そもそも「的を射る」が誤用だったのでは?
「的へ射る」なら分かる。
的を得た表現:
矢を射り、的である獲物に見事に命中し、獲物を得た表現であるという意味。
>>69 「的を射る」も「的へ射る」もちゃんとした日本語だろ
弓道的な感覚で言えば、的は「得る」ものだなぁ。
矢を放つ前にすでに的は得ているから、
後はどうやっても勝手に当たる。
物理的には目や腕、指先なんかをコントロールして的を「射る」ものだけど、
精神的には的を手中に収めてから矢を放つ。
的は得るもの。
まぁ、言語的な正当性は無視した話っちゅーことで。
射るのは矢や弾であって、的を射るってのは変だろw
まああえていえば「的を射貫いた」と表現すべき。
「核心をつく」 という意味から考えると
「的を得る」 が正しいと思う。
78 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2008/07/29(火) 21:36:32 0
>>76 > 「水を沸かす」っていうより「お湯を沸かす」っていうじゃん。
そう言われてみるとそうだね〜。「(水を)お湯に沸かす」とはあまり言わない。
日本語の助詞ってますます不思議な語だな。
考えてみるとこの「沸かす」という言葉、水を湯にする以外の用法があったっけ?
「沸かす」といえばこの一言だけで水を湯にすることだというのは明白だよね?
本来は目的語はいらないはずなのに。
ただし口語の場合、同音異義語があるからそれと区別する便宜性があったのかもなあ。
>>78 古くは「金属を熱して溶かす」とか「醗酵させる」とかいった意味もあった
ようだ。
それと、比喩的用法として「熱狂させる」意味で使ったりするよね。
80 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2008/07/30(水) 10:37:10 0
>>78 > 日本語の助詞ってますます不思議な語だな。
そもそも国文法にいう「格助詞」という概念自体がかなりあやしい面もあるのだが。
81 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2008/07/31(木) 23:35:05 0
弓道部にいた私としては、
>>73さんとおなじだなあ。
的は射るものだけど、的中は得るもの。
>>46がいうように、過去の用例を調べて
”的を得る”→”的を射る”だったのか
的を射るという言い回しが広まった後で、誤用されたのかをはっきりさせないと結論は出ないだろうな。
http://www.onyx.dti.ne.jp/sultan/colum120.html ぐぐって出た情報はこれだけで、これだけだと射る方がわずかに古いんだが、あまりにも近すぎる上に現代過ぎる。
これよりずっと古くから使われてただろうしな。
>>55 >>1のリンクによると幸田露伴は正鵠を得るって言葉を使っているらしいし、現代中国でも使われてるとか。
正鵠以外にも正中を得るとかいう言葉もあるらしい。
>>65 >>71 それは「的を射る」が成立し一般化した上で、「的を得る」って誤用が現れたってことを前提にしてる。
「的を得る」という言い回しが先に成立した上で、「的は射るもんじゃないか?」って奴が出てきて誤用し出した可能性だって十分あるだろう。
先に使われたから正しいとか、後に広まったから誤りとも言い切れない、という問題もある。
>>73や
>>81さんのいうように弓道界の仕来りでは「的を得る」という言葉がしっくり来るらしいから、
最初に「的を射る」と用いている人がいて、弓道の教養のある人がそれを「的を得る」に改変して
用いたということも考えられる。その場合、どっちが正しいとも言えない気がする。
強いていえば、言語というのは普及したほうが正しいということになるんでしょう。
なら今のところ論われる誤用の多くは正しさに大分近づいている
イルが発音しにくいから訛ってエルと言うようになったんじゃないか
正しい表現は「的へ射る」「的を得る」
87 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2008/12/26(金) 05:59:31 O
的を的を的を的をうるせぇんだよ
88 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2008/12/26(金) 09:28:32 0
へそが茶を沸かす
89 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2008/12/26(金) 09:30:43 0
「的を射る」は誤りであって
「矢を射る」が正しい。
的は「射られる」である。
またバカスレ勃起させやがって。
「的を得る」は「い」や「え」の発音が覚束無い
北関東の田舎者が間違って書き始めたものだ。
「矢を射る」は間違いであって
「的を弓射る」が正しい。
//www.tokugawa-art-museum.jp/planning/h19/05/obj07.html
倭名抄には「射」の訓読を「由美以留ゆみいる」としている。
徒然草第92段「或人、弓射る事を習ふに、諸矢をたばさみて的に向ふ。」
>弓道的な感覚で言えば、的は「得る」ものだなぁ。
弓道部出身者は言葉の専門家ではない。
91 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2008/12/27(土) 01:58:13 0
ミンチ肉、ミンチカツvsメンチ肉、メンチカツ
>>90 その説もしつこく繰り返されるが、到底信じがたい。
北関東に文化的発信力があったとは考えられず、間違いにしても広まらない。
93 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2008/12/27(土) 10:25:55 0
最近関西のスーパーでも東京本社の押し付けで
ミンチカツをメンチカツと表示してるところが増えた。
関西弁の危機。
シンガポールの華僑、華人でも豚のミンチ肉は
ミンスト・ポークと発音するのに。
東京では民主(ミンス)のことをメンスと云うんだそうな。
>>92 同じ人間が繰り返し書き込んでるだけだから触れるな
>>1 > 矢で的を射るのは当り前としても、必ずしも的に、まして正鵠に当たるかどうかは示していない表現が「的を射る」です。
間違い。「(標的を) 射る」で矢を当てるところまで意味する。
「??的を射たが、当たらなかった/○的に射かけたが、当たらなかった」
「将を射んと欲すれば先づ馬を射よ」
正鵠が描かれているような大きな的ではなく、当たりさえすればよい小さな的を想定することもできる。
96 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2008/12/30(火) 14:43:42 0
「正鵠が描かれているような大きな的」ってどこに
書いてあった?ソースきぼんぬ
98 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2008/12/30(火) 20:00:48 0
星座に「射手座」というのがあるけど
関東の香具師は「得手座」というんだよね。
関西で「えて座」といえばエテ公(サル)の星座
猿回し一座という意味になるけど。
>>90 > 「的を弓射る」が正しい。
だとしたら「的を得る」のみならず「的を射る」も厳密には間違いということになるわな。
100 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2008/12/30(火) 20:52:51 0
「負けず嫌い」も本来は「負け嫌い」と言ったそうで、昔の辞書には「負け嫌い」とだけあるそうな。
101 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2008/12/30(火) 22:19:05 0
>>100 NHKでやってたね。
NHKでは言っていなかったけど、「ず」が入ってしまったのは「食わず嫌い」という言葉の影響では?
言葉なんてその時代に存在したという事実があるだけ。
そもそも正しいも間違いもない。
106 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2009/10/20(火) 23:08:35 0
一年近く前の書き込みにレスするのもあれだが、
>>95 >正鵠が描かれているような大きな的ではなく、当たりさえすればよい小さな的を想定することもできる。
そもそも「的を得る(的を射る)」という語の使われ方からして、そんな考え方はおかしい。
「的を得る」は「物事の要点をついている、急所を突いている」という意味。
「正鵠を得た」という「的の中心」に「当たった」という意味合いが最もふさわしい。
「的を射る」ような漠然としたものじゃなく、「得る」という「当たる」表現が必要。
そもそも、的を「射る」の語源がはっきりしない。漠然と射るだけのことで、なぜ「要点をつく」という表現として使われるようになったか不明すぎ。
もとは「得る」だったんじゃないかという説も、以下を見れば納得できる。
大辞林
『的を射る』
◆「当を得る(道理にかなっている)」との混同で、「的を得る」とするのは誤り。
『正鵠(せいこく)を得る』
「正鵠を射る」に同じ。「―得た言(げん)」
語源は明らかに「得る」で、「射る」は間違いなのに、恥ずかしげもなく「射るに同じ」なんて書いちゃってる。
こんな低能の馬鹿が辞書を出版して「的を得るは間違い」なんてほざいてるぐらいだから、「得る」という表現を知らない馬鹿が「射る」と誤用したという説も納得できる。
だ〜か〜ら〜
「正鵠を得る」は洒落、
「的を得る」は誤用、
「的を射る」は誤訂正、
「正鵠を射る」は過剰訂正。
議論は終わっているんだってば。
>>106 > そもそも「的を得る(的を射る)」という語の使われ方からして、そんな考え方はおかしい。
別におかしくない。漢語「正鵠」と和語「的」とは同じではないから。
「中正鵠」は競技弓道、「的を射る」は流鏑馬と考えればよい。
日本語では「正鵠に中 (あ) つ」は一般的でなく、代わりに「正鵠を射る」と言う。
「的を得る」「正鵠を得る」は誤用。
>>108 >日本語では「正鵠に中 (あ) つ」は一般的でなく、代わりに「正鵠を射る」と言う。
>「的を得る」「正鵠を得る」は誤用。
的の議論は別として、正鵠についてまでそれを広げるのは頭がおかしすぎ。もともと「得る」が正しい。
和語として表現したところで正鵠を「射る」にはならない。
そもそも、自身で流鏑馬と表現しておきながら、正鵠を「射る」と表現しているところが頭が悪すぎ。
君のような頭と知識の程度の低い人間が誤用・誤訂正しただけ。
>>109 > 正鵠についてまでそれを広げるのは頭がおかしすぎ。もともと「得る」が正しい。
根拠なし。「正鵠」は漢語であり、漢籍での用法はあくまで「中正鵠」。
> 和語として表現したところで正鵠を「射る」にはならない。
「もし私の直感が正鵠を射抜いていましたら」 (梶井基次郎『K の昇天』)
>>110 その論理だと、和籍での用法はあくまで「的を射抜く」。
いいのか?
>>111 > その論理だと
どんな論理? 全く意味不明w
> 和籍での用法はあくまで「的を射抜く」。
「何々とあらなんと案じゐたるは、とかくの弓に亀毛の矢をはげ、空化のまとをいんとするにたがはず」 (『撰集抄』)
「Matouo iru」 (『日葡辞書』)
「このようなトルストイの姿勢が的を射ているかどうかは」 (平野謙『島崎藤村』)
「L が発揮する直観力は驚くほど的を射る」 (倉橋由美子『宇宙人』)
的は昔からずっと「射る」ものだ。
115 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2010/07/09(金) 11:28:08 0
「的は得てどうすんだよ、射るものだ」
ってのは単純でインパクトのあるフレーズだよね。
「せっかく仕留めた獲物を得ずに帰る猟師とかいねーよ」
みたいに返せれば良いけど、意識せずに使ってる人にはまず無理。
「射る」と「得る」のどちらに正当性があったとしても
2、30年したら「的を得る」は駆逐されてる気がする。
116 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2010/07/10(土) 07:57:57 0
東北人が的をイルをエルと聞き間違えたのが始まりだろう。
歴史的にはエルをイルにだな。
118 :
名無し象は鼻がウナギだ!:
古典漢籍に得正鵠は知らないけど
近現代中国語は普通に使うんだよね