俺が興味あるのは、「恋愛」イデオロギー、恋愛教の失墜だな。
そう、「ちゃんとした恋愛をしなければ、まっとうな人間じゃない」ってのは「作られた神話」で、
恋愛至上主義が生み出したものさ。その恋愛至上主義の下に、恋愛産業と女性様優越主義がある。
かつて、神を信じないものは人間じゃないと言われた時代があり
やがて、国家や政府を信じないのは、非国民といわれ、
そのうち、革命をしんじないものは、反動分子と言われて
そして今は、恋愛を疑うものは、童貞だのもてないだのと罵られる。
なんのことはなく、神も国も革命も信じられなくなったから、人のつながりである「恋愛」にすがりついているだけ。
神を信じないと神罰が下るという代わりに、女を愛さないと孤独死するとか、女に都合良くならないともてなくなるとかといって
脅しているだけ。単語さえ入れ替えれば、過去と全く変わらない。
恋愛に興味がない奴は来るなというのも、異教徒は立ち入り禁止と、同じ。
でも前にも言ったが、その恋愛教が男を抑圧するものとなったことがはっきりしたとき、男が恋愛教から目覚め始めたわけだ。
だからここに煽りに来る女にとって、恋愛を信じない男は、「当然のことをなぜか理解しない」人たちに見える。
人生、もてなきゃ、地獄。だからもてるように女性に奉仕するのが当然、女性を心地よくするのは男の義務。女はもてるために外見を磨くだけで良い。
恋愛教に染まった人々と、そうでない人の差は、こんなにも違う。
エピレディが言っている「ルームシェア」の意味は、
「ちっぽけな男一人の利益にこだわらず、女に利益を分配することで、男は女とつきあうことができて、男は孤独の地獄から救われる」
と、要するに理屈を引っ込めて女と利益を分け合え、そういう意味でのルームシェア。
しかし恋愛教を信じない俺達から見れば、女に利益分配しても救われない。女が利己的に振る舞うかも知れないし、感謝するとも限らないし、
そもそも利益を分け合わないほうが、もっと幸福じゃないかと思う。
そういう違いが俺達の間にあるわけだ。だからかみ合わない。