>>623 >帰納法とは確認できる事実や事象の積み重ねから、妥当な推論を導くことですね。
「妥当な推論」ってのはどうやって判断する? あんたが書いた蓋然性を高める方法は、
恐らく仮説演繹の事を言っているのだと思うけど、それは論理が正しい事の証明ではなく、
論理が間違っていない事の証明にしからならない。じゃあ、正しい理論ってなんだっていうと、
ぶっちゃけそんなものはない。少なくても科学においては。でも、何も正しくないなんていったら
何もできないんで、「恐らくこれはほぼ正しいだろう」という社会全体の合意で決める。
だから、学者は学会で発表したり討論し、自説がどれだけ現状における他の説よりも優れているかを
示さなければならない。そうして、科学者集団の多くの合意が得られる、すなわちコンセンサスが得られたものが、
科学理論って訳だ。だから、人によっては、真の科学理論なんて存在せず、あくまで社会的な構成物にしかすぎない、
という「社会構成主義」って考えもあるくらい。
>妥当だからコンセンサスを得るだけで、 コンセンサスを得たからといって確かな論とはならないのですね。
もしこの世に正しい理論ってのがあって、それを人間が知る事ができるのならば、コンセンサスはいらないんだけど、
実際はそんなわけない。結局正しい間違っているの線引きは人がしなければいなけないから、最終的な判断は、
多くの人間によるコンセンサスに頼らざるを得ないんだよ。もちろん、単純なレベルの話だったら、
確実に正しい間違っているって言えるけど、そうじゃないレベルの話においては、結局どこかで人は
線引きしないといけないんだよ。
>>624 そう。科学史上においては、他にも熱素説やエーテル説なんかがある。
理論負荷性という理論とあわせて考えると、いかに人間が正しいと思っているものが
不確かなものかが分かる。人は、どこまで行っても真実にはたどり着けず、
どこかで「まぁこれでよくね?」っていうコンセンサスで、折り合いをつけないといけない。