1 :
名無キネマさん:
マターリ逝きましょう。
ジャン・ミトリは
>言語とは表現の手段であり、その力動的な性質は何らかの記号、
>映像、音のシステムの時間的展開を前提としている。
>このシステムの構成は観念、情緒などを表現し、
>あるいは意味することを目的とする。
と述べている。この広義で「言語」を採択するならば、映画のようなものも当然言語でしょう。
で、クリスティアン・メッツという人が言っている
>映画とはなににもまして”現象学的”な芸術であり、
>その記号内容(シニフィエ)の全体と同じ広がりを持った記号表現(シニフィアン)であり、
>かくして本来の意味での記号を短絡させることで、
>それ自体において自らを意味付けるスペクタクルである。
という言説に興味があります。
直観として、シニフィエとシニフィアンが渾然一体となっているという感じはしますが、
むしろ、映像の場合、その映像そのものにはシニフィアンとシニフィエの区別など無いのではないかともおもう。
皆さんそのあたり如何でしょうか?
それは言語学として話し合うべき内容ですか?
>シニフィエとシニフィアンが渾然一体
まさにそうでシグナルとしての性質が非常に大きいため
映画それ自体を言語と呼ぶのは違和感を感じる。
>30 :名無し象は鼻がウナギだ! :03/09/01 07:05
>『幼年期の終り』の中でオーバーロードの使う言語に
>そう云うのがあった。文字言語のはるか先を行く
>映像言語で、色彩豊かで複雑な連続的に移り変わる模様の映像が
>莫大な情報量を持つ意味に対応しているという設定だった。
>>4 言語学として話し合ってもいいとは思うが
(他に適当なとこもなさそうだしな...「文化」-「映画一般」?「芸術デザイン」?)
しかし、この板にどれだけ食いついてくれる人がいるものやら...
確かにこの板に立てるべきか一瞬迷いましたが、大枠での言語体系を映像もなしていると思います。
「記号学」の板があればよいのでしょうが…
何よりも、映画やテレビの映像が「物語」を語れてしまっているということが、
映画が「文法」を持っていて、思想を語る道具として機能しているということの根拠になると思います。
たとえば起承転結、といったものは基本文法として捉えられるの?
>>7 そういや「意味論」スレをコテハンの方々が音楽の文法スレ化してたな...
あの人たちの話は俺には高尚過ぎて、あまり関わりあいたくないのだが
興味があるならちょろっと見に行ってみたらどうだ?
たぶん100番目ぐらいに沈んでるぞ、あのスレ
10 :
名無し象は鼻がウナギだ!:03/09/13 09:59
マターリ
いま月刊言語のデータベース見てたんだが
1995年4月〜6月号に
「「映像の言語」を求めて」っていう連載があるな
>>1はもう読んだか?
さらに1979年から1994年まで
「映像の言語」という口絵コーナーがあったみたいだな
>>11-12 サンクス。
早速学校の図書館で見てみます。
ところで、実のところ私は哲学科の人間で言語学の方面はまだ明くる無くて、これからといった感じなのです。
ウィトゲンシュタインとソシュールくらいしか知りません。
で、文法は、それらしきものがある(クレショフ効果などを考えると)と言えると思います。
と、いうより100年の間で出来てきた。そしてさらに今も出来つつある。と。
大風呂敷を広げてしまうと、「映像とはなにか」が知りたいのです。
モンタージュを中心として、映像の意味論のほうに興味があります。ここで想定されるのはサイレント映画などです。
これはどう言うことかというと、舞台劇をただ移した、写したような芝居では無く、映画固有の語り方が確立されているということです。
それにはやはりモンタージュがキーになることは間違い無いと思います。
とりあえず手っ取り早い例が先ほどのクレショフ効果ですが、これは心理学なども絡んできますね。
>>8 起承転結といった。大枠の物語というよりもっと単純な因果関係
●「目を見開いている男」
●「裸の女」
という映像を連続で見たとき、前者の男が後者の女を見ていることを意味している(ように私たちは普通捉える)。
(これがクレショフ効果の一例です)
といった、もっと小さいものを想定しています。
むしろ起承転結と言ったものは物語論に回収されると思います。
なるほど。
●二人の男(警官)が滑稽な行動をとる
●チャップリンが笑っている
という映像を連続で見たときに、チャップリンが男二人を見て笑っている、と解釈できるという手法のことですね。
言語じゃないでしょ。
二重分節ないし。
っていうか映画の記号論なんてなんぼでもあるやん。
ジャン・ミトリの
>言語とは表現の手段であり、その力動的な性質は何らかの記号、映像、音のシステムの時間的展開を前提としている。
>このシステムの構成は観念、情緒などを表現し、あるいは意味することを目的とする。
という定義を採用したいと思うのですが。
まぁこれはかなり広い意味の「言語」ではあるとは思いますが。
>>17 多少マトモに言語学やってる人は相手にしないと思うよ、そういう定義じゃ。
映画人板でも逝ったほうがいいんじゃない?
映画を普遍的に形式化した文法つくって、映画を導出できることを
示したりなんかできればこの板的にも多少はおもしろいかもしれないけど。
言語とは
「人間が音声または文字を用いて思想・感情・意志などを伝達したり、理解するために用いる記号体系」
これはあくまで、広辞苑での定義ですが。
映像は
思想・感情・意志などを伝達したり、理解するための手段ではあっても、
「記号体系」ではないでしょう。
>>19 広辞苑だってさw
それ以前に、「記号体系」って何だかわかってる?
辞典厨さらしage
映像の最小単位はなにかという議論はありまして、
ショット(カット)か?コマか?と。
ショットが単語だとすると、それを構成しているのはコマなわけです。
そして、ショットはそれ単独での意味ではなく、つなげられた各ショットとの関係によってはじめて映像言語固有の意味を持ち得る。
と考えます。
つまり、
>>1は「映画が言語であるかどうか」ということを言語学的に(ここ重要)
検証するつもりはないわけだね?
オナニー観てほしいだけの厨房は逝ってヨシ!
>>22 マンガの最小単位はあきらかにコマだけどね。
27 :
名無し象は鼻がウナギだ!:03/09/25 12:27
どういう条件満たしてると最小の「単位」なの?
バラしたときに、意味が損なわれていないこと。
言葉でいえば、単語。
>>26のようにコマを構成物にバラしてしまうことは
単語を一文字一文字に分解するに等しく、それはもはや単位とは呼べない。
だが、文字あるいは音は言語学では単位と言えるんではないか
意味論上の単位とは言えないけれども
30 :
名無し象は鼻がウナギだ!:03/09/25 17:44
>>28 単語というより形態素?
曲線一本でも汗を表した雫一滴に見えれば意味を伝えるんじゃ?
>>29 にも同意。あと、[+voice]のも単位と言えるんじゃ?
>>30 汗とかは記号に分類される。
意味は持っているが、それだけでは漫画になりえない。
まあ、「汗」だけ描くという表現の方法もあるにはあるが。
33 :
名無し象は鼻がウナギだ!:03/09/26 15:07
記号だったら、汗は単位なんじゃ?
マンガとして成立する単位って話なら、
一コマじゃただの絵と変わんないから、
二コマ以上の連なりで考えるべきだと思う。
(参考 『マンガ学』
スコット マクラウド (著), その他 単行本(ソフトカバー) (1998/11) 美術出 版社)
「マンガたりえない」は「マンガ足りえない」でいいのか?
36 :
名無し象は鼻がウナギだ!:03/09/27 01:43
映像言語、立派な言語学板の話題だと思う。二重文節とか持ち出してこういう話題を
排除しようとする人を嫌悪する。映像記号論がたくさんあるからと言って、この話題を
ここでするのを排除しようとする人の見識を疑う。マンガの定型化した書き込み、
映画の反復して登場するカメラワーク、それらはあるメッセージを伝えるための
記号であり、その組み合わせによりメッセージが構成される。組み合わせには
統語的ルールがある。私は1ではないが、ここで話題にしてよい、話題にすべき話題
だと思う。
>>35 あ,疑問じゃないんだよね。失礼しました。
39 :
名無し象は鼻がウナギだ!:03/09/27 02:03
君、ちょっときついよ。
>>34 そう、一コママンガはマンガたりえないと思う。(この点、スコット マクラウドに同意)
あれは、絵柄と、風刺的な内容と、枠内に絵と文字が同居してることなんかから、
マンガと思われてるんだと思うけど、どれも記号としてのマンガにとって本質的じゃないでしょ?
絵柄は別に、超リアルでも、極端な話、ネコマンガみたいに写真でもいいわけだし、
絵と文字の同居も別に必要ないでしょ。とり・みきの「遠くへいきたい」なんか文字ないし。
内容はもちろん自由。
>>40 しかし、それは結局、2コマ以上ならなるものを「マンガ」とする、という定義をしているだけではないか。
逆の立場からすれば、
「マンガ」には、2コマ以上のものもあるが、1コママンガも存在するので
絵柄や、絵と文字との同居がマンガの本質ではないのと同様
コマの数もマンガの本質ではない、ということになってしまうだろう。
そして絵と文字の同居を「マンガ」の定義と考える人は
「遠くへ行きたい」はマンガではない、と考えることになるだろう。
で、言語学では、一語でも文と認める、という立場や
一文でも文章と認める、という立場があるよな。
訂正:最初の行
「2コマ以上なら」→「2コマ以上から」
そ。
↑一音で一語で一文だが、立派な文章だよな。
「そ」という語をよく知らんのだが...
「あ。」だったら一音で一語で一文だろうな。文章かどうかは知らん。
>>41 そ。定義の話だよ。単なる絵からマンガを区別するのによさそうな定義を考えようとしてるだけ。
言語だったら、単位はどうあれ、語でも文でも文章でも言語の単位であることにかわりないけど、
マンガだと絵との違いがはっきりしないから、コマが連続してるというところで区別しようかなと考えた。
言語とのアナロジーでいうと、「マンガ」っていうのは、文か文章のレベル以上をいうんであって、
それ以下の構成要素はマンガじゃなくて絵などだってことになる。
そういや、とんでもない出来事について、そりゃマンガだ、って言った場合は、内容のことだね。
まぁ、定義してそっから先なにか言いたいことがあるわけじゃないんだけど。
46 :
名無し象は鼻がウナギだ!:03/09/27 21:28
>>45 いちいち定義の問題につっこんでも仕方ないのかも知れんが
言語とのアナロジーで言えば
一コママンガでも、文とか、文章として認定されうる、ということになると思うぞ
48 :
名無し象は鼻がウナギだ!:03/09/29 16:46
映画の記号論に未来はない。
おれはその事にようやく気づいた。
<映像言語>なるものは
<映像言語についての言語>を極めることによって初めて
存在しはじめるのであって
映像言語の<理論>がどこかに隠れていて
発見を待たれているということはないのである。
淀川さんの方が記号論者よりずっと偉大なのさ。
49 :
名無し象は鼻がウナギだ!:03/10/28 22:46
age
50 :
名無し象は鼻がウナギだ!:03/11/25 02:37
誰かシニフィアン無きシニフィエだけの世界を述べてくれ。
結局の所それは私の死後のこの世界ということでよろしいか?
そんなもんあるか
52 :
名無し象は鼻がウナギだ!:04/05/22 10:17
サピア・ウォーフ仮説をふまえた上で
「なぜ、映画が可能なのか。
われわれは、編集された映像を理解できるのか」
について考察しようということでしょうか。
「継起的つながり」、を共通のベースにするといいでしょう。
ベルグソンを読むと、いいですよ。
53 :
名無し象は鼻がウナギだ!:04/10/09 12:57:21
論語・論語。