>>836 > つまり、特別なものを「自分のもの」という意味で捉えているのですね。
> その意味で特別ではないと言っているのなら、それはあなたの誤謬です。
> 特別と思う対象が、自分のものである必要はないからです。
>
> そして、私の意識が特別なものかどうかが、
> 「誰でも死ぬから、生に執着する」ことがなぜ誤謬なのか
> という問題(以下、問題E)とどう関係しているのでしょう?
特別なものであるからには、独占性が確実になっていないといけないと思います。
別な観点から言えば、意識は「何らかに関する」意識であって、意識そのものは無い、と思います。
その方が特別ではない、という意味では理解が容易かもしれません。
> 関係性を示せないのであれば、特別かどうかについての話はそろそろ打ち切ります。
> 未だ論証されていない問題Eとは結局関係のない話ということですから。
自分の意識が、個別的であっても特別でないことが理解できれば、
死は不幸ではない、と理解が出来ると思います。
死が不幸である、というのは一種の洗脳です。
感情的には無理でも、少なくとも、それは誤謬だと理性では認識できるでしょう。