71 :
('A`)風の勘太郎 ◆/3LZLGDsxY :
性が男並みに解放されている女は言葉使いが汚いと感じています、特に語尾が汚い印象があります
と言うより語尾が汚いと言い切って良いかもしれませんね
言葉の美しい女性が心も美しいという証明は、言葉と心は常に表裏一体の関係にあるということです
言葉使い、立ち振る舞が綺麗な女性は多くの男に好まれることは間違えのないことだし
言葉使い、立ち振る舞いをどこの場所で女が綺麗に使ってもまったく損はないでしょうね
女が女らしさをいつどこで発揮しても全く損する事はないという事です
やはり人間が生んだ文化の中で言葉こそ最高に優れた文化は無いと断言して良いでしょう
その人の言葉ひとつひとつから、人格が感じられる場合が多いことですか
出来れば日常を穏やかに過ごしたいと、誰もが思っているでしょうし
穏やかな言葉=穏やかな人格と結びついてくることでしょう
言葉には文化を感じますし、文化はゆとりの上でしか生まれてこないということでしょうね。
女性である貴方がどういう人間に成長し、どういう考えを持っているのか
それを証明してくれるのは、言葉なんですだからこそ「言葉」が大切なんです。
女性のありかたと言う事は、戦後大きくかわったのですけれども
戦争が終わり民主主義の国日本となったわけですが、その約60間あれも欲しいこれも欲しいと
工業大国日本となりましたが、心の問題はどうでしょうかね。
当時の日本人はいきなり日本が民主主義という国となったので、民主主義というものを理解できなかったのでしょうね
ヨーロッパのほうでは核家族化になるのに確か150年くらいかかったそうです
日本は核家族化になるのに50年くらいだそうです
日本では、核家族化が他国に比べて3倍から4倍くらいのスピードで行なはれてしまったということです
民主主義ということを理解しないまま、男女平等(共学)責任がないきままな自由、恋愛も自由、と受け止めてしまったのでしょう
今の日本は価値観が多様化しすぎていると思うのは、自分だけでしょうかね
女も民主主義というものを男のまねをすること。タバコをふかしたり、パチンコしたりとかかな
そういったことを「男女が平等である」であると考えてしまったのではないですかね
女がそれはそれで幸せであるのならいいと思いますが、男の自分はこんなことを考えてしまいます。
本当の自由とは誰もが共に生きていける共生の理念が前提で、それを保障する規律責任が伴うものでしょう
自由には責任が伴い、何事にもおいて自己責任が発生するということです。
民主主義の国なのですから、自分のことは自分で決めるということは当然のことです
沢山ある生き方の中から、自分の生きて道を選択していくのは、他でもない自分自身です。
明るく伸びやかで誰のでも微笑をたやさない明るい女、健康的で誰にでも挨拶ができる明るい女
姿勢の良い女、素直に自分の感情を表現できる女、出しゃばらない女、料理が上手い女
清潔感がある女、タバコを吸わない女、言葉使い、立ち振る舞いが綺麗で女らしい優しさを漂わせている女。
女らしさとは無限大にあると言っていいでしょう、女の人は明るい心をいつまでも大切にして下さいね
女らしさとあくまでらしさです、そうありたいと願う心のありかたつまり気配でしょう
あの人は女らしいとか、この人は女らしいと感じるのは理屈ではないということです。
こうすれば女らしいとか、こうだから女らしいという{一定の形}をとっているのではないのです
決定的な事は、その女の人が{人間らしい}ということでしょう。
この世の中には、女ならではの持つべき智恵・知識があると思います、それらを沢山もって女が女らしいのでしょう
男女は同権ですけれど同質ではないのです。
人間に生まれ誰からも超人と言われ、この世が存在する限り永遠にその名を残される人(聖徳太子)でさえも
お釈迦様でも、キリスト様でも自分の生き方さえ、よくわからないのです。
それでも日本人なら誰でも美しいと感じる「富士山」の”処女雪”に自分の足跡を永遠に残したいと願うように
たとえほんの僅かただすれ違っただけの人でもその人が女らしさを感じさせてくれたとすると
自分の心に"女らしさ"ということが・・・・・・・・・・・・・・・・・・"永遠に焼きつくことでしょう"。
心にある何かが女として体を伝わって外へと出ることでしょう
言葉はかわいい女を自分自身で作りあげる、第一歩ということです言葉は人なりということです。
男と同じような言葉使い立ち振る舞いになると女らしさが、失われていくのは同然の成り行きなんです。
女に生まれたからには、男とは違って女という性をより美しく生きてもらいたいものなんですが
女の美しさを作る大きな要素が、女らしい美しい言葉使いであったり綺麗な立ち振る舞いなんですかね。
男と女が近づき過ぎたとか、近づき過ぎて同じ言葉使い立ち振る舞いになってしまったと言う事でしょう
心と言葉は表裏の関係にあるので、言葉が汚くなってきたら心も汚くなってきている証明です。
日常の言葉使い立ち振る舞いを気にしている女性は、気にしない女性より男から見てより美しいかも知れませんね。
日常の言葉使い立ち振る舞いを気にしている女性は、言葉使い立ち振る舞いを綺麗に女性らしくしようとしない女より
人生をより楽しく生きられるかも知れませんね、要するに明るいこころかな。
男には真似しようとしてもできないことでしょうね、女は美しく生きる、これが女の大きな生きるテーマでもあるのではないかな
どんなに美人でも言葉使い立ち振る舞いが男と似ていたり、綺麗ではないと、その恋も一瞬にしてさめてしまう
なにより言葉使い立ち振る舞いが綺麗で優しい女性が多くの人に好感をもたれることでしょう。
その人が使う言葉というものは、
その人が今まで・生きてきた環境・受けた教育・自分自身で培ってきた教養・生まれもった人格
すべてのものが渾然一体となり、その人の言葉となって表現されことでしょう。
男側からの勝手な言い分であり見方かもしれませんけど、女の人がタバコを吸っている姿ですね
これを見ると最近なんかちょっとどうかなぁなんて感じます
将来は子供を宿す体ですからね、女の人はタバコは控えて頂きたいと思ったりもします。
タバコを吸っている女の人からは女の人が本来持っている"優しさ"を感じないのです。
食事をしながらの女の人のタバコを吸う姿は見ていて、気持ちが良いものではありません。
75 :
('A`)風の勘太郎 ◆/3LZLGDsxY :2013/12/26(木) 21:08:58.23 ID:roFvOSzs
これから母親になる人は子供さんが生まれたら、子供さんが不思議がる事に注目し本を与えて
子供さんと一緒に世の中のわからないことを一つ一つを共に考えていくということが大切であると言う事でしょうね
ということでテレビのクダラナイ映像文化と"正比例"して本の活字文化が失速ですから
退治の時に(受精した時から・受精した時点で)お腹の子供さんに向かって何らかの正しい本を読み聞かせると言う事が最重要かもしれません。
退治の時点で、子供はお母さんのお腹の中にいる時点で、すでに"人"であるということでしょう
ですから、受精した時に出来ればお母さんがお腹の中の子供さんに、本を読み聞かせると言う事が
最高であり、最善であるということです。
あんまり、クダラナイタレントに影響を受けると・・・子供さんが真似しますから
マイ・フェア・レディという映画があるのですが、主演はご存知「オードーリー・ヘップバーン」です
あらすじは確か言葉使いの汚い女の人が花を売っているのですが、正しく美しい英語の発声練習をする事により
正し英語が話せるようになったそうです。
正しい言葉を話せるようになり・教養も身に付き人格までも立派になったそうです
言葉とは会話の為の単なる手段ではなく、人格の形成・人間の精神の向上(成長)と
大きく結びついているという事を、印象づけられるということでしょう。
言葉というものは非常に複雑な歴史過程を経て、時々刻々変化し、新しい言葉が出来るということでしょう。
やはり言葉とは揺れながら時代に合う様になっていき、大勢の人が使う事により日本語に定着するということでしょう
日本語を乱れさせる原因は流行語が次から次に出てくるからでしょうね。
流行語を使うと年齢にもよりますけれど、シァレているなんて思いますけれど
流行語の乱用は自らの品位を落としかねないという事にもなるでしょう( ^ω^)〆。
本来日本人が勤勉であり、優秀な民族であることは有名な話ですが、日本人があくせく働くのは
日本には四季があるからだそうです。春、夏、秋、冬、とそれなりの、洋服、寝具を整えなくてはなりませんからね。
日本のミツバチは確か2回蜜を取るそうです、アメリカミツバチは確か1回だそうです
ところが、日本のミツバチは2回蜜を取るので、日本のミツバチをアメリカに持っていったところ
1度しか蜜を取らなくなってしまったそうですアメリカには四季がないからだそうです。
忙しすぎたのかも知れませんね忙しいとは心を亡くすということですから。
言葉使いや立ち振る舞いまで男と女で同じとはね、社会人になれば変わるでしょう。
日本社会のモラルの喪失は何世代にわたって取り組まないと解決できないでしょうね
日本は憲法第9条で戦争を放棄していますし、自国の防衛のほとんどをアメリカに依存してきたし
日米安保改正ですからね、でもアメリカの下外交も防衛も考えないでよかったからこそ
戦後奇跡といっていいほどの経済復興したことは確かです。
今の日本の平和もアメリカの軍事力の頼りがなければどうなっているかわかりません。
日本は憲法9第条で戦争を放棄していますし、自国の防衛のほとんどをアメリカに依存してきたし
日米安保条約ですからね、でもアメリカの下外交も防衛も考えないでよかったからこそ
戦後奇跡と言って良い経済復興したことは確かです。
良い政治家を育てるという事で一番大きいのはやはり国民の見識でしょう
短期的に見れば地元への利益見返りしか望まないのなら、その程度の政治家しか選ばれないし
まだ日本は民主主義が成熟しているとは、いえないでしょうね。
政界党では痛みを伴う改革とうたっていますが痛みを伴わない改革なんということはないわけでして
大切なのは、国民が幸せになる改革でなくてはならないでしょう。
総論賛成、各論反対有名な言葉ですが、今改革を止めるわけにはいかないでしょう。
改革により既得権を失う人達がでてくることは当然ですが、やはり多くの国民のため乗り越えることが必要でしょう。
・政治家・いわゆる、永田町で政治について論争する人達・ワイロなんかでイメージがよくはないですね
・官僚(お役人)・いわゆる、霞ヶ関で働いているエリート集団・不祥事、スキャンダルでやはりイメージがよくはないですね
民主主義「三権」司法・立法・行政のうち、立法と行政は国民が選んだ「政治家」こそが動かすことでしょう
>>10 日本の政治を、国民から選ばれているわけでもない、「官僚」がしきっているところに問題があるわけでして
>>11 選挙によって選ばれてもいない、官僚が政策を決めてしまうということは、民主主義に反する
官僚任せにしてしまった結果、膨大な借金を日本が背負ってしまった。
官僚が政治をしてしまって一番いけないいけないこと、それは「責任」が発生しないからでしょうね
政治家は失敗したら選挙で勝てない、落選するというより落選させなければならないでしょう、国民が選挙に行き。
日本道路公団にしても、社会保険庁にしても、政治家がチェックしていれば税金を自分達のために使うこともなかったでしょう
膨大なデータと経験と緻密さをもっている官僚には、政治家は勝てないでしょう
大臣クラスの政治家でさえ、仕事は官僚まかせであると聞いたこともあります。