1 :
名無し象は鼻がウナギだ!:
語る
2 :
tociguri:2005/04/08(金) 12:52:59
先生に難しい漢字を「書か・せ・られ・まし・た」。
動詞+助動詞で複合動詞を形成する膠着語の典型ですね。トルコ語や
エスペラント語も同様にして複合動詞を作る。
「書k・aせ・られ・まし・た」だよ
「食べ・させ・られ・まし・た」はこれでOK
子音幹と母音幹の別がある。
6 :
tociguri:2005/04/09(土) 00:38:03
>3 より正確には kak/a/se/rare/mas/i/t/a となりますね。
7 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2005/04/09(土) 04:40:33
8 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2005/04/09(土) 05:28:17
むしろ不正確になる。
9 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2005/04/09(土) 05:28:40
なに言ってんだよおまえら、「書かさせられました」だろ?一発変換だぜ
>6
いいや
kak/as/er/ar-e mas/i/t-a.
だ。
この書き方なら「ら抜き」が起こる理由がよく分かる。
tab/er/ar/er-u.
tab/er/er-u.
arが抜けたのだ。可能動詞の起こった過程と同じで。
ラ有り
「受身」 tabe-"rare"-ru : yom-"are"-ru
「可能」 tabe-"rare"-ru : yom-"e"-ru
ラ抜き
「受身」 tabe-"rare"-ru : yom-"are"-ru
「可能」 tabe-"re"-ru : yom-"e"-ru
子音幹の /are/-/e/ の類推から、
母音幹の /rare/-/rare/ が /rare/-/re/ に変化して体系的になった。
これがら抜きの起源だね。
tabe-Ru
yom-u
tabe-Sase-ru
yom-ase-ru
tabe-Rare-ru
yom-are-ru
tabe-Re-ru
yom-e-ru
tabe-Ro (方言形 tabe-Re)
yom-e
tabe-Yoo
yom-oo
tabe-Reba
yom-eba
子音幹の後では接辞の頭子音を落とす。
13 :
tociguri:2005/04/09(土) 21:14:28
受動と、可能、尊敬が「れる・られる」という同一の形を持つのはいかん。
日本語の欠点だろう。
可能と尊敬がいっしょ>can,could
15 :
tociguri:2005/04/09(土) 22:27:41
英語の would,should,could というのも、ようわからん単語ですね。
16 :
tociguri:2005/04/09(土) 22:33:34
日本語を正確に表わす仮名遣い・・・
クアクアスエルアルエムアスイトア
17 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2005/04/09(土) 23:47:17
>>15 仮定法(接続法)と思えばまず間違いない。
それでおかしければ過去時制と考えよ。
18 :
tociguri:2005/04/10(日) 18:51:46
接続法・・・これが何なのかよく分からぬまま、英語、第ニ外国語は終わった。
その後エスペラントを読んでおぼろげに感覚をつかんだが忘れてしまった。
19 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2005/04/10(日) 22:23:21
良スレなのか駄スレなのかよくわからんな、ここは。
20 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2005/04/14(木) 23:25:51
,..-──- 、
/. : : : : : : : : : \
冒 /.: : : : : : : : : : : : : : ヽ
l l ,!::: : : :,-…-…-ミ: : : : :',
./〜ヽ{:: : : : :i '⌒' '⌒' i: : : : :} ________
|__| {:: : : : | ェェ ェェ |: : : : :} /
. .||ポサ.|| { : : : :| ,.、 |:: : : :;! < うわゎぁぁぁぁぁっ
/|.l ン||_.ヾ: :: :i r‐-ニ-┐| : : :ノ \
|  ̄ -!、 ゞイ! ヽ 二゙ノ イゞ‐′  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| −! \` ー一'´丿 \
ノ ,二!\ \___/ /`丶、
/\ / \ /~ト、 / l \
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/\ ,へi ⊂ニ''ー-ゝ_`ヽ、 |_厂 _゙:、
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,ヘ \_,. ' | | 丁二_ 7\、|イ _/ ̄ \
i \ ハ |::::|`''ー-、,_/ /\_ _/⌒ヽ
___________________________________
このスレを見た人は、10年以内にかならず氏にます。
でも、逃れる方法はあります、
※10日以内に20箇所のスレにこれをはるのです。
すみません、僕も氏にたくないんだす
日本語で、尊敬・可能・受動が同一な理由として、
尊敬⇒
上の身分の者の行動なので、自分が影響を与えることが出来ない。
受動⇒
降りかかることなのでどうすることも出来ない。
可能⇒
一般に日本語の「出来る」という語は、努力に関係なく持ち合わせている能力を言う。
まさに“湧いて出て来る能力”。
つまり、非自発行動形という一つの型を、勝手に尊敬・受動・可能の3分割にした代物。
と、トンデモ言語学の大家・大野晋氏の弁。
22 :
tociguri:2005/04/16(土) 01:25:52
この点についてはトンデモ説とは思われない。しかし可能の説明はおかしいと
思われる。可能ではなく「自発」の説明だろう。
「れる・られる」には尊敬・受動・自発・可能という4機能があると思われる。
>>21-22 「尊敬」の場合は、動作の受け手が非特定で、
「受身」「可能」の場合は、動作の為手・受け手ともに特定で、
「自発」の場合は、動作の為手が話者に固定されている、
と考えればいいわけだが、少なくとも現代語に関しては、そんなに簡単ではない。
「先生が話される」と「先生に話される」では、前者が尊敬で後者が受身とはっきり分かれる。
「英語が話される」と「英語が話せる」では、前者が受身で後者が可能とはっきり分かれる。つまり、「‐れる」に可能の意味はもうないといっていい。
24 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2005/05/08(日) 00:52:04
>>23 超えられる は 尊敬受け身可能全部ある。
A先生は師匠の業績を超えられた=尊敬
彼の業績はA先生に超えられた=受け身
A先生なら彼の業績を超えられる=可能
>>25 「‐れる」と「‐られる」は違うからね。
> A先生は師匠の業績を超えられた=尊敬
Prof. A could surpass his master in academic achievements とも解釈できる。
> A先生なら彼の業績を超えられる=可能
Prof. A will surpass him in academic achievements とも解釈できる。
英語を使って説明する人 w
英語には敬語がなく、かつ、事実に反する可能を明示する形があるから、わかり易い。
第一例は Prof. A could have surpassed... とすべきだったかな。
29 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2005/09/20(火) 12:29:39
動詞
「れる」「せる」
形容詞
「たい」「らしい」「ない」
不明
「ます」「です」「た」「ぬ」
動詞の「ある」の未然形って何?
あら?
32 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/18(土) 19:57:50
「生む」に助動詞の「れる」をつけて「生まれる」
でも生まれるというのはひとつの動詞のように扱われている
33 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/20(月) 00:21:54
>>32 生まれる、は語源を意識して「生ま」れると送り仮名されて「生れる」と
書かれることはない。
34 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/20(月) 00:37:29
35 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/20(月) 00:38:23
36 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/20(月) 01:07:32
次の漢字の振り仮名を書け
「生れる」
ナマ
37 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2006/03/20(月) 01:38:30
38 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2006/12/17(日) 21:53:21
動詞のアスペクトについて詳しい方。
「生きる」は、主体動作動詞・主体変化動詞・主体動作客体変化動詞・状態動詞
のどれに分類されるんですか?
39 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2007/03/16(金) 23:10:22
>>32 生まれるというのは、UM-are-ru と、分解することができるので、生む(UM-u)の受身形ね。
動詞の受身形や使役形が別の動詞として取り扱われるようになるのは、よくあること。
動詞の変化というのは、それ。
つまり、もともと同じ動詞の自動詞形、受身形、使役形だったものが、
時間の経過とともに、それぞれ別の意味を持った動詞として独立してしまう。
こうした動詞の分化が何度も繰り返されて、現在の日本語が成立している。
>>39 >生まれるというのは、UM-are-ru と、分解することができるので、生む(UM-u)の受身形ね。
「娘が昨日生まれた」というときの「生まれる」は「産む」の自動詞形。
「下ろそうとした子を産まれた」というときは「産む」の受身形。
受け身形が意味変化して自動詞形になったのではなく、むしろ自他対応が
ある動詞群(「切る・切れる」「見る・見える」「はぐ・はげる」など)
から分析され、他動詞に「れる・られる」をつけて受け身を表すようになった。
「入る(いる)」「入れる」など、逆になっているものも合わせて考えればよい。
因みに英語でも、「産まれる」と受け身にする場合はto be borneとなる。
自動詞(複合動詞)的に「生まれる」という場合のみto be bornとなる。
あと、完了形はto have borne。英和辞書みればいいだけのことではあるが…
42 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2007/03/17(土) 22:23:18
>>40 そもそも、日本語文法では、他動詞/自動詞の定義がはっきりしない。
俺の言う「他動詞形」「自動詞形」「使役形」「受身形」というのは、
あくまでも動詞の形態のみから判断するものであり、動詞の意味や用法とは
関係ない。
俺の定義する「他動詞形」「自動詞形」「使役形」「受身形」というのは以下の通り。
子音語幹の場合
子音語幹-u 他動詞形
子音語幹-e-ru 自動詞形
子音語幹-ase-ru 使役形
子音語幹-are-ru 受身形
母音語幹の場合
母音語幹-ru 他動詞形
母音語幹-sase-ru 使役形
母音語幹-rare-ru 受身形
43 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2007/03/17(土) 22:35:59
(続き)
この定義により、UMという子音語幹を持った動詞があるとすると、
他動詞形 生む UM-u
自動詞形 生める UM-e-ru
使役形 生ませる UM-ase-ru
受身形 生まれる UM-are-ru
となり、TABEという母音語幹を持つ動詞があったとすると、
他動詞形 食べる TABE-ru
使役形 食べさせる TABE-sase-ru
受身形 食べられる TABE-rare-ru
となる。
44 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2007/03/17(土) 23:06:36
(続き)
だから、「生む」と「生まれる」の関係は、同じ動詞の他動詞形と受身形の関係であって、
他動詞/自動詞の関係ではない。
他動詞形と自動詞形の関係は、
切る/切れる KIR-u/KIR-e-ru 剥ぐ/剥げる HAG-u/HAG-e-ru
のように、無標/e の対立のみに限定するべきであり、
それ以外の、一見 自動詞と他動詞の対立のように見えるものは、
他動詞形と受身形の対立であったり、使役形と受身形の対立であったり、
自然の状態を示す動詞の他動詞形と人為的な行為を示す動詞の他動詞形との
対立であったりする。
自然/人為の対立と言っても、実にさまざまなパターンがあるのだ。
45 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2007/03/17(土) 23:18:12
>>43 それはつまり、
>>43(とか
>>32とか
>>39とか)は
学校文法では形態素二つからなるとみなされている「取られる」(=取る+れる)と
同じく形態素一つからなるとみなされている「生まれる」は
実はどちらも-are-ruという同一の形態素を持ち二つの成分による、という説に立つのか?
46 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2007/03/17(土) 23:37:09
>>45 俺の解釈はこの通り
取られる TOR-are-ru
TOR- 動詞の語幹
are- 受身を表す形態素
-ru 現在形(正確に言えば未完了)を表す形態素
生まれる UM-are-ru
UM- 動詞の語幹
are- 受身を表す形態素
-ru 現在形であることを示す形態素
だから、どちらも受身・現在。
なお、俺は、語幹+受身の形態素+現在の形態素という、
三つの成分からなる、という説。
日本語学の世界ではどう言われているのか、俺は知らん。
47 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2007/03/18(日) 09:47:27
(続き)
俺の考えでは、動詞というのは、
語幹の後ろにさまざまな役割をもった形態素が結合して
全体としてひとつの意味を持った動詞を形成している、と考える。
学校文法の「助動詞」というのは、実は動詞を形成する要素のひとつだから、
独立した品詞のように考えるのはおかしい。
学校文法は、英文法でむりやり日本語を分析したようなところがあるから、
現実の日本語とあわないところが多い。
たとえば、主語の問題、自動詞と他動詞、助動詞の存在など・・・。
>>47 結論だけにアンカーをつける。
問題は、この形態素の自由度が各々かなり異なるということだな。
今の学校文法の助動詞は、
自由度の高い、全ての動詞に接続可能な形態素を助動詞とし、
自由度の低い、一部の動詞にしか接続できない形態素を語尾として扱っている。
後者は、どちらかというと屈折語尾に近い動きをする。
そして、前者は、
これは決定的なことだが、
動詞の後に重層的に複数接続することが可能だ。
「行かせられません」
助動詞として分離しておいたほうが、文法上扱いやすいわけだ。
別に英文法なんちゃらという話では無い。
現実には、未然形接続の助動詞は、アクセント上は動詞の一部として一体で振舞うことが
京都アクセントを調べると分かるんだけどね。
49 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2007/03/18(日) 21:14:29
>>48 >問題は、この形態素の自由度が各々かなり異なるということだな。
俺の分析では、形態素の接続に関しては、
母音と子音の二つに場合分ければ十分、という結論が出ている。
つまり、語幹を含む形態素の最後の音韻が、母音の場合はそのまま接続し、
子音の場合は、次の形態素の間になんらかの母音が付加する。
例を挙げる。
行かない IK-a-nai
食べない TABE-nai
行きます IK-i-mas-u
食べます TABE-mas-u
否定の場合は、子音動詞の場合は、語幹と、否定の形態素naiの間に、
母音のaが付加されているが、母音動詞の場合には、それがない。
また、丁寧の場合には、子音動詞の場合、
語幹と丁寧の形態素masの間に母音iが付加されているが、
母音動詞の場合には、それがない。
つまり、いわゆる動詞の活用の正体は、動詞の語幹の最後の音素が子音だった場合、
次の形態素の間に、母音が付加される現象なのである。
自由度の高い、低いというのは、日本語がひらがなという
音節文字で表記しているから、見かけの上、
そうなっているだけではないかね。
50 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2007/03/18(日) 21:29:05
(続き)
「行かせられません」については、つぎのように分解するべきだと思う。
行かせられません
IKASE-rare-mas-en
IKASE- 母音動詞の語幹。
rare- 受身の形態素。母音の場合
mas- 丁寧の形態素
-en 丁寧の形態素の後に付く、否定の形態素
>>49 自由度というのは、
全ての「子音語幹」なる動詞に対して、
-Φ、-e, -ase, -areの単一の体系で説明できるのか?ということ。
これらが全ての日本語「子音語幹動詞」なるものに接続可能なのか?
ということだ。「越す」にたいする「越える」なんてどうする?
子音語幹なるものの末尾が脱落しているぞ?
語幹の末尾が脱落するということは語幹の定義に反するじゃないか。
語幹を異にする全く別の動詞なのか?
自動詞と他動詞の区別は無用なんだろ?
この辺の形態素研究は、おまえさんが自説なるもので得意になるずっと前から、
あまたの国語学者や日本語学者によって散々行われている。
俺が語ることでも無いから、ここで落ちる。
鼻高々になるまえに、初歩の国語学でもじっくり勉強汁。
かな文字に囚われている国語学者なんて、今時誰もいないよ。
>>49 >子音の場合は、次の形態素の間になんらかの母音が付加する。
それが何の母音なのか、それじゃ説明してないよ。
母音なら適当でいいのか?
「*行こない」でも「*行きない」でも「*行くない」でもいいのかね?
明らかに母音が何であるか選ばれている。
つまり何らかの意味を担っているということだ。
発音の便宜のため適当に挟みこむ介在母音などではない。
となると、おまえさんの発想では、
この母音にも形態素を立てなければならないことになる。
そして、日本語の助動詞は数珠繋ぎになって付いていく。
さあどうする?
53 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2007/03/18(日) 23:11:20
>>52 そうやって難詰しなくても「動詞の語幹を-uの部分から切る説は無理がある」でいいじゃん。
IK=as=er-are-nai
55 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2007/03/19(月) 13:15:26
>>学校文法は、英文法でむりやり日本語を分析したようなところがあるから、
>>現実の日本語とあわないところが多い。
>>たとえば、主語の問題、自動詞と他動詞、助動詞の存在など・・・。
英文法のまねと言っても文法現象の説明に適していればよい。
自動詞・他動詞はまねでなくても有用な区別だ。
主語の問題、特に助動詞は英文法をまねたらいかんね。
いや、英語の助動詞は独立した単語だが、日本語の「助動詞」といわれている
ものは独立した単語ではないから、日本語に助動詞は要らない。
主語は要らないかどうか。それが問題なのではなくて、
あるとしたら、文法の説明に有益かどうか、で決まるんだと思う。
56 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2007/03/19(月) 20:35:10
>>51 >全ての「子音語幹」なる動詞に対して、
>-Φ、-e, -ase, -areの単一の体系で説明できるのか?ということ。
単一の体系で説明できる、なんて俺言ってねーぞ。
-Φ、-e, -ase, -are という体系は、あくまでも現代日本語の子音語幹を持った動詞の
派生規則であり、過去は当然、別の派生規則が存在した。
すなわち、日本語は2千年近い歴史を持った言語であり、
動詞の派生規則はその間三度にわたって変化した、と俺は考える。
まずは、最古層には、文字に記録される以前に派生した動詞群があり、
その上には、平安時代の頃に派生した動詞群、その上には現代の動詞群・・・
という具合に、まるで地層のように言葉が重なっている。
だから、新しい動詞の派生規則と、古い動詞の派生規則が混在していても、
不思議ではない。俺は言葉の変遷を生物の進化のように考えている。
単一の体系で説明しようとすることに、かえって違和感を感じる。
57 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2007/03/19(月) 20:38:39
>鼻高々になるまえに、初歩の国語学でもじっくり勉強汁。
他人に対して勉強汁、という以上、参考文献を示す義務があると思うが、どう。
58 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2007/03/19(月) 20:53:31
>>52 >母音なら適当でいいのか?
たとえば、行かない(IK-a-nai)の場合、語幹IKと否定の形態素naiの間に
母音であるa音が付加されているが、これがa音である必然性はない。
現在の体系ではこうなっている、というだけの話だ。
だから、過去は違う母音であった可能性があるし、未来の日本語ではどうなっているか、
それは誰にもわからない。
俺は、否定の形態素の前に着く母音は、過去、o音ではなかったかと考えている。
たとえば、「来る」の否定形は「来ない(K-o-nai)」だけど、否定の形態素の前にはo音が付いている。
「来る」というのは、日本語の最古層の動詞。
59 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2007/03/19(月) 21:11:56
>>55 >自動詞・他動詞はまねでなくても有用な区別だ。
そもそも、自動詞・他動詞に対して誤解がある。
英文法に於ける自動詞・他動詞というのは、
動詞の後ろに目的語があるかどうかで、動詞の形はまったく変化していない
にもかかわらず、動詞の意味が変化する現象なのだ。
これと同じ現象、動詞の形が変わらないのに、構文の変化によって、
動詞の意味が変化する現象、というのは、日本語にはない。
日本語における動詞の意味の変化というのは、語幹の後ろにどのような
形態素が結合するかによるのであり、構文ではない。
すなわち、動詞の意味の変化は動詞というシステム内部の問題であり、
外部の影響はまったくない。
(英語の動詞の場合は逆に「構文」という外部の影響受けまくり)
日本語に於ける自動詞・他動詞というのは、まずこのことを認識しなければならない。
日本語の場合は、他動詞・自動詞・使役・受身のカルテットで考えるべき。
というのは、動詞の語幹の次に来るモードを示す形態素は
-Φ、-e, -ase, -are の四種類であり、それぞれ他動詞・自動詞・使役・受身に
対応するからである。
60 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2007/03/19(月) 21:32:17
>>51 >「越す」にたいする「越える」なんてどうする?
「越す」の場合は
越す KOS-u 越せる KOS-e-ru 越させる KOS-ase-ru 越される KOS-are-ru
「越える」の場合は
越える KOE-ru ------- 越えさせる KOE-sase-ru 越えられる KOE-rare-ru
以上から、「越す」の語幹はKOS 「越える」の語幹はKOE だから、
語幹の一部は共通であるものの、独立した動詞と動詞の関係。
すなわち、これは人為的な行為を示す動詞と、自然の状態を表す動詞の対立。
61 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2007/03/19(月) 22:59:43
「越す」の語幹 KOS と「越える」の語幹 KOE についての俺の意見。
これはもともと、「来る」から派生した動詞である。
派生した時期というのは、非常に古いから、現代とは派生規則が違っていた。
すなわち、現代の体系が -Φ、-e, -ase, -are だとすると、
この時代は -Φ、-i, -os, -or だった。
例 落つ OT-u 落ちゆ OT-i-yu 落とす OT-os-u 劣る OT-or-u
さらに古い時代には、このi音がo音ではなかったのか、と考えている。
すると、「来る」の場合は、語幹は「K」のみだから、次のように派生した。
く K-u こゆ K-o-yu こす K-os-u こる K-or-u
このうち、「く」が移動の意味で用いられて「来(く)」という漢字が当てられ、
「こゆ」「こす」が距離の克服→障害物を乗り越えるの意味で用いられて
「越ゆ」「越す」の漢字が当てられた。
この「越す」というのが、KOS-uと解釈された。KOSという語幹はここから来ている。
「こる」は、さらに受身の形態素ar-uと結合して「来らる(KOR-ar-u)」という
受身の形で使われるようになった。
さらに、この「越ゆ(KOY-u)」は、KOYという語幹を持った動詞と解釈され、
越ゆ KOY-u 越える KOY-e-ru 越やす KOT-as-u 越やる KOY-ar-u
というように、動詞を派生したが、この中で現代まで生き残ったのは
「越える(KOY-e-ru)」ただひとつである。
さらにここからy音が脱落して、「越える(KOE-ru)」となった。
この問題は一晩考えて、眠れなかった。
で、どこが新しいんだ?
越ゆ 越す
燃ゆ 燃す
消ゆ 消す
冷ゆ 冷やす
越 ko-yu / ko-su
燃 mo-yu / mo-su>moy-asu
消 ki-yu / ki-asu
冷 fiy-yu / fiy-asu
?_?
自発と尊敬と受身が同じなのは、それは、出てきたところが同じだからだ。
どれも、こっちの意思意向とは関係なく行われる動作だ。