「写真を撮る」という言葉って文脈によって意味が変わらない?
●新しいカメラを買ったので、山へ「写真を撮りにいく」
●今度、試験を受けるので願書に貼り付ける「写真を撮りにいく」
前者は正しいと思うのけど、後者は「写真を撮られにいく」が正しい気がする。
でも、実際の会話では「撮られにいく」という言い方はしないし。
これって、文法的に特殊な用法だったりするのでしょうか。
行動の意思を持っているのが自分だから?
どちらも撮りたいと思っているのは私。
最終的に得られるのが目的の写真だというのは一緒。
カメラを使うか、カメラマンを使うかが違うだけ。
と、感覚的に思った。
4 :
名無し象は鼻がウナギだ!:02/10/17 19:52
スレを立てるまでのことはないかもしれないが、結構、面白いかも。
例えば、Aさんが写真屋さんに自分の写真を撮ってもらう時は、「Aさん
は自分の写真を撮った。」とも言えるけど、通りすがりの人に頼んで自分
の写真を撮ってもらう時は、そのようには言えないような気がする。
a.そのカップルは、町の写真屋さんで(自分たちの)写真を撮った。
b.そのカップルは、教会の前で(自分たちの)写真を撮った。
aでシャッターを押すのは、恐らく写真屋さんだけど、bは、人に頼んで
シャッターを押してもらったという解釈はやや難しく、タイマーか何かで
シャッターを押したという解釈になってしまうのでは?
c. 福利厚生を大切に思う社長は、全社員に家を建てさせた。
d. 社長は身内の工務店に家を建てさせた。
てのは?
「髪を切りにいく」も、意味としては「髪を切られにいく」ですけど
そういう言い方はしませんよね。
例えば、英訳をするにしても前後の文脈に依存する文章だと思いました。
>>2 さん
感覚的にはそんな感じですよね。
折角なのでもっと突っ込んで、文法的には正しいのかどうかが知りたく
言語学板に行けば、何方か説明できるのではないかと思いまして。
>>4 さん
なるほど。確かに通りすがりの人に頼んで撮った場合は不自然ですね。
面白いですね。少し状況が変わっただけで不自然になるというのは。
感覚だけでしか判断できないのが歯痒い。
>>5 さん
cは言葉を補えば
c'.福利厚生を大切に思う社長は、全社員の家を(工務店に)建てさせた。
という感じでしょうか?
だとすると、c,dは共に普通の使役になってしまわないですか?
解釈が間違っていたらすみません。
能動・受動が同じ形で表される文章の解釈を・・・・。
パリのテルトル広場は、似顔絵描きが名物。
絵描きさんがテルトル広場に「似顔絵を描きに行く」、とは言うが、
観光客がテルトル広場に「似顔絵を描きに行く」、とは言わない。
写真を撮るのと、似顔絵を描くのは、なにが違うんだろう?
>>7 さん
おお。確かに。
・・・・深い・・・・。
9 :
名無し象は鼻がウナギだ!:02/10/17 23:53
5氏じゃないが、「建てる」も似た用法になると思う。
1)大工さんが家を建てた。
2)彼は念願のマイホームを建てた。
2)'彼は念願のマイホームを工務店に建てさせた。
んー、2)'より、2)を使いませんかね。
あと、
3)彼は式典に備え、礼服を一着作った。
4)彼は式典に備え、礼服を一着作らせた。
3)4)どっちも同じ意味で使う事が可能かと。
3)で実際に彼が縫うことはあまり無い。
やっぱ、カネを払えば動作の主体になれるのか。
そう思うと、7氏の例は確かに興味深い。
絵は画家に頼む場合は「描かせる」ですな。書も「書かせる」だ。
「描く」「書く」だと、どうしても自分でやる事になりますね。
10 :
名無し象は鼻がウナギだ!:02/10/18 00:24
その動詞の指し示す内容が、文脈によって変わってくるのだと思う。
「絵を描く」というのは、筆を動かす動作そのものだけを指すけれど、
「写真を撮る」というのは、シャッターを押す動作を指す場合もあるし、
写真屋に行ったり髪の毛直したりして1枚の写真を作る行為全体を指す場合もある。
「大工さんが家を建てた」は、建材を組み立てる動作そのものを指しているし、
「マイホームを建てた」は、設計したり資金を用意したりする行為全体を指している。
11 :
名無し象は鼻がウナギだ!:02/10/18 12:07
行為の再帰性(reflexivity)と間接性は、どのくらい関連しているのかなあ。
つまり、「大輔は写真を撮った。」という文を考えてみると、「大輔は自分の写真
を撮った」のような再帰的な解釈の場合は、大輔が写真屋さんに依頼して自分の写
真を撮ってもらった場合でも使えるけど、「大輔は富士山の写真を撮った」のよう
な非再帰的な解釈の場合は、大輔が写真屋さんに依頼して富士山の写真を撮っても
らった場合にはやや使いにくいような気がする。
「ピアス(の穴)をあける」は間接にも使えるかもしれませんね。
「タトゥー/入れ墨をいれる」はいいけど「彫る」はムリかな。
13 :
名無し象は鼻がウナギだ!:02/10/19 01:32
>>11 再帰性というより、行為の主体がどこにあるのかに関わっているかも。
大輔が自分で写真を撮ってもらいに行くのは、彼の主体的行為だが、
写真屋が富士山まで写真を撮りに行くのなら、大輔自身は何もしていないのだから。
>>12 「刺青を彫ってきた」はOKのような気がする。
14 :
名無し象は鼻がウナギだ!:02/10/19 10:30
>>13 なるほど。けど、次の二つの文には容認性に少し差があるような気もする。
つまり、aは、そのままでもいいけど、bは、「撮ってもらうため」と言った
方が自然である、ということはないかな(あんまり自信ないけど)。
a.大輔は、自分の証明写真を撮りに、(ひとりで)写真屋さんに行った。
b.大輔は、娘の記念写真を撮りに、(娘を連れて)写真屋さんに行った。
で、行為の主体性については、aもbも大差ないように思えるんだけど。
この板で知って「日本語に主語はいらない」読んでます。
面白いです。受験生なのに本なんて読んでていいのだろうか・・・。
>>9 さん
カネを払えば動作の主体。確かに写真の例だとそんな感じですね。
あ、それで、行動する人物は一緒という条件で、能動・受動が文脈に依存する文章について考えていきたいかなと思っているのですが 1) 2) の例だと、受動態にはなっていないのではないでしょうか?
>>10 さん
なるほど。
つまり「写真を撮りにいく」という言葉が指し示すのは、写真を撮る一連の行為であり「似顔絵を描きにいく」というのは、絵を描くという単独の行為である。
そして一連の行為の場合はたとえ受動的な行動であっても受動態にはしないということでしょうか?
>>11 さん
動作の受け手に拠るということですかね?
僕もそんな気がちょっとしたのですが、すると
>>7 さんの例を説明するのがちょっと難しそうです。
>>12 さん
色んな例文を見ていると、能動で受動的意味を成すというのが適用出来る文と適用出来ない文の境界がまったくランダムな気さえしてしまいます。
>>13 さん
やはり
>>7 さんの例が問題で、この場合には似顔絵を描いてもらいたい人(=行為の主体)が似顔絵を描いてもらうのに
「似顔絵を描きにいく」
という文章では不自然なんですよね。
>>14 さん
容認性というのがどういうものか、ちょっと分からないのですが、僕の感覚では a,b 共に、違和感は感じないですね。
b も「撮りに」で問題ない気がします。
えええっと、ちょっとピンと来ないので、トンチンカンになったらスマソ。
1)2)は確かに受動態ではないすね。
1)2)は能動、2)'が使役。って、そんな事は分かってるか。
んー、「家を建てられた」とすると、どうしても迷惑の受身ができてしまうから、
直接受け身は無理だわ。
んでも、1でも、「実際の会話では「撮られに行く」という言い方はしない」
と書いてあるよね。
「写真を撮られる」も迷惑の受け身を作ってしまうからだと思うんだけど。
直接受身・間接受身の話が絡んでくるのかな?
ヴォイスはヴォイスでも2)'とか4)で出たような、使役の方がダイレクトに関係すると思うんだけど、
それはいいのかな。
17 :
名無し象は鼻がウナギだ!:02/11/11 11:59
良スレなのでageます
18 :
名無し象は鼻がウナギだ!:02/11/11 12:59
動作よりも主体が大事ということかな。
「写真屋さんを使って」、「建設会社を使って」、「床屋を使って」
主体が目的を達成する。という解釈をすれば納得がいきますね。
その話の中で手段は問題でない場合は。
似顔絵を描いてもらう場合は、誰が描くかによる違いが
写真よりも大きいので、「描いてもらう」のほうが適切
なのかもしれません。
19 :
名無し象は鼻がウナギだ!:02/12/01 18:47
英語の「Take a picture」の直訳・・・ってことはないか。
(^^)
(^^)
(^^)
∧_∧
( ^^ )< ぬるぽ(^^)
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
∧_∧
ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
=〔~∪ ̄ ̄〕
= ◎――◎ 山崎渉
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
英語の受動態を勉強したときに、英語は、「写真を撮られる」
と表現するのに、日本語は、「写真を撮る」といいつつ自分は
被写体であるにすぎないという。ところで、はっとさせられる
やつだね。受動態がさらに可能を表すすから日本語をはさらに
やっかいだったりする。
28 :
名無し象は鼻がウナギだ!:04/03/30 20:44
手術する って気になっていました。医者でなく患者が 手術する。
日本語のラレルの受身はしばしば「被害」「迷惑」といった意味合いを含む。
「恩恵」を受ける場合、「てもらう」という形が別にある。「写真を撮ってもらいに行く」
「病院へ行って診察してもらう」「床屋へ行って髪を切ってもらう」「自転車を修理してもらう」
「写真屋で写真を撮ってもらう」…
これらの状況に共通しているのは、何かを「してもらう」側の人は、その行為に関しては「受け身」の
ようでいて、それを「受ける」かどうかの選択は自分自身で行っているという事。つまり意志は受け手にある。
ここが「頭を殴られる」「生徒に告発される」などの普通の受身文の状況と違うところ。
普通の受身は動作を受けることに関して意志を持たない。ところが「写真屋」の例などでは、
動作主、いわば「直接手を下す」人は別にいるが、被動作主が意志的に動作の受け手となっている。
むしろ意味的には使役に近い。
しかし使役とも違うのは、「医者に診察させる」「写真屋に写真を撮らせる」などが横柄な印象を
受けることでもわかる。これだと医者や写真屋の動作への参加の意志が確認できないからだ。
これらの行為は動作主と受け手の双方に参加の意志が確認できてから行われるという点で、
使役と受身の中間にあるといえないだろうか。
ちなみに中国語では「看病」は、(「看病する」ではなく)
1)診察する: 医生給我看病。(医者は私を診察してくれる)
2)診察してもらう: 我去医院看病。(私は病院に診察してもらいに行く)
の2つの意味がある。受身は別にあるが日本語以上に「被害」の意味が強く、こんな時には使えない。
英語ならI had my hair cut. とかI had my photograph taken. のような言い方があるだろう。
英文法では単なる受動態ではなく使役の一種として処理するね。
>>1はその辺復習したかな?
>>1
「写真を撮りに行く」のではなく「写真しに行く」ので私は「写真する」と言っています。
例えば他だと「木を聞く」とか。
チェリーボーイ↑
32 :
名無し象は鼻がウナギだ!:04/11/23 02:54:47
>>2 ともかぶるが、本人の意思で、本人が写真が必要で、写真を撮って
もらうわけだから仮に写真館のオヤジが撮ったとしても、事実上の行為の
主は本人。なので「写真を撮る」と言うのだと思う。
犯罪で言う主犯(本人)と実行犯(写真館のオヤジ)みたいなもの?
主犯は手を下してなくても死刑、ただの実行犯は懲役止まりだからね。
ちなみに、英語では I cut my hair. だと「自分で髪を切った」になるので
I have my hair cut. 「(誰かに)髪を切ってもらった」と区別してるね、
あいつら、さすがだなw
33 :
名無し象は鼻がウナギだ!:04/12/23 02:55:07
>>32 過去ログ全部とかぶってるぞ。ちゃんと嫁。
34 :
名無し象は鼻がウナギだ!:04/12/23 06:38:11
れる、られる問題の良い解決法はないのか
受動、可能、自発、尊敬
さらに受動には「迷惑の受け身」「非常の受け身」がある
よくら抜き言葉が問題になるが、そんなことよりこっちの方が問題
まあ、日常会話には支障はないが
35 :
名無し象は鼻がウナギだ!:04/12/23 12:57:08
まず敬語のられるをやめれ。
「いつタイトルをとられましたか」??
「いいえ、タイトルを取ったのです。」
◇◇
「彼女にほれられたそうですね」
「いいえ、私がほれたのです」
36 :
名無し象は鼻がウナギだ!:04/12/23 13:27:19
「誉められる」と「誉めてもらう」
37 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2005/05/17(火) 08:19:30
ま、すべて単なる「慣用」だと考えれば解決すると僕は思ってます。
他スレでも既出ですが、「おれ留年になった」とか「私生理になった」
とか、よく考えたら変だけど普通に使うでしょ。お前は人間じゃなく
「留年」なのか? とか、お前は「生理」なのか?とは突っ込まれない。
「ご飯が食べたい」に対して「ご飯が何を食べたがってるんだ?」とは
言わない。みたいな。
既出というわりには未曾有の低水準さだな。。。
そんな幼稚な「は」の解釈してるヤシはどこにもいないぞ。名無し象が泣く。
39 :
名無し象は鼻がウナギだ!:2005/05/17(火) 18:22:15
>>1 日本語は主格を必要としない言語で
対格の助詞「が」を英語で言う主格の様な位置に置く事ができる。
いちいち行為する人間が誰なのかを考えない。
表している情報は写真を撮るという行為のみ。
大阪城を建てたのは豊臣秀吉か大工さんか?
小学生の謎々並だな w