1 :
N ◆T4yy5Sw2J2 :
04/05/24 15:00
2 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/05/24 15:16
2
3 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/05/24 15:17
いま忙しいからあとで読むわ。 俺の理論より優れていたら、素直に脱帽する予定だ。
4 :
N ◆T4yy5Sw2J2 :04/05/24 18:50
うん、読んでね。読んで脱北して。
主体と客体をそれぞれ小学校で習う範囲の単語を使って20字以内で説明汁。
→ → コレは本 ⇔ コレは何? ← ← コレが本 ⇔ ドレが本? つまり、 名無し象は鼻がウナギだ 名無し象だ→鼻←ウナギ
5の人、え、小学校?ちょっとまっててね。 6の人、うん、そうだね。
8 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/05/24 23:00
>>5 ちゅたいというのはちゅにたいでちゅ
きゃくてゃいというのはきゃくにたいでちゅ。
これでいいでちゅかおにいたん。
9 :
N ◆T4yy5Sw2J2 :04/05/24 23:20
8の子、うん、よくできましたねー。かわいいねー。 5の人、 主体 わかっているもの。その他は、なしにする。 客体 気になるもの。はっとなるもの。 これでわかりまちか?
10 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/05/24 23:30
分かりにくい。 主体と客体がキーワードのようだ。 無理に統一的に説明できなくてもいいのでは? 6で大部分説明できる。
11 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/05/24 23:39
このしゅれを、 ようじょしゅれにちまちょ
12 :
N ◆T4yy5Sw2J2 :04/05/24 23:43
分かりにくかったですか...。
>>1 の文章全く分からん
つうかホントに「歴史的問題」なのか?
「は」はそれに続く述語が主体、「が」はその前の主語が主体ってことじゃないの?
これなら日本語学校でも教えてるよ
14 :
N ◆T4yy5Sw2J2 :04/05/25 01:22
なるほど。 1の文章に掲げた諸問題は先行研究で、 これまでの、国語学者(この名称が正確かはわかりません)の方々の研究の成果です。 それぞれについては私の論文では、ほとんど説明していませんでした。 (質問があれば分かる範囲で答えますが、検索でも十分では?) 「歴史的」というのはキャッチフレーズですが、 統一的に説明ができていないというのは、国語学?では一般的な認識のようです。 というのは研究が進めば進むほど、問題が広がっていったということらしいです。
15 :
N ◆T4yy5Sw2J2 :04/05/25 01:24
>> 「は」はそれに続く述語が主体、「が」はその前の主語が主体ってことじゃないの? 1であげた諸問題ように、それだけでは説明がつかないことが、たくさんあります。 たとえば論文の中で、「私は...」「私が...」を冒頭にあげましたが、「私」という語に「は」「が」 の助詞がつくと、それだけで、何かの作用が働くのを感じませんか? つまるところ、この力の作用?を一言でいうと何なのか?というのが、 ずっと私の疑問であり、 なぜ、それについての説明がどこからも得られないのか?というのが、 納得できなかったのです。「こんな単純なことなのに」と。
16 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/05/25 11:25
「は」「が」の問題って、 英語に訳してみると同じになると気が付いて、 出てきた問題じゃないか。「歴史的」はおおげさ。
17 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/05/25 11:26
日本語学校ではもっと分かりやすく教えているよ。 主体、客体なんて概念的なことばを使わずに。 だいたい6の説明でいける。
18 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/05/25 11:43
6の説明をもっと詳しく
19 :
N ◆T4yy5Sw2J2 :04/05/25 15:15
えっ?6?わかった。あとでね。 そうなんだよなー。日本語教育は私も考えたのだが、 理論はくその役にもたたないんだよなー。
>>19 > 日本語教育は私も考えたのだが、
> 理論はくその役にもたたないんだよなー。
役に立てるのが日本語教師の仕事だろうが。
科学は役に立たないなどと言うエンジニアは糞。
"As for (the) N,..." という文脈に現れる N は、日本語では必ず「N は」となる。それ以外の N を「N は」としてはならない。
中国人にはどう教えるのか知らん。
21 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/05/25 20:43
逆に日本語教師が役に立つ理論を作っているのだ。
22 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/05/25 22:16
大体「が」と「は」は全く別次元の働きをする助詞なんだが。 だから「が」と「は」を対にして同列に置いて 相違点だの線引きだのを考えるのはそもそもアフォなんじゃないのか? 「長い」と「軽い」の相違点について論ずるようなものだ。意味が無い。 「が」は格を表す。現代語では文や節の主格を示す。 「は」は格とは何の関係もない。 (私は明日には彼にはその本は返そうとは思う。←「は」と格とは何の関係も無い) ところが「は」が使われる時 「は」は格助詞「が」を隠して(消して)しまう。 (同じ現象は現代日本語共通語の場合には格助詞「を」についても生ずる) そうすると見かけ上「は」と「が」が対立するように見える。それだけの話だ。 「『は』と『が』の対立」と言う問題設定自体が間違い。 問題自体が間違いなのだからまともな答えが出てくるはずはない。 じゃあ「は」自体は何を示すのかと言えば 漏れはロドリゲス大文典以来の伝統的解釈を支持するよ。
25 :
N ◆T4yy5Sw2J2 :04/05/25 22:40
ふむふむ、なるほど。 ところで、ロドリゲスなんとかの伝統的解釈って何?そこ肝心。
26 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/05/25 22:51
や、や、やっと読んだ。 目がチカチカする。 で、結論。 いらんな、この統一理論。 一個一個個別に教えるほうが早い。 昔々、あるとこにおじいさんとおばあさん「が」いました。 おじいさん「は」やまにしばかりに で、既知の場合は〜って感じで教えるな。 いっぱいしゃべらして一々間違いを指摘してあげるのが一番。
27 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/05/25 23:06
22でつ。
>>25 22の最終2行を除く趣旨に同意いただけるなら、次の話をしますが。
そうしないと話が混乱しますので。
繰り返せば、
「は」と「が」は対立しない。
「は」に対立するのは「『は』が付かない」
「が」に対立するのは他の格助詞「を」「の」「に」など
もしこのレベルに反論があるのならどうぞ。
先にそこを議論しましょう。
必要のある「が」と必要のない「が」があるとおもう 雨降ってる に「が」はあってもなくてもいい おれがいかなくては 「が」必要 これらは別用法なんだとおもう
29 :
N ◆T4yy5Sw2J2 :04/05/25 23:36
26の人、スマンかったなァ。それは全くそのとおりなんだよ。 ずっと俺もそう考えていた。何かに役に立つのかなぁこれって。 27の方、なるほど、面白そうだ。 ただ、今、前の人の先約があって、6の部分の事で、アイデアが...。 ところで、「は」「が」それぞれの対立は、どうしてそれが対立だと言えるのでしょうか?反論というより、ヒマだったらで、結構ですよ。
30 :
N ◆T4yy5Sw2J2 :04/05/25 23:37
26の人、スマンかったなァ。それは全くそのとおりなんだよ。 ずっと俺もそう考えていた。何かに役に立つのかなぁこれって。 27の方、なるほど、面白そうだ。 ただ、今、前の人の先約があって、6の部分の事で、アイデアが...。 ところで、「は」「が」それぞれの対立は、どうしてそれが対立だと言えるのでしょうか?反論というより、ヒマだったらで、結構ですよ。
31 :
N ◆T4yy5Sw2J2 :04/05/25 23:55
28の子、私もそう思いますよ。
>>29 >スマンかったなァ。
いえいえ、読み物としてはいいものだと思いますよ。
ただ、日本語教育関連の雑誌なんかに寄稿とか、
日本語教育関係のようなタイトルで本を書いたりはしないで下さいね。
時々います。
お呼びでない学者が。
>>28 ケーキ (を) 食べた。 ← 「を」があってもなくてもよい。
アイスクリームじゃなくて、ケーキを食べた。 ← 「を」が必要。
これらも別用法か?
アイスじゃなくてケーキたべた をいらん
うん。うふふ。 ところで、6の件ですが、まだ時間がかかりそうです。 あそこでは、「は、が」それぞれ係る範囲(スコープっていうのかな) について、主客の面から説明したものですが、 主客を使わず、もっとわかりやすく、説明することはできると思います。 しばらくアイディアがでるまで、時間をくださいね。
36 :
N ◆T4yy5Sw2J2 :04/05/26 15:15
ところで、あのー、ロドリゲスのなんとかの人はどうしてるのかな? >「は」に対立するのは「『は』が付かない」 >「が」に対立するのは他の格助詞「を」「の」「に」など の説明を楽しみに待ってますよ。
37 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/05/26 15:22
っていうか、助詞がない言語にすれば早いでしょ。英語みたいに。 俺は行く。 俺が行く。 どちらも「俺行く」で。 ただ英語は強勢を置く場所で意味を表してるので、こっちもそれに ならう必要はあろう。 俺「が」行く、の意味なら、「俺」を強く言うしかない。
38 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/05/26 15:29
>>36 もう少し待ってくれ。今日の夜にはそれを書くつもりだ。
一応草稿の構成は脳内で出来上がっているが
28が、漏れが最後に説明するつもりだったことを
先に指摘してしまったので
漏れは少し困っているw
39 :
N ◆T4yy5Sw2J2 :04/05/26 15:30
そうすると何故対立するといえるのかな?
40 :
N ◆T4yy5Sw2J2 :04/05/26 15:35
>>38 まじ楽しみ。
だけど誰が誰だかわからないよー。
41 :
22 ◆aNi8vC8Zbs :04/05/26 23:34
22でつ。トリップ付けますた。
それでは始めます。
28の指摘が来てしまったので方針変更して一気に最後まで書きます。
漏れの説は、既存の説を切り貼りしただけです。
オリジナリティは多分どこにもありません。過剰な期待をしないでくれyo。
「は」の意味
「は」の意味は、ロドリゲス大文典にあるように
「は」の付いた部分を特定化することであり、
これは近代の西ヨーロッパ諸語の定冠詞と似た機能を果たします。
但し、定冠詞の機能は名詞の性質を示すことに限られるのに対し
「は」は名詞のみならず、原則として任意の代名詞、名詞句、名詞節
さらには副詞、副詞句、副詞節にも付きますから、
かなり守備範囲が出入りします。(
>>22 の例文参照)
但し形容詞の(および属格的な)性質を持つもの
(国文法でいう連体修飾語・部)には付きません。
また、西欧諸語の定冠詞の多くの起源は指示代名詞や指示形容詞ですが
現代日本語には類似の沿革を持った連体詞があり、
これが西欧語の定冠詞類似の機能を果たす場合があって
ここからもやはり守備範囲に出入りが生じます。
(続く)
42 :
22 ◆aNi8vC8Zbs :04/05/26 23:44
さて「は」によって起きる「特定化」は、
原則として任意の名詞的・副詞的成分について起きるのですが、
この「特定化」が主語について行なわれた場合、
これが一般に言われる「主題」の設定にあたるわけです。
ここで再び西欧の言語を持ち出しますが、
近代西欧の言語では「主語」、とりわけ定動詞を支配する文の主語には
その概念の中にいわば「標準仕様」として「主題」が含まれているのです。
ですから、英語や仏語などの西欧諸語の普通の文を訳すとき、
大抵翻訳文において主語には「は」が付いてしまうわけです。
そして
>>22 で言ったように「は」は格助詞「が」を隠しますから、
「は」が「が」に対立して何かを示しているように見えてしまうわけです。
(This is a pen.→これはペンです。→これ(が)はペンです。「が」が消されている)
(続く)
これ(それ)ペンですよ 「が」も「わ」もいらない。 あれはペンじゃにが、これはペンです とかは必要
ペンじゃにが→ペンじゃないが
>>34 > アイスじゃなくてケーキたべた
子供みたいで変。
>>28 > おれがいかなくては 「が」必要
おれをどうするつもりだ? ← 「を」必要。
46 :
22 ◆aNi8vC8Zbs :04/05/27 00:02
欧州諸語の考察をもう少し。 主語に主題が不離の関係で付いてくるのが西欧の言語ですが、 主語と主題を分離させたい場合が当然あるわけで、 西欧の言語にもそれを表すための表現があります。 最も有名なのは、厨房でも誰でも知っている There is/are..〜構文です。 仏語のVoila〜、Il y a〜、独語のEs gibt〜なども同じ。 これは日本語で言えば「主語から「は」の意味を外したい時」に使う構文です。 訳してみればすぐわかります。大抵「が」で意味上の主語を受けるはずです。 英語ではあまり発達していませんが仏語などにはこれ以外にもあって、 Il y a mon pe`re qui s'est achete' une voiture. →漏れの父「が」車を買いますた。 Mon pe`re s'est achete' une voiture. →漏れの父「は」車を買いますた。 とはっきり対応しているのが分かります。 (続く)
47 :
22 ◆aNi8vC8Zbs :04/05/27 00:24
ここで有名な「象文」と28の文の分析をしましょう。 「象は鼻が長い」。あまりにも有名な例文ですが、 この「象」は格としては「の」ではなく、おそらく「が」(またはφ)です。 「象は鼻が長い」と「象の鼻が長い」では文法構造が違います。 仕方なく「象(が)鼻が長い」とするほかはない。 日本語としては何とか意味は通ります。 しかし二重主語などは英語などにはもちろん無く、 従って英語訳不能と言われてきましたが 46の方法を用いて無理やり英語訳することが出来ないことは無いのです。 *? Elephant has a trunk which is long. 極めて不自然な英文ですが、 日本語の原文の持つ文法的な意味はすべて反映できているはずです。 次に「俺が行かなくては」の文。 これもいきなり英訳してみましょう。 *? It is me who should go there. つまりこれは積極的に主語から「主題」であることを外している文なのです。 「は」は「が」を隠すのですが、 ということは「が」が出てくるときは「は」は出てこない。 そこで「が」をわざわざ明示することによって 「『は』が出てこない!」ことを強調する文がこれです。 ここに「が」に格表示を越えた派生的意味が加わります。 「は」に対立する「が」と言われるものがあるとするならこれです。 「は」の不在を示す反射として「が」が使われる場合です。
48 :
22 ◆aNi8vC8Zbs :04/05/27 00:52
というわけで、 28の文は、同じ意味を表すのに 日本語では主格を示す格助詞をわざわざ付けて強調する形を取るのに 英語などでは主体を主語の座から外して表すことにならざるを得ない、 という一見正反対の形をとる面白い例です。
49 :
N ◆T4yy5Sw2J2 :04/05/27 01:11
文が輝いている。
>>46 >Il y a mon pe`re qui s'est achete' une voiture.
こんな文あるのか?
51 :
N ◆T4yy5Sw2J2 :04/05/27 15:31
22さん 上の疑問にさらっと答えたあと、かつヒマがあったらで結構ですので、 「特定化」ということなんですけれども、 冒頭述べられました、「定冠詞と似た機能を果た」すという ことも含めまして、もう少し詳しく御説明いただけないでしょうか。 ロドリゲス以外の個人的見解があればそれもぜひお願いします。
Il y a っていうかC'estって感じじゃないの? などと仏文科2年がのたまう。
53 :
22 ◆aNi8vC8Zbs :04/05/27 22:51
54 :
N ◆T4yy5Sw2J2 :04/05/27 23:58
の中の人
56 :
22 ◆aNi8vC8Zbs :04/05/28 00:58
一応、漏れの主観だけで例文を作るとまずいので
これらの例文は
プチロワイヤル仏和辞典改定新版p1588から採りますた。
frére→péreとしてnouvelleを削除しましたが
文法構造には一切手を入れていません。
でも漏れも主観的には
>>52 と同じ意見なんだけど。
57 :
22 ◆aNi8vC8Zbs :04/05/28 01:00
タグ間違えた。スマソ。 × é ○ è
58 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/05/28 06:59
こういう規則をきちんと遣い分けられてるって、 すごいなと甥っ子を見て思う。
そうそう。 甥っ子ってすごいんだよね。姪とかじゃダメだもん。
60 :
N ◆T4yy5Sw2J2 :04/05/31 06:05
61 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/05/31 12:18
この絵は分かる人が見れば分かる、 分からない人が見ても分からない。(;;)
62 :
N ◆T4yy5Sw2J2 :04/05/31 13:21
>>61 く〜〜〜。無念〜。やはり理論は役に立たないのかーっ。
ところで、この絵って、日本語教育では、ありふれてる?
主人公の人、視点の存在が、ポイントなのですが。
63 :
N ◆T4yy5Sw2J2 :04/05/31 13:35
子供が最初に覚えるのが、おそらくこの現象文と判断文では ないだろうか。 ももたろうの最初の文「あるところに...がいました」は現象文で、 2番目の文「...は山に...は川に...行きました」は判断文だろう。 これには既知、未知という要素も含まれるとは思いますが。 この絵にそって、これをまずマスターすることがファーストステップ ではないかと考えたのだが、皆んなの意見は?
64 :
N ◆T4yy5Sw2J2 :04/05/31 13:42
たとえば、 「みくはどうする?」 「みくは、たべない」(判断文) 「あ、しょうた君が来た」(現象文) みたいな。
65 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/06/01 12:57
>>く〜〜〜。無念〜。やはり理論は役に立たないのかーっ。 役に立たないことはないと思います。 >>ところで、この絵って、日本語教育では、ありふれてる? 日本語教育では、確認のため、このような絵を示すことはあるが、 初めからこのような絵を出すことはない。 初めからこのような絵を示しても、学生は理解できない、と思う。
66 :
N ◆T4yy5Sw2J2 :04/06/02 13:42
>役に立たないことはないと思います。 ありがとう。 >初めからこのような絵を示しても、学生は理解できない ごもっともです。
>>60 突然絵だけ見せられたら「?」かもしれないけど
解説付きなら大いに役立つのではないでしょうか。
ただ、その「おじいさん」が桃太郎のおじいさんと同一人物だと
どこにも書いてないとはいえ、やはり山でやるのは
どちらかと言うと「芝刈り」より「柴刈り」では、と思ったり。
あと、「に」と「を」の人だけ
シルエットが違うことには何か意味がある?
特にないようなら、統一した方が余計な情報が少なくなるから
説明図としてより洗練されるかも、と思いました。
>>63 子供が最初に覚えるというのは、その子供自身が最初に使う
文章という意味?
それとも、最初に理解するという意味?
>>64 の例からはどちらともとれるけれど
喃語や「ママ」のような単語だけからなるものについては?
68 :
N ◆T4yy5Sw2J2 :04/06/04 14:58
>「芝刈り」より「柴刈り」 そうだったのか...恥ずかしいがこのままにしておこう。 むしろ昔は、芝刈業が普通にあったと考えればよい。 >あと、「に」と「を」の人だけ >シルエットが違うことには何か意味がある? 特に意味はない。作っている途中で忘れただけである。 だがあえて言えば、「に」と「を」は男で、 「は」と「が」は女として、花をもたせたと言えば合点がいく。
69 :
N ◆T4yy5Sw2J2 :04/06/04 15:03
>子供が最初に覚えるというのは、その子供自身が最初に使う
>文章という意味?
>それとも、最初に理解するという意味?
最初に理解して使うという意味です...。
ここでは「は」と「が」の使い分けを扱っているのだから。
あれ?皆んな冒頭の論文読んでるのかな。
>喃語や「ママ」のような単語だけからなるものについては?
だからかんけーないのだ。
67くんは、日本語教育とは関係ないだろうから、
>>1 の本稿をよく読んで趣旨を理解した上で、
疑問なり反論なりをぶつけてきなさい。
70 :
N ◆T4yy5Sw2J2 :04/06/04 22:24
>>67 くん
指摘ありがとう、礼を言うのを忘れていた。
君は主客の観念を理解できる数少ない一人だから、
ぜひ勉強してみてください。
72 :
N ◆T4yy5Sw2J2 :04/06/07 01:17
>「おまえはだれだ?」
>「おまえ」は「自分」ではない。
うん、そうだね。それは一般的なものの見方だけれども、
それこそが、「は」と「が」の相違の解明の障害となっていた、
一種の固定観念なんだと私は思うよ。
私の主体客体の一般論は、その一般的世界観に立脚しない。
だから「主体と客体の一般論」と銘打ったのだね。
それにはまた、そのような一般的世界観に対抗しようとする意味合いもある。
それは
>>1 の論文を読んで、理解してもらうほかない。
分からないところがあれば、なるべく説明しますが、それでも分からなければ、
「自分には今は理解できない事がある」とあきらめるほかない。
それを知ることも大事なことだと思う。
だから..
>終了。
勝手に終了しないように。
>>72 > 私の主体客体の一般論は、その一般的世界観に立脚しない。
>
> 「自分には今は理解できない事がある」とあきらめるほかない。
> それを知ることも大事なことだと思う。
結局、トだってことだな w
74 :
N ◆T4yy5Sw2J2 :04/06/07 10:10
>結局、トだってことだな w 読んでも理解できないのかな?w
>>74 理解できるわけがない。理解させるように書かれていない。
>>71 のような反証があるのに、それはよその世界のことだからと片付けられる。トの典型。
76 :
N ◆T4yy5Sw2J2 :04/06/07 11:41
>理解できるわけがない。理解させるように書かれていない。 なるほど、申訳なかった。 かなり、分かりやすく書いたつもりだったが、 ひとりよがりだったかも知れない。 (だが、ピンとこないであろう人のほうが多いという予想はしていた) 71のような反証については、もう少し考えさせてほしい。 (だがこれをやると堂々回りの論戦になるのではないかと) だが、どこがどう分からないのか、こっちも分らないよ。 71のような事だけなのか、他にもあるのかどうなのか。
77 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/06/07 15:13
>>N 論文をざっと読ませてもらいましたが、いろいろと疑問や説明を求めたい 部分があります。 それは、またおいおい伺うことにしますが、まず、これは、言語学的な 学術論文のつもりではないと理解してよいでしょうか。
78 :
N ◆T4yy5Sw2J2 :04/06/07 15:30
>>77 はい、どうぞ。
>言語学的な学術論文のつもりではないと理解してよいでしょうか
?なぜそのような理解になるのかわかりませんが??
一応、学術論文と呼ばれたいです。
すみません。私には、これは例えば学術誌に投稿するような論文の体裁と 内容を備えていないように思えたのです。いってみれば、学問的トピックに 関する随想のようなものかなというのが、第一印象でした。 では、まずこの部分からお聞きします。これは「要旨」とのことですが、 では、本論は、もっと詳しく論述されているのでしょうか。もしかしたら、 要旨であるということで、表現のわかりにくい部分があるのでしょうか。 次に、基本的な用語・概念についての規定、断り書きがなされていないと いうことです。この論文においては「主体」「客体」という根幹となる 重要な概念が出てきますが、学術論文であれば、まずそれについて序論で、 あるいは、別に章を立てて述べなければならないはずです。 あなた自身が規定した新概念ならその旨と内容を、すでに先行研究で扱われた 概念ならば、研究名と説明が必要であると思いますが、いかがですか。
80 :
N ◆T4yy5Sw2J2 :04/06/07 17:46
すみません、本論はまだできてません。 重要なことは一通り説明できたと思って、とりあえず人の意見を聞きたくてUPしたのです。 やっぱり、ひとりよがりかなー。ごめんねー、75の人。 >基本的な用語・概念についての規定、断り書きがなされていない... そうですね。きちんとやりたいと思います。 この概念は、私が独自に考えたものですし、調べた限りでは、 全く同じものはないようでした。 この論文が論文らしくなく、半ばストーリー仕立てで書いてあるのは、 その方が自然だし、読み手が分かりやすいだろうと思ったからです。 ただ後半は、本旨とはあまり関係がないので、飛ばしてますが。
81 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/06/07 18:33
また、この文章は、たとえ着想段階のスケッチ的なものであったとしても、 言語学的分析を行っているにしては、表現があまりに主観的、独善的に 感じられ、非常に理解しづらいのです。 2.1「それ以降の言葉が「私」に向けて集まってくる」? 2.2「我々自身がその語になる(成り変わる)」? 「通常主体と考えられるものが語の意味内容に入れ代わる」? 2.3「「が」は平静になる」? 2.4「純粋な主体を捉えようとするとできない」?(じゃあ、主体を規定 すること自体不可能では?) などなど、すみませんが、わけのわからない表現が多くて、これで読み手に > 「自分には今は理解できない事がある」とあきらめるほかない。 > それを知ることも大事なことだと思う。 などと強要するのは、あまりなことだと思います。 学術論文というものは、ある程度の専門性を持った人ならだれでも理解 できるよう極めて客観的に書かれるべきだと思いますが、いかがですか。
82 :
N ◆T4yy5Sw2J2 :04/06/07 19:31
本当だ。 「わけのわからない表現が多い」とのことですが、 私も書いてて「こんなんでいいのかな?」と思うことも多いのですが、 これでも最も適切と思う言葉を選んではいるつもりなのです。 (強要と感じられたのなら謝ります。) ですので、逐一わからないところについては、また別の例えを使って、 説明するしかないと思います。(これは続く) >学術論文というものは、ある程度の専門性を持った人ならだれでも理解できるよう極めて客観的に書かれるべきだと思いますが、いかがですか。 この場合は、どうだろうか?できるだろうか?う〜ん。
83 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/06/07 20:38
では、大前提の「主体」「客体」についての疑問。 言ったように、両者はきちんと規定されていないので極めてわかりにくいが、 全文を流してざっとポイントを拾うと、 主体=・「我々」 ・「私」(ただし「私は」と言ってしまうと客体化) ・意識されないもの、あるのが当たり前になっているもの。 例.車、腹(ただしさすって意識すれば客体化)、 髪(ただし切ってしまえば客体化) ・継続的 客体=・意識されたもの ・意識の焦点がおかれたもの ・注意の対象 ・可変的 それぞれの要素がきちんと対応していないのに、どうしてこの2つを対立概念として 対置できるのか。 また、これらの要素はばらばらに見えるが、どのような統一原理から派生してきているのか。 これが説かれないと、「は」と「が」を主客の統一原理で説明したことにはならない。
84 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/06/07 20:40
そして、「主体」側には、極めて不可思議な概念が出入りしている。 表現主体でも理解主体でもない、「語に成変わる」「我々」とは誰??? 「私」は主体なのに、「私は」と言ってしまうと客体になるとは? (さらには「純粋な主体は捉えられない」とは)??? 主張自体が崩壊するではないか。
85 :
N ◆T4yy5Sw2J2 :04/06/07 21:22
>>83 詳しく読んでくれて有難う。
実はこの二つの対立概念について、きちんと整理して
統一的に理論化しようとも考えていました。
しかしながらそれは、あまりに抽象的な理論になるので、
とりあえず今回は、「は」と「が」というテーマだし、
日常感覚で、把握できる程度の範囲にとどめたのです。
そういうわけで、まだきちんと理論化できているわけではないですが、
論文の中にもあるとおり、とりあえず、
主体というのが、継続しているもの
客体というのが、変化したもの
を出発点として考えています。
そして、他の一切のあらゆる要素も、
その秩序の枠組みで、考えるということです。(続く)
86 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/06/07 21:44
ごめん、もう一つ。本質的な問いだ。 意識されないものが「主体」というのがまったく理解できない。 談話などでいうと、「主題」(談話主題)は、意識の非活性状態下に 置かれるという先行研究はあるが、文脈上でなく、手で触れる実在物(車、 腹、髪)が意識化されれば「客体」だが、それに慣れて意識しなくなると 「主体」に変わるというのは、どういう意味? ものを手で触れたり、意識/無意識化したりしているものこそが「主体」と 呼ばれるべきで、主体とは、ある関係性においては、それこそ不変で恒常的 な存在であり、ころころ客体に変わったりするものではない。 あるいは例えば、カメラを構えて外界を切り取ろうとしているその中心にあるものが 「主体」、カメラに映るもの、カメラの作動によって影響を受ける周囲の もろもろが「客体」。私は言語における「主−客」をこのように捉えている。 以上、お答え待ってます。よろしく。
87 :
N ◆T4yy5Sw2J2 :04/06/07 22:08
>>86 そう、そう、そう、そう。それだ。それ、それ。
ところで、皆さん同一人物なの?
とりあえず、だから、えー、
その出発点をもって、全ての要素を秩序立てるってことです。
ですから、「世界があって、物質的な存在があって、
その枠組みの中で、主体、客体を規定する」のではなく、
主客の枠組みで、世界を規定しようとするという意味で、
一般論といったわけです。
そうしてその一般論の枠組みのなかでは、普通人生考えて、もっとも長く継続しているものは、ほかならぬ自分自身であると。
つまり、自分が性質的には主体に最も近いということが、いえるんじゃないかな。
(続く)
88 :
N ◆T4yy5Sw2J2 :04/06/07 22:46
普通に考えると、すぐ一般的世界がどうしても先にたってしまうので、 そうすると、そのとおり、ややこしくなる。 あくまでも、主客の枠組みで、捉え直す必要がある。 「我々」「私」も普段意識しなければ、主体ということ。 「我々」「私」を意識して見れば、それは客体ということ。つまり対象だからね。 「自分の車」も「自分の持ち物」も継続すると、主体の性質を帯びる。 これは日常感覚に照らしても理解しやすい。 >「語に成変わる」「我々」とは 論文のここが、ターニングポイントなんです。 この場合の「我々」は普通にいう我々(言語主体、表現主体、理解主体) のことでもありますが、それは、一般的世界の中の我々ではなく、 ただ「我々」のことです。もし一般的世界の「一個人が語に成り変わる」とすると、 「ある人が言葉に化けるという」現象を指すことになります。そうではなく、 ただ「我々」(あなたもわたしも)がその言葉に意識を没入するという意味合いです。 そうすると、そこには周りの世界があるとかないとか、関係ないわけです。
89 :
N ◆T4yy5Sw2J2 :04/06/07 23:23
>「私」は主体なのに、「私は」と言ってしまうと客体になるとは? 継続を旨とする主体の性質によく合致するのが、「私」であります。 普通考えると、「私」が「主体」という順序ですけれども、 この一般論では、「主体」が何にあたるかは、流動的なわけです。 つまり、継続すれば、主体になるが、変化によって「私」も客体になるわけです。 これはこのあくまでもこの「主客の一般論」の枠組みの中では、という意味です。
90 :
N ◆T4yy5Sw2J2 :04/06/07 23:42
>「純粋な主体は捉えられない」とは 継続しているものを、つまり、無意識下にあるものを、捉えると、 それは客体となってしまうという単純な理屈です。 ここで、休憩します。
91 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/06/08 08:26
ごめんなさいね、粘着君で。ただ、これは今の私の研究テーマにかする
ところがあるので、いろいろはっきりさせておきたいことがあってね。
分析に関する議論には、まどろこしいので常体を使わせてもらってます。
ということで、申しわけないが、
>>87 −90の説明は、ますますもって
よくわからない。とりあえず、「主体=カメラで外界を切り取る存在、
客体=切り取られる存在」説には、納得してもらえたのだろうか。
そうなら、その上で、また別の議論を展開するが、取り急ぎ、まずあなたの
言説のわからなさや矛盾は、言葉や概念を相対化していないことがひとつ原因では
ないかと思われる。
そこで、ちょっと時枝の「主体」「客体」の概念とどこがどう違うのか、客観的に
説明してもらえないだろうか。そうすれば、まだしもとっかかりができると思う。
92 :
N ◆T4yy5Sw2J2 :04/06/08 10:40
いいところを突いてきているー。 時枝先生のは自分が着想してから、 「あっ同じかな?」と思ってみてみたら、 「重要なところで、一歩足りない」と思った記憶がある。 これは、ちょっと時間がいるかも。
93 :
N ◆T4yy5Sw2J2 :04/06/09 01:40
詳しい資料が手に入らないので、果たしてどこまで、正しいのかは、 責任持てませんが、今思うことを取りあえず書いておきます。 まず、時枝先生は、主体客体という語をごく一般的な意味で使われていますね。 (もちろん、「は」と「が」の相違の解明の為の理論化を行うために 主体客体という言葉を使われたわけではないですしね) しかし、あなたのカメラ理論とは大きく違う点がありますね。 「主体的表現」「客体的表現」という類型で、全ての言葉を取り扱うという いわば、一般論を展開したということです(言葉に関してのみだけど)。 そして、そこに「意味を一般化の方向に拡張しかけている」、 端緒のようなものがあるように思います。 それが、「主体の客体化」です。 詳しい資料が手もとにないので、はっきりとは分りませんが、 「私」という語について、これを客体としてみなすという理屈なのかな?だと思いますそうかな。 でないと説明がつかない事になったのではないかな。「私」に関して。 今、気がついたことですが、私の理論のもう一歩踏み込んだ点は、 「客体も主体化する」という点にあるんじゃないのかなぁ。 (時枝先生のは、またもっとしっかり、研究してからですね)
94 :
N ◆T4yy5Sw2J2 :04/06/09 01:43
そう、その「客体が主体化する」というのが、ターニングポイントの可能性が高い。 先にあげた、「我々がその語に成り変わる」というのもそうだ。 それが分らないと、論文の理解が先に進まないのではないか。
95 :
N ◆T4yy5Sw2J2 :04/06/09 02:12
「〜は」で受ける語を主体として扱うということは... 君のカメラ理論で、いうところの 「客体としての受ける語、主体としての理解主体の関係」が、 決して、断じて、不変、恒常などということはなく、 カメラ理論の主客(特殊論の主客)が、一般論では入れ代わる、すなわち、 「客体が主体化する」ことを意味する。 (少なくとも「は」と「が」の相違から導き出された理論の上では) わからないことがあったら、聞いてね。
スポットライトがあたるってこと?
うん、にてるね。
色々と考えてただけでまだ考えをまとめてはないんだけど 「私はご飯を食べた」の「は」は「が+は」で、「がは」という形では現れることができなくて「は」になっている。 「ご飯は私が食べた」の「は」は「を+は」で、以下、上と同じ 「に+は」、「で+は」等は連続可能なので「には」、「では」で現れる。 ここまでは、問題ないと思うけど、 >>1のHP中の 象は鼻が長い←(象の主題化)←象の鼻が長い(こと) ここで一瞬つまづいて、 象の鼻は長い←(「象の鼻」の主題化)←象の鼻が長い(こと) 鼻は象のが長い←(鼻の主題化)←象の鼻が長い(こと) ということができるので、ここはとりあえず納得。 でも、象の鼻が長い(こと)の象を主題化すると「象のは鼻が長い」なんじゃないかとも思った。 次に 私はあの人が好きだ。 私があの人が好き(なこと) この2つの文の場合、私を主題化したとは考えにくいですよね? 私はあの人が好きだ←(私の主題化?)←私があの人が好きだ。 ×あの人は私が好きだ←(あの人の主題化)←私があの人が好きだ もしも反主題化要素を仮定すると、 私があの人が好きだ(なこと)←(「私は」の反主題化)←私はあの人が好きだ 象が鼻が長い(こと)←(「象は」の反主題化)←象は鼻が長い こういう風に説明できる。
そうすると、 「私がご飯を食べた」とか「ここに木がたっている」のような文(「は」がない方が基底状態) 「私はあの人が好きだ」とか「象は鼻が長い」のような文(「は」が有る方が基底状態) そう考えると、 「私がご飯を食べた」の「ガ」(格助詞としてのガ) 「私があの人が好きだ」の「私が」の「ガ」(副助詞としてのガ)。 この二つが有るように考えられる。 長々と書きましたが、言いたかったことは、 反主題化要素の設定 「は」がない(ある)方が基底状態 副助詞としてのガ(「は」の反主題化の結果としての) です。 言語学が専門ではないので、用語など意味不明ですみません。 間違っている所とか指摘いただけるとありがたいです。
100 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/06/09 07:29
ちょっと、論考を発表する姿勢について伺いますが、あなたは、言語学の 専門じゃないんですね? とは思っていたけど、どんな専門であれ、 学術的な(とあえて言っておきます)論考の発表では、先行研究に対して 自説がどんな位置づけにあるのか、分析をつくして明確にするものです。 先行研究に時枝をあげているにもかかわらず、「詳しい資料が手に入らない」 とは、どういうことでしょうか。 言語の「主体」「客体」について言えば、おそらく日本語に関して 初めてその輪郭を示したのが時枝で、それがあなたの出発点になるべきものです。 私は、あなたの説の相変わらずの繰り返しを聞きたかったのではなく、 時枝とあなたの持つ主概念の違いの説明を求めたのですが、 「時枝は主体客体という語をごく一般的な意味で使っている」。 これがその答ですか? あなたは本当にきちんと時枝を読んでいますか? 時枝は「詞と辞」という説明概念を抜きにしては語れませんが(これが主体・ 客体に関係)まさか知らないことはないですよね。 ちなみに、あなたの「一般(的)」という語は要注意です。自説以外の主体客体概念 に対しても、自説に対しても用いている。 言語分析をうんぬんする前に、こうした論文の基礎からきちんと勉強された方がいいの ではないでしょうか。 あなたの背景についてはまだまだ確認したいことがあるが、次に回します。
>>98 >反主題化要素の設定
確かに「象の鼻」は「象が鼻が長い」が主題化したとする説の方が現在は有力のようですよ。
ただこれはあくまで文法上のことではなく、意味的なものです。
> 副助詞としてのガ(「は」の反主題化の結果としての)
ふ〜ん。面白いですね。こうやって組み立てていくと、
一見、論理的整合性がとれているように見えるが、
この筋の専門家の人はどう見るんだろうな。
102 :
N ◆T4yy5Sw2J2 :04/06/09 11:00
>>100 う〜ん。え〜?そうか〜?そうかな〜。
時枝先生のは1.「対象格のガ」について調べたことと、
2.私の研究の出発点ではない。
私のとはまるで違うでしょう?
使っている概念も用法も違いすぎて、
どこから手をつけてよいものか。
「日本文法 口語篇」は参考文献にあげたが、
これには肝心の「主体の客体化」が書いてないんだよねー。
「一般(的)」というのは、書いていて
「あっ、まずいかな、...まっ分るか」という程度のものです。
つまり、1.理論の一般性の一般と2.世間一般の一般ね。
(時に全然逆になるね、気をつけます)
あなたにはまだまだ弁解したいことがあるが、次に回します。
103 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/06/09 18:02
ごめんなさい、
>>98-99 さんはN氏ではないんですね?
そのつもりで100を書いたもんだから、ちょっとはじめの部分が混乱して
しまいました。両者におわびします。
>>102 で、N氏。違いますがなー。意図が全然伝わってないですねえ。
時枝に立脚しろとは言っていません。だから、あなたと時枝がどういう
位置関係にあるのか、その違いを克明に説明してほし・・・私の言ってること
わかります?(疲れた。)
あなたときちんと議論ができるかどうかの、いわば私は土俵固めをしている
わけです。それには説明原理である「主体・客体論」がしっかりしていな
ければ話にならない。あなたも「新説」と豪語するぐらいなら、従来の
説とどこがどう違うのかきちんと説明できて当然でしょう。
といっても、今までのレスを見る限り、どうもあなたはそういう手順を踏まずに
とにかく自分のアイディア?を吐き出し、反証や疑問に対しては的確な応答をしない
(できない?)ままで、持論の展開や擁護に腐心しているようだ。
そして、先行の諸研究の読解あるいは分析は、あと追いでいいと考えているらしい。
そこがまず根本的に理解できない。結局素人さんの「これ聞いて〜」だと
考えるべきですか。(私の言ってること、わかります?)
無駄なのかな〜と危惧しつつ、ついでだ。あなたの説の背景について、
もう2、3説明を求めます。
@いわゆる「陳述論」(あるいは「陳述論争」)とあなたの主体・客体論
との関係
A認知言語学でいうところの「主体的把握」の「主体」とあなたの「主体」との
違い。また「主観化」とあなたの「主体化」との違い。
B視点(久野のいう「共感」)の同化とあなたのいう「客体の主体化」あるいは「我々」の対象へ
の没入との違い。
よろしく。
104 :
N ◆T4yy5Sw2J2 :04/06/09 21:20
>>103 (私の理論との位置関係とか、背景にあるとか、言われてもこまっちゃうなーというのが本音だけれども)
しかし、それはそれとして、3つの質問は非常に興味深い。
自分の意味する主客と、どう違うのか、
聞いてもらえるのであれば、誠実に答えたい。
しかし、時枝先生のもそうだし、時間がほしい。
とりあえず、一発で、答えを期待しないでほしい。
>>104 > とりあえず、一発で、答えを期待しないでほしい。
全く順序が逆。妥当か否かはともかく、自分なりのしっかりした答を用意したうえではじめて、自分の論を展開できるのが学問なの。
だから、結局はトだって前に言っただろ。
106 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/06/10 00:12
>>104 105氏の言うことは本当です。
あなたは先達たちによるさまざまな論考の遍歴を経て、今の立場に至って
いなければなりません。
つまり、主体・客体をうんぬんするならば、当然、時枝の「詞」と「辞」、
主体・客体論、久野の視点論、国語・日本語学における陳述論・モダリティ論、
認知言語学での主観・主体論などは、よく知られた、あるいは斯界では
一般的な通念になっているものとして当然知っておかなければならなかったのです。
その上で、あなたは初めてそれらとの相違に根ざした自説を、「新説」である
として打ち出すことができたのです。
ところが、あなたは、これらをこれから読んだり調べたりされるのでしょう。
順序が逆です。
それから、かなり腹立たしいというかあきれた思いにさせられたくだりが
あるので指摘しておきます。
>「一般(的)」というのは、書いていて「あっ、まずいかな、...まっ分るか」と
>いう程度のものです。
用語をこんなにいいかげんに使うとは信じられません。
>私の理論との位置関係とか、背景にあるとか、言われてもこまっちゃうなーと
>いうのが本音だけれども
さきほど述べたことからも、これで、あなたの説がどんなにいいかげんな基盤に
立っているかおわかりですね。
質問@〜Bに読み手に納得いくように答えられるまでには、かなり時間が
かかることと思います。それでも、それに基づいてなんとか主体・客体を
統一的に規定し、説明できるようになったら、アップしてください。
それが妥当と判断できれば、その上で、本当に「は」と「が」の説明に
適用できるかどうかの議論に入りたいと思います。
107 :
N ◆T4yy5Sw2J2 :04/06/10 01:48
>>103 >無駄なのかな〜と危惧しつつ
危惧しつつついでに、申訳ないが、それぞれについて、簡単にでいいから、
説明してもらえないだろうか。無駄を承知の上で、どうかお願いしたい。
>>104 そうか俺はトだったのか。
>>107 > そうか俺はトだったのか。
今のままのやり方だとトで終わってしまう。それに気づくことがトンデモさん脱却の道。
大野晋は、比較文法の一般的な方法論も、ドラヴィダ語研究の成果も踏まえることなく、日本語とタミル語とをいきなり結びつけた。
どんなエライ人でも、方法が間違っていればただのト。
109 :
N ◆T4yy5Sw2J2 :04/06/10 02:04
なんでこのNとやらは、真面目に学問として研究することを馬鹿にする態度をとりたがるわけ?
>>107 自分が「と」かもしれないと感じるなら、既に「と」じゃないよ。気にするな。
だいたい、研究会の研究発表なんて、自分の考えていることがある程度形になった
時点でやるもんだから、不完全性さを気にしてたらいけないよ。考えたことをどんどん
書いていけばいい。それこそが学問。
>>112 燃料じゃねえよ。
俺はとりあえず、先行研究をきっちり把握できているかどうかなんてことよりも
N氏がどこまで自分の考えを明確に述べることができるかに興味があるんだ。
自分の考えが先行研究とどう違うのかが自覚できない者が、 「自分の考え」が本当に自分の考えであるのかを明らかにするにはどうしたらよいのでしょうか
不完全、下手な研究と、ルールを無視した根本的に誤っている「研究」とは、違う。
>>114 逆だよ。自分が考えていることを明確に整理することできてはじめて、先行研究と自分の考え
の関係を把握できるんだ。
>>115 「ルールを無視する」ことは、ただちに、根本的に誤っていることを意味しない。
さらに、無知ゆえに「ルールを守らない」ことと、故意に「ルールを無視をする」ことも違う。
前者の場合は、ルールの存在をきちんと教えてやればいいだけ。
119 :
N ◆T4yy5Sw2J2 :04/06/10 02:48
>>106 さんにお聞きしたいのですが...
時枝先生のご本は既に読んで知っていました。
しかし、それは、私の着想とは、非常に違う。
違い過ぎて、相違点を述べるとかえって大変な手間がかかることになる。
(私は自分の理論も、時枝先生の主客の意味も両方分りますからね)
聞きたいことは、以下の様な例は、どうなるのでしょうか?
天動説から、地動説へ歴史的な転換がありましたね。その時に
「地動説を唱える者」に天動説との関係や相違点を述べろと
言われたら、どう答えるのですか。
現在はこの二つが、等価であるであるという認識のようです。
(私は専門家でないので、詳しくは分らないが、要点は誰にでもわかるはず)
この二つの関係を論ずるとすれば、ばかばかしいほど、複雑な換算が必要になる。
双方をそれぞれの説として、べつべつに説明した方が早いではないですか。
これは間違っていますか?明確な答えがほしい。
120 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/06/10 03:06
>>119 一冊本を出して天動説と地動説の関係・相違点をきっちり説いたガリレオを見習え。
121 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/06/10 08:48
>>113 だから、彼は「明確に述べる」ことができないワナに陥っているわけですよ。
用語の使い方がめちゃくちゃだったり、抽象的・主観的でひとりよがりな
表現を多用してみたり。何より、基盤となる説明概念の規定ができていない。
だから、他の人の研究と比較して述べること(相対化すること)で、
読み手にも「そうか、こういうことだったんだ」とわかりやすくなったり、
概念の整理ができ、客観的に自説を眺められて彼自身のためにもいいと思ったわけ。
それに、論文を書いたり論を発表したりする時は、先行研究の一節を設けて、
そこで自説とかかわる従来の説を網羅し、自説とそれらとの異同を述べるのが
どの世界でも常識だ。
最低限のこの約束事さえ彼には守れてないうえに、あまつさえ何か無理難題を
強いられているように感じているらしい。
>>117 > 「ルールを無視する」ことは、ただちに、根本的に誤っていることを意味しない。
根本的に誤っていることを意味する。結論だけが偶然、直観的に正しかったとしても、その「研究」に価値はない。
123 :
N ◆T4yy5Sw2J2 :04/06/10 11:10
上の三人の人が代表者の人の意見なのかな?
124 :
N ◆T4yy5Sw2J2 :04/06/10 12:21
>他の人の研究と比較して述べること(相対化すること)で、 >読み手にも「そうか、こういうことだったんだ」とわかりやすくなったり、 >概念の整理ができ、客観的に自説を眺められて 君らの求めているものが、私には痛いほどよくわかる。 「相対化」とか「客観的」という言葉によく表れているね。 君らはこういう理屈(私の主客のような)にこれまで出会ったことは、ないのか? 結局、君らがほしいのは、4つの似た理論との比較ではなく、 自分達でもはっきり分る、客観的な分析的理論なんでしょう? それ何度も言ってるけど、一般的世界内(客観的世界)のことですよ。 私のは客だけでなく、主がからんでるの。いわば客と主がダイナミックに移動してるんだよ。 それを客観の世界だけで捉えようとするから、固定観念と言ってるんだよ。
125 :
N ◆T4yy5Sw2J2 :04/06/10 12:22
(これはひとりごとだが)
とりあえず、準備にかかるか。他の理論を批判するのかね、しかし。
「この人は、こういっているが、これは、違う」みたいな。
違ってるわけじゃないもんな。
「この人のはこういってるが、私のはこうこうこうだから、こう。ここが違う。」
ってやるとまた、また同じ言葉が出てくるだけだぜ。
あっ十把ひとからげにしてしまうか。「従ってすべてこの4つ理論は同平面上にあり、
私のはそこからこうやって糞をひねりだすように..」
こういうのを参考にして、書けばいいのかな?
善の研究 西田幾多郎
http://www.wao.or.jp/naniuji/nishida/zen-no.htm
126 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/06/10 14:10
すごいことになってるなあ。 あなたは、学術論文を読んだことや学会での発表を聞いたことがある? 話は単純で、「学術的」と銘打つ限り、そのやり方にのっとろうね、と 言ってるだけだ。 それをせずにおいて、「新説だ新説だ」とわめくと、いわゆる「ト」だの 「電波」だの「独善的」「妄想的」だのと烙印を押されて、日の目を 見ることはできない。 あなたはそれでいいわけ? あなたは、自説を学術的なものにしたいんじゃなかったの? こちらはそのつもりで(そして来るべき時にはちゃんと議論ができることを 目指して)どうしたらそのレベルへの足がかりができるか、今まで ずーーーっと話してきたのに、結局、無駄だったってこと? しょせんは素人のたわいもない独り言と、無視したり適当にあしらって おくべきだったんだろうか。 あなたがもし学術への一縷の望みをもつなら、図書館へ行って「国語学」なり 「言語研究」なり、大学の言語学系の紀要なりを手にとってみるといい。 そして、その中の論文がどのように構成されているか、論文にどんな表現や 用語が配慮しいしい使われているか、どのように論が展開されているかを じっくり学ぶことだ。(あなたに順当な学習能力があれば)目が見開かれるはずだ。
127 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/06/10 14:37
>>125 何をまたとんでもないことを!
言語分析の記述に哲学的な記述をまぜこむなど、冗談じゃない。
ただでもあなたの頭の中は、外界と交流困難な言説群が渦巻いているのに、
西田なんかのスタイルを、いい気になって中途半端になぞった日には、
それこそ万人に理解不能な、異形の化け物ができあがってしまう。
だいたい素人が論文を書くときに、大家や巨匠の「本」の記述スタイルを
まねると、大コケにこけるというのは、常識だ。
あなたがまねるべきは、上にもあるような学術誌の論文だ。普通の人間が
手を出せる普通のスタイルを模倣しなさい。
何考えてるんですか、まったく。
128 :
N ◆T4yy5Sw2J2 :04/06/10 14:59
>>126 助言ありがとう。
今研究してますよ。
ただ長い時間がかかるわけですから、その間、スレッドをあげるために、
独り言を適当にいれますが気にしないでください。
129 :
N ◆T4yy5Sw2J2 :04/06/10 15:09
>>127 >ただでもあなたの頭の中は、外界と交流困難な言説群が渦巻いているのに
はははは。あなたは愉快な人だ。すまん、ほんとそうなんだろうね。
>言語分析の記述に哲学的な記述をまぜこむなど、冗談じゃない。
>あなたがまねるべきは、上にもあるような学術誌の論文だ。
>普通の人間が手を出せる普通のスタイルを模倣しなさい。
ここ、これは、聞きたい。これが、皆の共通認識と考えてよろしいか?
必ず、返事がほしい。できれば全員返事をほしい。
130 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/06/10 15:26
>>129 まちがいない。
実際私は、修士論文では先輩のスタイルを参考にしたし、投稿論文では
その雑誌の論文を読みあさり、こんな風に書けばいいんだ、という
前提知識を得た。
ゼミでも、「論文の書き方がわからなくて〜」ととまどう学生には、
まず他の人の論文を読んでみろ、と普通に言われていると思う。
131 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/06/10 16:18
>>129 「代表者」だの「全員」だの「皆」だのって一体何を言っているんだ?
ここは2ちゃんねるだ。それぞれがそれぞれの意見を持ち発言している場だ。
何を1対全と勘違いしているんだ?
1対全観念はトやDQNの典型的特徴だよ。気をつけようね。
132 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/06/10 17:32
>>129 ある論文から抜粋(先行研究に触れた部分)
0.はじめに
「は」と「が」の相違に関しては多くの論考がある(e.g.三上(1953)、久野(1973)
野田(1985)、Shibatani(1990)、佐治(1991))が、その分析は多くの場合、
単文レベルでのもので、連文レベルでの両者の選択には殆ど言及がない。
その中で、野田(1985:25)には次のような記述がある。
(T) (略)
(U) (略)
確かに次のような例を見るとこの指摘は正しいように見える。
(略)
しかし、(T)の一般化には次のような反例が存在する。
(略)
従って、(T)の一般化には修正が必要である。本稿ではこの点を
定情報名詞句(後述)のマーカーの選択の原理と絡めて論じてみたい。
(庵功雄(1997)「「は」と「が」の選択に関わる一要因」『国語学』188より)
この論文では、序論の部分で、通時的に研究名をあげ、その問題点を指摘し、
自説ともっとも強く関連する先行研究(野田1997)の説に対して修正を施すと宣言する、
というスタイルを取っている。
用語も表現も、決して難解ではなく、自分が独自に用いる用語「定情報名詞句」に
ついては、後できちんと説明する旨、断り書きがある。「単文レベル」「連文レベル」
「マーカー」などは、言語学や日本語学でコンセンサスを得た普通に用いられる用語。
というわけで、この文章は、読む者に何ら負担を与えず、論者の主張をすんなりと
伝える。
こういうのを客観的な、達意の論文というのだよ。わかったかな?
133 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/06/10 20:15
>>132 のつづき
で、これで「先行研究と自説との位置関係」「自説の背景」を示すというのが
どういうことかも分かってもらえたことと思う。
分かってて遊んでるんだと思うけどね。
135 :
N ◆T4yy5Sw2J2 :04/06/11 00:04
(ひとりごとですが) ふんふん、なるほど、ふんふん。
>>119 地動説は、天動説が信じられていた時代の天体観測のデータを、そっくり受け継いだはずだ。
そのうえで、惑星の逆行や食の現象を、天動説よりはるかにシンプルな方法で、かつ、より正確に予測した。
天動説も地動説も、同じ事実を対象とする、同じ世界の学説だ。君が思うような、「天と地ほど」異なるものではない。
137 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/06/11 07:27
あ、それからN氏。 論文の書き方例で「「は」と「が」」を出したからって、今度アップする時、 いきなり「は・が」問題へ飛ばないでよ。また混乱するからね。 今は、とにかく「主体・客体」だ。これがまず、それこそ「統一的」に、 一元化した理論として説明されなければならない。 「は」・「が」への適用(の可否)は、そのあとの問題だ。 がんばってまとめてください。
138 :
N ◆T4yy5Sw2J2 :04/06/11 08:25
139 :
N ◆T4yy5Sw2J2 :04/06/11 08:44
>>132 確かによく見なれたパターンだね。
なるほど、それが、位置関係と背景か。
そういう、問題としては小さいもので、先行研究の土台から、かなり、
高く積み重ねた先行研究の、上にちょこっと、こう、
なんというのか、修正して、新しく積み重ねるという感じだけれども、
そうではなくて、もっと、土台に近いようなところで、
「新しい枠組み」に近いようなもので、たとえば、そこから、
大きく発展したような、あるいは、ほそぼそと続いているような、
そういう研究論文ってないの?
つまり、そういう積み重ねの下の方から、ほじくりかえしたような、
変わったパターンは。
>>139 嫌がらせか負け惜しみで言ってるんだろうからスルーしてもよかったんだが、
もしかしてと思って俺も言ってみる。
なんで自分で探さないの?
141 :
N ◆T4yy5Sw2J2 :04/06/11 09:07
142 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/06/11 16:21
>>139 あぶない、あぶない。それがいわゆる「電波」や「ト」の萌芽なのよ。
学問の新しいパラダイムを提出して成功するのは、その道の上級専門家や
大家だけ。
言い換えれば、その分野・近隣分野全域をカバーできる博覧強記と、深い
考察・洞察力、鋭い直観、卓越した理解力や批判力、構築した概念を的確で
説得力のある言葉に置き換えることのできる表現力、等々を素養として
備え、その道において十分に考えを熟成させ得た人。
発展途上の学徒は、地道にああした論考を積み重ねていくのだよ。
それが将来、大きな学問的成果になって還ってくることをめざしてね。
(あの論文を書いた人は、今ではその世界では名を知られた若手学者だ。)
ちょっとかじってインスピレーションを得た(と思っている)素人さんが
陥りやすい考え方だから、注意した方がいい。
143 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/06/11 17:14
それにその筋の人じゃないとわからないだろうが、この論文は、 「は」と「が」を照応とからめて捉えたけっこう画期的なものなのよ。 それまで、そういう観点から「は」と「が」を説いた論はなかったん じゃないかな。 このように、学術の世界じゃ、何か一つ今までと違った点が打ち出せれば 論文が書ける。(ただし、その「点」がその分野にとって有益なものか どうかで評価の高低が分かれるわけだが。) だからこそ、今までにどういう説があって、自説がそれらとどう異なるかを 明らかにすることが重視されるんだよ。
144 :
N ◆T4yy5Sw2J2 :04/06/11 21:52
とんでもない失礼な発言をしてしまいました。 平身低頭謝りたいと思います。 私の思い上がりでした。大変申し訳ございませんでした。
本質的なのは、先行研究をどうこうということではなくて、同じ事実を踏まえているかどうかということじゃないかな。 もっとも、ほとんどの場合、重要な事実は先行研究に出尽くしているから、結局同じことにはなるんだが。 全く新しい事実から掘り起こして論を立てるのなら、先行研究はむしろ参考にできない。三上章の研究はまさにそれ。 だから、生前の三上は「ト」 「デムパ」扱いされていた。
御心配なきよう。 今、彼等が教えてくれた理論を研究し始めたところです。 ひょっとしたら、と、思うこともないわけではありません。 まだ何とも言えませんが。 いずれにせよ、興味が続くうちは苦になりませんので。
147 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/06/12 09:25
>>145 せっかく話が整理されてきたのに、へんなこと言ってまたN氏を混乱させないでね。
今までさんざん言ってきたことは、自分が論をどう構築するかということじゃ
ないのよ。 世間に対して、いかに効果的にプレゼンするかということなの。
その「世間」は、人それぞれ。
ネット見てる普通の人たちを相手に自己満レベルでいいということなら、それこそ
もう何もかもご自由に。
専門家相手に、いっちょうやってやるなら、彼らに通じる言語と手法で攻めようね。
で、後者を前提に話してるの。 N氏にその気がないんだったら、もう降りるよ。
論の着想、構築自体は、それこそ自由だ。必ずしも先行研究が始点ではない。
ちょっとした日常のくさぐさにもそのヒントはころがっているし、自分が朝起きて
歯磨きながらくだくだと考えて続けていることが、実はすばらしい学問的構想
だったってこともある。
要は、それをどう世間(学術界)に認めさせるか。
三上のような一種の天才ならいざしらず、普通の人間がとる順当で効率のよい
戦略については、今まで述べたとおりだ。
言っておくが、三上は記述スタイルが独特で、もともと数学専攻だったという
経歴もあり、当時の「国語学」の権威達からは無視されていたが、久野などは
高く評価していたんだよ。先行研究を参考にしてないどころか、三上の主題論は、
伝統的な国学の主張に根ざしている。それに、英語学の方にも目配りがちゃんと
効いている。
今、彼が学術界で評価を得るに至ったのは、やはりその学問的素養、背景的な土台
がしっかりしているからなんだよ。
148 :
N ◆T4yy5Sw2J2 :04/06/12 11:00
>N氏にその気がないんだったら、もう降りるよ。 まあまあ、そう言わないでよ。
149 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/06/12 19:45
N氏。前提をもう一度はっきりしとこうや。以下のうち、ひとつを選びなさい。
@自己マンでいい。電波・トの評価も甘んじて受ける。
A学術界で認知されたい。
今までなんとかお付き合いしたが、私にも限度というものがある。
>>147 でも言ったが、@ならほんとにもう降りさせてもらう。これ以上相手にして
いる暇はない。後はどうぞご自由に。
Aならまだ付き合う余地はあるだろう。テーマ自体には興味がある。前にも言ったが、
自分の研究テーマとかすっているので、扱い次第では、私にとってもいいヒントが
ころがっているかもしれないという期待もある。
議論の土台と言語がまだ整備されていないので、今それを待っているわけだが、
しかし、徒労なのかどうかいまいちはっきりしない。
まあ、どっちへ進もうと好きにすりゃいいが、無駄足踏ませないためにも、
@かAか、まずはっきり意思表示しといてくれ。
150 :
N ◆T4yy5Sw2J2 :04/06/12 22:29
あなたは去った方がいいだろう。 今まで、つきあってくれてありがとう。
151 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/06/13 00:37
ありがとう。これですっきりした。 では私はこれにて。ご健闘を祈ります。
>>151 色々とROMで読ませていただきました。
私の今の専門は化学なんですが、うちの先生と同じことを仰ってますね。
色々と日本語に関する文献?を読みあさってみようと思います。
分野は違っても手法は同じみたいです。
とりあえずお礼を言わせてください。
153 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/06/13 01:07
通りすがりだが、 上の人何だかんだでいい人だね。Nさんは身を持って学問の基礎につい て学んでいることでしょう。その上で、議論が発展することを 願ってます。 自説を明確に説明できる=先行・関連研究の中で自説を相対的に 位置づけられる、ということは当たり前ですが大切です。 議論の前提です。自説の相対的な位置づけが明らかになってはじめて、 その説の新規性や有効性、妥当性などについて「妥当な」 議論することが可能となります。 学術発表を行う際もっとも突っ込まれる点の一つであり、 逆に言えば、まず努力を注ぎ込むべき点であると思います。 ところで、 言語学専門ではないのでよくわからないのですが、「は」と「が」の 二つに敢えて焦点を当てて、二つを統一的に扱おうとする必要は あるのでしょうか?(上でどなたかが言ってましたが) サーベイをがっちりやろうぜという自戒もこめてえらそうなこと 書きました、バサラ
通りすがりで、しかも言語学の論文なんて読んだことも ないのに書き込んでみる。 言語学ってのは用語の(厳密な)定義も必要ないし、 論を logical に進めていく必要もないのかね? でも、それじゃ明らかに矛盾してるよね。 論理的でないものを論だなんて。 あげく、N某は客観性すら持ち合わせていない。 これじゃ学問ですらないよね。。 まぁ、書き捨ての煽りなんて気楽なもんだって 切り捨てて、自説に高邁してくださいな。>> N某
>>147 > 世間に対して、いかに効果的にプレゼンするかということなの。
> その「世間」は、人それぞれ。
> 要は、それをどう世間(学術界)に認めさせるか。
> 当時の「国語学」の権威達からは無視されていたが
それが三上にとっての「世間」じゃなかったのか w
ここを見てるのは N 一人じゃないだろうから言っておくと、
> 今、彼が学術界で評価を得るに至ったのは、やはりその学問的素養、背景的な土台
> がしっかりしているからなんだよ。
違うね。三上が生前は電波で今は天才なのは、彼が、従来だれも着目しなかった言語事実を数多く指摘し、それらに対して的確な記述を与えたからだ。
だいたい、現代語の諸現象が研究に値するとすら、「国語学」では考えられていなかった。
もちろん、三上が指摘したのがすべて新しい事実だったわけではない。先行研究があった場合、三上はそれらを実によく勉強していた。そのことは確かだ。
>>132 で紹介されている論文は、今読むと、率直に言って、ずいぶん色あせて見える。
著者に対してはむろん何らの意趣もない。
「真夏の光を浴びて、夾竹桃の花が咲いている。公害に強いという宣伝がきいたためか、この花は、工業地帯や高速道路ですっかりおなじみになった」の「この花は」と、
「名古屋・中村署は、殺人と同未遂の疑いで広島市内の無職女性 (28) を逮捕した。調べによると、この女性は20日午前11時45分ごろ名古屋市内の神社境内で、二男 (1)、長女 (8) の首を絞め、二男を殺害した疑い」の「この女性は」とが、同様に扱われている。
「その順子が」 「その彼が」等と、「その女が」 「その人が」等とも同じ扱い。
「この本は読んでいない」 「その話はもう伝えた」のような例は、コラムには現れないのだろうか。何もコメントがない。現れないのならよいが、もしも現れたものを一緒くたにしているのなら大変だ。
こんなやり方の調査には意義が乏しい。
「昔々あるところにおじいさんがいました。ある日、このおじいさんは/#が山へ芝刈りに行きました」
「が」が不適格とは決していえない。語感に疑問が持たれる (しかも N と同様、じいさんをゴルフ場の芝師かなんぞにしちまってる w)。
どうせ紹介するなら、もっと寿命の長いものにしたい。
おれのオススメはこれ:
S.-Y. Kuroda, "The Categorical and the Thetic Judgment: Evidence from Japanese Syntax", Foundations of Language: International Journal of Language and Philosophy, Vol. 9 (1972-73): 153-185, D. Reidel Publ.Co.
157 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/06/13 22:13
シロートか? いーかげんなことをよくもまあw 生前の三上がデムパで、今天才? なんだそりゃww もともとが天才のうえにしっかりした素養があったから、革新的なパラダイム転換が できたんだ。 デムパ(妄想者)にそんなことができるか。 >従来だれも着目しなかった言語事実を数多く指摘し、それらに対して的確な記述を与えた そりゃ、学者ならだれでもやってることだろーwww 三上はとにかくそのスケールがず抜けてたってこった。 >先行研究があった場合、三上はそれらを実によく勉強していた。そのことは確かだ。 だったらつまらんレスつけるなwwww
>>157 > 生前の三上がデムパで、今天才? なんだそりゃww
ガリレオも元デムパだが、何か?
> そりゃ、学者ならだれでもやってることだろーwww
やってるもんか。既によく知られている事実に、少し目先の変わった解釈を施しただけの研究は、それこそ掃いて捨てるほどある。
159 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/06/14 10:41
デムパ=ひとりよがりの論をふり回し、自分の説は大きく世界を変えるものだと 妄想しているため、周りに無視されたり見向きされない人。あっという まに時間に淘汰される。 デンパ扱い=本人が頭よすぎて論があまりに先鋭的革新的なため、ついていけな い周りに無視されたり冷遇されたりする人。その価値は歴史が証明 してくれる。 違 う
こんなに難しい「は」と「が」が無意識に使い分けられる俺らはたいしたもんだ
161 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/06/14 11:02
>>156 Kurodaとは、またずいぶんシブイ。 生成♯の乱入?(^^)
で、彼のハとガの解釈にどう新味があるのか、読んだことないので説明きぼーん。
ただしモンガイカンにもわかるように。
162 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/06/14 11:21
>>158 >既によく知られている事実に、少し目先の変わった解釈を施しただけの研究
こういうのを学界ではDQNの研究と呼ぶ。あるのは事実だが、当然評価は低い。
そんなことばかりしてる学者も当然DQNにランク付け。
>>159 結局は「世間」が勝手に決めること。「違う」ということは時間が経ってみなければわからない。
自分でチェックできるのは、自説が事実に対して誠実であるかどうかということのみ。
サーヴェイをしっかりやらなきゃいけないのは、報告済みの重要な事実を見落とさないためであって、デンパ扱いされないためでも、上手にプレゼンするためでもない。
>>161 しばらく待ってもらいたい。
>>162 > そんなことばかりしてる学者も当然DQNにランク付け。
そんなことばかりしながら「権威」と呼ばれてる香具師も相当数いる。だれとは言えないが。
164 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/06/15 07:13
>>163 レス書いた人の意図を無視してあげ足とりのレスばっかつけてるとこを見ると、
なんだか素人くさいなあ。
でも、もしほんとにプロなら、くれぐれもジャーゴン満載でハタケ違いの
人たちをケムに巻くようなことだけはしないでよ。
それから、
>>132 の論文との異同もはっきりさせること。 お待ちしてます。
>>164 > レス書いた人の意図を無視して
君の言ってることが間違っているとは思わないが、一面に偏っていて misleading だ。
> お待ちしてます。
プロなら自分で読みたまえ w ちょっとひねった要約にしてやろう。
・「が」の前には名詞句しか来ないが、「は」の前には様々な句が来る (「本は」 「本には」 「難しくは <ない>」 「読みは <しない>」 「読んでは <いない>」)。
「『は』と『が』の違いは?」といった問の立て方は的外れであり、「『は』のある文とない文との違いは?」という問い方をしなければならない。
・「は」のある文は範疇的判断 (categorical judgment) を表し、他の想定される判断を選択肢式に排除する。
「は」のない文は直覚的判断 (thetic judgment) を表し、他の判断がありうることを想定していない。
実際に使われる文の多くは範疇的判断を表すもので、「−は」が表れていなければ省略されている。
直覚的判断を表す文は、発話時とその直前・直後の事態を描写するもの、および、発話時における話者の欲求を表出するものに限られる。
「−は」があって「N が」のない文では、たまたま、「−」と「N」とが一致したにすぎない。
166 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/06/16 17:42
どこが偏っていてミスリーディングだろうか。(それに元レス書いたのは私ではない) 「説明希望→待ってもらいたい→お待ちしています→自分で読め」 というのは、ミスリーディングとは言わないのだろうか。っといけないいけない、こっちまで 揚げ足鳥になるところだった。 ところで本題。なぜ、ひねった要約など? 私はある程度のプロだが、言ってるとおりハタケ違いなので、そんなこと されると、ますますわからなくなるでしょう。 結局、ケム巻き? で、照応の観点からハとガの現れ方を記述することと、ハあり文とハなし文の 意味するところを理論的に分析することがどうからむの?
http://www.569.jp/ 先日新生掲示板群 五六九 が誕生しました。
このサイトはこの2ちゃんのような総合掲示板群で、
インターフェース等も似ており2ちゃんユーザーなら違和感なく使えます。
まだ、人が少なく、面白くないかもしれませんが、
せめて記念カキコだけでもいいのでしていってください。
よろしくお願いしますm(_ _)m
※おかげさまでたくさんの2ちゃんねらーの方から記念カキコいただいています。
どうもありがとうございますm(_ _)m
>>166 もうだれがだれなのかわからないが、
>>147 が、どのように論を構築するかと、どうやって人に理解させるかとを別のことのように言ったのは、明らかに行きすぎ。
> 照応の観点からハとガの現れ方を記述することと、ハあり文とハなし文の
> 意味するところを理論的に分析することがどうからむの?
「この/その N は」と「この/その N が」を対比させたいのなら、「この/その N は」と「この/その N を」や、「この/その N には」と「この/その N に」なども、対比させなければならない。
さらに、「その順子」 「その彼」等と、「その女」 「その人」等とを区別して扱えば、調査の結果はずいぶん違うものになるだろう。
169 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/06/19 10:43
>>168 132論文には,私もいろいろひっかかりがある。が、それはひとまず置いといて。
Kurodaの内容もあなたのレスも「ひねった要約」(例文もなければ,論の根拠も
十分示されていない)なので,さぱーり分からんのだが,
1.ハとガを対置するという扱い自体に意義を唱えるなら,132論文を槍玉に
あげるのはお門違い。あれは、テクスト言語学的な見地に立って,新・旧情報の
交替や主題性(topicality)の観点から,〜ハと〜ガが選択関係にあると
みなしてのものだから(そしてそれは妥当な見解である),立脚点が異なる。
おそらくKurodaのは,「ハとガがどう違うか」という,当時の(今から見れば)
ナイーブな構文論研究に対する異議申し立てだったのだろうから,その潮流を
くんだ現在の構文論研究に対してこそ目くじらを立てるべき。
2.テキスト上で「この」と「ハ」,「その」と「ガ」の機能が共鳴するために,
共起し「やすい」ことを指摘したのが132論文の目的と功績であり,
それに対しては,特に問題を指摘する余地はない。
>>169 168じゃないが、「ナイーブな構文論研究」ってなんだよ。
171 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/06/19 12:03
当時は「は」と「が」が対立すると(ごく少数をのぞいて)みんな思って いた。そういうことを言わんとしたのかと。 研究がすすんでいまでは「は」と「が」が対立するとは、 たいていのひとは思っていない。 「は」は「が、に、を、....」に対するものだと思っている。
>>171 さすがにそれはないよ。「が」が格を表す助詞であるが、「は」はそうではなく、「は」と「が」の
対立は、格助詞の有無、「は」の有無という二重の対立として捉えられなければならないと
いうのは、それこそ、「は」と「が」の研究の端緒となった松下、山田以来の基本的認識。
ちなみに、件の黒田の研究は、構文論(文法論)というよりも、特定の構文(「XはY」/「XがY」)
に対する意味構造の違いを「判断のタイプ」の違いに求めようとした意味論的なもの。
一方、庵さんの研究は、参考する文脈との関係を問題にした談話論的なもの。目指す観点が
違っているので、直接には比較しにくい。
訂正: 「参考する文脈」 → 「先行する文脈」
174 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/06/20 00:13
171は169じゃないよ。「ナイーブ」に反応して 思ったことを書いただけ。 「は」も「が」も英訳すると同じになってしまう、どうなってるのだろう? と考える素人は多いことだろう。これも「ナイーブ」な考えじゃないか。
175 :
N ◆T4yy5Sw2J2 :04/07/06 00:26
お前そろそろ板違い。
177 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/07/18 01:31
>>172 庵の知り合いか?
あの、風水の悪い?呪われた研究科出身なのか??
彼、病気治ったのか?
>>174 英訳できない日本人の考え方になるのでしょうか。
「戦うこと“が”大儀だ」 → 主戦論(`・ω・') 「戦うこと“は”大儀だ」 → 厭戦論('A`)
>>179 まずは名詞「大義」と「大儀」の相違の統一理論完成を急げ
「戦うこと“が”大義だ」 → 主戦論(`・ω・') 「戦うこと“は”大義だ」 → 厭戦論('A`)
182 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/08/10 02:13
なんでこんな簡単なことがわからんの? 「は」と「が」の違いなんて簡単に説明できるよ。 「鳥は飛ぶ」「船は浮かぶ」「雨は降る」 「鳥が飛ぶ」「船が浮かぶ」「雨が降る」 「は」は、誰がどうしようと、事実としてそういう状態が存在する。(主観的) 「が」は、特殊な常態にあることを、積極的に説明している。(客観的) 次のように、言い換えたとする。 「鳥が落ちる」「船が沈む」「雨が上がる」 これは、特殊な状態になったことを説明している。 何かの理由があって、鳥が落ち、船が沈み、雨が上がったのだ。 一方、 「鳥は落ちる」「船は沈む」「雨は上がる」 という言い方になると、鳥や船や雨が、自然の状態でそうなったという風に取れる。 誰がどうしようと、いつかは、鳥は落ちるし、船は沈むし、雨は上がるのだ。
暑い夏は夏厨が多い
>>182 というか
「鳥は飛ぶ」はindividual level predicateで
「鳥が飛ぶ」はstage level predicateなわけだが
185 :
名無し象は鼻がウナギだ! :04/08/12 01:07
「誰が」とは言うが「誰は」とは言わない(?)
北原白秋の『椰子の実』
Googleでちょっと調べモノをしていてたどり着き,ほぉ…と思いながら読んでいました。 > >「芝刈り」より「柴刈り」 > そうだったのか...恥ずかしいがこのままにしておこう。 > むしろ昔は、芝刈業が普通にあったと考えればよい。 揚げ足を取るようで悪いが,この時点で帰ります。 自らのミスをきちんと認め修正する気がない人とは何話しても無駄だと考えるからです。 (たとえソレが話の本筋とは関係のないことであっても…です) こーゆー方はハナから自説を主張したいだけで,ヒトの意見を訊こうとは思っていない…
N氏はまともな議論をしたいのならさっさと『国語学』なり『言語研究』なりに 投稿すればいいのに、なんでネットに出してこんなとこでごちゃごちゃ言ってるの? "学術論文"なんでしょ?
すると、言語学好きのナスをオマンコへぶちこんだ
190 :
ドゥンス・スコトゥス ◆nO3WZD1McQ :05/02/07 20:14:48
統一できるか
191 :
名無し象は鼻がウナギだ! :05/02/07 20:17:35
192 :
名無し象は鼻がウナギだ! :05/02/08 06:03:32
「が」主語の強調 「は」一般論 主語を強調しない いろんな場合があることを表す
193 :
名無し象は鼻がウナギだ! :05/02/08 13:20:09
>>192 「お前は知らないが、俺は」とか言うときってどうよ?
194 :
名無し象は鼻がウナギだ! :05/02/08 13:23:23
言語権の2つの立場って何?
195 :
名無し象は鼻がウナギだ! :05/02/08 16:51:22
>>193 2回目以上の「は」は強調になる
他にも、私「は」こう思う。と「は」だけ大きい声で言うと強調になる
「が」はどんな時でも強調になるが、「は」はある特殊な状況下で強調になる
ある特殊な状況はとてもたくさんある。
「私は違う」も強調の「は」
何故かというと暗に(他の人はこうだが)という意味が入ってるから
つまり二回目以上の「は」
196 :
195 :05/02/08 17:06:03
やっぱり違いますね。すいません。 なにを強調と感じるか人それぞれ違うし 説明は単純にはいかないですね でも人は「は」と「が」を使い分けてるのだから、なんか基準があるはず
197 :
名無し象は鼻がウナギだ! :05/02/08 17:07:43
ライオンがシマウマを食う ライオンはシマウマを食う 違いは何?
198 :
名無し象は鼻がウナギだ! :05/02/08 18:25:03
本当に象は鼻が長いを読んできたのか疑わしい香具師らだなぁ 「は」は"="の意味を表す繋辞で 「が」は主格を表すためのマーカー と考えるだけではならんのか
199 :
名無し象は鼻がウナギだ! :05/02/09 00:40:33
>>198 あんたこそ疑わしいぞ。
> 「は」は"="の意味を表す繋辞で
「ライオンはシマウマを食う」
「ライオン=シマウマを食う」
「ライオン」というモノが、「シマウマを食う」というコトとイコールとは、哲学的すぎる。
> 「が」は主格を表すためのマーカー
「主格」とは何かが大問題。
「この動物園が日本でいちばんライオンが多い」の左方のガは、どういう述語詞の「主格」なのだろう。
「は」が繋辞というのは笑えるな いつの時代の人だよ
201 :
名無し象は鼻がウナギだ! :05/02/09 06:28:33
日本語には、〜は〜が〜、という言い方がある ・今日は天気がいい ・あの人は肉が好き しかし、〜が〜は、という言い方はあまりしない が(強調)のあとは、〜は、という言い方はしにくいのでは
202 :
名無し象は鼻がウナギだ! :05/02/09 10:51:44
・あの人が来たのは初めてです。 ふつうに言うぞ。強調にもなっていなければ分かりにくくもなってはいない。 ・あの人は来たのが初めてです。 よりも明快だ。
>>202 > ・あの人が来たのは初めてです。
「[[あの人が来た] の] は [([[あの人が来た] の] が) 初めてです]」で、「が」は「来 (た)」の主格。
> ・あの人は来たのが初めてです。
「あの人は [[[(あの人が) 来た] の] が初めてです]」で、「が」は「初めて (です)」の主格。
> よりも明快だ。
意味の違う構文を比較しても無意味。
>>203 ・あの人が来たのは初めてです。
・あの人は来たのが初めてです。
この二文を比べて「意味」が違うと言える人は珍しい。
「形態」はたしかに違うんだが、形態の違う構文を比較できない文法なんて無意味。
多分、「意味」の捉え方が常人とは違うのだろう。
「形態」が「意味」に転化してしまったのだ。
よくある、自称文法家の自己撞着現象かな?
型だけやって満足している自称拳法家のようなものだ。ネ。
>>204 あんまり阿保なこといってると、いつぞやの誰かみたいに叩かれるよ
つまんねーヤツ!
>>204 > ・あの人が来たのは初めてです。
> ・あの人は来たのが初めてです。
> この二文を比べて「意味」が違うと言える人は珍しい。
違わないと言える人の方がよほど珍しい w
・( ) どういう風の吹き回しでしょう。
・( ) いろいろ教えてやってください。
二つの ( ) に入る文は、上の 2 文の一方にそれぞれ決まっている。置き換えはきかない。
はっきり意味は違うんだよ。
何にせよ
> 違わないと言える人の方がよほど珍しい w
ということはないな
てか、
>>201 は普通に考えれば、単文で「−がーは」の語順は少ないって話してんのに
>>202 みたいな複文持って来るあたり見ると、非専門家さんでしょ
この板は専門家の多い板だから、あんまり知ったかぶりしたり
適当なこと言わない方がいいよ。馬鹿にされるから
>>201 ・天気がいいのは今日だ
・肉が好きなのはあの人だ
>しかし、〜が〜は、という言い方はあまりしない
というのはおかしくないか?何を言いたいのかよく分からん。
だから、お前らは単文と複文の区別すらつかないのかと・・・
それら単文に直したら
・今日は天気がいい
・あの人は肉が好きだ
じゃねーか
まあ、そういう俺も
>>201 が何をいいたいのかはよくわからんがな
それにしても、批判が的外れすぎる
>>208 > ということはないな
いくら素人でも、ひどすぎる。
>>210 ・?天気が今日はいい。
・?肉があの人は好きだ。
が言いにくい、ということだろう。
そりゃそうなんだよ 単文では 「天気が今日はいい」とか 「今日が天気はいい」とかは あんまり言わない そんなことは分かってるんだよ だから、それが何なのかというのが、よくわからん
・今日は天気がいい ・あの人は肉が好きだ これは、いつから単文と呼ばれるようになったんだ?
伝統文法では単文扱い 述語が一個しかないからね もちろん、主題を述語と同一文中の要素と見なすかどうかは、議論の余地がある 文法理論によっては [S 今日は [S 天気が いい] ] とかするのかも知れんが、そんなことは知ったことではない そこまで技術的な問題を考慮にいれて、単文、複文と言ったわけではないよ
>>213 「伝統文法」ではそんな文章は扱いません。
>>215 そのとおり。教師も扱えないから、ポッケないない。
>>1 のリンク先 [北巳零総合研究所 中○薫] のサイトにこうあった。
>「国語学」に投稿したところ、先ごろご返答を頂きました。こちらをごらんください。
→ たいへん残念ながら今回は不採用ということになりました。
本当に送ったんだね。
『日本語の研究』の中の人も大変だなあ。
えらいぞ、日本語学会。がんがれ査読者。
218 :
名無し象は鼻がウナギだ! :05/02/10 18:41:49
1 あの男だけが敵ではない 2あの男だけは敵ではない 1は「男以外にも敵はいる。あの男はもちろん敵」という意味と 「敵はいるが、あの男は敵ではない」と二つ意味がある 2は一つの意味しかない 「は」は強調をしないので意味は一つしかできないが、 「が」は特定の意味を持つため、状況によって意味が変わってしまうのでは
219 :
名無し象は鼻がウナギだ! :05/02/10 18:55:27
>あの男だけが敵ではない これを英語でなんと言うの
>>218 > 1 あの男だけが敵ではない
> 2あの男だけは敵ではない
> 1は「男以外にも敵はいる。あの男はもちろん敵」という意味と
a. [[あの男だけが敵] で] は [([あの男だけが敵] で) ない]
「あの男だけが敵というわけではない」に置き換えられる。
>「敵はいるが、あの男は敵ではない」と
b. あの男だけが [敵では [(敵で) ない]]
> 二つ意味がある
「で」に二つの意味がある。
> 2は一つの意味しかない
1a.の「で」は、左の節の中に「は」をとれない (「*[あの男だけは敵]〔というわけ〕ではない」) ので、1b.の「で」としか解釈できない。
>>219 1a. He is not an only enemy.
1b. Only he is not an enemy.
>>220 1a. × He is not an only enemy. → ○ He is not the only enemy.
>>218 「だけ」とか「が」とか「ない」とかいろんな要素のはいった文なので分析が難しい
1.あの男だけが敵ではない
「だけ」は、多分二つの解釈の違いに関係しないので無視する。
「が」には中立叙述と総記の解釈があると言われているが、中立叙述は眼前描写などに多く
判断文ではだいたい総記の解釈になる。ここでは、二つの解釈のどちらでも総記。
二つの解釈は、だいたい
>>220 の言うのと同じだと思うが、次のような構造で区別される。
a.NOT [ あの男だけが敵だ ]
(あの男は敵だが、あの男だけが敵ではない)
b. あの男だけが [ NOT 敵 ] だ
(ほとんどの人が敵だが、あの男だけが敵ではない)
しかし、これは
>>220 の言うように「で」の意味の違いではなく、「ない」のスコープの問題だと思う。
2.あの男だけは敵ではない
>>220 は、「で」の左の節には「は」は出れないと言うが、そんなことはないと思う。
主題の「は」は従属節中に生起しないと言われるが、対比の「は」は従属節中に普通に生起する。
この文の「は」は対比の意味で用いられているので、従属節中に生起するのは問題ないと思う。
ちなみに、「あの男は敵ではない」だと、構造の違いと「は」の解釈の違いで、
次の三通りの解釈が予想される。
a.あの男は [ 敵ではない ] (「は」は主題)
b.あの男は [ 敵ではない ] (「は」は対比)
c.[ あの男は敵 ] ではない (従属節中なので「は」は対比)
といっても、予測できるというだけで、cがどういう意味になるのか、脳内計算かなり厳しいが...
なんにせよ、単なる「は」ならば、少なくともaの主題とbの対比の解釈が可能
「だけは」が対比の解釈にしかならないのは、「だけ」が何かやらかしているのではないかと思う
いや、何かおかしいな...
>>222 と
>>223 の論点がずれてしまっているような...
もう少し考えたい
>>222 > これは
>>220 の言うように「で」の意味の違いではなく、「ない」のスコープの問題だと思う。
その考え方でも説明はできると思うが、
>>223 > 主題の「は」は従属節中に生起しないと言われるが、対比の「は」は従属節中に普通に生起する。
> この文の「は」は対比の意味で用いられているので、従属節中に生起するのは問題ないと思う。
それは従属節の種類による。
「ない」のスコープには、主題の「は」も対比の「は」も入らない、と説明すればよい。
226 :
名無し象は鼻がウナギだ! :05/02/11 09:28:51
>>199 は本来簡単に考えられる事例を態々曲解する事で難しくしようとして結局何も判っちゃいない香具師ぃ
>「ライオン」というモノが、「シマウマを食う」というコトとイコールとは、哲学的すぎる。
↑
それを論点のすり替えというのだ。
199はちゃんと高校で数学教育を受けているのか怪しいな、=で結ばれるものは一つとは限らない。
2は1+1だけとは限るまいw
>「この動物園が日本でいちばんライオンが多い」の左方のガは、どういう述語詞の「主格」なのだろう。
バ亀ぇ、「ライオンが多い」だけを取り出せばそこでは「ライオン」が主格、単にこれは英語で言えば関係代名詞を使う複文に相当する。
日本語は関係代名詞が無くても同じものが造れるぞ。そんなことも知らないのか?
>>226 > =で結ばれるものは一つとは限らない。
> 2は1+1だけとは限るまいw
「ライオン=シマウマを食う」は、「2 = 3 − 1」とかじゃなくて、「2 = 3 から 1 を引くと出来る」とか言ってるのと同じ。数式になってない。
>「ライオンが多い」だけを取り出せばそこでは「ライオン」が主格
そんなことは当たり前。「この動物園が」は何の「主格」なんだ?
> 単にこれは英語で言えば関係代名詞を使う複文に相当する。
> 日本語は関係代名詞が無くても同じものが造れるぞ。
"This is the zoo that has most lions in Japan." の this は is の主語、that (= the zoo) は has の主語。
日本語とは全然違う構文。
228 :
名無し象は鼻がウナギだ! :05/02/11 11:44:15
日本語は二重主語が許される。 「この動物園が日本でいちばんライオンが多い」は この動物園が(ライオンが(多い)) といった二重構造になっている。 「動物園」は「ライオンが多い」に対する主語、「ライオン」は「多い」に対する主語。 口語にはよくある表現なのだが。
>>228 >「動物園」は「ライオンが多い」に対する主語、「ライオン」は「多い」に対する主語。
「主語」という呼称の是非はさておき、前者を――前者と後者の「が」が同じ性質のものだとすれば、後者も――「主格」と呼ぶのは問題だ。
「(主) 格」とは、述語詞が要求する特定の項目を指すのだから。
230 :
名無し象は鼻がウナギだ! :05/02/11 14:21:14
>>227 は本当に数学を習ってるのか怪しいな
x^2-4=0の時xは2にして-2であるがこれを文章化したら例えば
「斜辺ACの角度が45度の直角三角形ABCがある。辺ABの長さを何cmにすれば面積が4cm^2になるか」
になって、この場合答えを-2cmと言う事は出来ない。
そんな事も踏まえずに物事を弁えたつもりか。
>「(主) 格」とは、述語詞が要求する特定の項目を指すのだから。
「この動物園が日本でいちばんライオンが多い」という文は英語とかで言う複文なのだ。
元々格というのは西洋語で作られた概念なのだから西洋で言われている通りに使って何が悪い。
英語の複文のメルクマールは関係代名詞が使われている事で、日本語の複文のマルクメールは主格が複数あるって事なんだんべさ。
231 :
名無し象は鼻がウナギだ! :05/02/11 14:24:03
問題文を訂正 「斜辺ACの角度が45度の直角三角形ABCがある。辺ABの長さを何cmにすれば面積が4cm^2になるか」 ↓ 「正方形の各辺の長さを何cmにすれば面積が4cm^2になるか」
232 :
名無し象は鼻がウナギだ! :05/02/11 14:24:59
げげっ、後のメルクマールがマルクメールになってら
誤植には目を瞑るにしても、-2cmとか何の話だよ。
>>199 や
>>227 がいってんのは、=の左辺と右辺の範疇が違っちゃったら
等式として成り立たないって話だろ
ライオンはシマウマを食べる([名詞]=[動詞句])とか
2=3から1を引く([数式]=[動詞句])とか
範疇の違うものを=で結ぶのは文法違反だ
コンピュータ・プログラムだって、Int型変数に文字列代入したらエラーが出るだろ
百歩譲って、「シマウマを食べる」を「シマウマを食べるもの」と読み替えたとしても
「ライオンはシマウマを食べる」は
ライオン ∈ シマウマを食べるもの であって
ライオン = シマウマを食べるもの じゃねーよばかちん
>>230-231 > これを文章化したら例えば
>「正方形の各辺の長さを何cmにすれば面積が4cm^2になるか」
文章化すれば「=」なんてどこにも出て来ない。「は」と「=」とは無関係。
>「この動物園が日本でいちばんライオンが多い」という文は英語とかで言う複文なのだ。
述語詞が「多い」という形容詞一つしかないから、単文。
> 元々格というのは西洋語で作られた概念なのだから西洋で言われている通りに使って何が悪い。
君は使っていない。西洋語の主格 (主語) は、一つの動詞につき一つしかない。
> 英語の複文のメルクマールは関係代名詞が使われている事で
複文・重文のメルクマールは、動詞が複数使われていること。
> 日本語の複文のマルクメールは主格が複数あるって事なんだんべさ。
「主格」と呼ばないほうが、はるかにわかりやすい。
マイ定義の応酬をしても仕方がない。 それなりの根拠を提示しろ。
236 :
名無し象は鼻がウナギだ! :05/02/11 19:17:37
>>233 よ
>コンピュータ・プログラムだって、Int型変数に文字列代入したらエラーが出るだろ
と言うが現に動詞と形容詞を区別せずに結び付けているのが日本語なのさぁ
>複文・重文のメルクマールは、動詞が複数使われていること。
と言うけれど"This is the zoo that has most lions in Japan." は"is"と"has"の二つの動詞を用いている。
動詞を必須とする英語とbe動詞に相当するものの不要な日本語が同じ筈がない。
複数の動詞を持つ文の日本語訳文を仮に複文と呼んでおいて一時的な主格が複数あると置けば
「は」と「が」の統一理論はとうに完成しているというのにな。問題は各用語を如何呼ぶかでしかない。
> 複数の動詞を持つ文の日本語訳文を仮に複文と呼んでおいて (;´Д`) 英文法の日本語への宛てはめか? いつの時代の人だよ
で、
>>1 の「中○薫」は何処に行ったんだ?このスレ内でさえも潜伏することにしたのか。
>>236 > >複文・重文のメルクマールは、動詞が複数使われていること。
> と言うけれど"This is the zoo that has most lions in Japan." は"is"と"has"の二つの動詞を用いている。
だから複文。「言うけれど」の「けれど」が意味不明。
> 動詞を必須とする英語とbe動詞に相当するものの不要な日本語が同じ筈がない。
同じじゃないから英語の場合は「動詞」、日本語の場合は「述語詞」(動詞、形容詞、いわゆる形容動詞、名詞+ダの類) となる。
> 一時的な主格が複数あると置けば
> 問題は各用語を如何呼ぶかでしかない。
「主格」などと呼ばないほうがよい「が」があるということ。
240 :
名無し象は鼻がウナギだ! :05/02/12 05:40:41
結局
>>239 は「が」を何格とよぶか。
呼ばないほうがよいなどと言っていてもそれは現に主格の一部を構成している。
とりあえず何故主語ではなく述語詞なのか反例をあげながら説明してもらおうか。
241 :
名無し象は鼻がウナギだ! :05/02/12 06:36:52
冠詞にも大きな関心を持っている方は多いのでしょうか?
>>240 「が」は描かれる事柄の中心となるものを示すが、述語詞から「格」として拘束されない。
「主格」のように見える場合が確かに多いが、話し言葉では、「左耳が鼓膜が破れた」「この店がカメラが売ってる」のように、「格」で説明のつかない例も現れる。
「が」について語っているように見えて、実は何も語っていない。 詐欺師ですか?
>>242 >「左耳が鼓膜が破れた」「この店がカメラが売ってる」
両方とも非文
普通に適格文だと思うが・・・ これ非文にしてる研究者なんかいるか?
246 :
名無し象は鼻がウナギだ! :05/02/12 18:06:56
>>242 はやはり「が」について何も知らない素人の様だ。
「が」とは"一時的"な主格を示す助詞であって、次に助詞が現れた時には忘れ去られる性質がある。
この独特な「が」の格を独自の格の名前で説明している学者が居た筈だぞ。
>>245 研究者どころかほとんどの一般人が非文だと答えるだろ
「非文」という用語を教えた上でのことだがな
>>247 ソースは?
てか、二重主格構文って、結構有名な研究トピックだと思うんだが・・・
非文にならない条件もあるかもしれないが、 単独で >「左耳が鼓膜が破れた」「この店がカメラが売ってる」 こういうのが出てきたらかなり不自然に思うよ。 「右耳が鼓膜が破れた」は「右耳の鼓膜が破れた」 「この店がカメラが売ってる」は「この店ではカメラを売ってる」或いは「この店ではカメラが売ってある」 と言うと思う。 まぁ、個人的には「AはBがCだ」とか、「僕が〜が好き」という文章でさえ二重主語文だとは思ってないのでねぇ。
>>246 >「が」とは"一時的"な主格を示す助詞であって、次に助詞が現れた時には忘れ去られる性質がある。
「格」とは述語詞が要求する特定の項目。一時的だったり忘れ去られたりすることはありえない。
> この独特な「が」の格を独自の格の名前で説明している学者が居た筈だぞ。
時枝誠記の「対象語格」のことを言ってるんだったら、君は全くの的外れだからね。
「左耳が鼓膜が破れた」「このクラスが男子がよくできる」こんな文はいくらでも使われている。非文と言い張ってもだれも使うのをやめないだろう。 「この店がカメラが売ってる」これは少々無理して作ったが、「あっ、カメラが売ってるぞ」なら、これまたいくらでも使われている。この場合も「が」は「格」では説明できない。
>>251 「このクラスが男子がよくできる」は「僕が〜が好き」と構文としては変わらないよ。
別に非文とはいってない。
「あっ、カメラが売ってるぞ」とはまた別問題でしょ。
「あっ、カメラが売ってるぞ」は「りんごが売ってある」とか「鉛筆が置いてある」とかと構文は同じじゃないの?
広義の受動文だと思うのだが。
「〜が〜てある」とは使われる条件が違うように思うが、
基本的には「〜によって・〜に」で表される行為者が付けられない受動文。
>>252 >「このクラスが男子がよくできる」は「僕が〜が好き」と構文としては変わらないよ。
「左耳が鼓膜が破れた」も構文としては変わらない。
>「あっ、カメラが売ってるぞ」は「りんごが売ってある」とか「鉛筆が置いてある」とかと構文は同じじゃないの?
「りんごが売ってある」「鉛筆が置いてある」は、一般に「りんごが [売って] ある」「鉛筆が [置いて] ある」と解釈されることが多いのであえて問題とせず、「売ってる」の形を取り上げたが、
「りんごを売ってある」「鉛筆を置いてある」とも言えるわけだから、「りんごが」「鉛筆が」はやはり「(主) 格」では説明できない。
254 :
名無し象は鼻がウナギだ! :05/02/12 23:10:37
「が」は「格」では説明できないとか言ってる時点で251は物知らずなの。 「は」も「が」も外国語の主格の様に一部または全てが包摂関係にある複数の物事を結びつける(だから連想ゲームが成り立つ)。 これを当たり前の大前提としてまずおいて置く。すると 「は」格助詞ではなく、その前後を結びつける(区切る)役割を持った助詞。文の全体に影響が及ぶ。 「が」前の語を後の語に対する主語にする助詞。文の全体にまで影響を与えない。 「このクラスが男子がよくできる」は「どのクラスが男子がよくできるか」への返答に使える。 一人だけの思考ではこの様なパターンは現れない。
>>254 >「は」も「が」も外国語の主格の様に一部または全てが包摂関係にある複数の物事を結びつける(だから連想ゲームが成り立つ)。
> これを当たり前の大前提としてまずおいて置く。
外国語の主格、例えば英語の主語は、動詞が表す動作・変化・状態の主と決まっている。「連想ゲーム」は成り立たない。
君一人の妄想を当たり前の大前提にしてもらっては大迷惑。
>「が」前の語を後の語に対する主語にする助詞。
後の「語」とは何なのかが全く不明。
いったい、何処と何処の流派が争っているのだろう・・・?
257 :
名無し象は鼻がウナギだ! :05/02/13 00:14:43
>外国語の主格、例えば英語の主語は、動詞が表す動作・変化・状態の主と決まっている。「連想ゲーム」は成り立たない。 判ったような大嘘をこくな、しかもその否定が何も自分の意見を支持していないな。 英語で連想ゲームは成立する。何せ英語には冠詞があるからな。255は英語しか知らんのか、乏しいな。 日本語の「が」と「は」に相当する区別が無く、かつ冠詞が無いウラル諸語など幾らでも証拠はあるぞ。 まぁ、包摂関係なんぞ語った所でそれは「は」と「が」の区別には全く関与していないので、それについて言い争いたければ別の板へ行ってくれ。 学者の振りをして結局知識を統合できて無い香具師の稚拙な要点ずらしは要らんぞ。
対比や総記まで視野に入れた場合 包摂関係がまったく関係ない、というのはいささか危険かと思われ
>>257 > 英語で連想ゲームは成立する。
成立しない。主語は結局、語 (動詞) がとるのであって、節がとるのではないから、二重主語文は存在しない。
> 日本語の「が」と「は」に相当する区別が無く、かつ冠詞が無いウラル諸語など幾らでも証拠はあるぞ。
日本語の「が」が「主格」で、「は」が「=」であることの証拠には全くならない。
260 :
名無し象は鼻がウナギだ! :05/02/13 10:38:44
「は」=「=」であることは誤りだけれども
「は」は繋辞であって格助詞でないことは明確だでよ。
あと
>>259 おみゃー
英語の形式主語は2重主語だで。
結局大切な事はなーんも否定できとらんな。
「冠詞が無いウラル諸語」は具体的に何語のことを指して言っていますか?
262 :
名無し象は鼻がウナギだ! :05/02/13 17:58:52
というよか正確にはウラル語族 マジャール語かフィンランド語の格の説明を読んで勉強しれ
「は」が格助詞ではないということは、間違いないと思う おおむね、これに反対する研究者はいない(だろう) だが、「は」を繋辞という研究者も、おそらくいないんじゃないか? 日本語で繋辞(コピュラ)と言えば、普通は「だ」「である」の類を指す もちろん、英語のbe動詞からの連想なわけだが そもそも、繋辞という概念自体が印欧語文法の概念なんだから あえて日本語に繋辞に当たるものを探すならば、「だ」「である」と考える。 いわゆる日本語文法に特にコミットしてない哲学者や何かなら 「は」は繋辞だとか、そういうアバウトなことを言うかも知れないが 文法学者で「は」を繋辞という人は、まあいないだろう そうすると、「は」は格助詞でもないし、繋辞でもないし、じゃあなんなんだという ことになるが、伝統的には係助詞の一種と言われてきたし、あるいは主題マーカー なんて言い方もあるだろうし、対比の「は」についてはとりたて詞の一種と考える こともできるだろうが、実際のところ、よくわからんから、議論が続いてるんだろうな。
>>260 > 英語の形式主語は2重主語だで。
形式だろうとなんだろうと動詞はきっちり二つある。動詞と主語とはあくまで 1 対 1。二重主語文は存在しない。
> 結局大切な事はなーんも否定できとらんな。
ここまで一つ残らず否定されている。
265 :
名無し象は鼻がウナギだ! :05/02/13 18:58:29
日本語に「だ」「である」は必要ないよ。
266 :
名無し象は鼻がウナギだ! :05/02/13 19:01:25
>264に足りてないのは話の主題を他人の文から見出す能力と見解の相違がある語彙への冗長性だと思うぞ。
国文法って意味わかんない
>>265 誰も「だ」「である」が必要だなんていってないぞ
日本語における繋辞相当の表現が「だ」「である」だと言ってるだけだ
実際、全ての言語にコピュラが必須ということはない
ヘブライ語か何かでもコピュラなしのNP NP文とかあるんじゃなかったっけ
うろおぼえだが
>>262 ハンガリー語には冠詞あるんですけど。何言ってんの?
横レスだが、別にウラル語族が全て冠詞を持たないなんて、誰もいってないんじゃないの?
>>265 いわゆる漢語サ変動詞の場合、「する」「した」も必要ない。
「藍ちゃん組 W杯第1回大会を制覇」
「ロシアが根室の漁船拿捕」
そうすると、ぶっちゃけ動詞一般も不要と言えば不要だな 「自衛隊イラク派兵へ」とか 「最古の人類の化石が青森県○○市に」とか
>>272 つまり省略されているということ。
>>265 が「だ」「である」はもともとあってもなくてもいいと言ってるのなら、完全な間違い。
274 :
名無し象は鼻がウナギだ! :05/02/14 05:42:42
結局「は」に相当する機能を持った語を何と名づけるか
275 :
名無し象は鼻がウナギだ! :05/02/14 06:50:37
一般化
>>275 「私は」「これは」などにはそぐわない。「主題化」でいいよ。
名づけなどどうでもいいよ 主題標識とでも言っとけ 問題は、どういう機能を持ってて、どういう風に一般化できるかだ 例えば、主題の「は」と対比の「は」は一般化できるか 中立叙述の「が」や総記の「が」とはどういう関係にあるか あるいは、他の格の名詞句も含めて、「は」があるのとないのでどう違うか こういうことを、体系的に説明しなければならない
>>277 禿胴。「は」と「が」の相違ではなく、「は」と「が」「を」、「には」と「に」、「とは」と「と」、「寒くは (ない)」と「寒く (ない)」……の相違について考えていかなければならない。
亀レスごめんなさい。
>>253 >「りんごを売ってある」「鉛筆を置いてある」とも言えるわけだから、「りんごが」「鉛筆が」はやはり「(主) 格」では説明できない。
わたしゃただのシロートなんで学者先生方みたいな難しいことはわかりませんが、
「鉛筆が置いてある」と「鉛筆を置いてある」は、
「鉛筆が」+「置いてある」 と、「鉛筆を置く」+「〜てある」
であって、文の構造が違うと思う。
「鉛筆が」は「置いてある」に対する主格、「鉛筆を」は「置く」に対する目的格。
能動表現の目的格が受動表現の主格になるのは、ごく自然なことなのでは?
それに、「鉛筆と言う物体が置かれた状態で存在している」と言う事実自体は
同じかも知れないけど、ニュアンスはかなり違ってるよね。
「鉛筆が」では置かれている鉛筆自体に注意が向けられていているのに対して、
「鉛筆を」では誰かによって為された「鉛筆を置く」という行為に対して注意が
向いている。
「鉛筆は置いてある」になるとまた注意の方向が変わるし、日本語って面白いなぁ。
とりあえず最後の「日本語って面白いなぁ」に萎えた どのくらい萎えたかって、『ぴあ』の最後のあたりに載ってる 映画レビューのコワダのコメントぐらい萎えた
>>279 >「鉛筆が置いてある」と「鉛筆を置いてある」は、
> 「鉛筆が」+「置いてある」 と、「鉛筆を置く」+「〜てある」
> であって、文の構造が違うと思う。
それは「−てある」に 2 種類あるとする解釈で、一応筋は通る。
しかし、「カメラが売ってる」はありえても、「?鉛筆が置いてる」は難しいだろう。どんな文脈を想定してもね。
「鉛筆が置いてある」の「ある」は、典型的なbe動詞で、 動詞構文でもThere is a pen.と同じでは? 日本語では格助詞では格は判断できないが、この場合の 主格は明らかに鉛筆。 「鉛筆を置いてある」の「ある」は、節の補完のための be動詞で、後に続くであろう「ので使ってください」にかかり、 文⇒節の過程で主格⇒目的格の遷移では? で、節のスコープでは鉛筆は主格だが、文全体では、 「ある」の用法自体が異なり、主格の人物があらかじめ 置いておいたことを伝えるための動詞構文での過去完了 なので、文全体の主格を議論してもしょうがないのでは?
283 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/03/27(日) 15:16:36
マジきれい!ヤバイ! 最初、あいちゃんとは思わなかった。 稲森ってこんな美人だったっけ?みたいな。 パッパパラッパ>>>>>美人光線
284 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/04/23(土) 18:44:52
age
285 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/04/23(土) 18:45:33
sage
286 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/04/24(日) 05:31:00
>「りんごを売ってある」「鉛筆を置いてある」 どっちも俺の中ではれっきとした非文だw
「リンゴを売ってある」は言わんが 「鉛筆を置いてある」は言わなくも無い 「机の上に鉛筆を置いてあるから使ってくれ」とか 「鉛筆が置いてある」と比べて動作主の存在が強く意識されるような 意味の違いがあるように思う
288 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/04/25(月) 01:39:54
>>283 いまさらながら、すごい誤爆だなw
言語学にカキコの片手間にCM板にカキコとはw
言語学とアイドルに造詣の深い、この板の代表って感じww
真のオタクはアイドルなぞに造詣はない
290 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/04/25(月) 19:21:29
>どっちも俺の中ではれっきとした非文だw 非文てあなたにとってどういう意味なの
291 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/04/25(月) 20:25:35
>どっちも俺の中ではれっきとした非文だw 非文てあなたにとってなんですか
私にとって非文とは、人生そのものです。
293 :
生意気 :2005/04/25(月) 21:46:17
あんた非文のなんなのさ
296 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/04/28(木) 19:48:36
>292 >295 ワロタ
297 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/04/28(木) 20:46:45
この分野の論文って、abstract あるいは、要旨、あるいは、あらましって つけないの?
298 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/04/28(木) 20:57:06
そんで、アブストラクトがないんで何が書いてあるかわかってないんですが 「は」と「が」がどうしてできたかという考察まで加えると、査読者が 期待しているトンデモ性(「独創的な「主体と客体の一般理論」の提唱に より」の部分ね)が得られるんじゃないでしょうか? 確か、昔は、「が」の変わりに「い」が使われていたとか。それがどういう 由来で、「g + a」という音にとって変わられたか。「は」という音が どういう由来で主格を表すようになったか。そこを考察してこそ、 りっぱなトンデモというものではないでしょうか。これは昔は「ぱ」なんで しょうか? それともむかしから「は」? 素人がいろいろえらそうなことを書いてすみません。ガンバってください。
299 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/04/30(土) 01:00:52
私は2段ベッドから降りようとすると、妹がベッドの床を蹴り上げてくる。 これ間違ってますか?
300 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/04/30(土) 01:25:08
>>299 「は」は、複文の従属節の中に入ることはない。
よって日本語として間違い。
「私が二段ベッドから降りようとすると、妹は/が ベッドの床を
蹴り上げてくる」
が正しい。
>>300 さん
ありがとうございます! とても助かりました。
従属節というのがヒントになりました。
調べながら勉強しなおします。
302 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/04/30(土) 01:52:01
>>301 いや、おれ専門家じゃないから、ウソかいたかもしれない。
303 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/04/30(土) 08:41:00
じゃあ、言い直してあげよう。 条件節の中の主体は、多く「〜が」で表される。 従属節の中に「は」が入る例はいくらでもあるよ。 「彼は歌がうまいが、私は音痴だ」 「自分は九州の出身だと彼は言っていた」
「従属節」にもいろんなタイプがあるってことだな。
「彼は歌がうまいが、私は音痴だ」 これは重文ですよね 複文の従属節内で「は」になる場合の条件って何なんでしょうか? 子供じみた質問ですみません。
306 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/04/30(土) 17:37:53
いいえ、重文は完全対等の対句のようなものを指します。 「おお春よ春、花は咲き、鳥は歌う」とかね。 (しかし、これも広義には複文とされてたんじゃ…) 複文の従属節内で「は」になる条件なんてのは、まだ 解明されていないはず。
307 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/04/30(土) 18:23:18
「と思う」の前の節内では「は」がよく現れる。
308 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/04/30(土) 18:57:58
「と」は引用の助詞だから、その前の節は主体が「〜は」だろうが 「〜が」だろうが、何でもいい。単に引用なわけだから。 特に「〜は」がよく現れるというものではない。
309 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/04/30(土) 19:29:56
> 条件節の中の主体は、多く「〜が」で表される。 条件節の中で、「は」を使ったら、どんなところに違和感を 覚えるかを書き出してみると違いが分かるのかも。例えば、 温度は高いと、植物の生育がはやい。 はどこが変か?
読点の位置が経ん 温度は、高いと植物の生育がはやい。
311 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/04/30(土) 22:17:22
>>310 んー。なんかごまかしがない?
温度は、高いと植物の生育がはやい。
は、こころもち、
温度は、、、、(それが)高いと植物の生育がはやい。
になってるような。
312 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/05/01(日) 01:01:41
>>309 どこが変かって、だから「温度は」の「は」が変なんでしょ。
「が」に換えりゃ問題ないわけでしょ。
313 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/05/01(日) 01:11:02
「もし、そいつはちげーよ、なんちうやしがいたら、そいつ自身が まちごうている、ってことだ」 なんていうのもあるか。
>>310 その場合の「温度は」は、「温度ガ」の主題化ではなく、「温度ニツイテ」の主題化だ。
「温度については、(温度が) 高いと植物の生育がはやい」と同じ。
315 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/05/01(日) 09:18:31
>>312 > どこが変かって、だから「温度は」の「は」が変なんでしょ。
すみません。聞き方が悪かったみたいです。
「温度は」のまま放置しておいたら、その文全体はどこが変に感じるかと
いう疑問でした。「温度は高いと、」とするとどんなニュアンスになるんでしょう?
(1)ほかの条件はともかく温度は高い?
(2)理由は分からないけど、なんとなく帰結の文章につながる気がしない?
(2)それ以前に文法的に変?
>>315 「温度は高いと」という日本語は文法的に誤り。
これが、 温度は高いと、植物の生育がはやいが、葉が焼けるものもある。 になっちゃうと違和感までないんでしてな。
>>317 違和感ある。
「は」と「が」には関係ないけど。
「と」の使い方が違う気がする。
○ 温度は高いと僕は感じた(引用)
○ 温度は高くなると植物の育成を早める(接続)
温度は高い状態になると、植物の生育を早め、なかには葉が焼けるものもある。
これだと違和感ない。そんな気がする。
319 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/05/01(日) 18:36:24
>>315 「温度ハ高いと、植物の生育がはやい。」
いや、だから「ニュアンス」の問題うんぬんじゃなくて。
ただの気持ち悪い非文なんだって。
「駅二財布を拾った」
これ、「駅デ」の場合とニュアンス的にどう違うかっても
答えられないでしょ?
その前に、文法的に間違っとるって問題外視されちゃうでしょ。
320 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/05/01(日) 18:42:39
「ニュアンスの違い」をみるってのは、対照する2つが、 ともに文法的に適格であることが前提。
321 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/05/01(日) 19:24:19
>>319 ニャンス云々はあくまで問いの意図を伝えたいがために出したフレーズで
最初の問いはあくまで、「〜はどこが変か? 」なので、
「は」を使うのは文法的に変
が答えなんでしょう。でも、さらに「ただの気持ち悪い」がどんな
気持ちの悪さかを言ってもらえば、よりどこが悪いか分かるので
嬉しいです。文法って絶対的に存在するわけじゃなくて、そういう
気持ちの悪さなどを合理的に回避する体系になってると思うので。
>文法って絶対的に存在するわけじゃなくて ??
323 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/05/01(日) 21:36:18
>>321 違います。文法は、各人の頭の中に集積されている、その言葉が
間違いか間違いでないかを瞬時に検索できる、絶対的に存在する体系です。
だから、外国の人に「その言葉遣いは変だよ」「間違いだよ」と
(どこが変か何が間違いかうまく説明できなくても)すぐに指摘できるのです。
>>323 各人の頭の中では絶対的かもしれないが、すべてのネイティヴ・スピーカにとって絶対的な文法は存在しない。
例えば
>>317 。
325 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/05/01(日) 21:51:32
>>324 Wいや、そりゃ、外延部分(ちゅうか周辺部分か?)はネイティブ
スピーカーごとに出入りはあろうが、コアになるところはそうそう
自在ではなかろう。
317のようなケースというのは、学習の時期と質によって左右される
種類のものだと思う。
326 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/05/01(日) 21:54:16
それに
>>323 は「絶対的な存在」と言ってるんで、「絶対的な文法」を
認めているわけではないので注意。
327 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/05/01(日) 22:18:07
すみませんね。用語の使い方が悪くて。 「絶対的に存在するものじゃない」って変でしたね。 その言語を話している人たちを無視してアプリオリに 存在するものじゃないって言いたかったんです。 文法っていう「もの」が存在するかどうかは別にして、 記述されたものとしての文法の体系は、その言語を支えている 人たちが発した話し言葉、書き言葉、それらに対する感じ方、などを 帰納したものですよね? 記述された文法からは、「は」は係助詞、 「が」は格助詞という言い方かもしれませんが、そういう体系にした 背景は、頭の中のルールに抵触する心地悪さですよね。それが何かを 表に出すことが、ここの議論には有益なのだろうと思うのですが。
>>325-326 問題になるのは周辺部分が多く、ある言い方を非文法的として議論を進めると、必ず言えるとする人が現れて、頓挫してしまう。
各人の「絶対的な存在」をぶつけ合っていても意味がないので、自分の中にある文法を説明するものと割り切るのが得策。
同じような文法を持っている人にだけ議論に乗ってもらえばよい。そうでない人は相手にしない。
329 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/05/01(日) 22:43:26
>>328 話がずれてるな。
文法の議論をいかにうまく成立させるかじゃなくて、ネイティブ・スピーカーに
共通の文法があるかどうかがトピックだ。
これは当然ある。でなければ、言語によるコミュニケーションは成り立たない。
ただし、万人の文法が周辺部分まで含めて100%同形同質かというと、そうではない。これが答だろう。
>>329 で、「温度は高いと」が文法的かどうかすら「同形同質」ではない。それが答。
331 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/05/01(日) 23:16:38
>>330 まず、「温度は高いと」だけでは、文法判断の材料にはならない。
これだけ見て可否を言うこと自体、無謀。これで無理やり答を引き出そう
とすると、そりゃいろいろ珍答が出るだろうさ。
それに、そもそも「は」と「が」は極めてテクスト依存度の高い
現象だから、一文のみの判断にゆだねることが難しい面がある。
「文脈によっては可」という答がぼろぼろ出てくる。
これは、文法判断とはまた別種のもの。
>>331 私の判断では、ハは主題でも対照でも、ト節の中には収まらない。これは絶対的であって動かない。
同じ文法を持った人としか議論はできない。
>>332 さんにとって、「私は明日は休日だとばかり思っていた。」は×?
>>333 それが
>>309 と同じ従属節だと思うか?
トのあとにハ、モ、バカリといった副助詞が来られるものと、来られないもの (「*温度が高いとばかり、植物はうまく生育しない」)、
トの前にタが来られるもの (「たしか明日は休日だったと思う」) と、来られないもの (「*温度が高かったと、植物の生育がはやかった」) は、
違う節なんだよ。
335 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/05/02(月) 11:44:25
307 は 308の言ってることを言おうとした。 ことばがタリナカッタ。
336 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/05/02(月) 11:51:36
ト節 って 引用と条件があるのよ。
337 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/05/02(月) 11:55:03
またことばがたりなかった。 引用の「〜と」と条件の「〜と」では 「は」の現れ方が違うって。 引用の「〜と」の前は なにがきてもおかしくないが、 条件の「〜と」の前には「は」はこない、と言おうとしてるんじゃない?
>>336 >>309 「#温度は高いと、植物の生育がはやい」のトが、引用の解釈を受ける蓋然性はない。
主節「植物の生育がはやい」の中に、引用のトを統率しうる要素はない。問題外。
339 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/05/02(月) 13:55:26
まあまあ、用語には気をつけようね。 でないと、独善的になるよ。
340 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/05/02(月) 13:59:48
「温度は高いほうが、植物の生育が早い」なら、問題ないわけだ。 で、「温度は高いと、植物の生育が早い」だと、問題なわけだ。 ってことは、「ほうが」と「と」の違いでもあるわけだな。
341 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/05/02(月) 14:25:54
>>340 いや、「ほうが」と「と」の違いじゃなくて、ガ格の性格の違いだ。
温度(ハ)−高い方(ガ)
温度(ハ)−植物の生育(ガ)
どちらに包摂関係(あるいは上位・下位関係)がスムーズに成立するか
の違い。ここでは、いわゆる「ハ・ガ」構文として許容できるかどうか
に判断の基準が移動している。
>>339 引用節が関係ないことはみんなわかってるのに、独りで混ぜ返してるのはおまえだろ。消えろ。
>>340 「温度 (について) は、(温度が) 高いほうが植物の生育がはやい」
「温度 (について) は、(温度が) 高いと植物の生育がはやい」
この解釈をとるならどちらも適格。
>>342 IDがない言語板では書き手のアイデンティティが掴みにくいから、ある用語をどういう意味で
使ってるのかわかりにくいのだよ。
それが分からん奴は死ね。
認知意味論 ⇒ お絵描き遊び 形式意味論 ⇒ 数学ごっこ
345 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/10/29(土) 11:09:29
「は」「が」がそもそも範疇としての対立をなさない、とするのがやはり混乱を 避ける前提。ただ、そこで、「は」使用の際、「に」「で」等とは異なり、「が」 が消失し、形式的に「は/が」のみが相違点をなす2文が存在するところにこの 2つの助詞が対立するカテゴリーとして捉えられる根拠がある。この問題を「統 一的に」解決するには、「文法化された格助詞の非使用」を研究する必要がある。
>>345 現代日本語では、「は」使用の際、「を」も消失する。
やはり、「が」だけを特別扱いしないほうがシンプル。
347 :
345 :2005/10/29(土) 11:37:16
もちろん同意。
>>345 しかも、現代日本語に限定されない。むしろ、中世日本語のテキスト
などを読んでみると、格助詞が省略されているというより、いくつか
の格助詞については、それらの非使用が文法化されていると理解する
ほうが合理的に思われてくる。そして、その格助詞非使用は、実は現
代日本語にも生きて文法化されているのではないか、というのが私見。
348 :
345 :2005/10/29(土) 11:39:12
無助詞格については既に研究している人もちらほらいたような気がする ciniiで無助詞って検索すると結構でてくるな
350 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/10/29(土) 18:11:46
>>345 >>347 少なくとも現代日本語については、
既に過去レスの
>>46 >>47 >>48 あたりで答えが出ているんじゃないか?
>>47 末尾のように、
「が」が使われる場合、「は」が不在であることを特に強く示す反射効を示す場合がある。
でファイナルアンサーだろ。
ここで問題になるのは「は」の不在であって無格助詞の問題ではないので、
「格助詞の非使用」を焦点とすると、話がまたもや的外れになることになる。
正直、無助詞の問題が「は」と「が」の問題の解決にどれほど関係するのかは俺には不明だが 「が」が「は」の反射効を示すってのも、あんまり説明になってない気がするなあ 確かに言語運用上、そういう効果はありそうな気がするけど それでindividual level predicateの「が」は総記でstage level predicateの「が」は中立叙述とか 従属節ではそういう対立はないとかいった諸問題を、一般的に解決できるもんなのか?
352 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/11/09(水) 09:39:40
というか、統語機能そのものが違うのに同列に並べて論じられるわけがない。
誰も説明できないのに、誰もが使い分けることが出来るのは何故? これを誰か教えて
>>352 何を今更・・・
「は」と「が」を比較するのは、「は」と非「は」のサンプルみたいなもんだろ
「は」と「が」の機能が同列じゃないなんて、そんな当たり前のこと今更指摘すんなっつーの
>>354 それでも、
「N は」:「N が」=「N は」:「N を」=「N には」:「N に」=「N では」:「N で」=……
ということがわかってない香具師は多いよ。
>>28 俺、行かなきゃ
俺、行かないと
「が」不必要
大人が説明できないのに、子供が使い分けてるのは何故かを知りたいんだよ 余計なこと言うな、エレガントに説明しろ
は (係助詞) 種々の語や文節、活用語の連用形などに接続する。多くの事柄の中から、一つのものを取り出して提示するのが本来の用法である。 (1)特に一つの物事をとりあげて提示する。 「お酒―ぼくが買う」「食事―もうすんだ」 (2)題目を提示して、叙述の範囲をきめる。 「象―鼻が長い」「ぼく―学生だ」「今日―よい天気だ」 (3)二つ以上の判断を対照的に示す。 「行き―よいよい、帰り―こわい」「親に―孝行、友人に―信義」 (4)叙述を強める。 (ア)〔格助詞・副詞などに付いて〕意味や語勢を強める。 「たいてい―、そのまま帰る」「君と―もう会わない」 (イ)〔動詞・形容詞の連用形、および助詞「て・で」に付いて〕一続きの叙述の一部分を強調する。 「絶対に行き―しない」「なるほど美しく―ある」「まだ書いて―いない」「真実で―ない」 (5)〔「…(で)は…(だ)が」の形で〕譲歩の気持ちを表す。活用語の連用形に付くこともある。 「雨も、降り―降ったが、ほんのわずかだ」「ごめんどうで―ございますが」 (6)動作・作用の行われる条件・事態を表す。現代語では「ては」の形で用いられるが、古語では「ずは」「くは」「しくは」などの形をとることもある。 「不正があって―ならない」「おこられて―大変だ」「会社として―万全の備えをするつもりです」「忘れて―夢かとぞ思ふ/伊勢 83 (7)文末にあって、終助詞的に用いられる。体言や活用語の連体形に接続して、感動の意を表す。よ。「はも」「はや」などの形をとることがある。 「歯固めの具にももてつかひためる―/枕草子 40」「あはれ、それを奉り鎮め給へりし―や/大鏡(道長)」 (8)(文末にあって終助詞的に用いられ)話し手自身に対して、念を押すような気持ちでの詠嘆を表す。 「すはよい―とて追たそ/史記抄 3」「又五十字、百字有る歌もあらう―さて/狂言・萩大名(虎寛本)」 〔(7)は上代では「はや」「はも」の形をとる。(8)は中世以後の用法。近世では「わ」と表記されることが多くなり、現代語で主として女性が用いる終助詞「わ」の源流となる〕
「は」は部分を強調することば ---------完-----------
>>359 あなたは天才!やっとこのスレも大団円を迎えることが出来た。
これで日本の言語学界がこの問題から解放された。
>>356 >>28 は総記のときとかに「が」が落とせないって話だろ
俺、行かなきゃは別に落とせたっていいだろうよ
>>361 「総記」というのも分かったようで分からない概念なんだが、
やっぱり要するにこれは「「は」の不存在」が指し示す事柄なんじゃないのかね?
>>350 の指摘を一歩も出ていないと思うんだが。
「が」の意味に格文法と無関係な事柄を盛り込むのは
そもそも間違っていると俺は思うが。
僕は、うなぎが食べたい。 僕が食べたいのはうなぎ。 「さあ、これから何を食べましょうか」 「僕は魚です」(I am a fish)
364 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/11/12(土) 16:16:36
いまだに
>>363 みたいなこと言ってるやついるのか・・・orz
365 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/11/12(土) 16:47:15
主題と違いますが…ここの人なら詳しいと思うのでお願いします。「僕は君を好きだ」と「僕は君が好きだ」の違いを外国人にどう説明すればいいですか?主格は「が、は」で目的格は「を」。じゃぁ↑のは…ι
366 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/11/12(土) 17:06:44
>>365 「好きだ」は形容動詞であって動詞ではないから
本来なら対格(目的格)を取れない。
だが「好きだ」には「好きになる対象」があるので
それを表すために日本語では従来主格「が」を取った。
英語などの印欧語で同じような場合属格や与格を取る場合があることを参照汁。
(I like you.(youは対格) I am fond of you.(of youで属格相当))
なぜ「が」なのかの説明は難しいが、
「が」は古い日本語では属格を示すものだったということの
影響もあるのかもしれない。
ところが、
主格を使う方法だと主体と客体が曖昧で分かりにくいことと
英語などでは同様の表現で動詞が用いられることが圧倒的に多いので
その翻訳用法に引きずられて最近では「好きだ」の対象に
対格を用いる場合が出てきたということだよ。
367 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/11/12(土) 17:17:13
>>366 …難しいですね。自分はほぼ理解できましたが…。ありがとうございますm(_ _)m
368 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/11/12(土) 17:49:47
話し言葉では「好き」の対象が人であるとき 主語と混同しないために「〜のこと」で表すのが普通。
>>366 「好きだ」が対格を取る用法が最近出てきたものだって言うののソースキボンヌ。
日本語でも古来「〜を好いている」という対格を取る表現だったのだから、
むしろ「好きだ」は初めから両方の用法があったのではないかとも思える。
>「さあ、これから何を食べましょうか」 Я кафе.
371 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/11/12(土) 18:06:48
日常会話で「〜を好き」なんて聞いたことないな。
>>369 「好く」「恋ふ」はただの他動詞だから対格を取って当然だよ。
「〜を好いている」は破格用法でも何でもない。
「〜を好きだ」とは全然違う。
日本は殺人率は低い 日本は殺人率が低い
36 :考える名無しさん :2005/11/11(金) 14:04:20 「私は、会長です」と「私が、会長です」はどう違うかといった「は」と「が」の使い分けは、 日本の文法の中で、最も難しい問題として、これまで多くの研究が行われてきたが、 「定説」はまだ確立されていない。 そこで俺の登場ってわけね 37 :飛べないカラス:2005/11/11(金) 14:13:42 「は」の後にくるのが表現していることがら。あなたの役職は?→私は会長です 「が」の前にくるのが表現していることがら。会長は誰?→私が会長です
376 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/11/13(日) 08:24:05
そこで俺の登場ってわけね ← 死ぬほど恥ずかしい(禿藁
日本では年上に使う二人称がない あなた、は使えない
378 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/11/13(日) 14:14:59
特に肩書きのない人は困るな。
379 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/11/13(日) 19:43:47
養老猛は「は」が定冠詞で「が」が不定冠詞だと言っていたが、違うよね?
380 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/11/13(日) 19:58:00
>>374 会長は誰?→会長は私です
誰が会長?→私が会長です
A「お前は馬鹿だ」
B「馬鹿はお前だ」or「お前が馬鹿だ」
「が」はNominativ 「は」はwas akkusativ betrifft ドイツ語でそのまま説明可能。
382 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/11/13(日) 23:01:59
「をば」、「では」、「には」、「のは」の類も説明できるのか?
>>379 「この辺にガソリンスタンドはありますか」:「は」の前の「ガソリンスタンド」は不定 (indefinite)。
「地球が温暖化してきている」:「が」の前の「地球」は定 (definite)。
養老院にでも行くといいよ。
>>380 >>383 「は」は万能。定冠詞的にも不定冠詞的にも使える。主題として何でも使える。
「が」は特定する場合に使う
>>362 こないだから「が」の不在説を言ってる人は同一人物なのかな
まあ、こんな掲示板で書き主の同定なんてしても意味ないのかもしんないけど
確かに判断文、あるいはindividual level predicateにおいては
「は」文がunmarkedで、「が」文はmarkedていう側面はあると思うよ
でも重要なのは、なんでそのmarkedな文が、いわゆる総記の意味で解釈されるようになるのか
ってことで、それを説明しないと、「が」は「は」の不在であるってだけじゃ、
あんまり説明になってないんじゃないかな
その辺を誰でも分かるように形式化して説明できれば、面白い話になるかも知れんけど
386 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/11/14(月) 19:33:47
通りすがりですが、非常に面白そうな議論が行なわれているので、ちょいと 割り込み失礼。今、時間なくてスレ全部読んでないので、既出だったらスルー して下さい。 以前から気になってることをひとつ。 385で >「は」文がunmarkedで、「が」文はmarkedていう側面はあると思うよ って話が出てますが、 (1) 俺、行くよ。(unmarked) (2) 俺が行くよ。(marked) っていう対立は考えられませんか?
387 :
386 :2005/11/14(月) 19:35:29
また、これから何かの会合が行なわれるところへメンバーの一人が到着しての 発言、という文脈を考えて頂いて、 (3) もう山田来てる? (4) *もう山田が来てる? を対照してみると、「山田φ来てる」が文法上のポジションを要求してるよう に思えてならないのですが…。 (5) もう山田は来てる? (6) げっ、もう山田が来てる…! は、もちろん両方アリなわけで、そうなると、主格の場合、「φ」が無標、 「が」「は」は、それぞれ機能を異にした有標、あるいはまた、標識という 概念がここでは不適切、という具合にならないでしょうか? 慌てて書いたので、整理がつきかねてますが、どなたかお知恵拝借。 385さん、如何なものでしょう?(…と振ってみる。迷惑だったら御免なさい!)
(1) 俺、行くよ。(unmarked) (2) 俺が行くよ。(marked) (1)は呼びかけの一種で格はもってないんじゃないですか?
冷やし中華、あります 冷やし中華があります 冷やし中華はあります 冷やし中華もあります ・ ・ ・
おれ、AAとか作れないタイプだから図で説明できないんだけど、 (1) 俺、行くよ。 は、「俺」が文章全体を包んでいる(主題になっている)のに対して (2) 俺が行くよ。 は、先行の話題(主題)で、「俺が」はその中の主格の役割を果たしてる という違いじゃないか? (1´)俺は行くよ。 と、主題を「俺」にひきつけることも可能だし。 つまり、 (1)は「(俺のことについて述べれば)行くよ」 (2)は「(これまで話題となっていた場所に)俺が(動作の主体となって)行くよ」 (1´)は、「(これまでの話題はさておき、俺のことについて述べれば)行くよ」
391 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/11/14(月) 21:16:10
>>384 > 主題として何でも使える。
何が主題基になれるのかが問題。「?何は」「?だれには」「?どこでは」「?いつからは」(「対比の『は』」は文法的な場合あり)
>「が」は特定する場合に使う
「ゴミの袋がめちゃくちゃだ。カラスがやったんだろう」
「人が来たら大変だ」
:「が」の前の「カラス」「人」は非特定 (non-specific)。
393 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/11/14(月) 22:18:06
>>386 , 387です。戻ってきました。沢山レスつけて下さってありがとう。
>>388 >(1)は呼びかけの一種で格はもってないんじゃないですか?
成程。てことは、呼格かな…。しかし、「(3) もう山田来てる?」のほうは
どうでしょう。「呼びかけの一種」と考えるのはちょっと無理があるのでは
…?また、仮に「呼びかけ」をかなり拡張した意味で用いるとして、(3)を
(3') もう、山田、来てる?
のように理解するとしたら、「(5) もう山田は来てる?」は、呼格「山田φ」
に「は」が標識として付くのでしょうか。それとも、主格「山田が」が「が」
を消去のうえで、有標化された形式として現れるのでしょうか。
394 :
386 :2005/11/14(月) 22:31:39
煩雑になりそうなので、
>>386 をコテハンにします。
>>390 >>389 の例をお借りして、
(7) お客さん、今日は、冷やし中華、ありますよ!
というのはどうでしょうか。先日は切らしてましたが…という文脈です。
「『冷やし中華』が文章全体を包んでいる(主題になっている)」とい
う説明でいけそうですが、しかし、
(8) ?お客さん、今日は、冷やし中華がありますよ!
が、どうも自分には自然に思えず、そこにひっかかっているのです。
>>391 に貼ってくださったリンク先も覗いてみましたが、「が」(または
「は」が無い場合の問題は取り上げてありませんでした。
いかがなもんでしょうか…。
395 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/11/14(月) 22:46:49
>>385 その話なら簡単だよ。全部「『は』の不在反射説」(と名付けますた)で説明できる。
individual/stage levelで話が違うように見えるのは、
「は」の本籍が係助詞であって、結びに用言終止形を要求するという性質を残しているから。
そのためindividual levelの場合(若干出入りがあると思うが)、
「は」〜終止形という塊が、雅語の「ぞ」〜連体形の塊のように「しっくり来る」ので
unmarkedのように見えてしまう。
だがこれは係り結びの問題であって格文法の問題ではない。
ここで「主格が主格人称の定動詞を要求する」という
印欧語主格の文法機能と混同してしまうんだな。
それはさておき、
「は」は終止形結びを要求するんだが、
「は」は終止形にとって十分ではあるが必要ではない。逆は成り立たない。
だから「は」抜きの終止形終わりの文は当然存在する。
そうすると、この場合「は」が無いのに終止形で終わるということで
反射効としてmarkedに近い機能を持ってしまう。
さらに「が」が来る時は「は」が絶対に無いことが確定事項になるので
さらに強い「は」不在と言う反射効を持つようになる。
これらのことは、終止形結びではない場合には存在しない。
「は」はそもそも出てこないのだから。
その時は「が」は純粋にただの主格表示となる。
396 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/11/14(月) 22:54:27
395に追加するんだが、
その最近の国語学で「総記」とされている「が」の場合で、
>>47 が既に示している「主題抜きの主格」という機能で
どうしても説明が付かない場合はあるのかな?
もっとも、「は」が全て主題を示しているのかどうかは
問題があるのかもしれないが。
ともかく、
「が」は、論理学的に言えば、
「主格」かつ「『は』の否定」、と言い切れるはずで
ではない何か別の意義は持ち得ないと思うんだが。
反論するなら例を挙げて欲しい。
397 :
386 :2005/11/14(月) 23:16:32
丁寧な説明、どうもありがとう! じっくり読んで考えて見ます。少し時間を下さい。しかし、先が見えそうかも...!
398 :
386 :2005/11/14(月) 23:21:29
↑ありゃりゃ、早合点して、自分へのレスと勘違いしてしまった(藁 しかし、ためになりますね、ここのスレ。住もうかな…。
399 :
名無しさん@3周年 :2005/11/15(火) 01:35:09
「生理がないの。妊娠したかも」 の「が」はどのような機能を果たしていまつか。
「総記のヲ」: この仕事ヲ先にやるよ。 「総記のニ」: 文句は太郎ニ言え。 「総記のデ」: 事件は現場デ起こってるんだ。 ……
401 :
Mb :2005/11/15(火) 10:28:27
『「は」も「が」も「とりたて詞」(強調助詞)で、「は」は弱く 「が」は強い』で、(用法・運用以前の)機能の説明としては 充分なんじゃないでしょうか。 「象は鼻が長い」は、「長い鼻の」の「鼻」が強調されて前に出たという だけの話で、「が」の機能ではないし。 「は」の「排除のとりたて」(「それは駄目だ」など)は、 用法の問題だし。 > もっとも、「は」が全て主題を示しているのかどうかは > 問題があるのかもしれないが。 「とりたて詞」であって「格助詞」ではないので、“主題”が 「主格」のことであるとするなら、「必ずしも主格ではない」。 「関心を向けたい対象」であるとするなら、「とりたて詞」なので 「主題を示す」と言いたいところなのだけれど、「主格を表わす 格助詞」というものが日本語にはないので、“なんとなく”「は」が 使われているケースが山ほどあるので、「主題を示す機能がある」 程度の物言いが適していそうに思う。
402 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/11/15(火) 18:11:52
>>393 粗相いたしました。
>>388 はお忘れください。
「山田来てる?」の文は場面を無視すれば
・山田「に」(手紙が)来てる?
・山田「といっしょに」来てる?
・山田「で」(=に乗って)来てる?
のようにも解釈ができますが、
この助詞の無い「山田」を各々助詞の省略でなく同一の状態、
「が」や「は」とは別の一種の格だとみなします。
そして
(5) もう山田は来てる?(名詞-は) は 上の状態+「は」、
(6) もう山田が来てる? は +「が」
と解釈します。
「名詞-が-は」が出てこないのは 「が」が「の」と同じ属格の意味だからと解釈します。(○AのB,×AのはB) 「AがBする」の「Aが」は 形式上は「AのBすること」の「こと」に対応するようなゼロの成分を修飾していると解釈します。
>>402 「格」というのは「述語から見た役割」なので、「どの述語から見て」が
明らかにされないと、議論できない希ガス。
「女子高生を殺害した犯人を目撃した」の場合、「犯人」は
「殺害した」から見れば主格、「目撃した」から見れば目的格。
405 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/11/16(水) 03:10:02
>>401 「象は鼻が長い。」と「鼻が長い象」では文法上の構造が全然違う。
そもそも「長い」の活用形が違う。形容動詞を用いて
「薔薇は花が綺麗だ。」「花が綺麗な薔薇」と比較すれば明らか。
「象は鼻が長い。」は、格助詞を用いるなら
「象が鼻が長い。」と言うほかは無いし、
これは「象は鼻が長い」と文法構造は全く同じ。
用法上当然不自然だが、格文法上間違いとまでは言えない。
それに「が」は主格を表す格助詞であって、とりたて詞などではないよ。
「○今日は、パパと遊園地に行きました。」
「×今日が、パパと遊園地に行きました。」
下の文は完全な誤り。なぜなら「行った」主体は「今日」ではないから。
「が」は「行きました」の主体を表すことが分かる。
>>402 ある格助詞を挟んでも全く意味が変わらない場合、それは省略というべきだよ。
そんな時に独立した格を立てたら格助詞がある場合と弁別ができなくなる。
>>403 「象は鼻の長い。」(。で言い切っていることが重要)が
文法上完全に誤りである理由を考えてみようw
「薔薇は花の綺麗だ。」でもいいよ。
>>405 > 「象は鼻が長い。」と「鼻が長い象」では文法上の構造が全然違う。
が、
> 「象は鼻が長い」は、「長い鼻の」の「鼻」が強調されて前に出たという
> だけの話
とどう繋がるのかわからん。
「象は鼻が長い(xである)」は「象は長い鼻の(xである)」と構造上同じで、
「鼻が長い象」は「長い鼻の象」と構造上同じだという話であって、
やっぱり「が」の機能とは直接関係がない。
> それに「が」は主格を表す格助詞であって、
「肉を食いたい」と「肉が食いたい」。後者は「肉」は「食べる」に対して
主格を取っているのか? 「肉」が主題として取り上げられているから
「とりたて」だという話だという話なのだが。
408 :
402 :2005/11/16(水) 10:49:46
>>405 >「象は鼻の長い。」(。で言い切っていることが重要)が 文法上完全に誤りである理由を考えてみようw
耳慣れないだけで非文ではない、と解釈するのはだめですか?
>>407 > 冠飾句内の成分は別に考えるべきだろ。
別に考えることができれば別に考えたいのだが、
それが「冠飾句内の成分」であると決定するには
係り受けの関係を明らかにする必要があり、
そのためには非交差則と「述語に対する格の一意性」を
利用せねばならず、そのためには「ある名詞句が
どの述語に対してどういう格を担っているか」を推定しなければ
ならんのじゃ。
まあ、「それは言語理解のメカニズムであって、認知心理学とか
自然言語処理とかの問題であり、言語学の問題ではない」と
言われれば、反論は難しいのだが。
>>408 > 耳慣れないだけで非文ではない、と解釈するのはだめですか?
ええんちゃう? 「象は鼻の長い。」という文は、「どこが強調されて
いるかが分らないから、あるいは主題が何なのか分らないから
キモチワルイ」とか、「運用上、『長い』の後にくるべき
『xです』を省略することは特殊な状況でしかありえない」とか、
そういった理由で非文とされるかもしれないけれど、「文法的に
(構文的に)誤っている」とはいえなそうに思う。
411 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/11/16(水) 14:06:57
>>406 展開されている議論の中心線から多少外れるが、ちょっと割り込み。
>「肉を食いたい」と「肉が食いたい」。後者は「肉」は「食べる」に対して
主格を取っているのか?
この「が」がやはり主格であるという説明はできなくはない。
「肉が高い」
これは普通の言い方。「肉」が述語「高い」の主格であることは認められると思う。
「肉が旨い」
これも普通。但し、上の例と微妙に違うとも言える。話者の内部に生起した「旨い」という感覚を「肉」の
属性として取り扱っている。いわば、内部感覚「旨い」を「肉」に投影し、肉自体の属性として扱っている。
そう考えると、
「肉が好きだ」
もその延長上で、肉に対して持つ話者の評価を「肉」に投影し、その属性であるかのように扱う表現形式で
あると言えないことはないのではないか。それならば、
「肉が食いたい」
に、おいても、「食いたい」という欲求を「肉」に投影し、あたかも肉自体の属性であるかのようにとらえ
ている可能性はあっさり否定できないのではないか。これが認められるなら、
「肉が食いたい」
の「肉」を主格と考えるのは無理ではないように思われる。
>>411 > 「食いたい」という欲求を「肉」に投影し、あたかも肉自体の属性で
> あるかのようにとらえている可能性はあっさり否定できないのではないか。
確かに。たとえば、「彼は恥ずかしい奴だ」の場合、恥ずかしがっているのは
彼でなく話者である。すなわち「彼は恥ずかしい奴だ」は「彼は私をして
“恥ずかしい”と感じせしめる人物である」と同義である。したがって、
意味上は主語ではないものが、構文上主語の形を取って現れるケースが
ないとはいえない。
とはいえ、自我の投影にはそれなりの規範というものが存在するらしく、
たとえば「彼女は悲しい」というと変な感じがするが、「彼女は悲しそうだ」
だと変な感じはしないといった例がある。すなわち、「彼女」の内面に
踏み込む、つまりは「彼女」と自分を同一視することに、抵抗を感じるらしい。
>>403 「が」はもともと「おらが村」「鬼が島」なんていう風に連体格だったと言われているし
現代語の動詞の終止形がもともとは連体形だったことを考えると
語源的に連体修飾語「xが」が名詞句「vする(φ)」を修飾していたと考えるのは
あながち間違いとは言えない、かもしれない
しかし現代語の実情とか、それに対する我々の言語直感とかとは
あまりにもかけ離れ過ぎてる気がする。理屈優先過ぎるというか
それに、その話と「がは」という形式が現れないのとは、本当に関係あるのかな
「をは」が現れないのはどうやって説明するの?
>>406 >「象は鼻が長い(xである)」は「象は長い鼻の(xである)」と構造上同じで、
>「鼻が長い象」は「長い鼻の象」と構造上同じだという話であって、
>やっぱり「が」の機能とは直接関係がない。
おいおい('A`)
いわゆる「象文」が日本語文法学上の大問題であるのは
「象は鼻が長い。」が「長い」と終止形で言い切っているからなんだけど。
だから「象は鼻が長い。」と「象は鼻が長い動物である。」
とは全然文構造が違うんだよ。
そもそも象文がただの省略形で「長い」が連体形だったら
「象文」の文法的構造をネタに国語学上こんなに紛糾するわけが無いだろ?ww
「肉が食べたい。」という文でなぜ「肉が」となるのかと言えば、
これは本質的には
>>366 と同じで、
助動詞「たい」が形容詞起源で、今でも形容詞的性質を強く残しているために
「食べたい」全体が形容詞に近い扱いをされることとなって
「たい」が付く動詞が対格を取りにくくなるから。
だから、同源でほぼ同じ意味(人称が違うだけ)の「たがる」の場合には
普通に対格が付いて「肉を食べたがる。」となる。
「×肉が食べたがる。」では肉塊に牙が生えて何かを貪り食らうホラー映画の世界だww
414に少々付け足し。
「たい」ではなく「たがる」の場合は活用スタイルが五段動詞型で、
形容詞的性質が薄れているから
という説明が抜けていた。すまん。
>>408 >>410 それはダメw
「耳慣れないだけだ」の論理を振りかざすと文法に関する考察は崩壊する。
"*There IS two sheepS."という文も
「耳慣れないだけで非文ではない」
と言う話になりかねない。意味は全て伝わるからね。
無論完全なる文法的誤りなんだが。
「の」と「が」の使い分けに関しては現代日本語では厳密な法則がある。
「*彼の来たよ!」「*これはぼくが本だ。」は全部誤り。
「の」「が」双方入れ替え可能なのは、
連体修飾節中で述語動詞が連体形となる場合の主語を示す場合のみ。
「ぼくの買う本はこれだ。」=「ぼくが買う本はこれだ。」
これは、この場合、用言が連体形となって、印欧語でいう分詞や動名詞に近くなり
意味上の主語を属格と主格の中間的な格で表したくなるから。
cf"Would you mind MY opening the window?"
>>414 > 「象は鼻が長い。」が「長い」と終止形で言い切っているからなんだけど。
文語文法に「終止形」があったのは知っているが、現代口語の「連体形」と
「終止形」に、どんな違いがあるのか教えてくれ。
> 助動詞「たい」が形容詞起源で、今でも形容詞的性質を強く残して
> いるために
「たい」(「た」)は、動詞の連用形に接続して、「欲求」「要望」を
表わす形容詞を作る助動詞であって、「今でも形容詞的性質を強く残して
いる」んじゃなくて、動詞に「た」が接続した時点で、文法上は
形容詞として働くのだと思うが?
> だから、同源でほぼ同じ意味(人称が違うだけ)の「たがる」の
> 場合には
「がる」は形容詞の語幹に接続して「表出」を表わす、独立した
形態素。「たがる」と同源ではないし、「ほぼ同じ意味」でもない。
「歯が痛い」 「歯、痛い」 「蛇が怖い」 「俺、蛇が怖い」 「俺、蛇、怖い」
418 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/11/16(水) 23:54:28
「俺、蛇だけが怖い」 「俺、蛇だけは怖い」
>>416 少なくとも形容動詞では語形が違う。上に例を挙げただろう。
象文と全く同じ構造の文として
「薔薇は花が綺麗だ。」
「*薔薇は花が綺麗な。」と言えるか?
「象文」そのものでも、語法上やや難があるが、
「象は鼻が長大だ。」という形容動詞を用いた形にすることが出来る。
「象は鼻が長大な動物だ。」とは言えても、
「*象は鼻が長大な。」とは決して言えない。
形容動詞を使っても全く同じ「象文」を作れて問題は顕現する。
たまたま同形であるだけで、動詞や形容詞の場合にも
全く同じ問題が生じているんだよ。
「たい」と「たがる」は、現代日本語では人称を違えて
相補分布をするというのは日本語教育の常識なんだが。
「たい」から造語成分として「た」を切り離すことは出来るだろうが
その切り離した「た」だけには形容詞として働かせる要素などないよ。
あくまでも「たい」という形容詞型活用をする助動詞全体が問題となる。
420 :
名無氏物語 :2005/11/17(木) 01:12:44
>「*薔薇は花が綺麗な。」と言えるか? うちの町内の爺さん婆さんたちは そういう言い方をしている。
421 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/11/17(木) 05:17:29
>>420 のレス、しょうもないツッコミ…と思ってスルーしかけたのだが…
この町内の爺さん婆さんたちはの使用している「な」って、助動詞?それ
とも終助詞?方言だから検討から外す、ってのはナシにしようよ。それか
ら「形容動詞」なる範疇がかなり怪しげであることもスレの共通認識にし
たいものだ、と、自分は思ってる。
422 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/11/17(木) 05:44:50
>>421 「ある」という事実を説明できればそれでいい、と、自分は思ってる。統一理論、怪しげだし。
>>419 > 少なくとも形容動詞では語形が違う。
「形容動詞」という品詞を立てること自体に異論があったはずだが。
「だ」「です」「である」を助動詞として立て、「形容動詞」を
「〜な」(連体)「〜に」(連用)が接続する修飾語と見て、
いわゆる“形容動詞”を「〜なX」の省略形とみるという説明もある。
> 「*薔薇は花が綺麗な。」と言えるか?
「不自然な省略」だが、「文法的な誤りではない」という意味で、言える。
> 「たい」と「たがる」は、現代日本語では人称を違えて
> 相補分布をするというのは日本語教育の常識なんだが。
“常識”なら典拠を教えてくれ。
> その切り離した「た」だけには形容詞として働かせる要素などないよ。
「赤い」「長い」「早い」など、ア音終わりの形容詞とまったく
同じ活用をするし、「動詞+た」を形容詞とみなしても、文法上
問題は起きないと思うが。
>>423 > 「たい」と「たがる」は、現代日本語では人称を違えて
> 相補分布をするというのは日本語教育の常識なんだが。
それって、形容詞と「形容詞+がる」の話だろ。
(○「私は悲しい」×「彼女は悲しい」○「彼女は悲しがっている」)
「〜そう」と「〜がる」なら相補分布に近いが、それでも厳密には
意味に違いがあるぞ。
(「彼女は悲しがっている」⇔「彼女は悲しそうだ」)
>>421 > この町内の爺さん婆さんたちの使用している「な」って、助動詞?
> それとも終助詞?
間投詞ジャマイカ?「ね」「さ」「よ」「な」(「ら」:静岡など)
「ぞ」の類だろ。
426 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/11/17(木) 10:18:51
>>425 >間投詞ジャマイカ?「ね」「さ」「よ」「な」(「ら」:静岡など)
「ぞ」の類だろ。
それらって終助詞じゃないのかえ?
>>300 「彼は潔白だと私は信じている」というのはどうか?
>>426 > それらって終助詞じゃないのかえ?
「終助詞」って、「禁止命令の“な”」(「笑うな」の「な」)や
「勧誘の“ら”・“ば”」(「食べたら?」「食べれば?」)なんかを
言わない?
「だからよ、それってさ、変だよね?」みたいに、文が終わっていない
場合にも使えるものは、少なくとも「“終”助詞」とは呼びづらいように
思う。
429 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/11/17(木) 12:20:18
「象鼻長し」も「象さん鼻長いね」も日本語的に全きセンテンスだ。主語が二つあるかに 見える構文の説明には「は」は関係ない。「ぼくはウナギだ」も同じ。 「ぼくうなぎだ」「わたしもウナギよ」には「は」は登場しないが、ウナギ文の問題は そのまま存在する。
430 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/11/17(木) 12:39:06
>>430 つか、紹介してくれたページの説明は、「用法の違い」と
「表現上たまたま一致する別の形態素」の区別が混乱して
いるように思う。
たとえば「ら」の例でいうと、「行ったら?」は通常「勧誘」の
意味だけれど、沼津とか三島だと、「行ったでしょう?」という
「確認」の意味で使われたりするのである(東北の「べ?」と
“相補分布”していると謂っていい)。後者は「用法の違い」
ではなく、「たまたま形態上一致した形態素」と判断するのが
よさそうに思う。
>>423 >> 「*薔薇は花が綺麗な。」と言えるか?
>不自然な省略」だが、「文法的な誤りではない」という意味で、言える。
もはやおまえさんとは「象文」に関する議論はできないようななw
「象は鼻が長大な。」を文法的に正確なと言いきれるようだ珍妙だ感覚を見る限り、
俺とおまえさんとでは異なる言語を話しているようなね。w
もう支離滅裂だ議論はやめるべきなな。w
冗談はさておき。
”「象は鼻が長い。」は「象は鼻が長い動物である。」の省略である。”
という脳内ドグマが全てに先行する神の言葉になってしまっていれば
「象は鼻が長大な。」は「正しい文」に見えてしまうんだろう。
だがこれは明らかにおかしい。
中世に連体形が終止形を乗っ取ったという国文法史の有力説は確かにあるが、
現代日本語においては再び連体形と終止形は形容動詞や「だ」の活用で分離している。
「もっと速く。もっと高く。(五輪のコピー)」という文が存在し、
連用形の起源は言い切りという説があるからと言って
「象は鼻が長く。」を「正しい」と言うのと同じだよ。まさかこれも正しいというのか?
長大な。の人は長く。も可とするでしょ?
「象は鼻がプニュプニュにゃ。」はアリだと思う。
>>432 > 「象は鼻が長く。」を「正しい」と言うのと同じだよ。
> まさかこれも正しいというのか?
「よろしく」「ありがとう」「おはよう」「ごきげんよう」は、
すべて「連用形終わりの(用言が省略された)省略表現」だが、
これは正しくないというのか?
> ”「象は鼻が長い。」は「象は鼻が長い動物である。」の省略である。” > という脳内ドグマが全てに先行する神の言葉になってしまっていれば つか、「文にはfinal verbが必要」というドグマを否定してしまったら、 欧米の言語学は崩壊しそうな気がするが。
437 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/11/18(金) 12:07:45
象文は「主述述語文」。中国語文法の用語らしいけど、これが一番妥当だと思う。 象文が問題になる、または問題にしているのは、西洋の言語に翻訳できないから。 「象は鼻が長い動物である」なんて解釈するのは西洋の言語が世界標準だと 思っている人の苦心の作りごと。
438 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/11/18(金) 15:56:46
象文ウナギ文の構文上の問題は「は」の機能とは関係ない、でOKね
象が鼻が長い(こと)とか言えるから 混乱を避けるためにも、「は」の問題とは切り離して考えた方がいいと思う
> 象文が問題になる、または問題にしているのは、 > 西洋の言語に翻訳できないから。 象文が問題になるのは、 ・述語(verb)が見当たらない。(“長い”が述語だとしても、 形容詞が述語になるというのは常識に反する) ・「格の一意性」が成立しない。(「象」「鼻」が主語だとすると、 少なくとも2個の述語を含むはずである) という理由による。 少なくとも文語では形容詞が主語を要求するケースがあったので、 「象は鼻長き(なり)」と解釈すれば、西洋の文法に乗るといえる。 理屈の上では非文法的であるはずの「象は鼻が長い」が、 現代国語では自然な表現として受け入れられているとすれば、 ・文法上の、うまい説明を見つける。 ・「日本語には文法がない」と思って諦める。 のどちからしかなく、後者は思考停止、あるいは学問の放棄である。 「象」が主語なのは間違いないので、 ・「長い」の後に述語が省略されているのかどうか。 ・「長い」は述語として機能し、「鼻」を主語に取っているのかどうか。 を明らかにしてほしい。 ちなみにウナギ文は単純な省略なので、西洋文法で説明できる。 「私はおかめ」も、ロシア語と同じく述語(be 動詞に相当)の 省略で充分に説明可能。
ついでながら、 > 西洋の言語に翻訳できないから。 というが、 「象は鼻が長い」=“Elephant has long nose.” で充分だと思うし、だとすると、 ・have に相当する述語が省略されている。 ・「長い」は「鼻」を修飾している。(したがって述語ではない) ・「鼻」が、強調されることによって前に出て(ラテン語やフランス語 では、修飾語と被修飾語の語順の交替は珍しくない)、助詞“が”を 伴っている。したがって、「が」は「主格を表わす格助詞」ではない。 と考えるのが順当では?
>>440 象文以外にも普通に「形容詞終止形。」で終わる文は日本語に存在するんだがw
「きみは美しい。」は非文だと言うのかね?
日本語の場合形容詞が終止形をとればそれが述語になることは当然。
これはなぜなのかと言えば、
形容詞の語尾部分はもともと別単語で、
たとえば「し」は言い切りを示す助動詞のような働きをしていた。
これが長い時間をかけて徐々に形容詞の屈折成分になってきたわけだ。
平安時代のアクセントを分析すればよくわかる。
だが、当初融合した単語は「し」「き」「く」しか活用しなかったので
穴を補うために「あり」を付けていわゆる「カリ活用」が出来た。
現代語の「かろ」「かっ」「けれ」などはこの子孫になる。
それにそもそも印欧語でも古典ギリシア語あたりになると
形容詞文や名詞文は存在動詞抜きの「A B」が普通なんだけどね。
ラテン語あたりから、やはり不便だから存在動詞を使うようになったわけで
印欧諸語でも日本語でも同じことだ。
>>440 一般的には、日本語では動詞、形容詞、形容動詞が述語として機能すると考えられているね
形容詞はガ格のみを取る一項述語が多いけど、「AがB(と/に)近い」みたいな関係形容詞は二項を取るし
「Aは(が)Bが好きだ」みたいな感情形容詞も二項を取るね(格体制については議論があるだろうけど)
なんにせよ、通常の「象の鼻が長い」みたいな普通の形容詞文については、
「象の鼻」が主語で「長い」が述語と考えて差し支えないんじゃないかな
象鼻文が問題になるのは、もう一個の方の理由、格の一意性の問題の方が大きいと思うよ
444 :
443 :2005/11/19(土) 00:30:21
それと、
>>441 については
その説明だと
象は [長い鼻]を持つ
象は鼻が[長いφ]を持つ
象は鼻が[長いφ]φφ
みたいな変形を想定するのかな(順番とか細かい手続きはよく分からんけど)
直感的には、あんまり順当な考え方とはいい難い気がします
>>441 だからその説はやっぱり「長い」が言い切りであるところで躓くんだよ。
「象は鼻が長大な。」の論争が前のレスであるが、
他でもない、「長大」で言い換えた
「象は鼻が長大だ。」
という文を文法的誤謬・完全なる非文だと言い切らなければ
「長い」が「鼻」を後置修飾するという説は成り立たない。
>>423 あたりは「『象は鼻が長大だ。』こそ完全な文法上の間違いだ!!」と
言い切るだろうけどw
"Elephant has a long trunk." は、日本語の
「象は長い鼻を持っている。」(直訳)または
「象には長い鼻がある。」(こちらが自然な訳)となるはず。
後者は古典ギリシア語にもそっくりの構文が存在するもので
これが一番自然なもの。
「象文」は、強いて翻訳すれば、
>>47 の例"Elephant has a trunk which is long."が
英語として非文スレスレだが一番近いだろう。
>>443 格体制を「象文」が破っているように見えることが問題の本質だというのに同意。
上のレスで反対意見があるが、この鍵はやはり「は」だと思う。
ぞうさん、ぞうさん、お鼻が長いのね♪という童謡の歌詞は、
「象文」とは構造が違う。
最初の「ぞうさん」は「ぞうさんよ!」という呼びかけ(呼格)だ。
「象は鼻が長い。」の「象」は呼格ではない。
多分述語が最後尾から一元的に名詞群の格を支配する
日本語の格関係原則からの決定的な離脱事象なのだろうと思う。
ここだけは係り結び関係で、
「象『は』」→「長い(終止形)」という前からの支配関係が成立している。
印欧語の主格と混乱しやすいのは、
印欧語においても、他の全ての格は述語動詞が支配するのに
主格だけは逆に述語動詞を支配して定動詞化するという関係があるから
これが係り結び関係の「は」と見かけ上良く似ているから。
「象は鼻が長い」では「鼻が長い」が一つの形容詞として「象は」に関係してるんだよ。
>>444 > 直感的には、あんまり順当な考え方とはいい難い気がします
それは漏れも思ったのだが、よくよく考えた結果、連体形と
同じ形をした「終止形」なるものが存在し、それが述語として
機能することのほうがキモチワルイ気がしたのだ。
「私は帰る」「彼女は帰った」「彼女は美しい」のように、
動詞の連体、連体過去、形容詞連体がそれぞれ文を終止させるのに、
「彼女は綺麗な」(いわゆる“形容動詞”の連体形)だけが
不自然な感じを与えるとか、「形容詞の連体形+です」
「彼女は美しいです」は自然(ただし敬語としては正しくない)なのに、
「彼女は帰ったです」はやや不自然、「私は帰るです」や
「彼女は綺麗なです」が明らかに不自然だとかいった例がある。
そんな訳で、「終止形」に関してはどうも存在自体怪しげな感じが
するのだ。そこで単純に、「終止形」というのは「連体形+のです(のだ)」
と機械的に置き換えられる、つまり、「終止形」は「連体形+いわゆる
“準体助詞”の「の」+助動詞「だ」「です」」の省略形ではないかと
考えたわけ。
>>448 形態と機能を混同している気がする
知っての通り、古典語では、動詞の終止形と連体形は、形態的にも区別があった
それが、おそらく係り結びとかの連体止めが通常の言い切りの形として一般化して、終止の機能を侵食するようになった
だから、現代語の終止形が、もともとは「連体形+の+...」の省略だったというのは、あながち間違いではない
でも、それは終止という機能自体がなくなったということではなくて、
連体止めという形態が文法化(grammaticalization)して終止の機能を果たすようになっただけに過ぎない。
現代語の(共時的現象としての)終止形について、通時的な概念を持ち出して
現代語の終止形は、今でも後ろに見えない「のだ」がついてるんだよ、というのは、
理論上、あまり意味のある説明とは言えない、と思う。
現代語の動詞、形容詞が終止、連体同形態なのに対して、形容動詞がそうでないというのは
そもそも形容動詞を一語と認めるのには議論もあるし、少なくとも動詞や形容詞とは語の成り立ちが違うのだから
(だいたい、「だ(である)」って「で(にて)」に「ある」をつけて終止にしたものであって
「だ(である)」の連用形が「で」とか「に」とかだっていうのは本末転倒なんだよね。語形成的には。
共時的機能としては、「で」や「に」は「だ」の連用形相当と言ってしまっていいかも知れないけど)
なんで、動詞、形容詞と形容動詞の形態論的性質が違うのは当たり前だし、それで終止形が云々てことは言えないと思う
>>448 >そこで単純に、「終止形」というのは「連体形+のです(のだ)」
>と機械的に置き換えられる、つまり、「終止形」は「連体形+いわゆる
>“準体助詞”の「の」+助動詞「だ」「です」」の省略形ではないかと
>考えたわけ。
現代日本語では一般の用言終止形言い切りの形と、
「〜のだ、〜のです」の形との間には
はっきりした文法上の使い分けがあるよ。
この2種類を混乱させると
意思疎通に支障をきたしてしまうほど違うものであることを
井上ひさし(だと思った)がギャグ文学作品を作って明らかにしている。
形容詞に「です」が直接付いてしまう現代日本語口語は、
「です」の歴史が浅くいまだにこなれた文法接続を獲得していない状態で、
従来の「美しゅうございます」のような古い丁寧形が廃れてしまったので
半ば例外的・暫定的に生まれたものだからね。
(大阪方言なら「美しおます(>美しゅうおます)」と出来るんだが、「です」では不可能だ)
なので現代共通語口語では「美しいです」対「美しいんです」でこの差異を示すことになっている。
451 :
449 :2005/11/19(土) 14:27:21
>>447 俺もそれが一番素直な考え方だと思う
具体的にどう形式化するかとか、動詞の格支配なんかの話とどう関係付けるか
なんかが問題になるけど
>>449 > 現代語の(共時的現象としての)終止形について、通時的な概念を
> 持ち出して 『現代語の終止形は、今でも後ろに見えない「のだ」が
> ついてるんだよ』、というのは、理論上、あまり意味のある説明とは
> 言えない、と思う。
日本人は日本語の文法を学んでから日本語を身につける訳ではなく、
“言語”というものを身につける以前に「日本語環境」に投げ込まれる
ことで、日本語を身につけるわけだ。その結果、
「ありがとう」が「ありがとうございます」の省略であるとか、
「よろしく」が「よろしくお願いします」の省略であるとかいった
ことは、教えられなくとも身につけることだったりする。
「[体言]は[体言]だ」という文型が「である文(宣述文)」の
基本形だというのは自明なので(敬語はそうなっている)、
「すべての宣述文は“である文”のバリエーションである」という
視点から見れば、
[体言]は[体言]だ」→
「[体言]は[連体修飾語][体言]だ」→
「[体言]は[連体修飾語][準体助詞の「の」]だ」→
という変化を軸に、「省略のパターン」として各種の文型を
身につけたと考えるほうが、現実的だと思うのだが。
>>453 「ありがとう」と「ありがとうございます」
「よろしく」と「よろしくおねがいします」の対応は
双方現在でも使われているから、前者が後者の省略形であることが
子どもにでも分かるだけだよ。
その証拠に、
「こんにちは」
「ごきげんよう」
が何の省略なのかは大人でも分からないヤシがゴロゴロいる。
「[体言]は[連体修飾語][体言]だ」→
「[体言]は[連体修飾語][準体助詞の「の」]だ」→
この連関には無理がある。
1「ぼくは元気だ。」
2「ぼくは元気な小学生だ。」
3「ぼくは元気なんだ。」
普通に1→2→3という「軸となる変化」をすぐにイメージできるヤシは
おまえさん以外いないだろうよ。3つの意味はそれぞれバラバラで、
何よりなぜ1と3との間に2が入るのか普通は理解できない。
英語でも、「象は鼻が長い動物である」なら、不自然な表現であれ完全な直訳が可能。 An elephant is an animal whose nose is long. ここで、日本語の「鼻が長い」に当たる「whose nose is long」は形容詞節と言うことになる。 形容詞節と言うからには、形容詞的性質を持つ節なわけだが、実際は看板に偽りありで 本当の形容詞の半分の性質しか持っていない。 本来、英語の形容詞には、連体修飾語になる用法(限定用法)と補語になる用法(叙述用法) の2つの用法がある。 例えば、日本語では「象文」と同じように「二重主語文」になってしまうものでも、「背が高い」 などであれば、そのものずばりに対応する「tall」と言う形容詞があるので、 「彼は背が高い男だ」 → He is a tall man. 「彼は背が高い」 → He is tall. のようにどちらの用法も可能になる。 しかし「鼻が長い」になると、困ったことにちょうどいい形容詞がない。 無理に節を使って「象は鼻が長い動物である」とは言えても、「象は鼻が長い」は言えないことになる。 しかし、日本語ではそれが出来る。 英語には存在しない「形容詞節の叙述用法」が日本語には存在する。 「象文」とは、ただそれだけのことなのではないかと思う。 日本語では「足が速い」「頭が悪い」のように「主語+形容詞」のほかにも、「気がつく」「目が覚める」 などのように、「主語+動詞」でひとつの纏まった述語として機能する用法も多くある。 英文法などでは、名詞節、形容詞節、副詞節などはあっても、「動詞節」と言うものはないわけ だが、それは、たまたま英語がそうであるだけで、日本語もそうでなければならないと言うもの ではないと思う。
> この連関には無理がある。 > 1「ぼくは元気だ。」 > 2「ぼくは元気な小学生だ。」 > 3「ぼくは元気なんだ。」 > 普通に1→2→3という「軸となる変化」をすぐにイメージできるヤシは 「僕は小学生だ」なら「[体言]は[体言]だ」だから簡単(「我輩は猫である」 なども同じ)だが、「ぼくは元気だ」は「[体言]は[いわゆる“形容動詞”]だ」 であり、「元気な」「元気に」との関連で捉える必要がある。 「元気な[体言]」「元気に[動詞]」という修飾語が、「ぼくは元気だ」のように “体言的に”使える(あるいは「元気」という“状態を表わす体言”が 修飾語として使える)、というのは、もっと高度な概念だと思う。
> 英文法などでは、名詞節、形容詞節、副詞節などはあっても、「動詞節」と > 言うものはないわけだが 口語だと、「名詞+ 〜ed」(〜された××)みたいな表現はたまに聞くよ。 “data encoded”みたいな。この場合、「データのエンコード」というのが 「データ・エンコード」という一つの成句のようになっていて、 「データ・エンコードされたデータ」というと、“データ”が二重に なってしまうから後者が省略されたという見方もできるが。
>>456 というか形態的には、明らかに
元気+に+て+あり
元気+で +ある
元気+だ
だと思うんですけど・・・
なんでわざわざ体言はさむ必要があるの?
459 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/11/20(日) 14:04:16
名詞の独立用法は話し言葉でも文語文でも古文でも当たり前に見られることで、 これが排除されてる口語文は日本語的に特殊だ。「わたくし生まれも育ちも葛飾柴又です」 を砕けた表現とか省略された表現とかみなすのはネーティヴの言語感覚からずれてる。
>>455 ちょっと別の表現をすれば「形容詞に対する『主格補語』」を認めようということだね。
主格なんだが、主語ではなく補語である、しかも形容詞の補語である。
そしてその形容詞はいわば叙述用法(そこで言い切り)。
(伝統的印欧語の屈折は主格となる。
「『名詞主格』 『形容詞主格』(ピリオド)」が印欧語でも形容詞叙述文の原型。
存在動詞がつき、さらにそれがコピュラになるのは後世(近代語)の話だ)
>>458 通時的にいえば(=歴史的に見れば)、まさにそのとおり。
ただ、共時的にいえば(つまり、現代語・日常語の世界だけで
見れば)、「元気にてあり」という形は使われないし、
「元気である」もあまり使われない(小学生以下の子供が
「僕は元気である」とは言わないでしょ?)。
だから、子供(=言語獲得をしつつある人間)が
・「元気な/に」という修飾語と体言の「元気」は同じ意味の別な語。
・「元気な/に」という修飾語は、「です」を伴うこともある、
「形容動詞」という種類の修飾語。
・「元気な/に」が体言化して「元気」に。
・「元気です」は、それ全体が「元気なもの全般を表わす語(元気なx)+
です」という、省略表現。
等のうちの、どの解釈をするのが普通なのだろうか、という話。
>>460 文語だと「形容詞の終止形」があったので、確かにその通りだとは
し、現代語でも確かにその解釈が成立つとは思うんだが……
その場合、「象は鼻が長いです」は、「(象は鼻が長い)です」なの?
それとも「(象)は(鼻が長い)です」なの?
463 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/11/20(日) 16:30:07
>>462 「鼻が長いです。」は「(鼻が長い)です。」か「「鼻が(長いです)。」かと問うてるのと同じで、
象文特有の問題ではないでしょ。
>>462 「象は鼻が(長いです)」だろ。
「です」は新しい助動詞なので、
上のレスにもあるようにまだ接続が未成熟で
かなり不安定な接続をするので
あまり参考にしないほうがいいと思うけどね。
>>461 「元気」はそれ自体体言となり得る中間的性質の強いものなので
(「元気がいいね。」「元気をだせ!」という表現がある)
いわゆる形容動詞語幹一般の性質とは微妙にずれるんだが、
一般の形容動詞の場合、
1「語幹だけ」(「ぼく元気」)
2「だ」「です」を付ける(「ぼくは元気です」)
3「に」を付けて連用修飾する(「元気になったよ」)
4「な」を付けて連体修飾する(「ひろしくんは元気な人です。」)
の順に複雑化していくんだろうね。
4は最後にくるはずで、
いわんや、「元気なX」の省略表現などという発想は
相当分析を『こねくり回せる』大人しか出来ないだろうw
465 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/11/20(日) 16:43:17
「元気」は名詞になるけど「綺麗」は名詞にならない。
>>461 > 「元気な/に」という修飾語と体言の「元気」は同じ意味の別な語。
> 「元気な/に」という修飾語は、「です」を伴うこともある、「形容動詞」という種類の修飾語。
> 「元気な/に」が体言化して「元気」に。
> 「元気です」は、それ全体が「元気なもの全般を表わす語(元気なx)+です」という、省略表現。
なぜ、
・ 「元気」に「に」がついて「元気に」
・ 「元気」に「な」がついて「元気な」
・ 「元気」に「です」がついて「元気です」
という発想が
>>461 の頭の中に無いのか不思議だ
なんで「元気な/に」を基底にして考えなきゃならんのかと
> なんで「元気な/に」を基底にして考えなきゃならんのかと だったらなぜ体言全般に敷衍できないのかと。つまり、 形容動詞は名詞として使えるが、名詞は形容動詞として使えないから 「形容動詞」という分類があるわけで、だとすれば「体言になく 形容動詞にある特性」である「“な”で連体修飾、“に”で連用修飾」 という点を問題にしないといかんように思う。 体言の場合、「スパゲティ」「お蕎麦」(「スパゲティな(お蕎麦な) プログラム」「プログラムがスパゲティに(お蕎麦に)なっている」) とかいった例はあるが、連用形はせいぜい「なる」にしかかからない。 「形容動詞は、それ自体が「〜な何か」を表わす名詞として用いられる」 という説明は、複雑でもなければ不自然でもないように思うが。
>>467 >形容動詞は名詞として使えるが
原則使えません。
「元気(だ)」のような中間的性質を持つものもあるが、
一般的には「綺麗(だ)」のようにそのままでは名詞として使えない。
「綺麗」を名詞として用いるには、形容詞と同様の
「さ」などの接尾語を用いる必要がある。
「×綺麗が増したね。」「○綺麗さが増したね。」cf「美しさが増したね。」
「綺麗」と「美し(形容詞語幹)」が全く同じように振舞うことが分かるだろう。
これは、そもそも「綺麗」という形容動詞語幹に形容動詞としての性質が
その文法的性質として含まれているということを示している。
そもそも語幹が文法性質を持っているわけで、
特に「な」が付く場合だけを一生懸命取り上げる必要性はどこにもない。
ここにこだわってしまうのは、
おまえさんが、「『な』が付く形に異様な執着をしている」からとしか思えないんだがw
とりあえず 「元気だ」は歴史的には「元気+に+て+あり」であって 現代的にも「元気+だ」であって わざわざ「元気(なもの)だ」の省略などと考える必要はどこにもない でいいだろ。当たり前のことじゃないか。 こんな馬鹿話にいつまでも付き合ってる必要はない気がしてきた
> 「綺麗」を名詞として用いるには、形容詞と同様の > 「さ」などの接尾語を用いる必要がある。 「桜が綺麗だ」は非文か?
>>470 だから「綺麗だ」は普通の「名詞+だ」ではなく一語の形容詞と見るべきであって
名詞として使う場合は形容詞語幹「綺麗」に「さ」をつけなくてはならない(「綺麗」単独では使えない)
って話じゃないの?横レスだが
「省略」をいきなり持ち出すやつはそれだけでうさんくさい。
> だから「綺麗だ」は普通の「名詞+だ」ではなく > 一語の形容詞と見るべきであって 「美しいです」は一般的だが「美しいだ」は不自然。 「綺麗」は形容詞でいうなら「語幹」に相当し、連体形は「綺麗な」。 「綺麗です」「綺麗だ」は自然だが、「綺麗なです」「綺麗なだ」は 不自然。動詞についても、「書くです」「書くだ」「書いただ」は 不自然だし、「書いたです」も規範文法では不正であり、正しくは 「書きました」。 『「[体言](は/が)[体言](だ/です)」が基本文型だから、 それに当てはめようとすると、どうしてもそこには“体言”が (体言化にしろ被修飾語の省略にしろ)要求される』というのが いちばん簡単な説明のような気がするんだがな。
474 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/11/21(月) 14:13:41
因習に囚われず、形容詞に活用するものとしないものを認めればいいのだ。 品詞「形容動詞」は廃止。「綺麗だ」は体言形容詞「綺麗」+助動詞「だ」。 「綺麗な」の「な」は、助動詞「だ」の連体形。すっきりするだろ? …で、「は」と「が」の話はどこ行っちまったんだ???
475 :
471 :2005/11/21(月) 15:01:12
>>473 > 「綺麗」は形容詞でいうなら「語幹」に相当し、連体形は「綺麗な」。
だから、そういってるやんけ。誰も「綺麗」が体言的でないなんて言ってないだろ。
普通の(分析的な)「名詞+だ」という連語ではないって言ってるだけ。
語構成としては、「体言(相当)+だ(な/に)」と考えるのが普通だろうよ。
つっこむ相手間違ってないか
>>474 するってぇと、「桜は花が綺麗だ」っていうのは、
・「綺麗」という形容詞の主語が「花」
・助動詞「だ」の主語が「桜」
で、「綺麗だ」は述語を二つ含むという解釈でいいのか?
>「桜は花が綺麗だ」っていうのは、 この場合の「桜は」は「桜に」と同じだと思う。 「空に日が明るい」と同じ。
478 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/11/21(月) 16:08:59
「綺麗」が「花」の述語なら、「花が綺麗」が「桜」の述語だろ。 「桜」の述語が「だ」なら「花」の述語も「だ」だ。
479 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/11/21(月) 16:10:34
>>477 「は」と「に」がどうして同じになるの?そこを説明できなければ説明にならない。
>>479 「桜は花が綺麗だ」は「桜には花が綺麗だ」の「桜には」の「に」が無い形だってこと。
>>480 「空に日が明るい」は、述語は「明るい」だけど構文的には存在文に引っ張られた文と考えるのが普通だろう
他にも存在、寡多、可能、感情感覚なんかを表す述語には、しばしば「に/が(は)」交替が見られると言われているけど
cf. 「私(は/が/には)英語が話せる」
「日本(は/が/には)資源が少ない」 etc.
「花は桜が綺麗だ」は、それとは違うんじゃないか?
↑「桜は花が綺麗だ」の間違いね いずれにせよ「桜には花が綺麗だ」とか「象には鼻が長い」とか、 言語直感的としては言わない(というか意味が分からない)し そこから考えるのは無理があるように思う
483 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/11/21(月) 19:33:40
「桜が花が綺麗なことはよく知られている。」という文章も可能だよ。
484 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/11/21(月) 19:47:50
随分混乱してるね。 スッキリしちゃおうね。 「が」:主部が選択されたことを示す。 「は」:述部が選択されたことを示す。
>>484 >「が」:主部が選択されたことを示す。
→ 述部は不要のはず。しかるに、「*桜は花が。」では文にならない。
>「は」:述部が選択されたことを示す。
→ 主部は不要のはず。しかるに、「#花が綺麗だ。」では意味が変わってしまう。
少しもスッキリしない。
>>484 何の説明にもなってないとはこういうことを言うのだろうな
とかいいつつ、実はそれは機能論的には重要な区別で、割と昔から言われていることではある
が、「は」と「が」の問題の一面しか捉えていない
野田の五原理(原理なのか?)でいえば、新情報と旧情報の原理(何を主題とするかの原理)
ひとつに関係する程度
>>473 繰り返させるなよww
>「美しいです」は一般的だが「美しいだ」は不自然。
「美しいです」も1960年代くらいまでは「美しいだ」と同じくらい不自然だった。
ある百貨店がエスカレーターの注意呼びかけアナウンスで
「危ないですから…」と流したところ「日本語が間違っている」とかなりの苦情が来た。
今でも伝統的な百貨店では「危のうございますから…」と言う。
「美しいです」という表現が許容されているのは、
大阪方言の「だす・おます体」では「美しおます(「美しゅうおます」の縮約)
京都方言の「どす・おす体」では「美しおす(「美しゅうおす」の縮約)」
と表現できるのに
東京方言および共通語の「です・ます体」では
「*美しくます」とは言えないので、形容詞のですます体が表現不能となってしまい
やむを得ず破格の「美しいです」が許容されたからに過ぎない。
(実際には「おます」「おす」に対応するのは「あります」なんだが、
「美しくあります」は「ですます体」とは別の「あります体(長州式演説体)」と認識されている)
489 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/11/21(月) 21:48:13
野田の五原理って何ですか?
野田(1996)の『「は」と「が」』という本があるから読んどけ。
491 :
84 :2005/11/21(月) 23:30:58
いまいち伝わってないようだね。 例えば、 私が「桜は美しい」 と言うとき、問題になっているのは、桜とは何か? ということなので、私は美しいという描写を桜について選んだということなのだ。 私が「桜が美しい」 というとき、問題になっているのは、何が美しいのか? ということなので、私は桜を美しいものとして選んだということなのだ。 すると(既知のものをa、未知のものをxと置くと) 「は」が使われているとき、 aはx という形式になっており、 「が」が使われているとき、 xがa という形式になっている、 ということになる。 「は」では主部が何なのかということが問題で、術部がその解として選択されていることを示しているのであり、 「が」では述部が何なのかということが問題で、主部がその解として選択されていることを示しているのだ。
492 :
487 :2005/11/21(月) 23:57:57
>>491 だから、そういってるだろ。
久野の談話文法で新情報、旧情報という概念が出されて以来、「は」と「が」の違いは
少なくとも一面では新情報と旧情報、あるいは前提と焦点という観点から説明できると言われてきた
でも、それだけで「は」と「が」の違いを全て説明できると思っている研究者はまずいない
三上章以来の措定文、指定文の研究では、1970〜80年代頃から両文の違いは
名詞句の意味の違いと、情報構造の違いの組み合わせで(交差的に)分析されるのが定石のようになったし
(1990年代以降はもう少し複雑化していると思う。最近の研究の動向については西山の
『日本語名詞句の意味論と語用論』あたりを参照)
また先に挙げた野田の『「は」と「が」』でも、情報構造の違いは5つの原理の一つであるに過ぎない。
だから重要なポイントには違いないけど、それで全部解決するわけじゃないんだよ。
>>492 まあそういうことだよね。
だが、
>>491 の例を改めて見てみると、
やはりどうみても「は」と「が」の対立ではなくて、
「は」と「非は」の対立にしか見えないよな。
それから、野田の5原理はなんだか良く分からないところがあって、
格無しとして挙げられた例が実に珍妙。
なのに「象文」の「象」は隠れ属格扱いじゃなかったかな。
とにかく分類の当てはめ部分が違和感大杉だった記憶がある。
(今手許にないので勘違いだったらスマソ)
494 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/11/22(火) 04:20:24
>>491 「あなたはあの子が好きだ。」
この文で「あの子」は主部ではない。
>>491 の例を改めて見てみると、
やはりどうみても「は」と「が」の対立ではなくて、
「は」と「非は」の対立にしか見えないよな。
『何は』とはいわないが、
何が、何を、何に、何の、何で、何と、何も、とはいう。
a(は)x
x(非は)a
なんかな。
495 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/11/22(火) 07:36:54
「は」と「非は」の対立だね。象文は「は」抜きでも成り立つから「は」の機能とは 関係ないし。 「花が美しい」は「何が美しいか」の答えでもありうるが、経験的事実を語ってるだけの 場合が多いのではないか。つまり「花が」と「美しい」とは一まとまりで、分けて対立させること などできないのではないか。
で、けっきょく 1)「述語に対する格の一意性」(つまり、文(単文)=述語(verb)であり、 述語に対してある格を持つ体言はたかだか一個である)という(印欧語の文法 理論における)パラダイムは、日本語においても成立するのか? 2)「が」は“主格を表わす格助詞”なのか? に対する答えは何なんだ?
497 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/11/22(火) 10:18:37
>>494 > 『何は』とはいわないが、
> 何が、何を、何に、何の、何で、何と、何も、とはいう。
「何も」をその中に入れるのは、違うんじゃ…
>>498 違うよね。「何もない。」は疑問文じゃない。
>>495 「AがP」文については、Aだけが新情報(焦点)の場合と、文全体が新情報の場合があって
だいたい前者の「が」は総記で、後者の「が」は中立叙述だと言われているね。
中立叙述、総記という言い方を最初にしたのは久野あたりだと思うけど
総記というのはKurodaのexaustive listingの訳だったんじゃなかったかな。
また、「AがP」文は、Pが恒常的属性のときは総記になり、Pが一時的状態のとき中立叙述になる
と言われていて(多分、久野の頃にもう言われていたんじゃなかったかと思う)、
恒常的属性と一時的状態は、判断文か現象文かという区別とも(少なくとも部分的には)かぶっているし
individual level predicate、stage level predicateの区別とも関係ありそうだね(白井賢一郎あたりが書いてた気がする)
「花が美しい」というのは、眼前描写のときには中立叙述であって、「花が」だけが新情報とは言えなさそうだね
>>498 「も」は「は」と同じで係助詞、あるいはとりたて詞の仲間で、「が」「を」「に」のようないわゆる格助詞とは
区別されるのが一般的だね
> 白井賢一郎あたりが 状況意味論とか可能世界仮説とか謂ってる人だっけか? > 「が」「を」「に」のようないわゆる格助詞とは区別されるのが一般的だね 「が」をとりたて詞ではなく、格助詞に入れる理由は? 確かに「主格と体格は「が」でとりたてることが可能だが、与格その他の 格は「が」でとりたてることができない」という現象はあるが、 それだけでは「格助詞」とは謂えない希ガス。
502 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/11/22(火) 19:30:50
とりたては「が」だけじゃないよ。「大根ください。」と「大根をください。」を比較したら 「を」はとりたてだろ。基本は「大根ください」だろ。
>>501 > 「が」をとりたて詞ではなく、格助詞に入れる理由は?
伝統的な国語学では、「が」は係助詞ではなく格助詞のカテゴリーに入れられるのが普通だと思うけど?
ここで「いわゆる格助詞」って言ったのは、よく知られている分類では「は、も」と「が、を、に」は
別のカテゴリーに入れられるよね(「も」を格助詞ということはあんまりないよね)ってだけの話だよ。
実際には、格助詞、係助詞、副助詞etc.なんて概念は、助詞を相補的に分類するための便宜上のカテゴリーであって
実際にそんなに相補的に分けられるかなんて分からないしね
「が」なんかも総記の場合は、かなり とりたて詞 っぽいし
もっとも、総記の「が」や、
>>502 の言ってる「を」なんかの排他性は
助詞自体の持ってる意味特性によるというよりは、語用論的なものじゃないかって説もあるみたいだけどね
>>496 実は1も、当の印欧語で既に非常に怪しい。
「述語動詞に対してある格をもつ体言はたかだか一個」が原則成り立つのは
斜格(oblique case)の場合だけ。主格と呼格は原則の外にある。
呼格は呼びかけなので動詞と無関係に用いられるし、
主格は実は格の中では例外として、動詞に支配されるのではなく
動詞を支配して人称表示させて「定める(define)」働きを持つ。
しかも、最も基本的な「AがBである。」という文で
「A(主格) B(主格) 存在動詞.」という形を取るわけで
主格が2つ並ぶことになって動詞から見た一意性なるものは
いきなり基本の基本で崩壊する。
(日本語のほうが「Aが」「Bで」と格を使い分けている!)
それにラテン語などでは対格を複数とる動詞なんてのもあったりする。
Filiam litteram docet.(彼は)娘に文字を教える。filiam litteram 双方対格だ。
505 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/11/23(水) 02:12:40
>>504 >しかも、最も基本的な「AがBである。」という文で
>「A(主格) B(主格) 存在動詞.」という形を取るわけで
「A is B」の場合、be動詞を「copula」じゃなく「存在動詞」と解釈するってこと?
>(日本語のほうが「Aが」「Bで」と格を使い分けている!)
ここで言われてる「Bで」の「で」って、「AがBである。」の文の「で」を指してる?
そうだとすると、基本的なミスだと思うが。「Bである」の「で」は判断の助動詞「だ」
の連用形で、格助詞じゃないよ。
>>505 英語だけ見ているとそんな感じにしか見えないかもしれないけれど、
印欧語を古典語以前から見てみるともう少し視野が広がるよ。
このネタはガイシュツなんだが
印欧語の「AはBだ。」という文の、
古典ギリシア語などで見られる印欧語最古の形は
「A(主格) B(主格)」だけ。動詞は一切不要というもの。
だが、これでは時制など複雑なものが表せないので、
存在動詞を後ろつけて
「A(主格) B(主格) 存在動詞」という形をとって、
この存在動詞を活用して時制などを表した。古典ラテン語などがこの段階だ。
実はこれは日本語文法の歴史的発展とぴったりパラレルなもので
「Aは Bぞ」だったのが「Aは Bに あり」と「あり」が付けられ「Aは Bなり」となった。
ラテン語などでは、古典期には「A B 存在動詞」だったのが、
次第に語順が変わって「A 存在動詞 B」となって
存在動詞は存在の意味を変質させいわゆるコピュラとなった。「A コピュラ B」
近代英語や、イタリア語・フランス語などの近代ロマンス語はこの段階になる。
>>505 印欧語は上のレスの通り。
現代日本語の「AはBである。」の「で」は、学校文法では助動詞「だ」として扱うが、
沿革的には
「*AはBにてある。」→「AはBである」→「AはBでぁ(一部方言に残存)」→「AはBだ」
となるもの。「である体」のほうが先になる。
Bは沿革的に分析すれば実は与格「Bに」であることが分かる。
ただ、現代語ではもちろん「AはBにある」と「AはBである」では全く意味が違うので
必ずしも意味のある分析ではないけどねw
508 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/11/23(水) 05:17:57
>>506 ,
>>507 丁寧なレス多謝。
共時的な問題を扱う際にも、通時的な視点を教条的に拝してしまうやり方には
疑問を感じるので「沿革的」視点を導入するのは賛成。意味はあると思う。
ただ、レスの中でいくつか区別してよい範疇(に属するもの)が形式の一致に
よって同質化されている印象を受けた。
「だ」が歴史的に「にある」に由来し、したがって、「ある」という存在動詞
に起源を持つことは頷けるけれど、発展の過程で存在動詞「あり」が(判断の)
助動詞「あり」に転生したという説(山田文法)は承認できるのではないだろ
うか。その転生が生じた時点で、「あり」が助動詞化すると同時に、「に」が
格としての性質を失っているように思われる。
そう考えると、存在文としての「A、Bにあり」の「に」が「与格」であるの
に対して、判断文の性質を獲得した後の「A、Bにあり」の「に」では格とし
ての性質を失いつつあるのではないだろうか。つまり、その場合、Bは述部に
ふくまれ、主格が2項同時存在するのではない、と言えるのではないか。
509 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/11/23(水) 05:29:46
>古典ギリシア語などで見られる印欧語最古の形は
>「A(主格) B(主格)」だけ。動詞は一切不要というもの。(
>>506 )
これは非常に面白い。近接のゲシュタルトが統語機能を果たすというのが文法
現象の萌芽形態においては中心的なストラテジーだったのかも。これは、古典
ギリシア語時代でなく、さらに遡った人間言語そのものの発現期の話。また、
系統発生のみならず、個体発生、すなわち、幼児の言語獲得の初期にも、近接
のゲシュタルトが統語機能の原理のひとつとして働いている可能性はあるかも
しれない。
510 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/11/23(水) 05:35:26
>>508 「転生」は「転成」の誤り。訂正します。魔界転生〜!
夏草や兵どもが夢の跡 アイスが食べたい
512 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/11/23(水) 07:07:55
結論は出るの? 法則を決めて、それに合わせる方が現実的な気がする。
513 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/11/23(水) 07:18:59
>>505 > 「A is B」の場合、be動詞を「copula」じゃなく「存在動詞」と解釈するってこと?
だいたいコピュラって印欧語でも日本語でも、普通は存在動詞由来の成分のことを言うんじゃないのか?
存在動詞じゃないのをコピュラっていうのは、例えば日本語の「は」はコピュラだって言うようなもんで、
ちょっとおかしいと思う。
ところでうろ覚えだが、現代ヘブライ語か何かではコピュラ文(?)をコピュラなしの「NP1 NP2」で
言うんじゃなかったっけ。で、pronominal copulaとか何とかいう(代名詞由来成分)がNP2の前に
入ったり入らなかったり(確かgenericityに関係して使い分けられるような話だった気がする)
するらしいんだけど、そういうの(代名詞由来成分)をコピュラと言うのは、ちょっと違う気がする。
515 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/11/23(水) 15:22:26
>>514 >だいたいコピュラって印欧語でも日本語でも、普通は存在動詞由来の成分のことを言うんじゃないのか?
それはその通りなんだけれど、存在動詞と、それに由来したコピュラとは、異質の成分でしょ。
「He is John.」と「John is in the kitchen.」の二文で、前者がコピュラであるのに対し、後者は存在
動詞。コピュラは判断を直接表現し、存在動詞は「存在する」という極度に抽象度の高い属性を表現して
いる。この、対象とする属性の抽象度の高さが存在動詞からコピュラへの転成の契機を用意している。
日本語のなかに存在動詞由来のコピュラ的成分を探せば、「なり」に含まれる「あり」、「である」に含
まれる「ある」であって、もちろん、「は」はコピュラではない。
516 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/11/23(水) 15:22:47
ところで、「コピュラなしの」コピュラ文的表現には個人的に非常に興味を持ってます。現代ヘブライ語 その他の例、できれば教えて欲しい…。日本語で、「これ今日の新聞」って言ったとき、「これ」と「今 日の新聞」のあいだに統語的な関係が設定されているとすると、それを支える統語上の成分は何なのか…。 「は」なり「が」なり、あるいは断定の助動詞なりの省略という見方が可能であると同時に、もともとそ ういった成分はなく、「これ今日の新聞」それ自体ではじめから成立している表現と看做すこともできる と思う。 「いづれの御時にか…すぐれてときめき給ふありけり」とか「春はあけぼの」とかいった表現が格助詞、 助動詞の省略されたものとしてでなく、もともとそれ自体で成り立っていると見るほうが自然であるよう に思えてならない。 話がズレてしまった。ただ、日本語には、本来、主格および対格の表現には格助詞を用いないことが文法 上規範化されいたのではないか、そして、その文法規範は、実は現代日本語(口語)にも命脈を保ってい るのではないか、という疑問からこのスレを眺めはじめたので。と言い訳して終わり。長くなってスマヌ。
517 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/11/23(水) 15:31:43
>>516 ロシア語のほうが普通じゃないの?
一応、スラブ系語彙には、起源からして英語のbe動詞と共通の、es-の
系統があるけれど、普通現在形ではつかわないはず。
ロシア語は、動詞が全部、現在と完了で別の語彙に変わってしまうって
いうのも面白い(全く違うものになる場合が多い)。
518 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/11/23(水) 23:24:03
>>516 古い日本語では主格の助詞はゼロだったというのは通説だよ。
これは古文を読んだことのある高校生なら誰でも気づけるレベルの話。
中世に、卑近さを含む属格だった「が」が、主格に転用された。
それに対して「の」がただの中立的な属格になった。
間違っても「が」は「取り上げの副助詞」などではないw
一応このへんまではただの通説なんだが、
俺も日本語の最古層においては、主格と対格についての
膠着成分はゼロだったのではないかと思っている。
実はこれはアイヌ語と同じで、
アイヌ語は膠着対格語尾ゼロにもかかわらずSOV型で
厳密な二項動詞の体系を持つ。
アイヌ語から複雑な抱合要素が抜け落ちた「ピジン化アイヌ語(仮称)」が
日本語の最古層の文法と関係があったのではないかという気がするんだけどね。
ただ、
起源は全く不明だが非常に早い時期の日本語ですでに、
対格「を」と与格「に」だけは
はっきり格助詞としての用法が定まっているようだ。
520 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/11/24(木) 06:06:32
過去ログ見ないで書き込むけど、 象は鼻が長い は 象においては、鼻が長い の略ですよ。 この場合、象は主語でもなんでもありません。
>>517 ちょっと脱線するけど、コピュラなしの文が成立するのは、ロシア語だけじゃなくて
ウクライナ語、ベラルーシ語なんかの東スラブ語郡共通の現象。
あと、完了体、不完了体について。基本的に不完了体の語幹子音の交代か、接頭辞
をつけることで完了体動詞を作る。全く違う言葉になるのは
govorit' →skazat' とか、klast' →polozhit'
とか、ごく少数ね。これも意味上の対立から上記の全く違う言葉を使うのが慣用
になっただけで、語彙の上では対になる言葉は存在する。
以上脱線失礼した。
522 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/11/24(木) 16:28:22
脱線の脱線(スマソ!) 517、521に質問。 東スラブ語のコピュラなし文って、強いて日本語に訳すとどんな感じに なるの?あと、和訳を離れたところでも、そうしたコピュラなし文が、 どういう文脈で用いられているのか(例えば、「水は酸素と水素の化合 物である」みたいな科学的、あるいは、論理的命題でも用いられるのか 等)解説していただけませんか? 「は」と「が」からの逸脱、ゴメン!
>>520 「何が鼻が長い?」「象が鼻が長いよ」
「が」には 2 種類あると考えれば済む話。
従属節にして主題の「は」を排除すると 「象が鼻が長いこと(は誰でも知っている)」のような文ができるので
>>520 「において」の省略と見ることはできない(「においてが」なんて言わない)
>>523 総記でない(中立叙述の)「が」でも二重に出ることができる
総記か中立叙述かややはっきりしなくなるが
「文明国が男性が平均寿命が短い」(久野1973)みたいに「が」が三つ以上出る例もある
> 「象が鼻が長いこと・・・」 これは正式な表現でも、正確な表現でもない。 正確には「象の鼻が長いこと・・」だよね。 それの崩れた形でしかない。 「象が」と言いながら、これでは不十分なので、 「鼻が」とさらに主語を絞り込んだだけの、 ジャンクな文だね。 というか、こんな幼児のような言い方する奴、 実際見たことない。w
>>524 >>525 従属節中で、『象が鼻が長い(ことは…)』という文は辛うじて認められると思うが。
少なくとも非文とまでは言えない。
>>524 の末尾の例は非文だと思うがw
「象の鼻が長い(ことは…)」は、何度も繰り返すが
「象の」が「鼻」にのみかかるだけなので文構造が全く違う。
結構な国語学者でも「象は鼻が長い」と「象の鼻が長い」を
平然と「同義の言い換えだ」と言い放っているが、
本当に日本語ネイティブなのか耳を疑うww
「象は鼻が長い」を「は」抜きの従属節中で用いるなら、
「象が鼻の長い(ことは…)」とするのが一番適切だろう。
あまり耳慣れない言い方ではあるが、文法的な間違いはどこにもないはずだ。
なおこの時の「の」は、属格ではなくて従属節中の部分主格を示す。
>>526 こういう自分の感性と理屈を絶対化するアホが出てくるから困る。
>>527 だから「象は鼻が長い」⇔「象の鼻が長い」と主張するのなら、
「象の鼻」と「象は鼻」が全く同義であると言わなくてはならないんだよ。
罵る前にこの命題を証明せよw
絵本を指差して、「これは何?」 答え「象は鼻!」
この会話を100%正しいと言い切らなくてはならないw
529 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/11/24(木) 22:00:51
「鼻は象が長く、首はキリンが短い」という文も可能なわけで、これなら「鼻の象」「首のキリン」 への言い換えはできない。
>>529 だから例文がおかしいってw
そんな変な日本語話す奴いないよw
>>525 だが「象の鼻が長い」では全く言い換えにならないという意見には
どう反論するんだ?
時枝文法の用語を使えば「入れ子構造」の構造が違うからね。
数学の括弧で代用するが
(末尾の助詞は括弧の外に表すことにするのであしからず)
「象は鼻が長い」は、
{象は(鼻が長い)}または{(象)は(鼻)が長い}と解釈できるが、
×{(象は鼻)が長い}とは決して解釈出来ない。
逆に、
「象の鼻が長い」は
{(象の鼻)が長い}としか解釈できず、
×{象の(鼻が長い)}とは決して解釈出来ない。
「象が鼻が長い」を非文とか言う奴はもぐりだと思う 直感的にも文法的だし、「は」とか「が」の研究者で、これを非文扱いした奴は見たことがない
>>522 「ヤー、チャイカ。」
=「こちら、“カモメ”。」
「私は鴎。」と訳されることが多いけどね。
旧ソビエト連邦の女性宇宙飛行士、テレシコワさんの地球へのメッセージ。
なお、「私は技術者です」は、「ヤー、インジェニェール」で、
「AはBです」は、ほとんど全部「A B」。「ミー、ターザン。ユー、ジェーン」
みたいな世界。ついでながら、ロシア系のSF作家、アイザック・アシモフの
代表作は、「I, Robot.」(「我はロボット」)で、「ロボット」という
言葉を作ったのは、スラブ語圏チェコの劇作家カレル・チャペック。
534 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/11/24(木) 22:58:43
前後の文脈で判断することが多いから、そうなるんであって。 一般的にはそんな言い方しないし、文法的であるとは思えないな。
>>523 そこんとこをごっちゃにして「大野晋は間違っている!」とか言ってた馬鹿が
しばらく前にいた(大野先生が律儀に反論していた)。
「我が家」「おらが春」の“が”と、「象は鼻が長い」の“が”は
(歴史的にはともかく)とりあえず別物ということで……
>>534 そりゃ先入観ってやつだよ
現象を見ていない
>>534 > 文法的であるとは思えないな。
学校文法のような規範文法の観点からいえば文法的ではないだろうが、
今日も「(拳法の)稽古の後はビールがうまいぜ」とかいう言葉を聞いて、
まったく非文法的だとは思わなかった。
>>537 >「(拳法の)稽古の後はビールがうまいぜ」
これは、時格に強調の「は」が付いただけ。「に」や「で」を補っても文意は通じる。
もちろん、「象が鼻が長い」を非文とする人は素人。
ちょっと古い漫画とかだと 「私がやりたいことは」は少なく 「私のやりたいことは」が多い
540 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/11/25(金) 00:52:50
>>537 まぁ、アリかナシかで言えば、アリではあるけど。
普段の会話でそこまでギスギスしていたくないし。
う〜ん・・・
>>539 「君の〜行く〜道は〜♪」とか?
>>534 文脈しだいで可能であるなら、非文じゃないだろ。
「犬が大きい」
なんて文も、それだけいきなり言われて不自然さを感じないやつは日本人じゃないと思うが、
それと変わらない。
「AはBが〜」 が 「AがBが〜」 になるのは、「誰が〜?」 の答えになっている場合以外にも、
「彼が気が短いのは有名だ」 「私が気がついたときには手遅れでした」
などのように、従属節中で使われる場合や、
「あの子がクラスで一番頭がいい」 「家族の中で俺だけが背が低い」
のように、限定を強める修飾語等を伴う場合などもある。
これらの例も、「あの子は〜」 「俺だけは〜」 とすると意味が変わってしまうが、
「亀よりウサギの方が足が速い」
のように、「AはBが〜」 で置き換え不能な例すらある。
>>531 「象の鼻が長い。」 と 「象は鼻が長い。」 は、確かに違う。
でも、「象の鼻が長いこと」 なら {象の(鼻が長い)こと} と言う解釈は成り立つし、その解釈
の上では 「象が鼻が長いこと」 と完全に同義だといっても間違いではないと思う。
また、 「象の鼻の長いこと」 も同義だと思うが、
>>526 の 「象が鼻の長いこと」 はありえないのでは。
景色は京都が美しく、食べ物は大阪が美味しい。 「〜は〜が〜」の文はいくらでも作れますよ。
>>541 >>534 は多分、非文でも文脈で言いたいことが分かる場合もあるって言いたかったんじゃないの
「かまれた私腕を犬で」って文は日本語としてぐちゃぐちゃだけど意味は分かるみたいな
まあ象文はそんな非文法的な文じゃなくて、れっきとした文法的な文だと思うけどね
>>542 いくらでも作れるけど、大体パターンはあるね。以下は野田の挙げている例だけど
1. 格成分 「父はこの本を買ってくれた」←「父がこの本を買ってくれた」
2. 格成分の連体修飾部 「象は鼻が長い」←「象の鼻が長い」
3. 格成分の被連体修飾部 「辞書は新しいのがいい」←「新しい辞書がいい」
4. 述語名詞の連体修飾部 「カキ料理は広島が本場だ」←「広島がカキ料理の本場だ」
5. 節 「花が咲くのは7月頃だ」←「7月頃に花が咲く」
6. 破格 「このにおいはガスがもれてるよ」←?
多くの場合、「は」は意味的に他の名詞句や述部と局所的に見える関係を結ぶことから
構造的にも、名詞句や述部と局所的関係にある成分が、移動して「は」になったと考える人が
後をたたないんだろうけど、そう考える必然性はないような気がするな
「〜は〜が」文は、そういう構造の文として、もっとありのままに分析した方がいいように思う
>>541 「象の(…中略…)こと」という修飾関係は成り立たないはず(これでは全く意味不明)で、
「{(象の)(鼻が長い)こと}」と解釈できるわけだから
議論は
>>526 と変わらないと思うけどね。
「が」より「の」のほうが『部分主語性』が高いと俺は思うので、
「象が鼻の長いこと」は十分あり得ると思うが、
「が」と「の」の「部分主語性」の差は正誤ではなく感覚的なものだと思うので
ここで争うのは不毛だと思う。
それよりも
「亀よりウサギのほうが足が速い」はすばらしい例だと思うよ。
「象文」の本質は本当に、「は」ではなく「『が(主格)』の並立」なのかもしれない。
それでも「ウサギ」より「足」のほうが明らかに「「長い」の補語性」が高いけどね。
だが非常に不可思議なのは、
>>543 が挙げている野田分類の2が、
象文は「連体修飾」だと言い切っていることなんだよ。
野田曰く、「
>>531 の入れ子分析」は誤りで、
{(象は鼻)が長い}と解釈されるべきだと考えているとしか読めない。
>>543 2. 「象は鼻が長い」←「象がA鼻が@長い」 ガ@: 運動・状態主格,ガA: 事態主格
3. 「辞書は新しいのがいい」←「辞書について新しいのがいい」 ニツイテ格
4. 「カキ料理は広島が本場だ」←「カキ料理について広島が本場だ」 ニツイテ格
5. 「花が咲くのは7月頃だ」←「花が咲くのが7月頃だ」 ガ格
> そう考える必然性はないような気がするな
元の節において格成分でないものを「は」で取り立てると,普通,非文法的になる。
「*停車駅は品川,新横浜,静岡,名古屋,京都に止まります」
> 6. 破格 「このにおいはガスがもれてるよ」←?
「この音はハードディスクが危ないぞ」「あの声は太郎が帰って来たな」など,パタンが限られている。
Cf.「*そのにおいはガスがもれていた」「*その音はハードディスクが危なかった」「*その声は太郎が帰ってきた」
つい先ほど、「この子がボンちゃんが好きじゃったんじゃね」という、広島弁を確認しますた。(NTV)
>>544 > 「亀よりウサギのほうが足が速い」はすばらしい例だと思うよ。
確かにいい例なんだが、一般に比較文では「は」はあんまり使われないんで、そんな珍しい文ではないかもしんない
比較文は従属節同様、「は」を排除するのに利用することができるかも知れんが
ただ従属節と比べると、ちょっと総記っぽくなってしまうので使いにくい
>>522 コピュラなしの文は会話、文語を問わずよく使われるけど、会話ではポーズを
置くし、文では「−」で区切るんで、変な言い方だけど、ゼロのコピュラを置
いているってことも言えるんではないかと思う。日本語に訳しても普通に、
AはBである(です)って訳されるね。コピュラであるjest'は有るか、無いか
が問題になる場合にのみ使う。
定義文なんかの場合はコピュラは必要なんで、jest'を使う。歴史的には中世
ロシア語までは、それぞれの人称に対応したコピュラを使ってたのね。
また、定義文の場合は専用に使われるjavlyat'syaなんて動詞を使うこともある。
ただ、その場合の構文は
A(主格)javlyaet'sya B (造格)となる。(名詞が単数の場合)
549 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/11/26(土) 01:33:05
>>548 522です。解説ありがとう。533をスルーしてしまってゴメン。なぜか、公開
プロクシ規制というのに引っかかって、カキコできなかったm(_ _)m
>コピュラなしの文は会話、文語を問わずよく使われるけど、会話ではポーズを
>置くし、文では「−」で区切るんで、変な言い方だけど、ゼロのコピュラを置
>いているってことも言えるんではないかと思う。
面白い〜!コピュラの文法機能を判断と考えると、判断に対応する文法成分が
形式的にゼロになってるわけだ。しかも発話の際ポーズが置かれたり、テキス
ト化の際「−」が書かれるのは、そこに何かがある、という感覚が保たれてる
ことの表れのようにも解釈できる。時枝文法を地で行ってる感じですね。
否定文も訊いとけよ
551 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/11/26(土) 02:04:34
>>550 板違いで迷惑かな、と思って…。この話題、続けてもいい?それとも
ロシア語版行ったほうがいい?自分の中では「は/が」の話と繋がっ
てはいるんだけど。
(>当スレ住人の皆さん)
552 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/11/26(土) 02:08:06
「鼻は象が長い」 はどうよ。
>>552 野田氏なら
>>543 「3. 格成分の被連体修飾部」ということにするんだろうけど,
「鼻は象が長い」←「象が鼻が長い」 と考えたほうがシンプル。
554 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/11/26(土) 08:38:48
「象は鼻が長い」←「象鼻長い」じゃないかな。
> 「鼻は象が長い」←「象が鼻が長い」 と考えたほうがシンプル。 事実としては同じだが、文構造としては違くね? 「あいつはウンコが長い」の場合、 ・ウンコの(cmで計れるような)長さが長い ・ウンコをするという行為にかける時間が長い の二つの意味にとれて、その「性質」の部分をとりあえず脇に おいておいて、目の前の対象である人々の中から、「長い」という 性質によってその人物(「あいつ」)を取り出している。 したがって、文章上は「長い」は「ウンコ」ではなく「あいつ」に 直接にかかっている。
>>555 しまった、これでは意味不明だ。追って訂正。
>>556 訂正しなくていいです。お引取り下さい。
558 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/11/27(日) 16:44:04
なぜレスがとまっちゃったのかな。age
DQNどもが持論のいい加減さに気付いたから
>>555 それは「ウンコ」がモノを表しているかコト(排泄行為)を表しているかの違いであって
文の構造とか、「長い」のかかり先とかの問題ではないように思う
> 「鼻は象が長い」←「象が鼻が長い」 と考えたほうがシンプル。
というのは
「次郎は [ 太郎が φ(次郎を) 殴った ] 」と同じように
「鼻は [ 象が φ(鼻が) 長い ] 」ということだ、っていうことだろう
是非は知らんが、構造的には別におかしな話ではないと思う
>>560 連体修飾詞は内包的な意味を持つ(「赤い林檎」は「赤い」という
性質を持つのだという考え方)というのが普通の解釈だが、
たとえば「大きい鼠は大きくない」ように、「外延集合からその要素
(部分集合を含む)を切り取る」という“評価”の作用素である、
という解釈がある。この観点からいうと、結果として
切り取られるモノ(部分)は一緒でも、元の外延集合が異なって
いるのではないか、ということ。
「彼女は美しい」は大概「彼女は美しい女性である」を含意し、
「富士山は美しい」はたぶん「富士山は美しい山である」を含意する。
・「象は鼻が長い」→「象は鼻が長い動物である」→“動物”の中から、
“鼻が長い”ものとして象を選択
・「鼻は象が長い」→“(具体的な、cmで計れるような量としての)長い”
で切り取られる集合の中から、さらに“長い鼻”のという評価によって
切り取られるものとしての象を選択。
「鼻は象が長い」と「あいつはウンコが長い」だと、前者は「鼻」が象の
要素、後者は「ウンコ」が「あいつ」の要素であるから部分と全体の
関係が逆転しているように見えるが、「鼻」⇔「鼻を持つもの(半島、
岬などを含む)」、「ウンコ」⇔「ウンコをするもの」といった
集合と要素の関係を念頭におくと、文そのものの形は同じであるように
思う。
> 「大きい鼠は大きくない」 =「大きい鼠」が“大きい”という性質を持っているとすれば、 「鼠は動物である」「その鼠は大きい」から「その鼠は大きい動物である」が 言えるはず(その鼠は、「鼠である」という性質と「大きい」という 性質の両方を持っているはずである)であるが、実際には 「その鼠は大きい鼠である」しか含意せず、 「その鼠は大きい動物である」とは言えない。 さらに、これに運用論の話が入ってくると、たとえば 「そのミカンは青い」「そのミカンは緑色である」の場合、 「そのミカンは青い緑色である」とは普通言わず、 「そのミカンは、青い、緑色のミカンである」とか、 「そのミカンは緑色の“青いミカン”である」とか表現せざるを 得ないとかいったややこしいこと(述部に「ミカン」が必ず現れる)が 起きる。
>>561 > 「大きい鼠は大きくない」
> 元の外延集合が異なっているのではないか
これはまあ有名な話だし、納得できるものだが、今の話と関係あるかどうかは不鮮明だ
確かに「象は鼻が長い」は「象」に関する措定文で
「鼻は象が長い」は「鼻(,長い)」に関する指定文のような感じはするが
(cf. 前者の「鼻が」は総記的ではないが、後者の「象が」は総記的)
それが「大きい鼠」の話と同じなのかどうかは、いまいちよくわからない。
> 「鼻は象が長い」と「あいつはウンコが長い」
> 集合と要素の関係を念頭におくと、文そのものの形は同じであるように思う。
集合と要素(なのか?とりあえず所有者と所有物としておく)の関係を念頭に置いた場合、
前者は「所有物は所有者が長い」、後者は「所有者は所有物が長い」で
むしろ構造的には二つの名詞句が逆転しているように思う
「鼻は象が長い」の構造にあわせるなら、「ウンコはあいつが長い」になるのではないか。
564 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/11/29(火) 11:24:02
で、「は」と「が」の違いはどうなったんですか?
565 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/11/29(火) 21:03:36
Copula なし文をさも珍しいことのようにロシア語の人や アラビア語の先生が言うが、 そんなに珍しいことかねぇ。
公孫竜「白馬を馬だというと他の黒い馬や栗毛の馬は馬ではなくなる。 だから、白馬は馬ではない。」 オレ「白馬が馬ではないけど、白馬は馬だよ」
567 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/11/30(水) 03:54:44
突然横からで申し訳ないですが… 最近とみにテレビなどで以下のような使い方を聞くのですが、正しいのでしょうか… 1.「今日は○○さんが、お越しいただきました」 2.「それで、お母さんが、早く起きなさいって言われたんで飛び起きたんです」 1は「○○さんに、お越しいただきました」が正しいと思うんですが… 2は、「お母さん」に対する敬語としての「言われた」だと考えれば道理は通らないこともないんですが、 話の前後に「お母さん」に対する敬語が一切使われていないし、なによりそれならば「お母さん」ではなく せめて「お母様」と呼んでいれば成立しないこともないかと… なので、やはりここも「お母さんに」だと感じます。 アナウンサーも当たり前のように上記のような使い方をしているのを幾度も聞き、 もしかしたらそういった使用法があるのかもしれないとも思い始めました。 真偽是非をご存知の方、教えていただけないでしょうか。
> アナウンサーも当たり前のように上記のような使い方をしているのを > 幾度も聞き、もしかしたらそういった使用法があるのかもしれないとも > 思い始めました。 一種のねじれ現象、あるいは業界用語として存在するらしい。 「お越し/お出でになった」「お越しくださった」と言いつつ、 政治家のような公人でなければ(タレント議員は除くとしても) 実は局側が金(出演料)を払って呼んでるわけで、「ゲスト」と 言いつつ「呼んでやってる」ために、前段と後段で主客が転倒 しちゃってるという話のような気がする。 反対に、目上の人に対して、「また来ます」というときに、「寄らせて いただきます」ではなく「寄せていただきます」と言うのは、 「何か重要な用件があって(必然的に)お会いするならともかく、 用事もないのにお目通り頂くなどというのは恐れ多くてとてもできないが、 あなた様の人徳に吸い寄せられて、またこのように参上することも ありましょうから、その時もまた今回のようにお赦しを願いたい」 とかいった意味合いが背後にあるということだったりするのである。
571 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/11/30(水) 12:30:12
もっと単純に考えればいい。「いただく」も「くださる」も敬語だから混同されるんだ。 誰に敬意を表すための敬語かという観点が薄れて、敬語を使わなければならない場面と 使わなくていい場面の区別意識だけになればこのような混同は避けられない。
572 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/11/30(水) 13:56:28
「宝くじにあたったのが儲けた」「宝くじにあたったのは儲けた」って両方とも非文ですか?
>>572 非文ではない。この場合の「儲けた」は非過去の言い方のない動詞で、「幸運だった」の意味。
わからんでもないが、俺はかなりひっかかるな 「儲けた」のガ格とかに「〜したの」って取れるか?
575 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/11/30(水) 21:06:39
おれもひっかかる。ガ格のほう。それじゃ、そいつはなぜだ…? 「宝くじにあたったの」が「儲けた」の主格の位置に立てないからだ。 「宝くじにあたったのは儲けた」は OK。「は」は格を表さないからだ。 ここで使われている意味での「儲けた」は主格を取れない。 …ん?もしかして、格は一切取れない??
576 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/11/30(水) 22:50:48
>>568 間違い。
主述の呼応を意識せず、「○○さんが」、と勢いで言った後、「いらっしゃってます」、が出てこず、もしくは思い到らず
「お越し頂きました」という定型の紹介を繋げただけ。文法的に成立するか否か、ではなく、日本語に対する感性が鈍く、言葉の行使力の低さが招いた間違い。
「お母さんが…」での「言われた」は、明らかに受身。これも上記同様、主述の呼応への意識が低いことが問題。
>>576 まあ、大体そのように思うが、感性の鈍さとか言葉の行使力の低さとか言うほどのこともなかろう。
人間、文を産出するとき(特に会話のとき)には、文全体を組み立ててから発話するのではなく
文の最初の方から順に産出して処理している、ということのいい証拠だろうな。
(文全体を組み立ててから処理するのでは、「鼠を捕らえた猫を捕らえた犬を捕らえた人を・・・」
みたいな文を際限なく続けることはできないからね)
だから、staticに記号のシステムを考える場合は、動詞が名詞句を項に取る、と考えるのが普通だけど
実際の言語運用に際しては、むしろ最初に動作主なり対象なりを選択して、しかる後に、その対象に
あった述語(および自他とかヴォイスとか)を選択する、という方が、我々が実際に行っている
認知活動には即しているのかも知れない。
>>568 は、まず「○○さん」や「お母さん」を対象(主語?)として立てて、然る後にそれに合った述語を
選ぼうとしたんだけど、うまくいかなくてねじれちゃったケースなんだろう。
だから、発話の失敗には違いないんだろうけど、この人が取り立てて鈍いとかいうわけではなくて
人間の認知能力には限界があるから、誰でもこういう間違いはするんじゃないかな。
特にテンポの速い会話では。
アナ叩きもすでに伝統文化のひとつなんだからマジレスすることもないだろ
>>568 > 話の前後に「お母さん」に対する敬語が一切使われていないし、なによりそれならば「お母さん」ではなく
> せめて「お母様」と呼んでいれば成立しないこともないかと…
「お母さん」はそれ自体、立派な尊敬語なんだけど…
当然、敬語とともに使うべき呼称だし、「言われた」はこの文だけなら
「仰った」の意味でとるのが自然。
むしろ、他人に対して身内に尊敬語を使っていることを突っ込むべき。
自分の実母のことなら完全にアウトだし、義母(夫の母)のことであったと
しても、基本的には好ましくないと思う。
まあ、スレ違いだけどね。
>>577 そう。全くそう。そういうことを言いたかった…
ただ、鈍いとか低いとかいった表現をしたのは、言葉を正確に伝えるのが重要な職でありながら、うっかりそう言ってしまったことを問題と思わずに、疑問も持たずにいるからなんだよ。
「○○さんが、お越し頂き…○○さんにお越し頂きました」と言い直しても良いはず。他の場面で噛んでしまった時などは平然と言い直しているんだから。
日本語が頭から順に組み立てる言語である以上、こういったことは当然起こり得る…でもそれをよしとして会話・司会などを進行して不快に感じないのは、
やはり問題だろうと思う。そこに対して感性が鈍い・行使力が低い、と言いたい。
まあどうでもいいけど「は」と「が」の話ではないな たまには雑談もよかろうが
そもそも格助詞の「が」と、副助詞の「は」を並べてる 時点で頭悪いの丸出しだな、このスレ。 中身も予想通りバカ丸出しの書き込みばかり。 バカばかりが集まっても、ろくなことにならないという、 いい見本だな。
ああ、俺も2ちゃんねる始めたばっかの頃は、よくこういう書き込みして一人で喜んでたっけかなあ
>>583 じゃあそのころからあんま成長してないってことだねww ^^
>>582 はとがについての本がたくさんあるわけですが、どう説明するつもりですか
バカがたくさんいるってことじゃないの?
国語学者は皆馬鹿だからねw
まあ否定はしないがな とりあえず『「は」のすべて』っていう本のタイトルを見たときはどうかと思った 現時点において、その問題のすべてを語れる奴がどこにいるのかと
1:失敗する可能性はある (成功も失敗も両方可能性はある。失敗をあまり気にしてもしょうがない) 2:失敗する可能性がある (失敗を強調。慎重に行動するよう警告する) 「は」を使うか「が」を使うかで、意味が代わる文にヒントがあると思う 1の文には主語がなくメッセージが隠れてるようだ 「は」というのは主語をはっきりさせず、とても思わせぶりだ 俯瞰してる側からの発言みたいだ まるで神が人間に寄生して発言してるようなかんじ
>>589 意味が代わる文に着目するのはいい視点だが、
俯瞰だの神だのというのは、学問的には曖昧すぎる概念であるように思う
より分析的に考えようとすると、
a. 「主語」とは何のことを言っているのか。「失敗する可能性」は主語ではないのか。
b. 「メッセージが隠れてる」とは何のことか。語用論的含意のことか。
c. 「俯瞰」とは何のことか。それは理論上、どのように位置付けられる概念か。
d. そしてそれらの論点は、「は」と「が」の機能の違いという一般的な問題と
どのように関係するか。
といったあたりに疑問を投げかけたいところだな
「失敗する可能性はある」 この文章だと主語がない 主語がないということは行為者がいないということ 行為者がいないので誰かから誰かに対する積極的なメッセージがない 第三者的な視点からの意見だ 積極的なメッセージがないので、さまざまな解釈が可能になりやすい (失敗するかもしれないのでやめとこうor失敗するかもしれないがやってみよう) そのため人が勝手にメッセージを読み込んでしまう 「は」の文は機能がないことで逆に機能を持ってしまう文だと思う
>>591 「主語」という語を、どういう意味で使っているか分からないが、
「ある」なんて述語は、そもそも行為を表す述語じゃないんだから
「〜はある」だろうが「〜がある」だろうが、行為者がいないのは当たり前だよ
だから、(「〜がある」に対して)「〜はある」は行為者がいないという説明は成り立たないよ
それに、「ある」に限らず、行為者や動作主といったものを取らない述語は数多くあるけど
それらが主語のない文とは、普通は言わないよ
主語という語の定義にもよるけど、例えば英語のSVO(C)のSの位置に現れるものを主語というなら
Diamonds are beautifulみたいな形容詞文のSは主語だけど、どうみたって行為者じゃないしね
主語になるものは、行為者や動作主だとは限らないよ
「積極的なメッセージ」というのも、曖昧な概念だね
「失敗する可能性はある」に積極的なメッセージが無いというなら
「失敗する可能性がある」には、どんな積極的なメッセージがあるんだ?
手紙が届く ドアが開く 車が止まる 自動詞は「が」だね
太郎が次郎を殴る 太郎が次郎に本をあげる 空が赤い 単他動詞も複他動詞も形容詞も「が」だね
595 :
名無し象は鼻がウナジだ! :2005/12/18(日) 02:06:58
次郎が犬だ 犬なのは次郎だけ 太郎は犬だ 太郎以外がどうなのかは関係なく、とにかく太郎は犬 空は蒼い 空の色を述べるための文。たまたま蒼井だっただけ 空が赤い 空の色が赤であることを述べるための文。 赤でないなら空のことなんてどーでもいい 「失敗する可能性がある」は、失敗する可能性がないなら失敗する可能性について語らない人の発言 「失敗する可能性はある」は失敗する可能性があろうとなかろうと失敗する可能性について語る人の発言
596 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/12/18(日) 12:25:13
日本語には文法がないんだよ。
>>595 無駄に蒼なんて字ぃ使ってると厨房とかエロゲオタとか言われるぞ
昔から、「が」には中立叙述の「が」と総記の「が」があると言われている
(1a) 太郎は犬だ
(1b) 太郎が犬だ
この(1b)の「が」は総記の「が」ってやつで、まあ指摘のとおり、「太郎だけが」って含みがある。
(2a) 空は青い
(2b) 空が赤い
この(2b)の「が」は中立叙述の「が」ってやつで、総記みたいに「空だけが」って含みは無い。
一般には、中立叙述の「が」が使えるのは現象描写文とか一時的状態を表す文とか言われる文だけで
(1a)とか(2a)みたいな判断文とか恒常的属性を表す文とか言われる文では使えないとされている。
ここまでは、昔っから言われてることで、今更指摘しても「そんなのみんな知ってるよ」と言われるレベルの話
(つづき) > 赤でないなら空のことなんてどーでもいい > 失敗する可能性があろうとなかろうと失敗する可能性について語る人の発言 この辺は、何をいいたいのかいまいちわからないけど 多分、語用論的前提とか認知のスキーマとか文脈効果とかに関係のある話で まだあまり整理されていないはず つきつめて研究すれば、それなりに面白い論文が書けるかも知れない
総記の用法でが格の名詞が「今日はこの本が読む」のように目的語になるのは非文ですか?
600 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/12/18(日) 16:04:04
基本的な質問なんですけど、お願いします。 「総記」は有標、「中立叙述」は無標、というように理解して いいでしょうか。 レスいただければありがたいです。
>>600 総記は中立叙述を強調したものであって有標無標ではない気がする。
>>599 私の内省ではその文は非文
ただし、本来「が」格じゃない名詞句が「が」で総記的に現れる例があったような・・・
よく覚えていない
>>600 それは何とも言えないが、有標、無標ということをいいたいなら、そういう捉え方でいいと思う
少なくとも、総記が無標で、中立叙述が有標とは言わない
例えば、「太郎が転んだ」という文なら、中立叙述の方が無標の解釈で、総記のほうは有標の解釈なんだろう
しかし、中立叙述の「太郎が転んだ」と総記の「太郎が犯人だ」を比べたときに、
どちらが有標とか言えるかどうかは、よくわからない
603 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/12/18(日) 19:14:47
>>601 >>602 さっそくのレス、ありがとうございます。
これって、結構むずかしい問題なのでしょうか。言語学を専門として
勉強したことがないので、よく分からないのですが…。
>>601 さん、再質問させてください。
「中立叙述を強調」というのはづいうふうに理解すればいいのでしょう
か。「強調」されたとたん「中立叙述」でなくなる、ってことはない
のでしょうか。
からんでるみたいでスミマセン。でも、ほんとに、よく理解したいだけ
なんです。
「雨が降っている」という文は普通は中立叙述だが 「雨」の部分を強く言うと総記のような気がしないか? ↑が正しいとすると 総記のときは名詞句を強調した発音になる と 名詞句を強調するときに総記のニュアンスが出る との二つ解釈があるが、後者でないかと思うわけだ。
> 総記のときは名詞句を強調した発音になる > 名詞句を強調するときに総記のニュアンスが出る おんなじじゃねーの? 名詞句を強調すると総記になる(≒総記の意味を出すために名詞句を強調する)とすれば 総記のときには、名詞句は強調されてるはずだろ どっちが先とか後とかって話じゃないはず もっとも、それは総記の意味を出すために強調使わなきゃいけない文の場合の話だな 「雨が降っている」みたいな文は、無標では中立叙述の意味になるから 総記の意味を出すには、強調で標しをつけてやんなきゃいけない。 「太郎が犯人だ」みたいのは、普通、中立叙述の意味では解釈できないから 特に強調しなくても総記の意味になるだろうし、無標で総記って言ってもいいんじゃない?
>>605 では無標には総記と中立叙述の両方の場合があって
>>600 のように有標=中立叙述⇔無標=総記のような対立ではないということだろうか?
多分ね。 もっとも、有標、無標をどういう意味で使うかによるんじゃないかな 例えば (1)判断文では「は」が無標、「が」が有標 - 太郎は医者だ - 太郎が医者だ (2)現象文では「が」が無標、「は」が有標 - 雨が降っている - 雨は降っている (3)「雨が降っている」という文では、中立叙述の解釈が無標、総記の解釈が有標 (4)「太郎は医者だ」という文では、主題の解釈が無標、対比の解釈が有標 とか、いろんな使われ方をする語だからね
雹が降っている 雹が降っていない 雹は降っている 雹は降っていない
609 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/12/19(月) 06:02:33
610 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/12/19(月) 11:41:01
三号室にテレビはない 三号室にテレビがない 「が」だと、あるはずのテレビがない、というニュアンスが伴うように思うが これはなぜだろうか
611 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/12/19(月) 13:04:39
>>1 )判断文では「は」が無標、「が」が有標
>>- 太郎は医者だ
>>- 太郎が医者だ
>>(2)現象文では「が」が無標、「は」が有標
>>- 雨が降っている
>>- 雨は降っている
名詞文「〜だ」は「は」が無標、....
動詞文は「が」が無標、....
ということではないの?
名詞文だろうが動詞文だろうが 「太郎は医者だ」「人は死ぬ」なんて判断文は「は」であるのが普通だし 「主力選手がベンチウォーマーだ」(*1)「雨が降っている」なんて現象文は「が」であるのが普通だろう (*1)天野(1998), IN 日本語科学
「判断文」「現象文」が何であるかが結局不明。 「判断文」では「は」が「無標」、「現象文」では「が」が「無標」、 「は」が「無標」なのが「判断文」、「が」が「無標」なのが「現象文」、 と、見事に循環論に陥っている。
ん?判断文、現象文は日本語学ではよく知られた概念だろう? 判断文、現象文という区別は、モダリティや発話行為にも関係する概念だけど なじみがなければ、意味論上の総称文、個別文と関係する概念だと考えておけばいいよ > 「は」が「無標」なのが「判断文」、「が」が「無標」なのが「現象文」、 なんて一言もいってないし、「判断文」「現象文」は、「は」や「が」から定義される概念じゃないよ 勝手に循環論に作り変えないでもらいたいね
615 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/12/19(月) 15:26:59
ちょっと話がズレるが、「判断文」「現象文」ってのは国語学の用語?
それとも言語学?
612 は、学会通用語を用いているのだと思うので、それに対してイチャ
モンつける気は毛頭ないのだが(気を悪くしないでくれな
>>612 )、
それじゃ、「主力選手がベンチウォーマーだ」には判断が存在しないの
か?と、つっかかりたくなる。普遍判断だろうが特殊判断だろうが個別
判断だろうが判断が存在することには変わりないんで、普遍判断に対応
する文のみに「判断文」などという名称を用いるのはやめておいて欲し
い。不適切な命名であることを意識しながら読んでても、脳回が捻転起
こしそうになるぜ。くどいようだが612を責めているのではない。国語学
者だか言語学者だか知らないが、オレは、論理的に鈍感極まりない連中
の用語使用にキレているのだ。
判断文と現象文は下のような関係があるとします。 (有=有標、無=無標、判=判断文、現=現象文) 有 無 判 が は 現 は が そのとき、 ・判断文と現象文とには中間があるのか? ・有標の「が」はは必ず判断文になるのか? ・一般に「AはBである」の形の文が無標の判断文になるか有標の現象文になるかはどのように決まるのか? について意見をどうぞ↓
>>615 入れ違いになったが
>>614 で書いたとおり、日本語学(国語学)の用語だよ
出自は、資料が手元に無いので確認できないが、多分、三尾砂とかその辺かな
(人によっては、ほぼ同じ概念を、違う呼び方で呼ぶみたい)
ここでいう「判断」っていうのは、哲学的な意味での「判断」とは全然違うことだから
まあ文句つけてもしょうがないだろうね。
別に言語学と哲学で、哲学の方が用語法についてプライオリティがあるってわけでもないだろうし
判断文、現象文という言い方をしたのは、その方がここの住人にはなじみがあるだろうと
思ったからだよ。実際に考えているのは、普遍か個別か、もっというと
individual level predicateかstage level predicateかってことだよ
その辺と「は」「が」の関係については、白井(1985)『形式意味論入門』あたりで少しやられてるね
形式意味論とかでなくて、記述的なレベルでは、それ以前から(久野とか)言われてたことだけど
620 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/12/19(月) 17:53:13
スレの趣旨から多少外れるところのある発言なので、「判断文」「現象
文」という用語へのクレームに興味のない皆さんはスルーして下さい。
>>617 (=612=614)へ
>別に言語学と哲学で、哲学の方が用語法についてプライオリティがある
>ってわけでもないだろうし
そうなのだろうか?
「哲学 vs.国語学」という話に持って行こうという訳ではない。そうい
う問題の立て方がされるのを見れば、オレだって、「両者の役割が違う
だけ」で済ましてしまうだろう。問題にしたいのは、先に取り上げたよ
うな点で、学問の歴史性に鈍感であってはならない、ということだ。
「判断」なる語を国文法のなかで用いるならば、その語が学問史上どう
規定されてきたものなのかを検討するのは最低限の学問的倫理であり、
自らの常識的語使用の感覚のみにもとづいて学術語を提起するというの
では、後世にもたらし得る混乱に思慮を欠くという点で、無責任と咎め
られても仕方がないのではないか。いやしくも学説を立て、一家ならん
とする者であれば、自説の影響については細心の注意を払うべきだろう。
また、仮に現行の「判断文」の用語が三尾の発案によるものだとしても、
彼だけにその責を求められるものではない。用語の通用化を許した学的
共同体の質こそが疑われてしかるべきと考える。体系構築に関わろうと
いうのであれば、自らの発言が体系的視点から見て是とされるか非とさ
れるかは、最大の関心事であるべきだ。松下大三郎ならこの意見に頷い
てくれるのではないか。
>>617 がレスしてくれた親切に感謝する。
ある分野で「判断文」「現象文」でコンセンサスがとれてるんだったらそれでいいだろ なんでフヘンハンダンなんてよその分野の用語法にあわせにゃいかんのだ わけわかんないこといって、用語法を混乱させないでくれ
>>614 > 意味論上の総称文、個別文と関係する概念だと考えておけばいいよ
「太郎はもう帰ったよ」
@ 個別文・「現象文」であり、「現象文」において「有標」の「は」が用いられている。
A 個別文であるが、「は」が用いられているので、「判断文」。
通常の解釈はA。
〔一般に英語を話せない国民ばかりを集めたつもりだったが、調べてみると〕「おい、ケニア人が英語を話せるぞ」
@ 総称文・「判断文」であり、「判断文」において「有標」の「が」が用いられている。
A 総称文であるが、「が」が用いられているので、「現象文」。
通常の解釈はA。
>「判断文」「現象文」は、「は」や「が」から定義される概念じゃないよ
> 勝手に循環論に作り変えないでもらいたいね
それなら、上の例で、@の解釈をしてみろや。
>>615 >>620 あんたの直観が正しい。
>>622 言ってる意味がわからん。てか、あんまレスよく読んでないor理解してないだろ。
「太郎はもう帰ったよ」
判断文では「は」が用いられるのが普通とは言ったが、現象文で「は」が用いられないとは言ってないだろ。
「ケニア人が英語を話せるぞ」
これは普通に考えて、総記の「が」が用いられた判断文だと思うが。
つーか、Aが「通常の解釈」ってどういう意味だ?
「デフォルトの意味解釈」って意味じゃないよな。@とAは意味解釈の違いになってないし。
「一般的な分析のされ方」って意味か?
もしそうなら、既に書いたとおり
> 「は」が用いられているので、「判断文」
> 「が」が用いられているので、「現象文」
なんて誰もいってないし、またそんな定義でこれらの語を使ってる奴は誰もいないと思うけど?
キリンさんが好きです。でも象さんのほうはもっと好きです。 キリンさんは好きです。でも象さんのほうがもっと好きです。
>>623 >「太郎はもう帰ったよ」
> 判断文では「は」が用いられるのが普通とは言ったが、現象文で「は」が用いられないとは言ってないだろ。
このような文を「現象文」と解釈する学説を、一つでいいから挙げてごらん。
>「ケニア人が英語を話せるぞ」
> これは普通に考えて、総記の「が」が用いられた判断文だと思うが。
「#英語を話せるのはケニア人だぞ」が全然ダメだから、総記の「が」ではない。
> またそんな定義でこれらの語を使ってる奴は誰もいないと思うけど?
そんな定義で使ってない奴が誰もいない。いると言うなら連れて来てくれ (紹介せよの意)。
>>625 とりあえず人の質問に答えずに屁理屈こねるのはやめようぜ
こっちばっか答えるんじゃ馬鹿馬鹿しくなっちまう
それから、君は読解力がないというか、人の言ってることを曲解したり、
論理の飛躍をしたりする癖があるな。ちょっと屁理屈的に言わせて貰えば
> > 判断文では「は」が用いられるのが普通とは言ったが、現象文で「は」が用いられないとは言ってないだろ。
> このような文を「現象文」と解釈する学説を、一つでいいから挙げてごらん。
ここも、現象文では「は」が用いられないとは言っていないと言っただけで、
「太郎はもう帰ったよ」が現象文だとは一言も言ってないしな。ま、屁理屈返しなんだけどさ。
> 「#英語を話せるのはケニア人だぞ」が全然ダメだから、総記の「が」ではない。
これも、倒置可能性(あるいは分裂文化可能性)と総記の「が」の関係を明らかにしていないという点で
論理の飛躍だよね。おそらく、指定文と倒置指定文みたいなのを念頭においての発言だとは思うが、
指定文と倒置指定文が意味的に対応しているっていうのと、指定文が常に倒置可能であるっていうのは
全然別のことなんだよね。
> そんな定義で使ってない奴が誰もいない。いると言うなら連れて来てくれ
なんて小学生の喧嘩みたいなこと言ってないで、文句があるなら
そういう定義で使っている奴を連れてくりゃーいいじゃんよ。
なんで俺がお前のためにわざわざ「使ってない奴を連れてくる」なんてややこしいことしなきゃなんないのよ
まあ、苦言を呈させてもらうなら、君の発言は他のレスと比べて、いささかピンボケが過ぎると思うがね。
議論に最低限必要な共有知識が足りないとか、手続き的にものごとを考える技術が足りないとかいうのは
学習して身につければいいことだからいいんだけど、議論の際の態度には気をつけた方がいいな。
匿名の掲示板だから許されることだが、公的な論文とか発表とかで人の言ってること勝手に曲解して
難癖つけたりしてたら、社会的に相手にされなくなるからね。
君が研究者でなくて、一般の社会人だとしても、同じことだろうけどね。
>公的な論文とか発表とかで人の言ってること勝手に曲解して難癖つけたりしてたら、社会的に相手にされなくなるからね。 教授乙。
>>626 > とりあえず人の質問に答えずに屁理屈こねるのはやめようぜ
何か質問されたかな?
>「太郎はもう帰ったよ」が現象文だとは一言も言ってないしな。
そりゃ言えないだろう。「は」を含む文が「現象文」であり得るとする学説は、1 つもないのだから。
> これも、倒置可能性(あるいは分裂文化可能性)と総記の「が」の関係を明らかにしていないという点で
> 論理の飛躍だよね。
では、ある「が」が中立叙述か総記かを、どうやって判定するのだ? その「が」を一所懸命見つめるのか w
> 文句があるなら
> そういう定義で使っている奴を連れてくりゃーいいじゃんよ。
この種の問題を扱っている研究者の全員がそうだ。
> そりゃ言えないだろう。「は」を含む文が「現象文」であり得るとする学説は、1 つもないのだから。 うん。だから言ってないよね。で、君は何がいいたかったのかな? > では、ある「が」が中立叙述か総記かを、どうやって判定するのだ? その「が」を一所懸命見つめるのか w 上の例ぐらいだったら、外国人か、よほど言語感覚のずれたネイティブでもなければ、 特別なテストを用意しなくても、内省で区別できるだろう? 他に、前提を使ったテストなんかが考えられるけど、どういうテストを用意するにせよ テストって言うのは、結局は判定者の内省に依存するんだぜ。 > この種の問題を扱っている研究者の全員がそうだ。 だから、連れてこいよ (^∇^)アハハハハ! 三尾がそんなこと言ってるか? 永野は? 野田は?
>>629 > うん。だから言ってないよね。で、君は何がいいたかったのかな?
君は、「は」を含みながら「現象文」にあたる文を、1 つも挙げられない。
> 上の例ぐらいだったら、外国人か、よほど言語感覚のずれたネイティブでもなければ、
> 特別なテストを用意しなくても、内省で区別できるだろう?
内省で区別したものを見てわかるようにするテストを用意するのは、文法家の義務だ。
倒置した顕題文が成り立つか否かは、微妙な場合もあり万能とはいえないが、「が」が総記か否かを判定する有力なテストだ。
>>625 のように全然ダメな場合、その「が」は総記ではないと見て間違いない。
> 三尾がそんなこと言ってるか? 永野は? 野田は?
もちろん言っている。
----------------------------罵り禁止----------------------------------------
632 :
Mr.Moto :2005/12/23(金) 22:07:21
>>627 >> 公的な論文とか発表とかで人の言ってること勝手に曲解して難癖つけたりしてたら、
>> 社会的に相手にされなくなるからね。
> 教授乙。
何年か前に、大野晋先生に難癖つけてた馬鹿がいたがね(w
「我が家」「おらが春」なんかの“所属の「が」”(現在の「の」)と、
主格の体言に多く用いられる「は」「が」をごっちゃにした粗雑な
議論だったが、マスコミが(たまたまベストセラー作家になってしまって
数少ない「知名度の高い国文法の専門家」でもあった)大野先生に
噛み付きたかったらしく、なんやら議論っぽい扱いになっていた。
漏れは狭山裁判にからんでデモに参加し、横断幕持ちをやらされて
「鬼の六機」と激突したクチだが、別に大野先生の肩を持つ気は
さらさらない(特にタミル語起源説はどうかと思う)。
しかし、国語学みたいなマイナーな分野では、いいかげんな
発言が罷り通ることは実際多い(あげくマスコミが持ち上げたり
する)ので、馬鹿は徹底的に叩いたほうがいい、と思っている。
633 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2005/12/26(月) 12:12:53
「○○君のバカ」というやつかね。 これと関係ないかもしれないが、 英語の「Your Majesty」というのが「陛下」という呼びかけになるのが よく分からない。 「あなたの尊厳(?)」だよね。
>>633 高貴な人を直接呼ぶのが失礼だという感覚からその人の傍の何かを代わりに呼ぶ習慣。
日本語では似たようなので「(御)侍史」という呼び方がある。
635 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2006/01/12(木) 23:49:05
使い分ける意図
636 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2006/01/13(金) 04:33:14
陛下、殿下、閣下、机下、足下
これ何の書き込みテスト?
私がした 私がやった 私はした 私はやった 私はしてない 私はやってない 否定形は「は」しかない!不思議だ!
先生、太郎くんが歌っていません!!
640 :
訂正 :2006/01/24(火) 11:40:27
1私はやってない 2私がやってないと何故わかった? 3太郎君がやってません! 4車が動かない 自分を客観視する場合と、他者言及する場合と、物など人以外に言及する場合以外は、 否定形の「が」はない!
641 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2006/01/24(火) 11:59:57
ageろや 自分を客観視ってのはよく分からない概念だが 2は単に従属節だからって説明だけで十分な気がする 他者言及,物などってのは3と4のことなんだろうけど 「みんなくじは引きましたね」「俺がまだひいてないよ」とか自者,人でも言えそうなので 条件としては不十分ぽい
642 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2006/01/25(水) 12:46:22
従属節の省略という考え方が可能だろ? 1私がやったんじゃない! 2私がやったんじゃないということを信じてくれないのか? 従属節は説明として不十分 完全な説明がない以上、「自分を客観視」という曖昧な表現も致し方ない もちろん完全な説明があるのなら、それを出してもらえれば 「自分を客観視」という曖昧な表現を引っ込めよう
643 :
訂正 :2006/01/25(水) 13:41:07
この説明間違えてた! 従属節でいいです 「自分を客観視」は撤回する!
「わたしがやったんじゃない」は「わたしがやったんだ」の否定なのよ。 わかんないかな。
646 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2006/01/28(土) 09:29:42
「わたしがやった」の否定は「わたしはやってない」と「わたしがやったんじゃない」の 二通りあるんだよね。そいで、どっちにも「は」が入ってるんだよね。
647 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2006/01/28(土) 10:17:02
648 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2006/01/28(土) 10:45:24
「くじは俺がまだひいてないよ」は苦しいな
649 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2006/01/28(土) 11:03:03
阿部健二が修論もどきで・
>>648 「くじは」は省略されるほうが普通ということじゃないの?
>>641 の文脈で、「#俺がまだくじをひいてないよ」は、もっとおかしい。
「みんな準備できましたね」「俺がまだパラシュートを背負ってないよ」 とかならおkじゃね?
>>651 OK だと思う。「準備については」といった気分はあるのだが、それはもはや言語化されない。
だから、
>>638 のようなことはやはりいえない。
653 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2006/01/28(土) 14:50:34
「俺まだパラシュート背負ってない」、「俺はまだパラシュート背負ってない」、 「俺がまだパラシュート背負ってない」この三通りを考えなきゃいけないよ。 それと、「省略」を説明に持ち出す人は信用できない。
>>653 「俺がまだパラシュート背負ってない」が言える以上、
>>638 >>640 >>643 のような一般化はできない。
>「省略」を説明に持ち出す人は信用できない。
そんな無茶なこと言う人は文法とは無縁。あっち行ってなさい。
久野ワは『談話の文法』(1978、大修館書店) で、120頁も使って省略現象を論じている。
省略を論ずることと省略で説明をつけることとは違うんだがね。それがわからない人は あっち行ってなさい。
省略で説明する必要がないのなら、省略を論ずる必要もない。屁理屈言う人はあっち行ってなさい。
横レス...
俺も『談話の文法』持ってるくちだが、
>>655 の言いたいことはよくわかる
ないものをあると仮定するアプローチは、気をつけないと、説明力が強すぎるっつーか
何でも言えてしまって、その妥当性を検証できないという危険が常につきまとう
一時期の生成みたいに、やたらめったら目に見えない機能範疇つくりまくって
ごちゃごちゃした統語構造想定するのに嫌気がさした奴も少なくないだろ
だから「本来あるものが省略される」というよりは、「いらないからはじめからつけない」
と考える方が、健全と言えば健全だと思う(どっちもおんなじな気もするけど)
もちろん、なんでいらないのかを研究することは有意義だと思うよ
まあその話が今やってる話の本筋と関係してるかどうか知らんが
>>653 みたいに省略を全否定したら、どうして要素がないのに意味がわかるのかについて、
本来あると仮定するより、はるかに複雑な説明が必要になるだろう。
>>658 それはね、文文法にしばられた考え方だと思うんよ
文内の要素が文の意味を決定すると考えるから
文内にあるはずの要素が省略されてるんだって考えるんでしょ
談話文法って、多分そういう考え方じゃないと思うんね
勿論、談話とか語用論とか、体系立てて説明しようとすると
文文法だけを考えているときよりも複雑になるかも知れんけどね
文文法にしばられているほうが説明力が大きいからこそ、しばられてるんだが? それを無視したら複雑どころか、何も説明できないだろう。機械翻訳など全く不可能だ。
>>660 > 文文法にしばられているほうが説明力が大きいからこそ
それは違うと思うぞ
文-文法だけでは説明できないことがあるから、語用論や談話理論が研究されるんじゃないか?
それは文-文法を無視するということではなく、文-文法で扱えないところを補おうということさ。
実際、文-文法だけで全てを解決しようとすれば、やはり限界があるんじゃないかな。
機械翻訳だって、文脈理解ができなきゃ、逐次翻訳から先に進むのは難しいんじゃなかろうか。
>>661 > それは違うと思うぞ
> 文-文法だけでは説明できないことがあるから
説明できないことはない、などと言った覚えはないな。
> それは文-文法を無視するということではなく、文-文法で扱えないところを補おうということさ。
>>653 は無視しようとしているな。文文法で扱えるところは、文文法にしばられるのは当然だろう。
> 機械翻訳だって、文脈理解ができなきゃ、逐次翻訳から先に進むのは難しいんじゃなかろうか。
構文分析ができなきゃ、1 歩もスタートできないんだが。
>>662 まあもちつけ
> 説明できないことはない、などと言った覚えはないな。
説明できないことはない、とおまえが言ってる、などど言った覚えはないぞ
俺がいったのは「文-文法にしばられている」(文-文法だけで考える、という意味ね)の方が
説明力が大きい、とは言えなかろう、ということだけだ
> 文文法で扱えるところは、文文法にしばられるのは当然だろう。
というのは、俺がいった「しばられる」の意味を誤解して捉えているよ
おまえが上の文で言いたいのは、(談話論的なことを論じるにせよ)文-文法の原理・原則を
踏まえるのは当然のことだ、ということだろう
俺はそのことを「しばられる」と言ってるんじゃないし、それは俺も当然のことと思うよ
>
>>653 は無視しようとしているな。
うーん、これはどうだろう。曲解じゃないかな。
>>655 を見る限り、
>>653 が省略を全否定とか、文-文法を全否定しようとしているようには
見えないけどな
>>653 がいいたいのは、
>>657 で俺も書いたけど、省略で何かを説明するのは説明力が強すぎて
確かめようの無い(というか何でもありな)説明になっちゃうこともしばしばだから
むやみに使うなってことだけだと思うんだけどな
> 構文分析ができなきゃ、1 歩もスタートできないんだが。
これはもういいよな
文-文法を否定しているわけじゃないし、構文分析ができることを前提として、の話なんだから。
>>663 > 説明できないことはない、とおまえが言ってる、などど言った覚えはないぞ
違う。
>>658 が、特定の言語現象について、「文文法で説明したほうが効率的
だ」という趣旨を述べたのに対して、
>>659 は「それは文文法にしばられてい
る」と言った。
>>660 が「しばられてるほうがうまくいくからしばられてるの
だ」と言ったのに対して、
>>661 は「文文法だけでは説明できない現象がある
じゃないか」と言った。つまり、
>>659 =
>>661 は、「
>>658 =
>>660 は『あら
ゆる言語現象が文文法だけで説明できる』と言っている」と、明らかに言って
いる。
> 俺がいったのは「文-文法にしばられている」(文-文法だけで考える、という意味ね)の方が
> 説明力が大きい、とは言えなかろう、ということだけだ
特定の言語現象については、文文法だけで考えたほうが、説明力が大きい。
>>664 >
>>655 を見る限り、
>>653 が省略を全否定とか、文-文法を全否定しようとしているようには
> 見えないけどな
「「省略」を説明に持ち出す人は信用できない」(
>>653 ) は、どう見ても省略
を全否定している。
>>655 に従えば、「「省略」を説明に持ち出す人は信用で
きない」と主張するために、久野は省略を論じたことになる。
> 文-文法を否定しているわけじゃないし、構文分析ができることを前提として、の話なんだから。
省略を説明に持ち出す人が信用されなければ、自動的に文文法は否定され、構
文分析は不可能となるだろう。
('A`) ハァー… よくいる、反論すること自体が目的になっちゃって アウフヘーベンする気のない人なのね 不毛だからもう何も言いません
>>638 のような、文文法における一般化が示されたから、それは本当かというので「追試」が行われ、一般化としては不十分であることがわかった。
そこで、撤回・破棄するのか、文文法の中でさらに修正するのか、それとも、
文文法において一般化はできないが、やはり多くの場合「?私がやってない」が不自然になるのは事実だから、それはなぜかと探るか (それこそが談話文法の仕事だと思うが) だろう。
アウフヘーベンを拒否したのは、「信用できない」と決めつけた
>>653 ではないか。いいかげんにしろ。
669 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2006/01/29(日) 22:32:28
「が」は「AがB」となったときにAのほうに焦点があって 強調のニュアンスが新情報になっている「〜しない」の部分と衝突するから非文になる、 と自分でもよく分からないことを言ってみるテスト。 (誰がしないのか?私がしない、という文で「が」が使えるのは「〜しない」が一度出てきて旧情報だから)
670 :
Mr.Moto :2006/01/29(日) 22:35:36
漏れは 「やってない」は「やっていない」の省略だとか、 「持ってく」は「持ってゆく」の省略だとか、 「取っとく」は「取っておく」の省略だとか言ってるから 信用されないのかもしれない。 ……ともあれ、“省略されていることが自明と感じられる”かどうかは 人によりけりだと思うし、その感覚が双方でかけ離れている場合、 (「省略」を持ち出す相手を)「信用できない」と感じるのは当然だと 思うが? 省略は語用論にも関わる問題であり、地域や年齢層、文化の差によって かなり感覚が異なることもある。また、「省略された形」が、元の形が 意識されないまま独立した語として定着しているケースもある。 さらに、「省略」を持出すと大抵のことは説明されてしまうので、 安易な印象があるのも事実。省略を説明に使う以上、自分が 信用されない、あるいは信用されがたいことについては、相応の 覚悟が必要であると思われ。 同時に、「自分は安易な説明に逃げていないか?」という反省をこめて、 「自分を信用しない」という態度は養っておいたほうがいいと思われ。
671 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2006/01/29(日) 23:33:08
>>669 でも述語が新情報になってて衝突するからってだけなら
肯定も否定も事情は同じでない?
>>670 > 信用されないのかもしれない。
前者が単独で意味不明になることはないから、省略ではないね。
>“省略されていることが自明と感じられる”かどうかは
> 人によりけりだと思うし
>「省略」を持出すと大抵のことは説明されてしまうので
そんな何でもアリのものではないよ。
(1)
A1: あっ、忘れてた。
B: 何を?
A2: a. 俺がまだくじをひいてない。
b. #俺がまだひいてない。
(2)
A: みんなくじは引きましたね?
B: 俺がまだひいてないよ。
(2A) への答としての (2B) には、なんら不自然さがない。他方、(1B)
への答としての (1A2)b は、完全に不適格な文である。この事実は、
(2B) を省略文と仮定すれば、容易に説明できる。すなわち、ヒクは、
省略文では、「○○ヲ」も「○○ハ」も伴わないで用いられうるが、完
全文では、「○○ヲ」または「○○ハ」なしで用いられない。他方、こ
の事実は、(2B) を完全文と見なす仮説では、説明が困難である。なぜ
なら、その仮説では、同じ完全文である (1A2)b が、どうして (1B) へ
の答として不適格なのかの説明が困難だからである。
673 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2006/01/30(月) 01:24:01
恋人が「アレが無いの」と逝った場合 話の重点は「無いの」の方にあるのは明らかだ。 「アレ」は既知の事柄。
「みんなくじは引きましたね?」に対して 「俺がまだひいてないよ」、って不自然じゃないか? 「俺はまだひいてないよ」、の方が自然のような。対比の「は」だけど。
>>672 だが、こういう粘り腰もできるんじゃないか?
一般に、他動詞はヲ格の要素を必須的に取るとされているが、
しかし文脈などの情報によって、それが解釈可能であるならば
(2B)のように、ヲ格は”はじめからつけなくてもよい”
このとき、(2B)にはヲ格が存在するが、それは省略されており
表面上は現れない、と考えても、同じことを説明することができ
るが、敢えて「目に見えない要素」を想定しておく必要はない。
主題の「は」についても同様である。(2A)の「くじは」は、ピリオドを
越えて(2B)の文にもかかっているのであり、(2B)の文の中に
あらためてもうひとつの目に見えない「くじは」を想定する必要は
ない。
...これは反論の(検証のための)ひとつのモデルケースであって、
必ずしも俺個人の考え方とは一致しない、ということを断っておく
>>674 どっちも言える。この場合の「みんな」は「が」も「は」も付けられない特殊な要素で、答えるときは「俺が」も「俺は」も使える。
>>675 > しかし文脈などの情報によって、それが解釈可能であるならば
> (2B)のように、ヲ格は”はじめからつけなくてもよい”
裏返して言えば、解釈不可能な場合は、ヲ格を付けなければならない。
もともとはない要素だとすれば、どうして解釈不可能な場合が生じるのかを説明することは、非常に難しいだろう。
> (2A)の「くじは」は、ピリオドを
> 越えて(2B)の文にもかかっているのであり、(2B)の文の中に
> あらためてもうひとつの目に見えない「くじは」を想定する必要はない。
「A: みんなこのくじはひきましたね?」に対しても、「B: 俺がまだひいてないよ」と答えることができる。
A の「このくじは」が、ピリオド (疑問符?) を越えて B の文にもかかっているとすると、話者 A の立場からしたダイクティクな表現が、他の話者 B の発した文にかかることになり、おかしい。
「B: (そのくじは) 俺がまだひいてないよ」の「そのくじは」が省略されていると見たほうがよい。
もし、ダイクシスがかかわらないときのみ「は」のピリオド越えが起こるのだと考えるなら、かえって説明が複雑化する。
おまいさんはもう少し会話分析かメンタル・スペース理論あたりの考え方を 体系的に学んだ方がいいと思うんだな。 やっぱ文-文法やるにしても周辺領域の知識があったほうが文-文法全体の 見通しがよくなるだろうし、道具はいっぱいあるに越したことないんだな。 あと反証可能性とかあたりの科学哲学かな。
私は記述屋だから、簡潔な記述に役立つものなら、何でも使わせてもらうけど、説明を余計に複雑にするような道具は要らないよ。 省略現象自体が、文文法を基礎としつつも、根本的には、談話文法上の問題だ。 省略の仮定は、しかるべき手続きを取ったうえで、あくまでも簡潔な説明のために行われる。 当該の文だけを眺めた印象に基づいているとか、何とでも説明できて反証不能だとかいうのは、大誤解なんだよ。
月がのぼるし♪日がしず〜む〜