言語と経験について考えてみました。
鶏と卵の話ではないけれど、言語と経験はどっちが先行してるのでしょう?
どちらかが先行すれば先行したほうが後のものを産出するという意味で支配的だと思います。
もちろん、実際は言語と経験は同時に発達してきたものであるのですが、ここにもし相関関係があるとしたら、そこに他者への体系化があるか、もしくは支配があると思います。
経験は本質的にすべての人間に平等に与えられます。
だから、それを具体的であれ、抽象的であれ表現するために言語を用いているのです。
つまり、言語は外見に対しての客観的な表現手段だと思います。
思考形式、行動形式が無意識に文法を作り上げていくのだと思います。
逆に、言語が経験を支配することがあれば、それは、経験を整理する時に一定のやり方に従うときではないでしょうか?
そこでの思考形式や行動形式の結果、ある種のその地域独特の「方言」ができる。
その体系的なものが首尾一貫したもので、統合された形で表出することになるのでしょう。
このように考えていくと、文化的な規範と言語には相関関係があるように感じます。
やや飛躍しますが、ここに外国語(この定義もまた難しいですが)の学習意義があると思います。
2 :
名無し象は鼻がウナギだ!:02/09/22 23:18
いいねぇ。
第一言語習得でこんな議論があったような気がする。
ここのスレはまともだね。
俺は言語が経験を支配すると思うけど。
諸言語の違いというのは本質的ではない。
6 :
名無し象は鼻がウナギだ!:02/09/29 21:00
言語の個人的形成と社会的言語形成をごっちゃにして
何を語りたいのだい。
言語は社会が形成し、それは、社会形態なんぞにに依存するとでも
言いたいのか。
そしたら、相関する文法なり言葉なりの事例を見つければいいのか・・・
て、ことで、トンデモに逝かないように、ご注意ください。
>>6 言語の個人的形成って何ですか?
言語能力は個体において発達しますが、言語は
既に存在するものとして理解されるのでは。
言語の社会的形成...悪いが全く理解できない。
9 :
名無し象は鼻がウナギだ!:02/09/29 22:55
1の言う「経験」に言語経験は含まれてるの?
10 :
名無し象は鼻がウナギだ!:02/09/29 22:59
> ここにもし相関関係があるとしたら、そこに他者への体系化があるか、
> もしくは支配があると思います。
自分のつかう言語と自分の経験に相関関係があると、どうして「他者への
体系化がある」(これ自体、意味不明)ことになるの?ましてや「支配」に
なっちゃうの?
11 :
名無し象は鼻がウナギだ!:02/09/29 23:07
> つまり、言語は外見に対しての客観的な表現手段だと思います。
> 思考形式、行動形式が無意識に文法を作り上げていくのだと思います。
この2文のつながりが不明。その文法を作り上げる「思考形式、行動形式」とは?
それらは経験とは無関係にアプリオリに形が決まっているの?そもそも、それらは
どのような「形式」をしているの?経験から思考の形式が決まるとして、その
仕組みの明示をお願い。
個人的な思考ではありますが、お答えします。
互いに勉強になるといいですね。
まず、5の方から。
>言語が経験を支配すると思う
言語が経験を支配するのは、それは言語体系を明らか使用とした時。
つまり、経験を整理する時の文法を考察する時です。
6の方へ
>言語の個人的形成と社会的言語形成をごっちゃにして
何を語りたいのだい
些細な考察でもそれなりに意味はあると思いますよ。
>言語は社会が形成し、それは、社会形態なんぞにに依存するとでも
言いたいのか
はい。まったくその通りです。
分かりやすい例では…
雪原地方に住んでる人は、“雪”って言葉にたいして
その降り方、状態によって何種類もあるらしい。
逆に、熱帯地方の人は、“雪”って概念がないから、
“水が冷たくなった固体”ぐらいにしか認識しないらしい。
つまり思考を強固に条件づけてんのが言葉だ。
社会にとっての表現手段の必要性に欠けたならば、言語の必要性を受けない。
いいでしょうか?
9の方へ
>1の言う「経験」に言語経験は含まれてるの?
そうですね。人は基本的に言語を使っているので。
10のかたへ
確かに、文章が分かりづらいですね。
文化的な側面を言語から考察できる。
ぎゃくに、言語が経験を支配するのは
概念の体系づけをするとき。
これが、外見への専制的支配になる。
基本的には思考形式と行動形式が言語使用を支配しますね。
11のかたへ
まったくおっしゃるとおりです。こちらがまちがっていました。
論理が飛躍しすぎてますね。正しくは思考形式と行動形式が言語使用を支配ですね。
ご指摘ありがとうございます。このかたはかなりの知識人なんでしょうか。刺激になります。
経験から思考の形式が決まるれいを少し書いてみます。
虹を見て、3色だという人もいれば、7色だという人もいる。また何十色に見える人もいる。
しかし、それは言語による表現上の問題。
実はすべての人に同じように見えている。
ある場所では、虹が本当に3色だったとか、ある場所の虹が他の場所の虹よりよりカラフルだった、
ということはない。
絶対的な本質を持つものが、
このようにまったく別のもののように相対的に表現される。
まさに言語の力。
また、現実には同じ言語共同体の中でも、
まったくその本質に対して感じ方が異なることがある。
事態はさらに難しくなる。
例えば、同じ日本語を母国語とする空を見上げた時に、
雲ひとつない空ならばほとんどの人が「快晴」という。
しかし、雲の量によっては、ある人は、「晴れ」だといい、
また別の人は、「曇り」だという。
まったく同じような言語を話す人同士でさえ、
このような現象が生じるのである。
つまり、言語というのは、「記号」であるといえるのである。
人によって捉えかたが違うが、
しかしある一定の概念を想起させることが可能なのである。
個々の、何千、何万といった経験を包括して、
なおさらにその基底から上昇した数千、数万の経験を多い尽くすだけの余地があるもの
、それが言語である。
>>12 >つまり思考を強固に条件づけてんのが言葉だ。
>社会にとっての表現手段の必要性に欠けたならば、言語の必要性を受けない。
>いいでしょうか?
単語とかなんてのは、もちろん、言語はもちろん環境やら社会やらに
影響を受けるのは自明のことだ。
それを、1氏は、思考形式や行動形式やら文法、方言とまで特定しておられる。
なにか、その辺の新法則でも発見でもしたのでは、ないのか。
6の方へ
>単語とかなんてのは、もちろん、言語はもちろん環境やら社会やらに
影響を受けるのは自明のことだ
自明のことをなぜ自明なのかを解明することは時には非常に大切なことだったりする。
私は明らかに言語学史に名を残すほど、賢明ではない。
でも、いろいろな考察から自分の意見を構築することはできるともう。
でも、自信がなくてこうして他人の貴重な意見を拝借してるしだいです!
19 :
名無し象は鼻がウナギだ!:02/10/01 22:05
age
(^^)
(^^)
(^^)
∧_∧
( ^^ )< ぬるぽ(^^)
24 :
名無し象は鼻がウナギだ!:03/05/14 19:26
「○○さまでございますね」の丁寧な表現で表し方を教えてください。
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
∧_∧
ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
=〔~∪ ̄ ̄〕
= ◎――◎ 山崎渉
__∧_∧_
|( ^^ )| <寝るぽ(^^)
|\⌒⌒⌒\
\ |⌒⌒⌒~| 山崎渉
~ ̄ ̄ ̄ ̄
(⌒V⌒)
│ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
⊂| |つ
(_)(_) 山崎パン
あぼーん
扭
廃れすぎ。
このまま消えてしまうのか・・・・
そう、まるでこのスレのように・・・
AGEれば大丈夫かもしれない・・・
しかし始まりがあれば終わりがあるのだ・・・
そんなわけで人知れず消えていくのだ・・・
なんてなw
さらば!
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(( (( ( ノノ ((
(( ∴∵∴∵∴∵ノ ((
34 :
名無し象は鼻がウナギだ!:05/01/28 14:03:39
言語と経験か・・・
教養が足りないらしく、1がなにを言っているのかさっぱり解らん
1を読む限りスレタイは「言語と経験」ではなく
「言語と社会」または「言語と文化」とするべきだったのではないかと思えるんだが