>>883 >本人たちにはむろんできないよ。事実がいかにあるかを、事実のみに基づいて説明している (科学的) かどうかは、科学史家が判断する。
>科学的だと判断されれば、思想は事実の説明にかかわっていないから、飾りだということになる。
問題は、世宗が科学的精神(うさんくさい言葉)を持っていたか否かであって、
科学史家が事実を抽出する云々は関係ないと思うが。
>だれがどう見ても屁理屈屋は君だろう w だいたい、先祖と子孫とを同一視するところからして科学とは無縁。
なんでも科学で説明できるわけではないw
>言語学史でも当然扱う。言語学を科学史で扱うことが新しい試みなのだ。
残念ながら失敗してるね。
>「科学」に「こだわる」ことができるのは、「科学」を「ブランド」ととらえている君であって、私ではない。
だから自覚してないだけだって。
>言語という一般的な概念はなくても、音素や音素体系はあらゆる言語に一般的と考えられるから、それらを発見することはもちろんできる。
「音素」や「音素体系」という概念はどうかな?
>結果として飾りだったと見ることには、十分な根拠がある。どう考えていたかはどうでもいい。
世宗が科学的精神を持っていたかを判断する上では重要。
>概念はなくても科学的精神そのものはあった。
「概念はなくてパクリ精神そのものはあった。」と言い換えると?
>「なんでも」って何?
なんでもってことw