【ダサくない!!】東北弁総合スレ【キモくない!!】

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533名無し象は鼻がウナギだ!

「方言撲滅運動」

明治政府は富国強兵政策の中で全国統制の為に、「文章語」の国内統一を目的として「標準語」を規定した。
それは多くを東京山手(大雑把に言えば、現在の皇居より西側)を採った言葉であったが、
更に、江戸言葉+薩長の言葉+京言葉(後期近世上方語)より採ったものであった。
この場合の京言葉は後期近世上方語のことであり、
前期近世上方語が全国標準語(として通用した)江戸時代前半は、江戸言葉は野卑な言葉としてしかまだ認知されていなかった。

だが、明治政府はさらに「話し言葉」である各地の方言まで統一してしまった。
これは岡倉由三郎らが提唱した「方言撲滅運動」を採用したものであり、昭和の終戦まで繰り返し行われたものである。
「方言撲滅運動」は主として公教育を通して行われ、地元の言葉=方言を話した者には「方言札」を首からぶら下げられるなど、
「方言は恥ずかしいもの」という観念が徹底して植え付けられて行った。
一方、東京などでは方言を話す上京者、演芸人達を徹底的に笑いのタネとした。
(例外は日本全国の方言を多種多用に話し分けるネタを披露していた上方漫才芸人の「ミス・ワカナ」くらいであろう)。
「方言撲滅運動」は学制の充実に伴い全国規模で行われたが、
その最も激しかった地域は「東北」・「関東」・「沖縄」であった。
(つまり、大雑把に言えば、箱根の峠より東側ほぼ全て、と沖縄。)
(近年の山形県マット殺人事件は標準語を話す生徒を疎んで、いじめ殺した逆の形だが、
戦時中東京から地方に疎開した人がその言葉から地元民からいじめられ、疎まれた話はよく聞く)。
この運動に無縁であったのは「京都」・「大阪」・「東京」のみで、これが現代も続く方言格差を一層強くする結果となった。
(これは明治政府が明治維新後の廃藩置県後に「京都府」・「大阪府」・「東京府」を特別に配置したのに準拠している。
「天皇のおわした府」・「経済の発達した府」・「行政の府」と特別視されていたのだから仕様がない。)
また、京言葉(や一部の大阪の船場言葉)は標準語に多数採用された為、全国方言撲滅運動のガス抜きの役目を負った。
国語のアクセントの双璧が京都式(京阪式)と東京式であるのはこの為である。