【西尾 天 西尾 地 西尾 火 西尾 人 そして神西尾】

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38チャンバラ(〇´∀`*)エリザ ◆TJ9qoWuqvA
日本の歴史で他国と違い解りづらいところは、朝幕並存ということでしょう
朝廷と武士(幕府)が並立しているということです、権力が一元化していませんから
朝廷は兵力はないですから、そこで武士にある時はまかせ、ある時は依存し、ある時は"利用"したのでしょう。

武士は武士で権力が欲しいので、征夷大将軍になりたいわけです(武士で初の征夷大将軍は源頼朝です)
朝廷の家来になりたくないので源頼朝が狙ったのが征夷大将軍というポストです。

ところで日本で一番最初に今でいう警察なるものを作ったのは源頼朝です弟の義経を全国手配して惣追捕使を作ります
朝廷に警察部門は征夷大将軍に任せてくださいということです、朝廷は政治の権限は渡したくないですけれど
穢れの仕事はしたくないので追捕使をおくことを認めたのです。

武士で一番最初に頭角を現したのはおそらく平将門でしょうね、でも流れ矢に偶然あたり、亡くなってしまいます
それと、僧侶この人達が武装していた事これは以外?に知られていない事実かもしれません
この僧侶から武器を取り上げたのが、織田信長という方です。

僧侶が武器を持って、武装するのはおかしいと言う弛張でしょうあの時代に正しい判断であると考えます。

"目だった者勝ちの源平合戦"義経によるヒヨドリ超えで有名な源平合戦一ノ谷の戦い
熊谷直実が浜に出てみると、立派な甲冑に身を包んだ若武者が平家の陣に戻ろうとしていた。
直実は若武者を呼び止め、一騎打ちを所望した。 直実は一騎当千のツワモノ、それに比べて若武者のなんと細いことか。
瞬く間に若武者を組み伏せた直実は、若武者の顔を見て驚いた。それは二十歳にも満たない、息子と同じ年頃の若者ではないか。
「名はなんと申される?」「平ノ敦盛」 あまりの大物に動揺した直実は、刹那、自らの手柄よりこの平家の貴公子の助命を願った
後ろから駆けてくる味方の兵に気づき、自分が助けても他の手によって討たれると諦め、泣く泣く自らの手で敦盛の首を落とした。
その後直実は出家したという。
平ノ敦盛という方はたいへん潔かったと感じます、「平家にあらねば、人にあらず」の世の中で誕生され活躍された方こそが

源九郎義経という方であるのは、間違えのないことでしょう。