日本語の非論理性、英語の論理性

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>>5
そんな非学問的な「仮定」に何の意味が?
なぜその手の例を挙げたいのですか。まさかレポートの材料にするためとか?
それとも挙げた上でそれを批判的に検討したいのかい。
スレッド立てるときは他者にその意図が分かるだけの説明を附して下さい。
7ちび:02/01/31 11:51
>>6
特に学問的なものを求めているわけではなく、意味も求めていません。
大学生でもないのでレポートの材料のはずもありません。
批判的に検討できるほど知識もありません。
ただ生きててふと「日本語って英語より・・・」みたいに感じたので
言語学板の方々に色んな話をお聞きしたかったのです。
>>1
日本語は英語より非論理的だなんてのは、俗耳に入りやすい愚論です。
 「言語の優劣について考察する」
 http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/gengo/996385857/

あと、言語相対説について学ばれると宜しいのでは。
 「サピア・ウォーフの仮説」
 http://mentai.2ch.net/gengo/kako/962/962005852.html
9ちび:02/01/31 13:01
>>8
耳から入ってきたと言うよりは何となく思いついた感じです。
ありがとうございます、読んでみます。
10名無し象は鼻がウナギだ!:02/01/31 13:07
日本語の方が英語より論理的だと聞いたぞ。
11名無し象は鼻がウナギだ!:02/01/31 13:26
句読点さえ正しく使えば、日本語でも論理的で明晰な文章は書ける。
英語は、関係代名詞が箱型として使われだすと、メロメロだよ。
ただ、話し言葉に限れば、SVO がしっかりして、あとに修飾句を
つなげられる英語のほうが、主題をハッキリさせやすいのは確か。
12名無し象は鼻がウナギだ!:02/01/31 13:29
英語は明確に説明するからじゃない?

This is the reason why----------

みたいに理由は、って最初に言っちゃうから身構えて、
そのあとの説明が掴みやすいのでは?
当たり前だけど認知の問題も絡みそうだよね。
13名無し象は鼻がウナギだ!:02/01/31 13:44
「〜する前に」を「〜しない前に」と非論理的な言い方をすることがあ
るが、英語圏でも無教育な人はこれと同じような論理矛盾をやらかすよ
うだね。
各言語にはそれぞれの言語に内在した論理がある。
日本語には日本語の論理が、英語には英語の論理が。
その辺は相対的であって、どちらが論理的と評価できるものではない。
一見普遍的なアリストテレスの論理学だってギリシア語の論理の
制約を受けてるのだし、英語やその他のヨーロッパ語は同じ印欧語族であり
昔から文化的にも影響を受けてきたからその相対性が自覚されないだけ。
論理性の優劣があるかないかと言えば、おそらくあるだろう。
だが、言語使用者自身の優劣による個人差の方がはるかに大きいので、
誤差の範囲内でしかないと思う。

要するに、日本語で論理的な物言いをする人は数多くいるし、
英語で非論理的な物言いをする連中もいくらでもいるってこった。
論理はロゴス=言葉です。
言語が異なれば何が論理的かも異なるのです。
17名無し象は鼻がウナギだ!:02/03/01 08:41
日本語が非論理的なのではなく、日本人は相対的に論理的な人が少ないということだと思います。
>>17
英語圏人に論理的な人が多いという根拠は?
1917ではないが:02/03/01 10:59
一般的な英語圏人についてはわからないが、少なくとも米国人は
(日本人に比べ)論理的な人が多い、と実際話してみて感じた。

こういうと聞こえはいいが、悪く言えば「論理至上主義」。
論理的に正しいもののみが素晴らしいと思ってる。
屁理屈こねて言い負かした者勝ち。証拠より論。

思うに、あれだけ多様な人種が集まっている国ゆえ、
共通の規範となりうるものが論理以外ないのだろう。
20非論理的な文:02/03/01 11:03
おれの親が嫌いな佐藤君の嫁
大陸の国は、直接的表現重視でイデオロギー重視で、論理主義になりがち。
そうじゃないと、国がまとまらないからね。
島国は、間接表現重視で相対主義的で、あまり論理に偏らなくなりがち。
国がまとまりやすいからね。

同じ英語でもイギリスでは、回りくどい表現が多い。アメリカでは、直接的表現が
多い。フランス語は、論理的だけど、英語はそうでないとも言われる。
インドネシアの言語にも回りくどい表現ある。日本語も然り。
中国語は、直接的。韓国語もそう。

だから、言語自体に原因があるのではなく、
地理的要因によって、論理性が変わると思う。
22名無し象は鼻がウナギだ!:02/04/12 01:09

             __,,.-‐''''''''''''''''''''ー:-、_
          ,,.-'";:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:~`ヽ:、_
         ,/;:;:;:;;:-'"~~''ヾ/~~~'''''--、;:;:;;:;:;:;;:\
        /;:;:;:-'"            `ヾ;:;:;:;:;:;;ヽ、
      /;:;:彡                ヾ;:;:;:;:;:;;:ヽ
     /;;::;:三                  i;:;:ミ;:;:;:;::ヽ
     ,i";:;:彡         - ''   -  、.  ヾ;:;:;:;:;:;:;:;:;i
     /;:;;:;彡         ,,...:-'"  ,,,.....   ミ;:;:\;:;:ミ|
    /;:;:;:;:;:彡    - ' ''""   - ''"      ミ;;;;;;;;ヾ;;;;|
    i!;:;/;:;:;彡             ,,;;;;;;;!!!!!:、  ヽ、;:;:;:;;::、
     !i;:;:;:;:;:;:;| ,,;;;!!!!;;;;::::  :::.    '"" _   ノ i  /  |
     ヾ;:彡/     _ _  :::  :::: ,,.ィゝ-''ヽー ' ヾ/ゝ |
      !;:;:;:| ゝ_,.-''"ゞ-'ゝ,;:  ::::;:;:;::ー= '"    :::ノ |
       i、/ ,.-‐>ゝ: : ' "   ::::;:;:;:      : : :;  /
       :|        ..:/   :::: '⌒ヽ       ;::‐'
       ゝ、    ..::::: ゝ - 、  ,:-‐-' `ヽ、  ..  :|
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         ヽ   !:::: __,,,..::;;;;;;;;;;;::::‐-っー      ,!
            ヽ  `::: `ーゞL:L:L:Ll.-'~ノ  .::   /
           \  `  `ー-、二二,.:''   .::  ,ィ"
      ,,...--;'''"";:ヾ, :..           ,;: /
   ,..:-'"        ー:、  .....,,,,,,....    ,.::'" >>
                ~`''''ー--―''''""

            嘘は嘘であると見抜ける人でないと
           (こんぺいとムネオを見分けるのは)難しい
23名無し象は鼻がウナギだ!:02/04/12 16:16
>>1のようなことを考える人は身近にもいます。
おれの解釈はこう。
英語をより「論理的」と思ってしまうのは、
日本人の多くは、基本的で、それほど複雑でなく、教科書的な英語しか
触れたことがないからではないか。
逆に日本語を使うときは、独特のいいまわしやら簡略化したいいかたを
使いこなしているから、なんとなく「非論理的」に感じるのだと思う。
じぶんの知っている範囲の英語に較べてね。

英語だって、たぶんネイティブは、ずいぶん「非論理的」に見える使い方を
しているんだと思うよ。日常会話なんだから。
24名無し象は鼻がウナギだ!:02/04/12 16:22
言語はそれ自体が論理体系だから、非論理的な言語というのはそれ自体が矛盾している。
「論理性の優劣」というのもおかしいと思うよ。>>15
すこしでも論理性に穴があれば、即非論理的になるんだから。
で、日本語も英語も、言語自体は完全に論理的。使い方しだいだよ。
むずかしい、あるいは約束ごとが多すぎる言語だから「非論理的」だと
いうかんちがいもあるんじゃないか。
英語に比べたら体系的に日本語のほうがはるかに数学的(=論理的)。

語形変化が整然としているのは一つの例。国語は表記法が乱れているから
非論理的と思われるふしがあるが、少なくとも文法は簡潔で、しかも
思考手順は(ヨーロッパ人がいうところの)弁証法的手続きを経るために
主観が入りづらいという特色がある。最初に動詞のくる言語は主観で
ものを言い、理由は強弁するのだ。

ものの数を数えないとか、時制がどうこうというのは言語構造が
異なるのだからなんともいえない。たとえば英語には「文型」が
必要だ。これは日本語のような助詞が存在しないために語を
規則正しくならべる以外に文を作る方法がないからだといえる。

日本語はきわめて規則的で簡単だからだれでもすぐにマスターできる。
表記法を除いては。日本語の理不尽を言うなら表記法にけちをつけてくれ。
26名無し象は鼻がウナギだ!:02/04/13 13:28
23、24です。

>>25
 主張がよくわかりません。

・日本語は「主観が入りづらい」というが、どんな言語だって客観的な
いいかたは存在するのでは? 客観的表現が不可能な言語なんて、
使いものにならないです。客観的表現をしたければ、そのように言葉を
正しく使えばいいだけの話で、「入りやすい」とか「入りにくい」などというのは
あまり言語の優劣を決める論拠にはならない。

・「最初に動詞のくる言語は主観でものを言い、理由は強弁するのだ」が
よくわからない。説明してほしい。

・このスレの議論を通してきちんと整理しておいたほうがいいのは、
「論理的かどうか」とはどういうことか、でしょう。
ある言語が「数学的」という言い方も、よく考えてみると具体的にどういうことなのか、
わからない。
27名無し象は鼻がウナギだ!:02/04/13 13:40
論理的=数学的手続きを踏む
ってことだろ?

それがわからないのなら、
論理性がわからないのだろうから、
まずあなたは論理性について
学ぶべきでしょう。
28名無し象は鼻がウナギだ!:02/04/13 13:54
>>27

俺は26ではないけど、

・「論理的=数学的手続きを踏む」
・「論理的でない、数学的手続きを踏んでいない」

というのはどういうことなのか、具体例を挙げて説明してほしい。
                   ^^^^^^^^^^^^^^^^
29名無し象は鼻がウナギだ!:02/04/13 14:03
おまえは「教えて君」か?
教えて君は損だぞ。
まずおまえがなにか例示したらどうだ。

解答してやるから、もちょっと楽させろ。
おまえの例示から紐解いたほうが
おまえにとって分かりやすいだろ?

30メーテル:02/04/13 14:05
松本 例示
31時計:02/04/13 14:05
零時
32では、:02/04/13 14:12
・「87を4で割ると1余ります。」
・「87を4で割ると鼻血が出ます。」
・「割箸を鼻に突っ込むと鼻血が出ます。」

これらの文は貴殿のいうところの「論理的(数学的)」か否かを
検討していただきたい。
33名無し象は鼻がウナギだ!:02/04/13 14:52
例がくだらなすぎて答える気を失った。
生姜臭えの相手してるほど暇じゃない。
34名無し象は鼻がウナギだ!:02/04/13 14:56
生姜味の料理してるほど蝦じゃない。
35名無し象は鼻がウナギだ!:02/04/13 15:03
生姜味のエビ喰いてえ!
36名無し象は鼻がウナギだ!:02/04/13 15:35
>>32
2ちゃんなんだからそう嫌みったらしくなるな。
しかしそれはよい例だ。で、もっと簡単にしよう。

例)4に5を足すと9です。

日本では4+5=9と習ったろう。
おれはアメリカで教育を受けたから、9=4+5と習った。

日本語の文法と英語の文法の違いを一目でわかるようにすれば
まさしくこれだ。

これとこれなのだから(分析)、答えはこう(結論)と導くのが
が日本語の基本的考え方で、

この答え(結論)からは、こうこうでなければならない(断定)する
のが英語だな。だから英語はドクマに陥りやすい。

またなんかつっこんでくれ。続きは夜か明日ね。
おれは出かけるから。

37名無し象は鼻がウナギだ!:02/04/13 17:03
>>27
26です。

「論理的=数学的手続きを踏む」といおうとしていることはわかるよ。
いいたいのは、言語が数学的手続きを踏むってのがどういうことなのか
わからないってことだ。
もしそれが、>>36が書いているような意味なのなら、それはそれでいいです。

>>36
>この答え(結論)からは、こうこうでなければならない(断定)する
のが英語だな。だから英語はドクマに陥りやすい。

こういう見方もできるよ。
「この答え(結論)が出てきた理由は、こうだからだ(理由)」
9=4+5はそういう思考過程をあらわしているということだってできる。
それに、結論が先にくるからといって、それがつねに「断定」だとは
思えないな。
ドグマ(独断という意味で使っているね?)に陥っている人は、
9=4+5の形で言葉にする前にすでに陥っているのであって、
英語という言語の構造がドグマを誘発するわけではないと思う。
38名無し象は鼻がウナギだ!:02/04/14 17:28
>>37
「断定」よりは「強弁」のほうがいいかな。結論→理由にせよ、
先に結論ありき、が英語の基本的着想であることにかわりはない。
おれはそれが劣っているといっているのではない。往往にして
独断に陥ることがある構造だといっている。

人間の思考(と世界観)は揺ぎなく言語と結びついている。いったい
思考とはそもそもどのようなものだと考えているのか。
思考が「印象」にすぎないのなら、構造は必要ないだろう。
だが、「思考」には構造と手順が必要で、言葉として発せられる以前に、
英語話者は英語に特有の、国語話者は日本語に特有の論理に囚われている。

ドクマを誘発するのは言語構造だ。もちろん、母語と違う構造を持つ
言語を知り、思考や世界観に異なった手順と見方が存立しうることを知れば、
より注意深くはなれる。だが、一般はそうではない。

欧米人には日本語の論理が耐えられない。だから、日本人と(翻訳を介して)
対話すると、だんだんいらいらしてくるだろ。
「で、結論としてなにがいいたいのか?」
日本人は日本人でやはりいらいらする。
「ちょっと待て。なにがどうなったらそうなるんだ?」

こういう言語構造に因のあるいざこざは絶えないな。

39674:02/04/14 18:35
>>38

37です。
では、日本語と英語の「論理性の優劣」については結局どう思っているの?
独断に陥りやすいかどうかという議論は、そこにつながるものとして書いたの?
40名無しさん@1周年:02/04/14 18:49
論理性の優劣なんぞ考える意味無し、っていう結論の上で、それぞれの言語について
より客観的な議論を展開しているのではないか。
41名無し象は鼻がウナギだ!:02/04/14 19:03
>>38

37です。
もし38が25なら、「日本語のほうが論理的」説だね。失礼↑。

>英語に比べたら体系的に日本語のほうがはるかに数学的(=論理的)。

でも、英語が「9=4+5の構造を持つドグマを誘発しやすい言語」で、
日本語が「4+5=9の構造を持つ言語」だったとしても、
どちらが「より論理的」とはいえないんじゃないか。

話者がいかに強弁家であろうと、結論とそれに続く理由さえ適切なら
その文章は論理的だ。「9=4+5」はそれ自体は正しいからね。

あとに結論を持ってきたところで、それがまちがっていたら論理的じゃない。
「4+5=10」のように。

>>24でも書いたけど、「より論理的な言語」というのがおかしいと思う。
すこしでも論理にほころびがあれば、それは使い物にならない言語になってしまう。
で、そんな言語は存在しない、というのがおれの考え。論理的でないのは
正しく言葉を使わない人。「ドグマを誘発された、独断的な人」も含めてね。
「どちらがより論理的か」という設問自体がヘンだよ。
42名無し象は鼻がウナギだ!:02/04/14 19:06
ふたたび37。
すまん、40を読まずに書き込んだ。

>論理性の優劣なんぞ考える意味無し

そうなのか? 36,38=25だと思ったから。
4337:02/04/14 19:32
じゃ、論理性うんぬんは解決したということで、38にコメント。

>先に結論ありき、が英語の基本的着想であることにかわりはない。
(略)往往にして独断に陥ることがある構造だといっている。
(略)だが、「思考」には構造と手順が必要で、言葉として発せられる以前に、
英語話者は英語に特有の、国語話者は日本語に特有の論理に囚われている。
>ドクマを誘発するのは言語構造だ。

そうかなあ。ひとの頭のなかはわからんが、おれは理屈を考えるとき、
言葉(日本語)を使って考えているとは思えないけどな。
筋道はすっきりと立っているのに、言葉にならないときがよくあるもの。
まあ個人的な経験だから論拠としては弱いかもしれんが、38の論拠はどうなの?
じぶんは日本語の語順で物ごとをかんがえているなあ、という実感があるのか?
44名無し象は鼻がウナギだ!:02/04/16 18:35
>>43
たとえば、国際ビジネスの世界ではしばしばこう言われる。
「日本の企業は意思決定までに時間がかかるが、決定にいたれば実行力は群を抜く。
アメリカの企業は意思決定は迅速だが、その後実行段階で課題が生じることが多々ある」
企業や国家においても、言語構造は思考と行動の土台を成しているといえないか。

先に結論がくる言語というのは突拍子もない。数学で言うなら「積分」的といえる。
一方で先に分析を強いる言語というのは無難だ。数学で言うなら「微分」的といえる。
積分というのは「科学というよりは芸術」だといわれるが、これは微分が組織立てて
計算すれば解答が得られるのに対し、積分は解をうるのに勘が必要だからだ。
おれはこれをもって日本語のほうが「より」数学的だと言った。
しかも日本語は演繹も帰納もしやすい。優劣を論じているのではない。

日本語の困難は先に分析を強いるために斬新な発想や革新に至らないことにある。
数学というのはそもそもブレークスルーは生まないものだ。ブレークスルーを
生むような体系は構造として強固でない。しかし「より」芸術的な英語は、
ドグマに陥る危険を孕みながらも、ブレークスルーを生む力を持つ。
こういう言語構造の違いは科学技術から社会一般にまで及んでいて、
そのまま日本と欧米のさまざまな違いとして如実に現れているではないか。
それでも思考が言語構造に依存するとは思えないというのなら、
思考に至る以前の段階に遡って議論しなければいけない。
4537:02/04/18 16:49
>>44
いや、おれが>>43で質問した、

>38の論拠はどうなの?
>じぶんは日本語の語順で物ごとをかんがえているなあ、という実感があるのか?

は、「言語構造が思考を左右する」という主張の論拠はなに? という意味だよ。

>>44は、「英語は結論が先=積分的、日本語は分析が先=微分的、ゆえにブレーク
スルーを生みやすい、生みにくいのちがいが生じる」という流れの主張だと思うが、それは「言語構造が思考を左右している」という命題を、表現を変えていっているに
すぎず、その論拠を示しているとはいえないと思うな。
企業のたとえは、たしかに国民性のちがいが関係したものかもしれない。
だけど、その源が語順のちがいだというところまで掘り下げるのは、
飛躍していると思うなあ。
それをいったら、「結論を先に言う」語順の言語を母語とする企業は
みなアメリカ企業のようになることになる。

それにブレークスルーの生みやすさは「結論を先に言うか、分析(過程)を先に言うか」
には関係ないと思う。
英語話者が結論を先に言うからといって、その理由や分析過程を考えていない
わけじゃない。
また日本語話者が理由・分析過程を先に言うからといって、結論が斬新になりにくい、
というのもおかしいな。
言葉を話す人はたいてい、理由も結論も用意した上で話すんだから。
単に口から出てくる順番がちがうだけだろう。

「ブレークスルー」は、従来の理論・分析結果とは関係なくいきなり飛びだすことも
あるが(思いつきが結果的に正しかった)、従来の理論・分析をよく検討し、
なぜそれが限界なのかを熟知しているからこそ飛びだすこともあるよ。
だから言語構造には関係しないと思う。

長くてすまん。
狭い意味の(統語論が扱うような)言語構造は関係ないでしょ。
談話分析が扱うような談話の構造なら、関係あるかもね。
47名無し象は鼻がウナギだ!:02/04/19 23:31
「言語構造が思考を左右する」という主張の論拠はなに? 

というのが当面の課題なわけね。>>45は理系の人間みたいに
聞き分けのない人間らしい(w おれも数学者だから
のんべんだらりと付き合うか。

ことばとして発せられるまでには大雑把に言って3段階ある。
@ 感受する。
A 構成する。
B 再構築する。

日本語の英語の違いはBにあるわけだが、違いが生じたのはAの
段階で異なったものの見方がなされたからだ。思うに、おまえは
@から直接Bに行くように考えているのではないか。しかし@の
段階はただ単に事象が映じただけであって、そこからなんらかの
意味を汲み取るにはAの段階が必要だ。

>>言葉を話す人はたいてい、理由も結論も用意した上で話すんだから。
単に口から出てくる順番がちがうだけだろう。

というが、その理由や結論はどういう手順で用意するんだ?
とりあえずはここで話を振っておくか。。。
48名無し象は鼻がウナギだ!:02/04/20 02:59
>>47
ひとが、
@(感受)→A(イメージ構築)→B(言語に変換)→発話
という単純な過程で言葉を口にすることは稀だと思う。

実際は発話に至るまでにもっとごちゃごちゃと考えることが多く、それは
@→A→B→A→B→A→B→・・・→A→B→発話
というように、大部分が言語とイメージの相互変換に費やされているのではないか。

もしこの仮定を認めてもらえるのなら、言語構造が思考に影響を及ぼすという意見も
あながち変だとは決めつけられないと思うのだが、どうか。

ちなみに私は数学者ならぬ、数学徒です。このスレに書き込むのは初めて。
49名無し象は鼻がウナギだ!:02/04/22 15:40
45です。

まず確認しておきたいのは、>>37-44の一連の議論はそんなに抽象的な話では
ないということ。
つまり、
「日本語は結論があとに来て、英語は先に来ることが多い。この順番が
ものの考え方の順番にも関係している。すなわち、日本語話者は結論を最後に
考えて、英語話者ははじめに結論を思いつくことが多い。是か非か」

議論はこの土俵でいい?

>>47(おれと議論しているのは、ずっとおなじ人だよな・・・)

>>言葉を話す人はたいてい、理由も結論も用意した上で話すんだから。
>>単に口から出てくる順番がちがうだけだろう。
>というが、その理由や結論はどういう手順で用意するんだ?

この「手順」は、「構成する」段階での手順だな?
48がいうように「構成する=イメージ構築」だとすれば、
浮かんだイメージの順に構成すると思うよ。結論でも理由でも。
理由や分析過程を先に考える人もいるし、まず結論が頭に浮かぶ人もいる。
これは47がいう、「感受する」段階の話になるのかな。

>とりあえずはここで話を振っておくか。。。

で、47はこちらが振った話にはどうなの?
「「言語構造が思考を左右する」という主張の論拠はなに?」
その3段階の話がそうなのか?
おれの論拠は、43でのくりかえしだけど、
「ものごとを考えるとき、日本語の語順で考えているとは思えない。
筋道は頭のなかですっきりと立っているのに、言葉にならないという場合が
あるからだ」だ。これはもちろん個人的な経験だけど、かなり客観的な事実だと思うよ。

>>48

言語構造が思考に「影響を及ぼす」というのを、全否定しているわけじゃない。
でも、前述「日本語は結論があとに来て、英語は・・・したがって日本語話者は
結論を最後に考えて、英語話者ははじめに結論を思いつくことが多い」
というのは、前半はいいとしても後半は納得できないし、論拠も納得できない。
発話したあとの「言語構造」が「イメージ構成」にふたたびフィードバック
される可能性までは否定しません。でも「思考順=語順」とまではいえるかなあ。
5047:02/04/22 19:49
>>49
心情論が入り口だから、話が長くなっても前に戻るとわかっている。
で、話の半ばでおまえの心情にお伺いを立てたのさ。

>>ものごとを考えるとき・・・かなり客観的な事実

説明できない以上は、主観的だという他ない。
そもそもここがそら恐ろしく主観的(心情的)だから、
話を具体的にしようがないんだぜ。

おまえは是か非かと明快に言うが、こちらは(例の良し悪しは
別として)それなりの論拠を述べている。
が、おまえは部外から検証不可能なことしか言わない。
反論も「...思えない」という内容ばかりだ。

こういう状況では話を抽象的根源的にするほかない。
あるいは、おまえがより客観的なことをいうか。

>>浮かんだイメージの順に構成すると思うよ

とはどういうことだ。どの順番でイメージが映じるかは重要ではない。
映じるだけなら無機物にもものは映じる。それを意味あるものと
認識するには手順があるはずだろう。そこが構成の段階で、
再構築(言語構造に組替える)はさらに先の段階だ。

日本語と英語はことばや思考以前の「ものの見方=認識」の段階で
すでに異なる。これがその後全般の行方を司っているわけだ。

例を挙げよう。

女の子(男の子)が近づいてきて、おまえに対してこう言った。
発言)デートしよう Will you date with me?

この馬鹿みたいな例文でちょっと考えてくれ。
両言語の見方の違いが思考を動機づけ、最終的に言語構造の違いと
なっているのではないか。構文から遡って考えてもいい。
51名無し象は鼻がウナギだ!:02/04/23 02:10
言語が思考を規定するのではなく、思考が言語を規定した
ってのは、どうよ?

「デートしよう」は「デートしない?」とも言うね
52名無し象は鼻がウナギだ!:02/04/27 00:40
英語の文法と日本語の文法は似ている。
「I know him.」は「俺、知ってるそいつ。」って最近言わない?
本当は「俺はそいつを知っている。」って言うんだろうけど。
>>52
知ってるよそいつ俺。

know him me.

語順の自由度が違う。
54名無し象は鼻がウナギだ!:02/04/27 01:08
「俺、そいつ知ってるよ。」
「そいつ知ってるよ、俺。」
「知ってるよ俺、そいつ。」
「そいつ、俺、知ってるよ。」

こんなにイロイロと順番変えても大丈夫な日本語の文法と、
英語の文法が「似てる」と言えるかな?
>>52
その仮説を元に本を一冊書いてくれ。
トンデモ本としては結構面白そうだ。