「性差別は文化の基盤である」 by 岸田秀
女の肉体の商品化は、資本主義の発達によってますます露骨な
形で現れてきているにせよ、資本主義の結果ではなく、はるかに
もっと以前、つまり人類の文化の発生とともにはじまったとおもう。
というより、人類の文化の成立の不可欠の一条件ではなかったかと思う。
人類が進化のいたずらによって、自然な状態では生存できなくなったとき、
それまでは必要でなかった労働が必要になった。人類の赤ちゃんはその養育に
きわめて長い期間を要するようになったため、母親は、それに多大の労力を
注ぐことを余儀なくされ、みずから生きていく能力を失った。
したがって、種族保存をはかるためには、父親が子どもとその母親を
養わなければならなくなった。すなわち、動物の雄にはやる必要のなかった
余計な労働を人類の男はやらなければならなくなった。男の中に、
このような労働へと駆り立てる本能などあろうはずもない。何をもって、
男をしてそのような過重な労働をみずから進んで引き受けさせ得るか。
ここで、この目的のために、男の性欲が利用されたのだと思う。(続く)
食欲は、満足させなければ当人が死んでしまうから、食欲の満足を遮断して
おいて、食の獲得へと駆り立てるエネルギーをほかへ逸らせ、別のことに
ふり向けることは、ほとんどできない。できても、当人が空腹を感じてから
餓死寸前にいたるまでの短期間だけである。それに反して、性欲は満足
させなくても当人は死なないし、ただひたすら欲望がつのるのみである。
それに、すでに別のところで述べたように、人間の性欲はさまざまな幻想と
結びつき、さまざまな幻想に支えられているから、性欲のエネルギーは、
本来の対象と目標とは異なったいろいろなことにふり向けることができる。
つまり、男をして、本来はやらずにすんだ過重な労働を引き受けさせるために、
男の性欲を遮断し、その対象である女の肉体を商品化し、商品価値をもった
女の肉体を得るためには、それに見合う価値を生む労働をせざるを得なくしたのである。
かくして、性行為は、両性の対等な欲望の発露ではなくなり、男にとっては、
苦しい労働によって得たものを払って獲得する快楽となり、女にとっては、
男に養ってもらうための男に提供するサービスとなった。理論的には、
逆に、男の肉体を商品化し、商品としても男の肉体を得るために女が労働する
という可能性も考えられるが、人類の大勢はその方向に向かわなかった。
妊娠と出産と授乳は、どう転んでも女がやらねばならないこと、女の方が
体力的に劣っていること、身体構造上、性行為は男が欲しさえすれば女が欲して
いなくても可能なこと、などが、男の肉体ではなく、女の肉体が商品化された
理由であろう。