しかし、まじめ故に家柄や風習、世間の目等を気にするのが日本人
は、第一印象で人を見極めるクセがあるらしく、中学校、一部の小学校、高校では黒髪、一部では
男子は短髪(一部は坊主)。など、身だしなみにうるさく、協調性を重視するため、自由が束縛されます。
何故か能力や人間性よりも生活態度が重視され、学校は卒業より受験が大変で、就職も仕事より、
入るのが大変と、その組織に相応しくない人物は能力を試す前に切り落とされます。
日本人は世界的に見て勤勉で仕事への姿勢などの印象を持たれており、
実際、僕がオーストラリアに居たときは電車が週末止まってたり、タクシーが中々ひろえなかったり、
店はすぐ閉まる、最寄のコンビニも無いという感じで、シドニーシティにもかかわらず、
日本の田舎よりも不便です。もう一つ気づいたのは、夜の街にスーツ姿のビジネスマンが居ない所。
ここでは一度帰宅し、私服に着替えて奥さんも家族ぐるめで会社の飲み会に行くそうです。
日本じゃ考えられないですよね。仕事をして、家庭を支えていても、平日家族と接する時間が殆ど
無い事により、日本人男性は家庭よりむしろ会社を中心に生活していくわけです。
でもね、これって日本人男性が招いた方向じゃないんですよ。
日本社会そのものが、正確に働く機械を求めて、働く人間に仕事無しでは生活していけない
窮地に追いやっていくわけ。僕もサラリーマン二年してたんでわかりますが、残業は当たり前だし、
ボランティアで休日出勤も徹夜勤務もしてたし、なぜかそれを不思議に思わなかったんですよね。
仕事に責任を持って、能力を伸ばし社会に貢献する事は一見勇ましいですが、
人に貢献しすぎると、必要にされなくなった時、どうやって自分に貢献したら良いかわからなくなっちゃいますよね。
タダでさえ男性の立場が不安定なのに、そこに女性が入り込んでくると
男性はますます居場所を失っていきます。男尊女卑社会を何百年も送ってきて、犯罪の少ない国
であったかもしれないなら、今更文化も労働者の人権の扱い方も違う欧米の表面だけを適用しようと
する意味が一体どこにあるんですかね?失業で自殺なんてあまりにも悲劇です。