規制論の根拠というのがどうもつぎはぎっぽいというか、まず規制ありきで理屈を
並べ立てたような整合性の無さを感じるんだよねぇ。
ここで言う規制とは、出版と製造、所持の法規制のことね。ゾーニングとは違う。
で、規制派というのはゾーニングは認めず、あくまで前者の法規制を主張している人。
その規制論の根拠を整理すると。
A-1:ポルノ(陵辱もの)は女性に対するヘイトスピーチであるから規制するべき。
A-11:女性へのヘイトスピーチは女性の人権侵害である。だから規制するべき。
A-2:児童ポルノは児童を守るために規制するべき。
A-21:実在する児童だけでなく、アニメや漫画の児童ポルノも規制するべき。
A-3:ポルノ(陵辱もの)の存在は性犯罪被害者にとっては許しがたいことである。
だから規制するべき。
A-31:ポルノ(陵辱もの)はレイプという犯罪を誘発するから規制するべき。
A-32:ポルノ(陵辱もの)を愛好する人間は異常で、犯罪をおかしかねない犯罪者予備軍であり、
社会に不安を与える。だからポルノを規制し、排除するべき。
大雑把にはこれぐらいかな。大きく分けてこの3つぐらいかと思うんだが、本来これらは相互に独立した
異なる文脈なので混同して論じるのはあまり意味が無いんだけどねぇ。
もともとのアグネス問題はA-2(児童保護問題系)の文脈のはずだったんだよね。今じゃほとんと俎上に
あがらないけれど。
で、結局A-1系列(フェミニズム問題系)とA-3系列(レイプ問題系)を行ったり来たりしてる印象かな。
はてなのログを一通り読み返すと、規制論者は当初A-1系列で規制を主張していたが、結局あっという間に
表現と言論の自由の問題に行き着いてまともな論を構築できなくなったようだ。あれをスターリニズム
と最初に言った人はなかなか慧眼だったね。
その後エロゲーとは全く別の話でレイプとミニスカート問題が起きて、それがいつのまにか
エロゲー問題に接続されてしまっていたという、なんかよく分からん流れに。
レイプの被害者に対して自己責任を問う(たとえばミニスカートをはいてるからだ、というような)
ことがどれだけひどいかということと、レイプの被害者にとってのポルノ(陵辱もの)の存在が
どれだけひどいか、ということがなぜかパラフレーズされていたというね。
で、規制反対論者≒自己責任論者ということになって、自己責任論に対する批判のフレーズがそのまんま
規制反対論者にも適用されるみたいな。
まあ、この辺の流れは、A-1系列をベースに表現の自由という軸で論じるとボロボロだったので、
「女性のことを考えろ!」から「『レイプ被害者の』女性のことを考えろ!」(A-3)にすりかえて
論敵を攻撃にいきましたというところなんだろうけれど。
で、その後はかなりぐだぐだで、A-3から徐々にA-31、A-21にシフトしてる感じかな。この辺の流れは
まんまファシズムの危険さが露骨に出ていてなかなかヒヤリとさせられるわけですが。