男女平等?ああいいよ。じゃあ女はこうしろ!

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581名無しさん 〜君の性差〜
やや脇道に逸れることを御容赦頂き、いま少し男性の性欲について考察してみよう。

およそ生物とは、生存のために環境に適応し、可能ならば環境自体を改造しようとするものである。
そして、人間の男性はあらゆる生物の中で、環境を改造することにより生存機会を高める能力に最も秀でていると言えよう。
男性はその歴史を通じ、食物と居住空間を確保し、災害に備え、
自然の脅威の中で安全快適に暮らすために常に工夫し、そして数々の偉大な成果を上げてきた。
その男性にとって最も手強い存在であり続けた物が女である。
言うまでもなく、その手強さは男性の性欲に起因する。
優れた理性によって高度な文明を作り上げてきた男性と言えど、
生物としての本能である性欲は決して軽視できないものであった。

ここで、男性諸君は自らの性欲について改めて考えてみて欲しい。
男性にとって性欲とは何だろうか。
性欲を満たすことは、それ自体が目的なのであろうか。
否。目的ではない。何かのための手段ですらない。それは「排泄」である。
そして「排泄場所=便所」が女である。

なるほど排泄は重要である。
しかし排泄は目的ではない。
排泄が自由にできないことの不快感が男性にとって重大な問題なのである。
それ故、男性は長い歴史の中で、排泄欲求を満たすために、女をおだて、なだめ、食物を与え、衣服を与え、金を与え、
場合によっては名誉まで与え、女が自ら便器の蓋を開くよう多大な労力を費やしてきた。
しかし、多くの場合それは徒労に終わり、
しばしば大災害とも言える重大な事態を引き起こす要因にもなったことは、歴史の常識と言ってもよいであろう。

「女=便所」をいかにして征服するかという問題は、男性にとって恐らくその全ての歴史を通じて懸案であり続けてきたと思われる。
しかし、驚くべし。19世紀後半の写真術発明に始まる映像技術等の飛躍的進歩が、
100年そこそこの短期間にこの重大問題を一気に解決してしまったのである。
何故そのようなことが可能であったのか。
582名無しさん 〜君の性差〜:2010/02/28(日) 23:34:13 ID:KBxSEIou
そのことを考えるためには、次のことに注意するとわかりやすい。
「女=便所」
「まんこ=便器」
これらは排泄のための機能を持っているが故に重要視される。
そして、「女=便所」は悪臭がせず、美しく清潔であればよい。
「まんこ=便器」は排泄が滞りなく快感をもって行われればよい。
すなわち、男性にとって重要なのは、便所や便器そのものではなく、快適な排泄を可能にするその「機能」なのである。
この100年で男性が成し遂げたのは、
便所と便器のもつ「機能」だけを抽出し、それを極めて容易に利用できるようにしたということである。

さらに注意すべきは、女は便所ではあるが、ただの便所ではない。
その所有する便器の使用に対する莫大な対価を要求する「極めて強欲な便所」である。
長い間、男性は快適な排泄を行うためには「女=強欲な便所」の莫大な要求に応える以外の術を持たなかった。
しかし、現代に至り、男性は「女=強欲な便所」「まんこ=便器」の持つ機能の正体を明らかにし、
それらと同等どころかさらに優れた機能を、
「女=強欲な便所」に入ることなしに利用することを可能にしてしまったのである。
そして、その過程において、女自身もその強欲さ故に積極的役割を果たしたことは前述の通りである。

現代の男性には、「女=強欲な便所」も「まんこ=便器」も必要ではない。
それらそのものを利用しようとするのではなく、それらの機能を効率的に抽出することにより、
男性はついに「性欲解消=排泄」という問題を解決したのである。
わずか100年余りの間に成し遂げられたこの偉大な変革は、
長い人類の歴史の中でも最大の革命的事件であると言っても過言ではあるまい。



ここまでの筆者の文章を読んで違和感を感じた男性諸君は、ぜひ考えてみて欲しい。
あなたの性欲は「女=強欲な便所」に莫大な対価を払い「まんこ=便器」を利用することによってしか満たされないのだろうか。
そして、現代を生きるあなたの人生にとって「性欲解消=排泄」とはいったい重要な問題だと言えるだろうか。