形容詞の活用表を見て気付いたこと

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6アホ丸出し
http://www1.odn.ne.jp/bungaku-shitsu/works/studies/s002.html

「本来書かれるべき表記」とは、音便を目に見える形で表記せず、
「サコー(サコオ)」「ウトー(ウトオ)」「スモー(スモオ)」を
「咲かう」「打たう」「住まう」、「サイタ」「ウッタ」「スンダ」
を「咲きた」「打つた」「住みた(『だ』の連濁も元に直した)」と
表記する、というものである(したがって旧仮名遣いとも異なる。
「住みた」と書いて「スンダ」と発音する)。
この表記法に則って活用の種類を分類すれば、
全ての動詞の活用表を、行については活用語尾の行、
段についてはその「活用の種類」の本則通りの段に、
それぞれ収めることができる。
また、一つの(未然・連用といった)活用形名に複数の活用形が
対応してしまうことも回避できる。

このようにして定めた「活用を分類するための表記」についての
「活用の種類」を、改めて「新しい活用の分類法」として定めればよい。
↑マジレスすると、
「置いた」を「置きた」と表記してまで、
死語である文語との統一性を重視するよりも、
なぜ、五段活用の連用形が音便形のみ残り、
非音便形が消滅したかを考察したほうがいい論文かけるよ。
(類似論文がすでにあるかはしらないけど)

わたしは、「置きた」「起きた」の混乱を避けるため
「置いた」は音便形のみなったとにらんでいるけどね。
そう考えれば、サ行上一段は存在しない(サ変の派生形はのぞく)ので、
「貸して」が一度「貸いて」と音便化したあと
またもとの「貸して」に戻った理由も説明できる。
また、「死んだ」にあるナ行五段はこれ一語しかないので、
混同の心配がないし、関西弁でいえば、ワ行五段は
ウ音便なので、「勝った」と「買うた」が混同されることもない。
残念ながら東京弁では、「勝った」「刈った」「買った」
を区別する手段がないけどね。
その代わり東京弁は、ラ行五段を上一段化することで、
混乱を回避しているのかな。「足りる」「借りる」等。