。
世間というものを行動の単位としているような日本人にとっては、「無理」だとされるのもしかたない。
言い換えれば、世間が基準となっている日本だからこそ、言語話者個人という礎を日本語は失っているのだ。
「常識」といった圧力を使って全体を制御するよりも、個人個人が言語・文化に関してふらつきのない意識を自分で確立することのほうが大事。
まずはムラ化志向をやめて、物事の本質について個人単位で判断できる人間となることのほうが重要。
(そうでないことには、日本語が中心になったらなったでまたみんなムラ化し、全員右翼化してしまうかもしれない。)
日本人としての自分がカタカナ英語よりも日本語を使う、という努力なのだから、本来、べつにおかしいことではない。
243 :
206 :2007/06/28(木) 18:44:58 0
>>242 多分日本人は自分たちの使用する言語を
管理したり整備したりするという考え方が希薄なのでしょうね。
ですから雑草が伸び放題の空き地のようなことになってしまっている。
時々思い出したようになにかが審議されたりするけれど
それも場当たり的なものだったりします。
私は言語も国語としての体裁を維持するのなら、
ある程度手入れをしていかなければいけないように思います。
その初期段階として厳密な正書法のようなものを導入することもあっていいでしょうね。
いまある文化は、自然にできたものではなく、じつはだれかが作り出してきたのだ
ということを日本人はもっと理解すべきでしょう。
244 :
れげらま :2007/06/28(木) 19:00:51 0
>>220 > >カタカナ英語が日本語化するというのは、
> >「コンプレックス」のローマ字表記が「konpurekkusu」になる、ということ。
> >ちょうど「幸福」が「kōfuku」となったように。
> 漢字語のローマ字表記は発音記号的なもので、本質的なものではない。
> 漢字を借りる時も字を借りるだけで音を借りるわけではない。
> 「肉体改造」を「ròutǐgǎizào」だとか「routigaizao」とはしないだろう。
それなのに、「コンプレックス」は「complex」とされてしまうよね。
「コンプレックス/complex」が日本語であれば、「ネットゲーム/net game」も日本語、ということになる。
ここで質問だが、
「net game」という‘日本語’がどうやったら「netoge」になるのか、について、明瞭・実用的な解釈を供することはできるだろうか。
「o」はどこから来たのか、なぜ「o」であり「u」や「i」ではないのか、「ge」はなぜあるのか、「game」はなぜ消えたのか。
「net game」は「ネットゲーム」で、「ネットゲーム」が「ネトゲ」と省略され、「ネトゲ」は「netoge」だから・・・というまわりくどい説明は、ありだろうか。
言葉によっては一つの英語の綴りにたいして異なるカタカナ表記がなされる場合もある。このとき、上のような仕方では説明しきれなかったりする。
>>182 で述べたように、「ネットゲーム」を「netto gēmu」とすれば、事情は綺麗に整理される。
「netto gēmu」は開音節が単位になって「netoge」と省略される、と言えば済む。
そもそも、日本人がカタカナ英語の英語綴りを暗記しているなんてことは、漢語の中国語発音を知らないのと同様、非一般的なのだ。
一般の日本語話者としての日本人がまず知っているのは、日本語の常用漢字、ひらがな、そしてカタカナの発音なのだ。
どうして「コンプレックス」を「complex」と、「ステーションシティ」を「Station City」と書く必要があるのか。
しいては、なぜ、日本語の形態素体系には無い「コンプレックス」といった文字列を、日本語として規定しようがないのに、使おうとするのか。
「こう・ふく」はそれぞれ形態素として定着している。「コンプレックス」は違う。完全に外部のものだ。
頭を大文字で書くという表記も、完全に外部のものだ。
245 :
れげらま :2007/06/28(木) 19:39:34 0
>>221 >元の英語が使っている文字に変換するのだから、英語自体(の綴り)に戻すという考えが出てきてもおかしくはない。
日本語に入ったものは日本語だ、という話はどうなる?
「プログラミング」が日本語ならば、これを英語そのものの綴りに戻す必要はなく、むしろそれは誤りで、「puroguramingu」と書くのが適切となる。
そもそも「programing」は「プログラミング」という日本語音声の音写ではない。
このあたりに留意していないことが、やはり、
カタカナ英語を日本語の素材・造語成分として捉えるつもりが本当は一般の日本人には無い、
ということを裏付けている。
人々は、日本語にたいする‘やる気’が無いがために英語を流用している。
だから僕はカタカナ英語の存在を根本から疑問視している。
> 漢字語をローマ字にするときは、ローマ字は発音記号の便宜的代替という程度の意味合いしかないし、ローマ字
> (ラテンアルファベット)は中国語が本来使う文字体系でもない。日本語のローマ字と中国語のピンインも全然違う体系だ。
> この2つを一緒に語るのはおかしいというか不公平ではないだろうか。
「この2つ」というのは「日本人が使う漢字語のローマ字表記」と「日本人が使うカタカナ語のローマ字表記」だが、
ごく基本的な話、
これらは共に「日本語話者の音声のローマ字表記」なのだ。
なぜ、日本語の漢字語のローマ字表記を語るにあたり、君は、「ローマ字は中国語が本来使う文字体系ではないから」という議論をするのか。
日本語本来の表記体系についてはどうなったのか。
日本語において「幸福/こうふく」は[ko:ɸuku]と発音され、ゆえに「kōfuku」と表記されるのが正。
日本語において「プログラム」は[puroguramu]と発音され、ゆえに「puroguramu」と表記されるのが正。
そしてその次の議論として、
「こう・ふく」がそれぞれ日本語の形態素でありながら、「プ・ロ・グ・ラ・ム」は違う、
ゆえに「プログラム」はまだ日本語の語根としては規定しようがない、
というものがある。
>>242 >これだけ‘なんでもあり’な言語は、地球上では日本語だけだ。
君はそんなことを言えるほど世界中の言語の事情に通じているのか?
確かに一つの語に対して3種類(時に4種類)の文字による表記が有り得るのは
世界を見渡しても日本語くらいかもしれんが、表記や発音に混乱があるのは
結構世界の言語で有り触れたことではないか?
例えば韓国語(朝鮮語)はハングル専用になって分かち書きをするようになったが、
その分かち書きには相当な混乱がある。日常生活では人によってバラバラだ。
中国語は縦書きと横書きの両方ができる。
ドイツ語も、正書法の改訂が今までに何度も行われており、つい最近も改訂が行われたが、
反対する世論も強く、旧正書法に戻す出版社が出るなど混乱している。
まあ、日本語の場合、例えばドイツ語やフランス語などに比べて「正書法」が
厳密に決まっていないと言えばそういう気もするが、だからと言って、
>日本人は目や耳に印象的な言葉を奔放に使い回していて、自分の母語を一つの言語として育むことがない。
>結果、日本語は「日本語ではない何か」に変異しつつある。
>これすなわち、日本語が棄てられ、退廃し、別の言語の派生が許されているところの過程である。
とかいうのは飛躍というか論理が繋がっていないのではないだろうか。
247 :
れげらま :2007/06/28(木) 20:47:00 0
>>222 > わたしはむしろ
>>214 の意見の方に賛成です。その方が“個性的”
> でありますと共に、この日本という国に生まれ育つ人々にとっては圧倒的に“現実的”
> な方法でしょう。わたしは国際社会では、むしろこの“個性的”である事の方が
> 世界の人々には魅力的に感じられる事と思います。
もちろん。外来語に頼る前に、その概念を自分達の母語で表現することができるにこしたことはありません。
そしてそのことをもっぱらに期待するうえで僕は、「英語を英語としてちゃんと話し始めたらどうか」という方向を模索しています。
「日本語を使うように!」と懇願したところで、はたして今の一般の人達は、
「アプリケーション」のような文字列にたいする母語表現を‘思いつく’ことができるかどうか。
「アプリケーション」の本当の意味合をそもそも彼らは知っているかどうか。
辞書で引くと、「アプリケーション・プログラムの略。コンピューターで、使用者の業務に応じて作成されたプログラム」とあります。
説明に使う語句そのものまでもがカタカナ英語なので、自らの尾をくわえた蛇のようにぐるぐると虚しい循環をしていることになります。
また、かりにその英語の意味を日本語でつきとめた人がなんらかの和訳を編み出したとて、
それをはたしてどれだけの人が素直に受け入れてくれるか。
(続)
248 :
れげらま :2007/06/28(木) 20:56:46 0
(続) 文字列というのはあくまで記号で、本質は記号が文脈的に指示する対象として隠れているものです。 英語について日本人は文字列だけを模倣して、外国語起源のその本質については‘憶測する’ものとなっています。 そしてその記号が常用化すると、憶測だったものが慣性化し、不透明な常識として人々の間に定着します。 そうして出来たのが、筋違いな「ドンマイ」とか「ロスタイム」、そして偏頗な「ボリューム」という言葉です。 日本語における英語の安易な使用は、英語を言語として知らない、ということからも起きているのです。 日本人が英語をもう一つの母語として話す、というあの例は空想にほかなりませんが、 少なくとも、日本人が真に日本語を母語として確立するためには英語を一つの言語として識別・分離する必要があります。 山のように堆積した外来語にたいして直接の造語活動をおこなうのもたしかに有効ですが、 既に散在しているカタカナ英語を英語に還元することで日本語に‘隙間’を開けてやるのも有効だと僕は思います。 後者はやはり遠回りな対策となってしまうでしょう。しかしそれによって、 日本語における造語活動の開始を準備するのと同時に、 英語を共通語とする国際社会に真に適応できる者としての資質を培うことにもなる、という利点があります。 現実的ではありませんが、そういう利点があるということで、この案を僕は棄てずに保留しています。
249 :
れげらま :2007/06/28(木) 20:59:22 0
>>222 > そして“現実的”といいますのは、そうしたアルファベット表記に老若男女皆が
> 慣れる為には全世代的な教育と学習が必要ですし、また英語以外が由来で現在一般に
> 普及している「カタカナ語」も、全て英訳で国民が理解するにはとても労力が
> かかるでしょう。何しろここは‘日本’ですから、現在の日本における‘日本人の生活’
> を抜きには考えられないですしね…。
でも、日本人‘アーティスト’の名称は大半がアルファベット表記なんですよ。
おまけに、オリコンとか見てみると、曲名を含めて日本人はアルファベットなのに、外国人は全部カタカナになってます。
こちらが‘洋楽’
ttp://www.oricon.co.jp/rank/wa/m/ 、
そしてこちらが‘邦楽’
ttp://www.oricon.co.jp/rank/js/m/ 。
英語綴りの曲名・歌詞であるものが、国民の(厳密にはお年寄り以外の)‘ナンバーワンソング’に輝いたりするわけです。
言葉を本当に理解しているかどうかはさておき、英語表記が日本人の生活で異様なものとはならなくなっているのはたしかです。
> >206さんの言うような漢訳、慣れていない人には結構面白いものですよ!(笑)
それには僕もまったく同感しますよ。
ただ、漢訳漢訳と言うと、石原慎太郎みたいな人が文句を言いにたかってくるので。
250 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/06/28(木) 21:18:14 0
>>372 konsertだが、それにしても『音楽会』という日本語を久しぶりに
聞いたような気がする。
フランス語由来なので、発音はコンセール[kån'sä:r]
語末のtを発音しないので、スウェーデン人もときどき
定形のkonsertenや複数形のkonserterを
konseren, konsererと書いてしまうことがある。
スウェーデン人の綴り方にはよく分からないこだわりのようなものがあって、
フランス語のarrangementはarrangemang(アランシェマン)と大胆に
書き換えるくせに、konsertのtは後生大事に取って置きたがる。
251 :
れげらま :2007/06/28(木) 21:29:44 0
>>225 > どういう場合にカナ表記で、どういう場合にラテン文字表記になるのか。
> その使い分けに法則や傾向はないのか。
> 何の分析もせず「すべて同じでなければおかしい」とは
> あまりにも軽薄だ。
そうやって変則的なものをあたかも文法として規定しようとすれば、
助詞「が」のような煩雑とした定義を生むことになりかねない。
カナ表記とラテン文字表記の使い分けに法則があるとすればこういうものだ:
「英語っぽさ、粋のよさを演出するときはalphabet、ほかは、正しいスペルを使うのがめんどくさいのでとりあえずカタカナ。」
しかしもちろんこんな約束は文法として規定できない。
以下の2つにみられる表記の違いを考えてごらん;
ttp://www.oricon.co.jp/rank/wa/m/ ttp://www.oricon.co.jp/rank/js/m/ 日本人はalphabet、外国人はカタカナ。
なぜだかわかる?
自分達はできるだけ西洋化して、外国のものは日本化する、それによって、
お互いの溝をせめて感覚的に縮めてみせよう、っていうわけ。
今の日本人はそれだけ気が病んでる。‘欧米コンプ’。精神分裂気味なの。
その症状が、言語にも及んでいるのさ。
252 :
れげらま :2007/06/28(木) 21:55:51 0
>>246 > >これだけ‘なんでもあり’な言語は、地球上では日本語だけだ。
> 確かに一つの語に対して3種類(時に4種類)の文字による表記が有り得るのは
> 世界を見渡しても日本語くらいかもしれんが、
そのことを僕は意味した。
さらに他の諸々の正書法の不備も引き合いに出せば、それこそ日本語は至上の‘なんでもあり’な言語だよ。
(ちなみにその対極に、言語としてのあらゆる要素が完全に整備され、そのうえなんでも表現できる言語として、ロジバンがある。)
> >日本人は目や耳に印象的な言葉を奔放に使い回していて、自分の母語を一つの言語として育むことがない。
> >結果、日本語は「日本語ではない何か」に変異しつつある。
> >これすなわち、日本語が棄てられ、退廃し、別の言語の派生が許されているところの過程である。
> とかいうのは飛躍というか論理が繋がっていないのではないだろうか。
育まれない子供は廃頽的になるよね。
>>374 それはどっちもどっち。
困るのはフランス語と英語の綴りが偶然同じ場合で、
デンマーク語を習いたての頃にサッカーのtre point(勝ち点3)を
トレ ポイントと読んだら、それはトレ ポエンだと訂正された。
あと、succesもシュグセ。これはよく見るとsが一個足りないから
英語じゃないと気づくけど、でもそれがフランス語由来で
シュグセと発音するなんて、フランス語も知らない外国人には
想像できない。
スウェーデン語ではtre poäng, succéだから
綴りと発音は一致しているけど、その代わり元のフランス語の綴りは
分からない。まったく、北欧人ってのはフランス語を尊重したいのか
したくないのか。
そりゃ、日本人だってトレビアンとカナで書いてあったところで
元のフランス語の綴りtrès bienが思い浮かぶのは
ごく少数だし、反対に日本語の文章の中に突然très bienと
フランス語のままで書いてあったら、トレビアンとそれなりに
読める人間もごく少数だろうから、どちらの道を選んでも
大差ない気はするけどね。
254 :
れげらま :2007/06/28(木) 22:13:20 0
>>227 > >そもそも漢字は音を表すものではなく意味を表すものであって
> アホですか?
誰かが指摘したように、
中国における共通言語の文字として漢字が機能し存続できるのは、
それが音ではなく意味を表すものだからだ。
表意性が基本となり、同じ意味を表す字について異なる地域の人々が異なる音をあてがうことが可能となっている。
その事実にもとづいた発言をどうして「アホ」と君は形容したのだろうか。
「なぜですか」ならまだしも、「アホですか」は不達に終わるしかない。
255 :
れげらま :2007/06/28(木) 22:17:22 0
>>253 >
>>374 > それはどっちもどっち。
> 困るのはフランス語と英語の綴りが偶然同じ場合で、
> デンマーク語を習いたての頃にサッカーのtre point(勝ち点3)を
> トレ ポイントと読んだら、それはトレ ポエンだと訂正された。
> あと、succesもシュグセ。これはよく見るとsが一個足りないから
> 英語じゃないと気づくけど、でもそれがフランス語由来で
> シュグセと発音するなんて、フランス語も知らない外国人には
> 想像できない。
> スウェーデン語ではtre poäng, succéだから
> 綴りと発音は一致しているけど、その代わり元のフランス語の綴りは
> 分からない。まったく、北欧人ってのはフランス語を尊重したいのか
> したくないのか。
> そりゃ、日本人だってトレビアンとカナで書いてあったところで
> 元のフランス語の綴りtrès bienが思い浮かぶのは
> ごく少数だし、反対に日本語の文章の中に突然très bienと
> フランス語のままで書いてあったら、トレビアンとそれなりに
> 読める人間もごく少数だろうから、どちらの道を選んでも
> 大差ない気はするけどね。
どこからやってきたレスかは知らないけど、
デンマーク語やフランス語をカタカナで覚えるのはやめたほうがいいよ。
256 :
れげらま :2007/06/28(木) 22:49:15 0
オリコンが出たついでに考えてみる。 「ニューカマー」 →「新人」 「千佳ちゃんのハイビジョンレコーダー体験!」 ハイビジョン = 高画質(な何か) レコーダー = 録音・録画機 ハイビジョンレコーダー = 高質録画機 →「千佳ちゃんの高質録画機体験!」 「豪華プレゼントをGETしよう!」 プレゼント = 贈り物 GET = 手に入れる →「豪華な贈り物を手に入れよう!」 同じ要領でやってみよう: 「ランキング」「リリースシングル」「インタビュー&コメント」「特集&ピックアップ」「ホーム」
257 :
れげらま :2007/06/28(木) 23:08:59 0
>>256 補足。
千佳ちゃんの高質録画機体験!
は読みにくい、言いにくい、ということであれば、まず2つの対策がある。
1.隙間を活用する:
千佳ちゃんの 高質録画機 体験!
2.読みを変える:
ちかちゃんの こうしつろくがきーたいけん
語尾を延ばすとなんだかまの抜けたかんじがするが、
語の区別に一役かう。定着すれば違和感というものはなくなる。
こういうふうに、日本語の世界を開拓・開発してゆくこと、ありなんじゃね?
258 :
れげらま :2007/06/28(木) 23:45:52 0
引き続きオリコンから。 東方神起 『Lovin’you』 ・・・自分の彼女にもそんなふうに声をかけるわけですか。 嵐 『We can make it!』 ・・・誰に掛け声をおくってるんですか。 EXILE 『SUMMER TIME LOVE』 ・・・ロスでの夏のことですか。 KinKi Kids 『BRAND NEW SONG』 ・・・近畿の方言で言ってもいいんだよ。 ウエンツ瑛士,小池徹平 『Awaking Emotion 8/5/my brand new way』 ・・・思考言語が英語なのだろうか。 タッキー&翼 『×〜ダメ〜/Crazy Rainbow』 ・・・どうも。 Gackt 『RETURNER〜闇の終焉〜』 ・・・? YUI 『My Generation/Understand』 ・・・詩的なものを込めているようだが、はたして一般の日本人に通じるかどうか。 ギャルル 『Boom Boom めっちゃマッチョ!』 ORANGE RANGE 『イカSUMMER』 ・・・単に遊んでるだけ。 宇浦冴香 『マイミライ』 ・・・なんだか責めきれないものがある。韻を踏んでいて、創造性が感じられる。あり、だと思う。
>>251 君が今までに挙げている「ラテン文字化」の例は
施設名、曲名、グループ名、項目名など、明らかに一定の傾向が見られる。
確かに、こういうものが氾濫しているのは事実だ。
一方、一般的な文章を表記する際、
上のような名称の引用以外にカタカナ語をラテン文字化することは非常にまれだ。
こういうのは、使い分けているとは言わない、と。
すべて同じ条件であり、結果も同じでなければ矛盾だ、と。
「英語っぽさを演出したいときは何でも節操なくラテン文字化し、あとは正しいスペルで書くのが面倒だからやらない」
→「ほら、日本人ってだめでしょ?」
こんな結論ありきで実状に即していない妄想は、
あるある大事典のようなもので聞く価値もないと思うんだが、どうだろうか。
歴史的に、スウェーデンの王侯貴族にはフランス貴族の血が激しく混じっているので、 フランスからやって来た貴族はそのままフランス語を使い続け、土着の上流階級も それをまねて、一種の上品さを醸し出す手段としてフランス語を使うことが流行した。 それ以外にも、当時スウェーデンでは未発達だった分野、例えば近代的な軍事などの 用語は当時先進的だったフランス語をそのまま借用した。 こういう経緯で、近代のスウェーデン語には大量のフランス語語彙が流入した わけだけれども、最初はそれらはフランス語の綴りのままで表記されていた。 そもそもそんな用語を必要とするのは上流階級だけで、上流階級はフランス語を 理解していたから、スウェーデン語の中にフランス語の単語がそのまま混じっていても 困りはしなかった。 ところが、国民国家の時代になって、一般庶民にも「スウェーデン王国の国民」として 読み書きの技能が要求されるようになると、それでは困る事態が続出した。 そもそもスウェーデン語の綴り字規則を覚えるだけでも煩雑なのに、その規則に 全く合わないフランス語の綴りが混入していたのでは、一般庶民がマトモに 読み書きできるわけがない。 それで19世紀になると綴り字規則が表音主義の方向で何度も改正され、 外来語も出来るだけスウェーデン語式に綴るように変化してきた。
ところが今度は、「スウェーデン語式に綴るのがオシャレ」という意識が特に 若者の間に根付いてしまった。おかげで、webbplatsというスウェーデン語が あるのに英語のwebsiteの発音だけをなぞってwebbsajtと書いたり、さらにsajtと 略したり。日本の「出会い系サイト」に当たるdejtingsajt (←dating site)まであったり。 昔と違うのは、原語がフランス語だったのが英語に変わったこと。 スウェーデン人は小学校低学年から英語教育を受け、実際に正しい英語の運用能力も 日本人の平均よりはるかに高いけれども、ファッション気分で自国語の文章の中に 英語(それも綴りがスウェーデン式に変わっていたりする)を混ぜて「オシャレ」だと感じる点では 日本人とそう変わらない。必要もないのに英語がちりばめられたスウェーデンの 音楽サイトを見ると、日本と何も変わらない。近い将来にスウェーデン語は駄目になってしまうと 警鐘を発する専門家もいるが、事態は人々が好む方向にしか進まないだろう。
262 :
れげらま :2007/06/29(金) 02:59:12 0
>>259 文章の中でも英語の綴りを書くとなると、日本人にとっては大変だよ:
「エクイティ・ファイナンスはハイリスク・ハイリターンの資金供給方法である。したがって、ベンチャー・ファイナンスにとって最適なメソッドであるといえる。」
「GIFの圧縮アルゴリズムは少し変わっています。ドキュメント内のピクセル遷移をスキャニングし、サイズが変化します。」
「多くのソフトシンセやエフェクトをリアルタイムで動かすとかなりのCPUがかかりますが、
あらかじめソフトシンセやエフェクトに通したサウンドをオーディオデータへ変換しておくこと、
つまりフリーズしておくことでCPUロードを軽くする機能が搭載されています。」
正しいスペルで書くのが面倒だから(ときには知らなくて書けないから)、普通の文章の中では使わない。
施設名、曲名、グループ名、項目名など、自己や物事の冠になるような名称については、辞書を引いてでも英語で書こうとする。
それによって気分だけでも自分達が西洋人とはそれほど遠くない存在なんだと思い込みたいわけ。
言ってみれば、現在の外来語は英語表記が日本人の本音で、カタカナ表記は妥協したもの。
ほんとはalphabetで書きたいんだけど、自分が一時的に辞書を引いてやっとわかるような綴りのものを一般者向けに普通の文章で使ってしまうのはさすがにアレですから、
ということでカタカナ表記に折れる人は少なくないだろう。
また、alphabetで書いたら書いたで本場らしい発音を自分がしなければいけないという責任を負うのが嫌でカタカナに譲歩する人も少なくないだろう。
そもそも世間の日本人は、英語には憧れているが、英語を上手に話す日本人には嫉みを感じやすい。
「ラジオ」を「レィディオゥ」と言おうものなら、まわりの人はこう思う、(けっ、ちょっと英語ができるからってなんだ、いばってんじゃねえよ。)
海外生活を通じてそういう発音を身につけた人でも、日本人相手には謙遜して「ラジオ」と言うこと多いだろう。
日本の社会はそれだけ歪んでいて息苦しいところなのだ。
263 :
れげらま :2007/06/29(金) 04:01:05 0
>>260-261 言葉の混ぜやすさ、について考えてみる。
英語とスウェーデン語は同じ言語家族に属し、お互いの語彙を交換しても文法上の違和が起きにくい。
一方で日本語は英語とは系統がまったく異なり、それゆえに語彙の安易な持ち込みが文法上の問題をきたしやすい。
例えば形容詞「automatic」を持ち込むとき、「オートマチックな動き」という表現がなされるが、
これは元が形容詞の言葉を二重に形容詞化していることになる。
正しくは「オートマチック動き」のはずだが、日本語話者の習慣からして「な」を付け足すのがふつうとなっている。
同様に、「スピーディーに働く」や「ソフトな感触」も、(英語では形容詞や副詞が名詞となる用法もあるがそのことを知らずこれをそのまま形容詞や副詞として)
余分な助詞を付け足すはめになっている。
「2ゲットをする」はもっとややこしい。
「get」という動詞に「を」が付いてこれを名詞化しているうえ、そのあとに「する」が加わってこれが再度動詞化しているうえ、
「get」の目的語は後に来るという本来の文法を破りながら「2」を「ゲット」の前に置いている。
「彼女をゲットする」も同様、SVOとSOVの相違が起こっている。
こういうことから、
スウェーデン語に英語が入るのと、日本語に英語が入るのとでは、問題の性質が違ってくるのがわかるだろう。
正直に言って、日本語にどんな英語でも取り入れようとするのは諦めたほうが賢明だ。
どうしても取り入れたいのなら、単語ではなく文そのものを扱ったほうが、日本語にとっても英語にとっても害が少なくて済む。
むろんその場合には文を扱うよりも英語そのものを言語として使用したほうがいいという話になるわけだが。
なんにせよ肝心の疑問が晴れない:
日本人にとっては日本語を使うのがそんなに苦痛を伴うことなのか?
日本人が日本語で造語をするというのはそんなにも不自然なことなのか?
264 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/06/29(金) 05:06:01 0
そんなこと言ったら、孤立した言語である日本語はどこからも借用ができないじゃないかよ。 中国語だって日本語と文法が全く違うぞ? 漢語を動詞、形容詞、副詞として導入しておくのは問題ないけど、英語を同じように導入するのは 文法が違うからだめってのは理解できないぜ? 「オートマチックな」「スピーディーに」「ソフトな」の語尾は、「すみやかな」とか「なめらかに」と同じように 文中で形容動詞として使えるようについてる活用語尾じゃないか。単に習慣で付いてるわけじゃないぞ。 「ゲットする」じゃなくて「ゲット」にしろと?語尾がついてることで「ゲットしない」「ゲットします」「ゲットする」 「ゲットすれば」「ゲットしろ」というようにサ変動詞として使えるんじゃねえか。 「ゲット」単体でどうやって使えっていうんだよ。「オートマチック動き」じゃ品詞が分からないじゃねえかよ。 こんなこと例えば朝鮮語でもやってることだよ。日本語の「〜する」と同じように「〜ハダ」を付けて動詞化するんだ。 ドイツ語で英語から動詞を輸入する時に語尾を「-ieren」に変えるのとも質的に大差ないんじゃないか? ていうか英語とスウェーデン語だって文法が結構違うじゃないか。いくら同じゲルマン語派だからって 英語とスウェーデン語の間で単語の逐語訳ができるほどではないだろ。活用語尾を変えちゃダメ、目的語が 来る位置を変えちゃだめとか、そんなことを考えて言葉を輸入してる言語がどこにあるんだよ。 今までのレスの中でも相当アホさがにじみ出てるレスだな。
265 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/06/29(金) 05:17:49 0
もともと日本語は形容詞が質的にも量的にも不足しているから、それを外来語で 補おうという傾向は奈良時代や平安時代のころからある。 漢語を形容動詞として輸入し、足りない形容詞を補った。 明治以降欧米語が流入してくると、同じように欧米語の形容詞を形容動詞として 輸入し、足りない形容詞を補った。 「自動的な」と「オートマチックな」、「迅速な」と「スピーディーな」、「柔軟な」と「ソフトな」は 形の上ではまるっきり同じことだ。 奈良時代や平安時代に漢語を輸入した時、日本人は漢語に「なり」だの「たり」だの「す」だのといった 語尾を付けて日本語として活用できるようにした。中国語には元々そんな活用はない。 もちろん語順なんて完全に日本語式だ。漢文ではほぼ完全に語順はSVOだが、そんなこと知ったこっちゃない。 さて、当時のこの状況を見て、 「正直に言って、日本語にどんな中国語でも取り入れようとするのは諦めたほうが賢明だ。 どうしても取り入れたいのなら、単語ではなく文そのものを扱ったほうが、日本語にとっても中国語にとっても害が少なくて済む。 むろんその場合には文を扱うよりも中国語そのものを言語として使用したほうがいいという話になるわけだが。 」 とか言うべきだったろうか? 日本語から一切の漢語をも廃し全て和語で置き換えろというならそれはそれで一つの意見として聞く価値があるが。
266 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/06/29(金) 06:51:08 0
スウェーデン人はビスケットのことをkexと呼ぶが、これはもともと英語のcakesに 由来するもので、英語の複数形語尾-sを含んだままスウェーデン語の 単数形になり、綴りもスウェーデン語風に改められてしまった例。 複数形はkexまたはkexenで、後者は語源的には英語の複数形語尾-sにさらに スウェーデン語の複数形語尾-enを重ねている。 他に同様の例として、potatis(potatoes、じゃがいも)も複数形はpotatisarで、 英語の複数形語尾-sにスウェーデン語の複数形語尾-arが重なっている。 これらはまだスウェーデンで英語が広く普及する前の、19世紀に英語から借用した 単語なので、結果的には英語の文法を無視していることになるが、専門家でも いちいちそのような矛盾を批判する者は少ない。 逆に、スウェーデン語のombudsman(オンブズマン)が英語に取り入れられたとき、 複数形は本来のombudsmänではなく、ombudsmenになってしまった。 つまり、後半の-manの部分だけ英語だとみなして、勝手に英語式の複数形に 変えてしまったわけだ。 外来語を借用するときにこの種の恣意的とも言える文法的矛盾が生じるのは いわば世界共通の現象で、何も日本語でそれが起こることのみを非難する必要はない。
>>242-243 普通それは、その文化圏に住う一部の人々が担って行く物であり
全員の意識を変えるとか変でしょ。もう少し現実的になってもいい気がする。
れげらま氏の出してる例は、どれも話し言葉だよね。
書き言葉で言えば「鼠園(ディズニーランド)」とか、あるよ。
カタカナ語使うなら、英語を使えばいい
とする主張には、私は反対なのですよ。
言葉とは、もっと現象的でドロドロしたものだと考えます。
固定化されているのは死語だけでしょう。
>>256-257 ちゅーかさ、創造活動を対象にするのは反則だろ
あれは、商売でやってるんだから、本気で批判しても漫談にしかならない。
>>262 もう一度言うが、結論ありきの勝手な妄想はもう結構。
「一般的な文章でも本当はラテン文字で書きたい」などと考えるのは、
カタカナ表記の意義を軽視することができる、君のような極端な英語かぶれぐらいだ。
270 :
206 :2007/06/29(金) 13:37:01 0
>>268 誤解を招くような書き方をしてしまいました。
私が書いた「日本人」の意味するところは、国語教育や行政に携わるような
国民全般に対して影響を与えることができる人たちを念頭においたものです。
現実的には文部行政の範疇にあたることでしょう。
271 :
れげらま :2007/06/29(金) 18:57:48 0
>>264 > 中国語だって日本語と文法が全く違うぞ?
> 漢語を動詞、形容詞、副詞として導入しておくのは問題ないけど、
> 英語を同じように導入するのは文法が違うからだめってのは理解できないぜ?
漢語は、品詞の違いによる語形(字形)の違いが無く、あくまで語順(字順)によって文法上の機能が決定する。
英語は、語順にくわえて語形が、品詞の区別に作用する。
漢語の方がずっと日本語に混ぜやすく、英語は混ぜにくい。
(ちなみに「中国語」は範囲が広すぎる。北方のものはかなりアルタイ化しているようで、かならずしも日本語と‘全く違う’とは言い切れない。)
> 「ゲットする」じゃなくて「ゲット」にしろと?語尾がついてることで「ゲットしない」「ゲットします」「ゲットする」
> 「ゲットすれば」「ゲットしろ」というようにサ変動詞として使えるんじゃねえか。
だからさ、サ変動詞として使うことが日本語では有意義になるから、日本語に「get」を持ち込むことが不適切になるんだよ。
「ゲット」をそのまま動詞として使うのは日本語ではきつい、ゆえにこれを改造・いじる必要がある。
この‘改造・いじる’がまずいんだよ。
他の言語を持ち込んでこれを造り変えるぐらいなら、初めから母語を使おうよ。
> こんなこと例えば朝鮮語でもやってることだよ。日本語の「〜する」と同じように「〜ハダ」を付けて動詞化するんだ。
赤信号、みんなで渡れば怖くない、か。
こういうときは朝鮮語を仲間にして、ほかでは罵倒。
> 「ゲット」単体でどうやって使えっていうんだよ。「オートマチック動き」じゃ品詞が分からないじゃねえかよ。
だから使わなければいいじゃん。
「ゲットする」は「獲得する」、「獲る」、「得る」、「採る」、「捕る」、「盗る」、「手に入れる」で間に合うよね。
「オートマチック動き」は「自動」。あるいは実験的に、
「おのず」と「うごき」から「おのずごき」とか「おのずき」という和語を造ったっていい。
272 :
れげらま :2007/06/29(金) 19:01:38 0
>>264 > そんなこと言ったら、孤立した言語である日本語はどこからも借用ができないじゃないかよ。[…]
> 活用語尾を変えちゃダメ、目的語が来る位置を変えちゃだめとか、そんなことを考えて言葉を輸入してる言語がどこにあるんだよ。
ダメ、とは言ってないんだよ。借用できないことはない。
借用しすぎることに問題がある。
広辞苑の23万語のうち、10%はカタカナ語で、これを差し引いた上、
カタカナ語辞典の5万語と比較すると、
日本語21万:カタカナ語5万、つまり日本語の4分の1近くがカタカナ語となる。
さらに漢語をも外来語として考えれば、日本語内における他系統の借用語の割合は凄まじいものとなる。
せっかく孤立語なんだからさ、日本語ならではの世界を育もうとは思わないの?
273 :
れげらま :2007/06/29(金) 20:15:33 0
>>265 > 「自動的な」と「オートマチックな」、「迅速な」と「スピーディーな」、「柔軟な」と「ソフトな」は
> 形の上ではまるっきり同じことだ。
一般の日本人の英語理解がいかに表層的かがわかる。
英語話者にとっては「速いな動き」「柔らかいな感触」と言っているのと同じ。
> 奈良時代や平安時代に漢語を輸入した時、日本人は漢語に「なり」だの「たり」だの「す」だのといった
> 語尾を付けて日本語として活用できるようにした。
日本語として、というより、日本人同士で、ですよ。
日本語ではない言葉に日本語の語尾をつけることによってこれを日本人同士で流用できるようにした。
日本語を造ったのではなく、あたかもそれが日本語であるかのようにみえる幻覚を集団で築いた。
言ってみれば今の日本語は日本人の集団意識に支えられた壮大な蜃気楼だ。
> 当時のこの状況を見て、
> 「正直に言って、日本語にどんな中国語でも取り入れようとするのは諦めたほうが賢明だ。
> どうしても取り入れたいのなら、単語ではなく文そのものを扱ったほうが、日本語にとっても中国語にとっても害が少なくて済む。
> むろんその場合には文を扱うよりも中国語そのものを言語として使用したほうがいいという話になるわけだが。 」
> とか言うべきだったろうか?
日本語が半分中国語化することになるのを予見していた場合には誰でも言うべきだったろうね。
日本にこれこれこういうものが不足しているからといって外国のものをそのまま持ち込めばいい、
という短絡的な考えは昔も今も変わらない。
物質主義的で、開拓・創造の精神というものが言語に関して感じられない。
中国語や英語の言葉に「な」とか「する」といった語尾を付けて日本語の中に投げ込んできたことは、
エッフェル塔を白と赤で塗りたくって日本の中に置いたようなものだ。
和語で形容詞を充足できなかった理由を知っていれば述べてほしい。
274 :
れげらま :2007/06/29(金) 20:18:38 0
>>267 > 外来語を借用するときにこの種の恣意的とも言える文法的矛盾が生じるのは
> いわば世界共通の現象で、何も日本語でそれが起こることのみを非難する必要はない。
わかりました。
275 :
れげらま :2007/06/29(金) 20:21:02 0
276 :
れげらま :2007/06/29(金) 20:55:52 0
>>268 >
>>242-243 > 普通それは、その文化圏に住う一部の人々が担って行く物であり
> 全員の意識を変えるとか変でしょ。もう少し現実的になってもいい気がする。
だから‘全員’とは僕は言ってないじゃないか。
世間の流れにたいして‘個人’が日本語話者として自立することが重要なんだと。
> カタカナ語使うなら、英語を使えばいい
> とする主張には、私は反対なのですよ。
「カタカナ語を使い過ぎるぐらいなら」、と僕は言っている。
日本人の語彙の4分の1がカタカナ語というのはさすがに多過ぎだよ。
日本人が英語話者になるという案は、あくまで
日本人が日本語話者になりきれないという現状が続く場合のことだよ。
>
>>256-257 > ちゅーかさ、創造活動を対象にするのは反則だろ
> あれは、商売でやってるんだから、本気で批判しても漫談にしかならない。
つまり、カタカナ語のかわりに日本語で表現されたものは、売れなくなる。
日本語で表現されたものに目を付ける日本人が少ないということは、
日本人の間で日本語が排されつつあるということ。
(> 書き言葉で言えば「鼠園(ディズニーランド)」とか、あるよ。
「ディズニーランド/Disneyland」は固有名詞だから、がんばって訳す必要はないよ。
「ビル・ゲイツ/Bill Gates」を「鼻づら・門達」と言ったり、「Microsoft」を「小さな柔軟」と言う必要はない。)
277 :
れげらま :2007/06/29(金) 21:06:14 0
>>269 > もう一度言うが、結論ありきの勝手な妄想はもう結構。
結論をぶつけ合っているのだと捉えているのはおかしい。
僕達は議論をしているんだよ。
僕は他の人の意見に一つ一つ返信を繰り返しながら自分の意見を試験している。
意見を抱くこと自体が妄想であり‘結構’ならば、口を開くことが誰にも許されなくなる。
君の主張に充分な説得力があればそれに耳をすませている僕の考えはいくらでも変容する。
> 「一般的な文章でも本当はラテン文字で書きたい」などと考えるのは、
> カタカナ表記の意義を軽視することができる、君のような極端な英語かぶれぐらいだ。
カタカナ表記の意義とは何か。
278 :
れげらま :2007/06/29(金) 21:33:30 0
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279 :
れげらま :2007/06/29(金) 22:08:57 0
>>278 僕は法律に詳しくないんだけど、
「Copyright(C) 2007 Oricon Inc. All rights reserved.」
という英語表記って、日本では有効なの?
>他の言語を持ち込んでこれを造り変えるぐらいなら、初めから母語を使おうよ。 英語という奇妙な言語は品詞の形態的な区別があいまいで、例えば updateやphotographやmatchはこの形で名詞としても動詞としても使える。 漢語についてもおおむね同じことが言える。 しかしこんないい加減なことは日本語では許されないし、スウェーデン語でも 許されない。動詞と名詞は形態的にはっきり区別しなければならない。 ではどうするかと言えば、日本語でもスウェーデン語でも戦略は同じで、 外来語の名詞を自国語として扱いやすいように綴りを変え、さらに語尾を付加することにより 動詞として使えるようにする。すなわち、uppdateraやfotograferaにしたり、matchaにする。 日本語で言えば、「アップデートする」「マッチする」に変えることと同じだ。 そうすることで初めて、スウェーデン語としての自在な活用が可能になる。すなわち、 過去形uppdaterade, fotograferade, matchadeを作ったり、「〜すること」という行為を 表す派生名詞uppdatering, fotografering, matchningを作れるようになる。 それが言語の自然な姿だ。 「他の言語を持ち込んでこれを造り変えるぐらいなら、初めから母語を使おうよ。」 どうぞ、同じことをスウェーデン人にもフランス人にも、いや英米人にも主張してくれ給え。 どうして君たちはギリシャ語とラテン語を適当に組み合わせてbiodiversityだの biodiversitéだのbiodiversitetだのと造語するのか?と。 どうしてアイスランド人のlíffræðileg fjölbreytni(生き物学びの多くの様変わり) のように、母国語でまじめに造語しないのか?と。 英語かぶれ、おおいに結構。ただし、その英語自体がラテン語・ギリシャ語を大量に持ち込んで 好き勝手に造り替え、つなぎ合わせたフランケン言語だと言うことをよくよく認識した上で ぜひ今後とも矛盾だらけの馬鹿げた主張を繰り広げてほしいものだ。
281 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/06/29(金) 22:51:55 0
>>280 欧米は優れてて
日本は遅れてるんだよ
それがわからないやつは馬鹿
お前は欧米コンプレックスがあるからわからないんだよ
282 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/06/29(金) 23:25:46 0
>>1 何故「れげらま」と名乗っているのですか。
「れげらま」とはどういう意味ですか。
奇抜な名前なので疑問を持ちました。
283 :
れげらま :2007/06/29(金) 23:26:31 0
>>280 > 「他の言語を持ち込んでこれを造り変えるぐらいなら、初めから母語を使おうよ。」
> どうぞ、同じことをスウェーデン人にもフランス人にも、いや英米人にも主張してくれ給え。
> どうして君たちはギリシャ語とラテン語を適当に組み合わせてbiodiversityだの
> biodiversitéだのbiodiversitetだのと造語するのか?と。
> どうしてアイスランド人のlíffræðileg fjölbreytni(生き物学びの多くの様変わり)
> のように、母国語でまじめに造語しないのか?と。
> 英語かぶれ、おおいに結構。ただし、その英語自体がラテン語・ギリシャ語を大量に持ち込んで
> 好き勝手に造り替え、つなぎ合わせたフランケン言語だと言うことをよくよく認識した上で
> ぜひ今後とも矛盾だらけの馬鹿げた主張を繰り広げてほしいものだ。
あのう・・・この掲示板にはスウェーデン人もフランス人も英米人もあまりいないんだけどさ。
284 :
れげらま :2007/06/29(金) 23:30:00 0
>>282 > 何故「れげらま」と名乗っているのですか。
> 「れげらま」とはどういう意味ですか。
「トイレにおちた富士ヤマ」と打とうとしたら手がすべって「れげらま」になってしまったんです。
285 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/06/30(土) 00:27:24 0
↑人間工学的にありえないうそ
286 :
れげらま :2007/06/30(土) 01:03:41 0
>>281 >
>>280 > 日本は遅れてるんだよ
遅れてるというより、議論・認識が進んでない。
欧米(にかぎらずインドやアラブなども)では民族・文化・価値観の異なる人達同士による対話の機会に富んでいて、
物事をより広く客観的に認得するための社会環境に恵まれている。
たとえばロンドンなんかは人口の3分の1が外国人で、街において
文化系統の異なる人同士がお互いの生活に触れ合うということが日常化している。
(BBCの言語対応にもすばらしいものがある
ttp://www.bbc.co.uk/worldservice/languages/ 。)
一方の日本では、日本人からなる社会の中で対話が内輪化しやすく、
必然として自分達自身の事に関する認識や反省が‘甘い’ものとなりやすい。‘なあなあ’で終わりやすい。
個人同士の議論という対立関係に慣れていない。
日本人が一般に議論や批判を‘いやなもの’として否定的に見るのはそういったことにもよる。
欧米では議論や批判は‘新たな精神的地平を切り開くもの’として肯定的に見られる。
日本人が議論に弱いということはウィキペディアを見ていてもわかる。
英語版と比べて、日本語版の方が‘荒らし’にたいする保護対象となっている記事がずっと多い。
また、日本のインターネット利用者が外国人と比べて圧倒的に‘匿名’である割合が高いことも、
発言や議論の主体としての‘一個人’という意識がどれだけ浅薄であるかを表している。
(SNSもはやらないわけだ
ttp://www.yukan-fuji.com/archives/2005/06/post_2591.html 。)
いわずもがな、日本を代表する掲示板がこの有様だ。
日本は物質の面では先進的でも、精神の面でまだ発展途上にある。
日本語話者としての自覚を訴えるのはまだ早すぎたのかもしれない。
286の要約: 議論や批判を肯定的に捉える欧米文化は先進的で優れており、 議論や批判を否定的に捉える日本文化は精神的に発展途上で劣っている。 人口の1/3が外国人であるロンドンでは、価値観の異なる人間どうしによる 対話・交流の機会が豊富であり、その成果は車爆弾となって発露している。
欧米通の方の貴重なご意見を承ることができ、たいへん勉強になりました。 ただ、ナチスによるユダヤ人虐殺を否定する意見を表明しただけで 逮捕される国があるのはご存じなかったようです。 あと、インドのカーストは西暦2007年現在、まだ消滅していないことを つい、失念なさっていることから、彼は、ひょっとしたら 現在の日本をよりよい道へ導くために遣わされた 未来からの使者かもしれませんね。
289 :
XYZ :2007/06/30(土) 02:53:52 0
>>247-249 「げれらま」さんではなく「れげらま」さんでしたね…。失礼しました。
「オリコン」の例は、本当に典型的な例ですよね〜。わたしも最近の流行曲名や
歌手名などを見聞すればするほど、「何だこりゃ!?」と感じてばかりいます…。(苦笑)
それと「application program」は、和訳しますと「応用企画」や「適合企画」
あたりが適当な訳語になるでしょうか…。実際、訳そうと思えば訳せる言葉は
結構多いのですが、IT関連の用語は新しい分野である事やそれがアメリカで発達した
経緯があるせいなのか、そのまま「カタカナ語」となっている場合が多いですよね。
他には経済関連の用語も多いですね。これも本当は日本語に訳せる言葉が沢山ある
のですが、業界の人達は必要以上にやたらと“横文字”を使いたがります。
そしてあなたが言いますように、実はこういった人達ほど本場(この場合は主に欧米)で
そのような言葉がどういう場面で使われているかを理解してなかったりで、最終的には
意味として原語からはズレた“和製外国語”が世間に普及してしまったりします。
そうです、まさにれげらまさんをはじめ、皆さんが指摘するところの欧米への
“劣等感”や“かぶれ意識”の表れなのでしょう。オリコンの例などは、自分達には
アルファベットを用いる事によって表面的には彼らと同じ立場になったつもりで、
ところが内面的または核心の部分が異なっているが為に、欧米語“自体”には
関心は薄く、結果として外国の歌手名や曲名にはカタカナが使われていたりで…
(こちらをアルファベット表記にしますと、読めないまたは(読むのが面倒で)読もうと
しないからでしょう)。
つまり、大して“外国語”や“外国(人)”に興味・関心があるわけでもなく、
その度合いが浅いのです。ですから肝心の中身は欧米とはかけ離れているにも
かかわらず、彼らの一員であるかのように錯覚し、政治体制などの“表面”が
異なる中国や他の“開発途上国”と呼ばれる国々に対しては、妙な“優越感”を
持ったりしてしまっています…。 これは滑稽な事です。
290 :
XYZ :2007/06/30(土) 02:59:17 0
話を戻しますと、わたし自身は日頃そうした「カタカナ語」に対しましては、 前述した幾つかの点を心掛けていますと共に、特に高齢者や子供などの現在の 世間の流れや情報に疎かったり、またそれらを知らなかったりする人々には、 なるべく適当な和訳なり漢訳をしてその言葉を伝えています。それらは、確かに 世間では聞き慣れない訳語でしたり、将来一般に普及する言葉にはならないかも 知れませんが、やはり相手を観て、臨機応変に使い分ける事が現実的な方法でしょう。 なぜなら話とは“言葉自体”が目的ではなく、“内容”を伝える事が目的ですからね。 それ以外の場合におきましても、わたしはなるべくそれらの「カタカナ語」を 一度日本語に訳す習慣をつけています。先にも述べましたが、大概の場合は 訳せるのです! それらが将来的に日本の社会で普及しなかったとしましても、和訳をしなければ 結局それを“何となく理解したように気になっている”だけで、日本語という “母国語”を使って生きていく為には、わたしは和訳が必要不可欠であると思います。 それらを日本語で説明出来て、初めてその言葉を日本人として理解した事になる のではないでしょうか!? そうしませんと、前例のようにたとえその言葉の意味を辞書を引いて調べようと しましても、辞書の説明文自体にそういった「カタカナ語」が有りましたりで、 それが本当にどのようなものかが理解出来なかったりまた理解するにも手間が かかったりで、結局何かと支障が出てくる事になるのです…。
要点: 国民一人ひとりが常に活発な議論を戦わせるアメリカ・イギリスでは、 存在もしなかった大量破壊兵器を口実に打倒イラクの国内世論を 速やかに醸成でき、短期間でサダム=フセインの処刑にまでこぎつけることに 成功した。民主主義の偉大な成果である。 国民同士で議論を好まない日本では、多数の同胞が拉致され、現に核兵器開発の 脅威を突きつけられ、日本海に弾道ミサイルを打ち込まれる事態となってもなお、 打倒北朝鮮の国内世論ひとつまとめ上げることができず、金正日の気まぐれに 手をこまねくばかりである。
292 :
XYZ :2007/06/30(土) 03:28:10 0
ちなみに… 「千佳ちゃんの高質録画機」は、そのまま「高画質録画機」の方が良いと思われますよ! 前者ですと、「高質」なのは「録画」機能だけかと勘違いされます。 とマジレス、格好悪かったかな…。(^^;
>それと「application program」は、和訳しますと「応用企画」や「適合企画」 >あたりが適当な訳語になるでしょうか…。 space programは、やはり「宇宙企画」になるのかなぁw
programは漢語では「程序」「程式」と訳されているが、 日本では「程譜」とすべきである。動作の工程・処理の過程を 順序だてて記述した譜。 これならば、演奏会・講演会などのプログラムも「程譜」で表現できる。 これらを「算譜」とか「程式」と表現したのでは「算」や「式」の部分で 違和感が生じる。本質である-gram(書かれた物)の部分は「譜」で 訳すべきである。 applicationを「応用」とか「適合」などと訳しているようでは、原語の理解の 浅さを露呈している。「用途別、使途別」と訳さなければ意味をなさない。
295 :
れげらま :2007/06/30(土) 04:49:16 0
>>287 > 議論や批判を肯定的に捉える欧米文化は先進的で優れており、
> 議論や批判を否定的に捉える日本文化は精神的に発展途上で劣っている。
そんな一般化をする必要はないんだけども。
アメリカにだって廃頽的なところはあるし、日本にだって先進的なところがある。
> 人口の1/3が外国人であるロンドンでは、価値観の異なる人間どうしによる
> 対話・交流の機会が豊富であり、その成果は車爆弾となって発露している。
車爆弾を仕掛ける者は、対話の機会を作らない。
対話というものを知らない者達がそういうことをする。
彼らは、対話・交流の場にもともと参加していない。
296 :
れげらま :2007/06/30(土) 05:02:11 0
>>288 > ナチスによるユダヤ人虐殺を否定する意見を表明しただけで
> 逮捕される国があるのはご存じなかったようです。
その事件は悲劇という名の例外ですよ。
> インドのカーストは西暦2007年現在、まだ消滅していないことを
> つい、失念なさっていることから、
民族・文化・価値観の異なる人達がそこに共存していることに変わりはない。
なんか誤解してるようだから言っておくよ。
対話=和平、ではないよ。
あくまで日本国内よりも外国の方が、異なる民族同士が接し合う・話し合う機会に富んでる、ということだよ。
297 :
XYZ :2007/06/30(土) 05:03:01 0
>>294 補足と言いますか、詳しい解説ありがとうございました!
わたしとしましては話の流れから、とりあえず自分の浅知識で和訳してみたのですよね…。
わたしには「程譜」という言葉は初耳です。そうしますと正確には「用途別程譜」
「使途別程譜」あたりが適当な訳語となりますでしょうか…。勉強になりました。
こういう作業、面白いですよね! (^^)v
>>293 というわけでして、わたしの訳、あまり真に受けて変に活用しないでくださいね…。(汗
>>270 それは、賛成。
国語教育は、「近代化」は果たしたけれど「現代化」ができてない。
数学は集合論など「現代化」してるのだけどね。
例えば、演劇においての寄生語。上司や親からの指示語。
状況を確認する為の説明語。政治や詐欺など、人は嘘をつく。
あるいは、嘘つくつもりが無くても、嘘になってしまった現実。
言葉の変化、流行語、広告や宣伝、音楽や文学など、
流動する物としての日本語を教えていない。
いわば、メディア・リテラシー教育にも通じるものです。
言語の、規格的な使い方と、創造的な使い方は違いがある。
>>296 >> ナチスによるユダヤ人虐殺を否定する意見を表明しただけで
>> 逮捕される国があるのはご存じなかったようです。
>その事件は悲劇という名の例外ですよ。
結局、オレ達の気分を害する議論はNGってことですよね
>>286 ウィキペディアに関しては、管理者の資質の問題が大きいよ
ぶっちゃけ、2chの管理より劣悪だよ。
実際2chの方が、議論しやすいと感じるからね。
301 :
れげらま :2007/06/30(土) 06:21:29 0
>>286 の内容を誤解している人がいるみたいなので解説する。
欧米、インド、アラブなどでは、民族・文化の異なる人達が共存している。
共存しているからには、お互いに対立することもよくある。
そしてその価値観の衝突こそが、建設的な対話をするか否かの機会に結びつく。
ゆえにそこは対話の機会に富んでいる。この機会を活かすかどうかは彼ら次第。
彼らは‘自分とは意見が根本的に異なる人間達’がすぐそこにいるという日常の中を生きている。
民族・文化の枠を越えて物事をより広く客観的に認得しようと思えばその手掛かりがすぐそこにあるという社会環境に恵まれている。
そこでは、口を閉ざすことが自分と相手との間の溝を深くすることにつながる。
まずは口を閉ざさないことがお互いを理解し合うための前提となる。
自分の存在を相手に理解してもらうために自分が何であるかを説明すること、
そして相手を理解するために相手の言い分に耳を傾けること、その一連のやりとりがとくに重要となる。
一方の日本。
日本人はもともと感性が豊かであり、情熱的である。しかしその社会は民族・文化的に著しく穏やかである。
強盗や殺人は発生するが、それはその社会における何らかの根源的な亀裂・対立を示唆するものではなく、単に個人個人の犯罪であることがほとんど。
そこに暮らす人達はみんな、何か特別な心理的事情がないかぎり、お互いを同じ日本人として見つめ合っている。
同じ言語を話し、同じカレンダーを使い、同じ風紀の中で暮らしている。
そこでは自分が人とどのように違う存在であるのかをとくに伝える必要が無い。
もちろん、こういう食べ物が私は好きだ、とか、こういう女性が好みです、とか、そのぐらいの話はある。
でも、「私は日本人です」ということを告げる必要が無い。
同様に、「日本人はこれこれこういうものです」ということを普段から真剣に語る必要も無い。
そこでは、民族・文化の違いにもとづく根源的な対立、という関係構造がごく稀である。
お互いの価値観に多くの共通点があり、お互いの微妙な差異を真剣に議論する必要が無い。
民族・文化にまつわる議論を得意とすること、認識を広げることが、日本人にとっては、生きる上での当然の条件とはならない。
ここに、日本人と一般の外国人との違いの一つがある。
302 :
れげらま :2007/06/30(土) 06:23:59 0
>>299 >
>>296 > >> ナチスによるユダヤ人虐殺を否定する意見を表明しただけで
> >> 逮捕される国があるのはご存じなかったようです。
> >その事件は悲劇という名の例外ですよ。
> 結局、オレ達の気分を害する議論はNGってことですよね
「オレ達」って誰ですか。
>>301 そうでもない。同じ日本でも地域によっては文化や風土が違うし
最近は外国人も目立って来てるし、立場や職種によって考え方もまちまち。
地方と都市部、農村と漁村でも大違いだ
対話や議論をしないのは、サロンの様な場所がないだけ
社会学用語で言うところの、関係資本(Social capital)の問題でしょう。
>>283 >>280 ではないが、
議論をしたいなら、屁理屈に逃げないでスタンスをはっきりさせるべきでは?
「スウェーデン語も英語もフランス語も漢語を取り込んだ時の日本語も造語の仕方に問題は無いが、
それらと比較しても英語を取り込む日本語のやり方だけは問題だ」
という主張なのか?
これでは英語かぶれが駄々をこねてる様にしか見えんが。
305 :
れげらま :2007/06/30(土) 07:32:47 0
>>289 > 「application program」は、和訳しますと「応用企画」や「適合企画」
> あたりが適当な訳語になるでしょうか…。
「application」は、program に組み込まれた式を目的対象(計算する売上高の数値など)に適用する、ということなので、
「適用○○」もありかと思います。
「企画」にはなんだか余分に人為的なものがある気がします。
漢字源によると「企」は「つまだちして待ちわびる」とか「何かを願って計画する」ことを言うそうで、
はたしてこれが「program」の意味に合致するかどうか。
「企画書」など既存の用法もあるので、
いっそのこと新しい言葉を造ってもいいかもしれません。
「program」は式や令の集まりなので、「令集」とか「式彙/しきい」とか。
「application」を「当てること」と捉えれば、「式彙当て」とか「式彙投射」とか。
音読みはちょっと・・・という人は、「式」を「のり」、「彙」を「たぐい」と読むとか。
「アプリケーションプログラム」が10音節、
「のりたぐいあて」が7音節、
とりあえず軽量化してますね。
とまあいろいろ実験してみると、出てくるものが一つだけじゃないんですよね。
日本語にはそれだけいろんな可能性が秘められている。
306 :
れげらま :2007/06/30(土) 08:38:22 0
>>304 > 議論をしたいなら、屁理屈に逃げないでスタンスをはっきりさせるべきでは?
> 「スウェーデン語も英語もフランス語も漢語を取り込んだ時の日本語も造語の仕方に問題は無いが、
> それらと比較しても英語を取り込む日本語のやり方だけは問題だ」
> という主張なのか?
> これでは英語かぶれが駄々をこねてる様にしか見えんが。
屁理屈をしているのは君のほうで、
僕がほんとに英語かぶれであればそもそもカタカナ英語に‘まった’を掛けず、‘どうぞどうぞ’と言っていたはずだ。
まず、日本語がもともと孤立した言語であることを僕は特別な注意に値する事実として認識している。
日本語は、世界の中でも特異な言語として発展するところの機会に本来恵まれていた。
独自の文字体系を有し、独自の音声体系を有し、独自の語彙体系を有し、独自の文法と表現法を有する、
そのような言語を母語とする者は、これに誇りを抱いても罪とはならないはずだった。
日本語は他系統の言語の言葉を借用してもいいとは僕は思っている。
ただし借用のし過ぎは良いことではないと訴えている。
これはどの言語についても言えることだが、日本語の場合とくに強調して懸念してもいい。
なぜなら日本語の話者は、母語にたいする思い入れが一般に浅薄だからだ。
特別な注意を喚起しないかぎり、日本人は自分達の言葉の使い方に関して真剣に省みることなく、
日本語はこれからますます日本語ではなくなってくる。
僕は一人の日本語話者として、物事を日本語で表現できなくなっていることに憤りを感じている。
一人の日本語話者であるから、僕は今このスレにいる。
君がこれまでと同じ反論をいくら繰り返し僕に叩きつけても、
僕が一人の日本語話者である以上、
物事を日本語で表現できなくなっている事態にたいする哀しみを忘却することはできない。
僕はふつうの日本人とは違う。なぜならカタカナ英語よりも日本語が好きだからだ。
日本語が好きであるがために日本人から責められることになるなんて、このうえない皮肉だよ。
307 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/06/30(土) 10:20:51 0
横から失礼。学界ではprogramの訳語として「算譜」を使っています。programmingは「作譜」。 産業界の方々にあまり知られているとは思えませんが。
306の要約: お前ら一般の日本人は、片言の英語も話せないくせにカタカナ英語で着飾って、 醜悪なんだよ。うざいんだよ。目障りなんだよ。 くやしかったら僕みたいに本物の英語をペラペラ話し、イギリス人と音楽を 作れるようになってみろよ。僕は特別な日本人なんだ。 僕は特別な日本人で、理想の日本語像を持っているんだ。僕の理想の母語に 対して、深い思い入れと愛着があるんだ。だから、お前ら一般人が話す ピジン日本語を聞くとムカつくんだ。 僕にはお前らを諭す権利がある。お前らが僕に反論したり、僕を責め立てるなんて 筋違いもいいところだ。そこんとこわかるか?
309 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/06/30(土) 10:56:16 0
310 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/06/30(土) 11:02:21 0
英語はペラペラでも発想はこてこての日本人って言う人、多いね。
>>307 「算譜」も優れた訳だとは思いますが、計算機のprogramにしかうまく当てはまりません。
「来週A社に納品する算譜、まだ完成していないんだって?」とは言えますが、
「来週の定期演奏会の算譜、まだ刷り上ってないんだって?」では不自然です。
「実行内容を前もって(pro-)記述したもの(-gram)」という、原語が持つ幅広い分野への
適合性を、「算譜」では極端に狭めてしまう欠点があります。
抽象度の高い原語を漢字語に翻訳するとき、抽象度が損なわれることがしばしば
あります。上の例では「算」という文字のせいで、抽象度が低下しています。
もう一つ例として、英語のdriverは「動作させるもの、動かすもの」という
とても抽象度の高い単語で、その「もの」が人間であるか機械・器具であるかさえ
問いません。ある分野ではこの単語を「運転手」と訳すことができますが、
screwdriverやdevice driverを「ねじ運転手」「装置運転手」と訳すわけにはいきません。
recorderも、音を記録するときは「録音機」、映像を記録するときは「録画機」などと
使い分けてざるを得ないのが実情です。
漢字語の持つ抽象度の低さのせいで、一つの原語に対して分野ごとにいくつもの
漢字語訳が必要となり、日本語の語彙数をむやみに増やす結果になっています。
逆に言えば、日本語でも抽象度の高い一つの漢字語で済ませるように努力しなければ
なりません。engineは「自動車の機関」「検索機関」にようにどの分野でも常に「機関」と
呼ぶべきですし、recorderはたとえ人間でなくても常に「記録者」と呼ぶべきでしょうか。
312 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/06/30(土) 11:25:28 0
>>308 要約してくれると助かるよ、長文苦手だから。
313 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/06/30(土) 12:09:53 0
「美しい日本語の私」 日本語を愛してる俺って…、うふ。
314 :
れげらま :2007/06/30(土) 17:08:31 0
>>307 > 横から失礼。学界ではprogramの訳語として「算譜」を使っています。programmingは「作譜」。
> 産業界の方々にあまり知られているとは思えませんが。
これらの言葉の使用には反対だ、という人達の意見をうかがいたい。
315 :
れげらま :2007/06/30(土) 17:11:52 0
>>308 > 306の要約:
> お前ら一般の日本人は、片言の英語も話せないくせにカタカナ英語で着飾って、
> 醜悪なんだよ。うざいんだよ。目障りなんだよ。
> くやしかったら僕みたいに本物の英語をペラペラ話し、イギリス人と音楽を
> 作れるようになってみろよ。僕は特別な日本人なんだ。
> 僕は特別な日本人で、理想の日本語像を持っているんだ。僕の理想の母語に
> 対して、深い思い入れと愛着があるんだ。だから、お前ら一般人が話す
> ピジン日本語を聞くとムカつくんだ。
> 僕にはお前らを諭す権利がある。お前らが僕に反論したり、僕を責め立てるなんて
> 筋違いもいいところだ。そこんとこわかるか?
それは要約じゃなくて誇張というものだが。
まあ僕の心情の写しであることにはまちがいない。
316 :
れげらま :2007/06/30(土) 17:19:23 0
>>310 > 英語はペラペラでも発想はこてこての日本人って言う人、多いね。
発想がこてこての日本人なら、僕はカタカナ語に‘まった’を掛けていないよ。
日本語と英語を言語として大事に扱っている点で、僕はふつうの日本人とは違う。
日本語を外来語に頼らず発展させようとする意志を持っている点で、僕はふつうの日本語話者とは違う。
317 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/06/30(土) 17:43:52 0
>>316 日本語を道具というよりも自分の分身のようにとらえているところが
とても日本人っぽい感じがするけど…。
318 :
れげらま :2007/06/30(土) 17:45:30 0
>>311 > 抽象度の高い原語を漢字語に翻訳するとき、抽象度が損なわれることがしばしば
> あります。上の例では「算」という文字のせいで、抽象度が低下しています。[…]
> 漢字語の持つ抽象度の低さのせいで、一つの原語に対して分野ごとにいくつもの
> 漢字語訳が必要となり、日本語の語彙数をむやみに増やす結果になっています。
> 逆に言えば、日本語でも抽象度の高い一つの漢字語で済ませるように努力しなければ
> なりません。
たしかに英語の言葉は日本語のそれよりも汎用性が高い。
日本語の言葉が限定的であることの要因として2つ、考えられます。
1.慣用による錯覚
「新聞」は本来「新しく聞くもの」つまり溶質情報そのものを意味するが、
現在の一般の日本語話者の間では「新聞紙」という溶媒物の指示が常習化している。
2.字のつくりによる制約
「電」は「雨」という字を含んでいるが、
現代においては「電(気)」はかならずしも雨降りの時だけに発生する現象ではなくなった。
それによって「電気」という言葉の本質的な汎用性の低下が起きている。
対応策として3つ、考えられます。
1.因習として意識にこびりついている先入観を払い、言葉を‘解放’させる。
2.つくりを改めた、汎用性の高い字を新しく用いる。
3.和語を使う、あるいは発明する。
319 :
れげらま :2007/06/30(土) 17:51:05 0
>>313 > 「美しい日本語の私」
> 日本語を愛してる俺って…、うふ。
「愛してる」という気持を表現しづらい日本社会の人には通じないだろうな。
320 :
れげらま :2007/06/30(土) 17:59:16 0
>>317 >
>>316 > 日本語を道具というよりも自分の分身のようにとらえているところが
自分のパソコンが外から入る雨に濡れないよう窓を閉めに席を立ち上がった人は、
はたしてパソコンを道具というよりも自分の分身のようにとらえているのだろうか。
321 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/06/30(土) 18:03:20 0
とりあえず、言葉っていうのは通じることが必要最低条件だと思うが。
322 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/06/30(土) 18:09:56 0
れげらまは、日本語話者同士で話が通じなくなってきている現状には あまり興味がないのか?
>>306 英語を外国語として体系的に獲得していくと、"よく整理された統一感のある言語"だとわかってくる。
一方日本語に目を向けるとどうか。何種類も文字を使ったり、縦に書いたり横に書いたりと、"全く統一感が無い"。
挙句の果てに"英語への憧れから"カタカナ語などと言って"間違った英語"を使っているではないか。
なぜ皆"誤りに気づかずに"平気で使っている?そうか、英語がわかってないからだ。
英語ができないくせに、なぜ"日本語"を大切にしないで"英語"を使う?
嗚呼、私は日本人として恥ずかしい。このような日本語の現状に誰も気づいていないなんて。
↑こういう、英語に感化されて視野を広めた気になり、日本語を安易に貶めてしまう人間を「英語かぶれ」という。
特徴は「自分だけがわかっている」という揺るぎない独善的な幻想を盾にすること。
君が「日本語が好きだから」を出発点ではなく看板として利用しているだけなのが透けて見えるから、責める人間が出てくるんだ。
324 :
れげらま :2007/06/30(土) 21:24:29 0
>>321 > とりあえず、言葉っていうのは通じることが必要最低条件だと思うが。
「プログラム」を使う人が沢山いるのは、若いときから一緒にこの言葉を読み書きしてきたから。
通じるというのは、慣れているということ。
「プログラム」のかわりに「さんぷ/算譜」を若いときから一緒に読み書きする人が増えれば、
カタカナ英語よりも日本語のほうが通じるという本来の日本語社会が復活する。
日本人が日本語を使うことの認識論上の利点は、語釈の透明さにある。
「プ・ロ・グ・ラ・ム」は単なる文字の連なりだが、「算・譜」にはそれ以上のものがある。
(逆を言えば、英語話者にとって「作・譜」は単なる文字の連なりだが、「pro-gram(m)-ing」にはそれ以上のものがある。)
「ラ・ン・ニ・ン・グ」は「run」に「-ing」が付いたものであることを体現しないし、
「グ・ロ・ー・バ・リ・ゼ・ー・シ・ョ・ン」は「globalize」に「-tion」が付いたものであることを体現しない。
じゃあアルファベット表記にすればいいだろう、と思っても、今度は
「-ing」や「-tion」や「-ed」や「-ly」や「-er」が日本語の形態素として存在しないという問題や、発音の問題が出てくる。
(なんとも馬鹿げているのは
>>258 でも挙げた「lovin' you」という表記だ。)
借用語の量が少しであればいいが、これが多過ぎると、日本語が存在論的な矛盾をきたすようになる。
母語の語感を保全することの重要さがそこにある。
言葉が通じるかどうかだけでなく、本質が‘見える’かどうかも大切なのだ。
「ドンマイ」や「ロスタイム」は日本人の間で通じる言葉だが、
「Don't mind.」や「loss time」の表現法・文法的誤謬を看過しているので、
実はこれらの言葉の本質を見ていないことになる。
日本人は文明人なのだから、
表現が通じるかどうかに加えて、言葉の本質を見ているかどうかも、言語話者の条件として呑んでもいいはずだ。
表現の伝達・通用ならば猿にもできる。そのもう一つ上の段を狙ってもいいはずだ。
325 :
れげらま :2007/06/30(土) 21:26:44 0
>>322 > れげらまは、日本語話者同士で話が通じなくなってきている現状には
> あまり興味がないのか?
日本語話者として日本語を使うということに関しては、
日本語話者として日本語を使わなくたっていいとするそちらに折れるつもりは僕にはない。
326 :
れげらま :2007/06/30(土) 21:51:01 0
>>323 > 英語を外国語として体系的に獲得していくと、"よく整理された統一感のある言語"だとわかってくる。
> 一方日本語に目を向けるとどうか。何種類も文字を使ったり、縦に書いたり横に書いたりと、"全く統一感が無い"。
> 挙句の果てに"英語への憧れから"カタカナ語などと言って"間違った英語"を使っているではないか。
> なぜ皆"誤りに気づかずに"平気で使っている?そうか、英語がわかってないからだ。
> 英語ができないくせに、なぜ"日本語"を大切にしないで"英語"を使う?
> 嗚呼、私は日本人として恥ずかしい。このような日本語の現状に誰も気づいていないなんて。
> ↑こういう、英語に感化されて視野を広めた気になり、日本語を安易に貶めてしまう人間を「英語かぶれ」という。
> 特徴は「自分だけがわかっている」という揺るぎない独善的な幻想を盾にすること。
> 君が「日本語が好きだから」を出発点ではなく看板として利用しているだけなのが透けて見えるから、責める人間が出てくるんだ。
では、はたして、
日本語が好きであることを出発点とする人間が、
もともとの日本語(例:歌手)がカタカナ英語(例:シンガー)で置き換えられている現状について、
"そうそう、その調子だ、もっともっとカタカナ英語を入れるんだ、嗚呼、おまいら、俺は誇らしいぜちくしょう"
と歓喜するだろうか。
それこそが、
「日本語が好きだから」という看板のもと、英語を取り入れて日本語の語彙を増やしたつもりになっている独善的な人間なのだ。
僕のことを叩く人=日本人が出てくるのは、
僕が日本人のことを批判しているからだ。
我々日本人は、一般に、日本人が批判されるのを好まない。
自分達のことに関してはあまりとやかく言われたくない。
当然といえば当然だ。
しかしそれを忍ばないことには問題の性質を捉えることはできないままだ。
日本人はふつう日本人と話をする。だから日本人に関する理解が主観的・内輪的となり、甘くなる。だからこれまでこの問題を看過してきた。
れげらまは挑戦的な議論を吹っかけるにしては、持ち駒が少なすぎる。 ドンマイの例は一体何度目だ? オリコンのアーティスト名や曲名の話は一体何度目だ? いつまで題材はprogram(ming)で話が続くんだ? そろそろまたステーションシティの話に戻るんじゃないか? オヤジの小言と同じで、同じ話の繰り返し。欧米流の議論ってのは、れげらまが ここでやってるようなことじゃない。手ごわい相手を説得するのに、こんな単調なやり口で うまくいくとでも思っているのだろうか。 (たぶん思っている…)
328 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/01(日) 00:34:04 0
>>327 こえのおおきさと
いったかいすうのおおさ
それがおおければかつのが欧米流ですw
329 :
れげらま :2007/07/01(日) 00:46:57 0
>>327 > れげらまは挑戦的な議論を吹っかけるにしては、持ち駒が少なすぎる。
> ドンマイの例は一体何度目だ? オリコンのアーティスト名や曲名の話は一体何度目だ?
> いつまで題材はprogram(ming)で話が続くんだ?
> そろそろまたステーションシティの話に戻るんじゃないか?
> オヤジの小言と同じで、同じ話の繰り返し。欧米流の議論ってのは、れげらまが
> ここでやってるようなことじゃない。手ごわい相手を説得するのに、こんな単調なやり口で
> うまくいくとでも思っているのだろうか。
> (たぶん思っている…)
これまで僕がした話の内容に、ちゃんとついてきてるの?
というか、君はどの投稿の人?
もう誰が誰だかわかんなくて、誰に何を話したのか、誰から返答をもらってるのか、さっぱりだよ。
欧米流の掲示板の方がいいな。
330 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/01(日) 01:01:44 0
>>327 欧米の進んだやり方についていけない
キチガイはここから出て行けよ
332 :
れげらま :2007/07/01(日) 01:44:39 0
333 :
れげらま :2007/07/01(日) 01:46:35 0
334 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/01(日) 01:52:13 0
>>331 欧米では名前を名乗るのが当然
日本人は卑怯だ
335 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/01(日) 02:15:54 0
そうなのであるよな。 NHKに文句メールを出したら 組織名で返事をよこしやがったので再度文句を言っておいた。 組織が返事を書くにあらず、人間が書くのである、 欧米では政府に手紙を出したら個人の署名付きで返事かくる、とな。 まったく 日本人は卑怯やわ。卑怯は最適の批評用語やな。 私の本の改訂版で使うことにするよ、ありがとう。
336 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/01(日) 02:23:14 0
ブログも日本人のは、自分の写真を貼っているのは、欧米に比べかなり少ない。
337 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/01(日) 02:25:33 0
面と向かって悪口を言わずに陰でコソコソ
338 :
れげらま :2007/07/01(日) 02:29:46 0
339 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/01(日) 02:40:38 0
>>336 さらに、日本語のブログ更新は夜中がやたら多いというデータがある。
340 :
れげらま :2007/07/01(日) 02:52:25 0
現代日本人の日本語・発話にはみられない、言葉を巧みに織った投稿文を
>>338 から・・・
I'll take you to task again with a minor correction.
2ちゃんねらーならば → 「アホですか。」
I tend to agree with whoever posted the comment on this thread
that the comments above are the demolition of a straw man.
2ちゃんねらーならば → 「厨は氏ね」
You are more likely to recognize individual radicals
and they should help you figure out the pronunciations.
Moreover, the semi-language independence of the ideograms
allow you to comprehend some parts of foreign text without knowing how to pronounce any of them.
2ちゃんねらーならば?
There are a number of tradeoffs involved in the ideogram vs. alphabet debate.
Condemning one or the other as inferior is a rather meaningless exercise
in face of thousands of years spent by people around the world who have experimented with both systems.
(Japan has had hiragana and katakana for over 1000 years.
People like Murasaki Shikibu have successfully experimented with writing entire novels exclusively in hiragana.
Why, then, do you think kanji has managed to persist to this day?)
2ちゃんねらーならば?
341 :
れげらま :2007/07/01(日) 03:14:10 0
>>332 >>338 >>340 いくら"欧米かぶれ"と罵られようとかまわない。
これが、議論における日本人と欧米人の態度および発話の違いだ。
これが、日本最大の掲示板におけるやりとりと欧米最大の掲示板におけるやりとりの違いだ。
342 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/01(日) 04:35:19 0
もっと限定すると、ぶんけいにほんじんとりけいのそれとのちがいなのである文系日本人と理系のとられとの違いなのである。 理系は一義的伝達を訓練するから世界で通用する。 日本の英文学教授がアメリカに留学したら会話ができずに廊下の隅をコソコソとうつむいてあるいていたの類の話は腐るほどある。 この逃げていたという意味は発音ではなく、自分の考えを論理的に相手の目を見て主張することができぬということなり。
343 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/01(日) 04:36:28 0
打ち間違いが発生す。 とられ⇒それ
344 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/01(日) 04:49:52 0
>>342 そもそも、理系の学問はどこでも「学問」だが
文型は違うからね。とくに「英語」や「語学」なんて
何十年学んでも現地の十歳の餓鬼に勝てないから
日本に帰ってきたときにコンプレックスを爆発させてしまうのはよくわかるよ
>>326 「日本語が好きであることを出発点とする人間」がもしいるならば、
まず日本語について調べ、よく考えてからカタカナ語についての立場を決めるだろう。
彼は、日本語が中国から文字と大量の漢語を取り入れたという歴史を確認し、
そこで漢語とカタカナ語を比較してみることを考えるかもしれない。
実は同じようなことを応用的にやっているだけなんじゃないか。しかしそこに問題はないだろうか。
また、「日本語」とはどこまでを指すのか、という疑問を抱くかもしれない。
外からやってきたものを除いたものが日本語なら、漢語とカタカナ語を排した和語こそが日本語だろうか。
外からやってきたものを含めて日本語なら、カタカナ語も日本語に含めて考えるべきだろうか。
たとえばそのような思考を経て
・「文字を得た今、漢語・カタカナ語を減らし、ひらがなを使って和語による日本語を多くつくるべきだ」
・「カタカナ語は外国語の音声との違いゆえに時に冗長になり不便だ。漢語か和語に置き換えるべきだ」
・「カタカナで音を借りるのではなく、ある程度意味の類推できる漢語で言い換えたほうが、日本人の言葉として都合がいい」
というような主張をするならいい。
しかし
>>1 の書き込みを見ると、上のように探求したあとは見えない。
それを象徴しているのが、おそらく君が叩かれるそもそもの原因、
>>1 の言うところの「日本語」の定義について何ら説明がなされていない点だ。
これは「日本人批判をするから云々」以前の問題。
「和語と漢語は日本語で、カタカナ語は外国語そのもの」という「考え方の一つ」が
何の断りも無く公然の事実のように使われているのだから、
そこに漢語だシナ語だ、英語かぶれだと突っ込みが入るのは当然だ。
>>1 の書き方では漢語の流入についてすら無知だと思われてもしかたがない。
仮にも言語学板にスレを立てて主張するのに、これはちょっと言葉の使い方がお粗末すぎた。
「僕の定義による"日本語"に、僕だけがわかる"英語"を知らないくせに混ぜるな」
これではどこをとっても独善的、「ひとりよがり」だと言ってるんだよ。
346 :
XYZ :2007/07/01(日) 11:02:56 0
>>318 >対応策
それ、重要ですよね。
本当は日頃からそうした事を皆で考えて行けると良いのですがね…。
>>345 >「僕の定義による"日本語"に、僕だけがわかる"英語"を知らないくせに混ぜるな」
>これではどこをとっても独善的、「ひとりよがり」だと言ってるんだよ。
それは言い過ぎです。れげらまさんはそのような事は思っていないでしょう。
それまでのあなたのご指摘は正しいのかも知れませんが、「叩かれる」ですとか、
あなたの方こそ“偏屈な”思いでそうしたくだらない事言っていないで下さいよ!
子供でもないでしょうに…。
347 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/01(日) 11:58:24 0
で、れげらまとXYZって同じ人なの?
私は先に >漢字語の持つ抽象度の低さのせいで、一つの原語に対して分野ごとにいくつもの >漢字語訳が必要となり、日本語の語彙数をむやみに増やす結果になっています。 >逆に言えば、日本語でも抽象度の高い一つの漢字語で済ませるように努力しなければ >なりません。 と書いたが、実は私自身がこの考え方に懐疑的で、厳しく批判されることを予期していた。 例えばplayerという英語はスポーツなどの選手を指すこともできるし、音楽の演奏者を 指すこともできるし、CDやDVDや半導体メモリから音楽や映像を再生する装置を 指すこともできる。原語が「演じるもの」という抽象度の高い単語である以上、確かに 選手にも演奏者にも再生装置にも当てはまる言葉だ。 だがこの見方は、英米人の世界観に基づいて世界の事物を概念化・言語化した結果であって、 日本人が彼らと同じ世界観で事物を言語化しなければならない理由は何もない。 むしろ、民族ごとに世界観が異なるからこそ、諸民族の言語はこれほどまでに多様なのだ。 英語(に限らずヨーロッパ語)の世界観では、動作するものが人間であるか機械・器具であるかを 問う必要がなく、動詞に-erの語尾を付けるだけで済む。 だが日本人は、そういう抽象的な世界の捉え方に抵抗を感じないだろうか? readerは人ならば「読者」だが、card readerなら「読み取り機」だ。日本人の世界観で、 「読者」と「読み取り機」を単一の単語で表すことを受け入れられるかどうか。 (続く)
(348の続き) 仮に、英語の動詞語尾-erに直接対応する日本文字「¥」を発明すれば、英語と同じように player=「演¥」、reader=「読¥」と翻訳できるだろう。だが、それは日本人の世界の捉え方を 根本から変えてしまわないだろうか? playerやdriverをそのままカタカナでプレーヤー、ドライバ(ー)と書くことの危険性は、 実は英米人の世界観をそのまま無批判に日本語の世界に持ち込んでいることになるからだ。 人間と機械をいっしょくたに取り扱う英語の世界が、あちこちで伝統的な日本語の世界を 侵食している。我々はそれを「別に問題ないじゃん」と受け入れるべきだろうか? 補足1) この問題に関してはスウェーデン語やアイスランド語も動詞語尾-are, -ariで 済ませてしまうので、私の味方にはなってくれない。また、日本人も、その単語が人ではなく 機械や物を指すときほどカタカナ語を積極的に使う傾向があり(例:プリンター、スピーカー)、 日本語の世界観を保持しようとする意志(無意識の抵抗・修正)はある程度残っているようだ。 補足2) 跡取り(人間)、ちり取り(器具)のように、日本語も古くからの和語の世界では人間と 器具を区別する必要性を感じていなかった。したがって我々が感じる抵抗は、実は漢語の世界観が 古来の日本人の世界観を侵食した結果、後世新たに生まれた感情ともいえる。
350 :
れげらま :2007/07/01(日) 20:23:50 0
>>345 > 「日本語が好きであることを出発点とする人間」がもしいるならば、
> まず日本語について調べ、よく考えてからカタカナ語についての立場を決めるだろう。[…]
> 外からやってきたものを除いたものが日本語なら、漢語とカタカナ語を排した和語こそが日本語だろうか。
> 外からやってきたものを含めて日本語なら、カタカナ語も日本語に含めて考えるべきだろうか。[…]
>
>>1 の言うところの「日本語」の定義について何ら説明がなされていない点だ。[…]
> 「和語と漢語は日本語で、カタカナ語は外国語そのもの」という「考え方の一つ」が
> 何の断りも無く公然の事実のように使われている
僕の考えでは、
漢字が輸入されたことで、"日本語らしい日本語"が誕生した。
なぜなら、
1.漢字が元になってようやく、初めての日本語文字が発明された。
2.漢字の使用にともなって、日本語の文学史が始まった。
3.日本の文化そのものが漢字と密接な関係を持つことになった(例:書道、製品、行事内容などにおける漢字の意義)。
突きつめて考えればたしかに和語こそが真に日本民族に由来する語彙体系だが、
上記のとおり、漢字およびそれにもとづく仮名の発明なくしては、千年以上にわたって形成されてきた日本の姿というものがありえなかった。
"日本"という言葉がそもそも、漢字の輸入期以降に出来たものなのである。
このことからも、漢字が取り込まれる以前の"和人"の言葉を"日本・語"そのものとして規定するのは適切ではない。
和語と漢語から派生し、漢字・カタカナ・ひらがなで書かれ、日本人によって話されてきた言語体系のことを僕は"日本語"と呼んでいる。
その日本語に、
アルファベットからなりアメリカ人などによって話されてきた英語の言葉を日本人自身が大量に紛れ込ませている
という現状にたいして、「まった」と僕は声を掛けている。
カタカナ英語は、日本語の形態素を持たないままカタカナという日本語文字に化けている、日本語ではない言葉だ。
その使い過ぎに、僕は日本語話者として注意を促している。
>>346 > 「叩かれる」
>>326 が「叩く人」と書いたのでそれにならったまで。
言葉に文句があれば彼にどうぞ。
> 「僕の定義による"日本語"に、僕だけがわかる"英語"を知らないくせに混ぜるな」
彼がそう思ってるとか思ってないとかいう話ではない。
>>1 をはじめとした書き方では、上のようなことを言っていることにしかならない
という見解を述べている。だから「叩かれる」んだと。
なんでも人格批判ととらえて逆上しないでほしい。子供ではないのだから。
352 :
れげらま :2007/07/01(日) 21:52:49 0
>>348-349 それは重要な指摘です。
ただ、次の表現を考えてみてください。
「The two - he and the dog - went out.」
「Les deux - lui et le chien - sont sortis.」
「Los dos - e'l y el perro - salieron.」
現行の日本語では、この「the two」「les deux」「los dos」という表現がまだできません。
なぜなら「人」と「犬」とで数のかぞえ方を分けているからです。
「人が一つ」「犬が一つ」という言い方をしないから、両者を合わせて「二つ」と呼ぶことができないのです。
「一匹」「一羽」「一個」「一足」「一着」「一冊」・・・という表現には特有の趣がありますが、
必要に応じてこれらを「一つ」「二つ」と数える習慣が定着するのは悪いことではないと僕は思います。
ちなみに、「○羽」にみられるように、物事を抽象化するというのは日本語でも通例のことです。
羽を持っているものならばどれもが抽象化されて「○羽」という数え方をされるのです(鳥のことを「○匹」と数える人も少なくありませんが)。
353 :
れげらま :2007/07/01(日) 22:11:33 0
>>351 >
>>346 > > 「叩かれる」
>
>>326 が「叩く人」と書いたのでそれにならったまで。
> 言葉に文句があれば彼にどうぞ。
もとはといえば
>>25 が僕のことを「叩き甲斐のある異端」と呼んでいたのでそれにならったまで。
> > 「僕の定義による"日本語"に、僕だけがわかる"英語"を知らないくせに混ぜるな」
> 彼がそう思ってるとか思ってないとかいう話ではない。
>
>>1 をはじめとした書き方では、上のようなことを言っていることにしかならない
> という見解を述べている。
カタカナ英語を日本語として捉えない人が他にいること、
英語をわかる人が他にいること、
それを僕は認識しているが。
354 :
れげらま :2007/07/01(日) 22:23:58 0
>>347 > で、れげらまとXYZって同じ人なの?
違う人です。
名札を持っていながらもこういう疑いをふっかけられるなんて。
2ちゃんねるはほんと病的だよ。
で、名無し象は鼻がウナギだ!と名無し象は鼻がウナギだ!って同じ人なの?
356 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/01(日) 23:23:11 0
れげらまさんへ 日本と欧米は社会構造が根本的に違うのです。 「個人」もいなければ「社会」もないのです。
357 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/01(日) 23:24:01 0
>>350 前と後ろが全く繋がってないんだよな
きみの文ではかたかな英語と日本語における漢字のちがいがゼンゼンわからん
千年後にはローマ字やカタカナ英語の増加で
かたかな語が輸入されたことで、"日本語らしい日本語"が誕生した。
といえてるかもよ
358 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/01(日) 23:26:10 0
>>356 それは日本の社会が欧米の社会に対して劣っているということです
日本人みんながぼくちゃんのように欧米を理解し欧米型の考え方をしなければなりません
359 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/02(月) 00:43:17 0
議論が成り立ちにくいのが日本語の特徴なのにそこを批判しつつ 「日本語を愛している」と言うところがよくわからん。
360 :
れげらま :2007/07/02(月) 00:45:42 0
>>357 > 千年後にはローマ字やカタカナ英語の増加で
> かたかな語が輸入されたことで、"日本語らしい日本語"が誕生した。
> といえてるかもよ
いえてるはずがないよ。
それ以前に"日本語らしい日本語"が既に過去に誕生しているんだから。
> きみの文ではかたかな英語と日本語における漢字のちがいがゼンゼンわからん
>>350 で挙げた1〜3の項目にあるとおり、漢字の輸入は日本語文化の基盤を形成した。
和語の起点はそれ以前に遡るが、日本語の起点は漢字の輸入期にある。
日本語の基盤はそこにあるのであって、カタカナ英語を使うという現代の流行にあるのではない。
この本来の日本語とカタカナ英語との間に違いが無いとすれば、
日本語社会において「みず/水」と「ウォーター」は容易に代替することが可能であるはず。
さて、君は日本の食屋において、「ウォーターをください」と言えるか?
言えたとして、それを店員は「水をください」と同等に自然な日本語として受け取れるだろうか。
カタカナ英語が本当に"日本人が自在に使用できる日本語の造語成分"であれば、
「ミネラル・ウォーター」の「ウォーター」を使って「ウォーターをください」と言うことにはなんら問題は無いということになる。
そして最終的にこの論理は
「ミーはこのワークをマネジしておくからユーはそのドキュメントをアレンジしておいてプリーズ」
という文を日本語として規定することを許す。
君の「ゼンゼンわからん」は究極的にそのような規定につながる。
もう一度君に訊く。"カタカナ英語"と"日本語"の違い、ほんとにわからない?
361 :
れげらま :2007/07/02(月) 00:51:16 0
>>359 > 議論が成り立ちにくいのが日本語の特徴なのにそこを批判しつつ
> 「日本語を愛している」と言うところがよくわからん。
議論が成り立ちにくいのは日本語のせいではない。話者のせいだ。
>>361 >話者のせいだ。
p-a、あんたのことか?w
363 :
れげらま :2007/07/02(月) 01:31:24 0
>>362 >
>>361 > >話者のせいだ。
> p-a、あんたのことか?w
"p-a"といったって、ここでは"れげらま"だよ。
364 :
れげらま :2007/07/02(月) 01:57:13 0
ビートたけし テリー伊藤 リリー・フランキー ガッツ石松 横山ノック ジャイアント馬場 ・・・
比較する対象は水(みず)とウォーターではない。水(すい)とウォーターだ。 「水(すい)を下さい。」「ウォーターを下さい。」は現時点でいずれも通じない。 「還元水(かんげんすいw)を下さい。」「ミネラルウォーターを下さい。」は 現時点で両方とも自然に通じる。 この差が生じるのは、いずれも外来語である漢語の水(すい)と英語のウォーターが 単独では和語の水(みず)を差し置いてまで日本語として使えないからだ。 これらはあくまでも「和語では表現できない合成語」の中の形態素としてしか使えない。 対応する和語も漢語も存在しない「コーヒー」などは言い換え不能なので、 「コーヒーを下さい。」が唯一の表現となる。信じられないことに、 「おコーヒーを下さい。」とすら言える。 問題は、対応する和語は存在しないが漢語は存在する場合、例えば「茶」の場合で 「お茶を下さい。」は自然に通じるが、「(お)ティーを下さい。」では通じない。 我々が和語と漢語と英語をどのように区別して扱っているかを示す面白い例では ないだろうか。 れげらまの側でも余り乱暴な単純化をすると、議論の本質が失われてしまうことには 留意すべきだ。
366 :
れげらま :2007/07/02(月) 03:23:44 0
>>357 > きみの文ではかたかな英語と日本語における漢字のちがいがゼンゼンわからん
>>365 > 比較する対象は水(みず)とウォーターではない。水(すい)とウォーターだ。
> れげらまの側でも余り乱暴な単純化をすると、議論の本質が失われてしまうことには
> 留意すべきだ。
単純化をしたのは僕のほうであると君が言っているのはなぜだ。
>>360 は、
>>357 にたいする返答。
>>357 がわからなかったのは、かたかな英語と漢字のちがい。
>>360 は、「ウォーター」と「水」の例を挙げた。
「ウォーター」と比較するべきものは「水/すい」であると君が単純化して断言しているのはなぜだ。
日本語における「水」という字は「みず」とも読む。
また、「水」という字単体を「すい」と読む日本人はほとんどいない。
とりあえずなんでもいいから名前を持ってくれませんか。
どの名無し象がどの発言をしたのかがわからない。
議論の本質以前に、個人対個人のやりとりが成立していない。
367 :
れげらま :2007/07/02(月) 03:52:30 0
>>365 > 問題は、対応する和語は存在しないが漢語は存在する場合、例えば「茶」の場合で
> 「お茶を下さい。」は自然に通じるが、「(お)ティーを下さい。」では通じない。
> 我々が和語と漢語と英語をどのように区別して扱っているかを示す面白い例ではないだろうか。
それは"区別して扱っている"んじゃないよ。
自然に通じる対応語が無いだけだよ:
みず / /
/ 茶 /
/ / コーヒー
"区別して扱っている"というのは次のような場合:
おんなのこ / 女子 / ガール
368 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/02(月) 06:15:12 O
「みず」という言葉は明らかに和語なのに、 漢字で「水」とも書くから漢語として扱えると…? 上の議論を読むとれげらまがそう言ってるように見えて しょうがないんだが…? 漢語とカタカナ英語を対比してるんだから、 「みず」と「ウォーター」を比較してもしょうがないだろうに。
369 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/02(月) 06:25:13 0
>>360 いえてるはずがないよ。
それ以前に"日本語らしい日本語"が既に過去に誕生しているんだから。
君の脳内にすべてが依存してるのか?
370 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/02(月) 06:37:17 0
>>360 >>366 え?
「みず/水」
「みづ」と「水」は別のものでしょ・・・・
みづください
スイください
ウォーターください
一番通じないのは水だね
>「ウォーター」と比較するべきものは「水/すい」であると君が単純化して断言しているのはなぜだ。
みづは日本語だから通じるのは当たり前
スイはシナ語
ウォーターが英語だからでしょ
で、シナ語(漢語)は一番通じずらいわけだ
>日本語における「水」という字は「みず」とも読む。
日本語の「みづ」とシナ語の「水」は別のものです
>>368 まあ、議論といっても最初から同じことの繰り返しだからね
相手があきれてどこかにいくまで
大声で同じことを叫び続けるのが欧米流だとおもってるんでしょ?
371 :
れげらま :2007/07/02(月) 17:16:39 0
>>368 > 「みず」という言葉は明らかに和語なのに、
> 漢字で「水」とも書くから漢語として扱えると…?
> 上の議論を読むとれげらまがそう言ってるように見えて
> しょうがないんだが…?
> 漢語とカタカナ英語を対比してるんだから、
> 「みず」と「ウォーター」を比較してもしょうがないだろうに。
"漢語"じゃなくて"漢字"。
>>350 > 漢字の輸入
>>357 > かたかな英語と漢字
「水」は"漢字"。「みず」は「水」の訓読み。
「ウォーター」と「水」の比較は、
かたかな英語と漢字の比較。
「ウォーターを大切に」
「水を大切に」
372 :
れげらま :2007/07/02(月) 17:41:39 0
>>360 > いえてるはずがないよ。
> それ以前に"日本語らしい日本語"が既に過去に誕生しているんだから。
>>369 > 君の脳内にすべてが依存してるのか?
"日本語らしい日本語"がなぜ既に過去に誕生しているのかについては
>>350 で説明したでしょ。
漢字が入る前までは無文字の"和語"しかなく、また、
漢字が入った後に始まった文学が日本語文学と呼ばれている。
日本語の起源を「ミーはこのワークをマネジする」という表現が定着する時代に求めるのには無理がある。
日本語の歴史の起点、日本語の基盤は、そんな時代にまであとしざりしない。
こう言う人はいるかもしれない:
「いや、日本語はまだ真に誕生していない! 日本語はもっと英語っぽくて粋で格好いいものであるべきだ!
和語や漢語なんて本当の日本語ではない! いつかカタカナ英語がすっかり充満する日にこそ本当の日本語は誕生する!」
・・・ これがまさに"脳内にすべてが依存してる"というものだ。
日本語がいまだ誕生していないのなら、なぜ我々は"日本語"という用語を既に使っている?
373 :
れげらま :2007/07/02(月) 18:04:16 0
>>370 > 一番通じないのは水だね
「ウォーターを大切に」や「みづを大切に」という標語よりも
「水を大切に」という標語が一番通じない日本人・・・
> で、シナ語(漢語)は一番通じずらいわけだ
「noble」や「あてやかな」よりも
「高貴な」が一番通じづらい日本人・・・
(「通じづらい」よりも「通じずらい」が通じやすい日本人・・・)
> 日本語の「みづ」とシナ語の「水」は別のものです
「水」はシナ語というよりも、日本人が日本語で使っている字だ。
> まあ、議論といっても最初から同じことの繰り返しだからね
> 相手があきれてどこかにいくまで
> 大声で同じことを叫び続けるのが欧米流だとおもってるんでしょ?
おもってないよ。
そういう態度をとるのは、僕の議論の対立者のほうだよ:
「叩き甲斐・追い出し甲斐のある異端が言語学板に現われたようだ。」
>>25 個人と個人とで議論を交わすというつもりが君達には初めから無いから、
やりとりが泥沼化しやすいのさ。
いいかげんに名前を持ちなよ。まずはそれからだ。
374 :
368 :2007/07/02(月) 19:26:01 O
何、文字の話してたの? 和語を漢字で書くようになるのと、 音読みの漢語を使うようになるのは全然違う話だろう? 水(みず)と水(スイ)は全然違う。 和語とか漢語とかカタカナ英語とか言ってたのに、 いつの間に文字の話にすりかわっているのか。 漢字を導入して和語を漢字で書くようになったって、 それはあくまで訓読みであり音読みの漢語とは全然性質が違う。 文字と語彙をわざとごっちゃにしてるのか?
375 :
れげらま :2007/07/02(月) 20:24:42 0
>>374 > 何、文字の話してたの?
> 和語を漢字で書くようになるのと、
> 音読みの漢語を使うようになるのは全然違う話だろう?
> 水(みず)と水(スイ)は全然違う。
> 和語とか漢語とかカタカナ英語とか言ってたのに、
> いつの間に文字の話にすりかわっているのか。
>>345 は、日本語の定義とは何かを訊いてきた。
だから僕は
>>350 で、"漢字が入る前にあった和語と、入った後に出来た日本語"という考え方を教えた。
それでも
>>357 は「かたかな英語と日本語における漢字のちがいがゼンゼンわからん」と言ってきた。
だから僕は
>>360 でもう一度、日本語の基盤を築いた漢字の意義に留意するよう教えた。
すると
>>365 は「比較する対象は水(みず)とウォーターではない。水(すい)とウォーターだ。」とかなんとか言い始めた。
質問をしておいて議論についてきていないのは君だよ。
いや、そもそも僕はいったい誰と話してきたんだ?
368さん、374さん、
数字ではなくて文字を、他と判別できる文字列を、名札として持ってくれないか。
投稿番号そのものではなく"議論者一個人"としての名前を持ってくれ。
それとも、一つの同じ名札を携えながら議論を続けることに何か問題でもあるのか。
376 :
れげらま :2007/07/02(月) 20:41:00 0
>>374 > 文字と語彙をわざとごっちゃにしてるのか?
晩上好。加油。
377 :
れげらま :2007/07/02(月) 20:57:22 0
>>374 > 文字と語彙をわざとごっちゃにしてるのか?
Good evening. Keep it up.
先に私は
>そうだな。最近では、
>>267 、
>>280 、
>>294 、
>>311 を書いた。
と書いたが、私が最初に書いたレスは
>>25 だった。半分冗談のつもりだったが、
これほどドンピシャリの気の毒な展開になるとは思わなかった。
このような結果を招き、れげらま氏には大変済まないことをした。
お詫び申し上げる。
アイスランド人の国語純化主義と巧みな造語能力(彼らはコンピュータを数巫女と呼ぶ)に
惚れて長年アイスランド語と付き合ってきた私としては、れげらま氏の主張そのものに
異を唱えるつもりはなかった。遺憾なことだ。
私はもうこのスレッドには来ないので、ここから先の雰囲気は急速に改善し、有意義な
議論が展開されるようになるだろう。
私のちょっとした苛立ちに巻き込んでしまった他の参加者の方々にもお詫び申し上げる。
では、これにて。
379 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/02(月) 22:34:16 0
>>372 >> 君の脳内にすべてが依存してるのか?
>"日本語らしい日本語"がなぜ既に過去に誕生しているのかについては
>
>>350 で説明したでしょ。
説明?
ただの妄想でしょ
380 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/02(月) 22:35:42 0
>>373 「ウォーターを大切に」や「みづを大切に」という標語よりも
「水を大切に」という標語が一番通じない日本人・・・
あたりまえでしょ
日本語しゃべれるの?
381 :
れげらま :2007/07/02(月) 22:53:36 0
>>379 > >"日本語らしい日本語"がなぜ既に過去に誕生しているのかについては
> >
>>350 で説明したでしょ。
> 説明?
> ただの妄想でしょ
どのあたりが妄想なのかを説明してもらおうか。
382 :
れげらま :2007/07/02(月) 22:55:15 0
>>380 >
>>373 > 「ウォーターを大切に」や「みづを大切に」という標語よりも
> 「水を大切に」という標語が一番通じない日本人・・・
> あたりまえでしょ
> 日本語しゃべれるの?
どのあたりがあたりまえなのかを説明してもらおうか。
383 :
れげらま :2007/07/02(月) 22:56:12 0
384 :
XYZ :2007/07/02(月) 23:51:28 0
はじめに、長文失礼します。
わたしは
>>348-349 は名レスだと思います。
わたしも漢語(日本語)の汎用性の低さから、英語などの汎用性の高い外国語を
翻訳する際にはついうっかりとれげらまさんの
>>318 や
>>352 のレスのような「対応策」を
とる事の方に気を取られていましたが、
確かにある程度はそうした努力をする事は必要なのかもしれませんが、しかし
数詞などの例もそうなのですが、わたしは何もわざわざ向こうの原語の形式に
そこまで同質の訳を“あてる”又は“つくる”必要は無いとも思います。
なぜなら、漢語(日本語)はむしろその汎用性の低さが売りであり、逆に言えば
その言葉が指し示す意味を“限定化出来る”という事が、英語などには無い大きな
特徴であるからです。
訳語が多くなるという事は何も悪い事ではありません。
例えば、「I」を「わたし」「わたくし」「あたし」「僕」「俺」「我」……と
多様に訳せる事によって、話者の心情や立場をより具体的に表すことが出来ますよね。
「service」には汎用性のある訳語として「役務」という訳語がありますが、
場合によっては「奉仕」「給仕」「世話」などの訳をあてる方がより聞き手には
内容が伝わりやすい時もあります。
実はこの辺りの「対応」の仕方に対する解釈の違いが、れげらまさんの「カタカナ語を
アルファベット表記にしよう」という意見と、わたしのような「カタカナ語は保持して
活用していくべき」とする意見との違いなのではないでしょうか?
(続く@)
385 :
XYZ :2007/07/02(月) 23:58:18 0
れげらまさんの「カタカナ語→アルファベット」の意見に対して、わたしは先日 シンガポールのような国がその例となるだろうかと言いましたが、 わたしはシンガポールよりももっとそうした施策が有効に作用する(している) 国の例として、ブラックアフリカやオセアニアの国々が挙げられるかと思います。 それらの国々に共通している事は、一国内に多様な民族(部族)が存在し、日本のように まとまった“国”としての歴史が浅いという事です。そうした国々では国民の 識字率がまだ高くなく、また英語やフランス語などの外国語が諸民族(部族)の 共通語となっています。ですから商売をはじめ、国内で生活していく為にもその “共通語”を修得する事が必要不可欠であったりもします。それに、もともと 文字文化自体が無い場合も多いですので、自民族の言葉にもアルファベット表記が 使わています。 このような地域では、日本にあるカタカナ語に相当するものをアルファベット表記に する事は多くの人々にとって有効であり、またそうしないわけにもいかない事情が ありますよね。 しかし一方のわたし達が住む日本の場合はどうでしょうか? 国民は北海道のアイヌなどの少数民族を除けば、ほとんどが日本民族(大和民族) という範疇に入るでしょうし、日本という“国”としての歴史も一千年以上は あります。漢字・平仮名・片仮名を用いる日本語もありますし、国民の識字率も 現在はほぼ100%に近いという状況です。おまけに国内だけで生活するぶんには 英語の理解は必要条件ともなりません。 (続くA)
386 :
XYZ :2007/07/03(火) 00:00:44 0
(続きA) そうした中で、汎用性の高い外国語の訳語に(日本語の多様性を活かさずに) わざわざ同質の訳語をあてようと考えたり、敢えてカタカナ語をアルファベットに 変換するという事は、つまり日本人または日本という国が過去に培ってきた歴史や 伝統を軽視し、それを活かそうとしていないように感じられないでしょうか…? 特に後者の方は。 れげらまさん、カタカナ語も立派な日本の文化です! わたし達が日頃なぜ平仮名と 片仮名を使い分けているのでしょうか? 明治時代以降、平仮名と片仮名を今日のように 使い分ける事となったのも、主に外来語への日本人なりの対応の為なのではないですか? わたしにはこれは日本人には非常にわかりやすく、かつ機能的な用法だと思われます。 わざわざそれを廃するなんて…。 いくら英語が最大の国際語だからといっても、それではまるで老人の世話を無視して 子供の教育にしか力を入れないようなものです。 まずは日本という国の過去を、個性を、活かさなくては!! (完)
387 :
XYZ :2007/07/03(火) 00:03:48 0
>>347 わたしからも…、違います。
第一、そのような事をして何の意味があるのですか?
>>351 それはわかっていますよ。
でしたらなぜあなたは「僕だけがわかる"英語"」とか「独善的」などと皮肉めいた
言い方をするのですか?
それに、わたしが「逆上」しているわけではないでしょう?
また、わたしは「人格批判」などとは思ってはいませんよ。
このようなレスをしていても仕方ないのですが、
見解が違うからといって、れげらまさんに対しハナから不毛な野次や皮肉を
吹きかけている人(達)がいるようですからね…。しかも“名無し”で。
彼はあくまで提言をしているだけですよ!
わたしなんて本当は実名でやりたいくらいですが、彼の言うように、そのように
名無しで無責任に茶々を入れていないで、皆さんもっと堂々と議論をすれば?
388 :
XYZ :2007/07/03(火) 00:16:33 0
《補足》
>>385 のレスの最初に (続き@) を挿入。
389 :
206 :2007/07/03(火) 00:17:39 0
>>384 抽象度に関していえば特定の言語のもつ性質ではなく
それぞれの言語による世界の分節の仕方の違いによって
現れるものだと思います。
ある語が別の言語に翻訳される際に分野ごとの訳語が必要になるのは
言語間で対称的なものなのではないでしょうか。
390 :
XYZ :2007/07/03(火) 00:58:55 0
>>389 つまりあなたが言いたいのは、わたしの言う漢語(日本語)だけがある事物に対して
具象度が高いというわけではない、ということですよね?
391 :
れげらま :2007/07/03(火) 01:26:09 0
>>384 > 「I」を「わたし」「わたくし」「あたし」「僕」「俺」「我」……と
> 多様に訳せる事によって、話者の心情や立場をより具体的に表すことが出来ますよね。
別の見方をすれば、
自分と相手との立場を設定しないことには自称を使えないわけです。
また、イデオロギーの拘束を免れることも難しくなります。
たとえば女性が「俺」を使えないとか、男性が「あたし」を使えなかったり。
体が女性でも心が男性という人や単に男性と同等の立場で語りたいという人が「俺」を使いたくても、
それが社会では認められないのです。
すると男女共通の「わたし」を使えばいい、ということになりますが、今度はそこに
"表現の硬さ"や"日常性"の違いが関わってきます。
「わたし」は女性にとってはごく日常的でも男性にとってはかならずしもそうではなかったりします。
そのあたりの不均衡があるので、
日本語の人称はかならずしも日本人が自在に使い分けられるものではないのです。
"こういう場合・場面のときはこれこれこういうものを使う"
という約束が日本社会の中には組み込まれています。
憤りを感じる或る話者が自分の心情をより具体的に表そうとしたところで、
会社の上司に向かって「俺は」とか「お前は」とか、なかなか言えません。
社会の常識の中の立場関係の相違を表すために表現が分化しているということは、
社会の常識に囚われたうえでしかそれらの表現を使えないという制約と表裏一体なのです。
(ちなみに、そのような日本社会の中にいて溜まる日々の精神的抑圧を解放するうえで、
お互いの顔が見えない2ちゃんねるのようなインターネット環境はまさに日本人に打ってつけです。
インターネットにおける日本人の匿名分化の普及はそのような動機に拍車をかけられていると考えることができます。)
ふつう日本の子供が親にたいして「you」に相当する語句を使うことができずに
「ママ」とか「お母さん」とか「お袋」という普通名詞を用いるはめになる、
というのも興味深い現象です。
親を人間一個人として呼ぶよりも、社会構造の中の一駒としてそれ相応の称号で呼ぶ。
日本社会の"常識"を日本人は早い時期から家庭の内側で意識に組み込むわけです。
392 :
れげらま :2007/07/03(火) 02:11:29 0
>>385 カタカナ語のアルファベット表記(カタカナ音声の忠実なローマ字表記)は、あくまで
同じ一つのカタカナ語を英語として扱ったり日本語として扱ったりするというケジメの無さを自覚するための処方です。
「ネットゲーム」のローマ字表記を「netto gēmu」ではなく「net game」として考える人は沢山いますが、
すると「ネトゲ/netoge」という省略がなぜ可能になるのかを説明できなくなります。
「ネットゲーム」が「ネトゲ」となるのは自然でも、
「net game」が「netoge」となることにはどの合理性も見あたりません。
この外来語、
アルファベットで書くときは英語として扱われていながら、
カタカナで書くときは日本語として扱われ、好きなように省略されています。
省略するときは都合よく日本語のカタカナ音声とみなされ、
それ以外は英語のアルファベット音声とみなされているのです。
そのような迷妄にたいして僕は、
「ネットゲーム」というカタカナ音声はちゃんと「netto gēmu」として認識しよう、ということを唱えたのです。
それをして初めて、カタカナ語の省略は筋が通るようになります。
同様に、くどいようですが「ステーションシティ」も、アルファベット化するときは「sutēshon shitī」と書かれるべきなのです。
しかしそのような認識を一般の日本人はまだ達成していないから、
カタカナ語を正しくローマ字表記できることが最初の一歩となる、という見解を僕は述べたのです。
もっとも手軽なのは、そもそも日本語環境において外来語を英語表記しない、ということです。
「Tokyo Station City とは・・・」という書き方(
http://www.tokyostationcity.com/ )をしなければいいのです。
393 :
れげらま :2007/07/03(火) 02:30:32 0
>>386 日本語におけるカタカナという文字の機能性を僕は認識しています。
また、外来語を根こそぎ排斥するというつもりは僕にはありません。
ただ、
今の日本人はカタカナ英語を使い過ぎている
のです。
僕の議論は、あくまで
カタカナ英語を使い過ぎる人達への"鎮静剤"あるいは"酔い覚まし"となれれば
とりあえずそれでいいのです。
僕の言説が全体的に日本人を否定的に描写しているのは、
"日本人としてもっと自覚・自意識を持たなくては"ということに目覚めてほしいからです。
日本語の個性を引き出すことにいくら意義があっても、
話者の側に日本人としての意志が無ければ何も始まりませんから。
394 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/03(火) 03:29:22 0
「 "日本人としてもっと自覚・自意識を持たなくては"ということに目覚めてほしい」 のであるならば著書を執筆するが良かろう手。 こんなところで油を売らずに表で行動せよ。
395 :
れげらま :2007/07/03(火) 04:47:03 0
>>394 > こんなところ
最も多くの日本人が集うところ・・・
396 :
206 :2007/07/03(火) 13:13:10 0
>>390 ある言語が他の言語にたいして抽象度が高いとか低いとかを
いうことはできないということです。
ある言語においてはは
「管弦楽を指揮すること」「くぎを打つこと」「自動車を運転すること」などを
「外側から力を加えて動かす」といった意味でひとつの言葉で表現することができます。
そのひとつの語はわれわれからすれば抽象度が高く感じられるでしょう。
ですが彼我を逆にしても同様なことが起こりえるでしょう。
和語はそういった意味で抽象度が高いのではないでしょうか。
しかしここで言われているような「抽象度の高さ」は以前は「未開さ」とされていたことを
思うと言語を評価することの難しさを感じます。
397 :
れげらま :2007/07/03(火) 17:18:37 0
>>396 > ある言語が他の言語にたいして抽象度が高いとか低いとかを
> いうことはできないということです。
> ある言語においてはは
> 「管弦楽を指揮すること」「くぎを打つこと」「自動車を運転すること」などを
> 「外側から力を加えて動かす」といった意味でひとつの言葉で表現することができます。
> そのひとつの語はわれわれからすれば抽象度が高く感じられるでしょう。
> ですが彼我を逆にしても同様なことが起こりえるでしょう。
日本語話者でもあり、英語話者でもある人は、
「(管弦楽を)指揮する」「(くぎを)回し込む」「(自動車を)運転する」にたいする「drive」の抽象度を
どのように受け取るでしょうか。
英語を母語とする人でも、日本語を母語とする人でも、誰でも、
上記の日本語表現にたいする「drive」の抽象度については
それを"高い"ものとして認識することはできます。
一つの語にたいして複数の訳語が存在する、という構図は客観的なものです。
そしてそのような客観的な手掛かりを集めて総合的に観察すれば、
或る言語の抽象度の高さ・低さを科学的に語ることはいくらかできるようになります。
"どの言語がもっとも抽象的か"、という一般化はさておき、すくなくとも、
"この言語はこの分野において抽象的・具体的である"、という解釈は可能なのです。
たとえば、英語よりもホピ語のほうが天候に関して抽象度が低い、と言うことができます。
398 :
206 :2007/07/03(火) 18:11:46 0
>>397 それは同意しますよ。
これは推測にすぎませんが、
イヌイットの言語における、雪に関する分野の語の抽象度は
日本語に比べ著しく低いのではないでしょうか。
ですがその事実からはイヌイットの言語そのものが
日本語よりも抽象度の低いものであるとは言えません。
この世界を言語によって分節化する、その仕方の違いが明らかになるだけです。
その根底には神話や宗教に由来するものもあるでしょう。
わたしはむしろそちらの方に興味があります。
399 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/03(火) 18:47:15 0
その言語にとって必要性の高い表現が 発達していく(具象度が高くなる)ものなのではないですか…?
400 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/03(火) 19:23:46 0
>>399 だから、日本語には主語がないんじゃないかな。必要がないから。
401 :
れげらま :2007/07/03(火) 20:54:54 0
>>400 > だから、日本語には主語がないんじゃないかな。必要がないから。
必要が無いというより、使いたくない、のだろう。
会話において「私は」「私は」、「あなたは」「あなたは」と繰り返すことに感じる対人心理的な億劫はもとより、
音節数が多くなりやすいという日本語の性質上、言葉をできるだけ省略して発話を短くしたほうがいい、ということがある。
英語の「mi」や「you」あるいは中国語の「我」などが1音節であるのたいし、
「わたしは」と「あなたは」は3音節となり、音声として"かさばる"ものである。
英語や中国語のように指示詞が単音節的であればこれを毎度を用いることに苦はないが、
日本語でそれをすれば発話が"じれったい"ものとなってしまう。
ゆえに日本語ではそういうものは省略したほうがいい、ということになる。
(日本語で音節数がかさばってくるのは固有名詞でも同様だ。
「Michael Jackson」が4音節であるのにたいして「マイケル・ジャクソン」は7(8)音節、ほぼ倍となる。)
そして次に考えるべき点は、"格変化"の仕組が日本語には無い、ということだ。
ポーランド語やスペイン語などでも日本語と同じぐらい主語が省略されるが、
動詞や形容詞の形が主語の格によって変化するので、主格の正体を文が完全に失うことはない。目的格についても同じ。
一方の日本語では、「好きです」にみられるように、主語と目的語を省きながら、主格と目的格を参照した変化もつけない、
という表現が可能となっている。
或る人が誰かに面向かっていきなりこの表現を使えば日本人は「(わたしは)(あなたが)好きです」と推測するようになっている。
(英語にすればこれは「Like/Love.」となり、そのような場面で使ったとて聞き手はより具体的な意味合が指示されるのを待つ。)
ここでの「わたしは」と「あなたが」の欠如は談話法的省略規則にもとづいている。
こういう場面におけるこういう表現はこういうことを意味するのですよ、ということが日本語話者の頭に組み込まれている。
つまり、こういった言葉の省略は、
なにかしらの免れえない普遍的な必然性によって起きているのではなく、
歴史などを通じて慣習化している特有の用法に話者が従順となることで可能となる。
402 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/03(火) 21:28:23 0
>>401 主客融合しているから主語なんていらないんだよ。
>>399 >>401 専用スレが立ったんだから、主格融合スレにお帰りください。
>>400 が主語の省略のことだと勘違いしてしまったではありませんか。
失礼、スレ番に+1してください。
405 :
れげらま :2007/07/03(火) 21:56:00 0
>>402 >
>>401 > 主客融合しているから主語なんていらないんだよ。
それは正解。
そこにあえて主語を入れると、
たとえばヤクザのこういう表現が出来上がる:
「ワレぇ、なにしとんのじゃ」
「ワレ」は「我」で「自分」のことだが、
ここでは主客融合して「相手」を「自分」に当てはめて表現している。
自分はこんなことしないんだから、お前もこんなことするな、という意味になる。
(ただし実際にはヤクザは自分がやっているようなこと(肩を人にぶつけるとか)でもこれを相手がするのを戒めようとするのがふつう。)
このような表現は実は英語にもみられる:
「It started to rain. And I hurried to a bilding. Because you don't want to get wet.」
雨に濡れたくなかったのは自分自身だが、それはみんなにも一般化できるということで、
聞き手を自分に融合させて「I」を「you」に置き換えている。(時制もついでに変わる。)
406 :
れげらま :2007/07/03(火) 22:01:42 0
そろそろ僕もこのスレを去ることにします。 みなさんごくろうさまでした。さよなら。
407 :
XYZ :2007/07/03(火) 22:13:23 0
>>391 「匿名分化」は「匿名文化」の打ち間違いですよね…。
それはさておき、わたしもそれはその通りだと思います。
日本語には他にも“敬語”などもありますよね。しかしそのような多様な表現が
必ず実際の人間の生活に要るものかというと、そうでないものも沢山あります。
日本の社会の“常識”を維持する為だけの規則と言いますか、所謂「ルールのための
ルール」というものです。
これらは非合理的であったり人間平等の精神に反していたりしますので、日本以外の
世界の国々には受け入れられないものである場合も多いですよね。
>ふつう日本の子供が親にたいして「you」に相当する語句を使うことができずに
>「ママ」とか「お母さん」とか「お袋」という普通名詞を用いるはめになる、
>というのも興味深い現象です。
>親を人間一個人として呼ぶよりも、社会構造の中の一駒としてそれ相応の称号で呼ぶ。
>日本社会の"常識"を日本人は早い時期から家庭の内側で意識に組み込むわけです。
これはむしろ子供が出来ないのではなく、親自身または親同士が自分のことを
「わたし」「僕」・「あなた」「君」などと言えずに「お母さん」「パパ」などと
と言っていたり、呼び合っていたりする事が原因でしょう。そうした大人が身近に
いる環境で子供が育つと、自分のことを「さっちゃん」「洋子」と言ったり、
相手を二人称で呼ぶ事が出来なくなってしまうのです。
つまり日本の社会で生きている大人達が、“自分”を“相手”に主張しない、
“個対個”のやりとりを正面からしようとしない人達が多いという事です。
そうそう、それと最近よく使われる「パパ」や「ママ」は和訳すると「とと」や
「かか」になるのですが、現在の日本語ではほとんど使われないこうした言葉が
外来語だとよく使われるという所にも、現在の日本人の“かぶれ”意識を垣間見る
事が出来ます。実際の欧米、特にイギリスやアメリカでは「papa」「mama」は
両親への呼びかけにはほとんど使われないですのにね…。
ちなみに、こうした事から、わたしは日頃世間の人に対しては敬語でも“丁寧語”しか
使いません。また両親にはちゃんと「あなた」という言葉を使います。
408 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/03(火) 22:41:26 0
埼玉では女が自分の代名詞として「俺」を使う。
>>398 「イヌイットの言語には、雪に関する言葉が何十種類もある」というのは
都市伝説らしいよ。
410 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/04(水) 01:44:34 0
アラビア語にはラクダの体の部位に関することばが 数十あるというのは同かな
411 :
XYZ :2007/07/04(水) 05:10:33 0
>>392-393 >カタカナ語のアルファベット表記(カタカナ音声の忠実なローマ字表記)
すみません、わたしは全文をしっかりと読んでいませんでしたのでそういう意味
だったとは知りませんでした…。
ですが、わたしはそこまでする必要はあるのかな、と思います。
「ネトゲ」の例のような省略形にまでそうした法則性を求める必要は無いのでは
ないでしょうか?
わたしにはカタカナ語をアルファベットで表記する際に原語どおりの綴りで表す
という事には、特に実害は無いように思われます。むしろそのように全てローマ字で
表記してしまうと、かえって英語を学習する際には邪魔となってしまいませんかね…。
わたしも確かに問題なのはカタカナ語の乱用だと思います。今まで漢語(日本語)で
皆がそれが何かを認識出来ていたものにも、最近はやたらとカタカナ語が使われて
います。だいたいは「カッコイイ」とか「雰囲気が出る」などという軽い理由で
用いられているのでしょうが、そうする事によって後々には自分達が不便な思いを
する事も知らずに…。
412 :
XYZ :2007/07/04(水) 05:52:04 0
>>396 ,
>>398 わたしもれげらまさんの
>>397 のレスのような意味で漢語(日本語)の抽象度を
取り上げたのです。ですから「対称的」とはいかないのではないでしょうか?
確かに和語は抽象度は高いのかもしれません…。
イヌイットの例が出て来ましたが、モンゴル語にも馬の毛の色を表す言葉は
日本語と違い、数多くの言葉があるそうですね。わたしはむしろそれらは神話や
宗教というよりも、
>>399 さんの言うようにその言語を話す人々の地理的・社会的な
生活環境からくる必要性に由来していると思います(神話や宗教もそこから
発生していると言われればそれまでなのですが…)。
それにしましても、相対的に見れば、やはり漢語(日本語)は英語をはじめとする
他の言語に比べて抽象度が低い(具象度の高い)言語である、と言うことが出来る
のではないでしょうか…?
413 :
XYZ :2007/07/04(水) 06:44:31 0
>>406 れげらまさん、
短い間でしたが言語学には素人のわたしの投稿にも付き合ってくれまして、
どうもありがとうございました。
わたしには、あなたの皆さんの投稿に対するこまめな返信は驚異的にすら
感じられました。スレ主だという事と、この議題に対するあなたの思い入れが
そうさせたのでしょうか…。
わたしはまたどこかで会えたら嬉しいです。
わたしは2ちゃんねる内ではどこでもコテハンを変えるつもりはありませんので、
その際にはどうぞよろしく。
さようなら! (^^)/
414 :
206 :2007/07/04(水) 12:50:05 0
>>409 そうでしたかw
ありがとうございました。
>>412 私には言語同士の抽象度を比較するという考え方が
正直よくわかりません。
どのような方法が可能なのか見当もつきません。
>>397 のような方法をとったところでわかることは
多くないでしょう。
>すくなくとも、 "この言語はこの分野において抽象的・具体的である"、
>という解釈は可能なのです。
とありますが、「drive」がどの分野にあたるのかということすら
統一的な見解が見つかるようにも思えません。
科学的というより便宜的な分類しかできないでしょう。
その方法上の信頼性の低さはそのまま結論にも適用されることでしょう。
たとえば和語の「トル」という語は
非常に抽象度が高い語です。
・拍子をとる
・ある姿勢をとる
・舵をとる
・年をとる
・人様のものをとる
・コピーをとる
・写真をとる
この語は「drive」とくらべて抽象度は高いでしょうか。
それとも低いでしょうか。
あるいは「分野」がちがうので比較できないのでしょうか。
このような語が含まれる日本語の抽象度は英語とくらべてどうなのでしょうか。
415 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/04(水) 22:24:49 0
416 :
XYZ :2007/07/04(水) 23:27:02 0
>>414 そうですね。
わたしもあくまで言語学門外漢の、憶測として言ってみた(聞いてみた)だけ
ですので、この事は出来れば世界の言語や言語学に詳しい人の見解を聞いてみたい
ものです(あなたもそういう人なのかもしれませんが…)。
先述のように、わたしも“和語”は抽象度の高い言葉は多いと思うのですが、
では“漢語”に関してはどうなのでしょうか…?
417 :
206 :2007/07/05(木) 13:13:16 0
>>415 そうですね。
きっとどの言語でも基礎的な語は抽象的なのではないでしょうか。
ただその語がどの現象に適用されるかは言語によって違いがあるということでしょう。
ですから
「この語をこんなときにも使うのか」という驚きはきっとお互いにあるということです。
>>416 わたしも専門家ではありませんから
詳しいかたの意見を聞いてみたいです。
残念ながら漢語についてはほとんどわかりませんが、
中国古典の文語おける漢語はさまざまな解釈がありますので
抽象度が高いと言えるのかもしれませんし、
たんに今となっては語義や解釈が確定できないだけなのかもしれません。
現代中国語はまったくわかりません。
>>1 おまえ、もしかして
言語板の某スレッドにいた
いつかの自称プランス人の"p-a"じゃないか?
>>418 過去スレくらい読んでから書き込んでくれ。
スレ内を"p-a"で絞込み検索するのに10秒とかかるまい。
420 :
418 :2007/07/17(火) 01:12:52 0
ああ、すまん。
すでに同じことを思って言ってたやつがいたのかw
>>1 の書き込みから
あの自称プランス人の腐臭を感じ取られずには
いられなかったので、つい反射的に聞いてしまった。
421 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/17(火) 01:19:31 0
つうか日本も戦後の占領後に 一度、徹底的にアメリカ様に日本語禁止してもらって これからの教育は全部英語だ!ってふうに強制的にしてもらえばよかったかもな そうすれば日本人も日本語に対しての愛着と もうすこし研ぎ澄まされた感覚ができたんじゃないの。
>そうすれば日本人も日本語に対しての愛着と >もうすこし研ぎ澄まされた感覚ができたんじゃないの。 単に日本が第二のハワイ・アイルランドになって終わり。 アメリカ・イングランドが支配下の原住民の言語文化を 本気で排除・迫害しだしたら、今頃日本語を話せる日本人は 数十万人くらいしか残っていないだろう。
423 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/17(火) 01:37:36 0
>>421 そりゃない。
いまだに、強制された憲法をありがたがってる左翼ばっかなんだから
同意。関係ないけど、韓国とかも 皇民化政策下での日本の統治があと30年ほど続いていたら すでに日本語しか話せない人がたくさん出てきたことだろう。
>>423 第九条の戦争放棄・平和主義が
世界における崇高な理想だと思ってるから有り難がってるんであって
別に米国から強制されたから有り難がってるわけじゃねーだろ。
426 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/17(火) 03:29:16 0
>>425 それは、結果がよければ手段はどうでもいいという危ない発想だよ。
フセインを死刑にするのがいいと思って、裁判はどうでもよかったり、
A級戦犯を有罪にするために勝手に事後法を制定してそれで裁いたり、
するのと同じ発想だよ。
1からざっと目を通してきたんですが、ほとんど理解できませんでした。
れげらまさんが
>>11 で
>>そういう閉鎖的な言語観が、日本語における造語活動の停止に拍車をかけたりするわけだ。
>>君は、日本語を創造的・合理的に使おうとする意力を持たない人々のあいだにおける
>>「ふつう」の慣習にもとづいているにすぎない。
と発言しているのを見た時、
この人は進歩的だけどかなり過激なアンチ正しい日本語論者なんだなと思いました。
しかし、読み進めていくうち、片仮名英語の氾濫にも反対だということが分かってきました。
それはいいのですが、
片仮名英語を日本で好き勝手に解釈したり、好き勝手に省略することにも反対であるように見えます。
日本語(漢語含む)に対する姿勢と外来語(漢語含まず)に対する姿勢が違うように見えてしまって
そこで躓いたまま、あれ?あれれ?という感じで読み終わってしまいました。
片仮名英語そのものを認めていないから、片仮名英語の発展については論外ということでしょうか?
話についていけた方、どうか教えて下さい。
428 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/17(火) 14:44:05 0
430 :
429 :2007/07/17(火) 20:39:20 0
ただ、「れげらま」氏の意見は、
>>427 さんが言うように、私もよく理解できませんでした。
・書き言葉に限定した議論なのか?
あるいは、「正しい発音」と表記の一致にこだわっているのか?
・日本語文中で、英語(らしきもの)を表記するときは、
アルファベットを使うべき、という議論なのか?
その理由は何か?
個人的には、「単語」単位でカタカナ英語がどうの、アルファベットがどうの、
という議論にはあまり興味がありませんでした。
「英語も公用語にすべし」とか、逆に
「十分定着していないいわゆる『カタカナ語』の使用は控えるべし」といった
議論の方が、面白かったのですが、
>>406 で去ってしまいましたね。残念。
431 :
429 :2007/07/17(火) 23:56:22 0
以下、数レスをお借りして、カタカナ語についての私見を書かせてもらいます。
(
>>429 で言及させてもらった皆さんの意見を踏まえているつもりです)
日本語文におけるカタカナ語の氾濫は、感性的にも嫌いですし、
ある言葉を覚えて使うための「コスト」が高いことも好ましくないと思います。
しかし、現時点では、漢字でできた日本語熟語(以下、漢字熟語)で、
カタカナ語を置き換えることも現実的ではないだろうという、
やや悲観的な考えを持っています。
漢 字 熟語:1語生み出す「初期投資」が大きい。
応用力があり、寿命も長い。
→日本語文化圏内での「コスト」が安い。
カタカナ語:1語生み出す初期投資が小さい。
応用できない、寿命の短い言葉が多数生まれる。
→日本語文化圏内での「コスト」が高い。
432 :
429 :2007/07/17(火) 23:57:21 0
【1】漢字熟語について 漢字熟語は、慣れ親しんだ日本語の知識で、簡単に類推することができ、 読んで理解するのは容易ですが、作るのは大変です。 原語が原語の世界でどのような意味を持ち、 当てようとしている漢字が日本語世界でどのような意味を持つか、 広い知識がないと、応用力・生命力がない語しかできません。 明治時代に作られた漢字熟語が今でも使えるのは、素晴らしいことだと思います。 これは、複数の知識人が試行錯誤をしつつ生み出した、最大公約数的な言葉だから でしょう。 しかし、一つの語の定着までには時間もかかりますし、 その間は、書き手からすると、常に一定程度の誤読の不安があり、 読み手からすると、揺れに耐えねばなりません。 また、後世から見ると失敗に見える漢字熟語もありますが、 定着したものを変更することはほぼ不可能です。 「中食」なる語がありますが、正確な語義は伝わらないかも知れません。 ただし、「食」に関する点でから外れることはないです。 この点、「アナログ的な誤読」といえるかも知れません。
433 :
429 :2007/07/17(火) 23:58:20 0
【2】カタカナ語について カタカナ語は、原語の音をとりあえず日本語風に書くことができれば、 簡単に作ることができます。 この点、外国との情報のやり取りがますます増えている現代向きです。 しかし、受け取る方は、類推を働かせにくく、 あらかじめその語を知らないと全く読むことができません。 専門家同士で使う専門用語であれば、カタカナ化などせず、 単語単位、あるいは文章単位で原語を使うほうがむしろ便利でしょう。 たとえば、computer という言葉までは、まだ「(電子)計算機」という言葉を定着させる 余裕があったのですが、program や software に関しては、一般向けにはカタカナ語で 定着してしまいました。 成長が続く分野では特に、将来も使える漢字熟語を作るのは、大変難しいです。 一般向けの用語であれば、本来は「伝わるか伝わらないかわからない言葉」 などというものを軽々しく使ってはいけないのですが、 現実には、書き手は漢字熟語を作る時間はないため、 原語よりは易しく見えるカタカナ語を使うことになります。 易しく見せるために、短縮したりすると、さらに混乱が生じやすくなります。 「デリ」で伝わらない人に、「デリカテッセン」と言っても無意味です。 また、「宅配」や「デリバリーヘルス」という、 全く想定外の誤読をされる危険すらあります。 (この点「デジタル的な誤読」といえるでしょう)
434 :
429 :2007/07/17(火) 23:59:39 0
【3】カタカナ語の問題点 カタカナ語には、いろいろ問題があるように思います。 ■日本語として省略した場合、一意であらわせなくなることがあります。 ソフトウェアという6文字の日本語単語は、省略したくなります。 しかし、「ソフト」だけでは、「ソフトウェア」「ソフトクリーム」「ソフトボール」を 区別することができず、文脈の助けを借りる必要があります。 ■日本語として省略した場合、指し示す範囲が狭くなることがあります。 上とは逆の例ですが、 「アプリケーション ソフトウェア」を「アプリケーション(アプリ)」にした時点で、 「パソコンや携帯電話で動作するソフトウェア」という余計な意味が付いてしまいます。 高校の入学願書を「入学アプリ」とは言えないでしょう(言わなくていいですが)。 メタボリックシンドロームをメタボというのはまだしも、 アンチエイジングを、女性誌あたりが「アンチ」で略したりして、それが定着すると、 ややこしいことになります。 古い例で言えば、sewing machine が幸いにして「ミシン」となったおかげで、 現在の私達が「マシン」を使えるわけです。 ■複数の分野で同じカタカナ語が使われた場合、記憶に負担がかかります。 「バスターミナル」、 「ターミナルケア」、 「ターミナルアダプタ」、 「ハンディターミナル」などの「ターミナル」に共通する考え方を、 日本語としては類推できないため、文脈もセットで別々に覚える羽目になります。
435 :
429 :2007/07/18(水) 00:00:15 0
【4】和語は使えないか? 和語は、客観的な事実の伝達を主目的とする日本語文中で、 一意の複合語や短縮語を作る目的として使われてこなかったため、 特定の事物を間違いなく指すことが困難だと思います。 「ゆらぎ」と「ジッタ」は、すでに使いわけられてしまっています。 また「繰り込み理論」のような造語は個人芸でしょう。
436 :
429 :2007/07/18(水) 00:02:55 0
【5】現在の結論 個人的には、カタカナ語よりは、原語(主として英語)表記の方が 類推ができる分、まだましのように思いますが、 これはやはり敷居が高いため、伝達手段としてはなかなか普及しないでしょう。 当面は、カタカナ語を我慢して使い続けるしかないのでしょう。 明治の先人の努力には敬意を表しますが、 現代になってみると、なまじ漢字熟語やカタカナ語があるせいで、 日本語に甘えている部分があるように思います。 (自国語だけでは高等教育ができない国もあると聞きます) カレーを日本の料理にしたように、 次々に外来語を持ち込んでは、日本語に仕立て上げてしまうのは、 日本語を嫌っているのではなく、日本語に甘えているのだと思います。
437 :
429 :2007/07/18(水) 00:05:40 0
【6】アルファベットの短縮形は困る 私が、カタカナ語以上に問題だと思っているのは、 英語等の、頭文字を繋げる短縮形です。 これが氾濫すると、カタカナ語以上に問題だと思っています。 「ユニバーサルデザイン(UD)」や「最高経営責任者(CEO)」などです。 これらは、読み方すら一定しません。 「NASA」は「ナサ」 「IAEA」は「アイエーイーエー」 「IEEE」は「アイトリプルイー」 「CEO」は「シーイーオー」 「PET」は「ペット(ボトル)」 「www」は「ダブリューダブリューダブリュー」?「スリーダブリュー」? 意味を知らないと使えないのはカタカナ語も同じですが、 短縮形は、なぜその文字が使われるかについて知ろうとすると、 原語までさかのぼる必要があり、大変記憶の負担になります。 さすがに、この形式が日本語文中に容赦なく出てくる事態は嫌です。 「UD」よりは「ユニデザ」、 「CEO」よりは「最経責」もしくは「最経者」がいいです。
438 :
429 :2007/07/18(水) 00:06:55 0
以上です。長々と失礼しました。
439 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/18(水) 07:04:23 0
「www」は「ワワウ」と読むべきだな
>>434 >古い例で言えば、sewing machine が幸いにして「ミシン」となったおかげで、
現在の私達が「マシン」を使えるわけです。
ミシン油はミシン(sewing machine)用の油ってわけではなく、
マシン油は機械向け油の意ではなく殺虫剤といった混乱が……
441 :
XYZ :2007/07/18(水) 22:18:37 0
>>427 >片仮名英語を日本で好き勝手に解釈したり、好き勝手に省略することにも反対であるように見えます。
>日本語(漢語含む)に対する姿勢と外来語(漢語含まず)に対する姿勢が違うように見えてしまって
>そこで躓いたまま、あれ?あれれ?という感じで読み終わってしまいました。
>片仮名英語そのものを認めていないから、片仮名英語の発展については論外ということでしょうか?
ま、極端に言いますとそういう事なのでしょう。
他方、代替のアルファベット表記案に関しましても彼なりの考えがあるようです…。
ただ、わたしは彼が「過激な〜」かどうかはわかりませんが。
442 :
XYZ :2007/07/18(水) 22:44:14 0
>>429-438 あなたの投稿、わたしにはなかなか興味深い内容でした。
ところで、もしかしますとあなたは「英語を公用語に」という考えの人ですか?
それと細かい事を指摘しますと、>436で「日本語に甘えている」とありますが、
わたしは実はそれは日本語に愛情を持てていない証しであり、ある意味「日本語を
嫌っている」証しでもあると思いますよ。
ま、日本人の多くはそのような自分達を認めたがらないでしょうが…。
443 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/19(木) 00:54:39 0
「日本語に甘えている」という考え方自体が誤り。母語を愛することを 甘えとは言わない。外国語を日本語化してしまう優れた性質こそ、日本語の 長所。片仮名で表記している時点で、日本語に取り込んだことを意味する。 例えば、我々は「仏」を和語では「ほとけ」と読むが、これ自体がサンスクリット語の Buddhaが中国で「浮堵(ふと)」と音写され、それが日本に入って「ほとけ」と なったことを忘れてはならない。
444 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/19(木) 01:06:01 0
>>1 ほう、すると君はサッカーを蹴球、バレーボールを排球、バスケットボールを
籠球と日常的に言っているんだろうな。
また戻ってこいよプランス野郎!!
せっかくこちらから頭を下げて、お引き取り願ったのだから… 君たちの遺恨も理解できなくはないが、言語学板の静穏を 最優先に考えてもらえないだろうか…
448 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/07/20(金) 01:20:32 O
449 :
XYZ :2007/07/20(金) 17:38:12 0
"自称プランス人" とは何の事ですか?
れげらま = p-a "p-a"は、日本語はハッキリいって糞言語というスレッドにて、 持論を長々と展開していたイギリス在住のフランス人(自称)
451 :
XYZ :2007/08/24(金) 08:26:09 0
>>450 遅レスになりましたが、ありがとうございました。
れげらまさんはフランス人なのですか? なるほどね…。
とりあえず直近のその「日本語はハッキリいって〜」スレでは、わたしは
れげらまさんらしい、まともな主張をしていたと思います。
わたしは彼の主張はそれなりに筋の通った悪くないものだと思いますがね…。
452 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/08/24(金) 10:45:13 0
満州から日本海に勃起しているペニンシュラには 半島語とプランス語はよく似ているという俗説がある。
さらに、 満州から日本海に勃起しているペニンシュラには ウリは東洋のイタリアニダ!という超変テコな俗説まである。w
20世紀初頭の文豪なんかは、 日本には無い感覚、日本語では表せない感覚をどうにかして伝えるために 英語独語仏語を用いることはよくあったけど、 まあ確かに最近は意味もなく外来語に置き換えるな。 レトリックもしばしば見受けられる。 1番嫌いな例は大衆向け歌手をアーティストと呼ぶこと。
,.,.,.,.,.,.,.,.,__ ,,;f::::::::::::::::::::::ヽ i::::::::/'" ̄ ̄ヾi |:::::::| ,,,,,_ ,,,,,,| |r-==( 。);( 。) ( ヽ :::__)..:: } ,____/ヽ ー== ; ほほう それでそれで? r'"ヽ t、 \___ ! / 、、i ヽ__,,/ / ヽノ j , j |ヽ |⌒`'、__ / / /r | {  ̄''ー-、,,_,ヘ^ | ゝ-,,,_____)--、j / \__ / | "'ー‐‐---''
むしろ よっぽどアカデミックな芸術に携わっているひとが「アーティスト」と呼ばれる方が、なんだか、滑稽。 安っぽくなってきたのかな
458 :
XYZ :2007/09/05(水) 11:09:24 0
まさに、そのとおりなのではないでしょうか? と言いますか、もともと安っぽいのだと思われますが…。
てか、他人に呼ばれるのならまだしも、自分で自分のことを 「アーティスト」と称する馬鹿は アーティスティックな職業は数あれど 大衆音楽家だけだよ。 ま、今どきあれだけ義務教育レベルの教養も覚束ない一芸馬鹿ばかりの業種も ないんだけれどね。
460 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/09/08(土) 21:57:10 0
フラットなストラテジーをクリエイトして モチベーションアップを図るチェンジリーダーの プロセスビジョンをオープンにする
ドラッカーがいなかったら、世界はずっと良いものに留まっていたに違いない。
盗作→ インスパイヤ オマージュ パロディ
463 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/10/04(木) 08:39:01 0
英語というよりも、カタカナ語がはやってると言った感じですが・・・
464 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/10/06(土) 14:01:44 0
どう考えても 「日本人が多いというためしがない。」は間違った使い方だろ。 1は必死に反論してバカか? 「ためしがない。」の前に入るのは、ある「動作」の完了形以外に無い。 「日本人が多かった、というためしがない。」でも間違い。 「日本人が多くなった、というためしがない。」なら正解。 なぜなら「ためし」そのものが「試し」つまり「何かを試す事」という意味であるから、 それは、「動作」を示さなければいけない。 「日本人が多くなった、という試す事は未だかつてがなかった。」という意味であるから、 「日本人が多い」は「何かを試す事」、つまり「動作」ではないから、間違いになるワケ。 1のバカはそれを理解できずに「日本が多い」という単なる「事柄」を示してもいいと思っている。 分かった? 1は反省すること。
465 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/10/06(土) 14:11:49 0
「日本人が多くなった、というためしがない。」でも間違いかも知れない。 「何かを試すような事」でもないから。
466 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/10/06(土) 14:13:27 0
「試し」を「先例」と勘違いして使わないこと。
「扉」を「ドア」、「便所」を「トイレ」、 これらはあまりにも一般的だ。 パソコン用語なんて、ほぼ全部英語だ。「マウス」、「キーボード」、「サイト」・・・ なのに、何で「検索」は「サーチ」とは言われないんだ?? こっちの方が言いやすいし、統一感もある。 しかも「検索」って漢字で書けない人ってけっこういるし。だったら「サーチ」がいい。 日本語って、考えるとこんなのばっかり。 こういうのって何か理由あるんだろうか?それとも、ただ適当なだけ??
468 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/10/06(土) 14:47:16 O
「検索」はもともとあった日本語にもかかわらず、今やパソコンでしか使わないから、独自の位置を確立した
>>467 車用語もそうだよな
エンジン、ハンドル、フロントガラスとか言うのに、
運転席、助手席、後部座席 って言うもんなw
でも適当とか言うわけじゃなくて、何らかの法則があると思うんだが・・・。
どうなんかな?
470 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/10/06(土) 16:10:24 O
>>469 もともと日本にあったもの→漢字
もともと日本になかったもの→カタカナ語
席は昔からあったし、わざわざシートって言うほうがおかしい
検索も一緒だっての
471 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/10/06(土) 16:21:03 0
エンジンも発動機っていうんじゃないのか?
>>470 それは違う
だったらドアやトイレはどう説明する?明らかにこの言い方が一般的だろ
474 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/10/07(日) 00:11:37 O
>>472 ニュアンスの違いだよ
戸は意味を含む範囲が広く、引き戸・開き戸を差す
ドアは開き戸のみを差す
とは言ってもやはり戸と聞いたら引き戸をイメージするのが普通だろうし、開き戸には使いにくい
戸と言ったら古くさく感じるのも原因のひとつになるだろうな
トイレはニュアンスの問題で、御手洗い>トイレ>便所の順に上品さが違う
ニュアンスが違えば使い方も違い、独自の位置ができる
475 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/10/07(日) 07:44:08 0
>>469 英語かシナ語かの問題ならどっちでもいいじゃないか
>>475 「(和製)漢語」というならともかく、
「シナ語」と言ったら間違いだろ? <運転席、助手席、後部座席
478 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/10/08(月) 22:47:54 0
PUPUPU、SONNAMONMITEMO、KUSONOYAKUNIMOTATANWA
479 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/10/09(火) 00:00:55 0
Oi, romjihotega chuopihutowa panese mo bakarasikarasu ga nanisama itte ru ne
>>479 Nani-language ssu ka, sore?
481 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/10/09(火) 03:36:52 O
俺 僕 私 vs I
482 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/10/09(火) 23:03:57 0
マウスやパソコンのアイコンを作る感覚で新しい漢字を作ればいいんだよ。 読みは、マウスやパソコンでいいじゃん。 で、サーバは鯖でいいじゃん。 鯖だと魚だから嫌というなら、サーバの図柄から漢字を作って「さば」と読ませればいい。
483 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/10/13(土) 00:34:49 0
>サーバは鯖でいいじゃん。 魚と勘違いしたら、如何するんだ
484 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/10/13(土) 04:52:38 0
>>482 鼠と書いて「マウス」と読み
個人用電子計算機と書いて「パソコン」と読むということ?
485 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/10/13(土) 08:02:02 0
朝鮮語は中国語と和製漢語のごちゃまぜ
486 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/10/13(土) 11:01:37 0
日本語は中国語と和製漢語と英語と和製英語のごちゃまぜ
487 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/10/13(土) 12:44:32 0
にわかに盛り上がりを見せてきた国字ロシア文字化運動を もっともっと盛り上げるべきだろう 日本語がロシア文字で書かれれば、子供達は大喜びで日本語を学ぶだろう ロシア人女性と仲良くなり、ロシア人との混血が進めば、日本人は美しくなるだろう 支那・朝鮮と縁を切れる おめでたい
488 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/10/13(土) 15:50:36 0
あほ
489 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/10/13(土) 17:01:27 0
>>487 実際は、東欧諸国はキリル文字廃止の方向だわな
にわかに盛り上がりを見せてきた(笑)
491 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/10/13(土) 21:30:57 0
>>487 ロシア文字は女子供に人気だから
すぐに受け入れられる
492 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/10/13(土) 21:59:16 0
あほ
意味不明の文章を見たときに、 「これを理解できない自分は馬鹿なのだろうか?」と悩む人間は 実は馬鹿ではなく、 「これを書いた人間は馬鹿だ!」と考える人間は 正真正銘の馬鹿だ。
495 :
ボスコ :2007/10/16(火) 01:39:30 0
日本語が嫌われている理由の一つは、やたらめったら外国語を輸入したがる せいだね。 自分の言葉を使いやすくしようという努力が欠けている、というのは何も 今に限ったことじゃないと思う。 「幸福」についてちょっと前に議論があったけれども、「降伏」なのか、 わかりゃしない。そんなら「ハッピー」という言葉を使ったほうが、 インパクトがある。「降伏」というマイナスイメージにもなってしまう 響きを持つ言葉は、もともと外来種に駆逐される運命だった言葉だと 思うね。例えば「福々(ふくふく)」なんて言葉をうみだしていれば、 ハッピーという外来種に太刀打ちできたかもしれんがね。 元はといえば、「幸福」と「降伏」をそのままにしておいた先祖が悪い、 となる。んで、その先祖の悪いところは我々もしっかりと遺伝している。 バルブ(valve)とバルブ(bulb)なんて最たるもので、何でもかんでも 輸入する癖は治っていない。
496 :
ボスコ :2007/10/16(火) 01:55:17 0
で、まず何を行うべきかというと、分かりにくい日本語を分かりやすく 整えていくべきじゃないかということ。 わたしゃ文法には詳しくないんだが、接尾語っていうんだろうか、 言葉の後ろに付けて意味を深めたり足したりするやつ。 「〜系」って言葉があるけど、非常に分かりにくい。 「彼って渋谷系だよね」という言葉だと理解できるが、造語できない。 「彼って田舎系だよね」という言葉を作っても誰も「いなかけい」を 理解できない。「系列」とか「系統」という言葉に置き換えるなど 方法があるけど、そういう風にしないと言葉は便利にならない。 「〜化」という言葉も非常に不便。「セルロース化してしまう」という 言葉を用いたら、「セルロースかしてしまう」というふうに聞こえる。 こんな言葉を用いてたら、日本語が嫌われるのも無理はない。
497 :
ボスコ :2007/10/16(火) 02:04:03 0
んで、挙句のはてに、「ローカライズする」とか、「オーサライズする」 なんていう言葉がまかりとおるようになる。 始末が悪いのは、日本語がお粗末であるせいで、輸入語がかたまりとして どかんと文章の中に入り込んでしまうことだ。 「〜able」なんて部分も最近はかなり広まってきて、「ムーバブル」 とか、「ウェアラブルコンピュータ」なんていう意味不明な言葉も まかりとおる現状がある。「装着可能コンピュータ」でいいじゃねぇか という気がするんだけどね。 接頭句としては、「半〜」と「反〜」の区別がつかないなんて不便さ もあって、ここらへんを改革していかないと言語の幅がどんどん狭まる ばかり、と思う。
やたらめったら英語の単語を輸入しまくるのは今や世界の大抵の言語に共通な現象なわけだが それで日本語が嫌われているという根拠をkwsk そもそも日本語が嫌われているという前提があやしいが
499 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/10/16(火) 22:34:39 0
>>495 幸福も降伏も外来語で外来種だろ
アホか
「不便だ」「整えるべきだ」「改革すべきだ」と延々と不平不満をたれながら 何一つ改革の具体案を出せないあたり、昨今の政治家に通じるものがある。 『美しい言葉、日本語』を作るべきだ! どうやって? 具体案は何もない。
501 :
ボスコ :2007/10/16(火) 23:59:45 0
>>495 幸福も降伏も日本のヤマトコトバだっていつ私が言った?
気ままに外来語を日本語に置き換えると問題が起きる、という趣旨だったこと
を理解してほしい。
「半」と「反」の識別問題も、そういった日本語に置き換えるときの
まずさが、日本語を魅力の無いものにしていってしまう。
もともとヤマト言葉は語り言葉から発達した言葉だから、同音異義語が
少なく、発達させる余地はまだまだある。
具体案としては、公権力や教育の場を巻き込んでいくしかないだろうね。
ただ、初等教育の現場ではというと、意味の無い四字熟語を延々と
覚える受験対策だけが国語教育だったりする側面があるのに腹が立つ。
キヨホウヘンとかキンケンリッコウなんて言って誰がすぐに分かるかっての。
そして、難しい四字熟語を知っていたり、難しい漢字を書ける「もの知り」
が尊敬を集めるようでは終わりだな。
結局、言語を育成していくとはどういうことか、という一人一人の意識が
ないと、どうにもならない。
キヨホウヘンくらいはわかるんじゃないの?
503 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/10/17(水) 13:28:43 0
ボスコは"れげらま"ですか?
504 :
ボスコ :2007/10/19(金) 03:15:12 0
ううん、れげらまじゃないけど、れげらまの言うことはかなりの割合で 賛成できる。 言語の育成において日本人が持つ致命的な欠陥は、あたらしい概念は 常に外からやってくる、ってことだね。 すぐに他の国のいいこと、いいものを輸入して、それをもっと良く改造 してしまう。それはある面では素晴らしいんだけど、逆に創造力を 著しく低下させている原因になっている。 そして、外からやってきたニューカマーを、「これは新しくやってきた 概念だよ」と強調して宣伝したりするのに便利だから、余計にカタカナを 用いることになる。
英語がフランス語やラテン語から語彙を輸入したり、英製仏語や英製羅語を造語しまくってた頃は、 イギリスでもこのスレみたいな議論が展開されてたのかな…
506 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/10/22(月) 00:08:22 0
>>501 >>難しい四字熟語を知っていたり、難しい漢字を書ける「もの知り」
が尊敬を集めるようでは終わりだな。
できればなぜこんな結論に行き着くのか教えてくださいな。
ついでに申すと、キヨホウヘンはむつかしいとは感じませんが。
507 :
ボスコ :2007/10/22(月) 22:21:13 0
「難しい漢字」の程度にもよるけどね。 レモンを檸檬と書いたり、バラを薔薇と書いたりすることに何の意味も 感じないよ、わたしゃ。むしろ、それは害毒である。 そういう小難しい漢字を使う人は、風格があるんだろうか。 文章を書く、という点について能力があるんだろうか。 難しい漢字を知らなくて読めない人は、読めるようになるまで 俺の文を読む資格なんてない、っていってるように私は受取っちゃう。 「兎に角」は「とにかく」に直す、「蓋し」は「けだし」で十分。 「翻ろう」、「比ゆ」、「し烈」などの混ぜ書きは難しいところだが、 翻弄については「ほんろう」で構わないと思う。 漢字で表現することの利点は、例えば「聞く」と「聴く」の違いまで 細かく表せることだ、なんていう文章を一回見たことがあるが、 それはうそっぱちだと気付くまで何年かかかった。 文字表現が二種あるのに、口語表現が一種しかないから、 その不一致が不便さをもたらしているだけでしかないだろうが、 と後々に気付いた。
>レモンを檸檬と書いたり 「檸」は「ネイ」だが福建方言でlengと発音する。
509 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/10/23(火) 00:51:22 0
>>507 >>レモンを檸檬と書いたり、バラを薔薇と書いたりすることに何の意味も
感じないよ、わたしゃ。むしろ、それは害毒である。
漢字がいろいろ書けることの何処が『害悪』なのでしょうか。
漢字がいろいろ書けることの
有害性を実証的に研究した例が一件でもあるのですか?
>>そういう小難しい漢字を使う人は、風格があるんだろうか。
文章を書く、という点について能力があるんだろうか。
難しい漢字を知らなくて読めない人は、読めるようになるまで
俺の文を読む資格なんてない、っていってるように私は受取っちゃう。
つまりそれは少くとも漢字制限を受ける前の
文学や小説や戯作や論文や学校の教科書をはじめ様々な文献、書物は
ことごとく風格やら文章力などは無いと
おっしゃられるわけですね。
難しい漢字以上にあなたの考えを理解する方が難しいですね。
510 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/10/23(火) 00:55:13 0
511 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/10/23(火) 01:50:54 0
>>507 「翻ろう」、「比ゆ」、「し烈」などの混ぜ書きは難しいところだが、
翻弄については「ほんろう」で構わないと思う。
文脈なしにどの語か確定しない書き方など言葉の書き方とは云えないでしょう。
また「ほんろう」という言葉を知らぬ者が
この仮名だけみても理解できないのは自明であります。
「翻弄」を「ほんろう」と表記するより易しいというのは
全くの錯覚であります。ましてや他人の文章力を批判できる
人間ならば国語文における仮名の役割などは
当然把握しているはずですからね。あえて多くはいいますまい。
>>漢字で表現することの利点は、例えば「聞く」と「聴く」の違いまで
細かく表せることだ、なんていう文章を一回見たことがあるが、
それはうそっぱちだと気付くまで何年かかかった。
文字表現が二種あるのに、口語表現が一種しかないから、
その不一致が不便さをもたらしているだけでしかないだろうが、
と後々に気付いた。
どうやら私もそれがうそっぱちであることに気づいていないようです。
具体的にどのような不便さがあるのでしょう。
ちょっと解りません。
512 :
ボスコ :2007/10/23(火) 22:29:44 0
なんか一杯反論きたので、全てに答えるのはむずかしいな。 レモンを「檸檬」と表すのはムダだと書いたけれど、それに反論があるのは びっくりだな。そう書くことによって表現が豊かになって日本語が素晴らしく なるのなら、グレープフルーツだってバナナだって漢字で表せば、もっと 日本語が素晴らしくなる、という結論になるのだろうか。あまり意味がない ね。中国語でコカコーラを可口可楽と書くのは面白いとは思ったことが あるが、結局、実用には向かんということだ。 「子供の声をきいた」 という会話があったとき、「聞いた」のか、「聴いた」のか、悩む必要はない。 「名曲をきいた」 という会話があれば、「聴いた」という語に置き換えられるが、話す本人は しゃべっている時には区別しないだろう。 口語で区別しない以上、書き言葉で区別しても意味が無い。 書き言葉で区別して意味を区別する利点があるんじゃなくて、 口語で区別できない、という欠点が日本語にあるだけ。
513 :
ボスコ :2007/10/23(火) 22:56:10 0
似たような例に「両親」と「良心」があるが、くちで表すと区別できない。 漢字だと区別できるが、これは漢字が便利なんじゃなくて、 区別できない読みが不便なだけでしょう。で、どうしてこういう不便さが あるかといえば、大抵の場合、バリエーションに乏しい「音読み」に 問題がある。やたらめったら音読みばかりで名詞を構築または輸入した ツケがきているわけだ。 で、私の結論になるけど、どんどん外国語を輸入するのは簡単だが、 肝心の日本語が不便にならないように考えながら輸入しているか、 ということ。
514 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/10/23(火) 23:19:24 0
>>512 区別できるできないじゃなくて
やまとことばの「きく」とシナ語の「聴(チョウ)」「聞(ブン)」はそもそも対応してないし
「きく」の意味はひとつ
チョウ、ブンはただの当て字でしかないというべき
515 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/10/23(火) 23:21:17 0
なんか最近は歌も英語まじりなのが多いねー
516 :
ボスコ :2007/10/23(火) 23:45:11 0
そう。「きく」の意味はひとつ。対応していないのに、無理矢理対応させて 「聴く(じっくりと耳を傾けてきく)」 「聞く(一般的な意味できくこと)」 の二種を作っても、口語で区別できないから意味のないこと。 余計な誤解を生まないように、「きく」でよろしいだろう、ということ。
517 :
ボスコ :2007/10/24(水) 00:02:43 0
口語で区別できない、というのはかわいそうな話で、 「きく」はもともと一つであったし、それで不便はなかった。 ところが新しい漢字が二つ入ってきて、どちらにも「きく」を あててしまった。すると、その瞬間に、もともと存在していた「きく」は、 二つの概念を区別できない片手落ちなコトバになってしまったわけ。 「きく」とひらがなで表すことは、ヤマトコトバの復権を意味する。
518 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/10/24(水) 02:29:12 0
今時片手落ちという言葉を使う団塊世代
519 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/10/24(水) 08:38:33 0
520 :
紀行 :2007/10/24(水) 17:35:12 0
一生懸命部屋で遣っていますか。
歩きながらも単語を覚えているのでしょうか。
でも、外国人に向かって無口になってしまう
場合が多いではありませんか?
あなた様の外国語を助けてくれるのは誰ですか!
本場の生の外国語を学ぼう!!
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>>517 頓珍漢なことを言う人ですね。
「漢字で書かなくてもわかるから必要ない」と言えるのは、
それを漢字で書き分ける日本語を学習した人間だけですよ。
522 :
ボスコ :2007/10/24(水) 23:16:34 0
つづき。 「きく」というコトバを発音した時点で、解釈に悩む必要はない。 しかし、文章で書かれた「聴く」を読んで、それを「聴く」だと即座に 聞き手に分からせることはできない。聞き手はそれが「聴く」なのか、「聞く」 なのか、迷いが生じることになる。それが「区別できない」という意味だ。 「きく」だけじゃなく、他のたくさんの漢字においても書き分けは必要ない。 「あげる」は「挙げる」「上げる」「揚げる」の区別に苦労することも ない。 「のる」は「載る」「乗る」、のばすは「延ばす」「伸ばす」、 「つくる」は「作る」「創る」「造る」の三種もある。 いちいちどの漢字をあてればよいかを悩むのは煩雑で、しかも言語として退化している。 こういった送り仮名付き訓読みのせいで、日本語は常用漢字が1000種あまりと 中国語よりもはるかに少ないにもかかわらず、学習に非常に時間がかかる めんどくさい言語となっている。
523 :
ボスコ :2007/10/24(水) 23:27:22 0
俺がこのスレで思ったのは、多くの人が漢字幻想にとりつかれている、 ということだ。漢字ほどかけがえのないものはない、とね。 もう一つ漢字の持つ負の側面について書こう。 「傾く」という漢字があるが、これはもともと「片向く」であった。 「偏る」も本来は「片寄る」だし、「鏡」だって「影見」だったわけよ。 漢字が語源を分かりにくくさせている例なんていくらでもある。 無理矢理漢字を当てはめたばっかりに、コトバの発音が持っていた 大切な意味をうしなわせている。
>>521 いや、確かにその話にも一理ある。
「雨」と「飴」は同音異義語(別の単語)だが、
「聞く」と「訊く」と「聴く」は同音異義語ではなく単一の単語だからな。
英語で、takeを「取」「掴」「握」「代」「捕」「撃」「食」「飲」「服」「吸」「着」「扱」「売」「従」「除」
「撮」「要」「受」「思」「考」「効」「凍」「勝」「進」「到」「跳」「越」「測」「解」で
すべて「訓読み」で書き分けせよと、漢語の分かる英米人に要求するとしたら、
彼らは例外なく「冗談じゃない」と怒り狂うだろう。同じことなんだよ。
和語の訓読みは、出来る限り「和語一単語につき一漢字」という発想は、
福沢諭吉以来の、日本語の合理化に対する一貫した発想。
別に漢字廃止論者や漢字制限の発想ではない。
なんじゃこの、れげらま劣化版は。 常用漢字1945文字を1000種あまりと言い切る大雑把さも香ばしい。 英語でtake一語にこれだけ多種多様な意味を持たせていることについて、 日本人は「冗談じゃない」と怒り狂うべきだ。 文明的な言語では、一単語の持つ意味が出来る限り狭くなる方向に(文脈依存を回避する方向に) 進化する傾向がある。訓読みの和語を意味に応じて複数の漢字で書き分けることは、 最善の選択ではないにせよ、次善の策と評価できる。 それらを全て平仮名で書くのでは、フランス語・ラテン語を輸入する前の古英語時代に戻れと 主張する愚に等しい。
526 :
ボスコ :2007/10/25(木) 00:07:18 0
>>525 横暴なコトバをふりまくのは、感情的になってるからか?
汚い言葉をタイプするよりも、あなたにはすべきことがある。
人の言葉を引用するときは、引用したことを人にわかるようにしてほしい。
>>英語でtake一語にこれだけ多種多様な意味を持たせていることについて、
>>日本人は「冗談じゃない」と怒り狂うべきだ。
これがまるであなたの言葉であるように受取れてしまい、よみにくいから。
人がよみやすいように書くべきだ。
527 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/10/25(木) 00:08:15 0
>>525 文明的な言語って何?
すくなくても、言語学にはない概念だとおもうけど
>進化する傾向がある。訓読みの和語を意味に応じて複数の漢字で書き分けることは、
最善の選択ではないにせよ、次善の策と評価できる。
>それらを全て平仮名で書くのでは、フランス語・ラテン語を輸入する前の古英語時代に戻れと
主張する愚に等しい。
全然関係のないものをさも対応してるように言うのはやめようよ
>>524 それなのに、福沢諭吉は聞いてもわからんつまらない単語を粗製濫造したよね(´・ω・`)
528 :
ボスコ :2007/10/25(木) 00:16:09 0
529 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/10/25(木) 01:54:43 0
ボス子はバカだから蒸し
530 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/10/25(木) 03:16:51 0
>>512 >>レモンを「檸檬」と表すのはムダだと書いたけれど〜
話が摩り替わっています。
小生は難しい漢字を書けることが
どう『害悪』になるのかを問うているのであって
今は『益が少い』ことに就いての回答など求めていないのです。
聞く、聴く云々の話ですが
先ず、
>>516 において
『口語で区別できないから意味のないこと』
>>517 において『口語で区別できない、というのはかわいそうな話で』
と散散煽り立てた後、
>>522 において
『「きく」というコトバを発音した時点で、解釈に悩む必要はない。』
と仰られていますね。
「解釈に悩む必要はない」のならば
そもそも、口語で区別する必要自体が無いわけであります。
にも関わらず「口語で区別できないのは可哀想な話」とは
実におかしな話です。
わざわざ口語で区別する必要が無い以上、
どうして口語と書き言葉を引き合いに出したのでしょうか。
『漢字で表現することの利点は、例えば「聞く」と「聴く」の違いまで
細かく表せること』
これが「嘘っぱち」であることの証明もまだできていないようです。
引き続きご教示ください。
531 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/10/25(木) 03:22:14 0
福沢諭吉は漢字廃止論者です。 「漢字・仮名交じりの文は不都合なれども、古来からのしきたりにて、今は 俄に廃せんとするも、不都合なり。今日の所は不都合と不都合と持ち合わせ て不都合ながら、用を便ずるゆへ、漢字を全く廃するの説は、願ふべくして 俄に行われがたきなり」
誰か・・・俺のハンパじゃない苦しみを救ってください。1ヵ月ぐらい前から、気になりだした事があるんです。 たとえば、「顔を洗う」という文章。 これって、「かおーあらう」と発音してる事と同じになりますよね? 他にもたとえば、「私は明日そこに行くからあなたもおいでね」だったら、 「私はーしたそこにーくからーなたもーいでね」となります。 こういう「あーいーうーえーおー」ってなる文章が気持ち悪くてしょうがないんです。 ものすごく曖昧で、しまりがないと思うからです。 言葉の第1文字目に「あいうえお」を使用した場合だけ、こういう現象が起きます。 もし、全ての言葉の第1文字に「あいうえお」は使用しない、となっていたとしたら、 日本語はもっと美しい言語になっていたと考えます。 たとえば、九州では「を」を「ば」と言います。もしこれが標準語となっていたら・・・ 「想像をする」は「そーぞーーする」ではなく、「そーぞーばする」になります。 絶対に「ば」の方が発音がはっきりとし、しまりがあって聞き取りやすいと思います。 「おもう(思う)」がたとえば「こもう」であったならば、 「そーーもう(そう思う)」は「そーこもう」になります。この方が絶対美しいと思いませんか? 人の名前なら、「和田アキ子」は「わだーきこ」になるし、とにかく気持ち悪いんです。 みなさんはこの事についてどう思いますか?バカな悩みだと思いますか?
バカな悩みです。 語頭に「あいうえお」が来る場合、標準の日本語では 母音の前に声門閉鎖音(子音)が自動的に置かれます。 同じ母音どうしが連続する場合にも、母音間に声門狭窄音が 自動的に挿入されます。 日本語やタガログ語などのオーストロネシア語では これは全く自動的に行なわれるため、正書法でいちいち 声門閉鎖を表示する必要さえありません。 ただしタガログ語では語末の母音の後にも声門閉鎖音が 置かれる場合と置かれない場合との区別がありますが、 日本語では置かれません。 美しい日本語を話す俳優さん、声優さんはこの声門閉鎖音を きれいに発音しています。あなたの脳がたまたま声門閉鎖音を 認識できないからといって日本語の音は汚いと判断するようでは いい笑いものです。
534 :
ボスコ :2007/10/25(木) 22:44:08 0
>>530 >小生は難しい漢字を書けることが
>どう『害悪』になるのかを問うているのであって
>今は『益が少い』ことに就いての回答など求めていないのです。
「檸檬」と書いて、個人の日記を楽しむなら何の問題もありません。
しかし、普通は大多数の人間を相手に発信しますよね。
「檸檬」と書いた瞬間、あなたは読み手に対して、よく訓練された漢字読み取り
能力を要求していることになります。読めない人に対するケアはないのですか?
英語圏では26文字だけで、非常に高度な内容を表すコトバを豊富に構築して
いるのに、日本ではさらに文字の種類を増やすことによって豊富な表現方法を
得ようとする、それは言語の煩雑化になります。煩雑なのは害悪です。
だから「ムダ」と言ったのです。
口語で区別する必要が無い場合、書き言葉でも区別する必要はありません。
だから、「きく」を「聴く」と「聞く」に分ける必要はないでしょう。
じゃあ、なぜわざわざ書き手は区別するのでしょうか。
それが如実にわかる例として、「作る」「造る」「創る」を考えてみれば
案外早く理解できると思います。
企業の宣伝のポスターの一部に「創る」という表現があったたとします。
読み手はそのまま理解できますが、聞き手は「つくる」としか理解できません。
それは「聞き手がかわいそう」です。また、読み手は「つくる」としか理解されて
いないことにいらだちを覚えます。
「ただ単に物を作るんじゃなくって、新しいものをゼロから創り出すことを言いたいのに!」
となるわけです。
これはやっぱり口語と書き言葉の不一致がなせる悲劇です。
で、なぜこういうことが起こったかというと、漢字だからなんです。
英語をカタカナにしているとき、こういうことは起こらない。
535 :
532 :2007/10/25(木) 22:52:24 0
>>533 そうですか。そう言われると少し安心しました。
まったく語学的な知識を持っていないので、思いこみの領域でずっと苦しんでました。
語頭でなくとも、「あいうえお」が入る言葉全てに敏感になってたんですよ。
「いちいち」「気に入る」「騒音」「からあげ」ならば、
「いちーち」「きにーる」「そーーん」「からーげ」である、と。
俺が特に苦しんでたポイントを説明します。
↓
まぁ俺は普通に、文字で「気に入る」だと知ってるから、たとえ「きにーる」と聞こえたとしても
それは「気に入る」と言っているんだな、と自然に判断できる。
じゃあ、仮に視覚を持たなかったとしたら、それらを正確に判断できたのだろうか?
言葉を音声で学ぶことしかできない人間ならば、
「いちーち」「きにーる」「そーーん」「からーげ」と認識するんじゃないだろうか?
視覚(文字)で学ぶまでは、言葉を完全に理解したことにならないのか?
いや、そんなの絶対おかしい。
言葉は「音声のみ」で認識されなければ意味がない。文字はあくまでも付加機能だ。
・・・という感じです。
これらも、無知な俺の単なる思いこみでしょうか?
536 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/10/25(木) 23:39:12 0
口語、文語 区別、理解でなく きく は きく だし つくる は つくる もともと意味は一つ
537 :
ボスコ :2007/10/26(金) 00:29:54 0
つづき。 たまには「つくる」だけじゃなく、「創る」ことを言いたいときもある。 「造る」を言いたいときだってある。書けば簡単だが、それを口に出して 読むと、意味が通じない。汎用性の高いが基本的すぎて稚拙な単語 「つくる」に退化して聞こえてしまう。 「創る」に違う読み方をあてればよかったわけだ。例えば「創(つくりだ)す」 という読み方をあてれば、ある程度は(完璧ではないが)ましなはずだ。 英語なら、make, create, fabricate, generate, produce など、意味を細分化 したいときのために幾つか単語が用意されている。ただし、全部発音が違う。 これを日本語に輸入するときは、そのまま輸入すればよい。メイク、クリエイト、、、 そして、「クリエイト」とそのまま発音すれば、その意味が伝わる。 そもそもヤマトコトバは語彙が少なかったから、漢字を輸入するしかない 歴史的経緯があるわけだが、輸入のやりかたがまずかった。 そして、私が警鐘を鳴らそうとしているのは、こんにちもカタカナの英語を輸入する 際に論理的に考えて輸入する必要がある、という点。 例として「メモリ」と「目盛り」を考えてみよう。「128MBのメモリを搭載した、、、」 と言えばmemoryの意味だとすぐに分かる。でも、「めもりがたりない」 と言えば、どちらの意味で使ったか、分からないときがある。 「メモリ」を輸入するとき、「メモリー」というふうにすれば、ある程度は 誤解がなかったかもしれないが、日本人はそういうことには無頓着である。 なぜか。 何回も言うが、漢字やカタカナで書いて区別するから。これが原因。 なまじっか文書上で区別するのに長けていると、足元がおろそかになる。
538 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/10/26(金) 00:38:58 0
コテハンはキモス これ真理
>>525 いやむしろ逆。高度に「文明的」な近代語は、概念を体言や形容詞や複雑な構文で扱い、
それを非常に守備範囲の広い基本動詞で統括する傾向が強い。
日本語の「する」「やる」にしても、英語のtake, make, getにしても
フランス語のfaireにしてもまったく同じだ。
ついに、語の外延が広がりすぎて、今では日本語の「やる」には
訓読み漢字を当てはめられなくなってしまった。「する」の「為」も絶滅寸前。
少なくとも、基本動詞に関しては、訓読み漢字を細分化するのは得策では無い。
>>534 英語もスペルコンテストがあるくらいだし、
小難しい語を聞いたって意味わからんし書けない。
読み取り能力を訓練しなければならないのは同じこと。
だれもがラテン語やギリシャ語の知識があるわけじゃないから。
日本語なんて大嫌いだよ。統一性がなさすぎる!! メチャクチャな言葉いろいろあるぞ〜 「黄色」とかさ。 他の色は赤・青が赤色・青色と変化するのに対して、 「黄色」は「黄色」で一つの色として成り立ってるからね。なんでこれだけ・・・。 「黄」だと一文字で言いづらいから「色」も入れたって言いたいのか? そんなバカなことするんなら「黄=き」じゃなくて「黄=おう」とでも言わせれば 良かったじゃねえか。 マジで何考えてんだよ。 あと「お湯」もそうだな。なんで「お湯」で成り立ってるんだよ。 「目」「手」「背」「字」「差」・・・ 一文字の言葉なんてとてつもなく存在するじゃねえか。なんで「湯」だけ「お湯」なんだよ。 こーいうのマジでいっぱいあるからね、日本語は。統一性やバランスなんて無視してる最悪な言語。 まぁ、言葉が派生していく過程でバカしか存在してなかったから当然と言えば当然なのかね。
べつに「黄」とか「湯」って言ってくれていいんだよ。 まわりに気を使うことないよ。
>>541 こう考えることはできないか!?
赤や青は、言葉自体が色を示す。
しかし黄色は「黄」という何かがもともと存在していて、それの色という意味で
「黄色」になった、と。 茶色も「茶」の色だから「茶色」なんだ、と。
違うかな??
「お湯」に関しては何も言えません・・・確かに変な言葉だよね。
544 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/10/26(金) 20:40:18 0
>>541 日本語なんて大嫌いだよ。統一性がなさすぎる!!
統一性のある言語って?
エスペラントとか?
545 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/10/27(土) 01:26:07 0
>>534 >>「檸檬」と書いて、個人の日記を楽しむなら〜
「煩雑なのは害悪だから無駄」とは牽強附会であります。
ちょっとでも頭を働かす習慣のある人なら
こんな文言で納得する筈がないと思いますよ。
また、そうやって国民全体に国語表記の平易化を「強要」した結果が、
たかが60数年前の書物もまともに読めない現代人を
大量に生み出すことに結びついたという事実に目を向けてもらいたいものですな。
「読めない人に対するケア」なら振り仮名を施すだけで解決するのではと
思いますがこれでは不十分ですか。
546 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/10/27(土) 01:28:56 0
>>534 >>企業の宣伝のポスターの一部に「創る」〜
ポスターとは人々に「聞いてもらう」為にあるものではございません。
視てもらう為、そして読んでもらうことを対象に作成するものです。
そして「聞き手がかわいそう」となどという理窟は何処から来たのですか。
聞き手は「作る」「造る」「創る」の違いを特別に意識しなくとも
間違いなく概要は伝わっています。
これは大和言葉だからなせることです。
>>読み手は「つくる」としか理解されていないことにいらだちを覚えます。
この程度で苛立つようならば
およそまともな人付き合いは出来ないでしょう。
「かわいそう」です。
>>英語をカタカナにしているとき、こういうことは起こらない
どういう事か、門外漢には解りかねますが
これって、英語ならばそれらを厳密に使い分ける必要があるってことですか。
それって随分「煩雑」なことだと思いませんか。
547 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/10/27(土) 02:34:41 0
こち亀の檸檬ちゃんは最高す
548 :
ボスコ :2007/10/27(土) 02:38:33 0
>>545 「同訓異字」をWikipediaで調べてみてくださいよ。
「日常生活においても混乱することが多い」と書かれていますから。
あなたが混乱しなくても、混乱する人が多いのが事実でしょう?
ポスターじゃなくって、作文だと考えてみてください。
例えば、「新産業を作る」と人に聞こえてしまうのを書き手は嫌います。
「新産業を創る」と表現したいからです。結局「つくる」という言葉を
使えない、という事態に陥るわけですよ。「創成」という字でごまかし
たりするのが一般的です。
他にも、例えば「作るのではなく、創ることが大切だ」なんて文章がありますが、
それを読み上げると、意味が通じないなんて事態が発生します。
549 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/10/27(土) 02:52:08 0
「聞くんじゃない。聴くんだ!」
550 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/10/27(土) 03:00:59 0
/ ∧ :: :::\
/ / /| /:: | | ::::\
. /:: :: / | /:| /:::: | |::| |\: ::ゞ 非常時に開くがよい
/::: /|./─|/ :|/::: _|_|─\ :::ゝ
http://plaza.rakuten.co.jp/orenozousan/diary/200604010000/ . | :/::/__ ̄ U __ \:: ::|
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551 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/10/27(土) 03:12:42 0
すみません、
>>537 読んでませんでした。
>>537 について
>>汎用性の高いが基本的すぎて稚拙な単語〜
なんかもう「悪口のための悪口」みたくなってませんか。
汎用性が高く基本的な単語がどうして「稚拙」にあたるのでしょう。
ましてや「煩雑なのは害悪だから無駄」論者ならば
表現方法が複雑でない大和言葉は擁護すべき存在のはずです。
>>たまには「つくる」だけじゃなく、「創る」ことを言いたいときもある。
同意。それには漢語が向いていますね。
「創る」に関して申せば態々横文字なんぞ用いずとも
「創造」「創作」で十分ではないかと思いますよ。
>>これを日本語に輸入するときは、そのまま輸入すればよい。メイク、クリエイト、、、
そして、「クリエイト」とそのまま発音すれば、その意味が伝わる。
そのまま輸入するとは「make」「create」のまま日本語に取り入れることをいうのです。
しかしながら多くの方は「メイク」「クリエイト」が
そのまま輸入された言葉だと勘違いする傾向にあるのであります。
まことに不思議なことです。
「クリエイト」は見ての通り、日本流に改めた語、
語の元の意味を正確に移入していません。
また、日本語にもともと同様の意味を持つ
「創造」「創作」という言葉があるのにも関わらず
あらたに「クリエイト」という言葉を輸入する理由が
何処にあるのかもわかりません。煩雑化を招くだけでしょう。
552 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/10/27(土) 03:52:34 0
>>537 >>そもそもヤマトコトバは語彙が少なかったから、漢字を輸入するしかない
歴史的経緯があるわけだが
これははじめて見る説ですがこれのソースはありますか。
>>輸入のやりかたがまずかった
漢語だけではなく漢字をも採入れた結果
今日の日本語は抽象概念に耐えうる立派に成熟した言語となりました。
様々な学問がすべて自国語で執り行えるということは奇跡であり
これは漢字がなければとても出来やしなかったことでしょう。
世界各国の表記法について効率の調査をしていた
マサチューセッツ工科大学の報告によれば、
「世界で最も効率の好い表記法は日本の漢字かな表記であった」とのこと。
で、どう輸入のやりかたがまずかったのでありますか。
>>「メモリ」を輸入するとき、「メモリー」というふうにすれば〜
もともと「メモリー」で入ってきた語ですよ。
これは『学術用語集』の「電気工学編」(九十一年)などで
技術関係で使われる外来語の表記に就いて、
原則として最後の「ー」を取り除くことを決めたからであります。
我々がこれに従う必要は無いのですよ。
553 :
ボスコ :2007/10/27(土) 05:10:37 0
汎用性が高く基本的な単語は稚拙となりえます。
「つくる」「みる」「する」「ある」などの単語ばかり並べた文はどうでしょう。
小学生みたいな文になりますよね。
こういう語は、高度な概念を持った言葉と組み合わせて使うと格調高くなる。
「する」じゃなくて、「実行する」「遂行する」のように。「創る」も
「つくる」をグレードアップさせた言葉だと考えてよい。
だが、こういったプラスアルファの意味がある「創る」が、読んだら単に
「つくる」の意味になってしまう。
「きく」の場合はそこまで大きな違いがないので特に困らないけど、それでも
こだわる書き手はちゃんと伝えられないといらだちます。
「聞くんじゃない、聴くんだ」なんて一行書き込みが
>>549 にありましたけど、
これも読みあげたら意味不明な文となるわけです。
"Do not hear, but listen."と比べてくださいな。
で、あなたは「創造」「創作」という言葉があるから構わないとおっしゃる。
しかし、「想像」「捜索」と重なるので、同音異義なんです。
「新産業を想像する」という誤解は招きたくないでしょう?
また、「創造力」と書いても、それは「想像力」とまったく同じ発音なので、
役に立たないなんて事態が起こります。
また、「これからの時代、創造力が必要です。」の文が、「想像力」と解釈されたら
どうでしょうね?
そろそろ同訓異字が不便だって認めてくれませんかね?
この議論は歴史が深く、日本語の不便な点であることは議論の余地が無いから。
554 :
ボスコ :2007/10/27(土) 06:07:36 0
あなたは賢いから、同音異義、同訓異字を回避する方法を自然に選んでいる
し、多くの日本人も、誤解を招かないように上手に会話してますよ。
だから、苦労は感じてないよ、と思ってるかもしれない。
でもね、その高級な回避術こそが煩雑な思考回路なんですよ。
話すときは「創る」じゃなくて「創造」を使えばよい、と考える思考
は、高級な回避術だけど、本質を見抜いていない。
あなたは大丈夫でも、小学校に入った子供たちはさっそく
「早い」と「速い」で実際つまづいていますよ。
>>漢語だけではなく漢字をも採入れた結果
>>今日の日本語は抽象概念に耐えうる立派に成熟した言語となりました。
私は漢字撤廃論者じゃないので、他の人に言ってくださいな。
以下のリンクに、日本人のつくった東京証券取引所のシステムがなぜダウン
したか、の原因を究明してますよ。
日本人は開発力に自信があるため、どんな大きなシステムをつくっても大丈夫
という過信があるが、どんどんシステムが複雑で巨大になっていく。海外のは、
それにくらべると、極小でシンプルだ、ってね。
http://www.daijob.com/columns/takashi/article/771 日本語も同じ。どんどん複雑化し、習得するのに膨大な時間がかかる。
だからこそ、複雑であることに由来する問題も顕在化してくるのです。
555 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/10/27(土) 14:41:21 0
>>548 >>「同訓異字」をWikipediaで調べてみてくださいよ。 〜
混乱はありますよ。それは同訓異字より同音異義の方が顕著。
>>ポスターじゃなくって、作文だと考えて〜
「創成」という言葉は思いつかなんだ。勉強になります。
「創造」「創作」より使い勝手がよさそうです。
これがなんで誤魔化しにあたるのでしょうか。
うまい言い回しだと思いますが。
「新産業を作る」という言葉を例に挙げていますがこれは変ですね。
「新産業」という言葉、特に「新」いう言葉が自然と
「創出」やら「創設」なる単語を喚起させる
働きを担っていると思うのですが如何でありますか。
>>他にも、例えば「作るのではなく、創ることが大切だ〜
これですね。
www.nikko-lite.co.jp/adoption.htm
www.createcolors.jp/index.html
このような文章で書かれたものを聴いて理会するのは無理ですね。
これは諒解しました。
make→メイク shake→シェイク stage→ステージ image→イメージ ステージが「ステイジ」、イメージが「イメイジ」と表記されない理由、誰かわかる? これこそ日本語の統一性の無さの代表例だと思うんだが。
557 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/10/27(土) 19:27:44 0
日本語は発音もしやすく、聴覚的にはとても素晴らしい言語だと思っています。 しかし、中身がありません。ただ聞こえがいいだけの最悪な言語です。 たとえば、「長髪」という言葉。普通に「ちょーはつ」と耳で聞く分には とてもわかりやすく、小さな子供でもその意味が理解できます。 「長髪」とはつまり「長い髪」ですよね。 しかし、「長髪」という言葉の存在は、とてつもない弊害を生み出します。 「長髪」が長い髪のことである、と子供でも理解できるのは、子供が漫画や本のある場面で 「長髪」という文字を見て、さらにその場面から推測して「あぁ、これは長い髪のことか」と 理解するからです。 しかし、こんな不都合な言語、あっていいものでしょうか? 「ちょう」は「ながい」を意味するもの、「はつ」は髪を意味するものである、 とわざわざ覚えなくてはなりません。 なぜ「なががみ」とでも言わせないのでしょうか。これならば意味も瞬時に理解できますし、 「挑発」と聞き間違えるなんてこともありません。 英語では、長い髪を「long hair」、高校を「high school」と言います。 非常に簡潔でわかりやすい言語ですね。 「長髪」「朝食」「高度」・・・ こういった言葉は「長い髪」「朝飯/朝ごはん」「高い程度」で統一すればいい。 日本語なんて何でも使用範囲の領域を広げようとする、欲深い中身空っぽの民族。
>>553 根本的な認識がおかしいようです。
「つくる」が元々「漢字の作・創・造あたり」をカバーする上位概念なのであって、
「作る・創る・造る」という三つの意味が「つくる」の上にできたのではありません。
下に枝分かれした漢字は意味を絞ることはあっても、
新たな意味を足すことなどありません。
その証拠に、私は「新産業をツクル」という音から
「あたらしい産業をつくりだす(漢字をあてるなら創)」の意味を聞きます。
というより、そういうニュアンスにしかならないと思うんですが、
一体稚拙な「つくる」とやらを聞くとどういう意味になるのでしょうか。
「書き分ける必要がないからひらがなでいい」という主張の軸はどこへ?
あなたが漢字に洗脳されてどうするんですか。
また「聞くんじゃない、聴くんだ」の類というのは、
「音ではわからない」を逆手にとって印象づける
むしろ同訓異字の"恩恵をうけた"文字表現です。
聞く人など初めから対象外。
口語なら「きこえるじゃない、きくんだ」などでしょうが、
書かれるコピーとしての魅力は半減します。
言文それぞれに特有の表現があるのは英語等でも同じですが、
その「不一致」すらも単なる不便ですか。
559 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/10/27(土) 19:59:56 0
>>557 同意。
たとえば「高校を中退しました」だったら、「高い学校を途中でやめました」でいい。
別にこれが話し言葉として面倒だとは思わない。
あなたの言う通り、名詞も「長い髪」「朝ごはん」だけでいいよね。
私は「誤解」とかも相当嫌いな言葉だよ。「間違った理解」でいいのにね。
「誤解」なんて言葉を作ることによって、新たに「誤」という漢字を知る必要がある。
「誤解」って小学生でも使ってる言葉だけど、実際に「誤」って漢字を書ける人って、
そこまでメチャクチャ多くはないと思うのね。
「誤」を書けない人たちにとっては「ご解」になってるわけでしょ?
これは仕方ないことなのに、「誤」を書ける人間は書けない人を「学がない」「バカ」なんて言う。
でも、「誤」を書ける人に言いたい。
あなたはふだん「ゆううつ」とか「ちゅうちょ」って言葉を使用してるだろうけど、
それを漢字で書けますか?ほとんどの人が書けないでしょ。
どの漢字を知らないからバカ、どの漢字を知ってるから知識人、なんて真理はないんだよね。
こういった不満や弊害がたくさん生まれる日本語・・・私も大嫌いな言語です。
中卒、高卒程度の世界に住んでいると、英語と日本語の語彙について
確かに
>>557 に近い意見を抱く者が多い。
しかし、もう少し上の専門的な世界を知っていると、全く逆の意見を
抱く者が多くなる。
pneumectomy(肺切除手術)
mastectomy(乳房切除手術)
hysterectomy(子宮摘出手術)
日本語では肺、乳房、子宮という日常用語さえ知っていれば上の日本語の
意味はたちどころに理解できる。ところが英語ではlung, breast, uterus(womb)という
日常用語を知っていても、上の英単語の意味は分からない。
心臓(heart)、肺(lung)という単語があるにもかかららず、心肺蘇生法は
cardiopulmonary resuscitation、これでは英語の初学者には魔法の呪文だ。
高校はhigh schoolでも、大学はbig schoolではなくuniversityだ。
>>557 には
縁のない世界かも知れないが。これでは宇宙(universe)と何か関係でも
あるのかと誤解してしまう。
要するに、漢字のような表意文字を持たないくせにギリシャ語やラテン語からの
外来語が氾濫している英語では、日常語と専門語が全く乖離してしまっていて
非常に不便なのだ。英語のこの不便さは、文字で読んでも、耳で聞いても
何ら変わらない。耳で聞いて分かりにくくても、文字で見ればたちどころに
理解できる日本語のほうがはるかに優れているといえないだろうか。
561 :
ボスコ :2007/10/27(土) 21:28:02 0
>>558 現在は「つくる」は、三つの「創る、作る、造る」をカバーしていますが、
昔は、「無から新たなものを創り上げる」概念など存在しなかった。昔に
「創る」の意味の「つくる」は存在しなかったんです。
だから、「創」の漢字を輸入したときは、新しい概念の輸入になる。「つくる」という
読みを三つの漢字にあてた瞬間、「つくる」の意味が広がったのです。
よって、意味を絞ることにはならない。現在と過去の状況の違いを正しく理解しないといけない。
何度も言いますが、何の苦労もなく「創る」を解釈でき、そういう
ニュアンスにしか聞こえないのは、訓練の結果なんですよ。
三つの「つくる」をしっかり子供の時に勉強したからです。
なんで入試の国語の問題に三つの「つくる」の区別問題が頻発するんですか?
間違えやすいから入試の問題として頻発するんでしょ?
562 :
ボスコ :2007/10/27(土) 21:41:40 0
>>560 cardiopulmonary resuscitationは私にとって、確かに魔法の呪文でしたよ。
分かりにくかったら"CPR"として覚えればよい、と言われたので、それ以後は
"CPR"と呼んでいますよ。英語だって万能な言語ではないでしょう。
ただ、
>>557 の指摘は、同音異義の字である「挑発、長髪」と「高校、口腔、孝行…」
をどう区別するか、にテーマを絞って話しているので、あなたの反論が
ドンピシャリだとは思えない。
>>557 に反論するなら、同音異義をどう
解決するかに答えないといけない。
「子宮摘出手術」、「肺切除手術」などについては、日本語として解釈が
楽であり、同音異義じゃないので、例としてあげるのにふさわしくない。
563 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/10/27(土) 22:53:14 0
漢字は本当に不便。 「しょうこ」「どきょう」とかさ、誰もが使う一般的な言葉だけど、 漢字を理解してない人は多い。 「証拠」は「証処」、度胸は「度陶」と書いてしまう人が多い。そりゃそうだよね。 「裸」とか特に間違う人多いんじゃないのかな?左の部分を「ネ」って書いてしまう人。 これは間違えて当然だよね。「礼」は「ネ」なのに、裸は「ネ」に点がつく。 漢字によって「ネ」に点がついたりつかなかったり・・・。本当にバカな言語だと思う。 こういう細かな違いを一字一字しっかり分けて理解できてる人なんて決して多くないでしょう。 なぜ全て「ネ」に統一しないんでしょうね。 点にもちゃんとした意味がある、とかそんなのどうでもいい。 漢字を使う日本人自身がややこしくて間違えてしまうんなら、元々の意味など大事にする意味がない。 漢字をムダに増やしすぎたことによって、様々な弊害が起きる。 漢字を少し間違えると、「学がない」などとけなされる。 しかし、「学がない」とけなした人間も絶対どれかの漢字を間違って覚えてる。 漢字なんて、本当に必要なのって50文字ぐらいだと思う。 「遅れる」って漢字が書けても、「刻」が書けない人は、「遅こく」になる。 「遅」も「刻」も両方書ける人でないと、「遅刻」って言葉は使っちゃいけない、 みたいな世の中でしょ。バカみたいだよね。 漢字なんてなければ、子供も大人も「おくれる」「ちこくしそうだ」って 気持ち良く使えるじゃん。よけいな弊害も生まれない。 漢字なんて消えろ。誰か私に反論できる?何もおかしなことは言ってないつもりだけど。
564 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/10/27(土) 23:01:00 0
ボスコだかビスコだかしらないが、なぜこんな横柄な口の利き方?
特に反論はないが、 バカとそうでない者とを客観的に、かつ簡単に識別できる尺度が存在すると 実に便利なので、それだけでも漢字を維持する価値はあると思う。 学歴や年収は詐称できるし、ウソを付かれると真実を調べるのは大変だが、 漢字の運用能力は背伸びしようにもウソの付きようがない、正直な尺度だ。 こんな便利なものをむざむざと捨てる気にはなれない。
566 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/10/28(日) 00:16:59 0
「かもしれない」って言葉ってどうよ? 基本これはひらがなで表記されるけど、漢字で書くと「かも知れない」になるでしょ? これを漢字で書く人けっこう多いけどさ、それはやめた方がいいんじゃないか? 「知れない」って書くことによって、「しれない」は「知ることができない」、 つまり「わからない」という意味であることがわかる。 しかしこれでは、「かもしれない」という言葉の意味が変わってしまう。 たとえば、「君は天才かもしれない」という文章があったとする。 これを「君は天才かも知れない」と書く。すると、 「君は天才か、も知れない」→「君は天才なのか、も知れない」 →「君は天才なのか、それさえも知ることができない」となり、つまりこの文の意味は 「君に関しては何もわからない」という意味になってしまう。 「かもしれない」という言葉はそういう意味ではない。「可能性がある」という意味だ。 「何もわからない」という意味ではない。 「かもしれない」の元々の意味や語源などは俺はまったく知らないが、 現代においてこの「しれない」はもはや「知ることができない」という意味は 持っていないと思われる。 現代では「かもしれないね」は「そうかもね」のもう一つの言い方としか考えられていない。 小学生が「しれない」が「知れない」であるなんてわかるはずもない。 つまり、やたら漢字を使うな、と言いたいの。 現代の言葉の意味を尊重して、変に懐古主義は持たないことだ。 大人はまだいいが、子供は混乱するぞ。
567 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/10/28(日) 00:29:01 O
>
>>557 の指摘は、同音異義の字である「挑発、長髪」と「高校、口腔、孝行…」をどう区別するか、にテーマを絞って話しているので、あなたの反論が ドンピシャリだとは思えない。
よく嫁
同音異義語じゃなく、同じ意味の語に読みが複数あるって言ってるじゃないか
568 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/10/28(日) 00:31:27 O
>>563 が外国人なら反論しない
日本育ちなら可哀相だなと思う
569 :
ボスコ :2007/10/28(日) 00:42:34 0
>>567 よく読んだ。たしかに同音異義語は話の核じゃないね。すまんこった。
わしもドンピシャリじゃない、ってことで。
570 :
ボスコ :2007/10/28(日) 00:45:32 0
漢字はたしかに便利な側面があるし、それが学校で強調されて教わるけど、 漢字の欠点については総じて認識が薄い。 同音異義語は異論がないが、同訓異義語も欠点であることを私は強調した。 さらに、漢字の間違った当てはめ方についても、日本人全体はまだまだ意識がない。 一回投稿したのけれど、「傾く」は「片向く」という語源を忘れさせる。 「偏り」は「片寄り」。「導く」は「道引く」。「快い」は「心良い」 と書いた方が語源に近い。 そして漢字こそが日本語の源流だと勘違いしている人に限って気がつかない。 当てはめ方をまちがった漢字は、ヤマトコトバを滅ぼす悪影響をもたらす。 たとえば「村雨(むらさめ)」。もともと「ムラ」とは、ある種がかたまって存在する ことを表しており、「村」は人が集まった状態、「群れる」もその派生。 「色合いにムラがある」のムラも、語源で繋がっている。 「村雨」に戻るが、これは、かたまって降る雨という意味なのは、もう明らかだ。 間違い漢字のせいで、「村に降る雨」という間違った意味にしか解釈されず、結局すたれる運命だ。 せっかく拡張性に優れ、しかも私たちの源流ともいえるヤマトコトバが、 漢字によってその力を失うという事態は、現代の国語教育では軽視されている。 漢字の利点と欠点をしっかり認識し、改善の是非を議論することが本質なのであり、 難しい漢字をたくさん使えるようになることが本質ではない。
571 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/10/28(日) 01:13:48 0
572 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/10/28(日) 01:19:32 0
「〜するわけにはいかない」って言葉は相当変です。 なぜ「〜するわけには行かない」って書かないのでしょう。 「納得いかない」も「納得行かない」とは書かれません。 「付き合う」と書かれるのに、「口付け」とは書かれません。 日本語の表記における統一性のなさはあまりにもひどいですね。
>>561 ・現在「つくる」は(訓練によって?)
三つの「創る、作る、造る」をカバーしている(
>>561 )
↑
↓
・「つくる」と聞いても稚拙な「つくる」でしかなく、
「創る」の意味にはならない(
>>534 ,
>>537 など)。
上が本当なら下のような「不便」はでっちあげで、存在しません。
下が本当ならあなたは(あなたの想像上の)過去の日本に生きていることになります。
どっちなんですか?
発言者のそういう自己矛盾はいちいち追及しないのがお約束ですよ。 れげらま氏もそうでしたが、ボスコ氏も基本的に検察官・弁護士 タイプの方です。つまり、議論における至上命題は、相手を論破して 議論に勝利することです。事実を争っているわけではありません。 勝ち負けを競っているのです。 このような方々にとっては、自己の主張が常に説得力を持つことが 大事ですので、そのつど自分にとって有利な「都合の良い」証拠を 提示します。このため、長期的に分析すると発言内容に自己矛盾を 生じていることが多々あります。 しかしだからといって、矛盾を追及してはいけません。それは揚げ足取りと いうもので、スレッドの発言者全員を萎縮させてしまいます。 それに、単に検察官の矛盾を追及しても裁判官の心象は好転しません。 大切なことは、あなたもその場その場で自分にとって都合の良い証拠を提示し、 ボスコ氏を論破することです。当然、あなた自身の発言が自己矛盾してしまう こともあり得ますが、そこは私たちも良識ある者として看過します。 私たちが聞きたいのは、「ボスコ氏は間違っている!」の叫びではなく、 「俺の説こそ正しい!」の叫びなのです。両者の違いをぜひご理解下さい。
575 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/10/28(日) 04:22:51 0
なるほどそれであいつは尊大な態度なのか。
576 :
573 :2007/10/28(日) 05:51:27 O
>>574 ただの単発揚げ足取り風のレスになったことは謝りますが、
自己矛盾を指摘する目的ではなく(矛盾や論理破綻はとても指摘しきれません)
前レス(
>>558 )から引き続き「同訓異義」を暫定的に弁護している過程ですので、
どうぞお構いなく静観なり主張なりをお続けください。
577 :
573 :2007/10/28(日) 05:57:22 O
「同訓異字」でした、失礼。
>>532 は本当に日本人か?
日本語母語話者なら、
「わたしはあしたそこにいくからあなたもおいでね」と
「わたしはーしたそこにーくからーなたもーいでね」の発音が全然違うのはすぐに分かるだろう?
「そう思う」は「そーおもう」であって「そーーもう」と発音してる奴なんかいないだろう?
「和田アキ子」を「わだーきこ」と発音してる奴なんているの?
まあ、
>>533 が言ってる「声門閉鎖音」の存在なんて、普通の日本人は知らないし、
国語の時間にも習わないから、「そーおもう」と「そーーもう」で何が違うのかは分からないだろうが、
それでも両者の発音がはっきりと違うのは日本語母語話者なら説明するまでもなく明らかなはずだ。
「飯田」「警察」「想像」などは「いーだ」「けーさつ」「そーぞー」になっているが、
「いちいち」「気に入る」「騒音」「から揚げ」は、「いちーち」「きにーる」「そーーん」「からーげ」には普通ならない。
形態素をまたいで(意味の切れ目を越えて)長音化はしないからだ。
文字を知らなくても、「きにいる」と「きにーる」の発音は違う。
579 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/10/28(日) 10:09:08 0
おれは、 いちーち、きにーる、からーげ って言ってるなw 和田アキ子はわだーきこにはならない。 これはアクセントが原因。
>>543 亀だが、なんで茶色って、「緑」じゃないんだろうね。
ググらずに感覚として分かっている人は少なそう。
581 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/10/28(日) 11:57:47 0
582 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/10/28(日) 14:15:41 0
>>570 >>一回投稿したのけれど、「傾く」は「片向く」という語源を忘れさせる。
「偏り」は「片寄り」。「導く」は「道引く」。「快い」は「心良い」
と書いた方が語源に近い。
語源云々の方が現代仮名遣なのは何うして。
お兄ちゃんに解るように説明してごらん。
583 :
ボスコ :2007/10/28(日) 15:46:15 0
>>576 あなたは「創る」「造る」「作る」など、同訓異字の訓練を今までにしたから
「簡単だよ」と今になって言えるんです。じゃあ、以下の二択問題はどうですか?
以下の問題に答えなさい。
『同訓異字の問題は中学から大学入試まで国語の問題で頻出する。
それは(簡単だから / 間違えやすいから)である。』
間違えやすいから入試に出る、に決まっているだろうね。
同訓異字というのは、結局まわりの文脈に支えられないと生きていけない
よわよわしい言葉だということで結論づける。異論はもうあまりないだろうから終わり。
ところで、難しいものをありがたがる風潮というのは、日本人に深く染み付いている。
茶室、和室には掛け軸があるが、大抵は読めない。字体をくずして書いていたり、
中国の古い成句をわざわざ使ったり。
それが歴史のある古い書であれば仕方がないが、新しい書であっても、わざわざ
風格を出すために、素人さんには分からないような書体や漢字を使ったり、または成句を持ってくる。
相田みつを(
http://www.mitsuo.co.jp/museum/profile/collection.html )
なんかを掛け軸に飾った和室を見たことがない。読みやすいし、共感できるからバカ売れしたのに、
そういうものは排除され、由緒あるもの、難解なものばかりが飾られる。
茶席を開くとき、堂々と「ぼくは相田みつをが好きだから」といって飾る
奔放さ、っていうのはなかなか受け入れられない。風格がないからダメなのかな。
じゃぁ、風格ってなんなのさ、と思うわけよ。一般人にはすぐに理解できないように
ものを書くことなのかね。
相手に読めてこそ「書」である、と思うのだがね。
値段が高くて難解であるという理由でよくわからん骨董を飾ろうとするから
掛け軸の文化が廃れる。そんなものに囲まれても俺はうれしくない。
自分の本当に好きなものを飾ればいいじゃん、と思う。
584 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/10/28(日) 16:10:36 0
>>583 同訓異字と同音意義語が混同し易いつてのは事実だと思ふ。
小生は同音意義語で例を出すが
「両親」と「良心」なら文脈で違いが判別できるだろうからまだいい方だろう
と思ふ。
しかし「化学」と「科学」、「製糸業」と「製紙業」、「私立」と「市立」
なんて用語は似た文脈で用ゐられるから違いがさつぱり判らないことがある。
だが、それ以前に同訓異字を
間違ひやすいやうに教えこむ現在の教育にこそ問題があるようにも
思へるんだがこれについてはどうおもふよ。
585 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/10/28(日) 16:15:17 0
ボスコは国粋主義者ですか?
>>583 入試は「この文脈に沿って漢字をあてるならどれが適当かわかるかね、君?」
という、いわば日本文化に根付く漢文(書き言葉)の素養・知識を
問うているくだらない問題であって、
それが難しいかどうかと口語「つくる」を使いこなすこととは
何の関係もありません。
そこを混同し、
口語においても漢字を言い分けねばならないなんて日本語は難しいなぁ
と洗脳されてしまったあなたは、
典型的な国語教育の犠牲者ですね。同情します。
漢字流入の際に漢字の分節本位で読みをつくるのではなく
和語本位で漢字を当てたからこそ、
同訓異字「聞く・訊く・利く・効く」が同語である可能性を
千年以上の時を経てもなお我々に示してくれているのですから
和語・語源研究が好きなあなたも感謝すべきところではないでしょうか。
で、結局
・口語「つくる」は稚拙で、聞いても「創る」の意味にはならない
などという「不便」は少なくとも現代日本語には存在しないということですよね。
確かに「同訓異字」が単なる「無駄・不便」ではないことが
わかったわけですから、終わりでいいでしょう。
今さら新参です。なんかおもしろいスレですね。
>>584 たしかにごっちゃになって不便ですね。
ならないために「化学」は「ばけがく」
「私立」は「わたくしりつ」
なんていったりしますね。
「製紙」「製糸」も本当にどっちもよく使う人たちなら
区別するために言い方を変えてそうですね。
なんだかんだで何とかなってる人たち
は不満を言わないのかもしれません。
誰も答えてないっぽいので
>>496 「セルロース化してしまう」
「セルロース貸してしまう」
アクセントが違いますね。
「貸して」の方は「ス」と「貸」の間で低くなるので区別できますね。
588 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/10/28(日) 23:03:22 0
>>586 私が同訓異字の多さに辟易し、適度な簡略化をしたい、と思ったのは、
国語教育から離れてだいぶ時間が経ってからです。
だから、むしろ国語教育による洗脳から抜け出したと考えていますよ。
だって、国語教育って、同訓異字の是非を考えさせる教育じゃなくって、
ひたすら区別できるように教え込むわけでしょう?
受験勉強をして、区別ができるようになって、「ふぅ、これで不便はなくなった」
と考えること自体が、洗脳による結果だと思います。
>>584 「化学(ばけがく)」、「市立(いちりつ)」に直す「改善を目指す運動」を支持します。
おっしゃるとおり、現在の学校教育では、こうした同音意義語に対して
生徒が対応できるように教え込むだけで、根本の問題について認識させることは
しませんよね。問題はおおいにありますよ。
むかし、UNIXというコンピュータのシステム(ウィンドウズみたいなもの)
を習いましたが、「コマンドラインをたくさん覚えるのは面倒だ」なんて
思いながら、しぶしぶ覚えましたよ。でも、その授業は「どう使うか」という視点に
立った授業で、どう変えるべきか、ということを学生に考えさせる授業ではなかったですよ。
結局Windowsが出て、絵(アイコン)を操作するソフトがUNIXを淘汰するようになった。
「不便だな」と思ったときに、その不便さに対して驚異的な順応力を発揮して
苦もなく対処するのは日本人は得意ですよね。
でも、不便さを根底からくつがえすWindowsのようなソフトをつくり出したのは、
日本人じゃなかった。(MacがGUIのさきがけだなんてツッコミは無しの方向でヨロシク。)
589 :
ボスコ :2007/10/28(日) 23:34:52 0
再びボスコです。
>>588 も私。
なぜ中学から大学受験まで同訓異字に不便さを抱かず、今になって不便だと
感じるようになったかというと、学校から離れてモノを書いたり、スピーチを
することが増えたからです。
物書きは、出来るだけ可能な限り、聞き手、読み手に間違った解釈をされないように
努めることが求められます。
セルロース化の話もそうですが、識別可能であっても、読み上げたときに簡単に
聞けるようでなくてはならないと考えるようになったのです。
「セルロースに変化する」と記述すれば、聞き手はもっと簡単に理解できるはず、
そういう意識をめまぐるしく働かせるのが、スピーチを書く者の仕事です。
学校の教育では、生徒に問題集を渡して、三択問題で同訓異字の問題
を解かせていますよ。それとはちょっと違う世界なんです。
学校から離れて疑問を抱くようになった、とは、そういう経緯があります。
「つくる」の三種の書き分けは、すんなり聞かせたい私にとって鬼門ですし、
証券取引をする人にとっては「売買」は鬼門です。最近は「うりかい」がそこそこ浸透して
ますが、「売買成立」とパソコンで打つときは「ばいばい」とか「うりかい」
とかがごっちゃになっちゃうときがあります。で、エクセルで項目順に並び替えを
したときに、タイプした つづり をパソコンがちゃんと覚えていて、「ばいばい」と
打ったときと「うりかい」で打ったときの「売買成立」がしっかり分離されるという
ありがた迷惑な現象がおきます。まだまだ完全解決には遠いですな。
590 :
587 :2007/10/28(日) 23:55:26 0
>>588 日本語と関係ない話になりますが…
CUIとGUIは競合しているのではなく、使い分けられているだけです。
XPにはコマンドプロンプトがあります。UNIXみたいなコマンドが使えます。
Mac OS XはターミナルというソフトからUNIXのコマンドが使えます。
不便なら、どちらももう消えているでしょうね。
残っているのはこちらを使った方が便利な場面があるからです。
だから不便なUNIXを便利なWindowsに変えるという図式は成り立ちませんし、
どう変えるべきかを考える必要はありません。どっちも利点があるので、
どちらかをどちらかに変える必要は元々ないんです。
とはいえ、「ホームユース」に限定するなら
GUIがCUIを淘汰したのは確かです。
ただそれについては当時のアメリカ、日本それぞれの
コンピューターの技術力の問題の方が、
日本人の不便さに対する順応力より
よっぽど影響が大きいのではないでしょうか。
591 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/10/29(月) 00:14:07 0
同音異義語は確かに不便な存在ですよね。私も時々、悩まされることがあります。 でもまぁ、日本は特に数が多いだけであって、同音異義語は外国にもあるだろうから いいかな、とも思っています。 私はそれよりも他に重視したいことがあります。それは言語の「統一性」です。 問題なのは、「長髪」「短髪」「金髪」という言葉があるのに、 「前髪(まえがみ)」という言葉が存在するということです。 「長髪」「短髪」「金髪」となるのに、なぜ「前髪」は「ぜんぱつ」にならないのでしょう? 他にも、「加速」「減速」となるのに、なぜ「近道」「遠回り」は「きんどう」「えんかい」とでも ならないのでしょう。 「流血」「止血」となるのに、なぜ「鼻血」は「びけつ」にならないのでしょう。 この統一性のなさは何なのでしょうか? 私は、統一性さえしっかり存在すれば 同音異義語だろうが何だろうが存在してもかまわないと思っています。 「長髪(ちょうはつ)」と読ませるのならば「前髪(ぜんぱつ)」、 それとは逆に、「前髪(まえがみ)」と読ませるのならば「長髪(なががみ)」と 読ませるべきでしょう。 なぜ、不規則に違った形式の言葉が入り乱れているのでしょう。 これらの事実に法則性など何もないと思うのですが・・・。 まったく、日本語は困った言語です。
>>591 そんなに訓読みが嫌いなら、明日から韓国語をしゃべりなさい。
君が日本語を話さなくなっても我々は困らないから。
韓国語には、日本語で訓読みする漢字熟語をただ音読みに
変えただけの単語がいっぱいあって、君のような反日には
地上の楽園のような言語世界だぞ。
593 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/10/29(月) 08:34:23 0
このスレの中に 「すいません」は間違った日本語だ! ・・・って思ってるバカはいますか? 「すいません」は何もおかしいことではない。確かに正しくは「すみません」だ。 しかし、「すみません」とは意外と言いにくい言葉なのだ。 ちょっと早口になったりするだけで「すいません」と発音してしまうのは、 人間の口の構造上しかたのないこと。これは言語学でも判明してることだ。 「すみません」と本人は言ってるつもりでも、「すいません」となってしまう場面は 多々あるのである。 つまり「すいません」という発音や表記は、もはや正式なものとしてとらえていいのだ。 「すいません」にいちいち腹を立てて「誤用ですよ!」なんて言うバカが多いが、 じゃあお前ら毎回毎回きちんと「すみません」と言えてるのか? 「誤用ですよ!」なんて言ってる本人がふだん「すいません」と言ってるのだから笑える。 しかし、俺が上記のように言うと、こう反論してくるバカがまた出てくる。 ↓ 「すみません」は「〜では済まない」の意味の「済みません」であるから、 「すいません」では意味が成立していないことになる。だから誤用なんだ!!間違いだ!! マジでバカか? 確かに語源はそうだが、現代においての「すみません」はもはや 「済みません」の意味は消滅して、単なる「わびる時の言葉」として成立してるっつーの。 言葉ってのは、語源の意味がやがて消滅して、最終的に一つの言葉として成立するのは当然だろうが。 「さようなら」もそうだ。現代において、語源の「左様なら」の意味なんて存在してないって。 だからこそ語源を無視して「さよなら」って口語が生まれたんだろうが。 「すいません」が誤用っていうヤツは「さよなら」って言ったことないのか? 「すいません」が誤用だと思うなら「さよなら」を使用するのは矛盾してるぜ。 やたら「間違い、間違い」って言う人間ほど本質が見えていないもんだな。
594 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/10/29(月) 12:43:03 0
>>589 それは日本語の問題でなくて運用能力の問題と思う。
595 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/10/29(月) 18:23:18 0
>>591 で言われるような法則性が全体に貫かれている言語なんて存在するの?
597 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/10/29(月) 19:55:52 0
エスペラントとかイドとか
>>597 人工言語かよw
それじゃあ日本語だけが困った言語だとは
とてもじゃないけど言えないね。
599 :
ボスコ :2007/10/29(月) 21:55:53 0
最近、言語板に出入りしてるるせいか、ちょっと日本語について興味が出てきた
ので、いつも読んでる「NEWTON」っていう科学雑誌の今月号を開いて、日本語の
書き方について見てきた。
それが結構驚かされる事実だった。「例えば」は「たとえば」、「作る(造る)」は「つくる」に、
てな調子で、ものすごくやさしく書かれてるわけよ。
もっと驚いたのは、「楕円」が「だ円」になってて、「だ」の上にチョンがついてた。
「影響」にルビまでふってた。
「だ円」にチョンをつけることについては賛否両論あるかもしれないが、
ここまで徹底的に簡略化が大手科学雑誌で行われていたとは知らなかった。
すべての簡略化に対して賛成できるとは限らないが、ある程度の簡略化は
やはり歓迎したいと思うね。
このNEWTONって雑誌には、中学生にも高校生にも読んでもらおうという意志が
あるって私は解釈したよ。それは本質的なことだと思う。
書き手って、紙面の向こうの読者のことまで考えるから、読んでもらうための
日本語力がやっぱり必要だ。でもずっと強調しているように、その日本語力は、
難しい漢字や熟語を書き並べることじゃない。
>>589 が運用能力の問題だ、と言っていたが、運用能力ってなんだろうね。
NEWTONは正しい運用をしてるのか、してないのか、さてどうでしょう?
初めから結論ありきのくせに、さてどうでしょう? とは笑止。
601 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/10/29(月) 23:19:41 0
「早い」と「速い」の使ひわけはあるのに
「晩い」と「遅い」の使ひわけはない。
理由は明白。「晩」の「オソイ」の訓があたへられてゐないからだ。
だから「早い」の対義語も「遅い」でよい。
これが常用漢字の世界である。
「晩い」と「遅い」を使ひわける必要がないのなら
「早い」と「速い」を使ひわけねばならぬ理由が何処にあるのか。
実にいい加減な規格なのだが
しかし、これが日本語を表記する際の目安として強力な影響力をもつてゐるのである。
だが実際の教育現場ではもつとひどいことをやつてゐる。
小生は以下のサイトを通じて国語教科書の実態を知ることができた。
http://utuzawa.hp.infoseek.co.jp/kannji.htm ためしに[止まる・留まる]の使ひわけだけでも見て欲しい。
これでは同訓異語など使ひこなせる筈がないではないかと思へることだらう。
602 :
ボスコ :2007/10/29(月) 23:21:44 0
>>591 「●●髪」は「●●かみ」なのか、「●●はつ」なのか、統一していれば
分かりやすいのは確かですね。「●●はつ」の方が新しい表現っぽく聞こえます。
「金髪」なんてその昔はそんな人いないですから。
>>593 「すいません」でもいいんじゃないの。まぁそれにしても誰にお怒りなのか
分からないが、すさまじい怒りですね(笑)。
私の言う「語源が〜」はそれとは関連ないみたい。私は「ら抜き言葉」に対しても
積極支持派ですし、やたら「間違い、間違い」って言う人間ほど本質が見えていない、
っていう言葉には賛成できる側面があります。私もそう思うときがある。
そんな私でも、「1000円からお預かりします」の「から」ってなによ!と
腹を立てることはあるけどね。これについて合理的に正当化できる人が
いたら教えてほしいわ。これだけは未だに許せん。
603 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/10/29(月) 23:37:43 0
「お会計全部で2500円になります」 の方が嫌だな。 「なります」ってなによ!と 腹を立てることh(ry
604 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/10/29(月) 23:55:49 0
そりゃ選んだ雑誌が間違いだな。
605 :
ボスコ :2007/10/29(月) 23:58:39 0
>>601 久々に面白い投稿に出会いました。
「早い」と「速い」の使いわけと
「晩い」と「遅い」の使い分けを論理的にくらべた、非常に面白い内容とお見受けする。
「学校で習ったから、そう使い分けるんだよ!」ではなく、実際に自分で
考えることは必要ですね。
「晩い」というコトバが存在するのを知らずに、どちらも「遅い」で済ませていた
人、多いんじゃないでしょうかね。そのくせ、「速い」と「早い」の区別には
うるさい。なるほど、これはこっけいだ。
ちなみに「はやい」は「早い」「速い」「疾い」「捷い」「迅い」が
あるらしいので、是非
>>586 のような同訓異字の支持派は積極的に使い分けてくださいな。
>>601 のリンクも見た。頭がくらくらするね。小中学生には分類は無理だっての。
606 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/10/30(火) 00:03:39 0
8 instances without 「い」 出入りしてる 読んでる 書かれてる なってて ついてた ふってた してるのか してないのか 3 instances with「い」 行なわれていた 強調している 言っていた
607 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/10/30(火) 02:38:00 0
「黄色」ってみんな「きーろ」って発音するよね?多分だけど。 「黄色」自体が色を示すようになってる現代で、「きいろ」と発音する人はそんなに 多くはないんじゃないかな?? でもここで一つ疑問。 「黄色」を「きーろ」って言うのは全然かまわないと思う。むしろこれが自然。 しかし、「場合」を「ばーい」と言う人はあまりいないんだな、これが。 その証拠に、「ばわい」なんて言い方が広まってるでしょ? 「ばわい」は「ばあい」が言いづらいことから派生したもの、ということはすぐにわかる。 つまり、日本人は「ばーい」とは発音しない、ということになる。 これってなんでだろう? 「場合」は「黄色」と同じ文字形態だから、 「きーろ」って言うんなら「ばーい」となるのが自然じゃないかな? 「気に入る」は「きにーる」にならなくて当然だけどね。言葉の形式がまったく違うから、 無意識に発音のしかたを変えるから。 だが、「場合」に関してはなぜだかわからない。あと、「把握」も。 これらが無意識に「黄色」と区別されてるのはなぜだ?? 日本語の発音には、疑問を感じる点が多い。 (↓に続く)
608 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/10/30(火) 02:38:38 0
(続き) 同じく疑問に感じられる日本語発音は、「いい」だ。 「気持ちがいい」「それがいい」の「いい」のことだ。 これは、どう考えても「いー」と発音される言葉だよね。 日本語には「ー」がもともと存在しないので、「い」を長音化させたものとして、 「い」の後に「い」が続く。 まさかこれを「い・い」だと思ってる日本人はいないだろう。 しかし、こういう会話ではなぜか発音が変わる。 A:「ねー、あの人かっこいいよね」 B:「え〜!?かっこいい?あれが?」 という会話。 Aさんの「かっこいい」は「かっこいー」であることは当然だ。 しかし、Bさんの疑問の意味をこめた「かっこいい?」の発音は「かっこい・い」となる。 最近このことに気づいて俺は相当ビックリした。 こうなると、「いい」は「いー」ではなく「い・い」である、という結論に達してしまうのだ。 つまり、日本語の「いい」は、英語で言う「メロディー」の長音「ー」とは別物で、 「気に入る」などの「い」と同じ、ということだ。 同じく、「かわいい」「優しい」「激しい」の「い」も「ー」ではない、と考えられるのだ。 これには相当ビックリしたんだ、マジで。俺の日本人としてのこれまでの人生を 完全否定された気分になった・・・。 だがしかし、絶対に日本語の「いい」は「いー」であると、俺は今でも信じてる。
>>586 >漢字流入の際に漢字の分節本位で読みをつくるのではなく
>和語本位で漢字を当てたからこそ、
これは逆だ。漢字と漢文(つまり中国語)が先にあり、
それを訓読するために、読みとして
適宜日本語の単語があてられたというのが歴史の真実。
「聴」「聞」などが先にあり、これに「きく」という日本語が後から適宜当てられただけ。
だから、漢字の用法と漢文法さえ守られていれば、
訓読みは「適宜あてた当て字」に過ぎないので、
一つの漢字に対して、訓読みにあてられる日本語の選択はまさに適当であり、
どんな読み方をしても、意味さえあっていればよかった。
「我聞」という漢字・漢文が先にあるわけで、これを
「おれはきいた」と訓読しようが、「わたくしはみみをかたむけました」と訓読しようが、
「おらきいてっぺ」と訓読しようが、実は自由。
「請聴」を「おまえら、みみをかっぽじって、よーくきけ」と「訓読」してもかまわない。
訓読みというのは、元来そういうもの。所詮当て字。
この関係が逆転するのは、
明治時代に公教育が始まり、漢字カナ混じり文の日本語を先に勉強し、
漢文訓読は後で勉強するようになってから。
610 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/10/30(火) 04:14:49 0
「いやらしい」の「しい」って、「優しい」などの「しい」と一緒かな? それとも「らしい」なのかな? それとも、元の意味なんて無視して「いやらしい」で一つの語としてとらえた方がいい? 日本語って難しいですね。
611 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/10/30(火) 06:38:52 0
>>608 アホじゃないの?
単に「いい」「いー」は「よい」のくだけた言いかたでしょ
612 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/10/30(火) 06:40:05 0
613 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/10/30(火) 18:27:10 0
614 :
ボスコ :2007/10/30(火) 22:59:09 0
>>609 同意。ヤマトコトバが先にあったのに、漢文が入ってきて、漢文本位で
漢文の構文が優先された。和語を後からそれに沿うようにあてた。
それにしても、
>>601 が一番面白かった。
もう まともな反論が来ないので、まとめをしたいと思う。
@れげらま氏の論理:カタカナ語が日本語を侵略しつつあり、これに警戒感を抱く。
多くのカタカナ語は日本語として言い換えすべき、と考える。
英語は拒否しないが、カタカナ語は英語でもなんでもなく、意味もないのに
頻繁に使う日本人を嘆く。カタカナ語は日本語に調和して発展するのではなく、
日本語を腐らせる、と考える。
ヤマト言葉と音読み言葉を特に区別なく両方日本語であるとし、
個人個人の意識を高めてそれらを積極的に使うべし、と説く。
Aボスコの論理:現在の日本語は、漢語による同訓異字、同音異義語ばかりの
不完全な言語であり、難解な音読みであれば継続して使うことに意味はないとする。
同訓異字は論理的整合に欠け、さらに無用な気づかいを書き手に要求する。
現代の教育はそれらに適応することのみを教える創造性のないものとし、
カタカナ語が日本語を侵食しているのも、そういった漢語の不便さに日本人が
へきえきしてきたから、と考える。ヤマトコトバの復権を主張。
そろそろ私もこれで失礼するよ。でもたまに戻ってくる。そろそろ誰かがB番の
新しい理論でも提唱してはどうかね。名無しで少し書いても誰も見やしないだろうよ、、、
主文
本件公訴を棄却する。
>>495 から
>>614 までの記録は、これを存在しなかったものとして扱う。
理由
公訴権の乱用。
616 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/10/30(火) 23:56:28 0
論理も論証もないし
617 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/10/31(水) 00:07:23 0
まとめ: つくづく、れげらま氏の格の違いを再認識させられた2週間であった
618 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/10/31(水) 00:17:03 0
両方レベルは違えどアホでしょ
619 :
586 :2007/10/31(水) 00:24:55 O
>>588 「同訓異字の多さに辟易」というのが、
国語教育の(副作用的な)洗脳の結果だと言っているんです。
もし同訓異字が口語和語の上位にあって
漢字学習によって初めてその概念を新語として得るのだとすれば、
小学校入学以前の子供はみな
「先生の話をよく聴いて、わからないことがあったら先生に訊きなさい」
「そこのカメラを取って。一緒に写真を撮りましょう」
といった簡単な発話すら理解できないことになります。
和語の意味は用例の積み重ねにより形成されていくものであり、
漢字の意味を区別する勉強とは別次元の話です。
例えば「創」という漢字の意味を知って初めて
「生み出す」意味の「つくる」の用法を知る子供もいるかもしれませんが、
それは「無から生み出す」という少し高度な概念を
用例で覚えるのが先か漢字で習うのが先かという話で、
やはり漢字学習が支配するものではありません。
つまり同訓異字のそれぞれの漢字の学習は、
同訓異字の使い分けがその本来の目的ではありません。
続く
620 :
586 :2007/10/31(水) 00:26:33 O
続き
では同訓異字や訓読みによる漢字学習は何をもたらすのかというと、
「漢語の概念への導入・和語と漢語のリンクによる統一」などが考えられます。
改めて意識することは少ないものの、同訓異字を含む訓読みの存在によって
我々は漢語を外国語としてではなく
感覚的に日本語として学び、使うことができています。
本来は決して「常に漢字をあてて区別すべし」
というような漢字上位思想を植え付けるための学習ではないのです。
しかし手段を目的に変えてしまう試験主義のおかげで
「漢字の数だけ和語がある/漢字表記こそ正統/ひらがなは幼稚」
という勘違いを上記の恩恵と同時に得る結果となっています。
>>605 私は「幼稚」「害悪」と必要以上に汚されている
和語や同訓異字の地位を正常に戻そうとしただけであって、
同訓異字の使い分けを支持してはいません。
そのような試験はくだらない(
>>586 )と言いましたよね。
「はやい」を積極的に使い分けるに値するのは、
「晩い」という即席の当て字までもすんなりと認められる感覚の持ち主でしょう。
無意識の漢字奴隷ならではの思想が
> 「晩い」というコトバが存在するのを知らずに、
という部分ににじみ出ています。
621 :
586 :2007/10/31(水) 00:27:30 O
>>609 「和語本位で漢字をあてた」というのは紛らわしい表現でした。申し訳ない。
もちろんおっしゃるとおりで、そのあたりは心得ています。
>漢字流入の際に漢字の分節本位で読みをつくるのではなく
>和語本位で漢字を当てたからこそ、
この部分で述べたかったのは
例えば「聞」「聴」の漢字の分節をそのまま受け入れて(漢字本位)
(仮に)「ミミイる」「ミミカタムケる」
というような異なる読み方をするのではなく
どちらも元来の和語の分節単位「きく」と読んだ(和語本位)、というだけの話です。
622 :
ボスコ :2007/10/31(水) 03:12:01 0
>>586 ものすごく注意深く書いてますね。エディタか何かで一回書いて、
何回か推敲しないと書けない文章です。わたしなら。あなたは一発で
書いた文才かもしれんが。
なので、敬意を表して私もじっくり読みました。
面白いことに、
>>619 については、
>「同訓異字の多さに辟易」というのが、
>国語教育の(副作用的な)洗脳の結果だと言っているんです。
以外、全て完全同意。
>>620 も
>無意識の漢字奴隷ならではの思想が
>> 「晩い」というコトバが存在するのを知らずに、
>という部分ににじみ出ています。
以外、完全同意。この部分、ちょっと誤解されてます。
「『晩い』というコトバが存在するのを知らずに」という部分は
皮肉った言葉なので、私の表現がそう受取られてしまいやすかった
のかもしれません。私にとって、「晩い」という言葉があろうが
なかろうが、あまり意味をなしません。
>>621 については理解しましたので、OKです。
>本来は決して「常に漢字をあてて区別すべし」
>というような漢字上位思想を植え付けるための学習ではないのです。
とありますが、これもその通りと思いますよ。同訓異字の功罪について正しく
理解している人の書いた文章だと思いますよ。
つづきはまた今度。
624 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/10/31(水) 08:36:17 0
れげらま氏は一旦「これにて失礼」と言ったら二度と戻ってこない程度の 見識を有していた。この点でも両人の格の違いを見て取ることができる。
625 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/10/31(水) 08:57:38 0
>>584 >「両親」と「良心」なら文脈で違いが判別できるだろうからまだいい方だろう
だらう
>なんて用語は似た文脈で用ゐられるから違いがさつぱり判らないことがある。
ちがひ
>間違ひやすいやうに教えこむ現在の教育にこそ問題があるようにも
をしへ、やう
かなづかひをまちがひすぎ
626 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/10/31(水) 09:01:33 0
自分に酔うタイプなんですよ。
どっちが覚えづらい? 1.牛肉(牛+肉) 2.Beef 3.ビーフ 1.羊肉(羊+肉) 2.Mutton 3.マトン 1.犬肉(犬+肉) 2.Dog Meat 3.ドッグ ミート 1.豚肉(豚+肉) 2.Pork 3.ポーク 1.髪飾り(かみ+かざる) 2.Hair Ornament 3.ヘア オーナメント 1.耳飾(みみ+かざる) 2.Earring 3.イヤリング 1.首飾り(くび+かざる) 3.necklace 3.ネックレス すべての語彙をカタカタ英語に乗り換えると 語彙の関係性も失う、語彙も覚えにくくになる
628 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/10/31(水) 20:23:55 0
>>627 そんな少数かつ片寄った意見を提示しても意味がない
629 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/10/31(水) 20:54:49 0
「旅立つ」は「たびだつ」と読みますが、 「飛び立つ」は「とびだつ」とは読みません。「とびたつ」です。 同じ「立つ」で、直前の文字も同じ「び」なのに、 「飛び立つ」が「とびだつ」にならなかった理由とは何なのでしょうか。 すみませんがわかる方、教えていただきたいです。
>>563 >「裸」とか特に間違う人多いんじゃないのかな?左の部分を「ネ」って書いてしまう人。
>これは間違えて当然だよね。「礼」は「ネ」なのに、裸は「ネ」に点がつく。
>漢字によって「ネ」に点がついたりつかなかったり・・・。本当にバカな言語だと思う。
>こういう細かな違いを一字一字しっかり分けて理解できてる人なんて決して多くないでしょう。
>なぜ全て「ネ」に統一しないんでしょうね。 点にもちゃんとした意味がある、とかそんなのどうでもいい。
台湾人です
それは漢字のせいではありません
中国語の中では「衫」「褂」「裸」「褌」「裾」のような衣装関連の語彙がありますから
まとめて覚えると、不便なんか全然感じません。
日本語には「衫」「褂」「褌」「裾」はないでしょう?
631 :
ボスコ :2007/10/31(水) 22:36:21 0
>>586 へつづきです。
どうやらあなたの思考が一周まわって、私のことを学校教育に洗脳された被害者
だと曲界されているようです。
日本で学校の授業を受けていなくても、例えば外国から来た日本語学習者なら、
同訓異字の多さ、論理的整合のなさにすぐに気付くでしょう。
その人が「同訓異字の多さに辟易」と表現したとします。
でも、その人は日本の学校で洗脳を受けたわけではありません。
「同訓異字の多さに辟易」することから、学校の洗脳を受けた、と
判断するのは無理がありそうですよ。
台湾の方がせっかく来てらっしゃるようですから、その人に同訓異字に
ついて話をうかがうのも面白そうですね。
>>627 すべての言葉をカタカナ語に置き換えると、逆にややこしくなりますね。
牛肉、豚肉、鶏肉という言葉は多分滅びないと思います。十分外国語の
侵食にさらされてもね。
632 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/10/31(水) 23:12:55 0
中国人の立場で見ゐと、その「礼」という漢字かろできた平仮名の「れ」と 「祢」かろできた「ね」のあまりの紛ろれレさに、「日本語は本当にバ力な言語」だと 思ラれけだ。 他にも平仮名・片仮名は致命的に紛ろれレい文字だろけで、まさに欠陥文字の 一言に尽きゐ。 ただ、その紛ろれレさのおかげで、中国人ガ作っていゐ二セ日本製品を ー発で見破わるのだかろ因果なものであゐ。
634 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/11/01(木) 02:42:10 0
日本語はとてつもなくおかしな言語です。「バカ」と言いきってしまってよいと思います。 たとえば、「雨音」という言葉があります。これは「あまおと」と読みます。 何でしょうね、このバカな読み方は。 「歌声(うたごえ)」のように「こえ」を「ごえ」と読むのはまぁ、良いと思います。 「ごえ」と言われても「声」のことだと理解できますし。 日本語において、言葉の読みが「百(ひゃく、びゃく、ぴゃく)」のように変化するのは 当然なので、今さらこんな事に不満はありません。 しかし、「雨音」は納得できません。なぜこれを「あめおと」と読ませない? 「あま」って聞いただけでは「あめ」のことを言っているなんて理解できませんよね。 ある程度国語を勉強して初めて、「雨の音」だと理解できます。これが実にバカらしい。 「あめおと」が発音しにくいからそうなった、などとは考えられません。 「雨男」などという言葉が一般的になっているくらいですから。 昔の日本では「雨」を「あま」と読んでいたから、その流れで「あまおと」になった、 なんてバカなことは言わせません。それならそれで、全て「あま」で統一させるべきでしょう。「雨上がり」も「雨模様」も「あま」にしなさいよ、って感じです。 「笑顔」なんて言葉もそうですよね。「えがお」って聞いて、単純にどういう顔のことか 理解はできません。「笑い顔」でいいじゃないですか。 なぜ、いちいちわかりづらい言葉を作るのでしょうか。 (次へ続く)
635 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/11/01(木) 02:42:54 0
(続き) 「笑い顔」とは別に、どうしても言葉を増やしたいと思うのなら、 たとえば「にこり」のように固有名詞をつけるべきでしょう。 「えがお」のように、名前に「顔」を入れてしまうことで・・・ 『「えがお」ってどんな顔? 「え」の顔? 「え」って何のこと??』 ・・・なんてことになってしまうわけです。 「雨音」も「ぽつり」とでも名づければよかったわけです。 こうなってしまったのも全て、日本人が欲深くて、考えが非常に浅かったからです。 そもそも、「雨音」なんて名詞を作る必要性がわかりません。 普通に「雨の音」と言えば済むことなのです。 こんな調子だから、意味もなく無限に、ゴミのように日本語が増えてしまったのです。 統一性ゼロの愚かな言語、それが日本語です。 これでもまだ、「日本語は非常に洗練された知的な言語だ!」と思う方、 いらっしゃればどんどん反論待っています。
そんな例は他言語にもいくらでもある。 複合語にだけ残っている単語、複合語だけ古形を残す単語なんてどの言語にもある。 そんな理由で日本語がバカな言語なら、全ての自然言語はバカな言語だろう。 「雨」と「雨音」の場合、同じような例 (上代特殊仮名遣いでエ段乙類で終わる単語が複合語ではア段で終わる)が、 「声」と「声色」、「酒」と「酒蔵」、「風」と「風車」、「手」と「手綱」、「稲」と「稲穂」、「上」と「上薬」、… など多数あり、連濁ほどではないにしても、 それに似た規則的な現象として日本語母語話者には身につけられている。 「風車」と聞いて「ぐるまって何だよww」と思う奴がまずいないのと同じように、 「かざって何だよww」と思う奴もほとんどいない。 この程度でバカなら、リエゾンがあるフランス語は信じられないほどバカな言語だろう。
ゲーム界のゲーム名なんで殆どはカタカナ語? アークザラッド ラッド(lad-少年の意味)という英語知っている人日本にはいないだろう? この単語日常生活にも使わないし
>>635 日本語はそうですが
英語の方は日本語よりずっとばからしい
639 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/11/01(木) 06:18:40 0
>>635 英語やフランス語は日本語を越える馬鹿な言語ですね(´・ω・`)
640 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/11/01(木) 07:07:44 0
>>630 残念ながらある。
中国の漢字は全て日本でも漢字としている。
使用頻度が低いというだけ。
逆に日本の国字は中国でほとんど採用されていない。
つまり、中国の漢字よりも日本の漢字のほうが多いということになる。
そんなことより、台湾は国として認められるように努力しなさい。
アフラック(アメリカンファミリー生命保険会社)とか ソニー損保とか聞くと、何となく信頼感が低そうな 印象を受けるのは、 大切な人の生命・財産を扱う会社の社名にカタカナ語が 使われていることへの不安感である。 かつて国鉄は民営化の際にジェイアールと名称を変更して、 人の生命を預かる大量旅客輸送業としての信頼感を 決定的に喪失したが、 郵便事業はその反省を踏まえて、10月1日の民営化後も 「日本郵政」と漢字語の社名、それも「政」の字を残すという 戦略に出ている。もしこれがジェイピーだったら、どれほど 信頼感を失っていたことか。「ゆうちょ銀行」「かんぽ生命」にしても、 ひらがなに留めることで、信頼感を維持しつつ、親しみやすさを 打ち出すことに成功している。 カタカナが忌避されるべき分野もある。
642 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/11/01(木) 09:53:09 0
それは主観的。おれはゆうちょ銀行に金を預ける気がしないが、これも主観的。
643 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/11/01(木) 16:19:53 0
カタカナ英語の存在は、いつも俺を悩ませる。 「メール」「ゲーム」「イメージ」など、長音にすることがカタカナ英語の法則のはず。 なぜ、「メイク」は長音ではないのだ? このメチャクチャさは何なんだ? 「ゲイ」なんかはスペルが「gay」だから、違うのはわかるが。 しかも、「メイク」なのに「メーカー」があるからね。もうアホかと。 なぜ統一しない?こんなのは「個性」とかそういう問題じゃないぞ。 ある歌手の歌で、「GAME」という歌がある。 その歌詞の中に、「game is...」という詞と、カタカナで「ゲーム」という 詞がそれぞれ出てくる。 英語の部分は当然、「ゲイム イズ・・・」と言ってるのね。 でもカタカナのところは「ゲーム」と読むのよ。 昔の日本人がカタカナ英語を長音に定めたせいで、こんな矛盾が生まれる。 もし先の日本で、「やべっ、やっぱ長音って変じゃない?全部イに直そうぜ!」 なんてなったら、ひどすぎる話だよ。わざわざ「ゲーム」って使った表現者の立場は?
644 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/11/01(木) 16:46:23 0
>>640 >>使用頻度が低いというだけ
それは要因です
漢字そのものは使えば使うほど易くなる文字
同類語彙間関係がありますから
>>627 を見ると分かると思います
645 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/11/01(木) 17:02:12 0
>>629 「旅立つ」は「たびだつ」と読みますが、
>> 「飛び立つ」は「とびだつ」とは読みません。「とびたつ」です。
まず考えついたのは
「飛び立つ」は「飛ぶ」と「立つ」という二つの動詞からできた複合動詞
「旅立つ」の場合、「旅」は名詞。
ということ。
こんな違いからかな?
でか、必ず 「反例」 が現れる??
646 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/11/01(木) 18:28:19 O
北一輝が日本語をボロクソにけなして、エスペラントを褒めてたってホントですか?
>>631 「同訓異字の多さに辟易」という感覚を生み出すものは何でしょうか。
「同訓異字は漢字に頼って意味を多様に"使い分ける"」
「なのにそれを耳では"区別できない"」
と嘆き「不便だ」「言文不一致だ」と絶望する人がいたとします。
日本語を一から学ぶ外国人には
同訓異字学習の前提となる和語の土台がないので、
「hearく も askく も"きく"だ」と聞けば
上のように考えるのも無理はありません。
日本語は極めてユニークな書き言葉のしくみをもつ言語ですから、
その全体像を一時に目にした大抵の外国人には複雑怪奇に映ることでしょう。
しかし日本人は漢字学習とは別に広い意味の和語を身につけているので、
同訓異字の書き分けによって本来の目的である"漢字学習"をした後は
逆に「漢字で書き分ける」義務はなくなりますし、
「漢字を聞き分ける」必要は元々ありません。
すでに広く和語を獲得しているであろう、ある日本人が
それでも「同訓異字の多さに辟易」するということは、つまり
「漢字の数だけ和語がある」「漢字こそが意味」
といった「漢字が支配する和語」の構図が根付いている証拠にほかなりません。
その認識が「(副作用的な)洗脳被害」です。
649 :
ボスコ :2007/11/01(木) 22:47:48 0
>>648 一周まわって、結論が変になってます。逆ですよ。
漢字の数だけ和語があるわけじゃない。
漢字こそが意味だと思っているんじゃない。
だからこそ、使い分けることを要請する社会に 辟易するんです。その結論はおかしいですよ。
子供時代は、漢字こそが意味だと思ってた。だから、漢字が支配する
和語の構図が国語習得の基礎として私に根付いており、その漢語の習得に
時間を費やすことに労力をいとわなかったのですよ。だからかつては
辟易しなかった。
さっきも「今秋の大セールは、、、」という言葉を聞いて思ったんだけど、
『この秋のことだ』と気付かなくちゃならない。これは、「こんしゅう」
という響きを聞いて、「今秋」「今週」という二つを脳のリストにならべ、
どっちが的確かどうか判断することになる煩雑さを引き起こしています。
自分がしゃべった場合は、「その表現、分かりにくいよ。」と指摘を受けたり
して、人にわかりやすいように、次から気をつけたりすることになります。
このような「聞き分け」「書き分け」を出来るようになるには、常日頃から
訓練をして、人にわかりやすいよう努力しなければなりません。
それには辟易しますよ、ということです。同訓異字も同じ作用。
ちなみに私は海外から帰国して一年足らずです。何年も英語ばっかりで、
急に日本に帰って日本語を見つめなおしてみると、こういう煩雑さが
気になりだしたわけですよ。
でも、海外にいた人だけがそうおもうわけじゃない。日本にずっといても、
気付く人は気付く。
650 :
ボスコ :2007/11/01(木) 23:04:19 0
たとえば、「作るじゃなくて創る」という文章があったとしますよね。 これを口に出して意味が通りますか?英語だったら簡単に意味が通じますよ。 You have to create something rather than just making. 口に出して意味が通らないなら、その文章は欠陥を含んでいることになります。 どこが欠陥か。それは違う二つの概念が同じ発音だからでしょ? あなたがそれを欠陥じゃなく、ただ単に私が洗脳されているというなら、 その論理を示してほしい。
651 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/11/01(木) 23:10:47 0
652 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/11/01(木) 23:20:54 0
「口に出して」いう時には「つくるじゃなくてつくる」なんて言わないでしょ。
一週まわって、結論が変に鳴ってます。逆ですよ。 幹事の数だけ和語があるわけじゃない。 幹事こそが忌みだと思って炒るんじゃない。 だからこそ、使いは蹴ることを養成する社会に辟易するんです。その結論はおかしいですよ。 子供時代は、幹事こそが忌みだと思ってた。だから、幹事が支配する 和語の構図が国語拾得の起訴として私に根付いており、その看護の修得に 次官を費やすことに労力を意図はなかったのですよ。だからかつては 辟易しなかった。 殺気も「今秋の大セールは、、、」という言葉を聞いて思ったんだけど、 『この安芸の琴だ』と気付かなくちゃ鳴らない。これは、「こんしゅう」 という響きを聞いて、「今秋」「今週」という二つを能の栗鼠とにならべ、 どっちが適格か同化判断する琴に鳴る繁雑さを弾き起こしています。 時分がしゃべった場合は、「その氷原、分かりにくいよ。」と至適を受けたり して、人には狩りやすいように、継ぎから木を漬けたりする琴に鳴ります。 子のような「機器分け」「火器分け」を出来るように鳴るには、常日頃から 訓練をして、人には狩りやすいよう努力しなければ鳴りません。 それには辟易しますよ、という琴です。同君維持も同じ左様。 ちなみに私は貝が胃から帰国して一念足らずです。難燃も英語ばっかりで、 急に日本に買えって日本碁を見つめ治してみると、交友煩雑さが 木に生りだしたわけですよ。 でも、貝が胃にいた人だけがそうおもうわけじゃない。日本にずっと射ても、 気付く人は気付く。
654 :
ボスコ :2007/11/01(木) 23:36:13 0
>>652 書き言葉では普通に「作るじゃなくて創る」と書いていても、
口に出していうときに、違う言葉で言い換えなくてはならないってことですよね。
それが脳のはたらきのムダじゃないんですか?
ムダじゃないんです。
イギリスでイギリス人と音楽を作っていたれげらま氏は、 帰国してボスコと名乗ることにしました。  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄○ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ O 。 , ─ヽ ________ /,/\ヾ\ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ |__|__|__|_ __((´∀`\ )< というお話だったのサ |_|__|__|__ /ノへゝ/''' )ヽ \_________ ||__| | | \´-`) / 丿/ |_|_| 从.从从 | \__ ̄ ̄⊂|丿/ |__|| 从人人从. | /\__/::::::||| |_|_|///ヽヾ\ / ::::::::::::ゝ/|| ────────(~〜ヽ::::::::::::|/ = 完 =
657 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/11/02(金) 00:13:50 0
ずーっと思ってたんだが、「ごはん」って言いにくくない? 意識しないと「ごあん」になるんだが・・・。 同じく「おはよう」、「歩幅」、「模範」などもそうなる。 「おあよう」、「ほあば」、「もあん」・・・ 発音しづらい言葉をわざわざ作るなよ、アホ日本人。
>>657 を含めた朝鮮・韓国人は、語中のhを原則として有声音化し、
しばしば無音に変えてしまう母語(朝鮮・韓国語)の影響で、
日本語の「ごはん」等、語中に無声のhを含む単語をうまく
発音できないことは確かだ。
彼らの母語では「アンニョンヒ」と綴っても「アニョイ」と発音するのが
正常なので、アホ日本人と罵りたくなる劣等感も理解できなくはない。
フランス人、イタリア人などは語頭のhも発音できないので
「ハルヒ・スズミヤ」を「アルイ・スズミヤ」と発音してしまうが、
>>657 などの朝鮮・韓国人は語頭のhは発音できるので、
「ハルイ・スヂュミヤ」となる。
気の毒な話だ。
659 :
ボスコ :2007/11/02(金) 02:14:41 0
>>648 さて、どちらが洗脳されているのでしょうか(笑)。
あなたの文章を読んでいて、気になる表現があります。それは、
私が「漢語本位に考えて、それに和語をあてようとする」というものです。
私が何を本位に考えているか、それは、漢語が本位ではなく、和語でもなく、
ただの思考です。そして、「別々の事柄または概念だと考えたい、とする願望」
があったとき、言葉を使い分けたいと思うのです。
「創る」という漢字をあてたいのではなく、「無から何かを生み出すことは、
単純に物を作ることと違う概念である」ことを別の言葉で表したい、という
願望なんです。
あなたは和語中心に物事を考えているそうだから、「創る」も「作る」も
同じで、用例として分ければ良いと考えているかもしれない。しかし、
「これらは全く違う概念として細分化し、別々の言葉で表現したい」
と思う願望は多くの人にあるものです。
その願望を一部かなえるのが漢語であり、それが書き言葉として与えられている
から、私は使いますし、必要であれば書き分けをします。
ただ、
>>605 に書いたように、「早い」「速い」「迅い」「捷い」の全ての
書き分けは必要ない、という結論も同時に得ます。
要は、意味を分けたい欲求があるかどうか、に関わるのであって、漢字に沿って
書き分けたいのではないのです。
660 :
ボスコ :2007/11/02(金) 02:18:03 0
普通は、そういう願望がきっかけとなって、言葉は豊かになり、増えていくのです。 例をあげると、太古の昔はアカとかクロとかいう基本色しかなかった。 しかし、現在では、こげちゃ色、とか、やまぶき色などという微妙な色も 表現できるようになっている。でも学校で「これは黄色よ。」と教われば、 やまぶき色を命名したい欲求を得るのはかなり困難になります。これは ある意味、洗脳の結果です。 「つくる」は用例も多くて、かなり広い守備範囲をもつ言葉かもしれませんが、 そのままで良いとは限りません。現に「無から新しいものを生み出す」ことは 単に普通にものごとをつくるのと違う概念である、と考えたい人が増えたから こそ、「作るじゃなくて創る」というようなことが叫ばれたりするのです。 ただ、書き言葉で分けられている一方、話し言葉では分けられていないと、 いつまでたっても話し言葉は豊かになりません。 で、ふりだしに戻るけど、そういうときに同じ発音だと、枝分かれしたことにならない、と いうのが私の指摘です。 「ヤマトコトバでは一個の意味だから、書き分けする必要はない」というのは、枝分かれへの 可能性を否定する文章です。適度な枝分かれは必要だし、適度な退化も必要。それを決めるのは 私たちです。ヤマトコトバは発展して、もっと色々な事柄を使い 分けることが可能なように、違う発音の語彙を増やすことも必要でしょう。 それをさまたげているのが同訓異字だ、と言っているのです。
661 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/11/02(金) 02:25:51 0
それは言えてるw
今日、自言語の内部だけで新たな語彙を創成するプロセスを維持している言語は ほとんどない。語彙を増やす作業の大部分は、他の言語からの借用により 行なわれている。 英語で色を表す語彙を調べれば、このことは一目瞭然だ。ゲルマン祖語の 時代からあるwhite, red, blue, greenなどを除けば、cyan, magenta, orange, purpleなど、 全て他言語からの借用に依存している。日本語で同訓異字をなくせば語彙が 豊かになる方向に進むだろうなどと考えるのは子供の幻想に過ぎない。 あるいはまた、英語はoperationという単語を借用したが、演算、作戦、手術、操業 など、 元の単語が持っていた恐るべき多義性もそっくりそのまま借用した。 エスペラントのoperacioも、全く同じ多義性を保持している。 >「これらは全く違う概念として細分化し、別々の言葉で表現したい」 という願望を人々が抱いているというのも、単なる幻想。「創る=創成する」を意味し、 かつ発音が「つくる」ではない新しい和語が生まれるなどと考えるのは幻想。 英語のcreateも単なる借用であり、英米人が独自に発明したわけではない。 アホらしい限り。
663 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/11/02(金) 03:57:11 0
>>662 >>今日、自言語の内部だけで新たな語彙を創成するプロセスを維持している言語は
ほとんどない
世界中殆どの文字は表音文字
表音文字の翻訳能力は激弱いだから
664 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/11/02(金) 03:59:09 0
それは表音文字の利点ではなく欠点だと思う。
665 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/11/02(金) 04:03:33 0
666 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/11/02(金) 04:37:48 0
>>658 俺は純粋な日本人ですよ。
絶対俺だけじゃないよ、しっかり発音できないの。
特に「歩幅」、これはひどすぎる。絶対に「ほあば」になる。
「ほはば」としっかり言うには、意識して一瞬だけ力をこめないと無理だ。
こんなに言いにくい言葉を作った過去の日本人に、心から憎しみの念がこみ上げる。
あと、「皮膚(ひふ)」もひどい。絶対に「ひう」になる。
なんてバカバカしい事だろうか。
意識しないとしっかり発音できない言葉など、存在する意味があるのか?
無意識に流れるように発音できる言葉こそが、真の言葉。
そうじゃない言葉は、会話において障害になるだけ。
なぜ言葉を発するのに力をこめる必要があるんだ?バカじゃないのか?
「歩幅」「皮膚」などの言葉に対し、心から廃止を願う。
667 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/11/02(金) 06:55:25 O
過去の日本人がハ行転呼を起こさなかったら、 顔を「かほ」、川を「かは」、炎を「ほのほ」、貝を「かひ」などと発音するはめになっていたんだから、 平安時代の人には感謝してもらわないと。
668 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/11/02(金) 08:15:21 0
669 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/11/02(金) 08:37:49 0
色の問題は、「文字」の問題でも「学校」の問題でもないよ。間違えるな。
>>666 (文字だけじゃ確信は持てないが、)その発音で合ってるよ。
普通の日本人ならそうなる。はっきり[ha]と発音する方がおかしい。
いや、「あ」と語中の「は」が同じ音だと言ってるわけじゃないぞ。
日本語の発音をしっかり説明している音声学の入門書には載っているはずだ。
>>649-650 「書き分けを要求する社会に辟易」なのか、
「同訓異字漢字の数の多さに辟易」なのか、
よくわかりませんがはっきりしてもらえませんか。
いずれにしても同訓異字のシステム自体が悪なのではないことを
散々説明したはずなんですが。
私が「一周まわった」とか「逆」なのではなく、
あなたが立ち位置を決めずフラフラと飛び回っているだけでしょう。
また、なぜ突如として同音異義の例をひくんでしょうか。
「同訓異字も同じ作用」であれば、
同訓異字を実際に聞いて困った例をあげてください。
それとも持ち駒は「作るではなく創る」だけですか。
「作るではなく創る」の類が"欠陥"などではないことは
はるか昔の
>>538 の後半で触れました。
人に説明を求める前に、
考えを整理するなりレスを読みかえすなりしてみてはいかがでしょう。
>>659-660 あなたは「作と創」本位で考えて初めて
> 「無から何かを生み出すことは、
> 単純に物を作ることと違う概念である」ことを別の言葉で表したい
と考える事ができるんです。
なぜなら、すでに「"うみだす""つくる"」と簡潔に別の言葉で表したにもかかわらず
さらに「違う概念であると別の言葉で表したい」と言えるのは、
「作・創=つくる(同じ言葉)」の関係を想定していて
「創」の方に新しい和語が欲しいと考えている人間ぐらいですから。
つまりあなたが漢語でも和語でもなく思考本位で考えている、というのは大嘘です。
> 現に「無から新しいものを生み出す」ことは
> 単に普通にものごとをつくるのと違う概念である、と考えたい人が増えたから
> こそ、「作るじゃなくて創る」というようなことが叫ばれたりするのです。
なぜ「つくるじゃなくてつくりだす」とわかりやすく書かれないのか、考えてみてください。
>>538 ですでに述べた事ですが。
続く
続き > ただ、書き言葉で分けられている一方、話し言葉では分けられていないと、 > いつまでたっても話し言葉は豊かになりません。 > そういうときに同じ発音だと、枝分かれしたことにならない、と > いうのが私の指摘です。 いつから同訓異字の訓の部分だけが "話し言葉の分けられ方"になったのでしょう。 「区別して別の言葉で表したい」なら 「創る」などではなく 「つくりだす/うみだす/たちあげる/いちからつくる」 これらに漢語を加えて多数の候補がありますから、 "話し言葉"はあなたに頓珍漢な心配をされるまでもなく 豊かな表現に枝分かれしています。 したがってあなたが問題としている 「> 書き言葉で分けられている一方、話し言葉では分けられていない」 とは同訓異字だけを問題とした発言ですから、 やはり結局「作と創」本位のあなたが求めているのは 「漢字(同訓異字)の数だけ和語がある」という日本語の姿であり、 根底にあるのはもはや自覚のない(認めたくない)漢字志向なのでしょう。 それを「耳で区別できず不便」「言文不一致を正せ」「豊かな和語の発展のため」と 看板をとりかえながら布教しているに過ぎません。
674 :
671 :2007/11/02(金) 21:23:27 O
>>657 、
>>666 は、多分語中のhを有声音ɦで発音しているんだろう。
これは普通の日本語話者にはア行音に聞こえることがある。
「ごはん」を[goɦaɴ]、「おはよう」を[oɦajoː]、
「歩幅」を「hoɦaba]、「模範」を「moɦaɴ]、「皮膚」を[çiɦɯ]と発音していると考えられる。
一文字一文字丁寧に発音すればそんなに難しい発音の言葉ではないのだが、
普通の速度で話したりするとすぐ有声化してしまう人もいるのだろう。
平安時代にハ行転呼が起こったために、語中のハ行は基本的には和語の中には現れず、
「ごはん」「おはよう」のように、接頭詞などがついた語や複合語、
「歩幅」「模範」のような漢字語、外来語、「母」「頬」のように、同音連続の言葉という意識から
ハ行転呼「はわ」「ほお」を起こしたあとに元に戻った語などにしか現れない。
しかし、こういう限られた例の語中のハ行音に文句を言う奴には、
ハ行の存在自体が邪魔なのだろう。こういう話者が増えれば、ハ行音自体が消滅するかもしれない。
676 :
ボスコ :2007/11/03(土) 23:06:24 0
>>673 私のことを「漢字(同訓異字)の数だけ和語がある」のを求める人だと
ありますが、漢字は優先すべきものとは限りませんよ。
例えば、「わかる:分かる・判る・解る」などについて、
「判る」「解る」 などは撤廃してしまってもいいと思います。
そうすると、この場合では「ヤマト言葉の数だけ漢字がある」という表現が
適することになりますね。
「はやい:速い・迅い・捷い」についても、「迅い・捷い」などは
覚える必要のない無駄な言葉だ、と
>>605 に書きました。
極端な漢字志向が正しいとは限りません。
そうやって無駄な漢字をはぶくことによって、簡潔な日本語にしていく
努力が必要でしょう。
>同訓異字を実際に聞いて困った例をあげてください。
>それとも持ち駒は「作るではなく創る」だけですか。
じゃあ、「跳ぶ」と「飛ぶ」で行きましょうか。先生が本を朗読したとします。
先生「なんと、チョウチョは数メートルも跳んだのです。」
生徒「(チョウチョが飛ぶのは当たり前なのに、なんで驚くの?)」
本を読むと、チョウチョがピョンとジャンプしたさまが伝わってきますが、
それは聞き手にはわかりません。
こんな具合で、書き言葉が、話し言葉にそのまま伝わらない不具合が生じます。
「チョウチョが『跳ねた』」と表現すれば、誤解が生じなかったでしょうが、
結局、書き手は、きちんと聞き手に伝わるように、思考をめぐらせる
煩雑な手間が必要となります。
そこが、同訓異字の困ったところなのです。
677 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/11/03(土) 23:10:43 0
>>676 言語には音声言語と文字言語があるんだよ
678 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/11/03(土) 23:35:50 0
簡潔な日本語にしていくなんて必要はありません。豊かにしましょう。 言葉を殺すのは人を殺すのと同じ。豊かにすれば人も豊かに。 思考をめぐらせる なんてのも、煩雑な手間なんかかかりません。 かかったとしても言葉の楽しみのうちです。
679 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/11/03(土) 23:42:06 0
>>678 のいうとおりだ
あらゆる表現を肯定すべき
一行目を
寛家綱2歩んごにし呈苦櫃よウなんて蟻摩船。油汰蟹紙魔性
とかいてもそれは賞賛すべき
ハンタイするのは言葉を殺すのと同じこと
思考をめぐらせる なんてのも、煩雑な手間なんかかかりません。
かかったとしても言葉の楽しみのうちです。
要するにボスコはオーウェルのNewspeakのような日本語を欲しているということ。 思考をめぐらせる煩雑な手間がかかる言語は人類にとって犯罪であり、 「一つの発音には一つの意味」しか存在しない言語に置き換えられるべきである。 アホらしい限り。
681 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/11/03(土) 23:53:57 0
英語でspringが名詞の「春」なのか「バネ」なのか「泉」なのか、動詞の「跳ぶ」なのか、 聞いても見ても分からないときがあっても目をつぶる、と。 flyが「ハエ」なのか「飛ぶ」なのか区別が付かなくても目をつぶる、と。 で、日本語の同訓異字には目くじらを立てる、と。
682 :
ボスコ :2007/11/03(土) 23:55:09 0
ずっとまえに「聞くのではなく聴く」のことを、
"「音ではわからない」を逆手にとって印象づける文字表現”
だ、と
>>558 は分析していますが、逆手にとったわけではなく、動詞が二つに完全に
分かれてはいないために起こる不具合ですよ。
「聞くのではなく聴く」の語をgoogleで検索すれば、長い検索語なのに1100件も
検索されましたよ。その多くが「聴く」には、耳をかたむけて注意してきくという
意味で使っていますし、「聞く」とは違うことを強調しているところも多々ありました。
なんでわざわざ強調する必要があるんでしょうか。それはどちらも発音すると
同じように聞こえてしまうからですよ。
結局、そういう不便なせいで、「聴く」という言葉は、書き言葉でしか生きられず、
話し言葉ではあまり用いられません。「耳をかたむけて心でききなさい」という
風にしか言えませんよね。
一方、「ほほえむんじゃなくて、わらいなさい」という表現があったと
しますよね。この場合は、書いた言葉を読めば、そのまま聞き手に伝わる。
普通、二つの違う概念は、二つの違う言葉で表されたほうが便利なんです。
同音異義語も同じ側面を持つので、例として書きました。
「幸福」と発音しても、「降伏」と同じなので、聞き手に間違って
伝わる可能性があります。聞き手に間違って伝わりやすい言葉は、
なんらかの方法でそれを回避したほうがいいでしょう。
そういう回避術というのは、日本語をよほど勉強しないと、不注意の
あまりに使ってしまう可能性があるのです。
そして、回避術をマスターすることを学校で習ったり、自分で必死になって
覚えたりするのは、ムダ。国語力を豊かにするために必要な思考は、もっと
別のところにあるべきです。
>>662 私は借用語を否定しませんよ。「クリエイトする」が広まれば、
私は少なくともこのスレ内の範囲で考えれば構いません。
683 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/11/04(日) 00:59:32 0
貴兄は日本語をよほど勉強して必死になって初めて使えるようになったのかもしれないが、普通の 人は自然に使っています。何の問題もありません。
684 :
ボスコ :2007/11/04(日) 01:03:52 0
>>680 アホらしい限りさん、こんにちは。また変な風に伝わっているようですね。
「一つの発音に一つの意味」じゃないです。
「はし」が橋なのか箸なのかわからなくても、ボスコの主張の範囲外のお話。
それはそれで議論すればいいじゃないですか。
私が主張しているのは、「一つの書き言葉に対して一つの話し言葉」です。
「漢字(同訓異字)の数だけ和語がある」でもありませんよ。
>>663 へのひとこと。
>>681 springは春も泉もばねも全部語源は一緒だったと思いますよ。
それはさておき、英語の不具合は日本人が心配する問題ではなく、彼らが
心配する問題でしょうね。ところで、「spring」と書けば、
泉か春かばねであることは読者はわかる。聞いても泉か春かばねかである
ことは少なくともわかる。読んだときの情報量と聞いたときの情報量は一致
しているから、このスレで私が主張していることとは関係ない。
>>648 >しかし日本人は漢字学習とは別に広い意味の和語を身につけているので、
>同訓異字の書き分けによって本来の目的である"漢字学習"をした後は
>逆に「漢字で書き分ける」義務はなくなりますし…
学校で学んだあとは、それを使う必要はない、というのは腑におちません。
もともと必要がなければ、学ぶ必要もないでしょう。将来使い分ける必要が
ある、と教育側が考えている証左です。そういう教育によって、
漢字のややこしい使い分けを強要しているわけ。で、使い分けが出来なかった人を
無知な人、とレッテルばりをする人もあらわれてくる。それはあまり歓迎できません。
>使い分けが出来なかった人を無知な人とレッテルばり おそらく、通常の知能指数を有する大部分の日本人はレッテル張りを 歓迎しないどころか、喜んで行なっていることだろう。 漢字を使わずに日本語をひらがなだけで書けとかローマ字で書け、 と主張する面々がことごとく黙殺され、嘲笑されるのは、普通に 漢字を使いこなせる大部分の日本人にとって、漢字の使い分けを やめることに何一つメリットがないからに他ならない。 使い分けの出来ないバカに合わせて我々のほうが妥協する 必要は一切ない。 カタカナ外来語に頼ることなしに、話し言葉の情報量を書き言葉の情報量と 同じ水準にまで引き上げる方策を検討しよう、というれげらま氏風の主張なら まだ顧みる価値もあるが(ただし、どうやって?という具体的主張があればの話)、 漢字の使い分けをやめて、書き言葉の情報量を話し言葉の情報量と 同じ水準にまで引き下げよう、という次元の主張など、一顧だにする価値もない。 アホらしい限り。
686 :
ボスコ :2007/11/04(日) 03:24:27 0
アホらしい限りさん、また間違って伝わってる。 そもそも「レッテル貼り」ですから。「レッテル張り」じゃないよ。 自分で言っといて、あんたこそが使い分けできてないじゃないか。バカじゃないの。 …なんて言われるのイヤでしょ?だから、普通の人でも間違えるの。 そして、そういう使い分けに過度に神経を使わせる社会であるべきじゃない 、とわたしは主張するわけ。 話し言葉の情報量を書き言葉の情報量まで引き上げることだって あるわけですよ。どっちをどっちにあわせるかは、その言葉次第。でも、 傾向としては、書き言葉が話し言葉よりも優越し、表現の幅が多いのは 事実でしょうね。言いかえると、話し言葉は、使える表現に限りが あり、書き言葉に比べると制約が多い、ということです。 全体として日本語が表現にとぼしくなるんだったら、そういう引き下げを 行わなければいいだけ。冗長なものは引き下げを行えばよい。
「べきだ」「べきじゃない」って、だからどうやって何をどう変えるのさ? 聞きたいのはそれだけ。いつまで経ってもそれを書く気がないのなら、 ただの愚痴。 「適切な財源を確保すべきだ」「女性が安心して子供を生み育てられる 社会を構築するべきだ」「サービス残業をなくすべきだ」 だから、具体的にどうやって? こんな政府白書みたいなレスを延々と続けるのが得意なら、 公務員になってはどうかね? 「つくる」の意味はto makeに一本化して、「造る」はビルドする、「創る」は クリエイトする、と読み書きするように強制すればいいわけ? 「そうぞうする」じゃ「想像する」と重複するからダメなんでしょ? で、「想像する」はイマジンするにすればいいわけ? 全くアホらしい限り。
>>676 「解る・判る・迅い・捷い」を
「無駄な"言葉"」というように立派な一個体としてとらえる感覚、
そして
「書き分けが存在すれば、それらを使い分ける必要がある」
というような強迫観念にかられて漢字自体をわざわざ排除しようとするのが
まさに洗脳の結果なのですが、まだ理解できませんか。
本格的に自覚症状がないわけですね。
「チョウチョが跳ぶ」というメルヘンの世界では困るじゃないか、といわれても
とんち話か何かを聞いてるような気分なんですが、それはさておき
「チョウチョが跳んだ」と書いた作家がいたとすれば、
これは書き手の語彙の貧弱さ、あるいは異様な漢字偏重ぶりを疑わざるを得ません。
読み手聞き手を意識しているまともな書き手ならば
「とびはねた」「ジャンプした」「跳躍した」など
よりイメージが明確になるような表現が
「跳ぶ」などより先に"自然と"選択されるでしょうから。
はなから漢字だけに頼ろうとするような書き手は
聞き手はおろか読み手にも配慮する意識などないのでしょうから、
煩雑な手間だ、困ったと感じる自分が既に物書きに不向きであることを理解して
早々に筆を置いた方がよほど聞き手のためになるでしょうね。
689 :
688 :2007/11/04(日) 12:17:33 O
>>682 > 「聞くのではなく聴く」の語をgoogleで検索すれば、長い検索語なのに1100件も
> 検索されましたよ。
ご苦労様です。
なぜ強調され多用されるか。それはなにより
「ただ聞くのではなく、そこに意識や心が伴っていることが大切だ」
という、ちょっとした啓発をする場面がよくあるという背景によります。
「不便だから」「みんな区別したいと思ってるから」と
こじつけたい人でなければ自然と思い当たることですが。
しかしその形が「ただ聞くのではなく意識して聞くことが大切だ」
というのでは芸がなく印象に残らない。
「"聞く"のではなく"聴く"のだ」と強調し表現することによって
「なるほど、同じ"きく"でも"聴く"の方か」
と同訓異字ならではの「合点がいく」という感覚を引き起こすことができます。
それが同じ音を逆手にとった「文字表現」の効果というものです。
読んだ人に「なるほど」と思わせるためにある表現に
「不具合」しか見いだせないようであれば、
あなたは日本語に向いてないのかもしれませんね。
690 :
688 :2007/11/04(日) 12:19:14 O
>>684 > 学校で学んだあとは、それを使う必要はない、というのは腑におちません。
> もともと必要がなければ、学ぶ必要もないでしょう。将来使い分ける必要が
> ある、と教育側が考えている証左です。そういう教育によって、
> 漢字のややこしい使い分けを強要しているわけ。
>>620 の前半を何十回か読み直して、
>>622 であなたが何と言っているか、よく確認してくださいね。
691 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/11/04(日) 14:01:24 0
そんなトンデモに関わってもしょうがないよ。
692 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/11/04(日) 14:25:23 0
のぼる。かえる。はかる。
693 :
ボスコ :2007/11/04(日) 21:39:42 0
「チョウチョが跳んだ」の例がありましたが、まず、「飛ぶ」と伝わるか、「跳ぶ」と
伝わるか書き手は考えないといけない。これはわずらわしさを引き起こします。
こんなもの、大したわずらわしさではない、という言葉によくでくわしますが、
こういった一つ一つの小さな煩雑さが、世界で最も複雑な書き言葉の形態をもつ日本語を
つくっていることに注目しなくてはなりません。なぜ日本語の書き言葉だけが、
そんなに複雑なのか、と。一回視野を広くする必要があります。世界の言語には
こういうことはほとんどありませんから。
そんな書き分けくらい誰でもできるでしょう、というのではなく、論理的不整合が
あるか、に注目しないと、全体のシステムとして大変煩雑で誤解を招きやすいものに
なる、ということは既に
>>554 で解説しました。ところが、こういう考えは、なかなか
日本人に受け入れられない。「なんで?そんなこと簡単じゃないか。」というふうに、
持ち前の器用さで解決するわけだが、根本的な解決をはかろうとはしない。
ふつう、「●●選手がハードルをとんだ」というふうに「とんだ」はジャンプした
ことに対して頻繁に用いられます。「●●選手がハードルをとびはねた」とは言わない。
だから、普通、ジャンプしたことに対して、まず「跳」の字を思い浮かべるかは知りませんが、
「とんだ」と表します。で、「とんだ」と表現したあとで、これは「飛んだ」と
いう風にも聞こえてしまう、という欠点に気付きます。ヤマト言葉は守備範囲が
広いですが、広ければ広いほどいい、というものではありません。
漢語も欠点はありますが、ヤマト言葉だって欠点はある。
そういったことは欠点なのか、ということを議論するのは大切なことで、
欠点でなければ
>>689 のように現状維持でいけばいい。欠点であれば直す、という姿勢が
求められます。
私は、「書き分けが存在すれば、それらを使い分ける必要がある」
といっているのではありません。例えば、「迅い・捷い」の使い分けは
必要ない、と言っているのです。
またしても同じ愚痴。『根本的な解決をはかろうとはしない』、と非難するが、 根本的な解決がどのような解決を指すのかについては一切触れたがらない。 要するに何もアイデアがないのだろう。日本語の複雑な表記システムに 内在する論理的不整合を正し、システムを簡単にしなければならない、 とは言うが、どうやって? 漢字の使い分けをやめろというのなら、実行は簡単だ。全てひらがなで書くか、 「飛ぶ」と「跳ぶ」を全くランダムに使うように心がければいい。要するに、 日本語のハングル化だ。やれと強制されれば、次のレスからでもそうしよう。 しかし、jumpとflyの二つの語義を同じtobuの発音で表すお前たちの言語は有罪だ、 と糾弾するのなら、それに対して我々は 『それは事実ですが、私たちはそれを罪だとは認識していません。 それでもなお、罪を償って更生しろ、とおっしゃるのでしたら、 一体私たちがどうすれば更生できて、あなたに満足していただけるのか、 更生プログラムを示していただけませんか?』 と答えるしかない。個々の日本語話者が実行できることは何もない。 私が『今日からjumpは「はぼる」、flyは「てぶ」と区別することにしますので、 全国民は直ちに従ってください』と呼びかけたところで、誰が従うだろうか? 全くアホらしい限り。
695 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/11/04(日) 23:23:24 0
根本的な解決とやらで言葉をわざわざ貧弱にする必要はないのです。言葉は論理だけではないからね。
696 :
ボスコ :2007/11/04(日) 23:23:34 0
今すぐには無理でしょうね。しかし、混乱を引き起こすような書き分け を下火にさせる方法はありますよ。それは、受験の問題に頻出させない、という ことです。 いま、国語の試験には、こういった書き分けの問題がたくさんありますよ。 中学校、高校、大学、さらには看護学校まで。漢字検定にも同音意義語、同訓異字 が頻出しますので、まさに国語という科目の大きな一部を占めている。 受験に出るから、生徒は必死に覚えるんです。そしてそれが知能をはかる 指数として簡単に用いられるようになる。政府の方針として縮小を かかげて、省庁のはたらきなにより現場に作用させればよいのです。 そういう書き分けに力を注ぐよりも、子供にどんどん文章を書かせて、 自分の考えを整然と書きあらわす能力をつけさせたり、論理的判断能力を ためす問題を増やす、など、国語の能力を試すのは書き分けだけじゃない。 混乱を引き起こす同訓異字が欠点だという認識が広まれば、次からは そういう語句をつくるまい、という意思が国民に生まれるのです。 現段階で既に存在する問題はゆっくり話し合うしかないのですが、現段階で あらたな混乱しやすい語句をつくらない、ということが何をおいても重要です。 バルブ(valve)とバルブ(bulb)を気安く両方輸入しない、などは 既に書いていますし、アニメのキャラクターに対して「萌える」という言葉は、 「燃える」と混同しやすいので、すっかり定着する前に、議論を重ねて 混乱を少なくする方向にまとめればよかった、などいう話はまだ現在進行中です。 初めてこの語に出会ったときに、「へ?燃える?」「違う違う、萌える」という やりとりがあってだいぶ混乱しました。 前の書き込みで、世界には同訓異字はほとんどない、と言ったけど、英語には yourとyou'reが同じ発音だが意味が違うなんて似たような状況はある。 でもその種類が日本語と比べて圧倒的に少ない。で、その二つを間違って 覚えている人をばかにする風潮も英語圏の人の間で確かに存在するのだが、 種類が少ないので、言語習得にはさほど負担にはなっていない。
697 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/11/04(日) 23:25:38 0
同訓異字は欠点ではないよ。
698 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/11/05(月) 10:49:47 0
>>675 >>666 です。すいません、有声音って何のことですか?
俺、そういうのまったくの無知なんで良かったら解説してもらえますか?
「歩幅」や「皮膚」がうまく言えなくて本気で悩んでるんです。
普通の人にとってはまったく何の問題のない言葉なのでしょうか?
>>698 「無声音」は普通に言うところの「清音」、「有声音」は「濁音」に相当する。
無声音は声帯を振動させず発音し、有声音は声帯を振動させて発音する。
「カ」と「ガ」、「サ」と「ザ」、「タ」と「ダ」は、濁点がないほうが無声音で濁点がついているほうが有声音。
ただし「ハ」と「バ」はこの関係にはなっていない。これは、日本語のハ行の音が
パ行からファ行を経てハ行になったという歴史的な変化によるもので、
「パ」と「バ」が無声音と有声音のペアに対応する。
「k」「s」「t」「p」が無声音で、「g」「z」「d」「b」は有声音ということだ。
他にも母音は有声音、ナ行、マ行、ラ行の子音も有声音、キャ、シャ、チャなどの子音は無声音、
それらの濁音は有声音だ。
ハ行の子音の「h」は無声音で、この有声音の「ɦ」は普通の日本語では使われない。
しかし、語中にハ行が来ると、母音(有声音)と母音の間に無声音が来るため、
声帯の振動を一瞬止めることになる。この切り替えが上手くできないと、ハ行を有声音で
発音してしまうことになる。東北弁などで、語中のカ行やタ行が有声音になり、
「頭」が「アダマ」、「桜」が「サグラ」などと発音されるのと原理的には同じ現象。
このハ行の有声音は日本語では普通は使われないため、普通の日本人には聞き取れないことがある。
そのため、「歩幅」が「ホアバ」、「皮膚」が「ヒウ」と聞こえてしまうことがある。
そんでもって、語中の平音が有声音になっちゃうのは朝鮮人だと当たり前なので
>>698 の朝鮮人疑惑が持ち上がるのです。
発音矯正や滑舌はある程度訓練でなんとかなるよ。 特に耳で聞き分けられる言葉に関しては訓練次第でちゃんと発音できるようになる。 こういうのは口や舌の動かし方をマスターしてないだけなので運動の訓練と全く同じ ちゃんとした先生につけばドンくさい奴でも跳び箱が飛べたり逆上がりが出来るように アナウンサー並みとはいかなくてもそれなりにはなるよ。 若いんだったらきちんと矯正しても損は無いかと思う。
703 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/11/05(月) 20:50:12 0
>>699 >>700 >>701 >>702 どうもありがとうございます!
そうですか、どうやら俺の滑舌の悪さが原因のようですね・・・(゚Д゚;)
それならちょっと安心です。俺、イラだちすぎて言葉の存在自体を否定してましたよw
これから毎日練習してみようと思います。
>>699-702 どうもありがとうございます!
そうですか、どうやら俺の滑舌の悪さが原因のようですね・・・(゚Д゚;)
それならちょっと安心です。俺、イラだちすぎて言葉の存在自体を否定してましたよw
これから毎日練習してみようと思います。
>>703 >>704 言葉の存在自体を否定するんじゃなくて
自分の存在自体を否定しとけや このチンカスが
706 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/11/05(月) 23:36:23 0
>>705 黙れクソが
俺がチンカスならばお前はマンカスだ!!氏ね!!!!
707 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/11/06(火) 00:01:02 0
708 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/11/06(火) 08:54:02 0
>>706 は存在自体が下痢糞ビチ糞
語中のhを発音できないってwwwヴァロス
ホアバ、ヒウって何だよwww
>>666 読んだら正気の沙汰とは思えない。
きっと日本語不適応の言語障害の一症例なんだろうね。
どちらにしても珍種www
710 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/11/06(火) 10:26:54 0
「融通が全く利かないこと」 を漢字3文字で表すとどうなります?
質問スレでも行けば?
712 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/11/06(火) 13:02:55 0
>>86 中国語凄い
アクティブ・ウィンドウ 活動窓口
アダプタ 適配器
アップグレード 昇級
インクジェット 噴墨
インプット 輸入
ウィザード 向導
HTML 超文本標記語言
FAQ 常見問題
FTP 文件伝輸協議
MPEG 運動図形専家組
ステータス・バー 状態欄
スピーカー 音箱
タスク・バー 任務欄
ダブル・クリック 双撃
デバイス 設備
デフォルト 黙認
パケット 信息包 (信息 メッセージ)
HUB 集線器
PPP 点対点協議
フリーズ 死機
プリインストール 預装
プロトコル 協議
ポインター 指針
URL 統一資源定位符
ワードパッド 写字板
713 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/11/06(火) 21:07:43 0
>>708 うるせー、マジ黙れやゴミクズが。
俺が「歩幅」や「皮膚」でなぜここまで真剣に悩んでるか、お前に理解できるか?
俺は演劇をやっていて、今やってるストーリーで「歩幅」「皮膚」というセリフを使用するからだ。
役を演じる上で、セリフをクリアに言えることは最も大事な事なんだよ。
問題のセリフは、
「ねぇ、歩幅を合わせて歩こうよ。」と「まるで、皮膚がはがれるように・・・」
というものだ。
「歩幅」や「皮膚」、これらは確かに発音が難しい言葉ではないかもしれない。
しかし、問題なのはこれらのセリフが「小声」であることだ。
普通の音量で会話する分には、俺も別に「歩幅」「皮膚」を発音できないことはない。
しかし小声となると話は別だ。
小声の場合は、ハ行音はすごくあいまいになるんだよ。わかるか?
たとえば「母」は、普通は何の問題もなく言えるが、小声で言った場合はどうしても
「はあ」になる。 これと同じで、「歩幅」「皮膚」も「ほあば」「ひう」になる。
小声で、話すスピードは少し早めで、さっき俺が言った2つのセリフ言ってみろや。
まったくスピードを落とすことなく、意識することなく「歩幅」「皮膚」って言えるか?
ほら、言えないだろ? 俺だけじゃないんだよ。
きっとこれは俺が原因とかじゃなくて、人間の口の構造上の問題なんだよ。
小声による「ハ行音」の発音は、どうしても「ア行音」になってしまう。
これが結論だ!! わかったか!!
おそらくこの下品な愚か者の欠陥は、小声でハ行を発音できないこと以上に、 母音を無声化(unvoice)できないことなのだろう。 小声で話すときにうまく母音をunvoiceできないと、間に挟まる子音も きれいにunvoiceできない。有声のhのままで小声にしようとしたら、 それこそ無音だ。 まず、「ヒソヒソ声」で「明瞭に」話す練習でもすることだな。 なぜ「ヒ」ソ「ヒ」ソなのか、なぜ[whi][sp]erなのか、体得できるまで。
言いたいことは判るが普通の人は「はあ」にも「ほあば」にも「ひう」にもならない。 確かに、それに近くなることはあるかも知れないが「はは」が「はあ」に聞こえるようになることは殆どない。 せいぜいが元の「はは」よりも若干「はあ」に近くなるだけ。 そして、それらは普通無意識で何の問題も無い。意識しないとうまく言えないのは耳が元々よくないか 幼児期に接した他者の発音が曖昧だったのかのどちらかでしょう。 どっちにしてもこの場合、演劇には向いて無いかもしれない。
716 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/11/06(火) 21:41:21 0
>>708 >>714 >>715 日本語はなせる人がまわりに居る?
この部分は発音してない人のほうが多いよ
発音できないでなく「しない」という規則ができてきている
つづりの通りによむのが正しいとおもい
事実までねじまげるのは
現代仮名遣いの弊害か?
>>716 少なくとも、ここ(東京)では100人中95人以上が発音している。
それも、非常に明瞭な無声化音で。南関東では
無声化音をまともに話せない関西風発音では
逆に日本人扱いされない。
まさか、有声の(声帯を振動させる)音を発出することだけを
「発音」と呼ぶと勘違いしてないだろうな?
718 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/11/06(火) 23:29:40 0
>>713 「歩幅」ねぇ・・・
日常で使用する言葉じゃないからそう言われてもあまりピンと来ないな
「歩幅」と同じまったく形態(語呂や文字数)の日常用語って何かあるっけ?
他にあれば検証しやすいんだけど
>>716 生まれついての関西人(大阪)ですが、「はは」って
ちゃんと発音してると思いますよ。
発音しないってことは、母を「はー」って言うのですか?
>>717 のようなことは初めて聞きました。
音韻学(?)については全くの素人ですので、無声化というのが
よくわからないのですが。
この前、横浜に行って来たのですが、一応、私の日本語は通用しましたよ。
もっとも相手は私を日本人とは思ってなかったかもしれませんが(汗
721 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/11/10(土) 01:43:41 0
ん?日本語か? 大嫌いだよ。日本語なんて消えろよ。 カタカナ英語は原則として「ー」で表記されるのが原則となっている。 「ゲーム」、「ステージ」、「ペーパー」など これはまったくかまわないと思う。 英語の発音に忠実に「ゲイム」なんて書かなくてもよい。 カタカナ英語は、「英語が元で作られた、英語から独立した新しい日本語」なんだから。 しかしさ、「game」を「ゲーム」と定めるんならさ、「bed」も「ベット」にしろよな・・・。 明らかに多くの日本人が「ベット」と発音してしまってるじゃねーか。 いや、むしろ、「ベット」だと思いこんでる人の方が多いかも。 「game」を「ゲーム」としたように「bed」も「ベット」で定めろや。 発音できないんなら、「ベッド」にしたって無意味じゃねーか。バカか。
721がものすごくバカっぽーく見えてるんですけど。。
>>721 「おうさま」と書いて「おおさま」と読んでいるように、
「ベッド」と書いて「ベット」と読むのだ、と思えば心安らかです。
「きたない」「あぶない」などの「ない」と、 「しょうがない(仕方ない)」「もったいない」などの「ない」 これらの区別って難しすぎませんか?? 「無い」って事を言ってるのか、単なる「ない」って言葉なのか、 もうややこしすぎてイライラします。 あと、「かっこいい」と「かわいい」も! 「かっこいい」の「いい」は「良い」なのに、「かわいい」の「いい」は違う。 ある程度の学力があれば区別は可能でしょうが、私のようにそうでない人間にとっては 困難の極みです。 そもそも、「しょうがない」が「仕様がない」を意味する言葉だというのも 最近知った私です・・・。 私がバカなのは認めますが、これらの言葉が理解しづらい物である事も事実だと思います。 小学生ぐらいだったら、わかってない子の方が多いと思います。 それでも小学生は「あぶない」と「しょうがない」を使用しますよね・・・。 とにかく気になって、本当に辛いです。 何か解決方法はないでしょうか?やはり、勉強するしかないのでしょうか?
725 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/11/15(木) 00:08:16 0
>>724 >ある程度の学力があれば区別は可能でしょうが、私のようにそうでない人間にとっては困難の極みです。
区別することに何か意味があるの?
>「かっこいい」の「いい」は「良い」なのに、「かわいい」の「いい」は違う。
大和言葉の意味を語るのに「良い」と漢字を使うなよというのはともかく
なにか違えば困るのか?
>>725 困ると言うか・・・気になるんですよ。
同じ「ない」なのに、「無い」の事だったりそうじゃなかったり・・・。
あなたはこういう言葉たちをどう思います?
規範文法的には一応、両者を区別できないとまずいことになっている。 「〜過ぎる」を接続するとき、「きたない」「あぶない」「すくない」などは 「きたなすぎる」「あぶなすぎる」「すくなすぎる」となるのに対して、 「もったいない」「なさけない」など、「無い」に由来する場合は 「もったいなさすぎる」「なさけなさすぎる」となって、「さ」が挿入される。 ただし、今日この区別は失われつつあり、全て「〜なすぎる」と言う者、 逆に全てを「〜なさすぎる」と言う者も増えてきている。
728 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/11/15(木) 01:47:29 0
「かわいい」はもともと「かはゆし」。 一言でいえば「イ音便」。
たとえば「〜してもかまわない」の「かまわない」は、「かまう・かまわない」の「かまわない」だが、 これはもはや元の意味は消えて「危ない」「少ない」などと同じ形式となっている。 日本語はこんな言葉でいっぱいだ。 「情けない」を「情けが・無い」だと理解できてる人はそんなに多くないだろう。 「申し訳ない」なども、「申し訳」が「言い訳」のことだと理解できてる人は多くない。 結論。 これらの日本語は、本来の意味など完全に無視してしまってよい。 「しょうがない」などは「一つの独立した言葉」と考えるんだ。 そうでないと生きていけない。 だって・・・たとえば、「開き直る」とか「もしかしたら」とかいう言葉、よく考えたら まったく意味不明だから。 「開いて直る」って何だ??「もしかしたら」って何をどうしたんだ?? って感じだ。 日本語の単語なんて、本来の意味などとっくに消滅してるので、何も気にすることなどない。 一つ一つしっかり理解できてる日本人なんて存在しないんだから。
慣用的に使用され続けた結果、本来の意味が薄れたりなくなったりずれたりした言葉なんて、 世界の言葉に普遍的にあるだろ。 日本語以外の言語では全て、母語話者は全ての語の語源や原義を理解してるとか思わないだろ?
>>666 俺も試しに「歩幅」「皮膚」と発音してみた。
結果、「皮膚」は問題なく発音できる。それがたとえ文中であっても。
しかし、「歩幅」は違った。
普通に「歩幅」と一つの単語として発音したら問題はなかったんだが、
文中で使用するとかなりの無理が生じた。
俺の好きな小説に、
「すると、二人はなかなか歩幅を合わせられない。これは正に急性歩幅障害だ。」
という一文があるのだが、これを声に出して読んでみると、
2つの「歩幅」という言葉だけ発音がかなりあいまいになる。
そしてそれに気づいて、「しっかり発音しなくては」と意識してしまうと、
>>666 の言う通り、「歩幅」の部分だけ発声のスピードが落ちてしまい、
流れるような美しい朗読が不可能となってしまった。
「歩幅」とはそういう言葉なのだろう。無意識ではうまく発音できない、希少な言葉だ。
>>699 や
>>708 は、多分その事実に気づけてない。
勝手に「自分の言語は完璧だ」とでも思いこんでるだけだろう。
これだけ多くの言葉が存在してるんだから、発音しづらい言葉があってもおかしくはない。
732 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/11/15(木) 17:54:00 0
>>731 「ホハバ」のハが有声化して[ɦ]になるが、文中なら充分聞き取れるレベルだろ。
「皮膚」が問題ないってのは、「フ」の子音を「h」じゃなくて[ɸ]で発音してるんだろう。
734 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/11/17(土) 09:16:29 0
マルチブログ宣伝うぜぇ
「気になる」の意味って、「気」に「なる」ってこと? 今までまったく気づかなかったけど、これよく考えたら意味わからない。 こういうの、探せば他にもいっぱいあるだろうけど。 耳で「きになる」って聞くとまったく違和感ないんだけど、 文字で「気になる」って書かれるともう意味不明。単なる書き方の問題なんだろうけど。 「気になる」は「連なる」「欲する」みたいな言葉と同じ物と考えてもOK? 例)・気になる/連なる ・気にならない/連ならない ・気にする/欲する ・気にしない/欲しない ・気にしすぎ/欲しすぎ
737 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/11/17(土) 17:28:17 0
日本語や韓国語は中国語と違い意訳が難しいから、 ナウなフィーリングをキープするになりやすい。 この場合助詞を変えるだけで、即韓国語になるから大笑いだ。
「金を稼いで」を「金をかせーで」と発音するのはやはり問題アリ? だって「稼ーで」になるもんなぁ。 「人生」は「せー(生)」で一文字なのでまったく問題ないが。 「狂う」も「くるー」ではやっぱり不自然? でも「楽しい」は「たのしー」だしなぁ。 オレってここらへんの使い分けができない・・・orz
739 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/11/18(日) 13:08:12 0
740 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/11/18(日) 13:59:35 O
>>738 日本語の文法では、時計、家庭のような単語は、
とけー、かてーと発音する。
741 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/11/18(日) 14:34:05 0
外国語だけカナで簡単に書ける表記法が悪い
742 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/11/18(日) 17:06:12 0
>>741 カタカナを全廃してハングルにすれば?
ハングルなんて発音記号そのものだから、
日本人が改良すればオリジナルより絶対すごくなる。
逆にひらがなはもちろん残す。
743 :
名無し象は鼻がウナギだ! :
2007/11/18(日) 18:06:48 0 >>741 外国語表記についてカタカナ使用を廃止し、
アルファベットを用いた現地語表記とする。
(ラテン文字使用言語についてはそのままの
表記法とし、それ以外の西欧系諸語については、
ラテン文字に変換する。)
例 now な young
短期的には、外国語そのものに触れる機会が
多くなることから、外国語学習を側面的に支援する
ことになるが、長期的には、外国語のスペリングを
覚えなければならないというデメリットから、次第に
外国語の短絡的導入が敬遠されるようになり、
新しい言葉をやまとことばで表現するようになることが
主流となると予想される。
簡単に言うと、ドイツ語のように英語をそのまま取り入れるの
ではなく、もともとの自国語の単語を組み合わせた造語法になる。