やはり女らしい女が好きなのだ。

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72('A`)風の勘太郎 ◆/3LZLGDsxY
縄文時代には、狩猟をしていたので神様にこれら(熊とか猪)を食する事を感謝し供え物踊り等をします。
縄文人の祈りについてhttp://www5.ocn.ne.jp/~vorges/sub6.html

弥生時代には、農耕を始めたので稲の神様に感謝しやはり、供え物等をします
稲作は天照大御神が日本で最初に行ったので、現在ではその子孫である天皇家が新嘗祭を行っています。
新嘗祭http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E5%98%97%E7%A5%AD

天皇家系図http://www9.wind.ne.jp/chihiro-t/royal/Tennoke.htm
天照大御神の子孫である天皇が稲を植え、日本国の五穀豊穣を祈願し天皇家の安泰無病等を願い
日本国に災害なんかがおこらないよう、ひいては国民の安泰を祈っているという事です。

飛鳥時代には愈々日本に仏教が伝来します、蘇我氏物部氏に分かれ仏教を受け入れるか否かで戦います
当然勝利したのは聖徳太子率いる蘇我氏です、ここで本来からの神道と仏教が存在することになります
聖徳太子は憲法十七条を定め「和をもって貴きとなし」と和の精神こそ大切であると説きます
この和の思想が今の日本人の考え方行為行動を決定づけているということです、これは大変重要は事です。

この時代にはまだ朝廷や貴族達は宗教には触れられますが、一般庶民はそれがどういったものなのか知る由も無かったでしょう
一般庶民が宗教に触れるのはもう少し先のことです、例外はありますけれど鎌倉時代といわれています。
73('A`)風の勘太郎 ◆/3LZLGDsxY :2013/09/09(月) 17:40:46.56 ID:ds6Srbqr
平安時代には、最澄と空海が仏教の新しい潮流をもたらします、最澄が天台宗が、空海が真言宗をおこします
この時代も天皇や貴族が言ってみれば自分たちの安泰を祈る為の宗教で、まだ一般の人には浸透しません。

最澄 伝教大師の教えは天台法華宗を大切としているのでわかりやすく、何しろお釈迦様が一番重要なのは法華経としていたので
鎌倉時代に活躍される、僧侶はここの宗教出身者です。
空海 弘法大師の教えはわかり難い為、少し極端な話ですけれど弘法大師一代状態になったそうです
http://www.osoushiki-plaza.com/library/data/data131.html信者さんのおおよその人数です
何しろ「密教」なんですから、非常に理解しにくいそうですしとらえどころが無いと言いましょうか。

鎌倉時代になると、いよいよ本格的な武士の世の中の扉がこじ開けられます、源義経が平家を滅ぼしてしまうのです
日本の歴史が大転換します、これにより朝廷中心の世の中が終了し武士(一般庶民)の夜が明けます
そもそも武士とは最初からそこに住んでいて自分達の財産は自分で守るという、在家の武士(一般庶民)
そして、貴族の血はひいているのですけれど都に住んでいてもたいして出世できないので地方に出てきた、貴族の武士
このふたとうりだそうです、しかし奈良時代にも武士という文字が存在するので、武士が何時できたか明確なは解らないそうです
在家の武士というのは自分達の耕した土地の正式な所有者になりたいということで、源頼朝を神輿としてかつぎ力をつけます。

武士は普段人を殺せざる負えなくなりますから、罪の意識があるので自分達に悪い事がおきないように又死後極楽浄土に行けるように祈ります
鎌倉時代には沢山の僧侶が出現します、法然・親鸞・道元・日蓮等です。最澄がつくった比叡山の延暦寺で、仏教の基礎を学んだそうです
法華経の基礎を学び一応の修行を終えそれぞれ、法然が浄土宗、親鸞が浄土真宗、道元が曹洞宗、日蓮上人が日蓮宗を開きます
この人或いはこの神?が作られた宗教が今の宗教の礎となっているのでしょう、それと日本に古くからある神道ですね。