801 :
798 :
2006/04/10(月) 22:23:29 サンクスです。こさかなさん。 むかしフレーゲの「『存在する』は二階の述語だ」という言葉を読んだときは 「なに言ってんだ? おれは存在する、というときの『存在する』は、一階に決まってるんじゃないの」と違和感バリバリだったけど、 論理式で書くと、なんか量化子が命題の集合を入力とるように見えてきて、段々違和感がうすれてくんだよね。 うーん、量化子マジック。
フレーゲテラエラスwwww
>801さん 上でオントロジストとしてのラッセルに詳しい方がいたんですけど、量化の理論でみると 「存在」というのが様々な個体と同じ地位でないことがわかりやすいような気が しますね。でもその方の話だと、ラッセルはタイプフリーな理論を目指していたとも いうし・・・ 違和感が薄れていって、その後もういっかい「あの違和感はなんだったんだ」って 考えるのって大事なのかも、ですね。 ところで「違和感」と「義和団」って、なんか似てますね。
804 :
798 :2006/04/18(火) 01:04:19
>違和感が薄れていって、その後もういっかい「あの違和感はなんだったんだ」って >考えるのって大事なのかも、 そうっすね。初期のラッセルって、述語に対応する怪しげな存在者も想定しいたわけですよね。 そうすると、当然「存在する」という述語の存在者もあって、しかもそれが他の存在者と同じレベルに フラットに並ぶ、て感じの世界を考えてたわけですねよ。これをタイプフリーって言うのかな。便利な言葉だ。 まあ色々と問題は噴出する世界観だけど、(発想のスケールがでかいのに驚かなければ)直観的にはごく理解しやすいと思うんです。 でも、数ある述語の中で何で「存在する」だけが特別な、オーダーが上の述語になっちまうんだろう? というのが、若き俺が感じた違和感だったわけです。 この疑問に対して「そう考えた方がうまくいくからだ」という天下り式以外の根拠を、俺は聞いたことないんです。 フレーゲの証明がまさにそんなのでした。それはそれで見事なんですけどね。 不勉強なだけという可能性も高いんですけど、なんか意味論の側から上手い説明を与える根拠ってあります?
>なんか意味論の側から上手い説明を与える根拠ってあります? うーん、いつもながら弁明からはじめちゃうんですけど、私も不勉強で。 以下は話半分ということで。 「存在しない」だとフレーゲの話ってすんなり理解できるんじゃないかと思うんですが、 どうでしょう。「存在する」はあくまで「存在しない」に対応するものとして理解すると これもフレーゲの話は理解しやすいと思います。これはフレーゲが数学を 進めるための明確な言語を切り出そうとした、というところに着目していると 言っていいのではないかと思います。 しかしこの場合の「存在する」とは関係ない「存在」という語があって、 哲学ではこちらの方が伝統的に関心のあることだったのではないかと思います。 モノやコトの本質、みたいな話で。ただし、論証の中で二つの「存在する」が ごっちゃにされることがあったのではないでしょうか。論理学の進展は 哲学的にはこの混乱を快刀乱麻したという功績もあると思います。 そしてラッセルが本業(?)として存在論をやるとき、その「存在」というのは 哲学の伝統ではむしろよく論じられていたほうの「存在」ではないかと思います。 そして後期ラッセルはこちらについて「中性一元論」を提示したのではないでしょうか。 ところで798さんはDavidsonは興味がありますか?私はよく理解していないんですけど、 今問題にしているような存在論、そしてことばの問題についていろんな問いを投げかけた 哲学者みたいなんですけど(腑に落ちるような解決というのは与えてないと 思うんですけど。Russellとの違いと言えるのかも、ですね)。
806 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2006/05/11(木) 22:56:24
individual-levelの話で疑問があるんですが、NPは絶対individual-levelなんすか? *There is a girl an advocate of Arb Unity. がダメなのは、an advocate of Arb Unityがindividual-levelだかららしいんすが、 best-sellerって別に、内的・永続的性質じゃないと思うんすけど。 明日になったらadvocate辞めてるかもしれんじゃないすか。
808 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2006/05/12(金) 09:30:14
>>807 さん
すいません。
individual-levelの話で疑問があるんですが、NPは絶対individual-levelなんすか?
*There is a girl an advocate of Arab Unity.
がダメなのは、an advocate of Arab Unityがindividual-levelだかららしいんすが、
an advocate of Arab Unityって別に、内的・永続的性質じゃないと思うんすけど。
明日になったらadvocate辞めてるかもしれんじゃないすか。
んー多分、individual levelって厳密に普遍的ってことではないんじゃないかな 例えば (1) 恐竜はケルプを食べる。 (2) 恐竜がケルプを食べている。 だと、前者がindividual level predicateで後者がstage level predicateなんだろうけど (3) 恐竜はケルプを食べた。 がどっちかというと、やっぱり(2)よりは(1)に近いと思うんだよね。時制ついてるけど。 individual levelってのは非個別場面的というか、ある種の普遍化、抽象化がはいってるとは思うけど どの程度のレベルで普遍化されるかというか、そういうのは割と認知的で相対的な問題なんじゃないかな で、NPが一般にindividualかどうかって点については知らね
810 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2006/05/12(金) 23:37:33
>>809 さん
レスありがとうです。
おっしゃることわかります。(3)は文脈で変りそうすね。
NPの場合のことを誰か教えてチョ。
NPにもstage/individualの区別がある、って話なかったっけ? 詳しくは知りませんけど。
でも述語にindividual level predicateとstage level predicateがあって 名詞にもindividualとstageがあるってのは なんかあんまり美しくなさそうじゃない?
なんで? NPは述部を構成できるし、 NPの内部にも述部的な要素がそもそもあるのでは?
だってNPも述語もindividualとstageがあるんじゃ 「SはP」っていう文は、Sが二通り、Pが二通りの解釈ができるんだから 都合4通りの解釈ができるはずってことになるんだろ そんなに解釈のバリエーションのある文ってあるか? ちょっと思いつかないけど
>>814 >そんなに解釈のバリエーションのある文ってあるか?
統語的には生成されるが人間には感じることが出来ない・意味をなさない意味の差があるんだよ。語用論的に排除されているだけで。嘘w
816 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2006/06/20(火) 18:23:17
言語哲学における意味論と言語学の意味論の違いが わからん。だれか教えろください
>816 たぶん、言語学の意味論ではそんなことないけど、言語哲学の意味論では、その結果が 存在論や認識論に影響を与える、っていうところではないでしょうか。言語学の意味論も 影響を与える(たとえばソシュールとか)けど、もともとそれを目指してはいない、という ところが違いといえばいえると思います。
論理学畑から来た人と話をすると なんか意味をただしく記述できて、推論とかがちゃんとできるのが重要であって とにかく意味が通りさえすれば、式が複雑になることには無頓着だったり もとの自然言語の文との関係がどうなってるかとかはあんまり気にしなかったり という雰囲気を感じることがある 世界との関係を重視するのが哲学者や論理学者で 言語や認知との関係を重視するのが言語学者なんじゃないかな 俺の誤解かも知れんけど
あ〜、答えてくれてども。 上の方でデヴィッドソンとかラッセルとか出てきてるのが、 不思議だったんだよね。普通言語学者(とか言語学の講義) ってこの手の人たちの名前出さない傾向があると思うんで。
なことはない
ほんと、んなことはない。 ラッセルぐらいは普通にでてきますよ。 「言語学ではラッセルなんて関係ないですね」なんて言語学概論をやっているような人がいたら もぐりたたきをしてください。
ほんとですか?私が取ったことのある(だいぶ昔の話になりますが) 言語学という講義ではソシュールからそのままチョムスキーの話で 終わってました。あと、ヤコブソンとか出てきてたような? その講義では哲学者の名前はまったく出ませんでした。
>>822 言語学の入門では出てこない
統語論でも音韻論でも形態論でも出てこない
意味論の場合でも、アプローチの仕方によってはまったく出てこない
語用論の場合は、逆にグライスとかオースティンとか出てくる
確かに学部の入門講座なら ソシュール→マルティネ(二重文節)→ヤコブソン(構造主義)→チョム とかありそうなパターン 言語学でラッセルとかでてくる分野はやはり限られる 意味論でも、形式意味論とかちゃんとやらないで 記述とか認知とかだけやる講座だとでてこないかも知れない 論理学の基礎からちゃんと教えてくれる講座なら フレーゲ、ラッセル、モンタギューぐらいは出てくるだろう。 デヴィッドソンは入門ではでてこないかも知れないが イベント論理とかは言語学の方でもよく使われる。
イベント使えば皆、デヴィッドソニアンって言われるからなw
イベント、というか、event argumentっしょ? みんなOn Semanticsがわるいのさ。
827 :
ぴよぴよ :2006/07/19(水) 18:15:32
いきなり、お邪魔いたします。 Choice functionについてですが、Reinhartの言っている Choice Functionって、何のためにあるの??? それに、"Some NP"だけでなく、"a NP"にも適用されるのかな? 生成文法スレから来ました。
>>827 詳細は覚えてないけど
Reinhartがchoice functionを導入した理由は
indefiniteのspecificな読みと
multiple wh-questionのある特定の読み(よく覚えてない)を
説明するためだったと思う。
だから、some Nだけじゃなくて、a Nもtwo Nsもthree Nsも・・・
indefiniteといわれるNPにはspecificの読みを説明するために全部適用されるはず。
829 :
ぴよぴよ :2006/07/19(水) 23:33:08
>>828 レス、ありがとうございます。助かりました。
つまり、a Nでも、[Every N .... a N]などのときに、
a Nが広いスコープを取るようなときに、
使える関数だと言うことかな?
>>829 単に広いスコープをとるならQRやらタイプシフトやらいろいろ方法があるわけで
choice functionを使うのはいろいろな条件のもとQRやらタイプシフトを使っているとは思えない場所で
indefiniteやwh-in situの広いスコープのような読みが出る時に使われる。
どのような条件かは論文に書いてあると思うけど。
>830 論文、ってL&PのLabor Divisionですか?ひっぱりだしてもいっかいよんでみよ。 面白そうですね。indefiniteのwild-wide scopeについてですよね。 私は頭が単純なので「指示的だから」と思っちゃう傾向があるのですが、 Reinhartはたしかそれじゃあだめだ、ってデータも出してたんですよね。 よくfunctionalと言われる解釈は、relationalでいいんじゃないか、と思ってて、 もともとそれを言い出したなんとかって人はrelationalって言ってたと思う。 でもChierciaがfunctionalっていってからみんなfunctionalって言ってたと思うんですけど、 Reinhartはまさにaxiom of choiceに関わるようなことを言ってるんですね。
大昔にここでなんか書いたことがある気がする・・・ 関係ありそうなこととして、論理学で、全称量化子が存在量化子より広い作用域の時に存在量化子を消去するSkolem化という のがあるんでずが、興味があったら自分で勉強してみてください。 choice functionについては、もし条件が定められるとしたらすごい。数学者はaxiom of choiceを 便利だから使っているけど、現在否定も肯定もされていない公理。言語に制限してなんらかの 条件が定められるとしたら、人間の頭の仕組みになんかすごいことを言っているのかもしれない。
>こさかなさん ぶしつけに素朴な疑問すいません。素人です。 言語学に選択公理(axiom of choice)って関係するんですか? ということは、何かしら集合論的なアプローチをしてるんでしょうか。
833さん お返事おくれて、ごめんなさい、です。 まず、Bourbakiによる数学の公理主義的アプローチをご存知かとおもいます。 言語学で、Montagueという論理学者が数学的構造をいじっていくと自然言語の構造にちかずけるよーん、 ということをやり、そこから形式意味論が生まれました。形式意味論では、基本の「ことば」は 集合論です。集合論を知らざるもの、この門を通るべからず、です。 数学が集合論で書かれるように、言語学が集合論で書かれる、という、そんな分野があるのです。 おもしろかろ?
テスト
836 :
833 :2006/09/02(土) 23:42:16
ありがとうございます。>こさかなさん おもしろいです。 言語(その一部?)を集合として記述する、ということですか。 うーん、そういう分野があるとは知りませんでした。
言語学にそれほど詳しくない人も含めてお聞きしたいのですが。 1. Three students found a book. という文には、 (i) 3人の学生が別々に、つまり合計で3冊の本を見つけた。 という意味と (ii) 3人の学生が同時に、1冊、つまり合計でも1冊の本を見つけた。 という意味の2つがあると言われていますが。 2. 学生が3人道で本を見つけた 3. 学生が道で3人本を見つけた の2つの日本語だと、解釈どうですか?2つとも出るか、もしくはどっちかしか出ないか分かりますかね? あえて、文献ではどの解釈をすることになっているか(?)は書かないでおきます。生の情報おながい!
2の文だと、3人>本。3の文だと、本>3人、といった感じでしょうか。
839 :
837 :2006/10/10(火) 17:38:55
>>838 さん
ありがとうございました。(他のレス待ってたんですが)
某文献だと(2)にはi, iiの両方、(3)はiiだって判断で議論が進んでいる
んですが、私も(3)はiがdominantなんですよねー。
その著者と年齢は10歳も違わないですし、地方も同じなので方言差だとか
世代差は関係ないと思うのですが。
ジャッジの問題ってややこしいですね。
単純な例なんかだといいのですが、複雑になるともはや処理しきれなくなるので、
有名人のジャッジに合わせて議論を組み立てているのが実情ですね。
しかも、ある程度実績残している人たちになると自分のジャッジに自信を持っている
ので、違う判断で議論を進めると際物扱いされちゃいますしね。
理論がしっかりしていれば、ある程度ジャッジはどうでもいいやと思いつつ、経験科学
なんだから、せめて自分の直感だけには沿うようにしたいというジレンマ。
うーん、私は >某文献だと(2)にはi, iiの両方、(3)はiiだって判断で議論が進んでいる という、そのジャッジに同意しますねー >私も(3)はiがdominantなんですよねー。 私はこれはないです。なんでだろ。 私は量化子が浮遊してもi,iiの両方があるもんだとてっきり思い込んでいたので、 837さんのような判断になってもいいかな、と思ったのですが、ちょっと意外です、自分で。 多分、Iさんとかの定性効果とかの話?有名人のジャッジに合わせる、っていうことは厳にいましめないと いけないことだと思うんですけど、でも著者本人の判断だけ、ってことはないと思いますよ。 有名人の中には、自分の判断を使われる、というか、ある議論の根拠を自分の判断に帰せられる (論文ちゃんと読まないで例文だけみたりとか)のをいやがって、容認性判断をつけない人も いますね。 majorityと違う判断だったら確かに際もの扱い、というよりも信用されない可能性は高いですけど、 「この条件下でははっきりこの判断がでるし、再実験でもおなじ判断がでる」と言えれば、 それは新たな切り口になるはずですよ。 「自分の直観だけには沿いたい」って気持ちもわからなくはないですけど、ドグマティカーへの 危険もひそんでいると思いますよー研究者じゃないけど偉そうなこと言っちゃってごめんなさい。
majorityと違う判断だったら確かに際もの扱い、というよりも信用されない可能性は高いですけど、 「この条件下でははっきりこの判断がでるし、再実験でもおなじ判断がでる」と言えれば、 それは新たな切り口になるはずですよ。 「自分の直観だけには沿いたい」って気持ちもわからなくはないですけど、ドグマティカーへの 危険もひそんでいると思いますよー研究者じゃないけど偉そうなこと言っちゃってごめんなさい この二つって微妙に矛盾しているよな。上は創見を重んじ下は踏襲を重んずると。
ほれ。もう一声。 煽ってくだされ。
一声はなかったか。ではお返事。 踏襲なくして創見なし。 以上。
>>843 後出しジャンケンですまんが、
>踏襲なくして創見なし って微妙に成り立つかどうかあやしいよな。
あとだしにあとだしですまんが >844 「踏襲なくして創見なし って成り立つかどうか微妙にあやしいよな」って意味をなす命題か 微妙にあやしいよな
踏襲とは、旧説を正しいと認めること。創見とは、新説を立てること。 旧説を正しいとしているのならば新説を立てる必要はなく、新説を立てるのは旧説に何らかの問題が残っているから。やはり対立しているな。 故きを温めて新しきを知るという意味で言っているともいえるが、 それは若けーもんがいっちょまえに大家に意見しようなんざ3650日速えーんだよというありふれた罵倒を和らげただけだしな。
>やはり対立しているな。 ならばなぜに「微妙に」なの?「するどく対立する」とか「矛盾する」と言うべきではないかな? いや、先に私の言葉遣いが変だったことをお詫びすべきかもしれない。その上で話を進めよう。 「踏襲」は、『広辞苑』によると「前人のあとをそのまま受けつぐこと」、『新版国語辞典』(講談社学術文庫)によると 「前の人の方法・説などを受けついで、そのとおりにすること」とある。ここに「仮令誤っていても」という意味も あるとするならば>846氏の言う通りだ。私の語感はこの意味を持っていなかった。そしてそれが 一般的なのか、今もわからない。もし一般的なら私の言葉遣いの不備だ。すまぬ。 >故きを温めて新しきを知るという意味で言っているともいえるが あなたの言う、これが私の意図だ。 >それは若けーもんがいっちょまえに大家に意見しようなんざ3650日速えーんだよというありふれた罵倒 これは全く念頭になかった。「なぜその判断が一般的で、私の判断とは違うのか」というのは 重要な設問だし、それは最近の、疑問文の解釈に関する音調の関与の研究はもしかしてこのような ところから出てきたのではないだろうか。 しかしそこでは、従来の説を全く無意味、と却下するのではなく、その説を指示する判断が 出た源泉をしめし、周りを説得せしめたうえで新たな説を展開した。 それが、「私の直観にあわない、どうするか、私の直観に合った形で研究を進めたい」という だけでは前進はない。そこから先に進むため、dogmaticになる危険性(多分、おおくの人にとって 誘惑だと思う)だけを指摘した。 >それは若けーもんがいっちょまえに大家に意見しようなんざ3650日速えーんだよというありふれた罵倒を和らげただけだしな。 と受けとられたなら悲しい。
841氏が単に揚げ足取りを楽しんでいるとしたらもっと悲しい。それは >それは若けーもんがいっちょまえに大家に意見しようなんざ3650日速えーんだよというありふれた罵倒 よりも、「若けーもん」をencourageしようとする人を凹ませると思う。 まあ、世の中なんてそんなもんだろうしな。「なんか言えば、揚げ足とられるから、やめとけ」 みたいな。 くやしいから最後に揚げ足取りをして終わる。 >3650日速えーんだよ 「早えーんだよ」が正しかろう
849 :
846 :2006/10/18(水) 22:34:51
いやいや全く言葉を悪いニュアンスで悪い癖だな。申し訳ない。 従来の研究の成果を受け入れてその上に新しいものを積み重ねるべきというのが学風の正道だが 実際にはそれで芽がつまれることもあるだろうとつまらぬ慢言を吐いたのだ。申し訳ない。
いやいや、こちらこそ、いい大人がすねた文言を連ね、つまらぬことをさらしてしまった。 こちらこそ申し訳ない。 学風の王道を踏まえ、その上で創造的な知見をもたらす可能性を多いに鼓舞しようではないですか。
せっかくなので、少し量化に関わる要素と地域方言との関わりの可能性について私の経験をお話し、 少し敷衍しようと思います。 ある量化子の作用域に関して、ある地域の出身者には明確な判断があり、別の地域の出身者には よく判断できない、という結果を得たことがありました。統計的なことはやってないですが、 もしやれば有意な差が得られたのではないかと思います。 これに関わる話をある方にお話したところ、そのような深いレベルの判断に関して方言差のような ものがあるとは考えにくい、という意見をうかがいました。 その方のお話は納得できるものです。しかしそれでは実際に見られた判断の偏りはどのような質のものなのか 不明なままです。そして判断の偏りが方言差に還元できるものかすら、明確ではありませんから、 null hypothesisとしては「偏りは見かけ上のものにすぎない」とするのが定石でしょう。 しかし言語間で量化の表し分けが異なる、ということもよく知られていることです。同一言語の 方言でも、最近知ったことですが、標準語化の影響をあまり受けていないと考えられる生え抜きの 話者に、wh要素がそれを認可する要素なしに存在表現のように使われる独話資料に触れました。 韓国語ではこのような統語構造を持つことがよく知られていますが、方言間でもmainstream japaneseと あるdialectの間にそのようなことが本当にあるのでしょうか。 ちょっとまとまりのない話ですが、他に出身地域の別で量化解釈の違いに触れたことのあるかたは いらっしゃるでしょうか。そしてもしそのようなことがあるとしたら、それは統語的な問題なのか、 それとも、ちょっと考えにくいのですが、論理構造あるいは意味構造での問題なのか、詳しい方が いたらうかがってみたいです。
たわごとなので読み流してくだサイ(はーと 『のだめカンタービレ』の第16巻はもう買われましたよね?(なわけねーか) そこに、音楽とはかつてなんであったか、という話が書いてあります。 かつて、神の作りたもうた世界を理解するための四つの学問(クアドラなんとか)があり、幾何学、数論、天文学、 そして音楽。もちろん、これに修辞学としての論理学も加わりますが・・・ 言語学の一分野としての意味論を考えると、言語への従属から離れることはできない、って 窮屈さを感じますが、形式意味論というのは実はまったくそんなことはなくて、それを記述する言葉が 数学なので、すぐに広い世界と結びつくような気がします。音楽にも・・・ 音楽すれに書くような話題かもしれませんが、こちらに書きマシタ(むきゃ 追伸:『のだめ〜』ドラマ化、むかつく
ぎゃぼー。
854 :
仇鱒 :2006/10/23(月) 18:21:14
念のためこっちにもコピペ(スレ<11>に書いたわしのカキコ): 98 :仇鱒 :2006/10/23(月) 18:18:13 をい、生成スレ<25>が容量いっぱいで書き込めないわ。 誰か新スレ立てて栗。
855 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2006/10/28(土) 04:03:28
モンタギュ意味論やりたいんですえけど、どこの大学行けばいいのか わかりません。誰か教えてください。
>855 数学を専門にしなされ
860 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2006/10/29(日) 01:21:50
>>858 >>859 東大にいっても 上野 善道 / 熊本 裕 / 林 徹 / 西村 義樹
これらの先生がモンタギュやってるようには思えないんですが。
???
864 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2006/11/02(木) 05:06:35
865 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2006/11/07(火) 06:07:47
ぷ
何度やっても意味論と語用論の違いがしっくりこない
授業では(ブーイングの嵐だった)、「文以下の意味を扱うのが意味論、文より大きい単位の意味を扱うのが 語用論」と言っといた。
例えば、疑問文をとりあげると、Emmon Bachの説では、疑問文の意味は 「可能な答えの集合」。しかしご存知のように日常言語学派では疑問文を 真か偽か問えない文として、それが及ぼす影響について考えてperlocutionary actとか 考えた訳です。「あなた、誰?」といえば、{(私は)こさかなです, さかなくんです, にざかなです, ...}という命題の集合になるわけですが、愛人の部屋で配偶者からの電話に こう応答した場合には命題の集合という以上の意味があるわけです。一方、 「あなた、誰?」と訊かれて「風邪です」と答えるのは変、というのは選択制限の 問題もありますが、文脈で制限されていると考えると語用論と切り離しては考えられなく なりますし、「パパ、いる?」という電話に「いらない」とこたえる子供の将来が心配に なるのも語用論的関心といえるかもしれません。
漠然と意味論は文の文字通りの意味の分析、語用論は文脈や暗黙の了解の分析で文中⇔文外の対比だと考えていたが 語用論と意味論は形態論が単語以下、統語論が単語以上を扱うのと同等な関係なのか。
つーか、ある語がどんな意味で用いられているのか、とか ある指示詞や代名詞が何をさししめしているのか、とかだって 語用論的に処理しなくちゃいけない問題なんじゃないの? 意味論は、ある語がどんな意味で用いられているのかとか、 何を指しているのかとかは前提になってて、そこには踏み込まないでしょう。 文以下が意味論ってのは、ぜんぜん違うような気がするが
871 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2006/11/10(金) 08:37:13
>869 うん、反語的なご指摘なんでしょうけど、いいえて妙、な表現でした。 そんな感じです。もちろん、反論はたくさんあるでしょうけど・・・
>870さん うーん、それだと今度は「意味論とはなにか」というのが分からなくなりますね。 ぜんぶ語用論、みたいな。 870さんのご指摘が、逆に(なんの逆?)私が上で言ったことを強めている気がします。
> ぜんぶ語用論、みたいな。 その辺が、認知の人が意味論と語用論の区別を嫌う理由でしょうか?
>874さん そうでしょうね。一方、認知言語学との立場の共通点と相違点がよく取りあげられるRay Jackendoffの 概念意味論だと、「ぜんぶ意味論」です。というのは、概念意味論では意味構造=概念構造なので、 意味に関わるものはすべて概念構造の問題になります。このあたり、概念の獲得に関してLakoffの立場と Jackendoffの立場を比べると、ちょうど逆のような立場に見えることが納得できるのではないでしょうか。 意味論と語用論の違いなんて、意味がない!というのも一理ありですが、 単に分類上のものとはいえ、一応の基準みたいなものを明確にしておくのは面白いかも しれませんね。
すみません。初学者でちょっとタイプ理論を調べているのですが。 <e>, <t>, <e, t>, <<e,t>, t>関連は分かるのですが、ちょっと <et>だとか<tt>だとかコンマがないタイプが何のことかちょっと分からない のです。 めぼしい教科書は調べたのですが、すみません、ちょっと教えていただけないでしょうか? もちろん、「これ見れば分かる」という資料の情報でもかまいませんので。
<et> = <e,t>でよいと思います。紙幅を節約するための省略が慣例化してるのだと思います。
878 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2006/11/14(火) 13:01:11
てstあげ
879 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2006/11/14(火) 13:21:24
<e>と<t>はモンタギュー文法の正式な表記ではないよ。 e, tとするのが標準。< >を使うのは<a, b>となるときだけ。 僕の知る限り、MITの院生が<e>や<t>を(誤って)使い始めた ような気がする。間違ってたらごめん。
880 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2006/11/14(火) 19:56:52
なんかものすごい高度なスレだな
>880 この板の本来の用途(実質的には建前状態)だと、こういうスレばかりになるはずなんだよな
>879さん の説明の補足資料 The set of types is defined recursively as follows: (1) e is a type. (2) t is a type. (3) if a and b are types, then <a, b> is a type. (_Mathematical Methods in Linguistics_, p.337) <tt>も>877さんのいうとおりの省略だと思いますが、<t,t>と同じなら文副詞相当のものか ANDのtypeだと思いますので確認してみてください。
さっき酔っぱらった女の子のパンティを見ました。どうすればいいですか? a.おなぬーして寝る。 b.ただ寝る。 ちなみに、その女の子はすごくかわいかったです。なぜ私を悩ませる!
a
あぁ!! こさかなさん、なぜにナンパしない!!!!!!!!!! とりあえず声をかけてみればいいじゃないですか! 結果はあなたが決めるのではなくて、女性が決めるのです!
言っとくが
>>880 は皮肉だよ
まさか真に受けるとは
こさかなは相変わらず変態だな
>886さん ううっ・・・大人のふりをしたい私は、ぱっ!と目をそむけて、ダーツバーのマスターと 熱く語ってしまってますた。ちなみに、マスターも、ぱっ!と目をそむけていたので 私と同じことを考えていたにちがいありません。そのときの会話は、熱い割にかみ合ってませんでした ・・・ >885さん では今晩・・・
前に、「〜しない前に」は変だ、と書いたところ、大丈夫だというコメントをいただき、 そのあと気にしていると、夏目漱石の書いたものには「前に」の前には否定形がでてくることが 圧倒的だ、という印象があるし、昭和三十年代くらいにかかれたものにもよく出てくる。 そのような問題は興味深いがそれはそれとして、英語ではbeforeが、韓国語ではhaki cen-eyが NPIを認可するが、日本語では「する前に」は認可しない。これをずっと、before, haki cen-eyが 否定の意味を含む(〜しないうちに、というような)からではないかと思っていたのですが、 「しない前に」という形があることから、このあてこみはどうも違うかな、と思っています。 NPIに詳しい方、どう思いますか?
なぜこんなことをいうかと言うと、別のスレで序数と含意関係についてふれた書き込みがあって、 時直線もこれに似た性格を持つからです。 単調性の議論は簡単に序数や時に応用できないとは思うのですが、NPI認可子として時の助辞も 含められていて、実際に認可できるという事実がある。いっぽう、日本語のように認可しない言語も ある。はてさて、まずは問題設定から因子分解していかなければならないのですが・・・
892 :
ぴっぽ :2006/11/28(火) 08:23:58
NPIの種類についてはZwartsの`Three Types of Polarity'というのがいいまとめかもしれないですね。 Kluwerから出ているPlurality and Quantificationという本の中に収められています。 日本語の「前に」がNPIを認可しないというのは、通言語的にはけっこう?な現象にも思えます。 negative concordと呼ばれるロマンス語系の言語でも、Giannakidouによれば、日本語のnpiと 同じ振る舞いをするとされるギリシア語のfocused n-wordsもbefore節には認可されますし。 npiの認可についてですが、negative concordと呼ばれる言語は基本、clause boundで、licensorが clauseの外にある場合にはnpi(というかnegative concord item)は認可されません。 一方で、英語なんかのnpi言語では、licensorがnpiをc-commandしている限りにおいてはclauseを飛び越えても 平気ですし、complex NPやwh-islandなんかが介在してもnpiは全然ok(この「全然」に違和感を感じなく なりましたが、明治・大正期にもnpiではない「全然」が存在していたようですね)。 そもそもwatanabeさんがおっしゃられるように、日本語がnpi言語なのかどうかから疑う必要はあるのではないかと 思われます。
ぴっぽさん 詳細なコメント、ありがとうございます。 私が読んだ韓国語のNPIに関する論文も、挙げていただいたZwartの論文に依拠していたように 思います。 日本語がNPI言語なのか、という問いは興味深いですね。でも一方で、普遍的に見られることが 日本語に見られない場合、もしかして着眼点がまちがっているのか、という疑念もぬぐい去れない わけで・・・ 日本語の場合、取りあげられる要素が確かにclause mateを否定要素とするときに判断が安定していたり、 neg raisingの動詞だったり、ということがありますね。 ともあれ、有益なコメント、ありがとうございます!ふむふむ、before節のところが俄然気になってきました。
894 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2006/12/18(月) 15:28:28
before節とは関係ないのですが、NPIがらみでひとつ。 本日まわってきたアドレス変更のお知らせ(言語系メー リングリストなんで、ここ見てる人はほとんど受け取っ ていると思います): > xxx@yyy に変更になります。 >2007年3月末までは両方のアドレスが使えますが、 >4月からは新しいアドレスだけしか受け取れなくなります。 「だけしか〜ない」の実例ですが、みなさんの容認度はどうでしょうか。
895 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2006/12/19(火) 23:50:15
よく考えてみるとおかしいような気もするがまあ普通にOKとするだろうな。
896 :
仇鱒 :2006/12/22(金) 19:21:53
仇ちゃんでつ。ちょっとだけ出張(^ ^) >「だけしか〜ない」の実例ですが、みなさんの容認度はどうでしょうか。 わし的には正直あんまりイクない。てか、かなり落ち着きが悪 いしわしはそんな言い方はしない。「だけにしか〜ない」にするとそこそこ (てかずっと)よくなる(希ガス)。 てか、これ↓だが、 >言語系メーリングリストなんで、ここ見てる人はほとんど受け取っ >ていると思います わしそんなメールもらってねぇし。てか、わしが入ってるメーリングリストっ て、taclと燈台のオオホリが中心なってる認知ぶんぽーのメーリングリスト だけ。で、スレ違いなのは重々承知しているが、これはぜひ入っておいた方 がええとゆうメーリングリストがあったら教えて栗。わしも入会したいから。 てか、入会断られたりして、わし(ワラ)。 てなことだが、スレ汚しすまそん♪
「だけしか〜ない」の、 太郎だけしか来なかった。 なんてのはそこら中にあるし、普通にokにょろ。けど反対にすると悪いニョロ。 *太郎しかだけ来なかった。
898 :
仇鱒 :2006/12/24(日) 17:45:29
を、かかりからレスがついてるか。てなことで、またまた出張の 仇ちゃんでつ(^ ^) ま、次↓の文はたしかにパーフェクトだが、 >太郎だけしか来なかった。 やぱ次↓の文はイクない。 >4月からは新しいアドレスだけしか受け取れなくなります。 で、上でわしが書いているように、上↑の文をこの↓ようにするとイクなる。 >4月からは新しいアドレスだけにしか受け取れなくなります。 あるいはこれ↓もそこそこイイ。 >4月からは新しいアドレスにだけしか受け取れなくなります。 ま、どーでもええことだけどな。 で、これまたどーでもええことだが、最近はどーもクリスマスプレゼントを2 4日(つまり今日)の朝(つまり今朝)ガキに与える慣習が増えているよー だな。で、近所のガキがわしのうちに今日遊びにやってきて「えっ!仇んち今日 サンタ来なかったの?」とかホザきやがったのだよ。で、わしのガキは二人 ともガ〜ン♪てな感じでその場に崩れ落ちたわ。「なんでうちには今日サンタ こなかったの・・・」てな感じでだな。こんな感じで→ ORZ 完全に崩れ落 ちてたわ。やぱ、こーゆーのマズイよな。ま、どーでもええ話だが。 てか、今日はこれからサンタにコスプレってアレやコレやせんといかん わ。ったく、、、今年はブッダの格好でもしてやるかな、、、。てなことで 無駄話しちゃったがしばらく虚無宅@音楽スレでまた〜りしてくるわ。とはゆー ものの、次回のカキコミは明日以降になるけどな。 まる子ちゃん見てくるわ。じゃ〜な。てなことでまたもやスレ汚しスマソン♪
899 :
名無し象は鼻がウナギだ! :2006/12/24(日) 22:18:09
>>897 >太郎だけしか来なかった。
>なんてのはそこら中にあるし、
>普通にokにょろ。
これ、どういう意味でokって言ってるの?「太郎しか来なかった」と同じ意味?
もしそうだとしたら、これは、「太郎だけ来た」とこんがらがって、勢いで言っ
てしまってような文じゃないのかな。もちろん、実例はごろごろあると思うけど、
文法的な位置付けとしては、慣用化した誤用ってところじゃない?
仇藻、相変わらずのトンチンカンにょろね。 >4月からは新しいアドレスだけしか受け取れなくなります。 が悪いのは「だけ」でも「しか」でも「に」を含めPっぽい助詞、は省略できないことに 起因しているニョロ。 *4月からは新しいアドレスしか受け取れなくなります。 *4月からは新しいアドレスだけ受け取れます。 よって「だけしか」というのが悪いかどうか、とは全くの別問題ニョロ。