>>239 いやいや、最初期には恋愛だって、「皆で幸せになる」発想があったんだ。
要するに、「地位や家柄、貧富の差を超えて、愛があれば」という思想だよ。
しかしながら、皆がわかっているように、これは理想的すぎた。
それから欧米ではまだ階級が残っているが、日本では敗戦とtもに階級がひどく見えにくくなった。
階級間の混淆という意味で、欧米においては愛はそれなりの役目を果たしたのだが、
日本では見合い制度を吹き飛ばした後、女達によって変質させられていくんだ。
それは女達の行きすぎた「自己実現」によって、金もキャリアも育児も自由もと欲張りすぎて、
抱えきれない負担を全部男に押しつけようとした。
なのに自己保身も強烈にあったから、夫側の親の干渉を拒絶し、子供も自分自身のものしようとしたわけだ。
結果、三高が出現し、バブル期以降、男を女の自己実現の道具にしてしまったのが現在。
女は、恋愛教で自己実現を目指し、男は恋愛教で信頼と精神の安穏を求めたわけだ。
だから恋愛教で、女は自分の幸せを追求し、男は二人の幸せを求める、いびつな状態になった。
で、今、男が恋愛教を捨てて自分の幸せのみの追求に切り替えようとしていた訳だが、
これはゲーム理論で言えば、女が裏切り、男が協調から、男が裏切りへと切り替わったわけだ。
いわば、女の得点10、男の失点10から、男女とも失点3へとかわるようなもので、
女は非常に困るが、男は失点を減らすことができて、イーブンの状態になったわけ。
恋愛教において、敗者の救われる余地が無いように感じるのは、女が恋愛を自己実現のために使っているからだろう。
女の体は男の性欲のおもちゃでないと散々言っておきながら、女は男の真心を自己実現の踏み台にしたわけ。
それを意識せず反省もしていないから、恋愛や結婚を勧める人々の言葉は、いつも軽く、心に響かない。
男は女の自己実現の道具じゃない、これがほとんどの女には理解されてない。だから恋愛教は輝きを失った。