レディースデーは廃止するべきではないか その6

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482名無しさん 〜君の性差〜
「希望」することと「行動」することは別のことだと思う。

例えば、今、自民党は消費税の引き上げを検討している。
これに不満を感じている国民は半数以上だろう。
じゃぁ、全員が消費税を引き上げしないことを公約とした政党を立ち上げるのか、と言えばそんなことはないだろう。
「行動」と言えば、せいぜい選挙で自民党に投票しないことくらいなものだ。
でも、それすらもしない―選挙に参加しない―人間だっている。現実はそんなものだ。

だが、それくらいのことならレディースデー反対派だってやっている(と思う)。
それは、男女問題に前向きに対応してくれそうな候補者に投票すること。
レディースデーを実施している施設を極力利用しないこと。または抗議メールを送ること。
でも、それもしない反対派だっているだろう。現実はそんなもの。

実際、「希望」することを「行動」に移すには多大なパワー(時間・金・etc)を要する。
人には人それぞれの事情があって、「行動」に移すことはできないが「希望」している
なんてことはことは往々として在り得る話。

だから不満を述べる。不満が千、万と集まれば、そのうち中からパワーを持った「天才」が現れる。
そしてその「天才」に「運」が味方して、初めて社会が変わるのだと思う。
「天才」が現れなければたぶん変わることはないのだとも思う。
悪く言えば他力本願だが、一般人なんてそんなもの。それが現実。

「なぜ行動しないのか?」それはパワーがないから。
パワーはないけど不満はある。それは極々普通のことだと思う。

「パワーを持った人間がいないからレディースデーはなくならない」
それはある意味正しい。
「このスレの住民はパワーを持った「天才」を望んでいるだけのヘタレだ」
少し言い過ぎだが、それもある意味正しい。

でも、「パワーを持った人間が現れないということは社会に認められている」
これは間違っていると思う。