ノム・ツォムスキ
324 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2006/10/08(日) 23:30:14
ユダヤ式に読むとホムスキーだそうだ
>>299 たとえ既存の知識を応用して新しい音楽や絵画や料理を生み出すことは可能でも、
そうして生まれたものが「美しい」「美味しい」と感じてもらえるかどうかは別問題だからなあ。
美しくない音楽や絵画なんてただの騒音や落書き、まずい料理はただの生ゴミだ。
以前、母が何を思ったか、たこ焼きのタコの代わりにナマコを入れたことがあった。
なんかイヤな予感がしたが、案の定不味かった。
こういう場合、たこ焼きの作り方の知識を応用したとはいえるが、
その背後に「料理の普遍文法」なるものがあって、母がそれに沿ってたこ焼きの作り方を習得し、
さらにそれをナマコに応用したと想定するのは無理がありすぎる。
ただ、西洋哲学にはプラトン以来のイデア論の伝統があり、
それは不完全で諸行無常で物質的な制約をうける現実世界を超越したところに、
完全で永久不変な真・善・美のイデアが存在するというものである。
普段は感覚にくらまされているが、人間の理性はこのイデアを直観することができ、それを表現するのが哲学や芸術である、
という考え方は現在に至るまでいろいろな意味で影響を及ぼしている。
チョムスキーの「普遍文法」とやらもそのイデア論の変種だと思う。
>>325 それをもう一歩進めた理論(仮説)がある。
心して読んでくれ。
イギリスの生物学者、ルパート・シェルドレイクの「形態形成場」の仮説
というものがある。
これは、生物が行動を起こすこと、考えることが「場」を形成し、他の生物は
その「場」を共感することができるというものだ。
この仮説を適用すると、言語獲得能力がもって生まれたものということに対
する説明としては、過去の人間の言語知識の「場」を受け継いだ結果という
ことになる。
形態形成場の仮説を使うと、不可思議な現象を説明できることがいくつもある。
詳しくは書籍を参考にしてくれ。
なお、この「場」は、どこにどうやってできるか、実体は何かなど全く分かってい
ない。従って、オカルト学説という批判も多い。オカルト嫌いな人は無視してくれ。
とにかく仮説である。
327 :
unbelievable:2007/01/24(水) 06:21:03
今 TANSFORMATIONAL GENERATIVE GRAMMAR
は どこにいるんだろう
328 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2007/01/24(水) 08:14:35
質問です。PesetskyのLF Affix 仮説分かる方いらっしゃいますか?もしいらしたら、わかりやすくお教え願えませんか?
329 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2007/01/24(水) 08:15:40
どこでお尋ねすればよいかわかりませんでした。マルチすいませんでした。
330 :
299:2007/01/24(水) 16:43:10
五ヶ月後にレスがついてたとは・・
ありがとう
>>325 たこ焼きの例はなんか違う気が。
言語がそうであるみたいに「無意識的に」「多くの人に通用するもの」
というイメージ
たとえばプロの料理人の味付けや、音楽家の音楽などのつもりだった
後半の部分がそれかも
>>326 なるほど。読んでみっかな
332 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2007/03/16(金) 01:22:28
このスレをまとめるとノーベル賞?
333 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2007/04/11(水) 21:06:14
チョムスキーって自説否定したんじゃなかったっけ?
チョムスキーを論破も何も
チョムスキーがこのスレにいないじゃんと子羊たちの悲鳴
336 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2007/09/17(月) 00:43:26 0
生成なんとかの企て」って古本で買ったんですが
もうちょっと分かりやすいの教えてください
自分の作詩に応用したいと思ってるのですが、、。
337 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/25(木) 21:46:00 0
田中克彦さんは今はどこの先生もしてないんですか
338 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2007/12/15(土) 23:53:27 0
339 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2008/01/13(日) 10:04:39 0
質問です。。。
話者が複数の意味をもつような単語を適切に様々な文で使用することができるのはなぜかという疑問に、単意義的アプローチと
多義的アプローチがあると思うのですが、多義的アプローチとはいったいどういうものなのでしょうか?
単意義的アプローチのほうは、例えばclimbという語には「登る」ではなく「上がる」などの抽象的なスキーマ的概念がひとつついている
という考えであるということはわかったのですが。多義的についてはよくわかりません。
どなたかおしえてください!
340 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2008/01/19(土) 23:18:47 0
>>339 climbのはテイラーの分析のこといってんの?むしろそれは多義的アプローチじゃねえかなあ
単義ってのはパステヨフスキーみたいなんをいうんじゃね?
あ、てか、「『上がる』などの抽象的なスキーマ的概念がひとつついている」てのはテイラーの考えとは違うから
もしテイラーのこと言ってるとしたらそれは誤った解釈だよ 違うならいいけど
多義的アプローチと言うと「語義の数え上げ」的な考えということになると思うが、そゆ話でいいのかな?
要は、複数の意味を持つような単語、つまり多義語には「語義1、語義2、語義3、…」というように意味のリストが備わっていて
その場で適切なものを選んでいる、という考えだな
まあ一応、多義的アプローチの代表はレイコフで、単義的アプローチの代表はサールかな
ってテイラーが2006年の論文でゆってる
それからもう少し言っておくと、
>>339は「話者が...適切に...使用することができる」という話し手側からみた話をしているが
聞き手がなぜ適切に解釈できるのかということも問題である
そこは気になんないの?
まあたしかにチョムスキー言語学は流行学説だからなあ。
それでもそれなりの生命力はあるからけっこう持つとは思う。
問題は流行学説が廃れたときに日本の学界がどう対応するかだなあ。
「チョムスキー、懐かしいねえ」なんて言うことに全財産。www
過疎スレを渉猟中です。
wh句は本当にCの指定部に位置しているのか?
主語助動詞倒置(SAI)はシンタクスに乗るのか?
「自分は不器用な人間です(から...)」のような、
人工的な「自分」用法(direct‐subject[i])は除く。
direct‐object[me]
自分がケーキを食べた ( ← 私はケーキを食べた)
indirect‐subject[i]
自分がケーキを食べたと私は〜
自分がケーキを食べたとあなたは〜
自分がケーキを食べたと彼は〜
represented
彼は自分のケーキを食べた ( ← 私は自分のケーキを食べた)
>>344に追加。
locative
自分でやれば いい
自分でやれ (お前でやれ*)
自分でやる (お前/私でやる*)
↑
自分がやる (お前/私がやる)
自分がやれ (お前がやれ)
自分がやれば いい
自分で(自分から),自ずから(自ら),自分には(自分にとって)
彼によって,彼には(彼にとって)
言語、displacementを生む構造
堅い部分: Bank (中央[堆]と周辺[堤])
柔らかい部分:Island (全体と部分)
>>346 堅い構造[型]を含む柔らかい(両端-周辺[堤]は堅い)領域[環境]に於ける第三位置[制約]
$p -> receiver::selector(pointer,x)
$p -> r::s($p,x)
NP -> r::s(that,SS)
NP -> r::s(to,VP)
NP -> r::s(C,SS)
NP -> r::s(I,VP)
35 -> r::s(0,74)
it〜that(NP〜that)とit〜to(NP〜to)は同じ扱い。
C‐SSとI‐VPも同じ扱い。
文字列と数値の違い。英語と日本語の違い。
柔らかい部分であるIsland(全体[領域]と部分[項])の部分[項]が可動要素。
s($p,x)が堅い構造[型](中央[堆])。
第三位置 = receiver = locative
> NP -> r::s(C,SS)
> NP -> r::s(I,VP)
the fact that 〜(補文)や、
the cat which 〜(関係節)のような句も、
the cat AUX do 〜や、
the cat has done 〜のような文も、
同じ扱いである。
日本語での主題と英語での主語も同じところ(左辺)に置けるのか。
その場合、日本語でも右辺に堅い構造を認めるのか。
C‐SSのSS(単文)は柔らかいIsland(全体[領域]と部分[項])の全体[領域]である。
NP -> r::s(C,$p -> r::s($p,x))
ならば、
I‐VPのVP(裸の動詞句)も柔らかいIsland(全体[領域]と部分[項])の全体[領域]である筈である。
NP -> r::s(I,$p -> r::s($p,x))
I‐VP、すなわち、s($p,x)が堅い構造[型](中央[堆])、Bankを形成しているとしても、
x、つまり、VP自体は柔らかい領域、Islandを形成している。
VPは、普通、V‐NPだが、基底では、$p -> r::s($p,x)の形をしていると思われる。
VP内には、内主語や目的語にあたるものが可動要素として存在する。
Embed (ノード断続: γ―γ‐α―α) フェーズ
γ
/\
γ α
/\
α β
Projection (ノード連続: α―α―α) 破棄
α α
/\ /\
γ α → α γ
/\ /\
α β α β
↓
Domain (エッジ断続: δ‐α) ドメイン
δ
γ...α(...γ)
/\
α β
δ == α ?
ラベル(名前)の問題
$p -> r::s($p,x)
γ -> r::s(α,β)
γ == α ?
ポインター(指示)の問題
> Embed (ノード断続: γ―γ‐α―α)
>
> γ
> /\
> γ α
> /\
> α β
selector(pointer,x)
s($p,x)
s(γ,α)
s(that,SS)
s(to,VP)
s(C,SS)
s(I,VP)
s(0,74)
最後は数値の例であるが、
$pの働きは期待出来ない。sの働きに依存するのか?
堅い構造(堆,Bank)を形成しない日本語に関係するのか?
s($p,x)は、英語型(下左)と日本語型(下右)が鏡像関係にある。
γ γ
/\ /\
γ α α γ
/\ /\
α β β α
s(γ,α)
>>351 > 最後は数値の例であるが、
> $pの働きは期待出来ない。sの働きに依存するのか?
> 堅い構造(堆,Bank)を形成しない日本語に関係するのか?
英語でも、例えば、
for one [ to do ] 英語
[ to do for one ] 日本語
NP -> r::s(C,$p -> r::s($p,x))
$P -> r::s(C,$p -> r::s($p,x))
$p -> r::s(I,$p -> r::s($p,x))
NP -> r::s(0,$p -> r::s($p,x))
NP -> r::s(to,$p -> r::s($p,x))
>>352 日本語で英語の鏡像型が選ばれるのは単なるチャンスオペレーションなのだろうか?
s($p,x)の$pに何らかの要因がある
s($p,x)のsに何らかの要因がある
s($p,x)のsは、($p,x)を構造(堆,Bank)たらしめる何物かである。
$pに対応して、sは働く(或るいは、働かない)。
sが働かないと、$pは脇役に回るが、($p,x)全体は自律的であると言える。
素の型は日本語型なのだろうか?
that(補文標識)もwhich(関係代名詞)も同じ扱い。
the fact that S
↓
the fact -> r::s(that,S)
the cat which S
↓
the cat -> r::s(which,S)
the possibility to VP
↓
the possibility -> r::s(to,VP)
the cat AUX VP
↓
the cat -> r::s(AUX,VP)
toもAUXも名詞相当?
that(補文標識)もwhich(関係代名詞)もtoもAUXも同じ扱い。
>>355 形式を共用するモデルで、
主語 -> r::や主題 -> r::の世界の距離感と、
the fact -> r::やthe possibility -> r::の世界の距離感には差がある。
rはどこから来たのか。移動してきた訳ではあるまい。
走るとおなかが痛くなるのは、私だけ。
走るとおなかが痛くなるのは、〜だから。
私だけ〜だから走るとおなかが痛くなる。
涙が止まらなくなる人
涙が止まらなくなる理由
人は何らかの理由で涙が止まらなくなる。
形式を共用するモデルで、
the fact that SSのthat(補文標識)は、これを[関係[代[名詞]]]とした場合、
同格を表すof whichと考えるのだろうか?
これまで見てきたところから、
NP -> r::s(C,SS)
NP -> r::s(I,VP)
加えて、APもVPと同じ扱いが出来そうである。
$p -> r::s($p,AP)
予想される実体としては、
$p -> r::s(be,AP)
$p -> r::s(0,AP)
$p -> r::s(0,$p -> r::s($p,x))
>>357 > APもVPと同じ扱い
PPはどうなるのか?
若干扱いが違う...ような気がする。
前置詞には接続詞も含まれるのか?
領域は、SS(単文)だけでなく、CS(複文)にまで拡がるのか(或るいは、重文にまで)?
SS VP AP
CS XP NP
VPは裸の動詞句
XPは裸の限定句(DP)
VPとXPは同じ扱いなので、VPの内主語にあたるものをXPにも想定するのか?
SS $p -> r::s($p,VP) $p -> r::s($p,AP)
CS $p -> r::s($p,XP) $p -> r::s($p,NP)
$p -> r::s(when,XP)
$p -> r::s(because,XP)
$p -> r::s(as,XP)
$p -> r::s(if,XP)
$p -> r::s(than,XP)
$p -> r::s(and,XP)
$p -> r::s(or,XP)
$p -> r::s(on,'the day' -> r::s(when,SS))
$p -> r::s(0,'the day' -> r::s(when,SS))
$p -> r::s(0,'the day' -> r::s(0,SS))
$p -> r::s(on,'the day' -> r::s(0,SS))
>>358 SS + PP ($p -> r::s($p,x)) -> r::s(P,XP)
VP + PP ($p -> r::s($p,x)) -> r::s(P,NP)
関係詞 $p -> r::s($p,SS) 関係副詞,補文標識
関係詞 $p -> r::s($p,VP) 関係代名詞
接続詞 $p -> r::s(P,XP)
>>359 態々追加する程のことではないが、
SS + PP ($p -> r::s($p,x)) -> r::s(P,XP)
VP + PP ($p -> r::s($p,x)) -> r::s(P,NP)
関係詞 $p -> r::s($p,SS) 関係副詞,補文標識
関係詞 $p -> r::s($p,VP) 関係代名詞
接続詞 $p -> r::s(P,XP)
接続詞 $p -> r::s(to,VP) ←追加部分
toは C(→I)→P で、どれでもよいのか?
>>351-354 太郎 -> r::s(0,山田)
Noam -> r::s(Noam,Chomsky)
>>360 > C(→I)→P
基底で生成されるのはCだけなのか?
Cが分化してPになるのか?
Cが分化してIになるのか?
Iは日本語にはなく、英語でも時制文を除けば判別が難しい。
英語の時制文でIはTになっているが、
T(つまり、I)はシンタクスとは無関係なのではないか?
>>358 > VPとXPは同じ扱い
VPとXPは同じ型に展開出来る。
$p -> r::s($p,x)
その展開されたVPとXPは、それぞれSSとCSと同じ型で、
かつ、そのSSとCSは同じ型である(従って、すべてが同じ型である)。
(NPに於ける何かをAPに於いても想定するなら)これはAPにまで拡張出来る。
$p -> r::s(I,AP)
普通、形容詞で修飾された名詞句には、2つの解釈が生まれる。
これには、APが展開されることが関係しているのだろうか?
$p -> r::s($p,$p -> r::s($p,AP))
$q -> r::s($q,$p -> r::s($p,AP))
$p -> r::s($p,$p -> r::s(0,AP))
$p -> r::s(0,$p -> r::s($p,AP))
>>363 > VPとXPは同じ型に展開出来る。
> $p -> r::s($p,x)
> (中略)
> 従って、すべてが同じ型である
$p -> r::s($p,VP)
$p -> r::s($p,XP)
$p -> r::s($p,NP)
$p -> r::s($p,AP)
$p -> r::s($p,$p -> r::s($p,VP))
$p -> r::s($p,$p -> r::s($p,XP))
$p -> r::s($p,$p -> r::s($p,NP))
$p -> r::s($p,$p -> r::s($p,AP))
$p -> r::s($p,$p -> r::s($p,x))
$q -> r::s($q,$p -> r::s($p,x))
$p -> r::s($p,$p -> r::s(0,x))
$p -> r::s(0,$p -> r::s($p,x))
more〜than
($q -> r::s($q,more)) -> r::s(than,$p -> r::s($p,x))
same〜as
($q -> r::s($q,same)) -> r::s(as,$p -> r::s($p,x))
as soon as
($q -> r::s(as,$q -> r::s($q,soon)) -> r::s(as,$p -> r::s($p,soon))
the more,the better
($q -> r::s(the,$q -> r::s($q,more)) -> r::s(the,$p -> r::s($p,better))
crazy as usual
($p -> r::s($p,crazy)) -> r::s(as,$p -> r::s($p,usual))
xにはVP(裸の動詞句)やss(単文)が入る。
$p -> r::s($p,x)
VPとSSは同じ扱いなので、
VPは、SS、つまり、文(式)全体と同じ型に展開出来る。
$p -> r::s($p,x)
$p -> r::s($p,展開式)
$p -> r::s($p,$p -> r::s($p,x))
全体の左辺$pと展開したVPの左辺$pは同じで、
s($p,$p -> r::s($p,x))の最初の$pが其の二つを関係付ける(のに関与する)。
この$pはpointerである。
尚、実際の関係付けを行なうのはsであると思われる。
>>366 CとIが同じ位置にあり、(節の)先行詞$pと(文の)主語$pが同じ位置にある。
文と節の型に区別はない。
$p -> r::s(C,$p -> r::s($p,x))
$p -> r::s(I,$p -> r::s($p,x))
機能範疇が現われる位置は、pointerとして働く$pの位置(非-項の位置)のみである。
全体の左辺$pと展開式の左辺$p(項と項)が関係付けられる。
形式上、項が非-項と関係付けられるようなことは起こらない。
>>367 vは特異点とでも呼ぶべき存在で、
(sの第1引数$pで、pointerとしての働きを持つ)be動詞や助動詞(や軽動詞)と異なる(曖昧な位置しか与えられていない)。
一方でVPを構成し(確かな位置xを与えられ)、普通の振るまいをする(文として、展開出来る)。
$p -> r::s($p,x)
↓
$p -> r::s($p,$p -> r::s($p,x))
このことは、
>>366で既に述べたが、
VPが展開式のまま文(実体)として機能することを表しているのだろうか?
>>365 よく分からない。
more〜than
($q -> r::s($q,more〜)) -> r::s(than,$p -> r::s($p,x))
($q -> r::s($p,more〜)) -> r::s(than,$p -> r::s($p,x))
($q -> r::s(than,$p -> r::s($p,x))) -> r::s($q,more〜)
($q -> r::s(than,$p -> r::s($p,x))) -> r::s($p,more〜)
以下同様
370 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2009/04/29(水) 23:48:37 O
チョムがインチキなのはガチ
チョムというより形式主義では?
>>367 当然だよ。日本人が造った人工言語なんだから。
福沢諭吉もはじめはカナ漢字交じりの表記を普及させようとしたんだけれど五十音は彼らには難しすぎて教えられなかった。
そこで諭吉の弟子である井上角五郎が母子音あわせて半分以下の二十四種類で済む(そう。アルファベット26文字より少ない)ハングルを、
紀元前の日本人が使っていた神代文字を基に考案したんだ。
これによって世界一知能の低い朝鮮人と(むろん朝鮮人同士の間でも)言語による意思の疎通が可能になった。
もっともそれで話が通じるかどうかになるともう一段高いハードルがあるようだけど。