1 :
名無し象は鼻がウナギだ! :
2006/07/17(月) 18:26:02 「あした公園へ行く約束をします。」 「あした」が公園へ行く日とも、約束する日とも、どちらにも解釈できるよね。 日本語ってあいまいですなw。
2 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2006/07/17(月) 18:28:39
そうだよな〜。
He beat the women with an umbrella. 彼は傘を持ったその女性を叩いた。 彼はその女性を傘で叩いた。 英語ってあいまいですなw。
>>3 > 彼は傘を持ったその女性を叩いた。
この解釈はない。
5 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2006/07/17(月) 20:49:05
水行十日陸行一月 水行十日+陸行一月なのか、水行では十日、陸行では一月なのか、漢文は 曖昧ですね。
6 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2006/07/17(月) 21:18:48
>>5 どちらにも同じだよ、解釈は。
原文は 「水行十日、陸行一月」
2つの間に読点つけてる
だから以下の表現は
X 水行十日陸行一月
7 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2006/07/17(月) 21:45:59
>>6 魏志倭人伝の原文に句読点などがあったのか?初耳だな。
句読点があったとしても二通りに解釈できる曖昧さが残る。
8 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2006/07/17(月) 21:54:26
小学校で句読点習ってくれば?
9 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2006/07/17(月) 22:18:42
句読点の問題じゃないだろ。
10 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2006/07/17(月) 22:22:41
11 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2006/07/17(月) 22:23:35
12 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2006/07/17(月) 22:28:11
Laysa la-hu 'ummun. (で)ない 彼に(とって) 母 彼には母がいない。 彼にとって、彼女は母ではない。 アラビア語もあいまいだった。
>>5 「水行だと 10 日、陸行だと 1 か月」といった行程の書き方は、ほかにない。
したがって、「水行で 10 日 + 陸行で 1 か月」と解釈される。
14 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2006/07/18(火) 00:59:51
>>10 その句読点は近代に欧文を参考に作られたもので、清朝までの漢文
にそんな便利なものは無かった。
日本語の、。も明治以後の記号だろう。
で、水行十日陸行一月の解釈は分かれたままだ。普通はandの意味に取れ
るが、北九州〜奈良の旅程に合わせるためにorと解釈している。
15 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2006/07/18(火) 01:35:01
>>13 水行十日陸行一月 以外にも漢文の解釈が分かれる例があるので
日本語が特に曖昧とは言えないということを言いたいのみ。
日本語は述語が節末にしか来られないという、世界でもまれな固い規則をもっているので、特にあいまいな言語の 1 つだろう。
いかにも釣りくさいレスだな
18 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2006/07/18(火) 02:21:52
>>16 そういう言語なら朝鮮語、モンゴル語、トルコ語、満州語、タミル語
ビルマ語などいくらでもある。
それで日本人が日本語を使って書いたり、話したりして誤解ばかりして
コミュニケーションが不便だというようなことがあるのか?
>>18 朝鮮語はそうだが、モンゴル語、トルコ語、ビルマ語は違う。
述語が節末に来るのが基本語順ではあるけれど、節末にしか来られないわけではない。それは修辞的倒置でもない。
満州語、タミル語は勉強したことがないのでわからないが。
> それで日本人が日本語を使って書いたり、話したりして誤解ばかりして
> コミュニケーションが不便だというようなことがあるのか?
例えば、日本語では、否定辞が述語の中にあり、述語が節末にしか来られないため、全部否定と部分否定の表し分けが難しい。
その結果、必要条件と十分条件の区別のできない人が多く、この2ちゃんねるでも、しょっちゅう議論がすれ違っている。
あるいは、不利になると故意に混ぜ返して、相手が混乱してくれれば儲けものといったレスも見受けられる。
日本語以前に論理破綻してるぞ
>>21 19本文中の"区別のできない人"
日本語がうまく使われていないのか
日本語がうまく使いづらいのか
卵とニワトリだな
23 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2006/07/18(火) 14:54:30
>>19 例えば、日本語では、否定辞が述語の中にあり、述語が節末にしか来られない
ため、全部否定と部分否定の表し分けが難しい。
・・・具体例は?
合理性を追求して0と1だけで会話しよう
このスレは、 日本語は糞言語というペクチョンスレと大差ないに一票。 日本語は神の言語。神の言語は世界一優秀な言語。ゆえに日本語は世界一優秀な言語。
>>23 動詞が文末にしか来ないことは、
全否定と部分否定の表し分けが難しいかどうかとは関係ないんじゃない?
語順を変えたところで、どこが否定されている部分かは明示されないよね。
そうすると、
1.否定要素を動詞から分離する。
2.否定は動詞に残したまま、助詞を使って否定部分を表す。
このどちらかを利用するしか無いと思う。
27 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2006/07/19(水) 05:04:07
「あした公園へ行く約束をします。」 @「公園へ行く約束を明日します。」 A「明日、公園へ行く」という約束をします。 と、普通は誤解の無いように言うだろう。
日本語の否定条件文「P ならば Q ではない」には、P は Q でないことの十分条件だという解釈 (1) と、P は Q の十分条件ではないという解釈 (2) とがあり、区別がつかない。
>>29 続き
英語の "If P is true, Q is not true." の場合、not はそれが含まれる節の内容だけを否定するため、(1) の解釈しかない。
日本語が不出来なので日本人は論理力が弱い。小学生の時からその傾向が出ている。
否定辞が述語の中に現れることも、語順の一種といえる。
日本語でも1の解釈しかねえよ
32 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2006/07/19(水) 18:51:25
@「P ならば 「Q ではない」」 A「「P ならば Q」 ではない」・・・これは普通「P ならば Q とは(必ずしも) 言えない」 と表現して区別している。
Pならば、Qではない PならばQ、ではない きちんと読点打てば、済む話じゃないの?
jasracの方から来ました
35 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2006/07/20(木) 00:54:18
あなたの話を聞ける人 あなたの話が聞ける人 私はあなたの話を聞く人 私があなたの話を聞く人 「が」って「は」の代わりになったり「を」の代わりになったり不思議
曖昧な修飾関係を区別するためには、修飾語と被修飾語とを できるだけ近いところに配置するが正しい表現の鉄則。 × 明日公園へ行く約束をします。 ○ 公園へ明日行く約束をします。」 ○ 公園へ行く約束を明日します。」
38 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2006/07/20(木) 01:04:16
>>37 「代わり」って言い方が問題だったかな?
べつに同じ意味っていうわけじゃないよ。
39 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2006/07/20(木) 01:09:43
>>36 それもおかしい。
「公園へ 明日 行く約束を します」
「公園へ 明日行く 約束を します」
なのか両方解釈できなくね?
>>38 もうちょっと理論的な話をしろよ。
「が」と「は」はどう違うか、とかさ。
>>27 >>32-33 >>36 それらは義務化されていない。
述語が節末にしか来られないという日本語の規則は、いろいろなトラブルを引き起こす。
左方に数量語を含む否定文は、常に部分否定と全部否定の両義的になる。
「20 人も来なかった」: (1) 来たのは 19 人以下 (部分否定)、(2) 欠席 20 人 (全部否定)。
左方に数量語を含まない場合は、本来、部分否定にしかならない。
「親密な間柄では、敬語を使わない」は、[親密な間柄で敬語を使う] を否定しているだけで、親密でない間柄については何も述べていない。
親密な間柄は、敬語を使わないことの十分条件だと主張しているにすぎない。したがって、この命題への反証は、親密な間柄でありながら敬語を使うという例だ。
ところが、これを全部否定、すなわち、親密な間柄は敬語を使わないことの必要十分条件だとの主張だと誤解する人が多い。
その結果、反証として、親密でない間柄でも敬語を使わないことがあるという、当然かつ無効な事実を持ち出して来る。
>>41 英語でも右方に数量を持ってくれば同じ事だよね。
そして日本語でも欠、非、不、無の接頭語で否定を作れる事は君が示しているねw
>>42 > 英語でも右方に数量を持ってくれば同じ事だよね。
右方でも左方でも部分否定にしかならない。
> そして日本語でも欠、非、不、無の接頭語で否定を作れる事は
生産性の高いものと低いものがあり、結局、すべて辞書に登録しておかなければならない。
文法化しておらず、すなわち、規則になっていない。
つーか、すべての文が必ず一通りの意味にしか解釈できない自然言語なんてあるのか? んなもん、日本語特有の欠点でも何でもないだろ。
全くケガしないプロ野球選手なんているのか? んなもん、清原特有の欠点でも何でもないだろ。
意味の取り違えも怪我も無い方が良い
まずスレタイ読め。
>>44 みたいな発言こそ論理力の弱い証拠。
論理が弱いどころか論理の欠片もない47にびっくり
だからスレタイ読めって。はじめから、「あるか、ないか」の話なんかしてないだろ。
論理どころか何を言いたいのかさっぱりわからない
52 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2006/07/27(木) 16:39:10
どうも、高卒の人は話をはしょってする傾向がありますね。 理屈を話して、「こういう理屈があるでしょ、だからこうなんですよ」と言わずに 話が飛ぶことが多い。もしくは、「わかってんだろ?」って感じに強引に結論を持っていく。 高卒がとは言うつもりはまったく無いけど、 そう言う奴はこれは説明するボキャブラリーが乏しいのと、 物事を理論づけて体系づけて話せないからだ。 ヤクルトの古田選手なんて実に理路整然と話すだろ? 知的な奴はある程度、言葉を組み立ててわかりやすく話せるんだよ。
言う 申し上げる おっしゃる ↑どれか一つに統一しろボケ 面倒くせぇんだよカス どこのバカが使い分けろって言い出したんだ?
子曰、不憤不啓、不非不発。挙一隅、不以三隅反、則不復也。 孔丘「高卒」与?(笑)
55 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2006/07/27(木) 17:47:29
「自分」ってのは言った本人のことを指す場合と 言った本人の目の前の人を指す場合があるから困る。
56 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2006/07/28(金) 00:27:07
>>53 動詞が人称語尾変化する言語はどれもペケだな。「言う」が人称によって
6通りに変化する。
>>56 人称 (および数) が同じなら「言う」になったり「申し上げる」になったり「おっしゃる」になったりしないから、断然合理的。
58 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2006/07/28(金) 16:01:15
1着のズボンのことを複数形で pantaloni (イタリア語) と言うのがよく分からん、というか不合理だと思う。
59 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2006/07/28(金) 21:41:44
>>57 とはいえ、英語にも敬語に相当するものはそれなりにあったりするんだけ
どな。
>>57 動詞が人称・数によって変化するヨーロッパ語のほとんどは、
二人称複数形を(話者の相手が単数であっても)敬語のように使うでしょ?
61 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2006/07/28(金) 22:58:09
>>57 敬語なら東南アジア諸語の方が日本語よりはるかに発達しているという
話だが。
日本語で「言う」「おっしゃる」「申し上げる」のような例は数語だけ
だろう。
>>60 日本語よりはましだがそれも不合理だ。だから現代英語はもうやってない。
>>61 発展途上国の言語を持って来られてもな。
新興国としてがんばっているインドネシアの共通語は、ジャワ語を基にしているが、敬語は捨ててしまった。
63 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2006/07/29(土) 06:45:40
その警察官は車で逃げている西村を追跡した 車に乗ってるのはどっち?
64 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2006/07/29(土) 12:33:50
>>62 じゃねーよ。インドネシアは、オランダ統治の中で普及したマレー語の
一種を標準語にした。ジャワ語はかけらもはいっていない。
65 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2006/07/29(土) 13:09:59
近代日本語=愚民化政策の一環w 日本語ほど政府に都合がいい言葉もない。 ヨーロッパやオリエント世界の言語はすばらしい。ロジカル
必要条件と充分条件て何?論理の話は、こんがらがって分かりにくい。 それが否定の全部と部分の区別に関係してくることなの? まあ何て言うか、日本語はいろいろ付け足して話して行くから文脈で何となく分かるんでないの? 厳密性はお門違いでいろいろ広げられるのが良さじゃないかと思う。
合理的にするなら明確な示標が要るということ。 それに加えて、「修飾関係がどの部分に掛かるのか」も判別できるように明示されなければならない、と言ってる。
68 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2006/07/29(土) 21:50:12
I love you. Ich liebe dich. 我爱你。 私はあなたを愛する。 どうしてこんなに日本語は不合理なのかと
69 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2006/07/29(土) 22:32:41
>>63 「その警察官は車で逃げている西村を追跡した」
警察官が車に乗っているのなら、
「その警察官は逃げている西村を車で追跡した」
と書けばよい。区別できるのにしないのは
言語の不合理というより話者の怠慢
70 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2006/07/29(土) 22:34:47
話す分にはわかる 書く分にはわからない
その警察官は、車で逃げている西村を追跡した その警察官は車で、逃げている西村を追跡した 簡単に区別できますが、何か?
日本語は糞すぎてどうしょうもねえな
>>71 日本語では句読法が義務化されてないから駄目。
that policeman chased Nishimura by car 車に乗ってるのはどっち?
75 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2006/07/30(日) 14:24:56
クルマでその警察官は逃げている西村を追跡した。 その警察官はクルマで逃げている西村を追跡した。 その警察官が来るまで逃げている西村を追跡したオレ。
>>68 なにをもって不合理と言ってるのか知らんが
実際に「私はあなたを愛する。」なんて表現を使ってるやつなんて見たことがない
77 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2006/07/31(月) 12:35:29
日本語は、曖昧にもかける。 必要であれば厳密にもかける。
>>73 なにをもって、義務化というの?
義務化されている言語には、たとえば何語があるの?
>>78 英語。Punctuation については自分で調べて。
>>73 義務化されているか否かということは、
問題の本質ではないでしょ。
義務化されていなくても、
>>71 のように、
区別しようと思えば可能なんだから。
「ここではきものをぬぎましょう」みたいな例文を
だれもが小学校で習うでしょ。
読点の位置によって、意味の解釈が異なることがあるということは、
みんな(少なくとも知識としては)知ってるはず。
カンマは義務と言う事になっているが実際はよく省略される
>>80 > 義務化されているか否かということは、
> 問題の本質ではないでしょ。
問題の本質だよ。デフォルト (怠慢) を誤として斥ける方途がなく、結局許されてしまう。
実際に大した問題になっていないから許されている。 一部のクレーマーが騒いでいるだけ。
国語、学習の基本に 次期指導要領、言語力を重視
2006年07月29日07時23分
次期学習指導要領の改訂で、文部科学省は、国語を他教科も含めた学習の基本と位置づけ、「論理的な思考力」を向上させることを軸に教育内容を見直す検討を始めた。高校の国語では、文章
理解や論理的な思考・表現を育てる科目を新設する案も出ている。論理的にものを考える力については、学力に関する調査などで課題として指摘されており、その対策というねらいもある。
次期指導要領については、全体を貫く基本的な考え方として、中央教育審議会の教育課程部会が2月に、「言葉は確かな学力をつくるための基盤で、国語力の育成はすべての教育活動を通じて重視する」とする報告をまとめていた。今回の検討開始はそれを受けたものだ。
文科省によると、国語については、全体として「言語力の育成」を目指す。小学校段階から、対話や報告、要約、説明など言語の「技能」を確実に身につけ、さらに「活用」
して思考を深めることを目標にする。さらに、高校の国語では、「文章などを理解し、論理的に考え表現する能力の育成を重視する」科目を新設する案も出ている。
思考力の向上に向けては、国語を基本に見直したうえで、他教科についても議論していくことになる。
国語の現行指導要領は、「話す、聞く」「書く」「読む」ことと、語彙(ごい)や文章構成、言葉遣いなどを育成する文法関連事項から内容が構成されている。
しかし、学力に関する調査などでは、論理的な思考力に課題があると指摘されてきた。これまでの国語の授業についても、文学作品を主体とした感性や情緒の読み解きに力点が置かれ、思考力をはぐくむための指導が足りないとの見方がある。
文科省幹部は「話す、聞く、書く、読むの中核には『考える道筋』がある。この道筋に必要な要素を言語の面からとらえて、適切に教える必要がある」と話す。
http://www.asahi.com/national/update/0728/TKY200607280691.html
>>64 マレー語とジャワ語とがもともと近い言語であるうえに、ジャカルタ住民の大半がジャワ語話者だ。
だから、インドネシア共通語の語彙にはジャワ語が多く入っている。
86 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2006/08/03(木) 21:26:59
日常会話本を見るとインドネシア語とマレー語はほとんど同じで、スペイン語と ポルトガル語の差と同じようなものだろうな。 タガログ語は全然違って、同系語とも思われないような違いがあるが。
87 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2006/08/03(木) 22:09:24
>>86 そりゃ、フィリピンのほうが、台湾に近いからな。
88 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2006/08/21(月) 08:54:57
>>1 X あした公園へ行く約束をします
こんな日本語は普通使わない
○ 明日公園へ行くと、約束をした
「約束をする」というフレーズを、未来形で使うことはほとんどない
「約束をした」「約束するよ」「約束してね」ということはあるが
よって、
>>1 は日本語学習が不完全な留学生のたわごと。もっと勉強しろよ
89 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2006/08/21(月) 09:29:17
>>1 あした公園へ行く約束をします
日本語が非合理的なのは動詞最後の文法のせい。英語なら、
I Promise to Go The Park Tomorrow.で、約束する、行く、公園へ、明日。となる。
日本語のだらけ文字であるひらがなを使うから狂いが加速する。漢語なら、
私約束誰行公園。となり動詞先の簡易合理体になる。
まず片仮名を英語化し、次にひらがなを漢字化する。英国と支那で日本崩れを挟み込み、
最後に詩的倒置で文法を引っくり返せば、非合理性が消え去り、すっきりした象徴文体となる。
90 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2006/08/21(月) 09:32:04
>> あつまり、「約束する、明日公園行く」か「行く、明日公園」のような感じになるだろう。
91 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2006/08/21(月) 10:29:21
日本語って、世界で二番目か三番目に不規則活用が少ないんじゃなかった? (主要な言語中)一番不規則活用が多いのは英語。 必ずしも非合理的ってわけでもないじゃん。
どの国の言葉だって複数の解釈が出来る文はかけるし 自国だけ特別だと考えるのは自意識過剰の厨房だけだ
93 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2006/08/21(月) 12:29:14
>>89 英語も中国語も出来ないくせによく言うな…
I promise to go to the park. (私は、)約束する、こと、行く、へ、公園
つまり、統語構造は主語位置以外は鏡像構造になってるから、英語も日本語と
同様に、二通り解釈できます。
中国語は、「我 明天 約会 去 公園」と「我 約会 明天 去 公園」で区別します。
SVOなのに、副詞や前置詞句が動詞の前に来るからでしょう。
因みに「私」は「個人」の意味で、漢文で「約束する」は「定約束」を使うんじゃ
ないかな。「誰」はなぜあるのか意味不明。「簡易合理体」も意味不明。「象徴文
体」も初めて聞くなあ…学問の世界に入ったことのない人ですね。
あと、「漢語」は「和語」に対して言うか、「漢民族の言語」の意味です。「漢文」
と言いたかったんじゃないですか?
>>88 ごもっとも
94 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2006/08/22(火) 02:30:33
>>91 ソースが分からないけど、そういう奴多い。
でも、主要な言語っつったら、西欧語(全部、屈折語)と日本語(膠着語)
中国語(孤立語)ぐらいだろ?孤立語の次に膠着語が不規則が少ないのは
当たり前だろうな。そんな枠で何を言いたいのかさっぱりだ。
日本語の難しさはそんなところにはないよ。
95 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2006/08/22(火) 14:17:17
約束するのが「あした」なら、英語でも tomorrow を前に出して、Tomorrow I'll make a promiss... というはずだ。動詞と副詞の語順が日本語のように固定しているわけではない。
97 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2006/08/22(火) 17:57:44
Iが先に来るのか相手が先に来るのかは、主張者の最も気をつけるべき要点だ。 「明日公園へ行く約束をします」と「明日公園へ行く」私よりも「約束をします」の私を 上に見ている以上、話しかけている相手より、自分の決定を上に見ているはずだ。 ゆえに、I Promise to Go to The Park Tomorrow.と決定の宣言になるはずではないか?
98 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2006/08/22(火) 18:13:47
>>89 =
>>97 トンデモバカが現れた。脳障害だな。
ついでに
>>96 もな。日本語は固定されてるなんて聞いたことないな。
Tomorrowが必ず前に出ると思っているんだろうか。
>>98 日本語は固定されてるよ。
副詞を最後に持って来て「公園へ行く約束をします、あした」と言えば、確かに約束をするのが「あした」と決まる罠
しかしこれは、「します」と丁寧語を使っているのに、目上に対しては言えない罠
つまり、「(あした) 公園へ行く約束をします。(そうだ言い忘れた) あした」という倒置であって、「あした」の位置は動詞より前から動かない。
倒置はぞんざいな表現だ。目上に対して言い忘れたときは、「あした約束をします」「約束するのはあしたです」などと言い直さなければならない。
100 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2006/08/23(水) 00:00:40
それって固定っていうんか?「明日公園へ行く約束をする」は二通りあるけど、 「公園へ行く約束を明日する」は一通りしかない。動詞の直前でもいいし、文の 全体の前でも良いなら、固定されてる、は言い過ぎじゃないか? 英語は文頭・一般動詞直前/be動詞直後・文尾が可能で、日本語と英語の違いは 文尾でもあり得るかどうか、て事じゃないのか?
>>100 動詞と副詞の語順は、副詞が動詞の左方に固定されているといえる。
左方なら左方でもよいから、修飾する動詞の直前に固定されていれば、あいまいさはない。
ところがそこまでは決まっていないから、不具合なのだ。
102 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2006/08/23(水) 20:34:23
鮮語はシナ語の要素なくして高尚な概念はもちろん、山、川、 兄、友達といった基礎的な事柄すら表せない! 固有語で満足な表現が出来ず、他言語の要素に頼るしかない鮮語は 自立した言語とはいえない。 鮮語はシナ隷属の糞言語!これは科学的真実!
103 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2006/08/23(水) 21:24:26
>>101 それは、動詞が文尾に固定されているのであって。
>>103 >>16 からずっとそう言っている。
述語が節末に固定されているということは、副詞がその左方にしか来られないということ。
105 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2006/08/24(木) 00:11:51
もういいや。一通りじゃないんだから、固定というのはおかしいと
思ったけど、通じないからもういいや。
どっちにしても、
>>96 は間違ってて、英語も日本語も曖昧さは一緒です。
>>105 > もういいや。一通りじゃないんだから、固定というのはおかしいと
> 思ったけど、通じないからもういいや。
日本語: 副詞 → 動詞 の 1 とおり。
英語: 副詞 → 動詞 と、動詞 ← 副詞 の 2 とおり。
> どっちにしても、
>>96 は間違ってて、英語も日本語も曖昧さは一緒です。
英語では、主節の動詞 (will make <a promise>) を修飾するときは、tomorrow を文頭に置かなければならず、不定形の動詞 (to go <to the park>) を修飾するときは、tomorrow を文末に置かなければならない。
日本語のようなあいまいさはない。
文頭にtomorrowを出すならカンマで区切るだろ。 変則的な用法で「公園へ行く約束をします、明日」と言っているような物。
>>107 カンマは打たない方が規範的。
不定詞句や従属節を導く主節の動詞を tomorrow が修飾する場合、あいまいさを避けるため、tomorrow を文頭に置くことが義務化される。
109 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2006/08/25(金) 01:45:47
カンマは普通付けないことが多いと思うけど、義務だというのは明らかに おかしい。そうすることができる、と言うだけ。規範というなら、そのソ ースを示せよ。示せないなら脳障害だから二度と書くな。 日本語で、「公園へ行くことを明日約束します」と言わなければならない、 なんてことはないのと一緒。と言うことを98から言ってるんだが、中学か 高校の先生がそういったのを誤解してるか、鵜呑みにしてるのか? てか、英語は2通りじゃなくて3通りだって。なんで文中と文頭を一緒に するんだよ。(be動詞は文尾と一緒くた?) フランス語なんかだと割と前にそういったものを出すことが多いけど、英 語はそれほど文頭には出さない。
>>109 > カンマは普通付けないことが多いと思うけど、義務だというのは明らかに
> おかしい。そうすることができる、と言うだけ。
この場合、tomorrow を文頭に出すのは義務だが、カンマを打たないのが義務だとまでは言っていない。
> 規範というなら、そのソースを示せよ。
研究社『新英和中辞典』 (1977) の tomorrow の用例 "Tomorrow I shall be free." カンマはない。
> てか、英語は2通りじゃなくて3通りだって。
動詞と副詞の語順を問題にしているのだから、3 とおりということはありえない。
副詞が文頭でも動詞の直前でも動詞より左、副詞が動詞の直後でも文末でも動詞より右。
左と右の 2 とおりまでしかない。
> なんで文中と文頭を一緒に
> するんだよ。(be動詞は文尾と一緒くた?)
・仮に "I will tomorrow {promise / make a promise}..." と言ったとして、"Tomorrow I will {promise / make a promise}..." との意味の違いがわからない。
Tomorrow が動詞より左方にあるという点では変わりがない。区別する必要がない。
・「あした公園へ行く約束をします」に相当する英語表現で、be が使われるとは考えにくい。
> フランス語なんかだと割と前にそういったものを出すことが多いけど、英
> 語はそれほど文頭には出さない。
"I will {promise / make a promise} to go to the park tomorrow." と言った場合、tomorrow は to go (the park) を修飾するとしか解釈されない。あいまいさはない。
>>96 × Tomorrow I'll make a promiss... → ○ Tomorrow I'll make a promise...
>>110 × to go (the park) → ○ to go (to the park)
112 :
109 :2006/08/25(金) 11:39:15
書き直し
カンマは普通付けないことが多いとおもうけど・・・
Tomorrowが一番前にするのが規範、というのは明らかにおかしい。
規範というならそのソースを示せ。この熱中症系の脳障害野郎。
>>110 英文法書の「副詞の位置」というを読んでからレスしろ。
英語のような極めて曖昧な言語を参考に議論してどうしようってんだ?
>>112 ソースは英語ネイティヴの頭の中にある。すべてのきまりが文法書に載っているわけではない。
I will promise to go to the park tomorrow.
(1) 話者は「あした」約束しようとしている。
(2) 話者は「あした」公園へ行こうとしている。
(3) 両義的である。
正解は (3) ではなく、(2)。ネイティヴはそう判断する。英語話者をつかまえてきいてみればわかる。
115 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2006/08/25(金) 13:20:42
『曖昧な日本の私』(?)大江健三郎を読んでからいえ!
116 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2006/08/25(金) 13:23:43
>>114 I 〜 tomorrow.の前に
I 「will」 〜 tomorrow.をわざわざつけるということは、
(2)の可能性を「意図的に」排除しているんじゃ……
117 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2006/08/25(金) 13:25:35
がしかし明確に(1)なら I will promise tomorrow to go to the park.とでもいいそうだし……
I will primise...なら、約束するのが明日じゃね? I promise to be going to go...
Morgen verspreche ich, den Park zu benutzen. Ich verspreche, morgen den Park zu benutzen. こういう問題ではドイツ語最強だな。
benutzenではなくbesuchen
121 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2006/08/25(金) 21:21:16
むー複雑ですね。
122 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2006/08/26(土) 01:06:54
124 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/03/17(土) 12:43:51
age
125 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/03/17(土) 18:12:26
外国語にも曖昧なところあり。
126 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/03/17(土) 18:15:17
>>1 まぁその曖昧なところも、曖昧な表現を好む日本人らしいじゃないか
127 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/03/17(土) 18:42:11
此ノテーマハ相当大変凄ク面白イねえ。
128 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/03/17(土) 19:06:25
確かに、「あした公園へ行く約束をします。」の分析: 1、「あした公園へ行く」って約束をします。 2、あした、「(時間不明)公園へ行く約束をします。」
明日約束をするというところが変だ、ありえない状況だ。 約束なんだからなされたものかなされないものかの二つしかない。 なされることを前提としたいまだサ鳴れていない状況を、「約束する」という 単語の使われる文脈で顧慮する必要は無い。 だから、約束の内容が「あした公園へ行く」であること、に収束する。
130 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/03/17(土) 20:12:48
>>129 「またあした(・・・)って約束をしてもいいよ。」もいいよね。
131 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/03/17(土) 20:53:36
そのための文法、そのための語順だべさ。
133 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/04/10(火) 02:44:50
定期的にage
134 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/04/11(水) 08:13:24
初めてドイツ語を聞くと、名詞に男、女、中性がありそれぞれ格変化が違うと 聞いて、こんな馬鹿げた言語があるのかと思ったな。まるで宇宙人語だった。 動詞の人称変化というのも主語があれば分るのに何故変化するのか意味不明だった。 その点、日本語やシナ語は合理的だ。
>>134 日本語や中国語にも、そんなやっかいなものがないわけではないよ。
非日本人・非中国人から見れば、日本語や中国語でやっかいだと思われるのは、
一本、二本、三本の「本」みたいな助数詞(中国語では量詞)。
対象となるものによって、枚だの台だの匹だのといろいろ使い分ける必要がある。
しかも、日本語の「本」は、
ippon、nihon、sanbonと、pon−hon−bonと変化し発音が変わる。
136 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/04/11(水) 09:11:13
正確さ・精妙さの点で考えれば・・・ ロシア語 < 英語、フランス語、スペイン語 < ドイツ語、トルコ語 < ロジバン 上記の言語と比べれば日本語はほんとに曖昧模糊な言語風習のかたまりでしかない。 曖昧模糊。なぜか? 言葉を使わないで事象を受けとめること、口数の少なさ、 そういった静寂の態度を美徳としてきたことが日本人の言語体系の形成に影響を与えたからだ。 島国環境、鎖国政策などによって閉鎖化した社会の中で出来上がった暗黙の共通認識システムのもとでは 表現の文法的正確さに意識を払わずとも「言いたいことはお互いにだいたい通じ合う」ようになるのであって 異文化の交通が顕著な西洋社会の人間達が大事にしてきた言葉の明晰さ・客観性を日本人は必要としてこなかったからだ。 それはそれでいい。 言語の価値は正確性の他にもあるのだから。 この点については素直に諦めればいい。 英語やドイツ語すら匹敵しないあの究極的なロジバンの文を日本語に訳そうとすればわかることだが、 日本語では表現できないもの、対訳において省かざるをえない情報、 そういったものがあまりにも多い。 諦めるしかない。
137 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/04/11(水) 09:26:09
>>134 格変化も無いくせに平然と主語を省いてしまう我々日本人のほうが地球上では浮いた存在だよ。
スペイン語やポーランド語では主語を省いても述語が主格をしっかりと定義してくれる。
日本語ではそれが無い。
そしてそれを気にすることはおろかその事実に気づくことすら日本人にはない。
「どう?」(how?)
「よかったよ」(good)
「じゃああげるよ」(then give)
「ありがとう」(thank)
やれやれ。主体どころか客体もねえよ。
日本製品は質が良くてもマニュアルがジョークになってしまうのもうなずけるよな。
138 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/04/11(水) 09:34:40
最近
http://www.ableton.com/ に
英語を読みたがらない日本人のためにわざわざ「日本語版」が出来たんだが、
結局ほとんどの言葉がカタカナ英語なんだよ。
不合理なのは日本語の文法だけでなくて日本人の心理も、なんだなあ。
>ロシア語 < 英語、フランス語、スペイン語 < ドイツ語、トルコ語 < ロジバン > >上記の言語と比べれば日本語はほんとに曖昧模糊な言語風習のかたまりでしかない。 どれがより正確だと言いたいのか、それすら分からないしなw
140 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/04/11(水) 09:54:56
日本語は曖昧ではない だなんて思ってる日本人がまだいるのか・・・ 実際のコミュニケーションで使ってるいじょう日本語が曖昧なわけがない だなんて思ってる日本人がまだいるのか・・・ ボノボがカルタを使ってコミュニケーションをはかるという例は 知っているのだろうか。 カルタ言語には合理的表現の面で限界がある。 日本語にも合理的表現の面で限界がある。
141 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/04/11(水) 14:05:19
>>137 この英訳なら右のような意味になって翻訳になっていないな。
「どう?」(how?)・・・どう?
「よかったよ」(good) ・・・いい
「じゃああげるよ」(then give) ・・・あげる
「ありがとう」(thank) ・・・感謝
142 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/04/11(水) 21:24:51
>>141 やれやれ。
問題は
どの語をどの語に訳すか ではなくて、
この日本語表現には命題論理の構造があるのか
ということなんだけどな。
英語では「How is/are it/they?」と言うところを
「どう?」と言ってしまうことが許される日本語・・・
主体も客体もくそも無い日本語・・・
ついでに言っておくと、
「よかったよ」と「いい」
「じゃああげるよ」と「あげる」
「ありがとう」と「感謝」は
単に語彙が違うだけで
論理上は同じ構文要素、つまり賓辞(述語)に属するんだよ。
「じゃああげるよ」には主体と客体が無く、また
「あげる」にも主体と客体が無い。
いずれも 賓辞に属し また ともに主辞(主語)を欠いている。
言葉のかたちは異なっていても
論理の面で同じ欠損を期しているわけ。
どの語をどの語に訳すかなんてここでは関係ないわけ。
「よかったよ」には主辞も賓辞も無い
ということを述べているわけ。
そのあたりの正体が日本語のみでははっきりしにくいから
主辞も賓辞も無い文の例としてあえて「good」といった英語を提示したわけ。
論理構造に目をつけられないようじゃ
合理性の話なんてできやしないよ。
143 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/04/11(水) 21:58:30
>>139 みずからの信条によっておまえは
>>136 の発言が単に気にくわないときたから
おまえは不要な言いがかりをつけているにすぎない。
たいていの人は A<B,C<D と見れば「何かしらの点でDがCとBにまさっていてCとBがAにまさっている」と受け取るだろ。
>>136 では冒頭に「正確さ・精妙さの点で考えれば・・・」と言っている。
正確さ・精妙さの点でロジバンがドイツ語とトルコ語にまさっている、
というふうに述べていることに帰結するわけ。
あるいはおまえの曖昧な質問が実は
「どれが「日本語」より正確なのか、それすら分からないしなw」
というものであっても、
「上記の言語(=ロシア語、英語、フランス語、スペイン語、ドイツ語、トルコ語、ロジバン)と比べれば」という部分から
おまえが抱えているような不要な疑問は起きないはずなんだがな。
なにはともあれ、
日本語でのやりとりはなにかと錯綜しやすいものだな。
コンテンクストを極力記述しない(発声しない)というのは、別におかしなことではあるまいて。 なんでその場で判りきっていることも必ず言わなければならないの? そっちゃの方が無駄だ。
>たいていの人は A<B,C<D と見れば「何かしらの点でDがCとBにまさっていてCとBがAにまさっている」と受け取るだろ。 不等号記号が明示するのは、“数の大小関係”だけだよ。
>>144 「極力記述しない」・・・なぜ?
この時代においてどうしてそんな億劫な言語感覚が必要となるわけ?
あんたは身に覚えが無いのだろうが、
一旦外国とりわけ英語圏の人間の理知的な言葉づかい・文の組み立てに慣れると
日本人の日本語の使い方の幼さに呆れてしまうようになるよ。
日本語のマニュアルと英語のマニュアルの出来の違いはわかるか?
あるいは日本語版 Wikipedia と英語版 Wikipedia の記事の質の違いはわかるか?
あるいは日本語のニュースサイトと英語のニュースサイトの記事の質の違いはわかるか?
一つ一つの文(sentence)が持ってる明確さ・情報量がぜんぜん違うんだよ。
147 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/04/12(木) 02:34:24
>>145 この期に及んでやっとその点に関する意識が働くわけですか。
しかし残念ながらたいていの日本人はそういった記号をがむしゃらに使うんだよ。
日本人にとって言葉はお絵かきの要素と変わらないところがあるからね。
(漢字そのものが一種の絵、アイコンだ。「単語」を読む西洋人にたいして「字柄」を読む日本人があるわけ。2ちゃんねるの絵文字文化は日本人のそういった趣向がもろに開花したもの。)
見た目が良ければ論理もくそもなくなるのが庶民の日本語。
日本人は学生でさえコロンとセミコロンの使い分けはおろか日本語の読点にまつわるルールすら持っていない。
もっとも日本語の読点には英語のカンマにあるような論理性はもともとそなわっていない。
現代の日本人にとって言語はあくまで「口言葉」を拡張したものであるから
読点もまた息に即したものとなって論理的境界を示す記号とはみなされない。
あるいは見た目がなんだかごちゃごちゃしていて読みにくいといった場合に、打つものとしてみなされる。
論理もくそもない。
英語は機械っぽいから嫌い。そもそも日本語から見ればみんな機械っぽい。 っていうか英語信者は板違いだから出て行けよ。
>>146 > 一つ一つの文(sentence)が持ってる明確さ・情報量がぜんぜん違うんだよ。
Discourse において sentence が持っている明確さ・情報量は、日本語も英語も寸分違わない。
>>146 お前が英語かぶれなのは十分解ったから、もっと日本語の勉強でもしなおしたら?
その薄学さは恥ずかしいものがあるね…。幼稚なのはお前の頭の中だけwww
そもそも明確さならそれに対応する語句を入れれば十分対応できる。
それに英語ってドラムマシンガンみたいに会話で単語がババババババって打つだけだから、
会話が作業っぽい。だから皮肉ったジョークやボディーランゲージwwが発展したんだろ?
単語が日本語からみて多数の単語に分けられて表現される物も多い故、
1つの単語に集約されてるから、複数の単語でやっと完成する文にせよ、頭の中が情報に対して鈍くなる。
でも、日本語を母語にしてる人から見れば、1つの単語からこれは何のことを言ってるのか良く理解できてるなというのは、
頭の中に1つの単語に集約されちゃってるから大きくは違わないって事。つまり、繊細さがない、鈍感、大雑把で大味になる。
で、最終的には空気が読めなくなって
>>146 みたいなのが出来上がっちゃうわけなんだよねー。
相手にはっきり言わなきゃいけないのは、この辺がどうしても鈍いせいも全く無きにしも非ず。
漫画や小説の英訳版はひどいね、ありゃ。劣化ってもんじゃない、ひど過ぎる。
よくあんな劣化版が海外のマニアの間で面白がられてるなーと、不思議でしょうがない。
文芸作品が一気に子供の絵日記になったとでも言うべきだね。
文位の違いとかで表現されてる細かい情報かがみんな飛んじゃってる。
優れた文芸作品でも、翻訳すると大抵劣化するのが英語クオリティーwww
俳句なんか翻訳しちゃうともう何もかも吹き飛んで何も残らないしね。
どうもこの辺、鈍感wな英語話者にはいつまでも理解されないっぽい。
しかも、英語は比喩に対して表現力がすごい乏しい。
感性で分を組み立てることが出来ず、それも通じないってのは想像力に欠けるってのもうなづけるな。
微妙な情報を読み取れないから、アメコミには完璧なヒーローと、
いかにも悪そうな明文化された登場人物しか出てこないんだろ?ww
そもそも、会話が理論的じゃなくちゃいけない理由なんてない。
人間的に、感性的に会話できる機能を持ち合わせていない、理論的な会話しかできない幅のきかない西洋言語は、
総じて糞って事になるねw
151 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/04/13(金) 04:28:49
>>148 所詮は高校英語止まりかい。
日本の言語教育は難点だらけだともいうのに。
俺は英語信者というより日本語不信者だね。
日本語にはそれなりの良さがあるが、不合理で曖昧な性格のほうが勝っていて、
だいたい裏切られる。
たとえば君の
「日本語から見ればみんな機械っぽい」
という文、なんだいこれ。
もうすこし明晰な表現ができないのか。
>>149 あなたは「communication の成立」と「sentence がそれ自体で有する明確さ・情報量」とを混同している。
「くれよ」という一つの述語から「君は・それを・僕に・くれよ」という意味を日本人はあくまで「推測」するのであって、
文字列「くれよ」自体には「君は」「それを」そして「僕に」といった情報そのものは含まれていない。
日本人は意思疎通の大部分において「談話法的省略規則」に依存している、ということ。
この規則に関する知識を読み手が持っていないことには「くれよ」という文字列の意味は正確には理解されえない。
かりにあなたの主張が本当であれば
「くれよ」という sentence はそれのみで「君は・それを・僕に・くれよ」という意味を内包する完結した命題であるはずだが、
そうではない。
「くれよ」について日本人が解釈する意味合をたとえばコンピュータに理解させるうえでは
日本人が育ちながらに覚える談話法的省略規則という情報を別にインプットしておく必要がある。
「くれよ」がそれ自体では正しい解釈に必要な情報量を有していない、ということだ。
「もちろん御承諾くださるものと思っておりました」などについても同じだ。文それ自体は主語や肝要な補語を欠いている。
英語の「I took it for granted that you would consent.」が有する明確さ・情報量はこの日本語文には無い。
153 :
146 :2007/04/13(金) 07:30:10
>>150 俺も日本人だ。
日本語が不合理な言語だと言われている今のあんたの心情は理解できる。
そして俺はもっぱらの英語かぶれではない。
どちらかといえば言語そのものにかぶれている。
日本語にたいしても英語にたいしても客観的な立場をとっている。
英語が抱えている難点も知っている。
だがここでは論理性や明確性の話をしている。
この点になると日本語は実に西洋語にひけをとる。
ただそれだけのこと。
そもそも冠詞や数詞のシステムを持たない時点で
日本語が特定の論理性・明確性に関して疎いのだという基本的な事実は知っておくべきだ。
154 :
146 :2007/04/13(金) 08:05:26
>>150 「薄学さ」、「幼稚」・・・もっと具体的に俺の議論の難点を指摘してほしい。
あんたは典型的な日本人の心理に即して
外国文化に精通しているらしい人間を拒絶しているだけだろ。
ちなみに英語は日本人にとってもっとも馴染みのある外国語だ。
日本語のどのあたりが不合理なのかを指摘するうえであえて英語ではなくポーランド語やホピ語の例を出すのは無意義だ。
「Do you know where they have gone?」と言うところを
「どこへ行ったか知ってる?」(where went know?)と日本語では言うのだ
という簡単な事実を挙げればすむことだ。
述語にたいする主格が存在しない点でこの文は基本的な論理単位である命題としての構造を失っている。
文の意味を日本人が読み取れるかどうかということが問題となっているんじゃない。
文そのものが合理的かどうかが問題となっている。
日本語の文の多くは合理性以前にこのように命題として成立していない。
主語を省略する言語は日本語の他にもあるが、それらは述語の格変化などによって主格そのものを失わないようになっている(格変化があるからこそ主語を省略していい、ということでもある)。日本語にはそういった巧妙な仕組は無い。
155 :
146 :2007/04/13(金) 08:22:51
>>150 「複数の単語でやっと完成する」英語は頭を鈍くする、
と言ったのはあんただが、
「英語ってドラムマシンガンみたいに会話で単語がババババババって打つだけだから」
というあんたの認識はあんた自身の頭の鈍さを告げているぜ。
あんたはついていけないわけだよな、英語人が織り出す意味の彩に。
日本語環境では普段から識別することのない「the」と「a/an」といった照応性の違いの機敏があるが、
そういった繊細な意味合の相違を扱っていながら「ドラムマシンガンみたいに打つだけ」?
やっぱりあんたはごく主観的なグチをこぼしてるだけだな。
それが許されるならば「日本語話者は脳が部分的に眠っていながら喋る」と言ってしまうことも許されるぜ。
156 :
146 :2007/04/13(金) 08:47:29
>>150 「日本語を母語にしてる人から見れば、1つの単語からこれは何のことを言ってるのか良く理解できてるなというのは、 頭の中に1つの単語に集約されちゃってるから大きくは違わないって事。
つまり、繊細さがない、鈍感、大雑把で大味になる。 で、最終的には空気が読めなくなって
>>146 みたいなのが出来上がっちゃうわけなんだよねー。
相手にはっきり言わなきゃいけないのは、この辺がどうしても鈍いせいも全く無きにしも非ず。」
まず、お前の日本語はおかしい。
次に、(西洋人が)言葉をはっきりと話すのは
「(彼らには)繊細さがない、鈍感、大雑把」だからだ
という滅裂な論理をお前はいつまで抱え続けるつもりなのか?
西洋人の言葉づかいの明快さはね、
「発言の意味を誤解されたり曲解されてほしくない」という意志の賜物なんだよ。
大陸は日本列島と違って種々雑多な民族・文化系統・価値観が共存しているからね、
日本人達のように共有の慣習的情報に依存しながら言葉を使うことには限度があるんだよ。
それだから西洋語は日本語よりもずっと客観的な合理性を重視したかたちになってるんだよ。
言い換えれば、西洋語は外交的で日本語は内輪的、というわけ。
157 :
146 :2007/04/13(金) 09:15:39
>>150 「漫画や小説の英訳版はひどいね、ありゃ。」
日本語の単調な擬音語がアルファベットでどれだけ色鮮やかになっているかは知っているのか?
たとえば『銃夢』1巻の冒頭、日本語版と英語版とでこう違う・・・
「ゴゴーン、ゴゴーン、ゴゴーン」にたいして「RUMB, RUMB, THRRRMMMM」、
「ガラガラ、ガラガラ」にたいして「KREK, KAKREK, KATUNK」
という具合だ。
擬音表現について英語版の方がましだと言える大きな理由が2つある―
1: 自然界においては母音よりも子音の方がずっと多く、開音節でしかない日本語文字による音声再現は随分と不忠実となる。
2: 上の例にみられるように、物体が通時的に織り成す音声のシーケンスを英語版はちゃんと再現しているのにたいして日本語版は単調である。
台詞の文芸性についてはこれまた再びお前は主観的なグチをこぼしているにすぎない可能性がある。
英訳版のどのあたりに「劣化」の根拠があるのか、具体的に挙げろ。
たしかに日本語を西洋語に訳すうえではある程度の文芸的損傷を覚悟しなければならない。
しかしお前の意見にはいささか自文化中心主義の陰がある。
それにこういった問題は西洋語を日本語に訳す場合でも同様に起こるものだ。外国映画の日本語字幕はたいていが原文にたいして趣が幼稚化している。
158 :
146 :2007/04/13(金) 09:37:02
>>150 「俳句なんか翻訳しちゃうともう何もかも吹き飛んで何も残らないしね。
どうもこの辺、鈍感wな英語話者にはいつまでも理解されないっぽい。
しかも、英語は比喩に対して表現力がすごい乏しい。
感性で分を組み立てることが出来ず、それも通じないってのは想像力に欠けるってのもうなづけるな。」
かわいそうな奴だな、お前は。ほんとにひねくれてるよ。
今の日本人作家達の現代性の源流がどこにあるのか、知らないのか?
英語は表現力が乏しい?
やれやれ。中学英語か。
具体的な例を挙げろって、ほんとに。
何かを比喩する日本語文と、それと同等のことが英語にはできないことを証明する英文、
その例をまず挙げろって。
英語にたいしてお前が個人的に引け目を感じているのはわかったし同情もしてあげるから、とりあえずもっと現実的・客観的になりなさい。
>>152 Sentence は常に discourse の中で用いられるのだから、discourse から切り離された sentence の明確さとか情報量を問題にするのは、全くの無意味。
> この規則に関する知識を読み手が持っていないことには「くれよ」という文字列の意味は正確には理解されえない。
そのような知識をもっているということが、日本語がわかるということだ。日本語に文句を言う前にレッスンしなさい。
> かりにあなたの主張が本当であれば
> 「くれよ」という sentence はそれのみで「君は・それを・僕に・くれよ」という意味を内包する完結した命題であるはずだが
そんな主張はしていない。君の思い込み。日本語力・論理力が足りない。
> 「くれよ」について日本人が解釈する意味合をたとえばコンピュータに理解させるうえでは
> 日本人が育ちながらに覚える談話法的省略規則という情報を別にインプットしておく必要がある。
当然その必要がある。コンピュータは人間の下僕であり、人間の言語に従わなければならない。
160 :
146 :2007/04/13(金) 09:49:42
>>150 「会話が理論的じゃなくちゃいけない理由なんてない。
人間的に、感性的に会話できる機能を持ち合わせていない、理論的な会話しかできない幅のきかない西洋言語は、
総じて糞って事になるねw」
やれやれ。
俺の議論はそんなことを主張してるわけじゃないんだよね。
それと、
人間的・感性的に会話できる機能を西洋言語は持ち合わせていない?
理論的な会話しかできない幅のきかない西洋言語?
感性うんぬんを唱えるまえにまずお前は観察力をつけなさい。
お前が西洋言語にたいして感じる機械性や冷たさは
それらの言語をお前が内部化(ネイティヴ化)せしめていないことに起因する心象でしかないよ。
そのような条件のもとでは西洋人にだって同じことが言える―
「日本語ってなんだか文字がゴチャゴチャしていて思考の焦点が散々しそうだね。」
161 :
152 :2007/04/13(金) 10:05:46
>>159 >そのような知識をもっているということが、日本語がわかるということだ。
繰り返しになるが、問題は「日本語の文を日本人が理解できるかどうか」なんかではなくて、
「日本語の文には客観的な合理性・命題性があるかどうか」なのだ。
>> かりにあなたの主張が本当であれば
>> 「くれよ」という sentence はそれのみで「君は・それを・僕に・くれよ」という意味を内包する完結した命題であるはずだが
>そんな主張はしていない。君の思い込み。日本語力・論理力が足りない。
そうかい?
>Discourse において sentence が持っている明確さ・情報量は、日本語も英語も寸分違わない。
というあんたの意見はすなわち、
「Give it to me.」と「くれよ」それぞれの sentence には同等の情報量が含まれている、ということだよな?
つまり、「くれよ」の3文字が「it」や「to me」に当たる情報を寸分違わず抱えている、ということだよな?
それともまた僕の思い込みかい? ほんとにそうかい?
162 :
152 :2007/04/13(金) 10:20:15
>>159 >> 「くれよ」について日本人が解釈する意味合をたとえばコンピュータに理解させるうえでは
>> 日本人が育ちながらに覚える談話法的省略規則という情報を別にインプットしておく必要がある。
>当然その必要がある。コンピュータは人間の下僕であり、人間の言語に従わなければならない。
雑ぜ返さないでよね。
コンピュータを例に挙げたのはあくまで日本語の文を客観的な視点で解釈するとどうなるのかを考察するため。
日本語の文を日本人は理解できるかどうかが問題となっているんじゃなくて
日本語の文がそれ自体で合理的な構造を有しているのかが問われているわけ。
で、実際には日本語の文の多くは「それ自体」では完結せずに談話法的省略規則という、文そのものとは別な「外部の情報」を必要とするわけ。
この点で「日本語の構文には不合理なところがある」ということが言えるわけ。
ところで、コンピュータが人間の言語に従わなければならない、なんてのは馬鹿げてるよ。
日本語でプログラムが書けるとでも思ってるの?
日本語の曖昧さが美しいと思ってしまう私は駄目ですか。
164 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/04/13(金) 12:32:09
日本語は曖昧ではない。一部の人があいまいに使っているだけだ。 外国語もそうだ。 英語でもあいまいな使い方はできる。 英語があいまいに使えない人はそれを習っていないだけだ。
165 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/04/13(金) 12:57:39
カギカッコ引用君がなぜ急にこんなスレに目をつけたのかに興味がある
>>161 > 「日本語の文を日本人が理解できるかどうか」なんかではなくて
日本語がわかれば日本人でなくても理解できる。
> 「日本語の文には客観的な合理性・命題性があるかどうか」なのだ。
Discouse においてはむろん客観的な合理性・命題性がある。
>>161 > 「Give it to me.」と「くれよ」それぞれの sentence には同等の情報量が含まれている、ということだよな?
> つまり、「くれよ」の3文字が「it」や「to me」に当たる情報を寸分違わず抱えている、ということだよな?
Discouse の中では、そういうことになるね。
> それともまた僕の思い込みかい?
>>152 「それのみで」は明らかな誤り。
>>162 > コンピュータを例に挙げたのはあくまで日本語の文を客観的な視点で解釈するとどうなるのかを考察するため。
現在のコンピュータでの扱い易さと、意味の客観性とは無関係。
> 日本語の文を日本人は理解できるかどうかが問題となっているんじゃなくて
日本人でなくても日本語がわかれば理解できる。
> 実際には日本語の文の多くは「それ自体」では完結せずに談話法的省略規則という、文そのものとは別な「外部の情報」を必要とするわけ。
文はもともとそれ自体で完結するものではなく、常に談話の中で用いられるから、何ら問題はない。
> この点で「日本語の構文には不合理なところがある」ということが言えるわけ。
こじつけにすぎないといえる。
> 日本語でプログラムが書けるとでも思ってるの?
プログラムは人間の自然言語では書けない。
169 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/04/13(金) 23:12:16
日本語プログラム言語mindとかいうのが昔あったな。
170 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/04/14(土) 02:12:28
171 :
161 :2007/04/14(土) 05:21:27
>>166 >> 「日本語の文には客観的な合理性・命題性があるかどうか」なのだ。
>Discouse においてはむろん客観的な合理性・命題性がある。
>> 「Give it to me.」と「くれよ」それぞれの sentence には同等の情報量が含まれている、ということだよな?
> つまり、「くれよ」の3文字が「it」や「to me」に当たる情報を寸分違わず抱えている、ということだよな?
>Discouse の中では、そういうことになるね。
すなわち、日本語の sentence の理解は discouse に依存する。
discouse の外、つまり純粋な sentence そのものとしての日本語文には必ずしも客観的な合理性・命題性が認められるとはかぎらない。
172 :
162 :2007/04/14(土) 05:50:10
>>168 >現在のコンピュータでの扱い易さと、意味の客観性とは無関係。
コンピュータは客観的な読み手の代名詞みたいなもの。
コンピュータは命題論理の上に成り立っており、
命題論理は普遍的・客観的なものである。
日本語文章の単語数を日本人がカウントできてもワープロソフトがカウントできないのは
日本語の文字体系・構文体系にそれなりの不透明性・非客観性が潜んでいるから。
英語文章にたいしては単語数のみならず各語の品詞すなわち意味的役割までをもワープロソフトが正確に判別できるのは
英語に一定の透明性・客観性が備わっているから。
ワープロソフトは英語文章の確かな修正機能を供給できても
日本語文章の修正については同じ信頼を得ることができない。
なぜなら日本語の意味体系は客観的な視点にたいしていささか閉じたものであるから。
英語から日本語への自動翻訳の結果は不自然な文体であれこそ実用できるものが多いのにたいして、
日本語から英語への自動翻訳の結果は支離滅裂でひどいものが多い。
173 :
162 :2007/04/14(土) 05:55:33
>>168 >> 実際には日本語の文の多くは「それ自体」では完結せずに談話法的省略規則という、文そのものとは別な「外部の情報」を必要とするわけ。
>文はもともとそれ自体で完結するものではなく、常に談話の中で用いられるから、何ら問題はない。
残念ながら言語の舞台はそれよりも広範であるのだった。
>>171 > すなわち、日本語の sentence の理解は discouse に依存する。
Sentence の理解が discourse に依存しない言語はない。
英語 "Give it to me." の "it" が何を指しているかは、discourse を参照しなければわからない。
> discouse の外、つまり純粋な sentence そのものとしての日本語文には必ずしも客観的な合理性・命題性が認められるとはかぎらない。
Sentence は常に discourse の中にある。Discourse から切り離された sentence は無意味であり、それについて論じる価値はない。
Discourse による情報が乏しい場合、日本語文でも談話法的省略規則は適用されない。結局、日本語文には必ず客観的な合理性・命題性が認められる。
>>172 > コンピュータは客観的な読み手の代名詞みたいなもの。
> コンピュータは命題論理の上に成り立っており、
> 命題論理は普遍的・客観的なものである。
命題論理は普遍的・客観的だが、命題論理の表し方は言語ごとに異なる。
日本語の文法をプログラムしなければ、コンピュータは日本語の命題論理を読み解けない。
高度な文法記述が日本語では遅れているという問題は確かにあるが、それは文法学者の責任であって、日本語自体の責任ではない。
> なぜなら日本語の意味体系は客観的な視点にたいしていささか閉じたものであるから。
閉じた所はいささかもない。
>>173 > 残念ながら言語の舞台はそれよりも広範であるのだった。
人間の言語の舞台は discourse のそとにはない。君の妄想。
お前らが日本語の特徴だと思っていることの95%は、 実は言語全般に普遍的に言えることである。
177 :
171 :2007/04/14(土) 19:37:21
>>174 >> すなわち、日本語の sentence の理解は discouse に依存する。
>Sentence の理解が discourse に依存しない言語はない。
>英語 "Give it to me." の "it" が何を指しているかは、discourse を参照しなければわからない。
おっと、それは違うぞ。
Sentence の理解は「語訳」のことではない。
Sentence の理解というのは、たとえば "give" が文中の他の語とどのような構文関係を結んでいるのかを把握することに始まる認識のことだ。
論理上補語も客語も必要とするはずの「くれる」という動詞にもとづく「くれよ。」が単体で振る舞う sentence は可能な構文関係をそもそも有しておらず、
discourse への参照による具体的な語訳以前にまずこの sentence の論理的実体が完成していない。
discourse からの参照の受け皿(「それ」などの代名詞)となるものも「くれよ。」の中には出揃っていない。
一方の "Give it to me." は、ここでの "give" の意味が成立するうえで必要な "it" (客語)および "to me" (補語)との論理関係が提出されている。
したがってこの sentence を理解することに障害は無く、また、discourse からの参照を万全に待機しているものである。
ちなみに「行け!」といった sentence は、「くれよ。」が抱えているような構文上の不透明性は無い。
なぜなら「行く」の意味は「くれる」のそれとは異なる論理にもとづいているからだ(早い話、自動詞と他動詞の論理的相違のことだ)。
そのあたりの機敏を日本人は伝統的に看過してきた。
それによって日本語ではいくつかの不合理な表現が定着するようになった。
178 :
171 :2007/04/14(土) 20:56:43
>>174 >Sentence は常に discourse の中にある。Discourse から切り離された sentence は無意味であり、それについて論じる価値はない。
それはごく日本語話者的な考えだと言える。
実のところ、sentence は本質的にそれ単体で意味を持ちうるものであり、論じられる価値がそこにはある。
それを否定してしまえば、論文における topic sentence や 政治言説全般における proposition が提供するはずの普遍的効力をも無視することになる。
Sentence の普遍性や客観性について日本人が特に意識することがなかったのは言葉というものがことごとく日本社会というしごく閉じた文化環境の内で用いるものであったからだ。
それによって日本語では sentence が大方 discourse に従属・依存するということになった。
179 :
171 :2007/04/14(土) 21:01:41
>>174 >Discourse による情報が乏しい場合、日本語文でも談話法的省略規則は適用されない。結局、日本語文には必ず客観的な合理性・命題性が認められる。
つまり構文要素が省略されている日本語文には必ずしも客観的な合理性・命題性は認められない。
「犬が食べられない。」という日本語文についてごく客観的に考えてみよう。
可能な構文形態が幾通りかある―
「(あなたは/私は/彼女は...)犬が食べられない」
「犬が(餌を)食べられない」
「犬が(トラによって)食べられない」
それぞれの文において「犬が」は客語、能動、受動、というふうに異なった役割を担っている。
ひとたび discourse を離れると日本語文の論理構造はこうして多義化する。
あなたの言うように、discourse から切り離された日本語文の多くは不合理であるがゆえに無意味である。
一方で、"The dog cannot eat." や "We cannot eat dogs." や "The dogs cannot be eaten by tigers." といったものはその限りではない。
英語を始めとする西洋語の sentence は、discourse を離れてもできるだけ特定の論理を一貫して喚起・提出するように発達してきた。
ところで discourse による情報が乏しくても日本人は習慣的に構文要素を省略するものであって、
談話法的省略規則はあなたが言っているよりももっと広く適用されているのが現実である。
そしてスペイン語やポーランド語と違って日本語の文はそのような省略による論理の消失を免れることがなかなかできない。
省略しなければいいのだが、我々日本人はたとえ discourse による情報が乏しくても平然と曖昧な sentence を交換し合うものなのだ。
180 :
172 :2007/04/14(土) 22:06:26
>>175 >日本語の文法をプログラムしなければ、コンピュータは日本語の命題論理を読み解けない。
>高度な文法記述が日本語では遅れているという問題は確かにあるが、それは文法学者の責任であって、日本語自体の責任ではない。
先日誰かが挙げた、日本語でコマンドを指示する Mind というプログラム言語があるが、
あれは語順こそ日本語のそれに倣ってはいながらも、
たとえばスペースによる単語や助詞の切り離しは本来の日本語には無いものだ。
たしかにスペース無しでは日本語は文中の語それぞれの意味的範囲を客観的に明示することがない。
漢字・平仮名・片仮名といった字面の違いによって我々は単語と単語をそれとなく読み分けてはいるものの、
書き手の主観にしたがって同じ言葉がある文では漢字で書かれ又ある文ではひらがなやカタカナで書かれていたりするわけで、
そこには客観的な合理性が無い。
また、「てい」と読む「体」と「からだ」と読む「体」がある。
これらの違いを示すうえで我々はフリガナというものを使うが、
これは一貫した文法的処方とは称しがたく、あくまで元来が多義的である言葉に付け加えたりしなかったりする註解みたいなものである。
日本語は「書き」のレベルと「読み」のレベルとで寸断されているところがあり、
比喩表現や詩的表現以外のふつうの表現であっても
「書かれてある言葉」(非主観的な情報)は「読まれる言葉」(非客観的な認識対象)となるまで多義的である、
ということがごく普通にある。
客観的な視点を重視するところでは日本語をそのままのかたちで用いると問題があるのだ、ということ。
この点から日本語自体が本来的な不合理性を抱えているのだという事実を認めることは難しくないはずだ。
181 :
173 :2007/04/14(土) 23:25:40
>>175 >> 残念ながら言語の舞台はそれよりも広範であるのだった。
>人間の言語の舞台は discourse のそとにはない。君の妄想。
おっと、先立つ
>>168 であなたが言ったのは
「談話の中」にだけ sentence は存在する
ということだ。
これすなわち談話の外に置けば sentence は舞台から落ちて消失するのだと主張することに等しい。
するとだが、
現在は談話の外にあっても後に登場する(聞かれる・読まれる) sentence はいったいどこからやって来るのだ、ということになる。
本や契約書や広告など、既に書かれてはいても未だ読み手との間に discourse を発生させていない未読の sentence が有する、書き手によって予め与えられている命題性・論理性は、
discourse の外には無くていったいどこにあるのだ、ということになる。
おそらくあなたは「人間の意思疎通の舞台は discourse のそとにはない」ということを言い誤っているのだろう。
それは正しい。
しかし問題となっているのは意思疎通が執行されるところの場ではなくて言語が根本的に由緒するところの場なのだ。
Sentence は sentence として独自に存在し、その文法的構造にもとづく論理を自律的に形成することが本質として可能な文字列である。
根源的な種を有しているのが sentence なのであって、discourse はあくまで種が咲き開くところの鉢なのだ。
このあたりの因果関係が日本語において変容しているのは、日本人の特有民族的な気質にもとづくイディオマティックな影響によるものだ。
我々日本人の価値観は伝統的に個人主義の対極にあり、「個が浮く」という現象を忌避してきた。
その心理的条件は対話における発話形態をも支配する強いもので、命題の個的性質・確定性質にたいする抵抗的な仕掛が日本語に定着することとなった。
Sentence の本質的な論理性よりも discourse における解釈過程を重視することで「ああも採れればこうも採れる」という一種の「命題の脱出口」を日本語話者は持つことになった。
これによって対話における個人と個人の意見の相違や自分の発言の誤りそのものにたいするある程度の緩和や歪曲が日本語では図られるようになったわけ。
良く言えば和の実現に貢献し、悪く言えば対話における真理値を損ねる。
Sentence にたいする日本人の意識の低さはそこに由来する。
182 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/04/14(土) 23:31:10
>>176 >お前らが日本語の特徴だと思っていることの95%は、
>実は言語全般に普遍的に言えることである。
「お前ら」が日本語の特徴だと思っていることの例であるとお前が思っていることとしてどんなことがあるのか挙げてくれるか。
>>177 > 論理上補語も客語も必要とするはずの「くれる」という動詞にもとづく「くれよ。」が単体で振る舞う sentence は可能な構文関係をそもそも有しておらず
「くれよ。」は discourse の中にあり、単体で振る舞っていない。
談話と構文との関係が日本語と英語とでは違うけれども、英語文も談話に依存していることは変わらない。
>>178 > 実のところ、sentence は本質的にそれ単体で意味を持ちうるものであり、論じられる価値がそこにはある。
「実のところ」ではなく「君の妄想では」。Sentence は本質的に単体では意味を持ちえず、discourse から切り離して論じる価値はない。
> それを否定してしまえば、論文における topic sentence や 政治言説全般における proposition が提供するはずの普遍的効力をも無視することになる。
「論文」「政治言説」という discourse の中でのみ、topic sentence も proposition も効力を持ちうる。
Discourse から離れた普遍的効力というものは存在しない。
>>179 > つまり構文要素が省略されている日本語文には必ずしも客観的な合理性・命題性は認められない。
構文要素が省略されているということは、省略を可能にする談話からの情報があるということ。
談話における日本語文には必ず客観的な合理性・命題性が認められる。談話から文を切り離すことはできない。
君はできないことをやろうとして、くどくどと文句を言っているにすぎない。
>>180 それは、日本語に正書法がないという表記上の問題だ。
世界にはいろいろなタイプの言語があるが、不合理な言語というものはない。
Every language is beautiful and perfect.
187 :
172 :2007/04/15(日) 00:05:27
>>175 >> なぜなら日本語の意味体系は客観的な視点にたいしていささか閉じたものであるから。
>閉じた所はいささかもない。
「教えられる」という言葉の意味について客観的な視点は複数の選択肢に出くわす―
"can teach" (可能)なのか
"be taught" (受動)なのか
"teach" (能動、尊敬)なのか・・・
そこで文脈が必要となってくる。
日本語の言葉の意味はそれが発生するうえで自身の文字列という客観的な情報以外に
それを含む文やはたまた段落が全体としてどのような流れを持っているのかを外部の読み手が主観となって判別することを要する。
そのせいで、たとえばコンピュータが日本語の文を理解するように仕立て上げるには
「こういう省略の場合はこの言葉はこういう品詞であって・・・」という無数の慣例をインプットしておかなければいけない。
つまり日本語文の意味というのは必ずしも自動的には振る舞えない。
自らの文字列のみでは解釈を限定することすなわち明確な命題を打ち出すことができず、慣例的な情報(談話法的省略規則)を必要とするから、自律的ではない。
それ自体で自律的となって一定の合理性と論理性を発揮することができないということは、
その文意構造がどの条件においても一貫して等しく読まれるがごとく開かれたものではないということ。
つまり日本語の意味体系は主観的な解釈なしには機能しにくい閉じたものである、ということ。
>>181 > 本や契約書や広告など、既に書かれてはいても未だ読み手との間に discourse を発生させていない未読の sentence が有する、書き手によって予め与えられている命題性・論理性は、
> discourse の外には無くていったいどこにあるのだ、ということになる。
書き手自身が読み手になり代わって形成した仮想の discourse の中に、その sentence は置かれている。Sentence はどこまでも discourse の中にしかない。
のちに実際の読み手が現れて、仮想したものとは異なる discourse を形成すると、正に sentence は舞台から転落して、客観的な合理性・命題性を失う。すなわち、読み手の誤解や、意味不明とする反応が発生する。
そんなことは日常茶飯事だろう。
>>187 談話法的省略規則は客観的なものだから、談話の中に置かれているかぎり、日本語文の意味が客観的な視点に対して閉じているということはありえない。
"You must be a gentleman." という英語文は、"I suppose you are a gentleman." と言いたいのか、それとも "Be a gentleman." と言いたいのか、文脈を参照しなければわからない。
常に自身の文字列だけで解釈できる言語は存在しない。
190 :
177 :2007/04/15(日) 00:53:56
>>183 >> 論理上補語も客語も必要とするはずの「くれる」という動詞にもとづく「くれよ。」が単体で振る舞う sentence は可能な構文関係をそもそも有しておらず
>「くれよ。」は discourse の中にあり、単体で振る舞っていない。
あなたはどうしても discourse が発生する以前の段階で既に存在している sentence の実体を認識できないようだ。
Discourse があるから sentence が生まれるのではなく、sentence が作られるから discourse が副次的に発生しうるのだということをまず知っておかなければいけない。
ここで、たとえば英語においては sentence は discourse の発生に先立って既にその文字列と共に一定の命題性を形成しているのにたいして、
日本語においては sentence は discourse が起こるまで(すなわち誰かがそれを主観的に解してくれるまで)意味合をみずから限定できない多義的なものとしてある。
"The blessing of health cannot be appreciated till it is lost."という英文は人に読まれる以前の段階で明確な命題として完結しているが、
「健康の恩恵はこれを失ってはじめてありがたさがわかる。」という日本語文はその意味合を誰かによって限定的に認識されないかぎり多義的で曖昧な文字列として残る。
(この日本語文は文法的に
1. "The blessing of health can appreciates the thankfulness by loosing it." という意味と
2. "(We) can appreciate the blessing of health by loosing it." という意味とで論理的に重複している。
この論理的重複は、主観者の解釈のフィルターによって1を排除され2を採ってもらうことで解決する。
このように英文と違って自ら完結してはいない表現が sentence として定着しているのが日本語である。
こういった日本語の事情からあなたは「Discourse なしには sentence はありえない」という考えを抱くに至っているわけだが、
それは sentence の本質が変容することとなった言語に特有の傾向なのだ。
191 :
177 :2007/04/15(日) 00:57:42
>>183 >談話と構文との関係が日本語と英語とでは違うけれども、英語文も談話に依存していることは変わらない。
>>190 でも述べたように、
「健康の恩恵はこれを失ってはじめてありがたさがわかる。」の多義性の解決が談話に依存しているのにたいして、
"The blessing of health cannot be appreciated till it is lost." は談話への依存はおろか多義性そのものが無い。
192 :
178 :2007/04/15(日) 01:57:00
>>184 >> 実のところ、sentence は本質的にそれ単体で意味を持ちうるものであり、論じられる価値がそこにはある。
>「実のところ」ではなく「君の妄想では」。Sentence は本質的に単体では意味を持ちえず、discourse から切り離して論じる価値はない。
Sentence (文)と proposition (命題)が同義であることをあなたは知っているのだろうか?
"Kawabata Yasunari committed suicide." と
"Three plus two equals five. / 3+2=5" は
共に proposition として同等の命題効力を有するわけ。
で、はたして "Three plus two equals five. / 3+2=5" は discourse から切り離されれば「無意味」となってしまうような代物なのだろうか。
ちがうね。
Proposition すなわち sentence というのは discourse から乖離していても一貫して同じ真理値を有する、論じられる価値のあるものなのだ。
裁判における「宣告」を英語では "sentence" という。なぜか?
まぎれもない一つの proposition であるからだ。
はたして、ある者について告げられた死刑宣告の真理値は、その宣告文にまつわる discourse が起きていない間にかぎって消えてしまう幻聴のようなものだろうか。
ちがうね。
(英語圏において)詔書に記述されている当の sentence はたとえ読み手との間に discourse を取り結ばなくともそれ自体で命題として完結するべく記述されるものなのだ。
それとも裁判の判決文までもが文脈や談話法的解釈に従属するべきものなのか?
そのような習慣は日本語にはあっても西洋語ではタブーである。
193 :
178 :2007/04/15(日) 02:49:31
>>184 >> それを否定してしまえば、論文における topic sentence や 政治言説全般における proposition が提供するはずの普遍的効力をも無視することになる。
>「論文」「政治言説」という discourse の中でのみ、topic sentence も proposition も効力を持ちうる。
>Discourse から離れた普遍的効力というものは存在しない。
Discourse というのは sentence からなる集合体が提示しうる文脈的意味合を一つの抽象概念として捉えたもの。
Sentence の上位にあるぶんだけ discourse が喚起できる意味合は言葉の変数的な要素に左右されやすい。
「湿気を含んだ草の上、寝ぼけ眼で朝の体操をした。冷ややかな夜の大気の名残り。
しかし背後から昇る太陽が肩先に暖を与える。
身体をほぐしたあとはひと泳ぎ。小さな湖にいたる埃にまみれた小道を駆け抜ける。」
この一つの discourse は、それを構成する sentence 群がめいめいに有する変数的要素の影響を受けるものである。
この影響を退けて discourse の論理(そういったものがあればの話)が sentence の論理に勝る普遍的効力を有することはない。
上記の90字からなる discourse の全体は、
「身体をほぐしたあとはひと泳ぎ。」という sentence よりも遥かに不透明である。
その点を言っておく。
で、たとえば
"Most of us fancy the suspense which we experience from ghost stories." という topic sentence は、
それを含んで論文として仕立て上げているところの discourse を離れても寸分違わない命題の普遍的効力を有する。
この文字列を記した紙切を150億光年遠くの誰もいない宇宙空間に放り投げても、
そこに並んでいる言葉同士が現代英語として取り結んでいる命題性はなんら変化しない。
>>190 > あなたはどうしても discourse が発生する以前の段階で既に存在している sentence の実体を認識できないようだ。
そんなもの認識するつもりはない。Sentence は discourse の中でしか意味をなさないという普遍的事実があるのみ。
>>191 > 「健康の恩恵はこれを失ってはじめてありがたさがわかる。」の多義性の解決が談話に依存しているのにたいして
この文に限っていえば、解釈が談話に依存する点はなく、多義ではない。
その程度の日本語力では話にならない。
>>192 > Sentence (文)と proposition (命題)が同義であることをあなたは知っているのだろうか?
同義ではない。命題は事実しか述べないが、文には推量、意志、希求といった叙法もある。疑ったり尋ねたり、同意を求めたりすることもできる。
> Kawabata Yasunari committed suicide.
この sentence の意味するところは紛れもない事実だ。しかし、discourse を無視して君がこの sentence を発するならば、discourse における sentence の意味はない。
君は事実を述べた人ではなく、少しオカシイ人と見なされるだろう。
> はたして "Three plus two equals five. / 3+2=5" は discourse から切り離されれば「無意味」となってしまうような代物なのだろうか。
もちろん無意味となる。虚空に向かって Three plus two equals five! と叫んでごらんよ w
> はたして、ある者について告げられた死刑宣告の真理値は、その宣告文にまつわる discourse が起きていない間にかぎって消えてしまう幻聴のようなものだろうか。
もちろんそういうものだ。その者が判決文を読み直すたびに同じ discourse が起こる限りにおいて、それは真理なのだ。
国家権力が消失すれば discourse は変容し、判決は無効になってしまう。
> (英語圏において)詔書に記述されている当の sentence はたとえ読み手との間に discourse を取り結ばなくともそれ自体で命題として完結するべく記述されるものなのだ。
> それとも裁判の判決文までもが文脈や談話法的解釈に従属するべきものなのか?
> そのような習慣は日本語にはあっても西洋語ではタブーである。
日本語でも、できるだけ文脈に頼らない書き方をするだろうが、完全にというのは到底無理。
そして、それは英語の場合も同じだろう。
196 :
179 :2007/04/15(日) 04:02:30
>>185 >>構文要素が省略されている日本語文には必ずしも客観的な合理性・命題性は認められない。
>構文要素が省略されているということは、省略を可能にする談話からの情報があるということ。
だからどうしてあなたは
談話からの外部情報によって修復される以前の純粋な sentence としての日本語文の姿を考察することができないのか。
次のような日本語文がある―
「ジェミニ計画はアメリカの宇宙開発競争への復帰宣言だった。
重量が4トンもあったため、地球を回る軌道に乗せるにはタイタンII型というロケットが必要だった。」
これについてまず「アメリカの・宇宙開発競争への復帰宣言」と「アメリカの宇宙開発競争への・復帰宣言」という文法的重複、
それから「重量」の主体が(談話からの情報をもってしても)不明であること、
といった点をまず初歩的な客観的事実事項として捉えておくのは難しくはないはずだ。
このような日本語文を我々日本人は主観のレベルにおいて談話からの情報を参照しながら意味を推測するのだ
という過程はその次に考えることであろう。
あなたはどうも客観のレベルにある「書かれた言葉」と主観のレベルにある「読まれた言葉」とを適切に考え分けることができていないようだ。
あなたはいつも「読まれた言葉」から始まって
「談話からの情報をもってすれば日本語文にそれなりの解釈を加えることはできるのだから日本語は不合理ではない」という議論をしている。
ちょうど、トイレットペーパーに向かって
「ペンをもってすればこれにそれなりの絵を描くことはできるのだからこれはキャンバスであってトイレットペーパーではない」と言うようなもんだ。
日本語の表現はおおかた不合理的な状態を基本とする。それだから談話からの情報による補足が必要となりやすい。
西洋語の表現はおおかた合理的な状態を基本とする。それだから談話の情報による補足が日本語よりも必要となりにくい。
要はケジメをもった潔い認識である。
自分の母語であるからといってこれを欠陥無き万全な言語であると妄信してはいけない。
英語だって完璧な言語なんかではないのだから。
197 :
180 :2007/04/15(日) 04:26:51
>>186 >世界にはいろいろなタイプの言語があるが、不合理な言語というものはない。
>Every language is beautiful and perfect.
俺もそう信じ続けていたかったのだが、残念ながら
或る言語が合理的であるかないかということと
或る言語が機能するものであるかないかということとは
違うのであった。
「歯に衣着せぬ」や「濡れ手で粟」は、sentence として不合理ではありながらも言語としては機能する。
このあたりを見抜いてほしい。
不合理な sentence でもコミュニケーションを成立させることはできる。
「orz」、こんな sentence をもってしても意思の疎通は可能なのである。
日本語は一般に不合理的であり、それゆえの美しさがある。
英語は一般に合理的であり、それゆえの美しさがある。
このあたりを見抜いてほしい。
「くれよ」なんていうか? 俺は「これもらっていい?」っていう。 英語でGive it to meしかいい方ないか? 「手にとって目で合図」から始まって いろいろ段階があるだろう。 1の前提とする 「日本語以外は合理的な言語」 のほうが納得しがたいね。
199 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/04/15(日) 11:31:16
日本語不合理論を振りかざすのはたいてい 外国語の知識の貧弱な厨房 もちろん日本語の知識も不完全で未整理 文学作品の鑑賞だけで終わってる国語教育が馬鹿を増やす てめえの馬鹿を日本語のせいにするなっての
200 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/04/15(日) 19:28:08
>>199 逆もまた然り。
「あれ」とか「これ」で曖昧に済ませられるのが日本語のいいところだよねー
とか言ってる奴がいた。
視覚情報があれば位置代名詞で通じるなんて
どの言語にも普遍的に言えることだっつーの。
案の定、国語も英語も大嫌いとか言ってた。
202 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/04/15(日) 20:07:24
>>193 > 上記の90字からなる discourse の全体は、
> 「身体をほぐしたあとはひと泳ぎ。」という sentence よりも遥かに不透明である。
この sentence は discource の中で不透明。談話法規則を守っていない。
> この文字列を記した紙切を150億光年遠くの誰もいない宇宙空間に放り投げても、
> そこに並んでいる言葉同士が現代英語として取り結んでいる命題性はなんら変化しない。
そこには読み手がいないから、命題性は存在しない。
>>196 > だからどうしてあなたは
> 談話からの外部情報によって修復される以前の純粋な sentence としての日本語文の姿を考察することができないのか。
談話からの情報が少ない場合の言い方はあるが、「純粋な姿」というものはそもそも存在しないので、考察のしようがない。
> 「ジェミニ計画はアメリカの宇宙開発競争への復帰宣言だった。
> 重量が4トンもあったため、地球を回る軌道に乗せるにはタイタンII型というロケットが必要だった。」
> これについてまず「アメリカの・宇宙開発競争への復帰宣言」と「アメリカの宇宙開発競争への・復帰宣言」という文法的重複
前者の解釈しかない。この場合、談話からの情報も特に必要ない。
「復帰宣言」は動名詞なので、意味上の動作主を指す要素が求められる。動作主は人格をもっていなければならない。
そこを「アメリカ」が補って終わり。
> それから「重量」の主体が(談話からの情報をもってしても)不明であること
この文章の書き手が下手糞なだけで、日本語には何の責任もない。
> このような日本語文を我々日本人は主観のレベルにおいて談話からの情報を参照しながら意味を推測するのだ
「主観のレベル」というのは君の創作だろう。談話法規則は客観的なものだ。
> 「談話からの情報をもってすれば日本語文にそれなりの解釈を加えることはできるのだから日本語は不合理ではない」という議論をしている。
「それなりの解釈」ではなく、言語に望みうる最も厳密な解釈を与えることができる。
曖昧になるとすれば、話者 (書き手) が下手か、聞き手 (読み手) が君のように日本語力が低いか、
あるいは、もともと言語では表せないことを言おうとしているかのどれかだ。
205 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/04/17(火) 03:08:29
数学屋の俺にとっては、日本語の数学の論文は読みにくいと感じる。
206 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/04/17(火) 04:38:15
理系は基本的に文章がヘタクソだからしょうがない。
とびげり 鳶の蹴りとも飛んでくる下痢ともとれる
なんだ、結局
>>146 はただの英語信者じゃんw
IDも出ない過疎板で必死すぎてワロタ
ま、英語がすばらしいというなら、日本語の他に英語もやりゃいいだけだよな。 どっちかが勝ちでどっちかが負けじゃないと気が済まないような、 ステレオタイプな思考しかできない奴って可哀想。
210 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/05/27(日) 13:54:38 0
>>1 「あした公園へ行く約束をします。」
これは、アシタ公園へ行く約束をします、ということでしょ。
アシタ公園という公園へ行く約束をするんでしょ。ね。
211 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/05/27(日) 14:48:23 0
励ましのつもりで言ったのに誤解された ,......._ /  ̄``ー-、 ,l´ ヽ 不二家はホントもう見苦しいね / ,r---、.....r‐'´``ヽ、 !、 食に関する危機管理能力があったもんじゃない l / ___ ! ! こんな会社はね。いいかげん廃業してもらいたいですよ l l ー‐‐ _,,,,,,,.. ミ l l ,! '"''''''ヽ ! ´r____ 、 l ,/`i いいですか!皆さん。 ヽ!. '‐tr‐,! ' `´` , l!ヽ ! 全国放送で、もういちど言いますよ `! ー'´, 、 , ' lr'/ はっきりいいます ヽ ,!-.....-,!ヽ、 l'´ ! _______,...._ ./ 「不二家には廃業してもらいたい」 ヽ '´ ー‐‐' `ー ' ,!、 `!、 、___,. ,.. _,ィ´ .ヽ、 __,.....-‐‐'/´ !ヽ、___,..-'´ / !` ー、..._ ,.-‐'"´ / ! r'___l / l ` ー-、_ / ! く l,.!、__/!/ .,! , `ヽ、
朝ズバで不適切な発言があったとかのニュースを見たけど そんなこと言ってたのか
へたくそな作文のツケを言語にまわそうとするんじゃあない(笑
214 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/05/27(日) 23:21:49 0
>>212 別に当然なことを言ったからいいんじゃない?
____ __,,/ _, ----`ヽ :. :. / _ ___ 、\ / / i \ \\ :. :. ,'./ i ヽ:. ヽ:.:.. ヽ.ヽ ,'/ / .ハ ヽ ヽ:.:.:.:. ヽ::.. ヽヽ :. な… :. |i .i i .i / ヽ ト 、 \、:.:.:. ',:.',:.:.lヽ} なんなんですか? |i .i l :N_, -弋 \弌弋ナ:}:.:} ここ、どこですか? :.|i∧ ', :{ ,ィjモト \ イjミトイイV :. なんであたし .| :メヽ.', `ozZ} izN。ハ::{ 全裸なんですか? :.| :ヾ_! ゝ "゙゙ ' `゙ ハ.:', :. | :.:_イ .:.ヽ. (二フ , イ :.:.:!:.ヽ :. / rィイ | :.:.ヽ: >r/`<ノ .:.::.}ヽ、\:. / ∧l;l ! :.:.:.://{二 ̄ .} ..:..::リ \.:\ :. / . / ヽi .:.:.{ /(^` |.:.:.:./ }: . ヽ.:. / / } ヽ:.ハ ヤ{ !.:./ |:.:. i ' ./ .,イ .:..} / l ! レ l:.:.: .ハ ', { /| .:.:ハ / l i i /:.:.:/ }:.} V | .:.:/:.: ', / iノ :i ! /:.:i.:{ リ ヽ:.:{、.:.:.l | | |. /:.::∧| ヽ! )人 | ! / \! :. " ヽ / { / \ :. :. \__/ \______/ ヽ / b ', :. / ; / \ / ! / \災/ !
全身描かれていないため、残念ですが回答できません。 あしからず、ご了承ください。
217 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/06/21(木) 21:46:37 0
>>93 が言うように、英語でも曖昧な表現はあるよね。
さらに中国語でも、「明天 我 約会 去 公園」という表現があるから曖昧な表現というのはある。
逆に日本語で「公園へ明日行く約束をします」や「公園へ行く約束を明日します」とも表現できて
この場合は「明日」が修飾する語が明確になる。
英語でもpromiseが節をとれば明確な表現もできる。
>>1 はただ単に日本語で曖昧な表現を見せて、それで日本語が不合理だとかいう寝言を言ってるだけ。
そうそう。要するに始めに結論ありきで無理矢理実例をでっちあげただけ。 故意に日本語を貶めたくて仕方がない。 端的に言ってコンプレックスの歪んだ発露。
219 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2007/06/21(木) 23:27:29 0
>>1 これぐらいであいまいなんていってたら
漢文なんて読めたもんじゃないだろ
読まないからどうでもいいよ
>>1 が「あいまい」自体を定義してないんだから議論しようがない。
じゃ、終わりだね。 終 了 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
223 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2008/09/23(火) 01:58:18 0
再開スタート〜
「日本語は不合理なところが多い」という一文でなぜ人はこのように反発するのか。 論理学的に言えば「日本語∈自然言語」なので 自然言語は不合理なところが多い が真ならば 日本語は不合理なところが多い も真になるはずである そして「自然言語は不合理なところが多い」に反発する人はそれほど多くないと思われる しかし、自然言語には「ある事象に言及する場合他の事象を否定する」という法則があるような気がする。 無駄なことを言って経済性を損ねることを嫌うのだろう。 この法則に従うと、「日本語以外の自然言語は不合理なところが少ない」と裏で言及しているように思えて、反発が多いのも納得がいく。 私はこの法則が実際の言語運用において成り立っているかどうか確かめるため、 先週土曜、妻に「たまってる洗濯物片付けないと日曜遊びに連れて行かないぞ」と言及した。 その結果、妻は土曜の夜中から日曜朝にかけて洗濯物をあらかた干したが、日曜の朝疲れていた私は 「たまっている洗濯物を片付けたら遊びにつれてくなんていわなかったじゃん」と再び言及した。 その結果今日まで夜の夫婦生活はない。 このように、最低我々夫婦の間では自然言語の運用場面で「ある事象に言及する場合他の事象を否定する」という法則が存在することが明らかになったが、 この事象を議論するための言語学の用語は「意味論」でいいのか「語用論」でいいのかが 目下の私の一番の興味だ。 あとお勧めのおかず教えて
さっさと謝れヴォケ
226 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2008/10/05(日) 12:34:56 0
ですよねー 清純派AV女優とか、AV出てる時点で清純じゃねーだろ! って思います
>>224 グライスの四公理で十分説明できるんじゃない?
「たまってる洗濯物片付けないと日曜遊びに連れて行かないぞ」は論理的には
片付けない→連れて行かない
片付ける→不明
ということだが、語用論的には、片付ける→連れて行くとするのが自然だ。
それが極めて一般的な選択であるから。そうでないなら予め伝えるべきである。
グライスの量の公理: 情報は過不足なく適量にする。
228 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2008/12/11(木) 05:38:23 0
ところで
>>223 は同じ事を二回言ったのかな。
それとも「再開」動作をスタートしたのか(つまり「再開」完了してないのか)よくわからない
229 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2008/12/11(木) 16:52:33 0
kunyomi tumari kanzi wo nihongo yomini sita koto da. ikken rikousou daga, korega ayamatino hazimari da. kanzino kunyomiwo yameru-beki dane.
230 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2008/12/11(木) 23:53:25 0
そうだ。 人生、曖昧。政治も曖昧。日本語も曖昧。英語も曖昧。
231 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2009/01/03(土) 13:38:30 0
akemasite o'medetou kotosi mo yorosiku
232 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2009/01/03(土) 17:14:58 0
akemasite o'medeto^kotosimo yorosiku
233 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2009/01/05(月) 19:43:44 0
日本語は下等な言語
234 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2009/01/06(火) 00:20:53 0
日本語は幼稚な言語。主語を省略するのは幼児語の特徴。
判ってる内容は繰り返さなくてイインダヨ
236 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2009/01/06(火) 00:49:13 0
自明なことを繰り返し言うのはヨーロッパ的合理主義なのか?
主語を省略する習慣もつのは世界中の大部分の言語がそうなんだけどな。 主語を必須とするのはゲルマン系言語とそれと密接なかかわりを持つフランス語ぐらい。 そんなことも知らんのか。
238 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2009/01/06(火) 23:50:52 0
>>237 それは厳密な意味での主語の省略ではない。
動詞の形態によって主語が表現されているから、重複を避けているだけであって、省略ではない。
しかし日本語の場合は、主語は完全に省略されている。
書き言葉における主語の省略は、実はかなり明確な規則に従って行われる。 話し言葉の場合はもっと自由だが、主語が不明なら「何 (だれ) が?」ときき返せばよい。 結局、幼児語的曖昧さは日本語に認められない。
240 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2009/01/07(水) 00:14:04 0
>>238 >それは厳密な意味での主語の省略ではない。
「それ」は「世界中の大部分の言語」のこと?
例えば英語でも日本語でも、時間や場所を表す節は言わない事が多いが、
これは省略しているというのだろうか?
普通これを省略とは言わないだろうが、
日本語での主語も同様に、省略されているのではなく、
単に必須要素ではないだけなのではないか?
>>238 人称表示のない言語でも主語省略されますが。
それに日本語は敬語がある程度人称マーカーとしての機能営んでるので
正則でしゃべる限り、主語の重複を避けるというその理屈そのままあてはまることになりますが。
意思疎通が困難な環境だと、ルールが明確でないと齟齬が生ずる けれどねえ。馬鹿でもわかるようにするためにごちゃごちゃ…(笑 主語の省略、って概念自体が洋物だし。 自然言語はその言語自体で完結してりゃいいわけで。 日本語は日本の標準的な言語です、って前提に立つと>1の 言説は無意味。
>>241 > 人称表示のない言語でも主語省略されますが。
しかし大多数の言語において主語が省略されるのは人称表示がある場合。
完全に主語が省略されてしまう日本語のような言語はむしろ珍しいのでは?
英語でも幼児は主語を省略する傾向がある。しかしそれは幼児期だけのもの。
「大多数」かどうかは怪しいだろう。 むしろインドネシア語なんかの主題優勢言語では「主語無し文」は珍しくないんじゃないか。 モンゴル語でも「主語省略」はある。どちらも動詞に人称接辞がついてるわけじゃないだろ。
>>243 そんなことはない。朝鮮語やモンゴル語。孤立語で活用が存在しない中国語にすら存在する。
主語の必要的配置は印欧語においてもゲルマン系諸語を中心とするごく少数の言語に存在するにすぎん。
逆にどういう言語念頭においてるのか聞きたいくらいだ。
そもそも日本語は敬語の使用で人称表示がある程度可能(敬語の衰退により主語の結びつきが強くなる過程に
ある可能性はある)。屈折により人称を表示する言語においても時制や活用次第で人称が必ずしも明確でない
場合があることを考慮するなら、日本語の人称表示機能と大して差はないといっていいだろう。
というより形式主語を必須とする言語の場合でさえ、正確な主語が何を指すのか不明瞭なことはあることを考える
なら、日常会話における主語の重要性がどれほどのものかということになるわな。
実際、主語概念というのは中世の西欧文法学に至ってじめて成立したもので文法学が盛んな古代ギリシア・ローマ、
アラビア、サスクリットなどですら存在しないものだった。
結局のところ、主語の省略を特殊視するのは、無教養が英語等の(ありもしない)権威を盾にした妄想ということ。
まさに幼児並みだわな。
どうせ
>>243 みたいなのは、
「英語、ドイツ語、フランス語、イタリア語、スペイン語、…ほら、こんなにいっぱいある!」みたいな状態なんだろ。
控えめに考えても西欧諸語しか考えていない。
朝鮮語やモンゴル語やトルコ語やタイ語やタミル語やヒンディー語やアラビア語やロシア語やバスク語やスワヒリ語を
念頭においているとはとても思えない。
「大多数」とかいうなら、少なくとも2桁の言語の事情を知っているんだろうな?俺は知らない。
まぁイタリア語やスペイン語も省略可能だけどね。
結局、文法面における主語必須化現象てのは印欧語の中でも
ゲルマン語派(プラスこれに強い影響を受けたフランス語)
にのみ見られるきわめて特殊な現象なんだよね。
>>243 はおそらくTVの似非文化人の受け売りでちょっと斜に構えた発言したかったんだろうw
古英語だって普通に主語を省略していたわけだが
それが不合理だから省略しないようになったんじゃないの?
不合理だから省略しないという論法が通じるなら、世界中の大多数の言語が省略しない。 英語の場合、文法が統語論に偏りすぎてるから、主語省略してしまうと文辞の形をなさなくなるだけ。 むしろ主語が意味を持たない場合にまで、形式主語を置かなくてはならないことの方がよほど不合理。
251 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2009/01/17(土) 16:45:53 0
nihongo wa wakatigaki ga dekinai noka. nihongo-bunpo^ no hubi ni yoru noka. hubenkyo^ na noka
252 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2009/01/17(土) 16:49:18 0
nobetara-gaki o site iru gengo wa sekai de donna kotoba ga aru noka, osiete hosii
なんで代名詞省略を主語に限るんだ?
日本語その他では代名詞は概ねどの位置でも省略できるが
西欧諸語その他では無理だろう。
>>245 アラビア文法学で言うfaa9ilは主語だと思うが。
254 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2009/01/17(土) 23:07:21 0
>>243 > 完全に主語が省略されてしまう日本語のような言語はむしろ珍しいのでは?
そのような偏見は現代アメリカの言語学者にもあるので、恥じることはない。
主語を落とせる言語を Pro-drop と呼んでいる。
しかし連中は知らなかったのだ、主語を絶対に落とせない言語は英仏独とその周辺にしかないことを。
アメリカの言語学者の英語中心主義はひどくないか?
疑問詞と呼べばよいのにわざわざ Wh-words なんて呼ぶし、
最近では否定語 (no, not, nothing など) を N-words なんて呼び始めた。
ドイツ語の kein やフランス語の pas はどうなるんだ。
アメリカ人に自己中心的になるなと言うのは酷と言うものだ。
そうそう。英語のまま世界中の小学生に問題集を配って、 外国人はバカが多いなんて結論したヤツらだもんw
何の調査?ソースきぼん
258 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2009/01/18(日) 01:20:26 0
他の分野での自己中心性は許せるが、 英語中心主義の言語学者というのは 人間が哺乳類の典型と思っている動物学者のようなものだ。 (英語は明らかに平均的な言語ではないということ。)
Worldを全米の意味で使う連中に何かを求める方が無駄というものだ。
>>259 つか、英語は語彙が少ないから
world一語で世界、世間、世の中、社会、地域と
日本語で言う様々な意味で使い回すからね
しかも自覚がないまま
韓国人が自己主張とワガママを区別できないようにw
残念ながら英語は世界の言語で最も語彙が多いと言われている。
フランス語やらラテン語やらその他世界中の言語(日本語も含む)から
語彙を借用しまくったからね。
>>260 のような例もあるがもちろん逆の例もある。
日常的に使う語彙の多少を 辞書に載ってる語彙の多少で言われてもなあw
英語は他の西欧圏の言語と比べても格段に語彙は多いからね。 日本人の英語習得がなかなか上手くいかないのは発音だけじゃなくこの辺にも理由があると聞いたことある。 ただ、たしかに世界的に見ても日本語も語彙は非常に多い言語なんだよね。 基礎語彙に限定すると英語と逆転する。
265 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2009/01/22(木) 04:21:09 0
>>264 辞書に載ってる語彙で比較することに何か意味があるのかね。
>>261 でいう英語語彙のうち99.8%は
英語が母語の人間が一生かかっても見かけないし、
意味もわからない単語だろ。
266 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2009/01/22(木) 10:48:33 0
えらく細かな数字を出したな。 0.2%の語数を出せ。 5k−8kかな。 出典もちゃんとつけて名。
俺様の深遠な考察によると、 その数字は正しくないな。 99.72%が妥当な線だろう。
269 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2009/03/09(月) 10:32:00 0
ドイツ文学者のエッセーで 恩師の奥様の墓碑で詩的に別れの言葉を述べて 日本語では、こんな言い方はできないと書いてあった 欧州言語の世界では教養のない人でも詩的な表現ができる人が多いからうらやましい 身分によって訛り・スラングが酷いとも言うけど
270 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2009/04/04(土) 01:36:03 0
271 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2009/04/15(水) 14:43:45 0
273 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2009/04/16(木) 08:50:44 0
>>199 >文学作品の鑑賞だけで終わってる国語教育が馬鹿を増やす
これどうにかならないのかな?
読みにしても文法から入って正確な意味を把握するとか、
書くにしても感想文じゃなくて報告書とか
274 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2009/04/16(木) 10:20:28 0
せやから義務教育の日本語教員には理系博士を当てて論文書きを取り入れよといわれる。
275 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2009/04/16(木) 14:51:40 0
>>274 せめて高校では、文法、読解、報告書作成ぐらいはやってほしい。
276 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2009/04/17(金) 02:33:43 0
277 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2009/04/17(金) 09:49:49 0
日本人向けの日本語の教科書には文芸作品を載せるな。 論(説)文と抄録だけを載せて一義的伝達の訓練だけをやれ。
278 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2009/04/17(金) 09:51:50 0
ただでさえあいまい好きで言い切りことが出来ぬ 日本人の性根をたたきなおすには日本語教育から文芸鑑賞を根絶すべし。
そもそも、言葉に不合理さがあると駄目なの? そこが遊び・面白さ・奥深さになってると思うのに 余裕の無い人が多いのかな?
言い切ったり断言すると、やたらと噛みついてくる馬鹿が出てくる それを避けるために含みを持たせると、やっぱり噛みつく馬鹿が出てくる で、前者の噛みつき方の方が異常だから、自然と発言に含みを持たせて終わるとか ちゃんとすべてを語らないで切り上げる処世術を学んでしまった と、つくづく思う今日この頃……
>>280 言葉は文化だからね
その国の特質が言葉を作っていく
本音と建前を使い分け、相手が傷付かないようにする日本だから
曖昧な表現が出来る日本語が作られてきたんだろうね
この日本の性質にぴったり合うのが日本語
日本語を否定するのは、日本文化を否定するに等しいと思うよ
その「日本・日本語は曖昧」とか「本音と建前」という言い方自体が、実にいい加減な日本特殊論だと思う。
日本語が曖昧と言ってる奴の言葉が不自由なだけなんだよなあw
284 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2009/04/18(土) 15:42:38 0
>>283 日本語曖昧論の発想は、英文法が合理的と思うからでしょ。
普通の現代日本人が始めて習う文法が英文法だから。
で、文法といえば英文法とすり込まれ、その型に嵌らない言語現象は不合理とするからでしょ。
だから、日本語教育をもっと文法的にやるべきだと思うのだが。
小学校5、6年ぐらいで日本語文法やっとくといいと思うんだが、
だめだろうか。少なくとも感想文とか変な文学作品の鑑賞とかするよりいいと思う。
285 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2009/04/18(土) 18:25:05 0
日本語文法って学校文法のこと? それならやらないほうがマシかもしれない。 いわゆる「助動詞」とか。 必要なのは論理的に書く訓練。 理科や社会科でレポートでも書かせれば良い。
286 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2009/04/18(土) 20:15:23 0
>>285 文法も橋本文法なんかやめて、言語学に基づいたスッキリと簡明な文法を提示してもらいたい。
論理的に書く場合、重要なのは接続詞と様相なので、やっぱ文法が基礎だと思うけど。
>>282 そう?
『このお菓子を貴方にあげよう・・・と思ったけど、やっぱり私が食べる事にしたわ、
と言ったら、貴方が怒り出して喧嘩しちゃった、という夢を見たの』
なんて風に、いつまでも結論が最後まで分からず、どうにでも文をのばすことが出来るのって日本語位なんじゃないの?
288 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2009/04/18(土) 21:39:05 0
>>287 そんなもん話し方の問題でしょ。英語だって、ラテン語でも
ギリシャ語、ヘブライ語、アラビヤ語、サンスクリットでも、
そのようにのばすのは簡単だと思うが。
たしかチョムスキーだったと思うけど、無限に続く構文みたいなのを
英語でかいてたの? ちがったか?
289 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2009/04/18(土) 22:18:26 0
曖昧さは、英語も同じだよ 曖昧の無いのは、名詞に合わせて動詞、副詞、形容詞が変化する 独語、仏語
トニー・ラズロは日本語に「と」があるのがずるいって言ってた 「と」を使えば文章をどうにでも出来るから、って また、その曖昧さが良いって言ってた
291 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2009/04/18(土) 22:32:10 0
>>289 んなこといったらラテン語、ギリシャ語、ヘブライ語、アラビヤ語、サンスクリット等の
文語には敵わんがなw
でもそれら人工語も決して曖昧さは回避できず、口頭伝承を必要とする。
ある程度訓練が必要なわけで、それによりある程度の明晰性が確保される。
ないよりましなだけ。辞書といっしょ。
ジョンソン博士だっけ、言ってたでしょ。
>290 語学が得意な人間にありがちな誤解だな。 実は日本語を理解してない典型的なヨーロッパ脳。 語学が得意でも言語学を勉強しなけりゃ馬鹿なままだ。
294 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2009/04/19(日) 17:07:18 0
語学は勉強しているかもしれないが言語学は勉強していないだろう。 それに多くの人は世界の言語タイプの中でごく限られたものしか学習しない。 英語とドイツ語とフランス語あたり、あとは中国語か韓国語、このぐらいがせいぜいだ。 これしか知らずに言語の一般論を語るなど片腹痛い。 言語の一般論を語るなどというのは世界の様々なタイプの言語についての知識を持った人でなければできない高等なことだ。 その際に語学的な知識を持っている必要はない。何言語も流暢に話せなければならないと言う意味ではない。
別にトニー・ラズロは言語について一般論を語ってなんかいないだろう。 どれだけ上から目線なんだよ。
「日本語には『と』があってずるい」という言明には 「他の言語に『と』はない」が含意されている。 このような主張が言語一般についての知識を前提とするのは当たり前。 知識がない奴は黙っとけってこった。
>>296 そんな、夫婦の間でただ話してた事に、そこまで言わなくてもw
>>294 といい、ちょっと必死に叩きすぎ
298 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2009/04/19(日) 23:50:01 0
>>296 そんな言い方しないで、
なんで「実は日本語を理解してない典型的なヨーロッパ脳」なのか、
明解に例証すればいいのに。
>>296 で説明しただろうが。「と」は日本語以外の言語にもある。
ゼロマーカーでよければ英語だのなんだの印欧語にもくさるほどある。
300 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2009/04/20(月) 01:33:43 0
日本語には曖昧にできる良くも悪くも癖や制約があるのであって、 曖昧にしかできないわけではない。 あえて曖昧に表現して曖昧なのは当たり前。 日本語は曖昧だ、よりも 日本語は曖昧にできる、という解釈で不満足なのは ともかく日本語は曖昧でなければならないから。 もしも悪意で引っ掛けようとして意味するところをぼかすつもりなら、 積極的に日本語の曖昧な表現を使うべき。
303 :
名無し象は鼻がウナギだ!: :2009/04/21(火) 16:38:05 0
日本語が曖昧なのでは無く、使う人間の表現力が未熟なだけ。
・あした公園へ行く約束をします。
どう考えても不自然な日本語。
現在形というのが不自然。
誰が、誰とという主語が無いのも不自然。
ネットの自動翻訳をやれば日本語の下手糞さはすぐに解る。(エキサイト翻訳)
http://www.excite.co.jp/world/english/ あした公園へ行く約束をします。
The promise to be going to go to the park tomorrow is done.
あした「公園へ行く約束」をします。(ビジネスの契約ならわかるけど、これは不自然)
"Promise to go to the park" will be done tomorrow.
私は友達と「明日、公園に行こう」と電話で約束しました。
I promised by telephone with the friend , saying that "Let's go to the park tomorrow".
304 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2009/04/21(火) 21:45:49 0
306 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2009/04/21(火) 22:14:11 0
日本語は綴り字と発音が一致しているから仮名さえ知っていれば 話言葉を一様書くことができるけど 他の表音文字を使う言語はそうはいかないんだって 例えばタイ語やハングル語やアルファベットを使う諸言語などは同音の表音文字が複数あって 歴史を経る間、単語によって複数ある同音の表音文字が一意に決まって来るために 話言葉を其のまま書けなくなって来てしまうんだって つまり言葉と単語はほっとけば複雑化してくるんだって 幸か不幸か日本語は漢字という複雑なものを言語に内包していたため 単語専用の表音文字固定化という方向の進化は免れて奇跡的に綴り字と発音の一致が起こったのかも?
何を言っているのだろうかこの人は。
308 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2009/04/21(火) 23:26:57 0
>>306 馬鹿。
単に日本語はわずか63年前の1946年に現代仮名遣いを施行して綴りを発音にかなり近づけたばかりで、
それから大した発音の変化が起こっていないだけ。
歴史的仮名遣いでは発音と表記は相当乖離していた。
例えば「キョーダイ」を「きょうだい」「きゃうだい」「けうだい」のいずれで書いていいか分からなかった。
それを戦後の混乱期に一気に人工的に発音に近づけただけ。
こういうふうに歴史的仮名遣いの存在自体を忘れている奴がいるから困る。あまりにも見当違いで見ていて恥ずかしい。
それに現代仮名遣いでも完全に表音的な仮名遣いではない。
「王様」「狼」「気付く」「通る」「こんにちは」など、綴りを間違える人が多い語というのは今でも存在する。
309 :
名無し象は鼻がウナギだ!: :2009/04/22(水) 00:10:52 0
>>303 のExcite自動翻訳はそこそこ一時翻訳に使える。
主語を入れて簡潔な日本語が用意できれば話だけど。
歴史的仮名遣いも、一般に使われていたのは、学校教育で普及した 1880 年代から 1946 年までの 70 年間弱にすぎない。
312 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2009/04/22(水) 11:40:41 0
>>306 >話言葉を一様書くことができるけど
こいつは「一応」を「イチヨー」と発音していた。
そして日本語は綴りと発音が完璧に同じだと信じ込んでいた。
そのため、「いちよう」で変換を行い「一様」と書いてしまったのである。
自らのレスの中で自らの主張の誤りを露呈してしまった皮肉な書き込みと言えるだろう。
313 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2009/04/24(金) 02:46:25 0
>>303 自動翻訳で何か調べた気になってるって何なの
314 :
名無し象は鼻がウナギだ!: :2009/04/24(金) 07:23:08 0
>>313 誤解の無い、しっかりした日本語を用意すれば自動翻訳でそこそこの英語翻訳が
出来てくるってことだろ。
翻訳者を一番てこずらせるのが実は依頼者の日本語の下手くそさ。
"日本語が不合理"は嘘。
主語の欠如、論理性の無い下手くそな日本語しか書けない奴が多いってことだよ。
315 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2009/05/12(火) 21:04:39 0
自明なことをまわりくどく言うのは、幼稚だとしかいえないだろ。
316 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2009/05/12(火) 21:52:20 O
日本語だと長ったらしくなる例 ・・しなければならない ・・してもよい ・・した方がよい 英語や中国語なら短くてすむ
317 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2009/05/12(火) 22:00:25 0
事実:あらゆる技術ドキュメントは、日本語を含めて欧米語などでは問題ないのに、 中国語ではどうも無理だ。
318 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2009/05/12(火) 22:04:35 0
>>316 方言だと、
…しなければならない → …せにゃかん
320 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2009/06/30(火) 15:42:30 0
>>1 公園へ行く約束を明日します。
明日約束します、公園に行くことを。
公園へ明日行く約束をします。
約束します、明日公園へ行くことを。
>「あした」が公園へ行く日とも、約束する日とも、どちらにも解釈できるよね。日本語ってあいまいですなw。
それは自分自身が曖昧な言葉を選んでるからでは?
たとえ日本語が理論的でもそれを使う人が理論的とは限らない。
>>68 >I love you.
>私はあなたを愛する。
>どうしてこんなに日本語は不合理なのかと
英語の構文や言い回しをそのまま日本語に強引に用いたらそら不合理にもなるわな。お前と同じ理論で英語は不合理だと言うこともできる。
以上亀レスでした。
321 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2009/06/30(火) 15:43:57 0
理論的 論理的
322 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2009/07/01(水) 17:15:48 0
>>320 >
>>68 >>I love you.
>>私はあなたを愛する。
>>どうしてこんなに日本語は不合理なのかと
というより、偶然知った言語が、英独中日だったからではないですか?
他の三言語が同一語順なのに、なんで日本語だけ特殊なんだと。
しかし、特殊というなら、まだ分かるけど不合理というのはなんで?
修飾する語と修飾される語はできるだけ近くに置くべきであると作文や小論文の授業で習った。
複数の修飾する語がひとつの修飾される語にかかるときは?
独語は日本語と同じSOVだけどな。
例を
328 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2009/07/15(水) 09:29:27 O
『〜しか』の後に『ない』がついてるのって外国人からしたら『〜』を否定してるようにも取れるからややこしい。 あいつは好きな事しかしない。 あいつは嫌いな事しかしない。 あ〜日本語って難しい…。
329 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2009/07/16(木) 01:16:56 0
その「外国人」ってどうせアメリカ人だけだろ。
>324 2文に分けろ
331 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2009/07/16(木) 20:44:00 0
>>328 その用法、サンスクリットとチベット語にもあるよ。
しかも術語化されてる。
日本語が不合理っていうけど、慣用表現の多い英語より遙かに規則的だと思うけど。
まあ、オイラが英語をあまり知らないだけかもしれないが。
>>328 「しか」を同種の意味を含むであろう「以外」に言い換えると
あいつは好きな事以外しない
あいつは嫌いな事以外しない
ただし、
a. あいつは好きな事以外する
b. あいつは好きな事しかする
bには違和感があるから、「しか」は「以外」よりも意味的に狭いね。
どうやら「しか(し)ない」はワンセットで覚えないといけないようだ。
>>328 英語の nothing but も同じくらい分かりづらいんじゃない?
しか と 如く って同語源かな。
このスレ終わり? 頭が良い人が多くて途中までとても面白く読んでいたのに。 だけど、せっかくの議論も、いつまでたっても、みんなの頭の中に明確な目的がないというか、 知識は豊富だけど虚しさが漂っていて、とても日本人的な議論慣れしていない議論だなぁ と思いました。
335 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2009/08/29(土) 14:17:37 0
日本語の 単語に 複数を 示す 記号と して (S) を 語尾に 付ける ことを 提案する. 英語 仏語 に ならう. 独 露 は 面倒くさい ので 遠慮する。 motiron roomazi de kaku toki desu. nihongo no gourika no tame. Ima made daremo teian-site inai.
336 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2009/08/29(土) 21:07:57 0
>>335 いらねっす。諸、たち、多くのとかを付ければいいし、
大抵の場合、複数標示の必要がない。
337 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2009/08/29(土) 21:40:28 0
名詞の単数/複数は合理性とは無関係だよ。 必要が有れば,数詞を付けてやればいい。
ヨーロッパの言語をなんでも合理的だと思っている人がいそうだね。
339 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :2009/08/30(日) 07:35:08 0
>>338 それ困るよね。日本の教育で体系的文法教育が実質英文法のみだというのが原因なのではないだろうか?
国語教育にもっと言語学に基づいたキッチリと簡明な日本語文法教育を導入すべきだと思う。
感想文とか書く授業を文法の学習や文法通り書く訓練とかにすればいいのに。
そうすれば、日本語が結構合理的な言葉だと分かると思うんだが。
肝心の日本語文法がなかなかコレってのがないんだよね。
340 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :2009/08/30(日) 11:27:01 0
小学校の時、担任が天声人語(他紙のヤツは認めない)を200字でまとめる宿題を出してたけど 一度もそれに対する評価やアドバイスはしてなかった。出して終わり、それだけ。 大体、あんだけ凝縮されたものを更に凝縮しろって段階で、担任の国語能力が問われるのだがw
341 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :2009/08/30(日) 13:33:06 0
>>339 言葉の 部品に 当たる 品詞を 明確に 決定する こと。
分かち書きを 決定する
正書法を 確立する
名詞の 曲用 動詞の 変化形の 表を 作成する
助動詞の 再検討
助詞は 後置詞と 改名する
いまの ところ 以上の 問題点sを 指摘したい. (s)は 複数の 記号で 無声
342 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :2009/08/30(日) 17:03:47 0
>>340 ただ、天声人語を読ませたかっただけだなw
>>341 あ〜、だめだめ。そんなんじゃ橋本文法とかわんないよ。
まず、あなたが言語学を一通り学ぶべし。
構造主義、生成文法、認知言語学あたり。
343 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2009/08/30(日) 21:44:04 0
>339 これは? homepage3.nifty.com/taketoki
344 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2009/08/30(日) 21:56:33 0
345 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2009/08/30(日) 22:22:51 0
>>324 >構造主義、生成文法、認知言語学あたり。
Izure mo Google site denaosimasu, Zikan o kudasai na.
Arigatou yoki advice o itadaki.
Roomazigaki o yurusare yo, senkyo-sokuhou minagara.
346 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2009/08/31(月) 04:29:24 0
英語の模試の採点してるんですが、どうも腑に落ちないので ここでうかがいたいんです。 ある英語表現の訳の許容範囲で 様態を示す表現はOで、程度を示す表現はXということで 「同じように」は様態でO。 「同じくらいの温度」は程度でX。 「同じくらい暖かい」は様態でO。 と言うのですが、 「同じくらい暖かい」は程度じゃないんですか?
>347 なんだその定義は? 「連体修飾と連用修飾の区別がついていれば正解、 ついていなければ不正解」 ってことだろ。
A as well as B 「BばかりでなくAも」というのが正解なんですけど これを「Bと同じようにAでも暖かい」なら様態でセーフで 「Bと同じくらいの暖かさ、温度をAでも保っている」は程度でアウト。 では「Bと同じくらいAでも暖かい」は? 「同じくらい暖かい」?「Bと同じくらいAでも」?
350 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2009/08/31(月) 20:39:29 0
>>349 その試験は何を試してるの?
意味? それとも形式?
それとも意味射程の合否ラインを、どこで線引きするかってこと?
as well as の訳の正解の許容範囲として、どこまで認められるかってことだから 意味射程の合否ラインの線引きです。
なるほど納得。では「暖かさ」を 「暖かい/暖かくない」で捉えている訳は正解。 「どの程度暖かいか」で捉えている訳は不正解。 よって「同じくらい暖かい」は不正解。
つまり、「白熊は、その皮下脂肪のおかげで、冷たい水の中でも、陸上と同じくらい暖かい」という訳文の場合、 「同じくらい暖かい」は暖かさの程度が同じととらえていると考えられますね? これを予備校の担当の方は、「冷たい水の中と同じくらい陸上でも」だから 様態だというのですが。
何このキムチスレw
>>1 アホすぎて話にならないが
>>320 の言うように
公園へ行く約束を明日します。明日約束します、公園に行くことを。
公園へ明日行く約束をします。約束します、明日公園へ行くことを。
など色々表現できるよ。ちゃんと日本語勉強してね。
んで
>>89 辺りからずっと大量の駄文を書きなぐってるアンチ日本語自演房が湧いてたみたいね。
彼は登場間もない
>>89 で熱い支那房感によって非論理性を発揮してたが
>>93 に徹底的に論破された。
だからこれ以上言うと可哀想かもしれないが根本的な事をひとつだけ。
「この英文や中文は日本語で表現できないだろ」って言うべきだった。
それで表現できない文章が多数あれば日本語は曖昧な言語だと断定すりゃいい。
でもキム・・じゃなくて君は日本語はあらゆる文章を正しく記述できる言語だということを知ってるから言わなかった。
キムが褒めてた英語と中国語だが英語は敬語もなく"主語教"SVOの時点でおかしいし中国語は完全な書き言葉なので不完全。
んで日本語の主語省略や諸々に関してだが主語を省略してもしなくても良いという選択の多様さが完全の証なんだよ。
だが英語にとってはその選択は正しくない。だから発音の問題に口を出すまでもなく英語は死んでる。
キムの登場は日本語が万能であるという証左にしかならなかったね。
一応言っておくけど英語にも敬語はあるぞ。
357 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2009/09/30(水) 20:21:09 0
>>356 ほとんど無いに等しいな。日本語とかチベット語からすると。
日本語の敬語も絶滅が危惧されている。
客先に行ったことのない奴はこれだから困るよw
360 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2009/10/01(木) 12:49:44 0
敬語という言い方はやめて接客語と呼び方を変えたほうがいい。 接客語は、どうして、オカマっぽくなるんだろ。
361 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2009/10/01(木) 17:15:18 0
>>360 こういう発想は英語とかに染まってるんだろうな。
362 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2009/10/01(木) 19:47:07 0
>>1 I promised to meet him on Tuesday.
「火曜日」が彼に会う日とも、約束する日ともとれるのは英語も同じだと思いますが。
現代日本語は助動詞が貧弱すぎる。 「べし」が使えないので、同じことを表現するために「〜しなければならない」という ややこしい二重否定を使わなければならない。 これはぜひ改善しなければならない。 そのためには「べし」を復活させなければならない。 「べし」が使えないから、この文章だってこんなにウザい書き方をしなければならない。
364 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2009/10/15(木) 14:42:36 0
>>1 修飾する語とされる語はできるだけ近くに置くべきだと学校で習ったのはそのせいか。
その教えに従えば、
「明日公園へ行く約束をします」「公園へ行く約束を明日します」と書き分けることになる。
後文の意味で用いるなら、「明日、公園へ行く約束をします」というふうに読点を入れる。
>>363 「べし」の代わりに「せよ」を使えばいいじゃないか
なければならないとべしは同じじゃあるまいと。 改善しなきゃ。 復活させなくちゃ。 復活させねば。 使わなきゃなんない。 復活せざるを得ない。 書き方をしなければならない。 書き方をしないわけにはいかない。 書き方をするべし。
367 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2009/10/23(金) 19:02:02 0
「日本語は論理的だ」という本を読んだ。 当たり前のことが書いてある。
368 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2009/10/26(月) 01:55:35 0
句読点は 間違い。文の終わりに 付ける から 句点でわ なくて 文点 またわ 終止符 ト 改名を 提案する。 読点にういては まだ 考えていない。
369 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2009/10/26(月) 12:41:56 0
370 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/04/06(火) 02:38:09 0
371 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/04/06(火) 15:44:10 0
おむし の かきかた が ふび な だけ さ。 アス コオエン ニ ユク ヤクソク オ シテイマス. アス, コオエン ニ ユク ヤクスク オ スル デショオ。 あした公園へ行く約束をします。」 動詞の時制oyb punctuation オ カンガエレ
372 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/04/07(水) 07:35:42 0
>>370 言語に不合理なことが多いのは当たり前。
ただの習慣だから。人工語でかなりキッチリしたサンスクリットでも不合理な点はある。
英語とか酷すぎるし。
慣用表現や外来語が多ければ不合理なのは当然。
373 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/04/07(水) 17:33:38 0
>>1 「修飾する語と修飾される語は、互いに近くに置きましょう」
って学校の作文の時間に習わなかった?
374 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/04/07(水) 21:03:19 0
>>366 するべし じゃなくて
すべし ですよ。
>>362 実は、この例文中の曜日名は、文脈などからどの火曜日か判断できる場合の言い方なのね。
つまり、例えばこの前に「先週何してた?」「来週の予定は?」といった問い掛けがあるなど、
どの火曜日かを特定できる話の流れがあるってこと。
大文字で始まる所からも判るように、曜日名は特殊な名詞なので、
例えば the last Tuesday みたいに修飾語が無いと、原則定冠詞は付かない。
つまり、
>>362 の例文は、実は曖昧な表現ではなかったりするわけ。
参考:
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?p=Sunday&enc=UTF-8&stype=0&dtype=1 まあ
>>1 の日本語の方も、実際には前後の文脈やらイントネーションやらで言い分ける事も
できる(というか普通そうする)ので、実はそう曖昧という訳ではないんだけど、書き文字では伝わりにくいから注意だね。
ややムリヤリ読点をつけると、
「あした、公園へ行く約束をします」
「あした公園へ行く、約束をします」
377 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/04/09(金) 11:22:06 0
>>375 そもそも状況や文脈から切り取って文だけで意味が出ないのに、
教育課程というか方便の文法や単語から意味が機械的に生成されると思ってる人が、
言葉を知らないだけだとおも
「公園へ行く約束を明日します。」 「公園へ明日行く約束をします。」 このように記述するのが正しい作文だと学校で教わった記憶がある。 修飾・被修飾関係をはっきりさせるためにできるだけ「そば・きわ・ちかく」に置きなさいと。
二通りの意味解釈が生じることのある文例は欧州語にもあるようで、 いま、たまたまイタリア語を勉強中で、文法書を読んでいる途中ですが、 イタリア語におけるそういう事例についても記述があります。 関係代名詞cheが主語になるのか直接補語になるのか曖昧な文型が例文として 挙げられていて、誤解を生まないようにこう表現するのが適当だとして、 誤解を生みにくい別の例文も挙げられています。
380 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/04/09(金) 18:10:12 0
>>378 は文章がブサイクな感じがするぞ。
「明日公園へいく約束をします」でないとしっくりこない
その場合は 「明日公園へ行くという約束をします。」のほうがいいね。
国語の教科書には、文法について説明してあるページがあって せいぜい付録程度にしかないね。 小学生時代には、教科書とは別個に「作文」のハンドブックがあった。 それをつかって文法の授業を先生がやっていた記憶がある。 高校生くらいになると「小論文」に関する教材がまた別個になって、 そこでも多少、日本語文法について触れた。 「作文」「小論文」のいずれの教材にも、 修飾語と被修飾語とはなるたけ近くに置きなさい、ということが書かれてある。 小論文の教材では、「句読点」はどこにつけたら文法的にみて適当か ということも解説されてあった。
383 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/04/09(金) 19:07:17 0
>>382 へえええええええええええ
それが今やゆとり教育で、作文ハンドブックもないし、小論文なんて言葉すら聞かない
「思ったとおりに素直に作文を書きましょうね」で終わる。
欧米では小学校のときから徹底して文章のフォーマットから叩き込まれる。
現在の日本の学校教育の中で世界に出たければ、英語も独学でマスターしなければならないし、
そのうえ作文の訓練まで独学しなければならない。
384 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/04/09(金) 19:57:07 0
>>383 >「思ったとおりに素直に作文を書きましょうね」で終わる。
これは日本の国語教育の歪み。こんなことしても意味ないのに。
>欧米では小学校のときから徹底して文章のフォーマットから叩き込まれる。
学習期は、文法と読みだよな。報告書とかそういうやつの形式ってのも有意義だよな。
386 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/04/10(土) 01:40:34 0
>>376 Watasi no teian ni hannoosarete Thank You, DOT dewa ikaga?
387 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/04/10(土) 01:56:52 0
>>385 まさに生きる証明でしょう。
実践的な文法や言い回しを習わなかったため、
「書かれてある」が正しいのか間違っているのか疑問さえ持たない。
388 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/04/10(土) 11:11:24 0
そうだ
389 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/04/10(土) 11:43:29 0
英語だって不合理な所が多いだろ? たとえは否定疑問文に対応すす答え方など。
どう不合理なの?>否定疑問文
391 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/04/10(土) 12:58:16 0
>>390 No なのに Yes と云い
Yes なのに No というから。
>>387 「書かれてある」は普通に正しいと思う。
それに、なんというか、言語というものには、特に自然言語・慣習言語というものには、
「厳密な意味においては」正しい、正確な、というものはないと思いますよ。
生物学に喩えると、生物に正しい生物とそうじゃない生物が特定できないように、
自然言語にも統制言語と違って至るところに突然変異体が存在するのが当然で、
人々がそれを人為選択するかしないかで常に選別されている現在進行形の生き物だから。
限定された意味での(つまり数学的な意味での)合理性にこだわるんだったら、 それこそ論理式みたいなもので言語を創り直す必要があるかもしれませんね。
>>391 Isn't he busy now? 「彼、いま忙しくないの?」
-- Yes, he is (busy now). 「ううん、忙しいよ」
-- No, he isn't (busy now). 「うん、忙しいよ」
日本語と英語の話法の違いで訳語が食い違うだけで、英語自体の不合理ではないでしょに。
まあ逆に、英語話者の中にも「なんで Yes が『いいえ』で No が『はい』なんだ!」
と想ってる人もいるかもしれないんだけど、日本語としては筋が通ってるでしょ?
-- No, he isn't (busy now). 「うん、忙しいよ」 →○ -- No, he isn't (busy now). 「うん、忙しくないよ」
396 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/04/10(土) 18:32:15 0
>>394 日本語としては筋が通ってるでしょ?
どう見ても筋が通っていない。
>>396 英語の否定疑問文は、he is busy now に対して no を出した疑問。
それについての yes の方の答えは he is busy now に対する肯定 。
一方、 no の方の答えは he is busy now に対する否定 。
つまり、he is busy now を軸として肯定・否定が問われている。
日本語では「彼はいま忙しくない」に対する疑問を提示して、
「はい」の答えは「彼はいま忙しくない」に対する肯定。
「いいえ」の答えは「彼はいま忙しくない」に対する否定。
つまり「彼はいま忙しくない」を軸に肯定・否定が問われている。
どちらも論理的に正しく、両者の違いは話法の差であることがわかる。
(屈折語である英語と膠着語である日本語の差でもある。)
あなたの「どう見ても」は、明らかに英語話者の視点を欠いている。
398 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/04/10(土) 21:33:29 0
>>397 >(屈折語である英語と膠着語である日本語の差でもある。)
この一文だけは違うだろ。
インドヨーロッパ語の中には日本語式のはい/いいえの使い分けをする言語もあるし,
日本語の方言の中には英語式のYes/Noの使い分けをする言語もある。
>>398 了解。じゃあその一行は取り消すよ。ツッコミどうも。
400 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/04/10(土) 22:55:04 0
フランス語の場合は、ouiとは別個に、否定疑問文向けにsiという単語が用意されているよね。
>>397 それにしても、英文のほうのその理屈は、いまひとつ納得できないなあ。
狐に抓まれているような気がする。果して論理的に正しいのだろうかも疑問が残る。
he is busy nowに対する肯定・否定を問うているのであるならば、
わざわざ否定文を疑問形にして表現する必要はないんじゃないの?
Is he busy now?と問えばいいし、なぜ否定疑問文なのかという疑問がますます深まる。
そもそも英語のyes/noの意味がちがっているんじゃないかという気がするね。
>>400 その理屈なら、日本語の疑問文でも「彼はいま忙しいの?」があるなら
「彼はいま忙しくないの?」は不要ということになるっしょ。
[天動説よりも地動説のほうが正しい] 上の命題に「はい」か「いいえ」で答えてください。 この場合、日本語も英語も「はい」と答える。 [天動説よりも地動説のほうが正しくない] 上の命題に「はい」か「いいえ」で答えてください。 この場合、日本語では「いいえ」と答える。 しかし、英語では「はい」と答える。 こういうこと? こう考えると、英語は論理的にも不可解。
>>401 なんで?
>>397 の説明だと、
Isn't he busy now? と問うと
he is busy nowについての肯否を答える関係になっているんでしょ?
だったらそれはIs he busy now?についての肯否と同じでしょう。
「he is busy nowに対する肯定か否定か」ならば、
Isn't he busy now?とIs he busy now?とは、まったく同じ「問い方」になるわけじゃん。
>>402 後半の問いに対して、英語の方の回答がどうなるのか検討してみよう。
Yes(, the Copernican theory is more correct than the Ptolemaic theory).
ほら、何ら不都合は無いでしょ。
405 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/04/11(日) 00:03:05 0
>>404 不都合あるよ。てか、そもそも言語の合理性というのは約束事の共有の合理性だからね。
どんなに論理学的におかしい答え方になっていたとしても、「そういうふうに答えるもんだ」
ということが約束として共有されていれば、それはそれで「言語的な意味で合理的だ」となる。
そういう意味では、もちろん!
>>397 さんが最後に言っている「英語話者の視点」に立ちなさい、という点には賛成ですよ。
>>403 質問のニュアンスが通常の疑問文と違うの、わからないかな?
本質的には
>>401 にある「日本語訳」とほぼ同じなんだけど。
>>397 の説明に「he is busy now に対して『 no を出した疑問』」と断ったはずなんだけど、
「Isn't he 〜?」の中の not の存在を見逃さないでほしいな。
407 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/04/11(日) 00:06:15 0
he is busy now he is not busy now いずれにもYesと答えちゃって納得しちゃっている英語心。
>>405 どういう不都合を感じる?
一応
>>404 で示したように、英語でも科学的に破綻せず、
日本語の場合と内容的に同じ回答が出てるんだけどね。
だからむしろ↓こういうことでしょう。
>>400 > そもそも英語のyes/noの意味がちがっているんじゃないかという気がするね。
英語の「yes/no」と、日本語の「はい・いいえ」とは、意味する内容が実はかなり違う。
>>407 普通の疑問文でも否定疑問文でも「いずれにもYes」は有り得ないんだけど。
Yes, he is busy now. / No, he is not busy now.
411 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/04/11(日) 00:15:15 0
>>408 yes/noだけで答えてください。
Q: 地球はまるい?
A: Yes
Q: 地球はまるくない?
A: Yes
これじゃあ、不都合あるでしょう(笑)
>>409 なるほど。
どう違うのか、考えが纏まったら教えてほしいな。なかなか興味深い。
ここじゃちょっとスレ違いになるかも知れないけど。
413 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/04/11(日) 00:19:30 0
>>410 こちらが言おうとしている意味は分かってくださっているかなあ。
「彼は今忙しい」という事実は一つに決まっているの。事実は一つだからね。
その一つの事実に対して二人の人からそれぞれ次のように問われた。
一人目「彼は今忙しいの?」
二人目「彼は今忙しくないの?」
英語では、この二つの質問にいずれも「はい」と答えるってことだよね?
このスレッドの結論は出たね。 「英語話者の視点に立ちなさい」 「日本語話者の視点に立ちなさい」
>>411 また同じ説明をさせるの? これで最後だよ。
Q: Is the Earth round?
A: Yes, the Earth is round.
Q: Isn't the Earth round?
A: Yes, the Earth is round.
416 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/04/11(日) 00:37:39 0
>>415 マークシート式にYes/Noだけで答えて(笑)
今、一秒を争うほど忙しいんだから。
やっぱり、
The Earth is round. -> [Yes]
The Earth is not round. -> [Yes]
って英語圏の人は答えていることになるんだよね(笑)
>>413 > 英語では、この二つの質問にいずれも「はい」と答えるってことだよね?
「はい」と訳すと却って混乱すると想う(何故ならそこが相違点だから)。
英語では、質問の主題に対して肯定的な場合に「Yes」、否定的な場合に「No」。
対して日本語では、質問自体に対して肯定的な場合に「はい」、否定的な場合に「いいえ」。
>>400 スペイン語のsiはそこから派生したのかな。
419 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/04/11(日) 00:44:22 0
「Yes」という語が、仮にですよ、 ある命題文に対して「真」と答えることを意味しているならば、 英語の場合、こうなる(笑) 「地球は丸い」->「真」 「地球は丸くない」->「真」 日本語の場合はこう。 「地球は丸い」->「真」 「地球は丸くない」->「偽」 真と偽の答えは、この場合、その命題文が正しいか誤りかを指している。 さて、「はい/いいえ」と「yes/no」のどちらが論理的でしょう?
420 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/04/11(日) 00:46:05 0
やっぱりなあって思うのが ヨーロッパの言語的特徴とアジアの言語の特徴との違いを 英語と日本語とせばめて考えしかも英語が上だと主張。
>>417 英語のyes/noは再帰的な感じですね。自己言及的です。
422 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/04/11(日) 00:47:25 0
「あした映画にいかない?」 「はい」 「どっちだよ!」 日本語の不合理な所。
>>416 > The Earth is round. -> [Yes]
> The Earth is not round. -> [Yes]
矢印の左側が何を指してるのか判らないんだけど。
否定疑問文の答えかたが合理的じゃないなんて全然思わない。 notならnoってだけだろうに。 英語じゃないけれど、名詞の性のが鬱陶しい。 なんの役に立つんだよって感じで。
Don't you mind smoking here?
>>422 その「明日映画に行かない?」の「ない」ってもはや否定の「ない」じゃないんじゃない?
だから「はい」って答えたら、当然「行く」って意味だろ。
428 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/04/11(日) 00:56:00 0
「疲れたなあ。ここでちょっと休む?休まない?」 英語 yes→休む no→休まない 日本語 はい→不明
429 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/04/11(日) 00:56:48 0
430 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/04/11(日) 00:58:02 0
>>428 その場合は、日本語の場合の「はい」はありえないでしょう。
例外的な表現か、文脈依存の極端な例を出しているだけとしか思えないですけど。
>>419 >>415 を見て解ってもらえなかったら、もう自分の手には負えないな。
力不足でごめん。英語板ででもちゃんとした人に教えてもらってね。
>>427 それは勧誘の表現だからね。論理的な命題文と異なる。
勧誘の表現以外では「はい」と答えることはありえないんじゃないかな。
英語の場合、論理性を問われる命題文に対する答えとしてyas/noは混乱している。
434 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/04/11(日) 01:04:56 0
>>431 ですから、答えは、
>>405 に書いてあります。
そもそも言語の合理性というのは約束事の共有の合理性だからね。
どんなに論理学的におかしい答え方になっていたとしても、「そういうふうに答えるもんだ」
ということが約束として共有されていれば、それはそれで「言語的な意味で合理的だ」となる。
そういう意味では、もちろん!
>>397 さんが最後に言っている「英語話者の視点」に立ちなさい、という点には賛成ですよ。
つまり、あなたの言いたいことも、結局のところ、こういうことでしょう。
>>433 だって、yes/noという語に関していうと
次のように論理的な命題を問われているような文においても、
「地球は丸い」に対しても「正」、
「地球は丸くない」に対しても「正」、
と答えちゃう関係になってしまっているんだからね。
論理的に混乱していると言わざるをえない。
いいから、俺の質問には、「はい」か「Yes」で答えろ。
なぜ、Yesを正と訳そうとするのだろうか。
>>424 > 英語じゃないけれど、名詞の性のが鬱陶しい。
> なんの役に立つんだよって感じで。
それは私も思いますね。英語は文法的な性区別をほとんど失なってくれたおかげで
かなり便利になったかもしれないですね。
男性・女性はもちろん、中性の区別まであることがありますけど、
スワヒリ語とかになると、さらに単語のクラス分けが増えるんですよね。
そのクラスがかなり合理的に分けられていれば単数形・複数形の区別のように
それなりに便利な面もあるかもしれませんが、必ずしもそうはなっていなくて。
単数形複数形もその区別の用法に関して論理的じゃないと思える場合もあるしね。
440 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/04/11(日) 01:21:23 0
はい/いいえ は 真/偽 Yes/No は Do/Do not(be/be not) ってだけでしょ。 どっちかっていうと, 英語でのYesとNoという単語の存在意義は何だろうと個人的には思うんだけど。
結局のところ、結論はこうなるんじゃないか。 「英語話者の視点に立ちなさい」=「日本語話者の視点に立ちなさい」
>>400 > そもそも英語のyes/noの意味がちがっているんじゃないかという気がするね。
443 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/04/11(日) 01:27:14 0
こういう応答は英語でやるとどうなるの? そもそもこういう応答はしないのかな? 地球は平らですか? いいえ、まるいです。
>>440 > 英語でのYesとNoという単語の存在意義は何だろうと個人的には思うんだけど。
あるいは、否定疑問文のほうの存在意義かどちらかがね。どっちかの存在意義が不可解なんだな。
>>434 うーん、この件(否定疑問文の回答)に関して、
>>419 は前提として無関係な論理を
導入してしまったから、ややこしくなったんだと想う。例えば、
> 英語の場合、こうなる(笑)
>
> 「地球は丸い」->「真」
> 「地球は丸くない」->「真」
これは、この件の分析としては正しくない。改めるなら、以下のようにすべき。
・「地球は丸い?」→「地球は丸い」
・「地球は丸くない?」→「地球は丸い」
何故こうなるかは、
>>415 をもう一度みていただくしかない。それで解んなかったら、自分はもう退くw
だから、自分の言いたい事は
>>434 とは全然違うのよ。
446 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/04/11(日) 01:34:07 0
>>430 ありがとう。不合理で不明だから避けるわけである。
447 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/04/11(日) 01:35:51 0
>>445 ここのスレッドで問題にされているのはそもそも「yes/noが」合理的かどうかだから。
449 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/04/11(日) 01:40:42 0
>>447 これを英語に翻訳おねがい。
地球は平らですか?
いいえ、まるいです。
450 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/04/11(日) 01:44:20 0
>>449 句読点に気をつけて
いいえ、まるいです。
は、ない。
いいえ。まるいです。
は、ある。
>>443 Is the Earth flat? -- No. It is round.
>>448 それならば、否定疑問の方も以下のように解さなくてはおかしい。
・「地球は丸い」→「真」
>>417 で触れたように、英語の疑問文・否定疑問文の回答は主題を論じるものであるから。
452 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/04/11(日) 03:05:56 0
なるほど、句読点のつけ方もあいまいで不合理だな。 英米の小学校では徹底的に「,」「.」の使い方を指導される。 1月あったセンター試験(英語)での会話文で 「Oh, well. At least〜」としていた。 wellのあとは「,」であるべきで、英米では失笑される間違い。 句読点をどうでもいいと思っている日本人が作ったんだろう。 こんなレベルがセンター試験だ。
454 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/04/11(日) 09:54:42 0
>>454 なるほどね。確かに難しい文章と日常の文章では、点の打ち方を含めて
構文や用語を意識的に変える事は寧ろ普通の事だもんね。
そこで数種の点を使い分けるか、読点一つで済ませるかの違い。
その句読ひとつを採っても、基本大雑把だから型はキッチリ決めておくとか、
神経細かいけど型は柔軟に対応とか、民族性のようなものが反映されるのは面白いなー。、
456 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/04/11(日) 11:10:53 0
>>455 >その句読ひとつを採っても、基本大雑把だから型はキッチリ決めておくとか、
ロゴス・本質に基づく西洋文化
>神経細かいけど型は柔軟に対応とか、民族性のようなものが反映されるのは面白いなー。、
縁起・空に基づく東洋文化ってとこですか?
457 :
rmz :2010/04/11(日) 12:23:26 0
Itiiti toozai tooyoo seiyoo to wakeruna yo. Kangaete ii mono o saiyoosureba, sore de ii'nda yonaa.
>>457 > Itiiti toozai tooyoo seiyoo to wakeruna yo.
その辺は端から枝葉末節の議論だから、そうお気になさるな。
> Kangaete ii mono o saiyoosureba, sore de ii'nda yonaa.
ごめん、ここが何を言わんとしてるかが分かんない。採用って何のことかな?
459 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/04/11(日) 13:20:13 0
>>458 ローマ字表記するヤツとか相手にするなよ。
それだけで自己中って言ってるようなもんでしょ。
>>459 うーん、でも仮に自己中だとしても、直接それが排除する理由にはならないかなぁ。
確かにローマ字ユーザの中には無関係にローマ字の話を始めようとする困った人もいるけど、
今回はそうでもないみたいだし……多分ね。
461 :
romazinisuru :2010/04/11(日) 15:22:52 0
kono me kutooten wa ayamari da to itta mono . kuten wa yamete, bubten to kaimei sitara to Post-sita , matawa tanni Dot sitara?
>>461 ああそっか。採用って、句読点の名称の話だったんだ。
そういえばそんな話をしてましたっけwあいや、失礼失礼。
自分も、実情と照らせば「句点→文点」は悪くないと想うよ。
読点については、
>>452-454 あたりでも言われてるように、用法が広くて難しいなー。
× 実情と照らせば→○ 実情に照らせば
英語の否定疑問文に関しては、論理学的にその否定文が真か偽かを問うているのではなく、
>>422 さんが日本語の場合で挙げている例文と同様に、相手に肯定を期待する主観的な文だ
と論じている人がいるね。
Don't you? Isn't it? が、「(しない)よね?」「(そう)じゃないよね?」ではなく、
「(する)よね?」「(そう)だよね?」と訳されるのと同じ意味合いなのであって、
論理学的に解してはいけない表現だって。言語の合理性というのは論理学的合理性とonaji janai.
465 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/04/13(火) 10:31:27 0
将棋の棋士はなにを聞かれてもまず「そうですねぇ」と返事をする。
466 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/04/13(火) 10:46:36 0
>>465 そりゃ、はい聞いてますよというインタージェクションみたいなもんでしょ。
言葉はある程度整合性あるけど、最終的には慣用だから、
英語なんか慣用表現ばっかでこまんない?
467 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/04/13(火) 11:16:46 0
否定疑問文に肯定で答えるとき、フランス語では ouiではなく、 siと答える。スペイン語のsiはここから来たと思っている人がいるが、 スペイン語、イタリア語で普通に肯定のときsiと言う。 フランス語の ouiが特別なのだった。
>>464 それは付加疑問文であって、質問者の意図は主題に対し肯定的な主文に随う。
「映画に行かないのか(いくんだろう)?」
主題に対して否定的な否定疑問文とは質問者の意図がちと違う。
「映画に行かないのか(どうなんだ)?」
>>468 そう論じている人は、おそらくは、付加疑問文で否定形が使われる言語慣習から
構造的に類推して、否定疑問文の否定形の使用も、似たような解釈が可能じゃないか
と考えているんじゃないかと。
付加疑問文にも否定疑問形と肯定疑問形の両方があるぞ。
>>469 たぶん、そうだろね。基本的には付加疑問文と否定疑問文はニュアンスが異なるけど、
婉曲用法などでは近い意味を示す場合もある。
You would go to the movie with me tomorrow, wouldn't you?
「明日わたしと映画に行って下さいますね?」
Wouldn't you go to the movie with me tommorow?
「明日わたしと映画に行ってくれませんか?」(※言い方によっては、やや押し付けがましい)
>>470 たしかに。でも、主題に対する主文の態度が付加疑問文に反映されるのは同じ。
You won't go to the movie with me tomorrow, will you?
「明日わたしと映画に行かないんでしょ?」
472 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/04/14(水) 22:08:13 0
「わたしは浮気をしない」 浮気をしない人は yes と答えるのか Noと答えるのか。 テレビでyes no で答えさせるのは混乱する。 英語に堪能なひとは noと答えるだろう。 アグネスが出たときこんなのをためしてみて>テレビ局
473 :
NL :2010/04/22(木) 00:53:17 0
>>462 Yatto mu-kisei to natta. ku-ten de naku bun-ten o hyo^kasite
itadaki kansyasimasu. okure-base nagara.@@@@@
474 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/04/22(木) 04:40:28 0
>>472 日本語が堪能なアメリカ人にそういう質問をしてたの思い出した。
質問は日本語なのに、答えはかたはyes/noにさせる。
それで何がなにやら全くわけのわからない結果になってしまった。
司会者はyes/noが はい/いいえ と完全イコールと思い込んでたから。
もうほんとにぐっちゃぐちゃで、いらいらしたもんです。
結論: 日本語は土人の言語。
477 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/06/26(土) 09:55:19 0
ある日本語学習者が、なぜ日本語の「飛ぶ」に目的語が付くのか疑問を持っていた 「空を飛ぶ」 「空へ」飛ぶじゃないの? というわけ
479 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/06/26(土) 13:42:09 0
>>478 俺日本語学習者なんだけど、「空を飛ぶ」と「空へ飛ぶ」何が違うのですか?
481 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/06/26(土) 14:52:51 0
>>480 もう一つの例、「山に登る」と「山を登る」
つまり、俺の考えでは「に」でも「を」でも、その意味は変わらないよね?
ググってみたところ、どれでもヒットが出てくるし、
そもそも自動詞は「を」をつける使い方が教科書にも乗ってる
むしろ日本人でしかその微妙な違いを見分けられないかと
>>478-479 「空へ(向かって)飛ぶ」「空(の上)を飛ぶ」と語を補えば解るかな?
例えば、今にも離陸しそうな飛行機は前者、飛行中は後者という具合。
助詞である程度類推できる言葉は、日本語では容易に省略される傾向にあるね。
>>481 これも「山に登る」「山(の中)を登る」と語を適宜補えば解るかと。
登山という行為全体を指すのは前者、その過程としての行動は後者。
483 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/06/26(土) 19:38:18 0
此のスレは、小學生の集まりか。
484 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/06/26(土) 21:06:06 0
>>482 丁寧に説明してくださってありがとうございます。
ちなみに、俺は台湾人とフィリピン人のハーフで日本大好きの二十代なんです。
この手のスレっていつも 言語自体が持つ機能的な限界と話者の用法による問題が一緒に語られるから 議論が迷走するんだよな・・・ スレタイからすれば、話者の工夫で克服できる問題は問題ではないように思うけど、 やっぱり上にいるような主語の省略がどうのこうの言うやつが出てくる
486 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/07/03(土) 11:32:36 0
>>481 私はいちおう生粋の日本人ですが、
「空を飛ぶ」vs「空に・へ飛ぶ」
「山を登る」vs「山に・へ登る」
は意味が少し違うようにも私は思います。
「を」のほうは、「橋を渡る」「道を渡る」と同じ意味です。
「に」や「へ」のほうは、そこに・へ向かって動作する意味です。
日本語の「とぶ」には漢字で書けば「飛ぶ」と「跳ぶ」があります。
「のぼる」にも「登る」「上る」があります。他にもありますが。
目的語を要することで、動詞の意味をさらに限定していると考えられます。
その点、漢字(漢語動詞)は、動詞のなかにすでに目的語が意味として
含まれているので目的語は要らないのでしょう。
例えば、「飛ぶ」と書けば、「空を」であることはほぼ明確です。
487 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/07/03(土) 11:41:01 0
「を」ではありませんが、例えば、日本語には「雨が降る」という表現がありますが、 英語ではrainという単語が雨と降るを兼任しているところがあります。 英語の場合には形式主義のItが必要でIt rainsになるのでしょうが、 言語によってはrainに相当する一語だけで「雨が降る」という完全な文になったりします。 しかし日本語の「降る」には「氷が降る」とか「雪が降る」とか、もしかすると 「石や灰が降る」ということも意味として含まれるので、「が」が必要になってきたりします。
488 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/07/03(土) 12:06:02 0
俺は台湾人だけど、そもそも日本語は曖昧極まりない言語だと思う。 なのに日本人はそれに対して疲れてないのに、感心だ。
489 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/07/03(土) 12:36:33 0
>>1 >「あした」が公園へ行く日とも、
「あした、約束しに公園へ行く」となるから、混同はしない。
お前さんの文章作成能力と讀解力が無いだけ。
490 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/07/03(土) 13:12:06 0
>>488 中国語よりも明確じゃないかな?
助詞や格変化がある言語のほうが
それが消滅した言語よりも意味の曖昧さがないと
一般には言われているよ。
>>1 日本語でも、
(1)「公園へ行く約束を、明日します。」
(2)「公園へ明日行く約束をします。」
で区別できるよね。
492 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/07/04(日) 14:52:34 0
学校の作文の時間には、修飾語と被修飾語の関係を明確にするために互いを近くに 置きなさいと習った記憶がある。 たしかその当時学校で教材として使っていた作文のハンドブックにもそう書いてあった。 高校時代に読んだ小論文の本にもそう書いてあった気がする。 ところで、 「今日」とか「明日」には、「何時に」のように助詞が付かないことが多いんだね。 「今日に公園に行く約束をします」という言い方はあまりしない。 「今日のうちに公園に行く約束をします」という言い方は普通だけど。 「今日」や「明日」に「に」を直接付ける言い方を普及させてもいいような気が私はする。
493 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/07/04(日) 16:26:57 0
助詞の使い方は日本語でもっとも肝心な一環と言っても過言ではないと台湾人の俺がそう思った。
「…約束を明日します」「…明日行く約束を…」だと、「約束をいつするのか」「いつ行くという約束をするのか」という問いに対する答になる。 そういった焦点がなくて、「明日何をするのか」「どういう約束をするのか」が問題になっている場合は、「明日公園へ行く約束を…」としか言いようがない。 単純に修飾語と被修飾語とを近づければいいというものではない。
495 :
491 :2010/07/04(日) 22:38:58 0
496 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/07/04(日) 23:18:13 0
「という」節を使ってはだめ? 「明日日本へ行くという約束を彼と私はするつもりです」 ただし、 「明日、日本へ行くという約束を彼と私はするつもりです」 のように書くと、明日は主文のほうを修飾していると解釈されるかもね。
>>496 曖昧さはかなり解消されるが、根本的な解決にはやはりならない。
ついでに言えば、「公園へ明日行くという約束を…」とすると、「公園へ行く」ことは既に決まっていて、それをいつにするかが問題だったと解釈される。
>>495 は語感が鈍い。
498 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/07/05(月) 07:51:58 0
>>453 Wikipediaの序文には「〜は、〜である。」というのがおおいけど、みじかい文章ですらいちいち「は」のあとに読点つけているのか非効率というか。
499 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/07/05(月) 14:10:59 0
「明日に約束する」という表現も昔はあったような気がするがなぁ。 ただし「あしたに」ではなく「あすに」だけど。 とりあえず 「明日何をするのか」という文脈で、わざわざ「明日」を返答のなかに入れるのは不自然だし 「どういう約束をするのか」が文脈だとはっきりしているなら、 「明日」は約束をする日時ではなく、公園へ行く日時のことなのは自明。 文脈なしにして切り取ってしまうと曖昧になるウナギ文の問題と似たようなものだな。
500 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/07/05(月) 14:16:50 0
>>499 「明日」は、約束をしに公園へ行く日時だらう。
501 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/07/05(月) 14:53:50 0
>>500 どう見ても「明日」は公園へ行く日を指している上に、約束をすることの日時はその「明日」の前に行う、と個人的な理解です。
502 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/07/05(月) 15:00:31 0
>>501 「行く」行爲は、「約束をする」爲なのだから、「約束」と「公園」へ行く」事は、節として分離は出來無い。
503 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/07/05(月) 17:18:41 0
なぜ「どういう約束をするのか」という文脈なのに 「明日公園に行く約束をする」という返答から 「行く」行爲は、「約束をする」爲 という解釈になるのかわからないな。 「約束の内容」を問われているのだから、「明日公園に行く」までが内容ということでしょう。 もし返答をした人物が、聞かれたこと以外の情報を勝手に付加して 「いつ約束をするのか」まで答えたのなら、それは文の曖昧性の問題というより 話者の返答能力の程度問題だな。
504 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/07/05(月) 17:38:31 0
>>499 > 「明日何をするのか」という文脈で、わざわざ「明日」を返答のなかに入れるのは不自然だし
(「明日」の場合は必ずしもそうでないかもしれないが) まあ、もっともだな。
しかし、漠然と「これからどうするのか」が問題になっている文脈では、「明日公園へ行く約束をします」としか言えず、やはり曖昧になる。
これは避けようがないと思う。
506 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/07/05(月) 20:50:58 0
だから小学校の作文の時間には、修飾語と被修飾語はなるべく隣り合わせに置きましょう と習ったんじゃないでしょうかね。小論文の参考書にも必ず出てくる作文マナーです。 作文関連のほとんどの書物がその点について触れていると思いますよ。
507 :
491 :2010/07/05(月) 21:16:09 0
>>497 >ついでに言えば、「公園へ明日行くという約束を…」とすると、「公園へ行く」ことは
>既に決まっていて、それをいつにするかが問題だったと解釈される。
>>495 は語感が鈍い。
言われてみればそういうニュアンスもあるかも知れないが、
もし数学的に扱うとすれば、命題としては、
「公園へ明日行く」
「明日公園へ行く」
は全く同値であり、何の違いもない。
自分は数学は得意であったが、国語は苦手だったので、「語感」が鈍い
というのは「普通人の感じる普通の語感」に関してはその通りかも知れ
ない。
しかし、これを「異なること」としてしまって「日本語は不合理」と
考えるのは、それこそ考え違いも甚だしい。
508 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/07/06(火) 00:03:06 0
「日本語は不合理だ」なんてのは、馬鹿の戯言だからどうでも良いけど、 では、人間が使用する言語として最も合理的な言語ってどういう言語なんだろうってのは、ちょっと気になる。 既存の言語としては、古典漢文とかかなぁ。音韻を除くと。
509 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/07/06(火) 00:43:12 0
>>504 >>1 からとは言わない。
君は
>>494 から読み直してはどうか。
そこへのみのレスであることを読み取るのはさほど難しくないと思ったのだが。
>>505 そうなると確かに曖昧度は増すね。
しかしそれなら、「公園に行く約束を明日するよ」とも言い換えられる。
それにまだ「これから」という文脈であり、「いつ」ではないのだから
これもまたわざわざ「明日」という情報を付加せずに
「(これから)公園に行く約束をする」という簡潔な返答が期待されることになる。
にも関わらずわざわざ「明日」という情報を付加したのだから、それは
「これから明日公園に行く約束をする」という意味であるということは明白になると思う。
文脈がはっきりしていれば、ある程度曖昧な文があとに続いても
それを「不合理」といえるほどの曖昧さは生じないと個人的には思う。
英文も格変化を失ったことで二通りに解釈できる曖昧な構文が生じるようになったと 外国語の本に例文がいくつか書かれてあったけど、その例文をすっかり忘れてしまった。
>>506 「だから」って、隣り合わせに置けない文脈もあるんだよ。必ずしも曖昧になるわけではないが。
>>509 > しかしそれなら、「公園に行く約束を明日するよ」とも言い換えられる。
それは不自然だと思う。「明日」に焦点があることになってしまう。
> それにまだ「これから」という文脈であり、「いつ」ではないのだから
> これもまたわざわざ「明日」という情報を付加せずに
> 「(これから)公園に行く約束をする」という簡潔な返答が期待されることになる。
そうとは限らない。「これから」には未来のすべてが含まれるから、「明日」と限定することはありうるし、かつそこに情報の焦点はない。
>>510 "Flying planes can be dangerous." だろう。チョムスキーの有名な例。
'Planes' が主格 (飛んでいる飛行機) なのか対格 (飛行機を飛ばすこと) なのかわからない。
512 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/07/06(火) 03:19:44 0
スレ違いですみません。台湾人の俺に質問をちょっと聞かせてください。 「冗談じゃない」は「冗談」と否定の補説「じゃない」で構成されています。 そして「冗談じゃない」=「とんでもない」=「冗談にもそんなことを言ったりしたりするな」という解釈にもあります。 つまり「冗談じゃない」は二つの意味があります。そこで日本人はどう区別をつけて使い分けているのか?
ジョーダ┐ンジャナイ → とんでもない ジョーダ┐ンジャナ┐イ → 本気だ ジョーダ┐ンジャナ┐イヨ → (1)とんでもない (2)本気だ (文脈次第)
イントネーションが違うっぽい
515 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/07/06(火) 07:35:02 0
横槍だけど、どういう感覚で、なぜ 「冗談じゃない」が「とんでもない」の意味に なっていったんだろうか。 「冗談にもならないくらい酷い話だ」のようなことからとか?または 「その話を聞いて私は驚くような表情を見せたが、これは冗談ではなく本当に驚いたのだ」のような自分の行為の説明?それとも 「お前さんは冗談のように語るが、私にとっては冗談事ではない辛い話だ」などと冗談めかして打ち明けた相手あっての始まりとか? それとも英語のno kiddingが信じられないぜ冗談はやめてくれ的な場面に使われるけど そういうのを変に訳しちゃった輸入表現なのかね。
語源が謎の言葉ってあるよね。 「尻の穴が小さい奴だ」って意味不明だもん。 どこからそんな発想が生まれてくるのか。
517 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/07/06(火) 09:40:20 0
「冗談」の後についた「じゃない」は否定を表すしか意味しないよね? 冗談じゃない → 冗談ではありません → 本気だ という否定語の解釈は文法に則ったけど、 冗談じゃない → 「冗談を言うな」、「冗談を言うんじゃない」などやや禁止や命令をするという意味もあるけど、 これは文法に則った(「じゃない」の使い方)とは言いがたいじゃないかと。
518 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/07/06(火) 16:25:35 0
「冗談」という意味の単純に否定形ならば「冗談ではない」という言い換えが可能だけど、 「冗談じゃない」はそれ自体として独自の意味を持つようになった慣用句なんだろうね。 「もしもし」みたいなもんで、なんで「もしもし」なのか特に意味を解剖せずに 慣用句として使っている言葉ってあるんじゃないかな? 他の言語にはないのかな?
519 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/07/06(火) 23:37:06 0
「冗談じゃない」 なるほど、確かに興味深い言葉だなぁ
「ウソつけ」という表現があります。 これはどういう意味ですか?
521 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/07/07(水) 09:49:31 0
今更だが Yesー相手の文と同じ動詞からなる肯定文(またはそれと同意の文)が続く。 Noー相手の文と同じ動詞からなる否定文(またはそれと同意の文)が続く。 しかし英語は重複を嫌うので、省略されてしまい日本人は混乱するのではないか。 あと全ての文に主語が必要な言語は、現在判明している限りでは、フランス語、英語、ドイツ語、ロマンシュ語、オランダ語、 それからスカンディナヴィアの諸言語(ノルウェー語、スウェーデン語、デンマーク語など)が挙げられるだけ。 ちなみに現在確認されている言語の種類は、最低でも3000多く見積もると6000を超える。 よって主語省略は極めて普遍的な現象と言えるのでは?
英語って命令文は主語なくね?
英語は命令文に限らず、主語省略多いよ。
主語省略って日本語なら尚更じゃないか
525 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/07/07(水) 14:24:12 0
>>520 「負けず嫌い」というのもよい例だよね。「負け嫌い」の意味で使われている。
しかし誰もおかしいとは言わない。
526 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/07/07(水) 14:34:37 0
>>525 「負けず」の「ず」は、否定の打ち消しの意味ではなく、推量の助動詞「むず(ンズ)」の發音無表記。
527 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/07/07(水) 16:22:36 0
「食わず嫌い」みたいなもんじゃね?
>>528 「食わず嫌い」「出ず仕舞い」は否定でしょ
負けず嫌いもそうなんじゃね?
>>520 「ウソつけ」って日本人にとって何か違和感がある言葉ですか?
532 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/07/07(水) 23:32:32 0
>>529 「食わず嫌い」の「-あず」は否定・打ち消しの意味だと私もずっと解してきました。
つまり、一度も食わずに嫌っているという意味の言葉だと。
一度も試さず毛嫌いする一般をそういう意味で「食わず嫌い」と言うことがありますよね?
だから、とんねるずの番組になっているあのタイトルはおかしいのではないかと。
533 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/07/08(木) 00:25:03 0
食べて嫌いになった人が出る率は多いけど、一度も食べたことがないって人も出てた気が。 とりあえず負けず嫌いに関する新説ぶちあげてみようかな。 「きらいがある」(傾向がある)のきらいと、負けじ魂の融合したもの。 「なにかにつけて負けじ魂を発揮するきらいがある」のを 「負けじのきらいがある」→「負けじきらい」→「まけずぎらい」になった。
535 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/07/08(木) 01:49:03 0
主に「きらいがある」のほうを新説としてあげたの。
「じ」と「きらいがある」が融合すると「ず」になるという説?
「“ず”には打ち消しの意味だけでなく「意志、推量」の意味で使っている地域があるのです。静岡や山梨、長野の一部の方言がそれです。」 むしろ、ただ田舎の方言だけで全国的に広がって受け入れて使っていたのはおかしすぎる。 静岡と山梨と長野は本当にそこまで影響力があったとは思えないからな。
538 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/07/08(木) 16:53:52 0
今流行りの「ら抜き言葉」も、遠州とその周辺の方言としてかなり前から使われていたものだ という説があるみたい。それが全国的に広まったとか。 「何々じゃん」という若者言葉も、元来は山梨あたりの方言だったとか、それが三河に伝わり、 横浜にも使わって、全国的に認知される言葉になったとかどうとか。
質問です。 「きのう公園へ行った約束をしました。」という構文は文法的に正しいですか? じゃなかったらどこが誤用してしまったのか?
>>539 文法的に特に間違っているとは思わないですけど、意味的にはおかしくないですか?
てか、書き手がどんな意味を伝えようとして書いたのか分からないと、
それを文法的に正確に表現しているのかどうか評価しようがないですよね。
>>539 「きのう公園へ行く約束をしました。」の方がより適切です。
まず「公園へ行く」というのが「約束」の内容を表す修飾語であり、
「公園へ行く(という)約束」で一つの名詞句を形成しています。
この場合、公園へ行ったのが過去のことなのかどうかは「約束」とは全く
無関係であるので、「行った」と過去形にすると寧ろ不自然さが出ます。
(「*公園へ行った(という)約束」という風に「という」を補ってみると、
その不自然さが際立つかと想います。)
これが例えば「きのう公園へ行った話をしました。」という文の場合、
「公園へ行った」のが過去の事かどうかは「話」そのものに強く関係が
あるので、(行ったのが過去だった場合に)こちらは過去形になります。
(こちらも「きのう公園へ行った(という)話をしました。」と「という」を
補ってみると、「約束」との違いが解るでしょう。)
>>541 つまり、
きのう公園へ行った約束をしました。→ 文法間違いなし → 意味不明
きのう公園へ行った話をしました。 → 文法間違いなし → 意味理解できる
「公園へ行った」のあとにくる名詞によって意味不明でおかしな構文になることがある。
これは日本語の文法の参考書にも載っていない意外な使い方だな。いい勉強になりました。
>きのう公園へ行った話をしました。 昨日なのは公園に行った日なのか 話をした日なのかどっちですか?
>>543 >昨日なのは公園に行った日なのか
こういう解釈は変な気がする。
>>543 どちらにもとれます。
文脈で判断します。
例えば、「さっき友達に会って、先週遊園地に行った話をしたんだよ」と言えば
「先週」というのは遊園地に行ったときの時間を表すのは明らかですよね。
これを「さっき友達に会って、昨日公園に行った話をしました」と言えば
同じように「昨日」は公園に行った時間を表します。
546 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/07/09(金) 10:57:28 0
>>543 前者なら「きのう公園へ行った話をしました。」
後者なら「きのう、公園へ行った話をしました。」
「きのう」のアクセントが變はる。
547 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/07/09(金) 11:57:04 O
>>537 その中部地方の「ず」は「むず」起源で否定の「ず」とは無関係。
愛知等で使われる反語の「〜すか」も「むず」+「か」が起源。
548 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/07/09(金) 12:39:23 0
>>541 「約束」という語が通常の文脈では未来の修飾文を必要とするので、
「行った」というと完了形で、すでに済んだことを表しているので、
意味的に違和感を持つといえば、「行った約束」という点かもしれませんね。
ただし、その言葉がもしかするとタイムスリップを題材にしたSF小説の
なかで使われている台詞かもしれないので、そうなると文脈しだいかなと。
>>543 その話になるとまた、修飾語と被修飾語との関係は文の中で一意に決まるように
もっとも近づけて置きましょう。という命題に戻るわけで。
549 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/07/09(金) 23:17:34 O
昨日公園へ行った。約束をしました。 これが正解。
昨日公園へ行って約束をしました。
「つく」という動詞は明らかに自動詞なのに、なぜ「嘘をつく」とか言うの? 文法的に言うと「嘘をつける」の表現が正しいじゃない?でも、それは誤用だと言われてる。 例をあげると「傷がつく」←→「傷をつける」みたいな感じじゃないかと。
552 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/07/14(水) 16:53:16 0
傷がつくのつくは「付く」、嘘をつくのつくは「吐く」でしょ? 鐘をつくのつくは「撞く」、餅をつくのつくは「搗く」と書くんだね、知らなかった。 付く、吐く、憑く、就く、突く、着く、点く、衝く、尾く、 撞く、搗く...... でも、今日これらの多様な漢字で書き分けている本来のヤマトコトバの「つく」は、 もしかすると、同じ意味の一つの語だったんだろうね。たしかに類似する意味群のような気もする。 しかしここまで字を使い分けなくてもいいだろと思うほど、つくに類する漢字は多すぎるよね。
553 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/07/15(木) 01:44:10 0
>>551 「嘘をつく」の「つく」は他動詞「突く」と同源で,
自動詞「付く」の系列とは文法的に使い方が異なるから,
仮に日本語に漢字が無かったとしても同音異義語ということになるんじゃないかな。
554 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/07/15(木) 02:26:19 0
自他両用の動詞だったという説が出てきそうなんで念のため。 本来は 「付く」系のアクセントは京阪式LH,東京式HL 「突く」系のアクセントは京阪式HH,東京式LH となるはずのもので,厳密に言えば異音異義語。 ただ,個別の変化をおこして「嘘を吐く」の「つく」は HL(東京式の場合)になっている。 つまり, 「つく」という動詞は明らかに自動詞ではないし, 「嘘を言う」という意味で「嘘をつける」というのは非文。
嘘は「いう」ものなのにそれに「つく」という動詞が使われるのが謎だよね。
>>552 で挙げられているその他の「つく」にはだいたい似たような意味合いがある。
嘘をつくの「つく」だけが、どこにどう「つく」のか、イメージがまるで湧かない。
意味不明の表現だね。どういう経緯で「嘘」と「つく」が結び付いたのか知りたいね。
欠伸をかくの「かく」もどういう意味なのだろうか。
556 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/07/15(木) 02:35:10 0
「箸」と「端」っこと「橋」と口「觜」は、別語源なんでしょうか。 同音異義語にしても、まあ、そんなにかけ離れた意味ではないなという気がするので。 つまり、相互に連想ゲームで繋がるような意味合いをもっていなくはない。 アクツェントはたしかに違いますが。
557 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/07/15(木) 03:00:12 0
突く → (口の奥から)突き出す → 吐き出す と言うような意味の拡大を辿ったのかな。 他動詞の掻くと自動詞の欠く も,アクセントが違いながら,意味には似ているところが有るかも。 書く,writeについては, 日本語も英語も引っ掻くという意味の単語が由来になっているのが面白い。
558 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/07/15(木) 03:02:43 0
「欠く」は他動詞ですね失礼
日記を「書く」じゃなくて日記を「つける」というのもおかしい。
560 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/07/15(木) 16:44:20 O
日記は記録だから。 記録は書くものではなく付けるもの。
「吐く」は口や胃袋からもどしたり呼吸するのが第一義だから、 腹の底や胸の裡から突き上げるイメージなんだろう。 「日記をつける」の「つける」は、後に残すべく書き記すこと。 文字を刻むように「書く<掻く」というより、紙の上に筆を滑らせて 連ねた文字の跡を「付ける」ようなイメージなんじゃないかな。
>>520 はどうして「ウソをつけ」が「ウソをつくな」という意味になるのかを
問題にしているのではないか。
「(ウソをつくなら、もっとマシな)ウソを吐け。」の略。 見え透いたウソを揶揄しているのだから、相手のウソはウソの内に入らない。 「バカ言え。」「冗談言え。」は、「バカ(は休み休み)言え。」「冗談(はほどほどに)言え。」 (あるいは「(もっとマシな)冗談(を)言え。」)。
564 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/07/16(金) 15:10:31 0
>>562 中学か高校の国語の授業でたしか「反語」という修辞法を習ったよね?
疑問形によって、それとなく、否定形の意味をもたせるような表現。
その暗喩形式だと思えば普通に理解できるんじゃないかなあ。
ただし、「嘘をつけ」の場合は、わざわざ反語的に理解しなくても、
相手が真実らしく本当のことであるかのように言っていることを否定して、
「それは嘘だろ!」と半ば断じるようにツッコミを入れているわけだから、
相手の言に対して「嘘」と言って時点ですでにそのまま否定表現になっている。
大野晋によれば 「見え透いたウソをつくのなら、いくらでもつけ」 を縮めて「ウソをつけ」になったとか。
挨拶表現みたいな慣用句にもうなっちゃっているんだね。
俺は台湾人だけど、日本では「ウソつけ」って挨拶言葉として用いられているの?初耳だわ。
ウソつけ
569 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/07/17(土) 00:29:41 0
自分が寝るのになぜ「おやすみなさい」?
午後なのに職場に入るときに、なぜ「おはようございます」?
572 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/07/18(日) 12:52:19 0
>>567 「挨拶表現と同じように、『慣用句』として用いられている」で意味が分かりますか。
「か」はすでに疑問の意を表しているのに、なぜいつもその後に「?」をつけるのか?
574 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/07/19(月) 05:38:49 0
なるほど、そういうことですか、納得しました。
576 :
574 :2010/07/19(月) 09:40:46 0
「…か?」「…の?」はもちろん、同意や共感を求める「…ね?」までは一種の疑問形 と解釈すると私も思います。 * 終助詞「か」は必ずしも疑問形を表さない。 * 日本語の疑問形は文末のイントネーションを上り調子にすることで示されることが多い。 * しがたって「か」を省略しても疑問形は成り立つし、「の」なども上がり調子に発音すれば疑問形となる。 * 疑問形を表す度合いは、(今思い付いたかぎりでは)「か」>「の」>「ね」の順と思われる。 * したがって「か」は、必ずしも上がり調子にしなくても疑問形と解釈することができる。 ところで、終助詞「…よ」の上がり調子が疑問形と解釈されるのには、ちょっと違和感があります。 「…よ」の上がり調子は、疑問形にはならず、強調形になると解釈されるのが通常だったと思います。 2ちゃんねるではしばしば目にしますが、これは最近の傾向ではないでしょうかねえ? どこかの方言が元になっているのでしょうか? 最近の若い人たちの間では普通の感覚になっているのでしょうか?
もし2chなどのネット掲示板から「?」という疑問符を思い切って抜きにしたら、読みにくいとかの障害で日本人に困るでしょうか?
>>576 「〜よ?」は文脈によってさまざまなニュアンスを含むのよ。例えば
・「そんなこと、みんな知ってますよ(。それがどうかしました)?」
・「そんなこと、みんな知ってますよ(。まさかあなたは知らないんですか)?」
・「そんなこと、みんな知ってますよ(、と想うんだけど違ってますか)?」
などなど。
>>577 不便にはなるだろうけど、顔文字などで代用されるだろうね。
そもそも、日本語って難しいもんだな。
580 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/08/04(水) 00:56:53 0
581 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/08/05(木) 06:45:40 0
>>41 部分否定の場合は「来な」にアクセントがあって、全部否定の場合は「も」にアクセントがないかな?
582 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/08/05(木) 07:04:12 0
親密な間柄では、敬語は使わない。 私の任期中では、消費税は上げない。 レトリックじゃないかな?
583 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/08/05(木) 07:36:34 0
キサマとかアンタと言うのが良くないのはなんでだろう? 貴様で貴方だよね? 主君でもないのに君はといってもしょうがないから、 お宅はって言ってたらおたく族呼ばわりされたんだっけ?
584 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/08/05(木) 14:06:24 0
>>582 > 私の任期中では、消費税は上げない。
鳩山さんの任期中には消費税は上がらなかっただろ?
(上げろと言う声があるが少なくとも)私の任期中には消費税は上げ(させ)ない。 って意味でしょ?
>>41 のように では とかとわざわざ断りを入れると 対偶を意識してしまうのでは?
1. 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、「国際紛争を解決する手段としては、」永久にこれを放棄する。 2. 「前項の目的を達するため、」陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。 わざわざ挟まってるかぎ括弧の部分をどう解釈するかだよね。
589 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/08/07(土) 11:16:43 0
>>583 松下村塾あたりで男女師弟の区別なく「君づけ」を始めたというのが
最近のウワサだ
590 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/08/12(木) 02:56:19 O
>>41 が何言ってるか分からないのは日本語が曖昧なせいなのだろう
参加申し込み者は100人もいたのに、20人も来なかった。
(A)来なかった人が20人もいた
(B)来た人が20人もいなかった
「20人も」が主題提示で、格が不明になっているので、解釈に紛れが生じる。
(A)の場合は主格で、すなわち(参加者100人のうち)「20人が来なかった」。
ここで「も」は程度が大きいことを示している。
(B)の場合は主語が提示されていない。補うならたとえば「実際の参加者が」。
ここで「も」は程度が小さいことを示している。
(B)で省略されている主語は自明ではないので、不合理な推論を必要とする。
よって、(A)の解釈が本来自然だと思われるが、(B)と解釈する人も多いだろう。
一方、単に「20人も来なかった」と言えば
>>591 の通りの解釈が一般的だろうが、
やはりここでも前提の不合理な推定が働いているように思う。
あえて「不合理」という語をスレタイに沿って入れてみたが
主題と主語の省略法則を、主題の格が何かによって分類すれば、何らかのルールは見えるかも。
593 :
592 :2010/08/12(木) 10:36:01 P
長々と書いたが、頭を整理すると、問題は係助詞が示す格が明確でないこと。 「魚は食べました」という文は、「(私が)魚を食べました」なのか、 「魚が(餌を)食べました」なのか、明らかではない。 「20人も来なかった」は「20人が来なかった」なのか「(人が)20人も来なかった」 なのか明確ではない。「20人」が主語になりにくいと感じるから、後者であるように思うだけ。
100名の人 100名もの人
595 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/08/12(木) 16:44:48 0
>>592 ただし、その二つの表現における「20人も」には、いずれの場合においても、
「20人に満たない、足りない、逹っしない」という意味がなんらかの意味で込められている、
とは解釈できるんじゃないでしょうかね。
「来なかった人が20人いた」「来なかった人が20人もいた」「来なかった人が20人もいなかった」
この三つの表現の意味はいったいどう違うのか。
たしかに、事実を正確に伝えたり、論理的に表現したりすることを第一義に目的とする表現では、
なるべく文の省略というのは避けるべきでしょうね。
日本語にはその両方の「選択肢」が用意されているのですから。
足りなかった っていえばいいんじゃない? 来た人は20名も足りなかった 来た人は20名に足りなかった
597 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/08/13(金) 00:27:46 0
この「も」はどういう意味? 「このビルの高さは300メートルにも逹した」 「このビルの高さは300メートルに逹した」 どう意味が違うの?
598 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/08/13(金) 01:30:05 O
>>597 「も」は驚きじゃない?
あなたは日本人じゃない人?
600 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/08/13(金) 02:03:20 O
「20人も来なかった」 これだけ取り出して曖昧だというのがおかしいわな。 文脈によるに決まってる。
601 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/08/13(金) 02:08:59 0
>来た人は20名も足りなかった これは50人来ると見込んでたが30人しか来なかった。 予想より多い欠席者に慨嘆している。
602 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/08/13(金) 09:31:14 0
>>598 「20人も」の「も」と同じなの違うの?
女(好きだと)一生かけて言わせてみせるっちゃ 男 いまわの際に言ってやる これを、「一生かけても」にしちゃうと男の言葉の意味が全然変わるよね 女が死ぬ時には言ってやるって話なのか、自分が死ぬ時まで死んでも言うもんかって話なのか。
そのままでもどっちのイマワかは不確定じゃん。
>>603 その「も」は、「あれもこれも」「私も好き」の「も」と同じですよね?
「20人もいる」とか「300メートルにも逹した」とか「こんなにもある」の「も」とは少しちがう。
一生かけても 一生かけ(たとし)て(で)も じゃないの?
長文を書くとなぜだか「も」が異様に多くなってしまうのですけど、何故なのでしょうか? どうしたらいいのでしょうか
もももももももーーーーーーーう、いや!
漢字ありきの造語だらけで耳で聞いてわからない言葉が多い。
611 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/08/23(月) 11:50:39 0
漢字・漢語廃止論というのが幾度となく唱えられてきたけど、そういう考え方は現実の普及していないね。
一部の人が廃止を唱える以上に社会では漢語の新語が 作られ続けてきたからね。
613 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/08/26(木) 21:02:13 0
>>612 カタカナ語がふえてくると漢語も外国語だという認識がもうすこしひろまってもいいような気がする。
615 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/08/27(金) 06:18:00 0
誰かしらが先立ちになって基本的な近代語を作ってからでないと世間での造語は望めないと思う。
616 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/08/27(金) 11:22:49 0
ろくに読書もせず言葉の使い方を磨こうともしない怠け者ほど 自分の言葉の使い方を反省もせず国語の悪口を言う。 日本語の歴史を知れば先人たちが国語を磨いてきた足跡と それをダメにしてきたここ数十年の衆愚の振る舞いが目に付く。 これは「言語は自然に変化する」という話とは別の次元の話。
だめにしてきたかどうかの判断はどうするんだ。
例えば「用言連体形+ A の B」の場合、連体形が A にかかるのか、「A の B」全体 (結局は B) にかかるのかについて、必ずあいまいな句が生じる。 日本語には形容詞や名詞の屈折がないため呼応が示されない。文脈で明らかになればよいが、ならないことも多い。日本語の致命的な欠陥の 1 つだろう。 「美しい日本の私」は、この欠陥を逆手に取ったキャッチーなタイトルだった。「眠れる森の美女」は、たいていの人が「眠れる美女」と解釈しているが、仏語原題 La belle au bois dormant の dormant は形容詞男性形で、女性名詞 belle ではなく男性名詞 bois と呼応する。 Dormant を形容詞でなく belle にかかる現在分詞と解する手もあるが、その場合は La belle dormant au bois となるのが普通だ。よって原題は「眠りの森の美女」と訳するのが正しい。 英語にはあいまいな「の」にあたるものはないが、普通名詞や形容詞の屈折もない。そのため仏語の呼応はやはり見えなかったようで、ディズニー社は The Sleeping Beauty と誤訳している。 日本語では、名詞の制限的修飾と非制限的修飾とを区別しない。これは特に書き言葉での欠陥といえる。 国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 「国権の発動たる戦争」が、いろいろな戦争があるなかで国権の発動にあたるもの (制限的) なのか、宣戦布告して行う「戦争」は (実際には武力を使わない場合でも) すべて国権の発動にあたると言っているのか、判然としない。
たまたま男性女性だから判別がつくだけであって、 La belle au mer dormante だったらどうすんのよ。説明が長いわりには本質的じゃないよ。
> たまたま男性女性だから判別がつくだけであって 「たまたま」もありえないのが日本語。きわめて本質的。
621 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/08/27(金) 18:09:25 0
>>618 > 国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
もとの英文ではどう表現されていたんだっけ?
622 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/08/27(金) 18:18:31 0
>>620 残念ながら、本質的ではないね。「たまたま」じゃ、客観的にちゃんとした例にならない。
偶然の一致だからね。文法的に無意味。
あと、国権うんぬんの話は、政治学的な解釈の問題で、純粋に文法的問題じゃないだろう。
そういうツッコミは、どの国の憲法でも、憲法の条文が簡潔であるかぎり可能。
勤労や教育という言葉がいったい何を指しているのかさえ、解釈しだいでいろいろツッコミを入れられるし、
きりがない。憲法を六法全集なみにぶ厚くしなきゃならない。
スワヒリ語あたりになると、ドイツ語やスラヴ諸語に見られる男性、女性、中性の三つの区別ばかりか、 かなり多くのクラス分けが存在するので、欧州の言語よりもさらにスワヒリ語が合理的になるのかもね。 北欧の言語には、男性、女性、中性の区別があったものの、英語のように徐々に喪失しつつあるみたいだね。
624 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/08/27(金) 19:23:22 0
合理的な言語なんて、ない。 不合理な言語なんて、ない。 いいかげんコンプレックスを捨てろよ。 自分の口下手を日本語のせいにするなよ。 俺はお前らのちんけなプライドなんかより日本語の名誉を守りたいんだよw
>>623 スワヒリ語では「本」の意味の単語がアラビア語のkitab由来の
kitabuだけど、ちょうどki-が人工物の名詞クラスを示す
接頭語らしいね。複数形がvitabuとアラビア語じゃあり得ない
ような変化になる。
男性と女性が共性に合流して、今は共性と中性の2種類だね。<北欧語
>>621 もとのかどうかはわからないが、現行憲法の英訳には the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation and the threat or use of force as means of settling international disputes とある。
As 以下の前置詞句は制限的で、
>>618 の前者の解釈に相当する。
簡潔な条文でも文法的に区別できる。
>>622 「たまたま」起こる可能性があるのとないのとは客観的・本質的に違う。
627 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/08/27(金) 22:10:21 0
>>626 > 「たまたま」起こる可能性があるのとないのとは客観的・本質的に違う。
だから偶然に起こっただけじゃ、文法的な規則にもなんにもなっていないんだから、
文法的な規則の比較にならないと言いたいの。
日本語でも表現を詳細にすれば混乱しない文は作れるのだから、それもまた本質的な欠陥と言えない。
どうがんばっても日本語では、その二つの意味を区別する表現ができないというなら、話は別。
それこそ本質的な指摘になるね。
まあ、猥褻の意味を決めるのは裁判所の仕事だけど、条件に適合するかどうかは日本語の問題だよね。
>>627 合理的な言語では、がんばらなくても混乱しないという仮説は成り立たないだろうか?
630 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/08/27(金) 22:21:50 0
>>618 > 「国権の発動たる戦争」が、いろいろな戦争があるなかで国権の発動にあたるもの (制限的) なのか、
> 宣戦布告して行う「戦争」は (実際には武力を使わない場合でも) すべて国権の発動にあたると言っているのか、判然としない。
ここのところ、いったい何をおっしゃりたいのか、分かりかねる。
とくに後者の解釈が。
1、国権の発動でない戦争とは?
テロとか、そういうの?
テロは宣戦布告しないから違うか。
とすると、どういう戦争が想起・仮定されているわけ?
>>629 その一致が偶然に左右されているようじゃ、合理的とは到底言えないんじゃないか。
合理的というのは、その話者がちゃんと自分の言うべきことを認識し、
どのように伝達し表現するかをちゃんと意識的に管理できて実現されることであって、
まったくの偶然に頼って、話者に意識されているかどうかどうでもいいようじゃ、
その言語の合理性をあらわしているとはまったく言えないんじゃないだろうかねえ。
>>630 > ここのところ、いったい何をおっしゃりたいのか、分かりかねる。
> とくに後者の解釈が。
> 1、国権の発動でない戦争とは?
後者の解釈は、国権の発動でない戦争はないとしている。
英語なら war, which is a sovereign right of the nation とでもなるだろう。
> とすると、どういう戦争が想起・仮定されているわけ?
それが想定されているのは前者の解釈。
私にもよくわからないが、英文はそういう表現になっている。
>>629 成り立つ。
>>631 言える。自分の言うべきことはわかっているのが前提。
合理的な言語では、文脈に頼らなくても、また特に詳細な表現をしなくても、あいまいにならない仕掛けがある。
日本語にはそういう仕掛けが乏しい。
> 合理的な言語では、文脈に頼らなくても、また特に詳細な表現をしなくても、あいまいにならない仕掛けがある。
正確に言えば、そういう仕掛けがある場合が多い。
いつでも必ずあるわけじゃない、偶然にすぎない、ない場合は日本語と変わらないから、結局日本語と変わらない……
それで納得できるんならもう何も言わないけど、納得できること自体が私には不合理に思える。
だから
>>630 のような誤解をする。おそらく制限的・非制限的修飾の意味がわからないんだろう。
635 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/08/27(金) 23:18:34 0
>>632 けっきょく「国権の発動たる戦争」の「たる」という表現の意味するものが曖昧だということを言いたいの?
日本語だって、「国権の発動である戦争」と「国権の発動による戦争」と表現すれば簡単に区別できるはずでしょう。
636 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/08/27(金) 23:23:19 0
>>632 > 後者の解釈は、国権の発動でない戦争はないとしている。
ちょっと待った。論理学的な意味で「すべての戦争は国権の発動による」とまで言っていると?
> 英語なら war, which is a sovereign right of the nation とでもなるだろう。
この英文が、「すべての戦争は国権の発動による」「それ以外に戦争という概念は成り立ちようがない」
という意味まではっきり論理的に定義していると?
637 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/08/27(金) 23:26:59 0
>>634 > おそらく制限的・非制限的修飾の意味がわからないんだろう。
そうおっしゃるなら、そのへん、はっきり説明してほしい。
論理学的にいう全称命題と特称命題とは違うのかい?
国際的な実力行使の内、
・国権の発動である戦争(
>>626 のasは定義)
・(戦争でないものの内)国際紛争解決の手段としての威嚇および武力の行使
これを放棄している。国際紛争の解決手段ではない威嚇および武力の行使は放棄していない。
他国の要請により、その国の治安維持活動を行うなどは、可能。
639 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/08/27(金) 23:52:45 0
「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使とは、 国際紛争を解決する手段としては、ともに永久にこれを放棄する」 なのか、 「国権の発動たる戦争は、永久にこれを放棄する。 武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、 永久にこれを放棄する」 なのか、 ということが言いたかったわけ?
結局、いざという時のためにあえてダブルミーニングを狙って書いて、 普段はそれが見逃されているのであれば、それが合理的だという主張もありなのだろうか?
>>635 > 日本語だって、「国権の発動である戦争」と「国権の発動による戦争」と表現すれば簡単に区別できるはずでしょう。
前者はまだあいまい (非制限的に傾くことは認める)。後者は「発動」と「戦争」とがともに動名詞なので、「による」が文法的に正しいか疑問が残る。
>>636 > ちょっと待った。論理学的な意味で「すべての戦争は国権の発動による」とまで言っていると?
> この英文が、「すべての戦争は国権の発動による」「それ以外に戦争という概念は成り立ちようがない」
> という意味まではっきり論理的に定義していると?
非制限的とはそういうことだ。
>>637 英語を知ってれば直観的にわかる。
制限的修飾は特称命題に、非制限的修飾は全称命題に基づいている。
英語ならコンマ 1 つで書き分けられるが、日本語で正確に表現するのはなかなか難しい。
>>638 2 つの as の意味が違うとするのは無理がある。対句的表現だ。
>>639 それも大きな問題だが、今はとりあえず関係ない。
>英語ならコンマ 1 つで書き分けられるが、日本語で正確に表現するのはなかなか難しい。 これは(音声)言語自体の形態的な特性じゃなくて、句読法として書き分ける 慣習があるってだけだよね。
643 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/08/28(土) 00:48:58 0
>>641 「たる」は「である」の強調形でしょ。それをさらに強めた表現。
>>642 > これは(音声)言語自体の形態的な特性じゃなくて、句読法として書き分ける
> 慣習があるってだけだよね。
英語の場合、おそらく声も違うと思うが、よくわからない。
完全に論理だけで書き分けてるわけじゃないだろう。
>>643 > 「たる」は「である」の強調形でしょ。それをさらに強めた表現。
だから「たる」は必ず非制限的だと? そんなことはないよ。
>>640 いざというときにそれを利用するつもりの人にとっては「合理的」なのかもしれないが、はっきり言えば詐欺目的だろう。
あいまいでない表現をしようと思うと、日本語はフィクスされた仕掛けが乏しいので、神経を使う。これは日々感じていることだ。
もちろん不可能なわけではない。やろうと思えばできる。しかし、だから本質的ではないというのは結論ありきの願望 (
>>624 ) だと思う。
>>645 ファジーな表現が簡潔にできるというのは利点だよね?
曖昧でない表現というのは、不用意に使うと取り返しがつかないものなので、
神経を使うのはそもそも合理的な仕掛けといえるかもしれない。
>>646 取り返しがつかないのは仕方がないだろう。
それが自分の言うべきことだったのだから。
>>647 曖昧な表現であれば、文字通り故事付けさえできれば後から取り返せる訳だから、仕方がなくはない。
契約に対する考え方の違いかも? 縛るための言葉であれば限定的になって、 信じるための言葉であれば包括的になるとかさ。
>>648 こじつけられる方の立場には絶対立たないんだな。
そもそも合理的というのは、平等、公正といった概念に基づいている。
自分にとってだけ「合理的」すなわち利己的欺瞞的なことを企む輩が、あいまいなのを利点と考えるわけだ。
>>650 全く逆だよ。
あいまいだったら、不平等条約みたいな真似はできない。
コジツケと言っても、白馬非馬みたいなのは相手を納得させない限り成立しない。
それにひきかえ、嘘でも契約に明確に書いてあればそれこそ
>>647 みたいな事を主張するだけで済む。
騙して契約させたなんて話は水掛け論だしね。
653 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/08/28(土) 09:54:38 0
>>632 > 後者の解釈は、国権の発動でない戦争はないとしている。
> 英語なら war, which is a sovereign right of the nation とでもなるだろう。
それだと、「必ず」全称的命題で、それ以外の戦争形態はないと断言している
ことになるわけ?
それを
war which is a sovereign right of the nation
と記述すれば、制限的、すなわち特称命題的になるということか。
全称と特称と思い出したんだけど、英語など、西欧の言語に一般的に見られる
定冠詞の用法には、全称と特称の両方があるよね?
the warがすべての戦争(「戦争というものは」)なのか、特定の戦争(「その戦争は」)なのか、
厳密に区別する方法はあるんでしょうか。
>>651 明確に不平等なことが書いてある条約にサインしてしまった以上、遵守するしかない。
立場としては平等。あいまいにして相手に不利なことを隠したりしていない。
およそ条約の類があいまいでよいことは 1 つもない。力の強い方が好きなように解釈するだけだ。
>>653 高校英語で習っただろ。全称とか特称とかは言わないけど。
The war を総称に使うのは古風だと思う。War は可算の場合と不可算 (憲法の例はこっち) の場合があるが、その辺の語感はもう私にはわからない。
655 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/08/28(土) 11:27:07 0
>>630 國權の發動で行はれるから「戰爭」なのであつて、テロを戰爭とは云はない。
問題はだいたい解けた。 英語の war と日本語の「戦争」とでは、意味が少しずれている。 War の意味の中心は継続的戦闘であり、国権の発動は、実際はそれに相当する場合が多いが、必須の条件ではないようだ。
657 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/08/28(土) 13:23:10 0
論理学的に全称と特称とを明確に分けたいんだったら、「すべての」とか「ある」とか、 論理学で使われているような日本語で記述すりゃいいだけの話のように思うけどなあ。 それとも、日本語に、論理学的な全称と特称とを簡潔に区別する用法がまったくない、 とでも主張しているの? それならば、日本語が不合理な言語だと言えるかもしれないけどね。 その表現の方法が違っているだけのことを取り上げて一方的に合理不合理を決めるのは、 それこそ洞窟のイドラになってしまうのではないか。
658 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/08/28(土) 13:26:08 0
>>654 だから、高校英語に対する疑問を書いているんですよ。
英語にかぎらず、イタリア語の定冠詞も同じ。特定のものを指す用法と、総称する用法とがある。
これは論理学的には特称と全称みたいなものだよね?
論理学的に相対する意味が一つの定冠詞で示されて、あとは文脈依存ってのも随分不合理じゃないかな?
>>657 だから、文章語で名詞を制限修飾するときは必ず「ある」を付ける、非制限修飾するときは必ず「すべての」を付ける、
といった文法を設ければいいのかもしれないが、実際にはそうなっていない。
簡潔に区別する用法はほぼないといえる。
>>658 定冠詞の総称用法は廃れて、無冠詞複数に置き換えられつつある。
総称でない不定複数の場合は、some の使用義務が強まってきている。
というふうに、仕掛けがあればいろいろ改善もできるが、日本語の場合もともと何もないから、べったりと文脈依存で不合理。
Help! I need somebody
Help! Not just anybody
Help! You know I need someone
Help!
ビートルズのこの歌詞のニュアンスを日本人が理解するのは大変難しい。
しかし、実は英語のすべての名詞句で、本質的に同じ問題が発生している。
660 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/08/28(土) 15:28:43 0
>>659 いつでもどんなときでも付けなきゃならないというのは逆に不便だよ。べつの面からすると不合理。
言語はどんなときにも論理的命題を必ず表現するとは限らないからね。重要でない命題は省くのが合理的。
日本語はそういう意味では、多様な選択可能性を話者個人に保証している。
しかしそのぶん話者の主体性も問われるけどね。自由が多いぶんその責任が重くなるようにね。
>>654 だからその方がよっぽど詐欺じゃないかってことだよ。
曖昧であれば、あとから読んでも曖昧なのは変わらないんだよ。
だから裁定者が平等、公正であればいいだけの話。
>>660 全称か特称かというのはきわめて重要な命題の違いだろう。
むろん文脈任せでもいいんだが、コンマとか a とか the とか、小さな形でいつでも示すやり方と、どちらが合理的か。
そう言われて気づいたが、日本語の詭弁には、全称命題と特称命題とをすり替えるものが多い。
>>661 国際条約に平等、公正な裁定者がいるのか疑問だが、それはさておき、
平等、公正な裁定者は、
>>648 のようなこじつけを詐欺として斥けるだろう。
わざとあいまいにするだけ労力の無駄だ。
たしか、「消防署の方から来ました」は消防署員を装った詐欺に該当するという判例があったと思う。
664 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/08/28(土) 20:39:45 0
だーから、言語の機能は、常に命題的ではないのだよ。 しかも、欧州の諸語の冠詞だって、その意味には曖昧なところがあり、文脈に依存する。 欧州諸語の多くの定冠詞が全称と特称とを意味の上で共有している。 全称と特称との論理命題が常に表現に不可欠だと考える君にとっては、 そのことは極めて重大な問題であることになるわけだろう。 英語にかぎっていえば、最近ではtheを使わなくなっているというが、「必ずそうすべきだ」 という規則でもないだろ? 書き手が古い用法で表現しているのかどうか確実に区別できない。 しかもThe warとWarとは、綴りでは区別できるが、口頭ではどうやって区別されているのか。
665 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/08/28(土) 20:50:14 0
テロも宣戦布告すれば、つまり、実行前に犯行予告声明を出せば戦争になるのか。 ところで、「たる」というのは、辞書を引くと、「資格を意味する」表現らしい。 「日本男児たる者、質実剛健を本分とするべきだ」と表現した場合、 この表現は、「すべての者は日本国の国民だ」を意味しているとも受け取れるのだろうか? そんなふうに解釈する日本人はいないだろう。
失礼、「すべての者は日本男児だ」に訂正。
>>663 斥けられたということは、単に故事が付けられなかったって事。
証拠や前例が認められなければ、負けるのは当たり前でしょ?
>>665 青年よ大志を抱け。 みたいなものじゃないの?
言った相手が全て日本男児だっただけ。
つまり、日本男児とは単なるジャパニーズボーイではなく質実剛健の称号であるべきだって話なんじゃない?
そうなると、国際紛争を解決する手段として、戦争を意味する国権の発動は、永久に放棄する。 って感じ?
>>664 > だーから、言語の機能は、常に命題的ではないのだよ。
いや、名詞の機能は常に命題的だ。君はわかってない。
> しかも、欧州の諸語の冠詞だって、その意味には曖昧なところがあり、文脈に依存する。
> 欧州諸語の多くの定冠詞が全称と特称とを意味の上で共有している。
「形で区別できない場合がある」 (特称命題) と、「義務的な形で区別されることがない」 (全称命題) とが
本質的な違いではないとしてすり替えられている。典型的詭弁。
>>667 証拠や前例がある、争っても負けないという自信があるなら、始めからあいまいにする必要がない。
疚しい所がないのにあいまいにすれば、相手が混乱して争いを起こして来るかもしれない。
こちらが勝っても完全な労力と時間の無駄。
>>670 国権の発動に相当する限りの継続的戦闘と、国際紛争を解決する手段に相当する限りの威嚇または武力行使を放棄するということ。
後者の解釈はわりあい簡単で、例えば海賊 (どこの国の代表でもない) が領海侵犯して来たら攻撃する。
難しいのは前者だ。国権の発動に相当しない継続的戦闘とは、例えば何か。
他国から攻撃されたときは応戦するが、宣戦布告には応じず、相手国を敵国とは見なさない (死の千本ノック) とか、
「反政府軍」が暴れだしたときは、単なる犯罪者と見なして内戦はするとか?
>>672 争う気が無いからぼかしておくんでしょ。わからないの?
ハッキリさせたらせっかく収まっていた不満が噴出してきて戦争になるかもしれないよ?
>>673 ハッキリさせたら相手が不満になるということは、やはり騙している、疚しい所があるということだろう?
そんな契約を結ばなければ争いになることはない。
>>674 交渉相手は当然わかってるんだよ、黙っていないのは相手の関係者
交渉がまとまらなければ第三者が漁夫の利だな
676 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/08/29(日) 09:43:26 0
>>668 それはまったく関係ないよ。誰に対して言っているかではなく、
文の構造そのものが純粋にここでは問題にされているはずでしょう。
「国権の発動たる戦争」「AたるB」がここで問題になっている。
この「たる」が名詞Bに対して全称的なのか特称的なのかとね。
「AたるB」つまり「日本男児たる者」という表現。
これは「すべての者は日本男児だ」という意味にも受け取れるのかい?
>>671 > いや、名詞の機能は常に命題的だ。君はわかってない。
言語はその真偽だけを伝達目的とした名詞文だけじゃないでしょう。
でなければ、言語というものはすべて論理学的命題文と同義だとなってしまう。
しかも論理学的目的のみをすべての言語コミュニケーションが担っていることになってしまう。
君こそ、そこで全称と特称をすり替えているじゃないか。
「すべての言語は論理学的命題だ」と「ある言語は論理学的命題だ」とを混同している。
> 「形で区別できない場合がある」 (特称命題) と、「義務的な形で区別されることがない」 (全称命題) とが
> 本質的な違いではないとしてすり替えられている。典型的詭弁。
なにがおっしゃりたいのか意味不明。
君が挙げた「たり」だって、一つの例にすぎないだろう。それだけでは特称命題。
けっきょく君は「義務的か義務的じゃないか」を問題にしたの?
それについては
>>660 が答えているじゃないか。
>>676 教師たる者、生徒に手を出してはならない。
教師の資格では生徒に手を出しては駄目って意味でしょ?
無資格の者でも普通は駄目だけど、資格持ちならそれが義務だという意味。
日本男児にではなく、すべての者に向けて言っている場合であれば、
(日本男児は質実剛健を本分とする事が義務だから)すべての者は日本男児であれ。
って意味じゃない?
>>676 > 「AたるB」つまり「日本男児たる者」という表現。
> これは「すべての者は日本男児だ」という意味にも受け取れるのかい?
人を表す「もの (者)」は、「すべての」等を付けないかぎり常に特称という、語彙的意味によってあいまいさが回避されている。
「日本男児たるすべての者」と言えば、やはりあいまいになる。全称の場合と、「すべての日本男児たる者」と同じ意味の場合とがあるから。
> 言語はその真偽だけを伝達目的とした名詞文だけじゃないでしょう。
「名詞」と「名詞文」とは違う。君はわかってない。
名詞文以外の文にも名詞はいくらでも現れる。現れない文の方がまれだろう。
それらのすべての名詞に、全称か特称かの問題がついて回るのだ。
> なにがおっしゃりたいのか意味不明。
君の頭が悪いからだよw
> 君が挙げた「たり」だって、一つの例にすぎないだろう。それだけでは特称命題。
たまたまその例だったにすぎない。全称か特称かをマークする文法的手段は日本語にはないのだから全称命題。
> けっきょく君は「義務的か義務的じゃないか」を問題にしたの?
> それについては
>>660 が答えているじゃないか。
すべての名詞に全称か特称かの問題が乗っているから、義務的に表し分ける形を持っていた方がたぶん合理的。
>>661 。
古典ラテン語には冠詞がなかったが、ロマンス諸語では発達した。
現代中国語の「一箇」は義務性が高く、冠詞に近いようだ。
日本の若者が連発する「とか」は、特称かつ不定のマーカーに近づいているのかもしれない。
言語は合理的な方へと変化する。
たるを自称と考える事はできないかな? 国権の発動に該当するかは自分が決めることではないけど、そう思った戦争では放棄するんだという意味には取れないだろうか?
北朝鮮だの台湾だの、国としては認めていないのだから、国権の発動に限定してしまうと不都合があるって事じゃないの?
682 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/08/29(日) 18:38:49 0
>>677 > 日本男児にではなく、すべての者に向けて言っている場合であれば、
> (日本男児は質実剛健を本分とする事が義務だから)すべての者は日本男児であれ。
> って意味じゃない?
ん?
「日本男児たる者、質実剛健でなければならぬ」という格言がもしあったなら、
「者」という語が指し示すことができるであろう「人間である∀個人」、
つまり全人類は、女児も含め、日本男児であるに違いないのだから、
日本男児として質実剛健に振舞え、と解釈できる表現であるということ?
まさかw
>>678 > 人を表す「もの (者)」は、「すべての」等を付けないかぎり常に特称という、
> 語彙的意味によってあいまいさが回避されている。
それでも納得できないなら、べつの例を挙げるしかないですかね。
たとえば「世界に名立たる絵画は」とでも誰かが表現したとすれば、
「すべての絵画は世界に名立たる」と言っているのだとも日本人は解釈すると??
「国家たる存在は」と言った人が、国家の資格を持つ存在はという意味ばかりか、
総ての存在は国家の資格を持つとも言っていると? そう言われても困るでしょうにw
それに、総ての名詞に全称と特称の問題がついてまわるなら「者」だって同様でしょうに。
「者」にかぎらず、修飾することは名詞の意味をさらに限定させているのですから、
全称を表すなんらかの表現がないかぎり、被修飾語が特称を表すのは当然ではないの?
683 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/08/29(日) 18:45:40 0
>>678 > 言語は合理的な方へと変化する。
へえええええ、そう断言しちゃってもいいんですかねえ。
欧州の言語は、男性形・女性形・中性形といったクラス分けを
むしろ失う方向に変化してきているところがあるんじゃないの?
そうすると、
>>618 さんが前半で言っている、男性形・女性形がある
ことによる合理性とは、話が矛盾してこないかい?
名詞の男女は、被修飾語の特定に役立つ *ことがある* だけで、いつでも有用・便利なわけじゃない。 たまたま名詞に種類あるだけで、機能に優劣があるわけじゃないし 無性と有性のどちらが合理的かって言う比較もできないんじゃないかな。
>>682 女に言う人は居ないと思うけど、男勝りって言葉もあるし、男女同権で言うならそうなんじゃないの?
世界に名だ足る 絵画は
全ての有名な 絵画は
指してる範囲って違うのかな?
結局、誰が誰に言ったというような、タグ的情報が意味の特定に必要なんじゃないかな? 日本語って。 逆に言えばその分バッサリ省略できて合理的。
男性名詞、女性名詞、中性名詞ってどうやって決まるの?という疑問を持ったことがあって、 先生に質問してみたら、ロマンス諸語やスラヴ諸語にはだいたい語尾が子音かとか-oかとか -aかとか、そういうことで決まる言語が多いらしいけど、単語の中には例外もある。 ドイツ語とかフランス語あたりになってくると、単語ごとに一つ一つ性を覚える必要がある。 かりに性の区別のない日本語などから外来語をとりいれる場合、後者の言語はいったい どうやって名詞の性を決めるのか。そういう疑問も湧いてきた。 ドイツ語ではだいたい、その語をドイツ語に一端訳してみて、そのドイツ語の訳語の性と 同じものを付ける慣習があるらしいけど、男性名詞か女性名詞か中性名詞かがなかなか 一意に決まらない外来語もあるんだって。 そういう場合どっちも使われたりする。時間をかけて定着するまで待つしかないんだとか。 オタクを女性名詞として使う人もいれば、男性名詞といて使う人もいる、みたいに。
>>682 > 「すべての絵画は世界に名立たる」と言っているのだとも日本人は解釈すると??
> 総ての存在は国家の資格を持つとも言っていると? そう言われても困るでしょうにw
ありえなくはない。常識的にそっちじゃないだろうと推測しているだけ。推測が当たるかどうかはまさに偶然。
文章語では悩む場合がけっこう多い。思い当たらないとすれば書き慣れてないからだ。
> それに、総ての名詞に全称と特称の問題がついてまわるなら「者」だって同様でしょうに。
語彙的にどちらかに決まる名詞もある。「*者は、…」という一般論は述べられない。
名詞というもの (全称) は文法的に全称と特称の両用なのだという一般論は変えなくてよい。
> 全称を表すなんらかの表現がないかぎり、被修飾語が特称を表すのは当然ではないの?
だから日本国憲法の場合も、始めから「戦争」を特称と解釈するのが当然だと?
実際は常識的に全称だろうと解釈する人の方が多い。非修飾名詞は特称がデフォルトというのは全く成り立たない。
>>683 > 欧州の言語は、男性形・女性形・中性形といったクラス分けを
> むしろ失う方向に変化してきているところがあるんじゃないの?
全部捨てないところが実に合理的だ。
>>684 > 名詞の男女は、被修飾語の特定に役立つ *ことがある* だけで、いつでも有用・便利なわけじゃない。
日本語にはその種のデヴァイスがないから、役立つ *ことがない*
宝くじはたまに当たる *ことがある* だけだが、買わなければ当たる *ことがない*
本質的に同じに見える人が多いらしいのは実に驚きだ。
ちなみに、文法的デヴァイスが意味の特定に役立つ確率は、宝くじに当たる確率よりはるかに高い。
>>686 ひとたびタグ的情報が不足すると、あいまいさを避けるのが難しくなる。
通常の日本語から離れた不自然な表現も容認するなら、正確に述べることは不可能ではない。
> 全部捨てないところが実に合理的だ。 外から見ると中途半端に残すのってかえって不合理だな。 内側から見て役立ってる部分を強調して合理的だとか 擁護するぶんには勝手にやってればいい。 規範を教える人はそれで飯食ってるんだし。
>>689 意味の特定のために性があるわけじゃない。
本質的に同じとは言わんが、
たまたま性があったから性があるだけだ。
692 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/08/30(月) 10:47:44 0
「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、 国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」 {国権の発動による戦争 + 武力による威嚇 + 武力の公使} これらを、{国際紛争を解決する手段のためには}使えない。 そう素直に解釈すればいいんじゃないかなあ。 日本国憲法というのは、国家権力が守るべき、 つまり「国権の発動において」その主体である国が守るべき掟だよね? だから、国権の発動以外の戦争(たとえばテロか?)が この世に存在しない、とまではなんら言及していないし、 国権の発動にかかわるものでなければ言及する必要もない。 なぜ、そこが問題になっているのだろうか。
>>693 ぜんぜん日本語の言語構造の問題点じゃないな
「素直に解釈」すれば、国だと認めなければなんでもありなんでしょ? だったら、「素直に解釈」しか出来ない言語だと、コジツケが詐欺の道具に使えるだろうね。 本当はそういう解釈はできないってことだから。
身を委ねる契約で、(形のない心ならともかく)血は別だとかという話はないし、 持っている身の好きな部分を譲ろうという契約で、自分の命を取られる話もありえないだろう。 これらが何語なのかよく知らないけど。
697 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/08/30(月) 16:44:21 0
日本語の特質の話をしてる最中に いきなり直訳体バリバリの悪文を持ってくるセンスを疑うわ 典型性のカケラもない
元々は消費税の話だろ? 任期中は上げないと言った場合、その後の拘束性はあるのかないのか。
>>584 任期だから、本来の期限までなんじゃない?
そうでなければなんで数カ月で総裁選やるの?
民主党は代表選だったか、まあ党なのか内閣なのか何の任期なのかわからないけど。
任期も内閣も引き継いだのに、舌の音も乾かない内に勝手な事を言うのは義が無いって話なんだろうな。 一方、道連れにして辞めさせたのにそのまま踏襲して抵抗してくれた方にはそりゃ大義を感じる訳だ。 …で、何の話だったっけ?
>>695 それが嫌なら、始めから war, as a sovereign right of the nation 「戦争を国権の発動と認め」と書いておけばよかった。
そうすれば後からどんなこじつけもできない。「3 月 2 日案」ではそうなっていた。
法や条約があいまいでよいことは何もない。
>>702 何言ってるのかな?
あえて変わったということはそれだけの理由があったということにしかならないんだけど?
>>703 変わった結果を受け入れた以上、そういう解釈が可能であり、こじつけでも詐欺でもないじゃないか。
英語 war as a... は制限的修飾に確定していて、sovereign right of the nation に相当しない war が存在することを前提としている。それらは放棄していない。
日本語の「国権の発動たる戦争」があいまいなだけ。日本語が不合理、または訳し方が悪い。
意味不明だな、曖昧でなにが悪い? それで50年以上過ごしてきたのに。
大体、英文がそのまま憲法になったんなら、それは傀儡国家で無効だと言っているようなものだ。
707 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/08/30(月) 20:32:31 0
>>702 それだと全称になるということ?
しかしそれでも「戦争」や「国権」や「発動」や「認める」が
いったい何を(意味の範疇を)指しているかという解釈論争は絶えないんじゃないか。
けっきょく、憲法を六法全集なみにぶ厚くしなきゃならなくなる。
定義の定義のそのまた定義を徹底的にやっていくしかないよね。
薩長同盟とか、論理式に直訳してみたら穴だらけだろうけど、そもそもあれは覚書だし、 穴を突いて何かできるって話じゃないよな。
>>705-706 実際傀儡国家ではないか。
国権の発動ではない war だと米国から言われたら、つき合うほかない。英文はそうなってるのだから。
>>707 全称なら自衛隊は持たなくて済んだかもしれない。
あいまいでよい所もあると思うが、肝腎な所があいまいというのはどうしたものか。
今の契約書はけっこう詳細になっているから、「国権の発動に相当する限りの戦争」ぐらいは訳すだろう。
わけがわからん、傀儡での憲法改定は無効だろう。
国権の発動ができないのが傀儡国家なのだから、放棄も出来るわけがない。 だとすれば何が書いてあろうが全く無意味な規定だろうに、一体何が言いたいだろうが?
日本語の表現があいまいだという事実を述べているだけで、あいまいでよいとか悪いとかの問題ではない。 憲法に実態的効力があるかどうかとは無関係。だれも改定せよなどと言ってない。 ただ不合理な日本語のサンプルとして見ればよい。
どこがどう不合理のサンプルになっているのかさっぱりだということ。 むしろ曖昧なおかげで話をまとめられたのだから合理的なサンプルだろう。
なんていうかさ、千里の長さが曖昧だから、里という単位は不合理だみたいな話をしている人がいるよね。 集落の数からきているんだから、人口密度によって変わるのがどこが不合理なんだろうみたいな話。
715 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/08/31(火) 18:05:33 0
>>709 > 国権の発動ではない war だと米国から言われたら、つき合うほかない。
なんでえ? その意味がちょっと分からないのでもっと詳しく。
国権の発動ができないのだから、テロであろうがなんであろうが、
「少くとも国家としては」協力したくてもできないはず。
だから米国に協力するためには、日本国憲法に規定された日本国ではなく、
私的部隊として協力する以外にない。自衛隊を私的部隊とするしか。
>>713 日本語があいまいでなかったらまとまらなかったという根拠はない。
むしろ、これじゃあいまいだということにだれも気づかなかったのだろう。
>>715 何が日本の国権で、何がそうでないかも米国が決められるんだよ。
気づかなかったらわざわざ変えたりしないだろう。 曖昧にしたって意味が無くなるわけではないから問題ない。 厳密にして意味が無くなるほうがよほと問題。 たとえば、冥王星は惑星じゃないなんて後出しで言って世の中を混乱させても、 それが合理的だとかうそぶいて涼しい顔をしている連中が居るわけだね。
718 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/08/31(火) 20:01:50 0
>>716 >
>>715 何が日本の国権で、何がそうでないかも米国が決められるんだよ。
ほら、けっきょく、「国権」とは何か、ということのほうが重要な解釈論点になるよね。
国権とか発動とか戦争とか武力とかの定義の定義のそのまた定義について定義する必要が
けっきょくのところ出てくる。六法全集みたいに厚くする必要があると言ったのはそのため。
ところで、なんでその定義を米国が決められるということになるわけ?
どう解釈すると、日本国憲法の条文からそういう解釈が成り立つんでしょうか。
>>717 > 厳密にして意味が無くなるほうがよほと問題。
もともとない意味はなくなるべきだ。
> たとえば、冥王星は惑星じゃないなんて後出しで言って世の中を混乱させても、
> それが合理的だとかうそぶいて涼しい顔をしている連中が居るわけだね。
合理的と混乱しないこととは全く無関係。
基督教徒である西洋人にとって、神が創った世界の中の大きな一部である惑星を発見することは、心情的には、ノーベル賞よりはるかに名誉なのだ。
冥王星は米国人が発見した唯一の「惑星」だった。どうしても惑星と認めて、米国の名誉を守らねばならなかった。
しかし天文学者らは、科学的合理性を盾にとって、強者の身勝手を斥けた。
>>718 > ほら、けっきょく、「国権」とは何か、ということのほうが重要な解釈論点になるよね。
だから日本語はあいまいではない、ということにはならない。
>>717 > 気づかなかったらわざわざ変えたりしないだろう。
英文が変わったから日本文も変えた。
しかし、英語が一義的なのに、日本語はあいまいだということに気づかなかった。
>>719 勝手に定義を変更することのどこに合理性があるのか?
名前変えろよ。
天文学者達が、惑星の軌道はその重力で決まるなんてデタラメを信じていて、それを今頃になってゴリ押ししただけの話。 じゃあ、ぼやけていない星は惑星じゃないとか言ったらどうする気だろうか?
>>722 観測技術が進歩し、知られる事実が増えれば、定義は変わるのが当然だろう。
名前も変えろというのは、そのとおりかもしれないが、Pluto というのは惑星にのみふさわしい名かどうか、私にはわからない。
神様の名前を変えてどうするのさ? 伝説の通りの場所で発見されたから神様扱いしていたのに、勝手に偽物扱いしたら神様が怒るってものだろう。
既に存在する言葉の概念が曖昧で嫌なら、その言葉を使わないのが合理的な方法。 tsunamiとかに言い換えればいい。
>>724 そうやって神でも定義したつもりになって、異端審問をくり返していればいいさ。
地動説と天動説には白黒付けられないけど、それが無理って事を証明できるのが本当の科学。
>>719 キリスト教徒の心情として、異教の神の名をつけた星の格付けを特別に保ちたかった、っておかしいだろ。
米国人が発見した唯一の「惑星」という事にこだわりたかったんだから、それはキリスト教じゃなくて
ナショナリズムだろ。
ナショナリズムだというなら、他の国では太陽の廻る星を表す言葉で、水星から海王星までを表す言葉というのは以前から存在していたの? だったら、その言葉に置き換えたほうが合理的だったんじゃない?
もちろんナショナリズムだが、それだけでは惑星発見にこだわる価値観は説明できない。 天文学はもともと異教時代 (古代ギリシャ・ローマ) の知識だ。惑星にはすべて異教の神の名がついている。 その知識が基督教に取り込まれて権威づけられたのだ。
しかし、旧来の語義を求めるなら、当然土星までであって、海王星までなんていう定義はどこにもないだろう。 アフリカの目が良い部族が見つけていたなんて話あったけど、一体どうなったのやら? アメリカ嫌いの国は世界中にあると思うが、そんな話は聞いたことがない。 そもそも直前まで惑星を増やす算段をしていたのだから、結局単なるでっちあげの定義でしかない。
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空港(くうこう)→ くうごう たとえば → たどえば あなた → あなだ としば → どしば 成田(なりた) → なりだ みかん → みがん なぜ日本人が実際に発音するときは→のようになっちゃうの? このせいで外国人の俺には聞き取るのもしゃべるのも苦労してたんだ。
734 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/09/03(金) 14:01:59 0
735 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/09/04(土) 00:08:59 0
>>733 韓国語訛りか?
「としば」だけは違うか? てか「としば」って何?
単に母音が違って聞き取れてないだけなんじゃない? 自国語のaとoの発音記号は日本語と同じなの?
年ば取りたくなかばってんねぇ。 って言うのかなって思った。
とりあえず、
>>733 にはタグ的情報が欠落しているから、何の話かサッパリなんだよね。
わかるのは、日本人が外国人に言ったという事なんだけど、
「日本人が」と言われても、そんなしゃべり方をしない多くの日本人は、その外国人のヒアリングがおかしいのだと考える。
もし、地名が空港等ではなく、その日本語が話されている地名を示していたり、
歳は → としば
と書いてあれば、これは方言の訛りの話だろうと考えられただろうね。
寒くて口を大きく動かせない地方の発音だとそうなるのかも?
ただの東北方言だろう。「どしば」は聞き誤りではないか。 「標準語」の音韻は、五十音図で規定する。○イク ×イグ・エク・エグ 文法は、学校教科書で規定する。○イコウ・イキマショウ ×イクベー 語彙は、辞書で規定する。○ウシ ×ベコ アクセントについては、実はどこにも定めがない。現に学校では何も教えられていない。 しかるに、東京アクセントが「標準アクセント」を僭称している。本当はせいぜいアナウンサーや俳優だけが身につければよいものだ。 これも日本語の不合理な点の 1 つ。 音韻・文法・語彙には標準がある (守らないと話が通じにくい) が、アクセントにはない、自由でよいのだといえば、日本人は今よりずっと明るく楽しくなれるだろう。
>>741 それも単なる決めつけにすぎない。断定できる根拠は?
>>741 東北弁か。そう言われてみれば、なるほど。
その東北弁が、日本語の韓国語訛りに見えたのは気のせいか。
東北より先に韓国訛りに見えるなんて珍しい人だ。
>>745 最近のテレビじゃ東北弁聞かないしね、田中義剛も出なくなったし、あとは変な秋田弁の外人だけだし。
一方、韓流の宣伝で日本語喋る俳優が皆同じ訛りをしているんだから覚えるだろう。
アメリカでは、アナウンサーや俳優にさえ言葉の規範がない。
東部方言風に話す人が多いが、一種の流行にすぎないらしい。
60 年前、NY のアクターズ・スタジオで優秀な成績を収めた 1 人の俳優は、中部訛りがあり、野暮ったいともいわれた。
しかし独特の魅力でスターダムにのし上がり、さらに、台詞を丸暗記するのではなく、台詞の趣旨を理解して自分の言葉で話すという、全く新しいスタイルを創り出した。
彼が演技というものを大きく変えてしまったために、インテリでなければ役者ができなくなった。
すなわちジェームズ・ディーンである。
http://www.youtube.com/watch?v=0fkl0iD9KsU 07:30-08:00 は彼のアドリブで、カメラがついて行けず、俳優 2 人が右端に寄ってしまうが、不安定な構図がまたよい。
映画史上最も哀切なシーン。
>>733 です
日本人は「空港」とか「あなた」の言葉を言い出すたびに、
多くの外人が「くう-ごう」「あな-だ」のような音が聞こえてくる。
その言葉を「く - う - こ - う」「あ - な - た」と、いちいち正しく発音する外人の場合は、
もちろん意味が通じるもんだけど、日本人はそれを聞いたら「あれ、こいつ、日本人じゃないな」、と思いこみがちになると教わった。
まあ、こんな些細なニュアンスは気にしなくてもいい、と今分かったんだな。
日本語の清音と濁音の区別は、閉鎖の解除(破裂)と声帯の震動が始まるタイミングで区別されるんだよね。 破裂から25ミリ秒くらいに境界があって、これよりも振動が早いと「が」遅いと「か」に聞こえる(個人差もある)。 韓国語とか中国語では、破裂するよりも前に声帯が振動するかどうかでしか音の区別をしないから 日本語の音をちゃんと区別するのは難しい。
>>748 意味がよくわかりません。
それらの単語は、どこで聞きましたか?
多くの外人とは、具体的には何語を話す人達ですか?
言葉が濁っても、大抵意味は通じますが、その違いはわかります。
変わっていれば気にはなりますが、服装とかと同じような感覚で、
個人の個性や地域の特徴と考えられています。
以下は教科書からの転載 「破裂音の無声音と有声音が違い音だということは、日本語話者にとっては当たり前で、 その区別が難しい学習者がいるということはなかなか理解できないかもしれません。」 「日本語の無声音が無気音で発音された場合、それを有声音だと聞き取り ます。例えば"とても"の場合、最初の"と"は有気音に近い音なので問題ないの ですが、次の"て"は無気音ですから、日本語の有声音だと聞き取り、"とでも" のように書くことがよくあります。」
> 違い音 最近、動詞「違う」をチゲーという俗語形を介して「違い」という 形容詞にしてしまう人がよくいるよね。 年輩者には信じられないかもしれないけどこういう変化は起こりつつあるようだ。
助詞の「が」はもとは「か」だったの? 「は」も「ば」と発音されることがあるよね?
補足 a. あな「た」(息を出す、有気音) b. あな「た」(息を出さない、無気音) c. あな「だ」(濁音) aとbの違いは外国人にとって区別が付きにくい。 bで発音すると、cのように聞き間違えてしまうことが多い。 つまり、支障なくa、b、cの違いを聞き分けるのは日本人でしかないような気がする。
>>754 日本人って有気音と無気音を普通に聞き分けるの?
それが本当だとしたら、私は中国語でこんなに苦労しないのに。
っていうか、さっきから日本人日本人と十把一絡げに言ってるのはナニジンだよ? 日本語で「日本人は」って言ったら「私達は」って意味がデフォなんだから、 いきなり言われても意味がわからんよ。
>>752 違い音なんて言葉は聞いたことがないけど、色違い柄とか言うのってなにかおかしいの?
>>752 tigauの不規則俗語形としてtigeeを使って「違えよ」とは言うけど
自分は形容詞として活用してる意識はないな
「ちがくない?」とか「ち↑が↓いよ」とかは言ったことない
そういえば形容動詞がわからない奴って居るよね。 AはBだ って AはB'のようだ って意味があるのに 形容動詞Bと名詞B'が同音なものだから気づかなくて、 AはBじゃないとか言って話が噛み合わないの。
>>759 形容動詞と取り違える例がわからないけど
隠喩にしてもBは名詞なんでないの?
>>760 名詞と同型だから気がつかないんだよ、勿論。
>>761 それがわからんので何か例を挙げてもらえると有難い
象はウナギじゃない。
>>759 形容動詞説でいうなら、「B」は形容動詞語幹。
>>話が噛み合わないの。
はまた別の事情だなw
>>764 A→Bではなく、A=B'を否定しているのだと、すぐそれがわかれば別に問題はないんだけど、
まさかそんな勘違いが起きているとは思わないものだから、
話が噛み合わない原因は別にあるのだと思ってしまうことが多い。
それが更に惨事を引き起こしたりするんだ。
>>756 それだけではなく、韓国人と中国人だけを「外国人」としてるふしがある。
冗談じゃない。
日本語で不合理だと思うのは言葉狩りだな。 元々そんな意味で使っていないのに、バカが悪い誤用を広めるだけで、 本来の意味で使っている人にまで使うなって意味も知らないバカに言われたりするんだ。 あべこべだろ。
英語はもっと凄いんだが、intellectually-challenged君
>>768 そうやって侮蔑に使われるから、結局どう言い換えようとも
Politically Correctnessは失われてしまい、他の言い換えを探す羽目になるんだよな。
「貴様」や「御前」が辿った歴史も、おそらく理屈は同じで、
言葉に手垢がついてだんだんランクが下がっていくのは、避けがたい現象なのだろう。
結局、言葉の悪い方の意味しか知らない事でそれは起こるんだよ。 両方の意味があることを知っていれば、相手の言っている意味を慎重に見極めようとするから問題は起こらない。 言葉には一つの意味しかないと思っている連中には、そういう常識が通用しないからね。
落ち着きのないがきんちょつかまえて、活発なお子さんですねと言うことは多いけど だからといって、活発を落ち着き無いという悪い意味で使っていると解釈するのは大間違い。 自分が無意識にそう思っているから勝手にそう思いこむだけの話なんだよな。
機械翻訳しやすい言語がいちばん合理的?
そんなわけねえだろ
英語などはある意味、強迫性人格障害っぽいな。
>7 名前:名無し象は鼻がウナギだ! 2010/09/06(月) 21:17:56 O > >日本語は非論理的でも不合理でもないよ。 >非論理的・不合理の意味が論理も道理もなく支離 >滅裂だとしたら、そんなのは誉められた話じゃない。 >非論理的とか不合理とかいう議論はナンセンスだ。 >それは「言葉を使う人」に問題がある証拠だよ。 >その問題を自分でなく、言語に責任転嫁しただけだ。 >もし日本語が非論理的・不合理な言語なら、どうして >論理的・合理的な言語(仮に英語)を日本語に翻訳 >できるのさ?そもそもなぜ翻訳した論理的・合理的 >言語を日本人が「日本語」で理解できるんだ? >実は、これは嘘つきのパラドックスの変形だよ。 使う人に問題がある証拠ってなにさ? 聞く方に資格がないだけの話だろ。
776 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2010/09/06(月) 22:04:33 0
自分の知識不足でわからないだけの事を、不合理と表現することが不合理だよね。
この世界に「合理的」というものはそもそも存在しないわけ。
そりゃそうだ、人類以前から世界はあった。 合理的な人間と不合理な人間がいるだけだろう。