世界一優秀な文字ハングル

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583『第一次愛的人』
 
大学1年のとき、旅行社の広告に、「ソウルの大学でハングル夏季40日間講習」 とあるのが目にとまり、軽い気持ちで申し込みました。
母が当時流行の韓流ドラマにはまっていたため、費用をすぐ出してくれました。
ソウル仁川空港に着くと現地駐在員が出迎えて、大学まで連れて行き、登録や入寮の手続きを手伝ってくれました。
 
クラスメートは日本人がほとんどで、その他台湾、シンガポールから来ていました。
「入門コース」のはずが、日本人の多くはハングルに年期が入っています。
さっそくできる者ばかりでグループをつくって盛り上がっていました。
初心者のなかには、できる人にとりいって、その仲間にいれてもらう人もいましたが、
超初心者の私はとけ込めずに後ろの席に淋しく座っていました。
 
授業は私にはペースが速すぎました。
喧噪のソウル市街は地名表示も看板も読めず、数日で私は寮の部屋に引きこもってしまいました。
仁川空港で会った旅行社の現地駐在員が様子見に訪ねてきて、
「大学にボランティアのインストラクター制度があるので頼んでみましょうか」 というので、ありがたくお願いしました。
 
翌日大学の国際交流センターで女性のボランティアを紹介されました。
いま三年生で、卒業したら日本に留学し、どこかの大学の大学院に入学する計画ということでした。
すでに日本語を学んでいましたが、「日本人学生の世話をすることで、もっと上手になろう」 と思ったそうです。
 
その日から授業の予習・復習はもとより、買い物から、携帯電話の購入まで、彼女がこまごまと教えてくれました。
「大学の食堂ばかりではあきるだろうから」、とアパートで夕食を作ってくれることもありました。
地獄で仏にあったような気持ちで、彼女の指示がひとつひとつありがたいでした。
584『第一次愛的人』:2008/08/01(金) 23:57:29 0
>>583
  
クラスメートに台湾から来た女子学生がいました。
講習期間がなかば過ぎた頃、たまたま昼休みに大学前の郵便局で出会って、一緒にクラスに帰りました。
初心者同士ということで気が合い、習いたてのおぼつかないハングルで話が弾みました。
数日後、彼女が台湾人のパーティーに連れて行ってくれました。
私は大勢の出席者から歓迎され、彼女は得意そうに私をみんなに紹介してまわりました。
おめかしした彼女がまぶしく、言葉が妙なる音楽のように聞こえました。
 
帰って、インストラクターに電話して、 「中華料理がおいしかった」 と話したら、不機嫌になり、アパートに呼び出されました。
目をつりあげ、日本人はいかに恩知らずか、「日韓併合」 まで遡って、私を罵倒しました。
感情がたかぶると、彼女は泣きわめきながらジンロ(眞露)をあおり、私もむりやり飲まされました。
酒に弱い私は酔いつぶれ、気がついたら隣に裸の彼女が寝入っていました。
そして私も裸にされていました。
 
翌日から毎夜、私は彼女のアパートに呼び出されました。
断ると寮にきて騒ぎ立てるので、しかたなくアパートについていきました。
そのたびに、彼女は眞露をあおって罵詈雑言をあびせ、私にセックスの相手を強いました。
 
台湾人の女子学生をクラスで見かけなくなりました。
シンガポール人のクラスメート (男子) から、「これを頼まれた」とシンディ・ワン (王心凌) のCDをそっと渡されました。
講習終了を待たずに帰国したという話でした。
また、「インストラクターが彼女をつかまえて汚い言葉でののしっていた」、といううわさも教えてくれました。
インストラクターに問いただそうと考えましたが、思いとどまりました。
585『第一次愛的人』:2008/08/02(土) 00:04:28 0
>>584
 
秋が来て、私は帰国しました。
 
翌年インストラクターは大学院入試のため短期間来日し、泊まっていたホテルに私を呼び出しました。
部屋に入ると待ちかねたように私にとびつき、ベッドに誘いましたが、私がかたくなに拒むと、泣き叫び、
枕やバッグを投げつけました。
 
月日が流れ、私は大学を卒業し、就職しました。
その頃、彼女からメールが入り、
「大学院入試に合格したが、入学せず、アメリカの大学に留学した」 と書いてありました。
 
しばらくして、シンガポール人のクラスメートから、
「台湾人女子学生は大学を卒業後、中国人の医者と結婚し、カナダに渡った」 という便りがありました。
「シンガポールで一緒に働かないか」 とも書いてありました。
友人と新しい会社を起こしたということでした。
 
私はいま、辞表を出そうかと迷っています。
 
  http://jp.youtube.com/watch?v=j8ILWvrWXy4