「同じ」という意味で「一緒」を使う人が多く、どうしてもなじめない。
テレビでも聞くからむしろそっちの方が一般的で、私は異端かもしれないが。
育った地域によるのだろうか。
>>242 その告解における個人は、唯一の神という全体神の前で「全体の部品」となるための儀式。
個の自律性とは関係がないどころか、むしろ個の自律性を否定するもの。
「世間の目」が極端に内面化されて、個人を監視する世間の目を個人が自分自身に対して
もったのが「罪の意識」。「神の目」というのは所詮は超越化され、絶対化された世間の目
であることは忘れてはいけない。そこでは神は全く私物化されていない。
それを個人の成立というなら個人の成立かもしれないが、それは世間と一体化した
自己服従主体としての個人であることを忘れてはいけない。
告解の儀式を通して唯一の神の意志として超越化された世間への服従を誓っているのだよ。
そういうふうに解釈すべきはずだ。阿部氏もそのことについて分かっているのではないか。
14ヶ月前のことにレスしてもなあ
600 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2008/08/28(木) 00:46:15 0
>>598 そういう議論は言語学の領域をかなり越えているな。言語学が言える領域の話ではない。
「ごめんなさい」と「すみません」の違いを深く語れる方いらっしゃいませんか?
602 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/27(土) 15:02:34 0
>>598 阿部さんじゃなくてフーコーって人が言ってることらしいよ。
603 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/27(土) 15:11:10 0
>>598 あの〜、
「世間」って言葉は多義的だから使う時はきちんと定義してから使ってね。
あとスレチだけど、
告解すると自己と向き合うことになって
世間(主客融合的な社会)との一体性が壊れるんじゃないかな。
文章の中に意味はない。意味は状況にある。
空港で久しぶりに会ったときの「Jhon」は会えて嬉しいという意味かもしれないし、
トイレの中から「Jhon」と言えば、トイレットペーパーを取ってという意味かもしれない。
605 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2010/04/19(月) 08:29:07 0