>>307 恋愛に興味の無い男性に対して、「すっぱいブドウ」の論理を振りかざし、
「本当は興味あるんでしょ?でも手に入らないから興味ないってことにしてるんでしょ?」
と言い張る無知はいまだに後を絶たない。
しかしながら、実社会においてはすでに、「狐」と「ブドウ」は逆転しているのである。
現実に起こっている事象から判断すれば、現状は明らかに、
多くの男性が恋愛もしくは結婚したがっていない状態なのであって、
その逆ではなく、一方で日本においては、
「女を持ち上げない男」や「恋愛しない男」へのレッテル貼りやヒステリックな攻撃が後を絶たない。
いわく、
「この男はゲイ(ホモ)」
「この男はモテない」
「この男はオタク」
「この男はダメ男」
など。
さて、この状況。なにかを思いださせないだろうか・・・?
そう、これぞまさしく、
【このブドウ(男)は、酸っぱい(=ホモ、オタ、もてない、草食系、etc)に違いない】の論理である。
無知たちが思い込んでいた、「ブドウ=女」「狐=男」という構図は、ここにおいて逆転している。
さらに、これまでの「ブドウ=女」は、人工的にライトアップされショーケースに並べられた
(つまり本来持っている価値とは無関係に大きく値をつり上げられた)
ものであり、「狐=男」がブドウを欲しがっているという前提が崩れれば
たちまち腐ってしまう(立ち行かなくなる)ものであった。
それに対して、 今の「葡萄=男」は、生きた樹木につながっており(一定の生活力を持っており)、
「狐=女」がいようといまいと、実を結ぶ(生活を営む)ことができる。
女狐はただ、「あのブドウは酸っぱい」と呟くのみ。