【「形態素」の分け方について】

このエントリーをはてなブックマークに追加
>>46

形態素を構成する最小の音韻的単位は何か――これは音用論 (phonotactics) の問題だろう。

梵語にはアルファベットがあっただけだが、シナ語には韻図という、声母と韻母の一覧表が出来た。それを受けて、日本語には五十音図という音節一覧表がある。
それぞれの言語の形態論と、何のかかわりもないことなのだろうか。

日本語の指定詞「-だ」は、-d-a, -n-a, -n-o, -d-e, -n-i と分析され、形態素 /-d-~-n-/, /-a~-o/, /-e~-i/ が立てられるということかな?
しかし、バリバリの構造主義者の清瀬義三郎氏でさえそうはしていない。なぜだろうね。
phonotacticsには音素配列(論)の訳語の方が一般的では。
>>47
>少なくとも、/-re/と/-ko/は形態素として取り出せる。
形態素って意味を有する最小の言語形態だから、
単に語を因数分解した結果ではないし、音素とも異なるはず。
コレ・ソレ・アレ・ドレの/レ/にどんな意味があるってのか。
一字一音にも義有りと主張し出すと、音義説とか音幻論になってしまふ。
5133:03/07/07 17:38
>>48
/-a ~ -o/は連体法の「な」「の」からわかるとして、/-e ~ -i/は
何故異形態?
それから、音配列論のことを考えれば、音韻論の問題であり、形態論とは
一応独立の問題としてよいのではないでしょうか。たとえば、音配列論が
形態論を「内部から律する」と考えると子音幹動詞のようなものはありえず、昔のように「書+か/き/く/け/こ」とするようになるでしょう。
しかし音配列論と考えることで子音連続を避けるための母音挿入という
ことがでてくるんでしょうから、「外部ではたらく」と見なした方が
よいのではないでしょうか。

>>50 コレ・ソレ・アレ・ドレの/レ/にどんな意味があるってのか
では50さんはコレとココの違いを形態論的にはどう扱われるので
しょう?「もちろん『コレ』『ココ』がそれぞれ形態素さ」とでも
おっしゃるのかな?それと、
> 一字一音にも義有り
を「いかなる一音にも、それぞれ一対一対応の一義あり」とすれば
音義説になるのでしょうけど、そんなことは言っていない。50さんを
極論すれば「来ない」を「こ」+「ない」と分析した時点で音義説に
なるのかな?
5250:03/07/07 19:28
>>51
質問に質問で返しましたね。
が、寄せられた質問に返答しないのならば、こちらも応じる義理はありません。
そちらからご回答あれ。
>コレ・ソレ・アレ・ドレの/レ/にどんな意味があるってのか。

>> 一字一音にも義有り
>を「いかなる一音にも、それぞれ一対一対応の一義あり」とすれば
こちらが言ってないことを勝手に言ってると仮定されても応じかねます。
「ここ」「これ」の「こ-」を1つの形態素とする人は、
「形態素」と「語根」の違いの例を挙げてもらえませんか?
54名無し象は鼻がウナギだ!:03/07/07 19:55
「1つの形態素に属する『異形態』の数(パターン)はできるだけ少なくすべきであるから、
1つの動詞の活用形は『tor-u』『tor-i』『tor-te』のように考えるべきだ。
(つまり、『とる』『とり』『とっ』を1つの形態素の異形態とは見なさない、と考える。)」
・・・これはこれで納得できるんですが、では、同じ「素」として「音素」がありますが、
例えば「撥音(ン)」や「促音(ッ)」にはそれぞれ5つの異音が存在しますよね。
1つの「素」に5つの異なり(パターン)があることはどう考えるのでしょうか。
『言語学大辞典』「刊行の辞」
……音論において音素という概念を導入したのにならって,形態論においても
形態素という術語を鋳造したが,形態素が形態素としてなり立つのは,その形
よりもその機能による.その機能には純粋に形式的な統語的機能もあるが,多
くの場合,その形式的な機能に意味的な機能が加わる.一般に,意味が介入す
ると,物的な音のように形式的に処理することが難しくなる.他方,語の機能
は言語によってさまざまであって,必ずしもいかなる言語にも妥当するような
機能が得られるとは限らない.したがって,音論における音声学のような共通
の尺度は得られない.
術語編からの引用キボンヌ
>>55は次のページに全文あり。
http://www.sanseido-publ.co.jp/publ/gengogaku.html

ついでに
宮岡伯人『「語」とはなにか;エスキモー語から日本語をみる』
http://www.sanseido-publ.co.jp/publ/gotowananika.html
>>51

> /-e ~ -i/は何故異形態?
形容詞と比較してみると、
・社会人 {で/*に}、かつ学生だ ・外は寒 {くて/く}、風が強い
・社会人 {*で/に} なる ・寒 {*くて/く} なる
・社会人 {で/*に} はない ・寒 {*くて/く} はない
どういうまとめ方がいいのかよくわからない。/-e1/、/-e2/、/-i/ を立てるべきかな。
しかし、この方向は結局うまくいかないよ。非過去の確言を表す /-a〜-o/ が付く場合、語幹は、非連体法の /-a/ の前で /-d-/、連体法の /-a〜-o/ の前で /-n-/ となるが、
連体法の /-a〜-o/ における異形態の選択は、語幹 /-d-〜-n-/ より左にある要素が、名詞か名詞的形容詞かに基づくことになってしまう。
清瀬氏がやらなかったのも納得できる。

> 音配列論と考えることで子音連続を避けるための母音挿入ということがでてくるんでしょうから
問題は、日本語の場合、そのような現象が、一部の動詞においてのみ起こるということだろう。
例えば朝鮮語では、品詞を問わず、いたる所で起こるからね。
59名無し象は鼻がウナギだ!:03/07/08 02:07
超遅レスだが、
>>10
>> 私は、「取る」「取っ-た」「取り-ます」「取り-分」
>この場合の問題点は、
>・「取る」と「取った」とは、いわゆるテンスの対立をなしていると見られるが、一方は1形態素で他方は2形態素ということになる。
> 「取る」と「取っ」との関係をどのように説明するか。
日本語の「取る」「取った」の対立を「非過去−過去」とか「非完了−完了」のような見方でとらえる立場なら根本的に問題なさそう。
6033:03/07/08 10:03
>>52 「寄せられた質問」とは
>それぞれの言語の形態論と、何のかかわりもないことなのだろうか
のことだろうか。だとすれば、「何のかかわりもないこと」だ。
国語学史上、活用研究を行っていたところ「たまたま」五段に活用するものが
あったからといって、個別言語の形態論を規制する規則を見い出したことには
なるまい。
↑トンチンカン
6233:03/07/08 12:08
> 例えば朝鮮語では、品詞を問わず、いたる所で起こるからね。
詳細きぼぬ。もし外国語受容の際の、onsetのconsonant clusterを
避けるために無標母音으を挿入する、ということをさすなら
(sports > suphoccu)これは日本語でもある。읽다のようなものを
見れば母音挿入は起こっていない。(そしてそこでは子音削除が
音配列論的な現象とみることができよう)名詞を見れば바람둥이では
複合語前項要素末子音と後項頭子音の連続は解消などされずにそのまま
残っている。どんなのを意図してたの?
6333:03/07/08 12:13
>>61
トンチンカンっていう香具師がトンチンカン
>>63 やはりトンチンカン。>>50(=>>52)の質問なのに>>48の質問に返答してどうする。
6533:03/07/08 16:28
>>64
そうだ、俺はとんちんかんだー
>コレ・ソレ・アレ・ドレの/レ/にどんな意味があるってのか。
まず、私は「意味の最小単位を形態素とする」という定義はとらない、
ということを述べて始めたいと思います。コ/ソ/ア/ドは現代語では
独立形式ではありません。「-こ」「-ちら」という「場所」「方向、人」を
意味する形式を伴わないときに補われるデフォールト形式だと考えます。
敢えて意味、または機能を特定しようとするなら「指示」ということに
なるでしょうが、コ/ソ/ア/ドがすでに「指示」を表すことが明らかですから、これら束縛形式と共起する意味のない形態素と考えます。
ま、いまさら答えて欲しいとも思ってないけどね。

ついでに
>>53
「形態素」と「語根」はレベルの違う話なので、調べてみて下さい
(私もはじめにここにきたら概説書で調べろと言われた)
「語根」となる「形態素」があっても問題はありません。
っていうか、派生形態論とかでの「語根」のことだよね?
>>65
>私は「意味の最小単位を形態素とする」という定義はとらない、

されば頓珍漢殿、貴殿の取る形態素の定義とはそも何ぞや?
>>60

> 国語学史上、活用研究を行っていたところ「たまたま」五段に活用するものが
> あったからといって
研究史とはほとんど関係がない。


>>62

> どんなのを意図してたの?
終声のある形態とない形態とで、それに付く形態素の異形態が選ばれる例は、品詞を問わずたくさんある。
日本語のいわゆる五段動詞に子音語幹を認めると、ほぼそれのみが「終声」のある形態ということになる。
68頓珍漢:03/07/09 10:16
>>67 終声のある形態とない形態とで、それに付く形態素の異形態が選ばれる
> 例は、品詞を問わずたくさんある。
音配列論で、母音を挿入するという現象について論ずる文脈であったはずだが、
異形態の問題に摺り替えておられる。韓国語では받힘で終わる名詞の後、
あえて子音連続となるような場合、例えば-과がある。これ一つ取り上げても、音配列の問題と形態論の問題は別物であるということがわかると思うの
だが、そうでないというのならば具体的な例を挙げながら答えてみたまへ。

尚、当方を頓珍漢と呼ばれるのは一向に構わないが、少なくとも学部レベルの
言語学の講義を受けた知識を持つものにとってはそちらの方がとんちんかん
である。説明責任など持たぬ、という態度をとられるならそれでよいが、
ちゃんと答えないならば、答えられない、と見なすけど、いい?

>>66 されば頓珍漢殿、貴殿の取る形態素の定義とはそも何ぞや?
55さんが引用されていた『言語学大辞典』「刊行の辞」の該当部分に
賛成する。具体的には私見になるが、「走る」という動詞を「走り」に名詞化
する/-i/は統語範疇は持つものの、意味は何かと尋ねられれば答えかねる。
この場合には「名詞化接辞」として一定の機能を備えていれば、意味など
問う必要は無いと考える。英語のゼロ派生にあると仮定されるゼロ接辞も
あると考えるし、要は様々な一般化の中で筋が通っていれば形態素を立てる
十分な動機付けがあると考える。これは言語学者の一般的な姿勢ではない
だろうか。
>>68

前にも言ったように、私は別にとんちんかんだとは思わない。あなたのようなやり方もあるだろう。

> 音配列論で、母音を挿入するという現象について論ずる文脈であったはずだが、
> 異形態の問題に摺り替えておられる。
五段動詞に子音語幹を認めると、「書かない」「掛けない」「書きながら」「掛けながら」は、kak-ana-i、kake-na-i、kak-inagara、kake-nagara のように分析されるだろう。
kak-ana-、kak-inagara となる理由は、母音挿入で説明できるかもしれないが、-na- の前では a が挿入され、-nagara の前では i が挿入されることの理由は、形態論に拠らなければ説明できない。
音配列論と形態論とは、切り離して考えられない。

> 韓国語では bathim で終わる名詞の後、
> あえて子音連続となるような場合、例えば -goa がある。これ一つ取り上げても、音配列の問題と形態論の問題は別物であるということがわかると思うの
> だが
程度の問題。朝鮮語の場合、音配列論で説明できる部分が日本語より小さいということ。子音連続となることも多いから子音終わりの形態素が簡単に抽出できるのだ。
日本語では、子音連続となる場合は事実上、ない。促音や撥音はただの子音ではないからね。

> 少なくとも学部レベルの
> 言語学の講義を受けた知識を持つものにとっては
学部レヴェルより高度な話になるのだが。
あなたのやり方は教科書どおりかもしれないが、容易に賛同は得られまい。

> この場合には「名詞化接辞」として一定の機能を備えていれば、意味など
> 問う必要は無いと考える。
大筋で同意する。「名詞化」も十分意味と呼んでいいとは思うが。
70頓珍漢:03/07/09 21:11
>>69氏=66氏=67氏なのでしょうか?詳細なレス、ありがとうございますた。

>音配列論と形態論とは、切り離して考えられない。
お説を拝見した限り、おっしゃる通りと賛同いたします。次の話には貴殿の
賛同を得られるかはわかりませんが(もっとも学界での議論も分かれるところ
かと存じます)
日本語の音配列論が主に「子音+母音」のひな形づくりを行い、かつ、ひな形
から外れる場合には無標の母音を挿入する、というものだとすると、/i/を
挿入する場合というのは音配列論に属するといえよう。一方、無標母音とは
考えにくい/a/については、否定辞の場合に限定して考えれば、/-ana-/を
基底表示とし、語幹が母音で終わる場合に/a/を削除するという考えと、
逆に/-na-/を基底表示として語幹が子音で終わる場合には/a/を挿入する
という考えの二通りがありえようが、母音の扱いに関しては現象特定的
であり、形態論に属する問題とみなすべきだろう。しかし、ここで形態論に
関わるとした問題にも、日本語の音配列のひな形と関わる部分があることは
明白だから、この意味で「切り離せない」ということには賛同します。

>程度問題。
には、やや慎重になりたいと思います。というのは、codaを見ると確かに
程度問題、と言いたくなる気持ちはわかりますが、onsetに関しては日本語と
韓国語は比較的類似の振る舞いを示し、またこれは(もちろん語彙音韻論の
ような理論を採らず、形態論と音配列論は別物とするならば)音配列論と
言っていいかと思います。69氏が語彙音韻論のようなものを念頭におかれて
形態論と音配列論は切り離せない、とおっしゃっているなら、その通りかとも
思いますが、むしろこの場合、「音配列論」「形態論」という区分自体を
破棄するという立場なのかな、と感じます。
 それから、hangulをtransliterateしていただき、ありがとうございます。

71頓珍漢:03/07/09 21:21
>あなたのやり方は教科書どおりかもしれないが、容易に賛同は得られまい。
このスレはまだ勃って間がないせいかコテハンが少なくて、どなたがどなたか
見分けにくい。しかしいずれも教科書的なものは少ないように見え、そこで
私はあえて教科書的、という感じにやってみました。まあ、容易に賛同は
得られそうにありませんが。清瀬氏のような熟達した言語学者の場合、
よくわかんなかったけどキレイ、という職人芸的な部分もあるかと思います。」
一方、教科書的にいった私のはゴテゴテしていかにも「頓珍漢」なところが
少なからずあったかと思います。