なんで正しい日本語ツカエッテいうの その2

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478名無し象は鼻がウナギだ!
>>371
>態度は恭しいようだが、遠慮はあまりしない。やはり「自由の国」の人たちだ。
タイ語にも「複雑な敬語」があると言うが、僧侶であれば、息子であろうと、
弟であろうと尊敬語を使う(絶対敬語性の強さを示す)とか、「です・ます」
に似ているとされるkha/khrapも、かしこまりだけではなく、親しみの感情も
表せたり、態度やイントネーションを工夫すれば同様の効果を表せるなど、
義務性が低かったり、日本語の敬語とはずいぶん違う。(子どもが幼少の頃
は、親子でkha/khrapを使うそうだ。また、同表現は話し言葉限定。)
参照 川崎晶子
 「諸言語の敬語と日本語の敬語」『朝倉日本語講座1 世界の中の日本語』

尊敬語・謙譲語・丁寧語が揃うという意味では、韓国語が日本語に最も近い
と言えそうだが、その韓国語も、絶対敬語性が強く、聞き手との相対関係に
より表現が決まるという側面(相対性)は日本語のほうがずっと強い。
(韓国語では、社長のことを社外の人に話すときも社長に尊敬語を使うし、
子どもに言及する場合は、それがたとえ聞き手の子どもであっても、
敬語を使うことはないそうである。)
つまり、日本語の敬語は、二者間性・当事者性が強く、
韓国語の敬語は社会的秩序を表現するという第三者性が強いと言える。
(つづく)
479名無し象は鼻がウナギだ!:2007/06/27(水) 22:14:08 0
(つづき)
>> であるにしても、第一の要因だろう。
>「主客融合」ではあくまで 2 人しかいない。第 2 や第 3 の要因があったらパァ。
第三者性の欠落(希薄性)がポイント。人数の問題ではない。
当面の相手(聞き手)の影響力の[強さ]が認められれば、「主客融合説」的
にはOK。
>> ここ、意味不明。そういう場合があるとして、だからどうだと言うのだ。
>人称詞は唯一の対者に配慮するものとは限らない。1 人称小説の語り手が
>「おれ」と言ったとしても、ふつう、読み手を軽く見ていることにはならない。
繰り返しになるが、相手は一人である必要はない。
また、「読み手を軽く見ていることにはならない」としたら、その場合の相手
が読者に限定されているわけではないからだろう。
いずれにしても、不特定多数の人称詞が相手との関係に応じ、義務的に使い
分けられている事実は、日本人の「相手との融合性」を端的に示すもの。
君は、クズとか言ってるが、木村敏の議論(『人と人との間』)を見た上で
言ってるか?
人称詞の用法は、日本人にとっては、お互いがお互いの「片割れ」である
こと(の程度の「高さ」)を示しているのだ。
(つづく)